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6月25日()そっくりショー??

昨日、今日とエアロビ。たまたま隣は二日共同じ人だった。その人がまたYUK●ちゃんそっくりでビックリ。
前にも同じ時間にエアロビに参加した時は、た●ちんのそっくりさんがいた。

ジムの帰りにこの春オープンした金沢サティに初めて行ったら新たな発見。あの中華の「菜香楼」が惣菜コーナーに出店していて嬉しいかぎり。投票を済ませて帰り、女子バレーボールは残念な結果に。

夜のテレビはどこも選挙速報になったが、石川テレビのローカルのほうはジムでよく見かけるIアナウンサー。なんとなく親近感が沸くなあ(笑)。変わって日テレは…当確者へのインタビューの「失言」を言わせそうとする姿勢は…見るに堪えない。

レイル・ストーリー続々編を書こうと思っていたのに結局二日共ジムで終わってしまった。健康的でいいか(笑)。でも昨日の午前中は取材。といってもウチからクルマで1時間程度のトコ。これで一応取材は全部終わり。その次のシリーズは話題をコロッと変えて予てからの公約どおり、ストーンズ裏ディスコグラフィーだな。おっと、ひろでんはどうした??

そういえば、数ヶ月前に本屋に行ったら、●さゑちゃんに瓜二つの人も見たなあ。

6月23日()バレーボール

今、女子バレーボールはシドニーオリンピックの最終予選。

ここ2戦は負けが続き、オリンピック出場は怪しくなってきたようだ。今回のテレビ中継も前回のワールドカップ同様、日本チーム中心に伝えられているが、タイムアウトの時にはあまりCMを入れず、集まった選手に監督がゲキを飛ばす光景が見られる。納得いかないのは日本チームの「ニッポンの怒る人」こと葛和監督だ。

試合展開を見ていると、相手の作戦を分析したとは到底思えない。相手が手法を変えてきたり、だんだん牙を剥いてきているのに全く気づいていないように思う。もうお家芸ではないのだし、身長やジャンプ力で劣る日本は、相手と同じような攻撃パターンは通用しないはず。

選手たちも連戦で疲れているのが判る。中国戦では第二セット以降、相手サーブは集中的にリペロの津雲選手に集まり、徹底的に守備を弱めようとしていたのに気づいていなかった。それなのに試合の「流れ」とかにこだわるのは多いに疑問を感じた。昨日のイタリア戦では負けているのに「勝っている」なんて言っていたし。

こんなことを言っては良くないのかもしれないが、これでは日本が戦争に負けた時と同じやりかただ。負けているのに選手を精神力だけで戦わせようとしている。相手が次々と新しく手を変えてきているのにそれを認めようとしない。ただ「やれ!」の一言だけではないか。明日のクロアチア戦も世界ナンバー1アタッカーのイエリッチ選手が出てくるが、単にイエリッチ選手のスパイクさえ封じれば勝つとは思えない。イエリッチさえ崩せばいいの?それで相手が自然に崩れるの??

サッカーではトルシエ監督の進退まで大きく騒がれるのだが、なぜバレーボールではそこまで話題にならないのだろう。もっと冷静になって、負けたことを真摯に受け取り、ニッポンのバレーボールが世界に通用するものになってほしいものだ。

6月21日()街の色

レイル・ストーリー続々編を書きながら改めて思い出していた。

何度か関東と関西を旅してみて、比べてみると街の色が違うなあと。
関東…というか東京ってコントラストが強いのなあ…と思ったりする。それに比べて関西はコントラストがやや弱めという感じを受ける。

金沢から東京へ行くと「やっぱり街のつくりが違うなあ」と思う。例えば東京では道路にしても歩道との境界にガードレールがあったりするが、金沢では見られない。ただ歩くだけで違いを感じるのだ。並んでいる家やビルの表情も違う。ボクの個人的には、どことなく心地よい違和感がある。色としては少しだけ黒味がかかった印象が残る。しかもエッジが立っている。

それに対して関西はややぼかした感じ。京都を「はんなり」という表現をしたりするが、正にそのとおりなのだ。やや白っぽい、淡い色調…という感じだ。しかし金沢から関西へ行ってみるとその違和感があまりない。

特に京都は街の表情が良く似ていて、金沢が「小京都」と言われる所以はそこにもあるのかなと思ったりする。ただお寺だとか名所旧跡だからとかで言われているのではないとつくづく感じた。客観的に似ているだけなのだ。特にクルマで京都へ行った時の車窓は「あれっ?この辺って金沢の○○に似ていない?」というのはザラだ。京都は市の条例で建築物の高さや外壁の色のまで規制しているし、道路の幅も似ている。
3月に京都へ行き、四条烏丸で地下鉄の出口を出た途端、同様にそれを感じた。おやここは京都か金沢かと。たまたま地方都市の、戦火に遭わなかった今の金沢の表情とすごく似ている。不思議な位、違和感など微塵も感じなかった。阪急電車で桂あたりを走っていても、金沢の郊外とそっくり。乗っているのが阪急だというのに違和感を感じた位だ。

さすがに大阪や神戸では違いがあるとはいえ、屋根のあるアーケードなんかは金沢も同じだしなあ、ただ神戸は地形のせいかそれらがギュッ!と凝縮されているという違いや良さはあるけど。

よく考えてみると、人の流れや集まり方そのものの違いもあるなあ。駅に居るとその違いは実感出来る。絶対的な数が違う。関西では東京ほどの人の数はない。

そう思っていると金沢は関西の流れを感じるし、東京との違いも判ったような気がする。ただ、そうして旅をして街の色、表情の違いを楽しむのもまたいいものだなあ…と思いつつ続きを書くのであった。

6月18日()梅雨は中休み

昨日はまたまたレイル・ストーリー続々編取材。行先はなんと立山の麓。こんどのストーリーは関西ものが3話、お待たせ(誰も待っていないか…)の北陸ものが3話、合計6両編成で発車しま〜す。

雨の中の取材だったがまずまず。ついのんびりしてたら遅くなり、特急自由席に乗るはめに。クルマのほうが安くついたか…

そして今日は早めに洗濯と掃除をすませ、ジムでエアロビとスイム。帰って早速執筆を開始。もう1話書いてしまった。「街でみつけたヘンなもの」少しだけ追加。こちらはUP済。トップからどうぞ。

6月13日()梅雨寒

土日はクルマでフェルメール展@大阪。

のんびり大阪へ行くのは久しぶりだったなあ。最近みっちー@大阪厚生年金で日帰りとか、取材で日帰り三都物語やら日帰り四都物語だとか。ドコ食べに行こうかなんて二人して考えたりしたのはホント久しぶり。でも東京へ行くのと違って現地で呑み会がないのは少し寂しい気もした。

天王寺の大阪市美術館だって大学生時代にファン・ダイク展を見にいって以来の●●年ぶりだった(爆)。詳しくは「旅日記」に書きますのでそちらを見てやって下さい。

梅雨に入って肌寒い日ばかり。それから先日の地震だけど、あれから何度も余震が…

6月9日()GOAL!!

ボクはサッカーの試合に出ていた。
相手ゴールの左手前の最前線にいたボクに右側からセンタリングされた球がきたが、相手デフェンダーの足に当たった。
それが運良くボクの前に、こぼれるように球がきて、思わずボクは右足でシュートを放った!!ゴーーーール!!

…という夢を見た。ただ、その時ボクは無意識にベッドの傍にあったゴミ箱を右足で思いっきり蹴っ飛ばしたらしい。寝ていた#2はあわてて飛び起きたという。その後ボクは何事も無かったかのように寝ていたが、確かに何かを蹴飛ばした記憶は残っていた。それがボールではなくゴミ箱だったとは…(笑)。

明日、明後日はフェルメール展を観に、大阪へ。でも梅雨入りしてしまった

6月7日()揺れた揺れた

今朝は早めに目が覚め、新聞を読んでいたらガタガタガタガタ…

おや?どこかで地震でもあったのかなと思ったら(呑気な)揺れが大きくなって、ガタガタガタガタ…。それも長い。思わずP波とS波なんて単語を思い出したりしたが、ようやく収まった。

テレビの速報では石川県加賀で震度5弱と流れていた。何っ?そんなに揺れたのか?でも金沢の震度はなかなか現れない。まあいいか。ようやく7時すぎに震度が判ったが周りは全部震度4なのに金沢は3。なんかヘンだなあ。

幸い大きな被害はなかったようだが、地震の発生は6時16分。もし今日関西取材だったら…と考えてみたら、先日乗った電車が金沢を発つのは定刻なら6時14分だから、発車してしばらく走ったところで電車は赤信号で停車。一駅も走らないうちに足止めとなって、さぞ悔しい思いをしただろうなあ。JR北陸線は線路の点検でかなり長い時間止まっていたらしい。

先日リリースしたレイル・ストーリー2だけど、全く反響がない(泣)。

6月4日()ジムはフルコース

今日のジムはエアロビ、筋トレ、ランニングにスイムのフルコース。終わって体重を量ってみると、何と通い始めた頃から比べて4kg近く落ちていた。こりゃ服が軒並みぶかぶかになったはずだよ。

マシンで走りながらいろいろ考えていた。もっともこのほうが走っている時間を感じないというメリットもある。

今年に入り、大阪へ、東京へと何度も足を運んだ。それも電車が多かった。
電車を利用してみて判ったことは、人の流動の違いだった。大阪へ向かった時は、富山からやってくる列車はあまり席が埋まっておらず、意外なことに自由席は金沢で降りる客が目立った。金沢で大方乗るかと思うとそうではなく、むしろ福井県内からの乗車が圧倒的に多いことに気づいた。

東京へ向かった時も金沢からの乗車よりも富山県内での乗車が多かった。ということは、金沢は東京の文化圏ではなく、かといって大阪の文化圏だとも言い難い。
関西地区ローカルのテレビの天気予報に福井県が出るあたり、福井はもう関西の仲間でもある。福井の仲間に言わせると京都や大阪なんてクルマで2時間程度で、「ちょっと遊びに行く」という感覚らしい。さらに福井県でも敦賀だともう関西だ。言葉も関西訛が強くなる。

では富山はというと、食べ物の味付けを見ると東京の文化を感じるものがある。江戸時代まで加賀の前田家の支配下だった富山は、明治維新後、北陸本線が全通してからはむしろ東京志向になったのではと思う。京都、大阪と敦賀を結ぶのが目的だった北陸線は、いつしか直江津で今の信越線に接続して東京へという目的に変わってしまったのがそれを裏付けている。

地形的にも西は木の芽峠、東は親不知と天険に阻まれて独自に文化を形成してきたのが北陸だ。かつて北前船の頃、京から鯖街道へ経て若狭へと流れた京文化は峠道を避け、船で加賀へやってきた。それは今でも金沢の文化に根付いているものも多いが、前田家が積極的に文化を取り入れた結果でもあろう。

金沢は…結局今でも東京でも大阪でもない。かといって独自の文化を形成しているかというと、そうではない。止まってしまったり、誤解されていたり。今のところ引っ込み思案な余りにどっちつかずなのだ。大阪へも東京へも人が動かない。バブル以降、街が空洞化しているのは街にエネルギーが感じられないことの表れであり、東京や大阪の大手資本は既にそれを見ぬいている。にもかかわらず金沢がそんな危機にさらされていることを重要視してもいない。むしろ楽観的だ。

それは石川の県民性が全てを阻んでいるからなのだ。特に官公庁は「事勿れ主義」が強く、脱皮を拒否し続けている。こんなことだから問題を問題として考えないばかりか、認知さえ否定する。今の森総理がその典型。「神の国発言」の是非は別として、国民が望んでいる森総理自身の考えは未だ明らかにされていない。いや、出来ないのだ。とりあえず故小渕氏の路線を黙って継承していれば、それは彼にとって総理の道を邁進することに他ならないからだ。そして首尾良く任期を務め上げることによって地元石川では名士として受け入れられるだろうが、はたして日本という国、国家レベルで考えるとどうか。そういう食い違いがここ石川では連綿として受け継がれている。悪しき慣習だとは思う。

だから金沢は、今のところ率直に言ってとんでもない田舎だ。北陸という一地方で考えると田舎であってはならないのだが、田舎だ。もっと外へ出て、世の中をもっともっと見るべきだ。事実大都市圏の文化を吸収する力は富山や福井に大きく水をあけられている。会社の若い連中が、今どき4大セレクトショップの一つも知らないというのも事実だ(これには愕然としたが)。需要がないのも街が空洞化する原因の一つ。つまりそれだけ何にでも関心が薄れているのだ。

これは情報量の絶対的少なさもあるのだろう。とにかく、全てにおいて今の金沢は中途半端で、何も言い出せないでいる。それを裏付けるのが「人の流れの絶対的少なさ」だなとつくづく感じた。北陸新幹線問題も一部政財界で理想論を並べているだけで終わっているのも頷ける。…それが今年の旅で判った事実だった。

あれっ?何の話だったっけか?(笑)。とにかくこれでボクは今日50分走った。

6月3日()よく書いたなあ

昨日は有給休暇が取れたので、レイル・ストーリー続編関西地区取材のため大阪へ。

早朝の特急で金沢を発ち、京都・大津、奈良、大阪、神戸と歩き回り、電車にも乗りまくって取材。これを一日でやってのけるから驚かれるのかもしれないな。でも確かに…疲れた。はじめはクルマで行こうかなと思っていたが、移動の電車でウトウト居眠り出来たり、帰りのグリーン車でのんびり体を休めることが出来たから、これで正解だったと思う。

今日は朝から取材をもとにレイル・ストーリー続編改めレイル・ストーリー2を仕上げ、ついでに取材出来ないでいた関西私鉄ストーリーの一部も、めでたくリニューアル。そして当然のことながら旅日記も書いた。頑張ったなあ。

どちらもトップページからどうぞ。

レイル・ストーリー2は結局思わぬネタで1両増結して全9話でリリース。これでこのシリーズはしばらくお休みかなと思ったが、昨日の取材で新たに二つ新ネタを拾って来てしまった(爆)。地元ネタも少し頭の中にあるし…当分治りそうにもないようだ。