8月31日()芝刈りは楽し Part.2

昨日の雷雨はどこへやらの好天。しかも35.3℃という真夏とおんなじ暑さ。

今日も石川県民ゴルフデー♪。この暑さのせい(というコトにしておこう)か、前半途中で突然の乱調。その前半はなんとかしのいで49だったが、後半はバテバテで59を叩いてしまい、何と今シーズンワーストの108…。煩悩。

そう思うと、真夏でもツアー競技のプロゴルファーはたいしたもんだとつくづく思った。練習ラウンド、プロアマ戦、予選、決勝と毎週6日間は休みなしだもんねえ。しかも体が資本。ガンと闘いながらもレギュラーツアーに現役参戦している杉原輝男プロには頭が下がる思いだ。

2日間遊んで、それで平日プレー料金1日分(しかも割り引きして)でもおつりが来るというのは、サイフにやさしくて非常によろしい限り(嬉)。

明日から仕事に復帰か。

8月30日()芝刈りは楽し Part.1

恒例の石川県民ゴルフデー♪。県内各ゴルフ場が揃って今日、明日の二日間だけメンバーシップ関係無し、抽選制予約受付の無礼講。料金も格安という大盤振る舞い。これを利用しないテはナイ。

今日は朝7:24スタートと早かったので、ハーフ終わったのがまだ9時半すぎ(笑)。混んでいるので相当待たされるのかなと思ってたら15分の休憩で後半戦。結局昼過ぎにホールアウト。金沢では真夏日になったというコトだけど、もう陽射しはすっかりマイルドで汗ダラダラかかないし、サワヤカなのがいいねえ。赤とんぼも飛んでいた。秋近し。それで成績はというと、46、48のグロス94。おしっ!95を切ったぞ。明日もこの調子か??お楽しみの風呂はサウナ2回も入っちゃったよ。

夜は二人で外ゴハン。クルマで出かけると突然の雷雨。凄かったー。明日はホントに晴れるのかなあ…

8月29日()よみがえる夏?

何と太平洋高気圧が勢力を盛り返し、夏に逆戻り。たしか長期予報で残暑厳しいと言っていたような気もする。

つかの間の秋だったのか…。

昨日は二人でお出かけモード。片町にあった金沢唯一の広島お好み焼の店が、この春突然なくなってがっかりしていたが、実は郊外に移転していたのが判明、早速(でもないか)行ってみた。メニューに関西風やたこ焼きが追加されていて一抹の不安を感じるが、味は変わっていなくてひとまず安心。やっぱりダブルいきました(笑)。

お出かけはスーツが欲しかったから。うまくスーパー100'sのが見つかり、濃い目のグレーでウインドウペーン。ボタンフライだったがデザインも着心地も良く、即決定。しかもバーゲン品の残りでサイフにやさしいスーツだった。

「見るだけならタダ」と言いつつあちこち眺めていると、ボクの誘惑に負けて#2は二点ばかし購入。しかし侮り難し武蔵が辻。なかなかいいショップあるじゃないか。本日の結論→片町は金沢以外の人が来るところ、武蔵は金沢の人が来るところ。

夕方にはクーラーが要らないくらい涼しくなり、夕餉はビーフン入りトムヤムクン。ああ何故休みになると食べるコトばっかりなんだ?!

明日、明後日はようやく夏休み。しかも二日共悪友に誘われて…(笑)

8月26日()るろうに傷心

先日仕事ちうにこんな大型トラックを発見。

布袋寅泰のツアー機材専用トラックだった。場所は徳光PA下り線。仕事柄たまにこんなのが走っているのを見かけるんだけど、なかなか写真に撮れずにいた。今度はバッチリだったよん。

あの猛威を振るった太平洋高気圧は弱まり、ここ2・3日ですっかり大陸の移動性高気圧の勢力下に変わった。何と言っても炎天下と熱帯夜から開放されたのが嬉しい。作業してても滝のように汗は流れないし、夜も涼しくてグッスリ寝られるし。

来月9日は本社で会議。待ってろよさはりん。

しかしここんトコ傷つく話ばっかり。

8月23日()困ったもんです

夏休みもあと1週間あまり…と思ってたら事件発生!!北陸自動車道、石川・富山両県上り線のSA、PAのトイレからトイレットペーパーがことごとく盗まれた。しかもトイレ個室の中からだ。

ペーパーホルダーのカギは壊されていて、一部は溶接してある芯棒まで折られていた。汗だくになってカギを取替え(しっかし何でコレもウチの仕事なんだ??)、帰って課長に報告すると、全国でもあちこちでそんな事件があるという。被害届提出も辞さないと言っていたが…

今更パクリ事件のコトを書くのも何だと思ったが、どうも気になる件が。昨日本屋へ行った時に気づいたが、雑誌からネタを流した人物がいるのではないかと。そして堂々と談話まで載っている…。その人物の名は宮脇俊三。話の中でいきなり線路の傍に住んでいないような「鉄」はダメと書いてありムッとくるものがあったが、決定的ポカが数カ所存在する。

昭和5年に運転を開始した超特急「燕」の話が出てきたが、これを特急「つばめ」と書いている。この列車は東京と名古屋の間を初めて無停車で走ったりしたので、当時の特急よりもさらに速いということで超特急と名乗っていたのがホント。それを特急と書いてあるし、だいいち戦前は「燕」と漢字標記だったのだ。「つばめ」と平仮名になったのは戦後の話。話の中で「自分自身時刻表にかたよっていて車両には関心が弱い」とあるが、時刻表好きがそんなポカをやるとは。

その「燕」は途中での機関車の交代という時間を惜しんで走ることにしたので走行中に機関士を交代した。それをせいぜい5分くらいの短縮のために…と書いているが東京から名古屋まで石炭をくべ続けろとでも言うのかい!新幹線の今でも東京-名古屋間ノンストップの「のぞみ」や「ひかり」でも途中で運転士が走行中に交代してる位だ。のちに「燕」が沼津に停車して機関車を付け替えるようになった話もあるが、停車時間は弁当売りのためで、付け替えだけなら二分で出来るとある。これは大きな間違いで、機関車を付け替えたら、エアブレーキがきちんと掛かるかどうか、制動試験てのをやるんだよ。それには機関車から客車に空気を送り直さなければならないから、二分じゃとても無理。それで「鉄」を名乗るとは不届き千万!!

その他、幼少の頃の話が書かれているが、どう考えても当時10歳以下の子供がまるでその頃すでに鉄道関係の職員だったような文章なのはつじつまが合わず、理解に苦しむ。それで時刻表好き??おいおい。矛盾だらけだぞ。

決定的なのは…

宮脇俊三がすでに四巻出している「鉄道廃線跡を歩く」は前述のトワイライトゾーンのパクリ記事や重複記事が多く見受けられ、企画そのものもパクリではないか。はじめ見た時はトワイライト…の別冊と信じて疑わなかった程だ。

すなわち、あの東京人9月号のパクリには宮脇俊三も一枚噛んでいるような感じだ。ネタの発信源は彼かもしれないし、その彼がパクリ、ポカが多い事からも想像がつく。

8月21日()思い立って

子供の頃から果たせなかった夢…それは西武レッドアローに乗るコトだった。

そのレッドアローは引退して今は富山に活躍の場を求めたコトはすでに紹介したけど、不本意ながら取材はしたものの乗るコトが今だ実現出来ないでいた。というのも、たった2編成ではどの列車に使われているのか判らないからだ。その話の富山取材の時は、時刻表で「これかな?」と思って待ち伏せてたらまずはスカを食らった(笑)。場所を変えて別の列車を待ったら、今度はうまく写真を撮れたが。

それで、クルマを使わず電車で旅行気分を味わいながら宇奈月温泉へ。いろいろ調べたので、今回はバッチリとレッドアローに乗れました(嬉)。ここで書こうと思ったら長くなりそうなので、「旅日記」に納めました。

8月20日()迷いましたが…

打ち合わせのため、朝イチで本社へ。指のケガにも負けずにさはりん仕事ちう。

トルコで起こった地震はかなりの規模だったと聞く。阪神大震災以上だという話だが、建物が壊滅しているを見ると鉄筋コンクリート造の壊れ方がヒドイ。あるニュースでは鉄筋量の不足を挙げていたが、それ以上に思ったのは高層ビルまでがごく単純なラーメンであり、軸組と言っていい位だ。しかもほとんど無筋コンクリート。それに壁が簡単な組石造なので鉛直、水平両方向の荷重を持たせられない不静定構造物にすぎない。あれでは壊れる。

阪神大震災からだいぶ月日が経ったが、あの地震の少しあとの三月始め、ボクは大阪へある講習を受けに行った。「阪神」と名がついた割には大阪市内は無傷で、神戸の惨状が信じられなかった。翌朝から講習だったので前泊を付けてもらったが、その頃は小松勤務だったので午後の特急で発って夕方には大阪入りしていた。その後どうしようか考えた。神戸で起こった現実を見ておくべきかどうか。

確かにただの見物客がいて、神戸市民の感情を逆撫でて居る事は知っていたが、迷った挙句ここで現実を目の当たりにしておく事も大事だと思い、震災直後の神戸行きを決意。電車はまだ復旧前で、まずJRで住吉まで行くしかなかった。新快速が来た。

本来新快速が止まらない住吉が終点になっていた。西ノ宮あたりから亀裂の入ったビルが目立ちだした。住吉で大勢の退勤客と共に電車を降りると、駅前の臭気が鼻をついた。水道が使えないため、仮設トイレが並んでいるのだ。ここから先は阪急御影駅まで約1km程を徒歩接続。全壊した家屋が多い。そこにテントを張って生活しているのを見て現実を知る。ショックだった。阪急神戸線は二つ先の王子公園との間で折返し運転。そこから先は再びJRで灘から元町まで乗った。

夜7時過ぎに着いたが、市内は人がいなくてまるで深夜のようだった。電気・水道は一部復旧していたが、店は閉まっているか倒壊しているかのどちらかだった。生田神社は全壊して屋根だけが暗闇にうっすらと見え、三宮の呑み屋あたりは電柱は折れたまま、電線はぶら下がっていて、全くの手付かずだった。これが神戸なのか…

南京町は、ごく一部の店だけが仮設の電灯の下で仮営業しているだけ。それでも営業を再開しているエネルギーに感動した。神戸大丸は半分が解体中。歩道のタイルは大きくめくれあがり歩きにくい。何だこの変わりようは…。闇の中でビルの解体される音だけがけたたましく響くだけ。好きだった神戸がこんなにも変わってしまった。その頃はまだ携帯を持っていなかったので、とにかくボクの見た神戸を家に伝えようと全壊、半壊している建物の並ぶ生新で公衆電話にテレカを入れたら、奇跡的に使えた。

三宮、元町、南京町というボクの好きなルートは大きく変わり果てていた。阪神高速の情報板は「災害通行止」を表示したままだった。

大阪への帰りは、部分復旧した阪神電車。三宮からから電車代行バスの出ている岩屋まで乗る。乗ったのは大開駅の崩落で自社線に戻れなくなった山陽電鉄の電車だった。代行バスは国道43号を走ったが、有るべきはずの阪神高速3号神戸線は橋ゲタを外されていた。まだ復旧工事の行われている御影駅から今度は梅田行き急行に乗る。電車は何度も徐行運転をしながら走った。

阪神大震災はこうして今でもボクの記憶には鮮明に残っている。この貴重な経験を基に仕事でも災害マニュアルを作成したが、災害にウトい北陸人はいまでも真剣にとりあってくれないのも事実。

8月19日()ものはついでに

昨日に続いて高校野球ネタで失礼。こんなコトもあるかもしれないと。

高校野球の応援団って、攻撃の時はコンバットマーチで「かっとばせー!○○!!」だけど、守備に回るとブラスバンドの演奏会になったりする。そこで…

その日は朝からの好天はどこへやら、今にも泣き出しそうな天気に変わった。第三試合は三塁側に西東京代表の高校。首尾良く中盤まで相手をリード。しかも相手打線は不振でまだ無得点。これなら楽勝パターンかと思われた。うまく追加点が入り、相手の攻撃。築かれる三振の山に応援団も気楽に演奏している。さて次の曲。なんと始まったのは「東京音頭」だった!!

♪はぁ〜、踊りおーどるな〜ら、あ・チョイトとおきょーおーんーど…と誰彼と無く合唱が始まり、とうとう途中で調達したであろう持っていたビニール傘の花が見る見る咲いて、左右に…なんてコトは…ないか!(笑)。う・う・う〜む。

石川県代表の高校で有名になった(?)のって、だいぶ前の延長18回の死闘と、ジャイアンツへいった松井がいた時の敬遠事件かなあ。延長18回の時は凄かったねえ。勝ち越しては追いつかれ、もうだめかと思うと隠し球でピンチを逃れたり。試合が終わったのは夜の9時半ごろで、高校野球中継がプロ野球中継よりも遅くまでやっていた。松井の敬遠事件は賛否両論なのでここでは多くを語らないが、何より選手宣誓では昔は「正々堂々、戦うことを誓います!」と言っていたものだが、今ではオリジナリティ重視。そういう理由もあるのだろうか。

今でも記憶にあるのは、現ジャイアンツコーチの原が東海大相模高校時代に打ったホームラン。高校レベルのホームランは外野の選手がフェンスまで追っかけていくのが普通だけど、これは違った。レフトに放たれた打球は打った瞬間ホームランってやつで、レフトを守る選手は全く追おうとはせず、一歩も動かずに見送った。あれは凄かった。

8月18日()長年のフシギ

高校野球も佳境。しかしなぜこの猛暑のなか強行スケジュールでやるのかねえ。確かに戦前からの伝統はあるとはいえ、軍人教育めいた感なきにしもあらず。解説者が「気力で」「精神力」ばかり言うのも気になるが。

甲子園球場は聖地なのかもしれないが、選手の健康管理や大会の運営、阪神タイガースの長期ロードを考えるとそればかりではないという気もする。

でもいままでずっと疑問に思ってきたコトがある…。

高校野球の応援団がプロ野球選手の個人応援マーチや球団の応援マーチを真似たりするのはよくある話だが、六甲おろしを演奏する応援団が未だ皆無なのは何故だろう。♪おーおーおー、○○こうこーう、フレー、フレフレ、フレーなんてのはどうだろう(笑)。

アナウンスのお姉さん(ウグイス嬢←死語)が、よくも間違えずにアナウンスするなと感心する。もしも次のバッターが三番で松井という名前で守備はセンターだったら、「三番、センター松井。背番号55…失礼いたしました。三番、センター松井君」などとやらかしたりしないモンなのだろか。う〜む。

ついでに、ある高校が縦縞のユニホームで、一塁側のベンチに入り、後攻を取ったとする。回は7回。「○○高校、ラッキーセブンの攻撃でございます…失礼いたしました。○○高校、7回の攻撃は…」などとやらかしたりしないモンなのだろか。う・う〜む。

かつて甲子園球場のセンタースコアボードは今のような電光式ではなく、文字はすべてペンキ書きだった。高校野球の時は無地のボードに職員がチョークで選手の名前を書いていたものだ。その書体(フォントと言うべきか?)は甲子園明朝という感じで独特だったけど、一度雨に遭うと無情の雨に泣いたみたいにべろーんと流れてしまっていた。ただプロ野球選手と同じ名前の選手だけはそのままスコアボードに残っていた。

8月17日()暑さぶり返す

少しは涼しくなってきたかと思ったら、また猛暑…。

おまけに朝出勤途中に「故障だよ」の入電。出勤してそのまま現場。故障した機器を開放してとりあえず目途がつき、報告の電話をしているとまた電話。また故障。今度はお客さんが壊して行った機器の修理。

今日旧世界で昨日の電話の話をしていたら、だいぶ前に京都-大阪間鉄道開通100周年記念列車というのが走った時のコトを思いだした。それは今SLやまぐち号を牽いている蒸気機関車が特別に使われたんだけど、とにかく狂喜というべき人々が線路に入り込んで、往路は何度も緊急停車しながら辿りついたが、復路はとうとう途中で運転を断念した。

それは死亡事故が起こってしまったからだった。我も我もと押し寄せる人波は、沿線で子供が線路にはじき出され事故に至った。

「鉄」雑誌は写真撮影や現場での行動を見なおそうと呼びかけたが、一方で新聞やテレビなどのマスコミの行動を批判した。それは、駅のホームからカメラを向けている「鉄」を尻目に、許可もなく取材と称して危険な線路上に降りて堂々と撮影などを行うのはいかがなものかと。またいかにも線路の立ち入り禁止場所とおぼしき場所から、迫り来る列車をギリギリまで近づいて撮った写真は危険きわまりなく、しかもそれを新聞や雑誌に使うのはおかしいと。

何か今回の事件と似ているような気がする。営利のためにあえて専門でない分野に首を突っ込んで我が物顔する一部マスコミ。そのくせ自分達が撒いた種には責任を持とうとしないのは、今に始まった話ではないことは確かだ。

明日こそ、別の話にしよう(反省)。

8月16日()結局

パクリ事件の件、本日一応決着いたしました。

東京都歴史文化財団へ連絡を入れてみた。そうすると編集した都市出版から連絡を入れるという返事。今日は午後現場へ出ないので仕事したり旧世界へ行ったりしていたら17時過ぎに都市出版の鈴木という副編集長から電話が入った。

やはり…というか、パクった事は否定した。まあ、そう来るだろうなと思っていたので他の鉄道雑誌を含めた、明らかなネタ流用についてどう考えているのか問いただしたところ、「確かにライターの方が鉄道雑誌を基に文章を書いたとは思うが、明らかに引用した文章は存在していないので、特に参考文献としての記載は行わなかった」という見解。これには正直言って幻滅した。ネタは同じでも文章が似ていても完全に転載、引用していなければ良いという考えのようだ。やはりモラルのなさは明らかなようだ。

それでは他の鉄道雑誌に投稿された読者の方々にとってはやるせないものがあると思い、参考文献として記載すべきではなかったのかという点は改めて力説しておいた。「一般的に知られている話を基に取材を加えたものだ」という言い訳をしていたが、これは効いたのか一応「今後検討させて頂きます。ご指摘ありがとうございました」と言っていた。焼石に水かもしれないが。

ただし、鉄道ファン、Rail Magazineが今後どのような対応を見せるのかは判らない。

これで疑惑が晴れたとは言い難いのですが、パクリをパクリとも思わない都市出版、東京都歴史文化財団とこれ以上ガタガタやる気もないので、ボクとしての抗議はこれでおしまいにします。援護射撃していただいたやまもと氏、フクダ氏、織姉、そして日記や旧世界やあめぞうで応援していただいた皆様、意見をいただいた皆様に厚く感謝いたします。ありがとうございました。

8月15日()墓参り

昨日は仕事。トップシーズンなので気を抜けず。ハイペースで休憩も昼も抜きで、Y岸とがーーーーっと現場を片付けて早めに切り上げる。

あーーー、たまにはお客さんしてみたい。

さて今日は両親と墓参り。どういうワケかUFOの町と言われる羽咋へ。幸い雨には遭わなかったが、能登有料道はけっこう混んでて行きは渋滞に巻き込まれそうになり、途中まで一般道へ回る。

帰りは河北潟干拓地でソフトクリーム。ひまわりはもう終わっていた。少し遅めの昼食は「菜香楼」という広東料理の店。スタッフはバイト以外中国人。味はしっかりしていて住宅街の中にあるのに行列が出来るのもうなづける。今度また行こうっと。

帰ってだらだらしていたが、オリエント急行ストーリー執筆再開。パクリ事件の傷はまだ癒えてないんだけど、負けちゃいられませんよ!!実は続くネタも仕入れていて、関西私鉄ストーリーのリニューアルも含めて構想ちう。そのうち取材にも行きたいところデス。

知らぬ間に夏も後半なのか。

8月13日()真夏日途切れる

忌引で休んでいたY岸が本日復帰。今週はレギュラー仕事にイレギュラー仕事が重なって、それに業者と打ち合わせとか設備トラブルなんかが加わって、1人で何役もをこなすのは正直辛かったっすー。天の助けだ。ホッ。

ついでに猛暑がウソのようにおさまり、続いていた真夏日はストップ。確かに少しは楽になったが、JHやら本社やら県からの調査依頼が溜まってしまって、来週も公私共に多忙なコト間違いなし。

さて、例の件。両社比較してどうも分が悪い編集元、都市出版に伝えたURLからボクの書いた話のほうを読んだのかどうか、調査を行っているのかどうかを確認すべく、また、やまもと氏の助言もあって回答日を設けたい旨再度メールを送ってみたが、予想どおり何の返事もなし(笑)。おそらく一昨日書いたパクられた2社からも抗議を受けていると思うし、今ごろは次号の原稿とかの追い込みなのだろうという気もする(好意的に解釈して)。まあ、誠意は始めに電話した時点からあまり感じられなかったしね。一方のカンジの良かった東京都歴史文化財団のほうはメール環境ではないようなので、電話で同様に伝えようとしたら、担当者休み。あらあら。世の中旧盆だから仕方ないのか。来週に持ち越し。

こんなコトばかりではイカンので、和む話を一つ。

昨日FM石川のアーバンハローファイブで「受験」というテーマで送られてきた、あるリスナーの便り。

いざ高校受験に臨むと何故か家で飼っていた犬が会場までついてきてしまい、おまけに面接では窓から顔だけ出して様子を伺っていたというカワイイ話。そして無事合格したとか。犬好きにはたまらない話だねえ。

8月11日()つづいて2回戦

熱帯低気圧くずれの雨雲が急遽(?)やってきて、久々の雨模様。おかげで現場でずぶ濡れにあったが。

昨日あめぞうで意見を求めたら「盗作として訴えても」という意見や「原稿料をボクに支払うべき」という意見まで飛び出した。ひとまず安心。

それでは、というワケで今度はパクられた「鉄」関係雑誌の(株)ネコ・パブリッシング@Rail Magazineと(株)交友社@鉄道ファンに思いきってチクってみた。ネコ…の方は東京人がパクったコトにはどうやら感づいているようだった。一方の交友社はまだ読んでいないと見えて、驚いていた様子。こちらについては両社の動きを見てみよう。

もしも表沙汰になったら、22日頃出る10月号には何らかのカタチで書かれる可能性もあるし。

今回思ったのは、全くジャンルが違う雑誌という理由なのだろうか、両方読んでる者にはすぐバレそうな話だってのに、気づかず堂々とやってしまったというコト。「鉄」をバカにしちゃイカンよ。まったく。

8月10日()まずは1回戦

猛暑。ハイシーズン。部下のY岸は家族の不幸で今週忌引、でボク1人。あーつらいつらい。

東京人の件は、まず編集元の「都市出版」に電話してみた。編集長の粕谷氏はHPで見たら社長だった。しかもHPはまだ先月8月号のままでラチが開かない状態。朝かけると案の定編集スタッフ不在で、ボクも現場があるから昼前もう一度トライ。そうすると粕谷氏は不在だった(ようだ)が、スタッフの名越という女性が応対してくれた。

9月号の特集の内容が大部分「鉄」関係雑誌の読者投稿記事のパクリではないかという話(事実そうなのだが)から切り込んでみたら、ちゃんと独自の取材に基づいた記事だという。じゃその記事の元になった話があるはずだが、それはどうしたのかと問い合わせると、どうやらネタの供給元という下請スタッフの存在を半ば認めた。とにかくどうもはっきりしない言い方だった。ボクはネタとして判っている鉄雑誌の実名も挙げた。それらからネタとして流用したのでは?流用したのなら「参考文献:○○…」と書かれるべきでは?取材先についても「協力:○○…」と書くべきでは?

ロマンスカーの話の冒頭はボクの書いたのとほぼ同じだし、銀座線新橋駅の話の内容も似ているコトも伝えた。他にも四つあって、いくらなんでも合計六つもダブるはずもなかろうとも。

どうもこの辺から名越女史はあわてだした。下請スタッフが調べたネタだと言い張るが、パクリは明らかだ。とにかくボクのHPを見せてというのでURLは教えた。事実関係を確認してメールすることで一応第一ラウンド終了。

特に新橋の話は取材はしたようだが、元々が別の私鉄で両社が対立していたコトは知る人が少ないはずだし、それをあまり表ざたに書くと、営団地下鉄東急を敵にまわすハメになると知っているのだろうか。そんな話は今取材しても絶対得られるはずがないし、東京人というものにとって両社を敵にするのは大きなマイナスになるのでは?

続いて発行元の「東京都歴史文化財団」に電話してみた。こちらはかなりソフトな応対だった。同様に話を進めてみたが、誠実に話を聞いてくれたので、鉄雑誌の読者投稿記事のパクリはおかしいですよという話を主体にボクのHPもパクられたようですよという話にもっていってみた。こちらもURLを教えてと言ってきた。返答は文書になりそうだ。第二ラウンド終了。

思いきって出来たばかりの「あめぞう」の鉄道ページにも書き込んでみた。傍観者的なレスもあったが、やはりパクられた人もいるようだし、ライターのモラルのなさはもはや決定的といったところ。

特に今日は旧世界ではみなさんの指導や励ましの言葉などを頂いて、ホント感謝してます。みんななんていい人ばかりなんだー(号泣)。

8月8日()納得いかんぞ!東京人

本屋で東京人9月号を見つけた。「なつかしの鉄道をたずねて」という特集だったので、思わず買ってしまったのだが…

京王線が今の地下の新宿駅になる前の、甲州街道の上を走っていた頃の話とか、ふむふむ。えーそれから…

「電車ちょっといい話」か。ほほう。なになに。汐留駅発掘、都営浅草線ワンダーランド、初代ロマンスカーの引退…おやっ??

「廃駅、そして、なつかしの駅舎訪問」か。えっ!営団地下鉄銀座線新橋駅(旧東京高速鉄道)の話じゃないか。それから京成博物館動物園駅の話と、中央線万世橋駅の話。ちょっとまてーーーーーっ!

もう、ここまで話せばおわかりのとおり、ボクの「地下鉄銀座線ストーリー」と「関東私鉄ストーリー」の話そのものか、話の中に書いたものばかりだ。しかも「初代ロマンスカーの引退」の書き出しの部分はボクの「小田急ロマンスカーにまつわる話」と酷似してるし。銀座線新橋駅のほうは「新橋駅の謎」の焼きなおしに思える。

汐留駅、都営浅草線、博物館動物園、万世橋の話はネタだけだが、中にはおや?と思わせる部分もある。やられたか。いくらなんでも六つも話がダブるはずはないと思うけど。

東京人9月号を持っている人は、ちょっと読んでみて下さい。そしてこの件に関するご意見、お待ちしておりマス。

8月6日()たっぷり飲むか

明日は「JHみてみて'99」ってのがあるんだけど、タダのイベントだ。

それでウチの会社はリフト車という高所作業車を公開展示して、子供に実際乗ってもらおうというんだけど、副所長がわざわざ看板を作った。そのキャッチコピーは…「リフトに乗るか 藤原紀香」だとさ。しかもドコから引っ張ってきたのか、デカーイ画像までついていた。いいのかなあ。

来週は怒涛の日々となりそう。

その前に明日も出勤と決定。漏水の緊急補修工事立会だ。

8月5日()少し和らぐ

今日は32℃台だったが、やっぱり暑いものは暑い。金沢の真夏日は今日で17日連続。

去年ほど故障に振り回されていないのが唯一の救いだが、これからが夏の行楽・帰省シーズンが本格化するから、まだまだ気を抜くわけにはイカンねえ。これからですよ。

仕事で使っているクルマは、今は黄色いパトカーではなくて普通の白いバン。でも黄色い回転灯が付いていたり、業務用無線のアンテナが付いていたりする。その上ビースティーボーイズな格好(爆)で安全チョッキをしてるので、ここんとこ1日1、2回必ず覆面パトカーと間違われる。追越車線で前を走ってるクルマがいきなりスッとスピードを落として慌てて走行車線に戻ったりしてるのを見て、笑えたりする。

8月3日(灼熱の日々

どうなってんだ今年の暑さ。でも今日は少し涼しいかなと思ったら最高34.6℃。昨日は36.2℃だったからかな。35℃以上はもう当たり前になってしまったみたい。

最近気づいたコトその1。救急戦隊ゴーゴーファイブのゴーピンクは「アリナミンV」のCMでプロゴルファー丸山茂樹扮する若い夫に「あなた、疲れているんじゃない?」続けて「でも、がんばってね(はあと)」と話し掛ける妻の役だ。

最近気づいたコトその2。もと電磁戦隊メガレンジャーのメガレッドは、NHK朝の連ドラ「すずらん」で中村旅館の息子で主人公の萌の幼なじみ「てつお」役で出ている。おなじく絶対高校生役が似合わないメガブラックはかなり前に「キャベジン」のCMに出ていたのを覚えている。

週末はあまりの暑さに耐えかね、パーマをかけに出かけた位なモンで、あとは黙々とオリエント急行ストーリーなぞを書いてみたり。話は1988年の来日ツアーのコトが中心。興味のある方はトップからどうぞ。まだ2話しか書いてナイ。