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10月30日()久々に…

いつもどおりに出社。立会った作業は予定より少々遅れたが午後1時前には終わり、その後は先ずパーマをかけに行く。今回もツイストにしたが、ロッドは使わずひたすら捻ってピンで止めて出来上がりはイイ感じに。

今年の冬物が気になってはいたが、ガマンも限界と勝手に決めてあちこち見て回る。まずは時計。SWATCHのbeatはなんか安っぽくって、あれで1万円も出す気にはなれなかった。実はニットが欲しかったのでアニエスを覗いたが決定的ではなく、結局escapeでフォークロアなフード付きフカフカのベストにする。見た目はデカイかと思ったら、着てみるとオッケイ。ついでにABA HOUSEでフェルト地のショルダーバッグも買ってしまった…。散財。夏以来だから許して

BODY SHOPで石鹸買ってくるの忘れてた。コムサ小物も見て来ようと思ってたんだった。

10月29日()バーディールート66?

昨日、今日は全社挙げてのゴルフ大会。しかし参加者は昨日9人、今日7人(笑)。

先月の本社での会議で結構言うだけ言ったボクであったが、F施設部長と同じ組。こりゃまずいな…と内心ケゲンな気もしていたが、朝、パット練習ちうに挨拶をしたらやけに明るい。逆に「貴重な意見をいっぱい出してもらって、あれでこそ会議だ」と言われた。
お決まりの幹事挨拶と本日のニアピン、ドラコンの説明のあと、たった7人なのに始球式ということになった。
「それではF部長、宜しくお願いします」。しかしF部長曰く「いや、せっかくだからくわやま君、頼むよ」。どういうワケか全員一致の拍手まで頂いて、スモークボールを打つはめになってしまった(笑)。

…ところが本来50ヤード程しか飛ばないはずのその球は、すんごいナイスショット!!しかもフェアウェイど真ん中を150ヤード近くスモークを引きながら飛んで全員の度肝を抜くという波乱のスタート(笑)。

スコアは…前半52後半51の103。またも100切れず。でも北陸でも難コースといわれる千羽平でこれなら良しとするか。昨日の9人は全員100オーバーだったという話だし、今日はI部長ただ1人。上がってみるとボクはそのF部長に1打勝ってしまっていた(笑)。
こりゃまずかったかな?

またドラコン頂きました(嬉)。

今日のために昨日ポール(Newing) を買いに行ったら、たまたま店頭で「66」という番号のを見つけた。それなら今日は♪ルート66〜ってカンジで…と思ったら林の中に2個も奉仕してまった。バーディーどころかパーすらたったの1回(絶句)。

10月27日()山陽新幹線め…

夕方JHの担当氏より電話。来週少し時間とれないかという話。

聞けばSAやPAで建物の中で天井や壁がはがれていたりしていないかチェックしようという。それは何故かというと、やはりあの山陽新幹線のトンネル事件が発端のようだ。ちゃんと打音検査もやって、怪しい箇所はその場で処置しようとも言っていた。

「愛の貧乏脱出大作戦」という番組は、こちらでは日曜の昼にやっている。ついつい見てしまうことが多い。あの番組でふと思ったけど、今の金沢が置かれている現状に似ている気がする。

先日の富山オフで青山氏も危惧していたが、自治体は地元有力紙の言いなりだ。それは「…だったらいいなあ」の世界であって、そのまま実行に移せるとは限らない話ばかり。…それは卸業者の言いなりになって、使わない食材を溜め込んでいるようなもの。

今やらなければならないことに気がつかず、何でも中途半端。なにしろ50年前の都市計画道路が未だに開通していないものが多く、しかも見なおしもせずに分断的部分開通を続けている有様。
外国に感化されて市内の幹線道路の車線を潰してLRV(現代版路面電車)を走らせようなどという思いつきもどうかと思う。だいいち、外国でのLRVは極端な赤字経営で、自治体からの補填が必要だということの市民への説明もなく、ただ良い事尽くめの説明と「にぎわい創出」の名の元に活性化を目論んでいるようだが、事実交通問題の専門家は、単なるメリットだけにとらわれたLRVの導入の危険性を示唆している。…それは売れもしないメニューをたくさん並べているようなもの。

しかもそのLRVは道路に敷くのだから、国道を改修するなら建設省を事業主体とした改良が必要になるし、設備投資だってバカにならない。第三セクターだろうが市営だろうが民営だろうが赤字の補填はどうするの?市民にツケをまわす気か?都市交通審議会の諮問は?…それは雪ダルマ式に借金を増やしているようなもの。

和風ならなんでも金沢らしさという風潮も考えモノ。金沢が大事にしていかなければならない伝統や文化は市民生活に根ざしていて初めて本物というもの。何でも形骸だけを重んじるのは馬鹿げている。…それは妙なこだわりゆえに進歩しない己の技量に気がつかないのと同じ。

ここいらで「達人」に登場願いたいものだ。そして「脱出出来そう」のプラカードも…

10月25日()12回目だ

昨日の「特命リサーチ200X」で取り上げられていた話題の補足を。

硝酸性窒素の有害性という話だったが、確かに今の日本では硝酸性窒素そのものの有害性はあまり取り沙汰されることはない。むしろそんな名前は初めて聞いたという人が多いだろう。

水を処理するという話では、有機物を分解する過程で有機性窒素(主としてアンモニア性窒素)が硝化反応というプロセスを経る。このとき発生するのが亜硝酸性窒素、次に硝酸性窒素であり、それには酸素の供給という好気性条件を必要とする。同時に他の有機物も分解が進み徐々に酸素を必要としなくなる。その酸素を必要とする度合が一般にBOD(生物化学的酸素要求量)であり、これはむしろ有機物の分解に寄与した微生物の活動に必要な酸素量も意味しており、単に酸素を与えたからといって水の浄化が行われるというものではない。

今の日本ではこの段階で水の処理が完了したと判断する例が多い。硝化によって得られた硝酸性窒素は試薬によって簡単に検出することが出来る。厚生省の指導ではこれで良し…としているが、実は大いに問題がある。見かけ上の水処理が終わったようには見えても、次の段階の脱窒素反応は通常経済的理由から考慮されていない。

見かけ上、好気性条件だけで水を処理したようには見える。しかし硝酸性窒素という形での存在は否定出来ない。本来窒素というのは気体であり空気中に存在するものなのである。その形にまで戻してやるには次の脱窒素反応まで進める必要がある。というのも、硝酸性窒素という形では別の言い方をすると結合型酸素であり、構成されている酸素を微生物に消費させないと窒素は気体になれない。これには硝化が終わった段階で逆に酸素が存在しない状態(嫌気状態)にし、微生物が消費すべき酸素がなくなるとそのまま別の状態の結合型酸素による呼吸をさせる。本来はここまで進めていくべき。

さて有機性窒素(主としてアンモニア性窒素)を硝化する段階ではどうしても水素イオンが余ってしまう。これはpHの低下を意味するものである。というのは、pHとはそもそも水素イオン濃度の事であり、水の分子10の何乗個に1個の水素イオンが存在するかという指数対数で表される。脱窒素反応を考慮しない場合、そのままでは放流pH値を満足しないためにアルカリ剤を注入する例もあるが、これは硝酸性窒素そのままの形での放流を意味している。放流先での富栄養化の危険性も高い。

水を処理するという行為は、全て自然界に学んだものばかりである。これをヒトが強制的に行おうとするには限度がある。だからと言って中途半端で終わらせるのは問題はあるし、機械力を用い、過度に薬品を注入してもそれを促進出来るものでもない。水の処理はなるべく自然に近い形で行い、かつ経済的に行うべき…ではないのか。

今日は結婚記念日だった。

10月21日()飛鳥とあすか

10月から始まったNHKの連ドラ「あすか」は、ストーリーよりも藤岡弘扮する主人公の父親が何ともアンバランスなのがどうも…。と言うより、どうしても仮面ライダーのイメージが抜けきらないからだろう(笑)。

昨日、日本最大のクルーズ客船「飛鳥」が金沢港に入港した。デカい。確かにデカい。何しろ金沢市内の高架の本線上を走っていても、港に新しいリゾートホテルでも建ったかのように見えた位だ。

いつかはこんな船で、ゆったり流れていく時間を悠々と楽しんでみたいもんだ。いいだろうなあ。

思い出してみると、今ではクルーズ客船という言い方をするが、前はよく豪華客船と言っていたものだ。それはまだ船が大陸間の移動手段として君臨していた頃の名残かもしれない。航空機が発達する前は、大西洋横断定期航路は客船の豪華さはもちろん、その速さもかつて「ブルーリボン」というタイトルで競われた。それは大西洋横断航路の平均速度の最高記録を持つ船に与えられるもので、ヨーロッパ各国は国の威信をかけてまで、豪華で速い船の建造にしのぎを削ったと言われている。

最後に大西洋横断航路のために建造されたのは、あのクイーンエリザベス二世号だった。しかし就航後、航路は衰退して今ではクルーズ客船として名を馳せているのは有名。クルーズはその後バブルと共に日本でもブームとなった。そればかりか「ヴァンテアン」や「ルミナス神戸」なんかのレストランシップまで登場した。

しかし所詮はブーム、国内や近海クルーズは廃止や船の売却を余儀なくされる結果を生んだ。残ったのは国際的に通用する大型クルーズ客船だけだった。

でもいつかは…船の旅。そう思わせる1日だった。

10月17日()孫の日っていったい何なのさっ

朝方は雨だったが、日中は日も射すまずまずの天気。

先日母親から「今度の日曜は孫の日だから、みんな(アニキ達)を呼んでゴハンでも…」という話。気安く「おっけー、それならウチでメシ作ろう」などと言ってしまったので、何をしようかいろいろ思案して、結局は居酒屋メニュー(笑)。

マグロとあおりイカの刺身と、ナスのチーズ焼しめじ入り(富山で食べたのが美味しかったので、つい)はボクが担当。カボチャのサラダ、ポテトとしめじとほうれん草のあたたかいサラダは#2担当。それに前日母親が仕込んだフクラギ(ハマチ)の照り焼きという、いたってそれらしいメニュー。

ただ、それが全部アニキ家族にウケたというのは、何故??(笑)。

10月16日()肌寒い

富山迎撃作戦は成功を収めた。バンザーイ。名残を惜しんで今日も東山界隈へ…

「この秋一番の」冷え込みとか寒気という表現が急に多くなった。月曜は真夏日だったというのに!!明日の北海道は雪が混じるとか。すっかり涼しくなった金沢で、森さん風邪ひいちゃったのじゃないだろか。心配だ。

帰宅後、緊急オフ報告を書いてみた。こちらです

10月14日()森さん迎撃の鉄道の日

ようやく一雨ごとに涼しくなってきた。実は先日気になるメールが来て「金沢襲撃します」。

それは森さんの出張。合わせて呑み会を設定したのは言うまでもない(笑)。とりあえず今日のところは、さはりんとウチらで軽く和食呑み迎撃。口に合いましたかな??

明日は急遽富山迎撃作戦敢行の予定。さらには土曜も迎撃となりそう。

あっ!今日は鉄道の日だった。

10月11日()再び夏が戻る

なんという暑さだ。31.2℃だったらしい。秋が顔を覗かせては戻って行く…

昨日行った厚生年金会館は黒川紀章氏の設計だ。それもボクが大学で建築を学んで(?)いた頃、ちょうど竣工した。あの場所にはかつて「兼六園球場」というのがあって、今でも建物の平面はもとの球場の形が見て取れる格好だ。

会館は黒を基調としたモノトーンで仕上げられているが、その頃氏はその色使いに凝っていた頃だ。同時にある女優とのスキャンダルが発覚した頃でもある。

今日からみっちーの出るドラマが始まったが、ストーリーの中ではみっちーは金沢在住のレストランオーナーだそうだ。だったらもっと思いきり金沢弁でボク達を堪能させてほしいものだ(笑)。

10月10日()文化の日のような体育の日?

突然地元某住宅メーカー主催のクラシックコンサートに行くコトになった。

というのも、母親の友人から「家族の体調が悪くて行けなくなった」というので、貴重なチケットを譲っていただいた次第。会場は以前みっちーが来た(笑)という厚生年金会館。「きゃー、思いだしちゃった」とは#2の弁。

今日は「オーケストラ・アンサンブル金沢」の公演。このオーケストラは金沢が文化都市を名乗れる貴重な存在…とボクは思っている。団員は公募制で、その四分の一は外国人だ。音楽監督は岩城宏之氏で今は指揮も務めている。前任の常任指揮者は天沼裕子氏だった。金沢での定期公演はもとより県外や外国での公演も行うなど、かなりアクティブな存在。

金沢は歴史ある文化都市を自負しているが、この地方は全国的に見て歴史は最も浅い部類なので「加賀百万石の城下町」ばかりアピールするのは疑問だね。それも江戸時代以降の話だし、だいいちその頃は今の富山県も加賀藩だったから、そんなに米がとれていた訳だ。金沢の文化のルーツは京都。これは北前船によってもたらされたものが多い。食べるもので言えば、いなりうどん(うす揚げを刻んで斜め切りにしたネギをかけづゆと一緒にさっと煮込んだうどんで、きつねうどんとは別モノ)とか、あんかけうどんなどのスタイルにそれらを見ることが出来る。ボクの自宅の近くにも「高尾」(高雄から変わったのかな)、「伏見」などという京都の地名そのままのトコもある。

「文化と伝統」その言葉は今の金沢では、歪んだ解釈をされているのが残念。

10月9日()序盤戦はまずまずのスタート

昨日は夜間作業立会で1時帰宅。我ながら良く働くなあ。

朝晩の冷え込みにとうとう負けて、冬フトンを出してしまった。でもフトンに入ると暖かくてうれしい。今年もそんな時期になったのか…。

このところ沖縄のコトばかり書いていたら、2年前に行った時のコトを思いだし、当時の日記(その頃はまだこの日記はスタートしていなかったので、#2の「悪童日記」だったけど)に写真も追加して再構成までしてしまった。これはボクの「旅日記」のほうに納めました。御用とお急ぎでない方は見てください。近道はこちらです。

10月6日()プレッシャー

今年もその季節がやってきた。えっ!沖縄行くの??

そんなハズはないってば(笑)。金なしヒマなし余裕なし…の今日この頃。精神的にも肉体的にもつらいねえ。さらに明日からは…

10月5日()色づく秋

ようやく猛暑もおさまり、日曜には一転して20℃を切るという肌寒さに変わった。昨日、今日と日中は少し汗ばむ陽気だったが、朝方は寒くて冬布団を出そうかと考える日々。

そういえば、こないだのコンペではまだ真夏みたいな暑さだったのに、木々がもう色づき始めていた。気温が下がったから紅葉するのじゃなくて、日の寒暖の差が大きくなると紅葉が始まるんだった。

例年、吹く風が涼しくなる今頃になると、沖縄が恋しくなってしようがない。

沖縄へ旅するには今が一番イイ季節…とボクは思っている。本土はすっかり秋の様相だというこの時期、沖縄はまだ夏の名残。でも風がミーニシという北風に変わっていて、それに真夏の灼熱の暑さほどではなくって、けっこう過ごしやすい。それでも海で遊ぶにはまだまだ十分だし、何と言っても海の透明度も増している。観光客も少なめ。ホント行くなら今ですよ沖縄。

初めて沖縄へ行ったのは新婚旅行の時。沖縄で「海邦国体」のあったその年は、記録的猛暑だった。10月も終わりだというのに連日の真夏日と熱帯夜。海で遊んだ翌日、帰宅してみるとストーブを焚いて鍋を囲んでいたというのも現実。その気候の違いに圧倒されたが、生活そのものからの違いには結果的に魅了されてしまった。ボク達の「沖縄病」はこの時から慢性となってしまい(笑)、毎年のように沖縄通いが続いた。

離島はまだ2回しか行ったコトがない。それも久米島だけ。JTAが南西航空を名乗っていた頃、YS11というプロペラ機で島へ飛んだ。この島の沖には「はての浜」という砂だけの島があって、空と海と砂だけしかない光景と、その海で熱帯魚と戯れるのは至高の贅沢というもの。無になって時間を忘れて。

あの頃島には信号機が1箇所しかなかったが、今はどうなんだろう。そしてそのJTAのYS11も今年引退した。

そして今年、那覇空港がリニューアルしたという。ずっと本土便の第一ターミナルと離島便の第二ターミナルとに別れていたが、ようやく一つにおさまった。それまで第一のほうはやたら狭くて、その国体の時とか台風で足止めになった時などは人でごったがえしたものだった。それでなくても出発便、到着便が重なってもそうだったが。第二のほうは至ってのんびりムード。ただし小松からの直行便はこの第二のほうだったので、初めての直行便の時はピンと来なかったものだ。

島も確かに魅力的。でもファーストインプレッションというコトもあるけど、ウチナー(沖縄)とヤマト(本土)とアメリカがチャンプルーになってしまっている沖縄本島がやっぱり好きだな。バブル以降の乱開発もおさまって、今は本島のビーチでも海はすごくきれいで熱帯魚もいっぱい。そして何度も旅して今頃が一番というコトも判った。とにかく真夏の沖縄の陽射しは想像を絶するものだったしねえ

今思うと沖縄の旅は色々あったなあ。その国体とか、たまたま行った年が記録的水不足だったり、台風で帰りの便が遅れてしまって羽田で小松行きに乗り継げず、やむなく東京で泊まったり、翌日からボクは幕張で研修というコトになって羽田で#2を見送ったり、乗り継ぎに時間がなくって地上係員と広い羽田でJALからANAまで走ったり(笑)、羽田着陸前に「小松行き乗り継ぎのくわやま様…」とアナウンスされてしまったり、でもいい思い出だな。

それでこの時期、沖縄なんだな。ああ行きたい。

10月2日()すごく暑かった日

10月だというのに、フェーン現象も手伝って今日の金沢は32.9℃だったらしい。
でも夜になって大雨に変わった。この雨が止むと本格的な秋がやってくるのだろうか。せっかく買った秋物の出番は…

昨日「おわら風の盆」の番組をNHKでやっていた。富山の八尾という普段は山あいの小さな町が、1年にたった3日間だけ脚光を浴びる。それはただ越中おわら節にのって町じゅうで踊る、ただの盆踊り大会というものではなく、現在まで連綿と受け継がれてきた「おわら」の世界があるという事実に他ならない。歌詞や踊りに込められた想いなどはすごく深いものがあり、感動を覚える。

特におわらを見て思った訳ではないけど、和楽器として三味線と、同じ形状の楽器であるギターと何故にこれほど同じテクニックを使うのかと感心する今日この頃。スライド、プリング、ハンマリングオンなんて洋の東西を問わず使われてきたのかと。

でも三味線とギターとの決定的な違いはフレットがあるかないかだ。三味線なんて弾けないボクは、どうやって弾くのかずっと不思議に思ってきた。しかもタブ譜なんてものもなく♪チントンシャンだけで音符を伝えるというのも不思議だ。もっとも、りんけんバンドの照屋林賢氏か創作した楽器「チェレン」は三線とエレキギターのチャンプルーでフレットがあったはずだ。

それと、最近どの番組だったか忘れたけど、三味線の竿の、ギターでいうところのフレットボードは確かにのっぺりしているが、フレットマークらしきものだけはついている三味線を見たことがある。