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9月29日()あれよあれよと

今日はJH小松管理のゴルフコンペ(なんかしょっちゅうやってる気が…(笑))。

ドラコンとニアピン、両方頂きました(嬉)。しかし…しかしだ。何故にスコアがこんなに悪いっ!!53/57の110は今期ワーストではないか。脱力。

帰ったらある事に気がついた。気づいてからでは遅いのかもしれないが、前回のプライベートでも100は切れなかったけど、共通点があった。そうか。コースを歩いていなかったのだ。どっちも「乗用カート」なる一見楽チンそうなものを使ってしまった。あれだと球を打ったら次の地点まで歩かなくてもいい。乗っていれば確かに楽ではある。

でもそれだと「歩く」というリズムがないから、ボクの場合いざ球を打つ時のリズムまでおかしくなってしまうのか…。そうだったのか。そういう事にしておこうか(爆)。

9月28日()あれれ?

このあいだ本屋へ行った時のこと。

店で立ち読みをしていたら、このBGMは…おや?どこかで聞いたような。あっ!ストーンズの"Paint it Black"のインストルメンタルじゃないか。んー?でもなんかダサイ感じのアレンジ。でも左手が無意識にちゃんとコードをなぞっていたのは当然か(笑)。

数分後、またもや聞いたようなのが…今度は"Start Me Up"か。こんなインスト初めてだなあ…。

そのまた数分後、またまた…とどめに"Brown Sugar"!!。いや〜参りました。しかしダサかったな(溜息)。

9月26日()それはちょっと考えもの

昨日はサービス残業だったのでさっさと片付け、兼ねてから製作ちうの電車は秋の夜長も手伝って塗装と細かい色差しまでほぼ終わった。仮組みしたらイイ出来。でもインレタが入手出来ないのと、残りの材料を買う資金が尽きてしまってやむなく中断…

今朝起きてみたら肌寒さにビックリ。先月末、秋の気配かなと思ったら真夏に逆戻りして、いったい何時になったら秋になってくれるのやらと思っていたら、どうやら今度は本物のようだ。

だいぶ前、ラジオのプロ野球中継の終了間際にある選手の打ったホームラン性の打球がスタンドに入るかどうかってトコで時間切れになった。最後にアナウンサーの「あっ!入ればいいなっ!」という一言で番組は終わった。それが後日大事件になった。
公共としてのラジオ放送の立場で、アナウンサーがそれを欠くとは何事かと。アナウンサー曰く、時間に入ればいいなと思って発した言葉らしいが、誤解を招いたことは確かである。

しかし今日の日テレ”独占スポーツ情報”は考えもの。東京ドームからのミニ中継はいいとしても、私的感情入れすぎな徳光和夫にはバカらしいとしか思えない。しかも解説の江川卓にも「心では長島ジャイアンツ応援してます」「実は次期監督狙ってます」と言わそうとしているのが見え見え。さすがに江川氏は毅然とした態度で「試合はテレビに出る出ないに関わらず、静かに公平に見ている」「次期監督なんて噂は意識していない」と。当然だ。この時の江川氏の顔は少し紅潮していて、正直怒っていたのはスグに見て取れた。長島巨人を前にして常識を逸してしまう徳光和夫については放送人といて失格と言わざるを得ないし、それを支えるスタッフや若手アナウンサー陣も自分達のやっている罪を感じなくてはならない。

同じコトが昨日のゴルフのサントリーカップでのプロアマ大会の番組でも起こった。堺正章の打った球はあいにく左の林の中へ。同じ組のジャンボ尾崎の球はフェアウェイ真ん中で距離も良く出ていた。堺氏は見事なリカバリーでジャンボ氏の打球の近くまで出した。そこに付いていた若い女子アナウンサーは「すご〜い!ジャンボさんの横ですよお!」と大はしゃぎする有様。ゴルフの事や礼儀などまるで判っていないと察したジャンボ氏はとうとう怒ってしまった。
それはアナウンサー自身にも問題はあるが、それを教訓にはせずに番組のネタとして使うのには多いに問題ありと思う。笑い事ではなくて常識を逸しているのに気がついていない放送局には考えものだ。これも日テレだったが。

かつて数々の名番組を生んだ”木曜スペシャル”などを製作していた頃に戻って、番組づくりの原点を思いだしてもらいたいものだ。

9月24日()台風がやってきた

今年も本格的台風シーズン。今回の18号はこちらでは風台風だった。雨は午前中に少し降った程度だったし、風が強まったのも午後3時過ぎからで、それまでは不思議なくらい平穏。もっともフェーン現象で気温はガンガン上がり、平年を9℃も上回る34.6℃を記録。いつまで続く真夏の暑さ。

8年前の19号とはコース、規模が似ていて油断出来なかったが、幸いにも暴風域を外れた。でも現場の台風対策はバッチリ!おまけに今日は1日中打ち合わせ漬けだった。

台風といえば、何年前だったか梅雨明け直後の沖縄へ行った際、台風の直撃に逢ったコトがある。まさか6月の末に台風なんて…と思っていたら何とホントにやってきた。前夜は台風接近が信じられないくらいに静かだったが、翌朝には外は嵐の真っ只中!!交通機関は始発からストップ、会社も学校も全部お休み、高速道路は通行止と、沖縄では万全の体制を敷いているのはさすがだなと思った。ウロウロと外に出ているのは観光客くらいのモノだった。

しかしその日はちょうど帰途につく日だったので、移動せざるを得なかった。その時の台風の動きは比較的早く、午後には雨・風共に弱くなり始め、那覇へ戻る途中の国道ではすでに折れた街路樹の後始末が始まっていた。空港へ着くと案の定飛行機の運航は大混乱、ボクたちの乗るANAの東京行き最終便は欠航を免れ、記念すべき(?)運航再開第一便となった。でも何故か東京に着くと5分後に出たはずのJALの臨時便が先に着いていた(笑)。それで乗り継ぎの小松行き最終便には間に合わず、予定外の東京泊となったりもした。

ここで良い教訓となったのは、台風がやって来るコトが予め判っているなら、事前のまだ嵐になる前に台風対策を終わらせてしまうというコト。これは結果論だけど、この辺では台風が来てもあまり大きな被害にならないケースが多くて、「なーに、大丈夫」で通用してしまう。それで真面目に対策を取るコトがかえって物笑いに終わる。しかし、コトが大きくなる前に万全の体制を取る勇気も必要だとは思う。

「危機管理 喉元すぎれば わらいもの」この辺ではこういう風潮が根強い。

災害は実際体験してみないとその気にならないのかもしれない。だけど大事なコトなのでは??

それと気になったのが台風に対する報道。いくら本州を横断して日本海に出たからって、その先の台風と接近する地域がまだまだあるというのに報道をひとまず止めるのはないと思う。夕方前からいよいよ台風が接近してきたので情報を仕入れようとしたら…テレビはどこも通常番組に戻っていてしまっていた。日本海側ってホント貧乏クジだねえ。

9月19日()ついにゲット!!思わぬ散財…

さはりんから貰ったスガシカオを聞きながら♪ちょいとドライブ。

小松空港で産地限定とんこつラーメン味ベビースターラーメンに夕張メロン味ペロティと明太子味おっとっと(キーホルダーつき)、それといま新千歳空港で話題のロイズのチョコレートを仕入れた。

ホントは竪町のNでメーキングミルクを買うだけのつもりだったけど、ふと覗いたラブロの古本屋でずっと25年探し続けていた鉄道ファン通巻157号を見つけ、即購入!!とうとう手にしたっ!!(号泣〜)

その後#2がゴルチエに寄ったトコから予想外の散財が始まり、ボクはまずインポートものの今っぽいブリーチの入ったジーンズを衝動買い。続いてABA HOUSEではレザーのカバーオールなんかも買ってしまった…。予想外の散財だったけど、帰って両方合わせるてみると、とてもイイ感じ!!夏に散財しまくったカットソーもなかなか合うぞ。よ〜しよしよしっと。

しっかしねえ、都市出版。10月号もパクリじゃないか。東京建築MAP見ながら書きましたってのが見え見え。しかもHPは未だに8月号(事件の前の号)のまんまだぞ。

9月18日()新幹線000系引退

新幹線を開業時から支え続けた000系が東海道区間から引退。長い間ご苦労さまでした。

と言っても、JR西日本区間での活躍はまだ続く。テレビなんかでもけっこう取り上げられたりしてたけど、これが完全に引退であるかのような表現だったり、新幹線の最高速度が200km/hだったり250km/hだったり(どちらも誤り)、もう少し気をつけてほしいもんだと思った。

東海道新幹線というと最初の計画は戦前の弾丸列車構想。東京-下関間を今の新幹線とほぼ同じ規格でつくるもので、実際一部区間は着工済だった。ただし動力方式は今のような電車ではなくて電気機関車や蒸気機関車が引っ張るものだった。この計画は戦争の影響で挫折したが、戦後東海道本線の輸送量不足が深刻化してきたので、増設した線路に高速列車を走らせようとしたのが新幹線。だから、正確には新幹線は在来線の別線という扱いとなっていて、運賃はどちらも同じ。また戦前に着工された区間はそのまま東海道新幹線に生かされているのも事実。

東海道新幹線は東京-新大阪間を3時間10分で結んだが、これは最初からではなく開業後1年間はひかり、こだま共に1時間余計に掛けて走っていたのはもうあまり知られていない。やはり210km/hという未知の高速運転は念には念を入れて…というところがあったようだ。その結果000系は人身事故ゼロという輝かしい記録を打ち立てた。

さて、昨日までの涼しさは午前ちうでおしまい。午後は真夏の暑さがよみがえってきた。いったいいつまで続くのやら。

その暑さの中で、滞っていた「オトコのコスメ」を2話書く。まあ見てやって下さい。どことなく織姉のに似てしまってスミマセン。

9月15日()台風来襲

思いがけず熱帯低気圧が台風に格上げ。幸いこちらでは被害は少なかったが、各地で被害があったようだ。

昨日の夜、突然レイトショーを見に行こうというコトになった。見たのは「オースチン・パワーズ・デラックス」。60年代後半のサイケな感じはよかったが、スターバックスはこっちに店がないので殆どウケず、「アラン・パーソンズ・プロジェクト」も観客の年代もあってウケなかった。専ら下ネタだけがウケていた。

JT「キャスター・ワン」の広告で、少し靄がかった中を列車が走っているのがある。個人的にはけっこう好き。

あの列車は昔ヨーロッパを走っていたやつ。旧西ドイツのVT601(型式)で1957年にヨーロッパの国際特急TEEとしてデビューした列車だ。TEE(Trans Europe Express)というのは、第二次大戦後ヨーロッパ各国を結ぶオールファーストクラスの豪華列車として計画されたもので、1957年にスタートしている。しかし始めから各国の足並みは揃わず、「冷房つき」という取り決めがあったのにイタリアが作った列車は冷房もなくたったの2両編成。これはイタリアがTEEの将来性に疑問を持っていたからと言われている。フランスが作ったのはそれまで国内で走っていた特急列車に少し手を加えただけのもの。

本格的な国際特急と言えるのは、スイスとオランダが共同開発したRAm500型と、この西ドイツのVT601(デビュー当時はVT11.5)型だった。特にこの西ドイツのは、西ドイツが敗戦国というコトもあって、国の威信をかけて作られた豪華列車だった。そしてこれらの列車はすべてディーゼルカーだった。というのは、今でもそうだがヨーロッパ各国の電化方式が四つ存在していて、当時の技術ではそのまま直通出来る電車を作れなかったからだ。

その後TEEは大好評を博す。しかしやがて飛行機の時代となり、TEEは衰退する。VT601型は国内特急Inter Cityとして再デビューしたが、アシが遅かった。それでエンジンをディーゼルからガスタービンに換装して高速化するなどしたが、やがて団体列車用に使われるようになり、第一線からは退いてしまった。その後活躍も聞かれなくなり引退したと思っていた。

あの広告には前面、側面の「TEE」の表示も往時のまま復活しているが、編成は短縮されていて現役当時のものではないことを伺わせるには十分だ。しかし、名車VT601型を知る者にとっては、許されるならばいつまでも元気でいて欲しいという気持ちがあるのは間違いないだろう。

9月12日()ふたつのロボコン??

朝新聞を広げるとテレビ欄がない。それで明日は新聞休刊日と知る。

毎週日曜の朝は、録画も兼ねて"所さんの目がテン〜救急戦隊ゴーゴーファイブ〜燃えろ!ロボコン"が定番。今日のロボコンの話は何だったかな♪…と二日分並んだテレビ欄を見ると確かに朝8時からはロボコンだが、おやおや?午後2時から今度は何とNHK教育でも「ロボコン」と書いてある。???

気になってNHK教育の方を見てみたら、何の事はない。「ロボットコンテスト」だった…(笑)

そういえば昨日は、いつもの竪町のNでカットしてもらったんだったけど、またもや「あまり長さ変えずに重いトコ軽くしましょう」までは良かったが、「だいぶカラーが褪色してるので、マニキュアで少し直しましょう」流して鏡をみたら、あらビックリ。黒い。がびーん。この位でもいいか…と思ったが、帰るとやはり気になってウチでもう一度マニキュアして一件落着。でもカット行く前よりは黒いけど…

10年振りに鉄道模型を作り始める。関東私鉄ストーリーでレッドアローの話書いて以来、ここんとこずっと富山地鉄病だ。先月はレッドアローに乗るために富山へ行ったり、先週はパーツを求めて懐かしい店を訪れて異変に気づいたところだけど、とにかく昔使っていた工具を引っ張り出して製作開始!完成の暁には、是非まつのゆさんに見てもらおっと。という位だから今製作ちうの電車は富山地鉄オリジナルのやつ。そのうちレッドアローも富山地鉄仕様で作ろうかなあ。

9月9日()決戦の日

本社で担当者会議。少し早く着いたので、さはりん激励に行ったりしたが…。

「この場だから、事務所の問題点どんどん出して下さい」。そうか。度重なる差別、誹謗中傷、サービス残業、少しは自重しながらもブチまけてしまった。スッキリしたが、あまり色よい返事もなく灰色決着か。

これで嫌われ者決定かな。でも誰かがやらんと全員泣き寝入り生活だし。

言うだけ言ったら胃が痛くなり、食欲激減…

37歳、80%、16%だった。ほほう。

9月7日()とうとう…

今朝、出社すると回覧が置いてあった。新しく作ったらしいウチの会社案内のパンフだった。

リストラだの経費節減だの言う割には金かけてんなー。ブツブツ。資格保持者の欄はあれこれ書いてあったが、最後の行の「その他有資格者……多数」というのは笑えた。それから…おや何とさはりんが載っているではないか。

実は昨日、ショッキングな事が起こった。糸魚川遠方監視班(24時間体制の現場)の社員が、朝4時過ぎに勤務中そのまま息を引き取ったというのである。同僚が異変に気づいた時にはすでに心臓が止まっていたらしい。一報のFAXが入って全員でビックリ。「今朝のコトじゃないかー!!」

亡くなったその社員は単身赴任で、この夏、家族を呼んで少ない休みに黒部峡谷のトロッコ電車に乗ってきたというのである。それが最期となってしまったというのは、察するに余りある。

会社はこれを労災にするのかどうかはまだ判らない。しかし、今年に入って2件目の勤務中死亡という事には間違いない。いったい何人殺せば気が済むのか、会社。パンフなど作って喜んでいる場合じゃないぞ。

ボクのトコも、最近になって会社からのいじめが酷い。はたして三人目は…

9月5日()秋空のように深く…

アンコールのような真夏の暑さの後には、やっぱり秋が見えてきた。

土曜、小学生の頃から馴染みの「鉄」模型の店に久しぶりに行ってみた。何年も行ってなかった。その店は北陸でも指折りの店なのだが、行って見るとショーウインドーの中は空っぽ。そんなはずは…おかしいぞこれは。

馴染みのオヤジが出てきたが、今ではプラモデルやラジコン関係はこの春にやめてしまって、鉄道模型だけでやっているという。それも近々規模を縮小して、数年後には店をたたむつもりらしい。何と言うことだ。

かろうじて並んでいるものの中から、パーツをいくつか購入。

うかつだった。その店は少なくともボクの記憶の中でだけ昔のままだったのか。しかし現実は大きく異なっていた。