青木タカオの「ちょっくら自己紹介」
●1961年、新潟県柏崎市に生まれる。実家は海のそばで裏には川が流れ、空の傍らには米山さんがいつも見えていた。
●小学校3年になるまで、大変におとなしい子供だったが、友達に誘われ、教室の馬鹿一派になる。
まだ寂れてはいなかった柏崎の商店街が遊び場だった。→→・ちよっくら〜田舎篇へ●中学に入り、卓球とギターに燃える。→→◆ちょっくら〜卓球狂時代へ ◆ちょっくら〜ギター篇へ
●1970年代フォークブームの影響をまともに受ける。しかし、なぜかアングラフォーク(死語)を追い求めてゆく。→→・ちょっくら〜フォーク狂時代へ
●高校時代は、とにかくボブ・ディランに熱中した。そしてそのまま、就職で東京のレコード店に務める。しかし一年で都落ち。→→・ちょっくら〜はじめての東京篇へ
●1980年(19才)。再度上京。目白のアパート住みはじめ、やがて池袋の駅前で歌いはじめる。→→・ちょっくら〜ブクロの頃(前半)へ ※(その頃の写真)
●1981年(20才)両国フォークロアセンターで、大谷氏、石川浩司、山下由、ほかのみんなと知り合う。'82年「地下生活者の夜」ライブがスタートする。→→・ちょっくら〜ブクロの頃(後半)へ
●1984年(23才)秋葉原の青果市場にて働き始める。なつかしの三年間。→→・ちょっくら〜市場の頃へ
●1987年(26才)金子光晴への憧れから、パリへの旅に出ることを実行。神戸から船に乗り上海へ。そのまま、チベット〜ネパール〜インド〜トルコ〜ヨーロッーパへと約一年間の旅に出る。最後はパリでの三ヶ月の極貧生活だった。
→→・ちょっくら〜「中国篇」「チベット篇」「ネパール篇」「インド篇」1 2 3 4「トルコ篇」「ヨーロッパ篇」「パリ篇」1 2 へ●1989年、帰国してしばらくすると、地下ライブから生まれた「たま」が大人気に。忙しくなった石川浩司くんに代わり、地下生活者の夜の企画を引き継ぐことになる。
→→・地下生活者の夜ライブの履歴へ。●1992年より、山下由と、荻窪グッドマン「大猫夜会」ライブを始める。新曲、多くできる。(現在も道草ライブとして続いてます)
●1993年頃より、青木バンドにて活動を始める。原さとし、千田佳生、中村十兵衛、つぶら次博、志村貴彦、垣地信之らと年数回ライブを続ける。
●1995年12月、ユニット「兄弟」での活動を始める。新曲、多くできる。
●1997年3月、バンドにてのアルバム「黄色い風、バナナの夢」発売。
●2000年7月、インターネットにて地下オンのホームページを開設。毎日、エッセイを書く。
●2002年11月、兄弟ファーストアルバム「町から消えた自転車」発売。
●2004年1月、兄弟セカンドアルバム「道は戻ってくる」発売。
●2007年12月、CDR「秋の道草グッドマン」発売。
●20011年3月〜4月、東日本大震災の寄せるエッセイを、毎日ひと月更新
●2011年8月、弾き語り100曲新録音10枚組CDR「30年ブレッド」発売。 録音時のエッセイはこちら
●2012年9月、CDR「夏の道草グッドマン」発売。
●2014年6月、兄弟サードアルバム「ブルーブラック」発売
●2021年4月、青木タカオ弾き語り二枚組CDR「バスにどうぞ」発売