詳しい北方領土問題の話

北方領土問題


0、北方四島の現状
   
  日ロ国境

  戦前の千島(北方領土)  作成中


1、日本政府の主張と根拠

 日本政府はクリル列島南部諸島(南千島)を日本領であると主張しています。いわゆる「北方領土」です。
 日本政府の主張は、たいへん分りにくい主張ですが、このような主張の根拠をどのように説明しているのだろうか。

  アイヌが北方領土の先住民

  アイヌの遺跡

  日本人の開拓



2.千島列島が日本領土となった経緯

 北方領土返還を叫ぶ日本人の多くは、「日本はロシアより早く、北方四島の存在を知った、北方領土はこれまで一貫して日本の統治下にあった」と思っているようであり、事実、日本政府外務省はそのように宣伝している。しかし、実際には、それほど単純ではない。
 ここでは、18世紀までの歴史を中心に検討します。

 関連年表はここをクリック 
第二次世界大戦中の日ソ関係の年表はここをクリック
 北方諸民族解説はここをクリック
 千島関連の古地図はここをクリック  
  正保御国絵図の説明はここをクリック(地図を良く見ると、この時代、日本人の道東・千島進出はほとんど無かったことがわかる)
  最上徳内『蝦夷風俗人情之沙汰付図』
(ロシア人から千島の知識を得たことにより、日本の千島認識が格段に向上した)


3.千島列島のソ連領有

 ここでは、千島列島がなぜロシアの施政下にあるのか、説明します。

 ソ連対日参戦の要請−カイロ会談とテヘラン会談

 各国の教科書に見るソ連対日参戦
 第2次大戦末期、ソ連は日本に対して宣戦布告し、おもに中国東北部(満州)に駐留していた関東軍を攻略、中国東北部を解放しました。この時の状況を関係各国の子供たちはどのように学習しているのか、中学校・高等学校の教科書を比較しています。


4.四島返還論

 サンフランシスコ条約締結の経緯を見ると、日本政府の立場は2島返還論になるはずです。
 にもかかわらず、何故に四島返還論なのでしょう。
 

5.国後・択捉は千島? クリルアイランズ?

 今から15年ほど前には、国後・択捉は南千島であって、千島に含まれないと言う人たちがいました。(結構多かった。)
 国後・択捉は千島です。択捉で使われた切手をお見せします。


  教科書地図における北方領土の表示

  海外の地図における北方領土の表示



6.千島返還論



7.北方領土問題に対する、ソ連・ロシアの説明



8.北方領土返還運動と北方四島交流

 8.1 北方領土返還運動

  8.1.5 暴力団・右翼
  8.1.6 エセ北方領土返還運動

 8.2 北方四島交流および北方領土問題啓蒙施設
 
 8.3 返還運動のシンボルマーク



9.北方領土旅行の方法





Ap1.参考資料

 
条約等の参考資料はここをクリックしてください。


 用語解説

 参考文献




Ap2.「千島」の呼び名について
 


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