千島の日本軍

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北方派遣 「北部」
小樽郵便局私書箱第二〇二号
北部第五二五八部隊
北方派遣 北部 第一三六部隊

 陸軍在千島諸島部隊に軍事郵便の取扱が開始されたのは昭和18年8月10日で、このとき、宛名は『小樽郵便局私書箱第○号』とするものだった(陸亜密第4365号)。このほかに、『札幌郵便局私書箱第○号』とするものもある。昭和19年3月1日、陸軍在千島諸島部隊の宛名は、北方派遣と改正された(陸亜密第1038号)。  (参考文献『玉木淳一/著 軍事郵便』)

 北部 第5258部隊は、千島第一守備隊 千島第一通信隊
 北部 第一三六部隊は、第一飛行師団 第四十九飛行場大隊



北方派遣 「先」
北方派遣 先 第一二六七五部隊

 『先』は第91師団で、1944年4月、千島第1守備隊を基幹に編成され、第27軍に編入され、北千島の占守島から捨子古丹島の守備を担った。師団長は堤不夾貴。千島唯一の戦闘である占守島の戦いはこの師団。

 先 第一二六七五部隊は、第九十一師団 歩兵第74旅団通信隊



北方派遣 「奇」 
北方派遣 奇 第一二六九五部隊

 「奇」は独立混成第四十三旅団で、昭和19年4月12日に編成下令され、択捉島において5月10日編成完結している。以後、同島の警備,陣地構築に従事していたが,歯舞(ハボマイ),志発(シボツ)を守備していた独立混成第六十九旅団「憲」と合し,第八十九師団「摧」を編成(昭和20年3月27日編成完結)、旧独立混成第四十三旅団は第八十九師団隷下の混成第三旅団となった。したがって、「奇」の文字符が使用されたのは昭和19年4月から20年3月までの間ということになる。(『玉木淳一/著 軍事郵便』)

 奇 第一二六九五部隊は、独立混成第四十三旅団 独立歩兵第295大隊




北方派遣 「憲」 
  北方派遣 憲 第一二六二五部隊  

 色丹島守備軍の独立混成第69旅団の通称は『憲』。
 昭和19年7月29日、色丹島で編成、色丹島・歯舞群島を守備。独立歩兵第421〜424大隊が所属。昭和20年3月、択捉島を守備していた独立混成第43旅団と合し第89師団「摧」を編成した。

 第一二六二五部隊は独立歩兵第四百二十三大隊。




北方派遣 「摧」

北方派遣 摧 第一二六四七部隊

 エトロフ島、クナシリ島、シコタン島、歯舞群島を守備した第八十九師団の通称は『摧』。
 独立混成第四十三旅団、独立混成第六十九旅団を合し、昭和20年3月27日に編成完結した。

 第一二六四七部隊は、混成第三旅団通信隊




北方派遣 「勲」
宗谷公園に立つ中千島方面守備軍の慰霊碑
 北方派遣 勲 第一一九〇四部隊    

 『勲』は第42師団で、編成当初は仙台にあったが、1944年3月、第27軍に編入され、中千島守備を担った。1945年2月に第27軍が廃止となると、第5方面軍の直轄兵団に編入され、稚内で本土決戦に備えたが、戦闘することなく終戦となった。

 勲 第一一九〇四部隊は、第42師団 歩兵第130連隊




暁 第6193部隊

 『暁』は宇品におかれた陸軍船舶司令部の指揮下にあった全部隊の総称。このうち海上輸送第6大隊 暁第6193部隊は、昭和18年5月、宇品で編成され、昭和19年4月より、主力は根室に駐屯、千島列島に対する海上輸送業務に従事した。占守島でソ連捕虜となりシベリア抑留された者が存在する。
 軍事郵便では、この葉書のように『小樽郵便局私書箱第二〇二号 暁第6193部隊』になっているもののほか、『北方派遣 暁第6193部隊』となっているものがある。





高嶺:
 ウルップ島守備の独立混成第129旅団の通称は『高嶺』。
 昭和20年7月16日、ウルップ島で編成、独立歩兵第807〜809大隊が所属。旅団長、仁保進。8月31日、ソ連軍により武装解除。


攘:
 海上機動第四旅団の通称は『攘』。
 昭和19年3月5日、エトロフ島で編成完結。昭和20年6月末、戦車第一師団に編合。


轟: 
 海上機動第三旅団の通称は『轟』。
 昭和19年3月幌筵島で編成。昭和20年5月、鹿児島指宿で、改編。



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