最上徳内『蝦夷風俗人情之沙汰付図』(1790年)


 最上徳内は、日本で最初にエトロフ島を探検した。このとき、ロシア人・イジュヨゾフに出会い、択捉島や、ウルップ島以北の知識を得ている。
 この地図は、徳内自身の調査と、アイヌやロシア人から聞いた知識によって描かれたもの。

 徳内の地図では、千島列島の島々にロシア語の名称が記され、主要な島にはアイヌ語の地名が併記されている。

 ロシアでは、千島列島の島にカムチャッカ側から順番をつけ、占守島を第1島を、ウルップ島を第18島、択捉島を第19島、国後島を第20島、以下、色丹、松前(北海道)と数えることになっていた。

 日本で最初に択捉島を探検した最上徳内は、そこで出会ったイジョヨゾフから、千島の知識を得る。徳内の作った地図には次のようにロシア語による島名が記されている。外国語を知らない徳内は、ロシア語の音を聞いて耳で類似のカタカナをあてたのだろう。

カムチャツカ側からの順番 徳内の記したアイヌ語名 徳内の記したロシア語名 順序数詞
第2島 ヲンネコタン フトロイ futaroi
第7島 ポロモシリ セリモイ selmoi
第16島 シモシリ セスナツサトイ shestnadchatyi
第18島 ウルツプ ヲーセムナツサトイ Vosemnadchatyi
第19島 エトロフ ヲエツナツサトイ Debyatnadchatyi
第20島 クナシリ ツアヲシヤートイ Dbadchatyi

注)順序数詞はロシア語のキリル文字を類似のラテン文字で表記した。
注)第2島と第7島の大きさ・アイヌ語名が逆転している。



蝦夷風俗人情之沙汰付図(全図)

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南千島部分の拡大

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北千島部分の拡大

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蝦夷風俗人情之沙汰付図に実際の輪郭線を重ねたもの

 北海道とカムチャツカの位置を合わせました。徳内の地図は、北海道・日本の大きさが小さめです。千島列島を見ると、シモシリ島は大きすぎで、オンネコタン島とポロムシル島は位置が逆になっていますが、クナシリ島・エトロフ島・ウルップ島は、かなり精度良く描かれています。
 徳内の地図が現われる2年前に、古松軒古川辰が、松前藩に有った文献を元に作成した地図と比べ、飛躍的な進歩をしています。日本の千島認識の礎は、ロシア人からもたらされた知識であることが事が分る地図です。
 徳内は日本で最初にエトロフとを探検した人ですが、徳内以前のアイヌからの伝聞によって描かれた地図との違いは歴然としています。

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(参考文献)古地図と歴史‐北方領土 北方領土問題調査会編 同盟通信社 1971


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