新世紀つれづれ草



01年7月−12月のバックナンバー

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2001年12月

 <「アナス・ホリビリス」の大晦日に思う、テロが変えた世界の目>
 21世紀最初の年、2001年は「アナス・ホリビリス」(ひどい年)と呼ばれながら今、暮れようとしています。今年を象徴する9.11の同時多発テロは、21世紀の世界のあり方に、多くの問題点を突きつけました。
 航空機で自爆したテロリストたちは、自分たちが引き起こす事件によって世界はどのように動いていき、何に目が向いていくかについて、どの程度の想像をめぐらせていたでしょうか。
 少なくとも、アメリカやその同盟国が、真っ先にビン・ラディン氏とアルカイダを犯行グループと見て、アフガンのタリバン政権に総攻撃をかけてくることくらいは、当然の成り行きと考えていたでしょう。タリバン政権が倒され、アフガン復興に向けて、タリバンを排除した暫定政権が発足することさえも、テロリストたちは読み込み済みだった、と思います。
 前国連難民高等弁務官の緒方貞子さんは、テロが起きる直前まで、「国際社会はアフガンを見捨ててしまった」と絶望的に語り続けていましたが、耳を傾ける者はごく僅かでした。
 歴史に「もしも」は禁句ですが、もしも「9.11」のテロがなかったら、世界は果たしてこれほどまでにアフガンの貧困と荒廃に目を向け、アフガン再建に向けて国際的な協力体制を取る展開となっていたでしょうか。また、イスラム世界やパレスチナ問題に、これほどの関心と注意を払っていたでしょうか。
 テロの温床である貧困や富の集中を是正しなければ、テロ根絶の根本的な解決にはならない、といまや多くの人が語るようになりました。あのテロがなかったら、このような視座ははたして市民権を獲得する論調になっていたでしょうか。
 テロが憎むべき行為であることは、誰も否定出来ません。しかし、まことに恥ずかしいことながら、あのテロがあってようやく、ボクたちは、そして世界は、こうした現実に否応なしに目を向け始めた、ということもまた事実なのです。
 テロリストたちの狙いは、アメリカの一人勝ちのまま21世紀が進むことを阻止し、貧困と差別を置き去りにして格差が広がっていく世界の枠組みを、根底から問い直すことだったのでしょう。そこに至る過程の中では、中東和平が崩壊し、インドとバキスタンが戦争状態に入ることも、すべて計算に入っていたのかも知れません。
 テロリストたちが最も伝えたかったメッセージは、テロでも起きなければ悲惨な暗部を絶対に見ようとしない世界への、強烈な批判ではないでしょうか。(12月31日)

 <「第九」の生演奏を聴いて思う、音楽の流れの不思議さと場の共有>
 東京オペラシティ・コンサートホールで、東フィルの演奏により、生まれて初めてベートーヴェンの「第九」の生演奏を聴きました。この曲は、少年時代からラジオやレコードで、そしてテレビなどでも幾度となく聴いてきましたが、こうやって生で聴くと、目からウロコというか、耳からウロコの多くの発見がありました。
 この曲は、第4楽章の歓喜の合唱にスポットが当たりがちですが、この曲の真髄は、第1楽章と第2楽章にこそあり、その本質は一言で言うなれば、深い絶望と、苦悩の激しさでしょう。生で聴いて、とりわけこのことを実感したのは、ティンパニーの響きと、コントラバスなど低音の動きが、極めて印象的かつ重要な役割を果たしている点です。これはレコードやテレビでは、なかなか伝わってこないものでした。
 さらに、ごく当たり前のことですが、これまでは感じたことのない、「すべては経過していく」という音楽の本質が、恐ろしいほどのリアルさで迫ってくるのを感じました。第1楽章の冒頭の混沌とした響きから始まって、すべての楽章が深い余韻とともに次々に終っていく不思議さ。終った楽章は、どこにも存在しません。レコードやビデオでは感じたことのない、身震いするような「無常」の感覚です。
 そもそも音楽では、現在に留まる音など、あり得ないのです。一瞬前の響きさえも、もはや存在せず、現在の音はその瞬間に消えていく。ボクたちが聴いている音楽とは、耳と聴覚と知覚の中の、残像・残響効果によって流れとして把握され、ひとつの音楽として認識されるのですね。
 「第九」はとりわけ、各楽章の個性が著しい上に、4つの楽章が内面で強固に結びついているため、「経過」の感覚が強烈で、その流れに浸っていること自体、この宇宙の中に存在し、生きていることの、本質的なナゾに触れるような思いがします。
 もう一つ、大きな発見は、「第九」ほど指揮者や演奏者・歌い手たちと、聴衆とが、同一の時間と空間を共有することの重要性を持つ曲はない、ということです。音楽はどんな曲でも生で聴くほど素晴らしいものはないのですが、「第九」は演奏者と聴衆の交感と高揚が、同じ空気の中をビリビリと伝播していくのが良く分かります。第3楽章の後半、穏やかな変奏の途中で一転して、ファンファーレが鳴り響くところでは、聴衆の期待感と緊張感で、「場」が大きく揺れ動くのが分かります。
 第3楽章の終わり、そして第4楽章の後半の宗教的な祈りへと高まっていく下りでは、多くの人々が、今年2001年のさまざまな惨劇と憎悪の出来事を思い起こしたかも知れません。行く年を「第九」で締めくくるという慣わしが、今年ほどピッタリの年もないように思いました。(12月28日)

 <62年前の平沼首相の「複雑怪奇」と、小泉首相の不審船は「奇怪」>
 2001年という年は、師走が押し迫ってからも、アッと驚くような事件が続いています。マスコミなどによる「今年の10大ニュース」発表も終って、今年も残すところ10日ほどという中で起きた不審船事件。救命胴衣のハングル文字などから、北朝鮮の船ではないかとの見方も出ていますが、なぜこの時期に、何の目的で、とナゾだらけです。不審船は、海上保安庁の巡視船から射撃を受けた後に沈没し、乗っていた15人のうち3人が遺体で収容という、なんとも後味の悪い結果となりました。
 この事件については、分からないことが多すぎて、今後の究明に待つほかはないのですが、小泉首相が記者団に語った「奇怪な行動だ」という言葉に、ボクは無気味なインパクトを感じています。一国の首相が、「奇怪」という表現を使うからには、やはりよほどの奇怪なことに違いありません。
 状況は全く異なりますが、今から62年も前の1939年、時の平沼騏一郎首相が、内閣総辞職するにあたって発したかの有名な言葉、「欧州情勢は複雑怪奇なり」を思い起こします。当時の日本にとっての味方であるドイツと、敵であるソ連が突如、独ソ不可侵条約を締結するという予想外の事態に、呆然自失する日本の指導部の様子が、この言葉によく表われています。
 ずっと後になって分かってくることですが、独ソ不可侵条約とともに結ばれた秘密議定書には、ポーランド分割に関する密約が交わされていて、締結直後にナチス・ドイツ軍はいきなりポーランドに侵攻、第2次世界大戦の勃発となりました。そのすぐ後、ソ連軍がポーランドに侵入して国土の東半分を併合。20世紀最大の戦争は、敵対する2つの大国が、ポーランドという小国を裏の合意によって引き裂くという形で始まったのです。まさに「複雑怪奇」以外のなにものでもありません。
 今回の小泉首相の「奇怪な行動だ」という感想が、ずっと後から回顧された時に、不審船事件を突破口として始まった21世紀初頭の巨大な危機に対する本能的な予兆の言葉として、永く語り継がれるような事態にならないことを、切に望むばかりです。(12月24日)

 <秒速29キロの猛スピードで、太陽の回りを旅しているボクたち>
 東京都心では昨年より17日早く、また平年より12日早い初雪となりました。どんよりとした厚雲に覆われて、今日は日の光がほとんど見えませんが、冬至の頃の太陽は最も高くなっても、夏至の頃に比べて角度にして50度も低くなっています。
 ボクはいつも、この頃の眩しい太陽を眺めると、ちょうど太陽の真後ろへ地球から3億キロほど行ったあたりに、今年の夏至の頃の地球がボクたちを乗せて通過した空間点があることを、懐かしくも不思議な気持ちで感じるのです。6カ月前、地球はあのあたりを通過していたのだ。世界は9.11の同時多発テロや、その後のアフガン空爆も知らず、まだ夢と希望を抱きながら、21世紀初年がおだやかに経過していた頃でした。
 半年前の過去がそこにあると同時に、ボクは同じ空間点が、とりもおなさず半年後の2002年の夏至の頃に、地球とボクたちが通過する空間点でもあることを感じます。太陽の周りの地球軌道を半周して、いま太陽の反対側になっているあの空間点を通過する頃、世界はどのように変わっていて、ボク自身はどんな生活を送っているのか…思いを馳せてしまいます。
 地球は、1年がかりで太陽系をぐるりと一周する広大な旅を、来る年も来る年も果てしなく続けています。地球が旅する円軌道の円周距離は9億4000万キロ。直線距離にすると、光が54分もかかって到達する距離です。いまこの瞬間も、地球は秒速29.78キロというとてつもない速度で、この公転の旅を続けています。
 ボクたちは、地球がこうした高速度の旅を続けているということを、なかなか実感出来ません。より身近なところでさえも、地球が24時間かけて1回転していることに、ほとんど気付きません。回転の速度は、緯度によっても違いますが、1秒間に200メートルから300メートル。赤道上では秒速464メートルになります。
 自転しながら公転を続けるという、それだけでもクラクラするような状況ですが、実際にはもっと事態は複雑です。太陽系全体はほかの恒星に対して、秒速20キロの速度でヘラクレス座の方向に向けて移動を続けており、さらに近傍の恒星たちとともに秒速250キロという超スピードで、銀河系宇宙の回転運動に加わっていて、はくちょう座の方向に移動しています。
 もっと言えば銀河系宇宙そのものも、銀河団、さらには超銀河団の中での回転運動に入っていて、宇宙全体では凄まじい速度の膨張も続いています。ボクたちの地球全体が、想像を絶する猛スピードで旅をしている只中にあるということを、時々は思い起こしてみるのも、頭の切り替えになるでしょう。(12月21日)

 <来年は671年ぶりに、西暦と神武紀元ともに左右対称の数字>
 師走のあわただしさの大きな原因は、年賀状書きにある、とよく言われます。近年は年賀状をメールでやりとりする人が増えてきたのに加え、はがきの年賀状もパソコンで作成するためのソフトが進化して、一昔前のような大変さは緩和されています。それでも、せめて一言くらいは手書きで書き加えようとすれば、やはりあわただしい師走を覚悟する必要があります。
 来年は11年ぶりの珍しい年であることにお気付きでしょうか。前回、これがあったのは1991年で、その前となるとなんと110年も前の19世紀の終わり近く、1881年でした。来年の次は110年後の2112年まで待たなければなりません。
 はい、もうお分かりですね。来年2002年は、どちらから読んでも数字の並びが同じになる回文の年号なのです。そんなことはたいしたことない、という方もおられるでしょうが、これは天文年鑑の「2002年のこよみ」の冒頭でも特記されているくらいの珍しいことなのです。
 さらに、全くの偶然としか言いようがないのですが、来年は、ほとんどすたれてしまった神武紀元で2662年となり、これまた回文の年号なのです。しかもこちらは前回が110年前の2552年で、その時は西暦の方が1892年で回文ではありませんでした。神武紀元と西暦がともに回文の年号となるのは、神武紀元1991年=西暦1331年以来、実に671年ぶりのことです。
 ついでに来年は、昭和で通算すると昭和77年となり、これまた回文であるとともに、ラッキーセブンのゾロ目です。まあ昭和で通算している人もいませんが、もしかして何かいいことがあるのでしょうか。
 回文がなぜ魅力的であるかというと、一言でその対称性の美しさにあると言えるでしょう。
 思えば今年2001年は、さまざまな分野における世界の非対称性がクローズアップされた年でした。財力と豪奢の限りをつくしたNYのマンハッタンと、ボロキレをまとった裸足のアフガンの子供たちの姿。最新鋭のハイテク兵器による正確な空爆と、すべて人力で動かすしかないローテク兵器。西欧文明とイスラム文明。イスラエルとパレスチナ。科学技術の爆発的進歩と、4000年前からほとんど進歩していない人間社会。巨万の富と、極貧。この世界の何から何までが、著しい非対称であふれかえっていることを、白日の下にさらけ出してしまった21世紀の初年でした。
 0と2だけで綴られている、限りなくシンプルな回文の年2002年が、新しい時代の新たな対称性を生み出す力を秘めた年であることを願わずにはおられません。(12月17日)
 
 <世界の秩序は次々に崩れ、21世紀は2015年で終る?>
 21世紀最初の1年も、残り半月。2001年という年は、21世紀の初期値を決める重要な年として、後々まで影響を及ぼしていくでしょう。この1年の間に世界で起きたことは、21世紀の方向性を大きく決定づけます。9.11の同時多発テロに始まった世界の激震は、今年の年頭にブッシュ大統領が就任して以降のアメリカに源があることは、疑いの余地がありません。
 アメリカの凶暴化、暴力化、資本の論理の剥き出し。それは死語となったはずのアメリカ帝国主義が、21世紀のモンスターとなって醜怪な全貌を現し始めた、といってもいいでしょう。それは、ネオ・アメリカ帝国主義あるいはスーパー・アメリカ帝国主義として、世界のすみずみまでを、ドルと軍靴で制圧しようとしています。
 アメリカの横暴ぶりは、まことに目に余るものがあります。温暖化防止に向けた国際的取り組みからの離脱。弾道弾迎撃ミサイルを制限するABM条約からの脱退。包括的核実験禁止条約(CTBT)の死文化。中東問題での極端なイスラエル寄り政策と、パレスチナ無視。中東和平の崩壊はアメリカのテロ封じ込めの論理と相似形です。もはや、アメリカの暴走を抑えることが出来る勢力は、どこにも存在しません。
 中東情勢は、アラブ諸国を巻き込んだ大規模な戦争へとエスカレートしていく危険が大です。アメリカとイスラエル、さらにはその同盟国へのテロもまた、多発していくでしょう。それに対して、アメリカがテロ支援国家と見なした国々には、容赦のない空爆が雨あられと降り注ぐでしょう。
 いまとなっては、2000年5月に日経新聞の小さなコラムに載っていた、一つの指摘を思い出します。それは、「来年から始まる21世紀は2015年には終わる」という衝撃的な予測です。この予測は、世界で起きている変化のスピードが、ドッグイヤーからさらにマウスイヤーになろうとしていることから、現在考えられ得る21世紀の技術進歩は、すべて2015年までに実現してしまう、ということだったのです。
 しかし、「21世紀は2015年には終わる」というのは、いま別の恐ろしい意味を持って、ボクたちに迫ってきます。それは、世界の秩序と文明が2015年に終るのではないか、という予感です。これは単なる終末論や予言を超えて、強固な説得力を持つ警鐘のように思います。
 このままでは2015年ごろに、地球と人類が一気に終焉を迎える。この暗雲に対して、ボクたち一人一人に出来ることは、ほとんど何もありません。せいぜい消費を手控えて巣ごもりを続け、じっと世界崩壊への今後のプロセスを見守るしかないのです。
 14年後、世界に残っているのは、はたしてどんな光景でしょうか。(12月14日)

 <猛威をふるうコンピュータ・ウィルス、怪しいメールが続々と>
 10日ほど前から突然、おかしなメールが連日のように、さまざまなアドレスからボクあてに送られてくるようになりました。多くは題名がRe:となっているだけで、添付ファイルもなく、本文は一見したところ何もありません。ところが、本文が何もないというのは見かけだけで、これに返信を書こうとすると、隠れていた意味不明の記号の羅列が表に出てきます。
 これがかのコンピュータ・ウィルスの仕業というやつなのでしょうか。差出人の大半は、ボクに心当たりのないアドレスなのですが、中には、アドレスそのものの中に名前がローマ字で入っているものもあり、おやあの人からだ、と気付くものもあります。
 しかし、表題もRe:だけですし、ともかく疑わしいメールはデリートするに限ると思い、連日のように送られてくる怪メールをせっせとデリートし続けています。最近は1日に20本も30本も送られてきています。感染が感染を呼んで、ネズミ算的に汚染が拡大しているものと思われますが、こうした事態への正しい対処は、どうすればいいのでしょうか。
 まず心配なのは、これらのメールを受けたことによって、ボクのパソコンはウィルスに汚染されたのかどうかです。いちおう、ボクはプロバイダのウィルスチェックサービスを申し込んでいるので、メールボックスに来るものにはウィルスに汚染された添付ファイルがあれば除去されることになっています。しかし、添付ファイルでなく、メール本文の中に目に見えない形でウィルスが組み込まれているとしたらお手上げです。
 本人がウィルス汚染に気付かずに、ボク宛にメールを送っている人達には、教えてあげた方がいいのでしょうか。知っている人ならば、教えてあげた方が親切かも知れませんが、全然知らない人には、「あなたから、ウィルスの仕業と思われるメールが送られてきましたので、いちおうお知らせしておきます」などと、知らせるのもかえってヘンに思われそうです。送られてきたメールへの返信の形を取って、ウィルスをお返ししてしまうのも、マナー違反になりそうです。
 それにしても不思議なのは、ボクの知らないこんなに多くの人たちが、なぜボクのアドレスをパソコン内に記憶させているのでしょうか。アドレス帳にボクのアドレスを載せていてくれるとも思えないのですが。
 まさかとは思いますが、ボクのパソコンからも、ボクの知らない多くの相手に、このようなメールが送られ続けてはいないか、という点も一抹の不安が残ります。炭そ菌や、狂牛病のプリオンとともに、見えない恐怖というのは、なんとも落ち着かないものですね。(12月10日)

 <ロヤ・ジルガという美しく悲しい響きに、アフガンの歴史と未来が>
 行ったこともない遠い異国の言葉なのに、なぜか懐かしい響きでボクたちの心を揺さぶる言葉があります。果てしない幾多の戦乱と抗争で荒廃しきったアフガニスタン。その再建に向けた困難なプロセスの中で、ロヤ・ジルガという存在がクローズアップされています。アフガニスタンの伝統的な意思決定機構のことで、国民大会議と訳されることが多いようですが、部族長会議と訳されることも少なくありません。
 アメリカによる連日の空爆、特殊部隊や海兵隊の投入。多数の民間人死傷者。膨大な難民の群れ。息苦しくなるような連日のアフガン情勢の中で、ふっと異質な語感を持って出てきたロヤ・ジルガという言葉が、絶望的な状況を救うための細くてはかない光のように、やわらかく一縷の希望を包み込んでいるかのように聞こえます。
 ロヤ・ジルガ。なんと美しい響きを持つ言葉でしょうか。そして、なんと悲しく切ない響きを持つ言葉でしょうか。この言葉の響きの中に、ボクは豊かで活気に溢れていた、かつてのアフガニスタンの国土が目に浮かぶような気がします。ヒンズークシュ山脈の山々、そこから流れ出るさまざまな川の水。緑いっぱいの野山と畑。そこに働く男たちや女たち、そして年寄りや子供たち。羊やヤギ、馬やロバ。
 さまざまな民族が、反目したり戦ったりしながらも、かろうじてアフガニスタンという一つの国であり得た時代。ロヤ・ジルガは、多民族であるが故の対立と困難を乗り越えるために、アフガン人たちが長い時間をかけて作り出した知恵だったのでしょう。
 ロヤ・ジルガという言葉の響きに、中央アジア、西アジア、インドを結ぶ交通と交易の要として、古代からさまざまな民族と幾多の文明が行き来したこの地域の歴史の厚さを思います。目をつむると、そこにはアレクサンダー大王や玄奘法師の姿も見えるような気がします。ギリシア・ヘレニズム文化と仏教文化が融合して、ガンダーラ美術が生まれ、さらにはイスラム文化と混じりあってきた悠久の時間の流れ。
 この国は、近世から現在まで、イギリス、旧ソ連、アメリカを始めとする大国によって翻弄され続け、国土も国民もずたずたに引き裂かれてしまいました。ロヤ・ジルガという言葉が、すすり泣くような慟哭の響きを持つのは、そのことが底流にあるからに違いありません。
 これから2年半かけて、アフガン国民自身の手による政府の発足をめざす道筋の中で、再開されるロヤ・ジルガが、対立を乗り越えて大きなまとまりを生み出すことが出来るかどうかは、ひとえに大国が身勝手な干渉を止めるかどうかにかかっている、と言えるでしょう。(12月7日)

 <女性天皇について議論は慎重に、という意見の本当の意味は>
 皇太子妃雅子さまが女児を出産したことについて、多くの日本人は祝意を表して心から喜びに沸いている様子です。男児でなかったことへの失望などは微塵にも出さず、男児か女児かなどは全然問題ではない、という雰囲気に列島中が徹しています。
 これは日本人としてのたしなみであり、皇室への礼儀とエチケットを十二分にわきまえた、大人の対応なのです。男児でなかったことで、最も責任を感じているのは、雅子さま本人と皇太子であることを、だれもが痛いほど分かっているだけに、女児出産を精一杯祝うことこそが、雅子さまへの最大のいたわりであることを、日本人はみな知り尽くしているのです。
 こうしたデリケートさを持ち合わせない海外メディアは、出産の速報と同時に、皇位継承問題の行方について、なめ回すように無遠慮に報じています。国内でも、さすが政治家たちは記者団からの質問に対して、この問題に触れざるを得なくなっていて、小泉首相らリーダーの多くは、女性天皇を否定する意見は少ないとしつつも、皇室典範を変えることについては慎重です。
 「この問題については慎重に」「あわてて結論を出す必要はない」という政府サイドの立場は、気がついている人も多いのですが、「今後、男児出産の可能性がまだある」という点に、最大のポイントがあります。おおっぴらには言えないことですが、雅子さまの年齢を勘案しつつも、なお第2子として男児出産を期待する気持が、女性天皇に道を開く議論をためらわせていることは、疑いもありません。。
 今後何年間か様子を見て、雅子さまが再び妊娠する兆候がない場合、ようやく今回誕生の女児を将来の女性天皇とするかどうかの議論をすることになるのでしょう。そのことはかえって、雅子さまにとっても、この女児にとっても、いばらの道であり針のむしろではないでしょうか。見切りをつけて男児出産を諦める宣告の瞬間が、いつかはやってきます。仮に、第2子がまた女児だった場合には、こんどは国内からも露骨な戸惑いの声が上がるかも知れません。
 結局、日本社会のあらゆる面に蔓延している「問題先送り体質」が、女性天皇問題についても事態を一層難しくさせているのです。
 これはボクの私見ですが、今後男児が生まれることがあっても、今回生まれた女児が将来天皇に就くことに決めてしまうことが、一番良い解決策です。完全な男女平等に基づくことが出来ないような皇室なら、存立そのものが揺らぐことになると思います。(12月4日)

 <1つ2つの次は「たくさん」、狂牛病の牛はウジャウジャいるぞ>
 昔、数というものを知らなかった未開の部族たちは、「ひとつ、ふたつ、たくさん」と数えていた、という話を何かの本で読んだ記憶があります。1と2までは数として知っているけれども、3以上になると、4であろうが5であろうがもっと多かろうが、すべて「たくさん」という概念でくくってしまい、それでもって生きていく上で何の不便もない、というわけです。
 たしかに、自然界で1という数は、すべての基本です。太陽が一つ、月が一つ、自分が一つ、鼻が一つ、口が一つ。丘の上に木が一つあれば、これは太陽と同じ数で、一つなのだと誰でも直感的に分かります。
 2という数も、1についで自然界に多く存在していて、把握しやすい概念だったことと思われます。手が二つ、目が二つ、耳が二つ、乳房が二つ。人間でもそうですが、ほかの動物たちや昆虫なども、みなそれぞれに2という数を体に持っています。
 ところが、3になると自然界にはほとんど見られない数で、直感として3を把握できる機会は、極めて少ないのです。身の回りの自然を見渡して、何か3つのものが思い浮かぶでしょうか。クローバの葉でしょうか。でもこれは、どこにでも見られるものではありません。人体にも動物の体にも、3という数に対応するものはない、といっていいでしょう。
 そこから、「ひとつ、ふたつ」までは数として認識し、それを上回る量ならば「たくさん」として把握していくことが、古来からの知恵として引き継がれてきたのだろうと思います。
 日本で狂牛病の牛が見つかった時、1頭目と2頭目までは、驚きの中にも「これでもう出ないだろう」というかすかな期待のようなものがありました。2頭までは、仕方ない、という感じがありました。しかし、今回、3頭目の狂牛病が見つかったことで、事態は一変し、「ほかにも、うじうじゃいるに違いない」という見方になるのは自然です。「ひとつ、ふたつ」の次は、「たくさん」なのです。
 1頭目がみつかった直後に、テレビカメラの前で高級牛肉を食べてみせた政治家たちや、全頭検査の初日というのに業界の要請に忠実に「安全宣言」を出した農林水産相と厚生労働相は、お笑いものであるばかりか、牛肉不信とお役所不信を決定的なものにした最大の張本人です。
 狂牛病の牛は、もはや全国に拡散していて、今後の検査でさらに見つかる可能性とは別に、すでに食肉として流通し消費者の口に入った牛肉の中にも、狂牛病の肉があったことは、ほとんど確実といっていいでしょう。
 3年後か5年後か、牛肉を食べた人たちが続々と発症を始めた時、政府がどんな言い訳をするのか、見ものです。(12月1日)

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2001年11月

 <定期券をSuicaに切り替えて、なんとなく粋人になったような気分>
 JR東日本がスタートした21世紀型出改札カードの「スイカ」という名称について、ボクはスイスイと通れるカードの略だと思い込んでいて、食べるスイカと区別がつかないではないか、などと感じていました。ところが、正しくはSuicaで、Super Urban Intelligent Cardの頭文字をとった名称なのだそうです。とは言っても、Suicaについての説明ポスターや案内パンフなどには、線路マークの縦縞が入ったグリーンの西瓜のマークが描かれていて、やはりSuica=スイスイ・カード=西瓜という連想構造になっているようです。
 自動券売機で、現在持っている定期券をSuica定期券に切り替えられる、というので挑戦してみました。デポジットとして500円が必要なことなど、多少の面倒はありますが、薄っぺらな磁気定期券に代わって、厚みのある堂々としたSuica定期券がスイッと出てきたではありませんか。これまでと同じ内容が印字されていても、立派なものを手に入れてトクしたような気分です。
 これを使って自動改札を最初に通るのは、ちょっとした緊張ものでした。みんながボクを見ているような気がして(誰も見ていないって)、姿勢を正しながら、Suicaを自動改札のタッチパネルに近づけると、ピッと小気味のいい音がして改札が開き、そのままスイスイ。これは一種の快感で、いまだに磁気定期券を差し込んで通っている人たちに対して、優越感を感じてしまうから、不思議です。
 説明パンフには、「かざすのではなく軽くタッチして下さい」とあります。ボクがいろいろ試してみた結果では、定期入れなどに入れない裸のままの状態では、タッチ部分から10センチ以内にかざすだけで、ピッと読み取って通ることが出来ます。
 このシステムは、改札だけでなく、いろいろなところに爆発的に応用されていくような予感がします。映画館や美術館、コンサートやテーマパークの入場、さらには買い物や飲食代金の支払い、等々。
 そのうち、チャージ(入金)をしなくても、銀行口座から瞬間的に引き落とすようなシステムもできるでしょう。最初に本人確認の指紋をカードに読み込ませておき、他人が盗難カードを使おうとすれば、システムが誰何(すいか)して摘発する仕組みも作られそうです。
 SuicaのSuiは「粋」であって、スマートに使いこなす人のことを「粋人」と呼ぶようになるのかも知れません。(11月27日)

 <卵の殻の硬さと割れやすさの絶妙、生命進化の苦難の歴史を思う>
 校舎4階の屋上から生卵を落とし、しかも割れないような工夫をほどこす、という「卵落としコンテント」が、さいたま市の芝浦工大大宮校舎で22日行われた、という記事が新聞に載っていました。鶏が聞いたら目をむきそうな企画で、段ボールなどに守られた6つの卵が落とされ、このうち割れなかったのは新聞紙のパラシュートを付けたものだけだったそうです。
 この話を読んで、卵というものの不思議さについて考えさせられます。卵というのは割れやすいものですが、この当たり前のことが、極めて重要なことなのですね。もしも、硬い殻に守られた割れにくい卵を産むような新種の鶏が出来たら、その種は一代限りで滅びてしまうでしょう。なぜなら、雛が孵化しても殻を割って出てくることが出来ないからです。
 卵の殻というのは、孵化するまでは外敵や過酷な環境から内部を守り抜く強度を持ち、一方では孵化した雛が幼いくちばしで殻を割って出てくることが出来るもろさを兼ね備えていなければなりません。硬さともろさの微妙なバランスの上に、種の保存と維持が続いているのです。
 卵の殻は、どうやって作られるのか。考えるほどに不思議でたまりません。黄身と白身がまずあって、それらが崩れないようにしながら石灰質の殻が出来ていくのでしょうか。それとも黄身や白身が形成されるのに合わせて、殻も成長していくのでしょうか。いずれにしても、蓋も出口もない硬い楕円の球の中に、雛を作るために必要なすべてのものを包み込んでしまうというのは、想像もつかない神秘的なマジックのような気さえします。
 さらに驚異なのは、卵生の爬虫類から胎生の哺乳類への進化が、地球の生命史の上で起こったことです。卵を産まずに雌の子宮の中で胎児を育むというのは革命的な子孫維持の方法です。胎生への移行の何億年という時期の間には、無数の試行錯誤や致命的な失敗を延々と繰り返し、どれだけ多くの生命や生命の素が無に帰したことか想像を絶します。それにもかかわらず、生命は哺乳類の繁栄という画期的な発展段階に到達し、それが人類と知性を生んだのです。
 ボクたちは、卵ひとつを取ってみても、どんな困難をも乗り越えて新しい進化の道筋を自力で切り拓いていく、生命の逞しさと苦難の歴史があることを忘れてはならないと思います。卵の殻の強度も哺乳類の登場も、すべては人間が関わることなしに成し遂げられたということに、ボクたちは謙虚でありたいと思います。(11月23日)

 <静かな静かな里の秋の歌で、栗の実を煮ている母子の父さんは>
 みんなが知っている季節の童謡の一つに、「里の秋」があります。「♪ 静かな静かな 里の秋…」で始まるこの歌についてボクは、秋深まる里山のほのぼのとした母と子の団欒を描いた叙情歌のように思い込んでいて、日本の秋を詩的に表現した歌であるかのように思っていました。それにしても、なぜ「母さんとただ二人」なのだろうか、という漠とした疑問がありました。
 テレビなどでは、たいてい歌詞の2番まで歌われることが多く、その2番には「♪ ああ父さんの あの笑顔 栗の実食べては 思い出す」とあります。父親が出稼ぎか単身赴任で家に不在なのか、もしかして、病気などで死別したのだろうか、などとボクは勝手に想像していました。
 ところが、先日、NHKの「週間こどもニュース」という番組の終わりの方で、この歌の1番に続いて珍しく3番の歌詞が流れているのを聞いて、釘付けになりました。
 「♪ さよならさよなら 椰子の島 お舟にゆられて 帰られる おお 父さんよ御無事でと 今夜も 母さんと 祈ります」
 この、椰子の島というのは、もしかして太平洋戦争の戦地なのではないか。そうなると、この歌の持つ意味は、ボクが思い描いていたほのぼのイメージとは全く別のものになってきます。
 そこで、調べてみたところ、斎藤信夫作詞、海沼実作曲によるこの歌は、やはり戦時中の童謡で、南方の戦線へ送られた父を思う歌だったのです。一見、明るい長調のメロディーなのに、楽譜には、「かなしく」と指定されています。
 歌の中の母子は、戦争が終って椰子の島から父が無事に帰る日を、静かに待ちつづける日本の母と子の姿だったのです。お背戸に木の実が落ちる、コトンという音を聞けば、もしや父さんが帰ってきたのではないか、と思う。夜鴨が鳴き鳴き渡る声を聞けば、父さんを交えた一家団欒の楽しかった日々を思い出す。
 この2番の冒頭の「明るい明るい星の空」というのは、美しいほどに切ない心象風景として読み取れます。同じ星空を異国の地で見上げているかも知れない父。暗い夜空の星がきらめく、その瞬きと眩しいほどの凛とした光。母と子は、そこに明日への希望をつないでいるのです。
 時あたかも、自衛隊が戦後初めて、後方支援のために艦艇で戦闘地に向かう今日この頃。NHKのテレビから流れる歌詞の3番を聴いて、そっと涙している自衛隊員の妻と子は、少なくないのではないでしょうか。(11月20日)

 <ラマダン入りしたイスラム世界、その21世紀的でグローバルな意味>
 15日の新月で、イスラム世界は一斉にラマダン入りとなりました。キリスト教のクリスマスや仏教のお盆などは、信者たちにとって年に一度のお祭で、ご馳走を食べるのが当たり前になっていますが、イスラムでは神聖な月に断食をするというところが逆で、まさにイスラム独特の文明を形成しているという感じがします。
 日の出から日没まで、一切の飲食を絶つ、というのは、人間存在について自覚し、瞑想し、自分とは何か、を考える格好のチャンスであるといえます。日が出ているとはどういうことなのか、昼とは何なのか、夜とは何なのか、夜と昼のはてしない繰り返しの中で、人間が生きていくとは、どういうことなのか。断食は苦しく、砂漠や山岳地帯など過酷な環境にあるイスラムの人々にとって、一滴の水はもちろんのこと、つばさえも飲み込むことが出来ないというのは、想像を絶する苦行に違いありません。
 その苦行の中で、人間とは身体で出来ていることをだれもが激しく痛感し、このような身体を持つ存在としての人間を誕生させた大いなる存在、すなわちイスラムでいうアラー(神)を全身で感じるのでしょう。そしてまた、人間は肉体で出来ているにも関わらず、信仰や意思の力で肉体に鞭打ち、肉体の弱さをある程度まで克服できるということをも、このラマダンでそれぞれが学ぶのでしょう。同時に、人間にとって食べることがいかに大切なことであり、食べることが出来るということがどれほど感謝すべきことであるかを、人々は改めて知るのでしょう。
 ラマダンは、キリスト教をバックボーンに据える西欧近代合理主義や市場主義、グローバルスタンダードなどの立場から見れば、なんとも無駄で滑稽で非合理的で、野蛮に見えるかも知れません。しかし、資本の論理や科学技術信仰の行き詰まりが覆い難いものになってきた21世紀冒頭の今こそ、ラマダンは宗教の違いを超えたグローバルな意味を帯びているのではないか、とさえ思います。
 21世紀は、資本や市場の論理、西欧的価値観に基づいた効率優先主義、そしてアメリカが力づくで進めるグローバリズムなどを根本的に見直し、ラマダン的思考やラマダン的生き方をも取り入れた価値観の再構成が必要でしょう。
 イスラムの人々のラマダンに思いを馳せる時、まったく無関係のように思える金子みすヾの童謡のフレーズを思い出します。
 「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」。ラマダンには、その「見えぬもの」への畏敬といたわりという、深くて重い意味があるような気がします。(11月16日)

 <フロリダでのわずか数十票の数え違いが、1年後の全世界を変えた>
 バタフライ効果という言葉があります。「北京で今日蝶が羽を動かして空気をそよがせたとすると、来月ニュー ヨークでの嵐の生じ方に変化がおこる」という意味で、初期状態や初期値のきわめて小さな差異や微動が、時間とともに指数関数的に拡大して、最後は現象のグローバルスケールにまで拡がってしまうことを言います。
 なんとおおげさな、と思われがちですが、宇宙の因果関係から考えれば、どのように些細に見える物事でも、遠く離れた地域での出来事に何らかの影響を与えている可能性を秘めています。例えば、今ボクが何かの歌を口ずさむことによって、そのことがベネチアを歩いている見知らぬ人の行動を左右することだって、理屈からすれば十分あり得るのです。また、あなたが今何かを食べることが、遠くスーダンで水を汲んでいる見知らぬ少女の行動に影響を及ぼしたり、フランスの新幹線を止めてしまうことだって、あり得ます。
 この世に起こっているありとあらゆる微細な事柄のそれぞれすべてが、どのように遠方であってもすべての事物の展開に影響を及ぼし得る、ということは、考えるほどに重大です。この影響が及ぶ速さは何年もかかるゆっくりとした波及から、理論的には光速での伝播まであり得る、とボクは考えています。地球で起こったことが、何らかの理由で太陽の黒点の動きに反映されるまでには、最短でも8分19秒かかる、あるいは見方を変えれば僅か8分19秒後には太陽までの距離でも影響が波及し得る、ということです。
 ニューヨークの住宅街にエアバスが落ちたのも、ひょっとすると、あなたが出勤途中に一枚の綺麗な紅葉を拾ったことが、微妙な波及のさざなみとなって、エンジンの落下につながったのかも知れません。アフガンで北部同盟がカブール進攻を決断したのは、あなたが東の空にかかった虹をスケッチしたことが、影響しているのかも知れません。
 米国史に残る大接戦となった昨秋の大統領選で、問題となったフロリダ州の票を手作業で数え直していたら、42票から171票の範囲の差でゴア候補がブッシュ候補をリードし、これによって同州の選挙人25人がブッシュ陣営からゴア陣営にごっそり替わり、その結果、全国での選挙人獲得数はゴア候補292人、ブッシュ候補246人と逆転して、いまごろはゴア大統領の時代となっていたことが、米主要メディアの再調査によって明らかになりました。
 ゴア大統領だったら、どんな世界になっていたでしょうか。9月11日は何事もない平穏な日として終っていたのでしょうか。
 フロリダ州のわずかなバタフライの羽ばたきが、1年後の世界と地球の姿をすっかり変えてしまいました。(11月13日)

 <花荻先生から杉戸八重へ…最も心に残る女優、左幸子さんを悼む>
 「おらあ三太だ」というドラマが、1950年ごろにNHKラジオから流れていました。このドラマは3本の映画となって公開され、映画の中で花荻先生という若くてきれいな女先生を演じていたのが、左幸子さんでした。スクリーンの中の花荻先生は、素敵ではつらつとしていて、まだ小学校の低学年だったボクの胸をときめかせ、夢中にさせたものです。左幸子さんは、女優になる前に高校の先生だったことを知って、感心した記憶があります。
 映画の中で、花荻先生が生まれたままの姿になって水浴するシーンがありました。左幸子さん本人が演じたのか、あるいは代役だったのかは分かりませんが、子供心ながらに、あんなきれいな女先生が裸になるなんて、と半ば悔しい思いで、半ばドキドキしながら、スクリーンに食い入って見たものでした。
 左幸子さんといえば、あの杉戸八重です。1965年、内田吐夢監督の東映映画「飢餓海峡」。三国連太郎演じる犬飼多吉が、強盗殺人と放火をした後、仲間を殺して大金を独り占めにし、恐山のふもとで通りがかりのトロッコに飛び乗って、八重と出会う下りが印象的です。飢えのあまり腹がグーグー鳴るのを隠せない犬飼に、おにぎりを差し出す八重の純真無垢な優しさが、この映画の通奏低音となっています。
 犬飼が下北の花町を訪れて娼婦の八重と一夜を過ごす下りでは、左幸子さんは鬼気迫るほどに八重そのもの。布団をかぶってイタコの真似をしながら「戻る道ないぞお」と部屋中を踊り回り、犬飼が怖がる様を面白がる。そして、一つ布団の中での二人の絡み合いは、何一つ露骨な描写があるわけでないのに、この上なくエロチックで、八重の恍惚の表情には、娼婦の身を超えた女のひたむきさが感じられます。それだけに、事が終って、犬飼から「何ぼや」と尋ねられ、「50円です」と恥ずかしそうに応える八重が、みじめであわれです。
 別れ際に、犬飼が「悪い金やないんや」と渡してくれた紙包みが、大金であることを知った八重の驚き。そのお金を八重が一瞬、着物姿で股の間にはさんで犬飼への感謝に打ち震えるシーンも、なかなかのものです。
 この「飢餓海峡」での圧巻は、10年の歳月を経て、新聞記事に載った篤志家の樽見京一郎こそ犬飼だと直感した八重が、舞鶴まで樽見を訪ねて行って再会する場面でしょう。あの時のお礼を言いたいだけ、という八重に対して、「知りませんなあ」を繰り返す樽見。この時の左幸子さんの演技は、日本映画史に残る屈指の名シーンです。思い出してくれない樽見に、泣き出してしまう八重が、右手親指の傷跡を見つけて「やっぱり犬飼さんだ」と我を忘れて抱きついていくあたりは、何度見ても素晴らしい。樽見に首を絞めらて息絶えた八重の、うっとりとした死に顔も壮絶です。
 左幸子さん、がんで死去。71歳。「亡くなってしまうなんて早すぎる」という三国連太郎さんの談話が、日経の夕刊に載っています。おやおや、首をしめて殺したのは、三国さんだったじゃないですか。いや、あれは樽見こと犬飼か。もう映画と現実がごちゃごちゃになってしまいそう。
 左幸子さんこと八重はいまごろ天国で、伴淳三郎さん演じた弓坂刑事から、「いやお疲れさまでございました」とお茶を立ててもらって、映画の話に花を咲かせているかも知れませんね。心からご冥福をお祈りいたします。(11月10日)

 <長く厳しい冬が日本でもアフガンでも始まる、冬来たりなば春は…>
 今日11月7日は、立冬です。昨日は東京と大阪で木枯し1号が吹きました。先行きの全く見えない時代の空気も相まって、寒さがひときわ身にしみるこの頃です。
 実は二十四節気の中で、ネーミングと季節感が最も一致しているのが、この立冬なのですね。立夏の場合は、GW後半の5月5日ごろですから、ようやくうららかな陽気になった頃で、感覚としては春本番といったあたり。しかも、その1月先から梅雨が待っているため、ますます「夏立ちぬ」という雰囲気ではありません。また立秋はと言えば8月7日ごろで、それから1カ月半ほどが暑さのピークです。立春にしても、2月4日ころですから、寒さの一番厳しい時期です。
 春夏秋が「立つ」時が、いずれも季節の実感より1カ月半から2カ月も早く、「暦の上では」という枕詞がつきものなのに対し、立冬だけがなぜ、「暦の上」と季節感が一致しているのでしょうか。それは、四季の中で冬だけがスバ抜けて長期に渡っていることが大きな原因でしょう。実際、日本の冬は立冬の11月7日ころから始まって、一時的には小春日和となる日も含みながら、年末年始から年明けへと一段と寒さを増し、節分や立春のころから厳寒のピークとなって、サクラが咲く直前まで、実に5カ月近くも続くのです。
 「冬来たりなば、春遠からじ」という言葉は、長く厳しい冬を耐え忍ぶために、日本人が毎年毎年、自分たちに言い聞かせてきた「春信仰」とも言える感情なのではないでしょうか。「春よ来い」や「どこかで春が」、「早春譜」などの歌も、私たちはいつか必ず来る春を待ち続け、春の到来を待ち焦がれることによってのみ、かろうじて冬を耐え抜いて生きることが出来るということを、示しているように思います。
 その冬ですが、今年は例年と違って、遠い異国の冬がなんとも気がかりです。それは、アフガニスタンの冬です。氷点下25度という日本では想像を絶する寒さ。アメリカの空爆や国内の戦闘から逃れて、着の身着のままで逃げ惑う難民たちは、暖房どころか毛布の1枚さえもなく、日々の食べ物も欠乏した状態で、今年の冬を迎えます。その数、数百万人とも伝えられ、アメリカの軍事行動が続けば、史上まれにみる大量餓死、大量凍死をもたらす公算大です。
 それでも、アメリカは地上軍を投入して、雪の中の軍事攻撃を続けるつもりでしょうか。ロシアの冬将軍は、ナポレオンやヒトラーの軍勢を大敗走させました。アフガニスタンの冬は、いったい何をもたらすでしょうか。全世界が注視するアフガンの冬将軍、到来近しです。(11月7日)

 <2002年のカレンダー売り出し中、カレンダーの数だけの1年がある>
 晩秋から木枯しの季節への微妙な移行期の今、大きな文房具店や書店の店頭には、来年2002年のカレンダーが一斉に並べられています。豆粒大のシールタイプから、卓上タイプ、壁掛けタイプ、さらにはトイレ専用カレンダーまであって、まさに百花繚乱。写真やアートのテーマは、動植物から天体、風景、名画、映画、タレントや芸能人、ヌードと、まさにカレンダーは世相と世界の縮図です。
 カレンダーを手に取って選んでいる人たちの表情には、使いやすいかどうか、といった実用性の吟味とは別に、来たる2002年という年は、自分にとってどんな年になり、どんなことが自分を待構えているのだろうか、という近未来への幽かな畏怖が漂っているようです。新しい年へのささやかな期待を抱きながらも、こんどの1年間を無事に生きていくことが出来るだろうか、という漠とした不安のようなものを、それぞれが無意識のうちに嗅ぎ取ろうとしているような表情さえ浮かびます。
 これだけ沢山のカレンダーを見ていると、不思議な感覚に襲われます。無数の人たちが、こうやってカレンダーを選んで、気に入ったものを買って行く。ひょっとして、1年というのは地球に共通の単一の流れではなく、このカレンダーの数だけの異なる1年があり、このカレンダーひとつひとつが、それぞれに違った1年になるのではないか。そう考えると、1年はわずか365日しかないようでいて、実はそれぞれの1日も、生きている人間すべての人数分だけあるのだということが、分かってきます。
 今、ボクたちに必要なのは、1年はカレンダーの数だけあるのだという視点であり、もっといえば西暦カレンダーだけでなく、イスラム暦やユダヤ暦、ヒンズー暦など全く異なるカレンダーによって動いている人々が何十億人もいる、ということを認めることではないでしょうか。いえ、地球には、そのカレンダーさえ持つことが出来ない人たちも無数に存在するという事実を、直視しなければなりません。
 2002年のカレンダーの中で、異彩を放っているのは、ニューヨークの風景をテーマにしたカレンダーです。表紙には、燦然とそびえたつ2棟のWTCビル。月をめくって見ると、ほとんどの風景写真が、この超高層ビルを据えて構成されています。写真を差し替える時間的余裕はなかったのでしょうが、まだ来ぬ年のカレンダーを飾る、いまはなきWTCビルこそは、20世紀アメリカの墓標であり、唯一の超大国の遺影ではないだろうか、と感じさせられます。(11月4日)

 <今年の世相を一字で表現する漢字は「突」か「崩」、来年は「滅」か>
 今日から、年賀はがきが発売されました。もうそんな時期なのか、と月日の経つ早さに驚かされます。去年は、パソコンで印刷するためのインクジェット用はがきが、首都圏の郵便局から軒並み、早々と品切れとなったことも記憶にあって、とりあえずまとまった枚数を買ってきました。
 11月になったとたん、今年も仕舞いじたく、という気分を醸し出すのは、年賀はがきの発売開始だけではありません。今朝の朝日新聞には、今年最も話題を集めた言葉は、インターネットなどでの投票の結果、「同時多発テロ」に決まった、と報じられています。今年のメーンの時期はすでに終わって、残りの2カ月は音楽で言えばコーダのような回顧と締めくくり、そして新年を迎える準備の時期なのだと、思い知らされます。
 今年の回顧といえば、日本漢字能力検定協会が毎年募集している、その年の世相を一字で表現する漢字は、何に決まるでしょうか。阪神大震災の年、1995年から始まったこの企画で最初に選ばれた漢字は「震」でした。次の1996年はO−157による食中毒事件を受けて「食」、山一證券など金融機関の倒産が相次いだ1997年は「倒」、和歌山の毒カレー事件のあった1998年は「毒」、世紀末も押し迫った1999年は「末」、そして去年は五輪でのQちゃんやヤワラちゃんの金メダルを受けて「金」でした。
 ということで、今年2001年を一字で表現する漢字を思い浮かべてみましょう。募集期間は12月3日までということで、今後、大きな事件や出来事がまだ続くとはいえ、やはり同時多発テロとそれに対するアメリカなどによる戦争は、今年の世界にとって最大の出来事であることは動かないでしょう。
 同時多発テロに対応する漢字としては、「突」でしょうか。しかし、旅客機の突入そのものよりも、もっと世界を震撼させたのは、突入から数十分後に起きた2棟の超高層ビルの崩壊でした。まさに信じられない大崩壊の瞬間、ビルの中には数千人の人がいました。これを漢字で表すとしたら、「崩」しかないでしょう。自由主義市場経済の「崩」であり、アメリカの「崩」、そして20世紀までに人類が築き上げてきた文明や価値観の「崩」。アメリカ軍によるアフガンへの軍事作戦の展開は、先が読めなくなっていますが、冷戦後の世界の構図の「崩」であると言えます。
 あなたなら、今年を表す漢字にどの字を選びますか。集計結果の発表は12月12日の漢字の日。それまでに事態が急速に悪化して、「滅」が選ばれるようなことにはならないと思いますが、来年となると分かりませんよ。(11月1日)
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2001年10月

 <オノ・ヨーコさんの「貨物車」の真下に横たわり、時空をトリップ>
 「横浜トリエンナーレ」は1枚のチケットで2日間、見て回ることが出来ます。先日、1回目に見きれなかった分を見に行ってきました。
 最も感銘を受けたのは、野外設置されているオノ・ヨーコさんの作品「貨物車」でした。銃痕で穴だらけになった鋼鉄製の貨車。その内側からは、不思議な音が絶えず流れています。音楽のようでもありますが、大勢の人間たちのざわめきにも聞こえ、またうめき声にも、叫び声にも、祈りの声にも聞こえ、ご詠歌のように束となってうねって響いてくるさまは、死者たちの魂がボクたちに呼びかけているようでもあります。
 この貨車には、作者による手書きのメッセージが張られています。
 「この作品によって我々が20世紀に体験した悲劇と不正に抵抗し、痛みを癒し、未来に向けての希望を表現したいと思いました。オノ・ヨーコ 1999−2001」
 会場の一つである赤レンガ倉庫からやや離れた場所にあるせいか、ボクが訪れた時は、観客もまばらでした。雲ひとつない秋晴れの下、貨車の向こうには、みなとみらい21地区の幾何学的なビルたちが姿を並べています。
 ふっと、ボク以外に一人の観客もいなくなる瞬間が訪れました。秋の太陽がまぶしく、白昼夢かと錯覚するほどの静寂の中で、貨車からのあの音だけが朗々と流れ続けています。
 今がチャンス、と思ったボクは、貨車の下にもぐりこんでみました。短い線路には枕木も、小石も敷いてあります。貨車の下は意外に広く、かがんでも腰をおろしても十分な空間です。ここで、寝転んでみたら、どんな気持ちだろうか、とボクは周りに誰もいないことを確かめると、貨車を見上げる格好で、2本の線路の間に仰向けに横たわりました。
 真上に覆い被さる貨車は、とてつもなく大きく、その重量感に圧倒されます。貨車から流れる人声は、心持ち高揚し、一段と緊迫感を帯びて、それはもう危険な響きさえ感じます。貨車が受けた銃痕の、はかり知れない痛みと苦しみ。無数の銃痕が、生きた人間に向けられ、生きた人間の身体を貫徹した。ジョン・レノンも、そうだった。
 マンハッタンの高層ビルが崩壊した瞬間、貨車の何倍もの瓦礫で潰されながら、人々は死んでいった。アフガニスタンでいま、銃撃や爆弾を浴びて、失うものを持たない人々が逃げまどい、死んでいく。このまま、何かの弾みで貨車が崩れてきたら、ボクも死ぬ。人間の身体は、それほどもろい造りなのだ。貨車の時間が蘇り、時空の中へトリップしていく不思議な感覚。このまま眠ってしまいそうだ。
 人の声の音楽が、いつの間にか、鳥たちのさえずりに変わっている。そろそろ、人が来るかも知れない。ボクはゆっくり起き上がり、貨車の下から出ました。いま体験したばかりの、「貨物車」の最高の鑑賞法は、ボクひとりだけの秘密にしておこうと思います。(10月28日)

 <人を殺傷せずに、全てのディスクや書物からデータを消すテロ>
 ハリウッド活劇的なハイジャック機によるビルへの激突テロという派手なやり口とは対照的に、炭そ菌による目に見えない地味なテロが、ジワジワと恐怖を広げています。国家と社会活動、市民生活を萎縮させ、機能不全に追い込むという点では、細菌テロは極めてタチが悪く、いまはまだ犯行グループが小出しにしながら反応を見るという程度ですが、これを大規模にやられて数千人から数万人単位で犠牲者が出るような事態になったら、パニックは頂点に達します。
 いかなるテロも許されるものではないとしても、善良な市民を一人も殺傷することがない「きれいなテロ」というのは考えられないのでしょうか。というよりも、テロリストグループの中には、人間を殺傷する以外の新しい型のテロを真剣に考えているものが少なくない、ということを文明社会は頭に入れておく必要があるでしょう。
 その中でも、すでに兆候が現われているものとしては、コンピュータのデータを破壊するサイバーテロがあります。このための対応策としては、ワクチンの開発とともに、データおよびシステムの二重三重のバックアップや、超重要データについてはY2Kの時のように紙のデータでも保存しておく、などが一般的でしょう。
 しかし、テロリストグループやそれに準ずる強力な組織が、電磁波爆弾のようなものを成層圏で爆発させ、とてつもない強力な磁力によって、地球上のすべてのコンピューターのハードディスクや磁気記録媒体の中身を、一気に破損させてしまったら、文明が蒙る被害と損失は凄まじいものになるでしょう。医療用のコンピューターやデータも、例外なく破壊されてしまうため、多くの市民の命が奪われる結果になりますが、ともあれすべての文明はコンピューターのなかった時代にまで逆戻りして出直すしかなくなります。
 その段階で終れば、まだ人類は頭を冷やして馬車や伝書鳩を生かして再出発することも出来ますが、さらに追い討ちをかけるように、どんな丈夫な書庫や地下室をも透過して、人類があらゆるところに保管しているすべての紙とフィルムを、一瞬にして灰にしてしまう記録物破壊爆弾のようなものが使われて、オフィスや研究所の書類や書物から、図書館のあらゆる書籍・文献のたぐいまでが、すべて灰になってしまったら、人類の再出発はかなり困難を極めるに違いありません。
 その時に、わずかに残っているデータは、石に刻んだものだけ、というのも、なかなか黙示録的な風景かも知れません。その日に備えて、いま世界で起きていることのあらましを、石に刻んでおこうという人はいませんか。(10月24日)

 <米国のアフガン攻撃が激化する中、忘れ去られた国際反戦デー>
 もはやほとんどの人たちに忘れられてしまっているようですが、今日10月21日こそは、かつては誰知らぬ者もなかった「国際反戦デー」です。1943年のこの日に神宮外苑で、学徒出陣の壮行会が行われたことは偶然の一致らしく、そもそもの始まりは、米国の北ベトナムへの爆撃強化をきっかけに、1966年のこの日、総評が全世界の労働団体・反戦団体に統一行動を呼びかけたのが最初で、以来、国際反戦デーとして定着。翌年の1967年には、ワシントンで7万人が集まる反戦大集会に発展しました。1968年には、新左翼系の学生セクト各派が新宿駅を占拠、放火するなどのいわゆる新宿騒乱事件となり、全国で769人が逮捕される騒ぎとなりました。
 最近では1995年、沖縄の米兵による少女暴行事件に抗議し、基地の撤去を求める沖縄県民8万5000人が怒りの大集会を開いたのが、この日でした。「10.21」というのは、反戦・平和運動の揺るぎなきシンボルだったのです。
 そして今日、21世紀が明けて最初の「10.21」は、米国への同時多発テロに対するアメリカのアフガン空爆と地上戦開始という、40日余り前には考えられなかった殺伐としたクライシスの中で、日本の国内や世界のどこかで、何らかのデモや集会が行われているのでしょうか。
 マスコミも文化人も、今日が10.21であることなど、もはやシカト的態度を決めこんでいて、反戦平和を唱えること自体に、軽蔑と罵倒が向けられる異常な空気の中で、「10.21」は窒息死してしまったのかも知れません。
 こういう時こそ、平和運動を引っ張っていかなければならない労働運動や学生運動も、すっかり仮死状態とは情けない話です。いまの学生の関心は、いかに周りを笑わせるか、いかにお洒落をして異性にモテるか、いかに楽な就職先を見つけるか、いかに面白おかしく無難でラクチンな生き方をするか、といったチマチマしたところに留まっているのかのようです。
 ある日、気がついたら、日本の憲法はすっかり変えられていて、学生も例外なく徴兵制度が敷かれて男子も女子も平等に兵隊にさせられ、あの日と同じ雨の神宮外苑で学徒出陣の壮行会が行われる、ということは十分あり得ることです。ノートパソコンヤケータイの替わりに銃やバズーカ砲を持たされて戦場に送られるのは、あなた自身や、あなたの弟や妹、あなたの子どもなのかも知れません。(10月21日)
 (22日付け朝日新聞によると、21日には全国33カ所で市民団体主催の集会が開かれ、このうち東京では1500人が参加したとのことです)

 <危険を冒して食べるものほど美味い、国産牛ステーキ半額ランチ>
 人間というものは、食べてはいけないと言われると、むしょうに食べたくなるものなのですね。高血圧の人は、控えるように言われた塩辛いものや脂っこいものがやたらと食べたくなり、糖尿病の人は甘いものからますます逃れられなくなる。フグの味を覚えてしまうと、だんだん唇が痺れるあたりの危うい処理のフグ肉の方がうまくなる。
 というわけで昨今は、国産の牛肉を貪るように食べたくてたまりません。今日からようやく、国産牛の全頭検査が始まり、その経過もまだ分からないというのに、農水相と厚労相が誰も信じない「安全宣言」を出すという、まことにもって奇怪かつオソロシイ事態となって、牛肉を食べたいという怖いもの見たさ、いや怖いもの食いたさの心理は、絶頂に達してしまいました。
 そこで今日のお昼は、絶対牛肉を食ってやるぞと意気込んで、レストランのランチメニューを探して歩きました。普段はステーキランチをやっている店も、メニューの「牛ステーキランチ」という表示が「チキンステーキランチ」に変わっていたり、ハラミ(内蔵に付いている赤身)肉を使ったサービスステーキとかヤングステーキなどという名のメニューが消えたりと、それぞれにさりげなく対策をとっている様子がうかがえます。
 そんな中で、「国産牛ステーキ半額大奉仕」というキャンペーンを今日から始めた牛肉専門店を見つけました。普段は2100円のメニューが1050円とあるので、話のタネにと入ってみました。なんとテーブルには、農水省と厚労省の共同作成による「国産牛肉安全宣言」のチラシが山と置かれ、さらにメニュー表には「当店の牛肉は専用牧場で一貫飼育され、肉骨粉は従来から一切使用していません」と書かれています。
 驚いたのは、ボクも含めて、大入り満員のサラリーマンたちのほとんどが、揃ってこのメニューを注文していたことで、世の中には牛肉フリークというか牛肉オタクが結構多いのだなと改めて感じました。この人たちも、危険を冒して食べる禁断の味の魔力に抗し難い人々なのか、と思ったりしたのですが、考えてみれば名の通った店が、脳がスポンジになった牛の肉など使っているはずはなく、要するに普段は値段が高くてランチにはちょっと手が出なかったメニューが半額になったので、こんな時にでも食べておこう、ということなのです。
 やっぱり国産牛のステーキは美味い。願わくば、狂牛病騒ぎが収まった後も、この「半額大奉仕」メニューをずっと続けてほしいものですが、牛肉への怖さが消えるころには、このキャンペーンも終るんだろうなあ、もう。(10月18日)

 <あの日以来のニュース中毒に決別し、横浜トリエンナーレを堪能>
 あの日以来、ボクもすっかりニュース中毒に冒されてしまいました。テレビのニュースをすべて見ないと気がすまない。新聞は朝刊夕刊とも、テロと戦争に関連するすべてのニュースを読まないと、落ち着かない。それでも物足りなくて、こんどはインターネットにかじりついて、ひっきりなしにニュース系サイトにアクセスしまくる。新たな大規模テロがどこかで起きているのではないか。報復戦争はエスカレートしていないか。日本では変わった動きは出ていないか。航空機の墜落は出てないか。
 こうして、ソワソワ、イライラしているうちにも、現実にわずか半日程度のサイクルで世界情勢は急転を続けていて、あれよあれよという間に、目まぐるしく事態が変わっています。ニュース浸りになっているうちに、知らず知らずのうちにも、アメリカとブッシュの勢いに押されて、物の見方や考え方が単純化されてしまう危険も感じますが、にもかかわらず新たなニュースに接していないと、気がヘンになりそうなのです。あたかも喉がカラカラに渇いた人が甘い清涼飲料を飲むと、ますます喉が渇いてさらに飲まないではいられなくなるような、自暴自棄的な悪循環。
 ニュース中毒の自分に嫌気が差してきたボクは、新聞週間スタートの今日が皮肉にも新聞休刊日で朝刊が休みなのをこれ幸いと、朝から横浜トリエンナーレ2001を見に行ってきました。ニュースなんて接しなければ気にならないし、それでも世界も日本も、人々は日々の営みを続けていくしかないのだ、などと自分に言い聞かせ、ニュースとのしばしの決別断行です。
 横浜を訪れたのは、何年ぶりでしょうか。10年も来ていないような気がします。みなとみらい21地区は初めてで、人工的で人間の生活から徹底的に切り離された都市空間に、違和感を感じたり、圧倒されたり。ランドマークタワーを見上げて、ここに航空機が突入したらやっぱり崩壊するのだろうか、などと一瞬、現実に引き戻されてドキリとします。
 トリエンナーレの会場はあちこちに分散していて、メーン会場のパシフィコ横浜だけでも、質量ともボリュームたっぷりの展示で、半日がかりとなりました。現代アートは難解という既成概念を破って、どれも新鮮で面白く、芸術とはなんぞやという理論よりも、パフォーマンスの楽しさや、自由な表現への挑戦が、爆発するエネルギーと新時代の感性を感じさせて、久々にアートの空気を堪能することが出来ました。
 21世紀の人類もまだ捨てたものではないな、と勇気付けられるとともに、それにつけてもテロや戦争をいつまでも克服出来ない人類との、あまりの落差に目が眩む思いです。(10月15日)

 <あれから1カ月ですっかり世界は変わった、これから起こる事態とは>
 あれから1カ月。世界は、そして始まったばかりの21世紀は、「9月11日」を境に様相が一変してしまい、空気の匂いも、空の輝きも、そして街の光景も、道行く人たちの顔つきも、すっかり変わってしまいました。けばけばしい粉飾に隠れて見えなかった、いろいろなものたちの、真の姿が次々と明らかになっていき、真理の具現だと思っていたものが醜悪な怪物であったり、間違いなく信頼出来るはずのものが、内容のない薄っぺらな化け物だったり、永遠の象徴のはずが刹那のガラクタだったりと、ボクたちは世界の意外な諸相を見せ付けられて、唖然とするばかりです。
 「テロへの報復戦争」がもたらすものは、おそらく今予想されているよりもはるかに深刻で、これから5年、10年単位の世界史を激変させていくことでしょう。まず、アメリカやその同盟国の思惑を超えて、こんどの事態がコントロール不能な危機へと膨れ上がっていく危険です。事態は、パキスタンの現政権の崩壊から核兵器の奪い合いへと発展し、イスラム過激派による核の使用、そして隣国インドによる核の対抗使用へと進むかも知れません。この混乱で、アメリカ軍やNATO軍あるいはアメリカ支援国が直接の核攻撃を受けることになったら、テロリストと核保有国が入り乱れての全面核戦争に発展することは、十分あり得ることです。
 こうした西アジアの危機とは別に、アメリカやその戦争を支持する国に対しては、第2、第3の大規模テロを防ぐことは出来ないのではないか、という絶望的な問題もあります。航空機などによる「動的」なテロとは別に、生物化学兵器による、いつ始まったのかも分からない「静的」なテロの危険の方が、はるかにタチが悪く、各国民の恐怖心は極度に高まるでしょう。こうしたテロによって、数十万人から100万人単位の死者が出た時、世界中がパニックに陥ることは確実です。
 テロリストグループは、なにもビンラディン氏らのアルカイダだけではありません。タリバンやアルカイダに打撃を与え、指導者たちを逮捕ないし死亡させたとしても、アメリカへの憎悪を募らせた新たなほかのグループが決行に及ぶことまでは、予見も阻止もしにくいでしょう。
 実は、こうしたテロの実行による直接の被害の大きさもさることながら、長期的に見た場合は、テロの恐怖で国民全体が震え上がって萎縮してしまい、平常なる市民生活の続行が維持出来なくなることの方が、ずっと恐ろしいのです。人々は、目的を問わず移動を控え、消費を控え、レジャーを控えて、戦時下の生活をじっと耐え忍ぶだけの日々となるでしょう。多くの企業が倒産して失業者が街にあふれ、デフレとインフレが同時に進行して、生産、流通、消費の流れは目詰まりを起こして破綻するでしょう。
 このことこそ、アメリカはじめ西側資本主義を内部から崩壊させる決定的な要因となるような気がしてなりません。アメリカと西側諸国の資本主義経済とグローバリズムが、あの2棟の110階建て超高層ビルのように、轟音とともに崩壊していく姿が、目に浮かぶようです。(10月11日)

 <21世紀最初の戦争によって、テロの土壌を根絶することが出来るか>
 ついにアメリカによるアフガン空爆が始まり、21世紀最初の戦争が始まりました。これは、果てしなく続く、報復テロと報復戦争の無限連鎖の始まりなのかも知れませんし、その過程で核や生物化学兵器が使用され、原発の爆破や国際スポーツ大会会場へのテロなども起こって、世界は収集がつかない最終的な破局にまで一気に進む危険性をはらんでいます。
 物言えば唇寒し秋の風、の風潮が世界を覆い、報復戦争反対や自衛隊の海外派遣反対などと唱えようものなら、「平和ボケ」「テロリストの味方」「国際貢献からの脱落」「非国民」といった罵りのツブテがワッとばかりに飛んでくる時勢になってしまいました。インターネットが地球を網のように包むことによって戦争を防止出来る、などという期待は、まったくの幻想に過ぎませんでした。
 いま、ボクたちに出来ることは極めて限られています。消極的な対応ですが、まず自分たちのささやかな小市民としての生活を自主防衛することです。そのためには、もはやお金の無駄遣いは一切控えなければなりません。消費を控えることが、日本経済をさらに落ち込ませ、デフレを加速させることは分かっていますが、にもかかわらず、というよりもだからこそ、先行き不安から消費を抑えるしかないのです。
 海外旅行もブランド品も洋服も高級レストランも、この際すべてカットです。まだ使える電化製品やパソコン、AV機器なども、もちろん今あるものを使えるだけ長く使いましょう。政府がどんな景気刺激策を打ち出してきても、それに乗るわけにはいきません。個人の預貯金を証券市場に振り向けて株価を上げよう、などという愚策には目をつむりましょう。
 ボクたちは、テロを根絶するということの意味をよくよく考えてみる必要があります。テロリストへの感情的な報復それ自体が目的になってしまっては、まさに本末転倒で、テロはますます激化するばかりです。
 今回のアメリカによる空爆直後、カタールのテレビ局を通じてオサマ・ビンラディン氏は次のように述べています。
 「巨大なビルディングが破壊され、米国は恐怖におののいている。これは神のおぼしめしである。米国民が味わっている恐怖は、これまでに我々が味わってきたことのコピーでもある」「イラクでは百万人もの子供たちが殺されたにもかかわらず、米国はこれを犯罪とは呼ばない。世界は今、信仰をもつ者と、異教徒に分けられようとしている」「私は神に誓う。パレスチナに平和が訪れない限り米国に平和はない、ムスリムの地から出ていかない限り米国に平和は訪れない」
 テロリストの言い分などに耳を傾ける必要はない、という声も強いようですが、なぜ特定の標的を狙ったテロが今回起きたのかということを、冷静に振り返って自省する視点が欠落しては、テロを根絶するための国際的な戦いなどという文句は、威勢がいいだけのスローガン倒れに終ってしまうのではないでしょうか。(10月8日)

 <これからの時代、飛行機に乗る前には家族らに遺書を書いておこう>
 ライト兄弟が飛行機を発明してからまだ100年が経過していないというのに、いまや飛行機は人間にとって最も日常的であると同時に最も危険な乗り物になってしまいました。僕はこれまでも、飛行機を使う旅行に出る前には、万一のことがあった場合のために、家族が途方に暮れないよう、葬儀の手順や重要書類のあり場所などを簡単なメモにまとめて家に置いていきましたが、これからは飛行機に乗る前に、もっと明確な「遺書」をしたためる必要があるようです。
 米同時多発テロで4機の旅客機がハイジャックされて、激突や墜落した衝撃も覚めやらぬ中、こんどはイスラエル発ロシア行きの旅客機が空中爆発して黒海に墜落する惨事が起こりました。ウクライナ軍による演習でミサイル誤射を受けたという説や、爆弾テロ説などが入り混じって、原因究明は難航していますが、いずれにしても、飛行機に乗るのは、乗客も乗務員も命がけの時代になってきた、ということは確かです。
 ビジネスマンの間では、海外出張を控える動きがさらに広がり、観光旅行のキャンセル続出から新規申込み手控えの空気も加速して、航空会社の経営危機はますます深刻になり、航空運賃や旅行保険料は一気に高騰しそうです。
 これから数年の間は、航空機を使うのは政府要人や命知らずのジャーナリストなどに限られ、一般庶民が気楽に飛行機で旅を楽しめる状況が戻るまでには、かなりの時間を要しそうです。
 ハイジャックを防止するため空港ではセキュリティーチェックが大幅に強化されていますが、どんなに念入りに刃物類の持ち込みを規制したとしても、結局のところ、屈強な数人のテロリストが乗り込めば、凶器などなくてもハイジャックは可能です。早い話が、乗客の何人かの腕をへし折った上で、両目に指を突っ込んで目玉をくり抜いてしまえば、ほかの乗客たちは恐怖ですくんでしまい、抵抗する者に対しては次々と目玉をくり抜いて見せしめにしていけば、指だけでも充分すぎる凶器となってしまいます。
 操縦室のドアを固定して、客室から入れないようにする案や、保安要員を同乗させる案なども、結局のところは本気でハイジャックしようとする犯人を防ぐことは出来ないような気がします。
 確実な方法は、離陸前に客室に催眠ガスを入れて乗客全員を昏睡状態に保ち、目的地に着いて機体が停止したところで覚醒させる方法です。これだと機内食はもちろんトイレさえも不必要でしょう。しかしこの場合でも、預け入れ荷物などに時限爆弾が入っていた場合などはお手上げです。やはり、飛行機に乗る以上は、自分の人生が突然停止となるリスクを承知した上で、家族や親しい人あての遺書を書いておくことが常識となるでしょう。(10月5日)

 <言葉が力を失った時代、イチローや高橋尚子選手の姿が心を揺さぶる>
 2001年という年は、言葉が力を喪失した年として、人類史に残るのでしょうか。
 9月11日。この日を境に、世界の様相は一変してしまいました。アメリカへの同時多発テロ。それから20日しかたっていないのに、まるで世界中のあらゆる分野で、何年もの歳月を経たと同じくらいの変わりようを見せています。
 人類が数千年かけて、多くの血と試行錯誤の上に築き上げてきた法と約束事に基づく社会が、110階建ての2棟の超高層ビルとともに轟音を上げて崩壊し、跡には憎しみと敵愾心、復讐、報復だけが肥大を続けています。
 小説家も評論家も、物を書くことの無力感をひしひしと感じ、映画製作者たちは、あの映像を前にしてもはや何物も作れないことを知りました。
 中でも最も無能を露呈してしまったのは、メディアです。アメリカの国家権力やその周辺が発表もしくはリークした情報を、吟味もせずに興奮して垂れ流し、戦争を煽り立てているだけで、完全に言論機関としての役割を放棄してしまいました。日本のマスコミも同じです。バスに乗り遅れるな、湾岸戦争の二の舞を繰り返すな、日の丸の旗が見える支援を、とすっかり浮き足立ち、イケイケでなければ肩身が狭いようなムードです。いつから日本の新聞やテレビは、大本営発表に擦り寄る忠実な番犬に成り下がってしまったのでしょうか。
 日本が太平洋戦争に突入して行った時に、なぜ新聞は軍部に協力して御用新聞になってしまったのか、不思議でならなかったのですが、なるほどこういうことなのか、とようやく分かってきました。「これは新たな戦争だ、日本国民も一致協力してアメリカ支援を」という大きな声の前に、テロリストは国際法廷で処罰すべきとか戦争は犠牲者を増やすだけだという声は、危険で弱腰な態度と見なされて一蹴され、圧殺されるどころか、「お前はテロリストを擁護するのか」と罵られる状況なのです。
 ブッシュ大統領が「世界はアメリカにつくのか、テロリストにつくのか、どちらかしかない」と演説をぶった時に、日本の新聞は、その言い方はないだろう、とキッパリと釘を刺すべきではなかったのでしょうか。それを、どの新聞も「はい、そのとおりです。みんなでアメリカを支援しましょう」と揉み手で擦り寄っている始末です。
 言葉が言葉でなくなった時代。90年ぶりに大リーグの新人最多安打記録を更新したイチロー選手や、シドニー五輪の「金」に続いて女子で初めて2時間20分の壁を破る世界最高記録を達成した高橋尚子選手の、言葉ではなく自らの身体一つによって前人未到の偉業を実現していく姿が、ひときわ新鮮で日本中を感動させています。イチローの無口で無愛想なところが、たまらない。高橋尚子選手は、笑顔の素晴らしさは言うまでもないのですが、インタビューに答える声がいかにも端正な大人の女を感じさせ、それがかえってセクシーでシビレます。(10月1日)

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2001年9月

 <夢の中の夢で起きる奇跡、代打満塁逆転サヨナラ本塁打で近鉄V>
 日本のプロ野球史上6回目の記録となる、13年ぶりの代打満塁逆転サヨナラ本塁打。それが、マジック1となっていた近鉄の9回裏の場面で、北川のバットから飛び出してリーグ優勝を決めたのは、まさに奇跡の実現としか言いようがありません。
 代打もレギュラーも含めると、日本のプロ野球では満塁逆転サヨナラ本塁打がこれまで24回出ています。これがいかに難しい記録であるかは、王選手や長嶋選手でさえも経験していないことからも分かります。現在ユニホームを着ている野球人としては、阪神の野村監督が南海時代の1966年に阪急を相手に達成しているくらいでしょう。
 その中でも、代打満塁逆転サヨナラ本塁打は感動と興奮の頂点です。完全試合よりもさらに稀にしか達成されない希少性に加え、なんといっても「代打」というところが泣かせます。9回裏、見方がリードされた場面で、代打を告げられた選手の胸中は、レギュラーになれない悔しさと、この場面でなんとか報いて貢献したいという意地が交錯していることでしょう。塁上に走者がいれば、あわよくば本塁打で一気に、と考えるのは当然ですが、現実には凡打や併殺に倒れるケースがほとんどです。
 この代打満塁逆転サヨナラ本塁打が日本で初めて出現したのは、1956年3月25日、後楽園球場での対中日戦で巨人の樋笠が実現。その3カ月後にはこんどは阪神の藤村が広島相手に実現し、1956年という年は、稀少な代打満塁逆転サヨナラが2回あった年として記録されています。
 ボクの記憶に鮮烈に残っているのは、1971年に巨人の広野がヤクルト相手に達成した史上3回目の代打満塁逆転サヨナラ本塁打です。これがなぜ記憶にあるかというと、広野はそれを5年さかのぼる1966年の中日時代に巨人の堀内を相手に、スタメンとして満塁逆転サヨナラ本塁打を放っていて、一人で2度目となる満塁逆転サヨナラだったことです。
 それ以来、代打満塁逆転サヨナラ本塁打が出ると、広野選手のことを思い出すのですが、1984年に近鉄の柳原が4回目を、また1988年に阪急の藤田が5回目を達成して以降は、13年間もの間、この夢は誕生を見なかったのです。
 昨夜、史上6回目の代打満塁逆転サヨナラでチームのVを決めた直後の、北川選手のコメントがなかなかいいですね。
 「まだ何が起こったか分からない。自分がホームランを打ったことも分からない。僕、スゴイ。死ぬかも…」(9月27日)

 <銀河系だけで2000個も存在する高度な文明、その世界を知りたい>
 ボクたちの太陽が属する銀河系宇宙だけをひとつ取ってみても、そこには2000億の恒星があります。その10%が惑星を持ち、その1%に地球型惑星があり、その1%で生命が発生し、その0.1%で高度な文明が発生して現在も続いているとすると、それでも2000個もの高度な文明が存在することになります。その10%にあたる200個は、地球など足元にも及ばない超文明になっている可能性があります。
 それらの文明は、地球の文明とどのような点で共通していて、どのような点で決定的に異なっているでしょうか。おそらくほとんどの文明は、石器時代のような段階から発展し、生産力の発達に従ってしだいにローカルな共同体が形成され、共同体の中での支配者が台頭してきて階層分化が進み、一方では共同体同士の反目・戦争や併合などが繰り返されて、数万年程度の時間をかけて、テクノロジーの発達した段階へと進んだことでしょう。
 それらの地球外文明の存在が確認されたとしたら、知りたいことは山のようにあります。それらの惑星でもやはり宗教はあるのでしょうか。どのような「神」がいるのでしょうか。宗教の対立を、どのように克服してきたのでしょうか。その生命体は、個体の死をどのように位置付けているのでしょうか。死を精神的または肉体的に克服するなんらかの技術を獲得したでしょうか。生物は、やはり動物と植物のような形に分かれているのでしょうか。コンピューターやロボットは、社会にどのように入り込んでいるのでしょうか。
 知的生命体は、食糧として何をどのようにして食べているのでしょうか。富の生産、蓄積、分配は、どのような原理で行われているのでしょうか。これまでに、大きな戦争はどのくらい経験してきたのでしょうか。現在は平和が保たれているならば、どのようにして戦争を克服することが出来たのでしょうか。核兵器や生物化学兵器が使われたことはなかったのでしょうか。国という共同体は、存在しているのでしょうか。世界連邦のような統一組織があるのでしょうか。
 テロや犯罪に対しては、どのように対応しているのでしょうか。裁判や刑務所、死刑制度などはあるのでしょうか。
 芸術やスポーツ、レジャー、メディアなどは、どのようなものがあるのでしょうか。やはり大作曲家や名画の巨匠を数多く輩出しているのでしょうか。
 その惑星の生物たちは、生殖をどのようにして行うのでしょうか。やはり、オスとメスの性があるのでしょうか。知的生命体の生殖行動は、おおっぴらに行われるのでしょうか、それともやはり「秘め事」なのでしょうか。
 知的生命体は、ボクたちのように異性に恋をしますか。それは切なく苦しいものですか。一人の異性に片思いをし続けたまま老いて死んでいくことはありますか。(9月24日)

 <テロへの報復戦争は、核や生物化学兵器の応酬に拡大する危険>
 人類以外の動物は、同種の動物にテロを行なうことがあるだろうか。また人類の歴史の中で、テロはどの時代に起源を持ち、何がテロを生み出したのだろうか。そんなことを考えていると、結局のところ、近代までは暗殺という手段だったのが、テクノロジーの発達とともにテロという特殊な攻撃形態が生まれてきたように思います。テロを行なう者は文明社会そのものを凶器に仕立て上げて、文明社会の中にあたかも保護色のようにまたは擬態のように溶け込んでしまいます。
 テロを根絶するということは、言うは易しですが、文明そのものを問い直すところまでいかないと難しいでしょう。テロが発生する温床は、根底に富の著しい偏在と極度の貧困があり、加えて歴史的・宗教的な怨嗟と反感が問題をこじらせています。
 テロ攻撃に対しては、高度な文明ほど危険な凶器となり、逃げ場のない密室の戦場となります。ハイテクの粋を凝らした超高層ビルや旅客機はテロリストにとって、願ってもない爆弾そのものになってしまいます。
 米国はテロリストグループや支援国家を壊滅させる戦争準備を急いでいますが、この戦争で米国が「勝利宣言」をしたり「戦争終結宣言」をするのは、どのような段階でのことなのでしょうか。アフガンやイラクなどを壊滅させたとしても、それに対するさらなる反発・反感・憎悪から別なテロリストを大量に生み出すでしょう。
、新たに発生したテロリストたちは、こんどは核兵器や細菌などの生物兵器、サリンなどの化学兵器を使って、米国やそれを支援した国家の都市部に、報復攻撃を仕掛けてくるでしょう。ニューヨークや東京の上空に、軽飛行機などを使って炭そ菌やサリンが散布されれば、数百万人規模の死者が出るとされています。
 今回、アフガンへの攻撃によって食糧支援が途絶えれば、それだけでアフガンでは数百万人の餓死者が出ると見られていますから、テロリストの論理としては、その報復として数百万人規模の死者が出るのは当然ということになり、こんどは米国やNATOなどが核報復に踏み切ることになりかねません。
 テロに対して報復戦争をかけるということは、地球規模での核戦争さらに生物化学兵器を交えた最終戦争につながる危険が大きいことを知るべきです。それでも「法的捜査と司法による裁きなんてクソ食らえ、殴られたら殴り返すのが当然だ」というのなら、気がすむまで徹底的にやってもらって、いったん人類と文明は壊滅するのも仕方のないことだろうと思います。
 最終戦争を生き残ったごく少数の人々が中心となって数百年か数千年をかけ、こんどこそ貧富の差もテロも戦争もない世界をゼロから構築していくのでしょうか。それさえも出来なくて、最後の二人となってもなお、ありったけの武器で戦い続け、勝ち残った最後の一人が「勝利宣言」をするのでしょうか。(9月20日)

 <米国はテロに対する報復戦争を回避し、富の一極集中の是正を>=通算500本目
 今回のテロへの報復として、ブッシュ大統領に武力行使を認める決議が、米上院では満場一致で、また米下院ではたった一人の反対があっただけで採決されました。上下院を通じて、ただ一人反対票を投じたのはカリフォルニア州出身の民主党議員、バーバラ・リーさんで、「だれかが抑制を効かせなければならない」と述べています。このバーバラさんの勇気に深く感動するとともに、怒りに燃え上がるアメリカにもバーバラさんのような理性がまだ健在であることに、救いを見る思いです。
 建国史上最大の攻撃を受けた米国はいまや怒り心頭に達し、世界に散らばるイスラム原理主義グループや、彼らを支援したり共鳴する国家までも根こそぎに叩き潰す決意を剥き出しにしています。瓦礫の下にあるとみられる数千人の遺体が、今後続々と収容されていくにつれ、アメリカとアメリカ国民の復讐心は沸騰点を超え、もはや証拠があろうがなかろうが、国際法に照らして手続きを踏んでいるかどうかなどに関わりなく、米軍はアフガンやイスラム過激派に近い国々、さらにパレスチナやこれを支援する国々への、報復の軍事行動をエスカレートさせていくことでしょう。
 テロへの怒りは当然ですが、アメリカが総力を挙げて報復戦争に突入することは、テロの温床を根絶するどころか、まさに犯行グループの思うつぼにはまってしまい、米国はベトナム戦争の比ではない泥沼の半永久的戦争状態を余儀なくされ、勝利宣言も和平もあり得ない長期に渡る出口のない戦いの末に、世界の構図と文明の様相はすっかり変わってしまうことでしょう。
 この報復に「待った」をかける声は圧殺されようとしており、慎重を求める声さえも出しにくい雰囲気が醸成されています。日本の新聞論調も、読売の勇ましい論調は別としても、ほとんどの新聞は、報復の正当性や実効性について冷静に考えることをためらい、報復反対の主張を展開することに及び腰になっています。
 テロの温床を絶つための根本的な解決法は、米国にとっては絶対に受け入れ難いことですが、まず世界の富と資産の、米国への極度の一極集中と遍在を是正し、変革していくことしかありません。数十億人もの飢餓にあえぐ人々を置き去りにして、米国だけが、それも裕福階層の人々が有り余る商品や食糧、エネルギーを欲しいがままに享受し続けること自体が、恨みと妬み、憎しみと反感を拡大していることを知るべきです。
 その意味で、20世紀終盤における共産圏の崩壊はいまさらながら人類によって大きな不幸であり、これに代わるべき21世紀型の生産方式と富の分配方式を今こそ作り出すべき時にきていると思います。
 数千人の犠牲者に報いる道は、決して報復の連鎖ではなく、このようなテロが発生することがない世界の構築に向け、資本主義的市場経済を中軸に据える世界の価値観とパラダイムを、21世紀にふさわしいものに作り変えることです。(9月16日)

 <米多発テロを招いたブッシュ政権と、報復による世界破滅の道>
 「これは現実の映像です」。2機の旅客機に突入され、炎上しながら大崩壊する2棟の超高層ビルの映像に、テレビのキャスターが上ずった口調で繰り返す。アメリカの富と繁栄の象徴であった世界貿易センタービルが、砂が崩れるようにあっけなく崩落して姿を消し、巨大な白煙だけが残る。一方で、ワシントンの米国防総省にも旅客機が激突、世界最強の軍事力を誇るペンタゴンが炎上する。
 今回の惨事は、テロの概念を超えた新たな21世紀型戦争というべきもので、緻密な計算に基づき、寸分の狂いもなく、アメリカの心臓部に致命的なダメージを与え、その一部始終をテレビ中継を通じて世界中に同時生中継させるという、情報社会とグローバリズムを完全に逆手に取ったものでした。2棟の超高層ビルの完全崩壊は、犯行グループにとっても、予測をはるかに上回る破壊効果だったのではないでしょうか。
 死者は数千人とも1万人以上とも言われています。何の罪もない一般人を大量に巻き込む残虐なテロは、許せないものですが、ここ1、2カ月の間、アメリカに対する大規模テロの危険情報が流れていたにもかかわらず、なんらの有効な手立てを講じることが出来なかったアメリカの無策ぶりは厳しく問われるべきです。
 ブッシュ政権になってからのアメリカは、「アメリカの利益」最優先で、さまざまな国際協調に背を向ける冷戦逆行への姿勢が目立ち、その傲慢とも高飛車とも言える孤立主義は、世界のひんしゅくを買っていて、何が起きてもおかしくない極めて危険な状態にありました。ソ連・東欧社会主義の崩壊で一人勝ちとなり、突出して強すぎる国となった最近のアメリカには、貧しい国の人々や宗教・文化の異なる国々の人々に思いを馳せる姿勢が全く感じられませんでした。
 今回のテロを招き入れた一因はブッシュ政権そのものにあることは間違いなく、ブッシュ大統領の責任は免れないでしょう。
 アメリカは威信にかけても犯行グループを名指しで特定し、支援組織や支援国家への報復攻撃を決行するでしょう。しかし、そのことはさらに新たなテロを招き、世界はアメリカ対パレスチナ、アメリカ対アラブ、アメリカ対イスラムを基調とする戦争状態へとエスカレートしていき、日本やヨーロッパ各国、イラクなどのアラブ国、ロシア、中国などをも巻き込んで、世界大戦にエスカレートしていく危険をはらんでいます。この過程で核兵器が使われる可能性も少なくありません。
 21世紀は、最初の年にして早くも世界破滅の危機を迎えようとしています。(9月12日)

 <『千と千尋の神隠し』の湯屋の世界は、夢で見たような懐かしさ>
 夏休みの混雑期を避けて、遅まきながら宮崎駿監督作品の『千と千尋の神隠し』を観てきました。ストーリー展開よりも何よりも、冒頭からボクが最も惹き込まれたのは、物語の舞台である巨大な温泉旅館、湯屋「油屋」を中心とする不思議な世界です。
 アニメというのは、現実に存在しないどんな世界でも描くことが出来ますが、それでも人間の想像力には、ある程度のパターンがあり、いかに奇想天外に見えても従来の世界観や既存のファンタジーなどに影響されて、限界というものがあるものです。奇才宮崎監督がこれまで創り出したトトロや魔女宅、もののけなど、さまざまなネバーランドも、「人間が想像出来得るギリギリの世界」だったといっていいでしょう。
 ところが、『千と千尋…』の湯屋は、もはや人間が生み出す空想力の限界をはるかに超えた、尋常ならざる世界であり、このような人力を超越したワールドがスクリーンに出現したこと自体が、驚異であり奇跡だという気がします。
 さまざまな神々や妖怪のたぐいが、疲れを落とし、神や妖怪としての苦労や傷心を癒すために、温泉につかりにはるばるとやって来る。「油屋」は、姿形や振る舞いの異なる大勢の客を迎え入れ、温かくもてなすために、トップの湯婆婆から湯女たちら末端の従業員に至るまでが、一つの町のような大組織を形成して、ひとときの休みもなく、巨大な湯屋の営業にあたる。
 ボクは、千尋が次々と直面する困難を乗り越えていく展開も感動ものですが、「油屋」の世界の生き生きとした仕事と生活の「現場」こそ、宮崎監督がこの映画で最も描きたかったものではないか、と思います。黒柳徹子のような髪型をした湯婆婆は決して邪悪な存在ではなく、むしろ多くの従業員たちを抱えて懸命に「油屋」を率いるパワフルな女性経営者として、大変魅力的です。この世界で生きるハク、リン、釜爺なども、それぞれに味わい深い存在です。
 この映画の世界は、ボクたちの空想力をはるかに超えた異世界でありながら、どれもこれも、かつて遠い夢の中で見たことがあるような優しい既視感に満ちているのは、どういうわけでしょうか。日本にかつて存在していた原風景のような懐かしさ。もしかして「油屋」の世界こそ、20世紀の後半にボクたちが失った多くのものが棲息し続けている、反転した画像による日本人の心象風景なのかも知れません。(9月9日)

 <Tomorrow is another day、チップもソフトも一晩寝れば元気に>
 好きな言葉として、多くの人が挙げるものの中に、『風と共に去りぬ』のスカーレットの台詞、「Tomorrow is another day」があります。これは「明日は明日の風が吹く」と意訳されていますが、この意訳は、なんとなく風まかせ、のような投げやりで無気力なところがあって、ボクはあまり好きではありません。ここは「明日は今日とは違う日だ」と原文通りに解釈した方が、ずっと力強くて前向きのように思います。
 この言葉をしみじみと感じたのは今回、パソコンのソフトが動かなくなり、にっちもさっちもいかなくなったことです。
 ストリーミング動画を作るのに大変重宝しているWindows MediaEncoderが突然、立ち上がらなくなりました。つい1時間前まではデスクトップのアイコンをクリックすればすぐに立ち上がっていたのに、「クラスなんたらかんたらは登録されていません」(なんたらかんたらの部分は10数桁の英数字)という意味不明のエラーメッセージが出たきり、ウンともスンとも動きません。クラスとは何のことか、何が登録されていないのか、どうすればいいのか、なぜ急にこんなメッセージが出るようになったのか。すべてが不明のまま、パソコンを再起動したり、メーカーのホームページのF&Qを見たりしても、このエラーメッセージについて触れているものはありません。
 もしかして何らかの原因でソフトが壊れたのかも知れないと思い、エイヤッとばかりに、同じソフトを10数分かけてダウンロードし直し、再インストールしました。インストールは順調に進み、これで事態は解決かと思われたのですが、インストールが99%まで進んだところで、「クラスなんたらかんたらは登録されていません」という先ほどと同じエラーメッセージが出て、再インストールも出来ないことが判明しました。
 そうこうしているうちに時間はどんどん経過して、夜は更けていきます。万策尽きはてて途方に暮れたところで、思い出したのが、「明日考えよう」というスカーレットの台詞です。「Tomorrow is another day」ならば、何かが変わるかも知れない。そう思うと気が楽になり、さっさと店じまいして眠ってしまいました。
 翌朝、もういちど落ち着いて、エラーの正体を突き止めようと、まずはアイコンをクリックしたところ、昨夜のトラブルがウソのように、Windows MediaEncoderがサクサクと立ち上がるではありませんか。恐る恐る、動画ファイルをエンコーダーしてみたら、これまたスイスイと行くではありませんか。ヤッター! パソコンのチップやソフトも人間と同じに、一晩眠れば元気になるのです。
 何がどう変わったためにエラーが直ったのかは、いまも分かりません。確実に言えることは、まさにTomorrow is another dayだったということです。(9月5日)

 <歌舞伎町ビル惨事で、1日付け朝日夕刊「素粒子」への質問状>
 新宿・歌舞伎町で1日未明に起きたビル火災では、20代や30代の若い人たちを中心に44人が死亡するという大惨事となりました。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、死と隣り合わせになっている狭い雑居ビルの危険性に、改めて戦慄する思いです。
 この事件に関して、昨日1日付け朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」を読んで、強い疑問と憤りを感じています。
 「素粒子」の筆者は、事件のあったこの朝「歌舞伎町一番街」を歩いてみたらしく、テレビ麻雀、キヤバクラ、ナースイメクラ、性感ヘルス、テレクラなど、12職種の看板を列記し、「世紀の変わり目に咲いた、ある種の文化・風俗を映す看板が林立する」と書いています。
 見過ごせないのは、列記されている看板の中に「韓国式エステ」「韓国家庭料理」が入っていることです。エステや家庭料理を、この文脈の中に入れることも問題ですが、何よりもなぜここに韓国の名が2つも出てくるのでしょうか。
 「素粒子」筆者は、12の看板を列記することで、「世紀の変わり目に咲いた、ある種の文化・風俗」について筆者なりのイメージを描き出そうとしていますが、「ある種の」という、もってまわった言いかたによって、「いかがわしい」「怖い」「堅気でない」というニュアンスを伝えようとしていることは明らかで、この点は言い訳けの仕様もないでしょう。
 そこで、「素粒子」筆者への質問です。なぜここで、韓国の名が2度も出てくるのか。なぜ「韓国式エステ」「韓国家庭料理」が、ある種の文化・風俗の反映なのか。問題点をそらさずに、明確に説明していただきたいと思います。
 1923年の同じ9月1日に発生した関東大震災では、朝鮮人が暴動を起こすという流言飛語により、数千人の朝鮮人が虐殺された事実を、「素粒子」筆者が知らないはずはありません。今回の「素粒子」の書き方には、明らかに韓国と韓国人、朝鮮人に対する差別と蔑視が感じられます。それは、石原都知事の「第三国人」発言の感覚に酷似しています。
 「素粒子」筆者が、それは自分の真意と違うとか、意図するところが正確に伝わっていない、などと政治家のような弁明をするとしたら、コラムの筆者として失格です。「素粒子」のような短い文章であればあるほど、細かいニュアンスや小さな言い回しには、寸分の誤解も生じることのないよう、細心の考察と推敲が必要です。
 靖国参拝や教科書問題などで、日本と韓国との関係が極めてデリケートな状態にあるこの時に、無神経で乱暴な「素粒子」の内容をチェック出来なかった朝日の社内体制も、厳しく問われるべきです。(9月2日)

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2001年8月

 <現代日本の食文化、回転寿司はなぜ大衆に支持されてきたか>
 牛丼の値下げバトルが続く中、庶民の外食のもう一つの雄である回転寿司はどうかというと、こちらは値下げしたという話も聞きません。牛肉と鮮魚の世界の違いなのかも知れませんが、新鮮な魚介類のネタというものは、デフレだからといって安売り競争が出来るものでもなさそうです。もともと極限までに原料コストや人件費を切り詰めている回転寿司には、いくら経営努力をしてみても、これ以上切り詰める余地はない、ということなのでしょう。
 回転寿司は、インスタントラーメンと並ぶ現代日本の食文化ですが、これほどまでに普及したのは、お高くとまって高値ほど良いかのようなイメージがあった寿司を、一皿100円や120円という徹底した低価格食品に貶めたことが最大の理由でしょう。回転寿司にとって、安さは生命であり、存在理由そのものですが、安くてもそこそこに美味しくて、味もまずまず、というところがミソです。さらに、中トロでもイクラでもウニでも白身でも、高級ネタと言われるものを一通り揃えていて、老舗の寿司屋と比べても遜色のないように頑張っているところが、涙ぐましいですね。
 初期の回転寿司は、ウニもイクラも何もかも一皿120円均一というような社会主義的平等主義を貫いていたのですが、やがて絵皿は200円とか240円とかの格差をつける店が多くなり、現在ではネタによって一皿400円や600円もする店も現れています。このようにネタによる貧富の差を露骨に出している回転寿司の店に行って、120円の皿ばかりを食べていると、なんだかとってもミジメな気持ちにさせられて涙が出てきます。やはり回転寿司はどの皿も均一料金でなければなりません。たとえ、シャリのほとんど大半を薄いキュウリが占領していても、端っこにウニがちょこっと乗っていれば、ウニの握りを食べたという満足感を味わえるのです。
 食べ物が客の目の前を回転していくというのは、大変ユニークな発想で、それ自体が客の食欲をおおいに刺激します。遠くから近づいて来るお目当てのネタが、途中の客に奪われずに無事に自分の手中に入った時の喜び。たいしたことないと思ったネタを素通りさせる優越感。流れていない稀少なネタを声を出して注文する時の、周囲を意識した緊張感に満ちた誇らしさ。
 回転寿司は、東大阪市の白石義明さんが、ビール工場でコンベアーの上を流れる瓶の列を見て思いつき、1958年に元禄寿司1号店を出したのが始まりです。その白石さん、昨日87歳で他界。心からご冥福をお祈りいたします。(8月30日)

 <暗雲立ち込める構造改革、沈没する日本から脱出したいけれど>
 小泉首相が夏休みをとって静養している間に、さまざまな状況が変わりつつあるようです。何よりも、中身の見えてこない構造改革に対して、新聞や週刊誌がイラつき始め、それと時を同じくして、自民党内には財政出動論が猛然と息を吹き返し、これまで沈黙を続けていたインフレターゲット論も公然たる突進を始めています。
 このままで、構造改革が本当に出来るのだろうか、と多くの国民が疑問を抱き始め、一方で急速な地盤沈下を続ける日本経済と日本社会の行く末に、悲観的な見方が漂い始めてきました。小泉首相は、はたして圧倒的な多勢に無勢を乗り切って、日本を再生させることが出来るのでしょうか。
 インターネットのさまざまな掲示板やBBSをちょっとのぞいただけでも、このところ「日本経済は破滅へ」とか「日本は破局するしかない」といった終末論的な意見が目立つようになっています。もはや進むも地獄、留まるはもっと地獄、戻る道はなし、という状況を誰もが実感として感じているのでしょう。
 昨日の朝日新聞に、経済学者の野口悠紀雄氏が恐ろしいことを書いています。
 「政府は、痛みを伴う構造改革を標榜しているが、現実にそうした政策を取ろうとする意思はないことだ。実際には、古い経済構造を温存し、混乱を回避することが、最重要の目的なのだ」というところまでは、ほかの識者も言っていることです。スゴイと思ったのは、結びに書かれている次の一言です。
 「日本経済の基本状況が今後好転することは望めない。国民にとって最重要の課題は、沈みつつあるこの国からいかに脱出するかを考えることになってきた」
 よくぞ言ってくれた、と溜飲が下がる一方で、はたと現実に帰ってみれば、脱出を考えろと言われても、どこへ、どうやって、と途方に暮れるばかりです。ベストセラーを山のように著している野口氏ならば、海外への脱出などいとも簡単なことでしょうけど、ボクたち平凡な庶民はいったいどうなるのでしょう。金持ちや頭の良い連中が、次々と日本を脱出していった後、残留するしかないボクたちは、沈没する巨戦「日本丸」の甲板にひしめき合いながら、「ニッポン国バンザイ!」と叫びながら、海の藻屑と消えていくのですね。(8月27日)

 <NHKの台風中継で、東京はいつも「JR新宿駅南口」からの理由>
 台風に心があるとすれば、今回の台風11号はいろいろと自分の思うがままにならず、すっかり誤算続きの旅だったことでしょう。せっかく超大型台風に膨れ上がって日本列島直撃に闘志を燃やしたにもかかわらず、強力な東の太平洋高気圧と北の大陸高気圧に行く手を完璧にブロックされてしまい、身動きが取れない状態。自転車並みの速度などと皮肉られる始末です。
 援軍となるはずの偏西風もこれまたはるか北の方にいて頼りにならず、高気圧の隙間をもぐるようにして自力でノロノロと進むのが精一杯。海水面から立ちのぼる水蒸気をたっぷり吸い込んで蓄えた土砂降り用の雨水も、途中でほとんど使い果たしてしまって補充することが出来ず、標的だった首都圏に辿り着いた時には、もはや雨の持分も残っておらず、暴風雨圏も消えてしまった無残な姿。かろうじて台風の名を剥奪されなかったことがせめてもの救いだったことでしょう。
 ところで、台風を始めとする異常気象の時に、NHKが東京の模様を全国に伝える代表地点として生中継する場所が、いつも「JR新宿駅南口」であることにお気付きでしょうか。JRの電車のダイヤの乱れなどを伝えるために、駅が中継場所に選ばれるのは分かるとして、なぜ東京駅でも渋谷駅でも池袋駅でもなく、またおなじJR新宿駅でも東口や西口ではなく、「南口」なのでしょうか。
 以下はボクの推理ですが、新宿駅南口から見る外の光景には、けばけばしい広告やネオンなどが他の場所に比べて極めて少なく、カメラ映りの良い新宿タカシマヤがメーンの被写体となり、NHKにとって安心してカメラを向けていられることが大きいのでしょう。
 しかし、もっと決定的な理由があります。それは、新宿駅南口の場合は甲州街道という幹線道路に面していて、車の流れや人通りが一目でつかめる上に、駅のコンコースと改札口が道路と同じ水平面にあってすぐ目と鼻の先に位置している、という好条件です。つまりは、空模様から道路と建物、車と通行人の様子、さらに駅コンコースを通る人々や改札口の様子、列車の運休や遅延を知らせる電光掲示板などが、1台のカメラ目線の連続した移動と1人のリポーターによって、すべて丸ごと伝えることが出来るのです。
 東口や西口では、コンコースと改札が地下になってしまい、地上の様子と同時に伝えることは出来ません。東京駅や池袋駅もしかり。渋谷駅はコンコースと改札が地上と同じ高さにありながら、外の様子が分かる場所から遠かったり見えにくい角度だったりして、中継向きではありません。
 というわけで、こんど台風が来た時には、ボクもJR新宿駅南口へ行って、さりげなく中継カメラの前を歩いてみたい、という衝動を抑えることが出来ないような気がします。(8月23日)

 <カップメンができる半分くらいの時間…7歳少女の的確な表現力>
 かつて、さる大新聞社の新入記者たちを一堂に集めた研修の場で、講師が話をしている途中に何人かの男たちが次々と乱入してきて、講師を巻き込んでさまざまな立ち回りを演じたあげくに、バラバラの方向へ散っていく、という出来事がありました。新入記者たちは、ただもうあっけにとられるばかりだったのですが、実はこれは研修の一環としてシナリオ通りに演じられた演技で、この直後に、「いま起こった出来事の一部始終と、それぞれの男たちの特徴を、出来るだけ正確に記せ」という問題が、全員に出されました。
 結果は散々で、新入記者たちは、乱入の始まりから退散までに起こったことの内容や順序について、正しく記述出来た者はほとんどなく、また男たちの服装や風貌の特徴については、まるっきり覚えていない者が大半だった、というのです。
 つまりは予想外の出来事が起こった時に、その経過や当事者の風貌をきちんと思い出すことが、いかに困難なことであるか、というわけですが、今回、栃木県黒磯市で起きた美穂ちゃん誘拐事件では、美穂ちゃんの抜群の観察力と描写力が話題になっています。犯人たちの特徴や監禁されていた建物などについて、7歳の少女が驚くほど冷静に観察して記憶にとどめ、それを解放後に正確に描写出来るというのは、まさに大人顔負けです。
 これは、美穂ちゃんが犯人たちに逆らったり刺激したりすることを避け、おとなしくしていれば危害を加えることはないと判断した落ち着いたヨミと、騒いだりしなければ必ず助かることを信じた楽天的な性格も大きくプラスになったのでしょう。
 中でも印象的なのは、監禁場所から車で市文化会館まで移動させられた時のことを、「カップラーメンができる半分くらいの時間」と表現していることです。この説明は、正確で分かりやすいだけでなく、とても温かくて文学的な素晴らしい表現だと思います。
 おそらく、大人たちからどのくらいの時間がかかったか、と尋ねられて、美穂ちゃんがとっさに頭に浮かんだのは、カップラーメンだったのでしょう。カップラーメンの湯気とおいしそうな匂い。無事に解放されたことへの安堵感と、両親のもとに戻れた嬉しさが、このカップラーメンという言葉によく表われているように思います。今年のベストフレーズといってもいいでしょう。(8月19日)

 <お盆で現世に戻っていた数億の霊たちが、一斉に帰っていく日>
 毎年のことですが、終戦記念日の次の日というのは、日本列島のいたるところで、「帰っていく人たち」で、それはもう大変な混雑となっているのが、あなたには見えますか。いえいえ、お盆休みで故郷に帰省した人たちのUターンラッシュじゃなくて、お盆でこちらの世界に戻ってきた懐かしい人々が、ふたたび向こう側の世界に帰っていく、その凄まじい大混雑のことですよ。
 亡くなった肉親や、そのまた親たち、そのまたご先祖たち、等々で、とんと長い間思い出すこともなくなっていた遠いご祖先さまの姿も、ちらほらと見えます。お盆にこちら側の世界に戻ってくるのは、何世代くらい前までのご先祖たちまで含まれるのでしょうか。亡くなった人たちの霊は、自分のことを思い出したり懐かしんだり偲んだりしてくれる人が現世にいる限りは、たとえそれが一人でもいるならば、お盆やお彼岸にひょっこりと帰ってくることが出来るのだと、ボクは思っています。顔は知らなくても、祖父母のそのまた祖父母たちはどんな人だったのだろうか、などと一瞬でもボクが思いを巡らせれば、その人たちの霊は、この世に一時帰還するチャンスがあったことを喜び、そっとボクの周りに来て、久々にこの世の空気を吸っているのだと思います。
 そう考えると、8月13日から16日までのお盆の期間に、この世に戻ってきていた霊の数は、数億人にも上るだろうと思います。(霊の数え方は数億人でいいのでしょうか。数億体では生々し過ぎるし、数億柱の方がよさそうですね)。
 これだけの数の霊が、狭い日本列島に一斉に戻ってきたのですから、帰っていくのもまた大変なのです。押し合ったり、ひしめき合ったりすることはないとしても、現世の親しい肉親と別れるのが辛かったり、どうしてもあの世に戻りたくない霊もいたりして、これがまた霊それぞれの人生模様ならぬ霊模様なのですね。
 こうしたさまざまな思いや辛さ、切なさは、多かれ少なかれどの霊にとっても同じなのです。そこで8月16日は、日本のいたるところで灯篭流しや精霊流し、送り火などをして、霊たちを慰めたり励ましたりして、再びあの世に送る行事が行なわれるのです。
 ほら、目を凝らして下さい。高速道路の長い渋滞の上の方を、何億という凄まじい数の霊たちが天の川のごとく集まって、ゆっくりと流れるごとくにあの世に帰っていくところが、きっと見えるでしょう。(8月16日)

 <なぜか頭の中で鳴り続ける軍艦マーチ、もしかしてサブリミナル?>
 困ったことに、ここ数日というもの、頭の中に、ある特定のメロディーが延々と流れ続けていて、なかなか消えてくれないのです。努めてほかのことを考えるようにして、そのメロディーを消そうとしても、いったんは消えたように思えて、いつの間にかまた、同じメロディーがぐるぐると頭の中で、鳴り続けているのです。
 そのメロディーというのが、何を隠そう、まことにお恥ずかしいことに、軍艦マーチなのです。ボクは決して軍国主義者ではないし、国粋主義者でもありません。また、軍事ものの映画やテレビ番組を最近見たこともなく、パチンコ屋にも長い間行ったことがありません。なのに、なのに、なぜ軍艦マーチなのだ?
 ひょっとして、これは何かの深い陰謀なのではないか、と疑ってみたりします。軍艦マーチのメロディーとともに、一瞬ですが、ある人物の顔が頭の中にちらつきます。純ちゃん、と言って悪ければ、純一郎さん、つまりは小泉首相の顔です。彼がなぜか、カーキ色の軍服に身を固めた大元帥となって、痩せこけた蒼白な頬と血走った目で、暁の空を眺めている。その姿が、まことに軍艦マーチとよく合うのです。
 ボクの頭の中が、意に反して軍国化を始めた原因として、思い当たることがあるとすれば、このところ連日、テレビや新聞で報じられている首相の靖国参拝問題です。首相が内外の反対を承知で、これほどまでに靖国参拝にこだわり続けているのは、このニュースを見聞きする国民への、ある種のマインドコントロール効果がこっそりと仕組まれているためではないか、と勘ぐりたくもなります。
 靖国問題について熟慮を続ける小泉首相の映像には、さる国家機関の研究チームによって、見る者の潜在意識や無意識をひそかに変えてしまうサブリミナルのデータが隠されているのだとしたら…。その信号は、映像を分析した程度では検知されることがなく、人の脳に入ってしばらくしてから活動を開始するウィルスのようなものだとしたら…。
 ほらほら、また頭の中で、軍艦マーチが始まった。それは君が代行進曲につながって、ラヴェルのボレロのごとくリフレーン重ねながら、しだいに熱っぽくなっていく。耳をふさいでもダメ。ああもう、聞くのはイヤだ。だれか止めてくれーっ。(8月13日)

 <財政や内政の行き詰まりを、民族意識高揚に転化するは常套手段>
 20世紀が明けたばかりの100年前も、世界は科学と文明の無限の進歩を信じ、新世紀への夢と期待を膨らませていました。20世紀こそ、人類は愚かな諍いをやめ、豊かで幸せな平和世界を実現することが出来る、と無邪気に夢見ていたのです。
 まさかその10数年後に、バルカン半島の一発の銃弾が世界中を、大戦争に巻き込むとは、誰もが予測出来なかったことでしょう。この第1次世界大戦がようやく終結した時、世界はこんどこそ絶対に戦争勃発を食い止めるため、国際連盟という組織を考え出し、二度と戦争は起こすまい、と人類の名において固く誓ったはずです。
 にもかかわらず、世界は第1次世界大戦を数十倍も上回る規模の、第2次世界大戦に突入していったのです。政治家や軍の指導者たちは、どの国のどんなリーダーであっても、「悲惨な戦争は二度と起こしてはならない」と繰り返し言明し、自国が進んで戦争を起こすことなど断じてあり得ない、と断言してきました。それは指導者にとって、言うことが当たり前の常套文句なのです。
 しかし、こうした発言がいかにいい加減で、守られることがないものかは、数々の歴史が証明しています。「時局」が緊迫してくれば、指導者たちは少しずつ態度を変えていき、いつだって「自国の権益」や「自国民の安全」を名目に、他国におおっぴらに進出していくのです。それが「侵略」であるとは決して認めないのも、世の常です。
 21世紀最初の夏。この新しい世紀こそ、戦争のない世紀にしよう、というのは、誰もが異存のない人類の共通認識であり、どの国のリーダーたちも思いは同じだ、と多くの人たちは信じているようです。はたして、それは本当でしょうか。100年前だって、みながそう思い込んでいたのです。「好き好んで戦争をしたがる者はいない」と、どのリーダーも言います。それは、人類の血塗られた戦争の歴史で、いつも言われてきた虚言であり「たわごと」です。
 靖国参拝問題や教科書問題で、政治家たちは、またもや人類史で語られつくされた「たわごと」をお経のごとく繰り返しています。一国の財政と内政が行き詰まった時、指導者たちが国民の不満を統率して民族意識を高揚させ、他国への対決姿勢を強めていくのは、先史以来の人類が幾度となく繰り返してきたパターンです。
 まさかと思われる新たな戦争への道は、すでに着々と地ならしが始まっているのかも知れません。(8月10日)

 <神が存在するなら、原爆投下やアウシュビッツをなぜ許したのか>
 キリスト教の神であれイスラム教の神であれ、この世にはいかなる神も存在しない、と断言できる根拠があるとすれば、ヒロシマ・ナガサキに投下された原爆と、アウシュビッツ強制収容所でしょう。これらの人類史上最悪の惨劇は、たとえ一握りの指導者たちの指令によるものだとしても、そこで起こったことは、いかなる地獄図をもはるかに超えた地獄そのものであり、その残虐性と苦しみは、もはや誰の想像力をもってしても及びません。神が存在するとしたら、なぜこれほどの凄まじい地獄の出現を許してしまったのでしょうか。この地獄の中で神が出現して奇跡をもたらし、壊滅的な大破局を食い止めていたならば、どれほど多くの人々が神に感謝と祝福を捧げ続けていたことでしょうか。
 しかし、神は最も必要とされた時にも手をこまねいていたばかりでした。この点について宗教は、どのように答えるのでしょう。何の罪もない膨大な市民たちは、この世のものではない苦しみを一方的に受けるだけで、償われることも救われることもなかったではありませんか。その人々の中には、最後まで神さまが助けてくれるはずだ、と信じ続けて死んでいった者も少なくなかったのです。
 彼らは天国に召されている、などという説明は聞きたくもありません。それでは原爆投下を命じたトルーマンや、ナチスの幹部たちは地獄に落ちて、現在も苦しみ続けているとでもいうのでしょうか。そんな話は宗教関係者からも聞いたことがありませんし、たとえそうだとしても、未曾有の生き地獄の中で死んでいった人たちは、決して救われも癒されもしません。
 『カラマーゾフの兄弟』で、イワンがアリョーシャに対し、罪なき幼子が受ける苦しみと涙の不合理について語る下りは、極めて印象的ですが、もし天国のドストエフスキーが、ヒロシマ・ナガサキやアウシュビッツのことを知ったならば、この下りの続編としてさらに深化された物語が書かれることでしょう。そこではアリョーシャも、神はやはり存在しないということを認めてしまうかも知れません。
 もしかしてこの世の創造主は、宇宙を認識する「鏡」として知的生命が発生する条件を整えただけで、あとはすべて、その知的生命の判断と行動にまかせ、創造主は善悪にも美醜にも一切関知しないことにしているのかも知れません。それならば、ヒロシマ・ナガサキやアウシュビッツで死んでいった人々は、まことに不合理・不条理なことですが、永久に救われることも購われることもないのだ、としか言いようがありません。
 唯一の答えは、この問題は無数の個々人の惨劇と苦悶を乗り越えて、人類という「種」としての共有の「智」の中に取り込み、昇華していくしかないのだ、ということです。簡単に言えば、「過ちは繰り返しません」の誓いを、全人類が背負い続けることです。このことを忘れてしまった時、人類がこの世界から退場させられる日は、遠くないような気がします。(8月6日)

 <フォークとスプーンで食べる丼ものもいいけど、日本食にはやっぱり箸>
 新宿の老舗洋食屋が今年の夏の限定メニューとして、牛フィレ丼なるものを出しています。ご飯の上に牛肉と夏野菜をソテーしたものをかけて丼風の容器に盛ってあり、醤油をベースとしたタレがご飯にほどよくしみて、なかなか美味な洋風丼というところです。
 ところが、丼と名はつくものの、そこは洋食屋としてのわきまえというのでしょうか、テーブルにはナイフ、フォーク、スプーンがあるだけで、箸は出てきません。もちろん、頼めば箸くらいは出すに違いないとは思うのですが、こちらも洋食屋に入った以上は、うかつに箸など頼んではいけないような気がします。
 そこで、箸を使わないでどうやってこの丼を食べるべきか、知恵を絞ることになります。フォーク1本やスプーン1本では、とても食べにくい。かといってナイフはほとんど使う余地がない。いろいろ試行錯誤した結果、ボクとしては、左手にフォークを持ち、右手にスプーンを持って、肉や野菜をちぎる時にはフォークで抑えてスプーンをナイフのように構えて切り、食べる量だけをスプーンですくって口に運ぶ方法が最適、という結論に達しました。
 箸なしで丼を食べながら思うことは、つくづく箸というものは便利なものだということです。そもそも日本の食事というのは、ご飯はもちろんのこと、多くが箸で食べるように出来ているように思います。漬物、豆腐、刺身、焼き魚、煮魚、てんぷら、すき焼き、お浸し、和え物、煮豆、佃煮…。こうしたものはスプーンやフォークではいかにも食べにくい。やっぱり日本食には箸なのです。
 日本で箸が発生した背景には、食生活上の使いやすさとは別に、食べ物は神聖なものであり手づかみしてはならない、という宗教的な気持ちが大きく働いたという説もあります。さらに、箸そのものにも個人の魂が宿るという信仰も強く、箸にははまざまな俗信があります。箸を無駄にすると死後に箸の山に登らせられるとか、野外で使った箸は折ってから捨てないとキツネや魔物に取り付かれる、というものもあります。
 世界的には、箸を日常的に使っているところは、ほかに朝鮮半島、ベトナム、中国くらいです。箸を使っている国や地域の人々が一堂に会して、箸サミットを開催したら面白いと思うのですが、箸にも棒にもかからないアイデアでしょうか。靖国参拝問題や教科書問題などでアジアの国々との関係が懸念される中、箸を通じて友好を深めるなんて、いいではありませんか。箸使いの美しさや器用さを競う「ハシリンピンク」などもいいと思いますが。
 8月4日は語呂合わせで箸の日。各地で箸供養などが行なわれるということです。(8月3日)

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2001年7月

 <遠花火は、過ぎ去った人生や懐かしい人々への想いに重なって>
 日本の夏には、花火がよく似合います。花火大会の会場から真上に見上げる特大の大輪が、夜空を覆うほどに広がって、ドドーンという豪快な音がお腹の底まで響く時、人は夏の只中に生きていることを実感します。
 ボクは、そうした間近で見る花火の直截的な官能も好きですが、日本人の心を静かに震わせる遠くから見る花火の風情もまた、なんとも味わい深いものがあると思います。「遠花火」という言葉自体が切なく美しい響きを持っていて、この3文字には無限の物語が凝縮されているといっていいでしょう。
 遠花火海のかなたにふと消えぬ 素逝
 遠花火一呼吸して爆ぜにけり 黒島孤礁
 遠花火窓に見し夜の別れかな 小坂順子
 沖かかる舟明滅の遠花火 黒島孤礁
 遠花火開いて消えし元の闇 寅彦
 音もなし松の梢の遠花火 正岡子規
 遠花火を見る時、人はさまざまな思いにふけります。遠く過ぎ去った人生の一瞬のさまざまな出来事。どこか遠くで生きているはずの忘れられないあの人のこと。亡くなった肉親との楽しかった思い出の日。同じ遠花火を、今の瞬間にどこかで見ている見知らぬ人たちのこと。その人は、まだ職場や屋外で仕事の最中かもしれない。病室で重い病に臥せっているかもしれない。蒸し風呂のような四畳半のアパートで受験勉強の最中かもしれない。さまざまな人たちが、ふと一瞬、窓のかなたに映る遠花火を見て、なにがしかの思いを抱いているのだろう。
 遠花火は、視覚などの五感で見る以上に、心で見ているものなのですね。花火の小ささと遠さが、いとおしくも哀しい。小さく咲いて、静かに消えていく。うんと遅れてパラパラと音だけが続くのが、不思議な懐かしさを醸し出す。それは遠い昔の自分自身の姿のようにも見え、もはや手の届かない大切な人が一瞬だけ現れた幻影のようにも見える。
 遠花火音して何もなかりけり 河東碧悟桐
 音だけの遠花火は、究極の遠花火であり、これぞ日本的無常観の最たるものです。その音はまた、人生のはかなさを告げる祇園精舎の鐘の音にも通じるように感じます。(7月31日)

 <少人口でも独自の道を歩む北欧諸国と、サミット参加の大国>
 前回に続き、北欧旅行の印象を書いてみます。北欧の国々を巡りながら、強い印象を受けたのは、これらの国の人口がいずれも日本に比べて15分の1から20分の1程度であることです。
 それぞれの国の人口は、フィンランド516万人、スウェーデン884万人、ノルウェー437万人、デンマーク 550万人。
 これに対し、日本はなんと1億2600万人もの人口を抱えています。
 北欧の国々が、少ない人口で個性と伝統ある独立国家を維持し、大戦への積極的関わりを極力避けて独自のスタンスを守ってきたことは、とても驚きです。またこれらの国々は世界でも有数の福祉大国を実現し、地球環境と自然を守ることにも熱心です。街の様子も瀟洒で美しく、物乞いやホームレスの姿も見えません。
 その国の国民が豊かで幸せであるためには、必ずしも大国である必要はない。経済的にも大国にははるかに及ばなくとも、暮らしやすい国を作ることは出来る、そんな道を北欧の国々は示しているように思います。
 ただ、今回訪れた北欧各国の首都にも、マクドナルドやセブンイレブンの店舗がやたら目立つのが気になりました。
 時あたかも、ボクの旅行中にイタリアのジェノバで開催されたサミットでは、反グローバリズムの抗議デモに参加した若者が、警官隊に撃たれて死亡するというショッキングな事態が起こっていました。
 このサミットは、いったい何のために開かれたのでしょうか。もちろん、北欧の4カ国はサミットに参加しておらず、それどころかお呼びの声さえもかかりません。サミット参加の首脳や政府高官たちは、自分たち先進国の利益と権益を守り、地球全体を先進国の論理に合わせることに血眼になっていて、北欧のようなつつまい幸福を追求している小国のことや、遅ればせながら近代化と工業化に取り組み始めている発展途上国のことなど、ほとんど念頭にない、という印象を受けます。
 日本を含む「先進国」を自認する国々に求められているのは、小さな国々や貧しい国々をすべて含めた、地球全体の平和や富の在り方、そして「たった一つの地球」の環境をどう守っていくかを、自国の利益を越えて考えていくことではないでしょうか。(7月28日)

 <ノルウェーで氷河の先端に立って思う、地球上の水のバランス>
 半月ほどの間、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの北欧四カ国を旅してきました。それぞれの国が固有の風土と文化を保ちながら、一方では北欧という共通の世界を形勢していることに、この地域の苦難の歴史を感じました。
 どの国も都市の街並みや建物が美しく、森や湖など大自然の雄大さに目を見張る思いでしたが、なかでも素晴らしかったのはノルウェーです。海面と同じ高さの水面を持つフィヨルドが、山々の奥深くまで延々と入り込んでいて、険しく切り立つ山岳地帯のど真中の水面に、海を渡ってきた大型客船がごく当たり前のように浮かんでいる光景を目の当たりにして、なるほどこれがフィヨルドというものか、と初めてその意味を実感として理解することが出来ました。
 こんどの旅では、オスロからバスでフィヨルドをフェリーで渡り、さらに陸路を奥へ進んで行って、ガイドブックにもほとんど載っていないエルベセター、ローエンなどの町で宿泊を重ね、ブリクスダールという氷河のふもとまで行きました。山と山の谷合から覆い被さるように先端を現した巨大で真っ白な氷河を望むだけでも驚きでしたが、馬車でさらに氷河の近くまで登り、徒歩で15分ほど歩いて氷河の先端までたどり着きました。
 そこまで来ると、氷舌と呼ばれる氷河の最先端に立つことも触ることも出来、そこから山を見上げるような乳白色の氷河の大きさに圧倒される思いでした。この氷は1万年前から5000年前くらいに出来たもので、氷はいまでも絶えず溶け出していて、青みがかった白い川の激流や滝となって、湖やフィヨルドに流れています。
 これまで地球を覆う水の姿としては、海と川、湖と滝、雲や雨、雪しか知らなかったボクは、氷河というものが存在するのをこの目で見て、自然感というか地球感がすっかり変わりました。日本には氷河というものは存在しませんが、地球全体ではなんと陸地の10%が氷河だというのです。氷河があることで、かろうじて海と陸の微妙なバランスが保たれ、人間を含むさまざまな生物が生息できる環境が維持されているのですね。
 北欧からの帰りの飛行機の機内で久々に読んだ新聞に、地球温暖化によってアルプスの氷河が急速に溶け出しているという記事が載っていました。ボクが手でさわってきたノルウェーの氷河は大丈夫なのでしょうか。南極の氷河も崩壊の危機が迫っていると伝えられます。
 氷河は何も言葉を発しませんが、人間の奢りと思い上がりが氷河を溶かしてしまった時、海水面の上昇と気候の激変で、取り返しのつかない事態を迎えることになるのではないでしょうか。(7月25日)

 <さよなら地球、人類が破壊したふるさとの惑星を見限る時>
 人類と文明は1000年以内に滅びる、とホーキング博士らが警鐘を鳴らし続けています。ここまで言い切れる根拠は、地球の温暖化が巷間で言われているような生やさしいものではなく、急激な灼熱地獄化とも言うべきものであり、しかもその速度は予想をはるかに上回る見通しとなってきたからです。
 8日に放映されたNHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」の「惑星改造」では、地球の温暖化が今後1000年の間にどのように進行するかについてのシミュレーションを紹介していました。それによると、今世紀から熱帯の気候がしだいに亜熱帯や温帯の地域に拡大し始め、寒帯から北極南極へと広がります。
 これだけでも、北極南極の氷山の大溶解による海水面の上昇、海面に近い島に依拠する国々の水没、河口近くに広がる世界主要都市の水没、穀物や畜産など食糧生産システムの壊滅、豪雨や旱魃など自然災害の激発、熱帯雨林の拡大によるエボラ出血熱など熱帯特有の危険な伝染病の世界的蔓延、等々、人類の生存と文明の存続は末期的な危機となります。
 ところが、これはまだ1000年間に起こる「高温化」の序の口で、植物の死滅で二酸化炭素の吸収が止まることなどから、地球の温度はとどまるところを知らない勢いで上昇を続け、シミュレーションによるとついには金星と同じ超高温の星になってしまうというのです。金星の地表温度は470度で、鉛が溶ける温度です。地球がこの状態になるのに、1000年かからないということは、西暦3000年には人類やほかの生物は勿論のこと、これまで営々として築き上げてきたすべての文明とその蓄積、記録が、炎上するか溶解するかで消失してしまう、ということです。
 温暖化防止の京都議定書ですら、アメリカの反対や日本の煮え切らない態度で潰されようとしている状況では、地球の灼熱地獄化はいまから止めようとしても間に合わない恐れが強まっています。
 いま心ある科学者たちが真剣に取り組み始めているのが、火星を地球によく似た環境の惑星に改造し、数百年後に人類が地球を逃れて移り住むことです。テラ・フォーミング(地球化)と呼ばれるこの構想は、荒唐無稽なSFの世界と思われていたのですが、火星の極に大量のドライアイスが存在することや火星の地中に膨大な水が氷となって存在している可能性が高まるにつれ、にわかに現実味を帯びてきました。
 火星の地球化と、地球の金星化と、どちらが早く現実のものとなるか。人類の前には、もはや一刻の猶予も許されない時間との戦いがあるのみです。(7月11日)

 <流れ星や七夕、人はなぜ空の星に願い事をするのだろうか>
 古今東西、自分の願い事を叶えることが出来たらどんなにいいだろう、と考えなかった人はいないでしょう。願い事は、受験に合格することであったり、希望の仕事に就くことであったり、事業がうまくいくことであったり、好きな人と一緒になれることであったり、もっと楽に生活が出来ることであったり、自分や家族の病気が治ることであったり、と多種多様です。
 人間は、こうした願い事が叶うことを夢見て、さまざまな言い伝えやおまじないを考え出してきました。神社や神殿などのちょっとした狭い隙間のようなところをくぐり抜ける間に、願い事を唱えると叶う、という類の言い伝えは東西を問わず沢山あります。イスタンブールのアヤソフィアの支柱は、親指を穴に入れたまま手を一回転させることが出来れば、願い事がかなうとされていて、ボクは「さまざまな願い事が叶いますように」という総論的願い事を唱えながら、手を回したのですが、効果のほどはどうでしょうか。
 最近では、新宿西口の超高層ビル、「アイランドタワー」の広場にある巨大な「LOVE」の文字のデコレーションをくぐると願い事が叶うとのことで、いつも多くの人たちでごった返しています。
 願い事をするチャンスでありながら、いつ遭遇するか事前の予測が難しいのは、流れ星です。星が流れてから消えるまでの間に、願い事を唱えれば叶うというのですが、なにしろ一瞬の出来事なので、よほど要領よく短い言葉にしないと、機会を逸してしまいます。
 それに比べて、特別な場所へ出かけていかなくとも、誰でも自宅で手軽に出来る願い事のビッグチャンスが七夕です。最小限必要なものは笹と短冊だけですし、前もってゆっくりと願い事を文章にする楽しみもあります。どれだけ沢山の願い事を書いてもいいし、曇りや雨で織姫と彦星が地上から見えなくても、願い事の効果にはなんら影響しないという寛大なところがいいですね。
 流れ星といい、七夕といい、人はなぜ星に願い事をするのでしょうか。太陽や月ではなく、星というところがポイントではないでしょうか。人間は自分たちの体を作るすべての物質が、遠い遠い昔に星の生成と死滅を通して生み出されたものであり、自分の存在が「星の子」であることを直感的に知っているためではないでしょうか。
 自分たちの、本当のふるさとである星。そして自分が死んで、この地球や太陽系が滅んだのちに、戻っていく場所としての宇宙空間。またいつの日か、ボクたちを作っていた物質が新たな星となって生まれ変わる。星に願い事をするのは、こうした悠久の流れに対する畏敬と信頼が根底にあるからだという気がします。(7月7日)

 <車の運転方法はすっかり忘れても、免許証は本人確認の必需品>
 ふっと気になって、運転免許証を取り出してみました。おおっと、5年間の有効期限が切れるのは、平成13年の誕生日となっていて、もしやとカレンダーを見れば、つまりは今年ではないですか。平成の元号など日常生活で使うことはほとんどないため、今年が平成何年になるのか、すぐには頭に浮かびません。しかしこうして免許証を眺めまわして見ると、西暦は一切使われておらず、官公庁というのはすべて、元号の平成のみで貫き通しているということが実感として分かります。
 ということは前回更新したのは、平成8年つまりは1996年。日本の総理大臣は村山さんから橋本さんにバトンタッチされて日も浅く、消費税はまだ3%でした。この5年間の社会の変わり様は、浦島太郎なら別の時代かと錯覚するほどの激変ぶりですが、驚くべきことは、この5年間にボクはただの一度も自動車を運転したことがなかったのです。免許証には、前回更新までに無事故・無違反だったドライバーに与えられる「優良」の文字が印字されていますが、運転しなければ無事故・無違反の記録が伸びるのは当たり前です。
 にもかかわらず、この5年間に運転免許証を提示する機会は数知れなかったという事実は、さらに驚きです。結局のところ、役所や銀行を含めてさまざまな場面で、本人であるという身元確認が出来るもので、公的機関が発行し写真が付いているもの、というのは運転免許証しかありません。保険証は写真がついてないため、肝心なところで約に立たないことが多いのです。
 運転免許を取っていない人で、自営業とか専業主婦の人たちは、このような場合に、本人確認の資料として何を提示しているのでしょうか。高度情報化社会とはいえ、自分が自分であることを証明するものは、意外に少ないのではないでしょうか。希望者には、パスポートのような写真付きの身分証明書を役所が発行するようなシステムを作ることが必要なのかも知れません。もっともそれによって国民総背番号制になってしまうのも、またうっとうしいのですが。
 そんなわけで、いまや運転免許証は情報化社会の必需品です。おそらく今後の5年間も、自分で自動車を運転することはまずあり得ないと思いますし、万一運転しなければならない状況になっても、運転の仕方や勘をすっかり忘れてしまっているため、オソロシイ運転となるのは必至です。しかし、車を運転しないこと、あるいは運転が出来ないことと、運転免許証を持っていることは、明らかに別の問題です。
 運転免許証は、抜群の信頼度を持つ現代の市民証明書なのです。(7月3日)

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