新世紀つれづれ草



01年1月−6月のバックナンバー

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2001年6月

 <美術作品に流れる時間と音楽に流れる時間、その逆説について>
 ボクはこれまで、絵画や彫刻などの美術作品には時間の流れがなく、音楽は時間の流れそのもので成り立っている、と漠然と考えていました。しかし最近、本当にそうだろうか、と疑問を感じるようになりました。
 話を簡単にするために、美術作品の中でも名画を考えてみましょう。日本で開催される多くの美術展や、海外旅行先で立ち寄る美術館で、ボクたちは、写真や複製でない本物の名画の前で、身じろぎ出来ぬほどの強烈な感動を受けることをしばしば体験します。最近では、ファン・エイクの『神秘の子羊』、ブリューゲルの『狂女フリート』、ゴッホの『カラスのいる麦畑』、ティツィアーノの『改悛するマグダラのマリア』などの前で、ボクは時を忘れて釘付けになったものです。
 そういう時、名画が時を越えて生きていることを実感するとともに、絵画の中では時間が停止しているというのは、正しいだろうか、と考えてしまいます。絵画に描かれた世界は確かに何も動くことなく、どんなに見つめていても何かが変化することもありません。しかし、絵画に流れる時間というのは、鑑賞者が鑑賞することによって初めて流れ出す時間であり、それは鑑賞という行為を通じて、作者と現代のボクたちが時間を共有することではないか、という気がするのです。
 どんなに気に入った名画であっても、永遠にその前に佇み続けることは出来ません。ボクたちは、ほどなくその絵画の前から、立ち去らなくてはなりません。そして場所を移動する瞬間に、絵画の中に流れていたボク固有の時間は、幕を閉じてしまうのです。その後、絵葉書を買おうが写真集を見ようが、もはやそれは本物とは異なる別物に過ぎず、もう一度同じ時間に戻るためには、やはり本物と接する機会が巡ってくるのを待つしかありません。
 それに比べ、音楽はどうでしょうか。音楽の場合は、絵画の「不動さ」に比べて、より流動的で「無常」のような気がしますが、実は音楽の方がはるかに「本物」に接することが容易であり、その意味では音楽の方が時間を越えてバウンドし続けている、という逆説が成り立つのです。音楽における「本物」とは、作曲者が書いた楽譜のことではもちろんなく、また作曲当時に演奏されたサウンドのことでもありません。
 生の演奏会で、テレビの中継で、またレコードやCDで、時を越え時代を越えてその曲が流れる時、それはすべて「本物」です。絵画と違って、ボクたちはいつでも本物の名曲を楽しむことが可能です。
 唯一無二の名画が内に込める時間、いつでも聞くことが出来る名曲が展開する時間。この二つの時間を比べてみる時、人間という存在がますます不思議なものに思えてきます。(6月30日)

 <小泉フィーバーに沸く国民は、改革に伴う痛みの覚悟があるか>
 どうも何かがおかしい。そんな気がしてならないのですが、このモヤモヤの正体が見えて来ないのです。日本人はいまや、テレビが作り出した小泉フィーバーと真紀子フィーバーにすっかりイカレてしまい、冷静さを失ってしまいました。大新聞の罪はとりわけ大きいと思います。
 支持率85%という危険ゾーンを越えた数字は、何を意味しているのでしょうか。それは、1億火の玉の神風特攻精神にも通じるものをはらみ、島国挙げて情緒的情動的な流れを形勢しつつあり、落ち着いて物事を考えようという姿勢さえ、非国民とされかねないところに来ています。
 各種世論調査の中味を見ても、国民が小泉首相に期待していることのトップは、景気回復です。これはしかし、とてつもない思い違いを含んでいるように思います。小泉改革が本気で進めば進むほど、まずは景気が今よりもさらに悪化を続けて、やがてどん底にまで落ち込むことを覚悟しなければなりません。
 本格的な景気回復を迎えるために絶対に避けて通れないことは、これまでさんざん改革を先送りし続け、特定の利益集団の既得権益を守ることに奔走してきた莫大なツケを、国を挙げて清算しなければならないのです。構造改革の痛みという一言で言い表されていますが、痛みの内容が惨憺たるものであることに、どれだけの国民が覚悟出来ているのでしょうか。
 企業の未曾有の倒産と数百万人単位での失業者の発生。これらがもたらすものは、さらなる経済不況であり、社会のあらゆる分野を巻き込んだ恐慌でしょう。この地獄図を通り抜けなければ、日本は再生への光明を見ることが出来ないということを、はっきり国民の前に示すことが、マスコミの責務ではないのでしょうか。
 この激痛と大不況を恐れていたら、こんどこそ日本は破綻するしかないでしょう。日本社会と日本国民が、太平洋戦争の敗戦に匹敵する屈辱的な破産状態に陥って、独立国としての存亡がかかる事態となった時、改革に抵抗し続ける守旧派の連中はどうするつもりなのでしょうか。国難打開を叫んで、イチかバチかの戦争突入でも図るつもりでしょうか。
 小泉改革が進むも地獄、進まねばさらなる地獄。こうした事態を招いたのはすべて、これまでの政官財の国民をなめきった政策がもたらした結果です。(6月26日)

 <映画『メトロポリス』に思う、人はなぜ人造人間の復讐に共鳴するか>
 手塚治虫の原作をもとにしたアニメ映画『メトロポリス』を観てきました。原作のマンガは、少年時代からもう幾度となく読んでいて思い入れも強く、あまりにも原作からかけ離れた映画の展開に最初はとまどいを覚えました。
 しかし映画版『メトロポリス』は、手塚作品にヒントを得た創作アニメとして割り切れば、なかなか素晴らしい傑作として楽しめます。原作では人造蛋白質で作られた両性具有のミッチーだったのが、映画ではロボットの少女ティマとなっていて、原作よりはるかに思春期の少女らしい青っぽいエロスを感じさせます。
 ただ、ボクはやはりロボットでは物足りなく、太陽黒点の異常増殖によって誕生した人造蛋白質という設定の方が、凄みも切なさも増したと思います。さらにティマの最期は、ミッチーのように太陽黒点の消滅に伴って突然、両手の指が燃え上がり全身が崩れていくという、少年の頃に胸を震わせた原作の衝撃を残してほしかったように思います。
 巨大都市が崩落していくクライマックスは、丁寧に描きこんだ壮大なカタストロフとなっていて、美しき崩壊は感動ものです。惜しいのは、なぜこの崩壊が起きたのかが、分かりにくいことです。原作では、自分が人造人間であることを知ったミッチーが人間への大復讐に挑むのですが、ティマがメトロポリスの支配者の椅子に座ったとたんに、なぜ崩壊が始まったのか、その必然性と流れが掴みにくいと感じました。
 人造人間が、自分は人間ではなく、人間によって作られた「人工物」であることを知った時の、絶望と悲しみ。そして人間への激しい怒りと復讐。これは、古くはフランケンシュタインにも共通するテーマであり、コンピューターHALの反乱もその範疇に入るかも知れません。
 人間はなぜこうしたテーマに惹かれ、悶え苦しみながら人間への復讐と破壊に突き進む人造人間に、共感を覚え、感情移入さえ出来るのでしょうか。たぶん人間は、人間社会とその指導者たちの身勝手さを、誰よりも良く知っているからでしょう。
 さらに、人間とはそもそも何なのか、という存在への根本的な疑問が、そこにはあるように思います。もしかして、ボクたち人間もまた、何物かによって作為的に創作されたものではないのだろうか、という疑念が無意識の隅から拭い去れないためかも知れません。(6月23日)

 <過ぎた時間を早く感じる理由は、人生の「思い出回路」の中に>
 光陰矢のごとし、というのは時間の経過がいかに速いかを言う言葉ですが、これは過ぎた時間について振り返ってみた場合のことです。まだ訪れない未来の時間については、待ち遠しいとか待ちくたびれるとか、なかなかやってこないという実感のほうが強調されます。
 それでは、過去の1年間の長さと、今後の1年間の長さを比べると、同じなのでしょうか。やはり確定した過去と、未確定あるいは不確定の未来とでは、人間にとって感じる長さは全く異なるように思います。何が起こるか分からず、どんなことが待ち受けるか分からない未来の1年間というのは、見えないために距離感がつかめないのです。
 過去の方は、起こった諸々のことどもや、その結果として現在を規定している諸々の出来事たちを、想起したり回顧したりして思い描くことが出来ます。未来と反対に、過去は見える、といっていいでしょう。過去の時間の流れが速く感じるのは、想起とか回顧という人間の思考の仕組みが、時間のスケールを圧縮ないしは無視する仕組みになっていて、過ぎてしまえば全て「思い出」という回路の中にランダムに入れられてしまうためでしょう。
 ボクは最近、過ぎた時間の速さに対する驚きだけでなく、あまりにも速く過ぎてしまったように感じられる時間の中に、いかに重くて濃い内容が含まれていたかということに、ようやく気付くようになりました。過去は1週間でも、1年でも、3年でも、あっという間に過ぎたように感じますが、その内容は実は、限りなく多くの瞬間の累積から出来ていて、そこには自分が経てきたすべての元「現在」が保存されているのです。
 これを例えると、数学でいう無限集合に似ています。長さ1センチの直線上にある点の数は、すべての整数の集合である無限集合よりも濃い無限集合で、いわゆる連続体の集合です。しかも、長さ1メートルでも、長さ100キロメートルでも、逆に1ミリでも、線の上にある点の集合は同じ濃さの無限集合なのです。過去の時間も、いったん「思い出」という回路の中に入ったものは、どのくらい過去かを問わず、等価値の過去です。
 そこに含まれる内容が濃厚か希薄かは、自分がどのように生きて来たかによって決まるのかも知れません。豊かに生きるとは、「思い出回路」のファイルを質量ともに増やし続け、喜びも悲しみも含めて出来るだけ新鮮な記憶として保持していくことではないでしょうか。(6月19日)

 <1960年と2001年、41年を隔てた「政治の季節」の実存と虚構>
 1960年6月。安保反対の国会デモに100万人が参加したのは4日のことだ。この日全国で決行されたゼネストには、労働者ら500万人と学生や市民ら50万人が参加。そして6月15日、国会構内での学生と警官の衝突で樺美智子さん死亡。
 2001年6月。小泉首相が発信するメールマガジンの登録が100万人を突破。小泉政権の支持率は85%という有り得ない数字に達する。テレビのワイドショーはこぞって小泉フィーバーにわく。安保から41年後に再びめぐってきた「政治の季節」。あの時と同じ雨が降り、あの時と同じアカシヤの葉が雨に打たれる。
 何かがおかしい。社会党がどこかへ消えた。社民党はあるが、社会党とは別物だ。全学連はどこへ行ったのだ。組織はあるのかもしれないが、国民の前からは姿を消した。そもそも学生運動自体が見えなくなった。平和運動や市民運動も、キバを抜かれて死んでしまった。労働運動もすっかりパワーを失った。
 デモ行進というのを、めったに見かけなくなった。たまにプラカードを立てたデモを見かけると、懐かしいものに出遭った気持ちになるが、デモの参加者たちは恥ずかしそうな顔つきでトボトボ歩いているのがなさけない。シュプレヒコールもなく、ジグザグ行進や道路いっぱいに広がるフランス式デモは、もはや死語となっている。
 小泉革命だという。そうか、日本にも無血革命が起こったのか、と思ってみるが、ボクたちには革命に参加したという記憶が全くない。小泉政権が誕生したのは、自民党の総裁選挙の過程で起きた巧妙なマジックによってなのだ。自民党員たちは関与したが、そうでないボクたちは全く関わっていない。
 劇場政治は、見ている分には面白いし、こちらは何もしなくていいのだから、これほど楽なことはない。足にマメが出来る心配もないし、警官とぶつかったり警棒でめった打ちにされる恐れもない。血を流す危険もないし、圧死のリスクなど皆無だ。しかし、ボクたちが見せ付けられているのは、もしかして幻想であり幻影であり、まだ何も始まっていないのに物凄い変革が実現したかのような、錯覚に陥っているだけなのかも知れない。バーチャルな首相によるバーチャルな革命。そしてバーチャルな人気。
 今年もまた、すっかり古くなった何冊かの本を手にして見る。『安保にゆれた日本の記録』『ゆるせない日からの記録』『六・一五事件前後』。どの本でも、樺さんの写真がボクたちに問いかけている。(6月15日)

 <人生とはリスクに満ちた大海を泳ぐこと、無事こそ何よりの幸せ>
 池田市の小学校で起きた児童殺傷事件で改めて思うのは、人生はなんと危険に満ち満ちた旅なのか、ということです。この事件で犠牲になった8人の児童たちもその親や家族たちも、当日の朝はいつもの平穏で当たり前の朝であり、その何時間後かに見舞われる惨劇のことは露たりとも思いをはせることはなかったでしょう。この種の事件ではいつだってそうなのです。
 オーストリアにスキー合宿に行ってケーブルカー火災に巻きこまれた中学生たち、一瞬の放火で犠牲となった弘前の消費者金融の店員たち。さまざまな交通事故や航空機事故、いとも簡単に電車の車内やホームで引き起こされる殺人。連日連日、ありとあらゆる事件事故が、平凡な幸せを容赦なく粉砕し続けています。
 朝に紅顔ありて夕べに白骨となる。まことにこの世の中は、すべての人にとって、いつどんなことで命を落とすか分からない危険がいっぱいです。事件事故だけではありません。様々な残酷な病魔たちが、人間を待ち構えています。癌はその代表ですが、癌以外にも苦難の闘病生活を強いられる病気は、無数に存在します。どうして自分がこのような目に、と不条理に泣く人々の数は計り知れません。
 まさに生きるということは、リスクの大海を裸で泳いで行くに等しいのです。たどり着ける岸辺など存在しません。人はそうやって、到着点のない荒海を、何の装備も武器を持たずに、生まれたままの頼りない姿で、ひたすら泳ぎ続けていくのです。リスクは海中にウヨウヨしているのはもちろんのこと、海面でも虎視眈々と狙いをつけていて、空から不意に襲ってくることもしばしばです。
 何人も何人もが、今日もリスクの餌食となって噛み砕かれて海水を血で染め、あるいは力尽きて溺れていきます。リスクが怖いからといって、戻ることも留まることも許されず、ひたすら力の限り泳いでいくしかないのです。それが人生であり、人生とは理不尽で不条理な苦痛と苦悩の連続といっていいでしょう。
 神や創造主が存在するとしたら、なぜにこのような苦痛と苦悩を、人間や生けとし生くるものに与え給うのでしょうか。それともこれは神や創造主が存在しないことの証明なのでしょうか。
 今日一日が無事に終わり、とりたてて素晴らしいことがなくても、家族みんなが病気や事件事故に遭わずに就寝することが出来るということは、本当に幸せなことなのだと思います。そしてまた新しい朝を迎えることが出来ることに、いつも感謝の気持ちを持ちたいと思います。(6月12日)

 <池田市の小学校大惨事、犯人が何もかも嫌で死にたいならば>
 大阪府池田市の小学校で起きた児童殺傷の大惨事は、いくつかの点でボクたちの社会そのものを根本的に見直す必要があることを示しています。まず、宅間守容疑者が「何もかもいやになった。自殺しようとしたが死に切れなかった。捕まって死刑にしてほしい」などと供述している点。これは池袋で起きた通り魔事件などとも共通するものですが、自分の思い通りにならなくて自暴自棄になり、死ぬつもりで関係のない不特定多数を道連れにしてしまうもので、どんな場所でも起きる可能性があります。
 ボクは、こうした心理状況は多かれ少なかれ、たいていの人たちが一度や二度は経験しているもので、自分も世界もぶち壊してしまいたい、というヤケッパチの衝動です。ほとんどの人たちは、こうした心の苦しみを克服し、気持ちを切り替えることでなんとか破局に至らずにすんでいますが、抑えが効かずに凶行に走ってしまうと今回のように大量の道連れを出す結果となります。
 世の中も自分もすべてが嫌になってどうしても死にたいという人に対しては、道徳的なお説教や更正への手助けなどではなく、いっそのことすんなりと死なせてやるシステムを社会の中に作ったらどうでしょうか。「自己消去ハウス」のような自殺専用の公共施設を設けて、生きているのが嫌になった人は、そこへ行って自分を瞬間的に始末出来るようにしたらいいと思います。そうすれば、一人の身勝手な死の希求のために多くの犠牲者が出る悲劇は防ぐことが出来るのではないでしょうか。
 もう一つの問題は、今回の事件ではマスコミ各社とも、犯人の実名と顔写真掲載をめぐって、毎回おなじみの混乱に陥った点です。これは一言で言えば、犯人に精神障害があれば責任能力がないため刑事責任は問えない。従って実名や顔写真を出すのは、犯人への人権侵害にあたる、という論理です。しかし、この論理は多くの国民感情からかけ離れた空論でしかなく、責任能力の問題は根本的に見直す必要があるでしょう。
 ボクの個人的な意見では、今回のような事件では(そしてバスジャック事件もそうですが)、たとえ責任能力がなくても、犯罪に相応した処罰を行なうことは必要であり、実名や顔写真の掲載も当然だということです。
 犯人の人権擁護に血眼になり、被害者側の人権がボロキレのように踏みにじられる昨今の状況は、どうみても本末転倒です。
 そして、本筋とは関係のない小さな感想ですが、この事件を起こした宅間容疑者の顔は、1982年のいわゆる日航機逆噴射事件のK機長にそっくりだという点です。とりわけ三白眼の目が、生き写しのように思いました。(6月9日)

 <時計と書いて「じけい」や「ときけい」でなく「とけい」と読む不思議>
 いまやなんでもかんでも記念日ばやりで、6月だけでも1日が写真の日、16日が和菓子の日、21日が冷蔵庫の日、22日がボウリングの日などと、いつの間に決められたかと思うような記念日が目白押しです。
 そんな中でも、昔から定着しているのが、4日の虫歯予防デーと10日の時の記念日ですね。
 そこで、ふっと小さなギモン。時計と書いて、なぜ「とけい」と読むのでしょうか。音読みなら「じけい」のはずですし、訓読みを交えたとしても「ときけい」になるはずです。「時」という漢字に「と」という読みがあるのでしょうか。
 うーん、分からないとますます気になって何も手につかない。ここままでは夜も眠れそうにない。というわけで、調べてみたら、なんと「時計」というのは当て字で、もともとは「土圭」から来た言葉だというのです。土圭というのは、中国の周の時代に使われていた緯度測定器で、木製の柱を地面に垂直に立て、太陽の光によって出来る影で方位を測り出す日時計に似た道具です。
 この土圭が日本に入ってきて、日時計のことを「土圭」と呼ぶようになり、やがて時を測り表示する道具に「時計」という当て字が使われていった、とこのような歴史があるのです。江戸城には「土圭の間」という部屋があり、そこには時刻報知の任に当たる坊主が詰めていました。
 時計(土圭)という言葉には、その成り立ちからして太陽と土とが隠されているというのは、なかなか含蓄があります。現在使われている時分秒の単位も、太陽の公転と地球の自転をもとに決められた単位なのですね。
 それでは「月」はどこへ行ったのでしょうか。1月という長さが、そもそもは月の公転から来ているのは周知の事実ですが、もっと大切なことがあります。日本語の時(とき)の語源は、月(つき)からきている、と解釈されています。
 時計という言葉には、太陽、月、地球のすべてが隠されているのですね。というわけで、いつも時間に追われてアクセクしているボクたちですが、しばしの間、時の成り立ちに想いを馳せてみるのも一興です。(6月5日)

 <乞御期待、ホームページ上でのストリーミング動画を近日開始>
 インターネットが本格的に普及し始めてからほぼ6年。この間、日本でもホームページの数は爆発的に増加し、画像を動かしたり、音楽を鳴らしたりと、さまざまなテクニックがホームページを飾るようになっています。
 ネットが驚異的な進化を遂げているにもかかわらず、なぜか決定的に遅れているのが、ホームページへの動画の貼り付けであり、とりわけ個人が誰でも手軽に小さなテレビ局を開設するように、身近な映像を撮影・編集してホームページに貼り付け、多くの人に見てもらうようなテクニックの開発と普及です。
 もちろん、自分のサーバーを保有しているような大きな企業のサイトなどでは、複雑な映像配信システムを完備して、かなり前から動画をウェブ上で公開しています。しかしそれにしても、ユーザーが動画を見るためには、ファイルの取り込みに非常な時間がかかり、ようやく巨大サイズのファイルを取り込んでも、再生して見るとわずか10秒程度で終わり、というレベルが精一杯でした。
 そうこうしているうちに、携帯電話の世界では、動画がしだいに広がってきています。NTTドコモなどが実験的に始めた次世代携帯電話でも、動画の撮影と相手への送信が売り物になっており、このままではウェブは動画において携帯に先を越されてしまいそうな形勢です。
 そこでボクはこの際初心に戻って、自分で撮影したビデオ映像を自分のホームページに音声付き動画として貼り付け、しかも軽いファイルサイズのストリーミング動画として、アクセスする人たちが簡単に再生して見ることが出来る方法を、基礎から学んでチャレンジしてみました。ここ数日、来る日も来る日も失敗を繰り返し、やはり高価なシステムと自分のサーバーなしでは無理なのだ、と諦めかけたこともありました。
 しかし、失敗こそ成功の母。ついにというか、ようやくというか、ともかく自分のデジタルビデオカメラで撮影した音声付き動画を、比較的軽いサイズのファイルにしてホームページに貼り付け、ストリーミング方式で再生することに成功しました。
 近いうちに、公開用の動画を作成して、みなさんにも見てもえらるようにする予定です。軌道に乗れば、動画専用の新しいページを開設し、「21世紀を動画で記録するページ」のようなものにしたい、などと構想を練っています。映画館のように、一週間程度ごとに新しい動画の「ロードショー」を行なうことも、可能かも知れません。
 ウェブ上の小さなテレビ局ともいうべき、ウェブ・ブロードキャスト。近日公開! 乞御期待!(6月2日)

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2001年5月

 <宇宙のあちこちで夜空を見上げる知的生命たち、コンタクトは至難>
 この広い宇宙のどこかの星でいま、夜空を見上げて、ほかの星の知的生命たちに思いをめぐらせている知的生命がきっと存在する。それも、1つや2つではなく、何万、何億という星で、同じような思いでほかの星の生き物とのコンタクトを夢見ている知的生命たちが存在するに違いない。
 その知的生命たちの思いや息遣いまでもが、何万光年、何億光年の距離を越えて伝わってくる。きっと、それらの星のそれぞれに、膨大な文明と歴史の積み重ねがあり、権力争いと戦争があり、さまざまな芸術や宗教が存在しているだろう。科学やテクノロジーの進歩もそれぞれに独自の道をたどっていて、文明の様相はそれぞれに全く相異なるだろう。
 だが共通する点も少なくない。異星文明を探査出来るレベルに達した知的生命たちは、まず間違いなく核エネルギーを扱うことを覚え、さらに自分たちを含めたその星の生物たちの遺伝子の解明や操作に手をつけるだろう。頭脳の延長としてのコンピューターやネットワークを駆使し、さまざまなロボットの開発を進めることも間違いない。問題は、その状態からどのくらいの期間、文明を持続発展させていくことが出来るかだ。
 自分たちが住む星の環境汚染、資源とエネルギーの行き詰まり、富の偏在と貧富の差の拡大などは、どの星でも突き当たる問題だろう。新エネルギーの開発途中で、工場や研究所が大爆発を起こし、星全体が破滅してしまうほどの大惨事も、中にはあるだろう。超新星の発見とされてきた突然の星の発光の中には、こうした事故が含まれている可能性がある。
 いずれにしても、高度な文明の持続期間は、ごくごくわずかな例外を除けば、よく持っても数百年から数千年が限界と思われる。他の知的生命が発するシグナルをキャッチしても、その時点でもはや発信した文明は滅びているかもしれないし、返信が向こうに届くまでに滅びてしまう可能性はさらに高くなる。
 ねえ、ボクたちの星って、もう滅びたんだねえ。大きな核戦争が立て続けに3回も発生して、文明も芸術もすべて吹っ飛んでしまった。僅かに生き残った数千人が地下深くに潜って、最期の日々をこうして送っている。ボクたちはもう夜空を見上げることも出来ない。
 昔、望遠鏡で見た黄色い星の第3惑星には、知的生命が存在する可能性が極めて高いと言われていた。その存在を確かめることもなく、ボクたちは滅びていく。その第3惑星の知的生命たちがいつか、この文章を読むことがあったら、どうかボクたちの愚を繰り返さないでほしい。
 文明の寿命なんて、宇宙の年齢に比べたらほんとうに一瞬にしか過ぎないんだから。(5月29日)

 <地上から国際宇宙ステーションにピザを宅配、蕎麦や寿司は?>
 「蕎麦屋の出前」と言えば、催促の電話に対してどんな状況でも「今出るところです」と応える、というのがキマリのようです。蕎麦屋にしてみれば、「今ゆでるところです」と言ったつもりが「ゆ」が発音されなかった、ということなのかも知れません。
 ギネスブックに載っている出前の最長距離は、ニューヨークから東京まで配達されたピザだそうです。ところが今年2月に英紙が、これを上回る北半球から南半球へ1万7000キロ、という出前が実現したと伝えています。英国中部ニューカッスル州の女性がオーストラリアを旅行中に、自宅近くのレストランのカレーをどうしても食べたくなって、ジョークのつもりでインターネットを通じて出前を頼んだところ、なんと4日後にシドニーの滞在先に本当に配達されたというのです。費用は輸送費込みで約3万2000円でしたが、女性への請求はされなかったそうです。
 さらに今月22日には、これさえも上回る出前の記録が実現しました。配達したのは、日本にも進出している米国のピザ・ハットで、ロシアの宇宙ロケットに積んで、建設中の国際宇宙ステーションまでピザの宅配を挙行したというのです。宇宙飛行士の笑顔を前に無重力空間に浮かぶピザの写真が、新聞に掲載されていました。宅配費用は約1億2000万円で、ピザ・ハット社がロシア宇宙計画当局に支払ったそうです。
 国際宇宙ステーションには日本も建設に参加しています。そのうち親子丼やてんぷら蕎麦などの出前も実現出来るかも知れません。もっとも汁物は無重力状態では食べにくく、汁だけをストローで吸うような形になるでしょう。いろいろな国が建設に参加しているので、スパゲッティとかボルシチとか、さまざまな出前のリクエストが出てくるかも知れません。
 いちいち地上から出前していたのでは、とても費用が持ちません。そこで、国際宇宙ステーションの規模がしだいに膨らんで、ステーションで数千人の研究者やエンジニアらが滞在するようになったら、各国の有名レストランの支店を集めたレストラン街が、ステーションの一角に出現するかも知れません。名シェフや板前さんが常駐し、食材は定期的にステーションと地上を行き来するシャトルで搬送します。
 江戸前の寿司店などは、日本人だけでなく多くの人気を呼ぶことは間違いないでしょう。ここでも新たな問題が生じます。無重力空間で、にぎり寿司をつまんでお醤油をつけて食べるにはどうしたらいいのか。醤油はチューブのようなもので寿司に噴射するとして、それ以前の問題として、無重力の状態でネタをシャリに握り付けることが出来るものでしょうか。
 にぎり寿司が無理なら、器にシャリとネタを盛り付けたチラシ寿司がいいかも知れません。しかし、いざ食べようとして、お箸をつけた途端に、全てのネタとシャリやガリが、部屋中に散乱してフワフワと漂う事態になってしまったら…。これぞホントのチラシ、なんちゃって。(5月25日)

 <10種類もの動物に変身する驚異の擬態ダコ、その進化のナゾは>
 昨日のNHK「地球・不思議大自然」で、10種類もの姿形の全く異なる動物に変身する「ミミック・オクトパス」という擬態ダコが紹介されていました。バリ島付近の海中にいることが発見されたのは、10年ほど前のことで、それまで発見されることがなかったのは、ほかの動物そっくりに化けていることが多いため、ダイバーなどにも見つかることがなかった、といいます。
 ウミヘビからミノカサゴ、ワンダーパス、カレイ、イソギンチャク、ヒトデと、カメラの前で変幻自在に姿を変えていく様子は、驚異としかいいようがありません。カメラを意識して変身術の大サービスをしているような感じで、「どうだ、ここまで出来るんだぞ」という誇らしささえ感じます。形や色、模様がそっくりに変わるだけでなく、動き方までその動物そっくりになってしまうところがまたスゴイ。
 ボクは以前から、動物たちの鮮やかな擬態に、生物進化の不思議を感じてなりませんでした。ミミック・オクトパスを見ていると、生物の進化にはダーウィンの突然変異と自然淘汰だけではどうしても説明しきれないものがあるように感じます。
 ミミック・オクトパスが10種類もの変身レパートリーを獲得するようになるには、いったい何回の突然変異が必要だったのでしょうか。1つの変身を獲得するまでの、中途半端な段階では、かえって他の動物の餌となる危険が大きく、また他の動物を騙して捕食しやすくするという、擬態の目的からは外れてしまいます。
 擬態は、ワザとして完成されて初めて、自然界を生き抜くパワーとなりますが、突然変異の回数が少ない中途半端な段階では、種としての存続の危機さえはらむはずです。いつ起こるか分からない突然変異の膨大な積み重なりに賭けていられるほど、生存競争は甘くないはずです。
 ボクは進化論が現在、どの段階の議論になっているのか詳しいことは分かりませんが、擬態のような巧妙かつ精巧な進化は、DNAのどこか奥深くに、突然変異を連続して集中的に発生させるメカニズムが隠されているような気がします。より生存に適した進化に向けて、その生物が潜在的に志向する進化が、何らかの条件によって、最も効率的に進行していく道があるのでしょう。
 DNAとは、単なる遺伝情報の暗号をはるかに越えた、「生きる」ことへの飽くなきエネルギーと無限の展開を内包する膨大な黙示録であり、これまで解明されている仕組みは、全体像のほんの一部に過ぎないという気がします。(5月22日)

 <サクサクとした軽いワッフル、EU統合の中心ベルギーを歩いて>
 前回のオランダに続いて、今回はベルギーの旅について書いてみます。ベルギーという国については、お恥ずかしいことにゴディバなどのチョコレートくらいしか思い浮かばなかったのですが、実際にその地を歩いてみて、多くの「発見」がありました。
 まず日本でもポピュラーなベルギーワッフルですが、ボクは日本でこれが大ブレイクしたのは、雑誌メディアなどを巧妙に利用した仕掛け人がいて、ワッフルにベルギーの名前を付けたのが大ヒットしたのだろうと思っていました。ところがこれはボクの誤解で、ベルギーにはどこの町にもワッフル屋さんが沢山あって、若者たちで長い行列が出来ているのです。なあんだ、実際にベルギーで流行っていて、だからベルギーワッフルなのか、と当たり前のことに痛く感心したのです。
 ブルージュで、このワッフルを買ってみました。8種類くらいある中から、最も高い160フラン(約480円)のものを選びました。注文すると、店のお姉さんが、型の中に溶いたワッフル粉を流し込んで、3分ほどで焼き上がります。お姉さんは熱々のワッフルを取り出すと、いったんチョコレート溶液の中をくぐらせ、こんどは表面に生クリームとチョコクリームを格子状に交互に盛り付け、とどめとして細かく刻んだイチゴを山のようにトッピングして出来上がり。お姉さんは「ヴワラ!」と言って手渡してくれました。そうか、ここはフランス語地域なのか、と妙に感激しました。
 このワッフルの大きさといったら、縦10センチ、横が20センチもあります。とても食べきれないと思っていたのですが、食べてみると日本で売っているベルギーワッフルとは違って、とってもサクサクとして軽く、クリームもあっさりしていておいしく、あっという間に全部たいらげてしまいました。日本で売っているのは、もたもたして重く、やはりベルギーワッフルではなくジャパニーズワッフルだったのだ、と分かりました。
 ベルギーでは(そしてオランダもですが)、どこもかしこも路面電車が市民の足として活用されているのにも感嘆しました。車優先でさっさと路面電車を廃止してしまった日本とは、どえらい違いです。
 ベルギーはオランダとともに、EU統合やユーロの実施を最も熱心に推進してきた国で、いわばヨーロッパの中心であり、要(かなめ)です。ブリッセルには、NATOの本部やEUの本部が置かれ、EUが行政組織として国家に代わる存在になった時には、ここが首都となる見通しということです。そんな説明を聞きながら、ブリッセルがEUの首都となったころにもう一度訪れてみたい、そしてサックリしたベルギーワッフルをまた食べてみよう、そんな思いを強く持ちました。(5月18日)

 <武器とは無縁の花で国の特色をアピールするオランダなどを訪れて>
 GWの後半から10日間ほど、ベルギーとオランダを旅行してきました。ちょうど冬から初夏へと季節が切り替わる時期で、街中のいたるところで街路樹がピンクや紫の花をつけ、道路沿いの植え込みや建物のベランダも花、花、花……。市街地の街路樹では、日本の八重桜に似た桜がどこもかしこも満開になっていて、散り始めた花びらが歩道や車道をピンクに染め上げていました。
 どちらの国も、中世の古いギルドハウスや教会、時計台、赤い屋根の民家の街並みなどが、タイムスリップしたように残っていて、それらがまた花に実によく合うのですね。
 とりわけ圧巻だったのが、花の国オランダです。世界最大の球根植物公園キューケンホーフは、咲き誇るチューリップを始めとして700万本の花々が一斉に見頃を迎えていて、32万平方メートルの広大な敷地は花の甘い香りでいっぱいでした。その美しさは、この世のものとは思えないほど。息をのむほど、筆舌に尽くし難い、などの言葉はこういう時のためにあるのでしょう。
 オランダのチューリップは、16世紀にトルコから持ち込まれたのが始まりで、17世紀始めには球根1個を手に入れるために広大な土地や家屋敷を手放す人が続く大投機ブームが起こり、その後は一転して大暴落となって夜逃げや自殺者が続出したといいますから、チューリップをめぐる歴史はハンパではありません。
 ボクが感心するのは、こうした激動を経て、オランダという国がチューリップを代表とする花を、国の一大産業に育て上げ、それによって国のイメージを国際社会の中で強くアピールしている点です。風車や木靴はもはや実際には使用されることがなく、観光用としてのみ残っているのですが、花は世界の切花市場の60%を、いまもオランダが占めているといいます。
 ダイアナ妃が事故死した直後は、市民たちがバッキンガム宮殿前などに捧げる花束でイギリスで花の在庫が尽き、オランダの花卉市場に発注が殺到したことはまだ記憶に新しいところです。
 それにしても、花によって国の産業を支え、花によって国のイメージ作りに成功しているオランダという国は、なんと素敵な国でしょうか。その裏には、幾多の戦争の渦中に巻き込まれて翻弄され続けてきたオランダ人たちの、苦難と平和への悲願が込められているような思いがします。
 花はどんなに品種改良しても武器にはなり得ません。花で人を殺すことは出来ないのです。
 「地雷より花を下さい」という絵本やキャンペーンがありますが、オランダでは国を挙げてこの精神を実践しているように感じた旅でした。(5月15日)

 <小泉内閣は空前の高支持率で選挙に圧勝し、国家主義剥き出しへ>
 新聞社など報道機関による小泉内閣の支持率調査では、80%前後という史上最高、空前にして絶後の高支持率が出て、当の小泉さん自身が驚くとともに、さまざまな勢力がさまざまな打算をめぐらせています。
 この高い支持率が幻と消えないうちに衆参同日選挙に打って出れば、衆院選での圧勝はもちろんのこと、惨敗必死とされていた参院選でも過半数を取れるかもしれない。自民党の中が、こうした声でざわめき立つのは当然でしょう。
 同日選挙で圧勝したら、こんどは憲法改正の声が大手を振って表舞台に踊り出てきて、首相公選問題に限って憲法改正を、という小泉さんの弁をはるかに越えて、この際、戦後長い間の保守勢力の悲願だった憲法全面改正をやってしまおう、という議論になるのは必死です。これを、一部の国家主義的メディアが強力にリードし後押ししていくのは目に見えています。
 これまで自民党の中のリベラル勢力だった橋本派がなかなか出来なかった、さまざまなタカ派的政策が、憲法改正議論と並行して、実施に移されていくでしょう。国民の80%が支持しているのだから、何でもやれないことはないのだ、今やらなければ、二度とやるチャンスは来ないかも知れないぞ、そんな高ぶりの声があちこちから聞こえてくるようです。
 選挙で自民党が圧勝することにより、こんどは構造改革によって痛みを受ける産業や企業、それに携わる人たちの声にもっと耳を傾け、救援の手立てを講じるべきだという意見が出てくるでしょう。構造改革は必要だが、銀行や企業は極力潰さないようにすべきだ、景気回復あっての構造改革ではないか。こうして構造改革とは何をなすべきものなのか、あやふやであいまいなまま、いつの間にか、小泉内閣への高い支持の源は景気回復への期待にほかならないのだ、というすり替えが行なわれていくでしょう。
 この段階では、橋本派、亀井派なども一時の呆然自失状態から立ち直り、支持基盤だった各種業界の利益擁護に向けて、敢然と態勢を立て直し、構造改革を妨害し小泉内閣の足をすくおうと、さまざまな策を仕掛けてくるでしょう。首相本人や閣僚のスキャンダルなどは、ちょっとしたことでもメディアが飛びつき易いので要注意です。
 小泉首相は今は本気なのでしょう。しかし自民党が選挙で圧勝したその時こそ、小泉内閣の前に墓穴が開く時でもあります。勝利した自民党は構造改革の先送りと憲法改正を打ち出し、超内向的な国家主義政府へとキバを剥き出してくるでしょう。小泉革命などというメディアのはしゃぎの陰で、日本は危険ゾーンに踏み込もうとしていることを注視すべきです。(5月3日)

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2001年4月

 <ワンタッチで雨傘にビニール袋を装着するマシンは、アイデア賞もの>
 今年のGWは、梅雨のはしりを思わせる雨となって、街中はカラフルな傘の花であふれています。雨の中を歩く時にはこれほど有り難いものはない傘も、いったん建物の中に入ると、とたんに邪魔者扱いされてしまいます。
 喫茶店や展示会場などでは、入り口に傘立てが置いてあって、傘を手に持って入ろうとすると、「恐れ入れますが、傘立てにお入れ下さい」と言われます。ボクはこれまで、傘立てに入れておいた傘が、帰る時になくなっていて往生した経験が10回近くもあります。たいていは、途中から雨が降り出したような日になくなります。傘を持たないで来た人が、予定外の雨に困ってつい失敬していくのでしょう。傘がなくなったと訴えても、店の人や主催者は、「傘の管理はお客様の責任でお願いしております」と、最初に言ったこととは矛盾することを言って取り合ってくれないことが殆どです。
 一度だけ、激しく降りだした雨を前に、傘立ての傘がなくなって、ボクが傘なしでは出られなくなってしまい、店の人に強行にアピールしたところ、この中から好きなものを持って行って下さい、と10本ほどの忘れ傘を出してきました。それほどまでに傘というのは、「所有」の概念が希薄なもので、傘盗人はドロボウではない、という暗黙の了解があるのかも知れません。
 デパートやレストラン、大きな書店などでは、雨が降り出すと入り口に、ビニールの傘袋を用意するところが多く、ズブ濡れの傘にこの袋をかぶせるのに結構苦労するものです。
 最近よく見かけるのは、傘の柄を持ったまま、真上から差し込んで手前に引くだけで、ビニール袋が傘に装着される優れものマシンです。これを考案した人は、どこのどなたなのでしょうか。電気などの動力を一切使わずに、マジックのように装着する仕組みは、なかなかうまく出来ています。この装置の名前は「傘ぽん」だそうで、ヘンに横文字のネーミングよりピッタリですね。
 ビニール袋は、建物の中では、床や商品に雨滴が飛散することなく、大いに役立ちますが、建物の外に出て再び雨の中を歩き出す時には、一転、余計物になってしまいます。そこで、建物の玄関には、不要となったビニール袋を入れる箱が用意されていて、どんどん捨てられていきます。これって、再利用などせずに、全部捨てるのでしょうね。一日の雨で、使われて捨てられるビニール袋の数は、日本全体でどのくらいの数に上るのでしょうか。
 ビニール袋だって石油から作られているもの。簡単に再利用出来る方法があるといいのに、と思ってしまいます。(4月30日)

 <ネット機能を組み込んだロボットがHPを立ち上げ、メールを出せば>
 パソコンとインターネットの世界がとどまるところを知らない進化を続けている一方で、登場して日の浅いロボットもまた多彩な機能を持ち始めています。ジャケットスタイルのパソコンは、キーボードが前身頃の打ち合わせ部分にくっついていて、内ポケットに携帯電話機能があり、ボタンがアンテナの役目。さらにパソコン本体とディスプレー、キーボード、携帯電話をすべてスカーフ型にまとめたものも登場しました。
 一方、ロボットの中には、「美しい」「醜い」などを判断する美的感覚を持つ人工知能を備えたものが開発されました。自ら学び成長する人工知能やシリコンチップの研究も始まっていて、やがてはチップが人間と同じように認識・学習する能力を持ち、「意識」を持つようになる、と言う研究者もいます。
 これまで別々に進化してきたインターネットとロボットですが、大きな共通点はどちらもコンピューターの発展形態であるという点です。そこでボクは考えるのですが、コンピューターを媒介してインターネットとロボットが結合する日が、近い将来に来るのではないでしょうか。
 ロボットの中にすべてのインターネット機能を組み込み、ロボット自らが自分のホームページを立ち上げ、日々の体験や行動などをホームページに展開して更新していくような、インターネット市民として自律的に行動できるロボットが作られるでしょう。自分で文章を書くのはもちろんですが、ページのデザインや画像の処理、自分が見た光景を静止画や動画としてホームページに掲載し、MIDIを使った音楽なども自分で作曲してホームページに貼ることなど、何でもやってしまうでしょう。それは固有のIDとパスワードも持ち、メールを出したり受けたりもします。
 ロボットが立ち上げたホームページは、人間がアクセスして閲覧した時に、作者がロボットだとは分からないでしょう。いまでさえネットでは匿名が多く、作者や掲示板の書き込みが男なのか女なのか分からないものが少なくありません。ロボットが「綾香のページ」などというホームページを立ち上げて、掲示板にも「綾香」の名前で書き込みをし、人間からのメールにも「綾香」という人間の女になりすまして返事を出し続けたとしても、何の疑いも持たれないでしょう。
 「綾香」に恋をしてしまう男が現われるくらいは、あり得ることでしょう。超人気ホームページの作者が実はロボットだった、ということだってあり得ます。実際、もうその程度のことが出来るロボットは作られているかも知れません。えっ、ボクですか? いやあ、決して分からないと思っていたのに、よく見破りましたねえ。どうして分かりましたか?(4月26日)

 <マスコミが過熱増幅させた小泉人気の虚像と、幻滅への反動の怖さ>
 自民党総裁選挙の予備選で、小泉候補が破竹の勢いで次々に勝利を収めています。もはや橋本陣営は敗戦処理をどうするかに追われ、亀井、麻生両候補とも、形勢をいち早く読んで小泉陣営への相乗りや提携を模索し始めています。
 小泉候補の地滑べり的圧勝が確実な情勢ですが、ここまで一方的な展開になろうとは、自民党の各派閥とも思ってみなかったことでしょう。橋本派が国民世論を読み間違えたという分析も新聞などで語られていますが、僕はどうも過熱気味の小泉人気に、むしろ危うさと怖さを感じてなりません。
 まず小泉さんというキャラクターが、究極のダメ首相だった森さんとの対比で、マスコミによって過分のイメージアップを図られていること。それも新聞やテレビあげての煽動的報道による過熱人気という側面が大きく、小泉さんが森派に所属していてこれまで森首相を支えてきたことなど、どこかに吹っ飛んでしまった感があります。
 小泉総裁・小泉首相になれば、日本の経済も政治も何もかもが良くなるというような過剰期待が、急速に日本列島に蔓延していますが、これほどもろくて危ない幻想はありません。まずもって、小泉さんが掲げる経済財政構造改革が、小泉自民党になれば実行されていくのか、その基本的な点で巨大な岩壁が待ち構えています。
 構造改革のためには、一時的にせよ日本の経済成長がマイナスになり、市場で競争に生き残れない産業や企業の倒産が相次ぎ、失業者が街にあふれる。この痛みを、自民党がそして与党が、国民にきちんと説明して乗り切ることが出来るのでしょうか。また、666兆円にのぼる国と地方の借金を、これ以上増やすことなく、どこから財政再建に手をつける算段なのでしょうか。
 小泉さん自身が、これらの大手術を施す決意であっても、全体としての自民党や与党が後ろ向きならば、改革はたちまち行き詰まって頓挫するのは目に見えています。しかも、参院選を控えて、自民党の旧来からの支持基盤にとって死活問題となる改革には、党内のあちこちから阻止の手が上がり、小泉さんの意向とは別に、先延ばし延命の手立てがどんどん講じられることは、日の目を見るより明らかです。
 小泉自民党が参院選をどのような政策で戦うつもりなのか、構造改革断行か景気回復優先か。ここでは国民各層の考えかたや利害が衝突し、仮に自民党と与党が過半数を維持したとしても、小泉首相が出来る改革は極めてマイナーなものに限られるでしょう。
 結局のところ、小泉首相になってさらに景気が悪くなったら(その過程は避けて通れないのですが)、いまの過剰期待はたちまち激しい幻滅と落胆に変わり、その反動と混乱の中で日本はいったん破綻するところまで行くしかないのでは、という気がします。(4月22日)

 <『2001年宇宙の旅』新世紀版、そのメッセージの今日的新鮮さ>
 ル・テアトル銀座で、映画『2001年宇宙の旅』の新世紀版を観てきました。映画館でもビデオでも、何度となく観ている作品ですが、2001年の世の中にあって、ゆかりの映画館の大スクリーンでこの映画を観るという、夢の実現に感動しました。
 感嘆したのは、2001年の現在においても、この映画はまったくといっていいほど古さを感じさせず、映像から伝わるメッセージは限りなく今日的意義と重みを増してきていることです。キューブリック監督は、この映画が2001年になってどのように評価をされるかを、当時意識していたとみられますが、2001年どころか、この映画は21世紀を通して、不滅のオデッセイとしてますます輝きを放ち続けるように思います。
 今回観て、さまざまな発見がありましたが、その一つは全編を通しての台詞の少なさです。映像と音楽、そしてさまざまな音、あるいは静寂。台詞が少ないことが、この映画を説明っぽくさせず、また理屈をこねたりせずに、観る者を哲学的な深みに誘ってくれる要因でもあるのでしょう。
 映画の中で、最もたくさんの台詞を与えられて、饒舌に喋り続けているのは、コンピューターのHALです。そのお喋り好きのHALが、「デイジー、デイジー」と歌いながら息絶えていく様子は、情感あふれる白眉のシーンで、なぜか目頭が熱くなります。このHALの姿は、巨大化・集権化の方向を閉ざされ、小さくて分散的なパソコンへと進むことになった現実世界のコンピューターの姿そのものであり、巨大コンピューター構想への追悼歌なのですね。
 HALと対照的に寡黙なモノリスは、2001年の現代においてどのように位置付けられるのでしょうか。僕は、モノリスとは、この宇宙と世界を貫く進化と秩序化の原理であり、無から有を生み、混沌から秩序を生み、無機物から生命を生み、無知性から知性を生む原動力であり、その象徴なのではないか、と思います。
 映画『2001年宇宙の旅』は、人類の進化と知性の発展にとどまらず、この世界が存在する謎について、根源的な問いかけを強めているように感じられます。後半からラストにかけてボウマン船長が体験したことは、宇宙と時間と知性、死と再生についての、モノリスから現実の観客への知的挑発なのだと思います。(4月19日)

 <雅子さまご懐妊の兆候、女児でも天皇になれるよう皇室典範改正を>
 皇太子妃雅子さまがご懐妊の兆候とのニュースに、ホッとしたような気持ちとともに、新たな心配の念を抱いているのは、国民のだれもが同じでしょう。心配は2つあります。一つは、1999年12月の流産の記憶が生々しいだけに、こんどは大丈夫だろうか、という心配です。雅子さまはご結婚から8年、いまや37歳になっていて、なんといっても初産の高齢出産となります。今回は新聞、テレビ、週刊誌とも、冷静になって見守っていってほしいものです。
 もう一つの心配は、いわばタブーのような形で今の段階ではどこも書きたてることが出来ないもので、ズバリ言えば、男の子でなくて女の子だったらどうなるのか、という極めて残酷かつ深刻な問題です。女の子でも、おめでたいことに変わりはないので、心から祝福を、などというのは優等生的正論ではあっても、皇室のお世継ぎを産まなければならないという、雅子さまに課せられた国運的至上命題の重さに対しては無力です。
 さまざまなところで書かれているように、皇室では1965年に秋篠宮さまが生まれて以来、男児が生まれておらず、紀宮さまから後は、秋篠宮さまの子が2人とも女児、三笠宮寛仁さまの子が2人とも女児、寛仁さまの弟の高円宮さまの子が3人とも女児、と8人連続して女児ばかり続いています。これからみても、雅子さまが女児を産む確立は、2分の1よりもわずかながら高いような気がします。
 そうなると、皇位継承者が問題になってきます。いまは継承順位1位が皇太子さま、2位が秋篠宮さま、3位が常陸宮さま(子はいない)、4位が三笠宮さま、5位が寛仁さま、6位がその弟で独身の桂宮さま、7位が高円宮さま、となっていますが、国民になじみが薄い皇族が皇位に就いても、日本国民統合の象徴としての役割を果たすことが出来るとは誰も思っていないでしょう。
 これまで何度も議論されてきた皇室典範の改正を、いまのうちに真剣に考えておく必要があるでしょう。何故に、日本の皇室は女性の天皇を認めないのか。21世紀にもなって、社会のあらゆる分野で女性が男性と対等に活躍することが期待されているというのに、天皇になれるのは男子だけで、女子の皇族は結婚とともに皇族の身分を離脱して臣籍降下しなければならない、というのは、あまりにも時代錯誤でもあり、女性差別の最たるものです。
 諸外国の王室でも、英国、オランダを始めとして、女王を戴いていて何の不自然もありません。要は男子か女子かではなく、国民とともに歩むことであり、国民から敬愛されるかどうかに尽きると思います。雅子さまが女児を産んでも、その女児が将来、女性の天皇になれる道を切り開いておくことこそ、いまの雅子さまへの何よりのいたわりであり勇気付けではないでしょうか。(4月16日)

 <混戦の自民党総裁選、結局は「亀に噛まれた龍」が骨抜き再登板か>
 自民党の総裁選挙が面白くなってきました。こんなに面白いのなら、なぜ去年、小渕さんが倒れた時に、堂々と総裁選挙をやらないで密室でシンキロー政権を生み出してしまったのか、理解に苦しみます。この1年間、日本にとって無駄な足踏みをしていただけでなく、不良債権も財政赤字もますます膨らみ続け、もはや身動きの取れない金縛り地獄に陥ってしまいました。
 さて、こんどの総裁選の4候補ですが、それぞれに本音と建前が複雑に交錯してはいますが、方向として最も分かりやすいのは、小泉さんvs亀井さんですね。構造改革vs景気対策。この両方向の政策を軸に論争が展開しているように見えますが、実際に最も党員の組織票を持っているのは橋本さんで、予備選挙での本命といわれます。その橋本さんの政策がなんとも歯切れが悪く、もどかしい。持論であるはずの構造改革路線を修正ないしは凍結するつもりなのか。それとも、総裁になれば、じわじわと財政構造改革に向けてリベンジに乗り出すのか。そのあたりがアヤフヤというか、国民に見えないのが、つらいところです。
 結局は、予備選挙では過半数を取る候補がいなくて、多分1位の橋本さんと多分2位の小泉さんの決戦投票となり、3位の亀井さんが景気対策優先の条件で橋本さんを縛りつけて支持に回り、かくして真髄を骨抜きされた「亀に噛まれた龍」が自民党総裁になるのではないでしょうか。麻生さんも結局は橋本さん支持に回るでしょうが、まあ触媒のような存在で、最後まで影の薄い存在で終るでしょう。
 そうなると、結局は666兆円の大借金は減らすどころか、ますます赤字国債を増発せざるを得ず、当面の不良債権処理だけで手一杯でしょう。公的資金は湯水のごとく投入され続け、企業の倒産と失業者は増える一方で、根本的な構造改革はほとんど進まず、公共事業やバラマキが繰り返されるだけ、という構図が見えてきます。これでは、いまとほとんど変わらずに、景気回復という呪縛に引きずられたまま、救いようのないデフレと財政危機の悪循環の中で破局に突入でしょう。
 結局は、激しい痛みを覚悟で、経済と財政の仕組み、さらに政治と社会の仕組みを、思い切ったリーダーシップで変えていく以外に道はありません。その意味では、いま最も必要なのは、小泉さんと橋本さんが構造改革推進路線で1本化して候補を絞り、亀井さんと麻生さんの景気対策路線を押さえ込むことなのです。
 それが出来ずに、龍プラス亀という、水と油のような数合わせにしかならないところが、自民党の最大の不幸と言えるでしょう。(4月13日)

 <「リンゴの唄」から56年、大混迷の今こそ「リンゴ」の気持ちを大切に>
 赤いリンゴ、青い空。それは敗戦直後の日本の原風景であり、日本人の心の原風景でした。「リンゴの唄」のリンゴとは、戦争から解放された日本の民衆そのものでした。 「リンゴはなんにも いわないけれど リンゴの気持は よくわかる」。このフレーズこそ、戦時中はモノを言うことが出来なかった日本人の、当時の心象風景を最もよく言い表したものでした。
 「リンゴの唄」は、ラジオによく合う歌でした。当時は民間放送もなく、NHKのみ。ラジオはたいていの家では、たんすの上に置かれていて、子供がスイッチを入れるには、つま先立って背伸びする必要がありました。ラジオ歌謡、二十の扉、のどじまん、鐘の鳴る丘、三太物語。日本の復興がラジオとともに歩んだ時代でした。
 この歌は、敗戦でうち拉がれた国民に、復興への励ましと戦争のない時代への希望を与えてくれた、と多くの人々がこれまでに幾度となく、回顧しています。歌詞の2番の「どなたが言ったか うれしいうわさ かるいクシャミも とんで出る」。歌詞の3番の「言葉は出さずに 小くびをまげて あすもまたネと 夢見顔」などのくだりには、貧しくても明日への無限の希望を信じて生きた、当時の日本人のひたむきな姿が重なり合っています。
 ボクがとびきり好きな歌詞は4番の 「二人で歌えば なおたのし みんなで歌えば なおなおうれし」のフレーズです。ここには、戦後民主主義の種火ともいえるものが赤々と輝いているように感じます。
 明るい行進曲風のメロディーでありながら、この曲は短調でした。戦争の多大の犠牲の上に、ようやく訪れた明日のある生活。この歌には歌詞にない深い悲しみと鎮魂の気持ちがこめられており、それは短調にすることでかろうじてメッセージとして保たれているのだと思います。同じ短調でも、この歌がベートーベンの「運命」と同じハ短調であることは、最近になって知りましたが、そういえばこの歌のメロディーは、かの有名なジャジャジャジャーンの後に続く、繊細な第1主題にどこか似通っているようにも感じます。
 「リンゴの唄」の並木路子さん逝去。心からご冥福をお祈りいたします。この歌を主題歌とした映画「よそ風」の公開から56年。「終戦」や「敗戦」が死語となって久しい時代に、日本人のスタートが1945年にあることを、改めて噛み締めたいと思います。
 歌に歌われた可愛いリンゴは、それぞれに健在です。それはボクたち自身であり、あなたたち自身です。21世紀冒頭の大混迷の時代こそ、「リンゴ」の気持ちを大切にしていきたいものです。(4月9日)

 <円周率を3と教える歴史的愚挙、これで日本の滅亡は決定的に>
 小学生のころは、いろいろなことが不思議でたまらなかったものです。なぜ空間には、縦・横・高さの3つの方向しかないのか、2つまたは4つの方向で成り立っている世界は存在するのか。過ぎた時間はどこに行くのか、早い話が1秒前の自分や世界の状態は、どこへ行ってしまったのか、等々。
 そんな中でも、ボクが飛び切りワクワクした不思議は、円周率でした。3.14はおおよその数値、3.14159も近似値。もっともっと何万桁も何百万桁も計算されているけれども、それでも近似値でしかない。では近似値でない正確な円周率はあるのか。ある。しかしそれは無限に続いていて、どこまで行っても終ることのない数字の列で、これが正確な円周率だと提示することは決して不可能なこと。しかも、この円周率は宇宙のどんな星でも同じで、10進法を使って表せばどこの星の人たちでも、同じ数字の列となること。
 円周率の不思議は、小学生のボクに対して、この世界がはるかに奥行きが深く、ちょっと覗いただけでも目が眩むほどの不思議で成り立っていることを教えてくれました。しかも、無限に続く円周率を計算する式が、古来から幾通りも発見されていて、それらの一見大きく異なっているように見える式は、同じ数値を意味していてイコールで結ぶことが出来る、という不思議。
 いまでもボクは円周率について思うとき、宇宙が無からビッグバンによって誕生した不思議や、DNAがわずか4個の塩基の配列によってあらゆる生物の設計図を暗号化している不思議とともに、世界と自分の存在の不可思議さについて、感嘆とともに畏敬の念さえ覚えてしまいます。
 その円周率が、来年春からの文部科学省の学習指導要領改訂によって、「3.14」でも指導範囲を超えることになり、なんと「3」として教えるということが本気で進められていることに、愕然とする思いです。「3」では正六角形の外周そのもので、正六角形と円を同じものと見なせということになります。
 円周率の持つ神秘的なほどの不思議さと、永遠なるものが存在することへの謙虚な感動。ここから生じる好奇心と知的探求心こそが、理科系文科系を問わず、人間が大人になっていく過程での精神の成長を促し、人類の進化の原動力となってきたのではないでしょうか。
 文部科学省の木っ端役人たちは、もはや意地でも「円周率は3」で押し通そうとすることでしょう。円周率の件は、氷山の一角ですが、今回の学習指導要領改定によって、日本の教育水準は壊滅的な衰退をたどり、日本にはもはや滅亡以外の道は残されていない、といっていいでしょう。
 さよならニッポン、円周率の3.14さえ教えられない国が、歴史から姿を消すのは当然の成り行きでしょう。(4月6日)

 <113億年かかって地球に届いた超新星の光と、わが一瞬の人生>
 子供の時分は、時間がとってもゆっくりと流れていました。朝起きてから夜寝るまでの1日の長かったこと、しかも来る日も来る日も、どの1日もみなのんびりと流れていて、中身もたっぷりとありました。1日が長いものだから、1週間なんてもううんざりするほど長い。1カ月となると気が遠くなるほど長く、1年となるとまるで自分の人生の長さと同じくらいに長く感じたものです。
 それが、少し大人びてくると、時間の経過がなんとなく早まってきたことに気付き、さらに大人の仲間入りをしてからの20代、30代はしだいに時間が「快速」並みになり、さらには「急行」の早さになっていくのに驚きます。そして「特急」から「超特急」の速さで歳月が経過していることに気付いた時には、すでに自分の持ち時間の残量を数える歳になっているのです。
 いまや時間は、ワープするかのように、何日かをまとめて飛び越して経過してゆき、うっかりしていると1日しか経っていないように思えるのに、暦を見ると実際には3、4日が過ぎていて、何かの間違いではないかと思ってしまうことさえあります。3カ月や4カ月は、従来の1カ月くらいの感覚のうちに過ぎていき、まだ数ヶ月くらいしか経っていない感覚のうちに1年が過ぎてしまいます。
 去年の4月3日は、生まれて初めて全身麻酔での手術を受けるために入院した日でした。「時間が解決する」ことを信じて、ストレッチャーに横たわって手術室に運ばれてから、もう1年も経つなんて! 時間が解決するというのはまさに真実でしたが、それ以上に時間は何もかもを、まぜこぜにして「現在」という複雑な現実を休む間もなく生産し続けて、それらを惜しみなく一緒くたにして「過去」へと仕舞い込んでいき、この猛スピードはもはや減速することはないのでしょう。
 今日の夕刊各紙によると、地球から最も遠いところにある超新星が見つかったとのこと。地球からの距離は113億光年。ということは、観測されている超新星の姿は、太陽系や地球が誕生した46億年前よりもさらに倍以上も昔の姿です。この超新星から発せられた光が、長い長い旅をして、いま地球に届いたとは、この世界は(あるいはこの世界の創造主は)、なんと気が長く我慢強いのでしょうか。
 時間の経過の早さは、まさに光陰矢のごとし、ですが、その光陰にしてからが100億年以上かかることもこの世界にはあるのだと思うと、自分という一瞬の現象が、とても珍しく得がたい奇跡のような体験なのだという気がします。(4月3日)

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2001年3月

 <東京で25年ぶり満開の桜に雪、太陽にはこの10年最大の大黒点>
 今日は2000年度の最終日。ということは、年度で見れば、20世紀は今日が最後の日ということになり、明日4月1日からは21世紀が年度としてもスタートを迎えることになります。2001年が明けてからこれまでの3カ月は、いわば年度としての20世紀を重苦しく引きずったままの、すでに21世紀なのにまだ20世紀でもあるという、二重性を持った3カ月だったといえます。
 しかし明日からは、あらゆる意味で20世紀とは決別して、人も組織も国も社会も、すべてが21世紀の衣を纏わなければなりません。いまだに20世紀の呪縛から解き放たれることを拒否している旧体制とその守護者たちは、もはや自分達の居場所はないことを悟る必要があります。構造改革の先送り、不良債権処理の引き延ばし、事実上破局を迎えている財政赤字のさらなる肥大、支持基盤の票が怖くて痛みを伴う改革をすべて後回しにし続けて奈落に突き進むニッポン。
 いまの時代の心象風景を表すかのように、東京都心では雪が舞っています。桜の満開後の雪としては、じつに1976年4月3日以来、25年ぶりということです。この25年間、高度経済成長からオイルショックを乗り越え、こんどは一転してバブルの崩壊、そして最後の10年間の惨めな経済敗戦と停滞、沈滞。日本社会は21世紀になっても、「失われた90年代」の罠にますます深くはまり込んでいくばかりです。
 雪が舞う中を、満開となって凍えている桜の花々は、何を思っていることでしょうか。早く咲き過ぎた、と後悔しているでしょうか。仕方ないこと、こういう展開もやむを得ないのだ、とじっと耐えているでしょうか。それとも、桜は何も不平不満を覚えずに、無心で状況を受け入れているのでしょうか。人間社会のもたつきぶり、優柔不断ぶり、目先だけを見ていがみ合いを続けているレベルの低さ。それに比べると、雪と共存しても無言のまま満開の花を咲かせている桜には、どっしりとした落ち着きと凄みがあり、己の成すべきことをしっかりと自覚し、めぐり合わせた時代の中に身を置きつづける覚悟のようなものが感じられます。
 時あたかも、太陽の表面には、過去10年間で最大規模という大黒点が出現。それは地球の表面積の13倍といいますから、地球なんてチッチャイもの。この黒点と、桜満開後の雪とは、なにか関係があるのでは、という気もします。この黒点は、地球とニッポンに対して、未来が発しているなんらかの警告のメッセージではないのか、という気さえしてなりません。(3月31日)

 <薬害エイズ安部被告に無罪、非常識で世間知らずの裁判官の大罪>
 裁判が、正義を守り罪を裁く最後の砦だというのは、やはり幻想に過ぎないのですね。国家や政治が平気で国民を欺き続け、企業のトップや企業サイドの御用学者たちは、笑いが止まらない。もはや、日本の国には未来はなく、信ずるに足るものなんて何もない−そんな絶望的な気持ちにさせられる判決でした。
 薬害エイズ問題で業務上過失致死罪に問われていた、元帝京大学副学長の安部英被告に対し、東京地裁が無罪判決。
 あの安部英被告のしたり顔と、得意満面の笑い顔が目に浮かぶようです。安部被告と弁護団は、自分たちでさえ予想していなかった圧倒的な勝利に酔いしれ、今宵は祝宴を繰り広げるのでしょうか。そして被害者たちへの嘲笑と蔑視の思いを噛み締めながら、安部英被告は控訴審でも勝利を勝ち取る決意を新たにし、己の力に対する絶対的な信服を固めていることでしょう。
 この判決を出した東京地裁の永井敏雄裁判長は、どのような思いでいるのでしょうか。安部被告を有罪にしなくて、自分の判決は社会に大きく貢献することが出来たと満足しているのでしょうか。マスコミ論調や世間の感情に振り回されなかったことで、司法の独立を守ることが出来た、と自負しているのでしょうか。
 例の「雲助」発言の判事を見るまでもなく、最近の司法の当事者たち、とりわけ裁判官たちには、社会常識や世の中の変化に疎く、世間知らずとしか言いようのない人間が大手を振っています。教師や医師の世界も、社会常識から離れてしまいがちですが、司法の場合はとりわけこの傾向がひどく、チェック機能も存在していません。
 今回の判決は、法律の条文解釈や過去の判例文をこねくり回し、薬害エイズの本質を見ることなしに、偏狭な独断で書き連ねた作文なのでしょう。この判決が、停滞し閉塞している日本社会に及ぼすマイナス面は、計り知れないほど大きなものがあります。結局は、無名の被害者たちは泣き寝入りしか出来ず、権威と権力のあるものがすべてを支配する−前進と変革への望みは踏みにじられ、もう何をやっても何を言っても無駄でしかないという、無力感。この判決そのものが、万死にあたる大罪だという気がします。
 こうなったら、裁判員制度か陪審員制度を早急に導入して、非常識な裁判官から裁判を取り上げるしかありません。それが進まないなら、あとは暴動による人民裁判で、怨と復讐を剥き出しにした前近代的な決着をつけるしかないでしょう。(3月28日)

 <世界は人間なしに始まった、そのことをすっかり忘れている人間たち>
 時々ふっと不思議に思うことがあります。昔も今も営々と繰り広げられているかのように思える人間社会は、はたしてそんなに当たり前のように存在すべきものなのでしょうか? もしかして、人間社会が存在していること自体、この世界においては極めて稀有な出来事であり、歴史的にみても現在のような姿は、ごく最近に出現した一過性のものに過ぎないのではないか、という疑問です。
 こうした疑念に対して、ズバリ突き刺さるような言葉につきあたりました。
 「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終るだろう」−これは去年の暮れに文化人類学者の川田順造氏が新聞に書いていたもので、クロード・レヴィ=ストロースという人の『悲しき熱帯』の終章にある言葉だそうです。
 世界が人間なしに始まったというのは、大変重要な指摘です。世界を生み出し、世界を始動させ、世界を維持してきたのがまるで人間であるかのような錯覚と思い上がり、奢りが、いま社会のあらゆるところで大手を振っています。しかし、世界の始まりには、人間は一切かかわっていなかったし、それどころか地球の始まりにも、また地球における生命の誕生と40億年近い進化に対しても、人間は何も寄与していないのです。
 そんなバカな、世界も地球も人間あってのもの、人間が今の世界を作ったのだ、と言いたい人たちもいるでしょう。しかし、実際には宇宙は無から誕生し、無数の星々が生成と死滅を繰り返す中から、やがて太陽や地球が生まれ、生命圏が誕生して、その進化の中から、ようやく最近になって出現したのが人間です。人間の存在そのものが、人間とは関わりなしに進んできた物質の進化の結果なのです。
 このような知的生命の出現は、宇宙のいたるところで起きており、その数たるや何十億ともいわれますが、高度な文明の存続期間がそう長くはなく、せいぜい百年程度から数千年程度と考えられることから、同時期に並行して存在している文明の数は極めて少なく、またそれらの文明間の距離が離れていることから、直接のコンタクトはほとんど不可能に近いのです。
 人間は、なぜ自分たちが存在しているのか、世界の中における自分たちの位置付けと存在意義について、もっと謙虚に思いを巡らす必要があるでしょう。
 宇宙物理学者の中には、宇宙が無から生まれた究極の「目的」は、長い歳月の末に、人間のような知的生命を生み出すことにあった、と見る人たちも少なくありません。宇宙は自らを認識する「鏡」として知的生命を生み出した、と言い切る見方もあります。そうかも知れないという気もします。それならなおのこと、人間がいま成すべきことは、目先の些細な利害をめぐって衝突や殺し合いに明け暮れたり、自分たちを生み育てた星を汚したり壊したりすることではない、という気がしてなりません。(3月25日)

 <21世紀初の桜の開花と新年度スタート、何かがきっと変わる期待感>
 毎年、春分の日から桜の開花までの、1週間ほどのわずかな期間が、1年のうちで最もワクワクとした期待感がふくらむ時期のように感じます。11月の木枯し1号のころから4カ月以上も続いた「冬」がようやく終わって、春がやって来た。Spring has comeという言い方が、またにピッタリの時期。ちょうど年度末と学校の春休みでもあり、人生のさまざまな脱皮とステップアップの時期でもあり、別れと出会いが交錯する激しい入れ替えの時期でもあります。
 何をそんなに期待しているのか、自分でも説明がつかないけれども、この時期を迎えることによって、初めて今年が本格的に始動し、開花を迎えるという感じになります。年が明けても、正月から2月へ、そして3月もお彼岸までは、いわばウォーミングアップの時期であり、厳しい寒さの中を、地道な準備と地ならしに専念する期間です。
 そしてようやく、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉をかみしめる陽気になって、冬のコートも要らなくなり、桜の開花便りが西から伝わる時期となって、1年の始まりは実質的に春にあることを実感します。その意味で、3月末日までを前年度とし、新年度は4月1日からとしている官庁や学校などの年度制には、味わい深いものがあることに気付くのです。
 桜が開花して春爛漫となるのは、実際にはごく短期間で、それも花冷えや突風などで、あっという間に散り急ぐことは分かっているのですが、ボクたちはそこに、万物の無常を感じ、人生を重ね合わせます。こんなに早く花の盛りに散ってしまうのに、それでも毎年必ず目いっぱいの花を咲かせるその姿は、神々しいほどの生命の賛歌の中に、はかなさとせつなさを見せてくれます。
 「年々歳々人同じからず、歳々年々花相似たり」。桜が今年も開花して散っていく。けれども人は、ボクたちは、去年のままではない。一昨年とはもっと異なる。こうして人は大人になり、年をとっていく。
 日本の社会はいま、政治も経済もまれに見る停滞と荒廃にさらされていますが、これも実質的な「1990年代」がドラスティックに終焉する様子として、歴史の中で整理され記憶されていくことでしょう。
 21世紀初めての桜の開花。21世紀初めての新年度スタート。何かがきっと変わる。新しい時代への漠とした期待感。(3月22日)

 <家電リサイクル法を機に、無駄な買い替えはやめ修理して長く使おう>
 家のテレビが映らなくなった時、買って年月の経っていないものならば、メーカーのサービスセンターに電話して、修理に来てもらうのが普通ですね。しかし年月が経って、機能的にもデザイン的にも古くなってしまったテレビは、修理はあきらめて新品に買い換えるでしょう。テレビに限らず一般に、電化製品が壊れた場合は、修理費用を見積もってもらってあまり高くつくようなら、さほど抵抗もなく買い替えていたのではないでしょうか。
 4月1日から施行される「家電リサイクル法」は、こうした消費者の廃棄決断パターンを大きく変え、ひいては家電の購買スタイルまでも変えてしまいそうな気配です。
 この法律によって、家電を廃棄する場合は、リサイクル料と運搬料のそれぞれをメーカーや自治体などに払って、取りに来てもらうことになります。もはや有料であっても粗大ゴミとしては引き取ってくれないのです。
 リサイクル料は、テレビで2700円、エアコンで3500円、洗濯機で2400円、冷蔵庫で4600円。運搬料は数百円から数千円とばらつきがあるようです。家電製品が故障した時、従来ならば買い換えていたようなケースでも、これからは考えてしまいます。リサイクル料と運搬料を払うくらいなら、たとえ1万円近いお金がかかっても修理の方を選ぶ、という人が増えるのではないでしょうか。
 メーカーも、ちょっとしたリニューアルやバージョンアップ程度では、消費者が今までのように簡単には新製品に買い換えてくれないことを心すべきです。
 いうならば、この家電リサイクル法は、使い捨てを前提にした大量消費社会を根本的に見直すいいきっかけとなるでしょう。しかし、そのことはますますモノが売れなくなり、政府の言うデフレ状態が進むということでもあります。新製品がなかなか売れないとなると、メーカーは価格を下げてでも買ってもらおうとするでしょう。
 まだ使えるモノを棄てさせて、どんどん新製品を買わせ続けなければ成り立っていかない経済というのは、このへんで見切りをつける時期のように思います。修理して使えるのならば、とことんまで修理して使い続ける。新品を買わなくて済んだ分のお金は、別な分野の新規需要に振り向けて、全体としては、経済の歯車が拡大も縮小もせずに、持続を続けていく−21世紀にもなってこうした社会を作れないのは、政策の怠慢だと思います。(3月19日)

 <デフレの恐怖よりも、もっと怖いのは破局に直面している国の財政だ>
 ここ2、3日、新聞やテレビのトップニュースは日米の株暴落や、銀行の不良債権処理、デフレの進行などの経済ニュースで埋め尽くされています。しかし、どのニュースを見ても、ボクたちシモジモの者には、いったい何がどのようにタイヘンで、ボクたちの生活にとって良いことなのか悪いことなのか、それさえピンときません。
 今日は政府の月例報告が、日本経済は「穏やかなデフレ」と認定したというので、夕刊はどこも大騒ぎしていますが、それがどのように大問題なのか、分かりやすく書いているところは皆無です。継続的な物価下落をもってデフレと判定することにしたということですが、物価下落がどうしてそんなに悪い問題なのか、政府もマスコミも、みんなに分かるように説明してほしいものです。
 ユニクロが破格の値段で衣料品を売っている、100円ショップが大賑わい、マックがハンバーガーを平日に半額にしている、ロッテリアは照り焼きバーガーを土日に半額にする、等々。ボクたちは同じものが安く買えるのは、いいことのような気がします。
 その半面、高級衣類が売れず、家電もパソコンも伸び悩んでいます。ボクたちは、買わなくても済むものは買わずに済ませる、修理して直るものは使える限り使う、バージョンアップやニューモデルが出ても飛びつかない、資源を出来る限り大切にしてゴミを少なくする、などの知恵をようやく身につけてきたところなのです。
 しかし、それでは経済が縮小のスパイラルにはまり込んで恐慌になる、とエコノミストたちは言います。だから消費を刺激し、購買欲を掻き立てるべきだ、といいます。でも、日本の国民がささやかな貯蓄をしっかりを守り、つつましい暮らしに甘んじているのは、日本の将来に対する根本的な不信と不安があるからです。
 それは、デフレに対する恐怖というよりは、まず国と地方の抱える破局的な金額の借金に対する恐怖です。もはや返済不可能にまで膨れ上がった国債と地方債。いつ日本が破綻してもおかしくない超不健全な財政状態。これが、消費を凍結させている根本原因です。
 もう一つは、こうした財政破綻に何の手も打てない政治への不信です。銀行の不良債権処理を始めとして、痛みを伴う構造改革をすべて先送りし続け、いまだに公共事業だの公的資金投入だのと、筋違いのことしか言えない今の政治に、国民は見切りをつけているのです。森首相がやめるようでやめないのは、さらに日本経済に犯罪的ともいえる悪影響を及ぼしています。
 今回のデフレ騒ぎが、かえって物事の本質と病巣を見えにくくし、小手先だけの金融緩和と消費刺激に矮小化されて、日本破局の危機をさらに深めてしまいそうな予感がします。(3月16日)

 <新幹線の運転士が帽子探しに席を離れ無人走行、まるで今の日本>
 走行中の新幹線で、運転士が帽子がないことに気付き、運転席を離れて車内を探し回った。この間、新幹線は運転士不在のまま、2キロを走りつづけた−今月10日、東海道新幹線の回送車両で実際に起こった珍事です。
 これって、何かにそっくりだと思いません? そうです、この新幹線は、まさに今のニッポンの状況そのものなのです。今のニッポンは、失われた10年を取り戻すべく、もういちど再出発に向けて始発駅から出直しをはかろうとしている新幹線の回送列車なのです。
 回送列車とはいえ、16両編成の客車には無数の国民がひしめきあって、不安そうな面持ちで乗っているのです。指定席は満席どころか、もはや指定の切符があろうがなかろうが、そんなことはお構いなしで、奪い合いの状態です。グリーン車もへちまもあったものではありません。
 もはやどの車両も、通路はもちろんのこと、網棚の上にまで人でひしめきあい、デッキにもトイレにも人が溢れています。あちこちで怒号や悲鳴が上がり、口論や喧嘩が起きています。なんと、車両の屋根にも、大勢の人たちがへばりつくように乗っていて、危険極まりない状態です。
 車内販売は通路を通ることが出来ない上に、すでに弁当もスナックも飲み物も、強引に伸びる手と手で強奪されてしまい、すっからかんの状態です。車内放送が何か言っていますが、喧騒で全く聞こえません。
 運転席にいるのは、ヨトウさんという運転士です。さきほどから、どうも頭がスカスカしていると思っていたら、帽子がないのです。ありゃ、帽子がなくては、いくら回送列車とはいえ、みっともないし、運転する資格がないなどと、乗客からクレームがつくやも知れぬ。
 そう思ったヨトウさんは、ハンドルを固定したまま運転席を離れて、帽子を探しに車内をヨロヨロと歩き始めました。
 「ワタシの帽子がどこかにありませんか?」。ヨトウさんは、超満員の車内を必死の思いでくぐり抜けながら、尋ねていきますが、乗客はみな押し黙っています。「ワタシの帽子がない。頭に載せて置くボウシ…」。
 ヨトウさんが帽子を探しているうちにも、新幹線は運転士不在のまま、ランダムな走行を続けています。固定したはずのハンドルは、すっかりゆるんでしまっています。折悪しくも、線路はいま複雑な分岐区間に入っていて、手動でポイントを切り替えて行かない限り、行き止まりとなり、脱線転覆の破局を迎える瞬間が近づいてきました。(3月13日)

 <20世紀の戦争を変えた飛行機、21世紀はすべての空襲を厳禁に>
 今日は東京大空襲から56年目です。太平洋戦争の末期に、東京を始めとした日本の都市の多くが、 B29による猛烈な空襲を受けたことは、語られる機会が少ないまま歳月が経過していき、日本がアメリカと戦争をしたことさえ知らない若い人たちが大半を占めるようになってきました。
 空襲は、20世紀の戦争で初めて登場した戦術・戦略です。なぜ19世紀までは空襲がなかったか。それは極めて単純明白で、空襲とは飛行機が発明されて初めて可能になったものだからです。
 ライト兄弟が飛行機を完成させたのが1903年。それからわずか10年余り後に始まった第1次世界大戦で、飛行機は早くも空から敵地に爆弾を投下するための格好の手段として目をつけられ、ドイツによるイギリス空襲によって戦争の様相は一変しました。
 日中戦争では、1931年に日本軍が初めて空襲を行い、さらには1938年に重慶などの中国奥地に対する苛烈な空襲を展開しています。第2次世界大戦の欧州では、ドイツ軍が1940年からイギリス本土に大々的な空襲を仕掛けています。
 空襲の大きな特長は、最初に仕掛けた側はその時点で、予想を上回る「成果」を挙げて、意気軒昂となりますが、やがてはそれを何倍も何十倍も上回る猛烈な報復空襲を受ける、という点です。やるかやられるか、の極限状態での空襲の応酬は、人的、資源的、財政的な限界に至るまで続けられ、総力を使い果たした側が負けて終わる、というシステムになってしまいます。
 その結末が、ドイツ本土への無差別絨毯爆撃であり、日本本土への連日連夜の雨あられのような都市空襲でした。B29が日本に投下した通常爆弾の総量は14万7000トンで、死者は30万人といわれています。とどめとなったのは、広島・長崎への原爆投下で、死者は21万人。合わせると空襲にる死者は51万人にのぼります。
 こうして見ると、古今東西の戦争に使われた技術文明の中で、飛行機ほど戦争に残酷に利用された発明品はないでしょう。それは自動車や鉄道の比ではありません。そして飛行機による空襲・空爆はなぜか戦争に伴うあたりまえの戦術として、非難の声はまったくといっていいほど挙がりません。ベトナム戦争、イラク空爆、ベオグラード空爆と、最近まで空襲は当然の権利であるかのように大手を振ってまかり通っているのです。
 本来、どのような戦争であれ、民間人を無差別大量に殺戮する空襲は、戦時国際法によっても固く禁止すべきだと思います。21世紀も戦争が避けられないとすれば、少なくとも、核兵器と生物化学兵器、それに通常兵器であっても空襲は国際世論の力で実行不可能にすべきです。(3月10日)

 <ロシアの「ミール」落下目前、沈滞する日本に落ちればカツが入る?>
 ロシアの宇宙ステーション「ミール」の落下が近づいてきました。今月中旬との予測ですが、逆噴射をかけて地球の引力に強く引かれるように減速するための燃料が僅かしか残っておらず、落下日時はギリギリまで分からないとのことです。
 それにしても、130トンものミールを大気圏突入で燃焼させるほかないとは、なんとも原始的というか、資源の無駄というか、もったいない話です。ミールに使われているさまざまなパーツを、国際宇宙ステーションなどに利用出来ないのでしょうか。もっとも、そんなことをやれるくらいなら、廃棄などしないわけで、もはや何の利用価値もない宇宙の粗大ゴミとなって手を焼いているということなのでしょう。
 このミールの落下の様子を飛行機から眺めるツアーを、米国の宇宙ベンチャー企業が企画しているそうです。さすが何でもビジネスにしてしまうアメリカですね。窓側の席は1万ドル(約120万円)、通路側は5000ドル(約60万円)で、120人の募集定員に対してすでに40人以上の申し込みがあるとか。
 ロシアも負けずにオリジナルのツアーを企画して売り込んだらよかったのに。ミールの大気圏突入から炎上・落下までの一部始終を、至近距離で並行して急降下するジェット機の中から鑑賞するツァーなんて、スリル満点でいいと思いますけど。あるいは無人の観測機で、その様子を密着撮影して映画製作会社に売るとか。
 日本に落下する確率は1億分の1以下とのことですが、ゼロではないということは、落下する確率もあるということです。すべてにおいて行き詰まって停滞している日本には、むしろ永田町や兜町あたりに落下してくれた方が、カツが入るのではないでしょうか。首相官邸の中庭あたりに落ちるのも結構。諫早湾の水門を直撃するとか、富士山に激突して大噴火を促すなんてのも、なかなかいいシナリオです。
 人的被害さえ避けられれば、日本への落下は国民挙げて大歓迎ですよ、プーチンさん。(3月6日)

 <バーミアンの大仏立像を破壊から守ることは、21世紀最初の試練だ>
 遠い世界の片隅の、ボクの生活とは全く無縁であるはずの出来事が、居ても立ってもいられないほど気になって、ことの成り行きにハラハラしながら連日のニュースを見守り続けている−そんなことって確かにあるものです。
 アフガニスタン中部のバーミアンにある2体の大仏立像を、イスラム原理主義勢力のタリバンがロケット砲などで破壊攻撃すると発表したことは世界に大きな衝撃を与えています。3日夕方の時点では、爆破はまだ行なわれておらず2体の石仏は無事、というニュースの一方で、すでに頭部と脚部が破壊された、という報道もあります。
 この事態の成り行きが、なぜこんなにも世界中の多くの人々の注目を集めているのでしょうか。それは、この大仏立像を守り抜くことが出来るかどうかが、新しい世紀を生き抜く人類の知恵と勇気の試金石となっているからでしょう。ここで大仏の破壊を止められなかったら、文化遺産を人質にして戦う紛争や戦争が、今後とも世界の各地で発生し、取り返しのつかない無力感と失望感の中で、人類は文明への畏敬の念や歴史の中に生きているという感覚を失って、ボロボロに自壊していくでしょう。
 タリバン側に対して、ユネスコが特使を派遣して説得を始めたほか、ネパールを始めとする仏教圏の国々やさらにはパキスタンやイランなどイスラム教の国々からも抗議や反発の声が上がり、日本画家の平山郁夫さんも緊急アピールを出すなど、地球規模での波紋が広がっています。
 ニューヨークのメトロポリタン美術館が、彫像を購入・移送して同美術館で保存したいという意向を表明して、タリバン側と交渉に入ったとも伝えられます。
 美術館による購入も緊急避難的なアイデアではありますが、やはりここは、世界各国の声を結集して、たとえ戦争や紛争であっても文化財の破壊は人類と文明に対する犯罪であり、破壊する側にとっても大損失であることをはっきりさせることが大事です。このような巨大石仏は、いまある場所に保存することがベストであり、仏像の破壊を思いとどまることが、アフガニスタンの国民大衆の利益に合致することを、タリバン側に分かってもらう必要があります。
 いずれアフガニスタンの国情が安定し、破壊の危機から奇跡的に救われた石仏として世界遺産にも認定されれば、世界中の仏教徒はもちろんのこと、多くの観光客が訪れて、アフガンの経済と国民生活に寄与できる−そんな日がくることを夢見たいと思います。(3月3日)

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2001年2月

 <春一番で思い出す「なごり雪」の歌、いま春がきて君はきれいになった>
 2月も今日で最後、そして明日からは3月です。この節目に呼応するかのように、東京では春一番が吹き荒れました。春本番の到来が近いことを先触れして回るかのように、力強く生暖かい南風は、春への期待と生命の開花準備を促して回り、北風とは全く違う世界の匂いをもたらしてくれます。
 春一番が吹いた後は、いったん寒さが戻り、三寒四温を繰り返しながら、春爛漫へとステップを登っていくのですね。この気温の乱高下の過程で、関東地方では思いがけない雪になることも珍しくありません。それが「なごり雪」。今年の東京は雪の日がいつもの冬よりも多かったように思いますが、3月には「なごり雪」を見るのでしょうか。
 「なごり雪」と言えば、伊勢正三さんが作ったフォークソングの名曲中の名曲を思い出します。この歌は、テレビのフォークソング特集などでは、南こうせつさんの「神田川」と並んで毎回リクエストのトップを競い合っていて、女性シンガーであるイルカさんの定番となっています。先日のNHK衛星第2の特集では、伊勢正三さんとイルカさんのゴールデンジョイントでこの歌が歌われ、すばらしい情感にため息が出るほどでした。
 この「なごり雪」は、男の子の側からの歌詞なので男性が歌えばいいようなものですが、女性のイルカさんが歌うことで、万人が共感する若い男女の心の機微が、とても細やかに素直に歌い上げられています。
 「なごり雪」の歌詞は、どのくだりも素晴らしいのですが、とどめのポイントは、「いま春がきて、君はきれいになった。去年よりずっときれいになった」というくだりでしょう。このところをイルカさんが、かわいらしく、恥じらいを込めてポッチャリと歌うところが、たまらないのですね。ここは、いかに作者とはいえ伊勢正三さん一人では出せない味わいで、この歌をリクエストする人たちは、イルカさんによるこのくだりを聞きたい、そして見たいがためにリクエストしている、といっても過言ではないでしょう。
 この季節、女の子たちは、春の訪れを全身で予感するかのように、みなそれぞれにきれいになっていきます。
 幼さのあった女の子たちが、去年よりずっときれいになって、すっくと大人になっていくのは、春一番からなごり雪にかけてのこの時期なのですね。(2月28日)

 <大学入試で「竹取物語」を出題予告、かぐや姫が月世界で犯した罪は>
 今日行われた島根大学法文学部の前期二次試験で、大学側が受験生に「竹取物語」から出題すると事前に予告して話題になっています。古典離れが進む中で、受験生に原文をじっくり読んでもらうのが狙いということですが、文部省では、出題文献の予告は聞いたことがない、として成果を注目しているということです。
 このユニークな予告方式の意義もさることながら、ボクはその文献が「竹取物語」であることに興味をそそられます。「かぐや姫」の物語としてポピュラーなこの古典は、ヒロインが月の世界から来て、また月の世界へ帰っていくという、世界にも類のないSF物語です。この話には、人間ではない者が人間に親切にされて恩返しをするが、やがて別れる時がやってきてもとの世界に戻って行く、という「鶴の恩返し」や「雪女」などにも共通するモティーフが流れていて、「もののあはれ」の情感がにじみ出る傑作です。
 また月からの迎えを帝の軍勢が迎え撃つシーンは、なんと翁の家の周りに1000人、さらに屋根の上に1000人のつわものたちが結集し、まるでスペクタクル映画のような迫力です。(実際に映画化された「竹取物語」では、このクライマックスが「未知との遭遇」そっくりで、いささかガッカリでしたが)
 さて、この竹取物語でボクが最も心を引かれるのは、かぐや姫が月の世界で罪を犯して流刑となり、「罪のかぎりはてぬれば、かく迎ふる」としていわば刑期満了の形で月の世界に迎え戻される点です。翁のもとで美しい理想の女性として育ったかぐや姫が、実は月の世界での罪人だったというプロットは、清純で楚々としたイメージのかぐや姫像を打ち壊す残酷な設定で、胸を打たれます。
 かぐや姫が元の世界から追放されるほどの罪とは、いったいどんな罪だったのでしょうか。最も可能性があるのは、反逆罪などの政治犯ですが、そのような反体制のリーダーだったというのも、かぐや姫像とは合致せずにショックです。あるいは、月の世界の独裁者に対して、身を呈して抵抗し続けたジャンヌダルク的、あるいはアウン・サン・スーチー的な平和運動家だったのかも知れません。
 いや、もしかすると、かぐや姫は月の世界の高名な帝に嫁ぐことが決まっていた絶世の美少女でしたが、心の底から恋をした身分の低い若者と駆け落ちし、逃避行を続けながら、つかの間の愛の陶酔に浸っていたところを、追っ手に見つかって若者は処刑となり、かぐや姫は身も心もボロボロの状態で地球に流刑となった、とうのはどうでしょうか。
 「かぐや姫が月の世界で犯した罪について述べよ」−こんな大学入試問題があってもいいと思うのですが。(2月25日)

 <インドの土壌が生み出した世界存在の真理「空」の思想とゼロの概念>
 再びインドについて書いてみます。インドの偉大さの一つは、ギリシャ・ローマ的世界や西欧が到達し得なかった、この世を貫く真理についての深い洞察を生んだことにあると思います。それはインドを覆う自然環境の厳しさと酷暑、貧困と餓え、徹底したカースト制度と不可触民の存在、ガンジス河の悠久の流れなど、さまざまなインドの土壌が生み出したものと言えるでしょう。
 有名な『般若心経』の中の「色即是空、空即是色」という核心部分は、仏教の核心であるとともに、仏教を生み出したヒンズー教に源流を持ち、さらにはインド大陸に醸成されてきた土着の世界観が底流に流れているのは間違いないでしょう。
 「色即是空」は、いかなる事物も不変であり続けることは出来ず常に移り変わっていく、そして実態のあるもの・形のあるものはいつか必ず滅びる、など、それなりに日本人にとっても馴染みの深い世界観として味わうことが出来ます。
 では「空即是色」はどうでしょうか。こちらの方が難解な感じを受けますが、「空」をすべての存在を生み出す原理、動機、場などとして捉えると分かりやすいのではないでしょうか。生命は無生命の中から気の遠くなるような時間をかけて生まれ、さらにそれらの原始生命からしだいに複雑な生物が生まれ、無知性の生物の中からやがて知性を持った人間が生まれてきた。これらのことからも、「空即是色」の諸相が感じられますが、さらには20世紀の宇宙物理学の驚異的な発見として、この宇宙そのものも「無」から誕生したという事実は、「空」が内包する凄まじいエネルギーと世界を存在させることへの激しい志向性を示しているようです。
 インドに生まれた「空」の概念こそ、西欧の「神」に該当しながら神をはるかに超えて、この世界と人間存在の不可思議さの源として、すべての宗教、すべての哲学を包含してなお余りある懐の深さを有しているように思います。
 ギリシャ・ローマそしてヨーロッパが発見し得なかった数学上の「ゼロ」の概念が、インドで発見された理由として、その宗教的、哲学的土壌がバックボーンとして大きく働いたであろうことは、多くの人が指摘している通りです。
 インドを旅しながら、「空」とゼロの概念の溢れるばかりの内容の豊かさについて考えさせられ、このような偉大な境地を創り上げたインドの人たちの貧困からの脱却を願わずにはいられませんでした。(2月22日)

 <北インドを旅して見た、技術進歩の対極にある極貧の人々の群れ>
 先週から今週にかけて、北インドを旅してきました。ベナレス、カジュラホ、アグラ、ジャイプール、デリーと周って、わずか10日足らずではありましたが、これまでのどの国よりも強烈な衝撃を受けました。
 輝くばかりの数々の世界遺産建造物。極貧の人々の群れ、家族ぐるみで路上生活をする膨大な人々、延々と続くスラム街の凄まじさ、物乞をする無数の子どもたちや障害者たち。公道はもちろんのこと鉄道線路にも寝そべる牛、牛、牛。牛だけでなく、人々と混在して生きている羊、豚、猪、鶏、駱駝、象などの動物たち。融合し分岐し独特の世界を展開している宗教の複雑さ。お香とカレー、牛糞の臭い。建物や装飾、サリーの強烈な原色。街々のいたるところに咲きこぼれるブーゲンビリアの泣くような真紅。
 そこに感じたのは、ある種の懐かしさであり、昔の日本もこのようだったのだという、共通性の感覚です。それは、アジアに流れる血と文明の共通性といってもいいでしょう。仏教伝来の残照もさることながら、近代の日本もつい数十年前までは、今のインドと極めて似通ったアジア的な社会と文明を抱えて、必死に生き抜いてきたのです。この懐かしさは、タイムマシンで昔の自分の姿をちらりと垣間見るような、切ない気持ちにさせられます。
 10億の人口を抱えるこのインドを直視することなしに、21世紀の世界は語れない、そんな気持ちになりました。アメリカが先頭に立って進めようとしているIT革命によるグローバリゼーションは、インドおよびインド的世界を置き去りにし、ますます地球の富を遍在化させ、貧富の差を絶望的なまでに拡大していくのではないか。垢と埃にまみれてやせ細ったこの国の子供たちをこのままにして、先進国だけが独走し勝ち逃げしていいのか。日本はアメリカにくっついていくのか、アジアとともに進むのか。これは一国だけの問題ではなく、地球そのものの問題だという感じを強くしました。
 インドは貧しいけれども、先進諸国にはない大切なものが沢山あるように感じます。先進国の技術文明がこのまま独走・暴走すれば人類の破滅は時間の問題、というこの時代にこそ、インド的な文明と精神世界が、破滅を避ける道を示しているような気がします。人間だけが威張り散らすのではなく、あらゆる生き物が共存し共生していく生き方。資源やエネルギーの浪費を極力抑え、無駄な生産活動はあえてやらない社会。自然の中に、自然の一部として生きて死んでいく人間のあり方。行き詰まった西欧資本主義文明を超克するパラダイムが、インドの中にあるように思います。
 インドという国は、二度と行きたくないという人も少なくないようですが、ボクは病みつきになってしまいそうです。(2月19日)

 <グローバリゼーションで2500言語が消滅の危機、米語の独り勝ちか>
 現在、地球上では5000から7500の言語が使われていると言います。こんなに沢山の言語が存在していること自体が驚きで、人類の誕生からどのようにして言語が形成されていったのか、不思議な気がします。人類がアフリカで誕生し、文明と言語を携えて地球の隅々にまで広がっていったのならば、これほど多くの言語が生まれることはなかったでしょう。せいぜい地球的規模での方言や訛り、あるいは類似構造を持った多数の近似言語の範囲にとどまっていたでしょう。
 これほど多くの類似性のない言語がバラバラに存在しているということは、アフリカで誕生した人類が地球上に広がっていった後で、文明がそれぞれの気候風土とともに独自に発祥して成長し、言語もその過程で土着のものとして作られていった、と考えたほうがいいようです。
 人類最大の発明は言語であるとも文字であるとも言われますが、それがこれほど細分化された多様性・異質性を持ってしまったのは、人類にとって良いことなのか悪いことなのか、判断に苦しみます。バベルの塔の物語のように、天まで達する塔を建設出来ると自惚れた人間の奢りへの戒めとして、神さまが言語を混乱させた、という解釈に、うなづきたくもなります。
 その言語が、いま危機を迎えています。ナイロビで開かれている国連環境計画での報告によると、グローバリゼーションの進行によって、すでに234の言語が消え、さらに2500の言語が消滅の危機にある。そして100年以内に90%の言語が消滅する、というのです。
 消滅の危機にある2500言語の中には、高齢者しか話さなくなったものが1000言語、使う人間が100人未満になったのが553言語など、いずれも風前の灯火といった感じなのです。
 では消滅した言語の代わりに、どんな言語が使われているのかというと、その国の標準語つまりは支配権を握る民族や階級の言語であり、地球規模で言えば英語というより米語です。グローバリゼーションが各国固有の文化を破壊し、アメリカナイズしてしまう危険性は早くから指摘されていますが、言語の消滅という形でこんなにラディカルな侵攻が進んでいるとはショックです。
 このままでは、アメリカの奢りと米語の独り勝ちに対して、現代版のバベルの塔の言語混乱と大崩壊が、いつか起こるのではないでしょうか。(2月10日)

 <富士山は立派な活火山、いつか必ず起こる大噴火で首都圏は…>
 富士山といえば、その優美な姿によって日本的なるものを象徴するような、静寂でおとなしく、従順な山のようなイメージがあります。その富士山で低周波地震が多発し始め、火山噴火予知連絡会が富士山の噴火について本格的な検討に乗り出す、というニュースには、そろそろ来るべきものが来るのかという、不気味なものを感じます。
 中学の理科の授業で、火山には活火山、休火山、死火山の3通りがあると教わりましたが、なんと富士山が立派な活火山であることを、ほとんどの日本人は忘れてしまっているかのようです。「富士」の名の由来も、火を意味するアイヌ語の「フチ」からきていると言われます。
 むしろ、1707年の宝永噴火を最後に300年近くも富士山が沈黙を続けていることの方が異常であって、8万年前から1万年前までは数十年から数百年ごとに噴火を繰り返し、関東全域の旧石器時代の文化をすべて埋め尽くしたのも、じつは富士山の噴出物です。5000年前から再び活発化した火山活動は、溶岩によって河口湖, 山中湖などの富士五湖を生み出し、青木ヶ原を作り出しました。西暦800年 (延暦19年) と864年(貞観6年) には、60余年の間を置いて大噴火を起こし、1707年の大噴火では江戸の町中に灰を降らせています。
 もう大噴火が起きてもおかしくない時期に差し掛かっていることは間違いないようですが、21世紀初頭の富士噴火が日本社会と文明におよぼす影響は、とてつもなく大きいものになるでしょう。噴火に伴う地震だけでも大問題ですが、大量の溶岩や火山灰は、首都圏の経済や市民生活を一気にマヒさせ、三宅島を襲った被害が首都圏と関東全域を襲うと考えていいでしょう。
 新幹線が止まり、東名高速も下の国道も通行できず、降り続く灰のため農業も工場も生産活動がストップし、コンピューターやIT機器が粉塵によって使えなくなったりしたら、日本がどれほどの混乱とパニックに陥るか、想像するだに恐ろしいことです。
 富士山が噴火するなんてあり得ないと思っている人は、雲仙の噴火を思い出すといいでしょう。地元の古老たちでさえ、雲仙の噴火などあり得ないと信じきっていた中で起きた噴火でした。
 日本は火の島、火の国です。日本列島が「フチ」の真上にあるということを忘れてはいけません。(2月7日)

 <立春を迎えると日の光が春めくのは、気のせいではなかった>
 今日は立春。21世紀になって初めての春の前触れです。毎年、立春になると日の光がどこか違うように感じますが、今年もやはり日の光の中に、早くも成長への息吹と力強さ、生命が開花に向けて一斉に準備態勢に入ったようなくすぐったさ、そして春の本質である荒々しさの萌芽のようなものを感じます。
 「春は名のみの」とはこの時期に好まれる枕詞ですが、名のみでない本当の春とは、いつから始まるのでしょうか。また、暦の上の春の開始日というのに、なぜ日の光が変わったような感じになるのでしょうか。
 簡単なようでなかなか難しいこの疑問。調べてみると結構複雑です。春はいつからいつまでか。これには大きく分けて3通りの分けかたがあるようです。
 1つめが、古代中国の分けかたで、立春から立夏の前日までを春とするもので、太陽光の明るさが基準になっています。立春になると日の光が春めいて感じられるのは、気のせいだけではなく、太陽の光そのものが春の光になったからなのですね。
 2つめが、ヨーロッパの分けかたで、春分から夏至の前日までを春とするものです。太陽光の明るさが地上の気温に反映されるまでに1カ月以上のずれがあるため、ヨーロッパの季節の推移によく合致していますが、日本人から見れば始まりも終わりも遅すぎるようです。
 3つめは、日本で定着している四季の分けかたで、3月1日から5月21日までを春とし、3月1日〜3月17 日を初春、3月18日〜5月4日を春、5月5日〜5月21日を晩春と3つに細分されています。
 ちなみにこの日本の区分では、夏は初夏 (5月22日〜6月10日)、 梅雨 (6月11日〜7月16日)、夏 (7月17日〜8月7日)、晩夏 (8月8日〜8月20日) 。秋は初秋 (8月21日〜9月11日)、秋雨 (9月12日〜10月9日)、秋 (10月10日〜11月3日)、 晩秋 (11月4日〜11月25日)。冬は初冬 (11月26日〜12月25日)、 冬 (12月26日〜1月31日)、晩冬 (2月1日〜2月28日)とされています。梅雨と秋雨が入るところが、中国やヨーロッパとは異なるところです。
 というわけで、季節感に裏打ちされた日本の春は3月からですが、太陽光の明るさは今日から立派な春。年賀状に迎春と書いたりするのは、新年が立春から始まっていたころの名残りと言えますが、春が待ち遠しくてたまらない日本人の心情の表れでもあるのでしょう。(2月4日)

 <航空機の管制は人間ではなく、コンピューターによる完全自動化を>
 焼津市上空で起きた日航機同士のニアミスは、僅か10メートルの超至近距離ですれ違っていたことが分かり、衝突を避けられたことは偶然としか言いようがない恐るべき事態だったと言えます。しかも、管制にあたっていたのは訓練中の管制官で指示がおぼつかなく、脇で監督していた有資格の女性管制官が助け舟を出したつもりが、これまた存在しない便名を呼ぶなど、混乱に拍車がかかっていました。
 衝突していたら双方の677人の乗客・乗員が犠牲となる大惨事となっていただけに、原因の徹底究明が叫ばれるのは当然ですが、ボクはこれを機会に、人間の管制官が声でパイロットに指示を出す20世紀型の航空管制方式を改め、コンピューターによる完全自動管制にすべきだと思います。
 ゾーンごとに管制部を置いて、管制官がレーダーの機影を見ながら、上昇や下降などの指示を出して、パイロットと交信を交わす管制のやり方は、ITを駆使した大量輸送航空の時代に大きく立ち遅れているのではないでしょうか。人間には必ず判断ミスが生まれますし、正しい判断をしても言い間違えることだってよく起こります。
 しかも今回のように、1秒というよりも零コンマ1秒以下のとっさの指示が事態を左右する場面では、訓練中の若い管制官なら頭が真っ白になってしまい、監督している管制官でさえもパニックになってしまいます。
 新幹線やロケットについては、管制センターのコンピューターによる自動制御がベースになっていて、自動車の完全自動運転も遠くない将来に現実のものとなろうという時代に、航空機に関しては、なぜ管制の自動化が進まないのでしょうか。
 ゾーンごとの管制センターの画面に、その管内の飛行機の位置と高度、速度などをリアルタイムで表示し、コンピューターがそれぞれの航空機の状態を判断しながら最適の指示を航空機のコンピューターに伝えていくようにして、管制官はコンピューターの指示を監視したり、ハイジャックや機内事故など、人間系の判断が必要な時に限って介在する、というふうにすべきでしょう。
 徐行運転も一時停止も出来ない航空機に対して、21世紀になってもなお人間系が管制を続けているのは、どう考えても不自然です。(2月1日)

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2001年1月

 <新大久保駅の事故に思う、『銀河鉄道の夜』のサソリとカムパネルラ>
 JR山手線新大久保駅で、ホームから転落した男性を助けようとして韓国からの留学生李秀賢さんと日本人カメラマン関根史郎さんが犠牲となった事故に、ボクは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を思い出します。
 自らの身を焦して、夜空に赤く輝き続けるサソリの逸話。そして列車の中で二人きりになったジョバンニが、カムパネルラに言います。
 「どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのサソリのように、ほんとうにみんなのさいわいのためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」。これに対しカムパネルラは 「うん。僕だってそうだ」と答えますが、眼にはきれいな涙がうかんでいます。
 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」と話し掛けるジョバンニに、カムパネルラは 「僕わからない」とぼんやり言います。
 この時、現実世界のカムパネルラは、舟から落ちたザネリを助けるため水に飛び込み、ザネリを舟の方に押してつかまらせました。しかし自らの命は、もうこの世のものではありませんでした。
 カムパネルラは、サソリの自己犠牲を身で持って実行し、李秀賢さんと関根史郎さんも、夜の鉄道線路でカムパネルラに続いたのです。
 一生懸命にサソリの逸話から受けた感動を口にするジョバンニに対し、カムパネルラの方はぼんやりした言い方をするだけで、眼はきれいな涙を浮かべているというのは、とてもドキリとする描写です。李さんも関根さんも、これまで人助けや自己犠牲について、口にしたことはほとんどなかっただろうと思います。
 自らの身を焦そうと捧げる人は、そのことを口にしたり誇ったりすることもなく、ひっそりと無言で行動するのだと思います。
 何も知らないジョバンニが、最後にカムパネルラに言った言葉は、とても重く残酷でさえあります。「僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」。
 21世紀初頭の日本で、カムパネルラがいたことは、奇跡のような驚きであり、この世紀の行く末を照らす数少ない光明です。そのうちの一人が韓国人だったという事実はまた、日本人にとって限りなく重いと思います。(1月29日)

 <信長・秀吉・家康も真っ青、「鳴かぬなら替えてしまおうホトトギス」の時代>
 よく引用に出される例え話に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人のタイプの違いを、それぞれホトトギスの句によって端的に表す話があります。信長が「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」、秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみしょうホトトギス」、そして家康が「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と、ここまではおなじみの話ですね。
 ところが先日の日経新聞のコラムによると、21世紀を迎えた現代の日本で、このホトトギスの句を適用すると、「鳴かぬなら替えてしまおうホトトギス」になるというのです。ウーン、この鋭さには脱帽です。これほど今日的状況をシビアに表す言葉はないでしょう。
 鳴かないホトトギスは、鳴くホトトギスにさっさと取り替えてしまうのが、いまのやり方なのです。この場合のホトトギスとは、何にでも当てはまります。鳴かない経営者であり、鳴かない管理職であり、鳴かない部下であり、鳴かない新入社員であり。そして個人のみならず、鳴かない企業であり、鳴かない取引先であり、鳴かない学校であり、鳴かない自治体であり、鳴かない国家であり…。さらに、鳴かない製品であり、鳴かないサービスであり、鳴かない研究でもあるでしょう。
 これは、良い悪いの問題ではなく、今日の社会そのものが、ホトトギスの鳴くのを待ったり、無理やり鳴かせたり、鳴かないからといって殺したりしている状況にない、ということです。
 鳴かなければ替えられる、ということはシビアな大競争時代そのものです。ホトトギスが鳴いているのに、ほかにも鳴くホトトギスが沢山出てきたらどうするか。もちろん、ためらうことなく、最も良く鳴くホトトギスに替えられてしまうでしょう。
 何よりも、政治家や議員たちにも、これは言えることでしょう。エストラーダ前大統領のケースに見られるように、鳴かないトップは、国民が替えてしまう時代なのです。それなのにわが日本では、鳴かないホトトギスたちがどこもかしこもウジャウジャしていて、替えようにもタマ切れの状態とは、あまりに情けないじゃありませんか。
 「鳴かぬならオレと一緒だホトトギス」なんて言ってニヤニヤしている場合じゃないですよ、森さん。(1月26日)

 <「大洪水時代」の予兆、地球温暖化による海面急上昇が近づいている>
 手塚治虫の1955年の作品に「大洪水時代」という傑作があります。ノアの箱舟をモティーフにした作品で、北極海上に建設中の原子力要塞が大爆発を起こし、北極海の氷が溶けて大洪水が世界中を襲う。世界の陸地の3分の1が水没し、日本は山地を残してほとんどが水没する。日本政府の避難命令を知らなかった5人が、水没した東京のビル屋上に取り残され、ありあわせの木材を集めて箱舟を作る。箱舟は、水面に浮かんでもがく馬や犬、鳥など動物たちを一緒に乗せて漂っていく、というこんなストーリーです。
 ボクはこのところ、地球温暖化に関するニュースがいずれも、黄信号からオレンジ色に変わったような気がして、ふっと「大洪水時代」のシーンを思い出すのです。今年の冬は日本を含めて厳しい寒波に見舞われていて、温暖化は遠のいているような錯覚さえ与えます。しかし、温暖化による地球の危機は、じわじわとくる側面とともに、ある時突発的に手のほどこしようのない事態になるという側面があることを軽視出来ません。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第3次報告は、21世紀末の気温上昇の見通しを上方修正して、1.4度〜5.8度とし、海水面の上昇を9センチ〜88センチとしました。二酸化炭素の濃度が安定したとしても、気温上昇と海水面の上昇は数百年続き、気温上昇5.5度の状態が100年続いた場合は、氷山の溶解によって海水面は最大3メートル上昇するというのです。
 こうしたじわじわと迫る危機と並行して、もっと恐ろしい事態が進行しています。NASAの研究チームの警告によると、南極最大のロス棚氷付近では、夏の気温が棚氷崩壊の瀬戸際まで上昇していて、これが崩壊した場合の海水面上昇は一気に数メートル以上になるというのです。
 人類の今の科学技術の水準ではいったん棚氷の崩壊が始まったら、食い止める手立てはありません。「大洪水時代」が現実のものとなった時、温暖化防止国際会議で有効な具体策づくりをさんざん妨害した日本はどのような責任をとるつもりでしょうか。「予想できなかった」「わが国だけの責任ではない」など、お決まりの言い訳を並べたあげく、政治家や高級官僚、経済界のトップたちは安全な山岳地帯に逃げ込むのでしょうか。
 地球では過去46億年の間に、生物の大量絶滅が5回起きています。6回目の大量絶滅は、ひょっとして地球史上初めて、文明が引き金となる大量絶滅になるかも知れません。(1月22日)

 <映画「13デイズ」に思う、全面核戦争は奇跡に近い綱渡りで回避された>
 1962年10月のキューバ危機に向き合ったケネディ大統領らの13日間を描いた映画「13デイズ」を観てきました。
 あの当時、不気味に静まり返った夜空を見上げ、いつ核ミサイルが飛んでくるかも知れないという張り詰めた空気を味わった者としては、この映画を観ながら、よくぞ人類は破滅の危機を乗り切ったものだと感慨を新たにし、いま世界がこうして21世紀を迎えることが出来たのは、奇跡に近いという気がします。
 ここ数年、キューバ危機の内情が次々と明らかになるにつれ、実際には当時考えられていた以上にはるかに危険は大きく、アメリカもソ連もわずかな一瞬の判断ミスが全面核戦争に直結する、20世紀最大の危機だったことが明らかになってきています。この危機は、ベルリンへのソ連侵攻の可能性をはらみ、さらに朝鮮半島での危機再発の危険を含み、即発すればカリブ海にとどまらず第3次世界大戦に広がっていくグローバルな巨大危機でした。
 当時は米ソ首脳を結ぶホットラインもなく、情報隔絶の状態の中で、お互いに相手の出方と真意をどう読むか、とりわけ相手が核戦争を怖がっているのかどうか、核攻撃への恐怖のあまり先制攻撃に打って出る可能性はどうか、相手方の政府首脳と軍部の力関係はどうか、といったもろもろのことがらを、あらゆる手立てで推し量り、打開の道を探っていく。それは、人類と地球の全ての生死がかかった、やり直しの効かない薄氷の上の判断でした。
 この映画では、アメリカ側の内部の対立と苦悩を描いていますが、ソ連の内部でもフルシチョフやその側近、軍部らの激しい葛藤や対立があったことが予想できます。結果的に、ケネディとフルシチョフの極限の判断によって、発火の寸前で核戦争は回避されましたが、回避されたこと自体が20世紀最大の出来事だったといってもいいでしょう。キューバ危機は、ケネディ暗殺への導火線となり、フルシチョフ失脚への地ならしとなりました。つまりは、それほど際どい綱渡りだったと言うことが出来るでしょう。
 21世紀、今後どのような危機が待ち受けているか分かりませんが、人類は瀬戸際に立たされた時に、もういちどキューバ危機の教訓に立ち返る必要があるでしょう。キューバ危機は、20世紀から21世紀に送られた最大の教訓のような気がします。(1月19日)

 <1月17日が語る大震災と湾岸戦争、21世紀こそ災害と戦争の超克を>
 1月17日は阪神大震災6周年で、亡くなった人たちの7回忌です。
 そして1月17日という日は、もうひとつの鮮烈な出来事、中東湾岸戦争勃発の日で、明日で10周年を迎えます。
 4年という間を置いて、偶然にも同じ日が記念日となっている2つの出来事は、いまのボクたちに共通のメッセージを発し続けているような気がしてなりません。かたや自然災害であり、かたや人為的な戦争ですが、大量の人間の生命を奪い、営々と築き上げた文明を無残にも根底から破壊してしまう点で、同じ様相を呈しています。
 この2つの「1月17日」がボクたちに問い掛けているのは、21世紀にはこのような悲惨で不条理な出来事を回避する術があるのか、ということだろうと思います。
 21世紀にどんなに科学技術が驚異的に進んだとしても、自然災害や戦争から人命と文明を守ることが出来ないようでは、なんのための技術の進歩か、と思います。21世紀が明けて、早くもモンゴルでは大寒波によって数十万頭の家畜が凍死し、人間の凍死も続出する事態となっています。中米エルサルバドルでは大地震によって700人以上が死亡し、多数の行方不明者が出ています。
 こうした自然災害に対しては、発生してから国際的な救援活動が展開するのが通例となっていますが、何か後手に回っているようでもどかしく、21世紀型の対応とは思えません。大地震の的確な予知、そして寒波や熱波、暴風雨など自然災害を未然に防ぎ、コントロールする方策を、国際協力で確立していくことは急務でしょう。
 戦争にいたっては、人間がわざわざ膨大な費用をかけて、他の人間の命や文明をおおっぴらに破壊することの「大いなる愚かさ」を各国が悟り、いっさいの兵器や武器を使用せず、さらに持たないところまでこぎつける必要があります。戦争をする費用と技術があるならば、それをそっくり自然災害を克服するために振り向けるべきです。
 国と国との紛争は、公開の場で、あるいはネット上の論争を通じて処理するしかないでしょう。
 1月17日は、戦争という手段を永遠に葬り去り、人智で災害を克服していくための人類の記念日とすべきです。(1月16日)

 <人間より優れた頭脳のロボット群が出現した時、人類は道を譲る?>
 21世紀は絢爛たる夢の新技術の一斉開花とともに動き出そうとしていますが、これらの科学技術の急展開で、人類と地球はどうなっていくのだろうかと、漠然とした不安が漂っていることも事実です。良い方向に向かうのか、いっそう悪くなる方向に向かうのか。
 かりに、人類が総力を挙げて叡智の限りを尽くし、戦争や侵略、破壊などを一切しないで、資源やエネルギー、環境などの諸問題すべてをクリアし、大量消費を捨てた新しい生き方を採ったとしたら、文明はいつまでも安定的に続いていくものなのでしょうか。
 ボクは、戦争や地球のパンクが避けられたとしても、人類の繁栄はせいぜいあと5000年から長くても1万年くらいがいいところだと思います。
 20世紀のわずか100年の間に起きた激動と科学技術の進展、とりわけ90年代の10年間の進歩を見るだけでも、このペースで進展が進めば100年後さえも想像を絶し、ましてや200年後、500年後、1000年後となると、かりに劇的な滅亡を免れたとしても、人類はしだいに進歩への意欲を喪失し、ある時点から急速に退化していくような気さえします。
 技術文明の進化がターニングポイントを迎えるのは、おそらく21世紀の後半、人間の脳の1億倍も、1兆倍も能力のあるロボットが生まれた時でしょう。そのロボットは動作や感覚も人間並みで、自意識も感情も持つでしょう。ロボット自身が、次世代のロボットを作り出し、あらゆる産業のほとんどの生産工程をロボットが担い、さらに科学技術の研究開発や、地球システムのあり方の決定さえもロボットが担っていけば、人間はあと何をやればいいのでしょうか。
 ロボットが次々に解明していく新たな科学理論や、ロボットが開発していく新技術の数々に、人間が全く歯が立たなくなったとき、人類は自らの地球史における役割が終焉したことを認めるに違いありません。
 ポスト人類の文明を担うのはロボットたちであり、人類の10万年の歴史はそのための準備段階に過ぎなかった、という見方をしている未来学者もいます。いまの人類を見ていると、それも仕方ないかな、と思ったりします。(1月13日)

 <経済効果を期待して動かした成人の日、剥げた虚構に若者たちは敏感>
 長い間、1月15日で定着していた成人の日が、1月第2月曜というまことに分かりにくい日に変わってから、今年で2年目となりました。祝日法改正によるこの移動は、どんな効果があったのでしょうか。以前ならば、小正月の伝統とあいまって、子供から大人への通過儀礼としての成人の日は、一連の年末年始休みとは明らかに区別された特別のハレの日として設定され、何はさておきこの日だけは大人になった二十歳の青年たちを祝福するため、社会が挙げて祝日を確保していたのです。
 ところが、こうした本来の意義を全く無視し、とにかく連休を増やせば国民は喜び勇んでレジャーに出かけ、おカネを使って経済効果が上がるに違いないという、まことに浅はかで国民を侮蔑した政治家たちの発想によって、成人の日は1月15日から分離され、単なる消費効果目当ての無理強い連休に成り下がってしまいました。
 この移動によって、松の内が明けてようやく正月気分から脱し、社会全体が本格的に始動しようという矢先に、また連休のうんざりで、有り難味を感じるどころではありません。公立学校の3学期スタート時期は混乱し、せっかくの小正月は休みでなくなって平日となるアンバランス。
 最悪の影響は、最も肝心の二十歳の青年男女たちが、この日は自分たちの成人を祝ってくれるというのは、実は名のみの話でしかなく、要するに経済効果をあげるために恣意的に設定された連休でしかないということに、敏感に気付いてしまったことです。
 …俺たちが大人になったことを祝うだって。ざけんじゃねえよ。祝日だなんて笑わせるんじゃねえよ。カネを使わせるためのダシだろう。あんたたちが期待しているのは、俺たちがどんな大人になるかなんてことじゃなくて、この連休でどれだけのカネを使わせられるかってことだろう。何が祝辞だ、何が来賓だ…。
 これまでも、同窓会的な再会と久々の談笑の場としての意味が年々濃厚になっていた成人式ですが、儀式中の儀式としての体裁だけはかろうじて保つことが出来ていたのは、この祝日がまさにその儀式の日としてのためだけに、社会が総力を挙げて営々と1月15日に確保してきた、という、そのことの持つ重みがあったからです。
 儀式が文字通りの虚構にしか過ぎないことを、若者たちが知ってしまった今となっては、もはや1月15日に戻しても手遅れでしょう。なんでもかんでも経済効果の金額に換算してしまう政治や大人社会のあり方が根本的に変わらない限り、若者たちはうわべだけのお祝いに激しくノーを突きつけるのではないでしょうか。(1月10日)

 <開幕から1週間たった21世紀、爆発する新技術にどう立ち向かうのか>
 21世紀の開幕から1週間たちました。ヘソ曲がりを自認する者たちからは、「1週間前までと、何も変わらないじゃないか」という冷笑的な声も聞こえてきます。しかし、今日までは松の内で、いわば序奏のための予熱段階。その7日間だけでさえ、東京宝塚劇場が新築オープンし、霞ヶ関では戦後最大の省庁再編がスタートしています。成人の日が第2月曜日となったため、ここ2、3日は正月気分がだらだらと間延びしている状態で、スッキリとした新年の始動は9日から、と見ていいでしょう。
 さて、生まれたばかりの21世紀は、どのような100年に成長していこうとしているのでしょうか。この一週間の全国紙各紙を読んで気になったことの第1は、圧倒的な新技術の爆発を目の前にして、だれもがその威力と底知れない可能性に慄き、不安を感じているのに、それらの技術を制御していく抑止システムが全く出来ていない点です。これらは、ひとたび悪意ある国家や集団あるいは個人の手に入ってしまえば、世界をいかようにも破壊出来るでしょう。科学技術暴走の歯止めを、人類としてどう設定するのか、この問題は各種の国際会議やネット上の議論などを経て、きちんと手立てを打っていく必要があるでしょう。
 第2は、社会や国家のあり方、国際社会のあり方など、社会科学的な観点からの21世紀像がほとんど見えていないことです。科学技術の進化についても、それがどんな新ビジネスになり、どのくらいの市場になるかという予測ばかりが表に出て、人間社会がそれによってどう変わろうとしているのかは、全く予測が出来ない状態のようです。ひところ流行した新・中世論も影をひそめ、グローバリズムと反グローバリズムの間で、みんなが右往左往している有様です。マルクス主義が死んだ今日、理想社会を指し示す「物語」はもはやあり得ないのでしょうか。
 第3は、経済を根底とする社会全体の構造的変革のうねりの中で、マスコミとりわけ新聞がどう変わるべきであり、どう変わろうとするのかについて、新聞自体が何も語っていないに等しく、21世紀のマスコミ像が全く見えてこない、ということです。通信と放送の大変革はすぐそこまで来ているのに、新聞社が再編の嵐を逃れられるわけがありません。「紙の新聞は21世紀になってもなくならない」という新聞人の古びた呪文が、もはや妄言となりつつあることを、新聞人自身が一番気付いていないようです。(1月7日)

 <科学万博で自分あてに出した手紙が配達されて思う、16年の歳月>
 1985年の科学万博会場から、21世紀の自分あてに出した「ポストカプセル」のハガキが元日に配達されました。破損しないように透明なビニールの袋に入れられていて、まさに驚きのタイムカプセルです。ハガキが1枚40円の時代であり、まだ昭和の時代だったことも、しみじみと感慨深いものがあります。自分の住所の郵便番号は、3桁なのはともかくとして、数字そのものが今と違っていたとはビックリです。
 この1985年という時代は、インターネットもデジカメもなく、ケータイも普及してない時代で、ヒトゲノムという言葉も知られてなく、それが解読され得るとは夢にも思わず、このような時代に科学をテーマにした万博がよく開かれたものだと感心します。
 当時はまだバブル経済の最盛期で、パビリオンの展示内容も、どれもがスクリーンに映し出す映像を主体としたバブリーなものであったという印象は否めません。パビリオンで記憶にあるのは、富士通パビリオンの立体映像くらいで、これを見るために平日でも2時間、3時間待ちは普通で、日曜などは4時間、5時間待ちの行列が続いていました。
 一体、何を見せるための万博で、何を語りかける万博だったのか。16年後の2001年の世界を、どの程度予測して、科学技術の未来図をどう提示したのか。このあたりで、じっくり検証してみる必要があるのではないでしょうか。
 この科学万博のさなかに日航ジャンボ機が墜落したことは象徴的で、この大惨事は当時の科学技術が、人間と命、文化、思想といった人文的なものを置き去りにしてきたことへの反作用だったように思います。この後、国内では1990年のバブル崩壊、世界ではベルリンの壁崩壊とソ連の消滅、東欧社会主義の崩壊と、時代は予測をはるかに越えて進み、1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件は、科学万博的な幻想を一気に吹き飛ばしてしまいました。
 16年という歳月には、なにもかもすっかり変えてしまうパワーがありました。20世紀末の大変化に匹敵する変化は、21世紀ではさらに短期間のうちに訪れるでしょう。ドッグイヤーからマウスイヤーへ。とりあえずは5年後の2006年、そして10年後の2011年は、世界がひっくり返るほどの激変の節目節目となるような予感がします。(1月4日)

 <新たな白紙の21世紀、100年を錦で織るも血で染めるも私たちしだい>
 長い間の夢でしかなかった2001年が明けて、21世紀が開幕しました。まずもって、生きてこの瞬間を迎えることが出来たすべてのみなさんとともに、新世紀の到来を祝福し合い、乾杯したいと思います。
 映画「2001年宇宙の旅」を初めて観た時以来、2001年という世界は強烈過ぎる未来そのものであり、現実にその世界に入っていく日が来ることは、いつまでたっても決してあり得ないような気がしていました。1990年代が後半に入って、2001年という年がしだいに現実味を帯び始めてきても、自分が本当にこの目で2001年の世界を見、2001年の空気を吸うことが出来るのだろうか、と半信半疑でした。
 このホームページを「2001年の迎え方大研究」としてスタートさせた1997年2月初めの時点では、まだ1400日以上も先のことであり、ボクは自分でこうしたホームページを作ることによってのみ、確実にその日にたどり着けるのではないか、と希望をつないでいたのだと思います。
 この間にはさまざまな出来事が起こり、世界も日本も世の中も、ボクの個人的な生活も大きく様変わりしました。1日1日とホームページを更新していく、牛の歩みというよりも亀の歩みのような、ゆっくりゆったりの作業でしたが、21世紀が接近してくる距離を日々に実感できたのは、得がたい体験でした。
 あと3年、あと2年、あと1年としだいに21世紀に吸い寄せられていくのが良く分かったそれぞれの大晦日。そしてあと100日となった9月からは加速度的に、まさに21世紀という巨大な白紙に向かって落下していくように、接近速度が速くなっていくのが感じられました。
 ボクたち人類と地球が、21世紀に接近してきたのでしょうか。それとも21世紀の方がこちらに接近してきたのでしょうか。それはおそらく同じことを別の言い方で表しただけであって、相対的なものなのですね。
 21世紀は、今後の長い100年間を通じてどんなふうにボクたちに襲いかかり、ボクたちを翻弄していくのでしょうか。それはむしろボクたちが21世紀をどのように歩き始め、どんな100年として創っていくのかにかかっていると言えるでしょう。
 まだ何も未決定で、100年間全部が真っ白な21世紀。それを夢と希望の錦で織り上げるも、絶望と血で染め上げるも、今日からの私たちしだいです。(1月1日)

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