新世紀つれづれ草



02年1月−6月のバックナンバー

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2002年6月

 <宇宙誕生から10のマイナス43乗秒後までの間に、何があったか> 
 NHKテレビで、いま世界の物理学者たちの注目を集めている最先端の宇宙論として、平行宇宙論というのを紹介していました。簡単に言うと、ボクたちの宇宙と平行して、これとは物理法則が全く異なる別の宇宙が無数に存在している、というのです。それも、11次元の表面に浮かぶアワのように、さまざまな宇宙が激しく揺れ動いていて、接触したり衝突したりを繰り返している、といいます。
 ボクは率直に言って、こうした宇宙論は数式上では矛盾がないとしても、実際にそのような「他の宇宙」が存在するかどうかは、観察も検証も不可能な話であり、あまりにも観念的に過ぎて、宇宙物理学者たちの数式の遊戯あるいは自己満足に過ぎないのではないか、という気さえします。
 なぜこんな、「あなたの知らない世界」的な、オカルトにも似た理論が作られてきたかというと、最大の理由は、宇宙開闢(かいびゃく)からビッグバンが始まるまでの、ごくごく短い瞬間を科学的にどう説明するのか、という難題に対して、物理学が苦しみ続けてきたことです。
 宇宙の始まりの最も初期においてビッグバンがあったということは、観察データによっても裏打ちされていて、これを疑う科学者は少なくなってきました。現在では、ビッグバンが始まる直前の状態が、宇宙誕生から10のマイナス43乗秒後くらいのところまで(どれほど短い瞬間であるか、見当もつかないほど微小な時間です)、さかのぼって解明されています。この状態では宇宙の全ての物質は、10のマイナス40乗センチほどの大きさ(目に見えない粉塵よりも、もっとずっとはるかに小さい)に収まっていました。
 ところが、この微小な時間をかき分けて、宇宙誕生の瞬間まで限りなく近づこうとすると、この宇宙を貫いているすべての物理法則が破綻をきたして適応されなくなることが、物理学者たちを悩ませ続けていたのです。物理法則が適応出来なくなるこの限界点は「特異点」と呼ばれ、物理学者たちを漠とした不安に陥れてきました。
 ホーキング博士などは、宇宙誕生から10のマイナス44乗秒くらいまでの「特異点」では、虚数時間が流れていて空間と時間の区別がなく、あらゆる方向が時間軸だった、というような理論を展開しています。
 ボクは物理学については全くのシロウトですが、宇宙誕生直後のこのような想像を絶する最初の瞬間で、しかも全物質が水素原子よりもはるかに小さい一点に凝縮されていた状態では、この宇宙の物理法則が適応されないのは、至極あたりまえのことであって、物理学者たちがそのことを嘆くことは全くない、と思うのです。
 それよりも、「特異点」ぎりぎりのところまで、宇宙誕生の状態が分かってきたということの方が驚嘆すべきことで、むしろこのように誕生から短い時間にある微小なな大きさの状態でさえも、「特異点」を抜けた時から早くも今の物理法則が適用されることの方が、ずっと感動ものです。
 平行宇宙などを持ち出さなくても、この宇宙は虚数時間の中で無のゆらぎから生まれた、というこれまでに物理学が悪戦苦闘して到達した説明の方が、はるかに説得力がある、とボクは感じます。(6月29日)

 <『時間の岸辺から』その8 魔法の箒を作る> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 来年2003年は、ライト兄弟の初飛行から100周年を迎えます。この間に航空機はめざましく発展し、高速大量輸送手段として、また戦争における攻撃力の中核として、現代史に巨大な影響を及ぼしてきました。
 しかし、鳥のように自由自在に空を飛んでみたい、という人類の夢がかなえられたのか、と言うと、ボクは違うような気がするのです。人類が夢見てきたのは、金属の筒に何百人もの乗客を詰め込んで高速移動をすることではなく、一人一人がゆっくりと空を泳ぐように、家々の屋根や木々の高さを飛び回ることだったのではないでしょうか。
 自由に飛びたいという願望は、アラビアンナイトの「空飛ぶ絨毯」、ドラえもんの「タケコプター」、ハリーポッターや魔女の宅急便における「魔法の箒(ほうき)」など、さまざまな形で表現されて、飛ぶことへの憧れをかきたて続けています。
 世界各国には現在も、人力飛行機に挑み続ける人たちのサークルが無数に存在していて、飛行コンテストはどこでも盛況を極めています。人力飛行機による飛行では、1988年に距離115.6キロ、滞空時間約4時間という記録がアメリカで出ています。
 熱気球もブームで、東京では高層マンションの販売現場を訪れた客に、熱気球に乗ってもらい、高層階からの眺望を体験してもらうイベントが人気を集めています。気球に乗った人たちが飛行の楽しさを堪能するのは、地表から高さ30メートルくらいまでで、それ以上の高さになると怖がる人が多いそうです。
 日本では、環境省の主催による「魔法の箒」デザインコンテストが、9月末日までアイデアとデザインを募集中です。地球温暖化防止のために「脱・クルマ」社会の実現をめざし、地球にやさしい新しいタイプの乗り物を創り出そう、という企画です。
 条件は、持ち運びが容易で電車などに手軽に持ち込めるものであること、簡単に組み立てられ、人力で駆動・操縦できて安全に走れること、などです。夢いっぱいのネーミングですが、空を飛ぶ乗り物はまず不可能で、地上を走るものに限られそうです。
 将来、人間を乗せて浮遊する「魔法の箒」が実現するためには、重力の影響を制御できることが必須条件のように思います。
 重力制御の研究は、アメリカやイギリス、ロシアなど世界各国で真剣に行われていて、実現した暁には、動力やエネルギーの大革命となるでしょう。この技術の軍事転用を禁止する国際条約づくりは不可欠です。
 晴れた日には、大勢の人たちが「魔法の箒」に乗って、高さ30メートル程度の空中を、ゆらゆらと飛びながら散策する…。手を繋ぎあって飛ぶ家族連れや、腕を組み合って飛ぶカップルの姿もあちこちに。シャガールの絵のような、こんな光景が実現したら、素晴らしいと思いませんか。(6月25日)

 <梅雨は日本の5番目の季節、雨と傘の陰で夏本番へスタンバイ> 
 四季がはっきりしている日本で、梅雨は極めて特異な時期です。梅雨があるのは、世界の中でも東アジアだけで、ヒマラヤ山脈の存在によって、西からの季節風が分断されるために発生する、とされています。
 北海道を除く列島に、1カ月以上も居座りを続けるこの梅雨は、四季の中ではどの季節に含まれるのでしょうか。春のようであって春ではなく、夏のようであって夏でもないこの期間は、春夏秋冬の四季とは別の、5番目の季節と言えるのではないか、とボクは思います。
 梅雨は、日本人のメンタリティーや感受性に多大の影響を及ぼしています。梅雨があるために、本来は夏本番スタートの最大の指標である夏至が、すっかりかすんでしまい、1年で最も昼が長くて夜が短い日、と説明されてもほとんど実感が伴いません。それもそのはず、夏至に最も南中高度が高くなる太陽も、厚い雨雲に隠れて姿は見えませんし、梅雨寒がこれに拍車をかけて夏らしさをいっそう遠ざけています。
 ヨーロッパのように、夏至の夜に、妖精や妖怪、魔物、魔女たちが森の中の山に集まる、というのは、昼間、カラリと晴れて強い日光があればこそ、その裏返しとしての闇の饗宴なのですね。しとしと雨の中では、魔女も妖精も気勢が上がらず、やめておこうか、と退散してしまいそうです。
 日本では、春の心ときめくような爛漫の陽気は、梅雨入りによって静かに終焉し、その後は夏を迎える準備期間として、来る日も来る日も、うっとうしい雨と傘。この光景にぴったりと合うのが、アジサイの紫なのですね。こうした、あいまいでぼんやりとした空模様の中、実感のないままに夏至が過ぎ、1年の前半から後半への切り替わりさえも、梅雨に隠れてさりげなく過ぎていきます。
 梅雨は、どうすることも出来ない宿命の気候として、日本人がひたすら甘受し、植物や農作物のためとして前向きに受け入れている間に、季節は刺激的でドラスティックなポイントを覆い隠しながら進行し、7月も中旬から下旬にかけてのある日、突然、列島を覆っていたカーテンを切って落とします。
 それが梅雨明け。この劇的な回転によって、梅雨空の後ろでは、季節が完全に夏本番として仕上がり、快晴と猛暑がしたためられていたことを、ボクたちは眩しい思いで知らされます。なんと鮮やかな、場面の切り替わり。
 夏本番は、あまりにも厳しい熱帯並みの暑さのため、長い期間に渡っているような感じがしますが、実際には7月下旬から9月の秋分の日くらいまでの2カ月ほどと、意外に短いのです。梅雨は、酷暑の期間を縮めるという、大きな役目を果たしているのですね。
 梅雨は、日本人の身体と心の双方を、夏に向けてじっくりと調整してスタンバイに持っていく、味わい深い5番目の季節といえるでしょう。(6月22日)

 <Wの戦い済んで宴の後に来る反動は、圧倒的な空白と空虚感> 
 日本、トルコ戦に敗れ、ベスト8進出ならず。30日の決勝まで、まだまだ熱戦は続くとしても、「日本のW杯」は確実に終わったことを、ヒシヒシと感じざるを得ません。降りしきる梅雨は涙雨、その雨に打たれて杜の都に散った日本チーム。Jリーグ発足から実に9年、ここまで良くぞ成長したもので、まずは決勝トーナメント入りを果たした大健闘を称えたいと思います。
 その一方で、ここまでの快進撃が夢のようであっただけに、日本人の多くは明日から、いやもうこの瞬間から、列島をどうしようもない速さで覆い出している圧倒的な空白感・空虚感を前に、ただ呆然と立ちすくみ、どこへ向かって歩いて行ったらいいのか分からない気分です。。
 平日の試合というのに、企業も役所もおおっぴらにテレビをつけて、日本中が観戦し続けた異様な盛り上がり。14日のチュニジア戦の後は、1000人もが道頓堀川に飛び込んだという、エキセントリックな興奮。それも終ってみれば、どことなく恥ずかしくもあり、バツの悪い気持ちで、ボクたちはすごすごと、もとの日常に戻って行かざるを得ません。
 次は4年後のW杯ドイツ大会がある、というのは、ほとんどなぐさめにも、気休めにもなりません。沸きに沸いて美酒に酔い続けてきた多くの日本人たちは、今日からどうやって、どんな気持ちで、W杯なき日常の日々を送っていったらいいのでしょうか。
 W杯は、美しくも巨大な「夢のページ」であり、虚構と現実とが絡み合って作り出された地球規模の祭典でした。それは1個のボールを蹴り合うゲームにすぎないと同時に、国家と国家の兵器なき戦いでした。1秒1秒がすべて現実であるとともに、それはそのまま物語として綴られて、ページの中の世界に入っていったのです。
 夢のようだった「ハレの日々」が終って、ボクたちが直面するのは、しばしの間忘れていた退屈な「ケの日々」の、果てるとも知れない延々たる連続です。宴を現実と思い込んだ錯覚と混同の身には辛すぎる、日常のつまらなさでしょう。
 この失望感と虚脱感に輪をかけるのが、世界と日本の醜くも、危険過ぎるさまざまな情勢です。日本では小泉改革の頓挫が誰の目にも明らかになり、経済が低迷から抜け出せないまま、戦争準備の道を急ぐ勢力だけが高揚しています。インドとパキスタン、イスラエルとパレスチナは、W杯の終了を合図にして、破滅的激突へと突き進むかも知れません。
 アメリカは、核先制攻撃を本気で行う構えで、今年秋と見られるイラクへの全面攻撃が、核戦争となる危険は非常に大きいでしょう。この暴走と地球破滅の瀬戸際で、アメリカを誰がどのようにして抑えことが出来るのでしょうか。
 宴が終った後の空白感と虚脱感の中で、21世紀が早くも壊れようとしています。このまま手をこまねいていては、4年後のW杯ドイツ大会を開催するための地球は、炎上しているかも知れません。(6月18日)

 <日本チームの歴史的快挙を作り出した、10年の歴史の積み重ね> 
 日本中が歓喜に沸いたサッカーW杯。日本がリーグ1位で、決勝トーナメント進出を決めました。ドーハの悲劇から9年にして、よくぞここまで力をつけたものだと、みなそれぞれに万感胸に迫るものがあることでしょう。
 今回の歴史的快挙に、「ローマは1日にして成らず」という言い古された格言の重みを、いまさらながらに思い浮かべます。昨日のチュニジア戦での勝利は、この10年の日本サッカーの集大成であり、選ばれた選手たちはもちろんのこと、選考から外れた膨大な選手たちや、無数のアマチュアサッカー選手、サッカー関係者たちとサポーターたちの、1日1日の汗と努力の積み重ねの上に、辛くも打ち立てられた栄光だ、ということです。
 今大会だけを見ても、初戦のベルギー戦と、2戦目のロシア戦を、死力を振り絞って乗り切ったことが、新たなる推進力を生みました。一寸先のことは、誰にも分かりません。分からないからこそ、すべての力をぶつけて今を戦う以外に、道を切り開く方法はないのです。
 チュニジア戦は、まさしくベルギー戦とロシア戦から連続していて、この流れの途中のどこでつまづいても、決勝トーナメント進出の道はなかったでしょう。さらに、前回のフランス大会での3戦全敗以降の、すべての日本サッカーの強化策や試合経験が、こうした躍進の底流に流れています。それ以前に、93年のJリーグ結成からサッカーW杯の日韓共催決定へ、そして艱難辛苦、紆余曲折のあらゆる日本のサッカー史が、この流れに注がれています。
 まだ来ないけれども確実に訪れる未来。それを作るのは、地層のように幾重にも重なり合って、いまも日々積み上げられている過去であり、動かし難いものとなりつつある歴史です。それは、現在という長さのない一瞬の時点に繋がっていて、その現在こそが未来への切り口であり、唯一の突破口です。現在の一刻一刻を渾身の力で丁寧に生き抜くことによって、未来は作ることが出来、自分の側に引き寄せることが出来ます。栄光をつかむためには、過去や歴史に謙虚であることが不可欠だということ。そんなことを考えさせられた日本チームの快挙でした。
 今回の各組の1次リーグの試合を見ていて、どの国の選手たちも自分の身体だけが唯一の拠り所であることに気付かされ、改めて深い感銘を受けました。一切の武器を使わないで、国と国の代表たちが、ルールに従って戦うことの素晴らしさ。逆に言うと、武器や兵器を使って戦うことが、いかに卑怯で醜いことであるかを、ひしひしと感じます。
 W杯が終ったら、人類はまた、武器や兵器をふんだんに使っての、はてしない殺し合いの日々に戻るのでしょうか。(6月15日)

 <『時間の岸辺から』その7 少子化の果て> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 15歳未満の子どもの数は、21年連続して減少を続けていて、1960年ごろに比べると総人口に占める子どもの割合は半分になった、と総務省が発表しました。確かに、夕暮れの街を歩いても、子どもの姿はめっきり減った、と感じます。
 1人の女性が一生のうちに生む子どもの数(出生率)は、戦後間もない1947年には4.32だったのが、1974年には2.05に下がり、2000年には1.36まで落ちました。出生率は2050年には1.61まで回復すると予想されていたのですが、国立社会保障・人口問題研究所は先日、2050年の出生率予想を大幅に下方修正して、1.39としました。
 この1.39という出生率は、長期に渡って続くと予想され、今世紀末の日本の人口は、現在の3分の1にあたる4253万人にまで縮小し、日本は100年足らずの間に8千万人もの人口を失う、と推定されています。
 恐るべき人口減は、何をもたらすでしょうか。日本のいたるところで、空家のままスラム化した家屋や、売れなくなった土地がゴロゴロし、役所も企業もオフィスビルも商店も学校も交通機関も、すべて7割近くが不要になってしまう、と考えていいでしょう。
 勢いを失った日本は、衰退が衰退を生む人口減少のスパイラルに陥るかも知れません。出生率1.39のペースが続くと仮定すると、100年ごとに人口が3分の1に減り続け、23世紀末には500万人、26世紀初頭には50万人と、人口の縮小は信じられない早さで進みます。
 そして31世紀、日本の人口はわずか1千人にまで落ち込みます。ボクには、その時の様子が予知夢のごとく目に浮かびます。国としての体裁を失った日本は、国民投票で国家を解散し、国連の保護のもとで国際特別自治村となっているのです。
 1千人ほどの日本村民は全員、温暖化による水没の恐れがない高原の町に集まって、原始共産制にも似た自給自足の生活を細々と続けています。20世紀末に中国から贈られた2羽のトキの子孫が、いつの間にか繁殖していて、畑仕事をする最後の日本人たちの上空を舞っています。弥生時代を思わせるような、静寂でシュールな光景。
 こんな結末に至らないためには、出生率を2.08以上に保ち続ける必要があるとされています。
 少子化は、女性の非婚化・晩婚化と関わっているだけでなく、最近は結婚しても子どもを産まない女性が増えていることが、大きく響いています。劣悪な子育て環境。膨大な教育費用。荒れる少年期。無事に成長しても就職難。着々と進む戦争協力の体制作り。「子どもを生める世の中ではない」という女性たちの声が聞こえてきます。
 出生率が2.08まで回復することは、もはやあり得ないような気がしてなりません。(6月11日)

 <銀座四丁目の時計塔が満70歳、ゴジラに破壊された幻の記憶も> 
 銀座四丁目のシンボル「和光の時計塔」が、今月10日の「時の記念日」に、創設されてからちょうど70年の「古希」を迎えます。
 かつて銀座が東京の中心であった時、この時計塔もまた日本の中心でした。当初は服部時計店という名称で、空襲で銀座一帯が焼け野原となった時も、時計塔は文字盤3枚を破壊されながらも奇跡的に生き残り、戦後しばらくは進駐軍相手の雑貨や飲食物を売るPXとして使われました。
 大晦日、NHKの「紅白」が終って、新年が明ける瞬間。この時計塔の文字盤の前に、ダークダックスが立って、歌声とともに午前零時を指す光景が、NHKテレビで全国に生中継されていた時期もありました。メンバー4人が立っても、なお文字盤の方が大きいことに驚いたものです。
 大晦日の中継がなくなってからも、大晦日の深夜にはどこからともなく多くの人が銀座四丁目交差点に集まってきて、時計塔を見上げながら年明けの瞬間を祝ったものでした。
 この時計塔をめぐる「大事件」でボクが忘れられないのは、1954年に製作された「ゴジラ」の中で、東京湾から上陸して銀座へ向かったゴジラが、この時計塔を破壊した凄まじいシーンです。ちようど時計の針が午後11時を示し、鐘の音が鳴り始めた時に、ゴジラは怒りの表情とともに、力任せに時計塔をぶち壊したのです。
 ゴジラは、ジュラ紀の恐竜が太平洋の海底深くで生き延び続け、彼らだけの生活を続けていたのが、度重なる水爆実験によって安住の地を追い出され、日本を襲ったとされています。ゴジラは、時間が止まった生物であり、超時間的な存在です。
 そのゴジラにとって、時間を表示する時計塔は、決して相容れない存在であり、本能的に激しい敵意を掻き立てられたのは、当然かも知れません。午後11時という時刻は、昭和20年の激しい空襲で、銀座から下町にかけての広範囲が炎上した夜と重なります。
 水爆の権化であり、東京大空襲の地獄絵の物質化とも言われるゴジラが、午後11時の時針を見てある種の共振反応を起こしたと解釈してもいいでしょう。
 ゴジラは、時計塔を破壊することで、時間の流れを完全に破壊し、現実と虚構の垣根さえも破壊してしまいました。時計塔を破壊された和光は、怒りが収まらず、その後長期に渡って、東宝には時計塔でのロケを一切認めなかった、というエピソードはよく知られており、ゴジラの破壊力が映画の中だけにとどまらなかったことを物語っています。
 古希を迎えた時計塔にとっても、ゴジラに破壊された夢の記憶は、懐かしい青春の幻想体験として、いつまでも忘れられないことでしょう。(6月8日)

 <ナゾの存在だった「政府首脳」の仮面が落ち、中から現れたるは> 
 政府には、閣僚名簿にも載っていない「政府首脳」という重要ポストがあるのです。このポストには、代々、政府与党の重要人物が着任し、折に触れて主要な問題に関して自分の見解や見通しを表明し、その内容が「政府首脳発言」としてテレビで伝えられて、新聞の1面や政治面を賑わします。
 こんなに重要な役割を果たしているのに、「政府首脳」は決してテレビカメラに顔や姿が出ることはなく、新聞にも写真が掲載されることはありません。そもそも、「政府首脳」が毎日、どんな仕事をしているのか。首相官邸にいるのか、霞ヶ関の役所にいるのか。自民党の人物なのか。それさえも、定かではありません。
 すべてが霧に包まれたナゾの存在ですが、不思議なことには、どの新聞もテレビも、「政府首脳」の正体について疑問を抱くことなく、正体を突き止めようともしません。というよりも、新聞やテレビに携わる人たちは、実はみんな「政府首脳」の正体を知っているのに、知らない振りをし続けているのですね。馬鹿正直な一般読者や一般視聴者だけが、「政府首脳って、いったい誰なのだろう」と首をかしげたり、「名前を出せない深いワケがあるに違いない」と考え込んでいるだけなのです。
 ここ数日、「政府首脳」による非核三原則見直し発言がクローズアップされるにつれて、本来、正体を隠し続けていなければならない「政府首脳」の姿が、マントの陰からチラチラと見え隠れし始めて、これまでマスコミと権力が、暗黙の約束の下に作り出してきた「政府首脳」という虚構が、白日の下に曝される事態となってしまいました。
 まず、おかしくて噴き出してしまいそうになるのが、福田官房長官の発言。「(政府首脳)本人に真意を確認したが、そういうことは言っていないとはっきり言っていた」。そうですか。さすが福田官房長官ですね。この騒ぎの渦中にある本人から、よくぞ真意を聞きただすことが出来ましたね。「政府首脳」はどんな様子でしたか。しょげていましたか。それとも憮然としていましたか。福田官房長官から「政府首脳」に、激励の言葉でもかけてやったら、さぞ喜んだのではないでしょうか。
 卑怯なのは小泉首相です。騒ぎが大きくなってきたことから、「政府首脳ってだれ。私は言ってないのに、誤報はやめてもらいたい」と、おとぼけコメント。小泉さん、知ってるくせにルール違反です。
 おやおや、これは見ものですぞ。とうとう「政府首脳」の仮面が溶け出し、マントが風に舞ってちぎれていきます。中から現れ出でたるは、イヨッ、なんと福田官房長官ではないかあっ。「そうです。政府首脳というのは、私です」。
 官房長官と内閣記者会の定例の懇談は、オフレコが前提で、その内容を報道する場合は、各社とも「政府首脳」として報じるという、茶番に近い取り決めが、とうとう破綻してしまいましたね。福田さんのクサイ一人二役、素朴な田舎芝居のようで、なかなか楽しませてくれました。
 それにしても、発言をした本人とは別の存在を造り出して、オフレコ発言を報じなければならないというのも、大変ですねえ。ホントにホントに、ゴクロウサンなこってす。(6月4日)

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2002年5月

 <ミケランジェロの2つの「ピエタ」と「ダビデ」が、現代に問うものは> 
 今回のイタリア旅行で、ボクがとりわけ感銘を受けたのが、ルネサンスの巨匠ミケランジェロの作品でした。
 ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある「ピエタ」と、ミラノのスフォルツェスコ城にある「ピエタ」。かたや23歳の作品、かたや80歳を超えて死の直前まで制作を続けた未完の作品。同じミケランジェロとは思えないほど異なる2つのピエタの対比は、観る者に大きな衝撃を与えます。
 ローマのピエタは、マリアはキリストの恋人のように若々しくて清純無垢。この作品が、観る者の心を揺さぶるのは、キリストの苦しみとマリアの悲しみが、人類共通の苦しみと悲しみとして表わされていて、宗教を超えた普遍性を持っているためでしょう。人間とは苦しむ存在であり、悲しむ存在なのだということを、これほど美しく力強く表現した作品はありません。そこには、苦しみと悲しみを抱えつつも、前に向かって進むことが出来る人間存在に対する、ミケランジェロの理想主義的な信頼を強く感じます。
 この作品から60年ほどの歳月を経たミラノのピエタは、まずマリアの著しい老け様に愕然とさせられます。ピエタの設定からすれば、マリアは同じ年齢のはずですが、ここではミケランジェロが年老いたのと同じ時間スケールで、マリアもすっかり歳を取ってしまっています。一方のキリストも、若い肉体は見る影も無くなく消えうせて、腰が曲がった老人のような姿になっています。
 キリストに背負われるような格好のマリアは、悲しみを癒すすべもなく老いていく無数のマリアたちでしょう。老いたマリアを背負うかのようなキリストは、ミケランジェロ自身の老いた姿です。マリアに抱えられるはずの右腕が、上体から不自然に離れた位置に浮いているように見えるのは、もうこれ以上彫り続けることが出来なくなったミケランジェロの右腕そのものと言えます。同時に、この老キリストは、若き日の熱い理想をかなえることなく一生を終えていく、無数の男たちの姿でもあるのでしょう。
 老いることの寂しさと侘しさ、現実の無残さと諦観。ミラノのピエタは、酸いも甘いも味わい尽くした人生の黄昏を、この上なく味わい深くかつ残酷に表現しています。このマリアやキリストは、ボクたち自身の何十年後かの姿なのかも知れません。
 もう一つ、今回の旅で忘れられないミケランジェロの作品があります。フィレンツェのアカデミア美術館にある「ダビデ」です。これは宮殿脇の広場に等身大のレプリカもありますが、本物の前にたたずんだ時の感動は忘れられません。ダビデ像は想像していたよりもはるかに大きく、彫刻なのに目が放つ視線の鋭さには驚かされます。
 石を握り締めたダビデ像が迎え撃つ相手は、ルネッサンス最盛期を過ぎたイタリアの諸都市をめざし、侵攻の機会をうかがうフランス、スペイン、ハプスブルク家などの列強諸国でした。ダビデ像は、イタリアの危機を象徴していたのです。
 優れた芸術は、時代を超えて生き続けます。ダビデ像が今、迎え撃とうとしているのは現代の危機であり、世界を覆う21世紀の暗雲です。ダビデの視線の先には、歴史や文化や叡智を次々と蹂躙し破壊し始めている、巨大なモンスターが見えているのではないでしょうか。(5月31日)

 <宇宙が生み出した人間が芸術を生む不思議、イタリアを旅して> 
 12日間ほどかけて、イタリア各地を旅してきました。ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノのほか、ペルージャ、シエナ、パロマ、ボローニャなど中世の小都市を訪れ、ウフィツィ美術館を始めとして10カ所以上の美術館や博物館を観て回りました。
 イタリアは芸術の宝庫。絵画や彫刻、工芸品など、イタリアに現存する美術作品は星の数にも達し、さらに建築や街並み、都市そのものがアートになっていて、まさにイタリアは国全体が芸術なのだという感じを強く受けました。
 ボクはそれらのほんの一端に触れただけなのですが、ただただ圧倒されるとともに、このように高度な芸術を生み出した人間という存在の不思議について、改めて考えさせられました。
 人間も元をたどれば、太古の地球の海で発生した原始生命に辿り着きます。それは40億年近い進化を経て、誰の手も借りずに人類にまで進化してきました。人類が高度な知性を獲得したことだけでも驚嘆に価しますが、その人類が芸術を生む力を持っていたという事実は、さらに驚くべきことです。
 生命を生み出す素となったのは、一生を終えて死滅した星の残滓です。ビッグバンによって誕生したこの宇宙には、知性だけではなく豊かな芸術を生む力と可能性が、当初から内包されていた。そう思うと、ボクは畏敬の念とともに戦慄すら覚えます。
 ボクは無宗教ですが、こうした宇宙の持つエネルギーと飽くことなき進化への指向性こそ、創造主あるいは神と呼べるものではないか、と思うのです。優れた芸術は、神の域に限りなく近いと言っていいでしょう。
 その一方で、今回訪れた博物館などには、兵器や武器の展示室があるところも少なくなく、ルネッサンスと前後する時代にイタリアの各地で使用された槍や鉄砲の数々が、これでもかこれでもかと延々と展示され、人間が持つもう一つの側面を見せ付けてくれます。それらの武器には、いかに相手を効率的に殺し、いかに相手の身体を切り裂いて苦痛を与えるかに、渾身の工夫がほどこされています。
 こうした人間の激しい矛盾を見るにつけ、映画「第三の男」で、オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムが、観覧車の中で語る有名な台詞が思い出されます。
 「イタリアでボルジア家が支配した30年間は、戦争、テロ、殺人、流血の時代だった。しかしそれは、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネッサンスを生み出した。スイスには同胞愛があり、500年間に渡る民主政治と平和があった。それは何を生んだか? 鳩時計だ」(In Italy for 30 years under the Borgias they had warfare, terror, murder, and bloodshed, but they produced Michelangelo,Leonardo da Vinci, and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love - they had 500 years of democracy and peace,and what did that produce? The cuckoo clock.)
 人間とは、崇高な芸術活動と、残虐な集団殺戮とを、並行して行うことが出来る存在なのですね。神も悪魔も、人間存在を鏡のように反映した概念に違いありません。(5月28日)

 <『時間の岸辺から』その6 無為一刻値千金> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「な〜んにもしないをしよう」という文字が、電車の中で目を引きます。JR東日本による女性向け国内旅行のキャッチコピーです。何もしないためには旅に出るほかない、ということは、裏を返せば、ボクたちの日常は、何もしないでいることがいかに困難であるか、ということです。
 ここ数年ほどの間に、ボクたちを取り巻く時間環境は大きく変わりました。新しい技術を使った便利で効率的なメディアやツールが、つぎからつぎへと出現してボクたちを取り囲み、やるべきことの多さに比べて、時間が絶対的に足りなくなっています。
 パソコンや携帯電話などのIT機器は、高速・大容量のブロードバンド時代を迎え、日進月歩で進歩し続けています。これらの変化に追いついていくだけでも大変で、新しいハードやソフトを使いこなすためには、相当量の習得時間が必要です。
 旧世代メディアかと思われたテレビも、地上波テレビやBSアナログに加えて、CSデジタル、BSデジタル、110度CS、と覚えきれないほどの新たな方式が登場し、ボクたちに新たな視聴時間を作るよう迫っています。
 しかしボクたちは、IT機器の操作やテレビ視聴だけに時間を費やすわけにはいかないのです。それぞれに仕事がある上に、新聞や本を読む時間も必要です。映画や美術展、演劇やコンサートの鑑賞、スポーツなど、何をやるにしても、まとまった時間が必要です。
 ボクたちはよく、人生における持ち時間ということを言いますが、1日の持ち時間についても、考えてみる必要があります。どんなに大金持ちでも才能に恵まれた人でも、人間に与えられている時間は、1日につき24時間しかないのです。それに、ずっと眠らなくても生きている人間は、この世に存在しません。せいぜい2夜続けての徹夜が限度です。何か新しいことに時間を費やそうとすれば、ほかの時間を削るしかありません。
 そもそもボクたちは何のために、限られた時間の中で、こんなに沢山のことをやろうとしているのでしょうか。豊かに生きるため? 充実感を味わうため? 時代に遅れないため? あれもこれもやろうとして、バタバタと時間に追いまくられる生活は、ボクたちが探し求めてきた青い鳥なのでしょうか。
 いま、スローライフの価値が、ヨーロッパの労働運動などで言われていますが、ボクはもっと端的に、何もしないアイドリングタイムの価値を再発見する必要があるのでは、と考えます。
 本来、何もしないことは、ひなたぼっこに見られるように、人間にとって最高の贅沢であり、至福の時間であるはずです。無為という言葉には、解脱の境地とか永遠の存在という意味も込められています。
 中国の詩人は昔、春宵一刻値千金(春の宵の美しさは何ものにも替え難い)と詠みました。なにもしないことの価値は、無為一刻値千金といえるでしょう。 (5月27日)

 <『時間の岸辺から』その5 W杯の一期一会> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 5月31日から始まる日韓共催のサッカーW杯。1カ月の期間中、日本には40万人の外国人が訪れます。言語は主なものだけで19言語。観客の多くは、W杯がなかったら日本を訪れることがなかった人たちです。空港から競技場に直行し、応援するチームの試合を観戦したら、とんぼ返りで帰っていくサポーターも少なくないでしょう。
 日本国内10カ所の開催地では、地域ぐるみでおもてなしのイベントなどを計画しています。しかし、こうした交流の場に参加出来るのは、日本での滞在スケジュールに余裕がある人に限られます。
 あわただしく訪れて、あわただしく帰っていく外国人サポーターたちに、これぞ日本という体験を味わってもらうための、手っ取り早くて効果的な方法はあるでしょうか。
 そこでボクが注目したいのは、食事です。腹が減ってはなんとやらで、どんなに滞在日程が短い人でも、少なくとも1回か2回は、日本で何かを食べるでしょう。40万人もの外国人が日本で食事をする、ということは、大変な出来事です。そのせっかくの機会に、ハンバーガーやサンドウィッチではなく、ぜひお箸を使って日本食を体験してほしい、とボクは思います。
 なにも高級料亭に行く必要はありません。日本のサラリーマンやOLが、お昼に出入りしている定食屋さんで構いません。お味噌汁とお新香付きの焼き魚定食とか、サバ味噌煮定食、肉じゃが定食、コロッケ定食などを、日本人に混じって味わってほしいと思うのです。駅ビルなどで朝早く、和食の朝定食を出す店に入ってみるのもいいでしょう。
 外国人の中には、お箸を手にするのは生まれて初めて、という人も多いでしょう。焼き海苔や冷やっこなど、食べ方が分からないおかずを前に、困惑してしまうかも知れません。
 そんな時は、近くの席の日本人がカタコトの外国語に身振り手振りを交えて説明してあげましょう。納豆や生卵が食べられないという外国人がいたら、食べられるメニューを周囲の人たちが聞いて、店の主人に取り替えてくれるように頼んであげましょう。これこそ生きた国際交流というものです。
 さらに何日間か滞在出来る外国人は、お蕎麦屋さんにも挑戦してみましょう。老舗のお蕎麦屋さんが見つからなければ、立ち食い蕎麦でも充分です。回転寿司や天丼のチェーン店などもお勧めです。
 値段が安いことは、入りやすさにつながるので、大切な条件です。お店の方も、入り口にWelcomeなどと書いておくといいでしょう。
 日本の食べ物は、必ずしも外国人の口に合うとは限りませんが、それも異文化体験。たまたま同席した日本人から手ほどきを受けながら、お箸で日本食を食べた経験は、忘れ難いものとなるでしょう。まさに、W杯の一期一会です。(5月14日)

 <現実味を帯びてきた中東複合戦争の6月勃発、さよなら人類> 
 イスラエルによるパレスチナ自治区への軍事侵攻が、新たな自爆テロによって再び激化しそうです。もはやアメリカにはイスラエルを止める意思も能力もなく、シャロンは全面的な対パレスチナ戦争に突き進む可能性が大です。
 このままでは、アラブ諸国がそろそろ我慢の限界に達し、パレスチナ支援に向けての動きが加速されるかも知れません。6月に中東複合戦争勃発、と予測している週刊誌もあります。焦点となるのは、アメリカから悪の枢軸と名指しされたイラクとイランの動きです。
 イスラエルがパレスチナへの全面侵攻を始めると同時期に、アメリカによるイラク攻撃が始まったら、湾岸戦争の時と同様に、イラクはイスラエルにスカッドミサイルを立て続けにぶち込むでしょう。
 イスラエルにミサイルを打ち込まれたら、アメリカとイスラエルは、フセイン政権転覆に向けて、本気で全面戦争を仕掛けてくるでしょう。こんどはイランやリビアなど、多くのアラブ諸国が反イスラエル、反アメリカで立ち上がるでしょう。
 中東での複合戦争は、アジアにも深刻な波及を及ぼすことでしょう。イラクやイランへのアメリカの攻撃が強まるのを見て、悪の枢軸と名指しされたもう一つの国、北朝鮮は、アメリカからの攻撃を警戒して一段と構えを強くし、軍事力を増強していくでしょう。日本では、周辺有事の危険が高まっているとして、有事法案などの戦時総動員体制づくりが急がれ、一方では自衛隊がアメリカのイラク攻撃への支援行動に出て、限りなく戦闘行為に近づいていくでしょう。
 日本と北朝鮮の一触即発の危機は、中国をはじめとするアジア諸国を、複雑な緊迫に巻き込んでいくでしょう。インドがアメリカの軍事支援に回り、パキスタンがアラブ諸国への支援に回って、インドとパキスタンの核保有国同士で火花が散る事態も予想されます。パキスタンが中国に接近し、一方ではインドが台湾との関係を強めて、中国と台湾が戦争状態となることも考えられます。
 こうして日本は平和憲法もなんのその、いつの間にか、アメリカ、イスラエル、インド、台湾の側に立って、戦争遂行の一翼を担うことになり、パレスチナ、イラク、イランなどのアラブ・イスラム諸国、パキスタン、中国、北朝鮮などを相手に戦うハメになっているでしょう。
 この段階ではもはや、ロシアやEU諸国、北欧、豪州などに、戦火の拡大を防ぐ役割を期待することは出来ないでしょう。こうした中、中東かインド・パキスタン、アジアのどこか一角で核兵器が使われ、あれよあれよという間に全面核戦争にエスカレート。まさかの第3次世界大戦の結果、数十億人が死亡し、生き延びた人類の大半も長く続く放射能汚染と核の冬によって、種としての最後を迎えるでしょう。
 さよなら人類。叡智も文明も、富も栄華も、その程度のものでしかなかったのですね。(5月10日)

 <国民の休日は5月4日以外にも発生するってこと、知ってた?> 
 ゴールデンウィークも今日6日でおしまいです。なんだかアッという間に過ぎてしまったような気がします。この中では、3日の憲法記念日からの4連休がひときわ目立ちましたが、4連休は毎年あるわけではなく、3日が木曜日か金曜日にあたった場合に発生します。
 今日6日は、子どもの日の振替休日で、祝日と日曜が重なって損をした分の埋め合わせ、ということで分かります。一方、「おまけ」的な色合いが強いのが、4日の国民の休日です。
 実は、法律には「国民の休日」という表現はなく、また5月4日がそうだとも書いてないのです。法律が定めているのは、祝日と祝日に挟まれた平日を休日とする、ということだけです。5月4日が平日(土曜日も平日に含む)でない場合は、国民の休日にはなりません。3日が日曜日の場合、4日の月曜日は振替休日で休みになるのであって、国民の休日ではありません。
 さて、この国民の休日が発生するのは、5月4日だけだろうとボクは思い込んでいましたが、これが大きな間違いで、ほかにも発生するケースが今後はあり得ることを最近になって知りました。いつだと思いますか。
 それは、これまで9月15日で固定されていた敬老の日が、来年からは9月の第3月曜日となって、15日から21日までの範囲で移動することから、発生の可能性が出てきたものです。9月の第3月曜が21日になったとします。直後に秋分の日が控えていますが、これがその年によって22日か23日かのどちらかになります。21日の敬老の日に続く秋分の日が23日になって、22日が平日だったら、法律によってこの22日は堂々たる国民の休日になるのです。
 そんなうまい具合にコトが運ぶことがあるだろうか、と思いますが、7年後の2009年がまさに、これらの条件に当てはまる可能性が大きく、史上初めての5月4日以外の国民の休日が、9月に発生すると見られます。さあ今から楽しみですね(えっ、ゼンゼン楽しみじゃない?)。
 チマチマと細切れに祝日や休日を増やすよりも、いっそのこと欧米のように、7月と8月はバカンスシーズンと決めて、官庁も企業も、必要最小限の部署だけを開けて、あとは休みにした方が、経済効果の点からも国民のライフスタイルの点からも、効果絶大と思うのですが…。でも結局、そんなに長期の休みを使いこなすことが出来ない人たちが続出し、抜け駆けで生産活動を続ける企業も出そうですし、日本ではまあ無理でしょうね。(5月6日)

 <崇高な理想に向けた決意と誓い、日本国憲法を世界に生かそう> 
 1998年のこの欄で、日本国憲法の前文を掲載しました。あれから4年たって世の中は大きく様変わりし、日本国憲法を葬り去ろうとする動きはかつてないほど公然と、そして巧妙に進行しています。大マスコミがすっかり及び腰になってしまった今、日本国憲法こそ21世紀の日本が世界に誇れる最大の宝物であり、昨今の世界各地の危機にあたって、日本国憲法の精神と理念こそが、人類の破局と崩壊を食い止める最後の拠り所であることを、声を大にして叫びたいと思います。
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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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 これを読んで改めて感じることは、この憲法は禁止や制約を連ねた固定的な法文ではなく、崇高な理想に向けての決意と誓いであり、達成に向けての方向性とエネルギーを指し示すベクトルなのです。憲法を変えようとしている勢力が、どんな憲法をめざしているのかは、有事法制や人権擁護法、個人情報保護法などに、露骨に見え隠れしています。それは戦争への協力と、批判圧殺のための、国家総動員体制の復活です。
 日本国憲法を守り、憲法の理想を21世紀の日本と世界に生かしていくための、絶え間ない努力がいまほど求められている時はありません。(5月2日)

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2002年4月

 <『時間の岸辺から』その4 進化はなぜ消えた> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「ゆとり教育」をかかげて、4月から公立学校の週5日制がスタートしました。学校で教える中身はめっきりと少なくなり、教科書も軒並み薄っぺらになりました。
 小中学校の授業削減を受けて、来年4月からは高校の教科書も大幅に変わることになり、その検定結果が9日に発表されました。いろいろな問題をはらむ中で、ボクが最も気になるのは、中学の理科の教科書では扱わない「進化」についての記述が、検定によって高校の生物Tの教科書からもすべてバッサリと削られたことです。
 「単細胞生物から多細胞生物への進化のようすも考えてみよう」というような記述は、検定を通りませんでした。進化という言葉を使ってなくても、進化をにおわせるような表現は全部削られ、検定官たちは「進化のシの字」も一切認めない、という極めて強い姿勢だった、と報じられています。
 生物Tというのは理科の選択科目で、文系を志望する生徒の多くが選択する科目です。来年からは生物Tを選択しても、進化については全く学ぶ機会がないまま、大学生や社会人になっていくことになります。
 アメリカではカトリックの影響の強い地域で、いまなお進化論を学校で教えることが禁止されています。人間は神が創造したのであり、サルから進化したというのは神への冒涜(ぼうとく)だ、というのです。
 日本では、人間も含めて生物が進化してきたというのは、ほとんど当たり前のことのように受け止められていますが、これまで教育の場で進化がタブーでなかったことが大きいのでしょう。
 40億年も前、地球の太古の海で、最初の生命が発生した。それが目に見えない微生物となり、やがて膨大な種類の生物へと枝分かれし、爆発的な進化を遂げていった。その先端に、というよりも末端に、ボクたち人間がようやく出現した。これは、地球上で起こった最大のドラマです。進化の舞台は、気が遠くなるような悠久の時間です。
 進化を考えることは、人間とは何もので、どこから来たのか、を考えることです。進化を見ることで、地球とその生命圏の中での、ボクたちの位置が見えてきます。進化を学ぶことは、人類がこれから取るべき行動について学ぶことです。進化は人間に、未来への勇気と励ましを与えてくれます。
 今回の検定が、進化を執拗なまでに削った背景には、何があるのでしょうか。生物が進化したのでなければ、人間はどうやって出現したというのでしょう。まさかまさか、とは思いますが、そこでイザナギ、イザナミが登場してくるのじゃないでしょうね。日本は神の国であるぞ、と教えたい人たちが存在することを、ボクたちは忘れてはいません。そうした方向への地ならしとして、進化が消された、と考えるのはうがち過ぎでしょうか。(4月29日)

 <虚ろな辻元清美の残酷な美、その陰で進む戦争への法整備> 
 国会中継で、参考人として追及された辻元清美さんが泣く光景を見て、やるせない思いでいっぱいになりました。結局のところ、辻元さんに共感出来るか出来ないか、辻元さんを応援していけるかいけないか、人によって大きく分かれるところで、その人の人生観や世界観に関わっている、という気がします。それにしても、毎日新聞の辻元バッシングは、マスコミの中でも突出していて、私怨があるのではと思えるほどの凄まじさに辟易とします。
 魂の抜けたような虚ろな辻元さんの表情を見ていてボクは、残酷なほどの美を感じました。威勢良く追及の場に立っていた頃の辻元さんには、決して見られなかった壮絶な美しさ。それは、極限の状態に追い込められて、逃げることも救いを求めることも出来ない女の、魂さえも裸にされた一種のエロスのような官能美です。
 戦いに敗れて、公衆の面前で敵の兵士たちから辱めを受け、身も心もボロボロにされて、いったん死んだ女兵士。電気ショックと注射で、死体を無理やりに蘇生させられて、人形のような無力な姿をさらし、またまた男どもから屈辱の身体検査に近い公開取り調べ。
 その一方で、有事法制という名の国家総動員法や個人情報保護法、人権擁護法など、国家の権限を飛躍的に強化して、いつでも戦時体制を取ることが出来るようにする法案が、国会に提出されています。マスコミは、自分たちに規制が及ぶ部分については反対を叫んでいますが、最も重大な有事法制については、テロとの戦いを支持したのと同様に、容認ないし黙認する論調です。
 戦争への道は、マスコミが些細な小悪をよってたかって叩きつづけているうちに、着々と敷かれています。蝋人形のようになった辻元さんの美しい死に顔を、軍靴が踏みつけ、戦車が潰していきます。「辻元清美」は、軍神に捧げられた生贄の子羊。いつの世も、進軍ラッパが響く前には、死とエロスの香りが妖しくも哀しく漂うのです。
 やがて憲法が改正され、徴兵制が敷かれる日も遠くないでしょう。一億火の玉。反対や批判、異論などは、つぶやくだけでも非国民。右から突き出される刃の前に、新聞もすべて沈黙し、やがて協賛へと転じていくことでしょう。
 ツジモトサン、センソウニハンタイシ、タタカイツヅケルコトガ、デキルノハ、アナタシカイナイ。ケンポウヲマモルタタカイノ、セントウニタツノハ、アナタシカイナイ。ツジモトサン、ボクタチハ、アナタガモドッテクルノヲ、マッテイマス。(4月25日)

 <この期にもこうべを垂れぬみずほかな、早くもダメブランド確立> 
 今朝、「重要」と書かれた封筒が、郵便受けに入っていました。差出人は東京電力です。何事だろうかと開けてみると、今月の電力使用量の通知を兼ねた先月の電力料金領収書で、その領収書の部分が*印によって潰されていて、中身は空白のままになっています。
 東京電力からのことわり書きが同封されていて、みずほ銀行の口座振替が遅れているため領収書の作成が出来ない、と書かれています。ATMで記帳したボクの通帳を見てみると、確かに電気料金は引き落とされているのですが、みずほから東電への振替通知や入金が遅れているのでしょう。
 こうした事態は初めてのことですが、いまのボクの状態は電力料金を払ったのでしょうか、払っていないのでしょうか。法的にはどういう状態になるのか知りたいところです。東電の電気料金だからまだ安閑としていられますが、これが資金繰りに苦しむ自転車操業の中小企業だったり、返済期日に厳しいサラ金だったりしたら、笑って済ませるどころではありません。
 そもそも、東電がこうして釈明の文書を利用客に配布しているのに、みずほ銀行からはトラブルについて一片の文書も送られて来ません。こうした説明は本来、みずほ自らがやるべきことではないでしょうか。
 みずほの今回のトラブルは、オンラインシステムの障害という範囲をとっくに超えて、銀行としてのあり方の根本的なところに問題があるように感じます。みずほの経営陣は、指導官庁の顔色をうかがって右往左往し、大口取引先にばかり目がいって、数から言えば圧倒的多数の一般利用客が全く眼中にない、といっていいでしょう。
 企業が合併・統合した時に、新しい名前をどうするかは、とても重要な問題です。とくに、国民の日常生活と深い関わりを持つ銀行の場合は、利用客を引き寄せることが出来るのか、逆に利用者を逃がしてしまうのか、名前が与える印象によってずいぶん左右されるように思います。
 「みずほ」はもともと、瑞々しい稲の穂という意味であったはずですが、「水漏れ放置」もしくは「(客を)見ず呆」のような語感になってしまい、いまや「みずほ」は雪印と同様、信用ならぬダメブランドとしての確固たるイメージを作り上げてしまいました。今日発売の一部週刊誌によれば、みずほ銀行からの預金流出が始まっているとのことですが、さもありなんと思います。
 「初日からこうべを垂れるみずほかな」という川柳が、新聞に載っていました。ボクは「この期にもこうべを垂れぬみずほかな」と言いたくなります。みずほなどという、そぐわない名前はこの際返上して、第一勧業富士日本興行銀行という、ジュゲムジュゲム的名前で再スタートを切ったらいかがでしょうか。(4月22日)

 <国際宇宙ステーションに鉄道敷設、日清など宇宙ラーメン開発へ> 
 地上では、日本も世界も、目を覆うばかりのひどい話だらけの今日この頃。だからというわけでもないのでしょうが、時たま報じられる宇宙開発のニュースが、ひどく新鮮に感じられたりします。
 地球を回る軌道上で建設中の国際宇宙ステーションに、宇宙開発史上初の「鉄道」が敷設され、今月15日、わずか13メートルという短い区間ではありますが、試運転に成功しました。銀河鉄道を思わせる、夢とロマンあふれるニュースです。この鉄道は、ステーションの増設工事や修理の際などに資材を運ぶためのもので、いずれ区間は100メートル以上に延びる予定、といいます。
 今世紀中に宇宙ステーションがいくつも増設されて、お互いの間が鉄道で結ばれたら、貨物用だけでなく、作業や研究にあたる人たちや観光客を運ぶ客車も作られるかも知れません。きらめく銀河を窓越しに望む車両の中を、制帽をかぶった車掌が「切符を拝見します」と回ってくるような、宮沢賢治的世界が出現するでしょうか。
 地上から定期便で送られる新聞や週刊誌、それに飲み物などの車内販売もあるといいですね。隣の宇宙ステーションまでちょっと時間がかかる時など、食堂車で宇宙カレーライスなどの軽食を取ることが出来たら楽しいですね。
 食事といえば、これは現実のニュースですが、日清食品と宇宙開発事業団(NASDA)が、宇宙ステーションで働く日本人宇宙飛行士たちのために、宇宙ラーメンの開発に乗り出したそうです。宇宙ステーションに向けて2005年に打ち上げられる、日本の実験棟「きぼう」での実用化を目指す、とのこと。
 お湯を注ぐ方式になるのか、レンジのようなもので温める方式になるのか。いずれにしても、せっかくのラーメンですので、ストローで吸うなどの無粋な食べ方ではなく、ハシで食べるものにしてほしいですね。あ、それからチャーシューとメンマはぜひものですね。もっとも、不注意でハシやチャーシューを無重力の船内に漂わしてしまう、などの粗相は避けたいところです。
 宇宙滞在者や一般の宇宙旅行客が増えてきて、ステーションの回転によって人工重力を作るような段階になったら、屋台のラーメン屋さんが出店するかも知れません。宇宙チャルメラなんて、郷愁をそそるではありませんか。
 「おじさん、大盛り一丁、麺やわらかめでね」「へい、まいど」「今日の地球は赤みがかってるねえ」「なんでも、中東で核兵器が使われたらしいですよ」「へえー、たくさん人が死んだんだろうなあ。ここのチャーシューうまいね」(4月19日)

 <『時間の岸辺から』その3 アトム誕生前夜> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 スポットライトを浴びながら、ステージ中央に歩み出て観客に手を振るスターは、身長58センチのロボット。600席の特設スタンドを埋め尽くした観客と立見席の数百人。人間たちの熱い視線が注がれる中、ロボットは踊りながら歌います。立見席にも入れない数百人は、大スクリーンに映し出される生映像に食い入ります。会場に渦巻く熱気。興奮。感動。驚き。ため息。
 これは、SFの世界ではありません。3月末、横浜で開催された「人類のパートナーロボット展―ロボデックス2002」で、ボクが目の当たりにした現実の光景です。
 最も注目を集めたのが、3月19日に発表されたばかりのソニーの「SDR―4X」。5万語を理解して人間と会話を交わし、人間の顔を覚えて識別したり、簡単な喜怒哀楽の感情もあります。シーソーのように動く板の上でもバランスを取り、倒れても自分の力で起き上がります。
 会場では、ホンダのロボット「ASIMO」たちによる風船割り競争が行われたり、演奏ロボット、警備ロボット、受付ロボットなど、企業や大学などが開発している最先端のロボットたちが展示されていたりして、時代はまぎれもなく21世紀であることを実感します。
 一角には、「鉄腕アトム」のコーナーがあり、ロボット開発に傾注するエンジニアたちが、アトムを目標としていることがうかがえます。漫画の中でアトムが誕生したのは、2003年4月。それは1年後に近づいてきています。現実と虚構が織り合わさって進んでいるような、不思議な感覚。
 人間型ロボットにかける意気込みは、日本が突出しているといわれます。鉄腕アトムの影響もさることながら、一木一草にも神が宿ると感じる、日本人の感性も深く関わっているのでしょう。一所懸命に動作を披露するロボットたちを見ていると、単なる機械とは思えず、そこにはすでに魂のようなものが宿っているような気持にさせられます。
 高度な知能を持つロボットが、人間のさまざまな活動をアシストし、心を癒してくれる。災害などの危機には、身を呈して人間を救ってくれる。そんな夢が実現する日は、遠くないでしょう。もしかして、ロボットこそが21世紀の「神」となるのかも知れません。
 一方で、恐ろしい予感も高まります。ロボットが戦争や犯罪に使われることを防ぐ手立てはあるのでしょうか。鉄腕アトムの「電光人間の巻」で、悪党の親玉が吐く台詞が強く印象に残っています。
 「アトムは完全ではないぜ。なぜなら悪い心を持たないからな。完全なものは、悪いものですぜ。水爆を見たまえ。あれは原子力の完成芸術だが、人を殺すほか役にたたないぜ」
 これは、ロボット時代の到来を早くから見通していた手塚治虫さんが、アトム誕生前夜のボクたちに送り続けている警告メッセージのような気がします。(4月15日)

 <10勝1敗の快進撃でも、優勝を信じられない阪神ファンの習性> 
 阪神半疑などという、手垢まみれの駄洒落が新聞のスポーツ面に踊っているうちに、なんとなんと、阪神タイガースは12日の試合が終った時点で、開幕11試合を10勝1敗という、信じられない強さでスタートを切っています。
 これだけの強さを見せ付けられてもなお、ボクを含めてタイガースファンはみな、手放しでこの勢いを信じ込むことが出来ず、心の片隅では、いずれ一転して負けが込んできて一気にトップから転がり落ち、優勝なんて結局は夢に過ぎなかったと、力なく微笑む日が来るに違いない、と覚悟を決め込んでいます。これは、長年に渡って幾多の試練をくぐり抜ける中で、タイガースファンが身につけた心理的防御策とでもいうべき悲しい習性で、それはもはやDNAにまで染み込んでしまっているといってもいいでしょう。
 タイガースファンはこれまでいったい幾度、もしやの期待を裏切られてきたことでしょうか。昭和60年のタイガース優勝なんて、現実には起こっていないフィクションで、ありえない奇跡に対するファンの悲しい渇望が集積して作り上げた、蜃気楼のような幻影だったのではないか、という気にさえなっていました。
 かつて野村阪神になったばかりの開幕スタートも、最初のうちは今年のような爽快ぶりでした。ところがというか、やはりというか、ペナントレースが進むうちに猛虎はダメ虎になり、結局は縦じまのネコになってしまいました。なんだかんだと言われているうちに、選手には万年最下位病がすっかり身に付き、脱出はほとんど不可能とも思える状況でした。
 そこへ降って沸いたのが、サッチー疑惑による野村監督のとばっちり辞任。晴天の霹靂で白羽の矢を立てられたのが、星野仙一現監督でした。サッチー疑惑がなければ、今年の星野阪神はあり得なかったでしょう。人間万事塞翁が馬といいますが、ほんとうに何が幸いになるか分かりません。
 阪神は早くも2位に4ゲーム差をつけていますが、とはいえまだ4月上旬に入ったばかり。ペナントレースの先は長いのです。タイガースの選手は、お調子者が多いので、うまく乗ればパワーがパワーを呼んで突進していきますが、いったん波が崩れてしまうと負けっぷりも豪快で、連敗街道まっしぐらです。
 予想される危機は3つあります。一つはサッカーのW杯で、スポーツファンの関心がタイガースからそれる時期。もう一つは夏の高校野球のために甲子園球場を明け渡して、長い酷暑のロードに出る時期。そして時期は不明ながら、ジャイアンツ系のスポーツ紙が、阪神の「内輪もめ」について1面トップで書きたてる活字テロについても、要注意です。
 タイガースファンには、もう覚悟が出来ています。阪神の勢いはいずれ止まり、スランプの時期もやってくるでしょう。結局は優勝を逃して、2位あたりで終るのかも知れません。このイライラと欲求不満の中で悶絶し続けることこそ、タイガースファンの究極のマゾ的快感であり、だからこそファンをやめられないのです。(4月12日)

 <みずほが示す巨大銀行のアキレス腱、サイバーテロは大丈夫か> 
 Y2Kという懐かしい言葉を覚えていますか。幸いにも死語となってしまったコンピューターの西暦2000年問題です。いまから2年3カ月以上もさかのぼる1999年末、日本を含む世界各国の最大の関心事は、このY2Kでした。
 みずほ銀行など、みずほフィナンシャルグループの今回の未曾有のトラブルと混乱を見ていると、このY2Kが2年遅れでメガバンクに襲いかかったのではないか、と錯覚しそうなほどです。今回の事態は、Y2Kで心配されていた混乱に酷似していて、それはコンピューター社会が抱える危機そのものの具現といっていいでしょう。
 みずほがスタートしてわずか5日間で、ATM障害に始まり、二重送金などの誤送金が5000件、口座振替の二重引き落としが3万件、口座振替の遅れにいたってはなんと250万件。現代の金融機関が、これほど深部までコンピューターに依存し融合し一体化し、まさにコンピューターが銀行そのものであるという状況になっていたことは、理屈では分かっていても、これだけ生々しく見せ付けられると衝撃的です。
 銀行取引の基軸となっている業務のほとんどが、現金の移動ではなく、コンピューター同士を結ぶ回線の中のデジタル信号のやり取りで済まされている実態。企業同士の支払いと入金も、給与の振込みも、現金は動くことなく、信号処理だけで済まされていて、こうしたバーチャルな出入金の処理によって、現実の経済が目まぐるしく回転し続けているというのは、考えてみれば驚くべきことです。こうした信号の流れをみんなが無条件に「信用」していることが大前提で、その「信用」がぐらつけば、バーチャルなお金の流れを本当のお金の流れとして認め合うという、システムの基幹が崩れてしまいます。
 今回の事態は、統廃合によって肥大化する金融機関にとって、オンラインシステムが最大のアキレス腱であることを示唆しています。ハッカーによる金融システムへのサイバーテロが行われたら…。あるいはそんな直接的な攻撃ではなく、金融システムに入り込む強力なウィルスが混入され、金融ネットワークを介して蔓延していったら…。そのウィルスが口座振替をストップさせたり、二重送金を強制的に行ったりするものであったら…。それどころか、バックアップシステムも含めて、全データを消してしまうものであったら…。そんなことになったら、一国の経済はおろか、世界経済をも震撼させかねません。
 みずほの今回のトラブルは、実は統合のドサクサにつけこんだサイバーテロかウィルスによるものではないでしょうか。影響のあまりの大きさに、そんな勘ぐりをしてみたくもなります。(4月8日)

 <さらば小泉純一郎、国民の期待を裏切り続けて野垂れ死にへ> 
 小泉純一郎さん、一時の夢だったとしても、あなたに僅かながらの期待を寄せたボクたちが、バカでした。どうせボクたちを騙すなら、死ぬまで騙し続けてほしかった、という気にさえなります。
 自民党を変える、というあなたの言葉は、結局ほかのその他大勢の骨なし政治家同様、真っ赤なウソだったのですね。構造改革なくして景気回復なし、のスローガンにも、もしかしたら本気でやるかも、と期待した時期もありました。しかし、構造改革なんて遅遅としてほとんど進まず、それどころか不良債権は逆に増えつづけているではありませんか。
 何かをやろうとすれば、ワッとばかりに潰しにかかる抵抗勢力とりわけ族議員の前に、公共事業の抜本的見直しも、高速道路建設の凍結も、すべてが中途半端なままに挫折してしまい、いったい何をやるための小泉内閣だったのか、とボクたちは深い脱力感の中ですっかりしらけてしまいました。
 来年度は国債発行枠の30兆円にとらわれない、ですって? 666兆円にも膨れ上がった国債残高を前に、「国債の新規発行は30兆円もやるといってるのに、それでも足りないといっている人たちの気が知れない」などとカッコよくぶっていたのは、小泉さん、あなた自身ですよ。
 国民の気持ちとスカートを踏んづけて、田中真紀子さんをいともやすやすと外相から引きずり下ろしたのに対し、狂牛病への対策を誤った上に国民にウソを発表し続けた武部農林水産相については、辞任を頑として拒み続けましたね。国会で問責決議案を否決した気分は、爽快ですか。小泉純一郎の正体見たり枯れ尾花、メッキがはげ、化けの皮が剥がれ、醜怪な馬脚までが露になって、おお、見るのもおぞましやの去勢状態。
 小泉内閣不支持が支持を上回って、さあどうする純一郎。解散をちらつかせて見たところで、総選挙での勝ち目はないぞなもし。このままでは、大倒産と失業者の群れを放ったらかして、野垂れ死にと消え行くが定め。
 ここまで言われて悔しかったら、軍事侵略が止まらないイスラエルのシャロンに対して、日本国民を代表して抗議し、軍事侵攻の即時停止とパレスチナからの撤収を要求するくらいのことを、せめてやったらどうですか。もはや川口外相がホソボソとつぶやいて済む段階ではないでしょうに。シャロンに言いたくなければ、同盟国としてブッシュにイスラエルを止めるよう忠告すべきです。
 まあ、弱腰臆病ものの純ちゃんは、パレスチナで起きていることなど、見たくも関わりたくもないでしょうけどね。
 さらば小泉純一郎、結局は自民党、結局は国家権力。もはや、あなたの言葉を信じることは、未来永劫にないでしょう。(4月5日)

 <桜の散った新学期スタート、迫り来る臨海都市部の冠水・水没> 
 新年度、新学期のスタートというのに、何かが欠けている。何かモノ足りない。そう、入学式や入社式につきものの、桜の花が今年はないのです。東京でお彼岸に満開となった桜は、その後の風雨でほとんど散ってしまい、ソメイヨシノはすでに葉桜。ほかの各地も似たようなもので、かろうじて北陸や東北地方が、今まさに例年にない早い満開となっています。4月は初夏のような陽気とともに始まり、東京では今日2日、昨年より18日も早く最初の夏日となり、6月下旬なみの暑さでした。
 温暖化がジワジワと、確実に影響を及ぼしつつある、と多くの人が感じています。しかし、温暖化防止対策については、アメリカの政府や産業界にはやる気が全くなく、日本の経済界も京都議定書の遵守は困難だと公言し始めています。
 どの国も、どの企業も、目先の利益と権益を追求することに夢中になっているうちにも、温暖化はさまざまな面で進行しているようです。やがて、大海原に浮かぶ小さな島国から、度重なる冠水が常態化していき、次は世界各地の臨海都市部が高波を被ったり浸水で住めなくなっていくでしょう。農作物や水産物にはっきりとした異変が生じ、異常気象がもはや手におえなくなった時、温暖化による被害が凄まじいものであることに、ようやくみんなが気付くでしょう。水没地域を捨てて、お金のある企業から次々と高原や山間部に移転を行い、何百万人、何千万人という規模での温暖化難民の群れが、どの国でも大問題となってきます。
 これほど被害が広がるまで、なぜ温暖化対策を取らなかったのか、その時、政治家や企業のトップたちはどんな言い訳をするのでしょうか。
 「当時は企業活動と温暖化の関係を示す十分な科学的データに乏しく、生産活動の手足を縛ることは出来なかった」「厳しい国際競争の中で取り残されないために、企業が目一杯の利益を追求するのは当然のことで、このような結果は誰もが予見できなかった」「温暖化は先進国や途上国かを問わず、人間のさまざまな活動が総合的に合算されて起こったもので、大企業だけに責任を転化するのはおかしい」「温暖化は一種の自然災害であって、経済活動による結果であると短絡的に断定するのは、いかがなものか」「起こってしまったことについて、責任云々を言っても何の解決にもならず、これからどうすべきかを議論することの方が重要だ」。等々。
 何十年後かの経営者たちの言い訳を、いまボクがスラスラと書くことが出来ること自体、悲しすぎると思いませんか。(4月2日)

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2002年3月

 <『時間の岸辺から』その2 牛の目、豚の目> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 最近、大勢の牛たちや豚たちが夢中になってエサを食べている姿のクローズアップが、テレビに登場することが多くなりました。雪印食品やスターゼンなど大手食品会社による、相次ぐ偽装表示事件の関連映像です。
 とどまるところを知らない食肉の偽装事件は、羊頭狗肉(くにく)であっても表示さえごまかしてしまえば、消費者はそれを信じるほかはなく、チェックする手段はゼロであることを示してくれました。
 それだけではありません。一連の事件は、ボクたちがなるべく見ないようにしてきた人間の業(ごう)ともいうべきものを、否が応でも直視させてくれます。テレビに映し出される牛や豚を見るたびにボクは、彼らの目つきの真剣さにハッとさせられます。それは、たった一度の生を生きる者の目であり、彼らがエサを食べるのは、まさに自分が生きんがために必死で食べているのです。
 ここで疑問が生じます。人間が、生きている動物を食べてもいい、という理由あるいは根拠は何でしょうか。はっきり言えば、生きている牛や豚を人間が殺して食べることが許されるという、倫理的な拠り所はあるのでしょうか。
 この罪悪感をめぐってさまざまな宗教が古くから悩み、食べてもいい動物を限定したり、血を抜いてから調理するなどの儀式を義務付けたりしてきました。神は人間が動物を食べることを許可したのだ、という説明は西欧でよく言われますが、人間にとって都合の良すぎる神様のようにも思います。
 日本は殺生を禁じた仏教の影響を強く受けて、何百年もの間、肉食はおおっぴらにはタブーでした。文明開化とともに肉食は一気に広がり、明治の末には、全国1400カ所に食肉処理場が出来ていました。そこでは牛の解体前に神主が祈り、解体後には僧侶が祈るのが通例だったといいます。
 現在でも、あちこちの卸売市場などでは、牛豚供養の慰霊法要を営んでいるところが珍しくありません。肉食とは、法要や祈りが必要なほどの恐れ多い行為であることを示しています。
 もう一つ、動物を食べるにあたって、考えなければならないことがあります。それは、地球全体でみると肉食は穀物に比べてはるかに高くつき、贅沢な食べ物だということです。食肉1キロを得るために飼料として必要な穀物は、牛の場合で8キロ、豚では4キロ、鶏では2キロ、といわれます。先進国の人々が肉を多食することによって、途上国の人々が日々に食べる穀物が足りなくなっているとしたら(実際、その通りなのですが)、この格差を放置したまま、ボクたちがステーキやトンカツをむさぼり続けていていいものでしょうか。
 牛の目、豚の目は、文明が命の犠牲と享受の不均衡の上に、かろうじて成立していることを忘れないでほしいと、訴えているような気がします。(3月30日)

 <はめられた辻元さんと、巨悪を覆い隠すマスコミの異常な騒ぎ方> 
 日本中が大騒ぎしたツジモトさんの件は、ボクにはなんとも釈然としません。わずか一週間足らずで奈落に突き落とされるというオソロシイ展開。ツジモトさんは、用意周到に仕組まれたワナにはまってしまい、もがけばもがくほど傷が大きくなることも充分に計算された、高度の謀略にはめられた、という感じがします。
 おそらくは、ツジモトさんを政治的に暗殺するための黒幕がいて、仕掛け人の下に何人もの刺客がプロジェクトチームを組んで、闇の中で動いたのでしょう。このタイミングを決めたのは誰なのか、週刊新潮に書かせたのはなぜか。この一連の騒動で、最もトクをしたのは誰であり、どの勢力なのか。彼らは、予想通りの展開に、ほくそえんで乾杯したことでしょう。
 ボクが分からないのは、ツジモトさんのやったことは、日本中がひっくり返るような狂乱報道に値するほど悪質なことだったのか、という点です。政策秘書の給与の扱いと、政治資金規制法上の処理について、悪いことは悪い、という言い方も一つの正論でしょう。しかし、今回のことは、マスコミ挙げて彼女を政治的リンチにかけ、止めを刺した上に屍を蹴り続けるほどのことだとは、ボクには思えません。
 ひとことで悪事といっても、巨悪から必要悪までさまざまでしょう。法律上は何一つ問題がなくても、議員バッジをちらつかせて巨額の金を集め、ぼろもうけしている政治家から、官僚と癒着して国の政策をねじまげ、特定業界の利益のために役所を自分の手下のように動かしている政治家、税金を巧妙に誘導して私腹をこやしている政治家。それほどではなくても、永田町の常識として、また大人の対応として、厳密に言えばルール違反になるようなことが、日常茶飯事として行われているのではないでしょうか。
 ツジモトさんの最大の間違いは、政策秘書の給与の扱いそのものではなく、週刊誌発売直後の記者会見で無理を通そうとしたこと、そして何よりも、土井党首にツジモトさんを支援して全面的に戦うと言わせてしまったことだと思います。
 ボクが許せないのは、ハイエナのようなマスコミです。ムネオたたきから一転して、ツジモト潰しへと競って雪崩れをうち、ムネオ問題もカトウ問題も、ましてや外務省問題はとっくに、マスコミはすべて関心の外に捨ててしまいました。昨夜の記者会見で、バッジをはずしたツジモトさんに対する記者たちの傲慢な口のききかた、そして会見場を去るツジモトさんに浴びせた口汚い罵声。いったいマスコミは、そして記者たちは、自分たちを何様だと思っているのでしょうか。おんどりゃー、思い上がるのも、ええかげんにせんかい、と言いたいです。
 日本をダメにしつつあるのは、政官財の巨大な癒着構造に加えて、売れることなら何でもする劣悪なマスコミだということが、最近ボクにもようやく分かってきました。(3月27日)

 <お彼岸に満開となった桜は早くも散り始め、温暖化は急ピッチ> 
 3月もまだ23日というのに、早くも散り始めた桜の花びらが、道路をピンクに染めています。
 全国各地で、桜の開花や満開が観測史上最も早いペースで進んでいます。北京では10年ぶりの大規模な黄砂に見舞われ、スカーフで頭をすっぽり覆って歩く人の姿が、テレビに映し出されていました。日本の各地でそして世界のあちこちで、山火事が頻発しています。東京都心のあちこちに、タヌキが出没するようになりました。南極では、3200平方キロもの広さを持つ棚氷が崩壊しています。シベリアやロシア、東欧でも今年は異常な暖冬でした。振り返れば今冬は、東京都心で一回も積雪を見ませんでした。
 こうしたひとつひとつの小さな異変は、それが何を意味しているのか、一見しただけではほとんど分からないことが多いものです。それが、何か重要なことがらを示唆しているかも知れないのに、政府もマスコミも、何事もないようにふるまっています。
 地球がおかしくなっている。これらは、温暖化がジワジワと進んでいるせいではないのか。そう考える普通の人たちは、多いのではないでしょうか。科学的な検証データはないとしても、直感的にこれは尋常ではない、暖かすぎる、と感じる気持ちの方が、案外と物事の本質を掴んでいることがあると思います。
 たぶん、温暖化の進行は、まっすぐなグラフではなく、上がったり下がったり正常になったり、ジグザグの折れ線グラフのように進行していくのでしょう。いったんは、いつもの年と変わらない気候に戻ったり、時には平年より寒い時期もまた来るでしょう。そこで、なあんだ温暖化なんてまだまだ遠い話じゃないのさ、と安心する向きも出るでしょう。しかし、折れ線グラフの全体の傾向は、はっきりと黄信号の点滅から赤信号に変わろうとしています。
 遠くないうちに折れ線グラフは、誰の目にもくっきりと、危機ラインを超えた状態にあることが分かるようになり、その状態にある時間が長くなっていくでしょう。海水面の上昇が始まって、世界各地で臨海都市部が冠水の危機を迎え、護岸構築など人工的な対策では防御不可能と分かった時には、もはや手遅れです。地球の生物相が変わり、食糧生産にも深刻な影響が出て、各国の為政者たちは、地球温暖化を甘く見てきたことのツケを知らされることでしょう。
 そのころ、水没を始めた関東地方では、桜の開花が節分のころになっていて、バレンタインデーのころには春一番に吹かれ舞う桜吹雪を見ているかも知れません。(3月23日)

 <よってたかってムネオたたきで鬱憤ばらし、もっと大事なことが> 
 このところ日本は、ムネオムネオで明け暮れて、テレビも週刊誌も新聞も、ムネオの悪業をいかに書き立て、ムネオをいかに叩きのめすかに、全精力を費やしています。ボクもムネオ議員は、政治家として国会議員として、政治的にも道義的にも許されない数々の暗躍・跋扈を続けてきたと思います。
 しかし、とボクは考えるのです。日本の社会はこんなチッポケな政治家一人のために、天地がひっくり返ったと言わんばかりの、過剰な騒ぎを続けている場合ではないでしょう。一向に進まない構造改革、景気の低迷、ふくらむ借金財政、年金や医療保険の迫り来る危機、教育の荒廃と無力化、雇用崩壊と失業者の増加、地域経済の空洞化、等々。こうした問題を置き去りにして、ムネオ問題だけにウツツを抜かしているのは、大状況からの逃避にほかなりません。
 証人喚問や記者会見でのムネオ議員は、まん丸い顔が醜く歪み、苦しさがアリアリ。過去の発言や行いが、読み上げられた時の驚愕と、裏切られたハメられたという無念さ。次々と降りかかる火の粉に防戦するだけで手一杯で、小泉自民党も外務省も、気が付いたら自分の敵。
 衆人環視の中、火ダルマとなってリングの上を逃げ惑うムネオめがけ、あちこちから放たれる砲弾、銃弾、石ツブテ、罵詈雑言の雨あられ。全身傷だらけのムネオが、孤立無援でのた打ち回り、いい年こいて泣き出すサマは、ワイドショーから報道番組まで放映のラッシュ。日本中が「それ見たことか」と溜飲を下げて、みな大満足で床に就くことが出来るのです。
 このムネオたたきは、完璧に行き詰まっている日本社会での、一億国民のうっぷんぱらしであり、ムネオが悶絶する姿に、多くの人々がエクスタシーさえ覚えているのです。
 みなが心の中で思っていることは、ムネオ的な政治家はどこにもウジャウジャといて、その総体が自民党政治であり、それを育ててきたのが日本の社会であり、日本の風土だということです。
 皮肉なことに、ムネオの政治スタイルは、カクエイの生き写しです。真紀子さんは少女時代から、父カクエイの血筋を純粋に受け継ぎながら、父の政治体質に強く反発し続け、カクエイ的なるものを乗り越えようと、悪戦苦闘してきました。そのことが、本能的にムネオをして真紀子さんの天敵に回らせ、真紀子さんもまたムネオの中に唾棄すべき父の亡霊を見る思いで、激しい拒否反応を起こしてきたのだと思います。
 ムネオはボクたち日本人の分身であるとともに、真紀子さんもまたボクたちの分身なのです。(3月20日)

 <『時間の岸辺から』その1 八百年後の赦文> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 米国防総省が発表した、テロとの戦いに貢献した26カ国のリスト。日本の名前はありませんでした。このニュースを聞いてボクは、はるか800年以上も前に、同じようなことが日本であったことを思い起こします。
 1177年。時は治承元年、平清盛の全盛時代です。京都郊外の鹿谷で、平家討伐の密議をこらしたことが発覚した俊寛は、ほかの二人とともに鬼界が島に流されます。翌1178年、清盛の娘で後に建礼門院となる中宮徳子が懐妊し、怨霊をなだめるために、有罪の者たちへの赦免が行われます。鬼界が島にも、赦文(ゆるしぶみ)を携えた使者がやってきました。ところが、赦文には俊寛の名前だけがありませんでした。俊寛は「自分も乗せて行ってくれ」と泣きながら懇願しますが、海にまでつかって取りすがる俊寛を残して、船は去って行きます。平家物語の中でも、最も哀れを誘う名場面です。
 あわてふためき、走るともなく、倒るるともなく、急ぎ御使の前に向かって、「これこそ貢献したる日本よ」と名乗り、文袋より名簿取り出でて奉るが、日本と言ふ文字はなし。奥より端へ、端から奥へ読みけれども、二十六の諸国ばかり書かれて、日本とは書かれず。夢かと思ひなさんとすれば現なり。現かと思へば又夢の如し。「日本ここから外すべきとは、米軍の思ひ忘れか。執事の誤か」と、天を仰ぎ地に伏して、泣き悲しめどもかひぞなき。日本せん方なさに倒れ伏し、幼き者の母などを慕ふやふに、足摺をして「これ、載せてくれ。具して行け」と言ひ、泣き叫び給へども、超大国の習にて、跡は白波ばかりなり。
 湾岸戦争の後、クウェートが感謝を表明した国のリストに含まれなかった「屈辱」を晴らして、こんどこそ「汚名挽回を」と勇み立ち、初めて自衛隊を米軍などの後方支援に派遣した日本。外務省や防衛庁は、今回もまた名簿から外されたショックを隠しきれず、訂正を求めるなど不快感を表明しています。あの派遣は何だったのか、と沖に向かって叫びたい心境でしょう。貢献リストとは、米国版赦文なのですね。日本が含まれなかったことについて、米国防総省や駐日大使らは「手違いによる単純な誤り」と釈明していますが、真相は藪(ぶっしゅ)の中です。
 ボクは正直言うと、今回のリストに日本の国名がなかったことで、なんだかホッとした気持ちです。憲法の制約によって武力を伴う支援が出来ないことが、リストに載らなかった本当の理由ならば、載らなくて良かった、とさえ思うのです。
 地上からテロをなくするために、日本がやるべき方策、日本が出来る方策は、経済、技術、医療、教育、文化など、さまざまな分野でヤマのようにあるはずです。赦文に載らなくても構わないではありませんか。平家の支配が永遠に続くわけではありません。(3月17日)

 <手の中に水溜りが出現しイルカが泳ぐ、現実と仮想世界の融合> 
 先日、東京都写真美術館で開かれていた第5回文化庁メディア芸術祭に行ってきました。これまで生きてきた世界では、およそ考えられないような、先端技術を応用した不思議で新鮮な世界を目の当たりにして、強烈な衝撃と感動を受けました。
 そのうち、立体的に動きながら無数の棘を伸ばして形を変えていく黒い液体については、改めて書くことにして、今回は、デジタルアート・インタラクティブ部門で大賞を受賞した「コンタクトウォーター」というアミューズメントの体験記を書いてみます。
 展示会場の一角に、プレイングコーナーのようなスペースが設けられていて、4つの椅子が置いてあります。4人の参加者は係りの人から、ゴーグルのような特殊メガネを付けてもらい、右の手のひらにマッチ箱大の小さな端末を取り付けてもらいます。「では始めます」という係りの人の合図とともに、なんと自分の右手の中に、小さな水溜りが現れ、10センチほどの小さなイルカが泳いでいるではありませんか。
 特殊メガネをかけてはいるものの、周りの様子はちゃんと見えていて、ほかの4人の手の中にもやはり水溜りが出来て、イルカが泳いでいるのが見えます。手のひらを揺すって水を動かすと、イルカもパチャパチャと撥ねたりして遊んでいます。面白いのは、イルカを空中に放り投げてほかの参加者の手の中に入れるなど、キャッチボールをするような感覚でイルカのやり取りが出来るのです。イルカの数も増えてきて、1人で2匹のイルカを泳がせたり遊ばせたりすることも出来ます。そのうち、イルカのほかにエイも現れてきます。
 水溜りやイルカはバーチャルな存在で、現実世界に映像が重なって見えているのだろう、と侮ってはいけません。ほかの人が投げたイルカを自分の手で受け止める時は、ズシリとした重量感を右手に感じます。
 プレイングコーナーの外からこの様子を見ている人たちには、ゴーグルや端末を付けた4人が、まるでキツネに騙されているように、何もない空間で手を動かしたりしているのが見えるだけです。しかし驚くべきことに、コーナーの外に据え付けられている何台かのモニターテレビの画面には、4人の参加者たちとともに、それぞれの手の中の水溜りやイルカが動く様子など、参加者たちが体験している「ありのままの光景」が映し出されています。
 水溜りやイルカが存在するのと、それらが存在しないのと、どちらが本物の現実なのでしょうか。参加者たちにとっては、水溜りやイルカがある方が本当で、モニターテレビの画面こそが現実です。現実世界とバーチャルリアリティーをシームレス(境目なし)で結ぶこのような世界では、現実と虚構、実在の光景と仮想の光景との区別が、つかなくなってきます。
 現実が実はバーチャルで、バーチャルなのに現実。ボクたちはすでに、そんな未来世界に足を踏み入れてしまったのかも知れません。(3月14日)

 <9.11から半年、核の先制攻撃も視野に世界制覇をめざすアメリカ> 
 早いもので、9.11の同時多発テロから、ちょうど半年となりました。本来ならば、テロの犠牲者たちをしのび、テロに屈することなく自国の再建と世界の平和維持に邁進するアメリカの偉大さを心底から称えたいところですが、事態はまるっきり逆の方向へと転がり出していて、世界はかつてない危機的な状況を迎えています。
 アメリカは、なぜあれほどのテロに見舞われたのかを省みるどころか、テロを契機にして、テロとの戦いを絶好の口実として、剥き出しのユニラテラリズムと軍事力による世界支配への道を走り出しています。もはや国際法も国連も、ルールも慣習もあったものではありません。自国の利益、アメリカの国益こそがすべてであり、ヒトラーでさえ実現出来なかった世界制覇を、この機会に是が非でも実現させようという野望に、血眼になって燃え上がっています。アメリカのための価値観、アメリカのための世界秩序構築へ。その邪魔をするヤツはすべてぶっ殺せ。大量の非戦闘員が死んでも、何ら知ったことではない。
 信じ難いことですが、アメリカは「悪の枢軸」と名指ししたイラク、イラン、北朝鮮のほかに、ロシア、中国、リビア、シリアを加えた、7カ国への核攻撃のシナリオ策定に乗り出した、とニューヨーク・タイムズなど複数の米紙が報じています。もはや正気の沙汰ではありません。ブッシュ政権と米国防総省は完全に狂っています。アメリカの暴走を食い止めることが出来る国・機関は極めて少なくなっていて、ロシア、中国などは核攻撃されかねない立場にあって、内心は震え上がっているでしょう。アラブ諸国やイスラム圏の反発など、アメリカにとって蚊の鳴くようなものでしょう。EC諸国の反発も、なんらの影響も与えないでしょう。
 核攻撃の前に、まずイラクのフセイン政権打倒に向けた攻撃が、日に日に近づいています。アメリカはイギリス軍の派遣を打診したということで、ブレア首相がどのような決断を下すか、注目されます。アメリカの頭を冷やし、世界の破局を阻止するための数少ない「とめ男」がイギリスであり、ブレア首相です。
 アメリカのイラク攻撃が始まったら、日本政府はどうするつもりでしょうか。同盟国として後方支援に乗り出すのか、一定の理解は示す程度にとどめるのか。核先制攻撃は、実施された後で、批判の声をいくら上げても、もはやおしまいです。日本のマスコミは、核が使用されてから、ワッと騒いでみせるでしょうけど、問題は今の段階で、どれだけアメリカの暴走を食い止める論陣を張れるかです。
 アメリカに対して愛想笑いを浮かべて尻尾をふり続けるようなマスコミなら、さっさと潰れてしまった方がまだましです。(3月11日)

 <重力に抗する機能が遺伝的に欠落し、人間が支え育てたシダレ桜> 
 ボクたち地球上のすべての生き物は、動物も植物も、生まれた時から、いや生まれる前の段階から、1Gで表示される地球の重力に押し付けられ、その重力に打ち勝って天に向かって伸びたり、地表や水中、大気中を自由に動き回ることが出来ます。生命は、重力の存在を大前提として、複雑で精巧なメカニズムを構築しています。
 普段の生活で、この重力を重いと感じたり、わずらわしいと感じたりすることは、よほどの重病でもない限りは、まずないことです。何日間も宇宙飛行をして帰還した宇宙飛行士たちは、地上に降りた瞬間、重力というものがいかに体全体に重くのしかかる存在であったかを、実感として知るといいます。中には、両脇を支えられないと自力では立つことも出来なくなっている飛行士もいます。
 もしも何らかの遺伝的な欠落によって、この重力と対等に付き合っていく力を持たない生物が生まれたら、その生物が地上で生きていくことは困難を極めるだろうことは、容易に想像がつきます。ところが、このような生物が、実はボクたちの身近に、堂々と存在しているのですね。
 その生物とは、なんとシダレ桜なのです。ボクはそのことを、日本女子大理学部教授の中村輝子さんがある会誌に書いた「シダレ桜の『しだれ性』の研究をめぐって」というリポートを読んで初めて知りました。中村さんは、しだれ桜の枝がこのまま地表に達したらどうなるだろうか、ということに疑問を覚え、「しだれ桜はなぜしだれるのか」、という根本的なところから研究を始めたのです。
 中村さんが明らかにしたシダレ桜の正体は、驚くべきものでした。それは、シダレ桜という品種があるのではなく、普通の桜が突然変異を起こし、重力に対して姿勢を制御する機能が欠落したものが、シダレ桜になっている、というのです。厳密に言うと、シダレ桜には重力刺激に反応して姿勢制御を行う植物ホルモンのジベレリンが、遺伝的に不足しているのです。
 本来ならば、シダレ桜は樹幹そのものも自力で重力に抗して成長することが出来ず、そのままでは生育さえ困難です。そのシダレ桜を、苗木の段階から支柱によって支えながら、丁寧に育てていくことにより、現在各地の桜の名所で見られるような見事なシダレ桜として咲き誇るまでに成長させることが出来るのです。
 しだれ桜は、繊細な美意識を持つ無数の日本人が古来から支え育ててきた、いわば人間と植物との合作による稀有の芸術品なのですね。
 重力に抗して天に伸びることが出来ないという、植物にとって致命的ともいえる遺伝的欠陥を、心をこめて丹精に育むことにより、多くの人々に楽しみと安らぎを与える神の域にまで高めることが出来る。シダレ桜の姿は、ボクたちに深い感動と勇気を与えてくれます。(3月8日)

 <政府が花粉症対策に本腰を入れない理由は、族議員の圧力?>
 首都圏では新聞やテレビの「スギ花粉情報」が、3月に入ってからほぼ連日、「非常に多い」の連続となって、花粉症の人たちにとっては辛い日々が、来月のゴールデンウィーク間際まで続きそうです。
 日本の花粉症患者は人口のほぼ1割の1200万人を超えると推定され、軽度の人たちを含めるとこの時期に花粉に悩まされる人は2000万人とも言われています。予備軍はさらに膨大な人数にのぼります。日本でスギ花粉症が確認されたのは1963年、日光で発生したという報告が最初とされています。それからわずか40年足らずの間に、いまや国民病となってしまったのです。
 ボクが不思議でならないのは、こんなに多くの国民が苦しんでいるというのに、国や政府が本格的な花粉症対策をまったく取ろうとしないことです。「政府にスギ花粉対策本部設置、本部長に小泉総理大臣」とか、「政府、公的資金を投入して花粉症の根本的撲滅へ」とか、なぜこのような展開にならないのでしょうか。
 国会議員の有志によって、超党派の「ハクション議員連盟」が結成されてから、もう何年にもなりますが、いったいどのような活動をしてきて、どんな対策をまとめ、どんな法案を議員立法で提出したのか、教えてほしいものです。
 ボクが疑ってかかるに、スギ花粉対策がいっこうに進展しないのは、花粉症対策が動き出すと自分達の権益を損ねるとして、いまの状態を放置しておくことで、甘い汁を吸いつづけている人たちがいるためではないでしょうか。いわばスギ花粉族議員たちの暗躍です。
 スギ花粉族議員とは、どういう議員たちでしょうか。容易に想像がつくのは、1200万人の花粉症患者が殺到する花粉症の市販薬のメーカーであり、花粉症患者であふれる医療機関です。製薬族議員、医療族議員たちは、最初に疑ぐられても仕方がないでしょう。
 さらに、花粉症を起こさせる最大の要因として、多くの関係者から指摘されている車の排気ガス、とりわけディーゼル車が撒き散らす微量粉塵について、排出規制をなんとかして防ごうとする政治家たちです。自動車族議員、運輸族議員、道路族議員。それぞれの議員たちにとって、車の排気ガスに含まれる微量粉塵の問題は、業界の保護と育成のために、出来るだけ触らせないでおきたい聖域なのでしょう。
 林業族議員はどうでしょうか。戦後、なにがなんでもスギの植林を推し進めてきた責任は、頬かむりでしょうか。輸入材に押されて落日の林業には、もはやスギの手入れをする人手さえ確保出来ず、スギ林は荒れ放題、花粉は撒き散らし放題です。これらに責任のある林業族議員は、とっくにどこかに逃げてしまったのかも知れません。
 次の総選挙では、「花粉症撲滅なくして日本社会の再生なし」をスローガンに、「聖域なき花粉症対策」を公約に掲げる政党が現れてほしいものです。(3月5日)

 <ひな祭りの歌で、お嫁にいらした姉さまに馳せる妹の思い>
 街を歩いていると、あちこちから「♪あかりをつけましょ ぼんぼりに…」のメロディーが流れてきます。そうか、ひなまつりの時期なんだな、と男のボクでも甘い懐かしさに誘われます。
 都会で失われた日本の季節感が、ビルの谷間に流れるBGMによって蘇ってくることは、この時期だけではありません。正月三が日の頃に流れているお琴の「春の海」や、七夕の頃に流れる「♪笹の葉さらさら」などは、さりげない情緒があってなかなかいいものです。
 いま流れている「うれしいひな祭り」は、短調の少し悲しい調べの中にも、いよいよ春本番まであとわずか、という期待感を街いっぱいに漂わせて、「流れていてうれしくなるBGM」というアンケートを歩行者から取ったら、ベスト1になるのではないか、などと思ったりしています。
 この歌の歌詞は、他愛のない可愛らしい内容のように思えますが、ボクはいつ聞いても、二番の歌詞の「お嫁にいらした姉様に よく似た官女の 白い顔」というくだりで、この歌に込められた深い想いを垣間見るような気がして、胸がいっぱいになります。
 この歌は妹が、嫁いだ姉のことを思い出しながら、ひな祭りを迎えているのでしょう。妹がいまひな祭りに興じる歳だとすると、姉はまだ年端も行かない頃に嫁いでいったはずです。おそらく15歳か16歳くらいだったでしょう。姉妹はいつも一緒に、ひな祭りを楽しんでいた。その姉の姿は、この家にはなく、妹一人だけのひなまつり。妹は、姉と一緒だったころのひな祭りを思い出し、官女の白い顔を見て、ふっと姉がそこにいるかのような思いにとらわれます。
 この歌が作られたのは、昭和11年。日本社会は女性の地位も権利も無きに等しく、女性が嫁ぐ先の家は家父長制の大家族で、嫁の苦労は想像も出来ないものがあったでしょう。実家に帰ることも、連絡することもままならない籠の鳥状態。
 お嫁に行った姉様は、どうしているだろうか。嫁ぎ先では、ひなまつりどころではないかも知れない。最上段の華美なお雛様の顔ではなく、仕える身である官女の一人に姉の面影を見出すところが、妹の想いを際立たせています。白い顔という言い方には、美しい顔がもしかして疲れはてているのではないだろうか、という心配さえ感じられます。
 緋毛氈の前で、「姉さん」と、そっと官女に呼びかけた妹の声が、聞こえたような気がしました。(3月2日)

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2002年2月

 <秋の月が人生のはかなさを示すのに対し、春の月は花とともに>
 今日2月27日の満月は、今年最も大きく見える満月として、天文年鑑や暦に記載されています。大きく見える理由は、ちょうど28日午前5時ころに月が地球を回る軌道の最も地球に近い点を通過するためです。それに加え、いまころは地球が太陽を回る軌道の最も太陽に近い付近にいるため、満月が反射する太陽の光も強く、通常の満月よりも2割ほど明るい、とされています。
 月といえば秋のもののように言われ、侘しさや寂しさ、人生のはかなさの象徴のようになっていますが、春の月もどうしてなかなか捨てたものではありません。
 菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
 この月は、西に沈まんとする太陽と同時に空に出ていることから満月です。2つの対照的な天体を両脇に対置させ、中央に広がる一面の菜の花。このダイナミックな風景を、ゴッホに描いてもらったら、どんなものになっただろうか、と思います。
 酷似した光景を歌ったものに、文部省唱歌の「朧月夜」があります。
 菜の花畠に、入り日薄れ
 見わたす山の端、霞ふかし
 春風そよふく、空を見れば
 夕月かかりて、におい淡し

 ここでは、黄砂まじりの春霞とともに、刻一刻と変化していく春宵の微妙な空気の移ろいが、印象派絵画のようにとらえられていて、マネ、モネ、スーラなどが描いたら面白い絵になっただろうと想像します。
 春の月では、与謝野晶子のこの歌も忘れられません。
 清水へ 祇園をよぎる 桜月夜
 こよひ逢ふ人 みなうつくしき

 もはや日は沈み、菜の花ではなく、桜と月というゴージャスな取り合わせ。この歌の中心は、清水や祇園という地名でも、こよひ逢ふ人たちでもなく、みなうつくしき、と詠みきることが出来る晶子自身の昇華した精神なのですね。
 春の月は、花にとてもよく似合い、人生のはかなさではなく、胸いっぱいに膨らむ期待感と、華やいだときめきを感じさせてくれます。(2月27日)
 
 <2月はなぜ28日までなのか、その歴史的由来と年の始まり>
 2月は逃げる、と言われます。またニッパチと言われるように、2月と8月は年間を通じて商売にならない月、とされています。こうした2月の特性は、ほかの月が31日か30日あるのに対して、2月だけが28日で、4年に1度の閏年で29日、という差別扱いから来ています。
 2月はなぜ28日なのでしょうか。大の月と小の月が必要ならば、2月も30日までにして、年に7回ある31日までの月を5回に減らせば、大の月5回、小の月7回で、ちょうど365日となり、閏年には2月を31日までとすれば、つじつまが合うような気がします。
 どうして2月が28日となったのかを調べていくと、これまであまり気にも留めていなかった暦の奥深い裏面が見えてきます。
 まず、大昔は3月が1年の始まりだった、という重要な点です。英語のSeptember、October、November、Decemberがそれぞれ、ラテン語の7の月、8の月、9の月、10の月という意味であるのは、その名残です。2月は1年の最後の月で、その1年の日数調整を年末である2月に行っていたのです。これは新年が1月からとなっても引き継がれ、交互に大の月と小の月を並べて、2月は平年で29日、閏年で30日とすることでうまく行っていました。
 ところがユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が暦を大改定した時、カエサルはラテン語の5の月という名前がついていた7月の呼び名に、自分の名前を付けてしまいました(現在の英語のJuly)。カエサルの後継者アウグストゥスもこれにならって、現在の8月の呼び名を自分の名前に変えてしまい(現在の英語のAugust)、さらに順番からすれば小の月だった8月を大の月に変更してしまいました。それとともに12月までの大小の順も入れ替えたため、年間を通して1日多くなり、その帳尻合わせとして2月からさらに1日を減じて、平年28日、閏年29日となったのです。
 ほかの月の名前は、Marchが軍神Mars(火星の呼び名もここから)、Aprilについては(諸説あるのですが)美の女神アフロディテ(ローマ神話のヴィーナス)、Mayは女神Maia(マーキュリーの母)、Juneは結婚の神Juno(ジュピターの妻)など。またJanuaryは2つの顔を持ち門や戸口を守る神Janusから、Februaryは清めの祭りfebruaに由来しているとされます。
 1年の始まりが西暦の1月1日というのは、四季の推移からすると早すぎる気がします。旧暦では今年2月12日が1月1日でしたが、これでもまだ少し早いように思います。年度の始まりは4月からですが、大昔の人々のように、2月末で1年が暮れて、3月から新しい年のスタートというのは、日本の季節感としてはピッタリかも知れません。今年もあと残すところ5日、春本番の3月とともに新しい年の始動開始、という気分になってみるのも悪くありません。(2月23日)

 <映画『カンダハール』のヒロインは、日食までに妹に会えるか>
 新宿・武蔵野館で、マフマルバフ監督の話題の映画『カンダハール』を観てきました。
 この映画は、フィクションの形をとったドキュメント、とも言われているように、現実以上にアフガンの現実を凝縮していて、新聞やテレビの現地報道などより、はるかに深淵を見つめているように思います。難民の子供たちを集めて、おもちゃの形をしている地雷を踏まないように、実地講習をするくだりなどは、それだけで衝撃の報道映像になっています。
 カナダに亡命しているヒロインのナファスは、国に残してきた妹から、20世紀最後の日食の日に自殺するという手紙を受け取り、妹を救おうとカンダハールに向かいます。映画は、イランから国境を越えてカンダハールに向かう過酷な旅程で、ナファスが体験したり見聞きした恐るべき祖国の荒廃と悲惨を軸に展開していきます。
 ボクがとりわけ考えさせられたのは、1999年8月にヨーロッパからアジアにかけての広い地域で実際に見られた日食が、ストーリーの時間設定となっていて、映画の冒頭と最後に映し出される皆既日食の「黒い太陽」が強いインパクトを与えます。なぜ、日食なのか。ボクが思うには、それは「神からも見放された」アフガンの象徴的描写であり、日本的に言えば「すべてをお見通し」のはずのお天道様でさえアフガンを見捨ててしまったことへの、深い憤りと悲しみでしょう。
 その日食まであと3日しかない、という状況から映画は始まって、艱難辛苦の末にナファスがブルカを被った花嫁の行列に紛れ込み、検問員から身元を尋ねられるという、中断的状況で終っています。マフマルバフ監督はなぜ、このような終り方をしたのでしょうか。
 この後、いったいどうなるのだろう、と誰もが考えます。が、結末を描こうとすれば、ナファスが日食までにカンダハールにたどり着くことは無理となり、妹は手紙の予告通りに日食の日に自殺するしかありません。
 マフマルバフ監督は、ストーリーを途中で終らせることにより、この映画を観たすべての人々に、続きを託したのだと思います。日食まで、わずかな時間しかないけれど、まだ間に合う。アフガンの女性たちよ、そして男たちよ、行くのだ、カンダハールへ。そしてナファスの無数の妹たちよ、死んではならない。アフガンの状況に心を痛めるすべての人々も、今なら間に合う、どんな小さなことでもいい、せめてアフガンに関心を持ち続けるだけでもいい。それぞれが、この続きについて考えてみよう。
 映画が終っていない、ということこそ、この映画の最も重要なポイントです。後半のストーリーを創り上げていくのは、いまそこに生きている現実世界のあなたがた一人一人だ。マフマルバフ監督は、そんなメッセージを込めているのだと思います。(2月20日)

 <演奏者の顔アップが集中妨げる、クラシック音楽は耳だけが一番>
 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の思想的中核と言われる『大審問官』に入る前のところで、イワンがアリョーシャに「近きもの」を愛するのにしばしば「顔」が障害となっていて、隣人を愛するのは抽象的な場合に限られる、という話をするくだりがあります。このところは、少年時代のボクが非常なショックと共鳴を同時に受けた部分で、今なおボクは一般的抽象的な『人間』は無条件で大好きですが、個々の具体的な人間との付き合いはとても苦手な方です。
 この「顔」の問題について、最近とくに感じるのは、テレビのクラシック音楽の番組で、素晴らしい演奏の響きとともに、オーケストラの個々の演奏者や指揮者が画面にクローズアップされる時です。ブラームスやシベリウスの、濃厚で憂鬱なロマンが、しだいに部屋いっぱいに満ち満ちてきて、音楽とボクが一体化しつつある陶酔のころあい…。
 おっ、このクラリネット奏者は、どこぞの小うるさいオヤジさんにそっくりだぞ。コンサートマスターのバイオリンは、若いのに太り過ぎで顔がテカテカしている。ホルンはボクと同期で入社した、アイツにそっくりだ。チェロを弾いているのは、かつて職場で一緒だったエンジニアかと見まごう。オーボエの女性は辛そうな顔をしてるけど、薄着で寒いんじゃないの。ハープを弾いてるのが男とは、なんだかサマにならないなあ。指揮者の身振りと表情が、どうにもオーバーでついていけない。
 とまあ、このようにして、俗人のボクは、音楽そのものに集中することが出来なくなり、せっかくの名演奏もぶち壊しとなってしまうのです。テレビのクラシック音楽の番組は、300本以上もビデオに録画してありますが、出来るだけ精神を統一してからビデオを観るように心がけても、どの番組も「顔」で引っかかってしまいます。
 先日、ラジオのFM放送でショパンのコンチェルトの2番をやっているのをたまたま聴いて、映像のない音楽の素晴らしさを久々に認識し、その新鮮さに心を洗われる思いでした。やはりクラシック音楽は、耳だけで味わうのが一番。というわけで、今日は数年ぶりにドリーブの「コッペリア」など、CDを3枚買ってきました。
 「顔」のアップがあっても演奏を楽しめるようになるのは、もっと修行を積んで隣人愛の境地に達してからですね。ボクには、100年かかってもムリでしょうけど。(2月18日)

 <軍事暴走国家と化した米国、ブッシュ大統領の訪日に反対する>
 ブッシュ米大統領が17日に日本を訪れるとのこと。多くの日本国民が心の底で思っていて、公然と言うのをはばかっていることですが、ブッシュ大統領は日本に来てほしくありません。日本政府の表向けの態度とは裏腹に、国民感情としてこれほど歓迎したくない国家元首というのも珍しいでしょう。
 唯一の超大国となっているアメリカは、圧倒的な軍事力とドルに物を言わせて、米国の国益だけをとことんまで追求することに血道を上げ、いまやアメリカこそ戦争狂いが止まらない『ならずもの国家』の最たるものになっています。イラク、イラン、北朝鮮を『悪の枢軸』と規定して、先制攻撃をかけようというブッシュ政権こそが、いまや世界で最も危険な存在であり、アメリカとイスラエルこそ『悪の枢軸』にほかなりません。
 アメリカは今朝未明、イギリスを巻き込んで共同で臨界前核実験を強行しました。包括的核実験禁止条約(CTBT)の死文化をめざすアメリカは、すべてにおいて世界の軍備縮小への機運をぶち壊し、永続的戦争国家への道を突き進もうとしています。また地球温暖化防止の京都議定書を潰そうとするアメリカは、独自の「温暖化防止策」なるものを発表しましたが、これはアメリカ企業が泣いて喜ぶ温暖化放任宣言にほかなりません。
 アメリカの価値観やアメリカの文化、アメリカの市場主義経済など、自分たちの尺度こそが世界で最も崇高で正しく、それに合わないものはすべて誤っていて是正してやる必要があり、とりわけイスラムやアラブは、アメリカにとって理解し難い不気味で恐ろしいものであり、そこは邪悪が支配する世界である……なんという独善と奢りでしょうか。アメリカ帝国主義は21世紀になって空前のデビル・モンスターとなり、人類破滅の引き金を引こうとしています。
 アメリカの軍事暴走を食い止めるためには、EUなど良識ある国々が声を上げ、とりわけ日本が平和憲法を前面に出して、アメリカにブレーキをかける必要があります。国際世論の動きによって、アメリカを(そしてイスラエルを)孤立化させ、アメリカ国民の手で政策転換と政権交替を行わせることが重要です。当面、世界の心有る人々がアメリカ製品を買わず、アメリカへの旅行も控えるなど、抗議の意思表示も必要でしょう。
 奢れる者久しからず、猛き者もついには滅びぬ。遠くない将来、アメリカは必ず巨大な崩壊を来たすでしょう。その日が早く来ることを願ってやみません。(2月15日)

 <時が川の流れなら、ボクたちは岸辺にいるのか流れているのか>
 ソルトレークシティの冬季五輪は、テロと戦う強いアメリカの過剰な演出が鼻について、いまひとつ楽しむ気になれず、少なくともボク個人としては、しらけた気分から抜け出すことが出来ません。
 そんな冬季五輪ですが、競技への関心よりもむしろ、前回1998年の長野大会からもう4年も経ったということを、否応無しに念押しさせてくれる大会として、強烈なインパクトを感じています。
 4年前の今ごろ、このホームページはアクセスカウンターがやっと1万を超して、苦心惨憺の末に「21世紀年表」を作り上げたばかりでした。21世紀の開幕まで、まだ3年近くがあり、その3年が永遠に続くほどの遥かな道のりのような気がしていました。
 このエッセイのページのタイトルも当時は『大世紀末つれづれ草』で、「清水宏保と里谷多英、二つの金メダルを見守る亡き父」というタイトルで書いたのが、ちょうど4年前の今日2月11日でした。まさしく、昨日のことのようで、この間に4年の歳月が流れたことが、信じられない気持ちです。次の第20回冬季五輪は、2006年にイタリアのトリノで開かれます。これからの4年間も過去の4年間のような速度で流れていくのでしょうか。
 そもそも、時が「流れる」と実感するのは、どうしてなのでしょうか。時の流れを川の流れにたとえるのは、日本人独特の感じ方なのかも知れません。時が川の流れだとすると、ボクたちは岸辺にいて流れを見送り続けているのか、あるいは流れに乗って移り変わる岸の様子を見ているのか、どちらなのだろう、という疑問が生じます。
 実はそのどちらも真実のボクたちであり、ボクたちは岸辺にいながら、一方では絶え間なく流れの中に入り続けているのです。だからいまこの瞬間も、岸辺から流れに移りつつある自分が再生産されていて、流れの中には無数の自分が連続して、無限の鎖のように連なりながら、遠い遠い過去のかなたへと流れ続けているのですね。
 岸辺から見ると、流れの中の自分は見えるようでもあり、見えないようでもあり。ちょっと前の自分が流れていくのを感じながらも、手を差し伸べることも、引き寄せることも出来ません。流れに乗ってしまった自分は、もはや自分であって自分でない。それは記憶であり、思い出であり、もはや実在していない自分です。
 里谷多英選手の今回の銅メダルが、懐かしさとともにボクたちの胸に強く迫るのは、みんながそれぞれに、この4年間という時の流れへの愛しさを、里谷選手とともに分かち合えたという、たぐい稀に見る共振現象によるのでしょう。(2月11日)

 <新聞を読まなくても不自由しない、ということに気付いた驚き>
 この2、3日というもの、新しく導入したWindowsXPの設定やらなにやらで、朝から晩までコマゴマとした作業や雑用に追われ、新聞を読む時間が全く取れませんでした。ボクは主要全国紙はひととおり購読していますので、読まないでいると、たちまち未読ペーパーのヤマが出来てしまいます。
 そのペーパーを読まないままゴミ収拾に出した結果、ボクは驚愕すべき結論を得たのです。それは、新聞というものは読まなければ読まないでも、何一つ不自由はない、という恐るべき事実です。ボクはニュースに関心がない、と言っているのではありません。新聞を読まなかったこの2、3日の間も、世の中で発生し続けているニュースはすべて、インターネットのマスコミ系サイトあるいはYAHOOなどのポータルサイトで読むことが出来ました。夜はテレビのニュース番組で、一日の出来事を包括的に掴むことが出来ました。
 つまりは、新聞など読まなくとも、ニュースや情報に遅れを取ることはまったくない、ということです。これまで日課のように、相当の時間を費やして新聞を開き続けてきたのは、何のためだったのだろう、と考えてしまいます。ネットやテレビで得た情報の後追い確認でしょうか。でも、よほどの大事件でなければ、活字で反芻することはなく、ほとんどは見出しだけ見て素通りです。
 では、ニュースの背景や展望などの、解説記事を読むためでしょうか。これはある程度、新聞に期待してきたところなのですが、最近は解説記事、分析記事がつまらなくなり、読むに耐えるものが少なくなっています。とくに、若い記者や編集委員らが、したり顔で解説を垂れる記事がまことに底が浅くて、笑止千番としか言い様のないものばかりです。さらに、惰性のように掲載される企画物や続き物が、まったくもって社内向けの駄作ぞろいで、一般の読者を釘付けにするだけの内容がありません。
 ボクが凝りもせずに多くの全国紙を購読して、朝に晩にページを開いているのは、週にほんの1、2本ですが、読んだ後で「なるほど!」と叫んで膝を叩きたくなるほどの、シャープで鮮やかな文章が載ることがあるためなのです。そうした記事に遭遇して読み味わう快感に浸るという、わずかな機会を逃さないために、そして読んだ後はその記事をハサミで切り抜くために、ボクは新聞を広げ続けているのです。こうした記事の筆者は、ほとんどの場合、小説家やアーチスト、哲学者などの社外筆者です。
 これらの珠玉の記事が今後、ネットでも読めるようになったら、もはや新聞を購読する意味はボクにとって、ほとんどなくなってしまいます。ボクのような人たちは、結構多いのではないでしょうか。新聞の時代は、すでに終っているのかも知れません。(2月8日)

 <立春に思う、springとは跳躍、ばね、泉、そして源泉、原動力>
 このホームページはみなさまのおかげにより、今日で開設5周年を迎えることが出来ました。思えば1997年の1月中旬ころから、ホームページを作ろうと試行錯誤を重ねていたのですが、ようやく目鼻が整ってなんとか形が出来上がり、アクセスカウンターをスタートさせて正式な開設に踏み切ったのが、2月4日でした。
 なぜこの日を開設日にしたかというと、ちょうどこの日、ボクが去ることになった職場の送別会があり、人生にとっての大きな転換点だったこと、その日が立春という、すべてのものごとのスタート時点だったこと、によります。
 立春という日ほど、心躍らせられる日はありません。旧暦ではこの日こそが新年の始まりだったことに見られるように、この日は気象の推移からみても寒さのどん底を脱して、一日ごとに春めいていく節目なのです。
 英語の春《spring》が、もうひとつのspringと同じ綴りであることは、興味深いことです。辞書を引いてみると、こちらのspringは、跳躍、弾性、ばね、泉などのさまざまな意味を持ち、それぞれがspring=春の本質と深く関わっているように思われます。とりわけ、泉を意味するspringからさらに、源、根源、源泉、動機、原動力という意味を保有していることは、まさしく春というものの摂理を鋭く表わしているかのようです。
 日本語の「春」は、草木の芽が張る(膨らむ)からきているといわれます。「晴る」の意とも言われますが、春は必ずしも晴れが多いとは限らず、むしろ春一番、春の嵐、春雷など、荒々しさこそが春の特色で、これは英語の跳躍、弾性、泉などのspringに通じるものがあります。そもそも根源、源泉、動機というものは、すべて荒々しいものではないでしょうか。
 すっかり死語化しつつある青春についても、その唯一の取りえは、荒々しさであろうと、ボクは思います。荒々しさから忌避し、傷つくことを恐れる心優しい男の子や女の子たちは、長い子供時代を引き延ばしているうちに、青春を経ないまま、気が付くとオジサン、オバサンになっているのです。優しい青春、穏やかな青春などは、そもそもが形容矛盾であり、それは青春ではありません。
 立春とは、荒々しい原動力に突き動かされて、嵐の只中へ跳躍するための、大いなる節目の日、と受け止めたいと思っています。(2月4日)

 <マチスの『ダンス』で5人が繋いだ手が、1箇所で離れているのは>
 上野の森美術館で開催されているMoMA展に、ようやく意を決して行ってきました。去年の秋にも何度か行こうと思ったことがあるのですが、まだ日数は十分あるからと油断をしているうちに、いつの間にか3日の最終日が迫り、あわてて駆け込んだしだいです。ボクのような人たちは多いと見えて、開館30分前の朝9時半に行ったのですが、すでに300人ほどの列が出来ていて、ボクが並んだ後ろにも10分ほどの間にさらに300人ほどが並び、結局、開館20分前には入場となりました。
 そのMoMA展、この機会を逃すと二度と日本で公開されることはないという作品ばかりで、ゴッホ、ピカソ、シャガール、モディリアーニ、マチス、ダリ、ゴーギャン、ミロと、日本人にはお馴染みの巨匠の絵画や彫刻がずらりと展示されています。
 最大の目玉とされているマチスの『ダンス』は、バックの濃紺と緑、そして裸婦の肌色だけの、おおざっぱに言って3つの色だけで構成されているシンプルさが、かえって強烈な躍動感を浮き彫りにしています。この絵のポイントは人によっていろいろな感じ方があるでしょうが、ボクは5人が繋ぎ合った手が画面いっぱいに広がる、その流れるような楕円形こそが、この絵に動的な力強さをもたらしているのだと感じました。
 それにしても、繋ぎあった手は、手前の左の女性と右の女性の間だけが、わずかに手のひら半分ほどの距離で離れていて、この二人の女性がなんとかタッチしようと必至で手を伸ばしているその姿が、強烈な印象を与えます。ほかの箇所はすべて手が繋がっているのに、輪をつくることは出来ず、環は永遠に未完成のままなのです。
 なぜマチスは、全員の手を繋ぎ合わせて環を完成させなかったのでしょうか。この点にこそ、ボクはこの絵を見る上での最大の問いかけが隠されているような気がしてなりません。結局のところ、わずか5人とはいえ、手をつなぎあって輪をつくることは出来ないのです。あと一歩で繋がるのにと、肉体の限界まで体をよじらせて手を差し伸べ合う格好こそ、人間の真実の姿なのではないでしょうか。輪が完成していないからこそ、意思が生まれ続け、希求と努力、望みが湧き出で続けるのでしょう。
 そんなことを考えたりしながらMoMA展を存分に楽しみ、昼近くになって館の外に出たら、入場を待つ人の列は延々と上野の森の奥深くへと連なっていて、なんと2時間待ちとのことです。絵画好きの皆さん、美術展にはくれぐれも会期に余裕を持って、早めに行くようにしましょうね。(2月1日)

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2002年1月

 <若きベトナムの熱気、ホーチミン市はどこもオートバイの大洪水>
 アンコール遺跡群の見学をはさんで訪れたベトナムでは、ホーチミン(かつてのサイゴン)とハノイを周りました。
 ベトナムの地に立って見て、そして町を歩いて見て、まず驚いたのは、すさまじいオートバイの洪水でした。夕方、朝、そして日中も、通りという通りは、何百台、何千台、いや何万台といったほうがいいオートバイの軍団が、まるで何かの大イベントかデモンストレーションのように、けたたましい排気音を共鳴させ合いながら、雲霞のごとく走り続けているのです。この凄まじさは、自転車の入る余地がほとんどないほどで、バスや乗用車でさえ脇に寄って、オートバイの大洪水の前に身を小さくしているありさまです。
 オートバイには二人乗り、三人乗りも見られ、アオザイ姿の女性も少なくありません。排気ガスがよほどひどいのでしょうか、マスクで鼻と口を覆って乗っている人たちが半数近くです。アオザイの女性がマスクをしてオートバイをぶっとばしている光景は、なんとも不可思議なものがあります。横断歩道などたまにあっても、信号がないため、このオートバイの流れを横切るには勇気が要ります。しかし、ベトナムの人たちは慣れたもので、平気で渡っていき、オートバイの方もスピードを落とすわけでもなく巧みに歩行者を避けて走ります。
 ホーチミンのこの活気と熱気に、あのアメリカを負かして、国づくりに邁進する若きベトナムの心意気を見る思いでした。
 ベトナム料理の店はどこも、ベトナム人はもちろんのこと、フランス、韓国、日本など世界各国からの観光客で大賑わいです。ある店には、40人ほどのアメリカ人の団体客が来ていました。ベトナムの民族楽器の演奏が、ベトナム音楽と交互に、フォスターの民謡やジングルベルを奏でます。するとアメリカ人たちは男女とも、演奏に合わせて陽気に歌うのです。かつて血みどろの戦を繰り広げた国で、無邪気にアメリカの歌を歌っているアメリカ人の姿に、ふっとアフガンのことを思い浮かべました。
 ベトナムの人々は、男も女もとても小柄で、戦後まもない頃の日本人のようなつつましい体格です。とりわけ女性は、小学生のように小さく、とても可愛らしい感じがします。
 それに比べると、大声で歌っていたアメリカ人は、男も女も、巨象のように大きくて屈強で、恐らく体重はベトナム人の2倍どころか3倍か4倍はあるでしょう。ベトナム戦争でのアメリカの誤算は、歴然たる体格の差を、戦力や戦意の差と見誤ったことにもあったのではないでしょうか。そこには、意識するとしないとに関わらず、民族差別の感覚が働いていたのではないのか、そんなことを考えさせられたベトナムでの数日間でした。(1月29日)

 <アンコール遺跡群で永遠なるものを感じた、日の出と日没の瞬間>
 ベトナムからカンボジアに入り、アンコールワットを始めとするアンコール遺跡群を周ってきました。ポルポト時代の内戦などにより崩壊の危機に直面していたアンコール遺跡は、いま国際協力による修復作業が進行中で、観光客受け入れの態勢が整ったのは、ここ数年のことだそうです。
 その中心、アンコールワットは、ボクが思っていたよりも巨大で雄大かつ精緻な建造物でした。現在の建築技術をもってしても、これほどの規模の石造建造物を構築するのは不可能ともいわれ、遠くから眺めても、近くから見上げても、さまざまな位置や角度から眺めても、訪れる者たちに深い感動を与えてくれます。
 5基の塔堂を中心としたこの大伽藍全体が、ヒンドゥー教の影響を受けたクメール人の宇宙観を地上に具現化したもので、完成までに30数年の歳月を要した、といいます。建造物によって宇宙観、世界観を表現するというのは、近代から現代にかけての文明が投げ捨ててしまった方向で、それだけにボクたちはアンコールの遺跡に佇む時に、当時のクメールの人々からの、時代や宗教、民族を超えた強烈なメッセージを全身で感じるような気がします。
 驚いたことには、こんなに貴重な遺跡なのに、観光客が遺跡の石段を登ってアンコールワットの上段まで上がることが出来ることです。石段は極めて急傾斜で、一つの段の幅は足幅がやっとかかるくらい。下を見ると目がクラクラして足を滑らせそうになり、ともかく両手でしっかりと石段をつかみながら一段ずつ登るほかありません。
 上り詰めると、ちょうど夕陽が地平線に沈むところ。熱帯のジャングルと太陽とクメールの遺跡。しばしの間、浮世のことを忘れて、愉悦というか至福というか、もしかして解脱に近いとも思う感覚に浸りながら、赤々と燃えながら消えていく夕陽に見入りました。
 次の日は、アンコールワットの日の出を見学。その夕方は、高い丘にあるプノン・バケンという都城に登り、アンコール遺跡群を一望する壮大な光景の中で、日没を鑑賞。この都城の上には、世界各地からの観光客が夕陽を見るために集まっていて、身動きできないほどの混雑でした。
 熱帯の遺跡には、昼間の灼熱の太陽は過酷すぎます。日の出と日没の涼やかな瞬間こそ、遺跡たちは最も美しい姿を見せてくれます。そのとき、遺跡を囲む空間そのものがタイムトンネルとなり、造営や彫刻に携わった無数の人々の思いや息遣いが、時を超えて伝わってきます。永遠を感じる瞬間とは、こういうことを言うのでしょう。当時の人々が、ボクのすぐそばで、同じ赤い太陽に見入っているのが、チラと見えたように思いました。(1月26日)

 <阪神大震災からの7年が「地の崩壊」の時代なら、次の7年は>
 17日で、阪神大震災から7年になります。この7年という数字にボクは、過去のどの時代にもなかった、とてつもなく濃密で重い1時代が、それでも黙々と、機械仕掛けの時計の針のごとくに経過してしまったことに、クラクラと目眩を覚えるほどの驚きを感じるのです。
 1995年1月17日。あなたはどこで、どんな人生を歩んでいましたか。その後の7年間で、どんな人たちに出会い、どんな人たちを失いましたか。7年間に、あなたの人生における重大な転機は、何度訪れましたか。7年間の世の中の変化や世界の変容は、あなたが思い描いていたものと比べて、どのように異なっていましたか。
 2002年1月17日。すでに未来。7年の間に20世紀が終って21世紀が始まりました。2つの世紀にまたがった7年間でしたが、この7年間は、まとまってひとつの時代を形成していたように思います。何時代と呼んだらいいのでしょうか。それは、平成7年から平成14年への平成爛熟の7年間であり、奇しくもインターネットの揺籃・成長とともに歩んだ7年間でした。
 この7年間を象徴する出来事は、95年の阪神大震災そして地下鉄サリン事件であり、去年9月11日の米同時多発テロでした。安全が崩壊した時代、未曾有のリスクを生き抜かなければならなくなった時代、と言えます。共通するのは、それまで社会や共同体の最後の拠り所だった不動であるはずの「大地」が突然崩壊し、地にそびえ立っているはずのものが地獄になる時代、でした。
 「地に足がつかない時代」ほど、不安で恐怖を募らせるものはありません。アメリカのアフガン攻撃が、もっぱら空からの爆撃に集中していたのも、アフガンの大地で戦うことを恐れたからにほかなりません。アフガンでは、大地そのものが地雷で埋めつくされて、大地の役目を果たさなくなっています。
 これからさらに7年後の世の中を、ボクたちは思い描くことが出来るでしょうか。これまでの何十倍、何百倍もの激しい変化が、社会をそして世界を見舞い、一方では現在夢想さえ出来ないような新たな文明の数々が、ボクたちを取り巻いていることでしょう。
 世界は、人間が安心して身をゆだねることが出来る大地を取り戻しているでしょうか。それとも、これまでの7年間にも増して、大地をズタズタに踏み躙り、世界各地で沿岸部の水没が始まっているでしょうか。
 2009年1月17日のあなた、そしてボク。この文章をどこで、何をしながら読んでいますか。地球はまだありますか。(1月16日)

 <米軍によるアルカイダ捕虜たちのキューバ移送は、何か変だぞ>
 アメリカがアフガニスタンで捕まえて拘束していたアルカイダとタリバンの捕虜たちを、米軍の輸送機に乗せ、キューバのグアンタナモ米軍基地に移送を開始した、というニュースを聞いて、率直に疑問を感じます。
 移送されるのは、カンダハルの海兵隊基地に拘束している371人の捕虜で、第1陣の20人に続いて、順次移送していく。グアンタナモ基地では、徹底した尋問を行って、ビン・ラディン氏やオマル氏の所在やアルカイダ組織の全容解明につなげる、というのです。捕虜たちは手錠に目隠しをされたまま、座席に縛りつけられて、立つことも許されず、暴れた場合のために鎮静剤や電流銃を用意し、食事は米兵が直接捕虜の口に運んで食べさせる、という厳戒態勢です。
 捕虜たちを、わざわざ地球の反対側まで運ぶのは、アフガン国内では奪還される恐れがあることや、アメリカ国内に移送したのでは新たなテロを招く心配があり、アメリカが管理しやすく逃亡や奪還の恐れが少ないキューバとなった、ということのようです。
 奇怪なのは、アメリカはキューバに対して、40年にも渡って敵対関係を続けていて、いまなお人権抑圧を理由に経済封鎖を実施中です。そんな状態なのに、キューバに米軍基地があること自体、不思議な気がしますが、この基地は1903年からアメリカが確保している、いわくつきの基地なのです。
 アメリカがアルカイダなどの捕虜たちを、まるで捕獲した猛獣を運ぶような手荒なやり方で、キューバに運ぶことは、国際法上、また人道上、許されることなのでしょうか。人権団体からは「人権侵害だ」という声が上がっていると伝えられますが、日本のマスコミ、とくに新聞は全くの沈黙を保ったままです。
 捕虜であるならば、「ジュネーブ条約」による保護を受けるはずですし、捕虜でなく犯罪人ならば、国際司法機関の扱いにまかせるべきです。しかし、アメリカにとってはこんな手続きなど、もはやどうでもよく、テロリストには一片の人権もなくて当然と思っているのでしょう。
 誰もが、喉元まで出かかっていることがあります。それは、グアンタナモ基地での捕虜たちの尋問の「方法」です。米軍関係者以外の誰の目もない場所で、そして何が起こっても誰にもどこにも訴えることの出来ない場所で、想像される光景は「拷問」でしょう。
 拷問によって、あることないことを喋らせ、それを大メディアを通じて流す。その上で、報復のため、見せしめのため、最大限の苦痛を与えつづけて虐殺していく。そのことは闇から闇へ葬られる。キューバまで運ぶということは、彼らが生きて出ることは決してありえない、ということを意味していると思います。(1月12日)

 <ISDNから一足飛びに光ファイバー導入、驚異の速度は快感>
 昨日、念願の光ファイバーを導入しました。96年12月にISDNを引いて以来、5年ぶりの回線グレードアップです。最初は速いと感じていたISDNも、ブロードバンド時代を迎えて時代遅れになってしまい、サイトを読み込むにもデータのアップにも、遅さが気になるようになりました。
 国内のユーザーの主流はすっかりADSLに向いていて、ボクもなんとかしなければ、と思いつつも、長い時間で考えた場合にADSLでいいのかどうか、迷っていました。高速大容量回線の本命は、やはり光ファイバーであり、ADSLはあくまで光への代替ではないのか、と考える一方で、ショートリリーフとしてとりあえずADSLにして、後で光に乗り換えるのも一つの選択かと思ったり。
 ADSLは申込みが殺到していて、150万世帯が工事待ちの状態にあるという状況に、迷いは深まります。そこへ、NTTが一般ユーザー向けの光ファイバーサービスを始めるというニュースを知り、居住地がサービス対象地域に入っていることで、一足飛びに光へ、と決断しました。
 とはいえ、光ファイバーとなると、いろいろ問題も出てきます。光ファイバーは電話回線としては使えないことから、現在引いているISDNに加えて光を引くという、二重投資になります。さらに、既存の電話回線を利用するのではなく、全く新たなケーブルを道路地下を通る光ファイバー幹線から部屋の中まで引き込むことになり、大掛かりな工事が伴います。
 そうした困難を承知の上で、去年8月1日の受付開始と同時に申込みました。工事担当者が下見に来て、ケーブルを通すことが可能かどうかをチェック。さらに、ここは集合住宅なので、光ファイバー引き込みの工事を実施することについて、居住者で作る管理組合の承認を得る手続きも必要でした。そんなこんなで、5カ月もの待機期間を経て、昨日のケーブル工事にこぎつけ、朝から日が暮れるまでかかってようやく部屋の中まで光が開通しました。
 最大100Mbpsの威力は、さすがにすごいものです。データのダウン、アップともにほとんど瞬間的と言えるこのサクサクした心地よさは、もうやめられません。数年後、光が日本全国に張り巡らされるころには、ネットのコンテンツもそれに対応して大きく変わっているだろうという予感のようなものを感じます。(1月8日)

 <自分とは何者なのか、不思議でたまらなくなる思考の迷路>
 自分はいったい何者なんだろう。自分の正体について、はたして自分は知っているのでしょうか。
 デカルトではありませんが、自分がいまこうしたことを考えているという事実だけは確かで、自分が世界を認識している限りにおいて、世界は存在していると言えます。自分が生まれる前、あるいは自分が死んだ後も、この世界は果たして存在すると言えるのでしょうか。自分が存在しないならば、「自分にとって」この世界は存在しないと言ってもいいのではないでしょうか。あるいは自分が生まれなかったら、世界が存在することすら「自分は」認識出来なかったのではないでしょうか。
 これらの問いは、ボクにとって子どもの頃からずっと付きまとってきた疑問で、いまなお、心地よい目眩を伴って思考の迷路に入り込んでいくことが出来ます。
 仮に百歩譲って、自分が生きているか生きていないかにかかわらず、自分を離れたものとして、この世界が「客観的に」存在することを認めたとしても、もっと重大な問題に突き当たります。この世界は、未来永劫に遡って無限の太古から存在していたわけではなく、150億年ほど昔に、「無」から突然生まれて、大きささえない1つの点から爆発的に広がって(いわゆるビッグバン)、やがて今のような宇宙になったとされています。
 この宇宙が「無」から生じたという発見ほど、存在というものの不可思議な深淵にボクたちを誘うものはありません。この世や事物が存在していること自体、そんなに当たり前のことではないのです。
 もしかしてボクたちが物質と呼んでいるものも、実は空間とエネルギーと力が織り成す一種のイメージのようなもので、不動で堅固な何物かが存在しているわけではないのだ、という気がしてなりません。物質とは、意外にも極めてバーチャルな存在で、さまざまな宇宙の原理・法則などがソフトのように働いた結果、物質であるかのごとくにふるまう作用が生じている、ということのような気がします。
 だとすると、自分というものも、宮沢賢治が『春と修羅』の序で指摘しているように、ある種の現象なのだと考えた方がすっきりします。
 わたくしといふ現象は
 假定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です

 2002年の始動開始。今年もボクたちは「せはしく明滅」しながら、ともりつづけていくのです。それを不思議とも思わずに。(1月4日)
 
 <飛躍的繁栄と壊滅的終末と、両方の道が同時に進む2002年>
 2002年、明けましておめでとうございます。21世紀は開幕までがすいぶんと長かったような気がしますが、新世紀に入ってしまえば、1年ごとの経過は加速度的になっていくかも知れません。
 2001年から2002年にかけての21世紀冒頭の数年間は、何十年後あるいは何百年後の歴史家たちが振り返って回顧した時に、どのような時代として評価され、総括されていくでしょうか。ボクたちは、今がいつまでも永続する最先端の時代だなどという錯覚にとらわれてはいけないのです。
 この時代も、確実に10年前、20年前の出来事となり、やがて近代史の中に入れられ、数百年後には中世となり、数千年後には古代の一角に位置付けられるようになっていくでしょう。その頃には、いまのボクたちが決して見ることのない時代が、現代史や近代史を形作っていることでしょう。
 21世紀冒頭の日々は、人類の進むべき方向が、かつてない飛躍的繁栄か、さもなくば取り返しのつかない破滅かの、両極端への初期微動が同時に始まっているという、極めて不安定で重大な時期に差しかかっている、と言えます。
 この時期の選択が、忍耐と寛容、譲歩と理性に基づいたものであるならば、人類はテクノロジーの爆発的発展を味方につけて、想像することさえ不可能なほどの繁栄の道へと進むでしょう。人類は居住地を地球外の宇宙へと飛躍させ、将来は他の惑星の知的生命とも情報のやりとりをしながら、宇宙を認識し宇宙を変革していく存在として、ますます己の「智」に磨きをかけていくでしょう。
 逆に、この時期の選択が、憎悪と独善、傲慢と奢り、敵意と不寛容に基づいたものであるならば、人類は他のすべての生き物たちを道連れにして、地球そのものを醜怪なまでにぶち壊し、地球と太陽系が39億年かかって作り上げてきた生命圏を、わずか100年足らずで終焉に追い込んでしまうでしょう。
 恐ろしいことには、現在、そのどちらへの道も、同時進行で始まっていて、2つの道がかなりの部分で重なっているため、ひとつひとつの出来事が、どちらに向かう道で起きているのか、見極めが難しい点です。2002年が2001年の延長でしかないなら、状況はかなり絶望的です。
 2002年が、20世紀を超克しつつ、2001年をも止揚することが出来るならば、人類もまだ捨てたものではありません。(1月1日)

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