00年1月−6月のバックナンバー
メニューにジャンプ


2000年6月

 <出生率1.34の衝撃、人口縮小の悪循環の中で日本は消滅へ>
 昨日発表された政府の統計で、1人の女性が生涯に産む子供の数が、1.34とさらに過去最低を記録しました。常識的に考えても、この数字は2.0を超えなければ、人口を維持していくことは困難です。
 試算によると少子化が続く結果、21世紀末の日本の人口は、6700万人と、現在の半分近くに減ってしまいます。2005年から15年間だけをとってみても、人口減少の結果、GDPは6.7%下がるという厳しい見通しとなっています。21世紀末の日本のGDPがどれほど壊滅的な減少を見るかは、考えただけで恐ろしい限りです。
 こうした事態に伴って、国や自治体の予算は大幅な収入源となり、財政破綻が相次ぐでしょう。いまでさえ気が遠くなるほどの巨額の借金を抱えた国や自治体は、再起不能となり、企業の大半は経営が成り立たず姿を消すか、別な形態の産業への脱皮を迫られるでしょう。
 財政や労働力の問題にとどまらず、人口の大幅減少は日本社会のすみずみにまで、大変革を及ぼすでしょう。家や家族の形、教育や文化、地域社会、農村の姿も都市のありようも、すべてが音を立てて、変わっていくでしょう。日本社会の活力は失われ、歯止めがかからない日本縮小の悪循環の中で、この国は消えてしまう危機をはらんでいることを、僕たちは知っておく必要があります。
 こうした危機、まさにいまここにある危機は、目先の党利党略と偏狭な利益誘導に明け暮れて、日本100年の計を立てようとしなかった政治の責任であり、経済界と官僚たちはともに共同正犯です。結局のところ、歴史意識を欠いた無責任の構図が、日本社会の内部崩壊をもたらしつつある、ということでしょう。
 いまは楽でなくても未来に希望が持てる社会、地道な努力が報われる世の中でなければ、若い人たちはますます結婚をためらい、とくに女性の非婚・晩婚志向はますます強まっていくのは当たり前です。結婚したとしても、子供を産みにくく育てにくい社会が変革されないならば、子供を産む意欲も覚悟も出てきません。
 他人を殺傷し、親を殺傷し、自ら自壊を続ける「17歳」は、日本社会の失敗の象徴です。彼らの暴走を見るにつけ、どれほど多くの若い夫婦が子づくりを躊躇し、どれほど多くの適齢期の男女が結婚を思いとどまっているか、政治家を始め日本のリーダーたちは考えたことがありますか。(6月30日)

 <1億総欲求不満の選挙結果、問われたのは有権者の資質だった>
 今回の衆院選挙の結果をどう見るか、さまざまな新聞が社説から文化面まで、さまざまなところで分析や総括をしていますが、読めば読むほどに、いったい勝者はだれで敗者がだれなのかが、分からなくなります。
 自民党は勝ったのか負けたのか。自公保の連立与党はどうか。民主党は勝ったのかどうか。野党全体ではどうなのか。結局、ゲームセットが宣告されても、どちらが勝ったのか観客には全く分からない野球の試合のようなものです。スコアボードにはさまざまな数字が書かれていますが、見えにくい上に見る角度によっていろいろに変わります。
 「どっちが勝ったんでしたっけ」「さあ、私にも良く分かりませんねえ。こんな試合初めてですなあ」「ノーゲームですか?」「いや、試合は成立しているようですよ」と観客たちは、釈然としないまま帰途につく。
 これが良くも悪しくも、日本の選挙であり、日本の有権者の姿なのです。3年8カ月も待って、ようやく実現した解散・総選挙にもかかわらず、有権者は意志決定を放棄しました。というよりも、方向性を明確に打ち出さない、という軟弱な意志決定に終わりました。21世紀の日本をどうするか、その道筋をつけることを避けた、あいまいで無気力な選択です。
 与野党それぞれに政党の責任は重大ですが、責任ある21世紀日本のあり方を政党に提示させることが出来なかったのは、有権者の問題でもあります。狭い目先の既得権や日本的情実で動く社会の仕組みにしがみつき、自らの痛みを伴う改革を拒絶しようとした膨大な有権者の存在が、結局、どの政党に対しても抜本的な改革の道筋を打ち出させることを躊躇させたのです。
 こんどの選挙で真に問われたのは、森首相の資質などではなくて、日本の有権者の資質だったといっていいでしょう。選挙結果に対して、どの政党も満足しておらず、またどの政党を支持する有権者も満足していないという、1億総欲求不満の選挙結果は、有権者の資質がもたらしたものです。
 結局のところ、日本の社会は選挙では変わらない、という危険なアパーシーが広がる素地は満ち満ちています。ここから生まれるのは、国粋的なネオファシズムか、はたまた構造的改革の決定的手遅れによる日本社会の自己崩壊か。
 日本が名実ともに21世紀の扉を開けることが出来るのは、遠い先のようです。(6月27日)

 <五月雨に思う、芭蕉と蕪村そして豊穣の源泉ヒマラヤ山脈のこと>
 梅雨の中休みも終わって、いよいよ梅雨の後半です。雨を見ていると、いろいろなことが不思議に思えてきます。
 五月雨とは5月に降る雨のことではなく、梅雨のことを言うのだということを、最近になって初めて知りました。旧暦では5月が梅雨の季節になるためです。なぜ「さみだれ」と読むのか。「さ」は五月を意味する接頭語、「みだれ」は「水垂れ」から転じたということです。
 さみだれや大河を前に家二軒 蕪村
 しとしと降る春雨のような細い雨ではなく、どっしりと腰を据えた梅雨前線がもたらす、かなりの降りである様子が目に浮かびます。家一軒でも家三軒でもなく、家二軒であるところが、この句のポイントですね。
 この蕪村と対比してよく引用されるのが、芭蕉の句です。
 五月雨を集めて早し最上川 芭蕉
 これは「早し」のほかに「涼し」となっているものもあって、山形県にはそれぞれの句碑があるということですが、僕はダンゼン「早し」の方を取ります。梅雨の雨が集まって、ダイナミックで目が回るような急流を形成していく、その「動き」こそがこの句の生命だと思うのです。「涼し」ではどこか個人的な感覚に収まってしまうように思います。
 ところで、日本の梅雨を含めて、アジア各地の雨期は、穀物が育つために最も必要な季節に、天の恵みとして降るのだと、なんとなく思っていました。ところがこれは、北半球の亜熱帯ジェット気流が、この時期に北上していく途中で、ヒマラヤ山脈にぶつかって二分され、これが原因で発生しているということを、これまた最近初めて知りました。
 ということは、ヒマラヤ山脈がこの位置に、この高さとスケールで存在しなかったら、アジアの雨期はなかったかも知れないのです。そうしたら、アジアの歴史も文化も国々の姿も、まったく異なるものとなっていたでしょう。
 ヒマラヤ山脈は、太古の地球の造山運動がもたらしたものです。無数の偶然の結果出来上がった山脈とはいえ、アジアの人々や動植物にとっては、ヒマラヤ山脈の存在こそが、実りと豊穣の源となっていることに、人智を超えた畏敬の念を感じます。(6月24日)

 <無党派層は寝ていてくれと首相に言われ、リベンジの1票を決めた>
 各報道機関による衆院選挙の情勢調査が出そろいましたが、これまでの予想を覆して、自民党が大勝という結果になっています。3年8カ月ぶりの総選挙が、自民党の安定多数で終わってしまったら、21世紀日本の進む道は「憲法改正、神の国実現」に向かってまっしぐらでしょう。
 それにしても、例えば朝日新聞の調査の場合では、無党派層が52%を占め、そのうちの7割は投票態度を明らかにしていない、というのです。この結果に、実は自分もそうだ、とうなづく人たちは多いと思います。
 もしも僕が調査対象のサンプルに抽出されて、調査を受けたとしたら、やはり「支持政党なし」と答え、投票する人については「まだ決めてない」という答えになってしまいます。投票に行くかどうかと問われたら「必ず行く」と答えるでしょう。
 総選挙の結果を左右するのは、世論調査の段階では態度を表明しかねている無党派層であることは、これまでの多くの選挙結果が示しています。
 森総理大臣は、このあたりのことを実によく分かっているのです。「まだ決めてない人が40%ぐらいある。そのまま関心がないといって寝てしまってくれればいい」という発言は、まさに森首相の正しいヨミであり、本心でしょう。
 寝てしまってくれればいいと言われても、投票日の25日は一日中寝ているわけにもいかないし、起きれば投票をネグルかどうか判断を迫られてしまいます。投票したい人もいないしなあ、とブツブツいいつつも、結局は夜8時まで開いている投票所に足を向けるでしょう。
 投票所で初めて、立候補している人たちの顔ぶれを選挙公報などで知り、仕方がないから誰かを選んで投票するでしょう。この1票が、そしてこうした迷いながらの1票の集積が、選挙の大勢を決するということはとても重要です。
 「寝ていてくれ」と首相に言われると逆に、じゃあリベンジの1票でも投じてこようか、という気持ちになるから不思議なものです。(6月21日)

 <かつての仕事仲間の女性たちが開いてくれた祝う会、時よ止まれ>
 「時よ止まれ、お前は美しい」。ファウストでなくても、そう言いたくなる瞬間というのがあるものです。
 昨日、かつて同じ職場で一緒に仕事をし、いまはみなそれぞれに散らばっている若い女性たち8人が、僕のホームページの受賞を祝う会を開いてくれました。うち5人は、3年5カ月ぶりに会う人たちです。
 久々の「同窓会」に集まった女性たちは、驚くほど変わっておらず、ほんのすこし大人っぽくなったかなと思う程度で、みなとても美しく、そして眩しいほどに輝いていました。
 つくづく、僕は素晴らしい仕事仲間たちに恵まれていたことを幸せに思います。僕がホームページを作り続けてきた原動力は、彼女たちがどこかで僕のホームページを見る機会があった時に、「すごいね」と言ってもらえるようなホームページを目指したいということにありました。
 あれやこれや尽きぬ話しの数々。幸せで楽しい夢のようなひととき。4時間はあっという間に過ぎてしまい、お開きの時間を迎えます。どんな素晴らしい時間であっても、それを止めることは決して出来ないのですね。
 僕は最近ようやく、「諸行無常」ということの意味が少しばかり分かってきたような気がします。どのような事物も、ひとつところにとどまっていることは出来ない。この世の出来事のすべては、常に転変し続け、常ではあり得ない。「無常」であることは、苦痛に対しては救いをもたらす一方で、幸せに対しては容赦なく残酷です。
 幸福な瞬間を止めることが出来ない代わりに、人間は写真によって瞬間を切り取るという驚くべき発明をなしとげました。写真は、時間を止める魔法です。それは、人間のあいまいでうつろいやすい不確かな記憶を強固に支え、失われた時間の思い出を甘く懐かしく想起させてくれます。僕は写真こそ、2000年間最大の発明といっていいだろうと思います。
 昨日の写真の数々が、もう焼き上がってきました。印画紙の上で止まったままの「時」をしっかりと掴みながら、僕はつぶやいてしまいます。「時よ、お前はこんなにも美しいままだ」(6月18日)
 
 <1960年6月15日の樺美智子さん、生前と死後の2枚の写真>
 今年もまた6.15が巡ってきました。60年安保の忘れもしないあの日から、今日でちょうど40年。
 僕の手元に、2枚のグラビア写真があります。
 1枚は、「安保にゆれた日本の記録」と題する「エコノミスト」別冊に掲載されている写真で、6月15日午後3時ころ、学友たちとスクラムを組みながら国会へ向かう、樺さんの元気な写真です。モノクロながら、写真説明には、樺さんが黄色いカーディガンと濃紺のズボン姿で、これが生前の樺さんを捉えた最後の写真になった、と注釈があります。
 樺さんは、左手で何か袋のようなものを握りしめ、右手で隣の男子学生と軽くスクラムを組み、目は前方を険しく見据えて、何か叫んでいるようにも見えます。これから4時間後に待ちかまえている、デモ隊と警官隊との戦後史に残る激突によって、自分の生命が終焉することになろうとは、夢にも思わなかったことでしょう。
 もう1枚の写真は、「ゆるせない日からの記録」と題する写真集に掲載されているもので、国会構内での惨劇直後、血だらけになって動かない学生たちが横に折り重なり、さらに新たな重傷者が運ばれている写真です。左上には、両手を警官に引っ張られ、上半身が仰向けの姿で気を失い、おそらく血でぐしゃぐしゃになっている髪の毛を地面に引きずっている女性が写っています。
 この女性の写真は、当時あちこちのメディアに掲載されて、国民に衝撃を与えた写真ですが、注目すべきは、その右側に、血まみれの左手を友人の女性に抱えられて横たわる樺さんの姿で、眠っているような表情がはっきり見て取れます。この時、樺さんはすでに死んでいました。新聞に掲載されなかったのは、死体を掲載しないという、日本の新聞の約束事からでしょうか。
 6.15に撮られた2枚の樺美智子さん。生きている樺さんの表情には、思いつめた覚悟の色が浮かんでいるようにも見えます。そして死んだ樺さんの顔つきは、菩薩のようにも思えます。
 カーディガンの黄色は、平和で幸せな社会を希求してやまない樺さんの、心象風景だったのかも知れません。
 僕たちは樺さんの死に報いるべく、この40年間、はたしてどれだけのことをしてきたでしょうか。僕たちそれぞれが感じる胸の痛みと自責の念を、決して忘れることなく、6.15を21世紀へと語り継いでいく責任があると思います。(6月15日)

 <20世紀と21世紀、それぞれのイメージを表す漢字1文字はこれだ>
 時計メーカーのセイコーが20世紀を漢字1文字で表すとしたら、どの漢字になるかをアンケート調査したところ、トップに上げられた文字は「忙」で、ついで「速」「動」「流」の順。また21世紀を表す漢字は「楽」がトップで、ついで「夢」「悠」「未」の順という結果となりました。
 僕も自分なりに、20世紀と21世紀それぞれを表す1文字を考えてみました。まず20世紀ですが、候補として「戦」「革」「惨」「激」「爆」の5文字をノミネートしました。
 「革」は、革命の世紀と言われるこの時代、そしてさまざまな分野での革命・革新が続いた時代、という意味で挙げてみました。「戦」は、20世紀の最大の特徴を捉えていますが、なにか一面的な感じがしないでもありません。「惨」も、1つの側面ではありますが、全体としては弱いですね。「爆」は、単なる原爆などの兵器の意味だけでなく、あらゆるものが爆発的に展開したという意味で挙げてみましたが、注釈を付けないと分かりにくい。
 そこで、5文字の中から絞った結果、戦争や革命、科学の進歩など、あらゆるものが激動・激変した時代ということで、「激」を20世紀を表す漢字としたいと思います。
 次に、21世紀を表す1文字について、僕が候補としてノミネートした文字は「望」「翔」「進」「生」「智」の5文字です。
 「望」は希望であり、願望であり、広い視点から世界を望むことの大切さ、という意味です。ちょっとユートピア的かも知れませんね。「生」は20世紀の反省に立った「戦」や「惨」の対極として考えてみましたが、何か静的過ぎて21世紀的な斬新さが欲しいところです。
 「進」は前進ですが、これ以上進むよりは、立ち止まってやるべきことがたくさんある、という反論が出そうです。「翔」は、ワクワクするような発展の予感がある半面、大切なものを置き去りにして行かないか、という懸念も残ります。
 「智」については知恵、英知、人智によって、人類が抱えるさまざまな問題を克服していくという期待を込め、「知」とほぼ同義の意味で挙げました。21世紀に人類が生き残るための最大のカギは、「智」にあるのではないか。そんな思いを込めて、「智」を21世紀を表す1文字にしたいと思います。(6月12日)

 <1週間の間を置いて、2人の名和太郎氏が相次ぎ亡くなるとは>
 ふだんならば見逃してしまうかもしれない、新聞の小さな死亡記事。そこに、こんなことが。
 6月1日朝刊。名和太郎氏(なわ・たろう=元朝日新聞編集委員)。31日、心不全のため、東京都三鷹市の病院で死去、70歳。
 この編集委員の方は、直接には存じ上げませんが、特異な名前なので覚えていました。「名は太郎」なんてうますぎる名前で、ペンネームかと思っていたくらいです。
 そして、昨日8日の夕刊の死亡記事をなにげなく見ていて、目を疑いました。名和太郎氏が、また亡くなったのです。
 6月8日夕刊。名和太郎氏(なわ・たろう=腹話術師)。7日、急性心不全のため、東京都豊島区の病院で死去、81歳。
 これって、どういうこと? 「名和太郎」というめったにない同姓同名の2人の人が、わずか1週間の間を置いて、相次いで心不全で亡くなるとは!? どちらも東京の病院で亡くなり、喪主は妻。うーん、偶然にしては、あまりにも不思議過ぎると思いませんか。
 2人の名和太郎氏は、どういう関係だったのか。腹話術師の名和太郎氏は芸名で、本名は高橋幸吉となっていますが、元編集委員の名和太郎氏は本名のようです。お互いに、もう1人の「自分」の存在を知っていたのは当然でしょう。2人は、会ったことはあるのでしょうか。
 おそらく2人の名和太郎氏は、お互いに相手の存在を強く意識し、無意識のうちに張り合って生きてきたのかも知れません。最初に亡くなった名和太郎氏の死亡記事を、もう1人の名和太郎氏はどんな気持ちで読んだことでしょうか。
 ミステリー作家ならここで、実は2人の名和太郎氏は同一人物で、生前はだれもが別々の人物だと信じて疑わなかった、などというプロットで、驚くべきストーリーを展開していくかも知れません。後から亡くなった名和太郎氏が腹話術師というのも、さまざまな声色を使い分けられるわけで、同一人物説にはもってこいです。
 万が一、この1週間後に、さらに別の名和太郎氏の死亡記事が載ったりしたら、これはもう奇遇どころではなく、れっきとした事件です。全国に名和太郎という名の方がほかに何人おられるか分かりませんが、くれぐれもご自愛のほどを。(6月9日)
 
 <西安の城壁に佇み、西方に向け旅立ったいにしえ人に思いを馳せる>
 10日間ほど、北京、西安、桂林、上海と中国を旅してきました。日本の隣に、このような偉大な歴史と文化を持つ巨大な国が存在することに、改めて驚くばかりでした。今回訪れた都市は、それぞれに個性と魅力がいっぱいで、街のたたずまいから生活に勤しむ人々の姿まで、深く心に刻みこまれました。
 中でも僕が最も感動したのは西安の街です。かつて世界最大の人口を擁した、いにしえのメトロポリス長安。街の中心部を取り囲む長さ14キロの城壁が、ほぼ完璧な形で残っていること自体が驚異です。城壁とともに暮らす人々の雑踏を見ていると、千年前の長安の街を行き交う人々の様子が、デジャ・ヴュに似た幻影のごとく懐かしく思い出されるような気がします。
 ホテルの前から小さな赤いタクシーに乗って、安定門と呼ばれる城壁の西門へ行ってみました。この門こそ、シルクロードの出発点。ここからローマへと陸続きで人々が往来したとは、島国の日本に住む者としては、想像を絶する思いです。
 人々はどんな思いで、ここから西へと旅立っていったことでしょうか。乗り物といえば駱駝か馬くらいで、多くの人は何年もの間、ひたすら歩き続けたのでしょう。西に沈む夕日を眺めては、星空の下で眠る日々。生きて帰れない人たちも多かったに違いありません。
 アジアとヨーロッパが陸続きだという事実は、地図などで納得していても、なかなか実感として分かりにくいものがあります。それだけに、西安の西門は、東西文化を結ぶシンボル的な存在として、僕たちに陸続きの世界の広さと奥行きを認識させてくれます。日本文化と言われるものの少なからぬ部分が、ローマやペルシャ、インドから、長安を経由して、さらにさまざまなルートで日本に入ってきたのでしょう。
 中国はもともと、他の文明や他の民族に対して、人なつっこく、とても開放的で懐の深い国です。日本を始めとして欧米列強が、中国をよってたかって餌食にし続けた近代史・現代史の過ちは、二度と繰り返してはならない、という気持ちを新たにした旅でした。
 西安の素敵なママさんガイド、賀さんも忘れられません。大学で学んだという日本語はとても流麗ですが、まだ日本を訪れたことがないとのこと。「日本にはぜひ行ってみたい。でもビザを取るのがとても難しくて」と、綺麗な目もとが残念そうでした。賀さんが訪日出来る日が、1日も早く来ることを、心から祈ってやみません。(6月6日)

ページの冒頭に戻る
メニューにジャンプ

2000年5月

 <銀河を背にした大銀河の写真が発する、無数の文明のさんざめき>
 渦巻き状の銀河を背に浮かぶ、より巨大な銀河。地球からの距離、1億4000万光年。NASAが公表したハッブル宇宙望遠鏡によるNGC3314と呼ばれるペアの銀河の写真は、単なる天体写真の域を超えて、僕たちに身震いするような畏敬の念を呼び起こさせてくれます。
 手前の銀河も美しいのですが、僕が惹かれるのは、その後方に斜めに横たわるように浮かぶ大きい銀河です。この巨大銀河の写真を見て、直感的に感じることは、溢れるがごとくに伝わってくる幾多の文明のさんざめきであり、文明たちが発している膨大なメッセージの存在です。
 これは、異なる遠い世界からの、銀河が生きていることを示すシグナルであり、自らの姿を他の天体の生物から見られることを予感している大銀河の姿です。そこには、文明を内包する銀河としての、誇らしささえ感じます。
 この大銀河は、おそらく1兆個の恒星から成り立っていることでしょう。この中に、文明を持つ星はどれくらい含まれているでしょうか。
 銀河が含む1兆個の恒星のうち、惑星を持つ恒星は1%、そのうち生命が誕生している惑星を1%、そのうち知的生命にまで進化しているものを1%、そのうち他の天体の知的生命を探査できるほどのレベルにまで発達している文明を1%とすると、それでも1万もの数になります。
 その1万もの高度な文明のうち99%は、寿命が100年から数万年でしょう。しかしそのうちの1%が、文明の寿命を克服して超文明の段階に入っているとすると、その数は100になります。
 100の相異なる超文明。そこにはどんな英知と科学技術があり、どんな文明の歴史とドラマがあるのでしょうか。
 一つの銀河について100の超文明があるならば、宇宙全体の超文明の数は億を超えるかも知れません。この「私」たちもまたいつか、何億光年か離れた全く異なる文明社会において、再び「自分」という意識を持つ存在として出現することは、充分あり得るように感じます。
 その時には、地球にいた「私」の時代を思い出すことは決してないとしても、よその文明での「自分」の再生の可能性を知ることで、死への恐怖を超克した新たな希望がわいてくる思いがします。(5月27日)
 
 <21世紀は2015年までという衝撃の予測、その後に来る世界は>
 ドッグイヤーという言葉を聞くようになったのは、わずか3年ほど前からです。パソコンのCPUの性能が進歩するスピードが、人間の7倍の速度で年を取る犬にたとえられる、という意味でしたが、最近では、情報技術革命の急進展による世の中全体の変革の早さを表すのに使われています。
 今朝の日経新聞のコラム「大機小機」は、ドッグイヤーからさらにマウスイヤーになろうとしている変化のスピードに触れ、脳天を貫くような鋭い予測をしています。
 「来年から始まる21世紀は2015年には終わり、暦の21世紀の終わりには次の新ミレニアム(千年紀)を迎えると考えた方がよい」
 日本の新聞に、これだけ的確に変化のスピードを見据えた記事が載ることに、感嘆するとともに、政治家や官僚、財界人たちに、この認識と覚悟を持っている人がどれだけいるだろうかと思うと、はなはだ心もとありません。
 21世紀が、実質的には2015年で終わる、という予測は、重大です。21世紀に起こると予測されているさまざまな科学技術の進歩や、それに伴う世界や社会の激変は、あと15年半ほどの間に達成されてしまう、ということなのです。
 それには、情報技術革命(IT)の本格的展開を始めとして、エネルギー革命、遺伝子解読がもたらす医療革命や人体改造、ロボット社会の到来、交通革命、宇宙開発の展開、脳のメカニズムの解明など、およそいま考えられているすべての科学技術の発展が含まれるでしょう。それに伴って、工業社会や情報社会の仕組みが、抜本的な変革を迫られることは当然です。
 日本がこれについていけるか、という深刻な問題がありますが、ついていけなければ日本は没落の道を転がり続け、ひょっとすると2015年までに滅びるのかも知れません。
 僕が強い関心を持つのは、おそらく僕が生きている時に訪れるであろう2016年以降の世界は、いったいどのような世界であるのか、という点です。今予測されている「21世紀」はもはや終わって、ポスト21世紀ともいうべき全く新しい仕組みの領域に、人類は足を踏み入れていることでしょう。
 おそらく、個人が死を迎える前に、脳の中の意識や記憶、思考、意志などをすべてそっくりメモリーチップにコピーして永久保存し、サイパー空間の中で不老不死が実現するようなことも、あたりまえになっているような気がします。
 暦の上の21世紀100年は、日経新聞のコラムが指摘するように、1000年分の変革を地球と人類にもたらす、ということを知るべきです。多くの国や文明が滅び、想像も出来ない新たな秩序と文明が出現しているに違いありません。(5月23日)

 <Webも雑誌も、メニューページの位置と使い勝手で勝負が決まる>
 ホームページを作っている者が、苦心していることのひとつは、メニュー(目次)をどこに、どのように、配置するかでしょう。
 最も多く見られるのは、メニューを左側のフレームに収めてしまうやり方です。これだと、いろいろなページを次々に切り替えて見ていっても、常に同じメニュー画面がフレームに出ているため、全体のサイトマップとして把握しやすく、見たいページへのジャンプが簡単です。半面、常に余分のフレームが現れているため、本体ページのサイズがその分だけ縮小して、ヴィジュアルな効果が損なわれます。
 フレームを使わないやり方としては、メニューベージを独立させて、メニューページにはトップページから入るか、またはどのページからもメニューページに入れるようリンクしておく方法です。この場合は、本体ページのサイズが大きく取れて見やすくなりますが、いちいちメニューページに飛んでからでないと、次に見るページを探すことが出来ません。
 ほかには、Javaスクリプトでメニューの窓を別に作るなどの方法も見かけられます。
 僕のホームページは、すべてのページの後ろに、フルメニューを入れて、どのページからもメニューの全体像を掴むことが出来、ほかのページにジャンプ出来るようにしています。これも問題があって、メニューを変えたり新メニューを加える時など、全部のページのメニュー部分を手直ししなければなりません。ボリュームが多くて縦に長くなるページでは、後ろにメニューがあることをページ冒頭やページ途中で示しておかないと、かえって迷子になってしまうおそれもあります。
 メニューをいかに分かりやすく使いやすいものにするかは、情報化社会においては決定的な重要性を持つといえるでしょう。ユーザーはメニューでつまずいたら、コンテンツにまでは入ってくれないでしょう。
 週刊誌や月刊誌では、目次がどこにあるのか分からず、ページを延々とくくり続けた末にようやくたどり着くような目次も大手を振っています。とくにひどいのがパソコンやインターネット関係です。目次を探させながら、たくさんの広告ページを開かせようという意図が見え見えで、「目次が何ページ目にあるかを示す目次の目次を作ってくれ」と叫びたくなります。
 わざと広告ページの中に目次を埋没させている雑誌は、情報を侮辱しているとしかいいようがありません。
 目次こそは、ユーザーと本分ページをつなぐインターフェースであり、情報中の情報なのです。(5月20日)
    
 <軍服姿で白馬にまたがった大男がぶちあげる、神の国日本の姿とは>
 日本列島を、きな臭い暗雲とともに、ゾンビのごとく蘇った亡霊どもが徘徊し始めています。軍服姿で白馬にまたがった大男が、熱弁をふるっています。彼が言いたいことは、次のように聞こえてきます。

「かしこみかしこみ。日本の国は天皇を中心とする神の国なるぞ。
 かしこみかしこみ。これは憲法や法令すべてに優先する誠の真理なるぞ。
 かしこみかしこみ。いまの憲法はすみやかに改正し、日本の主権が天皇に存することを明記すべきぞ。
 かしこみかしこみ。昭和天皇が終戦後に行った人間宣言なるは、占領軍の圧力によるものにして、天皇の真意にはあらぬぞ。かしこみかしこみ。天皇は人間ではなく現人神なるぞ。
 かしこみかしこみ。日本が神の国であることに、批判や疑義をとなえる団体・政党は、国が解散させることが出来るようにすべきぞ。
 かしこみかしこみ。君が代および日の丸は、神の国をたたえる神聖なものとして、公共機関はもちろん、すべての民間、家庭、個人は、もれなく斉唱と掲揚をすべきぞ。
 かしこみかしこみ。自衛隊は神の国の軍隊であり、自衛隊員は天皇および神の国のために戦うことを本分とすべきぞ。
 かしこみかしこみ。文民統制は廃止し、内閣総理大臣が三軍の統帥権を持つこととすべきぞ。
 かしこみかしこみ。15歳に達した男子は兵役の義務を負うべきぞ。女子は銃後の守りについて神の国を守るべきぞ。
 かしこみかしこみ。教育勅語を復活させて、すべての国民に暗唱を義務付けるべきぞ。
 かしこみかしこみ。日本は神の国として、アジアの盟主の地位をめざし、アジアの諸国民にも広く神の国の恩恵を承知せしめて天皇を頂く大共栄圏の実現を目指すべきぞ。
 かしこみかしこみ。神の国を守るため、日本も核兵器の実験・製造・保有が出来ることとすべきぞ。
 かしこみかしこみ。IT革命もグローバリゼーションも、ものともせぬぞ。大和魂こそすべてぞ。一億火の玉で、かんながらの道を突き進むべきぞ。敷島のやまとごころを人問はば、朝日ににほふ山桜花。神の国バンザイなるぞ」(5月17日)

 <政官財なども、フンドシがゆるんで恥部が見えたら黒星という規則に>
 大相撲の三段目の取り組みで、朝ノ霧のまわしがはずれて、出てはならないモノが出てしまい、対戦相手の千代白鵬が規定によって「反則勝ち」になるという83年ぶりの珍事に、スポーツ新聞は大喜びで目一杯面白く書き立てています。
 まわしがはずれた場合は、規定で負けになるという話は、伝説として聞いてはいたものの、実際に土俵の上で起こるとは、相撲協会も思ってみなかったことでしょう。
 その瞬間、5人の審判たちは「見えてる! 見えてる!」と叫んで、次々に手を上げた。NHK衛星第2のテレビ中継で、茶の間に流れたのは、おしりだけだった。ロイター通信は、世界中にこのニュースを打電した。とまあ、微に入り細に入りの書き方に、思わずニヤリとしてしまいます。
 記者たちに取り囲まれた朝ノ霧は、「恥ずかしい。こんどは優勝して記者さんに囲まれたいです」
 勝った千代白鵬は「びっくりした。稽古場でもこんなことはなかった」
 時津風理事長のコメントがなかなか、イキです。「いくら公開ばやりといっても、あんなものは公開するもんじゃないな」
 観客席から写真やビデオを撮っていた相撲ファンはいなかったのでしょうか。フォーカスやフライデーは、写真探しに駆け回っているかも知れません。載せる場合は、人権に配慮してモザイクをかけるとか。
 かつて大相撲がフランス巡行に出かけた時、まわし姿はワイセツだということで、力士全員がまわしの下にパンツをはかせられた、という話を思い出します。最近は海外巡行でも、パンツをはかせられることはなくなったようですが、それだけに今回のような事態が海外巡行中に発生したら、カルチャーショックを通り越して外交問題になるかも知れませんね。
 まわしがはずれたら負け、という規則はなかなかりっぱな規定です。大相撲以外でも、いやスポーツ以外でも、適用することにしたらどうでしょうか。
 フンドシがゆるんでしまったら、反則負け。政界、官界、財界、警察、自衛隊など、フンドシなど恥と一緒に捨ててしまって、目も当てられない者がうじゃうじゃいます。
 選挙でも、恥部をさらした者は負け、という規則を明文化したらいいでしょう。(5月14日)

 <寂光院の放火で焼けた地蔵菩薩から、胎内仏を守った建礼門院の心>
 京都の寂光院本堂が放火によって全焼とは、なんということをしたのだ、と叫びたくなります。
 平家滅亡後、大原の里に隠遁して尼となり、平家一門の菩提を弔いながら果てていった建礼門院の物語に、どれほど多くの日本人が魅せられ、諸行無常の哀れに涙を流したことでしょうか。
 ガソリンをまいて火を付け、自転車か車で逃げ去った犯人は、平家に恨みがあるとも思えず、短絡的な社会への不満や世間を騒がせることが目的のように思います。
 この火災で、重文の木造地蔵菩薩立像が消失してしまいました。黒く焼けこげた像の全身を、まるで包帯で包むように白い布で撒いて、文化財関係者たちが大切に運んでいる光景は、菩薩の焼死体そのもので、テレビで見ていても、胸が張り裂ける思いです。
 取り返しのつかない犯罪というのは、こういうことを言うのでしょう。金閣寺が放火で炎上したのが1950年ですから、ちょうど50年後、犯人は金閣炎上のことを何かで知って模倣した可能性もあります。
 昔から、放火は重罪とされ、江戸幕府は放火犯に対しては引き回しをした上で火あぶりの極刑を科していました。各国とも放火に対しては、公共危険罪として厳罰で臨んでいます。文化財への放火は、殺人と同程度あるいはそれ以上の重い刑に処すべきでしょう。
 今回の放火で、驚異とも思えることは、消失した木造地蔵菩薩立像の内部に収められている3417体の胎内仏がすべて火から守られて無事だったことです。壇ノ浦で幼少の安徳天皇が入水して命を断ったのに、母である自らは救助されて生きながらえることになった建礼門院の無念と幼帝への思いが、いまここに菩薩立像をして自らの焼死と引き替えに胎内仏を守り抜くという奇蹟を実現させたのだと、僕は思います。
 私たちに出来ることは、みんなの力を合わせて、21世紀の早い段階で、寂光院本堂と菩薩立像を復元再興することです。
 復元された菩薩立像の中に、無事だった胎内仏をもとどおりに収めることが出来た時、建礼門院と僕たちは、千年の時を越えて想いを交わすことが出来るのではないでしょうか。(5月11日)
 
 <恋する相手に I LOVE YOU というメールを出してしまった不運!?>
 I LOVE YOU というタイトルのメールが僕のところにも、届いていないか、昨日あたりから何度もメールボックスを見ていますが、幸いなことにというか、残念なことにというか、1通も来ていません。
 問題となっているコンピューターウィルスは、これまでに世界各国で523万件の被害が出ていて、日本国内でも7万3000件が被害を受けています。
 このウィルスは、感染すると画像や音声データを破壊するだけでなく、メールソフトのアドレス帳に登録されているすべての宛先に、勝手に同じタイトルのメールでウィルスを送ってしまうという、強力な感染力が特色です。
 知らない人からのメールに対しては、開く前にいちおう警戒するのが常識ですが、知っている人からのメールで、しかもタイトルが I LOVE YOU となっていれば、だれしも胸をときめかせて開いて見たくなるのはどの国でも同じでしょう。
 米連邦捜査局(FBI)の捜査で、ウィルスはマニラから発信されたと報じられ、容疑者の男性が特定されたという報道がある一方で、容疑者はマニラのコンピューター学校の女子学生だとする現地報道もあります。しかし、このマニラ発信説には首を傾げる向きもあり、オーストラリア在住者がマニラのコンピューターを仲介して流した、という記事もあります。
 いずれにしても、これから本格的なIT(情報技術)革命の時代に入ろうとする時に、たかが1人のマニアの製造したウィルスで全世界のコンピューターがY2Kを上回る大混乱に陥るとは、ITの危機管理上、ゆゆしき事態です。
 これからのネットワークは、ハッカーからの侵入を防ぐハード、ソフト両面からの対策とともに、確固としたウィルス対策を講じることが急務です。コンピューターウィルスは人体を蝕むウィルスと類似点が多いといわれます。それならば、予防接種によってパソコン内に免疫を作り出したり、ウィルスを見つけしだい殺してしまう白血球のようなものをパソコン内部に循環させるなどの、新たな発想が必要でしょう。
 それにしても、このウィルスのことを知らないで、思いを寄せる彼または彼女に、意を決して I LOVE YOU というメールを出してしまった人たちも、この広い世界には大勢いるでしょう。
 ウィルス騒ぎを知って、「私からの I LOVE YOU というメールは、本物だからゼッタイ開封して!」と追伸のメールを出したとします。この追伸メールを読んだ相手がすっかり安心し、同じ差出人の名前で、 I LOVE YOU というタイトルのメールが2通来ているのに、胸がキュンとする想いで両方とも開けてしまったら…。(5月8日)
 
 <少年法は抜本改正し、14歳以上の凶悪犯は実名と写真を公表し死刑も>
 乗っ取られたまま乗客を乗せて高速道路を走り続けるバス。その様子をヘリから生中継する映像に、映画「スピード」を思い浮かべた人も多かったのではないでしょうか。
 もし自分が乗客として乗り合わせていたら、どういう行動を取れたでしょうか。走行中のバスの窓から飛び降りるのは、とてもリスクが大きく、なかなか踏み切れないでしょう。かといって、おとなしく犯人から言われるがままにしていたとしても、身が安全という保証はまったくありません。警察が必ず解決してくれることを信じて、犯人を出来るだけ刺激せず、目を合わせたりしないことくらいしか、思いつきません。
 今朝の新聞で、「死者が出る前に、あるいは死者が出た段階で、犯人を射殺すべきだった」という複数の専門家のコメントが目を引きました。海外では乗っ取り犯を射殺するのは常識で、日本でも首相の承認があれば射殺は可能だ、というのです。
 しかし、射殺で事件の解決を見たとしても、日本では射殺の是非をめぐる激しい議論が巻き起こり、射殺された犯人が17歳と分かればなおのこと、少年の人権を踏みにじる暴挙だという声が必ず出るでしょう。
 そこで僕は思うのですが、豊川市の主婦殺害といい今回のバスジャックといい、17歳の犯罪といってもこれらは大人顔負けの犯罪で、少年法で保護する必要も意味もまったくない、という点です。しかし法は法なので、いまやるべきことは、万引きや傷害のような少年非行を念頭に作られている少年法を抜本的に見直し、14歳以上は少年法の保護をはずすことです。
 14歳以上の犯罪は原則として、大人なみに扱い、名前も顔写真も公表すべきです。その上で、報道各社の判断によって、名前や顔写真を出さない配慮をするのは自由でしょう。
 凶悪で社会的影響が大きい犯罪を犯した者は、14歳になっていれば死刑を適応することも必要だと思います。少年の更正よりも、自分が犯した罪に対して、大人並みに責任を取ってもらうことの方がはるかに理にかなっています。
 さらに、たとえ14歳未満であっても、人を傷つけたり殺したりすれば、人権は大幅に制限されるべきで、この点は幼児教育の段階から子どもたちに徹底させるべきです。
 凶悪犯罪を犯した少年の人権よりも、失われた人命や傷つけられた人たちの人権の方がはるかに重いのです。このあたりまえのことが通用せずに、人権派といわれる人々が少年の人権擁護を叫んで目の色を変える状況は、まさに本末転倒というほかありません。(5月5日)
 
 <日本人として最も大きな誇りは、日本国憲法を持つ国民であること>
 あなたが、日本人として最も誇りに思うことは、何ですか。この問いに対する答は、人によってさまざまでしょうが、予想される答としてはつぎのようなものがあるでしょう。
 日本文化の素晴らしさや、日本の伝統芸能、日本の四季や自然、また日本人の季節感覚を挙げる人も少なくないでしょう。さらには、子どもが親を介護する美風といった忠孝の美徳や、日本人の勤勉性などを挙げる人もいるでしょう。
 しかし、僕はそういった日本の良さと言われるものについて、ある程度は共感出来るところもあるものの、それが世界の中で突出した優位性を持つのかどうかは、はっきりいって首をかしげてしまいます。
 どの国の、どの民族も、どの社会も、それぞれに誇るべき伝統や文化があり、それぞれが得難い個性を持って風土にしっかりと息づいているものです。僕たちは、自国の文化や芸能を愛すると共に、ほかの国や民族の伝統や文化を、対等の重みを持つものとして尊重し、理解するよう努める必要があります。
 それを抜きにして、日本文化の優位性や日本社会の伝統だけを、いたずらに強調すべきではありません。
 このところ、日本社会の「失われた90年代」の中から急速に台頭してきたナショナリズムは、偏狭で排他的な日本優位論を振りかざす勇ましさが目立つだけで、日本の何を世界に向けて強調しアピールしていくのかが、さっぱり見えません。純粋な日本人による大和魂と天皇中心の国家体制の再構築では、大東亜共栄圏のゾンビでしかありません。
 さて、最初の問いに戻りますが、僕が日本人として最も誇りに思うことは、日本国憲法を持つ国民であるということに尽きます。こればかりは、他のどの国の憲法にもまして、近代の人権思想や平和主義を徹底的に深めて体系化し、「人類普遍の原理」にまで高めたもので、そこには20世紀を克服し21世紀へと進む人類の道が高らかに示されているといっていいでしょう。
 僕は、今から53年も前に、「人類普遍の原理」という先駆的な文言を堂々と掲げた憲法が制定されたことに、改めて驚嘆する思いです。この原理こそ、2度に渡る世界大戦への反省と恒久平和への決意を込めて、世界各国の国民の強い支持のもとに、日本国民が採り入れることを決意した日本国憲法の中軸です。
 いま必要なのは、「押しつけだから自主憲法を」という世界史の流れを折り曲げる議論ではなく、日本国憲法を積極的に生かしていく社会と国を作っていくことであり、世界に向けて日本国憲法の中身をアピールしていくことでしょう。
 僕は日本国憲法こそ、21世紀の日本の最高の指針であり、日本人の最大の誇りだと思っています。(5月2日)

ページの冒頭に戻る
メニューにジャンプ

2000年4月

 <4月30日、5月1日と2日を国民の休日にして、7連休の保証を>
 いよいよ今日からゴールデンウィークです。今年は暦の並び方がいいため、企業によっては、今日29日から5月7日の日曜日まで9連休となるところも少なくない、というようなことがニュースで報じられたりしています。
 毎年思うのですが、その年の暦の並び方しだいで何連休になるかが規定され、それについて一喜一憂しているのも、どこかヘンじゃないですか。これは突き詰めて言えば、祝日になっていない4月30日、5月1日、5月2日の3日間を、休めるのか休めないのかという問題に尽きるのではないでしょうか。
 せっかく29日が「みどりの日」で、連休スタートという時に、次に続く3日間は普通の日。そのうちのどれかが土日にかかるのか、あるいは3日とも平日になってしまうのかによって、企業も学校も対応に苦慮してしまいます。企業が休みになっても、公立の小中学校などが休みでなければ、家族ぐるみの行動は難しくなります。この3日間のうち、真ん中の5月1日がメーデーになっていることも、問題をさらに複雑にしています。
 この際、暦の並び方がどうのこうのということではなくて、ゴールデンウィークは年末年始や月遅れのお盆と同じに、日本社会の季節的リズムとして、一週間程度の連続休みがとれるように、祝日法を改正してしまったらどうでしょうか。
 それは、4月30日、5月1日、5月2日の3日間を、5月4日と同じ「国民の休日」とするのです。そうすると、祝日が増えることなしに少なくとも7連休は保証され、その両端に土日がつながる年は、9連休も可能になります。
 これによって、企業も公立の学校も、この期間は休むことが基本となり、観光地やレジャー産業は大歓迎でしょう。
 問題もいろいろあります。銀行預金の引き出しや振り込みなどは、この期間もATMやネットバンキングによって出来ることが必要です。また役所やハローワークの窓口を1週間も閉鎖しておくのは不都合なので、休日窓口を設置して対応していく必要があるでしょう。
 さらに、7連休とれたからといって、みんなが右習えして行楽に、という風潮は改め、それぞれの家庭によって、また人それぞれによって、さまざまな過ごし方が出来るようにしましょう。
 人間というものは、連続して仕事や学業の日々を続けていると、4カ月に1週間くらいは連続した休止期間を必要とするように出来ているのです。4月末からの少なくとも7連休が保証された後は、8月中旬のお盆休み、次は12月末から年始にかけてと、ちょうどいい間隔に出来ているではありませんか。(4月29日)
 
 <横浜の小2誘拐事件、容疑者はなぜ有馬温泉で大豪遊したのか>
 横浜市の小学2年生誘拐事件で、「身代金担当」の片方の容疑者が、兵庫県警の捜査網によって包囲され、逮捕されるまでの経緯は、まるでテレビドラマのように、古典的かつ日本的なシナリオに沿った展開でした。
 プリペイド式の携帯電話や、架空名義の銀行口座への振り込みなど、情報化社会を逆手にとって捜査陣を翻弄した容疑者が、なぜ、人目につきやすい温泉で豪遊するというという大ドジを踏んだのでしょうか。
 これはあくまで僕の想像ですが、この容疑者にとって今回の誘拐事件の最大の目的は、一生に一度でいいから有馬温泉で芸者を上げてお大尽として振る舞ってみたいという、その一点に尽きたのではないでしょうか。
 なぜ熱海や別府、道後ではなく、有馬温泉なのか。それは単に横浜からの地理的な距離の問題というよりは、有馬温泉こそが金持ちと貧乏人を分ける分水嶺であり、容疑者にとっては、逮捕の危険を犯してでも絶対に貫徹しなければならない、犯罪の理由そのものだったからでしょう。
 有馬温泉は、日本書紀にも舒明天皇が入湯したことが記録されており、孝徳天皇の皇子の有間皇子も、この温泉地に由来しています。12世紀末には吉野の僧が湯治客のために多くの宿坊を開きました。坊の名のつく旅館が多いのはそのためで、容疑者が予約なしで訪れた旅館も「上大坊」(じょうだいぼう)という名前でした。有馬温泉は古くから、上流階級御用達の温泉だったのです。
 容疑者は、兵庫県警の捜査網が有馬温泉に絞られ、捜査員が手分けして温泉旅館をしらみつぶしに調べている中で、浴衣に着替えて温泉につかり、芸者を上げて牛のシャブシャブや鯛の刺身を味わっていました。女将には「一度有馬に泊まってみたかった」と話しています。
 捜査員が旅館「上大坊」を訪れたのとほとんどすれ違うように、容疑者は若い芸者を連れて、浴衣にゲタ履きの姿で近くの高級クラブに出かけます。芸者に軍資金として10万円を渡し、2万円のヘネシーのボトルを注文した容疑者は、幸福の頂点を味わっていたことでしょう。
 10人の捜査員がクラブに踏み込んだのは、午後10時過ぎ。その時、容疑者は機嫌よくはしゃいでいて、「身も心も解放感にひたっているようだった」といいます。
 家賃を8カ月分も滞納するほど金に困っていた容疑者が、ようやく果たした夢の大尽遊び。夜でなければ、映画「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンのように、「太陽がいっぱいだ」と思わず口にしていたかも知れません。
 容疑者はこの結末をうすうす予感していて、覚悟の上で自ら選んだ幕切れだった、としか思えません。(4月26日)
 
 <快進撃続く阪神、味わい深いノムサン語録に21世紀が見える>
 14年ぶりの8連勝と快進撃を続ける阪神タイガース。いつ首位に踊り出るだろうかという奇蹟への期待とともに、この連勝が止まった後は、お定まりの連敗街道が待っているのではないか、という不安と、その両方が混じり合った恋い焦がれるような思いで、いてもたってもいられない、というのがタイガースファンの正直な気持ちでしょう。
 いつも、4月5月はその気にさせて、思い入れが強いほどに、その後のダメトラぶりを見るのが辛く苦しく、そうなるかも知れないと半ば覚悟しつつも、阪神ファンをやめられないのですねえ。
 とりわけ野村監督になってからは、試合の後に語られるノムサン語録が身震いするほど含蓄深く、その一言一句が僕たちをシビレさせてくれます。
 「弱者には弱者なりの戦法がある」(19日の巨人戦の後で)
 これはノムサンが口癖のように言っている信条のようなものですが、一握りの強者とは明確に区別される僕たち無数の弱者にとって、なんと心強く勇気を与えてくれる言葉でしょうか。
 強者は権力と金にモノを言わせて、バンバンと強力スター選手をスカウトして金満無敵のチームを作っていきますが、その強者を相手に弱者が互角に戦い、強者をねじ伏せることも、戦法しだいで可能だということ。これは、平々凡々に必死で生きている無名の庶民にとって、いかなる格言集にも増して確かな希望を持たせてくれます。
 「守りは攻撃に勝る」(22日の広島戦の後で)
 野球に限らず、なにごとにつけても攻めと守りのタイミングとバランスは難しいものです。攻撃すべきワンチャンスを逃さないことも大切です。しかし、どんなにうまく攻めても、守れなければ最終的には負けるということなのです。
 戦争論などでは「攻撃は最大の防御なり」とよく言われますが、これは先制攻撃を正当化する侵略志向にもつながり、これからの世界ではまず通用しないでしょう。守ることの大切さ、徹底的に守りぬくことこそが勝利への道なのだ、ということを教えてくれるノムサンの言葉こそ、21世紀の最も基本的なパラダイムといってもいいのではないでしょうか。(4月23日)
 
 <大江戸線と言う響きが持つ、アナクロで薄っぺらな成金趣味>
 東京の都心部と練馬区などを6の字型に結ぶ都営地下鉄の新宿−国立競技場間が、20日から開通しました。「東京環状線・ゆめもぐら」にいったんは決まりかけた名称が、石原都知事の鶴の一声で、一転「大江戸線」になってしまったという、いわくつきの路線です。
 この「大江戸線」という呼び名については、いろいろなところでさまざまな感想や意見が出されていますが、僕はこの呼び名を口にするのが、なにかとても気恥ずかしい気がします。
 「大江戸」という響きは、いかにもダサクて胡散臭く、どことなく隠微な汚らしささえ感じるのです。「大江戸捜査網」を連想するという人が多いようですが、映画などのタイトルを見ても、「大江戸五人男」「大江戸評判記」「風雲大江戸絵巻」「大江戸出世小唄」「大江戸喧嘩まつり」「大江戸出世双六」「大江戸風雲伝」「大江戸千両祭」「大江戸 マル秘おんな医者あらし」 「大江戸お化合戦」「大江戸性盗伝−女斬り」「大江戸浮世風呂潭」など、江戸の遊女たちの白粉の匂いがプンプンと漂うようなものも少なくありません。
 「江戸」が小粋で洒落ていて気っ風が良く、現代にも通じるものがあるに対し、「大江戸」となるとアナクロ丸出しの成金趣味。スノッビーな色と欲がモロに表に出ていて、薄っぺらで退廃的な響きさえあります。
 むしろ「慎太郎線」とかの方が、使う人と使わない人がはっきり二分されていいかも知れません。もう少しソフトに言うなら、「外形標準線」「ディーゼル追放線」「三国人発言謝罪線」なども、命名者の強い個性が表れていていいでしょう。
 いっそのこと、東京という名前をやめて、大江戸と改名するのも大胆でいいかも知れません。都庁のことを幕府と呼ぶことにし、都知事は征夷大将軍と呼ぶことにしましょう。石原さんは大江戸幕府の初代将軍となり、都庁舎改め大江戸城で執務を行うのです。
 もはや首都機能移転どころではありません。参勤交代も実施しましょう。都知事選挙は大江戸将軍選挙となるのです。政府はどうなるのか、ですって? こうなったら政府も廃止して、群雄割拠の戦国時代。真の地方自治を実現する格好のチャンスではありませんか。(4月20日)
 
 <家に帰ったら自分の葬儀の準備が進行中、あなたならどうする?>
 仕事を終えて、自分の家に帰ってみると、なにやら取り込み中のただならぬ様子。いろいろな人がせわしげに出入りし、祭壇を作っているらしい。これは葬儀の準備のようだ。してみると、オレの家で誰かが死んだらしい。いったり誰が急に死んだのだろう、とあれこれ家族のことを思い浮かべてみる。それにしてもなぜ、オレに連絡してこなかったのだろう、と不思議に思う。
 「もしもし、どなたが亡くなったのでしょうか」と、葬儀屋らしき人に尋ねる。「ここの家のご主人ですよ」と、そっけない返事。主人って、オレのこと? それじゃ、これはオレの葬儀なのか。オレは死んだってこと?
 家の中へ入ってみると、家族が無表情に立ち回っている。「おおい、ただいま。オレだよ。オレ。みんな何やってんの」。すると家族が一斉に振り向き、「お宅はどちらの方ですか」と逆に尋ねられる。「どちらって、オレだよ。ここの家の主人に決まってるじゃないか」。すると、家族はあきれたように、遺体の顔の白い布を上げて見せてくれる。
 ギョッ、この遺体はまぎれもなくオレの顔だ。オレはあわてて洗面所に駆け込み、鏡を見る。映っているのは、オレの知らない顔だ。じゃあ、死んだのはやっぱりオレなのだろうか。とすると、いま鏡を見ている男は、だれなのだろう。
 こんな四月の怪談めいた出来事が15日、愛媛県大三島町でありました。交通事故で亡くなった男の遺体を、警察が別の男と錯覚して、別の家人に引き渡し、妻や家族も「間違いない」と身元確認して葬儀の準備を進めていたところへ、死んだはずの本人が帰ってきたというのです。
 家人たちがどれほど驚いたかは、察して余りあります。本人を最初に見た家人は、「出たあ!」とでも叫んだことでしょうか。その本人は「居間に遺体があったので、病弱の母が死んだのかと思った。まさか自分の葬儀とは」と驚いているそうです。
 警察が調べなおした結果、死んだのは近くに住む別の男性と判明し、警察は双方の家族に謝罪するハメになりました。
 しかし、本人が出張などで帰宅が2、3日遅くなり、別人と気づかないままに葬儀が進行して、お骨になってしまっていたら、どんなことになっていたでしょう。本人が帰ってきて、自分がお骨になってしまったことを知ったら…。
 せっかくの機会だから、自分はそのまま死んだことにして、残りの人生を戸籍も住民票もない「故人」としてひっそりと過ごす、なんてのもサッパリしていいかも知れませんね。(4月17日)
 
 <懲役5年や罰金500万円を覚悟で、クローン人間が製造された時>
 「クローン人間」づくりを禁止する法案が、今国会に提出されます。違反した場合の罰則が5年以下の懲役または500万円以下の罰金、もしくはその両方を科す、ということですが、これは僕に言わせれば、あまりにも軽過ぎて何の抑止力にもならないでしょう。
 もしかりに、あなたや僕が自分の「クローン人間」を作ろうと決意して、周到な研究と準備を進め、いよいよクローン人間製造の一歩手前まで来たとして、この罰則があることによって、はたして製造を思いとどまるでしょうか。
 クローン人間を作ろうと志す人は、偏執狂に近い科学者や、自分の分身をたくさん作ってこの世に残したい権力者や大金持ち、自らの才能や美貌に酔いしれている芸術家やスター、スポーツ選手など、広範囲で考えられます。個人だけとは限りません。カルト教団や政治集団、特定の家系など、いろいろなグループが動き出す可能性があります。
 いずれにしても言えることは、クローン人間を作ろうと本気で取り組む人は、完全なる確信犯であるということです。彼らにとっては、懲役5年の実刑や罰金500万円など、痛くもかゆくもないでしょう。
 刑事罰を覚悟でクローンづくりを強行して実際にクローン人間が誕生した場合、そのクローン人間を私たちの社会がどのように扱うべきかは、衝撃的な問題です。
 クローン人間も、やはり人間として平等に扱い、すべての人権を認めて保護していくのでしょうか。戸籍上の問題は、どうクリアするのでしょうか。そもそも、親は誰になるのでしょう。クローン人間に対する、周囲のいじめや、マスメディアの好奇の視線から、どう守っていくのでしょうか。
 クローン牛なら良くて、クローン人間はいけない、というのも、なんだか説得力に欠けるように思います。同一人物のクローンを50人、100人という単位で大量に製造した場合、あるいは極秘のうちに何人ものクローンを製造して、ある程度の年齢に達した段階で公表した場合など、いくら刑事罰を科しても、もはや手遅れです。
 世界の独裁国といわれる国々では、すでに独裁者のクローンが作られているのではないか、という疑念も消えません。クローン人間に、自分の脳をコピーして記憶や知識、感情などが全く同じ人間に仕立てることも、いずれそう難しいことではなくなるかも知れません。
 クローン人間の問題は、優生思想や人種差別と密接に関わってくる大問題であり、石原都知事の「三国人」発言よりもはるかに深刻かつ重大な対応を迫られていると思います。(4月14日)
 
 <春爛漫の日本列島に浮かぶ巨大なシンキロウ、目をこらして見れば>
 富山湾の蜃気楼は春の風物詩ですが、今年はサクラの満開に合わせたように、日本列島全体で蜃気楼が見られます。なんだかモヤモヤと揺れていて、はっきりとは見えないのですが、人によって建造物が逆さまになっているようにも見えたり、何かの文字のようにも見えます。
 「あれは議事堂ですなあ。国会議事堂が逆さになっているんですよ」
 「永田町の建物が全部、逆さになっているように見えますが」
 「すこし離れたところに逆さになっているのは、大学病院のようですね。病室に明かりがともっています」
 「人工呼吸器をつけている人が、もうろうとした状態でどこかに電話をかけようとしていますね」
 「分かった。あの患者は1億人にブッチホンをかけようとして倒れたのです。カルテにそう書いてあるのが読めますよ」
 「おっ、こんどは、大きな図体の男のクローズアップですね。小学1年生のように名札をつけている」
 「ははは、名札にシンキロウと書いてある。変わった名前の人ですね」
 「どれどれ、あれはモリキロウですよ。いやモリヨシロウかな。名札も顔も、かげろうのように揺れ動いています」
 「レントゲン写真のように身体が透き通っていますね。真空というよりも、中身がまだ入ってないせいでしょう」
 「左の胸に蚤がいますね。ようく目をこらして見て下さい」
 「蚤ですか? ああ見えた。あの小さな黒い点は蚤ではなくて、心臓ですよ。ドキドキと早鐘のように鼓動していますね。よほど気が小さい人なのでしょう」
 「ウサギが2匹出てきましたが、シンキロウ氏は1匹も追いかけようとしませんね」
 「オタカやハトもいますね。キツネも出てきて、ハトに何か怒っていますね」
 「あれはノナカノキツネに違いありません」
 「大勢の人が、逆さになったまま一斉に散らばろうとしています。みんなどこへ行くんでしょうね」
 「センキョクですよ。シンキロウカイサンが近づいているのです」
 つかみどころのない蜃気楼は、ゆらゆらと変化し、妖術のごとく姿形を移ろわせて、いつしかサクラは散り、日本列島も蜃気楼のごとく頼りなく、20世紀は暮れていこうとしています。(4月11日)
 
 <突然の手術宣告、ネットたどりお腹を切らない腹腔鏡手術受け生還>
 本当に人生一寸先は何が待ちかまえているか分かりません。この僕が全身麻酔をかけられて、生まれて初めての手術を受けることになろうとは、先月の20日ころまでは夢にも思いませんでした。
 それは突然のことでした。今年の花粉症はタチが悪い、と思ってはいたのですが、先月の連休のころに、かつてない強烈な強いクシャミの発作に2日ほど続けて見舞われ、爆発するようなクシャミが10回、20回と続きました。クシャミをしているうちに下腹が痛くなり、歩くと痛むようになりました。
 痛みは日に日に強くなって、足を引きずらないと歩けなくなり、お風呂で鏡を見たら、なんと右の下腹が腫れ上がっているではありませんか。な、な、なに、これ!?
 慶応病院に駆け込み、診察してもらった結果は。「そけいヘルニアですね。これは手術以外に直す方法はありません。慶応病院ではベッドの空きを待っている重い患者さんたちがいっぱいいて、2年待ち、3年待ちの状態です。手術をしてもらえる病院を自分で探して、早急に手術を受けて下さい」
 ガーン。手術をしなければならないことだけで、頭の中は真っ白なのに、すぐに手術をしてくれる病院を僕が探さなければならないとは。
 こういう状況での命綱は、インターネットでした。「そけいヘルニア」で検索しながら、いろいろなサイトを見ていくうちに、最先端の腹腔鏡を使ってお腹を切らずにそけいヘルニアの手術をしている新潟の開業医のサイトにたどり着きました。さっそく、医師にメールを出して、東京から出かけていって手術を受けたい、とお願いしてみました。
 医師から返信のメールが返ってきて、4月4日以降ならいつでもOKとのこと。こうして僕はメールで初診の日や入院・手術の日を打ち合わせ、既往症についてもメールで伝えて、新幹線に飛び乗りました。
 手術は極めてスムーズに予定通り行われ、4日午後に手術したのに今日8日はもう東京の自宅に帰ってこれを書いています。
 自分が実際にこの手術を受けてみて感じたことは、腹腔鏡を使う手術こそ21世紀の夜明けを告げる未来型の手術であり、今後多くの医師がこれを扱えるようになって適応範囲が拡大していけば、手術革命ともいえる画期的な状況がもたらされるだろう、ということです。もう一つの大きな教訓は、インターネットの情報力の強力さと確実さでした。ネットがなかったら僕は、この開業医の存在はもちろんのこと、腹腔鏡を使う手術についても知らないままだったでしょう。
 21世紀はきっと希望を持てる時代になる、というのが、手術から生還した今の率直な実感です。(4月8日)

ページの冒頭に戻る
メニューにジャンプ

2000年3月

 <有珠山噴火で改めて知る、宇宙船地球号は燃え続ける火の船>
 宇宙の果てはどうなっているのだろうか、という疑問とともに、地球の内部はどうなっているのだろうか、というのは、古来から人間の空想をかき立てるナゾでした。
 その中でも、大まじめで論じられたのが地球空洞説です。この始まりはなんとハレー彗星で知られるハレーが唱えたもので、地球の内部には火星、金星、水星と同じ大きさの内球があり、そこには生物が住むことも出来る、と主張しました。オーロラは地下の光が漏れだしたものだ、と説明したのです。
 もっと極端な説は、1870年にアメリカのティードが公表した説で、われわれ人間は現在地球の裏側で暮らしているのであって、太陽や月は地球の内部に浮かんでいるのだ、と解釈しました。このほかにも、いろいろな地球空洞説が唱えられ、地底世界にユートピアを建設しようという運動も起こりました。
 地球空洞説と並ぶ奇説が地球平坦説で、地球は北極を中心とする平面の円盤で、南極は円盤の外周にほかならない、というのです。現在はカナダにある平地協会を中心に、人間の知覚と一致する地球観の復活をめざして活動を続けています。
 こうしたメルヘンに近い説はそれなりに面白いのですが、実際の地球の内部は、鉄を中心とした高温・高圧の核の回りに溶解したマグマが対流している大火球の状態で、生物が住んでいる地殻は火球の表面に出来た薄皮のようなものなのですね。
 私たちは普段、地球の上で生活していながら、真下で起きている地球内部の激しい活動については、ほとんど意識していません。それが今回の有珠山の噴火のような事態になって、ようやく自分たちがドロドロの溶岩の真上で、かろうじて生活しているという事実を知らされるのです。
 地球は決して冷え切った固定的・安定的な星ではありません。それは、さまざまな元素が熱く溶解して激しく流動を続けている、動的で荒々しい星なのです。「宇宙船地球号」は、それ自体が燃え続けている火の船です。
 人類は他のすべての生物とともに、巨大な火の船に乗り合わせて、果てしない宇宙空間を旅しているのだということを、今回の有珠山の噴火を機に、改めて直視したいと思います。(3月31日)
 
 <ロシアのプーチン新大統領の印象的な風貌についての徹底分析>
 ロシアの新大統領に選出されたプーチン氏については、見えてこない政治路線を含めて、その人物像をめぐりさまざまな憶測がメディアを飛び交っています。「ロシア人でさえもろうばいさせるほどの冷淡さを備えたナゾの人物」という英デイリー・テレグラフ紙の書き方が、おそらく最も一般的なところでしょう。
 志してスパイの道に進んだ「愛国少年」、KGB要員として活躍した裏の世界の暗いイメージ、「灰色の枢機卿」、はては帝政ロシア末期に暗躍した怪僧ラスプーチンと同じ姓だったのを改姓したという説(これは事実でないようですが)まで、さまざまです。
 とりわけ、僕が強い関心を持つのは、かつてのソ連やロシアのどの指導者とも全く異なる、面長でシャープな風貌です。これはフルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィンと続いた泥臭い白熊のような指導者像と決定的に異なり、それだけに「人は見かけによる」とすれば、どんな人物なのか、ますます興味をそそられるのです。
 僕がプーチン氏の風貌で最初に思い浮かべたのは、ハリウッド版の映画『戦争と平和』でメル・ファーラーが演じたアンドレイです。誇り高い貴族、祖国のために果敢に戦って戦傷し、決して見苦しいところを見せずに死んでいく気高さ。プーチン氏の顔つきには、アンドレイに流れる貴族的な誇りを感じます。
 そして全く別なイメージですが、プーチン氏を見て思い出すのは、ジェームズ・キャメロン監督の映画『ターミネーター2』で、ロバート・パトリックが演じた最新型の液体金属製ターミネーター「T−1000」です。未来の指導者ジョンを殺すという使命に突き進む冷酷さと俊敏な身のこなしが、プーチン氏とダブルイメージになってきます。
 プーチン氏は、これまで一度も酔っぱらったことがないと言われます。これまで笑った顔がメディアに乗ったこともありません。私生活ではともかく、公の場では「笑わぬ君」なのでしょう。「べたべたした人間関係を嫌う」というのも、顔つきから納得できます。
 「良きツァーリ」の出現と期待する声もあり、プーチンはアンドレイのような貴族性と、T−1000型ターミネーターの冷徹さと執拗さで、再び世界を動かす強くて大きなロシアを創り上げ、21世紀のツァーリとして大化けしていく可能性を秘めているように感じます。(3月28日)

 <人間は誰もが泣きながら生まれてきて、身体の外には出られない>
 歌人の河野裕子さんが、新聞に書いていた一文が、このところ胸に迫ってきます。
 「人間を含めたすべての生物が宿命的に逃れられないものが三つある。生まれ合わせた時代から逃げられない。自分の身体の外に出ることができない。必ずいつか死ななければならない」
 河野さんも書いているのですが、この中でも日々に強く実感するのが、人間は身体の中に閉じこめられている、というどうしようもない事実です。いや、それどころか、精神や理性、心、魂といった自分の本質と思いこんでいる部分さえ、やはり身体の一部に過ぎず、身体の中の脳や神経を中心とした作用の総体に過ぎないのではないか、という古典的な懐疑を拭い去ることが出来ません。
 人間が身体としてのみ存在し、身体とともにしか生きられないというのは、大変やっかいなことであり、難儀で時には苦痛なことです。古来、どれほど多くの人たちが、肉体を離れた自由な精神や永遠の魂といったものに憧れ続けてきたことでしょうか。しかし、どんな偉大な思想家も科学者も芸術家も宗教家も、身体を離れて存在することが出来た人は、ただの一人もいません。
 ましてや、平々凡々たる一介の人間である僕などは、身体を乗り越えることが出来ない自分をますます強く意識し、身体を正常に維持することのために実に多くの時間と労力を割き、身体の苦痛と煩悩にとりつかれながら、悪戦苦闘する日々です。
 身体が故障したり調子が狂ってしまうと、心の持ち方や強い精神力で克服すべしなどとは言っていられなくなります。いつか死ぬ存在とはいえ、直るものなら直して生き続けたいと願うのは、個体として当然のことなのでしょう。
 それにしても生きるって、なんと大変なこと。誰の言葉なのか忘れましたが「人間は誰もが泣きながら生まれて来る」という意味が、だんだん分かるようになってきました。(3月25日)

 <テレビのナウな視聴法−携帯ラジオで画像抜きの音声だけを聴く>
 今日はNHK放送記念日。そこで一風変わったテレビの見方(正しくは聴き方)を紹介しましょう。
 僕はかなり以前から、ラジオによるテレビ聴取を楽しんでいます。携帯用のポケットラジオが、テレビの1チャンネルから3チャンネルまでの音声を聴くことが出来るようになっているのです。
 最初はお風呂に入っている時に、ニュース番組を中心にNHK総合テレビを聴いていたのですが、これがなかなか面白い。 まず感心したのは、テレビのニュースというのは、音声だけを聴いていても十分内容が分かるように作られているということです。これは視覚障害者への配慮があることはもちろんでしょうが、ほかにも画面を見るのに苦労する寝たきりの人などは、助かるでしょう。
 逆に言うと、テレビニュースの9割以上は、映像がなくても十分だということではないでしょうか。小渕首相の顔写真だけとか、新潟県警本部の建物のアップなどは、見なくてもニュースの内容は伝わります。大きなニュースで映像がない場合に、警視庁記者クラブや首相官邸前、東京地裁前などからの中継を無理して入れるケースがよくありますが、動きのない官庁からの生中継はほとんど無意味です。
 画面を見なくても分かるのはニュースだけかと思っていたのですが、ドキュメント番組の多くも音声だけの方がかえって想像力が膨らんで楽しめます。音楽番組はもちろんのこと、テレビドラマでさえも、音声だけでラジオドラマのように楽しむことが出来るというのは、驚きの発見でした。
 ラジオによるテレビ聴取には、たった一つ困ることがあるのに最近気づきました。ドキュメント番組を聴いている途中で、ニュース速報のチャイムが流れたのです。ラジオなら、番組を中断して「ここでNHKニュース速報をお伝えします」となりますが、テレビの場合は画面下にテロップが流れているため、チャイムだけでは何のニュース速報なのか分かりません。
 で、あのニュース速報って、何だったのだろうと、翌日の朝刊をくくってみましたが、結局分からずじまいでした。このところ大きなニュースが多すぎて、ニュース速報で流れたのがどのニュースだったのかさえ、半日たてば意味を失っている、ということなのでしょう。
 テレビが音声だけでも楽しめるのは結構なことですが、一方では映像メディアとしてのテレビの危機なのかも知れない、とも思ったりしています。(3月22日)

 <花粉症の真犯人は分かっていても、対策を取れない政府の事情>
 花粉症の薬のCMに、「鼻を取り替えてしまいたーい!」というキャッチコピーがありましたが、それほどまでに花粉症は辛く苦しいものです。自分の鼻なのに、どうしようもないもどかしさ。決定的な治療法もなく、ただ花粉の季節が過ぎ去るのをじっと待つだけ。いったい花粉症とは人間にとって何なのでしょうか。
 花粉症そのものは古代ローマの頃から記述があり、牧草による症状が記されています。当時は、大量の牧草をを扱う一部の人だけに発症したもので、多くの人にとっては無縁のものでした。今世紀になってアメリカでブタクサによる花粉症が注目されるようになりましたが、人口に対する発症の割合はいまでも2−3%です。
 それに対して、1960年代半ばから日本で現れ始めたスギやヒノキによる花粉症は、日本独自のもので人口の約20%が発症するとされています。少なくとも2000万人以上がこの季節、くしゃみや鼻水、目のかゆさなどに苦しんでいるわけです。かくいう僕も、花粉症とは無縁と思っていたのが、10年ほど前の春に突然発症し、それ以来毎年、辛い花粉の季節を迎えています。
 不思議でならないのは、本来、ブタクサであれスギであれ、人間は植物の花粉だらけの中で何万年、何十万年もの間、何の不都合もなく生活してきたのに、今世紀の後半から急に花粉によってアレルギーを起こす人が急増していることです。これは、多くの人が指摘しているように、何か今世紀特有の文明的原因によって、本来は共存できるはずの花粉に適合出来なくなっているためでしょう。
 もうひとつ不思議なのは、日本でこれだけ多くの人が毎年この季節に苦しんでいるにもかかわらず、政府がほとんど対応らしい対応をしていないことです。
 これは僕の直感ですが、政府は花粉症のメカニズムと真犯人をうすうすと知っていて、だからこそ手をつけられないのだと思っています。花粉症を引き起こしている最大の犯人は、ディーゼル車がまき散らす大気中の微粒子でしょう。この微粒子によって鼻の粘膜を始めとする呼吸器系がダメージを受け続け、花粉に対しての共存力をなくしてしまったのでしょう。これにガソリンエンジンによる大気汚染物質が加わって、被害をさらに増幅していることも考えられます。
 結局、日本経済を支える運輸交通の大動脈にメスを入れてまで、花粉症を押さえ込むつもりは、政府にも財界にも微塵もないのです。「花粉症で死者が続出しているわけじゃなし。シーズンが終わるまで我慢してもらえばいいだけのこと」。そんな政府の本音が聞こえてきそうです。(3月19日)

 <万博記念のタイムカプセルは、人類の未来を監視する警報装置>
 1970年の大阪万博を記念して大阪城公園に埋められたタイムカプセルEXPO’70が、15日に30年ぶりに引き上げられました。今後、半年間かけて慎重に開封・点検作業が進められ、今年11月には再び埋め戻されて、こんどは100年後の2100年まで地中での眠りにつくということです。
 今回開封されるのは地中9.5メートルの深さの2号機で、地中14.4メートルの深さにある1号機の方は、引き上げも点検も一切行わずに、万博から5000年後の西暦6970年に開封されることになっています。
 僕は、5000年後のこともさることながら、そもそも100年後に2号機が引き上げられるかどうかが心配です。この企画の主体は毎日新聞社と松下電器産業ですが、両社がともに100年後に存続するとは限りません。グローバルな産業再編成の嵐の中で、おそらく10年か20年後には、どちらも統合・合併・改変などによって、全く違った企業体に変貌しているのではないでしょうか。
 100年後に2号機を開封するという手はずは、引き継がれていくでしょうか。それ以前の問題として、大阪城公園がそれまで、公園として存続し続けているかどうかさえ、危なっかしいものです。今後100年間の間に、壊滅的な世界大戦が起きて、人類を含めて地上の生物のほとんどが死に絶えるような地球の大破局が待ち受けているかも知れません。
 地上のあらゆる建造物をも一瞬にして溶解するほどの超大型破壊兵器が使用されてしまえば、生き残った少数の人類の手による文明の再興は絶望的でしょう。営々と築き上げてきた機械文明も科学技術も、芸術も知的遺産もすべて崩壊して、人間はまた数十万年の時間をかけて、気長に新たな別のタイプの文明を創出していかなければなりません。
 灰に埋もれ国境も失われた地上では、タイムカプセルのことを覚えている者もなく、長老の中でかすかな記憶を持つ者がいたとしても、カプセル発掘への興味も意欲も失われているでしょう。
 2つのタイムカプセルは、そうしたSF的カタストロフが容易に現実に転化し得る危険性を、僕たちに想起させてくれることにこそ、最大の存在意義があると言えるでしょう。万博タイムカプセルは、人類の未来を監視する警報装置なのです。(3月16日)

 <女子マラソン高橋尚子選手の感動的な走りと、笑顔の美しさ>
 マラソンという言葉の起源になったマラトンの戦いで、一人のアテナイの兵士が約40キロを走ってアテナイに勝利を告げ、そのまま息絶えたといわれています。人間が走り続けることが出来る距離は、古代からこのあたりが限度なのでしょう。
 現代のマラソンは、なぜ42.195キロというハンパな距離なのか。これはオリンピック第 4 回大会での、ウィンザー城からロンドンの競技場までのマラソンコースの距離で、後にこれが正式距離に決まったということです。
 12日の名古屋国際女子マラソンをテレビで観ました。沿道の観衆の声援もテレビの中継も、すべてが高橋尚子選手の走りに集中して、近年これほど熱中して見入ったスポーツ中継はありません。高橋選手の現在のタイムと残り距離が画面にリアルタイムで表示され続け、ひたむきに走り続ける高橋選手の美しさに圧倒されました。
 シドニー五輪の残る2つの選手枠をかけての、後のない戦い。想像を絶するプレッシャーの中を、決して苦しい表情を表に出すことなく、大会新記録そして2時間22分19秒の好タイムでゴールインした高橋選手の姿は、観る者に強い感銘を与え、感動的でした。
 いつのまにか、レースに見入る多くの人々は、高橋選手に感情移入をしていて、なんとか弘山晴美選手が出した2時間22分56秒より早いタイムを出すよう祈り続けていたのです。(本当のところ、弘山選手を含めて2時間22分台の3人とも、五輪代表にしたかったですね)
 それほどまでに多くの人たちが、高橋選手がゴールを切る時の笑顔を見ることを楽しみにしていたのです。高橋選手はそうした日本中の期待に見事にこたえ、満面の笑顔を咲かせてくれました。
 高橋選手の人なつっこい笑顔は、丸顔の素顔の美しさに加えて、飾らない謙虚な人柄、自分との厳しい戦いに冷静に挑み続ける精神的な強さと健気さなど、内面から輝く美しさが一層の深みを加えています。
 13日の陸連の選考会で、高橋選手は堂々の五輪代表に決定。女子スポーツ界の大型エースに成長した高橋尚子選手、シドニーではメダルに向かってガンバレ!(3月13日)

 <アングラの宿命に徹してきた地下鉄は、地上を走るのが苦手>
 地下鉄というのは、一種独特のアンダーグラウンド的な雰囲気があります。それは、本来は通ってはならない闇の世界を走っているという禁断の薄気味悪さです。
 古代から中世にかけての長い間、地下は秘密めいた私的な閉塞空間であり、表に対する裏であり、正統に対する異端であり、光に対する影であり、健全に対する隠微な場所でした。その地下に公共の乗り物を走らせるという発想は、人類社会にとって革命的だったといってもいいでしょう。だからあらゆる乗り物の中で、地下鉄ほど人工的な乗り物はないのです。
 地上は燦々と晴れているのに、電灯をともして地下の深くを走り続ける不自然な後ろめたさは、フリッツ・ラング監督の映画「メトロポリス」を思わせます。地下鉄に乗っていて、不意にドアや窓の外に地上の光景がまぶしく広がった時、つかのまの解放感とともに地上への羨望のようなものを感じませんか。赤坂見附での上智大学のグラウンドや、お茶の水駅の神田川の流れ、等々。
 営団地下鉄日比谷線の中目黒駅近くで起きた脱線衝突事故は、皮肉にも地下鉄の地上部分で起きたものでした。地下鉄はその構造上、地下での安全対策には非常な神経が注がれていますが、地上部分は安全の盲点のような気がします。
 今回の事故に関連して、僕は22年前の事故を思い出すのです。昭和53年(1978年)のやはり今頃の季節でした。2月28日の夜、地下鉄東西線の10両編成の電車が、東京・荒川の鉄橋を走っている時に突風にあおられて後ろ2両が脱線し、20人を超す重軽傷者が出ました。突風くらいで何故? と当時いろいろと議論を呼び、地上の強風を計算に入れてない車体の軽さなどが指摘されました。
 地下鉄は、すっかり地下に適応するシステムとして進化を続けてきた半面、相互乗り入れの拡大などによって地上を走る区間も広がってきていますが、どうも地上に対しては出生時以来の負い目があって、大空の下を走ることが苦手のような気がします。モグラが突然地上に飛び出した時に、うまく行動出来ずにうろたえてしまうようなものでしょうか。
 それにしても、営団の正式名称がいまだに帝都高速度交通営団という大時代的な名前のままなのには驚きます。アングラの暗く妖しい雰囲気に合っているといえば言えますが。(3月10日)

 <なんとなく不安なデビット・カードが、デヴィル・カードになる時>
 金融機関のキュッシュ・カードを使って小売店で買い物が出来るデビット・カードのサービスが6日から始まっています。しかし僕は、このサービスを利用したいという気持ちよりも、漠然とした不安を感じてしまうのは、なぜでしょうか。
 クレジット・カードもデビット・カードも、現金を持ち歩かなくて買い物が出来、どちらも自分の銀行口座から引き落とされる点は同じです。両者の決定的な違いは、後日に引き落とされるのか、即決で引き落とされるか、の違いです。
 この「即決」という点こそが、デビット・カードを利用することへの不安なのです。つまり、暗証番号を打ち込んだと同時に、銀行の預金残高からその金額がゴッソリと引かれるわけで、タイムラグがないという特色そのものが最大の不安の源なのです。
 デビット・カードの推進者たちは、数々のメリットを挙げていますが、クレジット・カードの場合は、盗難や偽造などの不正使用があっても、引き落としまでに一定の時間がクッションとしてあることは、大被害への歯止めとして働いています。
 しかし、デビット・カードでは、不正使用された瞬間に、被害は銀行口座そのものを直撃します。クレジット・カード使用時にサインを書くという行為も、不正使用へのブレーキを果たしています。それが4桁の数字を打ち込むことに変われば、まったくのノーブレーキとなってしまいます。
 デビット・カードをもじって、お金が脱兎のごとく消えるという意味で、ラビット・カードなどと冷やかす向きもありますが、僕はデヴィル・カード(悪魔のカード)にならなければいいが、とマジで恐怖を感じます。
 電子的な指紋照合などの堅牢なセキュリティーが整備されるまでは、デビット・カードには手を出したくありません。僕のキャッシュ・カードを、銀行が勝手にデビット・カード・サービスに加えるとしても、ノー・サンキューです。(3月7日)

 <個人の全遺伝子が瞬時に解読され、人生が提示される時代>
 人間の全遺伝子(ヒトゲノム)の解読が猛烈な早さで進む中で、科学技術庁の小委員会がヒトゲノム研究の「憲法」となるべき基本原則の案をまとめました。
 いまは各国の企業や機関が解読できたヒトゲノムの特許を競って申請していて、気がついたら自分の遺伝子について知らないのは自分だけ、ということにもなりかねない状況になっています。
 遺伝子情報には、そのヒト個人の体質から性質、性格、個性を規定するすべての情報が含まれることから、ヒトゲノムを制したものが世界を征するといってもいいでしょう。
 医学的な面での利用・応用は計り知れず、宿命とされていた遺伝病の治療からガンやエイズの克服、特定の病気にかかりやすい体質の改善など、人類に与える福音は多大なものがあるでしょう。
 いかし一方では、ヒトゲノムを利用した犯罪や兵器などの出現も懸念され、そこまでいかなくてもヒトゲノムを利用した「人生判断」や「運勢診断」が商売として巷にあふれる可能性は十分あります。
 当たるも八卦の占いに代わって、髪の毛1本から瞬時に個人の全遺伝子を解析して、生き方のアドバイスをするわけですから、信憑性の点では相当なものがあるかも知れません。
 もっと簡単に、血圧を計るような気楽さで、唾液を付けた試験紙をセットするだけで、その人の持っている全ての遺伝子情報がパソコンのディスプレイに表示されて、潜在的な病気の可能性や体質、性格、性質、余命の期間などが、一覧表示されるようになるでしょう。
 「あなたの遺伝子からは、あなたが3年以内に重大な犯罪を犯す確立は70%です。また5年以内に交通事故で死亡する確立は50%、7年以内にすい臓の重大な疾患が発病する確立は40%です。余命は8年6カ月でしょう」
 こんな診断が表示されたら、どうしたらいいのでしょうか。生きる希望をなくするのか、予想を覆すように頑張って生きようとするか。
 まあ、人によってそれぞれでしょうが、自分の遺伝子情報を一切知らないでいる権利というのも、これからの時代には必要なように思います。(3月4日)

 <大変革は些細なことがきっかけで、急激に全面的に訪れる>
 何事もそうなのでしょうが、社会や国家の変革から、個人生活の変わり様に至るまで、およそあらゆる変化というものは、潮が満ちるように時機を待っていて、実に些細なことをきっかけとして、堰を切ったように急激に全面的にやってくるものです。
 つい10日ほど前まで、僕はブラウザとして、ネットスケープ・ナビゲーター(NN)3.01とインターネット・エクスプローラ(IE)3.02を使っていて、ホームページ作成ソフトもIBMのホームページ・ビルダー3.0を使用していました。いずれも3年ほど前に、それぞれ1回ずつバージョンアップをしたきりで、今年いっぱいはこのバージョンを使うつもりでした。
 この3つとも、すでに何度かバージョンアップされているのに、なぜ3年も前の古いバージョンにこだわり続けたかというと、表向きの理由は、ホームページを作り続けるにあたっては古いバージョンで閲覧している人を念頭に置くべき、と考えたことです。
 本心の理由としては、ブラウザやHP作成ソフトを変えることによって、僕のネット環境がトラブってしまうのではないか、という心配からです。とりわけ、IEの4.0はデスクトップを変えてしまうほどOSそのものの奥深くに関わると聞いて、まず尻込みしてしまい、またNC4.0はJavaを最初に立ち上げるのに時間がかかることなどで導入をためらいました。
 ホームページ・ビルダーも、3.0から2000へのバージョンアップの中身の大きさから、現在作っているホームページの更新がトラブるのではないか、と不安でした。
 こうして知らず知らずのうちに、すっかりテクノ守旧派になっていた僕でしたが、変革のきっかけは突然に訪れました。ネット上のサービスへの登録が、旧バージョンのブラウザでは作動しないというケースが2件続いたのです
 おっかなびっくり最新のNC4.7をインストールし、1週間ほどは新旧両バージョンを使い分けていました。ところが数日後、旧バージョンの方が突如として死んでしまいました。何度インストールをやり直しても、ついにNN3.01が僕のデスクトップで蘇ることはありませんでした。
 思いもよらずNC4.7を標準ブラウザとして使うはめになったのですが、使ってみると考えていたよりずっと快適でした。なあんだ、と安心しました。もう怖いものなし、という感じで気が大きくなり、ホームページ・ビルダーを一気に2001にバージョンアップ。勢いに乗ってIEも最新版の5.01に。いずれも、案ずるより産むが易し、でした。
 変革は、当事者の思惑をはるかに超えて、急激に全面的に訪れるのだということを実感したしだいです。(3月1日)

ページの冒頭に戻る
メニューにジャンプ

2000年2

 <飢えて凍死した2歳の女児と、長銀救済に注ぎ込んだ7兆円>
 宇都宮市で極貧の母子家庭の2歳女児が飢えて凍死したという事件は、官民上げて経済回復に血道を上げている日本の現実として、僕たち一人一人に厳しい問いかけを迫るものです。
 女児は亡くなる1週間前から何も食べておらず、29歳の母親も2週間前から何も食べてなく、手持ちの現金は500円しかなかった、とのこと。児童手当の支給が遅れたり、生活保護の手だてについて知らせなかった市当局の対応が問題とされていますが、僕はもっと根本的には、日本社会のありようの問題だと思うのです。
 この女児と母親を救うことさえ出来なくて、何の政治ぞ、何の経済ぞ、と言いたくなります。この母親は、月数万円の郵便の宛名書きの内職をしていましたが、その仕事もなくなり、やがてガスも水道も止められてしまいました。
 誰に文句を言うこともせず、万引きや盗みに走ることもせずに、娘に水を飲ませるだけが精一杯だった母親の気持ちを思うと哀れでなりません。世の中に、悪事を働く政治家や官僚、経済人、警察トップらはゴマンといるのに、この母親は、生活保護を受けられるとも思わずに、この窮状をじっと甘受していました。
 僕は、この母子のことを考えると、長銀を救うために湯水のごごとく注ぎこまれた6兆9500億円という公的資金=国民の税金のことが頭から離れません。外資系に譲渡される長銀のために、度外れといっていい異常な額の税金を使う必要は全くなかったと思います。この際、はっきり言うならば、長銀は潰れてもいいから、女児の命を救うことの方がはるかに大切でした。
 拓銀も山一も、ほかに多くの金融機関が破綻して姿を消していきましたが、日本経済のためにはそれで良かったのです。長銀が潰れれば多少の混乱はあったにせよ、長い目で見れば社会のプラスになっていたでしょう。
 6兆9500億円のお金があれば、宇都宮の母子を含めて、貧困や難病などで苦しむ多くの人たちを救うことが出来たのです。たとえ1億円や2億円でも、相当の数の人々が救われます。長銀に注ぎこまれたお金は、その1億円の7万倍なのです。
 政治が無策のままで、だらだらと自分たちの既得権益を守ることに夢中になっているならば、いずれ、国民からとんでもないしっぺ返しに遭うことでしょう。僕たちは、何も言わずに飢えたまま凍死していった2歳の女児のことを、決して忘れることはないでしょう。(2月27日)

 <50万年前に建物を作っていた「秩父原人」からのメッセージ>
 埼玉県秩父市の小鹿坂(おがさか)遺跡で、約50万年前の建物の柱跡と見られる穴や石器が発見されたというニュースは、とても衝撃的です。原人というイメージは、洞穴に済んで石や棒きれで動物を採って細々と生きていたという、およそ文明や技術とはほど遠い未開の原始人という感じだったのですが、どうやら僕たちは先史についての見方を根本的に変える必要がありそうです。
 50万年前に建物を作っていた「秩父原人」たちは、豊かな言語と高度な建築技術を持ち、日本列島のかなり広範な地域を舞台に生活基盤を広げ、地域同士の交流も盛んだったのではないでしょうか。文字として記録された痕跡はないけれど、建築だけでなく、被服や食器、調理などにも、僕たちが思い浮かべるよりもはるかに高度な文明を持っていたように想像します。
 彼らの毎日の生活は起伏に富んでいて、決して退屈するどころではなかったでしょう。暑さ寒さや風雨からしのぎ、日々の食料を確保して計画的に構成員に分配していく。そのための懸命な工夫と努力。共同体の中では、さまざまな喜怒哀楽が生まれ、生々しい人間ドラマに満ち満ちていたことでしょう。彼らは、歌や踊りはもちろんのこと、固有の伝説や物語のようなものも持っていたと想像します。
 「原人」たちにとって、その時代は決して後世の人たちのための基礎固めなどではなく、まさに1日1日が最先端の「現代」だったのです。
 それにしても、僕がショックなのは、こうした生き生きした「秩父原人」たちの文明が、50万年前という想像を絶する遠い時代に存在していたという事実です。
 僕たちがいま大騒ぎをして総括しようとしている20世紀は、わずか100年間でしかありません。西暦でさえも、たかだか2000年です。古代エジプトの王朝文明が開花したのは5000年前。ギザの大ピラミッドやスフィンクスは1万年前に作られたかのも知れないという見方が出ていますが、学者たちの間では「そんな昔に技術文明は存在しなかった」という声もまた根強いのです。
 どうも現代人には、文明の99%はルネッサンスと産業革命以後の近代になってから発展したのだという思い上がりと錯覚があるようです。紀元前の歴史はすべて、未開で野蛮で幼稚だという先入観から抜けきれていないのです。
 人類の文明は、猿人から分かれてヒトとなってからの400万年の間に、気の遠くなるような時間と忍耐を経て、前進と後退を繰り返しながら、少しずつ拓かれ蓄積されてきたものと見るべきでしょう。
 「秩父原人」は、現代の僕たちに、「たかだか100年くらいで驕り高ぶるな、歴史に対して謙虚であれ」というメッセージを発しているような気がしてなりません。(2月24日)

 <巨大観覧車ブームの世紀末、ガラス張りの密室がなぜうける>
 ロンドンに完成した世界最大級の観覧車に負けじとばかり、日本国内でも巨大観覧車の新設や建設がラッシュとなっています。各地のテーマパークや臨海公園だけでなく、観覧車を併設するデパートも増えています。
 なぜ今、観覧車なのでしょうか。国内で100基以上の観覧車を設置した会社は、その理由を「専有面積が少なくてすみ、騒音も出ない。コストもかからない」と説明しています。
 しかしこの時期に、観覧車が客を集めるのは、もっとワケがありそうです。僕が思うに、観覧車のゴンドラの中が、「ガラス張りの密室」という矛盾を昇華した、特異な空間であることが、時代の気分にマッチしているのでしょう。
 だれもが世紀末の閉塞感を体で感じ、ともすれば引きこもりモードになってしまいがちなこの頃、ぬくぬくとした「胎内状態」のままで、つかの間でも日常の殻を抜け出し、大地の果てと時代の先まで見渡せる大空を飛んでみたい。観覧車は、そんな願望をかなえてくれる疑似空間なのですね。
 だから、ゴンドラは4人乗りであろうが、6人乗りであろうが、見知らぬ他人との相席ではぶちこわしです。横浜みなとみらい21地区の観覧車は、週末の長蛇を少しでも解消するため、相乗りになることもありますが、これが不評なのは当然です。
 ぜいたくであっても、ゴンドラには一人きりで乗るか、カップルだけで乗り込むのがベストです。動き出してしまえば、一回転する15分ほどの間は密室が保証され、誰も邪魔しに来ることもなければ、途中で乗車が打ち切られる心配もありません。
 密室ではありますが、ゴンドラの中は地上のどこからでも様子が分かるガラス張り状態ですから、いくら熱いカップルで気持ちが高ぶったとしても、その空間の中で成し得ることには限界があります。逆に、どこかから見られているかも知れないことを承知の上で、それなりのコトに及ぶことは許されている空間なのです。
 映画「第三の男」の観覧車シーン。ホリー・マーチンスは、ガラス張りだからこそ観覧車のところで待っていると言ったのでしょう。しかしハリー・ライムが乗り込んできたゴンドラは一瞬にして密室に転化して、息詰まるような緊迫の展開となります。
 「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイス500年の平和は何を生んだか? 鳩時計だけだ」というハリーの名セリフは、観覧車の特異空間に続いてこそ、映画史に残る凄みと迫力を持ったのです。
 20世紀末の観覧車のゴンドラからは、どんな過去と未来が見えてくるのでしょうか。(2月21日)

 <モバイルの期待を裏切ったノートパソコンに代わる新端末を>
 モバイルという言葉が巷にあふれてもう3年以上になろうとしていますが、当初はモバイルの主力と誰もが信じて疑わなかったノートパソコンが、現実にはモバイルからほど遠く、期待を大きく裏切る結果となっています。
 モバイルというからには、どこからでもインターネットに接続して、メールからWEBページに至るまで全ての送信・受信が可能であることが最低条件でしょう。
 しかしこれまでに数々発売されてきたノートパソコンは、あれこれとデスクトップ並みに山のような機能を積み込み、そのことで軽量化という命題を放棄するとともに、インターネットをかえってやりづらくしてしまったのです。
 僕も実は、2年半ほど前にモバイルをやるつもりで、ノートパソコンを購入しました。当時としては最軽量の部類だった2キロほどですが、カバンの中に入れていつでも持ち歩くには、あまりにも重すぎます。
 致命的だったのはバッテリーで、連続使用時間は最長で1時間半から2時間程度。ISDN回線につないでも、読み込み速度は極めてノロく、実用に耐えられるものではありません。驚くべきことに、付属のマニュアルには「インターネットなどを行う時は、ACアダプターを使用して下さい」と断り書きがあることです。つまりは、モバイル状態でインターネットは出来ません、と白状しているわけです。
 NTTドコモのiモードがニフティを抜いて、日本で最大のプロバイダーになったというのは、ユーザーにとってノートパソコンはモバイル端末たりえないという事実を如実に語っています。
 2001年からは次世代携帯電話サービスが始まり、世界中どこからでも高速大容量の通信が可能になります。メーカーはこの際、発想を根本的に変え、ネット専用の使いやすいモバイルパソコンの開発に全力を上げるべきです。
 そのためには、すべての機能を積み込むのではなく、ネットの受信・送信に関わる機能だけに絞ること。小さくて軽く、連続して48時間から96時間くらい使用出来るモバイル用電池の開発を急ぐこと。通信に必要な機器類はコンパクトにまとめて本体に組み込んでしまうことです。
 これが普及していけば、南極やヒマラヤ山中から、リアルタイムの動画を自分のホームページに流すことも、初心者でもワンタッチで可能になるでしょう。モバイルにとっては、もう待ったなし。勝負は来年です。(2月18日)

 <「訴状を見てないのでコメント出来ない」というコメントの怪>
 ある会社なり政治家なりが、何らかの不祥事が発覚して裁判沙汰になった時、新聞やテレビで報じられる当事者のコメントは、99%が「訴状を見てないのでコメント出来ない」というものです。
 僕はいつも、決まり文句あるいは慣用句のように繰り返されているこの言葉を聞くたびに、「おやそうですか。じゃあ訴状を見たらコメントするのですね。きっとですね。ウソをつかないで下さいね。指切りゲンマンしてくれますね」と、念を押したくなります。
 しかしこれまでに、数日後に訴状を読んだからコメントを出した、という話は見たことも聞いたこともありません。本来ならば、次のような記事があってしかるべきじゃないですか。
 「今月ウン日、ナニナニ事件のシカジカ容疑で起訴されたコレコレ会社のカクカク専務は、本日、届いた訴状を良く読んだ後で、つぎのようなコメントを出した、云々」
 新聞やテレビは、事件本体の記事とは別に、「本日のコメント」という欄を紙面の角にでも設けて、後日に後回しされた企業なり個人のコメントだけを収録して、確実に報じたらどうでしょうか。それをやらないで、「訴状を見てないのでコメント出来ない」というコメント(?)をつければ、事件の報道としては及第点、という感覚がマスコミ全体にあるものだから、後からのフォローをネグってしまうのです。
 当事者たちも、こう言っておけば、義務は果たしたことになると信じて疑わず、世の中というものは、こうしたあうんの合意で成り立っているものなのだ、と思っているでしょう。
 これに似たようなケースはヤマのようにあります。
 裁判の判決では、「詳しい判決文を読んでないのでコメントできない」というのが常套句です。ほほう、では、詳しい判決文を読んだら、必ずコメントを出して下さいますね。
 事務所の家宅捜索などでよくあるのは、「責任者が不在なのでコメントできない」。では責任者の不在状態が解消されたら、つまりは責任者が戻ってきたら、コメントが出るということですね。
 結局、こうした逃げ言葉を出す側は、どんなコメントを出しても、それを言質に取られてさらにバッシングされるに違いないということを、イヤというほど知っています。もっと言えば、これらの当事者たちは、訴状や判決文など詳しく読まなくても、その内容を誰よりも良く知っているのです。
 見苦しい言い方はやめて、いっそこう言ったらどうでしょうか。「訴状は見なくても内容は分かる。しかしコメントしたくない」。この方がずっとスッキリして、いさぎよいではありませんか。(2月15日)

 <寂しく、懐かしく、世紀末の陰影を奏でるファゴットの音色>
 このところ僕は、オーケストラの中のファゴットの音色に、不思議な魅力をおぼえています。ファゴットの響きには、暮れゆく20世紀の陰影が感じられ、1つの世紀を締めくくる詠嘆と諦観を感じるのです。
 人それぞれにさまざまな思い入れや感じ方があるでしょうが、僕は弦楽器やピアノには、世紀の真っ盛りという勢いを感じます。トランペットやホルンなどの金管楽器も、イケイケの時代向きだと思うのです。
 世紀末らしいのは木管楽器ですが、フルートは優しすぎて物足りない。クラリネットはコケティツシュで色っぽすぎる。オーボエは寂しさたっぷりでいい線をいっていますが、1つの世紀を送るにはやや力量不足の感があります。
 ファゴットの音色は、人なつっこく、暖かく、想い出を大切に包んで、静かに訥々と話していくような音回しで、不器用だけれど、以前どこかで聴いたことがあるデジャ・ヴュの響きを感じます。それは、孤独な中にも寂しさを押し殺していて、ある種の覚悟さえ感じられます。
 ラヴェルの「ボレロ」は、ファゴット1本から始まります。あの頼りない単色のメロディーが、最後には全オーケストラによる狂喜乱舞となるのですから、トップバッターのファゴットの役目は重大です。
 チャイコフスキーの交響曲「悲愴」の出だしも、重く陰鬱なファゴットのうめきから始まります。リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」では、第2曲でカレンダー王子の主題を奏でるファゴットがとりわけ甘く狂おしくて印象的です。
 極めつけは、ストラビンスキーの「春の祭典」の冒頭のファゴットソロでしょう。フルートなら楽に出せる音域を、あえて最高音域となるファゴットが奏でる極度の緊張感は、いまから振り返れば、20世紀の暗雲を告げる響きだったのですね。
 あと300余日となった20世紀。マスコミが煽り立てたミレニアムのフレーズとはうらはらに、時代の閉塞感はますます極まり、世は荒れ人心はすさみ放題。
 ファゴットの音色は、20世紀への惜別と新世紀へのかすかなおののきを静かに伝えながら、僕たちに何かを訴えかけているように思えてなりません。(2月12日)

 <数が増えて覚えきれないパスワード、究極の本人確認法は>
 ネット時代でやっかいなのは、個人パスワードの管理です。他人に知られないよう、生年月日や名前のイニシアルなどは避け、安全のために時々パスワードを変えることが大切、とされています。
 最初のうちは、プロバイダー用のパスワード1個で済んでいたのが、ネット生活にはまるにつれて、さまざまなサービスに加入するようになり、気がついた時にはもう自分のパスワードは20個以上にもなっています。つぎつぎに増えていくパスワードを、決して忘れることなく、瞬時に思い浮かぶようにするには、どうしたらいいのでしょうか。
 一番簡単なのは、すべてのパスワードを同じ文字列にしておくことですが、当然ながらこれが最も危険で、1個見破られたが最後、すべてがイモづる式に見破られて、丸裸も同然となってしまいます。かといって、20以上ものパスワードを、乱数表のようなランダムな数字と文字の組み合わせですべて異なったものにして、しかも時々変更してメモもせずに記憶しておくとなると、これはもはや神業です。
 金融機関によるネットバンキングのサービスも始まっていますが、僕はセキュリティの面で、なんとなく不安が拭いきれずに、加入するのを躊躇しています。官庁のホームページがやすやすとハッキングされるのを見ていると、これがもし自分の銀行口座だったら、と考えてゾッとします。
 電子ペンを使って手書きで署名をし、筆跡を解読して本人確認をする認証システムも実用化されていますが、このシステムでもサインの筆跡データそのものがハッキングされたら終わりです。
 究極のパスワードは、本人の体にしかない情報、例えば指紋とか瞳の彩紋でしょう。もっと確実なのは、個人のDNAそのものをパスワードにする方法で、生きた身体を構成しているDNAだけを認識して有効とするのです。つまり、生体から離れた髪の毛や唾液などのDNAではエラーと判定するのです。
 しかしこんどは新たな問題が出てきます。宇宙空間から降り注ぐ放射線などによって、DNAが突然変異を起こしたら、本人がいくら本人だと主張しても、もはや本人と確認されるすべはありません。唯一絶対のパスワードを失ったあなたは、サイバー空間と現世の間を幽霊としてさまよい続けるしかありません。
 ネットサーフィンしている時に、突然画面に「URAMESHIYAA〜〜〜!」という文字が出現したら、それはきっとサイバー幽霊の仕業です。(2月9日)

 <京都小学生殺害容疑者が死して残した「てるくはのる」の謎>
 どうもこのところ、世の中すべてが、不完全燃焼の様相を帯びてきて、このままではだれもが精神的なCO2中毒になりそうな危険な空気に満ちています。
 自自公の与党だけで突っ走る国会と野党の審議拒否の、どちらもが不完全燃焼のまま、置き去りにされた国民はイライラ状態。景気回復も、雇用と個人消費を置き去りにして公的資金頼みの不完全燃焼。
 新潟の少女9年間監禁事件も、男の逮捕状もとれないまま、真相究明は進まずに不完全燃焼。埼玉・桶川の女子大生殺しは、主犯格と見られていた男が北海道の湖で自殺してしまい、事件は不完全燃焼のまま終息。
 極め付きは、京都の小2児童殺害時件で、最有力の容疑者が任意同行を拒否して逃げだし、そのまま飛び降り自殺とは、なんという警察の失態でしょうか。京都府警も警察庁も、捜査手続き上のミスはなかったと弁明していますが、容疑者の身柄を確保して裁判を最後まで維持させるのは、司法当局の最低限の責務です。
 神奈川家県警など相次ぐ警察の不祥事にもかかわらず、国民がまだ警察を頼りにしているのは、犯罪が発生したら必ず犯人を捕まえるという、暗黙の了解があるからこそなのです。「悪いことをしたらお巡りさんに捕まるよ」という最も基本的な仕組みは、まだ維持されていると思っていたからです。それが、逃げられて手のほどこしようがなかったとは、警察に対する信頼は完全に地に落ちてしまいました。
 今回の事件における様々な謎は、容疑者の自殺ですべて闇に葬られてしまいました。「てるくはのる」が何を意味していたのかも、もはや闇の中です。
 この「てるくはのる」は何かの暗号なのかも知れないし、パスワードのような無意味な文字の羅列なのかも知れません。
 「てるくはのる」の6文字を順に読めば、「照る苦は乗る」「輝る句は載る」などと読めますが意味不明ですね。
 この6つの文字だけを何度使ってもよく、順はバラバラでもいいとしたら、どうでしょうか。
 「ははのての、くのはて、はてる、くるはるのく」(母の手の、苦の果て果てる、来る春の句)
 「はるののの、てるはのはるる、ははのくのて」(春の野の、照る葉の晴るる、母の苦の手)
 自殺した容疑者は母と二人暮らしで2浪中といいますから、こじつけとはいえ、心象風景の一端が見えないこともありません。(2月6日)

 <鬼についての徹底考察、来年のことを言うと鬼はなぜ笑うか>
 毎年、節分の時期になると、去年の節分はついこの間だったのに、と不思議な感覚に襲われます。
 節分から次の節分までの期間が、どう考えても通常の1年より短く感じられるのです。ほかの節目、例えば元日とかゴールデンウィークとか夏至とか仲秋の名月とかは、通常の1年の間隔があるのに、節分だけは間隔がうんと短く、せいぜい4カ月くらいしか経過していない感じです。
 この時間経過感覚の歪みは、おそらく鬼が関係しているのではないか、と僕はにらんでいます。「来年のことを言うと鬼が笑う」というのは、1年間という時の流れについて、鬼が何かを掴んでいるからに違いありません。
 鬼の本質は何か。これはなかなか難しい問題ですが、そもそもは天つ神に対する、地上の悪神、邪神なるものが鬼で、「福は内、鬼は外」というように、福の対極にあるものとして考えられたのでしょう。
 そこから進んで日本の鬼は、仏教や陰陽道、土着の言い伝えなどと結びつき、単なる悪神にとどまらず、もっと複雑で奥の深い存在になったのです。最もポピュラーな姿は、赤や青の体で髪は縮れ毛、2本の角を生やし口には鋭い牙、腰にトラの皮のふんどしをつけ、大きな鉄棒を持っているものです。どことなくユーモラスで哀しさを漂わせたこの姿には、うっかりすると親近感さえ覚えます。
 西洋の悪魔や魔女と大きく異なる点は、鬼は神や人間から容易に転化しうる存在だということです。人間から鬼へ、鬼から神へ、神から鬼へ、鬼から人間へ。日本の鬼は人間のもうひとつの姿であり、神のもうひとつの姿でもあるのですね。
 オニという語は、隠=オニからきていて「姿が見えない意」とされています。つまり鬼は、公然とは姿を現すことが許されない存在です。だから鬼が現れるのは、町や村里のはずれの辻や橋や門など、異界との接点とされている場所が多く、時刻は夕方から夜明けまでの夜の間に限られます。
 鬼は人目につかないように現れて何をしているのでしょうか。これは僕の想像ですが、おそらくは鬼たちは人間の時間を食べているのだと思います。せっせせっせと、人間の持っている時間を食べて回る。時間を食べられたとは知らない人間は、「年中忙しくて、福がなかなか来てくれない」と嘆くのです。
 来年のことを言うと鬼が笑うのは、時間を食べられていることを知らないくせに来年のことを語っている人間が、おかしくてしょうがないからなのでしょう。
 節分から節分までの1年がとても短く感じられるのも、時間を食べられているせいに違いありません。(2月3日)

ページの冒頭に戻る
メニューにジャンプ

2000年1月

 <マスコミは9年間監禁されていた女性の人権を守れるか>
 新潟県三条市で小学4年の時に行方不明となった少女が、50キロほど離れた柏崎市で9年間もの間、男に監禁されていたという世界的にも類を見ない事件をめぐって、日本中の好奇の視線が注がれています。
 衣食住はどうしていたのか、トイレやフロは…から始まって、この9年間何をしていたのか、男は女性に対してどんな態度で何をしていたのか、女性はなぜ逃げることが出来なかったか、等々。すでにスポーツ紙は1面トップで書き立て、これからテレビのワイドショーや週刊誌は総力を上げて、この事件の真相とくに「失われた9年間」に迫ろうと激しい取材合戦を繰り広げていくでしょう。
 だが、しかし、と僕はここで言いたいのです。どのようなマスコミであっても、またどんなに国民が知りたがっているとしても、女性の人権と今後の人生を、泥靴で踏みにじってメチャメチャにしてしまうことは、絶対に許されてはならない、ということです。
 たとえ現場の記者やカメラマンが節度ある取材をしようと心がけていても、デスクや社のトップが「他社に遅れを取るな」とハッパをかけたら、もうおしまいです。
 女性の家や近所への無遠慮な取材はもちろんのこと、なんとか女性から話を聞き出そうと、あの手この手の執拗なアタックはとどまることろを知らないでしょう。手記を書かせる、テレビに出演させる、監禁9年間についての本の出版権を獲得し、ゴーストライターに書かせるなど、マスコミが狙うことは想像がつきます。
 監禁した男が逮捕されれば、強力な弁護団が結成され、男が刑事責任を問える精神状態になかったことなど、さまざまな点を列挙して、裁判では無罪を主張していくことでしょう。裁判の公判を通して、女性がさらにズタズタに傷つけられることも十分予想されます。
 マスコミがたっぷり女性を餌食にして、さんざんセンセーショナルな記事を書き尽くした頃になって、報道の過熱への疑問や反省が出され、弁護士会や人権擁護委員会あたりが、節度ある取材を呼びかけるのでしょう。まいど繰り返されてきたパターンです。
 いま、大マスコミが率先してやるべきことは、女性への取材や女性の家庭への取材を厳しく制限する取材協定をまとめ上げ、女性の人権を守るシステムを早急に作ることです。無防備な女性側が弁護団を整えるよう支援し、取材窓口を弁護団1本に絞るなどは、大マスコミが動けばこそ可能です。
 ようやく自由の身となった女性の人生再スタートを暖かく見守るのか、それとも容赦ない取材攻勢によって新たな生き地獄に陥れるのか。いまこそ、マスコミが問われています。(1月31日)

 <2000年2月2日は、1112年ぶりに日付の全数字が偶数>
 あまり知られていませんが、今年2000年2月2日という日は、1112年ぶりに訪れる珍しい性質を持つ日付けです。それは西暦の年、月、日を構成する数字がすべて偶数になっているということで、なんとこの現象は西暦888年8月28日以来のことなのです。僕もこの話は、日経新聞にベタで載った英紙タイムスの記事の紹介で初めて知りました。単純なようで、9世紀の終わり以来ひさびさの現象だとは、おおっ、と軽いショックすら感じます。
 年月日のどこかに1、3、5、7、9が1個でも入ってしまえばこの性質は失われるわけで、1000年以上も間が空いたのは、最初の数字が1になる1000年代がずっと続いていたからなのです。
 そんなに珍しい日付なら、ミレニアムどころではなく、世界中で「オール偶数祭」とかなんとか名付けて盛大なお祝いをすべきだと思うのですが、だあれも何もする気配はなさそうです。せめて、いまこれを読んでいる方たちだけでも、2月2日は「オール偶数に乾杯!」といきましょう。
 ついでにもうちょっと考察してみましょうか。2月2日の後は、また長期間に渡ってこの性質の日はないのかと思うと、驚くべきことに2000年代はしょっちゅうあるのです。早い話が、まず2月4日がそうですし、2月は28日まで何度もあり、さらに4月から8月までにかけても多数あります。
 では、発想を逆にして、年、月、日を構成するすべての数字が奇数の日というのは、どうだったのだろうと思って見ていくと、去年1999年11月19日が最も最近にあった日だったのです。次にこの性質を持つ日が現れるのは、なんとなんと西暦3111年1月1日まで、1112年間もないのですね。偶数の時と同じく、1112年間ない、というのが神秘的です。
 そんなに遠い先までないと分かっていたら、盛大に「オール奇数祭」でもやっておくべきでしたが、もう後の祭りです。西暦3111年、それはどんな時代でしょうか。そのころは、インターネットやWEBは「古代のメディア」となっていて、僕たちには想像を絶する世界となっているでしょう。
 32世紀の初頭に、何かの折りにこのホームページを発掘して解読した方は、1112年も昔の20世紀末に、西暦3111年元日に思いをはせていた人間がいたということを、どうか偲んでやって下さいませ。(1月28日)

 <ヤマンバこそ、世紀末日本の鬱屈した空気を代表する文化>
 いったい全体、あれは何なんだろう、と思ってしまいます。底厚サンダルにガングロ、髪を白く脱色して唇も白。目はといえば、これがまたパンダのような隈取りあり、目の周囲に金銀を散りばめるあり。総じて目つきは不気味なほど無表情でニコリともしません。
 みな猫背で前屈みなのは、高さ15センチから20センチもあるサンダルを履いてバランスを取るため、どうしても手を前にダラリと下ろして年寄りじみた姿勢になってしまうのでしょう。わざと汚らしく見せている白髪が前にバサッと垂れて、いっそう凄みを感じさせてくれます。
 この奇怪なファッションをヤマンバと言い出したのは誰か知りませんが、言い得て妙です。自分たちでもヤマンバと称しているらしいですから、もう言うことはありません。
 今までヤマンバはどれも同じかと思っていましたが、よくよく観察してみると、高校生ヤマンバと短大生ヤマンバに大別され、さらに中学生ヤマンバからおばさんヤマンバへと、すそ野が上下に広がっているようです。現に赤ちゃんを抱いた子連れヤマンバも出現していますが、あんな高いサンダルに乗って転びはしないかと見ている方がハラハラします。小学生ヤマンバが現れるのも時間の問題だとか(まさか)。
 広辞苑には、年末年始にマスメディアがこぞって手垢まみれにしたミレニアムの語は載っていないのに、ヤマンバは載っています。山姥と書き、やまうばの音便とあります。やまうばで引いてみると「深山にすみ、怪力を発揮したりすると考えられている伝説的な女」となっています。能や歌舞伎の舞踊にも山姥という演目があるので、そうとう昔から日本に棲息しているようです。
 ヤマンバ、里を行く。これこそが20世紀最後の年の、日本を代表する文化的出来事なのです。世紀末の日本社会に漂う鬱屈した空気を、ヤマンバほど端的に示す世相はほかにありません。
 21世紀になってしばらくして、自分の子供から「20世紀の最後はどんなだったの?」と尋ねられた母親は、こう答えるかも知れません。「あのころ母さんはヤマンバだったの」。(1月25日)

 <凍える大寒から立春へ、季節感が大きく方向転換する時期>
 昨日21日は二十四節気の大寒。日本列島は毎年この時期が最も寒い時期となり、今年も各地で大雪や厳しい寒さに見舞われています。二十四節気は、紀元前数世紀の頃、中国・華北の気候をもとにいまの名前が付けられたといいますから、ずいぶんと古い歴史があるものですね。現在では、太陽が黄道上を通る緯度によって厳密に決められています。
 立春(315度)、雨水(330度)、啓蟄(345度)、春分(0度)、清明(15度)、穀雨(30度)、立夏(45度)、小満(60度)、芒種(75度)、夏至(90度)、小暑(105度)、大暑(120度)、立秋(135度)、処暑(150度)、白露(165度)、秋分(180度)、寒露(195度)、霜降(210度)、立冬(225度)、小雪(240度)、大雪(255度)、冬至(270度)、小寒(285度)、大寒(300度)
 日本人の生活にすっかりとけ込んでいるものから、だれにも注目されないものまで、さまざまです。小満や芒種はほとんど話題にされることがありませんが、梅雨入りの時期の方が気になる頃だからでしょうか。
 太陽の黄道上の位置からすれば、春分がスタートのような気がしますが、二十四節気はなぜ立春から始まるのでしょうか。中国では昔から、立春を元日と一致させようとして暦法上のさまざまな試みが行われてきたので、その名残なのでしょう。その場合は節分が大晦日で、1年の最後になるのですね。
 二十四節気の流れの中で、大寒から立春にかけての15日間に、最もドラスチックな季節感の転換を感じるのは、こうした太古の残響があるからでしょう。厳寒のどん底、冬の権化のような大寒の次に、心弾む立春が待っている。たとえ名のみの春であっても、その日からは大気の光がどこか違う。
 「冬来たりなば春遠からじ」という言葉を凝縮して絵に描いたような、節気のバトンタッチ。季節が大きな音を立てて方向転換するのを感じませんか。(1月22日)

 <オウムの新名称が「アレフ」とは、数学者カントールもびっくり>
 オウム真理教が教団の名前をアレフに変えるという発表に、すでにアレフという名称を使っているさまざまな企業が迷惑がっています。
 僕も、別な意味でオウムが「アレフ」を名乗ることにショックを受けています。というのは、数学のあらゆる理論の中で、僕が最も神秘的で美しいと感じ、知的興奮を覚えるのが、無限大についてのカントールの理論で、その基本単位が「アレフ」だからです。
 ガモフの著作で、こんな話を読んだことがあります。宇宙のある星に、無限大の部屋数を持つホテルがあって、そこに全宇宙の無限大の数の惑星から、全宇宙推理小説愛好家連盟の総会に出席する代表たちがやってきて、無限大の数の部屋がすべて埋まった。ところがこの日は全宇宙切手収集家連盟の総会とも重なっていて、今度は無限大の数の惑星から切手収集家の代表たちがホテルにやってきて、新たに無限大の数の部屋が必要になった。
 ホテルのマネジャーは顔色一つ変えることなく、すでに部屋に入っている推理小説愛好家たちに、いまの部屋番号nからそれぞれ2nの番号の部屋に移るよう頼み、こうして無限大の人数の推理小説愛好家たちが部屋を移動した。次に、無限大の人数の切手収集家たちを(2n−1)番の部屋に次々に入れていき、全員の部屋は確保された。さらに、無限大の人数のお客が新たに到着することが何回あったとしても、同じ方法で部屋は提供出来、部屋をあぶれる者は一人も出ない……
 ドイツの数学者ゲオルグ・カントールは、それまで使われていた無限大の記号∞に変わって、ヘブライ語のアルファであるアレフを使い、ガモフの話に出てくるような基本となる無限大の集合をアレフ0(ゼロ)としました。アレフ0同士を足しても掛けてもアレフ0になるという不思議な性質がありますが、連続体の濃度(例えばある直線上のすべての点の集合)は、これより濃度の濃い無限集合としてアレフ1とされ、いまではアレフ2以上のさらに濃い無限集合がいくらでも考えられるとされています。
 僕は、無限大という不思議な数をこのように思索して体系化出来る人類とは、何と凄い存在だろうかと思います。それだけに「アレフ」という言葉を、オウム真理教には使ってほしくありません。(1月19日)

 <村長さんガンバレ、東海村が「村」であることの哀しさと希望>
 日航ジャンボ機が墜落し、阪神タイガースが優勝し、つくばで科学万博が開催されたのは、15年前の1985年でした。その年、日本中に流れていたのが吉幾三さんのデビュー曲「俺ら東京さ行ぐだ」でした。
 「テレビもねえ、ラジオもねえ」「俺らの村には電気がねえ」「俺らこんな村いやだあ」と高らかに歌うこの歌は、高度成長から取り残された過疎の村の寂寥感をデフォルメしてパロるとともに、村の存在を忘れたがっている都会人たちへの痛烈な批判でもありました。大方の人々はこの歌を聴く一方で、ダサイ「村」を小馬鹿にし、科学万能、無限の成長の夢に酔っていたのです。
 なぜこんなことを思い出したかというと、去年の核燃料処理施設で起きた臨海事故によって、多くの原子力関連施設を抱える茨城県東海村が「村」であるという事実を、僕たちは連日のように突きつけられているからです。とりわけ、村上達也村長が村民を守るために、JCOや国を相手にして仁王立ちになって孤軍奮闘する姿は、長い間日本の社会が忘れていた古き良き「村長さん」のイメージを蘇らせてくれました。村役場や村議会といった、これまでニュースにもならなかった存在が、連日のようにクローズアップされるのも新鮮です。
 地方自治の原型としての「村」、地域社会の原点としての「村」の役割について考えるいい機会だと思います。いまの日本は、何もかもが都市中心に物事が運ばれていて、マスコミが作る文化はどれを取っても、村などはどこにも存在しないかのごとくです。日本全国には、いまでも568の村があります。最も多いのが長野県で67村、ついで新潟県の35村です。
 心ある人たちは、「脱都市」「脱都会」に日本社会の活路を求めようと、地道な取り組みを続けています。村人たちが自分達の手で山紫水明の村を守り、そこから固有の文化を創出していくことこそ、21世紀の日本に必要なのだと思います。東海村は、そのテストケースとしても注目していきたいと思います。(1月16日)

 <雅子妃懐妊特ダネの朝日と、王女を守った『ローマの休日』の記者>
 一昨年、ローマに行った時、地下鉄に乗って「真実の口」を探してたどり着き、手を中に入れてみました。その時、僕はあの映画のもう一つのテーマに、初めて気がついたのです。まさにそれは「真実の口」、すなわちマスコミにおけるスクープについて、根本的な問いかけをした映画だったということです。
 アメリカの新聞社の支局記者ジョーとアン王女との出会いから、ラストの記者会見そしてお別れのシーンまで、あまりにも語りつくされた名場面の数々については、ここで触れません。僕が強調したいのは、新聞記者ジョーが大量の写真付きの世紀の大スクープを、1行たりとも記事にすることなくひっそりと捨てたという潔さです。
 どんな大スクープよりももっと大切なものがあることを、ジョーは知ったのです。それを守るために、ジョーは取材メモさえも破り捨ててしまいました。あの映画を見終わった後の、切ないほどの清々しさは、まさにスクープにしなかったという点にあるのです。
 それに引き替え、皇太子妃雅子さまの懐妊について最もデリケートな段階というのに仰々しくスクープした朝日の報道姿勢には、あまりの志の低さに読者として顔が赤くなる思いです。僕は、昨年12月10日朝刊1面トップに載ったスクープ記事だけでも、許せない気持ちですが、なんとあの日の未明に朝日は号外まで出してバラ撒いていたということを、最近初めて知って、強いショックを受けています。
 号外とはどういうことですか。朝刊に載っているのですから、朝日の読者は号外など出さなくても、当然記事を見るわけです。朝日は、他の新聞を購読している人たちにも朝日のスクープであることを得意げに誇示し、ほかのメディアが一斉にこのニュースを書き立てるよう煽り立てたのです。朝日は笑いが止まらない大祝宴のムードだったでしょう。結果がどうだったかは、みんなが知っての通りです。
 「真実の口」とは、時には報道しない勇気でもあるのです。(1月13日)

 <ブッチホンがボクの家にもかかってきたらどうしよう、もうドキドキ>
 小渕首相がテレ朝の報道番組に、お得意のブッチホンを使ってアポなしで生出演したというので、話題を呼んでいます。政権発足当時は「冷めたピザ」とまで言われたオブチさんが、「ブッチホン」で去年の流行語大賞を取るまでになるとは、誰が予想し得たでしょうか。
 同じイデオロギーに凝り固まった取り巻きだけに頼らず、広く各界の人々に気楽に電話して、双方向の意志疎通と情報収集に努めるオブチさんの姿勢は、情報化時代の首相の先駆として、それなりに評価していいでしょう。オブチさんは、すっかり気を良くして「どれくらい多くの人に電話をかけられるか記録を作りたい。全国すべての人にかけたい」という張り切りよう。
 そこで、ボクは早くも心臓がドキドキし出すのです。もしもボクの家にブッチホンがかかってきたら、どうしよう! ブッチホンは「もしもし、ケーゾーです。オブチです」、または「総理のオブチです」と切り出すとのことで、相手が本物と信じないこともあるとか。ボクだって、こんな電話がかかってきたら、「ウッソー? これってイタズラ電話?」と聞いてしまうかも知れません。
 「いや、いきなり驚かせたかも知れませんが、私、総理のオブチです」。「エエッ?? ホ、ホントにオ、オ、オブチさん? じゃあこれって、あのあの、かのブッチホンでごじゃりまするのでしゅね」と、もうシドロモドロのボク。「そうです。21世紀に向けて、政治に期待することを聞かせくれませんか」とオブチさん。
 「ハハハイでございますね。ええ、Y2Kも大事に至らずようございました。あのですね、やりすぎじゃないオブチさん、とか言われますが、まだまだ庶民にとってはですね、いろいろとですね、オキナワ・サミットも大事ですが、国の借金とかですね、それからえーと」。そこで秘書官が通話に割り込んできて、「はいどうも、あなたへの割り当て時間は終了しました」。で通話はブッチ切れ、ボクはボーゼン。
 てなことにならないよう、ブッチホンがかかってきた時に備えて、オブチさんに言うことをメモ書きしておきましょうね。(1月10日)

 <いま流行の「人類史上最大の発明」、私家版のベスト5はこれだ>
 第2ミレニアムの最後の年という節目を意識してのことでしょう、「人類史上最大の発明」は何か、をめぐる議論が書籍でもインターネットでも大流行。先日はNHK衛星放送が2日から4日まで3夜に渡って、そうそうたる顔ぶれの評議員が熱弁をふるって、100のノミネートからベスト10へと絞り込んでいく特集番組を放映しました。評議員の選んだ史上最大の発明ベスト10はつぎの通りでした。
 @文字 Aインド・アラビア数字 B言語 C顕微鏡 D日時計 ついで6位に農業、7位が酒、民主主義、小説の3つ、10位に電話、コンピューターの2つ。顕微鏡と日時計については、評議員の思い入れによる応援演説が効き過ぎたようで、普遍性という点でやや難があるような気もしますが。
 これに対し、ファクスやインターネットで視聴者から番組に寄せられた史上最大の発明ベスト5は、次のようでした。
 @言語 A文字 B電気 C火 D農業
 さて、みなさんもそれぞれの「人類史上最大の発明」を選んでみましょう。
 僕はつぎの5つを選びました。
 @電気 A文字 Bコンピューター C農業 D医薬品 
 注釈を付けさせてもらうと、文字には数字も含みます。またコンピューターにはインターネットを含み、医薬品にはワクチンを含むものとします。言語は発明というよりも、必要に迫られて自然発生したような側面があるし、むしろ文字だろうと思います。電気はあらゆる発明の基本で、熱や光、動力、情報とどんな姿にでもなるし、電気を上回るものはいまだ発明されていないことから、トップにしました。医薬品は生命と健康を支える根幹として入れました。(1月7日)

 <Y2K備蓄の後始末開始、15リットルの灯油の処分にお手上げ>
 仕事始めの今日も、大きなY2Kトラブルはなく、2000年がゆっくりと始動開始です。いろいろな教訓を残したY2K騒動でした。
 面白いと思ったのは、関東と関西の感覚の違いです。鉄道の対応は、関東が午前零時の直前に一旦停止して安全確認だったのに対し、関西は一旦停止せずに走行を続けました。同じJRグループでも、東と西は対応が分かれました。さらに今日の証券取引スタートにあたっては、東証はY2K対応のため恒例の大発会を中止したのに対して、大証は例年通り晴れ着姿の女性たちも混じって大発会を行いました。
 関東の方は、コンピューターにどっぷり浸かり過ぎていて、状況がかえって見えなくなり、過敏なほどの警戒態勢を固めたのに対し、関西はコンピューターを冷めた目で見ていて、「なんかあっても、たいしたことないやろ」という余裕があったように思います。5年前に阪神大震災の地獄から立ち上がったのだ、という凄みのようなものを感じます。都市文明、技術文明がもろくも崩れ去った光景を目の当たりにして、何をいまさらコンピューターぐらいでゴチャゴチャ騒ぐんや、という気分なのかも知れません。
 それにしても、今回ほど「自己責任」ということを実感させられたことはありません。どの程度の備えをするのか、しないのか、すべては自分の責任において行うしかなく、その結果については誰のせいにすることも許されません。僕も最悪の事態に備えて、5日分ほどの飲料や食料を買い込みましたので、これから後始末が大変です。モ
 チやチキンラーメン、缶詰、ミネラルウォーターなどは、賞味期限までに消費できそうですが、問題は15リットル買った灯油です。ポリ容器に入れて室内に置いてありますが、これをどうするか。燃えるゴミでもなく、燃えないゴミでもなく、排水口から捨てるわけにもいかず、トイレに流すわけにもいかず、このまま夏を迎えるのは危険きわまりないし…。
 灯油の容器を眺めながら、「自己責任」とはいかに難しいものか、つくづく思い知らされています。(1月4日)

 <20世紀最後の年が明け、いよいよ21世紀へのカウントダウン>
 西暦2000年あけましておめでとうございます。
 Y2Kトラブルに備えて食料や飲料水、カセットガスボンベやランタン、はては石油ストーブに灯油まで買い揃えたあの騒ぎは何だったのか、とふっとキツネに包まれた思いになります。去年1年間、僕たちは白昼夢を見続けていたのでしょうか。いえいえ、大きなトラブルが起きなかったのは、Y2Kについての認識が高まり、莫大な費用と手間をかけて官民上げて対策を進めてきたためなのだと解釈します。
 それにしても日本だけで官民100万人の職員が正月返上で警戒にあたったことは、世紀末の世相を端的に示す特記事項として、長く語り継がれることでしょう。そして元日の新聞には、どのページにもミレニアムの語が踊り、しかもその一つ一つにカッコにいれて千年紀という注釈が必ず入っているのは、いかにこの語がにわか仕込みで未消化の言葉であるかを物語っています。
 西欧のキリスト生誕2000年祝賀に合わせた先取りのミレニアム騒ぎに、日本も乗り遅れまいと、大慌てで日本語化した言葉ですが、正月のほとぼりが冷めるころには急速にしぼんでいくかも知れません。テレビも新聞も、ミレニアムブームに逆らうのが怖いと見えて、2000年が20世紀最後の年であることには、意識的に触れないようにしているようです。
 そんな中で、僕が感心したのは、天皇が宮内庁を通じて発表した新年の感想の中で、新しい年を「20世紀最後の年」と言い切っている点です。なんとかして今年を新時代のスタートにしてしまいたいマスコミや商売人たちは、天皇の姿勢を見習うべきでしょう。
 というわけで、Y2K警戒との同時進行でおっかなびっくりだった2000年カウントダウンも終わり、いよいよこんどこそ正真正銘の新時代、21世紀へのカウントダウン開始です。去りゆく20世紀に別れを告げる1年間、未来への扉21世紀が刻一刻と近づいてくる緊張と興奮、希望と不安。その時まで、あと366日です。(1月1日)



ページの冒頭に戻る

メニュー