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フォーラム画像  今から17年以上さかのぼる1992年1月12日、東京・六本木の「アーク都市塾」で、「2001年宇宙の旅」フォーラムが開催されました。
 スタンリー・キューブリック監督のこの映画の中で「コンピューターHAL9000が誕生した日」と設定されているこの日に、映画「2001年宇宙の旅」をさまざまな角度から徹底的に検討・解析しようという、歴史的なシンポジウムでした。
 フォーラムのサブタイトルは「1992年1月12日、HALの誕生を祝ったシンポジウム」で、約4時間にもおよぶ長大なシンポジウムは、熱気にあふれた密度の濃い内容でした。
 私(清水)は、このフォーラムの一部始終をノートにメモ書きしていて、数日後、ASAHIネットの会議室に5回に分けて、討議内容の要旨としてアップロードしました。
 あれから年月を経て、2001年が現実の世界として過ぎ去っていった今、このノートを読み返してみると、フォーラムでのパネリストたちの指摘は、現在のメディア状況を実に鋭く先取りし、未来のさまざまな問題点を予告していたことに、改めて驚きと敬服の感に打たれます。
 このページでは、多くの方々に、当時の貴重な討議内容を読んでいただくために、92年1月にアップロードした内容をノートのメモ書きを基に改めてチェックし、全記録として一気に掲載いたしました。
 フォーラムの後、会場で主催者に確認したところでは、テープ録音など公式な記録は一切取っていなかったということで、私のメモ書きノートが討議の全容を伝える唯一の記録となったようです。
 発言の要旨はなるべくそのままに再現しましたが、文章の責任は一切、私(清水)にあります。

 写真は横浜・志沢晴彦氏が撮影したものを提供していただきました。


 日時 1992年1月12日(日) 14:00〜18:30
 会場 東京・六本木 「アーク都市塾」
 主催=朝日新聞社、協賛=アップルコンピュータジャパン株式会社、キャノン販売株式会社、株式会社シナジー幾何学、大日本印刷株式会社、凸版印刷株式会社、東芝EMI株式会社、日本電算機株式会社
 協力 アーク都市塾

 以下は、このフォーラムでのパネリストの発言要旨の抜粋です。(敬称略、肩書は当時)

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【第一部 映像は未来を予想しえたか】



司会  放送教育開発センター助教授・浜野保樹氏
パネリスト  東京放送報道局次長・秋山豊寛氏
 映像作家・龍村仁氏
 明治大学教授・西垣通氏
 ASAHIパソコン副編集長・服部桂氏


フォーラム画像 <浜野>  われわれがこれまで、最も消費してきた未来イメージが、キューブリックが作った「2001年」の映像だった。1968年段階での、最先鋭の英知を結集してつくられたこの映画の、第一のハードルである1月12日が、まさにここに来た。「2001年」が予測した未来イメージを一つひとつ検証していきたい。
 まず、実際に宇宙飛行を体験した秋山さんから。

<秋山>  実際の宇宙ステーション「ミール」では、乗り込んだ人間はみな、地上での生活を持ち込んでいる。食べること、寝ること、排泄。われわれは、宇宙へ行っても結局、シャバの生活を引きずっている。しかし、映画で描かれた宇宙船内は、理想的すぎて、人間が10カ月以上も住むには、現実的でないという気がする。

<浜野>  キューブリックは最初、美術監督を手塚治虫に依頼してきた。ところが手塚は当時さまざまな問題を抱えていて、引き受けることが出来なかった。その結果、クリーンでピカピカな未来が描かれたが、鉄腕アトムの世界からもうかがえるように、手塚が美術をやっていたら、かなり違ったイメージのものになっていただろう。
 実際に宇宙に行った人の中には、ボーマンのように宇宙で神秘主義的な体験をしたり、帰還後に宗教家になったりする人が少なくない。「2001年」を神秘主義という観点からどう見ればいいだろうか。

<龍村>  「2001年」でも描きにくかったのだろうと思う問題に、人間の身体感覚から生まれる、ものの考え方のようなことがある。1Gの生活と違うどんな感覚が生まれるか、ということだ。
 アポロの宇宙飛行士たちと話をして共通しているのは、宇宙船の中で何もする必要がなくなったある時間帯に、自分がなぜここにいるんだろうか、という人類の永遠の命題のようなことをふっと感じるという。個人の時間軸を超えて、過去から未来に通じる生命という長いスケールの時間軸の中の一点に、自分という存在がいるのだ、というような。

<秋山>  僕の場合も、任務を終わって地球に戻るため、持って来たものをパッケージした後、翌朝の生中継まで余裕がある。ぼんやり外をながめていて、オレはなぜこんな光景を見られるのだろう、オレをここまで持って来た力はなんなんだろう、なぜオレはここにいる、というような気持ちになった。個としての抽象度が高まる時に、神秘的になる。

<龍村>  あの映画を見直して思ったのは、実際に月におりた人たちとの共通感覚だ。月では、自分以外のものは、何物も動いていない。風もなく、石は35億年の間、そこにある。物が動かないということから、動くものを見直す、というメッセージがあるように思う。

<浜野>  「2001年」でわれわれは、二つの知的人工物と遭遇する。モノリスとHAL9000だ。クラークの小説では1997年となっているが、映画のHAL9000は今日が誕生日だ。ではなぜ、実際にはHALは今日生まれなかったのか。

<西垣>  HALというコンピューターを分析してみると、二つの重要なポイントがある。一つは、HALが「自分は間違うことはない、ミスを犯すことはない」と言っている点。もう一つは、ボーマンからチップを抜かれていく時、「アイムアフレイド」と言っているように感情を持っている点だ。
 しかし、この二つは、はたして両立し得るだろうか。「アンテナが壊れている」という間違ったことを言い、プール副船長を宇宙にほうり出して、ボーマンを中に入れない。これについては、HALが自分の身を守るためにウソをついた、自分のミッションを阻害するものに対して、自らを防衛したのだ、と見ることも出来よう。しかし、なぜ眠っている三人までも殺してしまったのかが、分からなくなる。HALは、その後で「もう二度としないから」と悲鳴を上げる。
 結局、言葉というものの奥深さの問題だ。その言葉が正しいか、間違っているかは、「言葉はある命題を正しく記述する」というようなワクに収まる問題ではない。現実の人工知能も、言葉の持つ意味の扱いに失敗している。例えば、「あついですね」という言葉は、状況によって千変万化する。
 なぜ人間は、そういう状況に対応出来るのか。人によっては、これは体験を共有しているからなのであって、コンピューターにも学習・体験を積ませればいいじゃないか、という。ところが、赤ちゃんが言葉を覚えていく過程のディティールは全く解明されていない。遺伝子レベル、DNAレベルで、我々が言葉の意味を理解する能力がある、つまり言葉の扱いは35億年の進化の蓄積の中にある。そうなると、コンピューターに35億年のプロセス全部をシミュレートしないとダメだ、という議論になってくる。コンピューターは身体を持たないが、身体は35億年の進化の集積だ。この身体という面を捨消して、人間はこういう機能を持つから、それをコンピューターに入れこんでやればいい、という論は挫折する。
 1968年の時点では、ICはあったが、LSIは出来たばかり。コンピューターのメモリーも300キロバイトがせいいっばいだった。人工知能の議論もあまり発達してなく、コンピューターのパワーも低かった。だから、当時は夢が広がった。
 HALのようなコンピューターが誕生するのは、将来も難しいという気がする。
 「2001年」の映画は、フリッツ・ラングの「メトロポリス」を思わせる。機械によって人間が破滅させられる、というのは、これまで何度も描かれてきた黙示録的テーマだ。人間は、HALそのものは作れないかもしれないが、コンパクトな形での面白いHALが将来出来る可能性はある。

<浜野>  ディスカバリー号の形というのは、実はスペルマの形だ。宇宙空間に出る時に乗るカプセル様のものは、睾丸の形で、ボーマンが手動でディスカバリー号に突入するシーンは、射精を意味している。これは生命誕生のプロセスということで、キューブリックが意図的にやったことだ。モノリスの形は、1の二乗対、2の二乗対、3の二乗になっている。
 個人的な意見だが、「2001年」という映画があったから、HALは誕生することが出来なかった、と言える。未来を制御する、あのようなものは作らないでおこう、と優秀な人材が人工知能に向かうことを制御した結果になった。

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<西垣>  70年代後半から80年代にかけて、人工知能についての考え方が大きく変わった。人間と同じようなもの、感情を持ったものを作ろうとする人たちは少なくなり、流れは実用的なもの、役にたつものを、という方向に、お金から何からすべてが動いていった。

<服部>  大きいことはいいことだ、というCMに見られるように、かつては、経営管理を大型コンピューターでやってしまおう、と大きなシステムへの期待感があった。それに対するターニングポイントは、1970年にシリコンバレーでパーソナルコンピューターが作られたことだろう。
 大きな管理された未来装置への反乱であり、巨大装置に未来を任せていいのだろうか、という疑問が根底にあった。これにはベトナム戦争の影響が大きかった。

<浜野>  キューブリックは、「博士の異常な愛情」でマンハッタン計画そのものを批判している。ところで、今日のようなシンポジウムをアメリカで開くことが出来なかったのは残念だ、という声を、この開催を知ったアメリカ人から聞いた。

<服部>  人間の未来は、テクノロジーが抽象出来るだろうか、予定調和的にやってくれるといわれる大型コンピューターが反乱を起こすことはないだろうか、という疑問がキューブリックにはある。未来は、自分たちがボトムアップするもの、かかわって予測することによって、発見し創造するものである、というわけだ。
 2001年になったら、コンピューターは非常に小さなものから、壁いっぱいの大きなものまで、多様になっているのではないか。

<西垣>  HALでイメージされた巨大なメーンフレームから、現在はマイコンやパソコン、それらをつなぐワークステーション・ランという形になってきている。巨大な神のようなものでなく、ローカルな形での違った発展と言える。あと30年後にはさらに、ものすごいことになっているという気がする。
 以前、ミンスキーと話した時に、ピアニストの話になった。ピアニストは身体と頭が構造的に調整されている。その頭だけを拡張したのがHALだが、頭だけを取り出して拡張すればなんとかなる、というものではない。これからのハイパーメディアも、感覚というものをもっと取り込んでいくことが大切だ。

<龍村>  こういうものをなぜ作るのか、というところから問い直さざるを得ない。キーは、自分自身の中の原意識、自分とは何かという身体感覚的なものへのアプローチで、これをベースにし回路にして、テクノロジーの進歩も考えたい。どこの現場でも最近は、なぜこのようなことをしているんだろう、というところで、身体的な部分が強く言われている。
 こうして、テクノロジーを媒体に、自分はどこから来てどこへ行くのか、を考える。思うことが実現していく、つまりどう思うかによって決まっていく。ドキュメンタリーとフィクションに差がなくなってきた。SFも日常的なものも、同じように未来を語る映像になってくる。

<秋山>  この映画は猿から始まっている。人間にとってテクノロジーとは何か、2001年のテクノロジーとは何か、人間はそのテクノロジーと拮抗得るのか、テクノロジーの限界をどう理解していくか、人間と自然との調和という環境の問題、人間とそれ以外の生物との共存・共生。こういったことがテーマだ。
 1968年はテト攻勢のさ中で、巨大軍需産業への投資が続いていた。2001年になった時、人間の志、あるいは夢はどこにあり、どうなっているのだろう。

<浜野>  この第一部の討論を聞いて、キューブリックは、本当に後々まで語り継がれることをやったのだと実感する。テクノロジーの問題を世界的に、トータルに提示したものはあまりにも少ない。その意味でもキューブリックの志の高さを尊敬する。生まれたかったHALと、ここに集まったみなさんに乾杯。

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【第二部 『2001年』を生み出したもの、『2001年』が生み出すもの】

司会  編集工学研究所所長・松岡正剛氏
パネリスト  日本大学講師・武邑光裕氏
 岩波書店「思想」編集長・合庭惇氏
 慶応大学助教授・巽孝之氏
 武蔵野美術大学教授・吉田直哉氏


フォーラム画像<松岡>  第二部ではまず、この映画が作られた1968年という時代を取り上げていきたい。この年は、いろいろな意味で、シンボリックな年だった。アラン・ケイがパソコンを構想した年であり、マクナマラが国防長官になった年であり、アメリカが北爆をあきらめた年だった。パリでは、カルチェラタンに火がついて5月革命が起こり、日本では東大の安田講堂封鎖が始まった年だった。カウンター・カルチャー、カウンター・パワーが一気に噴き出した年だった。
 それに呼応するかのように、翌年、アポロ11号が月面に着陸した。半導体、シリコンチップについての議論が出始め、LSIが発表された年でもあり、コンピューターの歴史によってのターニングポイントの年だった。前年の67年には、テッド・ネルソンがハイパーテキストという構想を発表している。カウンター・カルチャーも、退廃的なものからスピリチュアルなものまで、いろいろだった。

<合庭>  1968年は、20世紀後半の思想、文化、芸術を語る上で、大きな転換となった、極めて重要な年だった。スチューデント・パワーが噴出し始め、学園闘争が始まった年だった。自由と平等、産業化という近代に対しての、20世紀のカウンター・パラダイムが出て来たと言っていい。アメリカ、フランス、イタリア、西ドイツ、ユーゴ、日本と、各地でスチューデント・パワーが爆発した。今、世界は同時につながっていると言われるが、この年は、こうした運動がネットワークとして自然発生した面白い年だった。
 「2001年」の映画は、こうしたカウンター・カルチャーの中でとらえると、神とか人類の進化、人類の意識の拡大、ボーマン船長の体験は、メディア感覚の変容が迫られていることの先取りではないのか。古代のセム的な神、東洋の神、チベット密教、イスラムの神、これらの超越的な体験をドラッグでやろうとした年だった。近代に対するカルチャー・パラダイムが出始めた1968年という年が、「2001年」の映画を支えている。
 クラークの小説では、テクノロジーの問題を詳しく扱っているが、私が1969年にアメリカに行った時は、どの書店も神秘主義の本だらけだった。私もSFは大好きだが、スペキュラティブ・フィクションという読み方をしたい。1968年の新宿の体験などが、根強くある。「2001年」の映画が公開された年には、「俺たちに明日はない」とか「卒業」などが上映されていた。

<松岡>  68年といえば、「ブルーライトヨコハマ」が流行し、森進一の「花と蝶」が流れていた。

<吉田>  日本ではちょうど明治100年にあたる記念すべき年だった。私は前年の1967年にニューヨークのハーレムに三カ月入っていて、ヒッピーの群れやドラッグ文化、神秘主義といったものを目のあたりにした。私もLSDをやって見たが、回転する宇宙船内にいるようなトリップ感覚だった。アメリカ全体が変貌し、新しい表現形式が生まれつつあった。
 「2001年」はこうした中で作られた映像で、100人100様の解釈が出来る。この映画はメディア論であり、コミュニケーション論である。主要テーマとして描かれたのは、HALとのコミュニケーションであり、またそれ自体が地球外知性であるとともにメディアであるモノリスだった。
 HALはなぜ生まれてないかと言われるが、私は、とっくに生まれていると思う。それは一人の集中した形でなく、HALの機能が分散した形で生まれている。コンピューターくらい撮影の対象としては絵にならないものはないが、キューブリックは赤い目のセンサーによって、一つの人格のようなものとして描いた。
 しかし、キューブリックが言いたかったのは、コンピューターが感情を持つよりも、こちらが感情移入しやすいコンピューターが出てくるだろう、という偉大な問題提起だったと思う。

<松岡>  キューブリック自身、この映画はコミュニケーションの失敗がテーマだということを言っている。

<武邑>  時代を10年スパンで切っていくのは、かなりアバウトではあるが、60年代がようやく、いまの時点で少し見えてきたかな、という気がする。「2001年」の映画を初めて見たのは、テアトル東京だったが、ここではシネラマという言い方をしていた。この「ラマ」という部分には視覚的な情報を拡張していこうという意味が込められている。
 1930年代には、人間が月に行くのは300年後といわれていたが、実際には30年後に実現した。未来を見通していく時間軸の激しいギャップはどこから起こるのか。それは、われわれが映像によってドリームデザインのリプリゼンテーションを受けたことで、意識が変質するためだ。映像によって、われわれの欲望の意識が物質化していくのだ。全自動自動車はまだ作られていないのに、人間が月に行くことが出来たのはなぜなのか。これは、われわれの欲望の本質的な問題にかかわってくる。
 未来は私たちに閉ざされているが、そこをエクスプロージョンする必要がある。80年代半ばまでに、パソコンの出現によってパーソナルフリーダムが実現したことは、70年代後半からの10年くらいの間に、「2001年」が内包しつつも映像では見えなかった深い周辺が見えて来たといえよう。

<松岡>  月の見えない裏側は、20世紀の神秘主義にとっての象徴的なテーマだった。キューブリックが月の裏側にモノリスを置いて発信させたのは、われわれ一人ひとりの意識に潜んでいる月の裏側に関係している。身体的リスクを背負った「ルナの裏」がすなわちドラッグなのだ。この神秘主義に対する動きが、セクシャル・レボルーションであり、人間の冷凍保存の研究であり、生命拡張論だった。
 しかし、これらはエイズの出現によって、全部収縮していった。アメリカでは、収縮の方向性がさらに具体化して、基本的なピューリタンな家族のプロットをあらためて確認しつつある。しかし、この方向は90年代でもう一度、エクスプロージョンしていくだろう。魔術的なものは、シャロンケイト殺害事件やウッドストック事件、ビートルズの解散などをはさんで、見えなくなったかに思われた。しかしそれは表面的にであって、実は存在している。だから80年代になってサイバーパンクが一気に噴き出した。

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<巽>   「2001年」をSF史の中で見てみたい。映画はキューブリックによって作られたが、クラークの小説では、「幼年期の終わり」「2001年」「2010年」「2061年」の4部作の中に位置付けられる。 モノリスは超知性体と言われているが、むしろコンピューターシステムとしてとらえることが出来る。モノリスは一種のサイバースペース、電脳空間なのだ。サイバースペースは、HALのイメージよりモノリスのイメージに近い。
 モノリスは、「2001年」では信号機だが、「2010年」では木星をとりまくウィルスになり、「2061年」では種としてのランクとしては人類よりも下のものとして描かれている。モノリスの定義は、時代時代のイデオロギーによって性格付けを変えられている。
 60年代にしぼった時点で言うと、「2001年」を考えるにあたっては、クラーク、キューブリックに加えてJ・G・バラードがほしい。メタフィクション宣言がいわれた60年代の同じ時期に、バラードは「SFは内宇宙をめざすべきだ」と提起した。それまでのSFは、外宇宙を中心に描いてきた。1920年代は科学技術そのものを描き、30年代から40年代は社会科学の影響を受け、50年代に黄金時代を迎える。60年代は、内宇宙、インナースペースを描くようになって、スペキュラティブ・フィクション、思弁小説、思索小説となる。
 70年代になるとフェミニズムと結びつき、80年代にサイバーパンクが出て来る。 「2001年」はクラークにとって、作家としてのライフワークの作品になった。当時、イギリスで起こったニューフェーブ・ムーブメントは、新しいSFの始まりだった。「2001年」は、前半は博覧会的未来予測だが、後半はネガティブなものとして受け取る人が多い。モティーフとして面白いのは、乗組員たちがHALに生命を断たれてしまう点だ。これはバラードの難破のモティーフだ。
 クラークが伝統SFのリミットだとすれば、バラードはSFのフロンティアで、その交差するところに「2001年」がある。いまは、メタフィクションにしても、ニューウェーブSFにしても、現在を描くことで未来を描いている。現在はすでに未来を追い越しているのだ。

<松岡>  サイバーパンクは、内宇宙服を着て内宇宙への旅に出ようといもので、ハードSFのいいところとニューウェーブSFのいいところを両方持っている。電脳空間は、HALに期待されるものよりも、モノリスに期待されるものに近い。
 今、モノリスがなぜないのかということこそ、悲しむべきことだ。モノリスは、受信であって送信であり、メディアの消費構造そのものだ。われわれの欲望のすべてが抽象化されたらモノリスになる。

<武邑>  モノリスは当時の時代でも、メーンフレームの狂気を帯びたハイアラーキーが決まっている石、という概念でなく、自己増殖を遂げて不定型でとらえどころのない、抽象が高度化しつつあるものとして考えられている。モノリス自体が、メディア環境、コンピューター環境を考える上で重要な問題をはらんでいる。メーンフレームに対して、モノリスくらい強力でものすごいサブフレームはない。

<松岡>  モノリスは、ロゼッタストーンでもあるし、十戒の石でもある。一枚の板が、すべてを知っていて、すべてを消費しつくす。

<合庭>  クラークは、道具を使う過程をかなり詳しく描いている。十戒のメタファーは、汝するなかれ、という禁止状態で書かれている。ベトナムのチャン・ディク・タオによれば、人間が言葉を覚えたのは、動物を狩る時に声を掛け合ったのがきっかけだった。モノリスは神的なメタファーとして考えられるかな、と思っていたが、サイバースペースであり、コンピューターである、というのが巽さんの説だ。
 ボーマンはスターチャイルドとして回帰していくが、子供はある種の神に近いものとして観念されている。私は、「2001年」で、神的なものを実体化したものがモノリスだと考える。それはキリスト教的な一枚岩の神ではなく、古代の神の概念に近い。

<吉田>  クラークは、モノリスをティーチングマシンとして描いたが、キューブリックはもっと形而上学的なとらえかたをしている。HALとモノリスの間には何か重要な関係があるのではないか。 HALの反乱の原因をどう見るか。HALがガン細胞化し、反社会集団的行動を取るようになった、その原因はガンとしてのモノリスにある。HALが「この旅行は何かおかしいと思いませんか」とボーマンに問い掛けたのをきっかけに、とたんにウソをつき始める。HALは、モノリスに近付きたくなかったのだ。
 ラスト近く、ホテルルームで、ボーマンは食事中にガラスを割るなどしながら、どんどん老いていく。そして最後にモノリスが立っていて、ボーマンはスターチャイルドになる。モノリスが現れるたびに、時間軸が変になる。モノリスは神がガンになったもの、老いたる宇宙、病める宇宙なのだ。

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<松岡>  今は、ハードウェアとソフトウェアの区別がつかなくなっている時代だが、その端緒が「2001年」だった。モノリスも神になったりガンになったりする。エイズも、ハードなのかソフトなのか、議論されている。ハードとソフトの融合点をキューブリックは示したのではないか。生物が進化して、人猿からモノリスへ、あるいはHALへ。そしてボーマンの一挙的な老化。ここでは時間軸が何度か戻る。輪廻といってもいい。
 60年代は、サイケデリックな意識そのものまで行くが、中間的な身体までは、とらえられなかった。これから、メディアやコミュニケーションを扱うにあたっては、身体をどう扱うかが重要だ。

フォーラム画像<武邑>  エジソン以来、線上のコミュニケーションの考えが続いていて、身体的な移動、トランスポーテーションは、リアルタイム、リアルスペースの呪縛から逃れられなかった。これを一挙に変換する手段は何か。アイソレーションタンクに一番近い生命体はイルカだ。イルカは、線と点を結んだスペースの概念を変換している。人間というメディアがどこまで解体し、どうバイオニックに既存のメディアとインテグレーションするか。われわれが空間に向かって何を発信しているのか、ということでもある。
 「2001年」でのスケール変換は、まず特撮の上で起こった。身体という大きなスケール変換を時空間の中で行うにはどうすればいいのか。今までの概念で計量化出来なかったもの、原情報、原コミュニケーション機能、原メディア機能が、われわれの中に新しくコンストラクションされていく可能性が大きい。それはマン・マシン・システムの問題になってくる。
 僕らには、まだ有機体としての人間のスペックが全く分かっていない。そのところは60年代では聖域だった。この部分に入りこもうと、ODAという名の人体実験が行われ、一方では身体的リスクを伴うドラッグを体験して多くの人が死んでいった。

<松岡>  人間をこのままにして、いくらマン・マシン・システムと言ってもダメだ。計量部分でもインテグレーションが起きないとダメなのではないか。

<吉田>  HALの命日はいつなのだろう。ボーマンが不思議な体験をするところで、目玉が何度も大きく映され、その都度、色が変わっている。キューブリックは、HALが死んでボーマンがたった一人になった時に、それまで外を見ていた目玉が内的宇宙へ向かった、ということを示している。

<松岡>  サイバーパンクとは、メディアの身体化なのだ。

<巽>   モノリスは、われわれの皮膚の下にもぐりこんでいるのだ。ラスト近くの一種の超越的な体験のシーンは、クラーク的分析を宙ぶらりんにする方向に、キューブリックはもっていった。そこでは、モノリスのメカニズムがボーマンのデータを全部吸い取っているように思う。これは「ソラリスの陽の下に」に似ている。モノリスの、1対4対9という形は、肉眼では見えないがその中に銀河を内包していることを示している。ボーマンのドラッグ的体験は、モノリスのハイテクによって可能だった。
 「2010年」のスターチャイルドは、ボーマンの一種のゴーストとして送られてくる。モノリスは、そのへんの物質を集めてボーマンを作るのだが、これはモノリスが危うい再構作業をやっているということだ。 モノリス的なものは、現在すでに浸透しつつある。湾岸戦争では、われわれが知らない間に、バイラス的なものに取り囲まれていた。モノリスを過激にメタファーするつもりはないが、「2001年」はインターサブジェクト的効果を持つと思う。

<松岡>  第一部での、HALが使えるとすれば、どういう機械として使えるのか、という議論で、メディア化された機械としてだろう、という話があったが、どうもHALとモノリスの関係が変化して来ているようだ。

<巽>   モノリス自体、80年代に入って、意味が変化している。われわれはすでに、モノリスに取り囲まれているのだ。

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<松岡>  漢字の処理が、ホットタイプからコールドタイプに変わっているように、人間と知識の関係は大きく変わっている。こうした中で、全知全能の神が想定出来なくなって、結局、神に代行するものがモノリスではないのか、という議論になっている。

<合庭>  グーテンベルクの印刷術によって、人間に時間感覚や歴史感覚が生じて考え方が大きく変わった。このアナログのメディアがいま、コンピューターをサポートして受け継いでいくことが出来るのだ、という、われわれの感覚の変容がある。
 システムの拡張という70年代のイデオロギーは閉じてしまい、電子ネットワークに代わった。この電子的なネットワークを介して、メディア環境はさらに進歩していき、視覚を始め五感、六感までも養ってコミュニケーションする時代となって、文字が優位に立った文化、オーラルカルチャーに返りつつある。メタウェアという新しい提案もあり、こうした中から、人類の新しいメディア感覚が出てくればいい、と思っている。

<松岡>  メディアが身体と接触してきた、となると、われわれは、何を変えざるを得ないだろうか。コミュニケーションが広がって、相手が遥かであればあるほど、ノイズ、雑音を増やさないと届かなくなり、地球の上には雑音の海が増えていく。メディアが身体に近づいて来たなら、ガン細胞的なものも、ウィルスもすべて取り込んでいく、いわば死なばもろとも、ということだろうか。

<武邑>  そうなってくると、原情報のプライオリティーをどうするか、が重要だ。

<松岡>  遅延技術といおうか、何かを遅らせたりずらしたりする技術も必要になってくる。

<吉田>  マン・マシン・インタフェースについては、明るい、いい関係が出来ると思う。ロンドンのジャパンフェスティバルで、一番人気があったのが、日本の似顔絵ロボットだった。日本人がHALを作ったら、ああいう形のコンピューターに終わらなかった、ということで、それほどペシミスティックじゃないような気がした。

<松岡>  「2001年」の映画を作るにあたっては、スペースシャトルはパンアメリカン、宇宙ペンはパーカーといったふうに、実にいろいろな企業が提供している。日本でこれから映像の実験をやろうという時に日本の企業はやってくれるだろうか。

<巽>   フロイド博士は、「2001年」の映像は、何度見ても啓発される、と言っている。ターミネーター2などを見ると、映像技術の進展という点ではかなわない。しかし、既製のヒューマニスティックな枠組を越える大きなものがある。テクノロジーがいかに時代のイデオロギーと連動しているか、ということを感じる。

<合庭>  こういうシンポジウムでは、女性のパネリストがいて当然なのだが、今回はたまたま、男性ばかりとなった。そこで、あえて言わせてもらうなら、私は、HALは実は女性だったのではないか、という気がする。人工冬眠状態で眠っている乗組員や、スターチャイルドは、母体回帰願望を表している。

<武邑>  「2001年」は、アウターとインナー、外と内がどこまで変化を遂げるのか、情報そのものが収斂されていくウィルスとてのメディアのあり方など、多くのテーマを映像で苛酷にも提示した。
 1999年が近付くと、世紀末を自己演出するイメージや映像が噴出するだろう。このメディアコントロールには、ある種の危険を感じる。
 「2001年」という映画が投げかけた、さまざまな問題提起が、世紀末のドラスティックな自己演出の中に埋没していく危険性がある。今日のような会は、これから一年ごとにやっていったらいい、と思う。

<松岡>  この映画は、ディスコミュニケーション、コミュニケーションの失敗をテーマにした、キューブリックによる魔術的ドキュメントだった。
 今後、われわれは何の魔術をどこから持ち出してくればいいのか。古典的な魔術の世界とは別に、私たちの身体の中には、まだ人間の能力ではとらえられていない生物学的魔術がある。まだ見えてない私たちの中の魔術性を、ドキュメントとしてどう取り出したらいいのだろうか、という問題提起をして、今日のシンポジウムの終わりとしたい。


関連リンク
 ハラパン・メディアテック 追悼・キューブリック監督コーナー 内容がとても充実しています。
 Cinemagazine ありがとう!キューブリック監督 キューブリック監督を送る言葉など。
 CATACOMB Stanley Kubrick Forever 記帳用BBSが設置されています。
 HAL'S EYES 「2001年宇宙の旅」の謎など。
 CLUB77 MOVIE REVIEWS 映画レビュー、掲示板など。

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 リヒャルト・シュトラウス作曲 「ツァラトゥストラはかく語りき」より

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