05年1月−6月のバックナンバー

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2005年6月

 <スイカとフンドシ、そして高校応援歌−続き>
 ここからは、「裏」サイトである今日のブログ記事からの続きである。
 ええっと、どこまで書いたんだっけな。そうだ。スイカとフンドシの話から、高校の応援歌の替え歌を思い出した、というところだった。
 僕の出身校である新潟高校の応援歌の中でも、最もさまざまな場面で歌われて、青春のシンボルとなっているのが、丈夫(ますらお)節、あるいは単に丈夫と呼ばれている歌だ。
 1番から3番までの歌詞を掲げておく。

 丈夫のたばさむ征矢の 雄風に草木もなびく
 雲みだれ山どよもして 中原に雄鹿争う


 紅(くれない)の旗行く所 月の夜に桂も折らん
 そそり立つ芙蓉の峰よ 雄雄し我野辺のすめらぎ


 青山 青山 青山 青山 青山 青山
 青山 青山 青山 青山 青山 青山

 さて、この神聖にして高尚な応援歌の2番には、同窓生の間で元歌と並んで親しまれてきた替え歌がある。
 せっかくの機会なので、謹んで紹介しておきたい。

 紅のフンドシしめて 月の夜にスイカを盗み
 見つけられフンドシ取られ 丸出し丸出し丸出し


 当時、僕たちの高校では圧倒的に男子ばかりで、女子は1クラスに数人しかいなかった。
 しかも、どのクラスにも女子がいるわけではなく、独身の男性教師が受け持つクラスには、教師と恋愛関係にならないようにという配慮から、女子は1人もいなかった。
 僕たちは、女子のいないクラスを「やもめクラス」と呼んでいたが、僕はこともあろうか、1年と3年でこのやもめクラスになり、その不遇を恨んだものである。
 やもめクラスの男どもにとって、こうした替え歌や猥歌のたぐいは、うっぷんのはけ口であり、だみ声を張り上げて歌いまくったものだ。

 そんな僕の出身高校も近年は女子の割合が増え続け、いまはなんと女子生徒がほぼ半数になって、学年によっては男子生徒よりも多いというから、隔世の感がある。
 そうなると丈夫節などというものは、女性を無視した時代遅れの歌詞として糾弾されているのではないか、などと心配してしまう。
 まして、替え歌の方となると、コンパの折りなどにクラスのみんなで歌うことがあるのだろうか、などと気になって仕方がない。
 案外、いまのわが母校の女子たちは、恥ずかしがる男子たちをよそに、元気いっぱいこの替え歌を歌って楽しんでいるのかも知れないが‥‥。(6月27日)

 <署名不要でカード決済が出来るネットの仕組みが甘い>
 アメリカで起きた4000万件という前代未聞のカード情報流出には、唖然とする。
 そもそも、カード情報の中継役の会社が、本来は禁じられているカード情報の蓄積を、「調査目的」と称して行っていたというあたりが、何かうさんくさい気がする。
 何を調査する目的だったというのだろうか。僕はどうも、この中継役の会社が、今回の流出事件に積極的に関わっていたのではないか、という気がしてならない。
 インターネット上で商品やサービスなどを購入する時に、クレジットカード払いが出来るというのは便利だが、安全面で大丈夫なのか、という不安はいつも感じてきた。
 店頭でカードを使う時には、カードに記載してあるものと同じ署名をして、そのカードが不正に使用されていることはないかをチェックされる。
 この時に、店の担当者がチェック機関のようなところに照合して本人であることを確認することもある。
 またカードによっては、写真入りのものも増えていて、写真と署名の両方から本人チェックが出来るものもある。
 クレジットカードの使用には署名が不可欠のはずなのに、ネットでカード決済をする時には署名なしで堂々と通るところがそもそも甘いといわざるを得ない。
 カードに記載されたローマ字綴りの名前、カード番号、有効期限。この3つの情報さえあれば、他人が成りすまして高額のカード決済をすることは至極簡単である。
 今回の流出事件で、日本でも6万7000人にカード情報が流出した可能性が高いという。
 ネット社会とクレジットカードのあり方を根本的に見直さないと、流出情報による被害はとめどなく広がっていくことだろう。
 カードにパスワードを設定するやり方は、パスワード自体が極めて流出しやすいものであることから、何の解決にもならない。
 瞳の彩文や手のひら静脈をコード化して、パソコンから入力出来るような方法も考えられるが、そのコード情報がまた流出したらお手上げである。
 ネット決済は、当分の間、中止して、決済はすべて銀行かコンビニで本人が振り込む、ということにするしかないだろう。振込みの確認までは、サービスが開始されないのは、仕方がないと思う。(6月22日)


 <留守電のテープは、空き巣に留守を知らせるサイン>
 電話をかけたところ、留守電になっていて、ピーという合図があったら用件を吹き込むように、というテープが回っていることがある。
 たいていの人がそうではないかと思うのだが、この留守電に吹き込むという行為が、僕は大の苦手だ。普通にしゃべればいいと思っても、相手がテープだと思うようにしゃべれない。
 誰も見てなんかいないのに、なんだかとても恥ずかしくて、緊張のあまりトチッテしまったり、何を言っているのか自分でも分からなくなってしまう。
 ようやく気を取り直して、用件を頭の中で整理して話そうとしたとたんに、留守電の制限秒数がタイムオーバーになって自動的に切れてしまったりする。
 この留守電というのは、「いま私の家には誰も在宅していなく、空っぽの状態です」と、見ず知らずの他人に知らせているのと同じで、空き巣にとってはまたとないねらい目である。
 防犯上はこの上なく無防備で危険な状態であることから、最近は留守にする場合でも留守電にしておかない家が増えているという。
 防犯協会などによるチラシなどでも、留守電にしないことを奨めているものが多い。
 僕も何年か前までは、出かける時には必ず留守電にしていたが、いまは絶対に留守電は使わない。
 では留守の時に重要な電話がかかってきた場合には、どうするか。
 1つの方法は、電話機を着信履歴を記録する設定にしておき、留守中にかけてきた人の電話番号を、帰宅後にチェックすることだ。
 覚えのある電話番号からならば、すぐにこちらからかける。
 だれからなのか分からない場合は、すぐにはかけずにしばらく放っておくと、重要な用件ならば再度かかってくることが多い。
 二度とかかってこない場合は、たいした用件ではなかったのだと判断できる。
 非通知でかけてきたものも時刻だけは記録に残っているが、非通知の電話はたとえ出てもすぐに切ってしまうようなロクな電話ではない。
 個人情報保護の時代になって、留守電はもう役目を終えたのではないか、という気がする。(6月17日)


 愛知万博のアンチテーゼとしての絶滅危惧植物展
 愛知万博の入場者が600万人を超えた、とマスコミが伝えている。
 もはや、主催者の関心は、入場者が目標の1500万人に届くかどうか、収支決算がどうなるか、といった現実的なことに絞られてきて、「愛・地球博」本来のテーマが貫かれるかどうかは、どうでもよくなっている、という感じである。
 そんな中で僕は今日、東京・新宿御苑で開催中の「絶滅危惧植物展」を見に行ってきた。その様子は苑内からのモブログによって、僕のブログに投稿している。
 この催しの説明を読むと、いま世界では1年間に4万種もの動植物が絶滅していて、世界中の27万種の植物の4分の1が2050年までに絶滅する恐れが出ている。
 日本では約6000種の植物が生育しているが、その4分の1にあたる1665種が絶滅の危機に直面しているという。
 さまざまな生物が絶滅し、あるいは絶滅寸前の状態にあることは、これまで研究者や学術機関によって幾多の現状報告と警告がなされているにもかかわらず、食い止める手立てはほとんど出来ていない。
 いま地球で起きている事態は、6度目の生物大量絶滅に突入したところと言われているが、これに危機感を抱く者は多くない。
 生物の絶滅は、政治家たちにとっては、何らの票にならない。また経営のトップにとっても、目先の大競争を生き抜くことが先決で、生物絶滅どころではない。
 僕は、この「絶滅危惧植物展」を見た後で、ある重要なことに気づいた。この植物展の後援団体には、日本自然保護協会と世界自然保護基金ジャパンが入っている。
 この2団体は、愛知万博の開催目前になって、この万博が自然環境を保護するというテーマから外れたものであるとして、参加を取りやめた自然保護3団体のうちの2つなのだ。(もう一つは日本野鳥の会)
 この「絶滅危惧植物展」は、本来は愛知万博の中で、きらびやかな企業パピリオンなどよりも真っ先に取り組むべき展示だったのではないか。
 自然保護3団体と決別した愛知万博は、当然のことながら地球環境を守ろうというスタンスが薄れ、単なる企業や各国の物産展に成り下がってしまった。
 「絶滅危惧植物展」は、地球と生き物を裏切って強行されている愛知万博へのアンチテーゼであり、愛知万博への静かな抗議をこめて開かれているといっていい。
 絶滅寸前にある数々の植物を見ながら、僕は自分個人の非力を感じてならない。それとともに、愛知万博の虚構性と欺瞞性についてもまた、いやでも考えさせられる。
 この「絶滅危惧植物展」は、この後、福岡、広島、沖縄、新潟、宮城の各県で順に開催されていく。(6月12日)


 <複数の情報家電をいかにうまく接続するか、配線がカギ>
 さまざまな情報家電が家庭内に入ってきて、便利になっているのは間違いないが、それらの家電同士をどのようにつなげば最も効率よく使いこなすことが出来るかが、重要な問題として浮かび上がってくる。
 つまりは配線であり、どのようなコードでどう接続するか、である。
 かつてテレビが単体で機能していた時には、このような問題は生じようもなかった。
 いまはテレビがあり、それに地上波とBSのアンテナがある。そこに2つのビデオデッキとDVDレコーダーが加わり、さらにWOWOWのデコーダーがある。
 これらを接続するためには、自分で配線図を書いてみなければならないほど難しい。2種類のアンテナ線は最初からテレビにつないだのでは、ビデオにもDVDにも録画できなくなってしまう。
 接続にあたっては、いろいろと欲が出てくる。まずビデオとDVDどちらでも、BSを含めて予約録画が出来るようにしたい。
 さらに、ビデオからもう一つのビデオへのダビング、ビデオからDVDへのダビング、逆にDVDからビデオへのダビング。このいずれも、コードをつなぎ変えることなしで出来るようにしたい。
 こうして自分で作成した配線図をもとに、去年1月についに夢の接続が完成した。
 情報機器同士のデータのやり取りは、これで完璧なはずだった。一つのBS放送を、ビデオとDVD双方に予約録画することにも成功した。
 この配線は、まさに僕だけのオリジナルによる夢の配線だったのである。
 たった一つだけ、テストをやらなかったルートがあった。録画してあるDVDディスクからVHSテープへのダビングである。
 配線上はこれも可能な形になっているが、DVDからVHSへのダビングは、よほどのことがない限り、必要性は生じないだろう、という気がしていた。
 ところが、このたび訳があって、DVDに焼いた内容をVHSテープにダビングすることになった。それが、昨日からいろいろやっているのにうまくいかないのだ。
 機器の説明書をいろいろ読み直してみたが、配線はこれでいいはずだ。どこが間違っているのか。たぶん、機器の設定に問題がありそうな気がする。
 とりあえず、この配線システムを使うことをあきらめて、まったく別のやり方でコードを手動でつないでダビングはいちおう出来たのだが、もとのシステムのどこに問題があるのか、これからじっくり検証してみたい。(6月7日)


 <喫煙大国日本の狙いは、年金支給前の肺がん死か>
 成人男性の喫煙率が43%と先進国で最も高い日本。レストランなど公的なスペースでの禁煙を徹底させつつある世界の大勢をものともせず、ひたすら「喫煙大国」を一人走り続ける。
 歩き煙草が禁止されているはずの新宿では、罰金などの指導措置がないため歩行喫煙は野放しで、煙草の煙は路上に蔓延している。
 健康増進法でレストランなどの分煙が義務付けられているのに、対応はビルや店によって大きく分かれている。
 ランチタイムの禁煙が徹底しているのは、ルミネ1、ルミネ2だ。ただし、バールの店などに例外的に喫煙席を認めているのは惜しい。
 この2つのビルに挟まれたミロードは、分煙するかどうかで揺れ動いていて禁煙席すらない店がたくさんあったが、このところ、そうした店でもようやく分煙に踏み切りだした。
 健康メニューを売り物にしながら、頑強に禁煙席を設けることを拒み続けてきた某店も、店内の3分の2ほどを禁煙席にしていて、これまで敬遠していた僕も利用するようになった。
 一方、マイシティのレストラン街にはいい店が多く、グルメ情報誌などによく紹介されているのに、なぜか禁煙には消極的だ。
 店の入り口に「当店は分煙を行っておりませんので、あらかじめご了承ください」という挑戦的な断り書きを出している店も何軒かある。こうした店には、僕としては当然入ることが出来ない。
 もっと驚くのは、ランチタイムの禁煙を店の方針として打ち出していた店が、突如、方針を翻して「ランチタイムも煙草が吸えるようになりました」を売り物に客を増やそうとするケースが少なくないことだ。
 僕は、このような無節操で時代の流れに逆行する店には二度と行きたくないが、喫煙できるようになったことを喜んでいる客がそんなに多いのかと、暗澹たる思いだ。
 かつての僕の同僚で、紫煙をくゆらせているのが男らしいやり方だとばかりに、いつも煙草を口から離さない男がいた。
 彼はあと1年で定年という時に、家族を残して肺がんで死んだ。もちろん、これまでセッセと収め続けた年金の保険料は、1銭も彼の元にも家族の元にも帰ってくることはなかった。
 日本の国が喫煙者にチョー甘いのは、こうやって年金支給開始前に死んでいく人たちが減ることがないようにという、深慮遠謀からではないか、という気がしてならない。(6月2日)


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2005年5月

 <一寸先のことですら知ることが出来ない理由は>
 新宿の伊勢丹の角はいつも、「新宿の母」の占いの順番を待つ女性たちが長蛇の列を作っている。
 列は銀行の出入り口を開けて、地下に通じる階段に沿って伸びていて、最後の女性が「本日の新宿の母の受付は終了いたしました」と書かれた紙を持たせられていることもある。
 IT社会だ、ユビキタスだと、科学技術が予想を超えたスピードで社会や生活を変えつつある中で、占いはますますブームとなって、若い人たちとりわけ女性をとらえて離さない。
 僕は、占いがこれほどまでに人気を呼んでいるのは、未来のことは本当は決まっているのに、それを自分が知らないだけだ、という思いがどこかにあるからだろう。
 しかし、僕はここで占いというものが持つ本質的な自己矛盾に気づく。
 新宿の母がどんな内容のことを説明しているのかは僕は知らないが、もしも仮にある占い師が、客の近未来に起きるであろう凶事について見通したとしたら、どんな説明をするだろうか。
 おそらく、その凶事が起こる理由を、客である女性の行いや性格から分析してみせ、その事態を避けるためのアドバイスを丁寧にすることだろう。
 そして、占ってもらった女性はその説明内容に深く感謝し、自分の性格を変えようと努め、また行いも変えて凶事に遭わないように努力するであろう。
 努力と精進の結果、彼女の身に当初見通されていた凶事は避けることが出来、危機を乗り越えることが出来たとする。
 そうしたら、占いは当たったと言えるのだろうか。それとも外れたのだろうか。
 占いに限らず、どんな科学的な手法を持ってしても、人間個人の身に起きる具体的な近未来は見通すことは、原理的に不可能である。
 なぜなら、一寸先に起きる凶事を知ってしまったら、その凶事は決して発生しない。
 尼崎の列車事故を発生5分前に確実にキャッチ出来た人がいたら、その人が誰であれ、死に物狂いでその内容をJR西日本の運転指令室や駅に通報し、それによって事故は起きなかったであろう。
 事故を予見して知らせた人は、でたらめな内容で世間を騒がせようとした、として糾弾されるかも知れない。
 個々の具体的事象に関しては、予知することによって未来が変わる。これによって、未来の予知は不可能な仕組みになっている。(5月29日)


 <光ファイバーのコースを変更、無事に切替工事終わる>
 ADSLの時代は終わったということなのか、今年になってから光ファイバーのサービス会社同士の売り込み合戦が激しくなってきた。
 分厚いパンフレットやチラシが新聞折込に、郵便受けにと、連日のように入っていて、電話による勧誘から飛び込み訪問販売までさまざまで、いまは「光」を制する者がIT社会を制する、という感じなのだ。
 僕は、NTT東日本のBフレッツのベーシックコースを02年から使っている。最大100MBを一人で使えて、端末は同時に5台まで接続できる。
 速度が速くて容量も大きいのはいいが、料金が月9000円とベラボウに高く、SOHO向けとなっている。
 申し込んだ当時は、ほかにマンションコースくらいしか選びようがなく、その場合は何人かまとまった戸数が申し込む必要があって、結局、高いのを承知でベーシックコースにしたのだった。
 しかし、このところの光売り込み競争を見ると、月9000円はあまりにも高いので、僕もコースを見直すことにした。
 Bフレッツでは、ハイパーファミリーコースという新しいコースが作られていて、これは1GBを複数(最大で8人という)のユーザーで使い、一人が2台の端末を接続できる。
 速度は最大で100Mとなってベーシックコースと変わらないのに、料金は月4100円と半額以下になる。しかもプロバイダーの料金も安く設定できる。
 そこで僕は、ベーシックコースからハイパーファミリーコースに切り替えることにして、半月ほど前にNTTに申し込み、先週の下調査に続いて今日、回線の切替工事が終了した。
 今日は2人の作業員が1時間ほどかかって、入念なチェックをしながら作業を進め、切替後は正常にネット接続で出来ることを確認して帰っていった。
 こういう作業を見ているのは、とても参考になる。万一、接続にミスがあっても、すぐにその場でチェック出来るよう、一歩ずつ確認を重ねながら積み重ねていく。
 ハイパーファミリーで回線が通じていることをさまざまなテストで十分に確かめてから、ベーシックの回線を切る、というやり方は、当たり前のことなのだろうが、これこそが大事なのだと思う。
 手順どおりにやって、うまくいって当たり前。この姿勢を、JRや原発事業者など、ほかのところでも現場のすみずみにまで徹底してほしいものだ。(5月25日)

 <指定券発売機は不便、JR窓口の新入社員にホッとする>
 僕がよく利用していたJRの駅から、「みどりの窓口」が消えたのは、今年3月中旬のことだった。「みどりの窓口」だけでなく、窓口そのものが閉鎖されてシャッターが降りたままの状態になった。
 かわりに「指定券発売機」が設置され、「さらに便利になりました」としてこれからは機械を使うように案内するポスターが貼られている。
 今日初めて、この指定券発売機を使って1カ月後の上越新幹線の指定券を購入しようとした。
 パネルから新幹線の路線名、始発駅と到着駅、乗車日時、出発時間帯、禁煙喫煙の別などを選んでいき、座席については「通路側」「窓側」「座席を指定」を選ぶ。
 僕の乗る「Maxとき」は二階建てで、これまでみどりの窓口で買っていた時は、いつも2階の窓際を頼んでいた。
 「座席を指定」を選んだら、1階10号車の座席がずらりと表示され、その中から好きな席を指定できる。
 しかし、選べるのは10号車の中からだけで、いろいろ試行してみてもこれ以外の画面にはならない。
 なぜこんなことになっているのだろうか。これまでのように2階の席を希望する者はどうすればいいのか。
 係員に聞こうと思っても、窓口を固く閉ざしてしまった駅には、その係員の姿も見えない。
 指定券発売の面倒な端末操作を乗客にまかせて、駅員たちはホッとしているのかも知れないが、何か聞きたい時に顔の見えない駅は、利用客とのコミュニケーションを拒否しているように映る。
 結局このままではラチがあかず、僕は券売機での購入を断念せざるを得なかった。
 そして新宿駅まで行って、みどりの窓口に並んだ。
 JR東日本の制服を着た若い女性が窓口の担当で、後ろにおじさんの駅員が立って見ている。
 窓口の女性は、ほとんどオカッパに近い髪型で真っ赤なほっぺ。応対はぎきちないが、一生懸命だ。
 胸には名札とともに、「新入社員です」の札を付けている。
 なるほど、この4月に入社した新卒のピッカピカ社員で、窓口で本番を担当してから間もないのだろう。後ろのおじさんは先生役なのだ。
 端末をタッチする手つきは慎重で、ひとつひとつ自分に言い聞かせるようにうなづきながらタッチしていく。
 「はい、これでよろしいでしょうか」と緊張して指定券を差し出す。
 ざっと確認して、「だいじょうぶです。ありがとう」と言ってあげると、「ありがとうございました」とおじぎをした。
 石頭の指定券発売機にイライラさせられた後だけに、この新入社員さんの初々しさになんだかうれしくなった。(5月21日)

 <個人ホームページの退潮とブログの隆盛>
 かつてYahoo!JAPANには、2万件をゆうに超える個人ホームページが登録されていたことがあった。今から4、5年前のころである。
 ところが最近、この個人ホームページの数を見て驚いた。あれだけ多くがひしめき合っていた個人ホームページは、6400ほどに減っているのだ。
 この原因はどこにあるのだろうか。Yahoo!JAPANの登録基準が厳しくなり、狭き門になったことも挙げられよう。
 しかし、かつて登録されていたものが現在登録されていないということは、その個人ホームページが閉鎖されてしまったか、何カ月も更新されないまま野ざらし状態となった可能性が大きい。
 こうして多くの個人ホームページがYahooの登録から抹消されていく一方で、新たに登録推薦される個人ホームページで関門を通過するものが少なくなっていることが考えられる。
 実際に、かつて僕がブックマークしていた多くの個人ホームページが、現在は存在していないか、もしくは何年も前に更新されたままの廃墟のような状態になっている。
 個人ホームページの退潮ないし衰退は、データでも裏づけられていいる。
 CSJ利用者調査によると、個人ホームページを持っている人の割合は、1997年から2000年まで微増していたが、2001年に減少に転じて、2002年にガクンと下がった。
 また、まだ持っていないが持ちたいという人も、01と02年で大きく減っている。
 逆に、しばらく持つつもりはない、という人は01に急に増えて02年はさらに増えている。
 かつては、パソコン雑誌やネット雑誌では、個人ホームページ開設のノウハウを特集した記事が花盛りだった。
 それらの特集には、「あなたも世界に向けて発信しよう」というようなうたい文句が踊っていた。
 しかし、苦労してホームページを開設してみたものの、アクセス数が伸びるのはごく一部の幸運なホームページに限られ、多くは願うほどには伸びない。
 そもそも、世界に発信といっても、自分にとって発信できる内容は何か、という基本的な問題で足踏みすることになり、頻繁な更新となるとますます難しい。
 比較的書きやすいのは身辺雑記を日記として掲載していく個人ホームページだが、ここで去年から急速に台頭してきたブログとモロに競合することになる。
 開設していた個人ホームページを中断してブログに流れる人たち、個人ホームページに手を出すことなく最初からブログに入る人たち。
 新聞報道によると日本でブログを開設した人は、いまや延べ335万人という。赤ちゃんから老人まですべての日本人の30人に1人がブログを持っていることになる。
 ブログは、個人ホームページを淘汰していくかも知れない。個人ホームページが生き残るためには、ブログと異なる道を開拓していく必要があるように思う。(5月18日)


 <長い間車を運転していないのに、免許証は必需品>
 僕はもう長い間、車を運転したことがない。どれくらいの間、運転していないか。15年以上であることは確実で、もしかしたら20年近く運転していないかも知れない。
 たぶん、運転の仕方はすっかり忘れていて、運転席に座っても何をどうしたらいいのか、全く分からないだろうと思う。
 そして、今後とも生きているうちに車を運転する機会があるとは思えない。
 しかし運転免許証は期限切れになる前にきちんと更新し続けて、後生大事に持っている。
 運転免許証は、写真が貼ってある数少ない公的機関による身分証明書である。
 金融機関や役所の窓口などで何かの手続きをしようとする時に、「住所氏名など身分を証明できるもので写真のあるものを」と、その場で提示を求められることがよくある。
 会社勤めをやめている僕には、会社の身分証明書というものがない。
 こういう場合に、保険証でも可とするところもあるが、写真ば貼ってないことから不可とするところの方が多い。
 写真が貼ってあって住所が書いてあるものは、パスポートか運転免許証しかない。パスポートは盗難に遭ったら悪用される恐れが大きいので、持ち歩くことはない。
 結局、住所が書いてあって写真も貼ってあるもので、僕が僕であることを証明するものは運転免許証だけなのだ。
 それを考えると、運転免許証というのは自分の分身と同じくらいに重要なものなのだ。
 企業を定年退職した人や主婦で、運転免許証を持っていない人は、身分を証明出来るものの提示を求められた場合に、どうやっているのだろうか。
 僕の場合も将来、もしも視力の低下などで運転免許証の更新が出来なくなった場合に、いったいどうなるのかと心配になる。
 その時は、パスポートが唯一、自分であることを証明するものとなる。国内でもパスポートが必携になるとは皮肉なものだ。(5月14日)


 <ウィキペディアの「女性専用車両」で編集合戦か>
 「編集合戦」なる言葉があることを初めて知った。
 鎧兜に身を固めた編集者たちが、川中島で互いに弓を引き合うような響きがある。
 編集合戦とは、一般のユーザーたちが自由に編集して、何人もの協力の積み重ねで作り上げていくフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」において、考え方やものの見方の異なる執筆者同士がお互いに、内容の変更と差し戻しを繰り返すことをいうのだそうだ。
 一つの物事について客観的に説明しようとしても、その人の立場や人生観によって、内容は180度相反するものになることは、十分ありうることである。
 編集合戦が発生した場合、ウィキペディアの管理者はその記事を保護することがある、としている。また、一般ユーザーが管理者に保護依頼をすることが出来る、とされている。
 さて、実際にどんな記事で編集合戦と保護が行われているのだろうか。
 ごく最近のケースでは、「女性専用車両」について、保護がかけられている。
 ウィキペディアでこの言葉を見ると、冒頭に次のような但し書きがある。
 保護 このページ、「女性専用車両」は編集合戦などの理由で編集保護されているか、あるいは保護依頼中です。このページの編集を中断して、ノートで議論を行い合意を形成してください。
 このページでは、女性専用車両の現状について、事業者、路線名、時間帯、使用列車、使用車両などを一覧にしたデータ部分の後に、女性専用車両の利点と問題点、合憲性と合法性について、さまざまな角度から考察している箇所がある。
 編集合戦と保護の問題が生じているのは、この後半の部分であることは明らかであろう。
 女性専用車両がGW明けの9日から首都圏の私鉄などに拡大導入されたが、痴漢防止の対策として評価する声がある一方で、男性差別だという男性側からの反対の声が上がっている。
 僕の個人的な意見で言えば、車両を分けずにすむならば理想的かも知れないが、混雑した車内での痴漢行為が後を絶たない以上は、このような措置もやむを得ないものと思う。
 しかし、男性の中には「女性専用車両に反対する会」を作って反発する動きも出ていて、「すべての男性を痴漢であるかのような扱いは侮辱的だ」として、集会を開くなどの活動を強めている。
 こうした男性の反発も分からぬではないが、ではどうすれば通勤通学車両内での痴漢被害から女性を守ることが出来るのかという対案に欠けるのではないか。
 ウィキペディアで編集合戦が生じるのも、女性専用車両をめぐってさまざまな相反する意見が渦巻いていることの反映だろう。(5月10日)

 <相次ぐオーバーラン、完全自動運転はなぜ出来ない>
 尼崎でのJR列車事故の後、これでもかこれでもかと言わんばかりに、あちこちで列車のオーバーランが発生していて、おなじようなニュースとして新聞に載っている。
 オーバーランなどはよく見かける光景で、尼崎の事故がなければとりたててニュースになるような話ではないはずだ。
 僕が利用している駅でも、列車がホームに入ってきて停車したのに、ドアをすぐに開けないことがある。
 どうしたのかと思っていると、「停車位置を直します」のアナウンスがホームに流れ、そのままゆっくりと数メートルほどバックして正しい位置に停車しなおす、ということがよくある。
 車両がホームの端から行き過ぎたのなら直す必要もあるだろうが、そうでもなければ位置をわざわざ直さなくてもいいのに、と思うこともある。
 もう20年ほど前のことだが、当時の営団地下鉄の運転席に同乗させてもらったことがある。
 その当時すでに、完全自動運転が実現していて、運転士は発車する時にボタンを押すだけでいいのだ。
 あとは先頭車両についているセンサーがレールに流れる信号を読み取り、その区間の最も適正な速度で自動運転される。
 次の停車駅に入ると、やはり自動的にスピードを落としていって、乗客がほとんど気づかないくらいスムーズに停車位置にピタリと止まる。
 その停車位置がまた数センチの誤差もないくらい正確なのだ。
 東京メトロになった地下鉄の電車は、もちろんいまではさらに改良を重ねた自動運転をしているはずだ。
 こうしたことが可能ならば、なぜJRは完全自動運転を採用しないのだろうか。
 人間まかせにしているから、停車位置をオーバーするし、それを直す時間を取り戻すために速度オーバーで突っ走って、カーブで急ブレーキをかけたりすることになる。
 おそらく、完全自動運転では、機械の方が慎重に作動するために、秒刻みの過密ダイヤに対応し切れないためではないか、と僕は推察する。
 このIT化社会で、完全自動運転くらいは当然のような気がするのだが、費用の問題もあるのかも知れない。
 機械は万能とは言えないにしても、人間の苦手な部分を機械にまかせ、運転士は大局から運行状況を見守っているという棲み分けが必要のように思う。(5月6日)


 <いまこそ日本国憲法を21世紀の世界に生かす時>
 憲法とは、国家による暴走を防ぐために国民の側が重い制約を課したものであり、いわば国民が国家を監視するための規範帳なのだ。
 ところが、台頭しつつあるナショナリストや復古主義者たちには、こうした憲法のあり方が吐き気をもよおすほど嫌でたまらない。
 憲法とは、国家が国民の精神や姿勢、家庭のあり方から行動にいたるまでを規制し、統制するものでなければならない。彼らは、そういう強い信念を持っている。
 最近の世論調査などでは、憲法は時代に合わなくなってきているので改正した方がいいという人が半数を超えるようになった。
 おそらく、憲法改正は21世紀前半の最も重大な日本の転換点となるだろう。
 いつの間にか護憲勢力はほぼ壊滅して、見渡すところ改憲でなければ日本人ではないといわんばかりの勇ましい面々ばかりである。
 国会の両院で、議員総数の3分の2以上で改正を発議したら、国民投票では雪崩のごとくに大半の人々が賛成に付随してしまうのではないか。
 そんな無力感がいまから漂う。だいたい日本人は結局のところ、自民党が大好きで、侵略戦争の歴史を正視することなど面倒くさいのだ。
 労働運動も学生運動もさまざまな民主運動も、みな一様に牙を抜かれて抵抗力を失ってしまった。
 憲法を世界に誇るものとして大切にしようと願う良識ある人々はたくさんいるが、そういうことを深く考えたくない人々の方がもっとたくさんいる。
 日本人はいつの間にか、飼いならされた羊のように国家に従順になって、世界の流れや地球で起きていることの真相をみることをしなくなった。
 国家が国民を規制し監視の下におくような憲法になったら、どのようなことが起こるだろうか。
 君が代を歌う声の大きさまで測定して処罰するような、いま教育界で行われている狂気が、国民生活のあらゆる場面で起きていくに違いない。
 祝日に国旗を掲揚しない家庭には、政府やその出先機関が指導に入るだろう。政府に批判的なことを書いたサイトやブログには公然と取り締まりの手が入るだろう。
 憲法が変えられたら、教育から地方自治までさまざまな法律が、憲法に合わせて変えられていき、国家が跋扈しながら個人を監視していく息詰る社会になるのは目に見えている。
 国を愛する心などは憲法に盛り込む必要はない。環境権などもいまの憲法化で何の不自由もない。
 自衛隊の存在や国際貢献も、憲法9条2項の下でこれまでも行ってきたし、むしめその制約と緊張感こそこそが重要なのである。
 憲法改正に流れる昨今の風潮は、極めて由々しきことであり、良識ある人々はいまこそ日本国憲法を21世紀の世界に生かすためにあらゆる努力をすべきであると考える。(5月2日)

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2005年4月

 <尼崎列車事故からGWへの時間の流れ>
 年が明けて松の内の時間の流れの遅さに改めて感じ入ったのは4カ月も前のこと。いつのまにかもうGWに入ってしまった。
 光陰矢のごとしとはいうものの、このように時の流れがいつもより遅く感じられる期間がふっと訪れるのは、どのような理由によるものであろうか。
 概して、旅行中とりわけ海外旅行中は、ふだんに比べるとはるかに時の流れが遅く感じられ、同じ1日24時間のはずなのに、数倍のことをなし得ることが出来るし、数倍の体験と刺激を受けることが出来る。
 これは時間の流れる速さというものが、たぶんに主観的な要因や、その個人の精神的な集中力といったものに大きく左右されるのであろう。
 そのようなことを思いながら、前回の「時間の岸辺から」を見て驚いた。尼崎でのJR福知山線の大惨事について発生当日に書いたのが25日のことだ。
 あの事故から今日までに、中3日しか経っていないとはどうしても信じられない。もっともっと多くの日時が、実感としては少なくとも10日くらいは経過したように感じられる。
 今日が金曜日だから、あの事故はまだ今週の月曜日の朝のことだったのだ。
 106人の犠牲者たちは、あの日の朝、いつものように家を出て電車に乗り、いつものようにそれぞれの一週間がスタートして、週末にはそれぞれのGWがあったはずだ。
 朝(あした)に紅顔ありて、夕べに白骨となる。
 これは「和漢朗詠集」の言葉だそうだが、これほど人の世の無常と一寸先すら闇であることを言い表したことばもない。
 犠牲者たちはそれぞれに自分の明日に何の疑いをも持つことなく、けなげに自分の行く手を信じきっていたはずだ。また行く手を信じなければ、生きていくことなど不可能だ。
 亡くなった106人はほとんどが即死で、搬送後に死亡した人は数人だった。いずれもその日の夕方には白骨となったのだ。
 「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」とは親鸞である。
 極限すれば信じていいのは今の瞬間だけで、誰にとっても明日は分からない。
 明日はない場合もあることを心して、平凡な一日が無事に暮れてまた新しい一日を迎えることが出来ることを、心から感謝しなければならないのだと思う。
 凡庸で何の変哲もない一日こそが宝石であり、そのような日々を営むことこそが本当の意味でのGWであることに、僕たちは気づくべきなのだ。(4月29日)


 <「魔の日」に起こる鉄道事故を避ける方法はあるか>
 魔の日、というのは確かにあるのかも知れない。ただ、だれも事前には知らないだけなのだ。
 1963年(昭和38年)11月9日は、戦後最悪の魔の日だった。
 まずこの日午後、三池炭鉱三川鉱で戦後最大の爆発事故が発生し、458人が死亡した。
 この事故で日本中が震撼していたところに、その同じ日の夜、国鉄横須賀線の鶴見駅近くで貨物列車と客車2本が脱線・衝突する大事故が起こり、161人が死亡した。
 翌日の新聞は、両方の事故の記事でまさに修羅場の紙面となった。
 この後、しばらくは鉄道事故はなりをひそめていたが、1991年に信楽高原鉄道の列車とJR西日本の列車が正面衝突し、42人が死亡している。
 僕たちは、飛行機に乗るときには誰もが離着陸の時に恐怖感を味わうのに、電車に乗っている時には脱線の恐怖を感じることは少ない。
 電車は墜落しないから安全という意識があるのかも知れないが、その意識がむしろ電車の盲点といっていい。
 今日、尼崎市のJR福知山線で起きた脱線事故は、マンションに激突するというこれまでにない形で、50人の死者を出し、42年前の横須賀線鶴見駅事故に次ぐ大事故となった。
 この電車で亡くなった人たちは、この日が魔の日であることを知るよしもなく、自分たちのたった一回の人生が一瞬にして終わってしまうとは、誰が予期しえたであろうか。
 事故はどんなに日ごろから気をつけていても、ある日、信じられない状況のもとで必ず発生する。
 僕たち個々の人間にとっては、ある確率でいつか必ず発生する事故に、自分や家族が乗り合わせるかどうかが問題であって、自分の努力で事故を避ける道はほとんど残されていない。
 にもかかわらず、僕たちは電車に乗らないわけにはいかないので、事故に遭うことはまずあり得ないということを暗黙の前提にして、電車に乗る。
 東京の中心部を走る電車は、駅と駅の間隔が短く、スピードを上げることはほとんどない。
 が、ひとたび郊外に出ると、電車は恐いくらいの速度で飛ばす。運転士のいる先頭車両では分からないのかも知れないが、後ろの方の車両はこのスピードで大きく左右に揺れる。
 前の方の車両と後ろの車両にいるのと、どっちが安全だろうか。
 これまでの鉄道事故を見ると、先頭車両での死者が最も多く、後ろになるほど死者は少ないように思う。
  魔の日を知ることが出来ないならば、せめてもの防御策としてなるべく後ろの車両に乗った方がまだしも生き残る確率が高いのかも知れない。(4月25日)


 <画家の長命と作家の短命、その違いに思う>
 作家の丹羽文雄さんが100歳で亡くなった。僕は丹羽さんの作品については何も読んでないのだが、この100歳という大往生に心を動かされる。
 今日の読売夕刊の「よみうり寸評」でも書いているが、概して画家には長命が多いのに比べて、作家にはそれほどの長命は少なく、丹羽さんは例外的といってもいい長寿だった。
 なぜ画家には長命が多く、作家は短命が多いのか。何が違うために寿命に差が出るのだろうか。
 これは僕の直感的な想像に過ぎないが、まず言葉を書き連ねるという作業は、命を削るに等しい過酷な作業なのではないか、ということだ。
 絶えず精神を張り詰め、頭脳を緊張させていなければ、モノ書きは務まるものではないだろう。とりわけ、現実には存在しない世界を物語として作っていくフィクションは、言葉を綴れば綴るほどに自らの魂を削り取るような苦しみを伴うに違いない。
 これに比べて画家の場合は、むしろ創作活動そのものが命の糧となり、精神に溌剌とした潤いをもたらすのではないか、などと思ったりする。
 僕は、フィクションを書いたことも絵を描いたこともないので、あくまで想像するだけだが、言葉というのは人間にとって便利なものだが、一個の生命としてみた場合には極めて不自然なもので、個体の寿命を縮める作用があるのだと思う。
 もう一つ言えることは、作家というのは売れれば売れるほどに多くの連載を抱え込み、締め切り時間との耐えざる戦いを強いられる。この締め切り時間というのが、長生きを阻む最も大きなカベのような気がする。
 画家の場合は、どんな大御所であろうが連載を抱え込むということは原則としてあり得ない。随筆などの連載を抱えている画家はいるだろうが、絵画そのものを雑誌などに定期的に掲載している画家はほとんどいないのではないか。
 この締め切りという容赦ない区切りを前に、作家は悶え苦しみながら、捨て身とも言える研ぎ澄まされた作品を生み出していく。そのことが結果的には、寿命を縮める。
 作家に限らず、新聞や雑誌、テレビなど締め切りに追われるマスコミ人が概して短命なのは、言葉と締め切りという二重の重荷を背負って走り続けているからにほかならない。>
 人生も後半に入ったら、言葉の重圧から解放されるとともに、時間に追われることのない生活をすることが、長寿への道なのかも知れない。
(4月21日)

 <これで当分中国旅行も出来なくなる>
 中国の反日デモは週を追うごとに激しさを増している。
 日本政府や経済界も、そして僕たち一般の国民も、中国の人たちの間に渦巻いている反日感情の強烈さに、驚きそして戸惑っている。
 僕たちは、かつての侵略戦争のことについて余りにも無知であり過ぎ、あまりにも健忘症過ぎるような気がする。
 日本から中国への旅行者が増え、日本企業の中国進出が好調に続いていることから、つい中国の人たちは日本に好意を持っていて、日本人への親近感は大きいものと勝手に思い込んでいた。
 それがとんでもない認識間違いであり、日本の勝手な思い込みに過ぎなかったことを、ここ1、2週間の事態で思いしらされている。
 こうした事態を招いた責任は、第一義的には小泉首相にあり、小泉政権にあることは明らかだ。教科書問題もそうだが、靖国参拝にはかつて日本による侵略戦争で辛苦を味わった中国の人々の気持ちに対する一片の配慮も感じられない。
 小泉首相のいう「未来志向」は逃げ言葉であり、なんの誠実さもない空疎な響きしか持たない。
 太平洋戦争の終結から60年の今年、アジアの国々は日本が国際社会でどのような行動をとるかを、かたずを飲んで見守っている。
 いまこそ近隣諸国との関係を緊密にする必要があるというのに、日本政府はアメリカの顔色を伺うばかりで、アジア諸国との関係を軽視ないしは蔑視してきた。
 事態はおそらく、日本の指導層が考えている以上に深刻であり重大である。
 それは、国際社会における日本の立場をますます窮地に追い込み、日本経済にも致命的な打撃となるであろう。
 日本企業は中国戦略を見直し、場合によっては撤退を余儀なくされるところも続出する可能性がある。日本からの中国への旅行者も、一気に減ることは間違いない。
 僕は、去年9月に西安を一人旅した印象がとてもよかったので、これからは上海や北京などへの一人旅を重ねていこうと思っていた矢先だった。
 このような情勢では、中国への一人旅は論外で、それどころかパックツァーも中国人の冷ややかで憎悪に満ちた視線にさらされることになるだろう。
 反日のうねりが沈静化するとしても、2、3年はかかりそうな気がする。
 3年後の北京五輪や、2012年の上海万博までに、日中関係が好転しているという保障は何もないといっていい。(4月18日)


 <「愛国無罪」を黙認する中国当局の危険なカケ>
 5年ほど前に僕が初めて中国を旅行した時、中国人のガイドさんは治安の良さについて誇らしげに語ってくれた。
 「私たちの国では、中国人が外国人観光客を傷つけたら、死刑になります」
 傷つけただけで死刑とはまた、なんと厳しい処罰だろうかと、僕たちは驚きながらも、外国人観光客を大切にする徹底した姿勢に感心したものだった。
 それが、このたびの中国各地で起きた反日デモの暴徒化や、上海での日本人留学生傷害事件で、大きく揺らいでいる。
 小泉政権には、日中の国家レベルでの関係が冷えきってしまっても、日本企業の旺盛な進出熱がある限りは中国も日本にたてつくことなく、好意的に付き合ってくれるだろうという、甘い読みがあったのではないか。
 今回、火を噴いた反日の底流には、さまざまな要素が絡み合っていて、なかなか根深いものがあるようだ。
 そもそも日本政府や日本人は、中国への侵略戦争を日本が本気で反省していないのでは、という疑念がこの反日の根本にある。
 反省するどころか、直視すべき歴史をしだいしだいに歪めていって、日本が中国に対して侵略戦争を仕掛けたという事実や、アジアの国々にどれほどひどい惨禍を与えたかについて、フタを閉ざしてしまって、なかったことにしようとしているのではないか。
 そんな疑いをもたれるようなことを、小泉政権は平気で行ってきた。日本という国の置かれた立場をわきまえずに、ひたすら米国に気に入られる振る舞いを続けて、米国とともに世界で威張れる国になりたいという態度は、アジアの国々から見れば顰蹙ものでしかない。
 今回、教科書検定や安保理常任理事国入りへの策動など、さまざまな問題が導火線となって、一気に発火点に達した中国の人々の不満は、中国政府や公安当局の事実上の黙認によって、このままではすまない不気味な胎動を始めている。
 それは「愛国無罪」のスローガンに象徴されるように、「造反有理」的なニュアンスを帯びてきて、反日からさらに反外国企業、反外国資本、反市場主義経済、反貧富の差拡大へと、混沌とした広がりを持つようになって、やがては第2の天安門事件へと発展しかねない。
 反日の矛先が、いつしか反政府へと転化していくことは、十分ありうる事態だろう。その時には、もはや公安当局でも抑えることが出来ないほどの奔流になっていく可能性すらある。
 「愛国無罪」を黙認することは、中国政府にとっても大きなカケのような気がする。(4月14日)


 <外交不在の小泉内閣、世界の孤児に>
 このところ日本は急速に世界から孤立を深めている。これは外交感覚の欠如というよりも、世界の流れをみようとせずに、鎖国状態のままアメリカだけに追随していけば、アメリカがなんとかしてくれるだろうという、恐るべき時代錯誤と無責任に由来する。
 まずは竹島をめぐる韓国との対立激化だ。島根県議会が「竹島の日」を制定してわざわざ韓国の国民感情を逆なでするようなことをやったのは、たぶんに背後に存在する仕掛け人によるところが大きいのではないか。これに教科書検定における竹島の記述をめぐって、韓国側の反発は一気に激化した。
 このことは、02年のサッカーW杯の日韓共同開催や、その後の冬ソナをはじめとする韓国ブームによって、かつてないほど日韓の関係が親密になろうとしていた時期に、これらの流れを根っこからご破算にしてしまうほど、重大な危機である。
 加えて、小泉内閣が日中関係をすっかりおざなりにしてきたツケが回ってきて、中国の各地で反日・抗日のデモや騒動が拡大している。中国の場合は、尖閣諸島の領有権問題がからみ、さらに日本の国連常任理事国入りを阻止しようという動き、教科書検定問題など、さまざまな問題が重層的に合流して、日本大使館や日本企業のガラスが割られるなど、反日暴動の感すら呈してきている。
 こうした韓国、中国との関係悪化の背後には、小泉首相の靖国参拝という確信犯的な挑発姿勢があることは否めない。小泉首相の本質は、決して自民党改革や財政改革にあるのではなく、日本の針路を右よりに急旋回させて、国家を全面に押し出した国粋主義的なナショナリズムの国を作ろうという、戦前型日本への回帰志向である。
 小泉内閣は、韓国、中国そしてアジアの国々との関係改善を怠ってきただけではない。
 なによりも驚いたのは、ローマ法王パウロ2世の葬儀に対する日本政府の冷淡さである。バチカンという一国の元首の死であり、カトリックの大元締めでキリスト教世界のシンボルだった法王の葬儀に、160の国・地域から大統領や首相が参列しているというのに、日本は川口順子首相補佐官でお茶を濁し、世界に大恥をさらす結果となった。
 日本の国連常任理事国入りをめざす動きに対して、各国の反応は鈍く、かんじんのアメリカまでが消極的だ。
 そもそも、過去の侵略戦争やアジアの人々に与えた多大な辛苦に対して、心からの反省をしたがらずに、アメリカの衣のかげに隠れて威張ってみせるような国は、常任理事国入りすべきではないのだ。
 このままでは、北朝鮮との間の拉致問題をめぐる解決の糸口もつかめないまま、日本は気が付いてみたら世界の孤児になっていて、誰も相手にしてくれない、という結果になりかねない。(4月10日)

 <日本人の平均寿命は82歳で世界最長寿国>
 世界保健機関(WHO)の発表によると、日本人の平均寿命は82歳で引き続き世界最長寿国となっている。
 では僕も平均的な寿命をまっとうすれば82歳まで生きられるかというと、そうではない。同じ日本人でも男と女では格段の違いがあり、女の平均寿命が85歳なのに対して男は78歳でしかない。
 なぜ女の方が男よりも7年も長生きするのか、諸説があるが、これからの社会が老人だらけになり、それも、一人暮らしのお婆ちゃんだらけの社会になっていくということだ。
 僕の近くの駅にいつもいるホームレスのお婆ちゃんがいる。お婆ちゃんといっていいのかどうか分からないが年齢は60歳から70歳前後というところか。
 紙袋を7、8個持っているだけで、ダンボールもない。駅の改札口の前あたりに座り込んでいることもあれば、ホームで日向ぼっこをしていることもある。もちろん電車が入ってきても乗るわけでもない。
 ホームには入場券を買って入っているのだろうか。それとも駅員さんたちが黙認して改札から入れているのだろうか。
 収入はあるのだろうかと、余計な心配をしてしまうが、この間は近くのコンビニから何かを買って出てきた様子だったので、なんとかして食べてはいるのだろう。
 このお婆ちゃんはいつもいつも、駅の周りにいて、夜は路上か軒下などで寝ているのかも知れない。
 僕はこのお婆ちゃんを見ると、日本の少子高齢化社会が行き着くところを、身をもって示しているように思える。このお婆ちゃんは、何年後かの日本の多くのお婆ちゃんたちの姿なのだ。
 夫に先立たれたか、そもそも結婚しなかったかで、身寄りもなく、また親戚がいても断絶状態。年金を受ける条件も満たしていない。アパートを借りるお金もなく、また貸してくれる大家さんもいない。
 いまバリバリのキャリアウーマンで結婚なんかしなくても生きていけると思っている女性たちも、気が付いてみたら、50歳や60歳になっていて、仕事もなく貯金も使い果たし、年金にも入っていなかった、ということで、路頭にさ迷うことにならないと誰が言えるだろうか。
 少子化は極めて深刻な問題で、国がいずれ消え入る可能性すらあるが、一方では年金にあぶれてしまった大量のお爺ちゃん・お婆ちゃんたちの出現は、まもなく日本社会が直面する厳しい現実になろうとしている。
 世界最長寿国の幸せ度は、おそらく世界でもうんと下位なのではないか、と思う。
 他国が侵略してくる有事よりも、貧困老人の急増と出生率の低迷は、いままさに進行しつつある最大の有事ではないかという気がする。(4月7日)

 <新札への切り替え進む中、2千円札はどうなった?>
 三が日以来の偽札騒動のせいか、このところ新札への切り替えが急ピッチで進んでいる。銀行のATMから出てくる1万円札はほとんどが新札になっている。
 ときたま旧1万円札が入っていると、むしろびっくりしてしまう。
 1万円札で買い物をした時のお釣りも、だんだん新札の混じっている割合が増えてきた。僕は旧千円札でお釣りをもらうと、なんだか損をしたような気分になる。
 これは、夏目漱石が嫌いで野口英世が好きだという問題ではなくて、旧千円札はたいていが汚くてヨレヨレになっていることが多いためだ。中には角が破損したり、一部が切れたりしている漱石さんもある。
 僕が初めて海外旅行した時、現地のホテルで両替した紙幣がどれもヨレヨレで、端が損傷しているお札もたくさんあった。ところが驚いたことにその国では、ちょっとでも傷や切れ込みのあるお札は、使用を拒否する店がほとんどなのだ。
 ホテルで両替してもらったばかりだ、と説明しても、相手は腕を組んで「ノー」と言うだけで、一切の融通は利かない。結局、使えなかったお札は、帰国前にもとのホテルの両替所で円に換えたが、ここでは傷があっても切れていても平気だ。
 おそらく、そのお札はまた、次に両替に来た客に渡すのだろう。そうしてそのお客はまた、僕と同じ目に遭って痛んだお札を使うことが出来ず、最後に両替に来る。こうして痛んだお札は、永遠に使われることなく、両替所と旅行客の間をピンポン玉のように行き来していくのだ。
 日本では、お札が痛んでいるからという理由で使用拒否されることはまずないし、端が欠けていても自販機は受け付ける。
 でも僕は気分的に、汚く汚れたお札をいつまでも持っていたくない。お釣りの中に、いかにもくたびれたような旧千円札が混じっていた場合、僕は次の店で真っ先にそれを使ってしまう。いうなればババ抜きのようなものだ。
 もらって嬉しいのは、樋口一葉さんだ。図柄が綺麗で、お札とは思えないほど艶っぽい。貧乏だった一葉の人柄のせいか、お釣りにこのお札が入っているとなんだか安らぐような気分になる。
 そういえば新渡戸稲造さんはもうほとんどお目にかからなくなった。一葉人気の前に、早々と退散してしまったか。
 もう一つ、見かけないお札といえば2千円札だ。発行から5年にもなるのに、いまだにお釣りの中に混じっていることはほとんどない。
 欧米では2のつくお札はとても重宝されているらしいが、日本人には向いていないのかも知れない。僕も5年前に手にした2千円札を、いまだに使いあぐねている。(4月4日)

 <21世紀エッセイ「時間の岸辺から」新装開店>
 今日から、このエッセイのスタイルを一新し、タイトルは新世紀つれづれ草改め、21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に変わった。
 「裏」のブログを意識しないといえばウソになる。ブログが極めて書きやすく、気軽に更新が出来るので、いくぶんブログに近いスタイルにしてみた。
 見た目にはブログっぽいのだが、ブログと決定的に違うのは、個々の記事にコメントがつけられないことと、トラックバックも出来ないことだ。
 「大世紀末つれづれ草」としてスタートしたのが1997年2月。大世紀末という言葉自体、大時代的であるが、これも暮れなずむ20世紀末の気分であったといえる。それから約4年後、21世紀が開けた2001年1月から「新世紀つれづれ草」と改題してさらに4年余りが経過した。
 「大世紀末」から「新世紀」へと引き継がれながらも、「つれづれ草」は変わらなかった。今回の改題によって、「つれづれ草」の文字は消える。
 「つれづれ」というのはなかなか便利な言葉で、これを上回る言葉はないくらいなのだが、ブログが爆発的に普及していくにつれ、「つれづれ草」あるいは「つれづれ日記」などのタイトルのブログが目白押しになってきた。
 このあたりで、僕の「つれづれ」は姿を消してもいいかな、と思う。それに代わるのがサブタイトルの「21世紀エッセイ」であり、メーンタイトルの「時間の岸辺から」がこれに続くことによって、なんとなく感じがつかめるのではないか、と思っている。
 さて、このタイトルの「時間の岸辺から」は、僕が02年2月11日に書いた「つれづれ草」の内容に由来している。そのサワリの部分を、もう一度見てみよう。
 
時が川の流れだとすると、ボクたちは岸辺にいて流れを見送り続けているのか、あるいは流れに乗って移り変わる岸の様子を見ているのか、どちらなのだろう、という疑問が生じます。
 実はそのどちらも真実のボクたちであり、ボクたちは岸辺にいながら、一方では絶え間なく流れの中に入り続けているのです。だからいまこの瞬間も、岸辺から流れに移りつつある自分が再生産されていて、流れの中には無数の自分が連続して、無限の鎖のように連なりながら、遠い遠い過去のかなたへと流れ続けているのですね。
 岸辺から見ると、流れの中の自分は見えるようでもあり、見えないようでもあり。ちょっと前の自分が流れていくのを感じながらも、手を差し伸べることも、引き寄せることも出来ません。流れに乗ってしまった自分は、もはや自分であって自分でない。それは記憶であり、思い出であり、もはや実在していない自分です。

 ということで、このエッセイ、時間の岸辺に立っていながら、同時に川の流れの中から岸辺を見ているという、背反する状況の中から、何ごとかを発信していきたい。
 これからも引き続き、ご支援・ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。(4月1日)


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新世紀つれづれ草


2005年3月

 <『時間の岸辺から』その74、最終回 回転ドアの顛末> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に送稿した最後の原稿です。これが掲載された号は印刷されたものの、販売・配布はされないようです。

 「やまとせ、そよふけば、さくらの、花が散る」
 歌に合わせて、回転している長い縄の中に次々に入ったり抜けたりして、大勢で跳び続ける長縄跳び。
 掛け声となる縄跳び歌は、出入りのタイミングを取るのに欠かせない。
 「いちはっさい、にーはっさい、さんはっさい」で一人ずつ縄の中に入り、「いちぬけな、にーぬけな、さんぬけな」で抜けていく。
 去年3月下旬、東京・六本木ヒルズで6歳の男児が回転ドアに頭を挟まれて死亡する事故が起きたとき、ドアに入ったり出たりするタイミングの難しさを、長縄跳びになぞらえる人たちが少なくなかった。
 六本木ヒルズでは、それ以前にも子どもがはさまれる事故が相次いでいたのに、十分な対策は取られておらず、今年1月にはビル側とメーカーの6人が、事故の責任を問われて書類送検された。
 事故から1年が経って、全国に470基あった大型回転ドアのうち、1割が撤去され、6割が使用停止の状態になっている。あとの3割は、回転速度を落としたり警備員を配置するなどして、使用を続けている。
 大人でも身の危険を感じる回転ドアを、新しく建てられた複合施設やホテルなどが、高い費用をかけて設置したがるのは、なぜだろうか。
 設置する側やメーカーは、入り口から強風が入り込まず、ビル内の気密性が保たれる、などの利点をあげている。
 しかし、事故後に撤去したり使用停止しているビルが、強風の進入や気密性の低下で困っているという話は聞かない。
 僕は、強風や気密というのは口実であって、本当の理由は別なところにあるのでは、という気がしてならない。
 ビル側はこれを設置することで、入場資格を無言のうちにチェックし、選別しているのではないか。
 回転ドアには、ここをスマートに通過するすべを心得ている者のみが入場を許される、という暗黙の了解があるように感じられる。
 六本木ヒルズには、ニッポン放送の株取得などで何かと話題を呼んでいるライブドアをはじめ、そうそうたるIT関連の勝ち組ベンチャー企業がこぞってオフィスを構えている。
 こうした企業のエリート社員たちや、そこに出入りするセレブと呼ばれている人たちにとって、回転ドアを通る時のプライドと優越感は、いかばかりかと想像する。
 裏をかえせば、目の不自由な人や車椅子の人、お年寄りや子どもにとって、回転ドアは入場拒絶のサインと同じなのだ。
 回転ドアは、入れる人と入れない人を選り分ける現代の関所である。
 それは、日本の階層格差が広がりつつあることの、象徴のように思われてならない。(3月30日)

 <英国ニュースダイジェストがまさかの発行停止>
 僕が3年間に渡ってコラム「時間の岸辺から」を連載していたロンドンの日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」で経営トラブルがあり、新聞は発行停止となっている模様だ。
 はっきりした事情は分からないが、信頼できる筋によると、「英国ニュースダイジェスト」はすでに管財人の管理下におかれていて、新聞制作の作業はすべて止まっているようだ。
 「英国ニュースダイジェスト」は1985年創刊で、ちょうど20年となるこの年に、突然の経営トラブルによる発行停止とは、まことに衝撃的であり、信じられない思いだ。
 僕が「英国ニュースダイジェスト」に連載コラムを書くようになったきっかけは、今を遡る3年前、僕のホームページのこの「新世紀つれづれ草」をロンドンでいつも読んでくれている女性がいて、その人と何度かメールのやりとりをしていたことだ。
 その女性は、「英国ニュースダイジェスト」の編集部の人で、ある日、自分の会社が発行している日本語新聞に、移り変わる日本の世相の批評を日本発のコラムとして執筆してほしいと、その人から依頼を受けた。
 連載は隔週で、コラムのタイトルは、僕の同年2月11日の「時が川の流れなら、ボクたちは岸辺にいるのか流れているのか」と題する「つれづれ草」の中から、「時間の岸辺から」としたいと提案があった。
 僕は会社務めをしていた時でも、一人でコラムの連載を担当した経験はなく、はたして続けられるだろうかという不安もあったが、「時間の岸辺から」というタイトルが気に入ったこともあって、引き受けることにした。
 緊張の第1回は、「八百年後の赦文」というタイトルで、2002年3月14日号に掲載された。
 「時間の岸辺から」のコラムは、行数がちょうどこの「つれづれ草」と同じくらいだったこともあって、編集部の了解をもらって「英国ニュースダイジェスト」に掲載されるとほぼ同時に、「つれづれ草」にも同時掲載するようにした。
 コラムの担当編集者は、最初は僕に連載を持ちかけてくれた女性だったが、人の動きが激しい業界のようで、ほどなく担当が変わり、これまで3年間に、4人の編集者が「時間の岸辺から」の担当となった。
 こうして、いつの間にか回を重ねること70回を越え、今月10日号には73回目として「偽札列島」が掲載。15日には74回目の原稿として「回転ドアの顛末」を送稿したばかりだ。
 今回の突然のトラブルによって、この74回目が掲載された3月24日号は、印刷が終わっているのに発送が止められている状態だと聞く。おそらく読者のもとに届くことはない公算が大きい。
 「英国ニュースダイジェスト」の編集部のみなさん、ロンドンから僕のこの「つれづれ草」を読むことが出来ますか。3年間、本当にお世話になり、ありがとうございました。
 イギリス国内はもちろんのこと、ヨーロッパの各地で「時間の岸辺から」のコラムを愛読して下さった多くの皆様、長い間お付き合いいただいてありがとうこざいました。
 またいつの日か、どこかでお目にかかることが出来る時まで、さようなら。(3月26日)

 <放送開始から80年、テレビも新聞も根本から変革すべき時>
 日本で初めてラジオ放送が始まってから、今日で80年となる。80年という大きな節目を迎えたいま、放送は大揺れに揺れている。
 NHKにしても民放にしても、問われているのはネット時代における放送のあり方であり、そもそも現代において放送とは何なのか、ということだ。
 放送は、ラジオの時代から白黒テレビの時代、カラーテレビの時代を経て、いまデジタル化とネットとの関係を前にして、立ちすくんでいるかのような感じを受ける。
 NHKも民放も、デジタル化の流れにはついていく姿勢だが、ことネツトとの関係については、放送側に警戒心と拒否反応が強く、完全に守りの姿勢になっている。
 このことが既存の収益構造を死守しようと見苦しくあがいている印象を国民に与え、破壊者としてのライブドア・ホリエモンへの漠たる期待につながっている。
 ホリエモンにしても、確たるビジョンがあるとも見えないが、少なくともいまのような放送側の超保守的な経営姿勢から脱却して、その上で実験的に新たな道を切り開いていく可能性は大きいのではないか。
 これからのテレビは、通信との融合あるいはネットとの融合によって、現在のようなテレビ局側が組んだ番組表に従って、視聴者に「見せてやる」という姿勢を根本から変える必要がある。
 それは、すでに多くのところで言われていることだが、ユーザーが見たい時に、最新のニュースをはじめどの番組でも、テレビ受像機ないしはパソコンで、いつでも自由に引き出して見られるものでなければならない。
 何もその日の番組に限らない。昨日の番組でも、一週間前の番組でも、あたかもユーザーがDVDレコーダーに録画したかのごとく、放送局にアクセスした瞬間に、その番組を最初から見られるようなシステムであるべきだ。
 当然のことながら、これまでのような視聴率の概念は崩れ、ゴールデンタイムの概念も崩壊し、CM収入の体系もこれまた根本からひっくり返る。
 放送局が決めた番組編成の流れに従って、視聴者が従順に「見させていただく」時代は終わり、番組を選ぶ目も厳しくなっていくだろう。
 こうした放送とネットの融合・再編への動きは、新聞にとっても決して他人事ではない。
 紙の新聞はいつまでもなくならないだろう、というのは新聞人の願望に過ぎない。新聞社がニュースの重要度を決めて、トップニュースや準トップを読者に押し付ける時代は、そろそろ終わりに近づいているといっていい。
 放送と通信の革命は、すべてのメディアを巻き込む大革命なのである。(3月22日)

 <春分の日に太陽が真東から出て真西に沈むのは、どこでも同じか>
 今年の春分の日は3月20日だ。春分の日は21日というイメージがあって、なぜ20日なのだろうと思う。閏年ならば20日であってもおかしくないが、今年は閏年でもない。
 実はこれはなかなか難しい問題で、地球の公転と暦との複雑な対応関係によっている。かつては平年は21日、閏年は20日というところで定着していたが、1992年以降は閏年の翌年も20日になっていて、今後はしだいに閏年でなくても20日の場合が多くなっていく。
 驚くべきことには、2088年には3月19日が春分の日となる。そして2100年を過ぎるとまたもとのように、平年は21日、閏年は20日のパターンに戻る。
 春分の日を彼岸として、お墓参りをしたり彼岸会をしたりする習俗は、インドや中国にもなく、日本だけのものだというから驚く。
 これは原始的な太陽崇拝からきていて、太陽が真西に沈むこの日に、農耕の安全と豊かな農作を祈り、祖先の霊を祀る習俗が下地にあった。
 その上に、仏教の伝来によって、この世の此岸(しがん)に対して、向こうの岸すなわち彼岸には阿弥陀仏がいて、なくなった人たちもいる、という考えが広まっていった。
 
太陽が真西に沈む春分こそ、西にある極楽浄土への道が示される日であり、此岸と彼岸がつながって行き来出来る日として、祖先の墓参りなどさまざまな行事を行うようになった。
 
こうしてみると、お彼岸の習俗は仏教という一宗教を越えて、より広く日本の風土と精神に深く関わっている伝統行事であることが分かる。
 僕は最近になって、春分の日や秋分の日は、太陽が真東から出て真西に沈むという、小学校で習った基礎的なことが、不思議でたまらなくなってきた。
 これは地球上のどんな場所でも、そうなのだろうか。日本の鹿児島でも札幌でも、アラスカでも赤道でも南半球でも、太陽は真東から出て真西に沈むのだろうか。それはどうして?
 春分や秋分は昼の長さと夜の長さがほぼ同じになるというのも、地球上のどの場所でもそうなのか。どうしてそうなるのか、説明が出来るだろうか。
 地球の公転軌道に対して、地軸がちょうど直角になるから? だと、地球上のどの場所でも同じことが起きるのか?
 それなら、北極点と南極点ではどうなのだろう。おそらく太陽はちょうど地平線から半分ほど顔を出した状態で、地平線を一周する。
 春分の日や秋分の日の、北極点や南極点での太陽の動き方について、実際に目の当たりにした探検隊員の話を聞いてみたいものだ。(3月18日)

 <『時間の岸辺から』その73 偽札列島> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 かなり昔のことになるが、千円札を筆で模写して真ん中に「本物」と書いたものを美術展に出品した小説家が、通貨偽造の罪に問われた。
 前衛芸術か偽札かをめぐって法廷で争われ、小説家は有罪となった。
 これは本物と間違いようのない「作品」だったが、最近の偽札の中には自動販売機を通るほど精巧なものも現れている。
 去年11月、政府・日銀が1万円、5000円、1000円の3種類の新しい紙幣を発行したのも、偽札封じが狙いで、新紙幣にはホログラムなどさまざまな偽造防止の工夫が凝らされている。
 ところが、こうした対策の裏をかいたような偽札が、新年早々から全国で見つかっている。
 初詣客でにぎわう各地の神社や寺で、さい銭箱から旧1万円札の偽札が次々に出てきて、松の内だけで820枚にものぼった。
 その後も、コンビニ、スーパーなどで偽1万円札が出るわ出るわ。何人かの逮捕者も出ているが、大掛かりな偽造グループが存在しているという見方も強い。
 加えて1000円札や500円硬貨のニセモノもあちこちに現れて、混乱に拍車をかけている。
 巧妙な偽札が横行する背景には、パソコン、スキャナー、プリンターの性能が向上していることが指摘されていて、偽札はデジタル社会の副産物でもあるのだ。
 海外旅行先で両替を頼むと、受け取った紙幣を透かしたり斜めから光を当てたりして、偽札かどうか念入りにチェックする光景は珍しくないが、日本では普通、見た目や手触りに異常がなければそれ以上疑うことはあまりしない。
 今回の偽札騒動で、コンビニの中には「お客様から渡された紙幣を点検させていただくことがあります」という張り紙を出すところも多くなっている。
 もしも、自分が持っている紙幣の中に偽札があることに気づいたら、どうしたらいいのだろうか。
 トランプのババヌキのように、早く手放してほかの人に渡してしまおうとすれば、それはれっきとした犯罪になる。
 警察に届け出れば、同額の通貨と交換してくれるのか、という質問をインターネットなどでよくみかけるが、世の中、そんなに甘くはない。
 ケースによっては捜査当局から、いくらかの「協力謝金」をもらえることもあるが、多くの場合は提出してそれまでとなる。
 結局のところ、受け取る時に自分でチェックするしかないのだが、1枚1枚これをやっていたらギスギスした社会になって、あちこちでけんかも起きるだろう。
 偽札の流行は、社会の歯車をきしませ、人々の心をすさませる。
 それは、日本の社会に急速にまん延している拝金主義の風潮と、決して無関係ではないような気がする。(3月14日)

 <東京大空襲から60年、都市への無差別爆撃の責任は>
 10万人の犠牲者を出した東京大空襲から今日でちょうど60年。東京・下町の各地でさまざまな追悼行事や法要が営まれている。
 都市への無差別爆撃によって、敵国の非戦闘員である一般市民を大量に殺傷する。そのことの積み重ねによって、敵国の軍部指導者たちの戦意を失わせ、戦争を終結させる。
 こうしたやり方は、戦争である以上、仕方のないこととして国際的に容認されるのだろうか。とりわけ、戦争を仕掛けた側の国、この大戦でいえばドイツや日本に対しては、どのような大量殺戮をやっても許されるのだろうか。
 1945年(昭和20年)、東京大空襲をはじめとする150以上もの都市への無差別爆撃で、非戦闘員の死者は30万人に上るといわれている。
 投下された焼夷弾は、木と紙で作られている日本家屋を最も効果的に炎上させることをねらい、日本家屋の模型を使った入念なテストを繰り返して作り上げた日本人殺傷専門の爆弾だった。
 都市への無差別爆撃のトドメが、ヒロシマ、ナガサキへの2つの原爆で、さらに30万人が犠牲になった。
 この不条理な地獄図は、いったい誰に責任があるのだろうか。アメリカにとって、戦争を終結させるという目的のためには、日本人の非戦闘員が50万人死のうが60万人死のうが、何らの罪悪感もなかったようだ。
 アメリカに責任がないとすれば、戦争を始めた日本の指導層や軍部の責任なのだろうか。確かに、世界の動きや各国の国情に無知のまま、無謀な戦争に日本国民を引きずり込んだ軍部の責任はあまりにも大きい。
 戦局が著しく悪化してもその状況を国民に隠し続けて、一億火の玉だの本土決戦だのを叫び続けていたことが、都市への無差別爆撃や原爆投下の口実となったことは疑いのないところだ。
 ひとたび戦争になれば、どちらかの陣営が壊滅的な犠牲を出して降伏するまで、地獄の大量虐殺が続くことは避けられない。
 それはもはや、戦時国際法だの人道だのといったレベルの問題ではなく、徹底して大量に殺しまくる以外に、始まった戦争にピリオッドを打つ方法がないということだ。
 戦争放棄を定めた平和憲法は、こうした戦争の底なしの地獄を回避する唯一の道として、幾多の戦死者たちと非戦闘員の死者たちの屍の上に、かろうじて作り出された究極の叡智の産物であった。
 その平和憲法を、勇ましい行け行けの掛け声によって、変えてしまうならば、東京大空襲で生きながら焼かれていった10万人の人々の霊は浮かばれない。
 戦争の惨禍を避ける道は、戦争をしないことに尽きる。
 戦争をしない国づくりと人づくり、そして戦争をしない外交。戦争以外の方法を総動員して、世界の平和と安定に貢献することでしか、戦争を押しとどめることは出来ない。(3月10日)

 <「食後のコーヒー」は死語になったか、先に飲む若者たち>
 だいぶ昔のことになるが、さる地方都市のレストランでランチを注文した。コーヒー付き、と書いてあったので、僕は当然のことながら、食後に運ばれてくるものと思っていたが、なんと真っ先にホットコーヒーが来て仰天した。
 ウェイトレスに、「コーヒーって、食後に出すものじゃないですか」と言ったら、「いえ、食後にと言われた時には食後にお出ししますが、何もおっしゃらないお客さんには最初にお持ちしています」と平然としている。
 僕は、「食後のコーヒー」も知らないのかと、このレストランを大いに軽蔑したものだが、最近になって、こうしたやり方もあながち間違いではないのかも知れない、と思うようになった。
 ヨーロッパなどに旅行してみると、朝食の場合はヨーロピアンスタイルでもアメリカンブレックファストでも、コーヒーと一緒が普通だが、ランチやディナーでは食後のものだ。
 最近は、日本のレストランのランチ戦争がどこでも過熱化していて、安価で上質なメニューでいかに客を呼び寄せるかに懸命だ。ここで決め手となるのは、コーヒー・紅茶が付いてくるかどうかだ。
 表に出ているランチメニューを見て、「なあんだ、コーヒー付いてないんだね」と言いながら、コーヒー付きの別の店に行く人たちも多い。
 僕が驚くのは、ランチにコーヒーが付いているかどうかに敏感な若い人たちの間で、コーヒーを食前に、あるいは食事と一緒に持ってきてくれるよう頼む人が、極めて多いことだ。
 暑い日やのどが渇いている時に、レストランに入ってまずアイスコーヒーでも飲みたい、というならまだ分かる。
 が、彼らあるいは彼女らは、ホットコーヒーを最初に飲んだり、食事と一緒に飲んだりしている。
 スープや味噌汁がついているランチでは、ホットコーヒーと交互に飲んだりしているが、僕などはホットコーヒーをこのようにして飲む気持ちがまったく理解出来ない。
 コーヒーを飲んでからスープを飲んで、それから食事という人も少なくない。どのような胃の構造になっているのか、と思う。
 「付いて来るものを、先に飲もうが、チャンポンで飲もうが、勝手でしょ」ということかも知れないが、「食後のコーヒー」という言葉はもはや死語なのだろうか。
 従業員の方でも最近は、「お飲み物はいつお持ちしましょうか」と尋ねるようになっていて、ますます「先に」とか「一緒に」という返事を増加させている。
 そのうちデザート付きのランチでは、最初にコーヒーとデザートを食べようとする客も出てくるかも知れない。
 蓼(たで)食う虫も好きずき、である。(3月6日)

 <勝浦市に里子に出した我が家のお雛様たち>
 娘たちが小さかった時には、毎年、2月の節分が過ぎたころから、段飾りの雛人形を飾りつけるのが僕の役割だった。
 段を組み立てて、緋毛氈をはり、箱から出した人形を一体一体、身なりを整えて飾っていく。出来上がった段飾りに、ぼんぼりのライトを点灯すると、夢の世界が出現した。
 そんなことが10数年も続いただろうか。娘たちもしだいに大きくなってそれぞれに忙しくなり、さまざまな家庭内の事件があったりして、いつの頃からか飾ることをやめてしまった。
 雛人形を収納しておく箱は意外に大きく、それが2箱と、ほかに解体したスチールの段も結構な大きさだった。10年ほどの間は、貸し倉庫を借りて預けていたが、飾らないままいつまでも預けておくわけにもいかない。
 この雛人形たちをどうするかが、大きな問題となってきた。ネットでいろいろ検索していくと、不要になった雛人形を受け取って供養してくれる神社がいくつか見つかった。
 しかし供養が終わった後は、処分されるのだ。10数年も我が家の娘たちの成長を見守り続けてきた雛人形が、いくら供養の後とはいえ廃棄処分にされるのは、忍びない。
 四国の方に、不要になった雛人形を持参してもらい、供養の後はほかの雛人形たちと一緒に飾ってくれる神社があったが、持参のみの受け付けで、配送は不可というので、あきらめざるを得なかった。
 そんな時に、テレビで千葉県勝浦市が、市をあげて「かつうらビッグひな祭り」というイベントに取り組んでいて、全国の家庭で飾らなくなった雛人形の寄付を募っている、というニュースを新聞やテレビで知った。
 受け付け期間が決められていて、事前に申し込み手続きをしておけば、宅配便での配送も出来る。実行委員会に電話して、人形の数や段の有無などを伝え、指定の場所に配送するとともに、供養料3000円を振り込む。
 供養というのは、それぞれの家庭での役目を終えた雛人形たちをねぎらい、新たな土地での新たな任務に向けて激励するというような意味があるらしい。
 こうして我が家の雛人形たちは、2002年の初め、勝浦に向けて旅立って行った。一抹の寂しさが残ったが、箱に入ったまま日の目を見ないよりは、この方がいいのだと思った。
 その年の「かつうらビッグひな祭り」のテレビは、とりわけ目を凝らして見た。我が家の人形たちがどこにいるのかは、もちろん分からないが、感無量だった。
 3月の中ごろ、思いがけなく、「かつうらビッグひな祭り」の実行委員会から、ひな祭りの写真とていねいなお礼状、そして供養料の領収書が送られてきた。
 今年も「かつうらビッグひな祭り」が先月26日から始まっている。2万体の雛人形が市内6箇所の会場に3月6日まで飾られているという。
 里子に出した我が家の雛人形たちは、今年はどこの会場で、どんな顔つきで飾られているのだろうか。(3月2日)

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2005年2月

 <「南セントレア市」を拒否した住民たちの見識>
 なんでもカタカナにすればいいってものじゃない。愛知県の美浜町と南知多町が合併して「南セントレア市」になることの可否を問う住民投票で、合併そのものへの反対票が多いという予想外の結果となり、新市名以前の問題として合併自体がご破算になった。
 僕は最初に「南セントレア市」という名前を聞いた時に、言いようのないイヤな感じがしてたまらなかった。なんというか一部のカタカナかぶれの連中が、強引に名づけたという成金感覚がプンプンで、さらにいえば住民たちがこんな名前を受け入れたらいかにも田舎モノ丸出し、というイメージがあった。
 しかし、美浜町と南知多町の住民たちは立派だった。住民投票でそもそも合併を拒否しただけでなく、併行して行われた新市名の住民アンケートでも、「南セントレア市」は3位にとどまったのだ。
 聞くところでは、合併推進の過程で住民アンケートをとった段階では、候補にすら挙がらなかった「南セントレア市」を、突如として強引にねじ込むという手法が、住民の総スカンを食らったらしい。
 平成の大合併といわれる一連の町村合併では、歴史と由緒ある地名がどんどん消えている。地名が文化であり、遺産であることなど微塵だに理解できない役人たちによって、財政効率の御旗の下に消滅していった地名がいかに多いことか。
 銀行にしてからが、三菱東京UFJ銀行などという利用者不在の名称をつけているくらいだから、合併後の地名をめぐってもめるのはあたりまえで、地名が消えるくらいなら合併などしなくてもいい、という住民感情も理解できる。
 「南セントレア市」のご破算と時を同じくして、長野県駒ケ根市と飯島町、中川村の合併による「中央アルプス市」もまた、住民投票で合併そのものへの反対が多く、見送られることになった。
 日本ではカタカナの市名はなじまないのかというと、そうでもなく、2年前に山梨県白根町などの6町村が合併して誕生した南アルプス市のケースがある。
 この場合は、4656通の応募の中から上位の3候補に絞り、合併協議会委員による投票で、応募1位の「南アルプス市」を選んだという経過があって、住民の意向を最大限に尊重しながら進めたことが、日本で初めてのカタカナ名の市に結実した。
 それに比べて、失敗に終わった「中央アルプス市」は二番煎じの感は否めず、「南セントレア市」となると「セントレア」ってなんのこっちゃ、と物笑いのタネにしかならない。
 カタカナ名の市をこれ以上増やすよりは、合併後にも歴史的な地名が残るような手立てを真剣に考えることの方が大事ではないのか、という気がする。(2月28日)

 <道真の東風吹かばの句で考える、「な‥そ」の使い方>
 昨日は春一番が吹き荒れて、短い2月もあとわずか。1週間後はひな祭りだ。
 この季節になると、思い出される句がある。 
 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
 大宰府に左遷される菅原道真が都を去るときの句として、あまりにもポピュラーだ。「あるじなしとて」に、道真の万感の思いが込められている。
 最近気になるのは、この最後を「春を忘るな」と書いている文章に時々お目にかかることだ。
 意味としてはそうなのだが、ここは古文の文法の時間に習ったことを復習しておきたい。
 「な」+動詞の連用形+「そ」で、禁止の意味になり、それも「どうか‥しないでおくれ」「どうか‥してくださるな」という懇願に近い禁止となる。
 道真の句では、「どうか春を忘れないでおくれ」というニュアンスになる。「春を忘るな」というストレートな禁止でないところに深い味わいがあると言えよう。
 この「な‥そ」の語法は、「な」が禁止で「そ」が強意である。動詞の前に禁止の「な」がくるところは、フランス語のne‥pasにとてもよく似ていて面白い。「な」とneは発音までそっくりだ。
 「な‥そ」が使われている短歌に、教科書にも載っている北原白秋の歌がある。
 春の鳥な鳴きそ鳴きそ あかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕べ
 「な鳴きそ」で、「どうか鳴かないでおくれ」になり、「な」が二つの「鳴きそ」にかかっている形になっている。文法上からは例外的だが、歌のリズムとしてはひときわ切々とした哀愁を伝える。
 日常生活でこの「な‥そ」が使われることはないが、若い人たちが流行させたら結構洒落た言い方になるのではないか、と思う。
 「な笑いそ」「な別れそ」「ないじめそ」などから「煙草な吸いそ」「偽札な作りそ」「穀物な盗みそ」など、いろいろ使えそうな気がする。(2月24日)

 <『時間の岸辺から』その72 はなこさん襲来> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 だいぶ昔のことになるが、「トイレの花子さん」という怪談が、全国の小学生たちを震え上がらせたことがあった。
 だれもいないはずの学校のトイレで、ドアをノックして「花子さん」と呼びかけると、「はーい」と返事が返ってくるというのだ。
 学校の怪談ブームが下火になるにつれ、いつしか花子さんも忘れられていったが、今年は日本中が新たに現われた「はなこさん」に戦々恐々としている。
 「はなこさん」とは、環境省が今年からインターネット上に設置した花粉観測システムの愛称だ。花粉だから「はなこ」とは、お役所にしては考えたネーミングである。
 このシステムは、全国55カ所に設置された花粉自動計測器から送られるデータをもとに、「はなこさん」が各地で飛び回る状況をリアルタイムでネットに表示する。
 今年の春は、去年夏の猛暑の影響で、花粉の量が各地で史上最大となることが予測されている。東京では去年の30倍の飛散量となると見られている。
 すでにスギ花粉は飛び始めていて、3月にはヒノキの花粉が加わり、4月末ころまで続く。花粉症の患者は日本に2000万人と言われているが、今年は異常な大量飛散によって、新たに花粉症の仲間入りをする人たちが一気に増えることも心配されている。
 ドラッグストア、デパート、スーパー、コンビニなど、さまざまなところで花粉症対策グッズのコーナーが設けられ、今年の花粉特需は600億円に上るという民間シンクタンクの試算もある。
 一方では、花粉を恐れて外出が控えられる影響で、個人消費は7500億円の減少になるという試算もあり、花粉が景気回復の足を引っ張るのでは、と心配する声も出ている。
 これほど多くの人が毎年苦しんでいるのに、なぜ抜本的な対策が採られないまま、放置されているのか、と誰もが不思議に思う。
 対策が進まない大きな理由は、これまで花粉症による直接の死者が出なかったためではないか、と僕は思う。
 くしゃみや鼻水で苦しいだけでは、政府が本腰を入れて取り組むはずがない。相当数の死者が出て初めて、国や関係機関が重い腰を上げるのは、この国のいつもの習わしなのだ。
 僕が推察するに、対策を進めにくいもう一つの大きな理由は、花粉症の原因として最も疑われているのが自動車の排ガスであることだ。
 車の交通量の多い幹線道路沿いの住民たちに、とりわけ多くの花粉症患者が発生していることは、従来から指摘されている。
 だれもが、このことをうすうす感じているのに、自動車や道路を軸に成り立っている日本の経済システムにとって、ここに踏み込むことはタブーに近いのだ。
 「はなこさん」は、過密な車社会が招きよせた現代の妖怪といっていい。(2月20日)

 <温暖化によるシロクマとイヌイットの危機は、明日の人類の姿>
 シロクマ(ホッキョクグマ)が、もうじき地球から姿を消そうとしている。
 世界自然保護基金(WWF)は、温暖化の進行でシロクマは20年以内に絶滅する危険がある、と警告した。
 シロクマは地上最大の4つ足肉食獣で、オスの体重は800キロにもなる。シロクマは雪や氷を掘って巣をつくり、その中で出産して子育てをする。
 いま北極圏の氷は、温暖化によって急速に溶解が進んでいて、シロクマは絶滅の危機に立たされている。
 シロクマの危機は、地球生命圏の危機を象徴していて、それは明日の人類の危機でもあるのだ。
 人類の中でも、かつてエスキモーを呼ばれ、雪と氷の中で暮らしているイヌイットの人々は、北極圏の氷の融解によって、生存そのものが立ち行かなくなっている。
 イヌイットの人々は、温室効果ガスの最大の排出国であるアメリカによる人権侵害であるとして、4月にも米州人権委員会に申し立てをする、という。
 温暖化による気象と気候の激変が、だれの目にも感じられるほど顕著になってきている中で、今日16日から温暖化防止の京都議定書が発効する。
 本来ならば発効は人類が気持ちを新たにして、人間活動と生活のあり方を根本から考え直す機会であるのだが、だれもが憂鬱と重苦しさを感じる中での発効だ。
 その原因は、アメリカが京都議定書に背を向け、議定書が目標とする温暖化ガスの削減に、断じて参加しないという姿勢を貫いているためだ。
 アメリカが世界最大の危険要因であり、最大の悪の枢軸であることは、イラク戦争に見られるように、増長してつけあがった先制攻撃論はもちろんのこと、環境破壊の張本人でありながら全く環境のことを考えようとしない独善に表れている。
 温暖化に対する姿勢は、共和党も民主党もまったく同じで、8年前に上院で、「経済に影響を及ぼす、いかなる温暖化対策も拒否する」という決議を、95対ゼロで可決したことに如実に示されている。
 だが温暖化防止とはまさに、経済に影響を及ぼすことにほかならない。資源とエネルギーの大量消費をやめ、これまでの右肩上がりの経済成長と快適で便利な生活を、根本から見直して、国際的な制約と束縛に従っていかなければ、待ち受けるのは取り返しの不可能な破滅である。
 アメリカはもはや人類の敵であり、生命圏全体の敵である。
 地球と生命圏、人類が将来に渡って生き続けるためには、アメリカが存在しなくなるしかない。(2月16日)

 <第三のブラウザ、Firefox 1.0はサクサクとして新機能満載>
 ブラウザはIEかネットスケープか、人によって好みが分かれるところだが、僕は96年末に初めてパソコンを買ってインターネットをやるようになってから、一貫してネットスケープを使っている。
 当時はNN(ネットスケープ・ナビゲーター)だったものが、やがてNC(ネットスケープ・コミュニケーター)に変わり、それがいままたバージョンアップされたNNになって、僕が常に使っている標準のブラウザはネットスケープのまま変わらない。
 現在はバージョン7を使っているが、サイトによってはバージョン4にしか対応していないものもあるため、同じネットスケープでも4に切り替えることもある。
 僕がなぜネットスケープにこだわるかの説明は難しいのだが、なじんだ雰囲気というか、この8年間親しんできた操作性のようなものが大きい。
 それともう一つには、IEは攻撃に弱く、セキュリティーが甘い、といわれていることも、僕がIEを敬遠している原因にもなっている。
 もちろん、IEの最新バージョンもインストールしていて、自分のホームページがIEでどのように表示されるかのチェックには欠かせない。
 こうして僕は、バージョンの異なるNNと最新バージョンのIEを使い分けているのだが、ここにきてNNでもIEでもない全く新しい第三のブラウザの存在を知った。
 それはFirefox 1.0で、世界中で2300万回もブウンロードされている人気の新ブラウザなのだという。98年にネットスケープのソースコードが公開されて、Mozillaプロジェクトがスタートし、その最新の成果がこのブラウザとされている。
 無料サイトからダウンロードしてみると、ルーツがネットスケープにあるためNNからの違和感はなく、サクサクとした操作性は快適だ。NNのブックマークも簡単に移入できた。もちろんIEのお気に入りも移入できる。
 このFirefox 1.0は、NNもIEもなし得なかったさまざまな進化を備えていて、それをいろいろ試していくと面白い。
 まずブラウザのツールバーから、さまざまな検索エンジンを選んで、単語を入れて検索が出来ることはありがたい。さらに、新しいページを開くたびにタブがどんどん追加されていって、タブをクリックするだけでページが切り替わるタブ機能もうれしい。
 もっと凄いのは、URLを入力するアドレスバーに、日本語の単語を入れてEeterキーを押すと、なんとその単語に最もふさわしいサイトをブラウザが見つけ出して、そのサイトそのものが表示されるのだ。NNもIEでこれをやっても、特定の検索エンジンの結果一覧が表示されるだけだ。
 例えば、アドレスバーにいきなり「朝日新聞」と日本語で入力してEeterキーを押すと、asahi.comにつながる。
 ためしに、「21世紀の歩き方」と入力したら、僕のこのサイトのトップページにつながり、「地球カレンダー」と入力すると、僕のサイトの地球カレンダーのページが出る。これは新鮮な驚きであり、感激ものだ。
 ほかにも、RSSに対応しているなど、ネットの新しい時代にしっかり対応していて、このFirefox 1.0はお奨めだ。
 普段使うブラウザにしなくても、時々切り替えて使ってみるとさまざまな新発見がある。(2月12日)

 <『時間の岸辺から』その71 青い大発明> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 今年の冬は、日本の都会にピュアでシャープな青い光があふれている。
 街路樹を飾るイリュミネーションや商店のディスプレイなど、いたるところにこの青い光が使われていて、都市の新しい視覚体験とまでいわれている。
 それは、深海を思わせるような濃くて透明なブルーで、一つ一つの小さな光源が強烈な明るさを放ち、僕はこの輝きを見ると新しい時代の到来をまざまざと実感する。
 光の正体は、青色発光ダイオードだ。電気信号を光に変換する半導体で、熱を発しないことや消費電力が少ないこと、寿命が長いことなどから、21世紀の光として注目を集めている。
 赤や緑の発光ダイオードは20年以上前に開発されて、すでに家電製品の表示ランプなどさまざまなところに使われているが、青だけは開発が難航し、これを発明したらノーベル賞ものといわれてきた。
 青色発光ダイオードは93年、日亜化学工業の社員だった中村修二さんが世界で初めて開発に成功した。
 これによって発光ダイオードは光の3原色が揃い、組み合わせでどんな色でも作り出すことが可能となり、街で見かける大型のカラー・ディスプレイへの応用をはじめとして、光の世界を大きく変えている。
 身近なところでは、交通信号だ。従来の電球式信号は、太陽の位置しだいで見えにくかったが、発光ダイオードは太陽の光を浴びても逆光でも、明るく見やすいことから、いま全国の信号は急速に切り替わりつつある。
 発光ダイオードがあらゆる照明の主役となるのも時間の問題とされ、市場規模は2010年に年間1兆円にのぼると見られている。
 この発明者に対して、どれくらいの報酬が支払われたのかは、だれもが気になるところだ。
 開発した中村さんは、発明の対価としてもらった報奨金はわずか2万円だったとして日亜化学工業を訴え、一審の東京地裁は去年1月、会社側に200億円という巨額の支払いを命じる判決を出して、大きな話題となった。
 ところが今年1月、こんどは東京高裁が8億4000万円に大幅減額した和解案を提示して、これで決着がつくことになった。
 高裁の判断に対しては、司法は科学技術の飛躍的進歩であるブレークスルー(壁を突破して前進する)に対応できていない、と失望する声も少なくない。
 大発明とは、世界中の研究者たちが突破出来なかった壁を打破して、大きく道を切り開くことだ。
 米大リーグで活躍する日本人選手が、3年間で25億円という年俸をもらっていることを思えば、世の中の光景を一変させる発明の対価は、200億円でも安いくらいだと僕は思う。
 夢の実現に対して夢の対価で報いることは、夢の成果をたっぷりと享受する社会からの、当然のお返しのような気がする。(2月8日)

 <日が長くなって立春、日経と朝日では春の訪れが正反対>
 今日は立春だ。いつの間にか日が長くなって、夕方5時になっても東京では太陽が沈まず、地平線ギリギリのところにある。
 昨日の日の入りは午後5時11分だったが、今日は午後5時12分と、1日で1分遅くなっている。
 日の出の方は昨日が午前6時39分だったのが、今日は午前6時38分と、1日で1分早くなっている。こうして着々と春が近づいてきている。
 今年の立春は、旧暦で新年が来る前に立春になる「年内立春」である。よく引き合いに出されている古今集の歌がある。
 年のうちに春は来にけり 一年(ひととせ)をこぞとやいはむ今年とやいはむ 在原元方
 年が明けないうちに立春が来たが、年が明けたら立春から大晦日までの間を去年と言うべきか今年と言うべきか、と戸惑う気持ちを歌っている。
 日本列島は思いがけない大寒波の襲来で、まさに春は名のみだが、気になるのはこれからも寒い日が続くのか、春らしい暖かさが早くくるのかだ。
 これについて、今日の夕刊は新聞によって全く正反対の記事を掲載していて驚く。
 まず日経夕刊。見出しに「寒さ今後は厳しく 暖冬予想を撤回」とあり、記事を読むと、気象庁はこの冬を「暖冬」になると予想していたが、予想を「平年並みか低い」と修正した、とある。
 一方、こんどは朝日の夕刊だ。見出しに「寒さ一服 春の訪れ、早そう」とあり、記事では12月から今月2日までの気温の平年差は東日本、西日本、北日本ともいずれも高く、暖冬傾向に変わりなかった、とある。
 そして朝日は「3カ月予報では、3月は平年並みか暖かく、春の訪れは早そうだ」とまとめている。
 どうして同じ気象庁の予報なのに、日経と朝日ではまったく正反対の内容になっているのだろうか。担当記者の個人的な解釈の違いなのか、それとも何か社の報道方針でもあるのか、読む方にとっては、どちらを信じればいいのか分からなくなる。
 最近は新聞によって、まるで正反対のニュアンスで書かれている出来事が多くなってきた。読み比べれば、新聞記事を簡単に信用することの危険を感じるが、1紙しか購読していない多くの人は、書いてあることを素直に信じてしまうのではないか。
 日経の読者にとっては、これからは暖冬ではなく寒さが厳しくなり、朝日の読者にとっては暖冬で春の訪れは早い。新聞記事は書き方や見出しでどうにでもなる、という見本のようだ。(2月4日)

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2005年1月

 <2月が28日しかない理由と、なぜ逃げていくのかの考察>
 今年2005年も、12分の1が過ぎた。毎年のことだが、元日から7日ころまでの一週間は、一年の中で最も時間の歩みがのろく感じられるが、いったん松の内を抜けてしまえば、光陰矢の如しになってしまう。
 カレンダーは1枚切り取って、2月へ。
 この2月というのが、なんとも悲しい感じがする月なのだ。世間ではニッパチなどと言って、8月とともに最も売り上げが低迷し、28日しかない短命さも影響して企業の業績もどん底となる。
 年明けの正月の晴れがましさと、3月の春への息吹と跳躍の期待感に挟まれて、2月はもう最初から経過地点としてしか位置づけられていない様子で、何かをじっくりと集中してやれる月ではない雰囲気すらある。
 人々の心理として、2月は早く過ぎてほしいという潜在的な気分があるのではないか。その心理はおそらく、暦の上では立春になったのに、春は名のみの寒さが続いていることや、年度末と人生の切り替え地点を前にして、だれもが雑用にバタバタする時期であることも、影響しているのだろう。
 だから、2月は逃げる、とも言われ、実際に2月の逃げ足の速さには驚くほどなのだ。
 2月はなぜ28日までしかないのか。31日の月から1日ずつ取ってくれば、2月は30日となり、大の月が5つ、小の月が7つでちょうどいいのではないか、とよく質問が出る。
 いろいろなところで書かれていることだが、なぜ2月が28日なのか、もう一度おさらいしておこう。
 まず大昔の暦では、いまの3月が最初の月だったため、日数の調整は年の最後の月であった2月に行っていた。英語の9月が「7の月」、10月が「8の月」、11月が「9の月」、12月が「10の月」という意味なのは、このころに由来する。
 ユリウス暦になって、年の始まりが1月からに変わり、3月から大の月と小の月を交互に入れる形になったが、最後の日数調整はこれまで通り2月に行う習慣が残った。
 この時点では、大の月は3、5、7、9、11、1月、小の月は4、6、8、10、12で、2月は29日だった。
 混乱が生じたそもそものきっかけは、ジュリアス・シーザーが7の月に自分の名前をつけて、英語読みでJulyとしたことに始まる。
 シーザーの後継者のローマ皇帝アウグストゥスも、これにならって8月に自分の名前をつけてAugustとしたが、そのAugustが小の月ではイヤだとダダをこねて大の月に変えてしまい、足りなくなる1日を2月から引いて28日にした。
 7、8月と大の月が並ぶため、9月から12月までの大小を逆にしたのもこの時だ。
 というわけで、2月が短くてパッとしない月になったのは、皇帝アウグストゥスのわがままによるところが大きい。
 逃げる2月は逃げるにまかせて、春本番を待つとしよう。(1月31日)

 <一寸先は闇の人生、何の変哲もない平凡な日々の至福>
 人生一寸先は闇。リゾート観光を楽しんでいた人たちの人生が、スマトラ沖の大津波で一瞬にして終わってしまう。観光後にあれこれと考えていたであろう今後の算段ももくろみも、すべてがその瞬間に断ち切られてしまう。
 少なくとも80歳前後までは続くはずだった自分の人生が、これほど突然に幕を閉じるとは、被害者のだれもが思ってもみなかったに違いない。
 生きるということは、リスクに満ちた大海を泳ぎ続けていくことなのだ。いつサメに足や手を食いちぎられるやも知れぬ。手足どころか、胴体を真っ二つに食いちぎられることだってあるだろう。
 大波をかぶることは毎度のことだ。泳ぎ続けているうちには、嵐や台風にすら遭遇するかも知れない。高い波や渦に巻き込まれて、そのまま力尽き果てる可能性は常にある。
 幸いに大きな流木などに出くわして、つかまって一息入れることだってあろう。不幸にして流木に頭をぶつけて、致命傷になることもある。
 一寸先が闇であるのは、海外でも日本でも、外出していても家の中にいても、生きていく限りはどうにもならない定めであって、人生において絶対的な安全地帯などあり得ないのだ。
 昨日、小千谷市の旅館で雪の重みで屋根がつぶれ、入浴中の男性客2人が押しつぶされて死亡する事故があった。一人は宿泊客で、もう一人は新潟県中越地震の仮設住宅から入浴にきていたという。
 一日の疲れをとるべく暖かい旅館の風呂場で、この入浴客たちはまさか自分の人生が突然終わってしまい、テレビや新聞に自分の名前が報じられることになろうとは、夢にも思わなかったであろう。屋根が落ちてきた時、二人はどんな思いだったことだろうか。
 自分の家で寝ていても、トラックが飛び込んできて就寝中に命を落としたケースだってある。病院に入院していても殺人事件の被害者になることもある。電車の中もホームも路上も学校も、いつ何時、事件や事故に遭わないとは限らない。
 絶対の安全はどこにもないこと。どんな人間もいつかは必ず死ななければならないこと。人間の身体は強いようでいて、外部からの無理な力にはめっぽう弱くもろいものであること。これらを十分頭に入れておく必要がある。
 そうすればおのずから、幸せとは何かが見えてくる。
 人間にとって最高の幸せは、自分と家族が今日も一日、何事もなくあたりまえに暮らすことが出来て、心身ともに健康でまた明日を迎える、そのことの繰り返しが続くことではないだろうか。
 勝ち組やセレブの仲間入りなどしなくても、平凡で何の変哲もなく生きていけることこそ、人間が望むべく最高の贅沢であり、これを感謝せずして何を感謝するというのだろうか。
 欲を出せばきりがない。上を見ればきりがない。身の程を知った、身の丈に合った凡庸な人生こそ、至福の日々であることを忘れずにいたい。(1月27日)

 <『時間の岸辺から』その70 52分授業> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 テレビの標準的なCMは1本が15秒で、2分間で8つのスポンサーのCMを放映することが出来る。
 2分でこれだけの情報を伝えられるならば、授業時間を2分延長することで、生徒の学力向上を図れないだろうか。
 東京・世田谷区の教育委員会が去年4月から、31校の区立中学校に対して、従来の50分授業を52分授業にするよう働きかけたのは、こうした思惑があったとされる。
 区教委の説明によると、1コマの授業を2分延長すれば、年間で50分授業39コマ分が新たに生み出される、というのだ。
 呼びかけに応じて、3分の2にあたる21校が52分授業に踏み切った。
 打ち出の小槌(こづち)のような、こんなうまい話が本当にあるのだろうか。9カ月が経過した今、さまざまな検証や見直し議論が始まっている。
 授業を2分延長した場合の、最も大きな問題は、その2分をどこから削ってくるかだ。
 休み時間をこれまで通りに10分間確保したのでは、時間割りが極めて複雑になる上、全体が後ろに延びていって、終業時間が遅くなる。
 結局どの学校も、授業を2分間延ばす代わりに、休み時間を2分間減らして8分間に縮める道をとった。
 「教師も生徒も1分の重みを再認識するようになった」と評価する声がある一方で、「休み時間が忙しくなり、体育の着替えや次の授業の準備が間に合わない」という声も多い。
 学力向上にどれだけプラスになっているのかは、まだ判断を下せる段階ではないが、僕が気になっているのは、この方針の陰には休み時間に対する蔑視が潜んでいないか、という点だ。
 1分の重みを言うのであれば、休み時間の1分もまた同じ重みを持つはずだ。
 それどころか、授業時間を2分延長しても4%の増加でしかないのに、休み時間を2分削れば20%の減となり、これは明らかにバランスを欠いている。
 52分授業の背景に見え隠れしている発想は、このところ日本社会にジワジワと広がっている効率優先の成果主義と根が同じような気がする。
 それは、休むことはムダであり、無価値であり、効率の邪魔である、という論理に帰着する。
 年間を通して50分授業39コマ分が生み出されるということは、それだけ膨大な休み時間が失われていることを意味する。
 休み時間は、次の授業の準備のためだけにあるわけではない。トイレに行ったり、水を飲んだりすることも必要だ。
 クラスメートとおしゃべりしたり騒いだりすることもまた、学校生活に欠かせない大切な時間なのではないだろうか。
 僕は、学力向上という狙いと引き換えに、授業だけでは得られない大切なものが失われているのでは、と気になって仕方がない。(1月23日)

 <ドストエフスキーの「悪霊」を読了、その現代性と神について>
 ドストエフスキーの「悪霊」を読み終えた。いつか読もう読もうと思いながら、なかなか踏ん切りがつかずに、新潮文庫で文字が大きくなった版が出ているのを見つけて、ようやく半月かかって読むことが出来た。
 登場実物が多く、複雑で難解な部分も少なくないが、さまざまな人物が重層的にからみあいながら、後半の大破局に向けて息もつかせぬ驚くべき展開となっていき、退屈する部分はまったくない。
 かつての連合赤軍リンチ殺人事件や、記憶に新しいところではオウム真理教の一連の事件で、この「悪霊」が引き合いに出されて議論されるのを読んで、どんな小説なのだろうかと思っていたが、ようやく納得することが出来た。
 目的のためには手段を選ばず、というやり方がどのようなことを引き起こしていくか、悪霊に取り付かれた人間がどのようなことをなし得るまでになっていくか、小説は恐ろしい迫力で生々しく容赦なく描いていく。
 連合赤軍やオウムのメンバーたちは、この「悪霊」を読んだことがあるのだろうか。もしあるとしたら、自分たちがまさに「悪霊」で描かれた底なし沼にはまり込んでいることを、一瞬でも自覚しただろうか。
 あるいは、事件の後で、獄中などで「悪霊」を読む機会があったとしたら、そのメンバーは何らかの啓示のようなものをこの小説から得て、深い後悔や涙にさいなまれることがあっただろうか。
 いや、連赤やオウムだけの話ではない。「悪霊」の世界、とりわけ新しい社会をめざす革命組織の人間関係は、僕の学生のころの生き方とも重なってくる。もちろん状況も目指したものも全く異なるとはいえ、組織の論理、組織の呪縛という意味では、決して無関係とは思えない。
 多くの主要人物の結末は、それぞれに壮絶だが、最も悪霊的であらゆる事件を仕掛けてまわった中心人物が、逮捕もされず死ぬこともなく、彼一人だけ小説の結末からはみ出てしまっているのが、とても不気味で謎めいている。
 この男こそ、小説内に閉じ込められることがないまま、現実の世界に解き放たれて無数の分身を生み、あるものは連合赤軍やオウムのメンバーの中に入り込んで、またある者はアルカイダなど国際テロリストたちの中に生き続けているようにも思える。
 ドストエフキスーの問題提起は、まさに現代の人間が抱える矛盾そのものであり、21世紀になっても全く色あせるどころか、ますます深刻かつ現実的な意味を帯びてきているといえる。
 椎名麟三が「悪霊」に打ちのめされてキリスト教に入信し、埴谷雄高がこの小説の影響を受けて「死霊」の執筆に取り掛かったことは、よく知られている。
 僕が、この小説で最も感銘を受けた人物は、ソフィアという聖書売りの女だ。だが、子どものころから無神論の僕は、この小説を読んでも、やはり神の存在は認めることが出来ない。
 有名な「スタブローギンの告白」は、目をそむけたくなるほど衝撃的だが、これを読めば読むほどに、かえって僕には、神が存在しないことの証明のような気がしてならないのだ。(1月19日)

 <95年からのこの10年、日本と世界は道を間違えた>
 1995年という年は、さまざまな意味で、日本にとって20世紀が終焉した年として、位置づけることが出来るだろう。
 いうまでもなく、この年は明日で10年となる阪神大震災で幕を開け、3月の地下鉄サリン事件によって、20世紀が完璧なまでに息の根を止められてしまったことを、決定的に示したのだった。
 戦後50年のさまざまな企画がマスメディアで展開される一方、金融機関の相次ぐ破綻が古い時代が終わったことを裏書した。
 インターネットがこの年から日本でもジワジワと普及をはじめ、ウィンドウズ95の発売と爆発的な普及が、IT社会の到来を告げた。
 それでは、21世紀は実質的にいつから始まったか。僕はまぎれもなく、あの9.11こそ21世紀のスタート時点と位置づけられるに違いないと思う。
 95年から9.11までの5、6年というのは、20世紀は終焉したが21世紀はまだ始まらないという、不吉で落ち着きの悪い魔の移行期とでも位置づけるほかないだろう。
 この10年の間に、日本は取り返しのつかない2つのミスを犯してしまった。一つは、もはやとまらない少子化という奈落に落ち込んだことであり、二つは、回復不可能な財政破綻に突入してしまったことだ。
 加えて、世界的なミスとしては、72年にローマ・クラブが警告していた「成長の限界」を無視して、温暖化をはじめとする環境破壊にブレーキをかけることが出来ず、これまた21世紀を知り返しのつかない危機の世紀としてしまったことがあげられる。
 この3つの過ちとも、95年の段階ならば、時すでに遅過ぎの感はあるものの、ギリギリのところ21世紀中には苦難の軌道修正を終えて、取り返しはつけられたかも知れない。あるいは95年の段階でも、もはや手遅れだったのかも知れないが。
 2005年の今年は、戦後60年で憲法を変えろだの自衛隊をどんどん海外に出せだの、有事対応の国民の義務を細かく定めろだの、キナ臭く勇ましい動きが活発だが、もはやそんなことを言っていられる状況にはないのだ。
 日本は人口急減と財政破綻という、国の死活にかかわる時限爆弾を抱え、しかも世界的な危機としての温暖化による影響を、資源小国である島国の宿命として、いかなる先進国よりも先んじて受けることになる。
 日本にとって、そして世界にとって、破局から免れるために残された最後の10年を、何から何まで逆方向に突っ走ってしまったツケは大きい。
 僕の予感では、21世紀は2035年ごろに終焉を迎えるのでは、という気がする。あと30年。よくて、そんなところだろうと思う。(1月16日)

 <首都直下型地震による帰宅困難者650万人は、どうするのか>
 阪神大震災からまもなく10年になる。災害は忘れたころに、と言われるが、このところ東海大地震についてはほとんど言及されなくなった。
 代わって、現実味を帯びてきているのが、首都直下型地震である。政府の中央防災会議によると、10年以内に30%の確率で起きるという。
 この被害想定は、壮絶だ。東京、千葉、埼玉、神奈川の1都3件の死者は1万2000人。倒壊する建物は85万棟で、5万人近くが生きたまま、建物の下敷きになるなどで閉じ込められる。
 さらにあちこちで発生した火災が、閉じ込められている人たちに襲いかかる。この火災は普通の火災と違って、巨大な旋風を引き起こしながら、広い範囲に延焼していって、手がつけられなくなる危険が大きい。
 平日の昼に発生した場合は、死者や負傷者、閉じ込められて救助を待つ人たちとは別に、首都圏で650万人もの帰宅困難者が発生する。交通機関は動かず、道路はほとんど通行不能となって、マイカーもタクシーも動きがとれなくなる。
 こうした状況になった時、家に帰ることが出来ない650万人は、どういう行動をとるだろうか。
 家に帰らずに、勤務先にとどまって、会社のために身を捧げる人は、少数派だろう。
 ほとんどの人たちは、ケータイも使えずに家族の安否がつかめないまま、何時間かかろうとも、ともかく歩いて自宅に帰ろうとするのではないだろうか。
 どうやって、どこを通って行くのか。道路はたとえ損壊が少なくても、規制に従わずにマイカーなどで都心を抜け出そうとする人たちで、大渋滞となり、緊急車すら通れない状態になることは目に見えている。
 幹線道路に沿って、歩いて帰ろうとする群集に、消すことも出来ずに旋風に煽られてどんどん飛び火した火災が、行く手をさえぎる。
 道路を埋めつくした規制無視の車の列に、火災が燃え移ることは、十分考えておく必要がある。幹線道路が火の海と化したら、死者は1万2000人どころではすまないだろう。
 コンビニは、かりに電気が通じていてレジが使えるとしても、すべての食料品はたちどころに売り切れて、補充の車が到達できないため、営業不能となる。
 650万人の帰宅困難者のうち、都心に家があるものはたどり着くとしても、ほかの数百万人はあちこちで燃え盛る火災の中で、立ち往生してしまう恐れがある。
 食べ物や飲み水、トイレをどうするか。この難民の群れを、どこがどうやって統制していくのか。車が動かない中で、自治体や警察はどうやって、彼らがパニックに陥るのを防ぐのか。
 地獄が出現した時、人々が狂気の中で、暴徒となって途中のスーパーなどを襲い、略奪の限りを尽くさない、とは断言できないだろう。
 10年以内に30%の確率で起きる、ということは、もういつ発生してもおかしくないほど差し迫った危機なのだ。
 その時の心積もりをしっかりと確立しておきたい。(1月12日)

 <凋落「紅白」を象徴した旗上げゲームの愚劣と歌手への侮辱>
 僕がテレビをほとんど見なくなったのは、去年の後半からだ。かつて、といってもここ7、8年のことだが、僕は夜7時と9時のNHKニュース、それに久米さんのニュースステーションは欠かさず毎日みていたのだ。
 ニュースステーションを見なくなったのは、あの9.11からで、これをきっかけに夜10時台もNHKのニュース10を見るようになった。結局のところ、同時多発テロのニュースの途中で、CMを見せつけられることに耐えられなかったのだ。
 そのNHKのニュースさえも、テレビではほとんど見なくなったのが、去年の後半からだ。テレビでは、と書いたが、ラジオのNHKニュースを聞いているわけではなく、NHKテレビの夜8時45分からの地域ニュースと9時からの全国ニュースを、テレビ音声を聞くことができる携帯ラジオで聞く。
 映像などなくても、ニュースを知るぶんには何らの支障は感じない。あとは新聞と、インターネットのニュースサイトで、十分事足りていて、もはやテレビを見る必要性は全くないといっていい。
 従って、ぼくはNHKの受信料を払う義理はまったくないと考えていて、もちろん払っていないし、これからも払うつもりは微塵もない。
 去年の大晦日、たまたま僕がいた某所のテレビが「紅白」のチャンネルに合わされていて、小さな音量でかすかに音も聞こえていた。僕は、「紅白」をほとんど見てはいなかったのだが、たまたま、テレビ画面に目がいった時に、あの旗上げゲームを見てしまったのだ。
 この愚劣極まりないアトラクションは、現実に行われている「紅白」なのだろうか、もしかして民放の低俗なドタバタお笑い番組なのだろうか。僕は目を疑うと同時に、NHKの驚くべき時代錯誤と奢り上がった姿勢に、憤りを抑えられなかった。
 この旗上げゲームは、まず何よりも「紅白」に出場している歌手たちに対する侮辱だ。旗上げの歌を歌わせられる歌手たちも気の毒だが、旗を上げ下げさせられる歌手たちの屈辱を思うと、見ていられない。
 さらにこれは視聴者に対する侮辱であり、「紅白」という伝統番組に対する侮辱だ。いたたまれなくなって、この旗上げの途中で格闘技などにチャンネルを切り替えた人たちも多かったのではないだろうか。
 案の定、「紅白」の視聴率は最低だった。不祥事と不払い急増の責任を取るかたちでエビ様は辞任するという。
 大晦日の気分を台無しにしてくれた旗上げゲームの発案者は、どんな責任を取ってくれるのだろうか。(1月8日)

 <元日から1週間ほどは、なぜ時間の進み方が遅いのだろうか>
 光陰矢の如しの中で、唯一の例外と思えるのが、元日からの1週間ほどの期間、いわゆる松の内である。この時期だけは、時間の進行がのろのろしていて、1日が恐ろしく長く感じられる。
 1月1日からの約1週間に限って時の歩みが遅く感じられるのは、今年だけのことではなく、毎年毎年、決まってそうなのだ。これは何に起因しているのだろうか。
 理由の一つに、4日から仕事始めといっても、世の中がまだほとんど動き出していないことがあげられる。政治も経済も、世界の動きすらも、なんとなく淀んでいて、時間が進みあぐねているのだ。
 2日の朝刊がないことや、3日までは夕刊がないことも、時間の流れを遅らせている。僕のルーティンでいえば、切り抜くべき新聞記事が少ないため、時間に追われなくなっていることも大きい。
 さらに、成人の日の存在が、なんとなく世の中の走り出しにブレーキをかけているところがある。昔は成人の日の1月15日が、小正月だの女の正月だのと呼ばれていて、このあたりまでは、のどかな正月気分が許される空気が漂っていた。
 祝日法が改正されて、成人の日が年によって変わるようになってからも、一層、この成人の日があることが光陰の進み具合を遅らせている。今年は、松が取れてすぐに土曜日になり、いきなり連休になるため、世の中が動き出すのは11日の火曜日からであろう。
 時間の流れがゆったりしているならば、さぞいろいろな物事がはかどりそうなものだが、それとこれとは無関係のようで、結局のところ何事もはかどらないまま、時間も流れていかないのである。
 しかしながら、この極端な時間の停滞を抜け出してしまうと、光陰は淀んでいた仮面をかなぐり捨てて急に大胆になり、すさまじいスピードで飛ぶように経過を始める。
 僕が毎年驚くのは、元日からのゆったりした時間の進み具合がウソのように、あっという間に、まず節分になってしまうことだ。節分から節分までの1年は、どういうわけか同じ1年の中でも、最も短いサイクルでやってくる。
 2月は逃げると言われるとおり、節分と立春は一瞬のうちに過ぎて、何をしたのか分からないうちに3月になってしまい、ひな祭りもまた矢のように過ぎていく。
 やがてサクラの開花予報の中で、春のお彼岸となり、いつの間にか昼の長さの方が長くなっていることを知る。センバツが始まり、ひとつの年度が終わって、新学期が始まれば、もうGWは目の前だ。
 こうして節分からGWまでは、毎年のことだが、嵐のように過ぎていく。春らしい陽気を楽しむ期間は短く、梅雨入りの中で1年の前半が終わっていく。
 1月の5日というのに、早くも今年の折り返し点が見えるのは、なんともせわしなく、はかない気もする。
 せめて、あと数日限りの、ゆったりした時間の流れを、存分に味わっておくとしよう。(1月5日)

 <2005年冒頭に思う、強大な愚行を前にした言葉の無力>
 2005年が明けた。清々しく改まった気持ちよりは、何か落ち着かない緊張感が世界にみなぎっている。05年という年は、巨視的な時代の流れの中で、どのように位置づけられるのだろうか。
 大きな流れとしての文明の衰弱は、もはやとめることは不可能だ。その中で、巨大金融資本を軸にした市場主義経済の嵐は、地球の隅々まで触手を伸ばし、あらゆるものを巻き込んで世界を食い尽くしそうとしている。
 国家間の貧富の差はますます拡大し、国家の中での貧富の差もまた激しく広がっている。限りある資源をめぐる争いはますます激化し、アメリカの軍事暴走と戦争狂いは誰にも止められない。
 テロは世界中に拡散し、テロとの戦いを叫ぶヒステリックな狂気もまた、一段と興奮の度を増していくことだろう。世界はひょっとすると、今年中に核の投下という、まさかの悪夢を目の辺りにするも知れない。日本もまた、戦争体制の整備を急ぎ、米国の属国としてますます危険な国になりつつある。
 問題はこうした世界で、個人はいかに生くべきか、ということだ。1昨年のイラク戦争開戦の時に思い知らされたのは、世界中でどれだけ良識ある人々が声を上げ、立ち上がっても、強大な力を持つ国々の野蛮な戦争を、止めることは決して出来ない、ということだ。
 さらに、世界があれほど期待していた中で、米国民がケリーを当選されることが出来ず、戦争犯罪人ブッシュの再選をやすやすと許してしまったという、落胆と憂鬱も大きい。
 日本の有権者もまた、絶望的なほどに愚民化してしまった。選挙をやればやるほど自民党が勝ち、意気揚々と戦争加担を推し進め、戦争国家への道が整備されていく。
 こうした中で、個人の叫びが何の意味を持ちうるのか。絶望的な空しさの中で、立ちすくんでしまう。
 これまで8年近く、このホームページで意見を表明し、主張を書き続け、個人サイトとして「論陣」を張ってきたことなど、全く無意味ではなかったのか。
 去年6月から始めたブログもしかり。著名人でも学者でもない一市民としての僕が、そもそも超大国や日本政府のやっていることを言葉で非難してみても、自己満足以外の意味があるのだろうか。
 今年の元旦にあたって、僕はもはや諦観を表明するほかはない。それは、人類は自らの手で、文明を崩壊させ、地球を破壊させ、そして自らも急速に絶滅するという「自爆」の道を、まっしぐらに突き進んでいる、ということだ。
 結局のところ崩壊の原因は、人類の多数が最も優れた社会制度として採用している資本主義と民主主義そのものの内部にある。
 資本主義に代わる試みとしての社会主義が崩壊し、民主主義に代わる社会制度を生み出せない現状では、この2つの制度の必然的な帰結として、人類はほどなく地球から姿を消すしかないのだ。
 今年2005年は、文明の綻びと急速な衰弱が、世界の随所で、とりわけ日米のような好戦的国家の内側でで、不快な形で顕著になっていく年であろう。
 言葉の無力、言論の無意味。そのことを自覚してなお、何かを発信していくことは可能なのだろうか。(1月1日)


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