19世紀の終末から20世紀の開幕へ。1900年から1901年への移行を、日本ではどのように迎えたのでしょうか。当時の東京朝日新聞、東京日日新聞(現在の毎日新聞)、讀賣新聞、報知新聞の4紙の紙面をもとに、100年前にタイムトラベルしてみましょう。
時代は、日清戦争が終わって、つかの間の平和の谷間でした。八幡製鉄が創業したのがちょうど20世紀の初年、1901年です。ライト兄弟が飛行機を完成させたのが、ようやく1903年のこと。その翌年1904年には日露戦争が始まります。
当時の日本では、紀元といえばいわゆる神武紀元のことを指し、西暦紀元はそれほど普及していませんでした。そんな中でも、紙面の随所に20世紀への期待と希望がのぞいています。
<クリックするとそれぞれの紙面にジャンプします>
東京朝日新聞
東京日日新聞(現在の毎日新聞)
讀賣新聞
報知新聞<1901年1月2、3日の「二十世紀の豫言」全文掲載>
東京朝日新聞
1899年12月31日付
(明治三十二年)
(2面) ここには20世紀が1900年からと錯覚したコラムが載っています。この錯覚については1997年4月11日の「天声人語」でも触れています。
<歳晩所感 礫川>
西洋紀元千八百九十九年ハ、一進して千九百年に上らむとするなり、則ち謂ふ所の十九世紀ハ茲に幕を落して、将に二十世紀の新舞台に現れむとするなり
19世紀最後の日の紙面 1900年12月31日付
(明治三十三年=紀元二千五百六十年)
(1面)
<新年の新紙>
歳将に新ならんとす新年の新紙亦何ぞ新ならざるを得んや況や謂ふ所第二十世紀の第一年たるに於いてをや.多年の經營其勢ひを成して獨立不偏の主張世の信用を博し精敏にして豊富なる報道ハ平易にして興味ある記事と共に読者の愛顧を確うせりと雖も吾社ハ之に滿足せず歳と共に更に紙面を一新して大に改良の實を舉げんとす(中略)當日の本紙にハ高遠に優麗を兼ね光輝ある新年を賀すべき幾多の記事と繪畫とを掲載し以て二十世紀の先頭たる新年の新紙たるに負かざるべく又大に紙数を増刷して汎く四方に頒つべし
●送十九世紀會 三十日山形特號
昨日當市官民にて送十九世紀會を開く來會者百六十名盛會なりし
(5面)
●慶應義塾の世紀送迎會
芝三田の慶應義塾に於てハ今三十一日午後八時より學生の世紀送迎會を催し同十二時を期し火細工を以て舊物焼滅の諷戯を演ずるよし
20世紀最初の日の紙面 1901年1月1日付
(明治三十四年=紀元二千五百六十一年)
1面の最初の記事は「媾和條件承諾後聞 北清特電」で、1面には「二十世紀」の文字は見当たりません。「内國電報」と題する地方の記事には、福島、長野、宇品、新潟、宇都宮、青森、千葉、静岡などから「金融逼迫」「不景気」「商況甚だ不振」という文字が並んでいます。 2面に「二十世紀」という文字が出てきます。
●梅花小禽園
豫告の通り今日の東京朝日新聞にハ圓山應擧が天明八年戊申初春の筆に係る名畫を附録とせり、(中略)天明八年といへバ、百十四年前、西暦にてハ千七百八十八年に當る、二十世紀の初年に當りて十八世紀の名畫を偲ぶも亦一興ならずや
13面にはこんな記事があります。
○初卯詣 二十世紀の第一年一月の元旦ハ恰も初卯に相當す亀戸天神および市内處々の天神ハ賑ふべく小松川署ハ非番巡査總出にて境内と附近を警戒すとなり
積極的に20世紀の開幕に触れているのは広告です。
中将湯(全面広告) 今や斯くも人間社會に功勲ある尊敬すべき牛の歳を以て第二十世紀第一年の新天地を迎へんとす 中将湯の功徳それ亦大ならずや希くハ益〃愛顧を垂れ賜ひ我中将湯をして尚ほ第二十世紀の新天地に隆盛ならしめんことを
第二十世紀の第一丑年の新正 中将湯本舗 順天堂主 津村重舍敬白
商業世界第五巻第一號 廿世紀を迎ふ(社説) 同文館
廿世紀新春のよみもの 新小説第六年第一巻 今世少年新年大増刊
文藝倶樂部七巻第壹編 口絵 旭鶴二十世紀(精彩石版畫)
實業之日本 第四巻第一號 廿世紀に入りての希望(酒匂博士)
太平洋人著日本風俗 二十世紀の新社會に入るもの初春に於て東洋新文明國の男女には最も必讀の書なり
ちなみに、20世紀に触れてはいないものの、この日のほかの広告も見てみましょう。当時の世相がうかがえます。
巴里萬國大博覧會金牌受領 恵比壽ビール
専売特許石臼籾臼兩用機械 達道商店
近懸旅行に付年始歇禮 横濱市 朝田又七
男奉公人周旋 出世屋 勅使河原謙吉
月島丸乗組員諸氏の遭難に付遠慮中年賀の禮を歇く 野中萬助
1901年1月3日付
元日の様子として1面の「内國電報」の中にこんな記事があります。
●札幌の新年
一日札幌特號 好天氣官民祝賀會あり札幌農學校生徒の發起にて盛んなる二十世紀歓迎會を開き烟花を打揚げ提灯行列あり
当時の東京朝日新聞は一部一錢五厘、ーカ月前金で三十三錢でした。ラジオ放送も始まってなく、紙面にはまだ写真もありません。この1月3日の広告の中に「素人にも即坐に撮影し得る冩眞器」という広告があります。メディアはまだ生まれたばかりだったのです。
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東京日日新聞
東京日日新聞(いまの毎日新聞)は、19世紀の大晦日は新聞発行がなく、20世紀初の三が日は元日付のみ、新聞が発行されています。
1901年1月1日付
2面「電報」で、山形の送十九世紀會について報じているのは、朝日と同じですが、東京日日新聞の記事では、まだ陰暦が主流であることについて触れています。
●送十九世紀會(三十日午後山形發)
昨日有志の發起にて官民の送十九世紀會を催し來會者百六十名にて盛會なりき、當地にては太陽暦を用いるもの三、陰暦を用いるもの七の割合なり
2面左下の「新声」という欄で、20世紀を吟じた漢詩「新年吟」が載っています。
二十世紀花
眞先有梅發
(中略)
眞白富士雪
輿欲梅比誇
新年心如玉
一点不容邪
屠蘇酒盛蓋
初荷文載車
男魂驚天下
二十世紀花
3面の「近事片々」では、国民の心構えのようなものを七五調で並べていて、その最初がこんな文句になっています。
一百年は早や経ちて二十世紀は来りたり輝く朝日の光こそ進む御國の姿なれ励め國民堯みなく
東京日日新聞の元日号は、第一部から第五部まであり、その第三部21面に、こんな記事があります。
●二十世紀と相撲(友綱貞太郎の話)
世紀の変わり目には人種の發育に非常な異動のあるものだと云ふ事は、豫て學者から聞いたことがありましたが實に思い當ることがあります全世界の事は私共などには噸と解りませぬが、私共の相撲社會に就て見ますると、此の後数年を経過ましたならば現今の力士よりも偉大い力士が多く現れて来るだらうと存じて居ります
23面の「新年募集俳句」では、「初日の出」の題で募集した読者の俳句200句が載っており、その中にこんな句があります。
改る二十世紀や初日の出 (但馬 孤松)
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讀賣新聞
19世紀最後の日、明治33年12月31日の讀賣新聞は、世紀が変わることについて触れた記事はありません。
1901年1月1日付
(明治三十四年=紀元二千五百六十一年)
元日紙面で20世紀に触れているのは、投書欄の1カ所だけです。
(13面)
<葉がき集>
葉がき集投書家諸君よ、いよいよもう昨今は二十世紀の舞台開きだ一つ斬新なる大議論を持込んで當欄を賑かさうではないか(愛讀兼投書家一人)
1901年1月2日付
1面の「論説」に次のような記述があります。
<社會改良の先駆 公徳の養成>
明治の御世も明けて三十四年となり、世界ハ本年より二十世紀の新時代に入りたれバ、我國民に於いても亦歳と共に自から新にし、帝國の宏謀に率由して益々文武富強の進張を図るハ勿論、(中略)更に進んで現世紀の主人公となり、文明平和の指導に任ぜんとする遠図雄略を個々銘々の胸中に畫かざる可らず。
3面の次の投書は、20世紀どころか21世紀にまで思いをはせたもので、随一の傑作です。
<葉がき集>
去年の新年葉がき集ハ二十世紀の雑煮といふことで八釜しかったが、今年は一向其の噂さが出ないそこで僕ハ二十一世紀の正月といふものを考へたが、最う其の頃ハ人類が進歩して決して動物を喰はないといふことになつて居るだらうから海老のお飾りなどハ無論廃して居るだらうなんどと下らないことを考へた(海老茶人)
広告では、こんな文面もあります。
日本人一月一日發行 奮世紀を顧み新世紀を想ふ
1901年1月3日付
2日紙面と同様、1面の「論説」に次のような記述があります。
<社會改良の先駆 風俗の改良>
新年の始に於て我國民が萬胸一心偏に文明富強を以て二十世紀の主人國とならんとするいみじき壮図を懐抱するハ頗る祝すべきこと(後略)
5面の「よみうり抄」では新春発行の書籍について触れています。
春陽堂刊行の書籍、新小説ハ面目を改めて第六年一巻と、幽芳子が「己が罪」ハその中編あらはれ、宙外子の「かげろう集」ハその短編数種を募めたる是皆新春初摺のものにして二十世紀的文字を以て満てるものなりと
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報知新聞
報知新聞は20世紀が開けた翌日と翌々日の明治34年1月2日、3日付で、2日間に渡って「二十世紀の豫言」を特集しています。
ここにその全文を掲載しました。100年前の明治人による驚異の「豫言」を存分にお楽しみ下さい。
1901年1月2日付
(明治三十四年)
二十世紀の豫言(一)
十九世紀は既に去り人も世も共に二十世紀の新舞台に現はるゝことゝなりぬ、十九世紀に於ける世界の進歩は頗る驚くべきものあり、形而下に於ては「蒸汽力時代」「電氣力時代」の称ありまた形而上に於ては「人道時代」「婦人時代」の名あることなるが更に歩を進めて二十世紀の社會は如何なる現象をか呈出するべき、既に比三四十年間には仏國の小説家ジュール、ベハスの輩が二十世紀の豫言めきたる小説をものして讀者の喝采を博したることなるが若し十九世紀間進歩の勢力にして年と共にいよいよ増加せんか、今日なほ不思議の惑問中に在るもの漸漸思議の領内に入り来ることなるべし、今や其大時期の冒頭に立ちて遙かに未来を豫望するも亦た快ならずとせず、世界列強形勢の変動は先ずさし措きて暫く物質上の進歩に就きて想像するに
▲無線電信及電話 マルコニー氏發明の無線電信は一層進歩して只だに電信のみならず無線電話は世界諸國に聯絡して東京に在るものが倫敦紐育(注:ロンドン、ニューヨーク)にある友人と自由に對話することを得べし
▲遠距離の写眞 数十年の後欧洲の天に戦雲暗澹たることあらん時東京の新聞記者は編輯局にゐながら電氣力によりて其状況を早取写眞となすことを得べく而して其写眞は天然色を現象すべし
▲野獣の減亡 阿弗利加(注:アフリカ)の原野に到るも獅子虎鰐魚等の野獣を見ること能わず彼等は僅に大都會の博物館に余命を継ぐべし
▲サハラ砂漠 サハラの大砂漠は漸次沃野に化し東半球の文明は漸々支那日本及び阿弗利加(注:アフリカ)に於て發達すべし
▲七日間世界一週 十九世紀の末年に於て少くとも八十日間を要したりし世界一週は二十世紀末には七日を要すれば足ることなるべくまた世界文明國の人民は男女を問はず必ず一回以上世界漫遊をなすに至らむ
▲空中軍艦空中砲台 チエツペリン式の空中船は大に發達して空中に軍艦漂ひ空中に修羅場を出現すべく従って空中に砲台浮ぶの奇観を呈するに至らん
▲蚊及蚤の滅亡 衛生事業進歩する結果蚊及蚤の類は漸次滅亡すべし
▲暑寒知らず 新器機發明せられ暑寒を調和する為に適宜の空氣を送り出すことを得べし阿弗利加(注:アフリカ)の進歩も此為なるべし
▲植物と電氣 電氣力を以て野菜を成長することを得べく而して空豆は橙大となり菊牡丹薔薇は緑黒等の花を開くものあるべく北寒帯のグリーンランドに熱帯の植物成長するに至らん
▲人声十里に達す 傳声器の改良ありて十里の遠きを隔てたる男女互いに婉々たる情話をなすことを得べし
▲写眞電話 電話口には對話者の肖像現出するの装置あるべし
▲買物便法 写眞電話によりて遠距離にある品物を鑑定し且つ賣買の契約を整へ其品物は地中鐵管の装置によりて瞬時に落手することを得ん
▲電氣の世界 薪炭石炭共に渇き電氣之に代りて燃料となるべし
1901年1月3日付
(明治三十四年)
二十世紀の豫言(二)
▲鐵道の速力 十九世紀末に發明せられし葉巻煙草形の機関車は大成せられ列車は小家屋大にてあらゆる便利を備へ乗客をして旅中にあるの感無からしむべくただに冬期室内を暖むるのみならず暑中には之に冷氣を催すの装置あるべく而して速力は通常一分時に二哩(注:マイル)急行ならば一時間百五十哩(注:マイル)以上を進行し東京神戸間は二時間半を要しまた今日四日半を要する紐育桑港(注:ニューヨーク、サンフランシスコ)間は一昼夜にて通ずべしまた動力は勿論石炭を使用せざるを以て煤煙の汚水無くまた給水の為に停車すること無かるべし
▲市街鐵道 馬車鐵道及鋼索鐵道の存在せしことは老人の昔話にのみ残り電氣車及び圧搾空氣車も大改良を加へられて車輪はゴム製となり且つ文明國の大都會にては街路上を去りて空中及び地中を走る
▲鐵道の聯絡 航海の便利至らざる無きと共に鐵道は五大洲を貫通して自由に通行するを得べし
▲暴風を防ぐ 氣象上の観測術進歩して天災来らんとすることは一ケ月以前に豫測するを得べく天災中の最も恐るべき暴風起らんとすれば大砲を空中に放ちて変じて雨となすを得べしされば二十世紀の後半期に至りては難船海哨等の変無かるべしまた地震の動揺は免れざるも家屋道路の建築は能く其害を免るゝに適當なるべし
▲人の身幹 運動術及び外科手術の効によりて人の身体は六尺以上に達す
▲医術の進歩 薬剤の飲用は止み電氣針を以て苦痛無く局部に薬液を注射しまた顕微鏡とエッキス光線の發達によりて病源を摘發して之に応急の治療を施すこと自由なるべしまた内科術の領分は十中八九まで外科術に移りて後には肺結核の如きも肺臓を摘出して腐敗を防ぎバチルスを殺すことを得べし而して切開術は電氣によるを以て毫も苦痛を輿ふること無し
▲自動車の世 馬車は廃せられ之に代ふるに自動車(注:この漢字には、おうともびーる、のルビ付き)は廉価に購ふことを得べくまた軍用にも自転車及び自動車を以て馬に代ふることとなるべし従て馬なるものは僅かに好奇者によりて飼養せらるゝに至るべし
▲人と獣との會話自在 獣語の研究進歩して小學校に獣語科あり人と犬猫猿とは自由に對話することを得るに至り従て下女下男の地位は多く犬によりて占められ犬が人の使に歩く世となるべし
▲幼稚園の廃止 人智は遺傳によりて大に發達し且つ家庭に無教育の人無きを以て幼稚園の用無く男女共に大學を卒業せざれば一人前と見倣されざるにいたらむ
▲電氣の輸送 日本は琵琶湖の水を用ひ米國はナイヤガラの瀑布によりて水力電氣を起して各々其全國内に輸送することとなる
以上の如くに算へ来らば到底俄に尽し難きを以て先づ我豫言も之に止め余は読者の想像に任す兎に角二十世紀は奇異(注:この漢字には、うわんだー、のルビ付き)の時代なるべし (了)
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<注>このページに掲載している100年前の東京朝日、東京日日、讀賣については、朝日、毎日、読売それぞれの著作権担当部門に確認していただき、著作物の公表から年数を経過していることなどから、著作権法上の問題はとくにない、という判断をいただいています。
また報知については、読売新聞社から許諾をいただき、「This is 読売」98年1月号付録の復刻紙面から転載させていただきました。
文章は、なるべく原文のまま表示出来るように心がけましたが、現代のJIS水準にはない漢字もあるため、その分は異体字の中で最も近いと思われる漢字を充当しました。パソコンの機種やブラウザによっては、さらに簡略化された字体で表示されることがあります。また、対応する現代漢字がない一部の文字については、ひらがなで表記しました。当時の東京朝日、讀賣、報知の記事は、原則として全文ルビ付きですが、ここではルビは省略しました。
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