新世紀つれづれ草



04年7月−12月のバックナンバー

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2004年12月

 <京都議定書を実施しても、温暖化の破局を10年遅らせるだけ>
 2004年が暮れる。この年は後世になって、人類が滅びの道に入り込んだ歴史的な年として、後悔と慙愧の念とともに思い返されるかも知れない。
 世界的な異常気象の頻発。日本を始めとする多くの国々での、年間を通じての記録的な高温続き。こうした危機の進行から目をそらすイラク戦争の泥沼化とブッシュの再選。もろもろのことが渦巻きながら、人類がもはや後戻りの出来ない危険ラインを超えてしまったことを、僕たちに告げている。
 人類とその文明はあと数千年しか続かないとみる科学者は多いが、これはあらゆる叡智を総動員して、生き延びる策をすべて講じた場合の見通しだ。
 それなのに、人類がいまやっていることは、先進国では自国の利益追求に血眼になり、途上国では貧困からの脱却で手一杯で、いずこも人類のこの先になど構っていられない。
 文明の行き詰まりと人類の滅びを示す赤信号は、さまざまな分野で点滅を始めているが、中でももっとも具体的で深刻なのは、いうまでもなく地球温暖化である。
 温暖化という言葉には、何か温かくて居心地の良い南国の楽園を思わせる響きがあるため、緊迫感に欠けるきらいがある。
 僕たちは、京都議定書についてどれほどの理解を持っているだろうか。アメリカや日本の産業界や政治家たちの中には、京都議定書は経済発展と国際競争力にとってマイナスであるとして、消極的な姿勢が顕著だが、その京都議定書でさえ、完全に実施されたとしてももはや手遅れなのだ。
 京都議定書は、CO2の排出量について1990年に比べて2008年から5年間平均して5%の削減を、先進国に義務付けているが、これでは焼け石に水でしかない。
 実際には、2050年の段階で現在の半分以下に、2100年には現在の7割から8割の削減が行われなければ、世界の気温上昇は止めることが出来ない。
 京都議定書が実行されたとしても、加速度的に進行する地球規模での気温上昇を、今世紀末の時点で10年遅らせることが出来るに過ぎない。それでも、やらないよりはマシであろうが、京都議定書さえ守れば温暖化が防げるような幻想は、捨てるべきだろう。
 自動車社会の大幅な方向転換、超高層ビル建設ラッシュの見直し、夏冬の冷暖房の見直し、都市の過剰な照明やイリュミネーションの削減、等々。どれを取っても実現には大きな抵抗と反対が待ち構えている施策を、強力なリーダーシップの下でやらない限りは、温暖化による破局は避けられない。
 温暖化による人類への影響は、はかり知れない。海面上昇による陸地の水没は、何億人もの居住環境や都市機能を破壊し、農作物の収穫量を直撃する。生態系が激変して、家畜も魚介類も危機的な状態となる。
 それに加えて、微生物やウイルスの世界もまた一変して、手のつけられない新たな感染症が人類と動植物を蝕んでいくだろう。
 京都議定書の実行さえおぼつかないいまの状況は、もはや完全な手遅れである。
 21世紀は100年続くことなく、半ばまでで終わってしまう可能性が高まっている。(12月30日)

 <2029年4月13日、小惑星が地球に衝突する確率は>
 2029年4月13日、金曜日。僕はその時、何歳くらいになっていて、何をしているだろうか。あなたは、どこで何をしているだろうか。
 この日、直径400メートルの小惑星「2004MN4」が、地球に衝突する可能性がある、とNASAの小惑星監視グループが23日、注意喚起を呼びかけた。
 衝突の確率は300分の1だが、地球とのニアミスを起こす小惑星の中では、ずば抜けて高い確率となっていて、300分の1は決して杞憂として無視するわけにはいかない重みを持っている。
 このため、衝突危険度を示す10段階のトリノ・スケールで、今回初めて「2」と位置づけられた。これまで観測されている小惑星の異常接近はいずれも「1」だったことを考えると、決して楽観できるものではない。
 これからさらに監視を強化して軌道を正確に把握していけば、危険度を「0」に格下げできる可能性もあるというが、逆に危険度が高まる可能性も否定できないのではないか。
 小惑星などの天体衝突は、地球の歴史の中では頻繁に起こっていて、生物の大量絶滅の引き金となっていることが多い。地球で最も栄えていた恐竜たちに引導を渡したのは、6500万年前の小惑星衝突だったことはよく知られている。
 それ以来、生物の大量絶滅につながるほどの大きな天体衝突は起きていないが、裏を返せばそろそろ何が起きてもおかしくない時期であるとも言える。
 24年後に小惑星「2004MN4」が衝突した場合のエネルギーは、広島型原爆の10万倍にあたる1600メガトンと推定され、陸地に激突した場合はもちろんのこと、海に突入した場合でも世界中に想像を絶する巨大津波を引き起こすことは確実とされている。
 僕はこうした天体の動きについては全くの素人だが、軌道計算上は衝突が避けられるはずなのに、予想外の事態が起こって、軌道がしだいに地球寄りに変わっていく、ということはないのだろうか。
 例えばの話だが、急激な温暖化の進行で北極や南極の氷河が溶けて海水面が上昇することが、小惑星の運行に何か微妙な影響を及ぼさないか。あるいは、南半球の鉄鉱石が大量に北半球の工業地帯に移動させられていることが、地球の磁場に影響して、小惑星の軌道を乱すことはないのか。
 エネルギーの使いすぎや、地中の放射性物質の過剰消費など、地球を激震させる要因はたくさんあるのではないか、という気がしてならない。
 あと24年と4カ月。その日が訪れるよりも早く、制御できなくなった温暖化によって、地球は手のつけられない状態になっている可能性も、少なくないような気がする。
 文明は遠からず必ず滅ぶ。地球の王者として君臨していた生き物は、例外なくすべて絶滅を余儀なくされている。
 小惑星「2004MN4」との衝突が結果的に避けられたとしても、これは人類への警告と受け止めた方がいいのではないか。(12月26日)

 <『時間の岸辺から』その69 そろばん復権> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 駅の窓口で指定席券を買う時に、窓口の職員がそろばんで合計額などをはじき出すのを見て、感心することがある。
 コンピューターや電卓がなんでもこなしてしまう中、そろばんを見かける機会はめっきり少なくなった。
 日本珠算連盟の検定試験は、ピークの80年ころには年間200万人が受験していたが、最近は20万人にまで減っている。
 そろばんの需要も減り続け、全国のそろばんの7割を生産している島根県の雲州算盤協同組合では、かつて年間100万丁を生産していたのが、このところはその1割以下だという。
 ところが、このまま先細りかと思われたそろばんが、いま子どもたちの間で静かなブームとなっている。
 全国の3つの珠算団体は01年度から、小学校を対象にそろばんの出前授業を行っている。これが好評で、東京では初年度に184校から依頼があったのが、昨年度は330校に増えた。
 算数の時間だけでなく、総合的学習の時間にそろばんを教える小学校も増えてきた。
 珠算教室には小学生だけでなく、未就学児童の姿も目立つ。
 電卓全盛の今、なぜそろばんが人気を取り戻してきたのか。指摘されているのは、数の大小や処理が、すべて珠(たま)の位置関係で表され、目で見て瞬時に理解出来ることだ。
 脳とそろばんの関係も、注目を集めている。計算をしたり物事を論理的に考えたりするのは左脳の働きで、音楽や絵画を制作したり鑑賞したりするのは右脳の働きとされている。
 問題解決や発明などのヒラメキや直感には、感覚脳といわれる右脳が大きな役割を果たしているといわれる。そろばんは、この右脳を使うことが、さまざまな研究で分かってきた。
 僕が考えるには、そろばんは機械万能の現代で、唯一、子どもが実感することが出来る宇宙そのものなのではないだろうか。
 「願いましては」の言葉を合図に、子どもたちは一瞬にして珠を揃え、すべての桁がゼロの白紙の宇宙を目の前に作り出す。
 その宇宙の中で、数の世界を生き生きと展開させ、躍動させるのは、子どもたち自身の指先と精神の集中力である。
 何から何までがデジタル化されて、そこで起きていることの中身が人間に見えなくなってしまった現代で、プロセスが目に見えるということの意味は、とてつもなく大きいのではないか。
 子どもたちにとって、そろばんという数の宇宙に接することは、沈む夕日を見て太陽と自分とのつながりに感動することと、同じことのような気がする。
 エネルギーを必要とせずに、この世界を実感させてくれるアナログの良さは、そろばん以外でももっと見直されていいように思う。(12月22日)

 <情報過多の洪水を嫌気し、「ファウスト」をじっくりと読み始める>
 なにもかもが、目まぐるしく移り変わっていく。情報過多の洪水の中で溺れかかっている僕たちを、さらなる情報の大波が波状的に襲う。何が真なのか、何が偽なのか。それを見据えることも出来ぬまま、いたずらに時間だけが全力で疾走し続ける。
 僕はもともとテレビをほとんど見ないたちなのだが、最近はとくにテレビを見るのがうっとおしくなった。CMのないNHKニュースくらいは、と思って1日に10分か20分、テレビをつけていたのだが、それすら見なくなった。
 テレビなど見なくても、新聞4紙を購読しているので、それに丹念に目を通した方が、はるかに情報を選択的にとらえることが出来る。速報ならば、ネットのヤフーや新聞社系サイトで十分にこと足りる。
 ニュースであれ教養番組であれ、テレビの最も悪いところは、見るものの思考を停止させてしまう点だ。そこでは、立ち止まってじっくりと考えたり、意味についてあれこれと思いをめぐらせたりすることは、許されないのだ。
 見る側の理解のプロセスや時間の流れは、番組制作者やプロデューサーの厳密な計算と予測に沿って運ばれていく。テレビ時間からはみだしたり逸脱することは、テレビへの敵対行為とみなされ、それがいやならスイッチを切るしかない。
 過剰情報のほとんどは、不必要な情報でしかないことが最近ようやく分かってきた。そんな情報よりも、もっと大切なものがあるはずではないのか。第一、僕にはもう人生の残り時間があまりないのだ。
 そこで僕は、若いころに読みふけったゲーテの「ファウスト」を、池内紀訳でじっくりと読み直すことにした。
 第1部の冒頭、「なんてことだ」で始まるファウストの独白に、まず釘付けになる。若い時には読み飛ばしていた箇所だ。
 「哲学もやった。法学も医学もやった。おまけに神学なんぞもやった。ところがどうだ、いぜんとしてこのとおりの哀れなバカときている」
 これこれ。まさに僕の今の状態そのものではないか。
 「あげくのはてにわかったのは、要するに何ひとつ知ることはできないってこと」
 そしてファウストの次の言葉こそ、僕が知りたい核心でもあるのだ。
 「この世をもっとも奥で動かしているものは何か、それが知りたい。すべて生あるものを動かしている力は何か、そのもとは何か、そいつをこの目で見さえすれば、あれこれいいつのるまでもないのだ」
 年の瀬はメフィストに連れられて、ファウストとともに世界の根源をさぐっていくこととしよう。(12月18日)

 <僕が同窓会に不参加の理由は、タバコの煙そして‥>
 今年もいろいろな同窓会や旧友会の案内状が、僕のところに送られてきた。みな一様に、「懐かしい顔ぶれで、お互いの近況を語り合いましょう」などと書いてある。
 高校、大学、会社、さらにはツァーで一緒だった参加者たちなど、さまざまな時期に、一つ屋根の下で共に学んだり、一緒に仕事をしたり、旅をしたりした仲間たちだ。
 みんなどうしているだろうか。どんなにか変わっていることか、あるいは変わらないことか。
 僕も、みんなと合ってみたい誘惑にかられないわけではない。だが、僕はいつもそこでハタと踏みとどまってしまう。
 やっぱり行かない方が、いいだろうな、と思う。そして、僕は欠席の返信を出すか、あるいは全く返信を出さない。
 不参加の直接の理由は、はっきりしている。それはタバコの煙を吸わせられたくない、という極めて個人的な理由からである。
 こうした同窓会のたぐいには、アルコールとタバコはつきものだ。アルコールなら、飲めないと釈明して飲まなければいいだけだが、やっかいなのはタバコである。
 タバコの煙を吸いたくない、というのは、こうした場では決して表明してはならないことなのだ。
 もしも、気持ちよく紫煙をくゆらせている参加者に、「私はタバコの煙を吸いたくないのだけど」ということを悟ってもらおうとすれば、それは人間関係をぶち壊すだけでなく、せっかくの会合の雰囲気をだいなしにしてしまうだろう。
 1年ほど前になるが、どうしても案内を断ることが出来ずに、ある同窓会に参加することになった。案じていた通り、僕の目の前に大変なヘビースモーカーが座った。万事休す、だった。
 4時間以上の間、僕は席を移ることも息を止めることも出来ず、タバコの副流煙を吸わされっぱなしだった。話の中身がどんなに懐かしくて有意義であっても、これでは僕にとって地獄でしかあり得ない。
 愛煙家にとっては、こうした僕の気持ちなど分かろうはずもない。僕がかって、といっても何十年も前だが、タバコを吸っていた時には、タバコの煙が嫌な人がいるとは夢にも思ってみなかったのだから。
 それ以来、僕はどんなに熱心な誘いがあっても、同窓会には決して参加しないことに決め込んだ。
 いや、本当のところを言うと、タバコの煙を吸いたくない、というのは表面的な理由なのかも知れない、と自分でも思う。
 昔の仲間が集って旧交を温めるという、同窓会の存在理由そのものに、僕は違和感を感じているのかも知れない。
 過去に拘泥してどうなる。過去を総括して、過去がもたらす厳しい規定を現在に生かすのは、自分自身の内部でしか出来ないことなのではないか。
 過ぎ去った出来事に対して、人は常に孤独でしかあり得ないのだ。(12月14日)

 <精神が理想とする世界と、身体の醜さとのはざまで>
 さまざまなシガラミにがんじがらみにされて身動き出来なくなっていた僕は、ある時、もしもさらに生きようとするならば、クサビを断ち切るしかないことに気付いた。
 それは、旧秩序の破壊であるからには、大きなリスクも伴う。しかしほとんど仮死状態だった僕には、それしか真に再生する道はなかった。
 僕は、結婚、会社、酒という、三大シガラミからやっとのことで抜け出し、シンプルで身軽になって、新たな人生をスタートさせた。
 若さはないが、年を経てきた分だけの分別はあるに違いない。充分な時間があり、ピュアな思考と表現に向けて、余計なものを持たない生き方に徹していけば、怖いものは何一つないはずだった。
 そうして何年か経って、僕は最近ようやく気付いたのだ。
 人間というものは、思考や表現だけでは生きていけない、ということに。人間には、身体抜きの生き方などあり得ないのだ、ということに。
 僕がどんなに理路整然と世界を語ろうと、どんなに理想の世界を思い描こうと、どんな響きのいい言葉で自己を表現しようと、僕は身体の呪縛から逃れ出ることは出来ないのだ。
 身体があるということは、まずもって食べていかなければならず、諸々の欲望との際限のない格闘を背負いながら生きていくことにほかならない。それは、往々にして、自分の思考が目指しているはずの方向と衝突する。
 どんなに知性の高いコンピューターであっても、身体がなければ自意識も精神も感情も生まれない、とみる研究者は多い。それほどまでに、身体というのは、精神や心を強く規定してしまうのだ。
 身体とともに生きるということは、醜くて汚いことでもある。それは穢らわしいと思えるほどに、わずらわしくて、みっともないことでもあるのだ。
 人が生きるということは、まず自分の身体を生きることなのだ。そのこと自体に、エゴイズムの種が含まれてはいないか。自分が生きることなしに、さまざまな他者を思いやることは可能か。
 人類愛を語っていながら、身近な人間とのコミュニケーション一つ取ることが出来ないのは、自分が弱いからということももちろんあるだろうが、どうも身体がからんで邪魔をしているように感じられてならない。
 この自己矛盾と醜怪さを止揚する方法はあるのだろうか。宗教など信じたくもないが、かといって科学だけではどうにもならない苦悩から、人はどうやったら脱却できるのだろうか。
 身体の外に出て、精神だけで生きていくことが出来たら、どんなにすっきりすることかと思う。(12月10日)

 <『時間の岸辺から』その68 安否情報> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 東京・上野公園の西郷隆盛の像が、台座から頭のてっぺんまで、手書きの紙を貼られて埋め尽くされたことがあった。
 1923年の関東大震災で、生き別れとなった人たちが、身内の安否についての手がかりを知ろうと書いた、尋ね人の張り紙である。
 大震災時に人々が最も知りたがるのは、家族や親しい知人の安否だ。
 ところが、ネットや携帯電話など情報メディアが溢れている高度情報化社会が、この安否情報の伝達でほとんど機能していないことが、しだいに明らかになってきた。
 固定電話の回線は、震災によってズタズタに寸断され、たとえ回線が通じていても、安否を確かめ合う電話が全国から殺到してパンク状態になってしまうことは、阪神大震災などで経験ずみだ。
 それでも携帯電話なら通じるだろうと思っている人は多く、乾電池で使える充電器はコンビニなどで飛ぶように売れている。
 10月に起きた新潟県中越地震では、どのサービス会社の携帯電話も被災地の大半で通じない、というショッキングな事態が出現し、大震災時における安否情報伝達に大きな課題を投げかけた。
 携帯電話が通じなくなったのは、地域ごとに細かく設置されている基地局と呼ばれる電波を送受信する設備が、ケーブルの寸断などによって機能しなくなったためである。
 テレビやラジオはどうか。今回の地震では、NHK教育テレビやFM放送などがで安否情報を流し続けたが、伝えたい相手が受信していなければそれまでだ。
 インターネットには今回、さまざまな機関やグループ、個人が安否情報のサイトを立ち上げた。
 しかし、情報源の乱立はかえって不便である上に、被災者のほとんどはパソコンに向かうどころではない、という現実もある。
 政府の中央防災会議の調査会が、先日発表したところによると首都圏直下型地震が起きた場合、東京や神奈川では大半が震度6、海岸部では震度7に達する見込みという。
 安否が分からないと、多くの人が直接確かめようと被災地に殺到して大混乱を招くことが、過去のケースから指摘されている。
 あれもこれもと手段を総動員することよりも、僕はこの際、携帯電話を震災に強いメディアとして根本から作り直すのが、最も近道のように思う。
 脆弱でヤワな基地局を震度7でも耐えられる堅固なものにし、回線は電話が殺到してもパンクしない太いものとして整備する。携帯を持っていない被災者には、公費で支給する。
 大震災の時に携帯が使えるという安心感は、パニックやデマを防ぐためにも極めて有効だという気がする。
 多大な費用をかけてでも、やってみる価値はあるのではないだろうか。(12月6日)

 <世界はまるで流砂のごとし、砂の時代の無力感と向き合う>
 野村芳太郎監督による映画「砂の器」の冒頭、波打ち際に子どもが作った砂の器が、何度作っても波によってあっけなく崩れてしまうシーンが暗示的だ。
 映画のクライマックスでは、ピアノとオーケストラによるに「宿命」と題する大曲の演奏シーンが心に残る。捜査当局によって、包囲網が迫ってきていることも知らずに、演奏会の成功を疑わずピアノを弾き続ける加藤剛の愉悦に満ちた様子は、まさに砂の器なのだ。
 今日の読売新聞夕刊に、さまざまな砂を撮り続けている写真家の大島洋氏が、「砂の時代を生きる」と題して興味深いことを書いている。
 大島氏が砂を撮ろうと思い立ったきっかけは、「無力さを感じたことだった」というのだ。「写真家が生涯を賭してさまざまの現場に立ち、そこでどれだけのシャッターを切ったとしても、広大な砂漠で掬った一握りの砂のようなものではないかと思ったのだった」と。
 そして、「世界はまるで流砂のようであり、その砂のような時代に私たちは生きているのだ」と指摘する。
 世界が流砂のようである、というのはまことに本質を突く言い方ではないか。世界で起きている戦争も、富める国と貧しい国の格差拡大も、危機の度合いが増す環境破壊と温暖化も、僕たち個々人にとってはあまりにも大きすぎ、巨大な流砂となって僕たちをのみこんでしまう。
 心ある人たちがいくら声を大にして叫んでも、それは流砂の背後にあるモンスターには届かない。モンスターたちの前には、どんな正論も理想も理念もなにもかもが、無力すぎる一握りの砂でしかない。砂の世界の絶望の中から、僕たちはいったいどこに進めばいいのだろうか。
 大島氏は、「せめて感じた無力さから逃げないようにしよう」と自分自身に噛んで含める、という。そして「無力感などとは無縁に、自信に満ちて自らの正義とヒューマニズムを信じる人たちよりも、それは世界と真っ直ぐに向き合っていることのように私には思われる」と結ぶ。
 世界と向き合うということは、砂の世界の本質を見つめることであり、自らの無力感の自覚なのだ。世界はもう、そこまで救いようがないところにきているのかも知れない。
 この救いようのなさから世界が抜け出すためには、巨大な流砂の背後にあるモンスターもまた砂で出来ていることを暴き、寄せ返す波によって砂のモンスターを根本から突き崩すしかないのではないか。
 アメリカというモンスター、資本主義というモンスター、市場主義経済というモンスター。この表層が破綻を始めて、砂で固められた実体が崩壊する日は、いつ訪れるのだろうか。(12月3日)

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2004年11月

 <宇宙のドラマを生む舞台としての、真空の正体を考える>
 一昨日のブログで僕は、無の揺らぎによって宇宙が生まれた、ということを自分なりに考えてみたが、ここでは無とともにもう一つの重要な概念である「空」について考えてみたい。
 そのためにはまず、現代の科学がとらえている「真空」の真の姿を見ておく必要があるだろう。
 高校の物理や化学では、真空とは何もない空っぽの状態のことである、と教わった。
 ところが、最近のさまざまな研究によって、真空とはこのような空虚で無味乾燥な状態ではなく、宇宙の始まりから終焉までに深く関わっている、ダイナミックで激しい動的な場であることが、しだいに明らかになってきた。
 真空が空っぽでないということは、何かが存在しているということだ。真空でいったい何が起きているのだろうか。
 驚くべきことに、すべてを取り除いて空っぽにしたはずの真空では、原子よりもはるかに小さい素粒子レベルで、粒子と反粒子が生成されては消滅するという、僕たちの常識レベルでは考えられないようなことが絶え間なく起きている。
 これを真空の揺らぎ、と説明している研究者もいる。
 重要なことは、無から有へのバリアを突破して宇宙が自発的に生まれたプロセスと同じように、存在と非存在の間の揺らぎが、真空ではもちろんのこと、僕たちを取り巻くこの宇宙空間のどの場所でも絶えず起きている、ということだ。
 さらに驚愕することには、宇宙の誕生直後にバッグバンをもたらした真空のエネルギーとは別に、いまの広大な宇宙のどの地点の真空をとってみても、正体のはっきりしないナゾのエネルギーに満ち溢れていることも分かってきた。
 ここからは僕の解釈になるが、真空とは実は宇宙そのものであり、星や銀河など目に見えたり観測されたりしている物質やエネルギーは、真空の振る舞いの一つであり、別の姿の真空なのではないだろうか。
 真空は空っぽどころか、沸騰しているナベの中と考えた方がいいかも知れない。ふつふつと煮えたぎるその中では、物質やエネルギーが勢い良く渦巻きながら生成と消滅を繰り返し、休むことなく宇宙を運び続けているのだ。
 現在、膨張を続けている宇宙が、収縮に転じる時期のカギをにきるのは、まだ何も解明されていない真空の持つエネルギーなのだろう、という気がする。
 無からの宇宙の誕生、その直後のビッグバン、現在の膨張、やがて訪れる収縮、ビッグバンを巻き戻しにしたような一点への凝縮(ビッグクランチ)、そして再び無への回帰。
 このドラマにおいて、真空はステージであるとともに、ドラマの主役であり、ドラマそれ自体なのだ。
 「色即是空、空即是色」とは、このような宇宙空間の実相を、鋭く見据えた直感であり、啓示であるに違いない。(11月29日)


 <「ハウルの動く城」を観て思った、老いと恋と希望>
 宮崎駿監督作品の「ハウルの動く城」を観てきた。
 この映画の一つのテーマは、老いるということと恋するということの、人間にとってどうにもならない相反する問題だ。
 主人公である18歳の少女ソフィーは、魔法をかけられて90歳のおばあさんになり、ハウルという魔法使いの美青年に恋をしてしまう。
 「裏」のブログでは、ハウルという美青年について考えてみたので、ここではソフィーについて書いてみたい。
 魔法をかけられたとは知らないソフィーが、鏡を見て自分の老いに気付くシーンは残酷なほどリアルで哀しい。それは、東海道四谷怪談のお岩が、醜く変貌した自分の形相を、手鏡で覗き込んで絶望の悲鳴を上げる場面を思わせる。
 しかしソフィーはあわてず騒がず、不条理な老いを静かに甘受する。それどころか、90歳のソフィーは、うって変わって自分の意思で物語を切り開き、誰になんと言われようと自分でテキパキと行動し物語を紡いでいく。
 老いてしわくちゃになっても滅入ることなく、前向きで元気一杯に生きて恋をしていくソフィーがいじらしく、うらやましい。
 ソフィーは、魔法使いであろうが異界の存在であろうが、王でさえも相手にしてものおじすることなく、いつの間にかハウルを助けたい一心で、信じられないくらい行動的にふるまっていく。恋することは年齢と関係なく、希望とパワーを生み出すことを教えてくれる。
 見たところは気丈なソフィーだが、一度だけ城の外に駆け出して大泣きするシーンがある。強く生きるということは、内面の悲しみとの絶えざる戦いだ。自分の意思で何かを切開いていくことは、実は苦しく切ないことでもあるのだ。
 前作の「千と千尋の神隠し」では、千がおにぎりをもらって食べながら泣くシーンが極めて印象的だったが、「ハウルの動く城」でもソフィーが泣くこのシーンに、僕はとても感銘を受けた。
 この物語はどのような終わり方をするのかも、とても気になるところだった。
 せっかくの詩情あふれる作品ではあるが、ここはハッピーエンドでよかったのだろうか、という気がしないでもない。
 宮崎駿監督ものはハッピーエンドで決まりというのは、子供や親は喜ぶに違いないが、どこかに違和感が残るのはなぜだろうか。
 最後にハウルが死んで、それを代償としてソフィーを始めすべての呪いや魔法が解ける、というエンディングでもよかったのではないか、と思ったりする。
 現実の世界は、きれいごとばかりではない。大切なものを失わなければ、幸せが訪れないこともある。失うことによって、はじめて新たなものが訪れるのは、よくあることだ。
 そんなシビアなメッセージがあってもいいように思う。(11月25日)

 <『時間の岸辺から』その67 働かざるもの> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「働かざるもの食うべからず」というのは、聖書の言葉だそうですが、中国の唐の時代に「一日作(な)さざれば一日食らわず」と教えた禅師もいて、東西を問わず普遍的な労働原理だったようです。
 終戦直後の上野周辺にあふれる戦災孤児たちは、靴磨きやシケモク拾い、拾った新聞の売りつけなど、なんでもやってその日を食べるのに必死でした。
 最近、日本でにわかに注目を集めているのが、ニートと呼ばれる働かない若者たちの急増です。
 正確にいうと、通学も仕事もせず職業訓練も受けていない無業者のことで、ニートとは英語の頭文字からきた新語です。
 厚生労働省はさきごろ、このニートが前年より4万人増えて52万人にのぼる、と発表しました。実際には100万人を超える、とみる専門家もいます。
 これとは別に、フリーターと呼ばれる人たちが200万人ほどいるとみられていて、ニートはフリーターにも失業者にもなれない存在とされています。
 では、どういう人たちがニートになっているかというと、大きくわけて「引きこもり型」「自信喪失型」「自己実現追求型」「非行型」などのタイプがあるといわれています。
 なぜ働かないのか、ニートたちが口にするのは、「生きづらさ」であり、仕事や対人関係、社会の仕組みを前にして、立ちすくんでしまっている若者がほとんどです。
 ニートはどうやって食べているのだろうか、と誰もが思います。
 調査によるとニートの7割が、親など家族や親族の収入で食べている、という状況があります。
 また、就職するくらいならホームレスになったほうがまし、として実際にホームレスになっている若者も少なくありません。
 こうした状況をどう考えたらいいのでしょうか。「甘ったれるな」という批判も、当然わきあがっています。
 「働かざるもの食うべからず」という言葉も、容赦なくニートたちに投げられています。
 ボクは、日本が不況だデフレだと言われながらも経済的に豊かで、無業者でも食べていけることが、ニートを生んでいる背景にあることは、否定出来ないと思います。
 しかしもっと大きな要因は、日本の企業が、これまでの終身雇用を軸にした家族的なムラ社会から、能力主義と競争主義をむき出しにした容赦ない「戦場」へと、大きく舵(かじ)を切りつつあることではないでしょうか。
 人と毎日競争していくのが嫌な人、人を蹴落としたくない人、自分の能力を人と比べられることに耐えられない人が、就業を前に立ちすくむのは当然です。
 ニートの急増は、人と戦うことをよしとしない若者たちによる、抗議の意思を込めたサボタージュ現象なのではないか、という気がしてなりません。(11月22日)

 <ピカソのミノタウロスは、なぜ悲しい目をしているのか>
 東京・木場の東京都現代美術館で開催されている「ピカソ 身体とエロス展」を親しい人と観てきた。全体の感想はブログの方に書いたので、ここには展示作品の中でもとりわけ強い印象を受けたミノタウロスについて書いてみたい。
 ミノタウロスとは、海神ポセイドンによって造らた人身牛頭の怪物で、迷宮に幽閉されたまま、毎年アテナイより送られる少年たちを食べ、少女たちを陵辱して生きていた、というギリシア伝説上の存在である。
 僕がミノタウロスの絵を見たのは、1999年5月に上野の森美術館で開催されたピカソ展以来、5年半ぶりのことだ。前回は、盲目になったミノタウロスが、鳩を抱いたマリー・テレーズに導かれている様子に強いショックを受けた。
 99年5月6日のつれづれで僕は、ミノタウロスはピカソ自身を超えて現代の私達の姿そのものであり、人類はいま視力を失ってさまよえる醜悪な怪物なのではないか、という意味のことを書いた。
 今回のピカソ展でも、若い女に挑みかかるミノタウロスの姿などが何枚か展示されていて、僕はこれらのミノタウロスから、前回見たのとはまた別な感想を持った。
 それは、ミノタウロスの目の悲しさだ。醜悪な巨体の中で、小さなやさしい目がほとんど泣いているように見える。
 ミノタウロスはなぜ悲しいのか。さまざまな解釈が出来ると思うが、最も深い理由は、老いることと愛することの相克であろう。止めることの出来ない老いの進行と、これまた止めることの出来ない愛とが重なった時、ミノタウロスは自分自身の存在の悲しさに呆然とする。
 それは老いの問題を越えて、男そのものの悲しさにつながっていき、それは逆の立場で言うならば、女の悲しさにもつながっていく。
 もっと言うならば、ミノタウロスの目の悲しさは、生きていくことが決してきれいごとではなく、生きるという営みそのものが持つ醜怪さ、汚らしさへの深い自覚と悲しみなのだと僕は思う。
 汚れることなく、真っ直ぐに純粋に生きていくことは、この世界では不可能なのだろうか。これはピカソが投げかけている深い問いかけでもあるだろう。
 その答えは、ピカソ自身の生き方によって示されているのでないか、と僕は思う。
 生きることの醜怪さや汚らしさを自覚している人間は、その苦悩と葛藤の中で浄化され、ピュアなものへと一歩、近づいていくのではないだろうか。
 そうした生き方は、僕たち凡人には簡単に出来ることではないと思うが、理想から目をそらさないで前向きに生きていくことなら、誰にでも出来るはずだ。
 ミノタウロスの悲しい目が僕たちに示しているのは、人生が有限であり、生きにくくても汚くても、一度限りであるということ。だからこそ、自分と格闘してでも生きていく必要があり、生きていくだけの価値と輝きがある、ということに違いない。(11月18日)

 <グッバイ、アメリカ 宗教的トランス状態に陥った悪魔の国への決別>
 一週間ほど、京都と神戸に一人旅をしてきた。従来は旅行中にたまった新聞の切り抜き作業は、旅行から帰ってから一気にやっていたのだが、今回はハサミを持参して、旅行中に読んだ新聞については、その日のうちに切り抜きをするやりかたに変えた。
 この一週間にボクが切り抜いた記事の多くは、ブッシュ再選による「暗い時代の始まり」を憂慮するもので、その見出しだけを拾ってみても、世界がいかに今回の再選に衝撃を受けているかがよく分かる。
 「広まる保守、戸惑う欧州」(7日朝日)、「際立った道徳的保守主義」(7日毎日)、「暗い時代に歯止めを」(7日毎日)、「ブッシュ共和党天下」(11日朝日)、「再選支えた宗教右派」(11日読売)、「米の保守化 着実に進む」(11日日経)。
 中でもボクたちのイライラ感を代弁していたのは、13日の朝日に載った作歌島田雅彦氏の記事だ。
 「民主主義のなれの果てとしての衆愚政治もここに極まった」「イラク戦争を容認し、自民党を延命させてしまう日本の有権者は、ブッシュを支持するアメリカ人並みに謎めいている」「世界はブッシュの失政とアメリカ市民の倫理に期待するしかない」
 もう一つ、今日の朝日に載ったカン・サンジュン東大教授の記事も鋭い。「宗教右派による『道徳革命』はこれから直接、超大国の外交に影響を与えかねない。その結果、米国を永続的な軍事化へと駆り立てる悪夢のようなシナリオが実現されるかもしれない」
 そしてカン教授は、世界の多くの人々が、もう「アメリカという夢」など見たくないと思ったのではないか、として「グッバイ、アメリカ」という言葉こそ、そんな気分にピッタリだとしている。
 ボクは、ここまでアメリカという国を悪魔の国に仕立て上げ、アメリカ国民を悪魔の饗宴の幻影に閉じ込めてしまった宗教という存在に、吐き気をもよおすほどの嫌悪と敵意を感じる。
 なあにが神の国だ、なあにが自由だ、なあにが民主主義だ。世界と地球の歴史を100年も200年も逆行させて、それでよくもぬけぬけと星条旗など振りかざしていられるとは、アメリカ全体が狂気の妄想状態にはまり込んでしまったとしかいいようがない。
 国全体が一種の宗教的トランス状態にあって、耳も目も思考も感覚も機能停止に陥ってしまっているのだ。
 悪魔の国と化したアメリカは、世界から消えてほしい。地球から、アメリカという存在そのものがなくなってほしい。
 世界の良識ある人々やグループが、あらゆる手段でアメリカという国を崩壊に導くために闘うならば、ボクはそれらの闘いに支持と共鳴を惜しまないつもりだ。(11月14日)


 <『時間の岸辺から』その66 地域通貨> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 映画「飢餓海峡」に、こんな場面があります。
 貧困の極みからはい上がろうとする犬飼太吉が、一夜を過ごした貧しい娼婦の杉戸八重に、「悪い金やないんや」といって、新聞紙に包んだ札束を渡して去っていきます。
 それがハンパでない大金であることを知った八重の驚愕(きょうがく)と、うれしさ。お札をどこに隠そうかと、うろたえながら、両足の間にしっかりとはさんで、犬飼への感謝にくれるシーンが印象的です。
 お金はなんのためにあるのでしょうか。富めるものをますます金持ちにし、貧しいものをますます貧しくするためでしょうか。
 いま、日本の各地で、富めるものと貧しいものの格差を広げない地域通貨がどんどん生まれています。
 岩手県の湯田町と沢内村に去年誕生した「わらび」もその一つです。
 この地域は、東北屈指の豪雪地帯ですが、過疎化、高齢化が進んで冬場の雪かきをする人手が足りません。
 そこで、スノーバスターズと名付けた雪かきボランティアを、全国から募ることにしました。
 雪かきをしてくれた人たちに「わらび」と名付けた通貨を渡します。
 通貨の発行原資として、2500平方メートルの畑でわらびを栽培します。100わらびで100円相当の本物のわらびと交換することが出来ます。
 それだけでなく、商店や食堂、美容院、クリーニング店、工務店、旅館など地元の約160の事業所が協力していて、わらびは地域の通貨として使うことが出来るのです。
 ヒレカツ定食400わらび、温泉入浴200わらびといった具合です。
 地元の人たちは、これを「わらび本位制」と呼んでいます。
 こうした地域通貨は、全国に数百ほどはあるといわれています。
 アトム、ラッセ、アップリン、ガマール、あんど、げんき、せと、ほっこり、だんだん、ゆうゆう、よかよか。これらは全部、地域通貨の単位です。
 これまで市場経済に乗りにくかった、親切、思いやり、人助けなどの行為を価値として認め、通貨の形で「ありがとう」の気持ちを表すとともに、その通貨で地域の経済を活性化しよう、というのです。
 地域通貨は20年ほど前から、欧米で広がり始め、日本では数年前から各地で続々と誕生しています。
 それぞれの国の中央銀行が発行している法定通貨は、より有利な利回りとより大きな利潤を求めて、世界中を休む間もなく駆け回り続け、市場の論理からはみ出た価値は、すべて容赦なく切り捨てています。
 法定通貨が権力を笠に着た非情の通貨ならば、地域通貨は人間を差別しないやさしい通貨です。
 地域通貨の広がりは、法定通貨の「暴走」に対する、市民の側からの静かな告発なのだと思います。(11月6日)

 <ブッシュ再選後の憂鬱な世界、アメリカの崩壊は始まるか>
 「再選はアメリカの崩壊の始まりだ」。イラクのスンニ派市民が、ブッシュ再選のニュースを聞いて語った言葉です。
 いまほど世界が、落胆に沈みこんでしまったことはないでしょう。再選されて、これほど世界をがっかりさせた大統領は、アメリカの歴史に二人といません。
 コイズミ政権は、胸をなでおろしているようですが、日本の心ある人たちの間でも、失望ないしは絶望に近いものが広がっています。
 ブッシュは、イラク戦争がアメリカ国民から信任されたものとしてますます強気に出て、気にくわない国や従わない国に対し、国益のためとしてどんどん先制攻撃をかけていく危険があります。
 さらに、アメリカは、温暖化防止の京都議定書をはじめとして、核軍縮など世界の平和のためのシステム構築に、ことごとく反対してぶち壊す姿勢を一層強めていくことでしょう。
 このアメリカの暴走を、もはやだれにも止めることは出来ないのでしょうか。
 ボクは、冒頭のスンニ派市民の言葉が、案外、ことの本質を見据えているような気がします。
 ブッシュの再選が、ほかの国々では落胆でしかないという、まさにそのことの中に、アメリカの崩壊の始まりがあるのではないでしょうか。
 これからの世界は、憂鬱が時代の気分となり、憂鬱こそが世界のキーワードとなるでしょう。
 能天気なアメリカ国民は、自分たちがブッシュを選んだことが、これほど世界を憂鬱にさせていることに、まったく気付いていません。いや、気付こうともしないし、気付くことが嫌なのです。
 アメリカ以外に多くの国があり、アメリカ国民以外に60億人もの人間がいるということを、アメリカ人は知らないのです。アメリカ国民は無知であるだけでなく、世界でもまれにみるほど愚かで、怠慢で、不誠実です。
 極端に集中する富と軍事力に守られて、自分たちだけが有り余るほどのモノとエネルギーを消費し、浪費し、享楽的な毎日を過ごすことが出来れば、ほかのことは知ったことじゃないのです。
 貧しい国があるのは、その国の責任だ。貧しい人々が存在するのは、その人たちの努力が足りないからだ。どれもこれも、アメリカ的な民主主義が根付いてないのが悪いのだ。アメリカ人たちは、こう言って、肩をすくめることでしょう。(アメリカ人の、この肩をすくめて手を広げるポーズには、身震いするほどの嫌悪を感じます)
 だが、本来ならば戦争犯罪人として、それもA級戦犯として、絞首刑ないしは公開銃殺は避けられない男=ジョージ・ブッシュを、大統領に選んでしまったという、そのことにこそ、僕はアメリカ崩壊の萌芽が含まれていると思います。
 世界の国々からそっぽを向かれた超大国は、世界とのかかわりにおいてすでに自壊が始まっている、と言っていいでしょう。
 史上最強の不沈艦、あのローマ帝国でさえ、崩壊したのです。
 世界中が心ひそかに崩壊を期待しているアメリカは、必ずやローマ帝国の道をたどるに違いありません。
 奢れるもの久しからず、に例外はないと思います。(11月4日)

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2004年10月

 <時間が旅人ならば、どこからどこへ旅を続けているのか>
 月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行かふ年も又旅人也。
 芭蕉の「奥の細道」序文のこの短い一節ほど、時間というものを鋭くとらえた文章はありません。
 この短い一節の中に、年月日という人間がめぐり合う時間の単位がすべて入っている上に、百代=永遠を俯瞰していることは驚嘆すべきことです。
 さらにこの文に出てくる月日は、暦の上の月と日だけではなく、太陽と月という、人間にとって最も身近で重要な2つの天体を表しています。
 朝、太陽が昇って昼をもたらし、1日が終わって沈んで夜をもたらす。そして太陽は1年かけて天を一周して、また新たな年が始まる。
 月は毎日、昇ったり沈んだりを繰り返しながら、新月から三日月になって満月になりまた細っていく。
 芭蕉は、太陽と月のこうした動きを、永遠の旅人としてとらえています。
 そのことは、年月日という時間もまた旅人であるという、深遠な悟りへとつながります。
 ボクは、2002年2月11日のこの欄で、時間の流れを川の流れにたとえると、ボクたちは岸辺から川の流れを見ているのか、それとも川の流れの中から岸辺を見ているのか、どっちなのだろう、という疑問について書きました。
 英国ニュースダイジェスト誌に掲載している時評エッセイ「時間の岸辺から」のタイトルは、ここからつけられたものです。
 そこで、こんどは時間を旅人としてとらえた場合のことを考えてみましょう。
 時間は、宇宙の始まりとともに空間と一緒に誕生し、以来、137億年の間、旅をつづけてきた、といっていいでしょう。
 では時間は、どこからどこへ旅をしているのでしょうか。過去から未来への旅、でしょうか。それとも未来からやってきて、過去へ去っていくのでしょうか。
 時間について考え始めると、こうした最も基本的な点からして、すでに分からなくなってしまいます。
 ボクもあなたも、芭蕉がそうであったように、やはり旅人です。では、ボクやあなたは、旅人としての時間と、どのように関わって進んでいるのでしょうか。
 旅人としての時間は、旅人としてのボクやあなたと正面からすれ違っているのでしょうか、それとも横から交錯しているのでしょうか。
 これはボクの全くの感覚ですが、ボクやあなたは、時間と連れ立って、時間と同じ方向に旅をしているような気がします。
 時として、時間の方がちょっと先回りして、思いがけない道をちゃんと用意してくれていることがあり、ボクたちはそのことに驚いたり感動したり、奇遇だねえ、と笑いあったりするのではないでしょうか。
 ボクたちの意識の方が先行して、時間の方が「そんなにあわてなさんな」と、ふうふう息をつきながら追いついてくることも、時にはあるように思います。
 時間と同じ方向に旅をしているのだと思うと、なんだか勇気と希望が湧いてくるような気がします。(10月31日)

 <マティスの絵で味わった幸福感は、肘掛け椅子の優しさ>
 東京・上野の国立西洋美術館で開かれているマティス展を、親しい人と見にいってきました。
 ボクはマティスについては、02年2月にやはり上野で開かれていたMoMA展で、「ダンス」を見たのが印象に残っていますが、マティスについてはほとんど知らないままでした。
 今回、没後50年を記念して開催されたこの展覧会を見てまわって、一番感じたことは、マティスの絵はどれも、見るものを幸せな気持ちで包んでくれる、ということでした。
 マティスの絵のほとんどが、ピカソと同時代の20世紀の前半に描かれていたことを思うと、これは驚異的な気がします。ボクはマティスはもっと、とっつきにくいのかと思っていたのですが、これはまったくの先入観に過ぎなかったことを知らされました。
 制作年代を追うにつれ、マティスの絵は線も色彩もしだいに極めてシンプルになり、描かれる部屋もテーブルも人物も、思う存分デフォルメされていきます。
 単純化は純粋化となって、絵画の本質に迫っていくような心地よい陶酔を、見るものにプレゼントしてくれます。
 マティスは1908年に、自らの芸術の理想について、こう語っています。「私が夢みるもの。それはひとを不安にしたり気を滅入らせるような主題を持たない、均衡と純粋、そして静寂の芸術である」。
 そしてマティスは、人間の肉体的な疲れを癒すのが肘掛け椅子であるならば、自分がめざす芸術は、その肘掛け椅子にあたるようなものである、と続けています。
 ボクは、今回のマティス展で、「ルーマニアのブラウス」「夢」「豪奢T」「模様のある背景の装飾的人体」「窓辺のヴァイオリニスト」をはじめ、多くの作品がオーラのように発し続けるホカホカした静寂は、これこそまさに精神の肘掛け椅子なのだ、と感じました。
 今回の展示では、「過程」(プロセス)と「変奏」(バリエーション)が大きなテーマとなっていたことも、人間にとってアートとは何かを考える上で、とても大きな知的刺激となりました。
 「ルーマニアのブラウス」も「夢」も、製作過程を通じて、構図から細部にいたるまで、何度も様相が変わっていったことが分かります。これはマティスが、絵画という自分を超える存在を前にして、その大きな存在と対話を繰り返しながら、ようやく一つの境地にたどりついたことを、示しています。
 マチスは、色にも線にも構図にも、型による制約をはめこむことなしに、どんどん自分で自分の作風を切り開いていき、しかも一つところにとどまってはいません。
 「こうでないといけない、と決まったものなんかないんだ」というマティスの一貫したスタンスほど、ボクたちを勇気付けてくれるものはありません。
 ボクたちがマティスの絵から受ける感動は、この自由のさわやかさであり、型を破壊しても破壊を上回る優しさで作品を包み込む暖かさです。これらは、親しい人と対話をかわしながらゆっくりと鑑賞して回ることで得られた、共有の感動でした。
 マチスがつくってくれた肘掛け椅子で味わった幸福感は、明日への希望と勇気につながっていく、と確信しています。(10月27日)

 <満員の新幹線が270キロ走行中に、強い地震が直近で起きたら>
 19年前の日航ジャンボ機墜落事故では、垂直尾翼が吹き飛んでから墜落までに、約30分もの時間があり、多くの乗客たちがダッチロールを繰り返す機内で、家族らに遺書を書き残しました。
 これらの遺書は事故後、新聞などで内容が公開されて、多くの人々の涙を誘いました。運命の時が突然訪れた時に、冷静に自分の人生を振り返って、手元にある紙切れなどに遺書をしたためることが出来る人間は、まことに立派だと思います。
 ボクは海外旅行に出かける時には、子どもたちにあてた遺書のようなものを置いてでかけます。遺書というよりも、万一の時にどういう人たちに連絡すべきか、葬儀などはどのようにするか、私物はどう処分したらいいのか、などについてのメモ書きのようなものです。
 飛行機に乗らない国内旅行の場合は、こうしたメモ書きはとくに置いていく必要はないと思っていました。
 しかし、昨日の地震で、開業以来初めて新幹線が脱線したというニュースに、ボクは国内旅行でも安心は禁物なのではないか、と思い始めています。
 昨日脱線した新幹線は、大揺れを感じて運転士がブレーキをかけた時、時速200キロのスピードが出ていたと見られます。幸いにしてけが人が出なかったのは奇跡に近い、という交通評論家のコメントなどが新聞に載っています。
 上越新幹線の最高速度は270キロで、もしこの速度で車内が満員の状態だったら、大変なことになっていたでしょう。東海道新幹線も、のぞみは270キロです。山陽新幹線は300キロの速度を出しています。
 新幹線の地震対策は、初期微動を感知したらすかさず緊急ブレーキがかかることになっていますが、これが有効なのは、震源がいくぶんでも離れている場合です。今回のように震源の直近を走行中だったらお手上げであることが、今回はっきりしました。
 40年前に東海道新幹線が開業してから何年もの間、どの新聞社も新幹線脱線転覆の大惨事に備えて、大量の予定原稿を準備していました。その後、新幹線の安全性が定着していくにつれ、これらの予定原稿は古くなり、準備をやめたところも多いと聞いています。
 ボクはさしあたって来月、東海道新幹線で関西に行き来する予定がありますが、今回の地震による脱線で、新幹線に乗るのが怖くなってきました。
 とくに東海道新幹線の場合、東海大地震や南海大地震、東南海大地震など、危険性が指摘されている地域をたくさん走るため、270キロの速度は快適というよりも、むしろ不気味です。
 大揺れが襲ってから転覆までに、遺書を書くような時間はまったくないと覚悟しておいたほうがいいでしょう。
 かといって、在来線は近距離の利用者のために、わずかな距離をわずかな本数が走っているだけで、代替にはなりません。
 新幹線に乗る前に、海外旅行なみに遺書をしたためるのも、大げさな気がします。
 せめて親しい人あてに、パソコンの中に何かを書いて残しておこうかなどと、思案にくれているところです。(10月24日)

 <『時間の岸辺から』その65 クマの出没> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 クマに出会ったら死んだふりをすると助かる、と昔から言われます。ほんとうにそうなのでしょうか。
 死んだふりで助かったケースがある一方で、死んだふりは危険だという指摘もあります。
 クマに背を向けて逃げてはいけない、またクマをやっつけようと立ち向かってはいけないというのは、多くの人が指摘しています。
 その場から動かずに、クマをじっと見つめたまま、視線をそらさないことが一番、ともいわれます。
 少なくともクマを刺激してはならない、ということは鉄則のようです。
 そのクマが今年は、日本列島のあちこちで人里に出没して人間と遭遇し、すでに80人以上の死傷者が出ています。
 もともと臆病で人間を恐れているクマが、今年は堂々と人間のいる場所に入りこんできています。
 石川県では、高校に現れて生徒を追いかけたり校舎のガラスを割ったりしました。
 同じ石川県では園児が昼寝中の保育園に、子連れのクマが現れました。
 富山県では老人ホームに侵入し、滋賀県では消防署の車庫に現れました。
 クマが民家に上がりこんで居座ったり、箱の中のリンゴを食べている、などのケースもあちこちで起きています。
 捕獲されるなどして射殺されたクマは、1千頭以上にものぼっています。
 このクマ異変については、さまざまな原因が指摘されています。
 奥山と人里の境界だった里山が、人手不足などで手入れがされないまま急速に荒廃し、クマが里山まで下りて来やすくなっている、という問題もあります。
 それに加えて今年は、猛暑の影響や台風が相次いで襲来して木の実が落ちたことなどで、クマの餌が極端に不足しています
 猟友会が射殺したクマの胃には、例年の3分の1程度の内容物しかなかった、ということからも、餌不足の深刻さが分かります。
 冬眠が始まる12月に向けて、クマのほうも必死なのでしょう。
 ボクは、このクマ異変の背景に、ジワジワと進む地球温暖化の影が見え隠れしていることを感じます。
 温暖化によって、地球がこれまでの気候を維持出来なくなっていることが、猛暑や台風襲来を引き起こして、餌不足につながっているとしたら、ことは重大です。
 餌不足は、シカ、キツネ、タヌキ、リスなど、ほかの動物たちにとっても切実なのではないか、とボクは想像します。
 クマは、温暖化対策に消極的な人間たちに、身をもっと警告を伝えようとしているような気がしてなりません。
 山の動物たちを代表して、地球からのメッセージを届けにきたクマたちを、射殺する以外になすすべがない人間とは、なんと身勝手な生き物なのでしょうか。(10月21日)

 <無から誕生してビー玉大だった宇宙に、いまボクたちが存在する奇跡>=通算800本目
 この新世紀つれづれ草が、1997年2月に大世紀末つれづれ草としてスタートしてからの通算本数が、ちょうど800本目となりました。
 800本目のテーマは、存在の不思議についてです。
 自分という存在は、なぜ今ここに存在しているのでしょうか。人間は、なぜこの世界に存在するのでしょうか。そして、そもそもこの世界はなぜ存在しているのでしょうか。
 20世紀最大の科学的発見は、この宇宙が無から生まれたことの発見であるとされています。
 宇宙が無の揺らぎから生まれた、という驚くべき発見は、さらに衝撃的なさまざまな事実を、人間の前に提示しています。
 時間も空間も、無からの宇宙の開闢(かいびゃく)とともに生まれたという事実からは、宇宙が生まれる「前」はどうなっていたかという疑問を、無意味なものにしてしまいます。
 無はなぜ揺らいだのか、そもそも無が揺らぐとはどういうことなのか、ボクはこのあたりに存在というものの根源的な不思議を見る思いがします。
 ある本には、無から生まれた「瞬間」の宇宙の温度は、無限大といっていいほどだった、とあります。無と無限大は、実はおなじものなのではないか、とも書かれています。
 物理学は、誕生直後の宇宙の姿を求めて、いまや宇宙全体の大きさが直径1センチほどの、ビー玉くらいだったあたりまで、遡って解明することが出来ています。
 この時、無から宇宙が生まれてから経過した時間は、わずかに10のマイナス36乗秒後。これがどれくらい短い時間であるかは、10のマイナス3乗秒後が1000分の1秒であることから、おおよその判断をするしかありません。
 ビー玉ほどの大きさだった宇宙の温度は、1000兆度の1000兆倍という、想像を絶する温度で、このころはエネルギーと物質がまだ分かれていない混沌の世界でした。
 ボクがつくづく不思議に思うのは、こんな小さな宇宙の中に、いま宇宙に存在するすべてのものが閉じ込められていた、ということです。
 ビー玉ほどの中に、地球も太陽も銀河系宇宙も、そして宇宙全体で数百億もあるほかの銀河系宇宙も、すべてが極微小に凝縮された混沌として、入っていたことを思うと、ボクは戦慄するほどの感動を覚えます。
 無から宇宙が誕生して、137億年後。いま、さまざまな銀河系宇宙が散らばり、その中の一つの銀河系宇宙の端っこの、一つの星として太陽があり、地球が回っています。 
 その地球の上に、60億人の人間を含めて、さまざまな動植物たちが、運命共同体を構成して生きています。
 かつて、ビー玉の中にあった混沌から生まれたすべての存在。その中に、ボクがいて、あなたがいます。
 人と人が出会って、ひとつの時代をともに生き、同じ時を共有できることは、まぎれもない奇跡なのだと思います。(10月17日)

 <イラク戦争を支える米の優雅な無知、そのフリをする日本人>
 ボクは新聞の全国紙を4紙購読していて、ちょっと面白い記事はどんどん切り抜いて、数日分まとめてスクラップブックに張っています。切り抜きをやっていて感じることですが、切り抜きたくなる記事が最もたくさんあるのは、日経と毎日で、ついで読売です。
 残念ながら、朝日は切り抜きたくなる記事が最も少ないのです。朝日の記事は、面白いかどうかではなく、重要かどうかでふるいわけされていて、その基準が時代にあわなくなっているのではないか、という気がします。
 その朝日で、今日の夕刊は珍しく、面白い記事が2つ載っていて、切り抜きました。一つは美術館における鑑賞順路が、どんなふうに決められているかについてのもので、これは今日のブログの方に書きました。
 もう一つは、アーサー・ビナードという詩人のコラム「日々の非常口」です。
 「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」
 この言葉は別のアメリカの詩人が1940年に書いた一節だそうですが、ボクはこの「優雅な無知」という言葉は、時代を深く鋭く切り取っているように思います。
 そうなのですね。優雅な無知。戦争への地ならしが一気に進んだ、大正デモクラシーの明るさ。ナチス台頭の土壌となった、世界一民主的なドイツのワイマール体制。
 「地獄への道は、善意で敷き詰められている」といったのは、レーニンだったような気がしますが、優雅な無知はどれもみな善意であることは疑いもありません。
 イラク戦争の開戦を支持した70%ものアメリカ国民は、それが悪を懲らしめる正義の戦争であり、アメリカの価値観を世界に広めることこそ使命だと信じて疑わなかった人たちです。
 まさしく優雅な無知。無邪気な無知。お人よしの無知。豊かな無知。星条旗を掲げて涙を流すハリウッド的無知。
 大統領選の世論調査でも、優雅な無知は健全です。ケリーはブッシュよりいくぶんマシかも知れませんが、幻想を抱くことは禁物。ケリー支持層もまた、優雅な無知と似たり寄ったりで、それほどの違いはないように思います。
 アメリカ国民の優雅な無知は、無知であることに気付いていない、あるいは気付こうともしない、本当の無知です。
 しかし、イラク戦争がいまだに正しかったと強弁し続けるコイズミさんに対して、ヘラヘラ笑って支持し続けている日本人は、優雅でもないのに無知を装っているところが許せません。
 無知を装って、問題を正面から見据えることから逃げているなんて、卑怯だと思います。(10月14日)

 <大手書店のレジでもフォーク並び、文化として定着するか>
 日本人は行列好きだといわれます。ラーメン店や人気レストランの行列を見ていると、並ぶことを楽しんでいるのではないか、と思うようなところさえあります。
 しかし、みんなが急いでいる時に、複数の窓口や入り口がある場合、行列はイライラの大きな要因となります。
 イライラする理由を考えてみると、順番待ちがイヤなのではなくて、どの列に並んだら最も早いのか予測がつかず、時によって極端な不公平が生じることです。
 並んだ列によって、進み具合が大きく異なり、隣の列に並んでいたらもうとっくに順番が来ていたのに、自分の列はさっきから全然進んでいない、ということはだれもが日常的に体験していることです。
 そこで何年か前からJRのみどりの窓口や、銀行のATMなどで採用され始め、しだいに定着してきたのがフォーク並びと呼ばれる並び方です。
 窓口がいくつあってもみんなが1列に並んでいて、先頭の人から順に開いた窓口に行くやり方です。
 この方法は非常に合理的ですが、フォーク並びを理解していない人が割り込むことがよくあり、それを防止するためロープを張ったり床に誘導ラインを引くなどの策が必要です。
 今日、紀伊国屋書店の新宿南店に行ったら、レジがフォーク並びになっていて感心しました。本店の方はまだフォーク並びではなく、どこに並ぶかによって、差が出ているままです。
 家電量販店のレジも、いまはほとんどがフォーク並びになっています。
 これに対し、スーパーのレジでフォーク並びを採用しているところはあまり見かけません。レジの数が多い上に、レジの端から端まで長い距離があり、フォーク並びではかえって混乱するのかも知れません。
 駅のトイレなと゜、とくにフォーク並びにするよう明示されていなくても、利用客が自発的にフォーク並びをして待つ光景も、最近はよく見かけます。これも、後から来た人がフォークの列を無視して進んでしまえば、崩れてしまいます。
 フォーク並びは、マナーの問題であるとともに、文化の問題です。
 ロープなど張らなくても、フォーク並びの先頭位置が誰にでも分かるような、絵文字のようなものを作って普及させることも一案ではないでしょうか。(10月11日)

 <『時間の岸辺から』その64 おひとりさま> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 レストランに一人で行くと、入り口で「お一人様ですか」と尋ねられます。
 男性の場合は、一人で入ることに抵抗感はありませんが、女性の場合は、これがなかなか勇気の要ることでした。
 ここ数年、レストランやティールームで、一人でさっそうと食事をし、お茶でくつろぐ女性の姿が目立って増えてきました。
 このところなにかと話題になっている「おひとりさま」現象です。
 背景には、バブル崩壊後の日本で、女性の社会的進出と経済的自立が、一気に進んだことが挙げられています。
 男に頼らないで生きるようになった女性たちは、男性のようにランチタイムやアフターファイブまで、会社を引きずって群れて行動することは苦手です。
 いまや「おひとりさま」は、精神的にも自立した女性の新しい生き方として定着しつつあり、「おひとりさまする」という動詞的な使われ方も広がっています。
 デパート、ホテル、旅行、マンション、インテリアなど、さまざまな業界が、おひとりさま市場に熱い視線を注ぎ、おひとりさま向けの商品をどんどん発売し始めています。
 女性が周りの視線を気にすることなく、一人で行動できるようになったことは、日本の社会では画期的なことで、結婚していておひとりさまを楽しむ女性たちも少なくありません。
 しかし、ボクはここで、おひとりさまにならざるを得ないという事情もまた、考えておく必要があるように思います。
 それは、すでにあちこちで指摘されていることですが、男女を問わずに進行している未婚化、晩婚化の問題です。
 30代前半の未婚率は、全国平均で男43%、女26%と急増していて、都市部ほどこの傾向が顕著です。
 東京都区部では、30代前半の男の56%、女の41%が未婚です。
 この先、いまのおひとりさまたちが高齢化していき、後に続く人たちもおひとりさまになっていったら、どのようなことが起こるのでしょうか。
 おそらく、どこへ行ってもカップルや家族連れよりも、おひとりさまの姿が目立つようになり、食事や住宅から医療、年金、介護など社会のあらゆる分野で、おひとりさま対応を迫られていくに違いありません。
 女性のおひとりさまに対しては、「孤独」「もてない女」などと冷たい目で見る男たちがいます。その男たちもまた、気がついたら自分も年を食った男のおひとりさまになっていることを知って、愕然(がくぜん)とするのではないでしょうか。
 おひとりさまから敬語をとってしまえば、その実体は「ひとり」にほかなりません。
 男も女も、それぞれが自立をはかりつつ、どのように役割分担をしていくべきか、根本から考え直す時期にきているように感じます。(10月8日)

 <宇宙では円周率よりも素数が、知性存在の信号になる理由>
 3.14159265358979323846264338327950288
 僕は中学の時に、円周率をやっとのことで小数点以下35桁まで暗記しました。
 ところがそれ以上は、何度試みても暗記することが出来ません。たぶん、僕の脳の中の円周率暗記ファイルが、ファイナライズされてしまって、書き込み禁止状態になってしまったのではないか、と思ってあきらめています。
 ところが世の中には、驚くべき人がいるもので、これを1000桁暗記したとか、5000桁暗記したとかいう人はざらにいて、最近は1万桁、2万桁もめずらしくありません。
 先日は、1995年に当時の慶大生が記録した4万2195桁の世界記録を大きく上回る、5万4000桁の世界記録を達成したという58歳の元会社員のことがニュースになっていました。
 証明用にビデオカメラ3台を使い、知人ら9人が立会人になって、8時間50分かかって達成したといい、近くギネスブックに申請するそうです。
 こうなると単に記録への執念というだけではなく、円周率の持つ魔力のようなものを感じます。
 多くの人を惹き付けてやまない円周率ですが、遠い宇宙の中で知的生命が自らの存在を他の知的生命に発見してもらうための信号は、円周率ではなく素数の数列とされています。
 円周率の方が普遍的のような気もしますが、これはほかの知的生命が10進法を使っているとは限らず、おそらくは指の数らよって8進法、12進法、16進法など、まちまちであることが最大の理由でしょう。
 3.14159‥を、点の数で示していっても、例えば*** * **** * ***** *********としていっても、何進法なのかによって小数点以下の点の数はまったく異なってきます。
 それに比べて、素数の配列は、何進法かによらず、点の数あるいは信号の点滅によって、普遍的に表すことが出来ます。
 ちょっと試してみましょうか。
 ** *** ***** ******* *********** ************* ***************** ******************* *********************** *****************************
 おそらく、たったこれだけであっても、宇宙の中のどの知的生命も、素数信号であることは敏感にキャッチされるに違いありません。
 ************************************* ***************************************** *******************************************
 と続けば、もう間違いないでしょう。
 地球では、10進法によって、2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 37 41 43と表示され、人類は未曽有の興奮につつまれるかも知れません。
 人間の愚行によって地球が破滅する日と、人類がほかの知的生命からの素数信号を見つける日と、もはや時間の競争のような気がします。(10月4日)

 <東海道新幹線開業40周年、初乗車は台風で線路に立ち往生だった>
 今日の新聞各紙に、「東海道新幹線は、本日、40周年」という全面広告が載っています。
 新幹線が開業したのは、1964年、東京オリッピックの開幕を9日後に控えた10月1日でした。今から思えば、なんとギリギリの開業だったのか、という気がしますが、戦後復興のシンボルとして、満を持しての大プロジェクトだっただけに、慎重に慎重を期してのスタートだったのでしょう。
 ボクが初めて新幹線に乗ったのは、開業の翌年だったように覚えています。京都から名古屋までの、わずかな区間でしたが、車窓の光景がシネラマの早回しのように展開していく様子に、眼が回るほどのスピード感を味わった記憶があります。
 ところが、この速度に感嘆したのもつかの間、ボクの載った新幹線は、線路の真ん中でガス欠を起した車のように速度を落として、止まってしまいました。
 外はしだいに風が強くなっていて、時折横から吹き付ける突風で、車体が揺れるほどになっていきます。なぜ止まっているのかについての車内アナウンスもないまま、新幹線は1時間も2時間も駅と駅の中間あたりで止まったままです。
 ようやく車内アナウンスがあった時には、外は木々の枝が吹き飛ぶかと思われるほどの強風が吹き荒れていて、アナウンスがなくても、台風の影響をまともに受けて動かなくなったことは、誰の目にも明らかでした。
 乗客はみな缶詰状態のままで数時間を過ごし、何かパンのようなものが配られたような記憶がかすかにあります。やがて台風が通過していって、架線や線路の点検も終わり、ノロノロと動いては止まりを繰り返しながら、名古屋に着いたのはなんと京都を出てから7時間後でした。
 特急券は払い戻しです。京都−名古屋間、7時間。これがボクの新幹線初体験でした。
 その後、新幹線に乗る機会はいろいろありましたが、車窓の光景で今でも感動するのは、冬の快晴の日に、真っ白な雪を頂いた富士山を車窓から見る時です。
 東海道新幹線のルートは、この富士山を乗客に見てもらうために設定されたのではないか、という気さえしてきます。
 いまはどうか分かりませんが、開業から何年もの間、どの新聞社も新幹線が脱線転覆事故を起した時に備えて、大量の予定原稿を作って保管していました。最悪の惨事を想定したこれらの予定原稿は、幸いにして日の目を見ることなく、開業40年を迎えました。
 しかし、気の緩みは禁物です。何年か前にはドイツ新幹線の鉄橋転落大惨事もありました。
 10年後の新幹線50周年、20年後の新幹線60周年を、このまま大きな事故なしで迎えていってほしいものです。(10月1日)

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2004年9月

 <『時間の岸辺から』その63 夕日パワー> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 中学の国語の時間に、太宰治の「走れメロス」をめぐって教室が沸騰したことを覚えています。
 疲労困憊(こんぱい)して走るのをやめたメロスが、再び夕日に向かって全力で疾走を続けたのは何のためだったのか。
 身代わりとなっている友の命を救うため。約束を守るため。名誉のため。邪悪な王に打ち勝つため。答えは一様ではありません。
 ラスト近くの、「もっと恐ろしく大きいものの為」「わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った」のくだりをどう解釈するかは難問です。
 ボクは、この大きいもの、大きな力、というのは、少しずつ確実に沈んでいく赤い夕日そのものなのではないか、と最近思うようになりました。
 この小説はいまも教科書に載っていますが、子どもたちは夕日が沈む速さをどれだけ実感として分かっているでしょうか。
 千葉県の女子大が、関東周辺の小中学生900人を対象に今年6月に行った調査では、日の出・日の入りを一度も見たことがない子どもが52%もいて、91年から始めた調査で初めて5割を超えました。
 日の出はともかくとしても、日の入りを見たことがないというのは、子どもたちが外遊びをしなくなっただけではなく、都市の構造が大きく影響しているに違いありません。
 都心部はもちろんですが、最近は郊外にも大きな高層団地やマンションなどが林立し、夕方の太陽は日の入りよりもずっと早い段階で、まず高い建物に隠れてしまいます。
 これでは、たとえ子どもたちが屋外にいても、夕日が沈むところを見ることが出来ません。
 都会から夕日が見えなくなってしまったことは、子どもたちだけの問題ではありません。いまや、周りのすべてのものを赤々と染めて沈んでいく夕日は、大人でもなかなか見ることが難しくなっています。
 こうした中で、民間の「日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会」は、8年前から「日本の夕陽百選」の選定作業を進めていて、これまでに69箇所を選定しています。
 選定された地元では、夕日で町おこしを、と自治体と観光協会、商店街が一体となり、夕日を見る会かどを企画して観光客の誘致に努めています。
 しかし、そういう場所に行かなければきれいな夕日を見られない現代の社会は、何か大切なものをなくしてしまったようにボクには思えてなりません。
 ゆっくりとではあるけれども、着実に確実に沈んでいく夕日。その赤く燃える様は、自分と太陽とが、同じ目の高さでつながっていることを、一瞬ではありますが、全身で実感させてくれます。
 メロスを走らせた、恐ろしく大きくてわけのわからない力とは、夕日と自分が分かつことの出来ない同一の存在であるという、畏怖(いふ)にも似た突き上げる衝動だったのでないでしょうか。(9月27日)

 <西安の街で見た大きな目玉の看板、デジャ・ヴュの正体は>
 話が飛び飛びになってしまいますが、今月上旬から中旬にかけて西安を一人旅した時の話を続けます。
 西安の街を歩いていて、不思議な光景を目にしました。写真なのか絵なのか分かりませんが、大きな人間の目玉がいくつも描かれている看板が、大通りにありました。何の店かと思ってよく見ると、眼科医のようです。目玉の絵には、夢の世界に迷い込んだような、不思議な気持ちにさせられます。
 これって、まさしくデジャ・ヴュ。いや、気のせいではなく、確かにどこかで見たことがあるぞ。
 日本に帰って、ボクがまず本棚から探し出したのは、宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」のパンフレットでした。
 あった! 千尋がトンネルの向こう側の世界に入り込んだ直後、しだいに日が暮れて、さまざまな神々たちや妖怪たちが、集まりだしてくる時、千尋が逃げまどう坂の途中に、「め」という文字とともに、大きな目玉の看板がありました。「生あります」の札も出ています。
 なるほど、見たことがあるというのは、この映画だったのか。と、とりあえずは納得したものの、どうももっと前にも、この光景は見たことがあるような気がして、モヤモヤしたものがずっとボクの頭の中に渦巻いていました。
 今日、押入れの奥にしまいこんである古い本をあれこれと整理しているうちに、35年前に買ったハードカバーの「つげ義春集」を見つけ、なにげに「ねじ式」のページをめくっていたところ、ありました!!
 メメクラゲにかまれた主人公が医者を探して街をさまよう時に、大きな目玉が看板に描かれた眼科医が何軒もあるところを通ります。「ちくしょう。目医者ばかりではないか」と主人公はつぶやいて通り過ぎるのですが、西安の街で見た目玉の絵は、まさにこの場面です。
 「ねじ式」は、だれもが共通して持っている夢の世界に現れる潜在意識を、驚くほど鮮明に細部にいたるまでリアルに描きあげ、その強い説得力と懐かしさは、日本のマンガ史における金字塔とされていますが、西安の街そのものが、この「ねじ式」の世界を想わせる懐かしい記憶に満たされているように感じます。
 それはたぶん、近代化と高度成長の中で、日本が失ってしまい、日本人が忘れてしまったものなのかも知れません。(9月23日)

 <大義を失ったイラク戦争、ブッシュを戦争犯罪人として国際法廷に>
 この世界は、なんという不条理に満ち満ちているのでしょうか。
 現代の最も大きな不条理は、大量破壊兵器がなかったにもかかわらず国際法違反のイラク戦争を始めたアメリカが、その責任をまったく問われることなく、超大国として世界に君臨を続けているこの厚顔破廉恥ぶりを、だれもどうすることもできないという、絶望的なほどの不条理です。
 パウエル国務長官が大量破壊兵器の発見を断念したことを認め、国連のアナン事務総長が英BBCのインタビューで「イラク戦争は違法だった」と明言している事態は、ベトナム戦争の失敗を上回るくらい重大な、アメリカの犯罪行為を裏付けるものです。
 ブッシュ大統領は、アメリカに批判的な国々を「ならずもの国家」と呼ぶのが好きですが、「ならずもの国家」というものが存在するならば、それはアメリカをおいてほかには存在しません。アメリカこそが世界の秩序を乱し国際法を蹂躪し続け、テロを世界中に拡散させている「悪の枢軸」の頂点といっていいでしょう。
 ボクが不思議でならないのは、イラク戦争開戦の根拠が完全に崩れ、もはやどのように言い繕っても開戦の正当性を世界に納得させられないこの状況で、ブッシュ大統領が責任を取ることもせずに、ヌケヌケと大統領選挙に共和党候補として出馬していることです。
 大統領選挙に出るなんてもってのほか、ざけんじゃねえよ、って叫びたくなります。ものの順序としては、ブッシュはイラク開戦の誤りを認めて大統領を辞任し、開戦の責任については国際的ないかなる裁きをも受けることを明言すべきです。
 その上で国際社会は、開戦の意思決定に深くかかわった指導者として、ブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官、パウエル国務長官、ライス補佐官、イギリスのブレア首相の少なくとも5人を、戦争犯罪人として国際法廷の場で、厳正に裁くべきです。
 証拠隠滅のおそれは十分ありますので身柄を拘束し、自殺などしないように屈辱の身体検査も受けさせ、囚人服に着替えさせて収監します。
 アメリカ兵だけで1000人を超す死者を出し、イラク人の死者は反米勢力と民間を合わせると数万人以上、負傷者は数十万人とみられるこの戦争の実態と責任を、裁判を通じて明らかにし、1年くらいで判決を下す必要があるでしょう。
 ブッシュとラムズフェルドは最高責任者として、公開銃殺は免れないところでしょう。パウエル、ライス、ブレアは終身刑でしょう。
 開戦を積極的に支持した国々のリーダーたちも、国際法廷でそれなりの刑罰を課す必要があります。コイズミは、公職追放、公民権剥奪でしょう。
 こうしたことが、まったくの絵空事でしかないとしたら、この世界は不条理の極みに達している、としかいいようがありません。(9月19日)

 <西安の街を歩いて感じた、時代と歴史の追憶と錯覚>
 このほど1週間余りの間、西安に行ってきました。ケータイによる写真付きのモブログを成功させることも、今回の旅行の大きなテーマの一つで、これについてはボクのブログ「裏・21世紀の歩き方大研究」の方に、連日のモブログが詳しく掲載されていますので、ご覧下さい。
 西安の街は、デジャ・ビュ的な不思議な雰囲気に満ちていて、中心部は近代的なデパートやファッションビルが立ち並ぶ大都会なのに、西欧的な近代性とは大きく異なった大陸的な、あるいは中国的な、いわば胡弓の音色のような光景に映ります。
 繁華街でさえそうなのですから、少し裏通りに入ったり、中心部をはずれたところを歩いていると、夢の中で出てくる街に入り込んだような、心地よい懐かしさと、どこかで見たような記憶があるのに思い出せないもどかしさのようなものを感じます。
 街のあちこちから漂ってくるさまざまな匂い。それは香辛料のにおいであったり、羊の肉を焼くにおいであったり、市場の鮮魚や生きた鳥たちのにおいであったり、またそれらがブレンドされて醸し出すにおいです。
 このにおいは、たちまちにして、ここは日本でも欧米でもない中国の西安なのだということを、強烈に感じさせてくれます。それは、アジアのにおいであり、シルクロードのにおいであり、イスラムのにおいでもあります。
 この光景にひたり、このにおいの中をさまよっているうちに、いつしか時がタイムスリップして、街の光景がかつての長安のころの、世界最大の都市として栄えたころの、さんざめきに二重写しになってきます。
 長安のひとたちの行き交う姿や足音、話し声、衣擦れの音までもが、見えて聞こえているような錯覚に陥り、ひょっとすると時間を越えて、長安のひとたちといま、すれ違ったりぶつかりそうになったりしていることが、感触として分かるような気持ちにさえなります。
 もう一つ、西安の街を歩いていて、おどろくべき錯覚に陥りました。それはアメリカ人観光客の姿を見た時です。2メートル近い巨体の男は、半ズボンで腕は毛むくじゃら。女もまた巨体で、どちらも体重は中国の人たちの3倍から5倍はあるかと思うくらいです。
 アメリカは中国に侵略したくせに、よくぬけぬけと観光などしていられるものだ、とボクは一瞬思ったのです。しかしまてよ、アメリカは中国と戦争したことはないのだ。中国に侵略したのは、アメリカではなく日本なのだ。ボクは自分でもこの錯覚には非常に驚きました。
 なぜこのように錯覚したのか。ベトナムと混同しているということもあります。しかし、それ以上に問題なのは、日本が中国に侵略戦争をしたのだという事実を、つかのまであっても忘れてしまって、アメリカが侵略したような気になっていた自分自身です。
 中国への観光も、経済進出も、技術提携も、文化交流も、何をやるにしても日本が中国と中国人に対して行った侵略戦争への反省と謝罪なくしてはあり得ないということを、ボク自身の反省も含めて痛感した旅行でした。(9月15日)

 <『時間の岸辺から』その62 僕、女の子> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 以前、ボクの職場で、「的を得る」という表現をめぐって激論になったことがあります。
 同僚の一人が「これは間違いで、的を射るが正しい」と主張し、ボクを含めた多数が「的を得るが正しい」と一斉に反論したのです。
 辞書で確かめたところ、「的を射る」が正しいことが分かり、「的を得る」派の面々は、無知を恥じ入ったしだいです。
 文化庁が先日発表した日本語に関する世論調査で、この言い方について注目すべき結果が出ています。
 それによると、「的を射る」が正しいと思っている人が39%なのに対し、「的を得る」は54%で半数を超えています。
 「当を得る」と混同しているという見方がある一方で、「弓の名人にとっては、的がすぐ近くに感じられるので、語感としては間違っていない」という解釈も出ています。
 ここ数年、日本語の揺れがさまざまなところで注目を集めています。
 中でも急激に広まった使い方に、「なにげに」があります。若い人たちは、これを本来の「なにげなく」の意味でしょっちゅう口にしています。
 文化庁の調査でも、「なにげに」を使う人は、7年前の調査では9%だったのに対し、今回は24%に急増しています。
 「なにげなく」が文語的な改まった感じで言いにくいのに対して、「なにげに」は口語的で使いやすく、時代の気分にあっているためではないか、とボクは思います。
 こうした使い方は、ほかにもたくさんあります。
 「あの人みたくなりたい」のように「みたく」を使う人は、10代と20代で4割もいます。「全然明るい」「すごい速い」なども平気で使われています。
 年が1年上であることを「イッコうえ」という言い方は、世代を問わず半数の人が使っています。
 さらに、大人からみると驚くような使い方も広まっています。
 その一つが、女の子が自分のことを「僕」「俺」「おいら」と呼ぶことです。
 少し前までは、既成のモラルに反抗的な一部のコギャルが使う言葉と思われていましたが、いまでは小学生から社会人まで、ごく普通の真面目な女の子たちの多くが使っています。
 友達同士で使うだけでなく、学校でも「先生、僕ねえ」と使う女子が増えていて、クラスによっては、半分あるいはほとんどの女子が「僕」と言っているところも珍しくありません。
 ボクは、元気いっぱいの女の子に比べて、すっかり意気地なしになっている男の子にも、責任の一端があるように思います。
 言葉は生き物で、時代や社会を反映していくものです。
 ボクは、男の子が女の子に押されっ放しの状態が続くならば、女の子の「僕」「俺」「おいら」は日常会話語として、このまま定着していくような気がしてなりません。(9月4日)

 <今年の8カ月間に起こった、自分の生きかたの連鎖的な変化>
 猛暑だった今年の夏も、ようやく終わりが見えてきた感があります。今日から9月。2004年という年も3分の2が過ぎて、今年は残すところ4カ月です。
 この4カ月というのは、長いようでいて、あっという間に過ぎてしまいます。今年5月1日から昨日8月31日までが、4カ月だったことを思うと、今年の残りの長さがおおよそ実感できます。
 今年がどんな年として大晦日を迎えることになるのかは、まだまだ分かりません。4カ月は何もしないでいればあっという間に過ぎてしまいますが、それでも人生を相当程度作り変えるには十分な時間です。
 2004年になって、ボクの生活で大きく変わった節目がいくつかあります。それはすべて、リンクのようにつながって起きています。
 最初の大きな変化は、6年ぶりに出版の作業に取り掛かり、「人間なしで始まった地球カレンダー」をごま書房から出版したことでした。これは2000年の終わりごろに、ホームページの中に「地球カレンダー」を創設して以来、ずっと持ち続けていた構想が、ちょっとした勇気によって一気に実現したのです。
 この本が完成して出来上がってきたのと相前後して、ボクの家に14年間一緒に住んでいたネコのマンタロウが亡くなりました。まるでボクの本が出来るのを待っていたかのようでした。
 本を何人かの親しい人たちに送ったところ、かつて同じ会社だった知人(ボクのホームページの恩人です)が、感想とともにいまブログを作っていると近況を綴っていました。これかがきっかけで、ボクはブログの世界を始めて知り、自分でもブログをスタートさせる決定的なきっかけとなりました。
 さらに、ブログを立ち上げたことで、さまさまな道が広がってきました。ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に入り、かつてのパソコン通信に近いさまざまなコミュニティに参加したり、その中でスレッドを立てたりして、ホームページだけでは不可能だった新たな交流も出来るようになりました。
 ボクのライフスタイルを変えたのは、それまでカメラ付きの携帯電話に見向きもしなかったボクが、ブログの立ち上げと同時に、カメラ付き携帯に切り替えたことです。お恥ずかしいことに、それまで折りたたむことすら出来なかったボクの携帯は、ようやく折りたたみ式になりました。
 ブログを通じて、新たなブログ友だちが出来たことは、閉鎖的、自閉的、引きこもり的だったボクの毎日を、これまた大きく変えました。無言でホームページを更新し続けてきただけの時に比べて、この新たな人間関係はとても刺激的で、楽しいものです。
 連鎖的な変化はまだまだ続きます。こんどボクは海外へ行く予定があるのですが、どうせなら海外からブログを更新してみたい、という気になってきて、成功するかどうか保障の限りではないのですが、ノートパソコンなしで携帯電話1本だけを使って挑戦してみるつもりです。
 こうして8カ月を振り返ってみると、すべては「地球カレンダー」の出版から始まっていて、そこから次々に新たな泉が湧き出るごとく、新たな世界が連鎖的に広がっているという感じがします。
 座していたは何も始まらない。自分で自分の人生を、ちょっと仕掛けてみるのも、大事なことなのだ、と実感しています。(9月1日)

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2004年8月

 <50年後の日本は、貧しいおばあちゃんたちであふれる社会に>
 歯止めのかからない日本の少子化が何をもたらすかについては、ようやく真剣な議論が一部にではありますが、まともに論じられるようになっています。
 それにしても、政治家も官僚も、経済界も、少子化による人口の急激な縮小と、それに伴うあらゆる面での経済活動の低下について、認識がほとんどなく、なんとかなるとたかをくくっているのは異常です。
 自分が生きている間には、深刻な影響はないとでもと思っているのかも知れませんが、もうすでに育児産業や教育産業は、こどもの減少で瀬戸際に追い詰められてきています。
 30年先、50年先を想像することが出来ずして、どうして政治家などやっていられるでしょうか。
 日本の人口は政府予想よりも1年早く、来年2005年をピークとして、あとは急速な減少を少なくとも半世紀に渡って続けるものと見られます。しかし政府の見通しは、これまで一貫して甘かったように、この期に及んでも大甘で、2050年の人口を1億60万人と算出しています。
 民間シンクタンクの予測は、いずれもこれより低く、9500万人程度としており、中にはもっとシビアに8900万人と見るところもあります。
 ボクは、現在の1.29の出生率が上がる要因はまったくなく、むしろさらに下がる要因の方が圧倒的に多いことから、8000万人から場合によっては7000万人まで縮小している公算があると思っています。
 現在の1億3000万人から、50年の間に5000万人から6000万人もの人口を失う、ということです。多くのシンクタンクの予測をとるとしても、3500万人の人口が減ることは避けられないのです。
 この時に、どういう事態が起こっているか、考えてもみて下さい。それだけの消費者がいなくなり、それとともに就業人口も大幅に減って、中小企業はもちろんのこと大企業の多くが経営難に直面し、倒産の続出と企業再編が相次ぐでしょう。
 銀行だけでなく、製造業もマスコミ、通信も、淘汰、整理、合併が相次ぎ、オフィスビルの多くは空室の増加でスラム化していくところも増えていくでしょう。
 地方はいまでもシャッターを下ろしたままの商店やビルが多いのに、空洞化はますます進んで、多くの自治体が財政的に破綻をきたし、戦後長くつづいてきた地方自治の仕組みも、大きく変わらざるを得ないでしょう。
 国の税収の目をおおうばかりの落ち込みで、新規事業が出来なくなるばかりか、1000兆円にもなろうという国債の返済不能がはっきりし、国家財政の破綻が決定的になるでしょう。
 子どもや若い人たち、働き盛りが目立って少なくなる一方で、高齢者の割合だけが高くなっていきます。
 とりわけ、男の高齢者の寿命が約78歳どまりなのに対し、女の高齢者は約85歳と、7年も長生きし、2050年の日本社会の実体は、おばあちゃんだらけの少子高齢者社会であることが、はっきりしてきました。
 夫に先立たれた大量の貧しいおばあちゃんたちであふれる社会。50年後に迫ったこの日本の姿が、政治家たちにはどこまで見えているのでしょうか。(8月28日)

 <『時間の岸辺から』その61 鳴らない風鈴> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 今は亡き渥美清さん演じる映画「男はつらいよ」シリーズには、小道具としてたびたび風鈴が使われています。
 13作目の「寅次郎恋やつれ」。マドンナの吉永小百合さんが、赤い風鈴のついた「つりしのぶ」を買ってきて、とら屋の前で待つ寅さんに、はずんだ声で渡します。
 そこには思いがけず、結婚に反対して険悪な関係が続いていた父親が尋ねて来て、待っています。
 2年ぶりの父娘の対面。ほとんど無言の父は「何かの足しに」とだけ言って、小遣いを置いて帰ろうとします。
 立ちすくんでいた小百合さんが、父のそばに寄って「おとうさん、心配かけてごめんなさい」と謝ります。父は「悪かったのは自分の方だ」と、涙声で心境を告白します。
 とら屋のみんながもらい泣きし、寅さんも「つりしのぶ」を持ったままの手で、涙をぬぐいます。
 赤い風鈴がゆっくりとアップになっていくのが印象的で、シリーズ屈指の名場面となっています。
 下町の夏の風物詩として、多くの人たちに愛好されてきた風鈴ですが、近年は音が「騒音」だとして嫌う人も増え、しだいに肩身が狭くなってきました。
 「夜勤明けで寝ているのに、音がうるさい」「四六時中鳴っていて耳障りだ」などの苦情を無視できなくなっているのです。
 マンションやアパートなどの集合住宅では、外につるさないのはいまや常識とさえ言われ、東京都環境局でも、生活騒音の対象に風鈴の音を含めています。
 寅さんだったら、「風鈴がうるさいだ? それを言っちゃあ、おしまいよ」とタンカを切るに違いありません。
 騒音の問題とは別に、エアコンの普及によって朝から晩まで部屋を閉め切っている家が多くなったことも、風鈴が鳴ることを妨げています。
 こうした中で、最近は屋内に飾っておく「卓上風鈴」がデパートなどで売られています。
 台座付きの小さな木枠に風鈴をつるしたもので、扇風機やエアコンの風で鳴るようになっています。
 さらに、風が全くなくても鳴る「電子風鈴」を売り出しているメーカーもあります。マイコン制御によって風のようなリズムを作り出し、電気を流して鳴らす仕組みです。
 先日、新聞の四コマ漫画に、音の出ない風鈴をつるし、録音された風鈴の音をヘッドホンで聞いている光景が描かれていましたが、現実は漫画に近くなっているようです。
 チリンチリンという風鈴のやさしい音は、お互いの気心が通い合う下町的人情の象徴であり、開け広げの家々を自然の風が走り抜ける音色なのだと思います。
 風鈴を鳴らすことの出来ない社会は、個々人がマイ空間を大事にするあまり、その中に閉じこもってしまった社会です。
 それは文字通り、風通しの悪くなった社会なのではないでしょうか。(8月24日)

 <進まぬ温暖化対策、世界は熱波と陸地の水没で破局へ>
 温暖化対策はもはや手遅れになっていて、破局が訪れるまで誰にもどうすることも出来ないのではないか、そんな絶望的な気持ちになります。
 アメリカの一国主義的傲慢と、先制攻撃論に基く軍事暴走のせいで、世界中が温暖化を口にするより先に処理しなければならないことに追われ、21世紀も4年目というのに、対策は遅々として進んでいません。
 そうこうしているうちにも、温暖化はジワジワと、確実に速度を速めつつあり、世界の各地でのっぴきならない状況が続出しています。
 今年の日本の記録的猛暑について、温暖化とは結びつかないなどといっている役人や学者たちは、自分たちの政治的な見解が、人類の首をしめつつあることを知るべきです。
 温暖化は、一直線に進むのではなく、ジグザグの複雑な過程をたどりながら、しだいしだいに、その姿を現しつつあります。去年、ヨーロッパを襲った熱波は今年はなりを潜めていますが、世界全体でみれば、異常な豪雨や海水温の上昇が着実に進行しています。
 米国立大気研究センターは、今世紀後半には北米と欧州を、より厳しい熱波が頻繁に襲うようになる、という予測を先日発表しました。
 さらにEUの欧州環境庁は、2050年にはスイス・アルプスの氷河の4分の3が融けて消失している、という予測を18日発表しました。
 すでに世界の各地で、海水面の上昇による市街地の冠水が、深刻な状態になってきていますが、これらはいまのところ、部分的に出現してはまた元に戻っている状態なので、大きなニュースとして取り上げられることもほとんどありません。
 温暖化対策は、結局のところ経済活動や企業活動のあり方と深く関わっていて、市場競争に打ち勝とうとするならば温暖化対策は取れない、という二律背反に陥って身動きが取れなくなっているのです。
 どの企業にとっても、またどの国の経済にとっても、生きるか死ぬかの厳しい状態の中で、有効な温暖化対策をとろうとするならば、それは経済を超えた政治の力、とりわけ歴史への深い洞察力を持った強力なリーダーシップが不可欠でしょう。
 ボクは温暖化の問題は、人類が登場した時に始まった生産活動に端を発し、人類の発展の必然的な帰結であるように思います。
 過去1万年間続いてきた、技術の進歩に支えられた止むことのない生産活動に、急ブレーキをかけ、これ以上の生産拡大や経済発展を放棄することでしか、温暖化の根本的な解決はありません。
 しかし、発展途上国は生産拡大をやるなといわれても承知するはずもなく、どの先進国も経済成長に率先してストップをかけることはあり得ないことのようです。
 今世紀半ばの2050年には、いまの世界地図そのものが、陸地の大幅な水没と平野部の冠水による都市の移転によって、大きく塗り変わっている可能性すら否定できません。
 世界は、アメリカの半狂乱ともいえるイラク戦争に振り回されている場合ではないのです。(8月20日)

 <神なきあの世からご先祖を迎えて、また穏やかに見送る今日>
 今日は、お盆でこの世に里帰りしていたご先祖さまの霊たちや、最近亡くなった近しい人たちの霊が、いっせいにあの世に帰っていく日です。。
 京都では大文字をはじめとする五山送り火が行われ、全国の各地で精霊流しや、灯篭流しが行われます。
 ボクたちは、こうした習俗・行事をなんの不思議とも思わずに、ごく自然に受け入れていますが、これは仏教の影響が大きいとはいえ、仏教という一つの宗教に基くものではありません。
 このあたりが、キリスト教やイスラム教など一神教の国々の人々からは、日本人はなんともいいかげんで、はっきりした神の観念を持たない遅れた人たちに見えることでしょう。
 21世紀に入って、アフガン戦争、イラク戦争と、アメリカの信仰心に基く傲慢な戦争が矢継ぎ早に仕掛けられ、世界をすっかりぶち壊しにしてしまったのを見るにつけ、西欧文明の行き詰まりとキリスト教精神の有効期限切れを切に感じざるを得ません。
 クリスチャンの人たちには悪いけれども、キリスト教というのは結局のところ、その時々の世界の支配者に最も都合の良いように解釈された「勝者」の思想であり、「弱者」の救済はお目こぼし程度でしかなかったのです。
 とりわけ、産業革命と科学技術の発展を生み出した近代は、中世を克服したキリスト教精神が、その有効性をいかんなく発揮した時代だったといっていいでしょう。
 近代が生み出したこの夜の地獄もまた、キリスト教精神が生み出したものであり、二度にわたる20世紀の世界大戦も、ナチスのホロコーストも、ヒロシマ・ナガサキの原爆も、まさにキリスト教的な世界観の頂点がもたらしたものです。
 マルクスやレーニンの最も大きな功績は、宗教のこうした階級性と犯罪性をいかんなく暴き立てたことにあるのではないかと思いますが、結局は宗教に代わる精神的な拠りどころを民衆にもたらすことに失敗し、幹部の特権化と労働者階級の無気力を招いて崩壊してしまいました。
 いま、世界はさまざまな面で、行き詰まりが一気に表面化しようとしています。資本主義の爛熟の果てのアメリカ的市場主義の行き詰まりと、グローバリズムへの反感と警戒。そしてキリスト教原理主義が世界を破滅させつつあるのでは、という危機的な予感。
 今年の夏の世界各地の異常気象は、もはや地球が、従来の人間社会のシステムではどうにもならないところまできていることを知らせる、赤ランプの点滅にほかなりません。
 結局は、人間が生み出した「神」という幻覚によって、人間は共倒れの時を迎え、多くの善意のクリスチャンたちが敷き詰めたロードの上を、地獄へ向かって転がり落ちていくのでしょう。
 宗教ががんじがらめに絡んだ21世紀の危機を、克服できる精神がまだあるとすれば、精霊流しや灯篭流しに見られるような、神なきあの世に行ってしまった人々を迎えてまた送るような、死者と生者とのおだやかでやさしい対話が、ひとつのヒントになるような気がします。(8月16日)

 <1日2キロずつ体重を増やした大型肉食恐竜が食べていたものは>
 恐竜の中でも最も巨大な肉食恐竜として知られるティラノサウルスが、14歳くらいからの4年間に、1日に1キロという驚異的なペースで体重を増やしていたことが、米自然史博物館などの共同研究で明らかになった、と報じられています。
 1日に2キロずつ体重が増えていくということは、1日にどれくらいの量の食事をする必要があるのだろうか、と想像してみます。動き回ったりエサを取るためのエネルギーも必要なので、おそらく1日に30−50キロくらいは食べる必要があったのではないでしょうか。
 問題はその「食事」の中身です。肉食恐竜ですから、食べるものは動物です。恐竜時代には、哺乳類はようやくネズミ程度の姿で途中から登場しているので、ティラノサウルスが食べていたのは、草食恐竜かほかの小さな肉食恐竜であったと想像されます。
 ティラノサウルスは、世界の各地から骨格が発見されていて、少なくとも数千万年の間、恐竜の中の恐竜として地球に君臨していたわけですから、彼らの食事の問題は、地球上のあらゆる動植物にとって生きるか死ぬかの最重要問題であったに違いありません。
 巨大なティラノサウルスのために、毎日のように捕獲されて食べられていた草食恐竜や小さな肉食恐竜たちは、まさに食べられるために生まれてきたようなもので、自分たちが子孫を残すためには、食べられる分を差し引いて、数多くの子づくりをしなければならなかったでしょう。
 人間が誰一人見たことがない当時の地球上では、毎日のように食事を捜し求めるティラノサウルスと、その餌食になるまいと逃げ惑う恐竜たちの間で、血みどろの死闘が繰り広げられていたことでしょう。
 1億6000万年も続いた恐竜時代は、最もスケールの大きな弱肉強食の時代だったと言えるでしょう。6500年前に恐竜が絶滅し、哺乳類の時代になっても、強い動物が弱い動物を食べて繁栄していきました。
 700万年前に類人猿から分かれて人類への道へと進んだ猿人もまた、知恵の力でほかの動物たちを捕獲し、やがて火をつかって「料理」して食べることを覚え、このことがさらに巨大脳の発達につながっていきました。
 いま人間は、家畜として飼育した動物たちをはじめとして、さまざまな生き物を日常的に食べています。
 それでは人間は、より強いものから捕獲されて餌食にされる恐怖から、解放されたのでしょうか。
 ボクは、食うか食われるかの関係は、知性の衣をまとったスマートな形で、こんどは人間同士の中で行われるようになったのだ、と思います。
 すべての人間が餓えと貧困、隷属から解放される日は、人類が生存出来る期間を通じて、ついには来ないのではないか。そんな気がしてなりません。(8月12日)

 <『時間の岸辺から』その60 白骨温泉騒動> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 中里介山の長編小説「大菩薩峠」のファンならば、この小説の「白骨の巻」に登場する長野県安曇村の白骨(しらほね)温泉に、一度は訪れてみたいとあこがれる、といいます。
 不気味な名前のようですが、湯船に付着した温泉の成分が白いことから、昔は白船(しらふね)と呼ばれていて、それがしだいになまって白骨になった、と言われています。
 名前の由来に見られるように、この温泉の最大の特徴は、白く濁ったお湯にありました。
 「大菩薩峠」で「五彩けんらんたる絶景」と描かれたこの地で、乳白色の野天風呂につかることは、温泉ファンにとって最高の楽しみでした。
 その白骨温泉を代表する複数の旅館と公共野天風呂で、数年前から湯を白濁させるために、草津温泉の入浴剤を使用していたことが発覚し、村をあげての大騒動となっています。
 きっかけは天然に湧(わ)き出る湯が、近年しだいに透明になってきて、入浴客から「白濁していない」と言われるようになったため、といいます。
 入浴剤の使用が発覚してからは、地元の温泉旅館組合などに「裏切られた」などと抗議の声が殺到し、自らが経営する旅館で入浴剤を使っていた村長が、責任を取って辞任する事態になっています。
 この数年間というもの、事実を知らされないまま、「白濁の湯は最高」と幸せに浸っていた客たちの気持ちは、とても村長辞任で収まるものではありません。
 売り物だった天然の白濁が消えた時、地元の温泉旅館組合はどういう対応を取るべだったのでしょうか。
 ボクは、村議会やマスコミに事実を公表し、白骨温泉の今後のあり方について、温泉ファンから広くアンケートを取るなどの方向に、積極的に持っていくべきだった、と考えます。
 透明の湯のままでいくか、入浴剤で白くするかを、国民的な議論の場に上げて、その成り行き自体が大きなニュースになるよう仕向けていたら、どういう結論になるにしても、ずいぶん違った展開になっていたはずです。
 温泉に限らず、効能や味の違いが実際には分からなくても、イメージで「良い、快適、おいしい」などが分かったような気になる風潮も、このあたりで見直す必要があるでしょう。
 今回の白骨温泉騒動は、さらに思いがけない方向に広がっています。
 白濁させるために使われていた草津温泉の入浴剤が、テレビなどで一気にクローズアップされ、「そんなにいいものなら、ぜひ欲しい」と全国から注文が殺到しているというのです。
 このメーカーは、笑いが止まらないかと思いきや、「同じ温泉街が困っているのに、うちだけもうけるわけにはいかない」と出荷を自粛している、というからこれまた驚きです。
 一時のブームが伸び悩みといわれる温泉業界の厳しい現実が、伝わってくるような話です。(8月9日)

 <日本の人口は来年が峠、500年後には縄文時代の13万人に>
 日本の人口は、戦争の影響などを例外として、有史以来、ほぼ一貫して増加を続けてきました。その日本がかつて経験したことのない「人口減少社会」が、いよいよ目前に迫ってきました。
 人口がピークを迎えて減少に転ずる歴史的なターニングポイントは、再来年2006年といわれてきましたが、出生率が政府推計の1.32を大きく下回る1.29になったことから、人口のピークは来年であり、それ以降は急速な人口減少が進むのではないか、という見方が強まっています。
 昨日の日経新聞で、総合研究開発機構の神田玲子総括主任研究員は「国家的危機と認識すべき」として、いま進行している事態のままでいくと、500年後には日本の人口がわずか13万人と、縄文時代の水準にまで落ちてしまう、としてその深刻さを指摘しています。
 総務省が4日発表した人口調査結果によると、人口の増加率は過去最低の0.11となり、増加数、出生者数も過去最低となりました。この人口増加率が0.00となるのが、おそらくは来年あたりで、再来年からはマイナス符号がついて絶対値だけが大きくなっていくでしょう。
 この事態がいかに深刻であるかについては、心ある学者や研究者たちが、具体的な数字を示して警鐘を鳴らし続けているにもかかわらず、政官財ともに危機意識はあまりにも薄く、いずれなんとかなるだろう、という無責任な楽観的見方を取り繕っています。
 しかし、人口がいったん減少に転じたら、縮小再生産によって少なくとも100年間は減少が止まらず、これを上昇に転じるためには、政治・経済の仕組みを含めた社会のシステムを根幹から変革しなければなりません。
 かりに、明治維新や敗戦に匹敵するほどの、ドラスティックな変革(というよりも、革命しかないと思いますが)を行うことが出来たとしても、人口減の食い止めが実際に現れるのは、22世紀になってからのことで、その場合でも総人口5000万人程度を保つのがせいいっぱいでしょう。
 変革に失敗すれば、人口縮小は雪崩減少を起してだれにも止めることが出来ず、縄文時代の人口水準にまで落ちるという話は、笑えない響きを持ってきます。
 人口減少には良い面もあるので、いちがいに悪い面ばかりを強調すべきではない、という御用学者が少なくないことも、問題の深刻さを隠蔽しています。
 少ない人口で進学競争もなくなり、地価や家賃も下がって、暮らしやすくなる、などと彼らは妄想を振りまいていますが、裏を返せば私学をはじめ教育産業が崩壊し、売るに売れない空き地や空き家、スラム化したマンションやビルが全国にあふれる、ということです。
 企業や商店の多くが、これから倒産の道を歩み、国や自治体の財政は税収が細って軒並み破産していくでしょう。もはや、年金や医療保険どころではありません。自衛隊を維持するだけの人員も予算もなくなるのは時間の問題です。
 日本が、国としての体裁を保つことすら出来なくなる。それが人口減の真の帰結であることを、直視する必要があります。(8月5日)

 <暑く熱い鎮魂の8月、さまざまなこと思い出す遠花火>
 さまざまなこと思い出す桜かな 芭蕉
 こんなに親しみやすい句が芭蕉の作だとは、ボクは最近まで知りませんでした。
 その桜の季節からはや4カ月が過ぎ、気がつけばもう8月です。
 芭蕉の句をもじって言えば、つぎのようになるのかも知れません。
 さまざまなこと思い出す葉月かな
 さまざまなこと思い出す八の月

 8月には鎮魂の日が目白押しです。ヒロシマ、ナガサキの原爆の日。お盆、終戦記念日。さらに12日は、日航ジャンボ機が墜落した日です。
 夏の甲子園がふるさとを思い出させてくれるのは毎年ですが、今年はこれにアテネ五輪が加わって、ひときわ暑く熱い8月になることでしょう。
 この季節に欠かせない風物詩が花火です。
 3年前のこの欄でも書きましたが、ボクは間近で見上げる大きな花火よりも、最近は遠花火の風情に心動かされる年齢になりました。
 花火大会の会場に出向く見物人は大変な数に上りますが、一方ではさまざまな事情や都合で、同じ花火を遠花火として見ている人もまた、集計には上がらないけれども相当な数になるのではないでしょうか。
 まだ勤務をしながら、時おり窓の遠くに見え隠れする遠花火をみやる人たち。勉強で疲れた頭を休めて、部屋の窓から見る受験生。回復の見込みのない思い病に伏せって、病室の窓から垣間見る人。
 明日の生活費が底をついて、子どもを道連れに無理心中をしようとしている人。経営が行き詰って、遺書を書きかけている人。そんな時に、見るともなしに目に入る遠花火。
 芭蕉の句をさらにもじるならば。
 さまざまなこと思い出す遠花火
 あるいは逆にして、こっちの方がいいかも知れません。
 遠花火さまざまなこと思い出す
 (8月1日)

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2004年7月

 <『時間の岸辺から』その59 青いバラ> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 薔薇ノ木ニ
 薔薇ノ花サク。 
 ナニゴトノ不思議ナケレド。
 北原白秋の詩の中で、最も人口に膾炙(かいしゃ)している詩です。
 短歌よりも短い文字数の中に、人智を超えた自然の不思議さに対する、驚きと畏敬の気持ちが満ち満ちています。
 バラの木にバラの花が咲くという、このあたりまえの営みが今、人間の手で変えられようとしています。
 サントリーとその関連会社は先月末、不可能の代名詞だった「青いバラ」を、世界で初めて遺伝子組み換え技術によって作り出すことに成功した、と発表しました。
 バラは青い色素を持っていません。このため世界の園芸家たちや研究グループが、青いバラを夢見て、交配や接木などさまざまな方策を試みてきました。
 サントリーは、青いパンジーから色素の遺伝子を取り出して、バラの遺伝子の中に組み入れ、いわば力ずくで青いバラに仕立て上げたのです。
 生態系に悪い影響が出ないかなど、安全面での問題がクリアされていないため、バラは閉じたプラスチックの中に入れて披露されました。
 写真で見る限りは、色素のほとんどを青い色素に変えたはずなのに、すっきりとした青にはならずに、まだ薄い青紫です。
 サントリーは、さらに青みを強める改良を進め、安全性を確認した上で、2、3年後には商品化したい、としています。
 青いバラが市場に出回るようになり、多くの人が夢のバラを手にするようになったら、それは快挙といっていいのでしょうか。
 有史以来、人間が成し遂げた科学技術の進歩は、ことごとく戦争や犯罪に転用されてきました。
 青いバラは花のことだから、そのような心配は無用だ、という声も聞かれます。確かに青いバラ自体が、兵器に転用されることはないでしょう。
 しかし、遺伝子組み換えによって、自然界に存在しない生物を、人間の思うがままに作り出すことが出来るという自信こそ、最も大きな危険をはらんでいるのではないでしょうか。
 美しい花の花粉に、有害な化学物質やウィルスを紛れこませるくらいのことは、青いバラを作り出した技術をもってすれば、たやすいことかも知れません。
 さらに、敵国の穀物を一斉に枯らしてしまう植物を開発して、空からばら撒(ま)くことは、もっと簡単に出来そうな気がします。
 数年前、遺伝子組み換えで作られた、人間の耳を背中に持つネズミの姿がテレビで放映され、見る者に大きなショックを与えました。
 ボクには、青いバラがこのネズミと二重写しになって、きれいだと思うよりは薄気味悪さを感じてしまいます。
 この時代に最も必要なのは、「なにごとの不思議なけれど」の中に至上の美を見る謙虚さではないでしょうか。(7月28日)

 <花火の天日干しで思い出す、遠い日のシズコちゃんのこと>
 夏目漱石の句に、「化学とは花火を造る術ならん」というのがあります。さすが文豪だけあって、単なる俳句にとどまらず、文明を鋭く透視しているような響きがありますね。
 花火大会のシーズンを前に、全国各地の花火工場ではいま、造りたての花火の「天日干し」がたけなわです。
 テレビで風物詩として紹介しているのを見ると、工場の若い女性たちが、大きな真ん丸い花火の玉を、炎天下に手際よく並べていきます。
 この猛暑の中、火薬の詰まった玉を灼熱の太陽にさらし続けて、自然発火などの危険はないのか、とボクなどは心配してしまいます。
 ボクが小学校に入ったころの、遠いおぼろげな記憶の中に、花火工場で働いていたシズコちゃんというお姉さんがいます。
 その花火工場は、ボクの家からほんの10軒ほど離れた住宅地にありました。シズコちゃんは、中学を出たばかりの15歳か16歳くらいだったように思います。
 シズコちゃんは、よくボクと遊んでくれ、オンブもしてくれました。まだ6歳か7歳だったボクは、やさしくしてくれるシズコちゃんが大好きでした。
 そんなある日のことです。ボクは母に連れられて、近所の床屋さんで頭を刈ってもらっていた時、ドーンという爆発音が立て続けに鳴り響きました。
 「花火屋が火事だあ」と大人たちが騒然としています。きな臭い火薬のにおいが、あたり一帯に立ち込めてきます。
 散髪は中止になり、母に連れられて家に戻った時、空には激しい煙とともに火の粉や火のついた紙きれなどがが舞っています。
 ドーンドーンという爆発音はますます勢いを強め、消防車が到着しているのかどうかは、まったく分かりません。
 とりあえず必要なものを持って、すこし離れた場所に避難したことまでは覚えています。火災は隣の民家2、3軒を焼いて、夕方には鎮火したようです。
 この火事で、花火工場で働いていた若い女性ばかり数人が犠牲になりました。シズコちゃんもまた、返らぬ人となりました。
 ボクは、それを知った時、泣いたかどうか覚えていません。おそらく泣くことも出来ないほどの気持ちだったと思います。
 花火工場はその後、住宅地を離れて郊外に移転し、本社だけがもとの場所に残っています。
 この時期、花火の天日干しの様子をテレビで見るたびに、あのシズコちゃんのことが思い出されます。(7月24日)

 <アポロの月面到着から35年、星条旗を掲げたのが間違いだった>
 アポロ11号が月に着陸したのは、35年前の7月20日、日本時間で7月21日の昼前でした。
 あの日、あなたはどこで何をしていましたか。記憶に残っている人であれば、もう40歳を超えているはずです。30代前半までの人たちは、まだこの世に生まれてもいませんでした。
 ボクは夏の高校野球地方大会が繰り広げられている炎熱下の球場で、トランジスタラジオの実況中継に聞き入っていました。
 ヒューストンとアームストロング船長との交信の様子が、当時めずらしかった同時通訳でラジオから流れていました。鮮明とはいえない会話を、瞬間的に訳していくのは、なかなかの苦労だろうなと想像したものです。
 「すべて順調、すべて順調」ということばが、何度となく繰り返されていたのが記憶に残っています。
 ボクは、子どものころに夢見ていた月世界探検が、予想していたよりもずっと早く実現したことに感嘆し、その日は興奮で何も手につかないほどでした。
 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」というアームストロング船長の歴史的な第一声は、ボクたちに未来への確信と勇気を与えてくれました。
 これからは、人間がひっぱんに月を行き来する時代になり、自分が生きているうちに月旅行を経験できるかも知れない、などと本気で思いをめぐらせたものです。
 あれから35年が経ちました。この間、地上の人間はどれほど進歩したのでしょうか。「人類にとっての大きな一歩」を、地上の何億何十億の人たちが抱える問題の解決のために、どれほど生かしてきたのでしょうか。
 アポロ11号の偉業は人類史の新たな1ページとして評価出来ても、ボクは月に掲げられたのが、星条旗だったことが、その後のアメリカを大きく狂わせる結果になったように思えてなりません。
 たとえアメリカがどんなに国威を強調したくても、またアメリカという国の力を全世界に誇示したくても、あの時、星条旗は遠慮するべきだったと思っています。
 国連に加盟か未加盟かを問わずに、世界に存在するすべての国々の万国旗を掲げるか、そうでなければせめて国連の旗を掲げるべきでした。
 このところのアメリカとりわけブッシュ政権になってからの4年近くのアメリカは、アメリカでなければ国にあらず、の独善と傲慢を振り回し、世界を我が物顔で闊歩し続けてきました。
 アメリカのやり方に異議をとなえる国やグループを、悪の枢軸呼ばわりをしたりテロリストのレッテルを貼って、世界を敵に回しても一歩も引く構えを崩していません。
 残念ながら、アームストロング船長の「人類にとっての大きな一歩」を、軍靴とドルですっかり踏みにじってしまったのは、アメリカ自身なのです。(7月21日)

 <生命は9億年前、性と引き換えに個としての死を受け入れた>
 歌人の河野裕子さんが4年ほど前、新聞に書いていた文章は、生きることについて考えさせられます。
 「人間を含めたすべての生物が宿命的に逃れられないものが三つある。生まれ合わせた時代から逃げられない。自分の身体の外に出ることができない。必ずいつか死ななければならない」
 ボクは、2000年3月25日のこの欄で、「自分の身体の外に出ることができない」について考えてみましたが、今回は「必ずいつか死ななければならない」について考えてみます。
 生まれた者がいつか必ず死ぬのは当たり前のようですが、生き物が死ぬのはそんなに当たり前のことではありませんでした。
 生命が性を獲得して有性生殖に踏み出したのは、約9億年前ごろのことで、まだ目に見えないくらいの多細胞生物が誕生してから3億年ほど経ったころと見られています。
 地球上に生命が誕生したのは、約39億年前のことですから、約30億年もの間、生命は性というものを持たずに生き続けてきました。
 性を持たない生命が子孫を増やしていく方法は、もっぱら自己分裂の繰り返しによる増殖でした。もとの個体は、分裂して増えるけれども、死ぬわけではありません。
 この長い30億年もの間、個体にとっての死は、ほかの生物に食べられるか、過酷な環境によって生きていけなくなるかの、外部要因による死がもっぱらでした。逃れられない定めとしての、内部要因としての死ではなかったのてす。
 その生命が、性を獲得してオスとメスの両方の遺伝子を混ぜ合わせて子孫を作る道を歩みだした時、初めて生命は個体の老化と死という宿命に直面します。
 性による増殖は、それまでの個体分裂による増殖よりもはるかに多様性のある子孫をつくることが出来、この時から生命は爆発的な進化を始めます。
 生命は、性による多様な進化の道を取る代わりに、個としての逃れられない死を受け入れたのです。
 いわば、性と死は裏表の関係にあり、性による生殖は個体がほどなく死ぬことが絶対的な前提です。
 この関係は、たとえば交尾を終えたカマキリのメスがオスを食べてしまうことや、産卵を終えたサケのメスがまもなく死んでいくことなど、自然界に広くみることが出来ます。
 文学や絵画の世界で、芸術家たちの多くがエロスの中に死を見いだし、また性の営みがよく模擬死にたとえられるのは、こうした生命進化における性と死の関係を、人間が直観的に感じ取っているからだと、ボクは思います。
 人間の死も、性と引き換えであることを思う時、さまざまな問題が出てきます。子どものいない夫婦や結婚しない者までが、死ななければならないのは、不公平ではないか。こういう論じ方は、生き方として子どもを生まない女性へのプレッシャーにならないか、等々。
 また、種の存続を了解することで、個としての死の不安や恐れから逃れられるか、というと決してそうではありません。
 種と個との深い乖離(かいり)こそ、自意識を持つ人間が抱える永遠の苦しみなのかも知れません。(7月17日)

 <『時間の岸辺から』その58 1.29ショック> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 いま日本中が、1.29ショックに揺れています。
 1人の女性が一生の間に産む子どもの数(出生率)が、これまでの政府の見通しを大きく下回って、1.29と初めて1.3を割り込んだのです。
 つい先日まで政府は、出生率は07年に1.31で下げ止まり、その後は上昇して1.39程度が長く続く、と説明してきました。
 さきの通常国会で成立し年金改正法をはじめ、医療保険、財政再建計画など、さまざまな重要な施策が、この見通しの上に成り立っています。
 出生率の政府見通しは、毎年のように下方修正を繰り返していることから、この先さらに1.29より下がるのではないか、という見方が広がっています。
 かりに今の出生率が続くと、どうなるでしょうか。
 小数点のついた数字は実感しにくいので、つぎのように考えると分かりやすいでしょう。
 100人の女性が一生のうちに、129人の子どもを産みます。男女半々とすると、女児は65人になります。
 その65人の女性が産む子どもは84人となり、女児は42人。孫の世代ですでに人口は半分以下になります。
 その次の世代では女児は27人、さらに次になると17人になります。
 わずか4世代の後には、人口が5分の1以下になる、という未曾有の深刻な事態であることがうかがえます。
 少子化はかつて「女のストライキ」と言われたことがありました。女性の就労や子育てに対する、夫や社会の無理解が、主要な原因とされていたのです。
 ところが、ことはそれほど単純ではないことが、しだいに明らかになってきました。
 顕著なのは、男性の未婚率の急上昇です。30代前半の男性の未婚率は、欧米で25%前後なのに対し、日本は43%と異常に高い数字になっています。
 結婚したくても経済的に出来ない、という男たちの悲鳴が聞こえてきます。
 少子化は、「女のストライキ」であると同時に、「男のストライキ」なのです。男と女のストライキであるということは、「人間のストライキ」だということです。
 このストライキの背景には、日本社会の貧富の差が拡大し、政府がいう景気の上向きを実感できるのは、少数の裕福層でしかない、という現実があります。
 厚生労働省によると、日本の所得格差を示す「ジニ係数」という指標が、調査を始めてから最も高い数字に達し、かつてないほどの格差が広がっていることが明らかなりました。
 最近あらゆる分野において、自己責任が声高に叫ばれていることも、結婚や出産をためらわせる大きな要因となっています。
 格差が広がる中で国家や社会が自己責任を言うのなら、私たちだって自己責任で子どもを産みません、という結果になるのは当然の成り行きではないでしょうか。(7月14日)

 <デジタル社会の危険な落とし穴、文字化けメール>
 先日、ネット通販で、ある商品の購入注文をしました。フォームに必要事項を記入して送信すると、「注文受付の確認メールを送信しました。ご確認下さい」というメッセージが出ます。
 通常ならば、この後、1分もたたないうちに、確認メールが届くはずです。
 しかし4時間を過ぎても確認メールが来ないため、ボクは再度、フォームから注文し直しました。やはり「確認メールを送信しました」というメッセージが出ましたが、確認メールはいくら待っても送られてきません。
 結局、3日を経過しても確認メールが送られてきてないことから、ボクは注文受付は何らかの理由で成立しなかったものと判断し、その商品を店頭で購入しました。
 ところがその後、同じ商品が、通販から宅配便で送られてきました。これでボクはダブって買ってしまったのです。
 そこで通販にメールを出して、なぜ注文受付の確認メールが2度とも送られてこなかったのか、調べてもらいました。
 すると、意外な回答が返ってきました。ログを調べた結果、ボクからの2度の注文に対して、2度とも確認メールは正常に送信されており、メールがエラーで返送されるなどのトラブルは起きていない、というのです。
 たった一つ、思い当たることがあるとすれば、通販が送った確認メールが、ボクのところに届いた時には文字化けメールになっていた可能性です。
 1日に300通から500通も送りつけられるスパムメールの中に、文字化けメールは、1日に数件は混じっています。表題も本文も文字化けしているので、ボクは何も考えずに、スパムメールと一緒に削除しています。
 文字化けメールが、ボクの知っている人や企業のアドレスからであることに、たまたま気づくこともあります。文字コードを変えて再送してくれるようにお願いして、正常なメールを受け取った経験が、これまでに3、4回あります。
 今回の通販の件で得た教訓は、重要なメールでありながら、文字化けして来るケースは意外に数多いのではないか、ということです。そして、それに気づかないまま、ボクが削除しているメールは相当数に上るのではないか、ということです。
 文字化けの原因をネットで調べてみると実に複雑怪奇で、日本語文字コードの種類が多くなりすぎていることや、さまざまな中継点を経過して送られてくる間に、文字化けしてしまうケースが少なくないことも分かりました。
 ボクが知人に送ったいくつかのメールも、ひょっとして文字化けメールになっていた可能性があります。
 あなたがボクに送ったはずのメールも、文字化けしていて気づかないままに削除してしまったかも知れません。
 文字化けメールは、デジタル社会の最も危ない落とし穴のような気がしています。(7月10日)

 <米の空爆で12人死亡、情報提供したイラク暫定政府への疑問>
 先月28日に、あたふたとイラク国民も知らない間に、アメリカからイラク暫定政権への「主権移譲」が行われたのは、やっぱりマヤカシだったということでしょうか。
 アメリカが5日夜、ファルージャへの空爆を行い、イラク人12人が死亡したというニュースは、それだけでもイラクに移譲された主権はどうなっているのか、と懸念を抱かせるものです。
 その上、この空爆にあたっては、アルカイダとの関係が指摘されているザルカウィ氏の隠れ家について、イラク暫定政府がアメリカに情報を提供したとあっては、暫定政府とは何なのかについて、強い疑問を抱かざるを得ません。
 暫定政府は、建前としては、イラク人のイラク人による政府のはずではなかったのでしょうか。
 アメリカが空爆すれば、多くのイラク人が殺傷されることは明白です。それとも、暫定政府は、ザルカウィ氏のようにアルカイダとの関係が指摘されている人物は、イラク人のうちには入らず、殺されても当然という立場なのでしょうか。
 もしも、ザルカウィ氏がアルカイダと繋がりがあるとしても、問答無用で殺してしまえ、というやり方は、主権国家の取るべき方策ではないでしょう。イラクが国際社会に認められるような法治国家をめざすならば、きちんとした司法手続きにのっとって身柄を拘束し、裁判にかけるのが筋のはずです。
 こうした司法的な手続きを一切踏まず、自国の警察や軍隊でもない駐留米軍の思うがままに、空爆によって虫けらのように殺してしまうというのは、あまりにも乱暴すぎます。
 アメリカへの情報提供について、暫定政府のアラウィ首相は「多国籍軍と協議の後、情報提供した」と語っていますが、この空爆は多国籍軍としての空爆だった、ということでしょうか。
 だとすれば、国内での議論が一切ないまま、小泉首相が多国籍軍への参加をブッシュに約束した日本は、今回の空爆でどのような位置を占めているのでしょうか。
 多国籍軍としての空爆ならば、日本は関与していない、とシラを切ることは出来ないでしょう。イラク人12人の死亡について、日本には責任が生じます。
 今回の情報提供は、アラウィ首相としてはアメリカとの親密さを協調し、せいいっぱいアメリカに喜んでもえらるものと思って行ったことでしょう。
 しかしその結果は、暫定政府が全イラク人を代表するものでは決してないことを自ら露呈し、結局はアメリカの利益で動く傀儡(かいらい)政権でしかないことを、内外に広く告白したようなものです。
 暫定政府のこうした対応は、アメリカ主導の多国籍軍に反発しているイラク国民を失望させ、多くのイラク人を敵に回していくことでしょう。
 情報提供に走るとは、稚拙な選択をしたものです。暫定政府のやったことは、スパイ同然と言われても仕方ありません。
 アメリカが情報提供を強く迫り、拒みきれなかったのだと想像できますが、ここで毅然とした態度に出なければ、いつまでたってもイラクはアメリカから、なめられ続けるのではないでしょうか。
 今回の情報提供と空爆について、日本はどう関わっていて、どう協議に加わったのか、日本政府のきちんとした説明を聞きたいと思います。(7月6日)

 <がんばれサダム・フセイン、真の犯罪者ブッシュに屈するな>
 イラクの特別法廷で、サダム・フセイン元大統領を裁くための司法手続きが始まり、久々にサダムの映像をテレビで見ることが出来ました。
 もっと打ちひしがれていて、惨めな姿を世界にさらすのかと思っていたら、どうしてどうして、なかなか精悍で声にもハリがあります。
 サダムは、米軍に拘束されてからというもの、もはや大統領ではないことを身をもって実感させるために、便所掃除をやらせられていたといいます。
 人定質問で「私はイラク大統領だ。元大統領ではない」と応えるあたりは、最大級の屈辱にもかかわらず、プライドを失うことのなかった強靭さがうかがえます。
 ボクは、サダム・フセインが行ってきたクルド人への化学兵器使用や反フセイン勢力への弾圧、クウェート侵攻など、国際的に非難を浴びてきた数々の悪行について、弁護するつもりはありません。
 しかし、だからといって、アメリカが国際法と国連を無視して強引におっぱじめたイラク戦争が良かったとは、絶対に考えません。
 今回の法定で、サダムが「これは茶番だ。本当の犯罪者はブッシュだ」と述べたのは、まったくその通りだ、とボクは思わずひざをたたいてしまいます。
 はっきりいって、サダムはワルではありますが、ブッシュの方がそれよりも何十倍、何百倍ものワルであり、しかも「自由」や「民主主義」の隠れ蓑をまとっているだけに、よけい犯罪度は高いと思います。
 いまの世界で、ブッシュをはっきりと犯罪者と言い切り、どんな目にあおうともブッシュのアメリカを批判し続けることが出来る人間は、貴重な存在です。
 世界からこうした人物が一人もいなくなることは、むしろ危険なことであり、それこそ悪の帝国の思うがままの世界を許してしまうことになるでしょう。
 要はバランスの問題でもあります。ブッシュが世界にとってこれほどまでに危険な存在でなかったら、ボクはサダムの行状を無条件で糾弾したことでしょう。
 ボクは、いまの世界の最大の危険要因は、ブッシュのアメリカだと思っています。「アメリカ帝国主義は、世界人民の共同の敵である」という古典的な言い方は、息を吹き返しているのです。
 敵の敵は見方、という論理からボクは、あえてサダム・フセインに「がんばれ。負けるな。屈するな」と声援を送りたいと思います。
 サダムは特別法定で今後とも、堂々と信念を貫き通してほしいものだと思います。どんなに懐柔されようが司法取引を持ちかけられようが、絶対に裏取引や妥協はしてほしくありません。
 たとえ死刑になろうとも、アメリカの国家的犯罪を糾弾し続け、あらゆる言説を曲げることなく、法定闘争を戦い抜いてこそのサダムです。
 がんばれサダム、アメリカの行為に我慢できなくなっている世界中の人々のために。(7月2日)

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 Pachelbel "Kanon in D"

 MIDIを聴くことの出来る環境にある方は、パネルのスイッチをオンにすると音楽が流れます。
 音楽は、エクシング社発売の著作権フリー音楽集「Sound Choice Vol.1」から使用しています。
 この曲のデータを、当ホームページから複製したり、転載・配布することは出来ません。

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