新世紀つれづれ草



03年1月−6月のバックナンバー

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2003年6月

 <『時間の岸辺から』その33 靴底が秘める未来> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 電車のホームで最近、靴をはいた小学生くらいの女の子が突然、滑るように水平移動をする光景を目にするようになりました。
 さては魔法の靴か、と驚く大人たちの視線をよそに、女の子はホームの端の手前でピタリと止まります。
 水平移動する不思議な子どもは、高層ビル街の通路やビルのコンコースなどにも出没するようになり、最近ではスーパーやコンビニで商品棚の間を、妖精のようにスーッと滑り抜けていく子どもも見かけます。
 子どもたちがはいているのは、かかとの底に小さなローラーが付いている靴で、去年あたりから日本で大流行をはじめました。
 ローラーシューズあるいはローラースニーカーと呼ばれ、歩く時には普通の靴ですが、足の重心をかかとに移すことによって、ローラーでなめらかに滑ることが出来ます。
 地域によってはほとんどの子どもが持っているところもあり、この靴をはいて登下校する姿も日常の光景になってきました。
 子どもたちは車の少ない路地裏などで練習して、滑ることが出来るようになると、もっと広い場所を探し求めます。
 ところが今の日本で、子どもたちがのびのびと滑る場所を見つけることは極めて困難です。ローラースケートやスケートボードなど、滑る遊具ならなんでもOKというスケートパークもありますが、全国ではまだ数えるほどです。
 ローラーシューズが普及するにつれて、バランスを失って転倒したり、勢い余って買物客にぶつかるなど、事故になるケースも発生し、大手スーパーや公共施設の中には滑ることを禁止する張り紙を出すところも出てきました。
 今の子どもはテレビゲームに夢中になって外で遊ばない、オタク化している、引きこもりだ、とさんざん言い続けてきたのは大人たちです。それなのに、せっかく外で遊べる楽しい道具を見つけたとたんに禁止では、子どもたちはまさに立つ瀬がありません。
 いま最も必要なことは、子どもたちが滑ることが出来るスペースを数多く確保することです。学校の周りの道路や、公園の一角、公共施設の前の広場などを、曜日や時間を決めて開放するといいでしょう。
 子どもたちにはここで、ほかの人にぶつからない滑り方、けがをしない転び方などを徹底的に身に着けてもらいます。
 ローラーシューズは、動力もICチップも使わずに人間の力だけで動く優れモノで、ボクは自転車に匹敵する効率の良い道具だと思います。遊びやスポーツとしてはもちろん、未来の新しい「足」として必需品になっていくような予感がします。
 少年少女時代をローラーシューズで過ごした子どもたちが大きくなった時、大学のキャンパスは巧みに滑走する学生たちであふれ、オフィスの廊下ではビジネスマンやOLたちがさっそうと水平移動しているかもしれません。(6月18日)

 <6.15を知らない従順な国民が、日ごとに戦争への道を敷き詰めていく>
 日本の状況は、危機的としかいいようがない。経済も政治もそうだが、何よりも日本人が戦争に対する抵抗バネを失って、骨抜きでフニャフニャの軟体動物になってしまった。
 60年安保は遠い昔の逸話になってしまった。考えてみれば、やむを得ないことかも知れない。あの戦争の終結すなわち8.15の敗戦から60年安保までが15年だったのに対し、60年安保から今日までが43年とほぼ3倍近い歳月が経過している。
 43年も経てば社会の様相はすっかり変わり、個々の人間もまた人生の大半を使い果たして人が変わる。60年安保に戦後精神の支柱を見出してきた世代は先細りと枯渇の一途をたどり、60年安保とは何かを知らない世代が日本の中軸を占めるようになった。
 今日6.15がどういう日かとたずねられて、即答できなくて当たり前、国会デモに機動隊が襲いかかったあの惨劇の日を知らなくても生きていくのに不都合はない時代。樺美智子さんの名を知らなくても、それがどうしたと人々は開き直ることだろう。
 だが、あの安保闘争で国民から突きつけられた重大な疑問に対し、当時の岸信介首相はじめ国のリーダーたちがどう答えていたかは、決して忘れてはなるまい。
 「日本が戦争に巻き込まれるような事態は、決してあり得ない」「自衛隊の海外派兵への道を切り開くなどは、まったくの言いがかりだ」等々。
 それがどうだ。あの当時、心ある無数の「声なき声」が深く憂慮していた事態が、いま現実のものとなってきているではないか。今日の日本社会のナショナリズムの復活台頭、右傾化と軍国化、憲法蹂躙と戦争への地ならしは、すべて60年の安保改定に源を発している。
 有事関連法が成立しても、国民は去勢されたように無反応。労組や学生たちによる大規模な集会やデモも見られない。いまの若い人たちは、何か街頭でアピールしたいと思っても、デモという言葉を嫌う。デモではなくてピース・ウォークなのだと言われ、それでも恥ずかしそうに小さくなって歩いている。
 イラクへの自衛隊派遣に対しても、国民は一億総催眠術にかけられたように、何の反応も示さない。イラクで自衛隊員に死傷者が出れば、武器使用基準が大幅緩和されて、自衛隊の戦闘行為が公認されるのは目に見えている。
 それでも日本国民はだまって政府に従うだろう。イラク派遣は予行演習であり、いきり立つ軍国主義者たちの本丸は北朝鮮だ。日本が強硬姿勢を強めて圧力をかけ続ければ、北朝鮮との関係は一触即発の危機をはらむ。
 そうなったら、どんな口実によっても戦争を起こすことが可能だ。アメリカと韓国が、北朝鮮の国民を解放するためと称して一気に攻め込むことは、イラク戦争の経験からしても十分過ぎるほどあり得ることだ。その時、日本は当然のように北に自衛隊を派兵するだろう。
 朝鮮出兵、そして有事法制に基づく国家総動員体制。歴史は繰り返す。為政者はつけあがる。そこまでいったら戦争などというものは止められるものではない。戦時体制下で戦争に反対したら、逮捕・投獄・極刑は間違いない。マスコミなど一ひねりだ。
 6.15を知ろうともせず、樺美智子さんの屍を見ようともしない国民の従順と無知によって、日本の次の戦争はすでに準備完了といっていい。(6月15日)

 <ゴールの歓喜を一瞬にして幻にする難解なオフサイドは廃止すべき>
 昨日の対パラグアイ戦のサッカー。誰もがゴールと思った大久保のヘディングシュートは、オフサイドの判定で幻と消えました。テレビが繰り返し放映するシュートの瞬間を見る限りでは、ゴール手前で両チームの選手たちが入り混じっていて、なんとも難しい状況です。
 ボクは前々からサッカーのオフサイドについては、何のためにこんな制度があるのか疑問に感じてきました。いろいろと理由や言い分はあるのでしょうが、オフサイドほど分かりにくい試合ルールも珍しいといっていいでしょう。
 実際、サッカールールの解説を読み直してみても、どういう状況がオフサイドなのかの規定は複雑で難解を極めています。定義を厳密にあてはめようとするならば、ゴール前のもつれ合いの一瞬の選手たちの配置や動きを、はたして一人の審判が正確に読み取ることが出来るのか、大いに疑問を感じます。
 ほかのさまざまな反則と違って、オフサイドについては1点を争う試合で、点が入ったか入らなかったかを直接判定するものであるため、審判の一瞬の決断が即試合結果を決めることになります。審判も人間である以上、判定が厳密に正しかったかどうか自信がない場合もあるでしょう。
 これまでも、ゴールを決めたと躍り上がる選手や観客の歓喜が、オフサイド判定の旗によってシラジラと冷める有様をいくどとなく見せ付けられてきました。後にのこるのは、割り切れない後味の悪さです。
 サッカーについては何も知らない素人のボクから言わせれば、オフサイドの規定は廃止すべきだと思っています。なぜなら、ボールを受けた相手選手よりもゴール側に自分たちの選手がいないのは、自分たちの動き方が悪いためであり、自分たちの責任です。
 オフサイドがあるために、攻撃がなんとなくかったるくなって精彩を欠き、サッカーの興をそいでいる側面は大きいと思います。オフサイドを廃止すれば、ディフェンダーは敵のゴール側に深入りすることは難しくなりますが、これは双方にとって条件は同じです。
 これによって平均得点が増えるかどうかは、いちがいに言えないでしょう。ただ、攻撃と防衛の役割分担はいまよりははっきりするようにも思います。
 いずれにしても、選手も観客も(テレビ観戦も含めて)ゴールを決めたものと歓呼の乱舞をする中、一人の審判の判断でそれがパーになってしまうシラケ場面がなくなるだけでも上出来です。
 サッカーは面白いけどオフサイドがなあ、という人たちが少なくないことを世界のサッカー関係者は真剣に考えるべきです。どうしてもオフサイド的な規則を残したいなら、野球のファウルのように誰が見ても歴然と判断出来るような客観的なモノサシに基づくものにする必要があります。
 オフサイドが廃止されたら、ボクもサッカーファンの仲間入りをしようと思いますが、それまでは、「サッカーなんて」派に留まっています。(6月12日)

 <東急文化会館取り壊しに思う、ハトをバッグに入れて去った男のこと>
 渋谷の東急文化会館が老朽化などを理由に今月いっぱいで閉館し、来月には取り壊されるそうです。
 名物だったプラネタリウムはすでに閉館となっているのですが、まさか建物全体が姿を消してしまうとは驚きです。1956年オープンといいますので、まだ50年も経っていないものを、こんなに簡単に取り壊していいものか、とも思います。
 東急文化会館はプラネタリウム以外でも、映画館街、レストラン街、大型書店、喫茶店など、魅力ある店や施設が多く入っていて、ボクが渋谷に立ち寄った時には、必ずといっていいほど利用したビルでした。
 70年代はこの建物が最も輝いていたころで、東急文化会館という名前の通り、渋谷に本拠地を構える東急の、最も先鋭的な文化発信基地でした。
 このビルにかげりが見えてきたのは、渋谷に西武グループが進出し、パルコに代表される若者文化が一世を風靡し、やがて渋谷がコギャルやジャリがたむろするうるさい街となっていった時代に呼応します。
 東急文化会館は大人の街渋谷にこだわり続け、主張し続けてきました。それが姿を消すことで渋谷の一つの時代が終わる、という気がします。
 渋谷は東京の中の盆地といえるほどの低い位置にあるため、地下鉄銀座線の線路は東急文化会館の横を地上2階にあたる高さになって渋谷に到着します。
 銀座線の線路と並行して、渋谷駅と東急文化会館を結ぶ長い連絡橋が通っているのも、ユニークな存在でした。
 連絡橋の下には、広い車道を横切る横断歩道がありますが、駅とビルとの距離が長すぎて、一回の青信号では渡りきれません。途中2カ所に中洲のような信号待ちスペースがあって、ぼやぼやしていると渡るだけで3回の青信号をくぐることになります。
 この歩道の脇には、いつもたくさんのハトが群れていて、えさ売りがいることもあります。
 ある日、100羽ほどのハトたちが夢中でえさを食べている時、大きなバッグを持ったホームレスとおぼしき中年の男が、さりげなく近づいたと思うと、一羽のハトを捕まえて目にも止まらぬ早業でバッグに入れました。
 たまたま目撃したボクも、何が起こったのか分かりませんでした。
 その瞬間、周りのハトたちが一斉に、その男を非難し始めたのです。というか、それぞれが羽をまるで手のように動かして男を糾弾するような仕草をしながら、ククククク、コココココ、と鳴き続け、それは「この男が仲間のハトをさらった」「この男、悪いんだ悪いんだ」と叫び続けていることが伝わってくるのです。
 男はバッグを大事そうに抱えて静かにその場から去っていきました。捕まえたハトは食べたに違いありません。男はいまどんな生活をしているのでしょうか。
 東急文化会館が取り壊されるというニュースに、なぜかあの時の男とハトたちの様子が、鮮やかに思い出されます。(6月8日)

 <『時間の岸辺から』その32 メタ弥生時代> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 弥生時代と聞いてボクが思い浮かぶのは、「さくらさくら」のメロディーです。「やよいの空は」と続く歌詞のように、この時代には初々しく華やかな開花のイメージがあります。
 日本の考古学と歴史学は長い間、弥生時代の始まりを紀元前4〜5世紀ころとしてきました。それが一気に500年も早まって、紀元前1千年ごろに幕開けしていたという衝撃的な見解を、国立歴史民俗博物館が先日発表しました。
 それによると、日本で稲作が始まった時期は、今から3千年前になります。縄文人が何万年か続けてきた採取生活が終わり、生産力が飛躍的に発展する基礎が作られたのは、意外に早い段階だったことになります。
 石器に代わって鉄や青銅が使われるようになったのも、貧富の差が発生していくのも、小さなクニの中で支配と被支配の関係が確立していくのも、クニ同士の戦争が始まったのも、すべてがこの時期まで遡ることになります。
 弥生時代という呼び方は、今から120年ほど前に東京・本郷の弥生町から出土した土器を、弥生式土器と呼んだことに由来しています。弥生とは、「いや・おい」から転じて「ますます生い茂る」という意味で、地名から付けられたとはいえ、この時代の本質を見事に表わしているように思います。
 弥生人たちが始めた稲作と鉄の使用は、日本社会の原動力となって、その後に続くすべての時代を貫き、人口の飛躍的増加や文化の発展を支えてきました。
 明治維新以降の近代化にあたってスローガンとなった「農は国の基(もとい)」「鉄は国家なり」の言葉は、弥生時代に獲得した2つの生産手段がいかにパワーに満ちたものであったかを示してします。
 考古学上の弥生時代は、4世紀ころに終わっています。しかしボクは、弥生的なものが時代に適応しながら多彩な発展を続け、文字通り日本が「ますます生い茂り」続けたこの3千年間を、大きな意味での弥生時代といってもいいような気がします。
 仮にそれを、超・高次のという意味のメタという言葉を付けて、メタ弥生時代と呼んでみましょう。
 そのメタ弥生時代は今も続いている、とみていいのでしょうか。ボクは、メタ弥生時代はそろそろ終焉の時期にきているか、ひょっとすると20世紀末で終わっているような気がしてなりません。
 相次ぐ減反と農業の停滞、バブル崩壊による製鉄業の落ち込み、製造業全般の空洞化、デフレによる経済の縮小。止まらない少子化、2006年をピークに一転して雪崩れのように減少に転じる総人口…。
 どれをとってみても、メタ弥生時代の黄昏を告げる晩鐘ばかりです。
 次に来る時代の本質は「弥生」の反対ではないか、という予感がします。ますます生い茂ることをやめた時代。ボクたちは、そんな時代を迎える覚悟が出来ているでしょうか。(6月4日)

 <若い男女が結婚をためらい子づくりをしない原因は、将来の戦争への不安>
 少子化の深刻さについては、この欄でも何度か書きましたが、少子化が進行しているバックグラウンドについて、政治家やお役人の認識はまったく甘いとしかいいようがありません。
 最近、自民党の政治家の中に、「産むか産まないは女性の自由だとか、本人が決める問題だというような考えは、改めるべきだ」という発言が出始めているのは、人口縮小と国家衰弱の危機が迫りつつある中で、右往左往するしかない政治の姿をよく表しています。
 結婚しない男女が急増し、ようやく30代になって結婚しても子どもをつくらないかつくってもせいぜい1人、という夫婦がこれまた急増しています。
 こうした危機の背景には、将来への強い不安があり、これから結婚して子どもをつくっても、はたしてやっていけるだろうか、という漠とした恐怖があります。結婚や出産が喜びではなく、むしろ生活苦と悲惨を産むだけではないのか、という絶望にも似た諦観がそこにはあります。
 今朝の新聞に載っていたデータですが、働く女性が子育てのために仕事をやめた場合、標準的なケースで、得られるはずの生涯収入1億8600万円を失ういうのです。さらに子ども1人を育てて大学まで卒業させるには平均して2000万から3000万円が必要とされます。
 子どもをつくらずに共働きを続けた場合に比べて、2億円という巨額な収入が減ることになります。
 経済が縮み続け、賃金カットやリストラ、失業、倒産といったリスクに満ちた日本の中で、男性にとっても家庭を持つことに躊躇せざるを得ない時代です。女性にとっても、どんな相手と結婚するのかは、生活を維持出来るかどうかの死活問題です。
 まして、子どもをつくることには、それなりの覚悟と決断が必要です。巨額の教育費の問題だけではありません。重い病気や事故に遭わずに、育つだろうか。進学もさることながら、家庭内暴力を起こしたりグレたりすることなく、スクスクと成長していくだろうか。
 このリスクに満ち満ちた荒海の中で、子どもを産み育てていくのは、20年以上にも渡る大変な仕事です。それでも、未来に希望を持てる社会であり、明日は今日よりも良い日が来るに違いない、という確信を持てる社会ならば、カップルは子どもをつくり、育てていくでしょう。
 誰もが口にすることをはばかっていることですが、子どもを産まないあるいは産めない最も大きな原因は、日本が世界に稀な平和国家から、戦争を厭わない並の国家に変身しつつあることへの不安です。
 自分の子どもが成長する過程で、日本が有事に巻き込まれたらどういうことになるか。あるいは自分の子どもが戦争に取られる事態が、いずれ来るのではないか。そうなった時に反対したり抵抗することは、どれほど困難であるかも、国民は気づいています。
 将来への不安というのは、経済的不安や生活の不安とともに、戦争への不安が根底にあることを政治家ははっきり認識すべきです。(6月1日)

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2003年5月

 <『時間の岸辺から』その31 骨なし魚論争> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 日本ではこのところ、「骨なし魚論争」が沸騰しています。
 「骨なし魚」とは、生魚を解体してすべての骨を取り除き、調理しやすく食べやすくした商品です。
 最初のうちは病院や高齢者施設の給食用として、細々と生産されてきたのですが、子どもや若者の魚離れを食い止めたい水産業者が、最近になって学校給食用や家庭用に大々的に売り出し始めました。
 それが、瞬く間にスーパーからレストランにまで広がって、いまでは種類もアジ、サバ、タイ、タチウオなど20種類に上り、今年の市場規模は昨年の2倍の200億円になろうとしています。
 消費者がほとんど知らなかった骨なし魚作りの実態が明らかになったのは、去年から今年にかけてNHKや民放のテレビが、相次いで放映した特集番組がきっかけでした。
 日本で食べられている骨なし魚のほとんどは、中国の加工工場で若い中国人女性たちが、ピンセットを使って小骨の1本1本までを手作業で取り除いているのです。
 骨をすっかり取り除いた魚の身は、きれいに整えて酵素などの接着剤で張り合わせ、見かけは普通の切り身として、また魚によっては尾頭付きの完全な姿に整形されて、日本に輸送されています。
 骨なし魚に批判的な人たちの言い分は、日本の食文化の破壊だ、骨があってこそおいしい、骨を取りながら食べてこそ達成感がある、鮮度も味も損なわれる、等々。
 これに対し、歓迎する人たちは、魚嫌いの子どもが喜んで食べるようになった、調理が簡単で助かる、生ゴミの量が減って良かった、などと反論します。
 ボクはこの論争には、大切な視点が欠けているような気がしてなりません。それは、日本人のために朝から晩まで、黙々と小骨を抜き続けるのが中国の若い女性たちだという点です。
 彼女たちがどんな気持ちで作業をしているか、ということは、気にかけなくて良いことなのでしょうか。賃金を払っているのだから何の問題もない、と日本の業者は言うに違いありません。
 しかし、勤勉で手先が器用な中国の女性たちに、コンピューターヤIT機器の組み立てをやってもらうならともかく、日本人が食べる魚の骨を抜かせるなんて、ボクは申し訳なく思うとともに恥ずかしい気持ちで顔が赤くなるのを感じます。
 賢くて礼節正しい中国の女性たちは、日本人はなんてヤワでゼイタクなんだろう、と仮に思ったとしても決して口に出したりはしないでしょう。
 働き口を確保するため、いまはこんな仕事しか出来ないけれども、いつかきっと、魚の骨抜き作業なんてしなくても済むような経済大国になって、日本を追い抜いてみせる…。
 テレビに映し出された彼女たちの無口な横顔には、そんな燃える決意が秘められているように思います。(5月28日)

 <Win98からXPに切り換えたいが、ソフトの移動など難問山積>
 ボクが使っているパソコンは、いまだにウィンドウズ98です。いまだにとは言うものの、96年末から約3年半使ったウィンドウズ95を買い換えたのが、2000年の夏でしたから、今のパソコンを使ってまだ3年にはなっていません。
 前回と同じようにこの98も3年半は使って、今年12月ごろにウィンドウズXPに変えようと思っていたのですが、このところパソコンの調子が今ひとつで、そろそろ疲労が蓄積して限界かな、と思うようになりました。
 何よりも困るのは、3分に1回くらいの割合で定期的に画面が10数秒間凍りつき、その間はマウスもキーボードも全く操作出来なくなることです。メーカーのサポートセンターにも相談してみましましたが、何かのプログラムがハードディスクにアクセスを繰り返している、ということしか分かりません。
 凍りついている10数秒間が終わると、正常に戻るのですが、また3分ほど経つと凍りついて、その繰り返しです。ウィルスチェックはこまめにやっている方なので、ウィルスの仕業ではなさそうですが、3年近くの間にゴミが溜まっていることも関係しているかも知れません。
 ウィンドウズXPに切り換えるくらいは、思い切ってやれば良さそうなものですが、なかなか踏み切れない事情がいくつかあります。
 まず、日頃の作業で不可欠な多くのソフトのうち、手元にCDがあったりネットから容易にダウンロード出来るものはいいのですが、有料でダウンロードしたソフトのライセンスキーなどを、新しいパソコンにどうやって組み込むか。
 もう一度有料で購入し直すのはオーソドックスですが、そのソフトを使用するパソコンが2台になるのではなく、98からXPへと切り換えるだけなので、出来れば無駄なお金は使わずに済ませたいと思うのは当たり前です。
 さらに躊躇させる原因となっているのは、今のパソコンではCD−RWの方式が、ダイレクトCD方式になっているため、これまでデータ保存のために作成してきたダイレクトCDがそのままではXPで使用できない、という大問題があります。
 ダイレクトCDの中身を、いったんハードディスクに取り込んで、新しいパソコンで次々と普通のCD−RWに書き込み直していく方法がありますが、そのためには新旧2台のパソコンをLAN接続する必要があり、これまた難作業という気がします。
 しばらく2台を併用しながら、少し時間をかけてソフトやCDデータの移行や書き換えをやっていくしかなさそうですが、2台のパソコンを並べるためのラックもないし、その空間も足りない、ということで模様眺めの日々が続いています。
 パソコンの性能が向上し機能が多彩になればなるほど、買い替えと切り換えの問題は、どのユーザーにとってもますますクリアするのが難しい問題として浮上してくるのではないでしょうか。みなさんは、どうしていますか。(5月23日)

 <新型肺炎にかかったら、プライバシーは白日の下に曝されるぞ>
 新型肺炎に感染していた台湾人医師が、日本滞在中の6日間に立ち寄ったコースを見ると、信じられないほど多くの場所を転々と移動していて、言い方は悪いのですが、まさにウィルスをばら撒くために訪日したのではないか、と言いたくもなります。
 この医師が回ったコースは、関空→都ホテル大阪→ユニバーサル・スタジオ・ジャパン→都ホテル大阪→京都・嵐山→トロッコ列車→亀岡→宮津→遊覧船→天橋立→宮津ロイヤルホテル→出石城下町→姫路城→フェリー→小豆島・大阪城残石記念公園→小豆島グランドホテル水明→二十四の瞳群像など小豆島観光→フェリー→高松・栗林公園→鳴門公園→淡路島→南淡路ロイヤルホテル→明石海峡大橋→大阪城→関空、となっています。
 この間、問題の医師が接触した可能性があって健康調査をする必要がある日本人は2421人に上るといいますから、影響は大変な範囲に広がっています。商談や仕事の打ち合わせならば、これほど短期間に広範囲を動き回り、これほど多くの人たちと接触することは考えられません。
 観光旅行というものが、いかにハードスケジュールの中で、びっしりと観光を詰め込んであわただしく駆け抜けていくものであるかが、白日の下にさらけ出された感じがします。
 この医師本人の軽卒さや台湾当局の出国管理の甘さについては、いろいろと言われている通りだと思いますが、本人が申告をせずに発症もしてない段階では、旅行を中止させることは極めて難しいのが現実でしょう。
 今回のケースによって、新型肺炎をめぐるプライバシーや人権の問題が、日本でもやっかいな問題としてクローズアップされてきました。今回、政府が医師の宿泊先や飲食店をすべて実名で公表したことは、感染拡大阻止が何にもまして優先課題であることによるものです。
 もしも、この後、日本人への感染が確認された場合は、その人の居住地、勤務先、感染した段階からこれまでのすべての立ち寄り先が公表されることになるでしょう。
 場合によっては、立ち寄ったことを知られたくない場所があったり、接触したことを表に出したくない相手もいることでしょう。しかし、そんなことを言ってはいられない事態となってきます。
 援助交際や麻薬取引の発覚など、意外な人が意外な場所に立ち寄って、意外な人を相手に意外なコトをしていたとしても、それを隠していたのでは、接触相手が発症して生命に危険が及ぶばかりか、さらなる感染爆発に繋がりかねません。
 ま、こうした行動が発覚して大恥をかかないためには、新型肺炎が完全に収束するまでの間、怪しげな行動は謹んで身ぎれいにしていることが懸命ですぞ。おのおの方。(5月19日)

 <曽我ひとみさんの夫の住所を掲載した朝日新聞の感覚を疑う>
 新聞記者の恐ろしいところは、狭い持ち場で取材対象を追いかける日々が続いているうちに、いつの間にか、社会で最も世間知らずの存在になり、しかも自分が世間知らずであることを全く自覚していないところにあります。
 朝日新聞が、曽我ひとみさんあてに夫のジェンキンスさんから手紙が届いたという記事で、北朝鮮の住所を番地、集合住宅名、気付け人名まで書き、しかも曽我さんの了承も得ないで掲載したことは、新聞記者がいかに常識外れであるかを示しています。
 曽我さんの立場、ジェンキンスさんの立場をちょっと考えただけでも、詳細な住所を公表すればどのように危険な事態が生じるかは、シロウトでも想像出来ます。というよりも、シロウトの持つ良識感覚を新聞記者がまったく持ち合わせていないのです。
 通常は、現地の通信局長から記事が送られてきたら、支局のデスクがチェックし、本社の地方部デスクを経由して社会部デスク、整理担当者、整理部デスク、校閲担当者、校閲デスクと、何重ものチェックポイントが待ち構えているはずです。
 これだけ多くの人の目を通過する過程では、どんなに忙しかろうが締め切り間際であろうが、「おい、この住所を出していいのか」と声を上げる者が一人くらいは必ず出てくるものです。
 それが、今回のような重大な場面で、誰一人として疑問を感じることなく、惰性のように記事が通り抜けていって、数百万部もの紙面に住所が掲載されてしまう結果になったことは、もはや朝日新聞には記事のチェック機能が働いていないことを意味しています。
 曽我さんから抗議を受けて、朝日新聞はあわててアサヒ・コムの記事を修正したり、データベースから住所を削除したりしていますが、印刷されて日本中に配達された新聞そのものからは、消し去ることは出来ません。
 朝日新聞がいかに今回の問題への認識が甘いかは、曽我さんのもとに新潟支局長が謝罪に行って会うことを拒否された、という無様な対応にも現れています。少なくとも編集局長か編集担当役員、誠意を示すならば社長が謝罪に伺うべき問題ではないでしょうか。
 拉致被害者をめぐっては、横田めぐみさんの両親の気持ちを泥靴で踏みにじるキム・ヘギョンさんへの直接取材、週刊朝日による地村保志さん・富貴恵さん夫妻への騙し射ち的な記事掲載、と朝日新聞による社会通念から逸脱した取材態度が際立っています。
 朝日新聞の記事は信頼できる、という評価が日本の社会にあったのは、20年以上も前の話になってしまいました。それに加え、朝日新聞の記事はおしなべて腰が引けていて、新鮮な視点や驚きの掘り出し記事がめっきり少なくなっているように感じます。
 今回の記事が原因で、曽我ひとみさんや夫、子どもの間の手紙のやり取りが不可能になった場合、朝日新聞は全社の存亡をかけて責任を持って局面を打開するくらいのことをやらないと、国民からの信頼は地に落ちてしまうでしょう。(5月15日)

 <『時間の岸辺から』その30 大停電とローソク> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 ボクが子どものころは、しょっちゅう停電がありました。夕食時、ローソクのほの暗い灯りを囲んでご飯を食べるのは、楽しいものでした。
 停電で消えるのは、電灯のほかにラジオだけで、そもそも電気炊飯器も冷蔵庫もない時代なので、とりたてて不便とも感じません。
 銭湯で停電した時は、暗闇の中で客同士の会話がひときわはずみ、男湯と女湯の境を越えて冗談や笑い声が飛び交っているうちに、湯気の中をローソクが運ばれてきたものでした。
 今の日本では停電なんて遠い昔話と思っていたら、今年の夏は、クーラーなど電力消費のピーク時に、関東全域で大停電が発生する危機が高まっている、というから驚きです。
 発端は、昨年8月に発覚した東京電力による一連の原発トラブル隠しで、東電管内の原発17基すべてが、検査のため運転停止に追い込まれたことです。
 東電では、安全が確認されたものから、地元自治体の了解を得て運転再開したいとしていますが、夏までに10基を再開出来なければ、大停電の可能性が否定出来ない、としています。
 猛暑の最中にエアコンが止まるだけでも大変なのに、交通機関から情報通信まであらゆるものが止まり、コンビニやスーパーも営業不能となったら、現代の社会は半日と持たないでしょう。
 この危機をきっかけに、原発の必要性を国民が改めて知るべきだ、という意見が叫ばれる一方で、エネルギーの無駄遣いを見直して脱原発の社会に転換する良い契機だ、という声も強まっています。
 ボクはここで、一つの奇策を提案したいと思います。それは、大停電を避けるため危険日には先手を打って全域で「灯り」を消し、それ以外の用途の電力をすべて確保する方策です。
 東電と各自治体は、最高気温の予想をもとに前日くらいに「大停電警報」を発令し、テレビや広報車で住民に知らせるのです。
 警報が出された日には昼夜を問わず、病院などを例外として、すべてのオフィス、商業施設、家庭で、室内外の照明器具を使用停止にして、灯りはローソクか電池によるライトのみにします。それで営業出来ない企業や店には臨時休業してもらいます。
 電灯、電飾、ネオン、ライトアップなど灯りを犠牲にすることによって、電車や交通信号、エアコン、エレベーター、テレビ、パソコン、冷蔵庫など、止まった場合の影響が甚大な分野に被害が及ばないようにするのです。
 家庭での食事や入浴は、ローソクさえあれば事足ります。レストランでもローソク・ディナーをやれば、レトロな雰囲気で人気を呼ぶかも知れません。
 夏の盛りの10日間程度、みんなが電灯のない生活を我慢することで大停電が避けられるなら、試してみる価値は充分あります。
 ゆらめくロウソクの灯りの中で、文明のあり方に思いをめぐらすのも、オツな趣向ではないでしょうか。(5月12日)

 <「時間旅行」展に思う、「現在」の科学的分析はなぜ不可能か>
 日本科学未来館で開催中の「時間旅行」展に行ってきました。
 宇宙と時間、生命と時間など、さまざまな切り口から時間の正体に迫ろうとする多くの展示を見ながら、もしも人間の意識がなかったら、時間は存在しただろうか、と不思議な感覚に襲われました。
 古来から多くの哲学者や思索家が考えたように、時間が流れるという感覚は、人間の意識の内部と切っても切り離すことが出来ません。それは、客観的な時間の流れの反映なのか人間の錯覚なのか、どちらでしょうか。
 時間の流れは人間の錯覚で、実は時間は流れていない、と主張する科学者も少なくありません。時間が流れていないならば、ボクたちが時間だと思っているものは、ミクロからマクロまでの物体の運動や状態の変化、生成と消滅の総体を言い換えたものに過ぎません。
 時間の正体を見極める上で、まず最初の難関は、現在というものの定義の難しさと、「現在」を科学的に捉えたり測定したり分析したりすることの不可能性です。
 「現在」はすべての科学において基本となる重要な概念なのに、それ自体としては観測不能であることをどう考えたらいいのでしょうか。現在というものの物理量や、動いているのかどうかの決定、本当に存在しているのかということさえも、測定不能です。
 宇宙の存在、銀河系宇宙、恒星や惑星、地球や生物、生命、人間など、およそ科学が対象としているものは、すべて観測や観察が可能であり、科学的にその性質や動向を記述することが出来ます。
 「現在」はこれらのどれとも異なって、性質や動向を科学的に記述することが出来ません。ボクが素朴な疑問を持つのは、現在はどのような幅を持つのか、幅は無限に小さくて、もしかしてゼロなのだろうか、ということです。
 幅がゼロで厚みが全くないとしたら、そんな頼りなく薄っぺらな「現在」というペナペナした中に、世界のすべての物質とエネルギーが存在するということ自体、驚愕すべきことです。
 もしも「現在」に、ほんのわずかでも幅や厚みがあるとしたら、「現在」を2つにも3つにも、理論上はいくらでも多くの断片に分割することが出来ることになります。しかし、分割してしまえばこんどは、近過去や近未来とどう違うのか、という問題が出てきます。
 「現在」という存在自体がすでにナゾであることが、過去や未来の定義を難しくし、時間を捕らえがたいものにしています。時間とは、この世界のエネルギーの別の側面、あるいはエネルギーの影といっていいのかも知れません。(5月8日)

 <毎日記者がイラクで拾った物体が、飛行中の機内で爆発していたら>
 新聞記者というのは、おしなべて大変傲慢な人間が多いものです。ボクもかつて、所構わず威張り散らして得意げに振舞う傍若無人の記者たちを、ゴマンと見てきました。傲慢で強引でなければ記者稼業はひとときも務まらない、というのが現実のようです。
 毎日新聞写真部記者がイラク戦争の取材後に、「おみやげ」として戦地から持ち帰ろうとした物体がヨルダンのアンマン空港で爆発し、ヨルダン人の警備員など4人が死傷した事件には、記者という職業の傲慢さがモロに現れている、とボクは思います。
 そもそも、イラク国家の承認もなしに、米英の先制攻撃軍とともにイラクに入ること自体、その記者もまた見方によっては「侵略者」であるという事実を考えれば、取材活動は慎重な上にも慎重であるべきです。
 この記者には、取材活動一般が常に抱えている「原罪」への慄きの感覚を失い、過去のちょっとした手柄にすっかり有頂天になって己の身の丈を忘れ、みずからも悪玉を征伐した勝者の一員であるかのような錯覚に陥っていたに違いありません。
 こうした錯覚は、さまざまな取材において記者の目をくらまします。それは、自分が政府の要職にあったり、自民党の中枢にいたり、経済界から一目置かれる存在であったり、警察幹部とツーカーの仲であったりと、さまざまな幻覚に陥らせてしまいます。
 今回の毎日新聞の記者も、戦勝者の奢りに浸り、はっきり言えば戦利品の感覚で爆発物をこっそりと失敬しようとしたのでしょう。日本に持ち帰って、戦場での自慢話とともにみんなに見せびらかすつもりだったのかも知れません。
 事件を報じた日本の新聞がどこも、「爆発物とは知らなかった」「故意ではなかった」などと強調して、この記者の行為をかばうようなニュアンスが見て取れるのは、無責任極まりないことです。
 負傷者を見舞ったヨルダン国王の言葉でボクたちは初めて、事態の深刻さを知らされました。空港警備員たちは物体がエジプト航空機内で爆発する大惨事を身を呈して防いだ、と国王は指摘したのです。
 ほんとうに、まかりまちがえば航空機は乗客・乗員もろとも大爆発して、取り返しのつかない事態となるところでした。米英の戦争を支持した日本の記者が持ち込んだ爆発物によるものと判明したら、どういうことになっていたでしょうか。
 アラブ世界はもちろんのこと、国際社会の日本に対する反発は一気に募り、毎日新聞は立ち直れないほどの打撃を受けたことでしょう。
 記者の傲慢な行為は、国家を揺るがしかねない重大事態の一歩手前だったのです。(5月4日)

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2003年4月

 <『時間の岸辺から』その29 立ち昇る煙> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 ルネ・クレマン監督の往年の名画「太陽がいっぱい」に、ヨットの上で金持ちの友人を殺して海に捨てたアラン・ドロンが、友人のサインをスライドで大写しにして、筆跡をなぞる練習を繰り返すシーンがあります。
 腕まくりにくわえタバコのドロンは、しびれるくらいカッコ良く、未成年のボクがタバコを覚えたのは、このシーンがきっかけでした。
 しかし吸う本数が増えるにつれて健康への不安も大きくなり、早々にタバコと縁を切ることが出来たのは幸いでした。
 世界保健機関(WHO)によれば、タバコが原因の死者は世界で年間490万人に上り、400人乗りジャンボ機が毎日33機も墜落している計算です。
 20世紀の間にタバコによって世界で1億人が死亡し、21世紀には10億人が死亡するという推計もあります。タバコの破壊力は戦争並みといっていいのです。
 今年2月には、タバコ規制枠組み条約をまとめる多国間交渉がジュネーブで開かれました。この場で、日本はただ一国、タバコを減らすことに反対し、そのせいで条約の内容は当初の案よりずっと弱い内容になってしまいました。
 日本のタバコ規制は欧米などに比べ30年遅れている、といわれます。一部の政治家や役人が、タバコ生産農家や小売店の保護を名目に、規制にことごとく反対してきたためです。
 タバコ野放し状態の日本では、喫煙常習者の低年齢化が進んでいます。いまでは中学生の5%、小学生の1%が常習者で、タバコをやめることが出来ずに苦しんでいる、と報告されています。
 テレビのトレンディー・ドラマでは、人気タレントがタバコを吸うシーンが定番となっていて、子どもたちがタバコに手を出す大きなきっかけになっています。
 日本でも遅まきながら、5月からは健康増進法が施行され、学校や公共施設、飲食店などでは「分煙」に努めなければならないことになりました。
 いま必要なことは、タバコが死に至る毒ガスであることを、はっきりと打ち出すことでしょう。
 ボクは、いっそのこと喫煙を免許制にしたらいいのに、と考えます。
 タバコの害についての筆記試験や、喫煙マナーの実技。必修講座として、喫煙を続けた後に待ち受ける未来の自分の姿を、各人の顔写真をもとにコンピューター合成した映像でじっくりと見てもらいます。
 末期の肺がんで、呼吸にあえぐ自分の姿。「吸わなきゃよかった」と後悔する自分の惨めな顔。臨終を告げられ泣き崩れる家族。葬儀と斎場の場面。燃え盛る炎の中に送り込まれる自分の遺体。煙突から空に消えていく火葬の煙。
 こうしたシミュレーション映像にも動じなかった少数の人だけが、晴れて喫煙免許を手にすることが出来るとしたら、あなたは試験を受けてみますか。(4月30日)

 <時代が憂い地球が憂える、人類こそ生命進化の最大の失敗種>
 GWというのに、世の中を覆いつくしているこの暗く重い空気は、いったい何と表現したらいいのでしょうか。閉塞状況と言えばそうかも知れませんが、それなら20世紀末も同じことが言われていました。
 今、ボクたちが全身で感じている、だるくて不快な感覚、世界に対する絶望に近い空回り感は、閉塞感よりももっと無力で脱力的で、閉塞を打破することの無意味さの納得、と言い換えてもいいでしょう。
 そのくせ、世の中は奇妙にもシラジラと明るさを装っていて(その例が六本木ヒルズや汐留の巨大ビルの開業です)、そのウソっぽさにみんなが気付いていながら、あえて和しているようなところがアリアリなのです。
 「あざみの歌」の冒頭、「山には山の憂いあり 海には海の悲しみや」はとても素晴らしい歌詞ですが、この歌に倣って言うならば、今の気分は「時代の憂い」とでも言うものでしょう。
 「憂い」のもととなっている「憂う」とは「うら・いう」からきていて、「心のうちを言う」の意味です。時代の憂いとは、時代が内包し隠し持つ危機であり、時代がもはやどのような方向にも前進することが不可能になったことを示しています。
 極限するならば、時代は進行する意味を失い、人間とその社会は地球史に登場した目的も役割も果たすことなく、退場を迫られている、ということにほかなりません。
 39億年の地球生命史においては、進化の失敗によって何億種もの生物が、生まれては消えていきました。ボクは、人間もまた進化の失敗ではないか、という思いを日に日に強くしています。
 いや、人間こそこれまで登場した失敗種の中でも、飛びぬけて悪質な出来そこないに違い有りません。このような存在は一刻も早く地球から姿を消すべきで、そうすれば生命圏はまた何億年かかけて、もっと穏やかで調和的・協和的な知的生命種を生み出すかも知れません。
 理想的な知的生命種が発生するまでに、太陽エネルギーと地球の生命環境が続かないとしたら、それはそれで仕方のないこと。地球には、それだけの内在力がなかったのだ、ということです。
 時代の憂いとは、地球の憂いであり、母星である太陽の悲しみでもあるでしょう。
 太陽系がその総力を注ぎ46億年かけて、ようやく最後の最後に生み出すことが出来た知的生命が、自分たちが出現した意味も役割も全く理解出来ずに、愚かな殺戮と地球の破壊に奔走し続けているとは、これ以上の憂いがあるでしょうか。(4月26日)

 <マスクで顔を覆う人びとの大群が、息詰まる21世紀を暗示する>
 21世紀の行方を暗示するような暗澹たる光景が、連日のテレビニュースで映し出されています。
 街頭でも、商店街や官公庁やオフィスなどでも、顔に密着する大きなマスクで顔を覆う人々の群れ。香港や中国本土からアジア、カナダなど世界各地へ不気味な拡大を見せているSARSウィルスによる新型肺炎への防護策です。
 息が詰まりそう、窒息しそう、というのは社会のある種の雰囲気や気分を言い表わすのに使われる言い方ですが、大人から子どもまでマスクを着けなければ日常生活が出来ない状況というのは、まさしく息詰まる世界そのものです。
 風薫る新緑の季節というのに、外で思いっきり新鮮な空気を吸うことが出来ないというのは、生きている喜びの大半を奪われるに等しいのではないでしょうか。
 いまのところ日本では、新型肺炎の発症患者は確認されていませんが、狂牛病の場合と同様に、国内の発症は時間の問題なのかも知れません。多くの人が海外へ行き来したり人ごみを体験するGW明けが、大きな警戒ポイントでしょう。
 SARSウィルスについては、常識的には動物のウィルスが、何かの拍子に毒性を獲得して人間に感染したと見られていますが、一方では生物兵器の実験や遺伝子操作など、人為的に作り出されたものが外部に漏れた、という疑いも消えていません。
 とりわけ気になるのは、集中的な発生が続いている香港のマンションで、最近になって下痢を伴うなど他の地域に見られない重症化の事例が目だっていて、若い人の死亡率が大きく跳ね上がっている、という報告です。
 感染の過程でウィルスがさらに毒性の強いものに変異を起した可能性がある、と指摘されています。もとのウィルスの検出法も確立されておらず、ワクチンも治療薬もない段階で、ウィルスが変異していくのは戦慄すべき事態です。
 5月から6月にかけて、日本を含む世界全体で爆発的な発生をみる危険性もあり、そうなったらSARSはイラクやアフガンなど戦火で瀕死の状態にある国々にも飛び火し、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカへと、地球全土を覆っていくことでしょう。
 人びとは外に出ることを極力控え、家にじっと閉じこもってテレビやパソコン、携帯電話などで、情報にかじりつく以外に、防御策を取れない状態になるかも知れません。
 それは、戦争にうつつを抜かし、軍事力で世界を変えようとするアメリカを制止することが出来ない愚かな人類への、生命圏からの強烈な警鐘ではないでしょうか。(4月22日)

 <11年前に消えた「風船おじさん」の娘がバイオリニストに>
 古今東西、さまざまな冒険家や探検家が、前人未到の無謀な試みにチャレンジして、命を落としたり消息を絶つ事例は、数知れません。
 中でも、11年前に風船付きゴンドラで米国に飛び立ったまま、行方が分からなくなっている「風船おじさん」は、ボクたちの心にメルヘンのように懐かしくも物悲しい余韻を残しています。
 その「風船おじさん」こと鈴木嘉和さん(当時52歳)の娘のfumikoさんが、バイオリニストとしてデビューしたというニュースに、風船おじさんの物語はまだ終わっていないのだ、という思いを新たにした人も多いのではないでしょうか。
 ボクたちは、風船おじさんはもうこの世にいるはずがない、と理性では考えつつも、心の隅っこでは、ひょっとしてどこかで生きているのではないか、と思ったりもしています。
 デビューの会見でfumikoさんは、「父はまだ飛んでいると思う」と語り、「父の夢を音楽で奏でていきたい」と話しています。
 風船おじさんについて語る時、風車に立ち向かって突き進んだドン・キホーテがよく引き合いに出されます。とんでもない夢に大真面目で取り組んだ風船おじさんも、日常と夢の世界を結ぶ風穴をこしらえて、夢の世界に入り込んでいるのでしょう。
 鳥のように空を飛びたい、という古来からの人間の夢は、決して飛行機のような巨大な密室に詰め込まれて飛ぶことではなく、フワフワと鳥が飛ぶほどの高さであっちへ行ったりこっちへ行ったりしたい、というのが原点です。
 睡眠時に見る夢の中で、よく空中を飛ぶ体験をしますが、ボクの場合はいつも電線の高さであったり、民家の屋根より少し高いくらいのところを、ゆったりと漂うことがほとんどです。
 ボクたちはだれもが、風船おじさんにあこがれるものを持っているのでしょう。風船に乗ったまま、ずうっと空を飛び続けていたい。たとえ、途中で肉体的な命が尽きても、魂と精神は飛び続けているのではないか。
 そして時々、親しかった人の近くをすうっと通りすぎて、ささやきかける。「元気でいるかい。ボクは相変わらず元気さ」。地球を何周も何周も飛んで、永遠に尽きることのない風船の旅。
 fumikoさんのバイオリンを聴いて、風船おじさんはひょっこり夢の世界からこちらの世界に降り立つかも知れません。
 「いい演奏だ。感動したよ」。fumikoさんの前に現れて、語りかけたのは、まぎれもない父の風船おじさん。「じゃあ、またな」と風船に乗り込んで空へ消えていく姿は、11年前のあの時とそっくりに違いありません。(4月18日)

 <『時間の岸辺から』その28 八百万の神々> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 学生時代に読んだドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に、今でも強く印象に残っている一節があります。兄のイワンが弟のアリョーシャに語る長い告白の一部です。
 「神は必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地わるな動物の頭に浮かんだ、ということが驚嘆に値するのだ」(米川正夫訳)
 イラク戦争に突入したアメリカのブッシュ大統領は、しきりに「神」を持ち出して正義の戦争を強調し、対するイラクのフセイン大統領も、「神」のもとでの聖戦(ジハード)を国民に呼びかけています。
 唯一絶対の神というものは、相手方をためらうことなく殺し続けるための拠り所として、戦争当事国の指導層によって最大限に利用されるだけの、バーチャルな幻想ではないのか、という気さえします。
 そのイラク戦争の最中に、宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」が、世界の映画賞の中で最高峰とされる米アカデミー賞の長編アニメ賞に輝きました。
 この映画が、海外でも公開されると聞いた時、ボクも含めて多くの人が心配したのは、映画に描かれたあまりにも日本的な世界が、はたして外国の観客、とりわけ欧米の人たちに受け入れてもらえるだろうか、ということでした。
 映画の大半を占める「油屋」という御殿のような湯屋には、さまざまな神々たちや妖怪、お化けがやってきて、傷や疲れを癒すため、温泉の湯に浸ってゆっくりくつろいでいきます。
 ヘドロのような汚物や廃棄物のたぐいを全身にまとった、「オクサレさま」と呼ばれる腐れ神も、悪臭を撒き散らしながら客としてやってきて、湯につかって汚れを落とします。
 ボクたちがこうした神々をすんなりと受け入れることが出来るのは、日本人の曖昧で穏やかな宗教感覚によるものでしょう。
 農耕神。田の神。月の神。剣の神。山々の神。海の神。水の神。龍神。道の神。台所を守る神。薬の神、等々。それどころか、路傍の名もない一木一草や一個の石ころにも神が宿る、という感覚にも抵抗感はありません。
 「千と千尋」のアカデミー賞受賞は、攻撃的な一神教とは対照的な、包容力に満ちた八百万(やおよろず)の神々の世界を、欧米の多くの人々に知ってもらう良い機会だと思います。
 それだけではありません。宮崎監督のアニメに共通することですが、「千と千尋」の世界ではとりわけ、登場するキャラクターたちを善か悪かの二元論で分けることは不可能です。
 今回の受賞に触れた新聞の社説の中に、ブッシュ大統領にもこの映画を見てもらいたい、というものがありました。
 しかしブッシュ大統領ならば、湯屋を経営する湯婆婆(ゆばーば)を冷酷で危険な独裁者と見なし、先制攻撃をかけたい衝動にかられてウズウズしてしまうに違いないでしょう。(4月14日)

 <爆弾は叡智よりも強し、イラク戦争で世界が教えられた不条理> 
 米英軍の圧倒的な軍事力によって、バグダッドはあっけなく陥落し、フセイン政権は事実上、崩壊したと見られています。
 戦争が終ろうとしているのに、世界は憂鬱で不機嫌な空気に満ち満ちています。ボクたちの心に漂うしらじらとした無力感と、どうにもやるせない不快感。
 アメリカは、この戦争に反対してきた仏独露中や国際世論に向かって、「どうだ、俺様を甘く見るヤツはただではおかないぞ」」と得意満面でふんぞり返り、勝てばすべては正当化されて当然、とますます鼻息を荒くしています。
 ボクは、こんどの不正義の戦争において、アメリカは軍事的には勝利したかも知れないが、政治的・外交的には致命的な傷を負い、道義的・倫理的には敗北したものと思います。いわば勝者なき戦争です。
 この戦争の後に来る世界は、いたたまれないほど居心地の悪い、軍事超大国アメリカの跋扈するおぞましい世界となるでしょう。アメリカに敵対する国や批判的な国はもちろんのこと、アメリカの言いなりにならない国にも容赦なく、鞭が振るわれていくことでしょう。
 それどころか、アメリカと異なる文化、異なる価値観は片っ端から切り崩され、アメリカ型市場主義やアメリカ型民主主義が強制的に移入させられていくでしょう。
 アメリカが軍事力をバックに世界のすべてを仕切っていく、アメリカによるアメリカのための世界。ボクはそんな世界なら、もはや存続する意味も必要もないように感じます。
 こんどの戦争で、アメリカは得たものよりもはるかに大きなものを失ったのです。アメリカの言う自由や民主主義、人権重視の実像が、どのようなものであるかが白日のもとに曝され、世界からの尊敬も信認も消えうせてしまいました。
 アメリカ以上に、世界が失ったものの大きさは深刻です。世界は、言葉を失い、ルールを失い、せっかく構築してきた仕組みを失いました。叡智は爆弾に勝てないことを、知ってしまったのです。
 世界は不条理に満ちていて、腕っ節の強い者がわがまま勝手を押し通すことが出来ること。これが世界の現実なのだと、多くの人々に、そして多くの子ども達に、見せつけたのがイラク戦争でした。
 明日は今日よりもより良い日になる、という希望を失った世界は、無秩序と退廃、衰退と破滅への道に急速に突き進むのではないか、という予感がします。(4月11日)

 <人間の代用として作られ、人間になれなかったアトムの悲しみ> 
 今日2003年4月7日は、鉄腕アトムの誕生日。各地でアトムの誕生を記念するお祝いのイベントなどが行われ、アトムを目指して開発が進む人間型ロボットを紹介する企画も目白押しです。
 人間型ロボットの著しい進化は、21世紀の科学技術の一つの好ましい方向として、ますますクローズアップされていくことは確実でしょう。家事、話し相手、介護、留守番など、一家に一台のロボットの時代は、ほどなく実現するに違いありません。
 しかし、そうした問題とは別に、手塚治虫作品群の巨大な山を成す鉄腕アトムとは何なのかを、今日のこの日に改めて考えてみるのも有意義なことではないでしょうか。
 鉄腕アトムの本質は何か。それは、一言で言うなれば、人間の代わりとして作られた自分の存在に違和感を感じ続け、人間になることにあこがれ続けてついに人間になれなかった人工物の孤独です。
 よく知られていることですが、アトムはトビオという息子を交通事故で亡くした天馬博士が、トビオの生まれ変わりとして科学技術の粋を集めて作ったロボットです。
 ところが、アトムはどんなに人間に似ていても人間ではないこと、トビオの代わりではないことに気付いた天馬博士は、アトムへの愛が憎しみに代わり、「こいつめ、こいつめ」と棒で激しく殴り続けます。
 「アトム今昔物語」(講談社版)では、このくだりが詳細に描かれていて、「ぼく一生懸命おとうさんに好かれる人間になるから」と涙を流してすがりつくアトムを、天馬博士は「化け物め」と突き放し、サーカスに売り飛ばしてしまいます。
 鉄腕アトムの原点は、まさにこの場面にあり、その後の心優しい科学の子として一躍大人気を呼ぶ活躍も、こうした誕生をめぐる背景を抜きにしては語ることは出来ないでしょう。
 アトムは生涯を通じて、トビオになれなかった苦しみと人間コンプレックスを背負いつづけました。人間のために命がけで戦う勇気あるアトムを演じ続けたのは、アトムにとって人間として認められるための必死の戦いだったのだと思います。
 人間でないものが人間になろうとして最後は命を落とす、というのは、手塚さんの初期の作品「地底国の怪人」のミミや「メトロポリス」のミッチーにも共通するモティーフです。
 少女のようにパッチリしたまつげを持つアトムの目には、どんなに大活躍する場面でも、大きな悲しみがたたえられています。それは、自意識を持つほどに発達したロボットが、必ずや感じるであろう自らの存在そのものへの疑問です。
 鉄腕アトムの物語は、人間になれなかったアトムがこらえる涙を通して、アトムが憧れ続けた人間とは何なのかを、ボクたちに改めて考えさせてくれます。(4月7日)

 <なぞの肺炎SARSは、地球の生命圏が発する緊急のSOS> 
 イラク戦争に釘付けになっている間に、正体不明のなぞの肺炎SARSが、またたくまに世界各地に広がって、18カ国・地域で患者は2200人に達し80人が死亡しています。
 ここ数十年の間に出現した新しい感染症は、エイズやエボラ出血熱など30種類にも上り、そのほとんどはワクチンも治療法も確立されていません。
 こうした病原菌やウィルスはどのようにして発生したのでしょうか。人類の何万年かの歴史の間、姿を現すことがなかったのに、最近になって突然人間に取り付き、死に至らしめるというのは、何か理由がなければなりません。
 多くの学者たちは、もともと野生動物や家畜の体内に住み着いてほそぼそと生き延びていたものが、何かの要因で強い病原性を獲得し、人間に住み移ったものと考えています。
 ボクは、おとなしかった細菌やウィルスが凶暴化するきっかけは、彼らの住みかであった野生動物たちの生息環境が、人間の生産活動に伴う開発や汚染によって、悪化の一途をたどっていることと深く関わっているものと考えます。
 野生動物たちが追い詰められるということは、それらを寄生主として生きてきた細菌やウィルスにとっても、絶滅を意味するため、生命としてはそれを克服して生きる道を模索しなければならなくなります。
 こうした環境激変による適応への模索の中で、あるものは家畜や人間への移住を始め、その過程で人間環境近辺で棲息してきた病原性の強い細菌やウィルスと遭遇して、それらの凶暴性を取り込んで変化するものが現われたとしても不思議ではありません。
 地球上の生命圏は、人間を含めた多種多様な動植物やコケ類、微生物、ウィルスなど、膨大な生命たちがお互いに影響を及ぼし合って生きている巨大なシステムです。
 それを奢り高ぶった人間が勘違いして、地球はすべて人間のものであり何をしようと構わない、と思い込んでいるところに、根本的な誤りがあると言わざるを得ません。
 開発名目などによる森林の伐採、草原の縮小と砂漠化の進行、地下水のくみ上げ、温暖化による気候と生物相の激変、相次ぐ戦争による地球へのダメージ。
 地球が病んでいて、それも手の施しようがないほど重症であることに、世界の指導者たちは気付いていません。新たな感染症の出現は、生命圏が発するSOSであり、人類に進行停止を求める赤信号の緊急点滅なのだと思います。(4月4日)

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2003年3月

 <『時間の岸辺から』その27 安眠を失った社会> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「朝2時起きで、なんでもできる!」というタイトルの本があります。主婦から一念発起して、通訳兼環境ジャーナリストとして成功した日本の女性が、最近出版したものです。
 世の中でバリバリと活躍する人たちには、普段の睡眠は3時間もあれば充分、と豪語する人が少なくありません。長く眠るのはムダで怠惰なことであるかのような、「睡眠蔑視」の風潮が根強いのは、効率を優先する社会の宿命なのでしょうか。
 ボクは少年時代から少ない睡眠が苦手で、今でも8時間から9時間は眠らないと、翌日は頭がボーッとして何も考えることが出来なくなってしまいます。
 先月末、JR山陽新幹線の運転士が、時速270キロで運転中に突然、睡魔に襲われて眠ってしまい、無人運転の状態となった新幹線がそのまま8分間、約26キロを走り続けるという事故が起きました。
 JRなどの調べでこの運転士は、睡眠時無呼吸症候群(SAS)にかかっていたことが分かりました。就寝中にひんぱんに無呼吸になるため、いつも眠りが浅く、昼間に猛烈な眠気に襲われる重い睡眠障害です。肥満の人に多い一種の現代病で、治療が必要な患者は、日本だけで200万人とも250万人とも言われ、自分がこの病気であることを知らない人も多いと見られます。
 これほど重症でなくても、日本人の5人に1人が不眠症状に悩んでいて、15歳から39歳までの青年・壮年層では4人に1人が不眠で苦しんでいるという調査結果があります。不眠の背景には、過剰な情報洪水、消費欲を煽るさまざまな刺激、複雑な仕事上の悩み、人間関係のストレスなど、現代が抱えるさまざまな問題があります。
 最近では、睡眠についての研究が進み、人間に必要な睡眠の80%が、昼の間に膨大な情報処理にあたった脳を休めるためのもので、残りの20%が脳以外の体を休めるためのものであることが、分かってきました。
 この睡眠の間に、昼間の間に見聞きしたり体験した記憶が、脳の1次メモリーから取り出されて整理され、恒久メモリーの方に移し変えられていることも分かってきました。夢を見るのは、この記憶の移動とリセットに関係がある、と見られています。
 「世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く」という言葉があります。床に就く時に唱えるおまじないで、昔の人たちは安眠がいかに楽しく幸せなものであるかを、よく知っていました。
 右肩上がりの経済成長が終った今、ボクたちは人生の3分の1を占める睡眠の価値を根本から見直し、快適な睡眠を取り戻すために、官民上げて環境づくりと対策を講じる必要があるのではないでしょうか。
 眠ることが最高の幸せであると感じられる社会こそ、起きている時の活力が最大限に発揮される社会なのだと思います。(3月31日)

 <ようやく春が来て桜が咲き、サヨナラダケガ人生ダの深い洞察> 
 長かった今年の冬。それは去年の秋がなかったことに始まりました。10月上旬まで続いた夏の残暑が引いていくのと入れ替わりに、10月下旬から一気に冬がやってきて、5カ月間も日本に居座り続けました。
 去年と違って、今年の2月3月は寒かったですね。ようやく東京でも昨日、ソメイヨシノが開花して、春らしい暖かさになりました。
 まさに Spring has come. と口に出して言いたくなります。
 言葉を口にすると言えば、この時期、最もよく引き合いに出されるのが、西行の「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と、もう一つは、于武陵の漢詩「勧酒」を井伏鱒二が名訳した「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」です。
 対訳の形で、見てみましょう。
 勸君金屈巵  君に勸む金屈巵     コノサカヅキヲ受ケテクレ
 満酌不須辞  満酌辞するを須いず   ドウゾナミナミツガセテオクレ
 花發多風雨  花發けば風雨多し    ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 人生足別離  人生別離足る       「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 井伏鱒二の訳は、ほれぼれするような文章で、7 5 7 7 7 7 7 5 と快いリズムを持っているため覚えやすく、つい口にしたくなります。
 原詩そのものが、はっきりした起承転結の構造になっていて、転の「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」が、咲いたサクラに容赦なく吹き付ける風雨に、いつ暗転するか分からない人生の険しさと厳しさを重ね合わせます。
 結の「サヨナラダケガ人生ダ」では、いま生きていることの不思議さと、すべてのものがいずれ終って消えていくことへの、深い覚悟が込められています。
 逢うは別れの始め。生を受けたものは、必ず死ぬ。どんなものでも、同じ状態がいつまでも続くことはあり得ない。
 井伏鱒二は原詩の上に無常観を重ねることによって、「だから今のこの時こそ飲もうではないか」という心境を超え、生への愛惜と諦観を格調高く歌い上げた絶唱に作り変えた、と言えるでしょう。
 若くて無謀なころは、「サヨナラダケガ人生デハナイ」と心の中で反論していたボクも、やはり「サヨナラダケガ人生ダ」の境地がよく分かるようになってきました。(3月28日)

 <アメリカへの怒りと抗議を込めて、Webストライキの不安とドキドキ> 
 アメリカなどのイラク攻撃に抗議して、このホームページ「21世紀の歩き方大研究」は21日午後3時から、史上初(?)のウェブ・ストライキとして24時間時限ストに突入。さらに23日午後3時から第2波の24時間ストを決行し、さきほどスト解除をしたところです。
 自分のホームページを閉鎖し、スト決行中の表紙だけにするという、ウェブ・ストライキを思いついたのは、2月中旬でした。国連安保理でフランスのドビルパン外相が、武力行使に反対する歴史に残る名演説を行い、世界の反戦運動に火をつけたころでした。
 しかしながら、ウェブ・ストライキは何がしかの意味を持つのか、へたをすれば世界に向けて言論を発信しているホームページの首根っこを自ら絞める結果になりはしないか。ボク自身もさまざまな迷いがあり、なかなか踏み切るには至りませんでした。
 たかがウェブされどウェブで、ストライキそれも政治ストとなると緊張します。矮小化された自己満足に終るだけではないのか、という不安もありました。街頭で行われているピースウォークなどに参加するのが本筋ではないか、とも考えました。
 かつて60年安保の全国統一ストライキの日に合わせ、全国津々浦々で小さな商店が軒並みシャッターを下ろし、安保反対の意思表示をしたことがあります。ボク自身も学生の頃、大学管理法反対の全学ストを行った思い出が鮮明です。
 「敵」にとって直接の打撃にならなくとも、政治ストというのは意思表示をすることに意味があります。ウェブの一つの表現形態として、またウェブが発信するコンテンツそのものとして、ストライキを位置付けられるならば、それもウェブの可能性というものではないでしょうか。
 そうこうするうちに、アメリカはついにイラクへの侵略戦争に突入。ボクは怒りを表現出来る精一杯の手段として、ウェブ・ストライキの決行を躊躇している余裕はありませんでした。
 労組も学生たちも、日本ではスト離れが目だっているだけに、ウェブでのストライキはむしろ古典的なストライキの手法を反映させて、いかにも古き良き時代のストライキを彷彿とさせるものにしました。
 盾看板を思わせる「スト決行中」のタイトル画面。古色蒼然たる「ストライキ宣言」と「シュプレヒコール」。第1波、第2波という古典的なストライキの打ち方。これらは、パフォーマンスと言えばそうですが、ストライキの雰囲気をなんとかウェブで表わしたかったのです。
 第3波のウェブ・ストライキは17日午後3時から。イラク侵略戦争が終るまで、波状ストは続きます。みなさんも、それぞれが出来る形で、抗議の意思表示を続け、連帯していこうではありませんか。(3月24日)

 <イラク侵略戦争を始めたブッシュとアメリカ国民への、軽蔑と恩讐> 
 戦争狂いのブッシュアメリカは、国際世論の圧倒的な反対を振り切って、ついにイラクへの違法で犯罪的な侵略戦争を開始しました。国連を無視し、高まる反戦の国際世論に背を向けた、米国史上最悪の戦争です。
 ボクは戦争の成行きや結果いかんに関わらず、もはやアメリカという国を一生許すことは出来ません。それは、ブッシュを取り巻く新保守主義者といった戦争の仕掛け人たちだけに対して言っているのではありません。
 こうした無法でならず者の指導者を生み出し、イラク攻撃を熱狂して歓迎しているアメリカ国民すべてに対して、ボクは決して許すわけにはいかない気持ちです。ブッシュの暴走にブレーキをかける責任は、第一義的にはアメリカ国民にあります。
 ボクは今後どんなことがあっても、アメリカ製品は買わないことに決めました。USビーフもフロリダ産グレープフルーツも、もう買いません。アメリカへの旅行も一生するつもりはありません。
 一般人であろうと民間人であろうと、アメリカ人であればボクは激しく憎み、心底から軽蔑します。ブッシュを支持し、この戦争を容認もしくは黙認した責任があるからです。
 イラク戦争後、アメリカがどんなにきれい事を並べようと、ボクは一切信用しません。たとえ、たまに正論を言ったとしても、それがアメリカの言うことであるならば、ボクはそれだけで反対します。
 理性に基づく思考や対話、話し合いをことごとくぶち壊し、他国の言うことに耳を傾けず、なり振り構わぬ一国主義で世界を自分の思うがままに仕切り、自分たちの価値観を世界に押し付けようとしたアメリカに、いまさらどんなコトバがあるというのでしょうか。
 日本国内で、アメリカ人の姿を見たら、ボクは心の中でつばを吐きかけ、心の中で短刀を抜いて彼らの左胸を力任せに突き刺すつもりです。日米友好なんて、クソ食らえです。
 これまで温厚を自認していたボクでさえ、このような気持ちにさせてしまったのですから、これまでもアメリカを憎んできた人々の怒りはただごとではないものと察します。
 イスラム原理主義の過激グループや、アルカイダなどのテロリストたちは、燃え盛る恩讐の念を必ずや、アメリカへの大規模テロとして立て続けに実行していくに違いありません。
 圧倒的な軍事力で、世界の秩序とルールをぶち壊し始めたアメリカは、世界と地球を壊滅状態に追い込み、人類絶滅への葬送行進曲を奏でていることに、決して気付くことはないでしょう。(3月20日)

 <『時間の岸辺から』その26 知らぬが親子> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「知らぬが仏」という言葉があります。周囲がみな知っているのに、当の本人だけが知らないで平然としているような場合、軽いからかいのニュアンスを込めて使われることが多いようです。
 しかしこの言葉は、「知ればこそ腹が立ったり心が乱れたりするが、知らなければ仏のように平穏な境地でいられる」というのが本来の意味です。
 日本では先日、厚生労働省の生殖補助医療部会が、夫婦以外から精子や卵子、受精卵の提供を受けて生まれた子どもが15歳になった時、遺伝上の親を知る権利を認めることを決めました。
 提供者の氏名や住所などの情報を、公的機関が一元的に管理して、子どもからの開示請求に応じようというもので、今後さまざまな問題点を整理して態勢を整え、15年後くらいには実施する方針です。
 日本では、夫以外の男性の精子で妻が子どもを産む非配偶者間人工受精(AID)が、すでに50年以上も実施され、生まれた子どもは1万人以上にもなっています。
 こうして子どもをもうけた夫婦の9割以上が、子どもが成長しても事実を話さない、としています。提供者の方も、「困っている人の役に立てるなら」と軽い気持ちで応じている人がほとんどで、後々のことまでは考えていません。
 今回の方針では、事実を話すことを強制してはいませんが、プレッシャーと感じる夫婦は少なくないでしょう。
 15歳といえば、最も多感で傷つきやすい年頃。そんなある日、自分が生殖補助医療で生まれたことを知らされ、遺伝上の親を知る権利があることを告げられたら、その子が受ける衝撃ははかり知れません。
 遺伝上の親の名前や住所を知ったとして、そこから先、どういうことになるのでしょうか。知ったからにはまず尋ねて行って会いたい、と思うのが自然でしょう。
 しかし、会うことを拒否されたり、会ってくれても「親子の関係ではない」と冷たくあしらわれたら、子どもの気持ちはズタズタに切り裂かれてしまいます。育ての親との関係がどうなるのかも、大問題です。
 ボクは、子どもが遺伝上の親について知る権利を認めるならば、「知らないでいる権利」もまた、制度として確立する必要があるのではないか、と考えます。
 DNA鑑定をやれば、親子関係の有無は明白になるとはいえ、戸籍上の両親が事実を教えず、子どもの方も自分は両親の子だと信じ込んでいる場合にまで、あえて目覚めさせて「知る権利」を吹き込むことは、避けるべきだと思います。
 何も知らずに成人して、そのまま一生を平穏に終えていくことが出来るならば、それこそ真の意味での「知らぬが仏」。なまじ知ってしまって苦しみ続けるよりは、ずっと幸せな人生ではないでしょうか。(3月16日)

 <タマちゃん捕獲のおせっかいと、ブッシュの妄想的独り善がり> 
 横浜市の帷子川で11日、「タマちゃんのことを想う会」と名乗る市民団体のメンバーが、アゴヒゲアザラシのタマちゃんを捕獲しようとした騒動には、あきれてしまいました。
 捕獲してオホーツク海に放してやるのがタマちゃんのため、という自分たちの価値観、信念、思い込みの前には、すべてが見えなくなり、役所に虚偽の届け出をすることも許されて当然、という独善的な開き直りが悲しい。
 おせっかいを絵に描いたような偽善と独り善がりですが、実はボクたちのまわりには、これに似たことがあちこちで行われているのですね。「ゆとり学習」もそうでしたし、地域振興券もそうでした。
 インフレ目標を設定すれば、インフレになる前にモノを買っておこうという消費者がドッと増えて、景気が上向きになるだろうなんて論者たちも、大きなお世話です。
 デパ地下で買うお惣菜を、3重、4重、5重にも包装しまくって、中身を出した後はゴミの山になってしまうのも、デパート側のおせっかい。専門店で買い物をすると、すぐにカード作成を勧められて、名前や住所を書かせられるのも、うざったい。
 タマちゃん騒動で、とっさに思い浮かべたのは、イラク攻撃こそがアメリカにとっても世界にとっても正義と信じて疑わないブッシュのアメリカです。神の信託を受けたアメリカが、イラクを支配する邪悪を打ち破って中東全域を民主化するのだ、という盲目的な使命感の恐ろしさ。
 そういえば今回のタマちゃん騒動でも、アメリカの動物保護団体のメンバーが捕獲実行部隊として加わっています。そのアメリカ人のメンバーが「日本に捕獲反対の人がいるとは知らなかった」とは、なんというお人よしというかノーテンキです。
 こうしたノーテンキなアメリカに、世界中が振り回されるのは、いいかげん止めにしようではありませんか。おせっかいなアメリカは、直ちにタマちゃん捕獲ならぬフセイン打倒の戦争を断念し、イラク周辺に終結した米軍部隊の撤退に踏み切るべきです。
 国際社会の監視の下で、イラクへの無期限査察を継続することで実質的な武装解除を押し進め、自らは名誉ある全軍撤退を宣言する。それならば、仏独露中を始め世界中がアメリカの歴史的勇断に拍手を惜しまないでしょう。
 ま、アタマの悪いブッシュには、そんなことは望むべくもありませんが。(3月12日)

 <人類は理性と叡智の力によって、狂気のイラク戦争を阻止せよ> 
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には亡びぬ。偏に風の前の塵におなじ。遠く異朝をとぶらえば、秦の趙高、漢の王蒙、梁の朱い、唐の禄山、亜米利加の不殊、これらはみな旧主先皇の政にもしたがはず、楽しみを極め、諌めをも思い入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間のうれふる所を知らざりしかば、久しからずして亡じにし者共なり。
 いよいよ血迷ったアメリカと愚かなイギリスは、安保理での修正決議が採択されようがされまいが、イラク攻撃に突っ走る決断を固めたようです。ことここに至って、世界は21世紀の地球を破滅に導く侵略戦争を止めるすべがないのでしょうか。
 武力攻撃と簡単に言うけれども、イラクの国民それも罪のない一般の人たちが、何十万人も殺されることを意味しています。負傷者は100万人を超え、難民は数百万人に上るでしょう。
 どんなに米英が御託を並べようと、これだけ多くの人間を殺さなければ達成出来ない「正義」は、もはや正義ではありません。それは国際法に違反し、国連憲章にも違反する犯罪行為です。
 アメリカの国内で、ブッシュやラムズフェルドの狂気を食い止める正気は存在しないのでしょうか。アメリカ国民は、自分たちの豪奢な生活さえ確保出来れば、どこの国で何十万人殺されようが知ったこっちゃないのでしょうか。
 ロシア、フランス、中国、ドイツは、この期におよんで、戦争を食い止める具体的な行動に出なければなりません。安保理での決議を通さないだけでなく、理性ある国々が一致して、開戦を阻止する方策を講じる必要があります。
 アメリカは、どうせ戦争に勝てば、反対していた国も支持に回る、とタカをくくっているようですが、国際社会もずいぶんなめられたものです。
 露仏中独らが結束して国連とともにイラクの武装解除を手伝い、その代わりに米英の攻撃を食い止める、という安全保証を行う道もあります。
 世界はいま、理性と叡智が勝つか、武力と狂気が勝つかの瀬戸際です。米英の侵略戦争が大手を振って闊歩するような世界には、もう住んでいたくありません。
 アメリカが一日も早く没落と衰退、分裂と滅亡の道に向かうことを心底から祈らずにはいられません。(3月8日)

 <『時間の岸辺から』その25 大草原から来た横綱> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 かつて外国人として初の横綱になったハワイ出身の曙が、日本語もほとんど分からない状態で弟子入りしたころの話です。
 日本では、「もしもし」と電話がかかってきたら「かめよ」と返事することになっている、と意地悪な先輩たちから教えられ、曙は「もしもし」「かめよ」のやり取りを、電話口で本当に実行し続けていた、というのです。
 外国人が相撲部屋の門をくぐって一人前の力士になっていくには、日本の習慣や相撲界のしきたりに戸惑いながら、異国の言葉を覚えていかなければならず、その苦労たるや筆舌に尽くしがたいことでしょう。
 先月の大相撲初場所で、モンゴル出身の朝青龍が2場所連続の優勝を果たして横綱に昇進しました。その同じ場所で横綱貴乃花が引退したことから、ハワイ出身の武蔵丸とともに、2人の横綱は外国人が占めることになりました。
 朝青龍は、口下手な日本人力士よりも上手に日本語を話し、ボクは朝青龍が外国人力士であることをしばしば忘れそうになります。
 その朝青龍が横綱昇進後、初めてモンゴルに里帰りした時の様子をテレビで見て、ボクはすっかり驚嘆してしまいました。
 ゲルと呼ばれるモンゴル独特のテントの中で、エンフバヤル首相からモンゴル政府名誉賞を贈られた朝青龍は、丸いモンゴルの帽子と民族衣装をまとい、字幕がなければ日本人には分からないモンゴル語で、お礼の挨拶を述べています。
 さらに朝青龍は、お祝いに贈られた白馬にひらりとまたがり、零下12度という雪の大草原をさっそうと駆け回っているではありませんか。
 その姿はまさに騎馬民族の勇者であり、日本名の朝青龍ではなく、モンゴル人のドルゴルスレン・ダグワドルジの姿でした。
 外国出身の力士は、いまや11カ国から50人以上。うちモンゴル出身は31人で、ロシア、米国、ブラジルなどを引き離して最大潮流となっています。
 モンゴル旋風は、ほかの外国人力士にも大きな刺激を与えています。初場所では十両もモンゴル出身が優勝し、さらに幕下はグルジア、三段目がモンゴル、序ノ口でブルガリア出身がそれぞれ優勝し、日本人力士が優勝したのはなんと序二段だけでした。
 日本の相撲関係者の中には、こうした結果を嘆く声も多く、日本人力士にハングリー精神が欠如している、という厳しい指摘も少なくありません。
 ボクは、さまざまな出身国の力士たちが、日本人にはないスピードや取り口で面白い相撲を見せてくれるならば、大相撲人気も新たに盛り上がるものと、大いに期待しています。
 異なる祖国を持つ者が同じ土俵に立つ時、偏狭なナショナリズムは影が薄くなります。好成績を上げた外国人力士が里帰りして、国を挙げて喜び合う光景を見るのは、すがすがしいものです。
 土俵の丸さは、地球の丸さなのだと思います。(3月4日)

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2003年2月

 <戦争しか方法がないのなら、ブッシュはフセインと一対一で格闘せよ> 
 21世紀こそは、戦争のない世界であってほしい、という人類の悲願を嘲り笑うかのように、アメリカはイラクへの戦争を仕掛けようとしています。戦争のない世界というのは、所詮はきれい事であり、意気地なしの逃避なのでしょうか。
 そんなに戦争をやりたかったら、ブッシュとフセインの両大統領が、スタジアム付きの円形競技場の中で、一対一で格闘に臨んだらいかがでしょうか。拳銃などの飛び道具は禁止、使って良い武器は、国連が公認した短剣と槍、それに護身用の盾だけとします。
 まずブッシュ大統領の方から、これこれしかじかの理由により、宣戦する旨を読み上げ、宣戦理由として妥当かどうかを、全世界の18歳以上の人びと全てが判断して、ネットなどを通じて即座に集計します。
 宣戦布告の理由として根拠が乏しいと判断されたら、そこでブッシュの負けとします。その場合、米国は一切の言いがかりを捨てて、潔く撤退しなければなりません。
 妥当な理由があって戦争やむなし、と判断された場合は、ブッシュとフセインの格闘が始まります。審判は、安保理のすべての理事国です。格闘の様子は、世界中にテレビで生中継され、従軍記者たちは競技場の記者室から様子を見守ります。
 試合時間に制限はなく、どちらかがダウンするか白旗を掲げるかするまで戦います。途中、1時間経過するごとに10分間の休戦タイムが入ります。降参した相手に追い討ちをかけることは禁止です。
 ここでブッシュがフセインを倒した場合は、フセイン政権は総辞職して、ブッシュの要求する国内民主化に着手し、一定期限内に議会の総選挙と大統領選挙を行わなければなりません。フセインの出馬は認められません。
 逆に、フセインがブッシュを倒した場合は、アメリカは中東から一切手を引き、それらの国々でのCIAによるスパイ活動や破壊工作も出来なくなります。
 この格闘は、それぞれの国家の名誉と国益がかかっているため、ブッシュもフセインも死力を尽くして戦うでしょう。観客席は、両国の応援団や、各国政府の要人、軍事評論家、格闘技コメンテーターなどで満席となります。
 どちらかが死亡した場合は、勝者を表彰した直後に、敗者への追悼セレモニーが行われます。
 こうして、各国の指導者たるものは、戦争を仕掛けるにしても受けて立つにしても、日頃から武術の鍛錬が欠かせないものになります。どの国も、これまでの軍事予算を民生予算に振り向けていって、軍は災害に備えた最小限の組織として再編します。
 戦争を仕掛けたい指導者は、自らが戦わなければならないため、開戦に慎重になり、どの国も外交努力によって問題を解決しようと努力していくでしょう。一般の民衆が、戦争によって殺されたり傷ついたりすることはなくなるのです。
 こんな空想をめぐらすほかない今日このごろ。明日から3月。開戦の月となるのでしょうか。(2月28日)

 <手を握るだけで相手にデータを送信、それが切り開く驚異の世界> 
 二人の人間が握手をすることによって、片方の人間から相手方の人間にデータを送信する実験が、東京大学の研究グループで進められているそうです。
 体内を流れる微弱な電流にデータを乗せて、人間の身体を送信ケーブルとして使おうという試みで、すでに音楽データの伝達に成功して、相手方の身体に接続したスピーカーから音楽が流れ出した、というから驚愕ものです。
 この人体通信は、さまざまな可能性を秘めています。自分のメモリーチップにあるデータを、相手の手に触れるだけで、相手方のメモリーに移すことが出来るようになり、それも膨大な画像データや動画データの転送も可能になっていくでしょう。
 新たなセクハラも発生しそうです。上司に指示されてパソコンで作成したデータを、確実に転送してほしいという理由で、不必要に長い間、女性社員の手を握って離さないオヤジが、どこの会社でも出てくるでしょう。
 逆に、データ転送をするつもりは全くなかったのに、恋人同士がちょっとキスをしただけで、重大な社内機密データが相手のメモリーにコピーされてしまった、という事態も発生します。
 2020年代には、コンピューターと人間の脳を直接結ぶことが可能になる、という科学予測がありますが、それと人体送信が融合した時に、どのようなことが起こるでしょうか。
 ノーベル賞受賞者の頭脳の中にある知識や思考の蓄積を、握手するだけで別な科学者の頭脳の中に、直接送り込むことが出来るようになるのも、夢ではありません。
 これが一般市民レベルにまで普及してくると、教育は根本的に様変わりするかも知れません。IQや頭脳の特性によって、区分けされた集団ごとに、教師が生徒たちの手を握って歩くだけで、授業内容が確実に生徒の頭の中に入っていくでしょう。
 クラスの全員が輪になって手を繋ぎ合い、教師がその輪に手を触れたとたんに、特定のテーマについて全員が、共通の知識と思考、意思を共有することが出来るかも知れません。
 ビジネスの場などで異性と握手した瞬間に、心の隅にある下心がバッチリと伝わってしまい、「まあ、いやらしい」と言われて商談がつぶれたり、意気投合してそのままホテルに直行したり、人間関係はスリルに富んだものになりそうです。
 そうなると、自分の脳のデータの流出をガードするソフトが作られて、自分の体内にインストールする、なんてことや、そのソフトを破壊するウィルス、さらには脳そのものを破壊するウィルスが、触り魔によってばらまかれたり。
 世界は大きく様変わりすること間違いなしですね。(2月25日)

 <雨水から啓蟄までの今が早春譜の心、イラクの人々の春は…> 
 ♪ 春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず
 ♪ 氷溶け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も 雪の空
 ♪ 春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か

 早春譜(吉丸一昌作詞、中田章作曲)の歌詞とメロディーが、いまほど切実に身に沁みる時期はないでしょう。年明けてすぐに新春だ迎春だと言っても、それは新年の挨拶言葉に過ぎず、春が近いとは誰も思っていません。
 2月になって、節分と立春がやってくると、心はときめき始めますが、まだ春には遠いことを、ボクたちはみな知っています。暦の上で春といっても早春の実感はなく、寒さがつらい時期です。
 しかし2月も19日となり、24節気の一つ、雨水を過ぎたころから、ボクたちはどんなに目をつぶってみても、コートの襟を立ててみても、日の光がもう春になっていることを、否定しきれなくなります。春の光ではなく、光の春。
 次の24節気は、3月6日の啓蟄です。このケイチツという言葉の響きに、ボクは少年の頃から、エロチックな想像をかきたてられて、清純な女の子の春のうずきを連想したりしていました。
 妄想を振り払って現実に戻ると、雨水から啓蟄までの半月間こそが、早春譜の心を最も如実に実感する時期なのですね。とくに3番の歌詞ほど日本人の春を待つ気持ちを見事に言い表わしているものはありません。
 まことに、「春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か」。一日ごとに遅くなっていく日の入り、そして一日ごとに長くなっていく昼の時間が、ボクたちの気持ちを一層、落ち着かなくさせます。
 今年の冬はいつになく寒く長かったことも、春を待つ気持ちを増幅しているのでしょう。去年10月上旬まで続いた残暑が収まると、入れ替わりに初冬の便りが各地から続いて、そのまま冬が居座り、去年は秋がありませんでした。
 イラクの人びとは、今年の春をどんな思いで迎えようとしているでしょうか。砂漠地帯では3月後半から砂嵐の季節に入り、そのまま40度を越す酷暑の季節となることから、米英のイラク攻撃はその前に始まるという見方があります。
 春がやって来るまでに、国際世論の力と独仏ロ中を始めとする国々の努力によって、国連の査察を継続させ、アメリカの醜くも恥知らずな戦争狂いの一味を孤立させ、イラク攻撃を諦めさせて軍の撤収にまで追い込むことが出来るでしょうか。
 イラクの人びとのことを思う時、ことしの春が一刻も早く来てほしいような、逆に一刻でも春の訪れが延びてほしいような、複雑な気持ちになります。(2月21日)

 <『時間の岸辺から』その24 観光小国からの脱皮> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 ガッカリ名所という言葉があります。観光スポットとしてあまりにも有名になり過ぎ、実際に訪れた人たちが間違いなくガッカリする、という場所です。
 高知の「はりまや橋」はその代表格で、ガイドさんも「ここがガッカリ名所として知られる、はりまや橋です」と、先手を打っています。
 ガッカリ名所となる条件は、写真から想像されるよりも小さいこと、周囲の街並みや風景がパッとしないこと、作られた年代が新しくて歴史的な由来に乏しいこと、など。実体から離れたイメージを広めてしまうのも、考え物です。
 政府は今年2003年を「訪日ツーリズム元年」と位置付け、1月下旬に観光立国懇談会をスタートさせました。観光振興に実績を持つ全国の100人を観光カリスマに選定する作業も始めました。
 日本から海外旅行に出かける人は、いまや年間1600万人にのぼりますが、外国から日本を訪れる観光客は500万人程度で、受け入れランキングは世界35位の観光小国。この外国人観光客を2010年までに、年間1千万人に倍増させよう、というのです。
 そんなに多くの観光客を外国から呼び込んで、はたして満足して帰ってもらえるだろうか、とボクは心配になります。世界の観光地と互角に渡り合える京都、奈良はいいとしても、東京を始めとするほかの地域では、何を見てもらえば良いのでしょうか。
 「はとバス」が外国人観光客向けに作っているパンフレットを見ると、東京の新名所には、お台場、新宿高層ビル群、東京都庁、NHKスタジオパークなどが書かれています。昔ながらの東京名所としては、皇居二重橋、浅草雷門、東京タワー、国会議事堂が列記されています。
 アジアの国々から訪れた観光客は、新しい東京の姿に喜ぶ人が多いそうです。しかし、欧米からの観光客がどっと増えた時、はたして雑然としたコンクリート建築の群れに満足してくれるでしょうか。
 政府の観光立国構想を聞いて、各地でさっそくレジャー施設などのハコ物づくりや、自然を切り開く観光道路の整備に向けて、勇み立つ動きも出ています。しかし、こうした発想では、日本はガッカリ名所だらけということになりかねません。
 日本の新しい姿を求めてくる人も、伝統的な日本文化を求めてくる人も、訪れるすべての外国人に、ぜひとも立ち寄ってもらいたい場所があります。
 世界でただ一カ所、日本にしかないもの。日本を理解する上で欠かせないもの。それは、世界遺産にも指定されている広島の原爆ドームです。
 人によっては、不快な印象を持つ人もいるでしょう。それでも構わない、とボクは思います。年間1千万人の外国人がすべて原爆ドームの前に立ち、なにがしかの感情を抱いてくれるならば、にわか作りの観光スポットを駆け回るより、はるかに大きな意義があると思います。(2月17日)

 <花粉症は経済活性化の手段、決してなくならないという見通し> 
 各地で梅が見ごろを迎えているこのごろは、花粉症の人たちにとって、長くつらい季節の始まりです。街中でも、花粉防止のための立体マスクをつける人たちが目立つようになってきました。
 花粉症の背景には、杉に偏重した戦後の林野行政の失敗と、海外からの安い材木に太刀打ち出来ずに杉の手入れが放棄されてしまったこと、があげられます。これに、車の排ガスに含まれる微粒子が深く関わっていることは、多くの専門家たちの指摘するところです。
 毎年毎年、おなじようなことが指摘され、花粉症は国民的問題とされているにもかかわらず、抜本的な対策が講じられないのは、ボクが推察するに、大量の入院患者や死者がいまだに発生していないためだと思います。
 そのことが、花粉症くらい、という雰囲気を蔓延させ、2、3カ月我慢すれば花粉の季節は終る、と軽くみる状況を作り出しているのでしょう。花粉症で学校や会社を休む人は少なく、つらいながらもなんとか対策を講じながら日常生活を続けざるを得ません。
 ある日突然、全国で花粉症の重症患者たちが呼吸困難などで次々と病院に搬送され、何十人という患者が死亡するという事態になった時、政府や関係機関は初めて、重い腰を上げて、対策に乗り出すに違いありません。
 この国はいつだって、多くの犠牲者が発生してから、それもマスコミがなだれを打って書きたてて初めて、対策をとるための検討会議が開かれ、しぶしぶながら対応策が打ち出されるのが常なのです。
 人柱があってようやくお上が動きだすのが、あたりまえであって、犠牲者も出ていないのに過剰な対策を打ち出すのは、役所にとって越権行為とでもいう空気は、昔から変わっていません。
 それに、大きな声で言うのもはばかられますが、花粉症のおかげで、製薬会社や医療機関は、わずかなコストで莫大なボロ儲けをする季節を毎年保証され、花粉症サマサマではないでしょうか。
 ボクも毎年、花粉がピークに達する3月から4月にかけては、市販の鼻炎カプセルを飲まないと、とても乗り切ることは出来ませんが、こうした鼻炎カプセルは、デフレもなんのその、めっちゃ値段が高いのですね。
 製薬会社にしてみれば、花粉症の人たちは高くても結局は薬を買わざるを得ないから、安くする必要は全くないのです。
 もしかして、政府や製薬会社には、花粉症は経済活性化のために、そして国民の固い財布を緩めさせるために、なくてはならない社会現象という意識があるのではないでしょうか。
 花粉症が根絶された場合に、製薬会社や医療機関の収益がどれだけ落ち込むかという試算くらいは、当然どこかの研究所で作られているでしょう。また、根絶に向けて車の排ガス規制を強化した場合、メーカーや運送業界がどれだけ打撃を受けるか、という試算もあるでしょう。
 こうして考えていくと、花粉症はわざと放置されているのであって、大量の死者が出ない限りは、今後とも決してなくならない、という結論に達します。花粉症は人災であり、わざと泳がせておく病なのではないでしょうか。(2月13日)

 <12年で天空を巡る木星がしし座に近づいて、あの頃の日々> 
 いま日没直後の東の空に、ひときわ明るく輝いている星が、太陽系最大の惑星木星です。今年は「かに座」にいる木星ですが、来年は一つ隣の「しし座」に移ります。
 木星が太陽を回りを一周するのにかかる公転周期は、ほぼ12年。黄道12宮の星座を1年に1つずつ移動していくことから、木星は「歳星」とも呼ばれ、古来からすべての惑星の中で最も重要な地位を占めてきました。
 ボクが初めて木星の4つの衛星を天体望遠鏡で見たのは、中学1年の3月。木星は、しし座の1等星レグルスと並ぶ位置で、燦燦と輝きを放ち、それは早春の宵空の王者でした。
 木星を見ると、いつもその頃の自分のことが、つい一昨日のことのように、鮮やかに、そして夢のごとくに思い出されます。ボクは天文年鑑の「毎月の空」のページを、画用紙に丁寧に書き写し、机の前の壁に張っていました。
 中学生のボクはクラスが変わるたびに、そのクラスの素敵な女子を好きになって胸をときめかせていました。聡子さん、映子さん、照子さん、靖子さん…。
 そして、同じクラスでも同じ学年でもないのに、1年下の女子にどうにもならない恋心を抱いてしまった時が、ボクの初恋でした。美和子さん。あなたがこれを読んでいるはずもないけれど、あなたのことですよ。
 ラブレターを投函し、学生のうちは手紙を出さないで、という返事がきて、悶々としたうちにも高校時代が過ぎていって、大学に入ってようやく手紙のやり取りが出来たのに、ボクはいつしか学生運動にのめりこみ、あなたの手を握る機会さえありませんでした。
 歳月が巡り、木星はゆっくりと天空の黄道を巡って、再びしし座に戻った時には、もう音信不通の状態になっていましたね。12年の歳月は重く、濃密で、その間に起こったことも起こらなかったことも、もはや取り戻すことは不可能でした。
 あれから、木星は何回、天空をめぐったのでしょうか。12年が何回か重なって、ボクはもう若くはない年齢になってしまいました。
 いま、しし座の隣にいる木星を見ると、「歳星」という言葉の重みと無常に、魂がひれ伏すような思いで、立ちすくんでしまいます。
 初恋のあなたは、いまも時々夢に現われて、ボクを幻の中で幸せな気持ちにさせてくれます。その姿は、中学・高校生の時と同じ、三つ網みのお下げ髪。懐かしく話をしても、ボクはいまだに夢の中でさえ、あなたの手を握ることが出来ません。
 夢の中は無時間の世界なので、ボクもあなたも、年をとることなく、永遠の青春のままです。いつか夢の中で、あなたの手を握ってみたい、とドキドキしながら思っています。
 木星は、これからも天空をゆっくりと移り続けていくでしょう。来年か、その12年後か、木星がしし座にいる時なら、その秘めやかな願いが、なんだか叶えられるような気がしてなりません。(2月9日)

 <『時間の岸辺から』その23 TVが映らなくなる日> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 今年は、日本でテレビ放送が始まってちょうど50年です。その節目の年、テレビは今後のあり方をめぐって、業界やメーカー、関係機関を巻き込んだ大波の中で揺れています。
 それは、全国で1億台と驚異的な普及率を誇るテレビ受信機が、8年後にはどの局の番組も見ることが出来ない「ただの箱」になってしまうかも知れない、という深刻な話です。
 昨年末に政府は、現在の主流であるアナログ放送を2011年に打ち切り、それまでに日本のテレビをデジタル放送に完全移行する、という方針を決定しました。
 すでに一部がデジタル化しているBS(衛星放送)はもちろんのこと、50年間に渡って慣れ親しんできた地上波テレビも、すべてデジタル化してしまおう、というわけです。
 それに向けて今年12月から、東京など3大都市の一部の地上波テレビで、アナログ放送と併行してデジタル放送が始まります。
 2011年以降は、デジタル放送用のテレビに買い換えるか、デジタル受信チューナーを買い足さなければ、番組を見ることは出来なくなります。
 政府がデジタル化を急ぐ理由は、何なのでしょうか。
 総務省などによると、通信・放送の流れはデジタルにあり、他メディアとの互換性が実現する。デジタル化でチャンネル数を増やすことが出来、画質も音声も良くなる。クイズ番組への参加やテレビショッピングなど、双方向性を生かせる。放送時間に縛られずに、いつでも見たい番組を見られる、等々。
 しかしこうした理由付けは、国民すべてに手持ちのテレビを買い換えさせるだけの、説得力を持つでしょうか。画質もチャンネル数も今のままで結構、双方向性など不必要、という人たちは、まだ使えるテレビを買い換えることを、断固として拒むでしょう。
 カラーテレビが、視聴者の抵抗なしに普及していった大きな理由は、政府や業界が無理強いをせず、白黒テレビのままでも番組を見るのにまったく支障がなかったことです。
 デジタル化をするにしても、最低限必要なことは、アナログのままで良いという視聴者が、買い換えを強要されることなく、デジタル放送であってもアナログ放送として見続けるようにすることでしょう。
 ボクは、何もかもがデジタル化しなければ時代に合わない、とする昨今の風潮こそ憂慮すべきことで、危なっかしい気がしてなりません。アナログを残しておくことは、社会の安全弁としても必要なことのように思います。
 それに、こう言っちゃなんですが、今の日本でデジタルで見たい番組なんて、どれだけあるというのでしょうか。政府や業界がデジタル化を言う前に、見るに耐えない低俗で無内容なドタバタ番組を、公共の電波を使って垂れ流している現状こそを、どうにかしてほしいと思います。
 デジタル化について国民的議論を始めるのは、それからで充分です。(2月6日)

 <米シャトルの爆発は、地上の問題を解決できない人類への警告> 
 「横暴で傲慢な無法者国家アメリカに、神の天誅が下ることを祈る」と、この欄に書いたのは、4日前の1月29日のことでした。
 そのアメリカのスペースシャトル「コロンビア」が、帰還の途中で空中爆発を起こし、7人の乗組員が全員絶望とは…。ボクが祈りに祈った結果の天誅とは、これなのでしょうか。まさかまさか、南無阿弥陀仏。合掌。
 ボクが天誅を期待していたのは、戦争中毒、戦争狂いのブッシュ一味と、攻撃という劣情に勃起し続ける軍部、それを取り巻く右派強硬グループ、そして戦争が激しくなればなるほど儲けが止まらない産軍複合体です。
 それなのに、神が下した天誅の矛先は、戦争とは対極の方向にある宇宙開発の中軸でした。「コロンビア」には、初めてのイスラエル人が乗り組んでおり、神さまがシャトルを攻撃に向けた道具と早とちりしたのかも知れません。
 イスラエルといえば、先日の総選挙の結果、シャロン首相率いる対パレスチナ強硬派のリクードが圧勝し、和平推進派の労働党が惨敗という、中東和平を願う立場からすれば、まことに衝撃的なものでした。
 アメリカ、イスラエルはもとより、21世紀になってからの世界は、冷戦終結で一息ついた1990年代には考えられなかったような勢いで、右派強硬派勢力や国粋主義、民族主義勢力が、各国で支持を拡大し続けています。
 こうした世界的な異変の底流では、何かが起こっているに違いありません。下部構造の巨大な異変が上部構造に反映して、世界全体が右傾化し、強硬路線が広がっているものと考えます。
 ボクが思うに下部構造の異変とは、地球全体の生産力が行き止まりに達しつつあり、資源やエネルギーの観点からも、地球システム維持の観点からも、人類発展の限界が鮮明になりつつある、という点に尽きると思います。
 このことから容易に見えてくることは、生産力が限界となった時点で、世界は成長を放棄し、生活レベルを数十年前から100年前に戻さなければ、存続そのものが行き詰まる、という結論です。
 発展途上国にとっては深刻な問題で、先進国並みの近代化はもはや不可能、と宣告されるに等しいでしょう。一方の先進国も、自国の生産力をいかに維持出来るかが最重要の課題となり、自国優先・他国排除への傾斜が避けられません。
 広大な宇宙のさまざまな星で、地球以外の多くの知的生命体は、やはり同じような存続の危機に直面したことでしょう。おそらく大多数の知的生命体は、この危機を乗り越えることが出来ず、文明もろとも絶滅していったものと思われます。
 大変な努力と叡智、そして相当の幸運にも恵まれたごく一部の知的生命体は、文明最大の危機を乗り越えた後は、資源や生産力を宇宙空間へと拡大していき、想像を絶する高度な超文明へと発展していることでしょう。
 「コロンビア」の爆発事故は、神が人類に対して与えた重大な警告のように思います。人類は地上の問題を放置したままで、宇宙への進出を急ぐべきではない。まずは目の前に迫りくる破局を回避することに、対立を超えて総力で取り組みなさい、と。(2月2日)

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2003年1月

 <横暴で傲慢な無法者国家アメリカに、神の天誅が下ることを祈る> 
 もはや聞く耳を持たないアメリカに何を言っても無駄、結局はイラク開戦は避けられない、そんな無力感が世界を覆い始めています。国連の査察が延長されたとしても、いずれは期限切れとなって、アメリカはイラク攻撃に突入するでしょう。
 いまはなんとかアメリカを抑えているフランスも、最後は腰砕けとなって開戦やむなしとなり、ロシア、中国、そしてドイツでさえも、フセイン政権転覆後の利害や損得を考えて、アメリカ支持に寝返るか、暗黙の支持に回るかも知れません。
 こうなってくると、かつてのソ連を頂点とした社会主義諸国が、いかにアメリカに対して大きな対抗勢力となっていたかが、改めて分かります。いまや、アメリカがどんなに横暴で我儘で理不尽で無法者であっても、それを止める勢力は存在しません。
 このことは、人類が数千年に渡る長い試行錯誤と流血の上に、ようやく構築してきたすべての約束事と叡智を、ブッシュとアメリカの愚かしい野望によって瞬時に瓦解せしめ、人類に絶望とアパーシーをもたらします。
 世界なんて、どんなに理想的で偉そうな文言を何万語連ねて正論を説こうとしても、結局のところすべては武力、すべては軍事力。強大なパワーを持つものが常に正義であり、超大国が何万人いや何十万人を殺そうとも、それは正義となってしまうのです。
 アメリカによるイラク開戦が現実となった時、世界はアメリカのどんな言葉も信用しなくなり、自由も民主主義も平和も、アメリカの国益と産軍複合体の利潤追求のための、アメリカ基準でしかないことを知らされるでしょう。
 世界中の多くの人びとが、もはや外交や議会や制度や約束事の無意味さを知り、異なる価値観や異なる体制、異なる文化、異なる民族、異なる宗教など、さまざまな生き方を容認することが、まったく無価値だったことを知るでしょう。
 これからの世界を担うべき世界の青少年も子どもたちも、共生、共存、共栄などがいかに無力であるかを見せ付けられ、人の命なんて強い者の勝手な振る舞いで虫けらの如く踏みにじられるものであることを知るでしょう。
 各国の対応の鈍さもさることながら、アメリカによるイラク開戦阻止に向けた民衆の運動が、なかなか広がっていかないことも、アメリカの高飛車な姿勢を強めています。
 日本のマスコミはアメリカのご機嫌取りに終始していますし、野党、労組、市民運動も腰が重く、ほとんどが沈黙したままです。学者、文化人にいたったは、物言えば唇寒しで、みな貝のようになっています。
 ここまで状況が切迫してくると、アメリカに対して、強大な天罰が下ることを願う気持ちが、ボクの体内に怒りとともに沸沸と湧き上がるのを抑えることが出来ません。
 神の名を冒涜するアメリカの傲慢に対して、一日も早く天誅が下ってほしい。ボクのほかにも、心の隅でそんな思いを抱いている人々は、世界中に満ち溢れているのではないでしょうか。(1月29日)

 <『時間の岸辺から』その22 江戸時代のDNA> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 今年は江戸に幕府が開かれてから400年ということで、日本の新聞の正月企画には、江戸時代を今日の視点から検証する特集ページや連載ものが目立ちました。
 ボクが日本史を習ったころは、江戸時代といえば身分制度が厳しい封建社会で、貧しい町民や下級武士たちは生活苦にあえぎ、農村は窮乏を極めていた、というイメージでした。
 しかし近年は、さまざまな研究が進み、鎖国の中で260年も続いた江戸時代は、世界でも類を見ない循環型社会であり、植物エネルギーを無駄なく使い、リサイクルシステムが徹底していたこと、などが明らかになってきました。
 コンビニ、ファーストフード、グルメ、ブランド、ファッションなど、現代社会を構成しているさまざまな要素が、すでに江戸時代にあったことも分かってきて、21世紀の日本の方向性を江戸時代に見出そう、という議論も盛んです。
 こうした中でボクはふと、自分のご先祖たちは、その時代をどのように生きていたのだろう、と思いをはせます。ボクの父母、祖父母、曽祖父母、と逆にたどっていくと、江戸時代に生きたボクの遠縁に必ず行き当たるはずです。
 計算を簡単にするため、男女とも平均して20歳前後で子どもをつくってきたとすると、江戸開府からの400年間で、約20回の世代変わりが行なわれたことになります。そうすると江戸初期のボクの先祖は、2の20乗で、なんと100万人以上になります。
 1600年ころの日本の人口は1200万人で、江戸の人口は100万人程度だったことからすると、先祖を遡っていけばいくほど、重複している先祖が多くなって、実人数としては100万人をかなり下回るものと思われます。
 それにしても、気が遠くなるほど多くのボクの先祖たちが、江戸時代をしたたかに生き抜き、そのすべてが子どもをつくって育て上げた、という事実は驚嘆ものです。膨大な先祖たちの、だれか1人でも子どもを作る前に命を落としていたら、ボクの存在はなかったのです。
 言い換えれば、ボクの身体の中にあるDNAは、江戸時代の260年間に約13回の世代交代を経て、途切れることなく引き継がれてきた、ということです。これは、今生きているすべての人にも言えることで、奇跡に近いほど危なっかしい遺伝子リレーだったに違いありません。
 DNAという観点から江戸時代を振り返る時、それは今の自分に直結する、いとおしくも懐かしい時代として、鮮やかに蘇ってくる思いがします。
 もし、タイムマシンで江戸時代に行き、ボクの先祖のだれかを見つけたとします。
 「あなたさまはどなたで?」と不思議そうに問う、その男または女に、ボクは短い言葉をかけるのが精一杯でしょう。
 「本当にありがとう。どうかご無事で。そしてお子さんを大切にして下さい」(1月26日)

 <サハラ砂漠で感じた、生命のない世界への畏敬と砂の妖しさ> 
 モロッコ旅行のハイライトは、サハラ砂漠に踏み立つことでした。そこにたどり着くためには、モロッコを南北に分断する険しいアトラス山脈を越える必要があります。
 ボクたちの前日に出発したグループは、降雪のためバスによるアトラス越えが出来ず、すべて引き返して1日遅れで峠越えに出発していました。ボクたちは、当初の予定とは違うルートでアトラスを越えて、エルフードという砂漠の町に入りました。
 そこで一泊して翌朝午前4時に起き、真っ暗な中を四輪駆動車に乗って、走り続けること1時間余り。周りはすでに草木1本ない岩砂漠で、道らしい道のない中を、ひたすら疾走していきます。
 しだいに岩肌の上に砂が多くなり、四駆はしばしば砂で車輪をとられながら、エンジンをふかして突進。そのうちに、これ以上は四駆でも進めないという、広大な砂砂漠(すなさばく)が現われます。
 そこでラクダに乗り換え、夜明け前のサハラ砂漠をとぼとぽと歩いていきます。頭の中で、「月の砂漠」のメロディーが渦巻きます。
 ラクダは砂丘のなだらかな斜面を少しずつ登っていき、しばらくするとラクダも登れないほどの急斜面が現われます。こんどはラクダを降りて、徒歩で斜面を登ります。
 砂丘の尾根に着くと腰を下ろし、延々と続く砂漠を見渡します。東の空がしだいに赤みを帯びてきて、砂丘の色が変わっていきます。やがて、砂の地平線の一角が燃えるように輝きます。サハラ砂漠の日の出です。
 同じように不毛の地でありながら、岩砂漠とは違って、砂の砂漠はなぜこんなに人の心を引き付けるのでしょうか。その理由はズバリ、砂にあると思います。すべてが砂で出来た世界。砂しかない世界。砂だけで大地が続いていく不思議。
 サハラ砂漠の砂は、日本の海岸の砂などとは違って、微小といっていいほど小粒で、赤茶色の粉のような感じです。見えている範囲だけで、いったい砂粒の数は、どのくらいの数になるでしょうか。宇宙全体の星の数とどっちが多いでしょうか。
 砂漠は死の世界と言われることが多いのですが、にもかかわらず、そこにたたずむ時、ボクたちは大きな感動を覚えます。
 巨大で果てしなく広がる非生命への畏敬。非生命にもかかわらず、風や砂嵐によって常に表情が変わり続け、あたかも砂漠全体が何かの意志を持っているかのように流動する砂たちの、非固定の妖しさ。
 砂漠は、生命と非生命をきっぱりと隔てるかのように見えます。しかし生命自体、長い時間をかけて非生命から発生しており、個としてのボクたちも死ねば、非生命として散っていきます。
 サハラ砂漠に立って感じたことは、生命と非生命の垣根は以外に低く、実は隣り合わせなのではないか、という茫漠とした悟りのようなものでした。(1月22日)

 <モロッコを旅して思う、喧騒と活気溢れる非西欧の魅力とパワー> 
 10日間ほどかけて、モロッコを旅してきました。なぜいま、モロッコへ行きたくなったかと言うと、西欧近代文明の行き詰まりで世界が窒息しかけている現代に、別の価値観で生きている国を歩いてみたくなったのです。
 モロッコはアフリカ北西部に位置し、日が没する大地、という意味のマグレブ諸国の中でも、最も西に位置します。日出ずる国の日本とは対照的です。
 そこはいったい、どんな国なのか。ボクが抱いていたモロッコは、『知りすぎていた男』や『カサブランカ』、そして『アラビアのロレンス』のロケが行われた地という、映画がらみのイメージしかありませんでした。
 今回、訪れたのは、旅行者が迷い込んだら出ることは不可能と言われる迷宮都市フェズ、アトラス山脈、サハラ砂漠、エネルギーと熱気で沸き返るマラケシュ、カサブランカ、いまも人びとが暮らす多くのカスバなど。そこは、見るものすべてが、驚きの連続でした。
 とりわけボクが引かれたのは、それぞれの都市の中で古い壁に囲まれたメディナと呼ばれる旧市街の喧騒と、その中核をなすスークと呼ばれる雑然とした市場の活気です。
 車が通れる幅はなく、荷物を運ぶロバと人間がすれ違うのがやっと。細く曲がりくねった通りの両側には、地元の人々の生活を支えるありとあらゆる物資が売られています。衣料品、日用品、化粧品、香辛料、食料品。生きたニワトリやウサギまで。
 道は、さまざまに枝分かれをしたり交錯したりしながら、網の目のように広がっていて、その複雑さはガイドブックにも掲載不能なほど。そんな中で突然、小さなモスクやマドラサ(神学校)が現われたりします。
 ここはイスラム世界であり、公用語はアラビア語です。写真集か絵葉書でしかお目にかかったことのない、目だけを出して顔全体を黒いヴェールで覆った女性の姿は、普通の庶民の日常的な光景でした。
 モロッコには、西欧とも日本とも、またアジアの国々とも全く異なる、独特の文明が息づいています。しかしボクはそこに、なんだかとても懐かしいものを感じ、夢の中で何度も出会った幻の恋人に現実世界でめぐり合えたような、ときめきと興奮を覚えました。
 さまざまな民族や部族が、長い時間をかけて育て上げ、根付かせてきた文化と伝統は、近代化の荒波によって破壊されたり駆逐されることなく、いまなお生活の中に脈々と息づいています。
 モロッコの人びとがよく口にする、インシャラーという言葉があります。直訳すれば、「神が望むならば」。日々の出来事も、人びとの人間関係も、何かがうまくいくもいかないも、まさしくインシャラーなのです。
 利潤と効率を何よりも優先するアメリカ的市場主義からすれば、モロッコのような生きかたはなんともまだるっこく、イライラするほど非効率で非文明と映ることでしょう。
 しかし、21世紀をしたたかに生き残るのは、アメリカ的な生き方ではなく、むしろモロッコ的な生き方の方ではないか。そんなことを考えさせられたモロッコの10日間でした。(1月19日)

 <8月27日、地球に有史以来の大接近をする火星からのメッセージ> 
 イラク情勢や北朝鮮の動向など、多事多難の内外情勢に目を奪われて、まだほとんどのマスコミが取り上げていない今年最大級の出来事は、8月27日の火星の大接近でしょう。
 どのくらいの大接近かというと、21世紀を通じて最大の接近であること。さらに、天文年鑑によれば過去2000年を通じて最大の接近であり、最近の研究では、これほど接近するのはなんと5万7000年ぶりであることが分かり、人類にとっては有史以来最大の接近となります。
 ボクの少年時代にも、今回ほどではありませんが、やはり火星の大接近があり、天体望遠鏡で250倍に拡大した火星を見たことが、鮮烈な思い出として残っています。
 接眼レンズからのぞく彼方に、満月ほどの大きさで赤々と輝く火星を見た時、ボクは身震いするほどの懐かしさと同時に、ある種の恐ろしさにとらわれました。
 科学的な根拠とは別に、ボクは直感的に、そこに生命と意思の残照を感じました。生命があるにはあるのですが、進化に失敗した生命、あるいは進化の途中で挫折した生命、というような荒涼とした哀しみが伝わってきます。
 あるいは、知的生命にまで進化したのに、なんらかの原因で大気を失うことになり、ついに火星の生命圏そのものを死滅させてしまったという、取り返しのつかない物語の痕跡、といっていいかも知れません。
 火星の生命はどこまで進化したのか、そして進化の挫折の原因は何だったのか。生命の生き残りは、現在どこにどのようにして生きているのか。その進化と挫折の経緯を明らかにしていくことは、地球の生命にとって極めて重い意味を持っています。
 火星は、あまりにも性急に地球になろうとして失敗した惑星なのかも知れません。
 あるいは、弟分の地球より一足(数千年から数億年ほど)早く、知的生命が技術文明の爛熟期を迎え、文明の暴走をコントロール出来なかったか、最終戦争の抑止に失敗したかで、死の惑星となった可能性もあります。
 いずれにしても、火星は地球にとっての反面教師として、つまり2度と同じ道を歩まないように、宇宙がわざと作った地球への警鐘惑星と位置付けることも出来るでしょう。だとすれば、火星はボクたち地球の近未来の姿です。
 軍事暴走する超大国を抑える能力を世界が失った今年、火星が人類史上最大の接近をしてくるというのは、黙示録的な符合を感じます。ボクたちは、火星が発する沈黙のメッセージを、注意深く読み取る必要があります。
 地球全体が耳をすませ、目を凝らし、精神を研ぎ澄ませて、大接近する火星の意味を問うことでしか、人類は破局の危機から逃れられないような気がします。(1月8日)

 <今年の日本を動かす3つのセン、「鮮」「戦」「選」に未来がかかる>
 羊年は、日本国内でも海外でも、転換点となる出来事が多い年、とされています。
 前回の羊年は、1991年。この年は、欧米を中心とする多国籍軍がイラク攻撃に突入した中東湾岸戦争の年として、またソ連が崩壊した年として、ボクたちの記憶に生々しく焼きついています。
 今年2003年の羊年は、どのような出来事が待ち構えているのでしょうか。ボクは、日本社会の行方を大きく左右する今年のキーワードは、3つの「セン」にあるのではないか、と考えます。
 第1のセンは「鮮」、すなわち北朝鮮と朝鮮半島をめぐる動きです。戦後の日本は、目と鼻の先に位置する「近くて遠い国」北朝鮮に対して、意識的に関わりを避けてきました。
 こうした先送りが限界に達したのが、不審船事件であり、拉致問題でした。昨年9月の電撃的な日朝首脳会談と、その後の拉致被害者をめぐる衝撃の展開や、核開発問題は、ほんの端緒に過ぎません。
 今年は、政府も日本国民も、北朝鮮および朝鮮半島とどうかかわっていくべきか、日本は何をすべきであり何をすべきでないか、真摯で謙虚で冷静な判断が求められるでしょう。
 毅然とした態度を貫くべきだ、という原則論では振り出しに戻るだけです。もっと時代を俯瞰(ふかん)出来る位置から、考えていく必要があります。北朝鮮への対決ムードを作り出し、朝鮮人差別意識を煽る言説に流されてはいけません。
 第2のセンは「戦」、アメリカがイラクに仕掛けようとしている戦争の行方と、日本の対応です。もはや戦争を止めることは出来ないのではないか、というあきらめムードが、年明けてから急速に世界を覆っています。
 この戦争こそは、アメリカによる全世界に対する威嚇戦争の意味を持ち、共存と共生への世界の期待を、一瞬にして無に帰させる破壊力を持つものです。
 欧州もロシアも中国も豪州も、中東やアジアの国々も、アメリカの軍事暴走を止めることが出来ないとしても、それが出来る国が一カ国だけあります。それは、いまだに平和憲法を死守している日本です。日本の責任は、極めて重大です。
 そこで第3のセン、それは「選」です。今年は統一地方選挙の年であり、6月ころに総選挙が行なわれる公算も高くなっています。第1、第2のセンについて、日本がどのような道を取れるかは、この「選」にかかっています。
 むしろ、統一地方選挙も総選挙も、北朝鮮との付き合い方や、アメリカが仕掛ける戦争への対応について、最重要の争点として位置付けて、有権者に問うべきでしょう。これらの問題は、地方の自治体や住民にとっても、他人事ではありません。
 3つのセンを中心軸に展開していく、2003年。羊は未とも書きます。未年は、未来が重くかかっている年なのです。(1月4日)

 <未来への入場制限が近づく中、入場切符の独占を狙うアメリカ>
 2003年明けましておめでとうございます。
 アメリカによるイラク開戦前夜の緊張感と、核開発など北朝鮮をめぐる緊迫感、そして日本経済破綻への不安の中で、めでたさどころではない、という気もしますが、そんな年の初めだからこそなおのこと、現在起きていることを整理してみることが大切でしょう。
 一昨年の「9.11」同時多発テロをきっかけに、アメリカは凶暴な軍事暴走国家の本性を剥き出しにして、世界の改造に乗り出しています。アメリカに敵対する政権を武力で転覆させ、アメリカの言いなりになる従順な政権をつくることは、当然の権利であり使命だという論理です。
 ボクは、こうしたアメリカの軍事暴走の表面だけではなく、基底にある「下部構造」をしっかりと見据える必要があると思います。アメリカが、圧倒的な軍事力で確保しようとしている国益とは何か。
 それは、しだいに限界が見えてきたエネルギー資源、食料資源、その他諸々の地球資源について、アメリカ一国のみが優先的に確保するための、あらゆる手立てを構築していくことです。
 世界60億の人口は今世紀末には100億に達し、地球が支えきれる限界ラインとされる80億を突破します。化石エネルギーは底をついてきて、富や生産物の分配が大問題として浮上してきます。
 地球がこれ以上の人口を養うことが出来ないことが、誰の目にもはっきりした時、人類は「未来への入場制限」という、かつて経験したことのない重大な事態を迎えます。
 資源の枯渇と食糧生産の大幅縮小という事態が、今世紀中に訪れることを、アメリカは早くから察知し、世界的な危機の中でもアメリカだけは富と繁栄のレベルを維持して、「未来への入場チケット」を独占的に確保する、という不退転の決意をすでに固めたかに見えます。
 アメリカは、ほかの国がどんなに困窮しようが民衆が餓えようが、自国の利益を損なうことには今後とも決して応じないでしょう。一国が資源や富を独り占めしてしまえば、ほかの国々に回る分はなくなります。
 「地球全体が等しく衰弱し、滅亡に突き進むよりは、アメリカだけが生き延びて、人類の正統な後継者として未来へと進んでいく。それは、神から選ばれた特別の国として、アメリカの当然の権利であり、いな、責務でさえあるのだ」
 「いざ進もう、アメリカ国民よ。さらば滅びていく弱小国よ。これも自業自得、自己責任。気の毒だが、競争に敗れた方が悪いのだ」
 ボクは、こうしたアメリカの恐るべき国家的陰謀を打ち砕き、人類がそろって未来へと生き延びていくためには、世界の富と生産物について、新たな分配の原則を早急に確立する以外にないように思います。
 アメリカが再分配を拒否すれば、選択肢は2つしかありません。アメリカ一国だけが未来へ進む道と、すべての国が衰退していき一斉に滅亡を迎える道と。
 この究極の選択を突きつけられたら、あなたはどちらを選びますか。ボクはそのいずれの道も望みませんが、強いて選ばなければならないとすれば、後者の道を選びます。(1月1日)


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