新世紀つれづれ草



02年7月−12月のバックナンバー

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2002年12月

 <言葉への信頼喪失の中、救いは曽我ひとみさんの言葉に> 
 21世紀の2年目が暮れていきます。今年1年、何とはなしに、せわしなく過ぎていって、落ち着かない年だったように思います。いつも、何かが過ぎ去るのを待っているような、仮面をかぶった日々が来る日も来る日も続き、気付けばもう大晦日です。
 2002年は前年にもまして、言葉が力と生命を失っていった年でした。さまざまな虚言とウソによる偽装や不祥事が、言葉というものは決して信じてはいけないのだ、ということをボクたちに教えてくれました。
 言葉が勝負のはずのマスコミが率先して、言葉の重みをからかい嘲笑し、真摯に思索してぼくとつに意見を述べる人々に対して、軟弱者、売国奴、平和ボケ、テロの擁護者と、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ続けたことを、ボクたちは忘れません。
 人間がほかの動物と異なる最も大きな点は、言語をつかうことにあると思います。道具だけなら、ラッコやカラスでさえも使うことが出来ます。
 その言語が力を喪失したとなれば、ボクたちは何を頼りに生きていけばいいのでしょうか。武力や軍事力でしょうか。アメリカやイスラエルは「その通りだ」と言うでしょう。
 こうした時代に居合わせるボクたちにとって、出来ることは極めて限られていますが、まずは言葉の力を取り戻すことからやらなければなりません。お金も地位も武力もない圧倒的多数の民に出来ることは、自分の言葉を大切にし、自分の言葉で語ることです。
 北朝鮮に拉致されて帰国した曽我ひとみさんは、多くの日本人がとっくに投げ出してしまった日本語のやさしさと美しさ、その底知れぬ力をボクたちに示してくれました。
 圧倒的な感銘を呼び起こした、あの「今、私は夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます」のあいさつ文。修飾語のない素朴な言葉が、これほどの力を持つとは、日本に生きてきたボクたちには、衝撃的でさえありました。
 さらに、曽我ひとみさんが12月28日の母ミヨシさんの誕生日に読み上げた文章は、いかなる作家やジャーナリストも及ばない素晴らしい文章で、普通の人が使う普通の日本語が、これほどまでに生命力に満ち溢れていることに、深い感動を覚えます。
 とくにボクがすごいと思うのは、曽我ひとみさんは記者会見でもあいさつの場でも、自分の父母のことを、父、母と言わないで、「おとうさん」「おかあさん」と言うことです。
 自分の父母のことをみんなに向かって、おとうさん、おかあさんと言えることこそ、本来の日本語なのだと改めて気付かされます。それが、他人の前では、父、母と言うべきだという「マナー」をみんなが信奉し始めたころから、日本語は衰弱の道をたどり始めたように思います。
 ボクたちも曽我ひとみさんに勇気付けられて、言語の原点に戻って、言葉への信頼と力を取り戻していかなければなりません。
 言葉と武力と、どちらが強いか。その戦いに、世界の未来がかかっているといっていいでしょう。(12月30日)

 <カタカナ語が氾濫する原因は、大衆の分からない言葉を使う快感> 
 役所が作る事業計画書や白書、民間企業のプレゼンやリポートなど、昨今のカタカナ言葉の氾濫には辟易とします。こういう文章を作る人間は、よほど頭の良い人間か、よほど頭の悪い人間か、どちらかに違いない、と思っていました。
 さすがの国立国語研究所もついにプッツンと切れたのか、63の外来語について言い換え例を発表しました。「インフォームド・コンセント」は「納得診療」、「バリアフリー」は障壁除去、といった具合です。
 ほかにも、アウトソーシング、インキュベーション、オンデマンド、コンソーシアム、サーベイランス、スキーム、トレーサビリティー、ハーモナイゼーション、バックオフィス、フィルタリング、モチベーション、等々。言い換え例が、延々と続いています。
 意味ははっきりと分からなくとも、何となく感触で分かる気になる言葉もありますが、大半はチンプンカンプンで、言いたい文章の趣旨さえも掴むことが出来ません。
 日本語として定着しているわけではないカタカナ外来語が、なぜこれほどまでに使われているのでしょうか。使う側の言い分として、適切な日本語訳がない、ということが挙げられています。
 確かに、「インパクト」は「衝撃」とも違うし、「ライフライン」は「生命線」ではやはりおかしい。このように日本語になかった概念を言い表わす時には、使わざるを得ないケースもありますが、たいていのものは日本語で表現できるはずです。
 ではなぜ、役所も企業も民間の研究所も、生煮えのカタカナ外来語を過剰なまでに使いたがるのでしょうか。
 一つの理由は、カタカナ外来語を多様することによって、内容の薄さと貧弱さを覆い隠し、さも時代を先取りした最先端の事柄であるかのような、錯覚を起こさせる効果です。
 もう一つの理由は、多くの人々が知らないカタカナ語を使うことの快感であり、分からない人々が多ければ多いほど優越感に浸れる、というチンケなエリート意識です。
 そのためには、言い換えたり注釈をつけたりしてはいけないのです。「えっ、こんな言葉も知らないの。もはや常識だよ常識」。カタカナ語を使う人間は、決まってそう言います。
 国立国語研究所は、今後も半年に1回ずつ、50語程度ずつ外来語の言い換えについて追加で公表していくそうです。
 カタカナ語は分かる者だけが分かればいいのであって、愚かな大衆どもは分からなくて結構、という意識が使う側にこびりついている以上、カタカナ言葉は今後も氾濫し続けることでしょう。(12月27日)

 <『時間の岸辺から』その21 青いテント村> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 東京・上野の森は、数多くの美術館や博物館が集中している日本最大の文化ゾーンです。今年はプラド美術館展、ウィーン美術史美術館展、バルセロナ・ピカソ美術館展など、華麗な展覧会が多く開催され、ボクも何度か足を運びました。
 この地域の美術館を訪れる人たちは、いやがおうでも、ホームレスの人たちが青いビニールシートで作っているテント村の脇を通らなければなりません。上野の森は、都内有数のホームレスの生活拠点でもあるのです。
 ルネサンスや印象派の絵画に心を洗われ、若きピカソの才気に驚嘆して、感動の余韻に包まれながら美術館を出たとたんに、ボクたちはきれい事ではすまない青いテントの現実を突きつけられます。
 先日は寒風の中をテントの脇で、ホームレスらしい年配のおじさんが、ギンナンを売っていました。公園内で拾い集めたギンナンでしょうか。小さな紙につつんで一袋50円。美術館帰りの人たちは、みな足早に通り過ぎていきます。
 ホームレスの中にも、美術好きの人はいるでしょうに、目と鼻の先にある美術館に入ることもなかなかままならないのでは、などと考えてしまいます。
 文化の殿堂を自認する美術館・博物館の群れと、ホームレスの青いテントの群れ。この圧倒的な非対称の光景こそ、今の日本の現実を象徴的に物語っているのではないでしょうか。
 日本のホームレスは、2万4千人を超えてなお増え続け、年配の男性だけでなく、若者や女性、家族ぐるみのホームレスへと拡大しています。
 10月の失業率は、5.5%と過去最悪となりました。ローンを返済出来ない個人の自己破産も急増。今年間の破産申請者は20万人を突破して、これまた過去最悪となりそうです。
 中高年の自殺はこの1−2年で一気に増え、年間自殺者の総数は3万人。刑務所・拘置所の収容人員は、6万7千人にもなり、刑務所は35年ぶりに定員オーバーとなりました。
 その一方では、世界中の高級ブランドが、銀座や表参道に次々と店舗をオープンし、お金に余裕のある人たちを中心に、大変な賑わいとなっています。新しい丸ビルなどの高級レストランも連日、長蛇の列が出来ています。
 日本の社会は、明らかに「勝ち組」と「負け組」に2極化されつつあります。高度成長とバブルを支えてきた中流階層は崩壊が進み、その多くが負け組への編入の危機に立たされています。
 一握りの勝ち組による、勝ち組のためのニッポン。ボクたちが21世紀に期待していたのは、こんな社会を作ることではなかったはずです。
 青いテント村の人たちは、新年をどのように迎えるのでしょうか。ギンナン売りのおじさんは、モチ代くらいは貯めることが出来たのでしょうか。気温も世相も寒々とした中を、2002年は暮れようとしています。(12月23日)

 <中里村は、誤記された「雪国はつらいよ条例」を正式条例名に> 
 人間は、本当のことを言われると、怒るか笑うかどちらかです。新潟県中里村が、「克雪、利雪による活力ある村づくり」をめざして制定した「雪国はつらつ条例」が、中学公民の教科書で「雪国はつらいよ条例」と誤記されて紹介されていたという、落語のような話。
 これを知った村長ら村当局はカンカンに怒り、教科書会社に訂正を要求。このニュースは、新聞やテレビで面白おかしく取り上げられて、中里村はいまやカメルーンの中津江村とともに、日本で最も有名な村の一つになってしまいました。
 この誤記に思わず笑ってしまうのは、誤り方がこれ以上はないと思われるほど絶妙なシャレになっていて、「雪国はつらいよ」こそが何を隠そう本当のところだからなのです。
 豪雪地帯で雪との戦いに苦闘し続ける村人たちの悲哀を、これほど見事に表現した言い方はありません。「活力ある村づくり」という建前の言葉よりも、はるかに強く聞く者の心を揺さぶり、雪の深刻さを都会の人びとに知らしめる力を持っています。
 であるならば、村長の採るべき決断はただ一つです。村役場は村民たちの怒りが一段落したところで、記者会見を行い、会見場には東京の新聞社やテレビキー局、さらに外国通信社にも来てもらいます。
 100人を超える報道陣とテレビカメラ、ライトの放列の中で、村長はこう切り出すのです。
 「みなさまご承知のように、わが村の条例が、教科書に間違って掲載され、村民一同大きな怒りと困惑の日々が続きました。しかしながら、我が中里村は、村民挙げてこの事態を乗り切り、逆境を逆手に取ることでたくましく生き抜く道を選ぶことにしました」
 「すなわち、わが村は、雪国はつらつ条例の名称を改称し、雪国はつらいよ条例を正式名称とすることを決定いたしました。近々、臨時村議会に諮り、全会一致で可決される見通しであります」
 「中里村、雪国はつらいよ条例を正式名に」というニュースは、村長のユーモア溢れる前向きの決断として、世界中を駆け巡ることでしょう。村には各方面からの取材や視察団が殺到するに違いありません。
 民家に泊まって雪下ろしや除雪を体験するツァー、本物の雪だるまの全国への宅配、氷室に蓄えていた雪を真夏に食べる会、など克雪、利雪そのものを売り出して村のPRをすれば、人気沸騰でしょう。
 「雪国はつらいよ」というタイトルで小説や脚本、コミックなどを公募し、最優秀作は映画化あるいはテレビドラマ化するのも面白いでしょう。「雪国はつらいよ」フェアを開催して、豪雪の中で華やかにお祭りをやるのも案です。
 国内あるいは世界の豪雪地帯の町や村に呼びかけて、「雪国はつらいよ」サミットを開くのもいいでしょう。「雪国はつらいよ」を商標登録し、雪国はつらいよ饅頭や雪国はつらいよ弁当など、あらゆる面で活用しましょう。
 村を上げてこれらの事業に取り組むため、村長を本部長とする「雪国はつらいよ」プロジェクト推進本部を立ち上げましょう。雪道をすれ違う村民たちの合言葉は一つ。
 「雪国は」と言われたら、「つらいよ」と言うのです。(12月19日)
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 追記:いやあ、この話が本当になろうとは、驚きました。今朝の新聞各紙によると、中里村が出資している第3セクターが、全国から「雪国はつらいよ常例」の常文を全国から募集し、今回の騒動を逆手に取って村を積極的にPRしていくことを決めた、ということです。(12月23日)

 <天然痘撲滅の歴史的偉業を捨て、米国民に種痘を再開する危険> 
 人類はその叡智によって、天然痘という未曾有の病原菌を撲滅した、とWHO(世界保健機関)が高らかに宣言したのは、20年ほど前のことです。数千年に渡って人類を恐怖に陥れてきた一つの生物種を、地上から永遠に絶滅することに成功した人類史上特筆すべき大勝利、と世界中が興奮に沸いたものでした。
 勝利宣言に酔いしれた人類は、この時、致命的な間違いを犯してしまったのです。撲滅したはずなのに、アメリカやロシアは「研究用」と称して天然痘のウイルスを保管し、培養し続けてきました。
 保管した科学者たちにも言い分はあるでしょう。人類が打ち勝つことが出来た天然痘ウイルスを、さまざまな角度から深く研究し続けることによって、ほかの病原菌との戦いにも大きく貢献出来る、と多くの研究者が考えたに違いありません。
 後々の重大な影響などを考えることもなく、めったに入手できなくなった天然痘ウイルスを所持し続けることに、研究者としてのマニアックな喜びを覚え、何らかの大発見に結び付たいと考える者がいても不思議ではありません。
 もっと説得力を持つ理由は、万一、撲滅宣言にもかかわらず、何らかの原因によって天然痘が発生した場合、ワクチンを作るためには天然痘ウイルスそのものが必要不可欠だという、重大なパラドックスです。
 しかし何よりも本当の理由は、アメリカもロシアも結局は、他国の軍事施設や軍研究所、テロ組織などへの強い不信感があり、いつ生物兵器として使われるか分からない、という警戒心に取り付かれてきたことでしょう。
 こうして相互不信によって保持され続けてきた天然痘ウイルスは、9.11後の新しい軍事緊張の中で、撲滅宣言などなかったように、いまや公然と世界中にばら撒かれようとしています。
 ブッシュ大統領は、テロとの戦いのため、米国民に天然痘の予防接種(種痘)を実施すると発表しました。まずは政府要人や軍関係者、医療関係者らを対象として、ついで警察官、消防士などへと、とりあえず1000万人に接種をする方針といいます。
 しかし、これだけ大規模に種痘を行なうとなれば、ワクチンを製造する過程で、故意またはミスによってウイルスがもれてしまい、それが一人歩きを始めて取り返しのつかない拡散へとつながる恐れは、非常に大きいといえます。
 また種痘を受けた人から、免疫のない人たちへの感染の心配は、皆無と言い切れるのでしょうか。医療関係者の中に、ワクチンをもとに遺伝子操作を行なって、より強力な天然痘ウイルスを作り出してしまうような偏執狂が、混じっていたらどうなるのでしょうか。
 こうして人類は、叡智の集積による輝かしい天然痘撲滅の偉業を、自らの愚かさと猜疑心、偏狭と独善によって、浅はかにも踏みにじり、泥靴で捨て去ろうとしているのです。
 米国の種痘再開は、天然痘との戦いを反故にし、叡智の伝承に失敗した惨敗者の姿でしかありません。(12月16日)

 <ノーベル賞よりも難しいダンス、相手の女性を2度も転がした記憶> 
 ノーベル賞の田中耕一さんが、授賞式後のダンスをしきりに心配していた様子は、微笑ましいものでしたが、踊るのか踊らないのかが、マスコミの増幅によって、無理やりに国民的関心事にされてしまいました。
 結局、授賞式後の晩餐会では、ダンスは義務ではないことを確かめて踊らなかったとのこと。同時授賞の小柴昌俊さんも踊らなかったということで、せめて小柴さんの方は、あのでっぷりとした身体をくゆらせてユーモラスに踊ったらよかったのに、などと思ったりします。
 人前でダンスを踊るのは苦手というのは、日本人とりわけ中高年男性に共通したものかも知れません。日本人が踊るといえば盆踊りか阿波踊り、あるいは宴席での裸踊りくらいになってしまうのは、さびしいですね。
 ボクの学生の頃は、ダンスパーティーが盛んに行なわれていて、ダンスを踊れることはキャンパスライフにとって不可欠の素養でした。好き嫌いを言っている場合ではなく、多くの学生がダンス教室に通って、基礎的なステップを習ったものでした。
 ボクもダンス教室で、プルース、ジルバ、マンボ、チャチャチャ、ルンバ、ワルツなどをちょっとずつ習い、タンゴの初歩のあたりまでやったところで、実戦の本番に乗り込みました。
 当時のダンパは、街のダンス教室が主催するものから体育系のサークルが主催するものまで多種多様で、大学生や社会人の男女がおおっぴらに交流出来る数少ない場でした。
 女の子たちはみな、男性のリードを実に敏感にキャッチして、うまく足運びを合わせていて、リードが下手な男の子にも恥をかかせるようなことはしませんでした。
 ボクは女の子と身体を密着させるブルースやワルツが苦手で、異性を意識して心も身体も固くなってしまいます。むしろジルバやマンボなど、二人で勝手に動き回るようなものの方が気分的に楽でした。
 それほど多くもないボクのダンパ経験の中で、ボクはなんと踊っている最中に、パートナーの女の子をひっくり返してしまったことが、2度もあります。いずれの時もジルバで、女の子がくるりと回るところでボクの足がからまってしまったのです。
 転がしてしまった時は、もう何が何だか分からないほど恥ずかしく、女の子に平謝りでした。1度目はともかく、2度目も全く同じパターンで転がしてしまい、女の子は無言で立ち上がりボクは泣きそうでした。
 そんなことがあって、ボクはダンスからしだいに遠のき、その後は長い間、ダンスとも無縁の人生となってしまいました。いまはもう、ステップの基本もほとんど忘れてしまったかも知れません。
 夢のように華やかな舞踏会で、夢でもいいから、あこがれの女性と手を取り合って踊ることが出来たら、どんなに素敵だろうと思います。と同時に、ダンスが終わって別れる瞬間は、どれほど辛いだろうかと想像します。
 ダンスが終わっても、つらい別れに直面しない唯一の道は、踊りながら相手にプロポーズすることではないでしょうか。決してありえないそんな空想をめぐらしながら、心の中でステップを踏むのもまた、ほんのりと楽しいものです。(12月11日)

 <『時間の岸辺から』その20 2003年問題> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 3年前の今ごろは、世界中がコンピューター2000年問題の対応に追われていました。官民あげての対策が効を奏したのかどうか、結果的には心配されたほどの混乱は見られず、拍子抜けの形で終わったのは記憶に新しいところです。
 いま日本では、2003年問題というやっかいな難問に直面しています。
 簡単に言うと、東京の汐留、品川、六本木などで建設中の高層オフィスビル群が、来年相次いで完成し、東京ドームの広さの48倍にもなるフロアが一気に出現することで、ビルの過飽和が深刻な社会問題を引き起こすとされていることです。
 ボクはこれらの建築現場を遠くから望むたびに、なんだか見てはいけないものを見てしまったような、落ち着かない気持ちになります。夢の中によく出てくる「ありえないビル」を見上げたような、寒々としためまいさえ覚えるのです。
 ビルの建設ラッシュは、国鉄清算事業団が90年代に、旧国鉄所有地を大量に売却したのが始まりです。それを買った大手ディベロッパーは、土地を遊ばせることなく、資金を早く効率的に回収するために、ビルの建設を急ぎました。
 新たに出現するオフィスビルには、既存のビルに入っている企業が次々に引っ越すことが決まっています。空いたビルの方は別な企業に入ってもらうよう賃料を下げるなど、し烈なオフィス争奪戦争が始まっています。
 玉突き的にオフィスの移転が行われ、最後に中小ビルや立地が不便なビルが、空室となって残ります。これらのビルのオーナーは、資金が回収出来なくなるばかりか、地価の下落が負担となって存立の危機に立たされます。
 このことは、ビルに融資していた金融機関の不良債権を一気に増大させ、地価の下落は広い範囲に波及していくことが懸念されます。
 結局のところ、大資本による最新鋭の巨大ビルだけが勝ち残って、都市制覇の気炎を上げるのです。企業から去られてスラム化の憂き目を見る中小ビルは、自助努力を怠ったのが悪い、と冷ややかにあしらわれ、地価下落の責任を押し付けられることでしょう。
 強い者はより強くなり、弱いものは容赦なく淘汰されていく。生き馬の目を抜く弱肉強食の原理は、自由主義経済の本性でしょう。そうだとしても、社会全体に危機をもたらす強者の独走は、強者にとっても自殺行為にほかなりません。
 この構図は、強すぎるアメリカが強権を振りかざして、世界を裁いていこうとする姿と、相似形になっています。強いものこそが正義であり、弱いものが脱落するのは当然、というのであれば、人類は過去数千年の歴史から何を学んできたのでしょうか。
 2003年問題とは、単なるビルの建て過ぎにとどまらず、人類社会において強者はいかにふるまうべきか、という根本的な問題を鋭く提起しているように思います。(12月8日)

 <一橋大で携帯メールによる集団カンニング発覚、その仕組みは> 
 携帯メールは、携帯による音声通話よりもはるかに便利なものだと思います。文字のやり取りなので、無音の状態で確実なやり取りが出来、相手との対話が出来なくても情報を伝達出来ます。
 この利点を悪用したのが、一橋大学で発覚した携帯メールによるカンニングです。今年7月に行われた商学部と経済学部の期末試験の科目で、550人が受けたうちの26人がカンニングをしていたそうです。
 試験終了後に、内容の似た回答が多数あることに担当教官が気付き、疑惑の学生たちを集めて同一問題で再試験をしたところ、大半が答案を書けず、カンニングが発覚しました。
 一人か二人の学生が、試験問題を見て、「模範解答」を携帯メールに打ち込み、それを複数の友人に一斉送信したのでしょうか。メールを受けた学生が、さらに自分の別の友人たちに転送していたのかも知れません。
 解答者が受験者でなくても可能です。まず誰かが、問題文の趣旨を学外にいる「解答者」にメールで送ります。解答役の人間(学生とは限らない)は、参考書を見たりしながら模範解答を作り、メールで試験を受けている学生たちに送信するのです。
 試験の最中には携帯の電源を切るように、と指導している学校は多いはずです。教室で立ち会っていた試験官たちは、なぜ見破ることが出来なかったのでしょうか。
 理由の一つは、腕時計を持たずに携帯を時計がわりに使っている学生が多いため、残り時間を見るために携帯を取り出したと言われればそれまで、ということがあるのかも知れません。
 今回の一橋のケースは氷山の一角で、携帯を使ったカンニングは広い範囲で行なわれているのではないか、とボクは推測します。
 レンズ付きの携帯では、試験問題を一瞬のうちにデジタル写真にして解答役に送り、解答役から図やイラスト付きの「模範解答」が受験生たちに送信されてくることも、あり得ることです。
 期末試験どころか、入学試験でこれが行なわれていない、と誰が断言出来るでしょうか。いまや小中学生でも携帯を持つ子がいます。パパやママの携帯に試験問題を送り、携帯を握り締めて模範解答の着信を待つ子どもたちの姿は、想像するだに不気味です。
 親が解答しなくても、一問ウン百万円で解答を請け負い、子どもの携帯に送ることを商売にして、荒稼ぎしようとする者がも現れても、不思議ではありません。
 今後、腕時計とまったく見分けがつかない携帯や、衣服の下に装着した小さなチップを通して、周囲には聞こえず本人だけに音声を骨振動で伝える携帯などが登場した時、カンニングの摘発はますます困難を極めていくことでしょう。(12月4日)

 <2010年は世界も日本もエイズが蔓延、人類は存亡の危機> 
 今日12月1日は、世界エイズデーです。アメリカによる軍事暴走や、急激な地球温暖化、世界同時不況など、さまざまな危機が進む中で、いつの間にか最大の危機となっているのが、エイズの恐るべき広がりでしょう。
 現在の世界のHIV感染者は4200万人で、1年間の死者は310万人。2010年までにアジアを中心にさらに4500万人が感染して、今後7年ほどで倍増する勢いとなっています。
 日本でも、HIV感染者は若者を中心に広がっていて、昨年の新規感染者は621人と過去最高になっています。このペースでいくと、日本でも2010年には感染者が5万人を超すものとみられています。
 感染者5万人時代を迎えて、日本の若者たちは、どのような性行動をとったらいいのでしょうか。そもそも思春期の性衝動は、自らの予測やコントロールをはるかに越えて、制御不能であることが特徴であり、それこそが特権です。
 一緒にいるだけで胸がときめく初々しい段階から、ある日突然、抱きしめて口付けをする。男も女も自分の衝動に驚き戸惑いつつ、どうにもとめられないのが、むしろ自然な成行きです。
 恋の触れ合いは、予測不可能な展開でエスカレートしていって、コンドームをつけるのどうのという、冷静な判断が入る余地はないほど、無我夢中の展開となるのが普通です。感染を念頭に置いて、激情を抑えなければならないとは、まことに無残です。
 こうした中、感染への心配や、コンドームをつける面倒くささや恥ずかしさから、人を恋し愛することに消極的ないしは回避的な若者たちが今後、急速に増えるのではないでしょうか。
 とりわけ男の子たちが、恋愛を避けるようになったり、恋の進行にビビったりするようになったら、女の子にとっては深刻な問題です。女の子から性行動の発展を促したり挑発したりして、なおかつ自分からコンドームをつけてやる大胆さが求められるかも知れません。
 一方で、アナーキーな風潮が広まることも予想されます。どうせ短い人生、だれしもいつかは死ぬ定めならば、好きな人と自分の肌で愛し合って、その結果、エイズで死んでも構わない、とする若者たちの大量出現です。
 いまのように、社会全体が行き詰まって出口がなく、未来に希望を持つどころか、暗澹たる荒廃の予感が覆う時代では、セックスの喜びは死に価する、として、好きな人との「緩慢な心中」を選ぶ若者が増えても、不思議ではありません。
 真剣な恋の帰結としての、覚悟の感染が、そのカップルだけで完結するならば、それも青春の選択だと思います。
 問題は、いいかげんな遊びの結果、感染した連中が、破れかぶれとなって不特定多数を死への道連れにしてしまうケースです。未必の故意による殺人罪にもなるこうした連中の性行動は、エイズを一気に社会に拡大する危険をはらんでいます。
 核戦争や環境破壊による危機が訪れるよりも先に、エイズこそが人類の繁殖と発展に終止符を打つ、最後の審判となるような予感がしてなりません。(12月1日)

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2002年11月

 <この世で起きている全ては夢、人間もバーチャルな存在> 
 最近は、どの新聞記事も押しなべてつまらなくなっていて、深い思索に誘ってくれる文章には、ほとんどお目にかかることはなくなりました。そんな中で、今月初めに旧約聖書学の池田裕・筑波大学教授が読売新聞に書いていた、コラム「聖書物語」の短い文章が頭から離れません。
 エルサレムに住むある医者の話で、彼はルーマニアのユダヤ人家庭に生まれ、家族をナチスの強制収容所で失い、その後は共産体制に苦しめられてすべてを捨てて、エルサレムに移住してきました。
 その医者がある時、窓の下の通りを見ながら、池田教授に「ご覧なさい。大勢の人が歩いているが、これは夢だ」と言ったそうです。医者に言わせれば、いまこの国にいることも、自分が医者であることも、すべて夢なのだそうです。
 ボクは、この話を読んで以来、なるほど、もしかして今この世界で起きている諸々のことは、本当に夢の中で起きていることなのかも知れない、と思うようになりました。夢というのはこの場合、宇宙が見る夢、物質世界が見る夢、あるいは神が見る夢、と言ってもいいでしょう。
 誰もが当たり前のように、日常に追われながら、来る日も来る日も繰り広げ続けている人間社会の姿は、よくよく考えてみれば、とても不可思議な光景です。この光景は、宇宙が出来た時、あるいは地球が出来た時に、予定されていたものなのでしょうか。
 もともと地球には何億年ものの間、生命のかけらすら存在せず、さらに46億年の地球史の99・99%は人間のいない状態だったのです。人間がいまのような文明を築き上げていることの方が、地球にとっては異例の出来事であり、特殊な光景なのだとボクは思います。
 こうした文明社会は、わが銀河系宇宙の中でも、またほかの何億の銀河系宇宙の中でも、無数に発生しては短い爛熟を経て消滅していて、何億年も保持発展されて継続している文明など、ほとんどないのではないか、という気がします。
 どの星のどんな素晴らしい文明も、そこで生み出され蓄積された膨大な知識や技術、芸術、宗教などとともに、他の星の文明に伝わることなく、もったいなくもはかなく消滅していく定めを免れず、その意味ですべては夢なのですね。
 では、夢として繰り広げられる文明発生から消滅への流れにおいて、線香花火よりももっと短い一瞬の生を与えられた個々の人間、あるいは個々の知的生命体とは、どういう存在なのでしょうか。
 ボクは、エルサレムの医者の言うように、自分たちの存在もまた、夢の中の一瞬であり、その実体はDNAと蛋白質、アミノ酸などによる有機現象であって、ある意味では極めてバーチャルな存在だという気がします。
 喜びも、楽しさも、苦しみも、悲しみも、愛することも、そして絶望すらも、すべては一過性で幻のごとく過ぎ去っていくもの。だからこそ、自分がバーチャルな存在として、生きているこの一瞬が、ボクには限りなくいとおしく、ありがたく感じられてなりません。(11月28日)

 <『時間の岸辺から』その19 お客様は友達です> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 ホテイチという聞きなれない日本語を、今年になってよく耳にするようになりました。ホテルの高級レストランが調理した惣菜を、そのホテルの1階で売るコーナーのことで、人気のデパ地下(デパートの地下食料品フロア)に対抗して登場しました。
 一方のデパ地下は最近、売り場に併設して、その場で食べられるイート・インのスペースを拡充するなど、グルメ志向の買い物客をホテルに奪われないよう、あの手この手で工夫を凝らしています。
 先日、新宿のデパ地下で買い物をした時のこと、女の店員さんが、お釣りの小銭を渡す時に、受け取るボクの手のひらの下に、そっと手を添えてくれました。若い女性と手が触れ合うなんて、マンガなら目がハートになるところです。
 あの店員さんは、ひょっとしてボクに気があるのでは、なんて妙にうれしくなり、この次も同じ店員さんから買いたいという気持ちになります。ところがよく見ていると、そのコーナーでは、どの店員さんも誰に対しても、お釣りを渡す時に片方の手を、客の手に添えているのです。
 この手を添えるスキンシップ作戦、よくよく観察してみると、結構いろいろな店でさりげなく行なわれています。最初にこれをやり始めたのは、どうもマクドナルドらしいのですが、確かなことは分かりません。
 いかに客との距離感を縮め、客に親密感を持ってもらうか、どのサービス業も懸命です。朝のラッシュ時、モーニングセットなどを食べ終わった客に、「いってらっしゃいませ」と声をかけるのは、もはや当たり前です。
 店に入るやいなや、店員たちが「いらっしゃいませこんにちは」と、2つの挨拶言葉を区切ることなく発声する光景にも、よく出くわします。これもどうやら、数年前にマクドナルドが始めたという説がもっぱらです。
 それが、ほかのファーストフードの店にもあっという間に普及し、今では、コンビニからスーパーへ、さらには書籍チェーン店やコーヒー店、ファミリーレストラン、美容院など、燎原(りょうげん)の火のごとく広がり続けています。
 この挨拶については、日本語としてヘンだと指摘する声が少なくありません。「いらっしゃいませ」は敬語で、一方の「こんにちは」は、対等の関係にあることを前提にした挨拶で、目上の人に対して使う場合には要注意とされています。
 「いらっしゃいませこんにちは」は、尊敬語の挨拶のように思わせながら、「こんにちは」によって、客との親しい関係を、有無を言わせずに確認する形になっていて、巧妙に計算された造語と言えます。
 歌手の故三波春夫さんの名セリフ「お客様は神様です」の時代は終わり、いまや「お客様は友達です」の時代へ。それは、高度成長の時代から、デフレの時代への転換を、象徴的に示しているのかも知れません。(11月24日)

 <みかえり阿弥陀如来が、肩越しに目線を注いでいるものは> 
 京都や奈良の社寺を巡り歩いていると、数多くの仏像に出会います。仏教の信者でないボクでも、仏像の前にたたずむと、心が洗われるような静謐な気分になり、おのずから手を合わせてしまいます。
 でも正直に告白するならば、ボクの場合、仏像そのもののお姿を拝見して感動したことは、あまり多くありません。これまでに心が揺り動かされた仏像を挙げれば、興福寺の阿修羅、秋篠寺の技芸天、法隆寺の弥勒菩薩くらいでしょうか。
 ほかの仏像は、国宝や重文であっても、その良さや素晴らしさは、凡夫たるボクの心には伝わらず、説明書などを読んで、なるほどそんなに貴重なものなのか、と頭で理解するのが精一杯です。
 先日、紅葉を見に訪れた京都の永観堂で、不思議な仏像を目のあたりにしました。阿弥陀如来像なのですが、身体は正面を向いて直立しているのに、お顔が左を大きく向いて、目線は肩越しに後ろに注がれています。
 これが、このお寺のご本尊で重文の「みかえり阿弥陀如来」とは、初めて知りました。
 大変珍しいポーズのため、正面にもいちおうお参りする場所がありますが、それとは別に像の左側に、見返るお顔を拝観してお参りする場所が設けられていて、ほとんどの参拝客は左側に回って手を合わせています。
 この阿弥陀如来は、なぜ後ろを振り向いているのでしょうか。その心は、千載集に詠まれた「みな人を渡さんとする心こそ極楽にゆくしるべなりけり」(永観律師)にあり、現代風に言うと次のようになる、と説明板にありました。
 自分よりおくれる者たちを待つ姿勢
 自分自身の位置をかえりみる姿勢
 愛や情けをかける姿勢
 思いやり深く周囲をみつめる姿勢
 衆生とともに正しく前へ進むための、リーダーの把握のふりむき
 真正面から、おびただしい人びとの心を濃く受けとっても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心

 この説明を読んで、あらためて拝見した時、この阿弥陀如来が振り返って見ているのは、まさしく現代の無数の衆生たちであり、一片の情けすら入る余地なく拡大していく競争原理と、強者による一方的制覇の中で、もがき苦しむ世界中の民ではないか、とボクは確信しました。
 「みかえり阿弥陀如来」こそは、現代の救済と道しるべなのではないか、と強く感じながら、紅葉に燃える京都からの帰途につきました。(11月21日)

 <燃える紅葉は、葉っぱによる太陽への感謝と死出の祝祭> 
 1週間ほどかけて、紅葉真っ盛りの奈良と京都を歩き回ってきました。奈良公園、室生寺、清水寺、東福寺、常寂光寺、二尊院、南禅寺、永観堂、等々。
 今年は冷え込みが早く、紅葉のピークが1週間ほど早くなったため、ラッキーなタイミングで、それぞれの景観と雰囲気にピッタリの紅葉を、じっくりと堪能することが出来ました。
 いろいろな紅葉を見歩いていて、気付いたことは、紅葉が最も美しく感じられるのは、葉が日に照らされている時だということです。それも、葉の裏側から太陽の光を透かして見る逆光の角度が最高で、まさに燃える紅色は極楽浄土を思わせるほどです。
 紅葉もそうですが、新緑の頃の木々の葉も、日に照らされ、それを透かして見上げる時に、最も輝いているよう感じられるのは、なぜでしょうか。答えは単純明快で、植物の葉っぱは、太陽の光を受けるために存在しているからだ、とボクは思います。
 葉っぱは、太陽の光を浴びることが最も大きな任務で、それにより光合成を行なってでんぷんを作り出し、樹木の各部分に供給しています。葉っぱが緑色をしているのは、光合成を行なう上で、エネルギー効率が最も高い波長が、緑色であること、が理由です。
 太陽と葉っぱの関係は、エネルギーと生命の関係にあり、葉っぱにとっては太陽の光を浴びている時が、最も充実した生の時であり、創生と歓喜の躍動の時なのです。日の光を浴びる葉っぱの美しさは、生の謳歌の美しさといっていいでしょう。
 新緑からやがて夏を迎え、盛夏の季節を経て秋がやってきます。木枯しが吹き、冬の訪れが近くなる頃、落葉樹の葉っぱは1年間の任務を終えます。それは自らが散って死んでいくことにより、長い冬の期間に樹幹を守り、次の年の新たな葉っぱたちに生命の維持を託します。
 イチョウが黄葉し、カエデが紅葉するのは、散るための準備であり、いわば死出の旅仕度です。光合成をストップすることによって、葉っぱ自身の色が緑色であることを止めて、黄色や赤に変わっていきます。
 燃え上がるような紅葉は、太陽との惜別であり、太陽から受けた膨大な恵みに対する感謝のサインです。それは、精一杯の仕事を成し遂げて散っていく葉っぱたちの充実感と達成感の表現であり、死に向かう鮮やかな祝祭の姿です。
 永観堂で、印象的な光景を目にしました。池の周りの木々の紅葉の1枚1枚の葉が、それぞれにキラキラと明滅を繰り返しているのです。それは、上から注ぐ日の光とともに、池の水面のさざなみに反射した日の光が下から照射して、繊細な明滅を作り出しているのでした。
 その様子は、美しく装った葉っぱたちが、さざめきながらこの世に別れを告げ、手を振り続けているようでした。
 葉っぱたちは、太陽の分身であり、太陽の小さな子どもたちなのですね。(11月17日)

 <『時間の岸辺から』その18 ゴシップの斜陽> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 テレビのワイドショーといえば、芸能人のスキャンダルやゴシップ、というのは昔の話。このところ、日本ではどのテレビ局のワイドショーも、芸能ネタは隅っこに追いやられ、事件や政治がらみのニュースであふれかえっています。
 この傾向は、去年9月の同時多発テロあたりから特に顕著になり、今年に入ってからは、田中真紀子、辻元清美、鈴木宗男各氏の暗転ドラマが、連日のようにワイドショーをにぎわしました。そしてここ1カ月ほどは、北朝鮮による拉致問題一色です。
 ニュースのワイドショー化に対しては、軽薄なセンセーショナリズムに流れがち、などの批判も少なくありません。しかしボクは、ニュースの背景や意味を分かりやすく掘り下げる場として、ワイドショーが脱皮をはかっていくための良い機会ではないか、と考えます。
 気の毒なのは芸能記者たちです。このままではテレビから芸能報道というジャンルが消えてしまう、と心配する声も少なくありません。
 芸能報道の受難に追い討ちをかけているのが、インターネットです。
 先日、19歳の超人気歌手宇多田ヒカルさんが、電撃結婚して入籍を済ませたことを、自分のホームページに綴ったファンあてのメッセージの中で発表しました。芸能記者たちにとっては寝耳に水で、芸能報道が曲がり角にきていることを端的に示す出来事でした。
 これまで芸能人の結婚発表では、百人を超す記者とカメラマンが会見場に集まり、芸能リポーターたちが容赦ない質問を浴びせるのが当たり前でした。宇多田さんの場合は、ホームページ掲載と同時に、報道各社に簡単なファックス1枚を送り、これが結婚についての発表のすべてだったのです。
 いま芸能人たちの間で、自らの重要な動静をホームページで発表するというスタイルが、急速に広がっています。中山美穂さんや、PUFFYの大貫亜美さんらも、ホームページで結婚を発表し、石田ひかりさんはホームページで妊娠を発表しました。
 芸能記者たちはとまどいと困惑の中で、芸能人のホームページのチェックという新たな課題に直面しています。スポーツ新聞の中には、専従者をパソコンの前に座らせて、100以上もの芸能人のホームページを昼夜、チェックし続けているところもあるといいます。
 パソコンの前に座り続けることが取材活動なのか、と疑問を持つのは当然でしょう。しかし覚めた目で見れば、芸能人のプライベートな動静を追いかけることが、それほど重要なことなのか、という根本的なところを考え直す時期ではないか、とも思います。
 ゴシップが色あせた時代は、言い換えればゴシップどころではない時代です。それは、政治や社会の生ニュースが、圧倒的な迫力で一般市民を飲み込んでいくシビアな時代、と言ってもいいと思います。(11月9日)

 <新宿のタイガーマスクが、仮面を取って素顔になった時> 
 新宿のタイガーマスクといえば、もはや東京伝説となっている名物オジサン。黄色いタイガーのお面をかぶり、カラフルでド派手なマントに、タカラヅカのレビューのような造花とクジャクの羽をいっぱいに飾り付け、ラジカセで一昔前の音楽をガンガン流しながら、新宿の繁華街を早足で通り過ぎてゆきます。
 タイガーマスクを見たことがあるという人は多いのですが、その素顔をじっくり見ることが出来る機会は、めったにありません。そのタイガーマスクが、ランチタイムによく利用している店が新宿3丁目にあるのをご存知でしょうか。
 今日は11時半過ぎ、客がまだまばらな中をタイガーマスクが入ってきました。混雑している時間帯には、マスクをはずして入ってくることが多いのですが、今日はマスク姿です。
 若い女性の店員たちの前で、「ワッハッハッハ」と大きな身振りでおどけて見せ、笑いをこらえる彼女たちに「今日もボクはシアワセだよ」なんて言いながら、おかずをトレイに乗せていきます。
 店内の中央のカウンターで、彼は満艦飾に飾り立てたマントを脱ぎ、ようやくマスクをはずします。いくらタイガーマスクといっても、食事をする時には、マスクをはずさなければならないのですね。
 タイガーマスクの素顔。それは、いくぶん疲れの見えたフツーの中年オジサンです。彼の名は、原田吉郎さん。長野県出身で、20年余り新宿で新聞配達をしていて、時には生花を配達することもあるようです。
 原田さんがタイガーマスクのお面をかぶって、新宿の街を疾風のように駆け抜け始めたのは1978年のこと。30歳のころからといいます。
 タイガーマスクになっている時、原田さんは原田吉郎ではなく、完全にもう1人の自分を超えた別の自分に変身しているのでしょう。24年間ずっと、同じ異形の姿になり続けてきた理由について、原田さんはほとんどマスコミにも語ることがありません。
 おそらく、人には語りたくない何かの大きな出来事があり、最初はマスクなしでは都会を歩くことが出来なかったのではないでしょうか。マスクを着けている時だけ、東京という怪物都市と対等に渡り合え、信じられないほどのパワーが沸き出てくる。
 原田さんにとって、タイガーマスクは、スーパーマンのマントであり、月光仮面なのですね。
 ボクも時には仮面をかぶって別な自分になってみたい、と思うことがあります。ボクがかぶってみたいお面は、「千と千尋の神隠し」に出てきた「顔ナシ」です。顔ナシのお面と衣装で、電車に乗ったり街を歩いてみたら、どんな気分でしょうか。
 パフォーマンスを終えて家に帰り、お面をはずそうとしたら、どうしてもはずすことが出来ず、顔ナシのお面をつけたまま一生を過ごすことになったなんて。鉄仮面か笛吹き童子か、小さい頃に見た紙芝居に、確かそんな話があったような記憶があります。(11月5日)

 <この世に摩擦がなかったら…ノーベル賞の小柴さんが昔出題> 
 ノーベル物理学賞の小柴昌俊さんが、50年余り前に臨時講師をしていた神奈川県の中学で、「この世に摩擦がなければどうなるか答えよ」という試験問題を出していました。正解はなんと白紙回答なのだそうです。
 摩擦がなければ、鉛筆は解答用紙の上をすべるだけで、芯を擦って文字を書くことは不可能だ、というのです。設問も正解もビックリですが、なんと正解の生徒が3人いたというのも驚きです。
 白紙を出したこの3人は、問題の意味を理解して白紙にしたのでしょうね。摩擦の意味が分からずに、頭をひねっているうちに時間切れで白紙になってしまった、なんてことはまさか。
 鉛筆ならば白紙が正解だとしても、キーボードは摩擦がなくても打つことは出来るような気がします。パソコンで回答を作って提出するとしたら、何か書かなくてはならないことになります。
 そこで改めて考えてみましょう、この世に摩擦がなければどうなるか。うーん、まず自転車も自動車も電車も、道路やレールの上を車輪が空回りするばかりで、走ることは出来ません。ジェット噴射によって動き出すことが出来ても、こんどはブレーキが効かないから止まれない。
 乗り物だけではありません。ボクたち自身、歩くという行為は、地面と足および靴との摩擦によって成立しているわけで、摩擦がなければ歩くことも出来ません。
 人間だけではないのです。馬も犬もネズミもアリも恐竜も、摩擦がなかったら歩くことも移動することも出来ません。両生類や爬虫類の出現も、哺乳類の出現もなかったでしょう。
 摩擦は水中や空中ではどのような働きをしているのか、ボクは詳しく分かりませんが、水との摩擦や大気との摩擦がなければ、魚は泳げず鳥は飛べないのではないでしょうか。
 ということは、摩擦がなければ、地球上に原始的な生命は誕生したかも知れませんが、進化の過程は途中でストップしていたのではないでしょうか。
 さらに、大気との摩擦がなければ、地球に降り注ぐ隕石など宇宙の塵やかけらは、燃え尽きずに地表に降り注ぎ、絶えることのない天からの落下物で、生物が生きるどころではなくなるでしょう。
 かりに、こうした困難をすべてクリアして、摩擦以外の方法で移動する能力を持った人間が登場したとします。摩擦のない世界で生きる人間は想像を絶する生活を強いられるでしょう。早い話が、物を持ったりつかんだりすることも、摩擦がなければ不可能なのです。
 男と女が愛し合って受胎にこぎつけることが出来るのも、摩擦が決定的な役割を果たしているといえます(ちょっと露骨)。ということは、せっかく登場した人類の繁殖もありえません。
 ボクたち人類を含めた生き物が存在することが出来るのは、摩擦のお陰なのですね。(11月1日)

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2002年10月

 <『時間の岸辺から』その17 犬語翻訳機> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 今から100年以上も前、20世紀が開けた直後の1901年1月2日と3日に、当時の報知新聞が「二十世紀の予言」という特集を組みました。
 この予言は、科学技術の進歩を極めて正確に見通していて、エアコン、テレビ電話、温室栽培、地下鉄など、その多くが実現していています。「東京神戸間は二時間半」と言い当てているのも、驚異的です。
 鋭い洞察力によって書かれた予言ですが、その中で1つだけ、大きく外れたとされる予言が、「獣語の研究進歩して、人と犬猫猿とは自由に対話することを得る」という下りでした。
 ところが、夢物語と思われたこの下りが一転して、現実のものとなってきました。今年9月末に、日本の玩具メーカー「タカラ」が、犬の鳴き声をコンピューターで分析して人間の言葉で表わす、犬語翻訳機を発売したのです。
 この翻訳機は、犬の首輪に小さな送信機をつけて鳴き声をキャッチし、飼い主の手元にある受信機でデジタル処理して、犬の感情や気持ちを日本語に変換します。翻訳できる表現は200種類。秋田犬からスビッツまで50種類の犬と、6種類の雑種に対応します。
 1台1万4800円と手頃なこともあって、発売からわずか1週間で3万台が売れたといいます。この翻訳機は、アメリカの科学誌から、ユーモアと独自性のある開発に贈られる「イグ・ノーベル賞」を授賞することも決まりました。
 いまのところ、人間の言葉を犬語に翻訳することは出来ず、犬から人間への一方通行の翻訳ですが、「ボクおちこんじゃうよ」「ねえねえおはなししてよ」などさまざまな訳文が用意されています。
 犬がなぜ吠えるのか分からずに困っていた愛犬家にとっては、とても便利な機械で、「さびしいからもっと遊んでね」などと翻訳で表示されたら、そうだったのか、と喜んで遊んでやるに違いありません。
 反対に、犬の気持ちは良く分かっている、と思っていた飼い主に対して、犬が「やあね、そばにこないで」などと言っていることが分かったら、ショックを受けてしまいます。
 犬語翻訳機を紹介するテレビ番組で、犬におやつを見せて吠えさせ、これを翻訳したところ「ケンカをする気かい? ぼくは強いよ」と表示されました。期待された「正解」ではなかったというのですが、ボクはこれこそが犬の本心だったのではないか、と思います。
 発売元のタカラでは今後、猫語翻訳機の開発に取り組むとのことです。翻訳機の精度がアップしていくと、ペットたちの肉声が容赦なく人間に示されていくことでしょう。
 「毎日同じペットフードじゃ、あきあきだ」「思いっきり走り回れる広場はないの?」「空気が変なにおいで、息がつまりそう」「人間はなぜみんなセカセカしているの?」
 翻訳機が映し出するのは、人間自身の姿なのかも知れません。(10月28日)

 <拉致の5人は北朝鮮に戻さない、政府の強硬方針は吉か凶か> 
 北朝鮮に拉致されて24年ぶりに日本に帰国している5人について、政府はこのまま北朝鮮に戻さずに永住帰国させ、北朝鮮にいる子どもたちを呼び寄せる強硬方針を決定しました。
 5人の家族たちは「当然のことだ」と大喜びですが、ボクはこうしたやり方で本当にいいのだろうか、と一抹の不安を感じてしまいます。
 そもそもの発端は、北朝鮮の特殊機関が突然に一方的に、次々と5人を拉致したことによるわけですから、北朝鮮に戻さなくても当然、という言い分には説得力があり、マスコミ論調も国民世論も、この決定をおおむね支持しているかのようです。
 今回の決定を北朝鮮としても最終的には呑むほかはなく、強硬な異議をとなえて阻むことは難しいでしょう。たぶん結果的には、このまま5人の日本永住が実現し、いずれ子どもたちも日本に移住して、曽我ひとみさんの夫も日本に住むことになるのかも知れません。
 しかし、こうした日本による一方的な約束破りは、これまで交渉づくで物事を進めてきた日朝間のさまざまな問題解決の行方に、微妙な陰りと溝を拡大していく危険があるのではないでしょうか。
 政府は、拉致被害者の家族の意向に従ったとしていますが、親や兄弟たちはそれで満足だとしても、被害者本人にとってはこんどは実の子どもとの生き別れの危機をはらんだ決定です。
 親が日本人とも知らず、まして拉致事件など全く知らない子どもに、いきなり日朝の政府や赤十字関係者が、「あなたの両親は日本人で、実はもう北朝鮮に戻ることはありません。あなたも日本に行って日本で暮らして下さい」と言われたら、どんなに驚愕することでしょう。
 しかも、5人の被害者たちは2週間程度で北朝鮮に戻ると説明されて日本に出かけたわけで、私物などの身辺整理も出来ず、北朝鮮の社会でお世話になった人たちへのお別れのあいさつも出来ません。
 こうした日本人らしからぬ強引なやりかたで永住帰国を図ることは、長い目で見て決して両国にとってプラスにならないのではないか、とボクは危惧します。
 最も大きな影響は、北朝鮮が今後、日本の口約束を信じなくなることです。直截的な打撃を受けるのは、死亡したとされるほかの拉致被害者に関する真相究明で、死亡原因や遺骨の流失などについて、これ以上の情報はない、と突っぱねられたら日本は手が出ません。
 もしも、これらの被害者たちが、肉体や精神に重大なダメージを受けた状態で、どこかに隔離されて生存しているとしたら、今回の日本政府の強行突破は、彼らの命取りになってしまう危険すらあります。
 5人の帰国が決まった当初から、日本政府の一部や国会議員の間には、5人を北朝鮮に戻さないようにすべきだ、という強硬論がくすぶっていました。政府が一転して、危険な強行突破の道に方針転換した背景には、こうした仕掛け人たちの策動が働いたと見るべきでしょう。
 この方針が吉と出るか凶と出るか、まったく予断をゆるさない状況ですが、ボクは話し合いによる手順を踏んで、子どもたち家族を含めた早期永住帰国について日程を確定し、その上で永住帰国の準備に向けて5人をいったん北朝鮮に戻しても、問題はなかった、という気がします
 いくら相手が北朝鮮だからといって、だまし討ちのようなやり方では、お互いの傷が大きくなるばかりではないでしょうか。(10月25日)

 <国際反戦デーに思う、わが青春の戦い済んで日が暮れて> 
 今年も「10.21」の国際反戦デーがめぐってきました。去年も書いたのですが、この日はもはや忘れ去られたも同然で、そもそも国際という言葉がグローバルにすりかえられて、資本と市場による地球包囲となってしまい、反戦という言葉もすっかり失速してしまいました。
 ボクは最近、学生時代の日々を思い返すことが多くなりました。あのころの「10.21」に、神戸領事館包囲闘争というのに参加した記憶があります。何に反対する行動だったのか思い出せませんが、アメリカに対する抗議行動でした。
 当時は、さまざまな集会やデモに参加しました。何の闘争か記憶がないのですが、ある時、ボクたちが参加した4列のデモの隊列が、いつの間にか真中から2分されて先頭が8列に揃えられ、それがさらに16列の大きなデモに再構成されました。
 隊列の先頭には、太い竹ざおがコントロールバーのように用意され、デモのリーダー格のがっちりした学生が、バーの前に後ろ向きで進みながら、デモの進む方向やジグザグにくねる動きを、巧みに制御しています。
 デモは、別な16列と並べられてついに32列になり、怒涛のごとくに進みます。デモの途中に隠れていたはずのボクは、隊列の再編によって、いつの間にか先頭から2番目になってしまいました。
 巨大なデモが向かう先には、機動隊の厚い壁が見えてきました。デモのリーダーたちは隊列を慎重に統率しながら、進む速度を目いっぱい抑制しつつ、岩山のようなデモを機動隊の壁に向けて接近させていきます。
 機動隊の隊員たちが目の前に迫り、緊張と決意と恐怖が極みに達する中、デモのリーダーは機動隊と竹ざおの間に自ら挟まれる形で、何百人というデモを一気に丸ごと機動隊に激突させました。
 デモの先頭の学生たちは、頭を低くして機動隊の腹のあたりに対峙する形になり、その機動隊員たちは先頭から2番目にいるボクたちに、一斉に素手で殴りかかります。デモが砕け散り、怒号と悲鳴、混乱と無秩序が炸裂します。
 どのくらい時間が経ったのか分かりません。気がついた時、ボクは京都御所の生垣の内側に横たえられていて、見知らぬ同志社大学の女子学生から介抱されていました。ほかにもあちこちに、倒れている学生がいます。
 「大丈夫ですか」と尋ねる女子学生に、「大丈夫です。ありがとう」と礼を言ってボクは立ち上がり、大通りに出ました。もうデモ隊員の姿も機動隊の姿もなく、通りは平穏を取り戻していました。
 ボクのワイシャツは、血に染まった上にズタズタに破れ、靴の片方もなくなっています。そんな姿でトボトボと歩いて下宿に帰る自分の姿に、惨めさを通り越して、清清しい気分でさえありました。
 夕暮れがしだいに濃くなっていって、やがて夜の帳が下りてくる微妙な時刻。戦い済んで日が暮れて、という言葉がぴったりでした。
 あの日々は、何だったのだろうか。ボクたちのやっていたことは、社会のために僅かなりともプラスになったのか。ずいぶんと遠い出来事になってしまった青春の日々は、何十年たっても鮮烈な記憶のまま、いまのボクを見守り続けているような気がします。(10月21日)

 <横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんへの日本国民の思い> 
 北朝鮮に拉致されて一時帰国した5人が、今日から24年ぶりに、それぞれのふるさと入りをしています。家族や親戚、友人、同級生らとの再会の喜びは、いかばかりだろうかと思う一方では、死亡と伝えられた家族の無念さと悲しみを思うと、胸が痛みます。
 こうした極端な明暗の中で、ボクも含めて多くの国民にとって、いまとても気になるのが、横田めぐみさんの娘であることがほぼ確認された、北朝鮮在住の15歳の少女、キム・ヘギョンさんの存在です。
 一昨日、一時帰国の5人を日本に運ぶチャーター機が、平壌に着いたところ、キム・ヘギョンさんが空港に来ていて、「おじいちゃん、おばあちゃんに会えるかと思った」と言っていたというのは、ボクたちの心を不思議な力で揺さぶります。
 この話を関係者から聞かされた横田めぐみさんの母親の早紀江さんは、激しく泣き出した、ということです。その後の記者会見で、早紀江さんが「分かっていたら、小さなブラウス1枚でも持っていってもらえばよかった」と語ったのを聞いて、ボクたちまで涙が出てきます。
 キム・ヘギョンさんの写真は横田さんの家族以外にはまだ公開されていないのですが、それにもかかわらずボクたち日本国民の多くは、この少女をいとおしむ気持ちが日増しに強まり、感情移入していくのを抑えることが出来ません。
 横田めぐみさんは、拉致事件の象徴とされてきました。そのめぐみさん本人が死亡したと伝えられる中で、このキム・ヘギョンさんこそは拉致事件全体の十字架を背負ってこの世に送り出されてきた、天使ないしは菩薩のような存在と言えるでしょう。
 めぐみさんが伝えられる通りに死亡しているとすると、キム・ヘギョンさんが幼い頃に失った母は、横田さん夫妻にとって永遠に抱きしめることが出来なくなった娘でもあります。
 母をなくした少女と、娘をなくした祖父母。お互いに、一刻も早く会いたいと願っているのに、簡単には実現出来ない。一方は日本語が話せず、一方は朝鮮語が話せない。この悲しい構図こそが、拉致問題の本質なのですね。
 もうしばらく時間が必要だとしても、キム・ヘギョンさんと横田さん夫妻の初めての対面はそう遠くない時期に実現し、キム・ヘギョンさんが日本に来る日もやってくるでしょう。
 キム・ヘギョンさんの来日は、「帰国」と表現出来ないところに、問題の難しさが示されます。キム・ヘギョンさんには、朝鮮人の実の父が平壌にいます。キム・ヘギョンさんには、日本人の血と朝鮮人の血が同時に流れていて、両国の苦難の歴史の具現です。
 それだけに、日本と北朝鮮の国交正常化と平和条約締結に向けて、これからの長い道のりの中で、キム・ヘギョンさんは両国を優しく見つめ続ける女神のように、平和と友好の橋渡しをするかけがえのない存在になっていくのではないでしょうか。
 両国とも、キム・ヘギョンさんに苦しみの涙を流させるような事態は、絶対に起こしてはならないことを、固く誓う必要があると思います。(10月17日)

 <『時間の岸辺から』その16 腕時計のない腕> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 かつてボクが勤めていた職場に、腕時計というものを決して持たない若い女性がいました。社内外に豊富な人脈を持つ、バリバリのキャリアウーマンです。腕時計を持たな理由について、彼女はさりげなく言いました。
 「腕時計をしていないと、いつでもどこでも誰にでも、いま何時ですか、と尋ねることが出来るじゃない。それが、見知らぬ人とのコミュニケーションをつくるきっかけになるのよ」。
 最近、日本の若い人たちの間で、腕時計をしていない人が目立つようになっています。ある時計メーカーの調査では、腕時計をしない人は、40代で8%なのに対し、20代では19%とほぼ5人に1人の割合になっています。別な調査では、10代の若者の実に60%が腕時計をしない、というデータもあります。
 こうした人たちは、時刻を知りたい時に見知らぬ人に尋ねているのでしようか。答えはノーで、彼らはケータイすなわち携帯電話の時刻表示機能を、そのまま腕時計代わりに使っているのです。
 腕時計には100年以上の歴史があり、人類は1世紀以上に渡って、腕に時計を着けることを当然と思ってきました。腕時計がいらないとなれば、空いた腕に何を着けたらいいのか、という新たな難問が出てきます。
 さまざまな情報機器メーカーは競って、腕に装着する情報機器の開発にしのぎを削り、発売攻勢をかけています。腕を制するものが次世代情報機器を制する、というのです。
 発売されている「腕に着ける機器」は、デジタルカメラ、オーディオプレーヤー、パソコン連動の情報端末、現在位置が正確に分かるGPS(全地球衛星測位システム)、さらには血圧計まで、まさに百花繚乱。これを全部装着したら、腕が持ち上がらなくなるのは確実です。
 ボクは、腕に装着する情報機器は中身を整理して、シンプルで使いやすい情報端末としてコンパクトにまとめない限り、どんな機器を作っても、腕時計のように普及していくのは難しいと思います。
 そもそも人間は、腕に何か機械を着けなければならないのでしょうか。長い間、「時間」に縛られてきたボクたちの腕が、ようやく解放されようとしているのに、その腕をこんどは「情報」でがんじがらめに縛られるなんて、まっぴらだという気もします。
 腕の役割は本来、人間が生きることの根幹に関わっています。持つ、叩く、もぎ取る、運ぶ、食べる、肩を抱く、愛する、スクラムを組む、喧嘩する、身を守る、スポーツする、芸術する、等々。ロダンの『考える人』や広隆寺の『弥勒菩薩』に見られるように、腕は思索や思考を深める重要な役割も持っています。
 腕時計がなくても済むようになり、それに代わる腕機器が固まっていない今こそ、腕本来の復権を図る絶好のチャンスなのかも知れません。(10月14日)

 <1秒に数兆個のニュートリノが、人体を通り抜けている驚異> 
 今年のノーベル賞に、2人の日本人が物理学賞と化学賞をダブル授賞というニュースは、すべての面で落ち込みと堕落に覆われてしまって、上昇へのきっかけをまったくつかめないまま、重度の自信喪失に陥っている日本社会に、久々の明るさをもたらしてくれました。
 物理学賞の小柴昌俊さんが取り組んできたニュートリノについては、宇宙の始まりから宇宙の終焉にまでに深く関わってくる素粒子なのに、ほかの素粒子に比べて桁外れに微小なため、観測そのものが極めて難しく、捕獲したり蓄積したりすることは不可能とされています。
 全宇宙という壮大なマクロと極限のミクロをつなぐものが、ニュートリノであり、もしかするとニュートリノの存在は、これまで考えられていたよりも、はるかに重要な役割を持っているのではないか、という気もします。
 ニュートリノは、宇宙のあらゆる方向から降り注ぎ続けていて、いまもボクたちの人体の中を1秒間に数兆個ものニュートリノが通り抜けています。あらゆる物質も原子も通り抜け、地球の強固な岩盤もマグマも、すべて難なく通り抜ける「幽霊粒子」とも言われます。
 宇宙にはあらゆる方向からのニュートリノの流れで大混雑していて、地球もその上のあらゆる生物も、すべてがニュートリノのシャワーによって貫かれ続けている、というのがこの世界の真の姿のようです。
 地球の裏側から通り抜けてきたニュートリノは、ボクたちの足元から頭に向かって通り抜けていき、横からのシャワーは何十人も何千人もの人間を同時に貫きながら通っているのです。
 ボクとあなたが、近くで話をしたり、一緒に仕事をする時には、お互いの体を通ってきたニュートリノが大量に、次の瞬間には相手の体の中を通り抜けていきます。そんなことが起こっているなんて、考えるだけでも、ちょっと楽しくなりますね。
 思いを寄せているあの人が、たとえ遠く離れていたとしても、その人の体を通ったニュートリノは確実に、ボクの体を通り続けているでしょう。なんとなくうれしくて、くすぐったい気持ちです。
 ということは、フセイン大統領の体を通ったニュートリノが、次の瞬間にはブッシュ大統領の体を通り抜け、つまりは地球のすべてのひとびとの体を通り抜けたニュートリノは、すべての人の体を通り抜けていく、ということにもなります。
 原子そのものが、巨大な隙間の中に浮かぶ素粒子で出来ていて、原子によって構成されるすべての物質は、隙間だらけでスカスカの状態にあり、ボクたちの体も建物も地球もスカスカ状態で、ニュートリノが簡単に通過できるのは、このスカスカのせいなのですね。
 1秒間に数兆個のニュートリノが通り抜けても、なんの異常も感じないほどスカスカのボクたちの人体。物質や人体は、強固なハードで出来ているというよりは、むしろソフトに近いセミ・バーチャルな存在ではないのか、という気さえしてきます。(10月11日)

 <水道水離れが進み、ペットボトルの水を買って飲むのが常態に> 
 今日10月7日は「水道の日」なのだそうです。最近は、1年365日のすべてが、何かの記念日やナントカの日になっていて、これだけ記念日が大量生産されると有り難味もほとんど薄れてしまいます。
 そんな中でも、水道の日は、これまたなんとも影が薄いというか、水道離れに対するアイロニーではないかという気さえしてしまいます。
 気がついて見れば、ボクたちはいつの間にか、水道の水を直接飲むという習慣がなくなってしまいました。食堂や喫茶店などで出される「お冷や」は水道の水なのかも知れませんが、ちょっと高級そうなレストランでは、客の目の前でミネラルウォーターのボトルを開けて、グラスに注いでくれます。
 最近は大学の教室でも、机の上におおっぴらにミネラルウォーターのペットボトルを置いて、講義を受けながら水を飲んでいる学生たちの姿が、あたりまえとなっていて、誰も咎めたり不思議に思ったりはしません。
 ボクはというと、家ではペットボトルの麦茶を水代わりに飲んでいて、水道の水は飲まなくなっています。なぜ、いつころからこうなったのか、自分でも良く分かりません。水道の水が不味いから、というわけではないのですが、なんとなく飲むのに抵抗があるのは事実です。
 それというのも、水道の水は貯水ダムから直接浄水場に引かれているのではなく、生活排水や工場排水など、さまざまな汚染水が混じって汚れた河川の水を使っている、ということが頭にあり、気分的になるべく飲みたくないのです。
 外出時はどうかというと、数年前までは電車や地下鉄のホームに、飲用冷却水が出る装置が置いてあり、たいていはそれを飲んでいたのですが、いつの間にか飲用水の装置はホームから撤去されてしまいました。
 おそらく、O157の汚染騒動や毒劇物混入事件、さらに地下鉄サリン事件など、不穏な社会情勢が撤去に拍車をかけたものと想像します。飲用水の冷却装置に毒物が混ぜられたり、あるいは洗浄が不十分だったりして、事件が起これば、たちまち設置管理者の責任が問われる世の中ですから、やむを得ないのかも知れません。
 そんなわけで、外でどうしても水が飲みたくなったら、結局はコンビニかキオスク、あるいは自販機でミネラルウォーターのボトルを買って飲むしかない状況です。小型の330ミリリットル1本110円は、安いとも言えるし、高いとも言えます。
 日本の水道水は世界でも有数の安全な飲料水とされていて、水道水をそのままでは飲めない国々が外国には多数あることを考えれば、水道水離れはなんとももったいない話です。
 水道の日は、日本の飲み水のあるべき姿について、改めて考えてみるいい機会なのかも知れません。(10月7日)

 <横田めぐみさんと曽我ひとみさん、異国のバドミントンの慟哭> 
 北朝鮮に拉致された人たちの詳細が明らかになるにつれ、どこまでが真実なのか不明な点が多々あるにしても、これはいかなる小説やフィクションも及ばない、極限状況に置かれた人間がどう生きてどう死んでいったかという、壮絶な歴史の記録そのものといっていいでしょう。
 とりわけボクは、横田めぐみさんの20歳ころと見られる写真を新聞などで見て、大人になったためぐみさんの美しさに息をのむ思いでした。13歳のままで時間が凍り付いているご両親は、この写真にどのような思いでしょうか。
 たまたま工作員を姿を見られたと思われて偶然に拉致に巻き込まれるという、あまりにも単純で偶発的な運命の暗転。そして朝鮮人と結婚して娘を出産し、28歳の若さで自殺するまでの、めぐみさんの過酷で辛かった短い人生。
 ボクが最も胸を打たれたのは、同じ新潟県の佐渡から拉致された曽我ひとみさんと横田めぐみさんが、北朝鮮の招待所で2度に渡り、合わせて12カ月間一緒に暮らしたことがあり、一緒にバドミントンをしたという下りです。
 めぐみさんは、ひとみさんに最初に会った時、「予想していなかった人に会った」と言ってとても喜んでいたとのこと。おそらく、どちらも郷里が新潟だということを知って、懐かしかったのでしょう。
 この2人が招待所の庭で行なっていたバドミントンほど悲しいバドミントンは、この世にありません。異国の地で、ラケットを握りしめて羽を打ち合う2人は、何を思いどんな心境だったでしょうか。
 ラケットとラケットを行ったり来たり飛び交う白い羽。日本の家族にいかなる連絡も取ることが出来ない自分たちを、行き来する羽に重ね合わせていたのかも知れません。
 日本の家族から、自分が打った羽が見えるだろうか。見えるはずはない。いっそ、空高く舞い上がる羽が、このまま日本に飛んで行って、自分たちが今ここにいることを家族に伝えてくれたらいいのに。
 バドミントンに興じて、つかの間だけでも気分転換をはからなければ、とても精神が持たない。羽を打ち合いながら、若い2人は時折、歓声を上げたり、笑い転げたこともあったでしょう。その歓声は、すすり泣きだったのかも知れません。
 ひとみさんによると、めぐみさんはたまに泣いていたことがあったといいます。
 バドミントンを打ち合った2人のその後は、明と暗に引き裂かれました。うつ病で精神病院に入院中に自殺しためぐみさん。そして、元米兵の夫や2人の娘とともに生きていることが確認されたひとみさん。
 遠い異国での、いまとなっては遠い昔の話となった、慟哭のバドミントンでした。(10月3日)

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2002年9月

<『時間の岸辺から』その15 南アルプス市民> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 今年の8月から9月にかけて、日本で思いがけないフィーバーを巻き起こしたのが、大海原から迷い込んで多摩川や横浜市内の川に出没を続けたゴマヒゲアザラシの「タマちゃん」です。
 ボクは、今回の人気の原動力は、誰が命名したわけでもないのに、いつの間にか「タマちゃん」という親しみやすい名前を獲得した点にある、と思います。高度情報化社会におけるネーミングの威力を示す、典型的なケースでしょう。
 そのネーミングで先日、日本中をアッと驚かせたのが、山梨県白根町などの6町村が、来年4月からの町村合併によって「南アルプス市」となることが決まり、日本でただ一つのカタカナの市が誕生する、というニュースです。
 4656通の応募の中から上位の3候補に絞り、合併協議会委員による投票で、応募1位の「南アルプス市」が選ばれたということで、地元の人たちの評判も上々のようです。
 こんどの場合、応募の中には単に「アルプス市」というものも11位に入っていますが、これに「南」をつけるだけで、南ヨーロッパを思わせるようなグッとお洒落なイメージになるから不思議なものです。
 ほかの自治体からは、そもそもアルプスって、ヨーロッパのものなのにズルイ、とやっかむ声さえ聞こえてきます。日本アルプスという呼称は120年以上も前に、英国人が命名して世界に紹介し、北アルプス、中央アルプス、南アルプスの分け方も明治のころに定着しました。
 カタカナ名であることから市町村名としては盲点だったようですが、南アルプスの長野県側でも最近、町村合併後の名前の候補として話に上がっていたとのことで、まさに早い者勝ちだったといえるでしょう。
 来年4月に誕生する新しい市の建物は南アルプス市庁舎となり、議会は南アルプス市議会に、また現在ある町村立の小中学校は、南アルプス市立の小中学校になります。そして、現在の町民や村民たち2万2千世帯の7万人は、そろって南アルプス市民となります。
 老後は都会の喧騒(けんそう)から離れて、南アルプス市民として晴耕雨読の余生を送りたい、という人たちも増えるのではないでしょうか。若い人たちの中にも、自分らしい生き方を探して南アルプス市に移り住み、アートや研究に取り組む人たちがきっと出てくるでしょう。
 でも、だからといって高層リゾートマンションを乱立させたり、山並みをズタズタに切り裂いてハイウェイを縦横に走らせてしまったら、アルプスの名前はたちまち色あせてしまいます。南アルプス市の原点は、豊かな森と美しい渓谷、そして澄んだ空気にあるはずです。
 行政と住民が、この初心を大切に持ち続け、南アルプス市を、ミニ東京型の地方都市とも従来型の観光都市とも異なる、日本にこれまでなかった新しいスタイルの都市に育て上げていくことを、大いに期待したいと思います。(9月30日)

 <横田めぐみさんらの尊い犠牲を人柱として、平和と安定樹立へ> 
 建前としては、人の命の尊さに軽重はなく、どんな人の命も等しく重いはずです。しかしながら、現実には重い命、軽い命の選別と差別化が存在しているのは、だれもが当然のこととして受け入れています。
 アメリカ人なかでも白人の命の圧倒的な重さに対して、アラブ人そしてイスラム圏の人々や有色人種の人々の命は、虫けらのごとく軽々と扱われ、どんなに多くの人が死のうが大怪我をしようが、アメリカ人にとっては知ったことではありません。
 同様のことが、日本と朝鮮の関係についても言えるでしょう。北朝鮮による拉致で亡くなったとされる8人の日本人の命も、かつて日本が植民地支配によって強制連行したり虐殺した無数の朝鮮人の命も、建前としては重さに変わりがないはずです。
 しかし、いまボクたちは明らかに、マスコミによるすさまじい情報洪水によって、植民地支配の時期に日本によって苦痛を受け犠牲となっていった朝鮮人と、拉致された日本人とでは、問題の性質が異なり残忍の度合いが違う、と信じ込んでいます。
 ボクたちはもう少し落ち着いて、拉致の問題を受け止める必要があると思います。人間はいつでも誰でもが、理不尽で不条理な出来事によって命を失うか分からないのがこの世であり、とりわけ現代社会はそのような落とし穴に満ち満ちています。
 にもかかわらず、今回の拉致事件での8人死亡という結果が、ボクたちに強い衝撃を及ぼしているのは、拉致されたまま肉親に連絡を取ることも出来ずに、異国での特異に生活を強制されたという、生木を裂く非情さにあると思います。
 この8人の命に軽重をつけることは出来ないとはいえ、とりわけ哀れを極めるのは、13歳で拉致された横田めぐみさんです。拉致されて連れていかれたところは言葉も通じず、どうやって両親に連絡を取ったらいいのか、めぐみさんは気も狂わんばかりだったでしょう。
 亡くなるまでの15年間は、めぐみさんにしか分からない壮絶な日々だったと推察します。朝鮮の男性と結婚して娘を出産。そして28歳で死亡。最後まで両親には連絡が取れませんでした。残された娘が、めぐみさんが拉致された時の年齢よりも大きい15歳というのも、なんともつらい話です。
 拉致問題の全容は、これから少しずつ解明されていくものと思われますが、ボクたちにとって最も必要なのは、人間の命に軽重はなく、誰の命も平等に尊いのだという建前に立ち返り、マスコミに煽動されて感情的に走らないようにすることです。
 8人の死を日朝両国の関係改善の人柱として、また極東アジア地域の平和と安定を打ち立てるための尊い犠牲として、前向きに位置付けていくことでしか、それぞれの霊に報いる道はありえないと思います。
 何年後かに、日朝の国交が樹立して、そのことが世界の平和を一層強固にする時、横田めぐみさんは天国からそっと微笑みを返すことが出来るでしょう。(9月21日)

 <『時間の岸辺から』その14 風とともに生きる> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 例年になく厳しい残暑が続く日本列島ですが、秋の訪れは風によって実感させられます。まさしく、「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行)です。
 風は考えてみれば、とても不思議な存在です。実体としては、空気の流れなのですから、物体ではなく現象というべきでしょう。
 目には見えず、手にとることも保管することも出来ないのに、ボクたちの生活にいつも関わっていて、あたかも人間や生き物たちが生きるための「場」を作り出しているように思えます。
 古来から風は、人間が制御することの出来ないものとされ、利用の道は限られてきました。風車を回して揚水や脱穀に利用したり、帆船やヨットの推進力にしたり、ほかには凧揚げを楽しむなど、レトロな利用ばかりです。
 その風がいま、人類の未来を左右する新エネルギーの切り札として、見直されています。欧米では風力発電の実用化が着々と進み、ドイツ、アメリカ、スペイン、デンマークなどは、軒並み風力発電大国となって、それぞれが原発数基分にもなる電力を風で生み出しています。
 日本では長い間、政府や研究者の間に原発信仰が根強く、風力発電は子どものおもちゃのように軽く扱われる傾向が続いていました。「風まかせ」の電力では使い物にならない、とされてきたのです。日本にはまだ、大型の風力発電は北海道、東北など8カ所しかなく、総出力は原発1基の5分の1にも達していません。
 ところが日本ではここ数年、原発や原子力関連施設での事故やトラブルが続出。最近では、東京電力による大掛かりなトラブル隠しが国民に衝撃を与え、こうした中では、住民の反対を押し切って原発を推進していくことは、極めて困難となっています。
 遅まきながら政府は昨年、日本の風力発電の建設計画を一挙に10倍に増やして、2010年までに原発3基分に相当する300万キロワットの発電を達成することを決めています。全体の電力需要から見れば、わずか1%程度ですが、ボクはむしろ、やる気さえあれば風の力で原発3基分もの電力を生み出せる点を重視したいと思うのです。
 この際、発想を革命的に転換して、日本は今後、必要な電力のほとんどを風力発電でまかなうようにすべきだ、とボクは考えます。新たな原発や火力発電の建設をすべて中止すれば、経済的にも不可能なことではありません。
 日本のいたるところ、海岸線にも山々の稜線にも、田園地帯にも、風力発電のプロペラが回りつづけ、それが文字通りに日本の「風景」として定着していくなら、それもまた結構ではありませんか。
 風とともに生きる社会は、自然の前に人間を謙虚にさせ、人間は自然とともに進む以外に未来はないのだ、ということを自覚させてくれることでしょう。(9月17日)

 <不祥事隠しに奔走する企業戦士たち、自分だったらどうする> 
 雪印にしても東電にしても、不祥事というにはあまりにも大きな犯罪的行為。このところボクたちは、カメラの前で企業のトップが並んで頭を下げる映像をイヤというほど見せ付けられてきました。
 とどまるところを知らず表面化し続けている、さまざまな企業による偽装や隠蔽、トラブル隠しなどは、もしかして氷山の一角であって、実際にはこの数百倍から数千倍の「不祥事」が潜在しているのではないか、と思います。
 表に出たのは、内部告発者が出るなど企業にとっては運が悪かっただけで、隠しおおせていれば、未来永劫に事件として発覚することもなく、企業は何食わぬ顔で安泰。このような意識に凝り固まっている企業トップや企業戦士たちは、実に多いことでしょう。
 不祥事がバレて連日ニュースで報じられ、その企業がたちまちのうちに転落していく様子を見せ付けられるにつけ、企業人たちはますますのこと、いかなるトラブルもミスも隠すことこそが、企業存続のための絶対条件である、という気になっていくのではないでしょうか。
 記憶に古いところでは、森永ヒ素ミルク事件やカネミ油症事件、チッソによる水俣病から始まり、企業というものがいかに消費者や国民に背を向け続けて、組織の保身に奔走し続けてきたことかを思うと、慄然とします。
 自分がもし、こうした企業の一員として、不祥事の只中にいたとしたら、どういう行動を取るべきなのか、極めて難しい問題です。一市民としての正義感と、組織の歯車して企業を擁護しなければならないという企業倫理と。あなたなら、ボクなら、どんな行動を取ることが可能でしょうか。
 死者や患者が発生している事件で、企業の立場を主張して被害者たちと対決しなければならない立場の社員たちは、どんな思いで被害者たちの訴えや主張に反論していくのでしょうか。いや、そんな感情さえも持つことは、企業人に許されないことなのでしょう。
 そうして、自分自身は何らの確証を持っているわけでもないのに、自分の職務と上司の命令に忠実に従って、そのことが企業の発展に貢献することだと信じて微塵も疑わず、被害者や遺族たちの号泣と怒号を尻目に、黒塗りの高級車に乗って会社に戻る時、彼は生きていてつくづく幸せだと感じているのでしょうか。
 やがてそんな企業戦士も年を取り、定年で会社を去っていきます。ずっと後になって、会社側がミスや非を認めて、被害者たちに遅まきながら救済の道が開かれる時、若さにまかせて被害者たちを言い負かすことに喜びさえ感じていた企業戦士は、人間としての自らの責任をどう取るつもりなのでしょうか。「あの時は仕方がなかった」の一言で、責任逃れの余生を送っていくとしたら、あまりにも殺伐としています。
 いま、多くの企業で、トラブル隠しやミスの隠蔽に、企業人生をかけて奔走する多くの戦士たち。会社のために忠実に生きてきたつもりでも、いつリストラされるか分からない世の中です。内部告発という新しい生き方を取って、自分を取り戻すのも一つの大きな選択肢のはずです。たった一度しかない人生を、恥知らずな不正とウソの取り繕いのために捧げてしまっては、取り返しがつかない悔いを残すことになると思います。(9月14日)

 <テロに対する終わりなき戦争よりは、アメリカの自壊を望む> 
 9.11から1年。この1年間ほど月日の経つのが早く感じられたことは、これまでなかったように思います。同時多発テロの激震以降、毎日来る日も来る日もニュースに釘付けとなり、米軍によるアフガン空爆、タリバン政権の崩壊、カルザイ議長を中心とする暫定政権のスタートと、めまいがするほどに早送りでコマが進んだ世界。
 その間に日本では、構造改革は遅遅として進まず、政治家と役所、企業の不正やスキャンダルは出るわ出るや。いったいこの1年にどれだけの不祥事がニュースとなったのか、そのほとんどは覚えてもおらず、思い返すのもうっとうしく、もはや日本はすっかり骨抜きとなったダメ国家に成り下がってしまい、あとは落ちるところまで落ちないと、どうにもならない、とみんなが分かっている奇怪な空気。
 いったい、この1年とは何だったのか。ボクたちは、本当に21世紀の世界を見ているのだろうか。もしかして、21世紀ではない、とんでもない「まがいもの」の時空に、世界全体が迷い込んでしまって、本来あるはずだった21世紀ではない世界になっているのではないか。そんな気にさえなってきます。
 同時多発テロから1周年ということで、さまざまな人たちがさまざまなことを、論じてたり分析したりしています。それぞれにうなづく点があったり、首をかしげる点があったり、さまざまです。
 なぜアメリカは嫌われるのか、アメリカはいま改めて自問しているようですが、おそらくアメリカは、こんなに一所懸命に自由を守るためのテロとの戦いを行なっているのに、なぜ世界はアメリカのやっていることを分かろうとしないのか、と本気で不思議に思っているのだと思います。
 アメリカが抱えている最大の問題は、アメリカが豊か過ぎることと、強すぎること、その2点に尽きる、とボクは思います。ほかにも、独善的な一国主義など、批判されるべき点はヤマとありますが、圧倒的に豊かで強いという、そのこと自体には何らとがめられる筋合いはないはずの、富と力の集中こそ、世界にとっての最大の危機になっているのです。
 一つの地球の上に生きている以上は、一国だけがずば抜けて経済的、軍事的に優位にあることは、許されないことなのです。アメリカがどんなに弁明しようが理屈を述べようが、突出した独り勝ちは世界にとっての未曾有の不幸であり、世界にとって最大の不安定要因です。
 この状態でテロとの戦いを強行すればするほど、逆に世界の各地でテロは多発し、テロリストは増殖していくでしょう。世界の破滅を覚悟で、アメリカ一国で世界永久戦争状態に突入していくか、世界から孤立したアメリカが内外からの揺さぶりを受けて自壊していくか、どちらかしかないような気がします。
 アメリカは、世界が破滅してもテロとの戦いに勝利する道を選ぼうとするでしょう。ボクは、それならばアメリカの崩壊の方を願うしかありません。(9月10日)

 <水と太陽光だけで411日の断食、医学チームがメカニズム解明へ>=通算600本目 
 近代科学では説明出来ないことがらが、この世界にはまだたくさんある、というのはその通りだと思いますが、透視能力などの超能力や浮遊体験などのオカルト的な話にはどうもついていけません。信者獲得や視聴率稼ぎのために何かウラがあるに違いないという、うさん臭さの方が先に立ってしまうのです。
 しかし最近、新聞の片隅に載った「光合成男?」という見出しの小さな記事は、「ホンマかいな」と思う半面、本当だったらエライこっちゃ、という驚きの内容です。それは、インドの64歳の男性が、医療チームの監視の下、水と太陽の光だけで411日間の断食を敢行した、というのです。
 この男性は6月にアメリカに招かれ、新たな断食をすでに2カ月以上に渡って続けていて、米国の科学者チームが男性の生体調査を開始した、ということです。これを伝えた米紙は、この生体調査の結果が、火星への有人飛行の道を開くものと期待されている、と報じています。
 ブッダも含めて、昔から長期に渡る断食修行を遂行した人たちの話は極めて多く伝えられていますが、精神力や宗教的啓示などの話に還元されてしまい、人間の肉体が長期の断食に絶えられるメカニズムはほとんど解明されていません。
 人間は何もせずに横になっているだけでも、1日に必要な最低限のエネルギー(基礎代謝)を使い続け、日本人の成人男性ではこれが1400キロカロリーとされています。水だけで長期間に渡る断食を遂行出来る人が存在するのは、基礎代謝エネルギーを補完し続ける何らかのメカニズムがあるものと推定されます。
 断食に関するホームページなどを見てみると、このメカニズムとして現在考えられているのは、一つには体内の細菌が太陽光のエネルギーによって栄養素を生み出している可能性。もう一つは、血液中のヘモグロビンの分子構造が葉緑素のそれに極めて似ていることから、人体で光合成が行なわれている可能性です。
 このようなことが行なわれるためには、精神的な素地とともに体質的なものも関係しているに違いありません。今回のインドのケースが本当の話だとして、注目すべきは、水だけでなく太陽光にあたっていることが、断食遂行の大きな条件となっている点です。
 体内細菌が栄養素を生産しているにしても、人体内で光合成が行なわれているにしても、それは従来の科学を大きく覆す極めて衝撃的な出来事です。この仕組みが解明されていけば、火星への有人飛行だけでなく、食べ物なしで人間が生存出来る可能性を切り開き、ひいては人間の構造そのものを変革していく可能性さえ秘めています。
 インドの男性の話が、でっちあげやトリックでないことを信じつつ、米国科学チームの生体調査の結果に期待したいと思います(9月7日)

 <『時間の岸辺から』その13 蚊帳のうちそと> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 夏といえば、どこかで上演されているのが「四谷怪談」。この物語の中で、悪の権化・民谷伊右衛門が、お岩さんに行なった仕打ちの中で、最も残忍非道なことは何でしょうか。毒を飲ませてお岩さんの顔を恐ろしい形相に変えたことでしょうか。
 ボクは伊右衛門が行なったことの中でも凄まじさの極みは、質屋で酒代に換えるため、産後の病に苦しみながら赤ん坊を育てているお岩さんから、蚊帳を奪い取ったことだと思います。
 蚊が猛襲する季節に、乳飲み子を抱えて蚊帳を奪われることが、どれほど残酷なことであるか、観客全員が肌身に感じていればこそ、物語後半に亡霊となって出てくるお岩さんの怨念が哀れを誘うのです。
 その蚊帳も、高度成長とともに日本の家庭から姿を消し、蚊帳を「かや」と読めない若者や、蚊帳の中に入ったことも見たこともない子どもたちが多数になってしまいました。
 衛生状態の改善による蚊の減少、アルミサッシやクーラーの普及、電気蚊取器の出現などが背景にあり、マンションでは蚊帳のつりカギをつけることも出来なくなっています。
 蚊帳は過去の遺物になったと思われていましたが、日本ではこのところ、蚊帳の存在価値がにわかにクローズアップされ、購入する家庭がわずかずつですが増えてきました。
 クーラーの冷風に直接あたって寝たくない、殺虫剤を使いたくない、など蚊帳が見直されるきっかけは、さまざまです。麻の蚊帳は湿気を吸うため、体感温度で2、3度低く感じられることも人気を呼んでいます。
 静岡県の寝具店では、数年前まで年にせいぜい10張りしか売れなかった蚊帳が、今年の夏は1千張りも売れたといいます。この店では、ベッドの部屋でも使える蚊帳や、つりカギがなくてもアーム1本でつることが出来る蚊帳、ムカデ除けに床部分もネットにした蚊帳など、現代にマッチしたさまざまな蚊帳を作り出しています。
 千葉県内でこの夏行なわれているイベントでは、女子大の生活環境学科が、会場の道路沿いに19張りの蚊帳をつって、さまざまな生活空間を作り出し、来場者に蚊帳の中に入ってもらう「蚊帳のウチ」という企画を実施中です。
 蚊帳の内側では、蚊帳の外とはまったく違う空間が生まれ、時間の流れさえも外側とは異なっています。蚊帳の中の家族、蚊帳の中の男と女、蚊帳の中の独りぼっち。それぞれに、蚊帳の数だけの物語が生まれます。
 ヨーロッパでも蚊帳はインテリアとして人気を呼び、アフリカ諸国ではマラリアなどから身を守る必需品として、需要が高まっています。蚊帳の魅力は、無駄なエネルギーを使うことなく、環境や生態系との共生をめざす「やさしさ」にあるといえるでしょう。
 蚊帳の内側から外の世界を見やる時、闇に閉ざされている未来への道が、ぼんやりと見えてくるかも知れません。(9月3日)

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2002年8月

 <東海地震で8100人が死ぬと分かっても、防ぐ手立てはなく> 
 9月1日は防災の日。毎年、各地で大掛かりな防災訓練が行なわれますが、こうしたイベントはどうも肝心なポイントを避けているような気がしてなりません。災害はいつどこで起こるか分からない、というのはその通りですが、かなりの精度で近い将来、必ず発生することが分かっている大災害は、東海地震です。
 これはもう何十年も前から言われ続けているため、被害が想定される地域の住民たちも、もはやあきらめというか、すっかり「狼少年」に慣れっこになって、切実感が薄らいでいるような感じさえあります。
 中央防災会議が昨日初めて公表した東海地震による被害想定では、最悪の場合、23万棟の建物が倒壊して約8100人の死者が出るとしています。最悪の場合とはいうものの、この死者数は建物倒壊による死者だけで、火災や津波によって発生する死者は計算に入れていません。阪神大震災の火災を考えても、火災による死者は相当数にのぼると考えていいでしょう。
 かりに、中央防災会議の公表通りに、約8100人の死者が出るとして、政治も科学もこれを防ぐことが出来ないというのは、ハイテクのこの時代になんとももどかしい限りです。東海地震が多くの学者たちが警告するようにあと数年以内に発生するとすれば、いまこの地域に生きている人たちの中から、8100人が死ぬということです。さらにこの数倍のけが人が発生するでしょう。
 最も被害が大きくなる震度7強の地域はほぼ特定されており、しかも倒壊の危険がある建物もある程度特定されるわけで、それならば何年後かに東海地震の死者となる人というのは、極めて絞られてくるといえます。それらの人たちは、いまどんな思いで生活していることでしょうか。
 この地域から脱出するか、耐震の住宅に引っ越すかすれば、死ぬ確率はうんと低くなることは分かりきっているのですが、仕事や学校の関係さらには経済的な理由などで動くに動けず、その日が来たらその時はその時、と運を天に任せるしかないのが多くの人たちの現実なのかも知れません。
 結局のところ、人命は何ものにも換え難いなどと言ってみても、それは建前だけでしかないことは、みんなが知りすぎるほど知っています。8100人が死ぬことが目に見えていても、日々の経済活動や諸々の日常の営みは休むわけにいかず、カスストロフに直面してようやく、防災対策が不十分だったという評論・解説がヤマのように出されるのです。
 東海地震の警戒宣言がタイミングよく出され、住民の避難がうまく行なわれた場合には、死者は2100人にまで減らせることも分かっています。しかし一方では、警戒宣言が出た場合の経済的損失は1日7200億円という試算もあり、3日も警戒宣言が続けば2兆円を超える大損失が出ると言われ、空振りになった時の責任を考えると出せないのではないか、とも言われています。
 人の命は、救うために見積もられる経済的な出費と、天秤にかけられるのが、ボクたちの社会です。人命といっても、その程度の重みしかない、という現実を、しっかりと見据える必要があると思います。(8月30日)

 <アザラシのタマちゃんに見る、たった独りで生きる孤高の命> 
 今月上旬に、東京・多摩川に現れて一躍人気者となったアゴヒゲアザラシのタマちゃん。台風とともに姿を消して心配されていましたが、こんどは横浜市内の鶴見川に現れ、新聞もテレビも久々の大スター扱いで連日大きく報じています。
 山奥に住む動物が都会に現われることは珍しくありませんが、今回のタマちゃんの動静が国民的関心事となっているのは、もともと寒い地域に生息するアゴヒゲアザラシが、真夏の東京に出現したという驚異的な移動距離に加え、水面から顔を出す様子が愛くるしく、いかにも必死で生きている様子がうかがえるからでしょう。
 このタマちゃんを見て思うのは、彼(あるいは彼女?)は何の持ち物も持たず、当然のことながら一銭の所持金も預貯金もなく、すべての仲間から離れてしまってもなお、人間や他の動物に援助や助けを求めることなく、たった一頭でその日その日を精一杯生きているという、孤高の命の神々しいほどのひたむきさです。
 汚れた水質、不適当な水温、そして経験したことのない困難な餌探し。どこをどうやって泳いでいけばもとの群れにまでたどり着けるのか、見当もつかないほどの迷い込み。それでもタマちゃんは、泣いたり八つ当たりしたり逆切れしたりせずに、黙々と淡々と、川を泳ぎまわり、自分のことは自分でちゃんと処理して生き抜いています。
 野生の猿のように、民家に忍び込んで食べ物を失敬するなどのワルサをするわけでもなく、餌は自分でなんとか探し出して、人間に一切の迷惑をかけないようにしています。どこに出没するか分からないタマちゃんは、連日追いかけるテレビや新聞のカメラマン泣かせですが、これとてタマちゃんのせいではなく、人間が勝手に追いかけているだけの話です。
 こうやってタマちゃんを見ていると、人間とはなんと贅沢で奢った生活をしている存在なのだろうかと、恥ずかしくなる思いです。やれあれが欲しいこれが足りない、あれは不味いのこれは飲めないの、あれをこうしろこれはこうすべきだ、こんな生活には耐えられないだのもっと豊かになりたいだの、出世がどうの地位がどうの、はてしなき世俗の欲望を膨らませて結局は不満たらたらのイライラ、ピリピリ、ガチガチ。
 あげくのはてに人間は、あいつが悪いのあいつのせいだのと言って、人間を大量に傷つけ殺し続けてきて、それでどこが悪いかと開き直ってきた文明の数千年。生命の尊さなんて建前だけの話で、偉い人たちほど自分以外の生命なんてどうでもいいと思っている人間の強欲の深さと志のみみっちさ。
 そんな救いのない人間社会のなかに出現したタマちゃんは、ボクたちが見ようとしてこなかった多くのことに気付かせてくれます。ひよっとしてタマちゃんの出現そのものが、未来から送り込まれたメッセージであるのかも知れません。(8月26日)

 <世界各地で大洪水と干ばつ、地球が身悶えし炎上を始めた> 
 どうやら地球全体がおかしくなっている。多くの人たちが、科学的な裏付けよりもまず直感で、そう感じています。日本では、今春の桜の異常開花や7月、8月の記録的な猛暑は、不気味な予兆を感じさせます。
 エルベ川、ドナウ川流域のヨーロッパからロシア黒海沿岸にかけての広い地域では、100年に一度とも言われる大洪水に見舞われました。中国、インド、ネパール、カンボジア、ベトナム、バングラデシュ、韓国など、アジアの各地でも大洪水が発生していて、いずれも被害は深刻です。
 陸地にまんべんなく雨が降らなくなってきたのではないでしょうか。降る地域では極端に集中して豪雨が続き、一方では降らない地域は記録的な干ばつに苦しめられています。
 干ばつがひどいのは、アメリカ中西部やインド南西部などで、こちらも穀物などに未曾有の被害が出ています。日本でも雨の降り方が少ない地域での山火事が続いています。
 こうした事態に対し、欧州では地球温暖化による影響という見方が強まっていますが、アメリカ政府はブッシュ大統領を筆頭に、地球温暖化は「官僚の作文」であって、異常気象は温暖化のせいではない、という態度を崩していません。
 そうこうしているうちにも、南太平洋に浮かぶサンゴ礁の国、ツバルでは海水面上昇による水没が現実の危機として、ひたひたと迫りつつあります。またアメリカでもアラスカ州の小島シシュマレフが水没を始め、500人余りの住民は島を捨てる決断をした、と伝えられます。
 いま進行している事態は、地球が60億の人類とその文明をもはや支えきれなくなり、地球そのものが身もだえしている姿なのです。一言で言うならば、地球炎上の始まりです。
 異変は、今後とも各地で発生したり収束したり、波のように引いてはまた襲ってきて、異変の度合いはしだいに大きく、発生の間隔は短くなっていくように思います。地球規模で、何億人もの避難が避けられなくなり、被害の巨額さに人類が愕然とするまでには、そんなに時間がかからないでしょう。
 おそらくは、あと2、3年から5、6年もすれば、誰の目にも、地球が壊れつつあり、もはや戦争だ株価だなどと言っている場合ではないことを、どの国の指導者たちも思い知らされるでしょう。
 資本主義経済、いまの言葉で言えば市場主義経済は、利潤追求こそが全てであるというその本質からして、地球環境や生態系との共生は不可能なのだと思います。市場主義経済を捨てるか、地球を捨てるか、二つに一つしか選択の余地はありません。(8月23日)

 <『時間の岸辺から』その12 管理される快感> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)が、8月5日から稼動を始めました。6つの自治体がネットに接続せず、波乱含みのスタートでしたが、政府は「電子政府・電子自治体に向かう歴史的な一歩だ」と評価しています。
 住基ネットについては、さまざまな問題点が論議されていますが、ボクが不思議に思うのは、11桁の番号を振られる国民の多数が、政府の方針に異議を唱えることもなく、従順についていくように見える点です。
 住基ネットの仕組みそのものが、国民に十分に知らされていないのではないか、という指摘もあります。しかしボクは、どうもそれだけではないような気がします。
 スタート初日の市民の声を、テレビが伝えていたのを見ると、個人情報の漏洩(ろうえい)を心配する人たちがいる一方で、「便利になるからいいことだと思う」と歓迎する人たちが結構いることに、目を見張る思いでした。住基ネットに違和感も抵抗感もない人たちがいるというこそ、この問題のポイントではないか、とボクは考えます。
 もっといえば、政府によって自分の個人情報が管理されるのは、国民として当然であり、騒ぐ方がおかしいというような雰囲気が、いつの間にか日本の社会に浸透していることが、政府の住基ネット推進の背景にあるという点です。
 最近の日本人には、強い力によって管理されることへのある種のあこがれ、管理される快感への甘美な欲求のようなものがあるように感じます。それが最も顕著に表れたのは、さきのサッカーW杯における管理された熱狂と興奮です。
 管理される快感とは、監視される快感であり、言われた通りに動く快感であり、みんなに合わせる快感であり、モノを考えなくても済む快感であり、自分で決めなくてもいい快感であり、自由と引換えに庇護(ひご)してもらえる快感です。
 その快感の背後にあるのは、国家です。国家に身をゆだねる快感、国家を賛美する快感、国家の側にいる快感、国家が強いことの快感、国家が勝つ快感、相手国を負かして上に立つ快感。
 それが危険かも知れないと気付いた時には、逃げ道は閉ざされていることでしょう。そこに厳然とそびえるのは、個人のどんな些細な行動も思考も履歴もピッタリとマークし続ける電子国家であり、国民すべてを電子的に統制し、どのような切り口からでも瞬時に分別・色分けしてリストアップすることが出来る巨大システムです。
 ネットを歓迎する人と参加したくない人とが、ともに存在している以上は、ネットに入るかどうかを選択性にするのが一番良い方法だと思います。
 11桁の数字を、バラ色の電子社会への招待状と受け止めるか、監視国家に縛りつけられる鉄鎖(てっさ)と受け止めるか、そこが判断の分かれ目になるように思います。(8月20日)

 <核の先制攻撃を言うアメリカこそ、世界を破壊する悪の枢軸だ> 
 いったいアメリカという国は、どこまで愚かな存在になっていくのでしょうか。去年9月11日のテロの直後は、アメリカが受けた悲しみや怒りに対する国際的な理解もあり、アメリカが軍事力にまかせてアフガンへの攻撃に走ったとしても、アメリカの行動を批判することは、少なくとも公にははばかられる雰囲気が世界にありました。
 しかし、その後のアメリカの被害者意識を逆手に取った増長ぶりと、あらゆる国際条約、国際機関を無視して自国の利害だけのために暴走を続ける態度は、もはや看過できないものであり、いまやアメリカこそが世界の平和と安定にとって最も危険な存在となっていることを、全世界が認識しなければなりません。
 米国防総省が昨日議会に提出した国防報告は、米国に脅威を与える敵には「核使用」も含めた先制攻撃を辞さない姿勢を明確にしていて、まさに平和への宣戦布告にほかなりません。それは人類が営々として積み重ね、幾多の戦火と多大な犠牲の上に構築してきたすべての叡智と取り決め、話し合いの仕組みと相互理解の精神を、真っ向から踏み躙るもので、ボクたちは断じて容認することは出来ません。
 東西冷戦の最中に続いた恐怖の核の均衡は、両陣営の肥大した核兵器が危ういバランスを取りつつも、それぞれの陣営のトップが、少なくとも自分たちの陣営が先に核攻撃を仕掛けることはない、というメッセージを公式・非公式に相手方に伝えることにより、疑心暗鬼に陥りながらも、どちらの陣営とも核の先制使用をためらってきました。いわば人類はギリギリのところで、「言葉」への最後の信頼に望みをつないでいたのです。
 しかし、いま米国がおおっぴらに表明している、自国に脅威を与える敵には核使用を含めた先制攻撃も辞さない、という方針は、もはや抑止力としての核ではなく、先制攻撃しなければ攻撃されるという、使用を前提とした核への転換です。
 この論理は、米国が言う「悪の枢軸」の国からすれば、米国が本気で核を仕掛けてくるなら、それに対抗する核軍事力を早急に整備・増強しなければならない、ということになります。米国の態度は、まさに核軍拡への挑発であり、米国は相手国の大量破壊兵器開発を促すことによって、結果的に戦争突入以外にはない状況を作り出そうとしているのです。
 米国がそういう態度なら、相手国もそれなりの対応を余儀なくされるでしょう。どの道、米国から核の先制攻撃を受けることが避けられないのならば、こちらから先に米国に核攻撃を行なうしかない、という強硬論を抑えることは困難になります。
 いまや、アメリカこそが世界平和の最大の脅威であり、悪の枢軸とはアメリカ自身のことにほかなりません。もはやアメリカのご機嫌をうかがっている場合ではありません。アメリカの暴走を食い止めるため、自国政府に対して毅然とした態度を取るよう、すべての国民が求めていかなければなりません。
 アメリカから核兵器を2度に渡って落とされた日本には、ためらう各国の先頭に立って、アメリカの核使用を食い止める責任があります。また平和憲法を持つ国であればこそ、それは国際的にも説得力を持ち、アメリカの行動を変える力になるはずです。
 日本のマスコミ、とりわけ大新聞には、アメリカの立場にも一定の理解を示す、などの無定見な対応は許されません。この問題に関しては、アメリカへの徹底的な抗議と批判を続ける以外に道はないのです。(8月16日)

 <お盆は、DNAの継承を続けてきたご先祖すべてに感謝する日> 
 ボクたちはなぜ、お盆にふるさとに帰省して、お墓参りをするのでしょうか。ふだんは無宗教・無神論の日本人にとって、お盆の最大の意味は、ご先祖さまを供養することです。
 ではいったい、どのくらい前のご先祖さままで、ボクたちは供養しているのでしょうか。ボクはつい最近まで、お墓参りにおいては、ボクたちこの世に生きる世代が思い出すことが出来る限りのご先祖さまをしのぶのだ、と思っていました。
 大昔のご先祖さまたち、例えば江戸時代のご先祖については、ボクはどのような人たちだったのか、断片的なことすらも分かっていないため、お墓の前にたたずんでもしのびようがない、と考えていたのです。
 しかしボクはちかごろ、どんなに遠いご先祖さまであっても、むしろ遠ければ遠いほど、ボクが現在生きているのは、それらの無数のご先祖たちの代々に渡る艱難辛苦のおかげであることを、ひしひしと身にしみて感じるようになりました。遠くのご先祖さまのどの一人が欠落していても、いまのボクは存在しなかったことを思うと、自分が現在存在していることの天文学的に微小な確率すなわち奇跡に、気が遠くなる思いがします。
 お墓参りとは、自分が存在しているという稀有の有り難さをご先祖さまたちに感謝し、はるかな子孫継承の旅を黙々と続けてきたご先祖たちのご苦労をしのび、戦乱疫病飢餓貧困そして幾多の危機を乗り越えて子孫のバトンタッチを絶やさなかった、ご先祖たちのひたむきさと健気さに、心底から頭を下げることなのです。
 どのくらい昔からボクの命の糸が続いているかは、ボクの身体を構成しているDNAを考えると、慄然とする思いです。このDNAの複製・伝達の流れは、平安時代どころか、弥生・縄文時代にまでさかのぼり、さらに現在の日本人のルーツから人類のルーツにまでさかのぼり、さらにさらに猿人から類人猿へ、そのまたルーツの原始哺乳類へと、とめどもなくさかのぼっていきます。
 そうして、おそらくボクの命の源は、39億年前、どろどろの原始地球の太古の海で発生した、ようやく自己複製を始めたばかりの原始生命のどれかにまでたどりつくでしょう。遥かなる39億年の生命のバトンタッチと進化の歴史が、ボクの体内に脈々と引き継がれて、いまこの瞬間のボクを作り出しているのです。
 お盆にふるさとでお墓参りをすることは、DNAの遥かな伝達が着実に行なわれてきたことを、すべてのご先祖さまに、人間はもちろんのこと人間に至るまでのすべての先祖の生き物たちに、感謝の気持を込めて報告することなのだと思います。(8月12日)

 <暑さのピークで迎える立秋、3カ月後は木枯し吹く冬の入り口> 
 今日は立秋です。暦の上では秋のスタートなのですが、夏の全国高校野球甲子園大会は今日が開幕です。夏の甲子園大会が立秋に開幕するというのは、考えてみれば不思議な話です。日本の夏が実質的には、7月20日前後の梅雨明けによって本番となり、暑さは9月のお彼岸のころまで続くことからして、甲子園大会の2週間は暑さの真っ盛りなのですね。
 暦の上での季節の節目と実際の季節とのズレを、日本人は巧みな言い回しで表現してきました。立秋以降の暑さは残暑とされて、本来は暑さの時期ではないけれども、いまだに残っている暑さなのだ、と解釈することで、あと一息我慢すれば涼しさにたどり着ける、と自分たちに言い聞かせてきたのでしょう。
 四季の移ろいの中では、立秋から立冬までの3カ月の落差が最も大きいように感じます。11月7日の立冬は、4つある季節の始まりの中では暦と実際の季節感が最も一致している、といわれます。
 9月に入ってもなかなか終らない残暑は、9月23日の秋分の日ころを境にピタリと止んで、その後の秋の訪れは足早です。10月には最高気温が1日につき1度のペースで急降下を続け、立冬のころには木枯しが吹く寒さになっています。秋らしい秋の期間は意外なほど短く、紅葉前線が列島をかけ抜け終わると、そこはもう冬の入り口。
 あと3カ月もしないうちに、来年の年賀状が発売されるなんて、甲子園大会開幕の今日の猛暑の中では、ウソのように思えます。考えてみれば、今は夏至のころからすでに1カ月半も過ぎ、太陽の傾きからすれば、とうに日照のピークを越えているのですね。
 太陽といえば、ボクはこういう四季の節目にはいつも、輝く太陽の真後ろに思いをはせたくなります。今日の太陽の真後ろには、6カ月前の立春の日に、ボクたちを乗せた地球が通過した公転軌道の一点があります。はるばると、半年かかって巨大な軌道を半回転する旅を続けてきた地球とボクたち。
 その太陽の真後ろは、6カ月後の来年の立春に、再び地球とボクたちが通過する宇宙空間の予定点でもあります。いまのボクたちがいる地球は、立春のころには、太陽の真後ろになっているはずです。
 宇宙旅行などと大仰なことを言わなくても、ボクたちは1年がかりで太陽の回りを大きく周回する宇宙の旅を、休むことなく続けているのですね。人類が登場するはるか以前から。そして有史以来の数千年間も、いつか人類が生存の限界に達して姿を消した後も、さらに何億年にも渡って、地球はひたすらに同じ旅を続けることでしょう。(8月8日)

 <『時間の岸辺から』その11 空から降るもの> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 日本の8月は、鎮魂の日が集中しています。6日と9日は、広島と長崎の原爆の日、12日は日航ジャンボ機が墜落した日、13日はお盆、そして15日が終戦記念日。この季節、セミ時雨と炎天の下で青い空を見ていると、いろいろな想いが浮かびます。
 敗戦日本の焼け跡に流れていた「リンゴの唄」。リンゴは、食糧難にあえいでいた国民の気持に重なっていた、と説明されることが多いのですが、ボクはもっと別の意味があるように思います。
 リンゴとは、戦争によって父や夫や兄や弟や恋人を奪われていた、日本の女たちの総称なのではないでしょうか。
 この歌でとても重要なフレーズは、リンゴは何も言わないけれど、リンゴの気持はよく分かる、という下りです。言わなくても分かるリンゴの気持とは、「何も落ちてこない青い空って、なんて素晴らしいんだろう」ということに違いない、とボクは思うのです。
 あの戦争が終って57年。ボクたちは、空から人工的なものが落ちてこないことを、ごく当然のように思って生活しています。しかし、「何も落ちてこない空」の下に暮らしていられるのは、それほど当たり前のことではないのです。
 空襲警報が鳴り響き、天空の黒い一点がしだいに大きくなって、頭上を覆うように飛来してくるB29の編隊。まさに空から、雨あられと落ちてくる爆弾。多くは「モロトフのパンかご」と呼ばれる焼夷弾(しょういだん)で、落ちながら分解して中から無数の小型弾が飛び散り、2千度もの高熱で建物も人も焼き尽くしました。住宅密集地への無差別絨毯(じゅうたん)爆撃により、市民たちは火の海に囲まれて逃げ場を失いました。
 日本を空襲した米軍機は3万3千機。東京、大阪、名古屋、横浜、神戸を始めとして、おもな中小都市はことごとく空襲の対象となりました。本土に投下された爆弾の総量は16万トン以上。とどめは2発の原子爆弾でした。
 世界ではいまなお、空襲の恐怖におびえながら生きている人たちが多数存在しています。空襲は軍関連施設だけを標的にするというのは、全くのたわごとです。空襲とはその本質からして、無差別殺戮(さつりく)です。
 アフガンでは先日、結婚披露宴が行われている民家を米軍機が誤って爆撃し、80人もの死者と160人以上の負傷者が出ました。パレスチナでは、イスラエル軍の空爆で、子ども3人を含む12人が死亡し、多数の女性や子どもが負傷しました。イラクに対しても、米英軍の散発的な空爆が続いています。
 世界のすべての人々が、何も落ちてこない空の下で安心して暮らすことが出来る日は、いつになったらやって来るのでしょうか。
 空から降ってくるのは、雨や雪や霰(あられ)だけでいいのです。時たま、雹(ひょう)が降ったり雷が落ちるくらいは、爆弾に比べればはるかに平和な落下物です。(8月4日)

 <何もかも味わい尽くす人生など、凡人にはありえないと悟る> 
 平知盛のように「見るべきほどのことは見つ」と言いきって、最期を迎えられる人間は、なかなかいません。それどころか、見るべきことのほとんどをまだ見ていないうちに、老いを迎えてしまい、やり残したことのあまりの多さに愕然としつつも、もはやなすすべなく、余生を生きていくことがやっと、という人の方がずっと多いのではないでしょうか。
 そういうボクも、あれもやりたいこれも見たいと思いながらも、結局のところは、先送りし積み残ししているうちに、歳月だけが容赦なく経過していくのを感じます。名作映画の数々も、お芝居もミュージカルもしかり。歌舞伎も能も、見てない演目だらけ。読書にして、読破した名作は数えるほどしかありません。
 それでもボクは、クラシック音楽については、中学生の頃から愛好家を自認してきて、相当な数のレコード(CDではない)をコレクションとして溜め込んできました。しかし、ボクが聴いてきた音楽とは、結局のところ交響曲や管弦楽曲に偏っていて、要するにオーケストラの派手な音響に魅入られていただけなのだ、とここ数年の間にようやく気付くようになりました。
 そのきっかけは、大げさな言い方をすれば「老い」でした。何年か前から、ボクが好きなはずの曲をレコードやテレビで聴いても、なにか印象がおかしいのです。注意深く聴いてみると、第1バイオリンの高いメロディーがすっかり消えている、というよりボクに聞こえていないのです。
 バイオリン協奏曲を聴くと、ソロのバイオリンについては高音まで聞き取れますが、やはりオーケストラのバイオリンの高音は飛んでしまいます。では弦楽四重奏曲などの室内楽についてはどうか。この場合は、バイオリンの高音もしっかり聞こえます。
 ということは、大音響のオーケストラでは、バイオリンの高音が相対的に小さな音量となってしまい、全体の中に埋もれてしまって聞き取れにくくなっている、ということなのです。
 そんなわけでこのところ、ボクが聴くようになったのは、室内楽やバイオリン・ソナタ、ピアノ・ソナタなどです。若いころには見向きもしなかったこれらのジャンルが、実はオーケストラをはるかに上回る深くて美しく、そして力強くも豊かな楽曲に満ち満ちていて、ボクがようやく耳を傾けた曲たちは、それらのほんの一部に過ぎないということを、ようやくこの年にして知りました。
 それと同時に、人は何もかも味わい尽くすことが出来るなどと思えるのは、一握りの天才だけで、われら凡人にはあり得ない幻想なのだということも悟りました。人は知らない分野がヤマのようにあっても、一向に構わないのです。残された人生の中で、自分が本当に傾注出来、心を惹かれる分野だけに的を絞って、それらの事柄を心行くまで楽しむことこそ、一人の個人にとって身の丈にふさわしい幸せなのではないでしょうか。(8月1日)

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2002年7月

 <さらばワープロ、ビデオテープのラベル打ちもついにパソコンへ> 
 日本におけるIT機器のはしりは、なんといってもワープロでしょう。ボクが初めてワープロに触ったのは、いまから20年近くも前のことです。当時は大変高価な機械で、会社の中でも数台しかなく、フロッピーは大きな封筒にやっと入る大皿のような大きさでした。
 その後、東芝から安価で簡便な普及型ワープロとして、「トスワード」が発売され、ボクの職場にも試験的に導入されました。それ以前の大型のワープロに比べたら画期的なパーソナルタイプです。いまから見れば信じられないことに、ディスプレイに表示されるのは、わずか数行だけ。全体のレイアウトを見るためには、すべての行をスクロールしなければなりませんが、そんな不便さは気にもならず、打った原稿をいくらでも書き換えたり挿入したり出来ることは、大きな驚きでした。
 それ以来、ボクのワープロ時代は長期に渡ることになり、パソコン通信の時代となっても、ボクは通信機能付きのワープロで乗り切りました。パソコンが普及し始めても、文章作成の使い勝手では、圧倒的にワープロの方が優位で、表や罫線などの機能もワープロにかなうものはない、と思っていました。
 ボクがパソコンを買った目的は、インターネットにアクセスするという、その一点だけでした。パソコンがあっても、文章作成はすべてワープロで処理してきました。
 それが変わり始めたのは、作成した文書をメールに添付して送らなければならない場面が増えてきたことです。ワープロで打った文書は、MS−DOS文書にテキスト変換しなければ、パソコンで扱うことは出来ません。しばらくは、いちいち変換してメールに添付していましたが、変換の際に書式が崩れたりして、整形し直すなどの面倒が多くなり、とうとうワープロでの文書作成を断念して、ワードやエクセルに切り替えました。
 それでも、最後までワープロでしか出来ない作業がありました。テレビ番組などを録画したビデオテープのラベル打ちです。小さい文字で4行に渡るタイトルから、4倍角の大きなタイトルまで、テープ付属のラベルにきれいに印刷するための書式設定を、個人的なノウハウとして蓄積。ボクにとって、これだけはパソコンに譲れない、最後のワープロの領分だったのです。
 ところが先日、パソコンショップでビデオテープのラベル専用用紙があるのを見つけて買ってみたのが、ワープロにとっての不幸でした。ソフトはネットで無料でダウンロード。それで試してみたら、面倒な書式設定は一切不要で、文字の大きさや字体、色、レイアウトなどすべてが、マウス操作によってワンタッチで出来、プリントの仕上がりもワープロとは比較にならないほどきれいなのです。
 こうして、20年に及ぶボクのワープロ時代は幕を静かに閉じました。さらばワープロ。愛すべき忠実なIT機器でしたが、致命的だったのは、ネットに接続できないことでした。もはや電源を入れることもないワープロは、押し入れの奥でひっそりと、永遠の眠りについています。(7月28日)

 <『時間の岸辺から』その10 富士が爆発する日> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 よく晴れ渡った日、東京のビルからいつもと変わらぬ富士山を望む度に、ボクは「竹取物語」のラストを思い起こします。
 かぐや姫は月に帰る時に、自分に想いを寄せ続けた帝(みかど)に不死の薬を渡しました。帝は、「姫のいないこの世で、そのようなものはいらない」として家来たちに命じ、駿河の国の天に近い山の上で、薬を焼いてしまいます。
 その煙は絶えることがなく、山の名前は「不死」すなわち「富士」となった、として物語は終っています。
 不死の薬を焼かせた帝の気持もさることながら、ここで注目すべきは、富士山が噴煙を上げているのは、昔からごくあたりまえの光景だったという点です。
 有史以来、富士山は記録に残るだけでも、20回の噴火を起こしています。1707年(宝永4年)の宝永の大噴火では、江戸の町中にまで火山灰が降り続け、空を覆う灰で昼も薄暗かったといいます。
 富士山はこれを最後に300年近くも噴火がないため、ボクたちは噴煙のない富士山に慣れきっています。しかし過去の噴火の間隔からみると、いつ大爆発が起きてもおかしくない時期にきています。
 むしろ噴煙を上げる姿こそ富士山本来の姿なのだとして、噴火を前向きに受け入れる心構えが必要だとボクは思うのです。日本に住む以上、ボクたちの社会が噴煙を上げる富士山と共存していかなくてはならなくなる日が、いつかはやってきます。
 このところ、富士山の地下で体に感じない低周波地震が多発したり、数年後にも発生する恐れがあるとされる東海地震が、富士山噴火の引き金となるのではないか、という学者の見解が出されるなどで、富士山噴火の可能性はにわかに現実味を帯びてきました。
 政府の検討委員会は先月、宝永の大噴火クラスの爆発が起きた場合、人的損害とは別に約2兆円の経済的被害が出る、という試算をまとめました。学者の中には、東海地震だけでなく、南海地震や東南海地震も同時に起こる可能性があるとする見方もあります。
 ボクは、富士山の爆発で、鉄道や道路が寸断され、ライフラインが止まるなどで、広範囲に渡って経済活動や社会生活がマヒ状態になるのは、防ぎようもなく、仕方のないこととあきらめるほかないと思います。
 それよりも、政府や関係機関に課せられた命題は、火砕流や土石流などによる死者を一人も出さないこと、そして負傷者や噴煙による健康被害者を最小人数に食い止めること、の2点に尽きると考えておくべきでしょう。
 どこぞの国がわが国を攻めてくるかも知れないという、無理やりに作り出そうとする「有事」よりも、避けることが出来ない富士山爆発と東海など周辺地域の大地震こそ、日本に差し迫る最大の「有事」であり、その際に国民の生命と身体を守ることこそ、何よりも喫緊(きっきん)の安全保障ではないでしょうか。(7月24日)

 <映画「猫の恩返し」が誘う、別な時間が流れる世界への渇望> 
 スタジオジブリの映画「猫の恩返し」を観てきました。今回は宮崎駿企画による新人監督の作品ですが、宮崎ワールドは健在で、ファンにはたまらない佳作です。
 これまでのジブリ作品と同様に主人公は少女で、ハルという17歳の女子高生です。「トトロ」や「魔女宅」「千と千尋」など、これまでの主人公の多くが10歳くらいから14歳くらいまでだったのに比べると、ずっと大人に近くて背丈も大きく、セーラー服の短めのスカートからすんなりと伸びた長い足が、まぶしいくらいに女っぽく感じられます。
 もっと幼い少女が猫の世界に入っていくのであれば、ありがちで平板なアリス的ファンタジーになってしまったかも知れません。今回は、体つきもすっかり大人で、片思いの同級生もいる17歳の少女を据えたことで、猫の世界に入っていく異界体験がむしろ生々しいリアリティーを帯びてきて、観る者の意識の深層を揺り動かします。
 青春の迷いや悩み事を抱えて、生きることの意味を模索し続ける日常。その中で、ふっと起こった小さな事件によって、ハルは猫の世界に呼び寄せられ、引き込まれていきます。重要な点は、ハルが「猫の国もいいかも」と思うようになって、むしろ自分から進んで猫の世界に進んでいったことです。
 映画のキャッチコピーには「猫の国。それは、自分の時間を生きられないやつの行くところ。だけど、このまま、猫になっても、いいんじゃないッ?」とあります。ボクたちはみな心のどこかで、いまの自分は本当の自分の時間を生きていないのではないか、という不安と疑問を抱いています。別な時間が流れる世界で生きてみるのも、いいじゃないか、と思うことが誰にもあるものです。
 退屈で閉塞感ただよう日常から離れて、もう一つの世界に行ってみたい。その世界はすぐ近くに存在しているのに、普段は気付かないだけなのかも知れない。いつの時代でも青春は、こうした憧れや渇望を携えていました。
 別世界を体験することで、元の世界で生きる意味が見えてきます。ハルは、猫の世界で波乱万丈の冒険を体験して、再び人間の世界に戻ります。その最後のところでハルは、猫の世界で騎士のごとく自分を守ってくれ、人間界に戻らせてくれた猫の男爵、バロンのことを好きになってしまいます。
 しかしバロンはもとの人形に戻っていき、ハルにはそれまでの日常が戻ります。ハルは、自分でも気付かないうちに、一回りも二回りも成長して、また一歩、大人に近づいています。異世界での素敵な男性との冒険が終って、少女が大人になっていく。「くるみ割り人形」の少女クララを思い起こします。
 猫の国とは、ボクたちの身近にあって、行こうと思いさえすれば、誰でも行くことが出来るネバーランドの一種であり、心のありようだけが入場資格のパラレルワールドなのですね。(7月21日)

 <サッカーW杯に比べ、動きのないプロ野球と大相撲の退屈さ> 
 サッカーW杯の怒涛の興奮から覚めて、日本のプロ野球を見ていると、なんとチンタラチンタラしたゲーム運びだろうかと、改めて驚いてしまいます。サッカーの激しい動きと運動量に比べ、プロ野球はピッチャーがボールを投げ続けているだけで、ほかの野手たちは突っ立ったままほとんど動かずに試合が終ってしまいます。選手たちの不動の構えは、これがスポーツだろうかと疑うほどです。
 高校野球の場合は、地方大会から全国大会を通じて、1回負ければそれで終わりですから、死に物狂いの真剣さがありますが、プロ野球は負け試合や捨て試合もあって当然、というわけで、1試合ごとのひたむきさも懸命さも感じられません。
 ボクは、日本のプロ野球を見ていると、時間の流れというかその場に満ちている情感は、むしろ大相撲に近いのではないか、と思います。それは、チーム対チームの対戦ではなく、基本的にはピッチャーとバッターの相撲なのです。観客は、土俵の上での両者の取り組みを、じっくりとした間合いとともに、楽しむのです。
 投球の間合いやサイン交換の時間、攻守のチェンジやイニングが変わる境目の、のったりとした時間。それは大相撲の長々しい呼び出しや、延々と続く仕切りと同じで、こうした幕間の時間を楽しむことこそ、プロ野球や大相撲の醍醐味なのですね。
 だからプロ野球のファンは、相撲ファンにしっくりと重なります。その中心は、日本の社会を支えてきたオジサンたちです。しかしサッカーファンは、相撲ファンとは基本的に異質の層です。それは、日本的オヤジ社会に収まりきれず、かといってそれに変わる社会を構築するだけの見通しも自信もない若い世代です。鬱屈しているエネルギー量は相当なもので、今回のW杯で日本チームの勝った夜には、列島の各地で爆発に近い発散となって、オジサンたちを驚かせました。
 相撲(およびその変形としてのプロ野球)とサッカーの大きな違いは、相手を倒した時の喜びの表現でしょう。土俵では控えめなガッツポーズを取っただけでも、非難の嵐を浴びてしまいます。勝っても表情を変えることなく、淡々と一礼して支度部屋に戻って行く。この姿を当然と感じるか、それとも堅苦しくてウソっぽいと感じるか、これが相撲ファンになれるかどうかの大きな分かれ目でしょう。
 もう一つ、サッカー選手たちの個性的な髪型を容認出来るかどうかも、相撲・プロ野球派とサッカー派の分かれ目です。戸田選手の赤い髪に「ニワトリの真似をせんでもいい」といった政治家は、強固な相撲派に違いありません。
 サッカーW杯の味を知った若い層は、金権剥き出し巨人を中心に、チョコマカしたつまらない試合を繰り返すプロ野球には、もう目もくれなくなるようにも思います。まして、史上始めて13人の関取がケガで休場している大相撲は、既存のファンからもあきれられて絶滅寸前の状態です。
 どの国民たちもその国にふさわしいスポーツを育てるのだとしたら、まさにプロ野球と大相撲は、のろのろと沈滞のスパイラルにはまり込んでいる日本社会そのものの姿でもあるのでしょう。(7月17日)

 <管制官よりも装置の指示が優先、いっそ管制はすべて機械で> 
 管制官の指示と衝突防止装置の指示が相反する場合は、機械の判断を優先せよ−国土交通省の調査委員会は、昨年の焼津上空でのニアミス事故や今年のドイツでの空中衝突事故などを踏まえ、パイロットの判断のルールを明確化するよう、国際民間航空機機関(ICAO)に勧告しました。これは、複雑化するテクノロジー社会における人間と機械の関係について、深刻な問題を提起しています。
 人間の判断も機械の判断も、100%完全だとは言い切れません。にもかかわらず、調査委員会があえて衝突防止装置の判断を優先させたのは、どちらの判断のほうがリスクがより少ないかという、相対的な比較による究極の選択でしょう。
 機械も間違うことがあるかも知れないが、人間の間違いの方が致命的な事故に直結しやすい、ということを人間自らが認めたもので、いわば人間の機械に対する降参宣言であり、白旗宣言です。
 しかしこのルールでも、新たな問題が生じる余地は残されています。
 衝突防止装置が誤作動して、同一高度で接近している2つの飛行機に対し、どちらの飛行機にも下降するよう間違った指示を出したとします。それに地上の管制官が気付いた場合は、どうすればいいのでしょうか。「衝突防止装置は故障している。今回に限り、管制官の指示を優先せよ」とでも言うのでしょうか。
 これに対し、衝突防止装置が「装置は正常に作動中。管制官の指示が間違っているので、装置の指示通りにせよ」とメッセージを出したとします。こうなったらパイロットは、どちらを信じていいのでしょうか。
 衝突防止装置の指示が間違っていると判断した管制官が、実は単純な思い違いや勘違いをしていて、実際にはやはり機械の判断が正しかった、ということもあり得ます。
 ボクが不思議でならないのは、航空機の運行ダイヤが年々過密になり、1人の管制官が同時に何機もの航空機を担当して、それぞれに的確な指示を出し分けなければならないような際どい綱渡りに、多くの乗客乗員の命が委ねられている現状を、なぜ当たり前のこととしているのでしょうか。
 いまや管制業務は全て完全にコンピューター化して人間の判断が介入する余地をなくし、パイロットへのあらゆる指示は、国際的に張り巡らされた管制システムが一元的に行うよう、管制の仕組みを根本から改めるべきです。機械のエラーや誤作動を考慮して、システムは3重、4重のバックアップをほどこし、さらにシステム自身が常時、自らが正常に作動しているかどうか自己監視を続けるようにします。
 ハッカーやサイバーテロに対しては、外壁バリアシステムの段階で食い止めるようにすることも大切です。
 機械の指示を優先させる道に踏み入る以上は、それくらいの大改革をめざしていくべきでしょう。(7月13日)

 <『時間の岸辺から』その9 都市鉱山の金> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 世の中、うまい話などあるはずもないのですが、これだけ不況が長引くと、日本列島のどこかにまだ知られていない宝の山があって、掘り当てることが出来たら、などと考えたくもなります。
 テレビでは、古くからの地元の言い伝えを基に、タレントらが宝捜しに挑むドキュメンタリー番組が、手を変え品を変えて放映され、視聴者を引きつけています。
 そんな中、富山県の工事現場で今春、江戸時代や明治時代の小判や金貨1295枚が土中に埋蔵されているのが発見され、所有権が誰にあるのか、話題となっています。
 こうした発掘話はめったにないからニュースになるのであって、最初から狙って金を掘り当てるなどあり得ないこと、とボクは最近まで思っていました。
 ところが驚くべきことに、金や銀、パラジウムなど貴金属の鉱脈が、ボクたちの身の回りに溢れるほど存在していて、ほとんどの人たちが気付かずに、どんどん鉱脈を捨て続けているというのです。
 金鉱の在りかは、ケータイ、すなわちボクたちが日常的に使っている携帯電話の中です。さらに言えば、ボクたちの目の前にあるパソコンもまた、優良な金鉱なのです。
 IT機器が普及するにつれて、携帯電話やパソコンの買い替えが進み、廃棄されるこれらの機器に使用されている微量の貴金属は、全体として見ると無視出来ない量に上ることが分かってきました。
 日本ではいま、精錬会社やリサイクル産業などさまざまな企業が、廃棄機器に含まれる金やパラジウムに注目し、これらの機器を処分する過程で貴金属を回収する作業に取り組み始めています。
 携帯電話1トンから回収される金は、数百グラムにも上ります。世界最高レベルの品位を誇る鹿児島県の菱刈鉱山でも、岩石1トン当たりの金の含有量は平均で80グラムほどですから、廃棄されたIT機器の山は優良金鉱をはるかに上回る金を含みます。IT機器は「都市鉱山」(アーバンマイン)と呼ばれ、いまや宝の山扱いなのです。
 企業の中には、2000年度の1年間に、「都市鉱山」から1.8トンもの金を抽出したところもあります。こうして回収された金は、IT機器に再使用されるだけでなく、地金や宝飾品として生まれ変わっています。
 チャプリンの映画『黄金狂時代』のように、一攫千金の野心に燃えた男たちが、アラスカの雪の中をツルハシをかついで、命がけで金鉱探しに奔走したのは、昔の話。
 いま熱い視線を集めている黄金探しは、IT社会が舞台です。それは坑道を掘ることなく、貴重な稀少金属をリサイクルすることで地球環境の保全をはかります。現代のゴールドラッシュは、循環型社会への転換を促す大きなきっかけとなるような気がします。(7月9日)

 <タイムマシンはなぜ作れないか、「9.11」の写真展で分かった> 
 「9.11」のニューヨークに、世界最高の報道写真家集団「マグナム」のメンバーがたまたま集結していて、彼等は事件の発生直後から起こったことの一部始終を、それぞれのカメラに記録していました。東京都写真美術館で開催されたその写真展で、ボクが衝撃を受けたのは、会場の順路の最初に、在りし日のツインタワーのさまざまな写真が掲げられていたことです。
 アメリカの権力と富を誇るその威容は、時には傲慢に、そして時には美しく、自らの存在を常に誇示し続けていたことが、どの写真からも伝わってきます。このビルが、あの日の朝に2棟とも完全崩壊してしまうことなど、誰が予想出来たでしょうか。テロの実行犯たちでさえ、せいぜいビルに巨大な風穴を開ける程度の目論見だったのではないでしょうか。
 これらの写真を見ながらボクは、タイムマシンを作ることが出来ない理由が分かったように思います。もしも事前に、誰かがタイムマシンで「9.11」の光景を見ることが出来たとしたら、その人は歴史を変えてはならないというタブーを犯してでも、さまざまな人たちに自分が見てきた「事実」を教えようとするでしょう。
 未来を知ってしまったら、そしてその未来で起こることが凄惨な地獄絵であればあるほど、人はその未来を変えようと決意するのではないでしょうか。大げさに目立つことが嫌いな人でも、マスコミや軍、警察、消防署、ビルに入っている企業などに、匿名の電話や手紙を送って、事件そのものを防ぐか、少なくとも犠牲者を大幅に減らそうと試みるでしょう。
 タイムマシンが原理的に作れない理由は、未来を知ったら未来を変えることが出来るという、パラドックスにあるのだと思います。未来を変えてしまったら、タイムマシンで見てきた未来はなんだったのか、という大問題に突き当たります。
 同じように、タイムマシンで過去を行くことが出来ない理由も、はっきりと分かります。タイムマシンで「9.11」の前日に戻ることが出来たら、誰もが「明日起こること」を告げて回り、11日の朝は絶対にツインタワーに行くな、と叫び回るでしょう。たとえ正気扱いしなくても、軍や警察、空港は念のため厳重なチェック態勢を敷いて、テロの発生は不可能になるでしょう。その時、自分がいた元の「現在」はどうなるのでしょうか。「9.11」について自分がみんなに語った内容自体が虚構に終る、という重大な矛盾の中で、自分の存在もまた問われることになります。
 それにしても、写真家集団「マグナム」のメンバーはなぜこの日、世界中からニューヨークに集まってきていたのでしょうか。何か大きなことが起こる予感でもしていたのでしょうか。たまたま偶然と説明されていますが、事件の方が彼等を呼び寄せていた、としか思えません。(7月5日)

 <W杯で最も心に残ったシーンは、敗れてゴールに座ったカーン選手> 
 1カ月間に渡って、日本全国を熱狂と興奮の渦に巻き込んだサッカーW杯。それは、数多くの名シーンを生み出して閉幕しましたが、最も心に残ったシーンは、どの場面でしょうか。人それぞれに、ナンバー1シーンについては、いろいろな思い入れや感じ方があるでしょう。
 ボクが最も心に残ったシーンは、30日の決勝でブラジルが優勝を決めた直後、抱き合い躍り上がって歓喜するブラジル選手たちの対極で、ゴールのポストに寄りかかって座り込み、動こうとしないドイツのキーパー、オリバー・カーン選手の姿でした。
 このカーン選手の姿と表情こそ、2002年サッカーW杯で最も壮絶で美しいシーンとして、ボクの心に永遠に刻み込まれ、生涯忘れることの出来ない感動的な記憶として、いついつまでも鮮烈であり続けるだろうと思います。
 この時、カーン選手が何を思い、どんな気持ちだったのか。多くの新聞で、さまざまなスポーツ解説者や記者がいろいろと書いています。カーン選手の心の中は、推測するしかありませんが、彼がゴールから動こうとしなかったという事実こそが、何万語よりも雄弁に彼の心の中を表わしているように思います。
 カーン選手は、立ち上がろうとしなかったばかりか、おおげさな表情も見せることなく、悔しさを身振りで表わすこともありませんでした。座り込んだカーン選手の時間は、試合後半の90分間の中で止まったままだったのかも知れません。あるいは、ブラジルのリバウド選手のシュートをはじいて前へ転がしてしまったあの一瞬のところで、時間が止まっていたのかも知れません。
 雨のせいでも、怪我のせいでもない、大会初めて犯した自分のミス。この一瞬は、いくら反芻しても取り返しがつくものでは決してないけれども、いまならまだあの瞬間は、自分の時間の中にある。
 ゴールのポストによりかかることで、カーン選手は、たった一瞬のミスを犯すまでゴールを守り抜いてきた今大会の自分を、もう一人の自分の目で見つめ直していたようにも思えます。ここまで死力を尽くして守り抜いてきたゴール。ゴールはカーン選手そのものであり、彼の分身だったといっていいでしょう。
 横浜スタジアムでは、ブラジルの選手たちとスタンドを埋めたサポーターたちの興奮続く中、閉会式の準備へと時間は刻一刻と推移していきます。この時、カーン選手は、試合中と試合後の両方の時間を所有し、「現在」がまさに「歴史」になろうとする際どい境界のところで、ゴールポストを背に座り込んでいたのです。
 自分が立ち上がってゴールを後にした時、あり得ないほどの幅を持って振幅していた「現在」は魔法のように終わりを告げ、過去を経ることなくいきなり「歴史」となってしまうことを、カーン選手はだれよりもよく分かっていたのでしょう。
 カーン選手の姿を一言で表わす言葉があるとしたら、それは「永遠」ではないでしょうか。(7月2日)


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