新世紀つれづれ草



03年7月−12月のバックナンバー

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2003年12月

 <戦争にうつつを抜かしているうちに、どんどん壊れていく地球と生命圏>
 イラク戦争の陰に隠れて、マスコミがほとんど無視し続けている危機が静かに進行しています。予想をはるかに上回る地球温暖化の進行です。
 今年は世界的に高温が続き、欧州では2万人が猛暑によって死亡しました。カリフォルニアや南欧などでは、大規模な山火事によって多大な被害が出ました。
 温暖化というと、すぐに眉をひそめて科学的な裏づけがない、と吐き捨てるように言う研究者やジャーナリストが少なくありません。彼らは、今年の日本が冷夏だったことを、鬼の首を取ったように指摘して、気象は長期的に見れば帳尻が合っていて、ちょっとした事例だけで温暖化だと騒ぎ立てるな、と言います。
 ボクはこうしたいかにも冷静で科学的であるかのような態度を取っている人たちの存在こそが、各国の指導者たちや企業リーダーたちが、温暖化対策に本気で取り組もうとしない格好の口実となっていると考えます。
 温暖化という言葉がそんなに嫌ならば、地球規模での異常気象と置き換えて言ってもいいでしょう。
 日本やオーストラリアでの、農作物や牧畜への甚大な被害には、一過性のものとして手をこまねいているだけではすまない不気味さがあります。
 21世紀が開けて3年が経とうとしているのに、地球の生態系と生命圏を包む環境は、改善されるどころか悪化の一途をたどっています。
 最大の元凶は、温暖化防止条約に背を向けて、自国の国益を振りかざしてやまないアメリカにあります。本来ならば、唯一の超大国が率先して二酸化炭素の排出量を削減するなど、国際的なお手本を示さなければならないところを、この有様ではアメリカの利己主義が地球破壊を一段と加速させているとしか言いようがありません。
 生態系が壊れることの怖さは、いったん全体が狂い出したら止めるだけでも数百年はかかり、元に戻すためには1000年から10万年単位もの歳月が必要だということです。
 BSE(狂牛病)やSARSも、このような生態系の異常な流れの中で、捉えなおす必要があるのではないでしょうか。
 すでに手のほどこしようがなくなっている可能性が大きいというのに、相も変わらず戦争にうつつを抜かし続けるとは、破滅のその日を迎えるまで、超大国の指導者たちは目が覚めないようですね。
 存在自体が地球と人類の危機である超大国とは、いったい何のためにあるのでしょうか。
 強いことは、それだけで悪である。神への信仰は、そのことだけで他者への迫害である。神を持ち出すから、人間がすさみ人間が滅ぶ。
 未来を語るものは、もっと謙虚に、もっとつつましく、そして何よりも構えた銃を下に置かなくてはならない、と思います。(12月30日)

 <この宇宙を生んだ「無」とは何か、現実と虚空はイコールなのか>
 朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり、とは論語の中の言葉です。この「道」というのは、人倫の道、道徳などとされていますが、ボクは「この世界とはいったい何なのか」「その中につかの間生きている自分は何者なのか」という根源的な問いかけについての解明、と解釈したいと思います。
 この世界はなぜ存在しているのか、世界は存在しなかったことがあるのか、世界において生命はどのような位置と役目を持つのか、人間は何のために存在しているのか、人間以外の知的生命体はどのような文明を築いているのか、線香花火の一瞬のような自分とは何なのか。
 確かにこれらの疑問が解明され、この世界と自分の関係についてすべてを悟ることが出来た時には、それと引き換えに死すとも可なり、という気持になるでしょう。ことほどさように、この世の真理を突き止めることは至難の業ということなのです。
 科学雑誌「Newton」の最新号(これがなんと2004年2月号とは前倒し過ぎ?)が、「ゼロは宇宙を生んだ」という特集を組んでいて、その中で米国のアレキサンダー・ビレンキン博士の「無からの宇宙創生」について、インタビューを交えて平易に解説しています。
 平易にとはいっても、そこはとてつもなく難解、というよりは凡人の理解を超えていて、まず時間も空間も存在しない「無」が絶えず揺らいでいて、微小な泡粒のような宇宙が生じたり消えたりしている、というところからして、もはや不可思議の世界です。
 その中で10の数十乗分の1秒という一瞬の間に、大きさが何十桁も急膨張して直径1センチほどの宇宙にまで拡大(インフレーション)することが出来たものが、直後にビッグバンを起こして現在の宇宙になることが出来た、というのです。
 このようにインフレーションを起して広大な宇宙に発展しているのは、ボクたちが現在観測している宇宙とは別に無数に存在していて、その中にはまた無数の文明が存在しているかも知れないが、この宇宙からは原理的に観測も交流も不可能、と考えられています。
 観測出来ないほかの宇宙のことはともかくとしても、ボクたちがいるこの宇宙が「無」から誕生し、その直後の大きさが無に等しいくらいの粉粒よりももっともっと小さな点であったということは、どのように受け止めたらいいのでしょうか。
 この世界を生んだ「無」とはなんなのでしょうか。「うつつ」とは現世のことであり、「うつせみ」とは現世に生きる人を意味しながら、「空蝉」という当て字の方が言い得ている感じもします。「うつ」は「虚・空」のことですが、昔の人は現実と虚空が実は同じであることを直感的に見抜いていたように思います。
 「うつ」と「うつつ」のはざまを「うつろう」ことにこそ、この世界の正体と真理があるのかも知れません。(12月28日)

 <クリスマスの朝、窓からの侵入者に黒い液体をばら撒かれ‥>
 不思議なことがあるものです。今朝、起きてみたら、うちの飼い猫が、浴室のドアの前で、張り詰めた様子で、中をうかがっています。浴室からは、ガタガタ、ドンドンという音が聞こえ、何かがいることは確かです。
 クリスマスに家に入ってくるのは、サンタクロースですが、煙突もない浴室にいるのは、何者なのか。
 ドアを開けてみて、驚きました。なんと、一羽の見たこともない鳥が、ところせましと飛び回ったり、洗面台に乗ったりしているではありませんか。
 大きさはハトくらいですが、ハトよりずっとスリムで細長い感じがして、羽をばたつかせながら、チイチイと鳴いています。浴室の窓が5センチくらい開けてあったので、そのわずかな隙間から入り込んで、出られなくなったらしいのです。
 この鳥を見るや否や、普段はおとなしい猫が猛然と浴室に飛び込んで、鳥を捕まえようとしました。鳥は、ボクよりも猫が入ってきたことがショックだったらしく、猫の頭上でバタバタと羽ばたいて、捨て身の威嚇を繰り返します。
 これには猫の方が驚いて、あわてて退散しました。
 この鳥をどうしたらいいものか。窓を完全に閉めてしまえば、捕獲することは簡単です。
 しかし、それをためらわせたのは、浴室の床から浴槽のふたにまで、いたるところに撒き散らされている真っ黒の液体でした。まさしく墨汁の壷をひっくり返したような有様で、いったいこれは何なのだ、とギョッとして立ちすくみます。
 墨イカが敵に襲われた時に、目くらましの墨を噴き出すことを思い浮かべましたが、墨を噴き出す鳥なんて、聞いたこともありません。それにこの黒い液体は、鳥が悪い病気にかかっていて、細菌かウィルスがウヨウヨしている糞の一種なのかも知れない、とも思います。
 ともあれ、この墨汁状の液体に恐れをなしたボクは、捕獲を躊躇し、かわりにビデオカメラを向けて、クリスマスの不思議な侵入者の様子を、ビデオに記録しました。
 悪戦苦闘していた鳥は、窓の隙間をようやく見つけだして、体をくぐらせて外に逃げて行きました。
 あたり一面に残された黒い液体は、クリスマスプレゼントとしては不気味すぎます。シャワーとブラシで洗い落としながら、これがSARSのようなウィルスを含むものだったら、などと考えます。
 生物化学兵器を使ったテロは、何も無人へりなどの面倒なものを使わなくても、鳥を使ってばら撒けば簡単に出来るのだ、という気がします。
 渡り鳥や伝書鳩などを使えば、相当の距離があっても、目標とする大都市に致命的なダメージを与えるテロを完遂出来るはずです。
 ホワイトハウスの上空を見かけない鳥が舞っていたら、ご用心ご用心。ミサイルで撃破しても、黒い液体がばら撒かれることは、避けられないかも知れませんよ。(12月25日)

 <欲の亡者として破壊を繰り返す人類を乗せ、地球は無言のまま冬至>
 今日は冬至です。冬至を迎えると、なんだか厳粛な気持ちになり、あわただしい師走の中で、ほんのひとときだけ、立ち止まって仕切り直しをしてみたくなります。
 冬来たりなば春遠からじ、という通り、一年で一番昼間の短い冬至だからこそ、明日からは一日ごとに日が長くなっていくのだ、と希望を抱くのは楽しいものです。
 太陽の再生と復活。古代の農耕社会においても牧畜社会においても、この冬至こそ一年の最終日であると同時に、一年の始まりであったのでしょう。
 太古の人類の祖先たちは、どの段階で冬至を意識し始めたのでしょうか。太陽光の衰退と冬の到来は、ようやく道具を使うことを覚えたばかりの猿人たちにとって、生きるか死ぬかを左右する大問題であり、人間やこの世界が、とてつもなく大きな何かに支配されて動いていることを、漠然と感じ始めたことでしょう。
 人間の愚かさにつくづく愛想が尽きるこのごろ、人間どもがどのような残虐非道なことを繰り返そうと、どのように欲の亡者としてなりふり構わず醜く振舞おうと、地球は静かに太陽の周りを正確無比に公転し続けて、確実に北半球に冬至をもたらします。
 生命圏をあと百年も持たないところまでボロボロに痛めつけて、なお己のとんでもない仕業に気づいていない人間どもを乗せ、一切の文句も言わずに営々と、これまでと変わらぬ公転運動を続ける地球の潔さと凛凛しさに、ボクは感動さえ覚えます。
 冬至の日を迎えると、ボクはいつも冬至から最も遠い日のことに思いを馳せます。冬至から最も遠いのは、いつだと思いますか。秋分からはすでに3カ月。春分まではあと3カ月。立春なら、あと1月ちょっとで巡ってきます。
 今日の太陽をちょっと見てみれば、太陽の後側に地球との距離を2倍にした位置に、冬至から最も遠い日があることを直感することが出来ます。それは、夏至の日です。
 夏至は、地球の公転軌道上、冬至の日の地球から最も遠い空間にあるだけでなく、1年という時間意識の中でも、最も遠くにある日なのだとボクは思います。
 太陽の真後ろに、今年の夏至の日にボクたちを乗せた地球が通っていた、半年前の通過地点があります。それはまた、来年の夏至の日に、ボクたちと地球が通ることになっている半年後の通過地点でもあります。
 3カ月前の秋分や3カ月後の春分に地球が位置する空間は、太陽を見ただけではどのあたりなのかを見極めることは困難です。でも、冬至の日なら、太陽の真後ろが夏至、逆に夏至の日ならば太陽の真後ろが冬至、というふうに特定されます。
 ぎらぎらと西に沈む太陽の向こうに、2003年6月の夏至の日の地球があり、さらに同じ場所に2002年の夏至の日の地球があり、2001年、2000年、1999年と幾重にも遡って夏至の日の地球が確かに残像としてゆらめいています。
 2004年の夏至、2005年の夏至、同じように2006年、2007年と未来の夏至の地球もまた、残像の逆の予知像のごとくに、今日の太陽の後ろ側に待機しているのが、ボクには感じられます。近未来への懐かしさとは、この不思議な感覚なのですね。(12月22日)

 <今年1度も映画館に行かなかった理由は、暗い閉鎖空間への不安>
 人は年の瀬になると、1年を回顧したくなるもののようです。
 どの新聞も、文壇、映画、美術、演劇などジャンル別に、今年のベスト5などを掲載して、この1年を振り返っています。それらをなにげなく見ていて、ボクは一つの事実に気づいて愕然としました。
 今年、ボクは映画館に1度も足を運ばなかったのです。映画評論家たちが掲げる映画のベスト5は、もちろんボクが見ていない作品ばかりです。これほど映画から遠ざかっていた年は、ここ何十年かのうちで初めてです。
 なぜ今年は1度も映画館に行かなかったのか。しかも、なぜそのことに気づかないまま、退屈にもならないでいられたのか。ボクがつらつら振り返るに、まず魅力的な作品が洋画邦画ともになかったことがあると思います。
 しかし、どうもそれだけではないような気がしてなりません。映画館に行く気分ではないのです。はっきり言えば、明かりが消された閉鎖的な空間の中で、何時間かを過ごすことに違和感を感じ、ひょっとしたら外で何か大変なことが起きるのではないか、という不安感を拭えないのです。
 心の隅にこういうひっかかりがあると、どんなに面白くて優れた映画であっても、スクリーンの中に入っていくことは出来なくなり、ヒーローやヒロインへの感情移入も中途半端になってしまいそうな気がします。
 このモヤモヤとした感覚は、どこから来るのでしょうか。ボクはその正体が分からないまま、軽度の「暗闇閉鎖空間恐怖症」のようなものがあるのかと思っていました。
 今日から新宿・三越で始まった、年末恒例の「2003年報道写真展」をそぞろ歩きながら見ているうちに、おぼろげながらその正体のようなものが浮かんできました。
 それは、イラク戦争であり、北朝鮮を意識した有事への準備です。スクリーンで繰り広げられる全編「やらせ」のフィクションが、いかにも見るに耐えないものに思えるほど、現実に進行している事態は厳しく重大で、目が離せないものになっています。
 暗闇で出入り口の限られた映画館は、イラクの夜を襲う空襲や闇夜の恐怖と重なり、北朝鮮を挑発し続けて戦争を始めた時に味わうであろう、日本の灯火管制を予感させます。
 映画館に行くまでは、さんさんと降り注ぐ太陽とにぎやかな雑踏があったのに、いったん照明が消えてしまったら、その光景には二度と出会うことはなくなるかのような、妙に生々しい不吉感が全身にまとわり付きます。
 このような間接的な心配だけでなく、閉鎖された人ごみにおけるテロの可能性も、脳裏をかすめます。モスクワの劇場での大惨事が頭に浮かびます。観客席への攻撃でなくても、映画館を出たら街全体が地下鉄サリン事件のような修羅場と化している可能性だって、なくもありません。
 それほど心配性でもないボクが、なんとはなしに映画館に行くことに気が進まないのは、2003年という時代の空気が大きく影を落としているに違いありません。
 2004年も、ボクは映画館に足を運べないような気がしてなりません。(12月19日)

 <フセイン元大統領拘束により、アメリカのイラク占領はむしろ泥沼化へ>
 赤穂浪士討ち入りの12月14日に合わせたわけでもなかろうに、米軍が極秘に展開した大捕り物のあげくに見つけ出したフセイン元大統領は、農家の野菜小屋の地下、泥で塗り込められた狭い穴の中に横たわっていた、といいます。
 まさに、炭小屋の中に隠れていた吉良上野介そのもので、これは95年5月、オウムの麻原彰晃が、上九一色村のサティアン内部に作られた狭い隠れ部屋に潜んでいるところを、発見されて逮捕された様子とも酷似しています。
 逃げ回って潜伏している「極悪者」が発見されて捕らえられる時は、古今東西、似たり寄ったりというのは興味深いことです。捜索網がしだいに狭められてきた時、気球などで夜間密かに空中にでも逃げない限り、どんな大物であっても隠し部屋や地下室などに隠れるしか方法はないのですね。
 さて、フセイン拘束を受けてブッシュ、ブレアの米英両首脳とも、これでイラクの戦闘状態が終了し、イラクに平和が戻るといわんばかりの喜びようで、国連決議なしの開戦に踏み切った決断は正しかったことを精一杯アピールしようと躍起です。
 しかし、米英にとって、そして米英とともにイラクに軍隊を派兵している国々にとって、実はこれからが本当の難局の始まりです。
 悪化の一途をたどっている治安が、フセイン拘束によって安定に向かうという甘い希望は、たちまちのうちに打ち砕かれることも想定され、米英がこれまでフセイン支持派の残存勢力のテロと思っていた攻撃は、一向に収まるどころかむしろイラク全土に拡大していくかも知れません。
 フセイン残党と見られることをきらって、これまでアメリカ占領軍への抵抗をためらっていたさまざまなイラクの勢力が、非フセイン・反アメリカでしだいに結束を強め、ベトナム戦争におけるベトコンのように、異国の占領軍にとっては扱いにくく恐ろしい存在に成長していく可能性も大です。
 さらに、外国の支援グループとりわけアルカイダなどの国際テロ組織は、フセイン拘束によって歯止めがなくなり、大量にイラク国内に入り込んで、イラク人勢力による抵抗・反撃を陰で煽り立てたり、ゲリラ的な攻撃を拡散させていくでしょう。
 もう一つ米英にとっての悪夢は、拘束したフセイン元大統領が、おおやけの法廷で何をしゃべるか、です。これによって大量破壊兵器の隠し場所が明らかになるなどというのは、とんでもなく甘い見方で、米紙によればフセイン元大統領は最初の取調べに対し、「大量破壊兵器はない」と断言しています。
 おそらく法廷でもフセイン元大統領は、大量破壊兵器をいつからいつまで製造し、いつどのような方法で廃棄したのか、などを詳細に説明するのではないでしょうか。
 もしも、ブッシュ大統領が「レッツ・ゴー」と叫んでイラク戦争開戦を決断した時点で、大量破壊兵器がすべて棄却されていたことがはっきりし、その裏づけも取れた場合に、こんどは一転して米英の開戦責任が国際的に問われるのは必至です。
 それは米英を支持してイラクに軍隊を送り込んでいる国々や、とりわけ突出してアメリカべったりの姿勢を取り続けている日本にとっても、重大な責任問題となることでしょう。
 フセイン拘束がイラクに真の平和をもたらす契機になるとすれば、それは米英軍をはじめとする外国軍隊の即時撤収をおいて、ほかにいかなる道もあり得ません。(12月15日)

 <ネット家電よりも、防犯や救急に自動対応するホームシステムの開発を>
 CSだのBSデジタルだのと言われても、ボクたちの生活実感が追いつかないまま、こんどは地上波デジタルが始まりました。
 家電量販店の店頭には、液晶やらプラズマやらの薄型大画面テレビがあふれ、これにDVD録画デッキとデジカメを加えて、いまの三種の神器なのだそうです。
 このあたりまでは、時代の流れとして分かりますが、ボクが首をかしげるのは、このところ相次いで発売されているネット家電なるシロモノです。
 エアコン、照明器具、洗濯乾燥機、冷蔵庫、オーブンレンジ、給湯器などを、インターネットを通じて操作出来るシステムと、それに対応した家電機器のことですが、いったいどんな時に必要で、どのように便利になるのかが、ピンときません。
 よく例に挙げられるのは、外出先からケータイによってエアコンの温度設定をしてスイッチを入れるとか、洗濯乾燥機のスイッチを入れる、などですが、そんな切要に迫られることって、ひんぱんにあることでしょうか。
 また、冷蔵庫の中身をシステムが管理して、卵やビールなどの数が少なくなってきたら、ネットを通じて補充をするようサインを送る、などの使い方を挙げたりしていますが、そんなことは余計なお世話というよりも、何の役にも立たないことのような気がします。
 ビデオの予約録画を忘れたり、急に録画したくなった時に、ケータイから録画の指示を出すなども、それが本当に必要になるのは、年に1回あるかないかでしょう。
 なんでもかんでもネットで操作出来れば便利になる、というものでもありません。
 ネットを使う必要が最もあるとすれば、防犯面での利用でしょう。強盗などが押し入ってきた時に、システムが自動的に警備会社と警察に通報するとともに、家人が在宅している場合は、危害を受けないように防護してくれるようなシステムならば、効果は絶大です。
 また外出中に施錠を壊したりガラスを壊して侵入する者がいたら、自動的に通報するとともに侵入者の映像を記録し、さらに逃走しにくくするため、強固な粘着液を浴びせかけるとか、数時間くらいの間、色のついた発煙を続ける液体をかける、などを自動的に行うシステムだったらベターです。
 さらに高齢化社会を視野に入れて、一人暮らしのお年寄りの健康状態をごく自然な状態でさりげなく管理するシステムがあると、大助かりでしょう。
 本人が気づかなくても、心臓や脳に異変の兆候が生じているような場合に、システムが注意喚起を促すとともに、医療機関への診察手続きを自動的に行い、迎えの車も手配してくれるならば、とても安心出来ます。
 家人のいない時や、一人暮らしの人が、突然倒れて電話もかけられなくなった時に、見守っているシステムが、救急車や病院の手配などをすべてやってくれたら、手遅れになるケースは大幅に減少するでしょう。
 もっとも、こうしたシステムは、介護ロボットの重要な機能として、兼ね合わせて整備されていくのかも知れません。ネット家電のように、それほど必要性を感じないところに開発のエネルギーをつぎ込むよりは、防犯や救急のネットシステムこそ、メーカーを挙げて確立してほしいという気がします。(12月12日)

 <『時間の岸辺から』その44 雪女のふるさと> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 日本列島の各地から積雪の便りが聞かれる季節になると、ボクはいつも雪女のことを考えます。
 さまざまな言い伝えがある中で、よく知られているのは、吹雪の中を小屋に避難した老人を凍死させ、目撃した若者に「決して他言しないこと」を約束させて、命を助けた雪女です。
 若者はその後、お雪という美しい女性と出会って夫婦になり、10年の幸せな歳月が過ぎたある日、雪の小屋で見た出来事を、お雪に話してしまいます。
 ボクが心引かれるのは、これに対してお雪がとった行動です。
 お雪は、その雪女こそ自分だと明かして、約束を破った夫を殺そうとしますが、どうしても殺すことが出来ず、葛藤の末に寂しく去って行きます。
 雪女とは、世界でも稀な豪雪地帯に生きる日本人が作り出した、雪のイメージの擬人化であり、恐ろしさと優しさは、雪が本来持っている両面なのでしょう。
 スキー場や観光用のカマクラなどを例外として、雪国の多くの人々にとって、雪は経済や生活に重くのしかかる厄介者であり、克服しなければならない負の存在でした。
 それがここ数年、人々の雪に対する向き合い方が、少しずつではありますが変化しつつあります。
 観光資源としての雪の価値を見直し、雪合戦のイベントや雪降ろし体験ツァーを企画して、都会の客を呼びむなどの動きが、各地で広がっています。
 いま、雪国の自治体や地元経済界、ベンチャー企業らが取り組んでいるのは、雪そのものをエネルギー資源として見直そう、という試みです。
 1立法メートルの雪は、灯油5リットル分に相当するエネルギーを持つとされ、日本全国に降る雪の総量は、日本の全発電所で作る電力の数倍ものエネルギーがある、とされています。
 北海道美唄市では、冬場の雪を貯めておいて夏場に冷房用に使う、世界初の雪冷房マンションが誕生して注目を集めました。
 青森、秋田、山形、新潟などでは、一年を通して雪が溶けない大規模な雪室(ゆきむろ)を作って、野菜の栽培・保存や酒造りなど、さまざまな産業で活用し始めています。
 最先端の試みは、雪の冷たさによって電気を作る雪発電です。地熱で沸騰させた揮発性の液体を雪で冷やして発電する仕組みで、すでに実験室レベルでの発電に成功しています。
 来年2月に山形県米沢市で開かれる雪国サミットでは、これまでの「克雪」に代わって、雪との共存をめざす「利雪」「親雪」の方向が、一段と鮮明になると見られます。
 雪は、人間がうまく付き合っていけば、恐ろしい存在から転じて、人間を助ける優しい存在に変身することが可能なのです。
 雪資源の多様な活用が軌道に乗り、雪は捨てないで貯蔵することが当たり前の時代になった時、雪室のすみで一人微笑んでいる雪女の姿が、目に浮かぶような気がします。(12月8日)

 <全宇宙で共通する素数の不思議、他の知的生命たちはどこまで解明?>
 1、3、4、6、8、10、12
 これはどういう数列でしょうか。そうです。東京地方で地上波テレビが見られるチャンネルですね。
 では、次は何の数字を並べたものでしょうか。
 2、3、5、7、11、13‥
 テレビの映らないチャンネル? 残念でした。3チャンネルは、NHK教育があります。もう少し続けてみましょう。
 17、19、23、29、31‥
 これは、1とその数でしか割り切りない数、素数の数列なのですね。
 素数は、数のさまざまな不思議の中でも、最も単純で最も神秘的なものと言えます。これほどシンプルな要件なのに、すべての素数にあてはまる数式がないこと。数字が大きくなればなるほど、その数が果たして素数であるかどうかは、いちいち計算によって確かめていくしかありません。
 素数一般を数式で定義することが不可能であるにもかかわらず、素数は無限に存在することが証明されている、というのもますます興味をそそられます。
 さらにボクが驚嘆するのは、素数の並び順は地球だけにあてはまるのではなく、また人類が考案・発明したものでもなく、この宇宙、この世界のどこであっても共通だという点です。それは10進法であろうが12進法であろうが、60進法であろうがまったく同じで、これほど普遍的な記号も珍しいでしょう。
 カール・セーガン原作で映画化された「コンタクト」では、地球から26光年の距離にある恒星ヴェガからのパルスが、素数の並びになっていることを発見したジョディ・フォスターが、知的生命が発信する信号に違いないと確信して狂喜するシーンが印象的でした。
 まさにこの点にこそ、素数の持つ深い意味が込められていて、自然現象によるパルスでは決して素数の数列になることはあり得ない、という、人類にとって公理のような確信がそこにはあります。
 逆に言えば、知的生命からの信号であることを、未知の相手に伝えるための最も簡素で強烈なシグナルは、素数だということです。
 これまで発見されていた最大の素数は、405万桁の数字でしたが、アメリカの26歳の大学院生が、世界の6万人のパソコンをインターネットでつないで、2年がかりでこのほど、それを上回る632万桁の素数を発見した、と報じられました。
 この数字そのものを表記することさえほとんど困難と言えますが、これが素数に間違いないことを第三者が検証するのもなかなか大変です。405万桁のそれまで最大だった素数と、今回見つかった632万桁の素数との間には、何個の素数が存在しているのか、これまた調べるのは超難問でしょう。
 地球から何万光年も何億光年も離れたところに、何万、何千万と存在している、あるいは存在していた知的生命たちも、最大の素数を求めてありとあらゆる知恵と技法を駆使して、計算に夢中になっていると思うと、なんだか楽しくなりませんか。
 いつか、コンタクトできる知的生命たちによって、素数研究の成果を披露しあい、比較検証しあう「超銀河素数サミット」が開催できたら素晴らしいと思います。(12月4日)

 <H2Aロケット失敗、足銀破たん、外交官殺害の3つをつなぐ糸が見えた>
 H2Aロケットの打ち上げ失敗、足利銀行の経営破たん、イラクでの日本人外交官2人の殺害。
 師走入りを狙ったかのように、大きな不運が立て続けに日本を襲っています。この3つの出来事に、何か関連というか、共通点はあるでしょうか。それとも全くの偶然で3つが重なったのでしょうか。
 まずこの3つに共通して言えることは、何事も一寸先は闇、ということです。しかし共通点は、それだけでしょうか。
 ボクが思うに、この3つの不運をつなぐ赤い糸は、日本が北朝鮮と本気で戦争をするための地ならしと深く関わっている、ということです。
 イラクでの外交官殺害については、説明するまでもなく、日本の参戦国入りを前にしたイラク武装勢力からの警告ですが、重大なことは、日本の国家主義勢力はイラク参戦を突破口として、日本がいつでも北朝鮮と戦争出来る道を敷き詰めようとしている、という点です。
 単なるアメリカのイラク政策への追随やアメリカへの義理立てという範疇を超えて、それは日本が独自の判断で北朝鮮に立ち向かい、政府が必要と判断したならばいつでも自衛隊を朝鮮半島に派遣出来るようにするための、いわば朝鮮出兵のリハーサルなのです。
 打ち上げに失敗したH2Aロケットは、政府の情報収集衛星2基を積んでいて、その主たる目的は北朝鮮の軍事施設の監視でした。はっきり言ってしまえば、北朝鮮と戦争するために欠かせない軍事情報を宇宙から収集するスパイ衛星です。
 政府が受けた衝撃は、日本のロケットの信頼性失墜もさることながら、北朝鮮の軍事情報を今後ともアメリカの偵察衛星に頼らざるを得ない、という戦争遂行上の問題にこそあります。この点はあまりあからさまに強調することは、さすがにはばかられると見えて、関係者は大きな声では言わないでいます。
 それでは、もう一つの不運、足利銀行の経営破たんは、なぜ日本の戦争態勢づくりと関係があるのか、という疑問について、ボクの推理はこうです。
 足利銀行こそは、知る人ぞ知る日本最大の北朝鮮への送金ルートだった、という点です。このことを書いている新聞は少ないのですが、昨日の毎日新聞朝刊によれば、80年代半ばから90年代半ばまで、年平均50億円程度が足利銀行を窓口として北朝鮮に送金されていた、というのです。
 02年4月に業務見直しをするまで足利銀行は、北朝鮮の金融機関との間で送金に関する代理店契約をむすんでいた、といいますから、北朝鮮への敵視を強めつつある勢力にとっては、足利銀行はなんとかして足をすくってやりたい存在だったに違いありません。
 同じ経営危機にあたって、りそな銀行は救済したのに、なぜ足利銀行は破綻処理させるのか、という多くの国民とりわけ栃木県民が抱く疑問は、北朝鮮との関係に目を向けた時に氷解します。
 北朝鮮と本格的な戦争をするにあたって、目障りとなりそうな存在は、経営危機を格好の機会として潰してしまおう、というわけです。しかも国有化することによって、北朝鮮への送金関係のすべての詳細が、政府機関によって個人のプライバシーごと一手に把握出来るのです。
 一見、無関係に見える3つの出来事に底流を貫く迷彩色の奔流を、ボクたちはしっかりと見据える必要があります。(12月1日)

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2003年11月

 <8ミリの再生が壊れたらお手上げ、ソニーはユーザーを置き去りか>
 ソニーという会社は、先端技術では世界のトップをいくようでいて、ユーザーに対してはお世辞にも親切とはいえません。家庭用ビデオのベータが、VHFに歴史的敗北を喫したのは屈辱だったはずですが、いままた8ミリビデオでも同じてつを踏もうとしているようです。
 小型で軽量の8ミリビデオカメラを開発して、華々しく売り出したのがソニーでした。ビデオカメラからデッキに至るまで、さまざまな機種を立て続けに発売し、他のメーカーにも8ミリビデオに乗り出すところが相次ぎました。
 ところが、8ミリビデオはわずか10年もたたないうちに、同じソニーが8ミリ上位方式のハイエイトを開発して戦略を切り替え、カメラ・デッキとも30万円もする高級機種を市場に出したのですが、ハイエイトもまた10年ももたないうちに、デジタルビデオのうねりの中で消えていきました。
 時代の趨勢がデジタルにあることを承知で、8ミリやハイエイトを売り続けたのであれば、それらのユーザーに対して後々までアフターケアをきちんとすべきなのは、当然すぎるほど当然のことです。
 ボクも80年代の終わりに8ミリビデオカメラを買った一人で、10年ほど前に新機種の8ミリカメラに買い替え、撮影済みの8ミリビデオテープは結構な数になりました。
 しかしながら、いつのまにかソニーは8ミリビデオの8の字も口にしなくなり、家電量販店の店頭からも8ミリは完全に姿を消しました。
 世の中は、静止画も動画もデジタルとDVDの時代となり、アナログで記録した映像はDVDに移し変えることが、いまや常識となってきました。
 ボクも最近になって、昔写した8ミリのテープをパソコンでキャプチャーして、DVDに入れ直す作業を始めたのですが、こともあろうに1本目の作業が終わったところで、8ミリビデオカメラが故障して再生がまったく出来なくなってしまいました。
 再生が出来なくては、いくら8ミリのテープをたくさん抱えていてもお手上げです。ソニーに修理の見積もりをしてもらったところ、1万8800円と目玉が飛び出る料金を示されて仰天。かつてはソニーから、8ミリ再生専用の安くて小さなデッキが出ていた記憶があり、秋葉原に探しに行ってみましたが、どこにも売っていません。
 1店だけ、8ミリビデオが再生できるソニーのビデオウォークマンを受注生産で購入出来る店があるにはありましたが、価格はなんと6万円ほどもします。
 もはや8ミリでの録画をすることはあり得ないので、DVDに入れ直すための再生さえ出来ればいいわけで、それがこんなに難しいことになるとは、ボクと同じように困っている人は多いのではないでしょうか。
 結局、ボクはネットのオークションで、ソニーではないのですが、小さな8ミリビデオデッキを手ごろな価格で落札して手に入れ、なんとか無事に、アナログの8ミリからデジタルに変換してDVDに焼き直す作業を続行しているところです。
 ソニーはこうした現状を、どう考えているのでしょうか。社としての考えを聞きたいものです。(11月28日)

 <米の値上がりは物価全体に波及していくか、デフレはどうなる?>
 昔、学生のころの話ですが、ご飯食べ放題を売り物にした学生相手の定食屋がオープンして、連日、表に行列が出来るほどの賑わいでした。体格の大きな体育会系の学生たちは、5杯も6杯もお代わりして満腹になったお腹をさすっていたものです。
 その店がある日、張り紙を出しました。「お米の値上がりによって、これまでのようにご飯を自由にお代わりしていただくことが出来なくなりました」という内容です。お店にとっては、ご飯食べ放題こそが目玉だっただけに、苦渋の決断だったのでしょう。
 食べ放題をやめたとたんに、学生たちの足は遠のき、結局のところ、ほどなく店じまいに追い込まれてしまったように記憶しています。
 つい先日、この思い出を再現したかのような張り紙を見ました。
 新宿に本店があり、全国に支店を出している天麩羅屋さんで、「ご飯のお代わりは今後、追加料金をいただくことになりました」と書かれています。理由は記載されていませんが、冷夏による米の不作で価格が上がったため、と推察されます。
 この店は、天麩羅定食や天丼をリーズナブルな料金で提供したきただけに、ブランド米の値上がりは経営を直撃しているのでしょう。
 しかし、それにしても、これだけ名の知れた有名店が、ご飯のお代わりは代金をいただきますとは、ちょっとなあ、と思ってしまいます。すべてのメニューを10円程度値上げしてでも、ご飯のお代わりはこれまで通り自由にしていた方が、スマートだったのではないでしょうか。
 米の値上がりによってご飯のお代わり自由をやめた店は、ほかにもたくさんあるのか、気になるところです。
 デフレからの脱却が叫ばれる中、冷夏という自然災害のあおりとはいえ、値上げの胎動がどのような動きになっていくのか、注目されます。
 今日の夕刊によると、もち米の不作と業者の売り惜しみによって、こんどの正月用のモチは、一挙に1割もの値上げが確実になりそうだ、ということです。
 うるち米やもち米の値上げは、米菓や日本酒など、さまざまな分野への波及が予想され、外食産業からコンビニ、さらには学校給食などにも影響していくかも知れません。それは人件費の高騰を招き、やがて全産業に波動が伝わっていく可能性があります。
 巨大な堤防も、アリの一穴から崩壊していくと言われます。不況脱却のめどが立たないまま、デフレが一転して物価の総値上げへと雪崩打って行くことは、日本の社会にとって最悪のケースです。
 イラクへの自衛隊派遣や年金改革で忙殺されている小泉内閣は、ジワジワと動きを見せ始めた物価の上昇に対して、どのような手を打つつもりなのでしょうか。
 来年の参院選は、案外なことに、伏兵である物価上昇が与野党の勝負を分けることになるかも知れません。(11月25日)

 <『時間の岸辺から』その43 視聴率の虚構> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 テレビ局のプロデューサーが、自分が手がけた番組の視聴率を上げるため、関東地区で調査対象となっている世帯を割り出して現金などを渡していた、という事件が発覚しました。
 視聴率調査を行っている会社は、日本ではビデオリサーチ1社で、関東での調査対象は600世帯。サンプルの1世帯が2万6千世帯を代表している計算で、どの世帯が調査対象かは公表されていません。
 テレビの世界では、視聴率は唯一絶対のモノサシです。番組の評価もCMの料金も、制作続行か打ち切りかも、すべてこの数字が基準となり、制作現場はいつも、コンマ以下の数字の上下に神経をピリピリさせています。
 ボクは今回の事件を良い機会として、視聴率の数字にはいくつかの虚構が含まれていることを、みんながはっきりと認識する必要があると思います。
 虚構の第1は、視聴率に表れるのはテレビのスイッチがオンになっていた世帯であって、その世帯の人が番組を見ていたことの証明ではない、という点です。
 早い話が、外出する時に、不在であることが外から分からないように、防犯の意味でテレビをつけっぱなしで出かけても、これは立派な視聴としてカウントされてしまいます。
 逆に、ビデオやDVDへの録画は視聴率の計算外です。時計代わりにテレビをつけながらほかの仕事に専念し、裏番組を録画して後でじっくりと見るようなケースでは、時計代わりの方が視聴率になります。
 普及がめざましいDVDデッキには、録画の途中でも番組を最初から見ることが出来る機種が多くなっています。しかし、たとえ15分遅れで番組の最初から「追いかけ視聴」をしたとしても、それは視聴率に入らないのです。
 虚構の第2は、サンプル世帯に選ばれたこと自体が、その世帯のテレビの見方に、なにがしかの影響を与えてしまうのではないか、という点です。
 ボクがもしサンプル世帯に選ばれたとしたら、自分の一挙一動が視聴率を左右すると思うと、どの番組のスイッチを入れたらいいのか、大いに迷ってしまうに違いないと思います。
 アマノジャクな性格の人ならば、不人気であっても良心的に作られたマイナーな番組ばかりを選んで、スイッチを入れるようになるかも知れません。
 虚構の第3は、どんなに高い視聴率を誇る人気番組でも、CMの時間はチャンネルを変えられて視聴率はガクンと下がってしまう、という点です。高いCM料金を払うスポンサーにとっては、地団駄を踏みたくなるような話です。
 テレビ50周年の節目となった今年、視聴率をめぐる不祥事が表面化したことは、テレビ番組の作り方が大きな曲がり角にきていることを示しています。
 視聴率に代わる番組評価の基準を構築することは、時代の要請です。テレビの未来は、それが出来るかどうかにかかっていると思います。(11月22日)

 <米占領軍への抵抗でベトナム化するイラク、自衛隊派遣は中止を>
 イラク情勢はベトナム化しつつあり、泥沼化・長期化の様相を見せています。
 アメリカは、ベトナム戦争以上に大きな誤りを犯していることを、まったく自覚していないことこそ、世界にとって最大の危機なのです。
 いまだに大量破壊兵器が一片たりとも見つかっていないということを、アメリカは世界にどう説明するのでしょうか。
 フセイン政権の圧制からイラク国民を解放するというのも、アメリカが苦し紛れにこじつけた大義で、こんな理由で戦争を始めることが出来るならば、世界は戦争だらけになってしまうでしょう。
 ブッシュによるイラクでの戦闘行為停止宣言は、何だったのでしょうか。そもそも宣戦布告もなしに、また国連安保理の承認もなしに、アメリカが勝手に他の主権国家に対して先制攻撃をするなどということ自体、明白な国際法違反であり、決して許されることではありません。
 はっきり言えば、これはアメリカのイラク侵略戦争であり、現在イラクに駐留しているアメリカなどの軍隊はすべて侵略軍といっていいでしょう。
 フセインの銅像は、やらせに近い状態で引き倒したとしても、イラク政府やイラク軍は、アメリカに降伏したわけでもなく、休戦協定が結ばれたわけでもありません。ブッシュは何をもってこの戦争の幕引きとするのかの戦略もあいまいで、いわば交渉する相手の掴めない泥沼に自らはまり込んでしまったのです。
 イラクにとって、アメリカから一方的にふっかけられたこの戦争は、まだ始まったばかりで、米軍をイラク国内から追い出し、イラク人の手で国土を再建する戦いは、これからが本番となるでしょう。
 米軍のヘリや車列への攻撃は、イラク側からすればごく当然のことで、戦争の真っ最中にある以上は、侵略軍・占領軍に対する正当な戦闘行為にほかなりません。それをテロだなどと脅えて、国際世論にテロとの戦いを呼びかけるとは、何をぬけぬけと見当違いのことをほざいているのか、とあきれてしまいます。
 太平洋戦争において日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしたようなケースでは、占領軍に対して日本人が攻撃することは国際法上の重大な違反行為となりますが、イラクでは戦争終結にかかわる何の協定も結ばれていません。
 こうしてイラク戦争はアメリカの大誤算のもとに、これからがいよいよ激戦の本番を迎え、アメリカ軍の死者は日増しに増えていって、増強も縮小も出来ずに立ち往生するだけの醜態が当分続くでしょう。イギリス、イタリアなど、占領軍を支援するほかの国の軍隊への攻撃もますます激化していくでしょう。
 日本の自衛隊は、復興支援のために行くのであって戦闘をするために行くのではない、などという日本政府の言い訳は、いままさに戦争状態にあるイラク国民に通じるどころか、国際的にも通用しないでしょう。イラクに行けば、自衛隊も米軍と同じ侵略軍として攻撃にさらされ、イタリア軍のように多数の死者が出る可能性は大です。
 自衛隊がいったんイラクに派遣された後で、ベトナム戦争のようにイラク国土全体がゲリラを交えた戦争状態で手がつけられなくなり、他国の応援部隊が次々に撤収する事態になった時、日本は自衛隊撤収を決断することが出来るでしょうか。
 いまからでも遅くありません。日本はイラクへの自衛隊派遣を毅然として中止し、アメリカに対してもイラクからの撤退を進言すべきです。日本がイラクの再建と復興を本気で支援する気なら、ほかに方法は山ほどあるはずです。(11月18日)

 <働き蟻の2割は働かないでいる、という興味深い研究結果を考察する>
 蟻の社会は、人間の社会と比べても劣らないほど高度に組織化され、システムとして有機的・総合的に動いています。
 ボクが驚嘆するのは、巣の最も奥深いところにある女王蟻の身の回りの世話と、その卵の管理です。コロニーの心臓部ともいうべき女王と卵の場所は、常に一定の温度が保たれるよう、さまざまな工夫が凝らされています。
 ここの温度が高くなり過ぎる前に、なんと遠く離れた場所にある入り口付近で、働き蟻たちは口に水を含んで運んできて、入り口の周りに次々に「打ち水」をしていきます。その水が蒸発する時に奪う気化熱によって、巣の最深部の温度が調整されているのです。
 不思議なのは、巣の奥の温度がどのようにして入り口付近の働き蟻たちに伝えられているのか、という点です。巣の奥は奥で、働き蟻たちがセッセと任務に励んでおり、巣の奥から入り口に温度情報を伝える役目を持つ蟻も見つかっていません。
 それにもかかわらず、入り口付近で働く蟻たちは、奥の温度がどのような状況にあるかを、ワイヤレスのセンサーで掴んでいるかのように、見事に温度コントロールを行っているのは、神秘的な感じさえ受けます。
 働き蟻の任務分担について、今日の夕刊に面白い記事が載っています。北大の助手たちの研究では、全員が働いているかに見える働き蟻のうち、なんと2割が実際には働いていない、ということが分かった、というのです。
 2割の働かない蟻たちは、停止している、自分の体をなめている、何もしないで移動している、などで、働かないことでコロニーに何らかの貢献をしている可能性もある、とは研究にあたった助手の話だそうです。
 働きづめのような蟻のコロニーの中で、働かない2割の蟻たちが存在しているというのは、なにかとても興味深いことのように思われます。
 この蟻たちは、もしかするとコロニーの中の情報担当あるいは危機管理役で、女王蟻や卵の付近の温度が上昇しそうだという時に、その緊急情報を入り口付近の蟻たちに、何か特殊な方法で伝えているのかも知れません。
 自分が入り口まで移動しなくても、リレー式に情報を伝播している可能性もあるのでは、などと考えたりしています。
 あるいは、働かない蟻たちは、もしかすると定年を迎えた働き蟻たちで、年金生活に入っている、ということもあり得るのではないでしょうか。
 若い働き蟻たちが収穫した食料によって悠々自適の生活をしながら、コロニーの掟を次の世代に教えたり、難局に直面した時に指南役としてコロニーを守る、などご隠居さんとして分相応に尊厳を持って生きているのかも知れません。
 まさかとは思いますが、蟻の社会にも宗教や祭事に似たような儀式があるとすれば、案外そうした儀式を司る蟻たちなのかも知れませんね。(11月15日)

 <政権交代の幻想に振り回され民主に投票して後悔、護憲政党を潰すな>
 こんどの総選挙には、ワナにかけられた思いです。勝ったのは民主党なのか自民党なのか、あるいは公明党なのか、国民には判然とせず、すっきりしない不完全燃焼のまま、霧の中から怪物の薄気味悪い高笑いだけが聞こえてきます。
 はっきり言えば、この選挙は共産、社民の護憲両党を徹底的にたたきのめし、政治的に再起不能の状態にまで蹴落とすことが真の狙いであり、そのもくろみ通りの結果に終わった、というのが最大の特徴でしょう。
 共産と社民が議席を大幅に減らした分が、民主党の議席に回っただけのことで、これを躍進などと自賛して笑みを浮かべる管さんや小沢さんには、政治の俯瞰図が分かっていません。共産と社民の惨敗は、回りまわってボディブローのように日本の社会の抵抗力を殺いでいき、結局は民主党自身の首を絞めることになるでしょう。
 自民党にとってこの結果は、一見すると停滞のように見えますが、それは巧妙な目くらましであって、共産と社民の惨敗こそ、憲法9条の廃止を含む全面的な改憲を政治日程に乗せるために、どうしても欠かせない露払いだったのです。
 肉を切らせて骨を切る。自民党は、選挙前に比べて議席を減らしたかに見せかけて、実体は無所属当選者の追加公認と保守新党の吸収によって、肉どころか皮さえも切らせていません。にもかかわらず、野党の最も堅固な背骨をザクザクに切り刻んで、死骸を蹴散らかしたのですから、大勝利と言えるでしょう。
 こうした巨大な陰謀が進行していることを読みきれなかったお人よしの有権者は、ボクも含めてそうだったのですが、「政権交代をかけた総選挙」というマスコミの大合唱をすっかり鵜呑みにし、自民党の政権を終わらせるためには、今回は何が何でも民主党に投票しなければならない、という催眠術にかかってしまったのです。
 してやられた、と地団駄を踏んでいる人は少なくないでしょう。ボクも今回、政権交代を実現させるためのやむを得ない選択として、支持する政党はほかにあるにもかかわらず、初めて1回だけの浮気をして選挙区、比例区とも民主党に投票しました。
 この選択が取り返しのつかない誤りであったことに気づいた時にはすでに遅く、共産の退潮と社民の壊滅という流れを待ち受けていたかのように、改憲への道が軍靴と大砲の響きを伴って突貫工事で整備されつつあります。この流れを食い止めるのは、容易なことではありません。
 最も罪が大きいのは、選挙中というのに自民と民主の選択以外はあり得ないと思い込ませる公選法違反のキャンペーンを張り続け、いままた2大政党時代到来を賛美してやまないマスコミです。まさしくマスコミの本質はブルジョワマスコミであり、どの新聞も結局のところブル新に過ぎないのですね。
 もうボクは懲り懲りしました。来年の参院選からは、どんなに政権交代の可能性をマスコミがはやしたてようとも、それは一気飲みの「イッキ、イッキ」のはやし声と同じで、決して乗っかってはならないのだと固く心に決めました。
 これからは、当選の可能性が低かろうが皆無であろうが、虫の息となってしまった2つの護憲政党のどちらかに投票するという、従来の投票行動を貫き通すことにします。(11月12日)

 <『時間の岸辺から』その42 農作物泥棒> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 李下に冠を整さず、瓜田に履(くつ)を納れず、という言葉があります。
 他人から疑われるような行為は慎めという戒めですが、ここで興味深いのは、スモモ泥棒やウリ泥棒が大昔から存在し、そうした行為に対して人々が厳しい糾弾の視線を向けていた、という背景です。
 裏を返せば、実った果物や野菜の近くに挙動不審の人物がいたら、泥棒と疑ってかかっても構わない、ということでもあります。
 日本でも昔の小説や映画には、ひもじさのあまり他人の畑からイモなどを掘り出して、生のまま夢中でむさぼり続けるという場面が、よく出てきました。
 こうした農作物泥棒は、日本が経済大国としてめざましい発展を遂げていった高度成長期には、ほとんど姿を消したかに見えました。
 すっかり死語になったはずの、果物泥棒、野菜泥棒、米泥棒がいま、実りの秋も大詰めを迎えた日本各地で横行しています。
 それはサクランボ泥棒から始まって、クリ泥棒、ナシ泥棒、ブドウ泥棒、モモ泥棒、スイカ泥棒、イチゴ泥棒、メロン泥棒、キノコ泥棒へと広がって、日本の畑は泥棒天国の様相を呈しています。
 冷夏による10年ぶりの米の不作で、コシヒカリなどブランド米を集中的に狙って、納屋などから盗み出す米泥棒も各地で大手を振っています。
 最近では、水田に入って自ら稲刈りをし、稲のまま大量に盗んでいく「稲刈り泥棒」まで現れました。
 悪いことと知りつつ空腹に耐え切れず、農作物を1個か2個盗んでその場で食べる昔の農作物泥棒には、同情したくなる面もないわけではありません。
 しかし現在の農作物泥棒のほとんどは、農家の人たちが1年間苦労して育て上げた農作物を、ごっそり運び出して金に換えているのが実態で、極めて悪質かつ卑劣です。
 それは農作業の苦労に対する侮辱であるとともに、大地と太陽に対する冒涜(ぼうとく)でさえある、とボクは思います。
 農業というのは、だれでも近づくことが出来る開放された田畑で営むのが当たり前で、防犯設備など施していないのが普通です。実った農作物を横取りしてはいけない、というのは農耕社会の掟(おきて)といっていいでしょう。
 こうした農作物泥棒を防ぐには、相次ぐ事件をうやむやにするのではなく、犯人を検挙して厳罰に処することが必要です。
 従来の懲役刑だけでは不十分です。罰当たりの犯罪に対しては、法律改正をするなどして新たな刑罰を科したらいいのに、とボクは思います。
 具体的には、断食の刑、あるいは餓えの刑などはどうでしょうか。盗んだ農作物の量や悪質さに応じて、懲役刑に入る前に1週間から2週間程度、「食事抜きで水だけの刑」に処することにしたら、少しは身にしみて懲りるのではないでししょうか。(11月9日)

 <26年もの旅を続け、太陽系を出て銀河探査に向かうボイジャー>
 1977年は、どんな年として記憶に残っているでしょうか。ピンク・レディの「渚のシンドバッド」が日本中に流れ、沢田研二は「勝手にしやがれ」を歌いながら帽子を客席に投げていました。帽子といえば、「母さん、僕のあの帽子どうしたんでしょうね」のコピーが流行ったのもこの年でした。
 忘れられないのは、現ダイエー監督の王貞治選手が世界新記録となる756本目のホームランを打ったのが、この年の9月3日でした。
 その2日前の9月1日、小さな惑星探査機が地球を出発して、遥かな旅に出ました。アメリカが打ち上げたボイジャー1号です。そのボイジャーは、木星や土星といったこれまで人類が望遠鏡でしか観察したことがない惑星に次々に接近して、鮮明な写真などのデータを送り続け、さらに太陽系の外縁をめざして旅を続けてきました。
 打ち上げから実に26年という歳月を経て、ボイジャー1号がいま、ようやく太陽系の端に達したというニュースは、ボクたちを深く感動させます。
 ボイジャーが飛行している位置は、地球と太陽の距離の85倍にあたる127億5000万キロ付近で、光が到達するだけでも12時間以上かかる距離です。
 このまま飛行を続けると、5年から10年後には太陽系を脱出し、銀河系探査という人類の飛躍的な夢の一歩を踏み出すことになり、ボクたち人間の世界観を大きく変えるほどのインパクトを与えてくれるのではないでしょうか。
 宇宙時代といっても、ボクたちが実感出来るのは、せいぜい月や火星くらいまでで、実感はわかないけれどもイメージ出来るのは、太陽系という「村落」の中に限られていました。太陽という教会と役場と市場を兼ねたような中心の周りに、水星から冥王星までさまざまな住人がいて、規則正しい生活をしている。そんな感覚です。
 ボイジャーが太陽系の端に達したということは、この村落のはずれまで達し、これからはいよいよ村落の外に出て、広大な無人の荒野を旅することになります。最も近い村落まで行くのには、何百年かかるか分かりません。あと20年ほどとみられるボイジャーの寿命は、途中で尽きてしまうことでしょう。
 にもかかわらず、毅然として使命をこなしながら、二度と地球に戻ることのない片道切符の旅を続けるボイジャーの孤高の姿は、地球の人々に地上に満ちている幾多の矛盾と困難に改めて気づかせ、その克服に向けての決意と勇気を与えてくれます。
 1990年にボイジャーが送ってきた太陽系の全景写真では、太陽は光の点となり、地球はもっと小さな粉粒ほどの点になっています。こんなちっぽけな点の上に、60億もの人間がひしめきあい、しかも連日、殺し合いと諍いに明け暮れているとは、愚かの極みです。
 ボイジャーを送り出して四半世紀もの間、交信を続けるだけの知性と技術を持つ人類はいま、地球という粉粒ほどの狭い乗り物の中で、自滅せずに子々孫々まで生き延びて文明を継続させていく方策を、改めて構築し直す必要に迫られてのではないでしょうか。(11月6日)

 <『時間の岸辺から』その41 炎上する工場> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 人類が初めて体験した産業事故とは、どのようなものだったでしょうか。
 石器作りにおいても、太古の農耕や牧畜においても、事故はあったと思いますが、モノづくりの現場で大きな事故を経験するのは、青銅器や鉄器の時代からではないか、とボクは想像します。
 銅とスズを混ぜ合わせて青銅を作るには1千度以上の高温をコントロールする必要があり、鉄鉱石から鉄を取り出すためには1千500度もの高温が必要です。
 原始的な高炉で金属を溶かして武器や農具、装身具などを鋳造していた現場では、不意の事故で人々が命を落とすケースが絶えなかったと推察されます。
 素材を溶かしたり混ぜたり加工したりする製造業は、古代から現代にいるまで、常に火災や爆発などの危険にさらされていたといっていいでしょう。
 そのことを如実に示しているのが、このところ日本で相次いでいる工場や産業現場での事故です。
 最近の数カ月だけでも、三重のゴミ発電所タンクの爆発、名古屋のエクソンモービルのガソリンタンク爆発、東海市の新日鉄コークスガスタンク爆発、黒磯市のブリヂストンタイヤ工場の火災、北海道の出光興産タンク火災と、とどまるところを知りません。
 産業事故については、「ハインリッヒの法則」というのがあります。1件の重大災害の陰には、29件の軽い災害があり、その裏には災害寸前のミスやトラブルが300件発生している、というものです。
 この法則をあてはめてみると、いまの日本では表ざたになっていないミスやトラブルが数千件も発生している、ということになります。
 モノづくりの現場で事故が続いていることについて、専門家の多くは、長引く経済不況による合理化やリストラと無関係ではない、と指摘しています。
 そうした面はあるとしても、ボクは何かもっと構造的な問題があるのではないか、と考えます。
 より大きな利潤を上げたものだけが勝ち残り、敗者は次々と市場から退場させられる米国流の市場主義。それをグローバル・スタンダードとして、世界中に推し進めようとしている米国の巨大資本や産業界。
 こうした圧力を受け、日本の製造業の多くが大競争時代の名の下に、生き馬の目を抜く熾烈(しれつ)な戦いに駆り立てられています。
 ボクは、収益と利潤という単純なモノサシによって、企業の勝ち負けをはっきりさせていく時代の重苦しさが、事故続発の背景にあるような気がします。
 産業事故を根絶するためには、新しい価値観に基づく新たな市場のルールが確立される必要があるのではないでしょうか。
 それは、安全のための費用や人員を惜しみ、従業員や地域住民の命と健康を顧みない企業には、どんなに利益を上げていても市場から退場してもらうという、断固たるルールでなければならない、と思います。(11月2日)

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2003年10月

 <阪神タイガースの夢と追憶、1985年そして2003年>
 阪神タイガース。それは学生時代を関西で過ごしたボクにとって、同時進行していく見果てぬ夢であり、いつもそこにある屈折した青春の陰影でした。
 阪神=社会党論がさかんに唱えられ、トップになれそうであと一歩及ばずに最高で二番手、たいがいは最下位が当たり前となってしまったタイガースは、ボクたち多くの日本人にとって自分自身の姿でもありました。
 ボクが社会人となって以降の長い間、阪神が優勝した記憶はまったくありませんでした。1985年までは。
 その年、日航ジャンボ機が墜落し、阪神タイガースがなんと21年ぶりに優勝。夢を見ているような心地の中、ボクは仕事に追われる日々が続いていました。
 それでも、日本シリーズの開催期間中に大阪に出張したのは、甲子園での応援などとは無縁であっても、とにかくその時、関西にいたい、という無意識の力が働いて、ボクは恣意的に大阪出張をこしらえたに違いない、と自分で思い起こすのです。
 翌年1986年、ボクは19年間の新聞記者生活にピリオドを打つことになりました。異動部会でのボクの挨拶。「これまで誰もやったことがないことをやります」と前置きして、隠し持ったラジカセをやおら取り出し、カラオケの伴奏で歌ったのが「六甲おろし」でした。
 あの時のことは、夢のまた夢。膨大な歳月が経過しているのに、記憶は鮮烈で心臓の鼓動まで覚えています。
 そして2003年10月23日夜。ボクは、阪神とダイエーの日本シリーズ第4戦が行われた甲子園球場の内野応援席にいました。タイガースの縦じまのユニフォームを着て、応援メガホンを振っている自分がいまここにいるなんて、これって現実? 夢? 幻想?
 観客の9割以上が阪神ファン。歓声の一声一声が、球場全体に地響きをもたらし、選手ごとに歌詞もメロディーも異なる応援歌を、数万人が一糸乱れぬ呼吸で合わせて歌う、この世のものとも思えない、ど迫力のエネルギー爆発。
 これは、夢なのだ。現実からさりげなく続いているけれども、もはや夢の世界なのだ。それでなければ、こんな物凄いことが、目の前で起きているはずがない。息苦しくなるほどの陶酔と高揚の空気の中を、阪神の選手が一人、また一人、3塁から本塁へと走り抜けていく。
 ボクも含めてみんなが立ち上がっまま、歓呼乱舞のエクスタシー状態だ。あの歓声がいまも耳の中で鳴り響いている。球場にいたのは、本当にボクだったのだろうか。もしかして、単なる空想と妄想が、このような記憶を創作しただけなのではないだろうか。
 記憶の中に入ってしまえば、すべての過去は等価値。そして記憶も夢も幻影すらもが、等価値。
 何年後か、そう遠くないうちにきっと、ボクはやはり甲子園球場で阪神の日本シリーズを観戦しているでしょう。その時の光景すら、まだ見ぬ記憶のように目に浮かびます。その時の大歓声すら、早くも聞こえるような気がします。(10月30日)

 <止まっているエスカレーターは、なぜ歩いて登りにくいのかという疑問>
 日常の何気ないことがらでも、不思議だと思い始めるとますます不思議になっていく、という経験は誰にもあるものです。
 エスカレーターが、定期点検中でもないのになぜか止まっていて、係員もだれもいないというシュールな状況に、ときどき出くわすことがあります。しかも近くに階段は見当たらず、とりあえず止まっているエスカレーターを一歩一歩登らなければならないという時、なんと登りにくいことでしょうか。
 普通の階段だと思えば登れるはずなのに、その一歩一歩がとても重くて疲れます。ほかの人たちもドタンドタンとみっともない足取りで悪戦苦闘して登っています。
 エスカレーターは、もともと登るものではないからでしょう。しかし、動いているエスカレーターがとても登りやすいことは、みんなが経験上知っていて、それほど急いでいるわけでもないのに、わざと登る快感を味わうこともしばしばです。
 動いているエスカレーターは楽に登れるのに、止まっているエスカレーターは極めて登り辛いのは、なぜ?
 上へ登る場合だけではありません。これも多くの人が体験していることですが、止まっているエスカレーターを歩いて降りるのも、これまたとても歩き辛いのです。動いているエスカレーターを歩いて降りるのは、登りと同様に快適なのに。
 これは心理的な問題なのでしょうか、それとも階段とエスカレーターではステップの高さや段の奥行きが異なるという構造的な問題なのでしょうか。
 おそらく、その両方の要因が増幅し合っているのではないか、とボクは考えます。
 止まっているエスカレーターは、止まっている振り子時計を見る時に感じるのと同様に、見てはいけないこの世ならぬもの、という不吉な雰囲気に覆われています。それは、当たり前の日常の「死」の光景であり、止まった時間と同等です。
 時間よ止まれと叫んで、驚くことに本当に時間が止まってしまったとしたら、ものみなすべてが停止している世界で、ただ一人動くことが出来る自分が歩くのはどんな感覚がするでしょうか。おそらくそれは、止まっているエスカレーターを登ったり降りたりする時のような、重くて引きとめられるような感じがするのではないでしょうか。
 常に動いているものが止まっている状態を目にするのは、ボクたちの日常においてそんなに数多くある機会ではありません。
 平日の昼間だというのに、車道に一台の車も見当たらず、歩道には通行人もほとんどいない、という空白の瞬間にたまに居合わせた時には、これは現実なのだろうかと胸騒ぎがします。
 風がまったくなく、銭湯の煙突から立ち上る煙が、定規で線を引いたようにまっすぐ上昇しているのを見た時も、めまいのような不安な感覚に襲われます。
 止まっているエスカレーターは、時間の停止、運動の停止、変化の停止を象徴し、こちら側の動く世界とあちら側の停止している世界を結ぶ、一種のワームホールのような存在なのだと思います。(10月20日)

 <『時間の岸辺から』その40 防犯カメラの目> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「お天道さまは、お見通しだぜ」
 昔の町奉行が犯人を捕まえる時によく口にした、おなじみの決めゼリフです。お天道さまが見ている、というのは、親が子どもに厳しく言い聞かせた教えでもありました。
 それが現代では、「防犯カメラは、お見通しだぜ」の時代になりました。
 東京の街を歩いていると、「このあたりは防犯カメラが皆様の安全を24時間見守っています」という看板を、しばしば見かけます。
 周lりを見回すと、街路灯のポールの上部などにカメラが付いていて、こちらをにらんでいます。よくよく見ると、いたるところカメラだらけです。
 景気の低迷が長引き、犯罪が増加する中で、防犯カメラを設置する商店街や自治体、団地、集合住宅などが急増しています。
 昨年、警視庁が新宿・歌舞伎町に50台の防犯カメラを設置し、これによって刑法犯が激減したことが評価されて、23都道府県の60カ所に導入が相次ぎ、さらに多くの地域で導入が検討されています。
 最近では、長崎市で起きた男児誘拐殺人事件や、渋谷の連続通り魔事件など、防犯カメラに記録された映像をもとに犯人が逮捕されるケースが目立ち、「目撃者」としての防犯カメラの威力が強調されています。
 こうした中、防犯カメラはプライバシーを脅かす、と懸念する声はかき消されがちで、市民生活の安全確保のためならカメラの設置もやむを得ない、という意見が強くなっています。
 ボクは、普段の平穏な時ならば、プライバシーについてそれほど神経をとがらす必要はないと思いますが、「有事」に際しては重大な事態になるだろうという予感がします。
 日本の周辺に戦争の危険が迫ったと政府が判断し、有事関連法によって日本全体が戦争態勢に入ろうとしている時、戦争に反対したり戦争協力を拒否する個人やグループは、当局から徹底的にマークされ、抵抗する者は容赦なく拘束・検挙されていくことでしょう。
 その時に防犯カメラは、国家に批判的な市民の動きを事細かくマークし、戦争遂行の妨げとなりそうな人物を見つけ出すのに、絶大な威力を発揮するに違いありません。
 今でさえ、6都道県の22カ所に設置された防犯カメラの映像は、警察署や警察本部でモニターすることが技術的に可能となっています。
 「有事」の場合は、警察はもちろんのこと、自衛隊や政府官邸、公安調査庁、在日米軍などでモニターされるのは、当然の流れだろうという気がします。
 防犯カメラに録画された数千人の通行人の中から、1秒足らずで特定の人物を探し出す技術も、すでに開発されています。
 その時、防犯カメラの目はお天道さまの目ではなく、戦前の特高警察と同じ視線でにらみを利かせる権力の目となることを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。(10月16日)

 <経済効果狙い動かした体育の日は雨や曇り、10月10日に戻せ>
 ボクの青春において、さまざまな実生活上の思い出を貫き、突出した時代背景として記憶に鮮烈なのは、東京オリンピック、キューバ危機、ケネディ暗殺の3つです。
 この3つの歴史的出来事は、どの順番で起こったのか、とっさには判断がつかなくなってしまいました。
 記憶の中に入ってしまえば、すべての出来事は「過去」あるいは「思い出」の中で同列に並び、等価値を持つものとなる、ということをよく示していると思います。
 実際には、というよりも年表によればと言ったほうがいいのですが、キューバ危機、ケネディ暗殺、東京オリンピックの順にほぼ1年間隔で、それぞれ62年、63年、64年の秋に起きた出来事なのですね。
 その東京オリンピックといえば日本人には、晴れがましくも誇らしかった10月10日の開会式が忘れられません。新幹線が開通し、全国の津々浦々に「東京五輪音頭」が流れる中、国立競技場で日本が、そして日本人が総力を挙げて実現にこぎつけた入場行進が繰り広げられました。
 10月10日は11月3日とともに晴れの特異日とされてきた日で、期待通り開会式は雲ひとつない秋晴れでした。
 「体育の日」は、その日を記念して制定され、長い間10月10日で定着していました。
 それを動かし、10月の第2月曜日というハンパな日にしてしまったのは、連休が増えれば国民が行楽やレジャーにお金を使って経済が活性化するはずだ、などという安っぽくてミミッチい政治家の発想によって、祝日法が改正されたためです。
 これがいかに愚挙であったかは、祝日法改正後の体育の日がことごとく雨や曇りであることに象徴されています。祝日からはずされた10月10日が、晴れの特異日の面目躍如としてまぶしいほどの秋晴れとなっているのと対照的です。
 貧弱なソロバン勘定で連休が増えれば日本の経済が潤うなどと説いて回った政治家たちは、実際にどれくらい日本の経済にプラス効果をもたらしているのか、きちんと検証して国民の前に報告すべきです。
 ま、こういうことについてはすべて頬かむりするのが、日本の政治家の厚顔破廉恥たるところで、あれほど強力に地域振興券の推進役として立ち回った某政党も、その費用対効果についていかなる総括をしているのか、国民に説明があったという記憶はありません。
 それに、由緒ある祝日をつぎつぎに月曜日に移したために、学校では年間を通じて最も祝日となることが多い月曜日のカリキュラムが組み立てられなくなっています。
 政治家たちの無責任をあざ笑うかのように、今年も10月10日はもったいないほどの秋晴れとなり、「体育の日」の今日13日は無残な雨にたたられています。
 小手先の細工によって日本経済が蘇るかのような幻想を振りまくのはもういいかげんにして、一刻も早く祝日法を再改正し、体育の日を元通りの10月10日に戻してほしいものだと思います。(10月13日)

 <こんどの衆院解散のネーミングは、民営化解散か毒まんじゅう解散>=通算700本目
 さあ、いよいよ衆院解散です。いつもボクは、国会解散・総選挙の時期を迎えるたびに、ある種の形容し難い高揚感と興奮を感じて、なんとなくワクワク、ソワソワして、いても立ってもいられない気持になります。
 それはたぶん、国会解散によって社会的気分が一新されるという解放感であり、代議士がそれぞれ「ただの人」となって丸裸で選挙戦を戦うことへの野次馬的な小気味よさであり、そして期待薄ではあっても選挙結果しだいでは日本が大きく変わるかも知れないというプチ革命への期待感なのだと思います。
 国会解散の瞬間から、開票が進んで各政党の勢力分布が明らかになるまでの、しばらくの期間、ボクは権力の空白によって生じる一種のアナーキーな空気と、一寸先はヤミを百も承知のわが国最大の「政治の祭典」を、楽しく鑑賞させてもらうのです。
 その時々の国会解散につけられたニックネームは、時代の特徴をよく表しています。1953年のバカヤロー解散、1960年の安保解散、1966年の黒い霧解散、1976年のロッキード解散、1980年のハプニング解散、1986年の死んだふり解散、1990年の消費税解散、1993年の政治改革解散、等々。
 前々回1996年の橋本内閣のもとでの解散は小選挙区解散でしたが、前回2000年の森内閣のもとでの解散は、どんなニックネームだったのかよく覚えていません。内閣支持率の著しい低下によってやむを得ず解散に追い込まれたもので、シンキロー解散という言葉も聞かれました。
 今回の解散は、どんなニックネームがつけられるのでしょうか。ボクの独断で名称をつけるならば、まず21世紀解散、あるいは新世紀解散ですね。今回が21世紀になって初めての解散・総選挙であることはどのマスコミもあまり触れていませんが、極めて重要なポイントではないでしょうか。
 そもそも21世紀になってからこれまで一度も総選挙がなかったことこそが異常であって、よくもまあ日本国民は辛抱強く、20世紀最後の総選挙に基づく政治地図のもとで黙々と耐え忍んできたものだ、という気がします。
 その意味で、21世紀お待たせ解散、いまさらながら新世紀解散、といってもいいでしょう。
 選挙の最大争点をニックネームとするのであれば、なんといっても構造改革解散、民営化解散でしょう。イラク支援解散、円高解散というのは、ネーミングとしてはちょっと弱いでしょうか。
 マニフェスト解散や毒まんじゅう解散というのは、案外いいかも知れません。
 次の解散はたぶん消費税率引き上げ解散となるでしょう。そう遠くないうちに、国債暴落解散、ハイパーインフレ解散、国家財政破綻解散があるような予感がします。そして、自民党が衰退しない限り、いずれやってくるのが憲法改正解散でしょう。
 そんな事態にならないためには、自民党増殖の芽を出来るだけ摘み取っておかねばなりません。その意味でもこんどの選挙は、自民党さよなら解散と呼べるものにしていきたいものです。(10月9日)

 <シルクロードの故城や関所跡にみる、滅びの美しさと安らぎ>
 今回のシルクロード旅行に出発する前に、NHKが今年春に12回に渡って再放送したNHK特集「シルクロード」のビデオを繰り返し見たり、シルクロードの本を読むなどして、予備知識を蓄えました。それはそれで、とても役に立ったのですが、シルクロードに関する限り、まさに自分で現地に行く以外に、いかなる疑似体験もあり得ない、と感じました。
 たいがいの旅は、飛行機で現地に着いてしまえば、あとは少しずつ移動しながら観光していくことが出来ますが、シルクロードの旅の根幹は移動そのものであり、砂漠と山脈にはさまれた広大な台地をひたすら移動し続けることに、その真髄があるのではないか、とさえ思います。
 移動の途中、数キロごとにそびえ立つ烽火台の跡は、この地を巡るさまざまな民族と国家の、激しい戦いの様相を静かに物語っています。シルクロードは交流の道であったと同時に、戦争が絶え間なく続いた、まれにみる激戦の地でもあったのです。
 茫洋とした砂漠の中に広がる、トルファンの高昌故城や交河故城。どちらも、写真などで想像していたよりもはるかに広大で複雑な構造になっていて、それはまさに一都市であり一国家だったことが、訪れて初めて分かりました。
 明代の万里の長城の最西端である嘉峪関、漢の時代の西端の関所である陽関、漢代の万里の長城に連なる玉門関。2千年の風砂にさらされて、半ば形を失いながらも、なお残った石や煉瓦の構造物が踏みとどまっている様子は、ボクたちにさまざまな感慨を抱かせてくれます。
 シルクロードの故城や関所跡、長城や烽火台の跡は、諸行無常・勝者必衰の理をひしひしと感じさせ、滅びがこれほどまでに美しいものなのか、と万感胸に迫る思いです。そこには、哀切や感傷を超えたもっと大きな響きがいまなお残響として力強く聞こえてくる思いです。
 それは、かつて一つの時代と地域を支配し、栄華の絶頂から衰退へと向かった国家と民族の、滅びた後の安らぎと悔いのない満足感のようなものであり、自分たちの時代に与えられた精一杯のことはやったのだ、という誇りのようなもの、といっていいでしょう。
 ヨーロッパやエジプト、トルコなどに残るローマ時代の遺跡は、どことなく強権と憎悪のにおいがつきまとい、領土拡大と覇権をめぐる生々しい惨劇がいまなお拭いきれていない感じがします。これに対し、シルクロードの遺跡、遺物には、いずれ自らが滅びるであろうことを自覚し、納得して滅びていったようなやわらかい光を感じます。
 今回の旅で、シルクロードにはボクたち日本人のものの見方や感じ方の原点があることを肌で感じたような気がします。
 この次は、ウルムチよりももっと西のカシュガルあたりまで旅してみたい、さらにカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタンなど中央アジアのシルクロードへと足をのばしてみたい。平和が訪れたらアフガニスタンやイラクを通って、実際にアジア側からローマまで行ってみたい、と憧れはつのるばかりです。(10月6日)

 <最初にシルクロードを切り開いたのは誰か、驚くべき結論は‥>
 今回のシルクロード旅行では、西安からウルムチまでの4000キロを、飛行機、鉄道、バスを乗り継いで行きました。シルクロードはこの先、中国の西側の国境を越えてウズベキスタンなど中央アジアの国々を通りアフガニスタン、イラン、イラクへと続き、北へ回ればイスタンブール、南へ回ればダマスカスからカイロを通って、最終的にはローマにたどり着きます。
 来る日もまた次の日も、万年雪を頂いた山岳地帯を南や北に望んで、広大な岩砂漠や砂砂漠をバスで走りながらボクは、アジアとヨーロッパを貫くこの長大なシルクロードを最初に切り開いた人間は、いったいどのような人だったのだろうか、と思いをはせずにはおられませんでした。
 それはヨーロッパ側から切り開くにしても、中国側から切り開くにしても、道なき砂漠の先にどのような世界があるのか、それはどの方向なのか、といった情報がまったくない段階で、いかにして道を開拓することが可能なのか、想像を絶することです。
 すでに紀元前5世紀ころのヘロドトスの書物に、草原の遊牧地帯を東西に横切る交通路があることが記されており、さらに先史時代にさかのぼって紀元前20世紀から30世紀ころには、東西の交流が行われていたことが、考古学的に明らかになっています。
 ということは、シルクロードが作られたのは、ボクたちが想像するよりもはるかに太古の時代にさかのぼるということになります。
 これはボクの全くの想像に過ぎませんが、おそらく最初の人類がアフリカに誕生して、数万年から数十万年という長い時間をかけて、地球のさまざまな陸地に拡散の旅を続けていった時期、すでにシルクロードの原型ともいうべき大筋の「道」は、人類以前の生きとし生くる者たちによってルートが敷かれていたのではないでしょうか。
 つまり、最も原始期のシルクロードは、「けものみち」だったに違いない、とボクは思うのです。この「けもの」たちの中軸となったのは、草原に生きるさまざまな草食動物たちであり、それを捕獲するさまざまな肉食動物たちだったのでしょう。
 もしかすると、6000万年前に恐竜が絶滅した時には、恐竜たちが何億年もの間に行き来した足跡などで作られた、荒削りの「道」もどきがところどころに出来ていたかも知れません。
 さまざまな哺乳類によって、しだいに道としての形を整えつつあったシルクロードの「けものみち」は、さらに類人猿たちや猿人たちによって、数百万年という気の遠くなるような時間をかけて、しだいに道らしい道となっていったことでしょう。
 草原の動物たちにしても、類人猿たちや猿人たちにしても、この険しい道を通ることを余儀なくされたのは、異常気候や天変地異などによる餓えと乾きの時期だったに違いない、と思います。こうして食物と水を求めて、何もない砂漠をひたすら突き進む決死の移動が、シルクロードの原型を形作っていったのでしょう。
 最後に登場した人類は、それ以前の膨大に動物たちによる生死をかけたチャレンジが作り出した「原シルクロード」を、人類の武器である知能と道具によって、より通りやすくて文明的な道へと、すこしずつ作り変えていったものと思います。
 シルクロードには、文明の進化の歴史とともに、生物進化の歴史そのものが深く刻まれている、とボクは考えます。(10月3日)

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2003年9月

 <シルクロードを旅して思う、砂漠奥地の岩山に石窟を作った精神の力>
 9月の中旬から下旬にかけて、シルクロードを旅してきました。成田から西安を経て、中国の国内線で蘭州まで行き、翌日、特快列車で10時間かかって酒泉へ。それからは連日、バスで1日300〜400キロもの距離をひたすら西へ西へ。
 祁連山脈を遠くに望みながらゴビ砂漠を貫く道路を走り続け、さらに天山山脈を望みながらタクラマカン砂漠の東端付近に位置するトルファン、ウルムチまで進みました。このルートは、シルクロードの河西回廊から天山北路へ進むルートであり、1400年前に玄奘三蔵が経典を求めてインドへ向かった苦難の道でもありました。
 その途中途中で、コースから寄り道しながら訪れた数々の石窟は、今回の旅のハイライトでした。
 高さ27メートルの大仏像を中心とするヘイ(火偏に丙)霊寺、近年になって一般に公開された楡林窟、砂漠の大美術館と言われ400を超える窟が並ぶ莫高窟、西千仏洞、ベゼクリク千仏洞と、さまざまな石窟に入って、懐中電灯を手にしながら、じっくりと見学して回ることが出来ました。
 ボクが最も驚嘆したのは、これらの石窟がいずれも、過酷な自然環境の砂漠を乗り越えてさらに奥深く分け入った、荒涼とした岩山の絶壁に作られていることです。
 中国の僻地からも、また西域の国々からも、遥か遠く隔たったへんぴな奥地は、馬やラクダに乗ってたどり着くだけでも命がけといえるほどで、ここに大きな窟を採掘して中に仏像や壁画を作ろうと立ち向かった人々の精神力は、いかなるものであったのかと思う時、現代のボクたちは言葉を失います。
 こうした窟を作るにあたって、窟のイメージをデザインし、指揮を執ったのはどういう人たちなのでしょうか。修業僧らが強い精神的バックボーンであったことは想像がつきますが、僧だけでは窟は作れません。まずは気の遠くなるような力作業で岩山をくり貫く困難な作業が必要で、窟の内部に仏像を彫る人や、粘土で像を作る人も必要です。
 さらに、窟の内側の壁や天井に壁画を描く人達が必要です。絵師たちには、仏教の知識や素養はもちろんのこと、中国やインド、チベットなど各国の精神世界についての深い理解と、それを表現するアートの才能が必要です。多量の顔料や染料なども用意しなければなりません。
 窟の作成に携わる人々は、当然のことながら岩山の中に長期間に渡って寝泊りしなければならず、その人たちの日々の食料をどう調達するか、という問題もあります。
 電気のない時代に、暗い窟の中でどうやって像や壁画に鮮やかな色彩をほどこしていくことが出来たのかも、考えてみれば驚異的なことです。
 それほどまでの困難を極めてもなお、窟を作ろうと立ち向かい、現実に幾多の窟を作り上げていった当時の人々の精神の強靭さは何に由来し、どこからそのパワーを獲得することが出来たのでしょうか。その力の源泉は、仏教の持つ哲学性にあるのではないか、とボクは考えます。
 キリスト教などの一神教と大きく異なって仏教は、この世界の本質は何なのか、人間とはいったい何者でこの世界とどのように関わっているのか、という真理を求めてやまない哲学そのものだ、と言っていいでしょう。
 言語に絶する苦難をものともせずに、石窟作りに挑み続けることが出来たのは、この世の真理と人間の真理を究めたいという、やむにやまれぬ内面の衝動と、真理に限りなく近づくことが出来る人間精神への深い信頼があったからこそ、可能だったに違いない、とボクは思うのです。(9月30日)

 <『時間の岸辺から』その39 花屋の酒> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 かなり昔のことになりますが、お寿司屋さんのカウンターで、こんな光景を見たことがあります。
 若い男性が真顔で「うなぎ」と注文したのに対し、店のオヤジさんが血相を変えて、「うちは寿司屋だぜ。間違えないでくれ」と一喝したのです。
 いまどきのお寿司屋さんには、こうした頑固なポリシーが見られなくなり、うなぎの握りはもちろんのこと、牛肉のタタキ、ローストビーフなど、なんでも握ってしまいます。
 最近の日本では、商売の守備範囲がしだいにあいまいになってきて、こんな店でこんなものが売られている、と驚かされることがよくあります。
 カメラ屋さんで傘を売っている、パソコンショップでスーツケースを売っている、薬屋さんで衣類を売っている、等々。
 今年9月からは酒類の小売り規制が原則として撤廃され、どんな店でもお申請さえすれば、お酒を売ることが出来るようになりました。
 これまでお酒の販売は、人口に応じて出店数が厳しく制限され、酒屋さん同士の距離についても、お互いにどれくらい離れていなければならないかなど、細かい決まりがありました。
 それが政府の方針によって、数年前から少しずつ緩和が進み、ついに一部地域で1年間だけ規制を延長するほかは、自由化の名のもとに事実上の野放しとなりました。
 これを受けて、さまざまな異業種の店が、お酒の販売に参入しようとしています。
 最も積極的なのが、宅配ピザのチェーン店で、ビールやワインも宅配メニューに加えようというのです。弁当屋さんやケーキ店などでも、動きが出ています。
 生活雑貨やレジャー用品、園芸、ペット用品などを扱うホームショップや、薬や化粧品の店というイメージが強いドラッグストアも、検討中といいます。
 いささか意外な感じがするのはレンタルビデオ店の参入で、こちらは「アルコールを楽しみながらビデオ鑑賞を」というわけです。
 もっと意外なのは、花屋さんの参入です。都心部の大手の花屋さんは、「花束にワインを添えてプレゼントに」と、お洒落なイメージで勝負しようとしています。
 ボクは、規制緩和の方向そのものは悪くないと思うのですが、日本中のあらゆる店が、我も我もと酒類の販売参入に浮き足立つ様子は、どこかおかしいぞ、という気がします。
 お酒の販売経験のないこれらの店が、未成年に売らない方策をどのように取るのかも、見過ごせない問題です。
 商品への愛着もプライドもかなぐり捨てて、売れるものならなんでも売るが勝ち、というやり方は、商人(あきんど)としての自滅行為ではないか、とボクは思います。
 「ワインありますか」と尋ねられたら、「うちは花屋だぜ」と一喝するくらいの気骨があってもいいのではないでしょうか。(9月27日)

 <『時間の岸辺から』その38 マンモス復活> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 果てしなく広がる平原。溶岩を噴き上げる火山。そんな中をおおらかに生きる原始人の一家を、ユーモラスに描いた園山俊二さんのギャグ漫画「ギャートルズ」は、いまなお熱烈なファンが少なくありません。
 この漫画の引き立て役は、ギャートルズ一家と追いつ追われつの関係にあるマンモスたちで、文明から程遠い時代へのノスタルジアをかきたててくれます。
 射とめたマンモスを、骨ごと巨大な輪切りにして食らいつくシーンは、いかにも美味しそうで、食べてみたい架空の食べ物のナンバーワンとして、語り草となっています。
 マンモスが地球上から姿を消したのは、約1万年前のこととされています。絶滅の原因は、人間たちによる乱獲や、生息環境の激変、あるいはその両方が重なった、などさまざまな説があります。
 そのマンモスを、クローン技術によって復活させようという共同プロジェクトが、近畿大学や岐阜県科学技術振興センター、ロシアのマンモス博物館などによって進められています。
 シベリアの永久凍土に眠るマンモスの筋肉や皮膚片などからDNAを取り出し、アジアゾウの卵子に移植してクローン胚(はい)を作り、ゾウの子宮に移して出産させようというのです。
 DNAをもとに恐竜を復活させた映画「ジュラシック・パーク」を地で行く試みで、7月にはマンモスのものとみられる肉片が日本に運び込まれ、分析にかけられています。
 マンモスの復活は、夢のある話として素直に歓迎すべきだ、という声がある反面、さまざまな懸念があることも事実です。
 その一つは、生物進化の道筋から姿を消した絶滅種を、技術的に可能だからといって、復活させていいものか、という問題です。当時とは、気象条件も生息環境もあまりにも異なり過ぎている現代で、マンモスが生きていけるのか、という疑問もあります。
 さらに、復活したマンモスがどのように扱われていくかは、もっと気がかりです。まずはマスコミの激烈な取材合戦の餌食となり、テレビのニュースショーなどへの出演依頼が殺到するでしょう。
 イベント会場で芸能人やタレントを背中に乗せたり、国会議員と記念撮影をしたり、都会のパレードに引っ張り出されたり。来る日も来る日も人だかりの前で見世物になり、マンモスの生態の科学的研究という本来の目的は吹き飛んでしまうでしょう。
 無理やり復活させられて、屈辱にさらされるマンモスの気持ちを、ボクは想像してみます。
 「空気も水も、臭くてまずくて死にそうだ。あの広い平原は、どこへ行ったのだ。仲間たちは、どこにいるのだ。蘇らせたのなら、あの時代に戻してくれ」
 マンモスはやはり、ギャートルズ一家とともに、いつまでもボクたちの夢の世界に置いておくのが、いちばん良いのではないでしょうか。(9月13日)

 <同時多発テロから2年、その後の対応を完全に誤ったアメリカ>
 9.11の同時多発テロから、2年になります。この2年間で、世界はすっかり変貌したと言われます。中でも特筆すべきは、アメリカという国が、そしてアメリカ国民が、理性と良識を失って醜悪な狂気に走り、この同時多発テロへの事後対応を完全に誤ってしまったことです。
 これはもちろん、ブッシュに第一義的な責任があり、リーダーの間違った妄信が世界をガタガタに壊してしまうことを、恐ろしい迫力で見せ付けてくれました。アメリカの政権中枢にあった人たちや、終始一貫してブッシュに尻尾を振って国民をミスリードし続けてきたメディアの責任も多大です。
 2年たって世界に渦巻く感情は、同時多発テロで犠牲となった人々への同情や追悼ではなく、むしろアメリカなんて世界から消滅してしまえばいいのに、という激しい嫌米の情念です。アメリカという国が丸ごと消えてしまったら、どんなにすっきりして居心地のいい世界になるでしょうか。
 アメリカという国家機構も、アメリカの都市というすべての都市も消えてしまい、人種や老若男女を問わずまた職業宗教を問わず、アメリカ人は一人残らずこの地球から消え去ってほしい、とボクも切に思います。そして残った広大な国土は、非武装の自然公園として野生動物や野鳥の楽園にすればいいのです。
 ローマ帝国やオスマントルコ、ハプスブルク家など、歴史上の巨大帝国はすべて、繁栄の極みから衰退・滅亡の運命を避けることが出来ませんでした。アメリカが内部矛盾によって衰退から滅亡へと転落していくのは、あと100年から200年はかかるかも知れません。
 しかしボクは、アメリカは予想よりもずっと早く、まったく別な要因がきっかけとなって、一気に混乱・分裂・衰退・破局へとなだれ込むような気もします。これほど世界中の諸国民から反感を買い続けている国が、そうそう何十年も安泰でいられるわけはありません。
 可能性があるのは、アメリカの思慮を欠く一国主義によって、地球環境が大破綻をきたし、海水面の急上昇で世界のすべての国々の沿岸部の都市が水没することです。もちろん、アメリカの大都市も水没し、もはや復元不能な地球的水没状況の中で、アメリカそのものが解体・水没していくことです。
 アメリカ社会の抱える内部矛盾も、決して小さくないはと思います。人種や宗教による富の分配の階層化と、貧富の差の拡大。貧困層の不満拡大。アメリカンドリームの崩壊。アメリカ国内での少数民族の独立への希求と対立。
 崩壊のきっかけとなりかねないのは、自ら招いたテロの拡大再生産によって、アメリカ国民が日常生活さえ維持することが出来ない状況に追い込まれることです。極度の神経衰弱に陥るほどの、相互監視とプライバシーの剥ぎ取りは、国民を窒息状態にしてしまうでしょう。
 同時多発テロから2年の間に、アメリカが失った最も大きなものは、「徳」だと思います。「徳」とは、三省堂大辞林によれば、修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力であり、精神的・道徳的にすぐれた品性・人格であり、身に備わっている能力・天性であり、善政です。
 アメリカは、これらすべての意味での「徳」をかなぐり捨ててしまい、それがまた自らを窮地に追い込む結果となっています。
 「徳を以て怨みに報ゆ」(老子)という言葉の意味など、いまのアメリカには説明しても、とうてい分からないでしょうね。(9月10日)

 <去年に比べ早い秋の訪れ、SARS再流行の危険にどう対処していくか>
 去年の9月は厳しい残暑がいつまでも続きましたが、今年は冷夏の後遺症なのか、9月に入って秋らしく涼しい日が多くなっています。
 気温が下がってくると、すっかり忘れていた不安が頭をもたげてきます。それは、世界保健機関(WHO)が7月に制圧宣言をしたはずの、新型肺炎(SARS)が、今秋から冬にかけて、再びぶり返してきて、全世界で猛威を振るうのではないか、という懸念です。
 アメリカの中央情報局(CIA)などでつくる国家情報会議(NIC)は先日、SARSが再び流行する恐れがあるとする報告書をまとめ、とりわけアジア、アフリカなどの途上国で流行した場合、より多くの犠牲者が出ると警告しています。
 今春の流行は、中国やアジアの一部、カナダなど患者の発生が限られていましたが、これは人や物資の交流が少なかった中近東やアフリカ、朝鮮半島、東欧などで、大発生しなかったことが幸いしています。
 しかし、こんどの冬ははるかに厳しいような気がします。前回発生がなかった国々でも、ウィルスは潜在的に生き延びていて、感染拡大への機会をうかがっているかも知れません。アフガンやイラク、北朝鮮、アフリカの極貧の国々などでSARS爆発が起こった場合は、手のつけようがなくなるでしょう。
 前回、日本国内でのSARS発生が1件もなかったのは、ほかの国から見ればまことに不思議なこととされ、ヤクルトが発生防止に効くのではないか、などと推測する声さえ出ました。
 確かに、日本でこれまで発生しなかったのは奇跡的ですが、今秋から冬にかけては、発生しないという保障は何もありません。他国で大発生した場合には、こんどこそ日本国内にも飛び火する可能性は大きい、と見ておいたほうがいいでしょう。
 熱や咳が止まらない人が、かかりつけの医者に診てもらってSARSの可能性が否定しきれないとなったら、どのような対応が行われるでしょうか。
 その患者を、SARS検査に対応した大病院まで、どのようにして運ぶのでしょうか、タクシーに乗せていいのでしょうか、救急車を呼ぶのでしょうか。判定結果が出るまで、最初に診察した医院の医師や看護士たち、また待合室で同席したほかの患者などは、どのようにして隔離するのでしょうか。
 隔離のための運搬手段はどうするのか、その家族や、それらの人たちと接触した人たちの隔離はどうするのか、等々。問題は雪だるま式にふくらんでいきます。
 おそらく、1人がSARS感染と確認されるまでには、数千人もの人たちとの接触があり、その中から感染力の強いスーパー・スプレッダーが何人か発生する可能性は大です。こうなると、気が遠くなるほど多くの人たちの強制隔離が必要で、マンションや事業所、学校ごと、場合によっては地域丸ごとの閉鎖と強制隔離が行われるでしょう。
 初期の症状は、普通のカゼやインフルエンザと見分けがつきにくいため、この冬、SARSの発生を食い止めることが出来るかどうかは、人類にとって文明社会の様相を大きく左右する試金石となるように思います。(9月7日)

 <少年時代の初恋の人と婚約発表をする夢をみて、甘美な余韻にひたる>
 また美和子さんの夢を見た。今朝の夢は、いつになくリアルで、ボクがこれまで見た夢では最も仲睦まじく美和子さんに接することが出来た。
 美和子さんと対面したのは電車の中だった。美和子さんはシートに腰掛けていて、いつもボクのイメージにある通りの、長い三つ編みのお下げ髪だった。
 ボクは、胸の鼓動が高鳴るのを感じ、美和子さんがまぶしくてなかなか声をかけられなかった。
 勇気を出して話しかけると、美和子さんはやさしく微笑んでくれた。そう、この姿は中学2年生の美和子さんであり、高校生の美和子さんであり、最後に会った時の19歳の美和子さんだった。
 「駅のホームで別れて以来ですね。あの時のこと、よく覚えていますよ」とボクは言った。美和子さんは、「私も覚えています」と、はずんだ声で言った。
 電車を降りて、ボクは美和子さんと手をつないで、いろいろなことを話をしながら歩いた。美和子さんは、ボクの腕に手を回してくれた。
 現実には、ボクは美和子さんの手を握ったことすらない。なんとウブで純情だったのだろう、と思う。
 夢の中の美和子さんは、意外な面を見せてくれた。元気良く右手を振り上げて、手の中から無数の花火を勢い良くばら撒き、その花火がボクたちを取り囲む半円球となって、パチパチと音を立てて開花した。こんな大胆なことをする美和子さんは見たことがない。
 花火がはじけたところは、どこかの広い部屋になっていて、長テーブルが正方形の形に置かれ、長いソファーがやはり四角形に取り囲んでいた。席には、すでに10人ほどの人達が着いていて、ボクと美和子さんの到着を迎えてくれた。
 大きな紙に、「婚約発表」と書かれていて、ボクは美和子さんと本当に婚約出来るなんて、夢のようだと思いながらも、幸せな気持ちにつつまれていた。この席には、なんとボクの前の職場で一緒だった裕子さんの姿もあった。
 ボクと裕子さんは、職場ではよく仕事のやり方を巡って対立していたが、この席ではとてもニコニコしていて、ボクと美和子さんの婚約を祝ってくれた。
 みんなの前で、婚約についてのあいさつを求められ、美和子さんと二人並んで席についた。美和子さんがなぜかボクから少し距離を置いていたので、「もっと近くにおいで」と声をかけたとたんに、目がさめた。
 あまりにも幸せすぎる甘美な夢だった。夢だったと分かっても、しばらくの間、半覚醒のままで余韻に浸りながら、美和子さんの姿を追い続けた。
 現実の美和子さんも、同じ夢を見てくれたのだろうか。美和子さんは、もう何人ものお孫さんがいる、素敵なおばあさんになっているはずだ。(9月4日)

 <『時間の岸辺から』その37 オレオレ詐欺> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 息子や孫と離れて暮らしている高齢者の自宅に、ある日突然、せっぱつまった声で、電話がかかってきます。
 「オレオレ、大変なことになっちゃった。ヤクザとトラブルになって、金を要求されているんだ。渡さないと殺される」
 はて誰だろうか、どの息子か、あの孫かと、とっさに記憶をたどってみますが、思い出せません。
 「詳しいことは今話せないけど、大至急振り込んで」とせっつかされ、取るものも取りあえず指定された口座に振り込みます。
 全くのアカの他人による詐欺にひっかかったと気づくのは、しばらくたってからです。
 この手のやり口は「オレオレ詐欺」と呼ばれ、今年春ころから日本全国で多発しています。警視庁管内だけでも今年になって300件、被害総額は2億2千万円を超えています。
 お金が必要な理由は、暴力団に脅されている、交通事故を起こして示談金を払わなければならない、などさまざまです。
 若い娘の泣き声で、「ワタシワタシ。妊娠中絶の費用30万円が必要なの。助けて」という、「ワタシワタシ詐欺」も現れました。
 犯人たちの多くは、電話帳で「ヨネ」「ツネ」など高齢者に多い名前を探して片っ端から電話をかけている、といいます。
 最近は、お年寄りたちも「オレオレ詐欺」が流行っていることを新聞やテレビで知っていて、自分はその手にひっかかるまいぞ、と警戒していたのに、いざ電話がかかってくると、すっかり動転して冷静さを失ってしまうケースも少なくありません。
 こうした電話にコロリとだまされる人が後を絶たない背景には、世界で最も平均寿命が高い日本のお年寄りの多くが、孤独な生活を続けている現実がある、とボクは考えます。
 最新の統計では65歳以上の高齢者だけの世帯は、日本全国で700万を超え、そのうち一人暮らしの高齢者は340万人にのぼります。
 子ども夫婦はみな同居を嫌って遠くに住み、小さいころは慕ってくれた孫たちも、このところ姿を見せなくなった、というお年寄りは少なくないでしょう。
 そこへ、突然かかってきた電話。記憶力が弱くなり、誰なのか思い出せないけれども、いまこそ自分が家族から必要とされているのだ、という思いはお年寄りの心を激しく揺さぶるに違いありません。
 決して裕福とは言えないまでも、万一に備えて多少の預貯金はあります。自分がお金を出すことで、子や孫の命を救うことが出来るならば、こんな嬉しいことはないでしょう。
 だまされたと分かった時のお年寄りの気持ちは、いかばかりでしょうか。それは、虎の子のお金を取られた悔しさよりも、本当の子や孫たちは結局のところ電話をかけてこなかったのだ、という寂しさと悲しみでいっぱいに違いありません(9月1日)

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2003年8月

 <蚕や蜘蛛は空気中の二酸化炭素を取り入れて糸を作る、という驚き>
 絹の原料となる蚕が吐く糸。蜘蛛が作り出す複雑な蜘蛛の巣。ボクはかねがね、こうした糸はいったい何を原料にして、どのような仕組みで蚕や蜘蛛の体内で作られているのか、不思議に思っていました。
 その疑問に対する一つの回答となるニュースがありました。農林生物資源研究所の実験で、蚕や蜘蛛は空気中の二酸化炭素を取り入れて糸を作っている、という驚くべきデータが得られた、というのです。
 空気中の二酸化炭素を固定する能力を持つ生き物は、植物と一部の微生物に限られ、動物はどんなに逆立ちしても空気中の二酸化炭素を取り入れて固定(炭酸同化)することは出来ない、というのがこれまでの常識であり、教科書にもそう書いてあります。
 それが、蚕や蜘蛛には二酸化炭素を固定出来る能力があるということになると、これまでの生物観は革命的に変ります。次から次へと大量の糸を作り続けるのは、ただことではない仕組みがあるに違いないと思っていましたが、光合成とはまた別に二酸化炭素をこのように活用しているとは、感動ものです。
 ボクは、今回の実験結果をもとに、二酸化炭素がどのようにして糸の材料として取り込まれていくのか、本格的な解明がなされることを大いに期待したいと思います。今回の実験は、蚕と蜘蛛についてのものですが、さなぎになって繭にくるまれるほかの虫たちも、おなじように二酸化炭素を固定しているのか、大変興味深いところです。
 これを機会にさまざまな動物について、二酸化炭素を何らかの形で取り入れて生きているものがないかどうか、総合的に見直してみる必要があるでしょう。予想もしなかった動物が、意外なところに二酸化炭素を取り入れているかも知れません。
 人間はどうでしょうか。人間は大気中の酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出しているというのが常識ですが、本当に二酸化炭素は無用の廃棄物に過ぎないのかどうか、疑ってかかる必要があるような気もします。
 人体そのものは二酸化炭素を固定出来なくても、人間の体内にいる何兆のさらに何兆倍ものさまざまな微生物は、人体の中で二酸化炭素を固定して、別な物質を作り出している可能性は少なくないと思います。
 何百日もの間、水だけを飲んで日光にあたって断食を続ける行者たちの生命力の秘密は、二酸化炭素にあるのかも知れません。
 地球温暖化の最大要因として、すっかり悪役になっている二酸化炭素ですが、植物だけでなく動物を含めた生物圏全体として、二酸化炭素が果たしている役割を考えていくことが大切だという気がします。(8月28日)

 <赤々と接近する火星は、地球に重要なメッセージを伝えたがっている>
 3日後の27日に、6万年ぶりの超大接近をする火星。東の夜空にひときわ明るく輝いているのが、空気の汚れた東京からもよく見えます。
 この火星をみていると、ボクは火星が地球をじっと見ているような気がしてなりません。地球を見ているだけでなく、明らかにメッセージを発信している、地球に何かを伝えたがっている。ボクは、そんな火星の強い「意志」を感じて、心が熱くなると同時に、いてもたってもいられないような気持ちになります。
 地球の人間たちは、火星がその全存在をかけて伝えたがっていることを、早く受け止めて解読し、理解し、それに応えなければならないのではないでしょうか。地球人同士で殺し合いや罵り合いに夢中になっている場合ではないような気がします。
 それは、地球の兄弟惑星とされ兄貴分である火星が、弟分の地球を案じ、太陽系を代表して警鐘を鳴らしにきているのかも知れません。
 火星には、かつて生命が誕生したにもかかわらず、さまざまな過酷な条件を克服することが出来ず、進化の道筋を踏み出すことに失敗したのかも知れません。あるいは、進化の途中で生命圏を維持することが出来なくなり、知的生命の誕生のはるか以前の段階で生き物が死に絶えた可能性もあります。
 いや、もしかして火星には、ボクたち人間と同程度の知能を持つ知的生命が発生したにもかかわらず、なんらかの原因で文明発達の途中で他の生物もろともに滅びてしまったことも考えられます。
 もっと想像するならば、火星の知的生命は、現在の地球人と同レベルの高度な文明を築き上げ、まさにその結果としてエネルギーのコントロールに失敗し、火星環境の維持にも失敗し、知的生命同士の戦争も克服することが出来ずに、破局を迎えてしまったことも考えられます。
 火星の生命に襲い掛かった破局は、もう何千万年前、あるいは何億年か前の出来事だったのかも知れません。地球ではまだ恐竜の全盛時代か、恐竜が絶滅して小さな哺乳類たちがはびこり始めたころだったのかも知れません。
 少なくとも、地球は現在、太陽系でただ一つ生命が存在する惑星であり、また観測可能な太陽系周辺の他の星の惑星の中にも、生命が存在するものはほかに見つかっていません。
 もっと遥か遠く離れたほかの恒星になら、生命が存在し、知的生命が文明を築いている惑星があっても当然だと思いますが、太陽系の近くを見渡す限りでは、地球は生命を宿している唯一といっていい稀少な惑星です。
 ボクたち人間は、自分たちがどのような存在なのか、あまりにも無自覚に過ぎるように思います。
 大接近してくる火星は、ボクたちが生命進化の道をすでに大きく逸脱し始めており、もはや取り返しのつかないところにまで踏み込んでしまったことに対して、赤信号の点滅を送り続けているのかも知れません。
 火星が次にこれだけ大接近するのは284年後の2287年、すなわち23世紀の末です。その時、火星が見るのは、水も緑も失って自分と同じように赤茶けてしまった荒涼とした地球の姿なのでしょうか。(8月24日)

 <巨大エメラルド入りトプカプの短剣は、盗み出したいくらい魅惑的>
 上野の東京都美術館で開催されている「トルコ三大文明展」に行ってきました。三大文明とは、トルコの地にかつて繁栄を極めたヒッタイト帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の3つで、それぞれの文明が生み出した数々の文物が絢爛豪華に展示されています。
 ボクが最も楽しみにしていた展示は、日本初公開の「トプカプの短剣」でした。トプカプ宮殿の最大の至宝とされる巨大エメラルド入りの短剣で、ボクが3年前にトルコを訪れた時は、ちょうどニューヨークで展示中ということで、トプカプ宮殿宝物館の中で、これだけは見ることが出来ませんでした。
 再びトルコを訪れる機会があるかどうかも分からず、幸いにしてあったとしてもその時にこの短剣が海外で展示中でないという保証はなく、日本で見ることが出来るというのはまさに千載一遇のチャンスでした。
 トプカプの短剣は、会場中央のどの角度からも鑑賞できる場所に、大きなアクリル製のモノリスの中に鎮座していました。会場は平日にもかかわらず多くの客が入っていて、とりわけこの短剣の前は、身動き出来ないほどの黒山の人だかりです。
 短剣はボクが予想していたよりもはるかに大きく、柄に飾られた3個の巨大エメラルドの深い緑色の輝きは、ゴージャスでとてつもなく美しく、それは感動的でさえあります。鞘の先端にも丸いエメラルドがあり、鞘全体は無数のダイヤモンドが輝いています。
 素晴らしい美術作品の現物を目にした時、ボクはいつも時間の経過によって、ほどなくボクが作品の前から去らなければならないことを知り、「無常」ということ感じるのです。どんなに素晴らしくても、いつまで見ていても見飽きなくても、ボクと作品との出会いは終わって消え、記憶と思い出だけが残るのみです。
 後でいくら絵葉書を買おうが、ガイドブックを買おうが、そこに載っているのは、現物の面影であって現物とはほど遠いものです。
 映画や音楽ならば、ビデオやCDなどで鑑賞のリピートが可能で、そのリピートはまがいものの鑑賞ではなく、限りなく本物に近いリピートです。小説や詩の鑑賞は、リピートそのものが本物の鑑賞です。なぜ絵画や彫刻、美術工芸品の類は、リピート鑑賞が不可能なのか、不思議な気がします。
 おそらく、それらの価値の本質は、現物1点限りでコピーが出来ない点にあり、どのように精巧にコピーしようとしても、それは現物とは似て非なる贋作になってしまう、ということが決定的のように思います。唯一無二であることが命である点は、「自分」という存在が唯一無二であるのと酷似しています。
 「ボク」と美術品との出会いは、真の意味で一期一会であり、出会いはそのまま別れでもあります。
 トプカプの短剣のような、息がくるしくなるほど豪華で素晴らしい作品の前から離れるのは、つらいものです。ボクは会場を何度も行き来して、都合5回も短剣の前にたたずみました。それでも結局は、離れざるを得ないのです。
 映画「トプカピ」ではありませんが、この短剣との出会いを永遠にとどめておこうとするならば、もはや盗み出して自分の手元に置いておくしかない。そんな気持ちにクラクラとさせられるほど、魅力と魔力に溢れた短剣でした。(8月21日)

 <戦前・戦中の日本のカラー映像と、国民のモノクロ的心象風景とのズレ>
 先日、NHKで放映された「カラーフィルムでよみがえる戦前・戦中の日本」という番組は、驚きの内容でした。なぜってボクは、戦前・戦中の日本の社会は、これまで見慣れてきた映像や写真のとおりに、モノクロまたはセピア色の世界だとばかり思い込んでいたのです。
 それが、戦前・戦中の日本も、実は豊かな色彩に満ち溢れていたなんて、信じられないものを見たような思いです。出征兵士を送る町の人々の壮行会も、着物姿で行き交う人々も、堤防いっぱいに咲きこぼれる桜並木も、藤棚も、すべて鮮やかな色彩があったとは。
 この倒錯した感覚は、僕たちが歴史に対して抱く先入的イメージが、メディアの特性によって大きく規定されることを示すものとして重要です。
 ボクの心の中には、戦前・戦中の日本がモノクロあるいはセピアなのは、軍国主義がのさばっていたせいであり、民主主義を知らなかったせいであり、大日本帝国憲法の下にあったせいであり、要するに暗くて窮屈でうっとうしい野蛮な社会であめために、色彩がなかったのだ、という直感的な了解があったように思うのです。
 それが、こんなに色彩の満ち溢れた世界において、軍部が実権を握っていき、中国への侵略戦争が始まり、国家統制と戦時体制が日増しに強化され、米英への開戦から破局へと突き進んでいったとは、逆に恐怖感ですくむような感覚に襲われます。
 青い空、緑の植物と美しい自然、炸裂する爆弾の青い光と赤い炎。炎上する木造家屋のオレンジ色の炎。人々が、色彩に溢れた世界の中で、逃げ惑い、手足を吹き飛ばされ、炎に囲まれて自らの身体が炎上していくとき、どんな思いだったのでしょうか。
 ボクが思うには、客観的に見ればカラフルな世界であっても、戦地で敵と戦って散り、内地で空襲に焼かれた人々にとって、色彩はいかなる意味をも失っていたのだと思います。黒こげになって放置された無数の遺体にとって、もはや色彩といえるものがあるとすれば、モノクロでありセピアでしかありえないのです。
 色彩とは、生きることへの望みであり、明日があることへの確信です。色彩とは平和があって初めて、民衆が感受することが出来るものです。だからこそ、昭和天皇の玉音放送によって戦争が終わった時、人々の目に青い空がまぶしく、りんごの赤がいとおしいほど目にしみたのです。
 世界の各地には、いまだに色彩のない世界で、戦火におびえる人々が大勢います。アフガン、イラク、パレスチナ、ほかにもあちこちで人々は、モノクロの世界で餓えと恐怖に震えています。その戦場をカメラでとらえて、カラーの映像や画像として見ているのは、戦火を受けていない安全地帯の人々です。
 NHKで放映された戦前・戦中の日本のカラー映像の多くが、アメリカ人によって撮影され、また日本人によって撮影された数少ないカラー映像も戦後50年以上も秘匿状態にあったことを思う時、戦前・戦中の日本ではカラーこそが虚像であり、国民の心象風景はモノクロそのものだったに違いない、という気がします。
 人々が、客観的なありのままの色彩を、ありのままの色彩として心に受け止めることが出来る世界こそが、真の平和といえるのではないでしょうか。(8月18日)

 <『時間の岸辺から』その36 道頓堀川ダイブ> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 セ・リーグの優勝街道を独走する阪神タイガース。このまま勝ち進めば、1985年以来実に18年ぶりの優勝は確実、というわけで、関西は久々のフィーバーに燃え上がっています。
 そんな中、注目を集めているのが、大阪・ミナミの盛り場を流れる道頓堀川です。
 85年に阪神がリーグ優勝と日本一を決めた時は、約60人のファンがこの川に飛び込み、さらにケンタッキー・フライド・チキンの創始者の人形も投げ込まれました。
 その後も、92年に阪神がヤクルトとの優勝争いに敗れた時などにダイブが現れ、去年のサッカーW杯では日本代表が勝つたびにダイブが相次いで、一晩に千人以上が飛び込んだこともありました。
 今年、阪神優勝が決まったら、どれくらいのファンが飛び込むか見当もつきません。大阪府の太田房江知事は6月、「これを機会に道頓堀川の川ざらえを」と発言。知事がダイブ容認か、と大きく報じられて、日本中の目がこの川に向けられることになりました。
 道頓堀川は全国の河川の中でもとりわけ汚染がひどく、国の基準の10倍ものふん便性大腸菌がいるほか、毎年の川底清掃では100台から200台の自転車やバイクが引き揚げられるなど、粗大ゴミの捨て場にもなっています。
 このため、ダイブは命にもかかわる、として警察などはファンへの自粛を呼びかけていますが、ダイブそのものは犯罪にあたらず、取り締まることは難しい状況です。
 先月には、マジック点灯を祝って早くもダイブするファンが現れました。インターネットには「道頓堀川ダイブ」のホームページが作られ、水深などのデータや安全な飛び込み方などを掲載し始めています。
 巨人や中日が優勝しても、東京や名古屋の川にファンがダイブしたという話は聞きません。関西のファンはなぜダイブするのでしょうか。このナゾをめぐっては、ビールかけの代償行為である、などさまざまな解釈がなされています。
 ボクが思うには、阪神タイガースは名前に「神」の文字を含むことに示されているように、関西全域の氏神様なのです。優勝とはその神自らが10数年に一度、めったにない奇跡を起こして至高の頂点を極めることにほかなりません。
 タイガースファンは、神の偉業と栄光をたたえるとともに、神と喜びを分かち合い神と一体化すべく道頓堀川にダイブするのです。
 この時、道頓堀川はヘドロの川から一転して、聖なる川となります。インドのヒンズー教徒たちが、聖地ベナレスを訪れてガンジス川に沐浴することを最高の喜びとし、生涯の悲願にしていることを、ボクは想起します。
 道頓堀川ダイブは、「死んでもいいくらい嬉しい」という感激を全身で表現し、模擬死としてのダイブを奉納することによって、次は何年後になるか分からない奇跡につなげる儀式なのだ、とボクは思います。(8月15日)

 <膨大なビデオテープの山を前に、DVDに切り替えるタイミングは難問>
 世界は□から○へ、というキャッチコピーがあります。ビデオテープの時代が終わり、これからの映像記録メディアの主役はDVDであることを、媒体の形状によって象徴的・直感的に訴えるものです。
 レンタルビデオ店でもDVDの占めるスペースが広がり、家電量販店ではDVDデッキが花盛り。かつて、レコードやカセットテープがいつの間にかCDやMDにとって代わられたように、ビデオテープも博物館行きの運命なのか、という気にもなってきます。
 そうすると、ボクがこの十数年来、シコシコと予約録画をして貯めに貯めてきた1000本を超えるVHSのビデオテープは、いったいどうなるのだ、とたじろいでしまいます。そのビデオテープは、2つの専用棚を満杯にし、さらに幾つもの本棚の上段に積み上げられて、これ以上置く場所もないほどになっています。
 あと数年で完全にDVDの世の中となり、VHSのビデオデッキそのものが店頭から消えた時、それでもビデオにしがみついているわけにはいかないでしょう。それならば、ボクも□から○に移り変わるタイミングを掴まなければならないのではないか、と内心おだやかでありません。
 とりわけ、ビデオデッキが正常に作動し、まだ修理も効く段階で、膨大なコレクションを形成しているビデオテープの中身を、DVDにダビングしておく必要があるのではないか、と考えたりします。
 それならば、これから新たに録画する番組などは、もうビデオではなくてDVDに録画しておく方が後々のダビングの手間も省けるのではないか、と迷ったりします。
 DVDに切り替えようかと迷う多くのユーザーと同じく、ボクがここで悩むのは、DVDの録画形式が統一されておらず、少なくとも4通りの形式があって互換性はほとんどないに等しく、いずれも一長一短だという点です。
 とりわけ、業界はDVD−RWとDVD−RAMの2大陣営がそれぞれ中間派のメーカーを抱きこみつつ、一歩も譲らぬ構えで、かつてのベータ対VHS以上の複雑かつ難解な状態になっています。
 自分が見るだけなら、どの方式にしたって不便はない、という人もいますが、もう少し将来のことを考えると、いま仮に新たな録画も、現在持っているビデオからのダビングも、どれかの方式に決めて進んでいった場合、その方式がベータのように敗北してしまったら、もはやお手上げです。
 もう一つ、ボクがひっかかっているのは、DVDの録画時間の問題です。ビデオテープなら、標準モードで最長3時間20分の録画が出来るテープが市販されていますが、これと同程度の画質・音質にした場合、DVDは2時間が限度で、これを上回る要領のDVDディスクはいまのところ発売されていません。
 ということは、かりにDVD録画デッキを買ったとしても、2時間以内ならばDVDに、2時間を越えるものは従来どおりビデオテープに、と結局2通りの録画メディアを使い分けなければならない、ということになります。
 アンテナの配線や、WOWOWのデコーダーの挟み方、それぞれの機器のつなぎ方など、想像するだに気が遠くなります。でもってボクは今日もまた、□から○へと踏み込むタイミングが取れないままビデオでの予約録画をセッティングし、ますますビデオテープの山が高くなり続けています。。(8月11日)

 <NY市当局が、未逮捕の犯人の身代わりとしてDNAを起訴する方針>
 ウッソー!? マジで?? と言いたくなるような話が本当にあるものですね。
 ニューヨーク市当局が、同市内で発生した強姦事件で犯人のDNAが得られているものについては、犯人が逮捕されていなくても、また犯人の氏名が分かっていなくても、そのDNAに人格を与えて犯人の身代わりとしてDNAを起訴する方針を打ち出した、というのです。(6日朝日夕刊)
 犯人が残したザーメンや髪の毛の中のDNAは、それぞれが犯人の分身と考えられる、ということですね。なんだか孫悟空の毛みたいですが、こうやってDNAを起訴して裁判が始まったとしたら、どういうことが起きるでしょうか。
 被告席に、DNAチップを置くのでしょうか。人定質問や罪状認否はどうするのでしょう。いや、それ以前に、裁判にあたって、DNAは「何事も隠さず、何事も付け加えないことを、神に誓います」と宣誓出来るのでしょうか。
 公判において、裁判長のいかなる質問にもDNAは答えることも出来ません。検察側、弁護側双方からの尋問に対しても、DNAは押し黙ったままでしょう。容疑人のDNAは完全黙秘を貫き続けている、という扱いになるのでしょうか。
 判決言い渡しの瞬間、DNAは不敵な笑みを浮かべたり、がっくりと肩を落とす、などの反応があるわけがありません。いかなる判決に対しても、DNAは冷静かつ無表情でしょう。どこかの被告人のように、大あくびをするなどという不遜な態度も取りようがないのです。
 言い渡した刑の執行がまた難問です。控訴するかどうかは、DNAの意思を確かめようがありませんから、弁護側、検察側それぞれが決めることになるでしょう。刑が確定した場合、禁固刑ならDNAを閉じ込めておくことで、執行と言えるかも知れません。
 懲役刑の場合は、刑の執行が不能となります。DNAはいかなる労作業をもやることが出来ないでしょう。その分、DNAは食事やトイレの必要もなく、また脱獄を企てたり、刑務官に危害を加えたりする危険もありません。
 こうしてDNAが服役中に、DNAの主である犯人本人が逮捕された場合は、どうなるでしょうか。裁判を最初からやり直すのも無駄な話なので、すでに終わった公判は有効で、判決内容はそっくり犯人本人が引継ぎ、残りの刑期を本人がDNAからバトンタッチして服役することにしましょう。
 犯人本人が捕まることなしに、DNAの刑期が終わったら、晴れてDNAは出所です。といっても、どこへ行くあてもなく、前科者のDNAという汚名が残るだけです。
 DNAに死刑判決が下されたら、これまた難問です。現場に残されたDNAは何億、何兆もあって、起訴されて死刑を受けたDNAはその代表なのです。何個のDNAを死刑にしても、ほとんど意味はないような気がします。
 現実問題として、DNAを起訴しても公判が始まるわけではなく、ニューヨーク市当局の方針は、DNAを起訴することで未逮捕の犯人による再犯を阻止し、時効を食い止めるねらいがあるようです。
 しかし、この方針が将来の社会に及ぼす影響は計り知れません。何年かたつと、すべての逮捕者、検挙者は指紋のようにDNAを採取されてリストに登録される時代が来るでしょう。
 さらにその次の段階として、犯罪者の家庭であろうがなかろうが、生まれた子どもはすべて、出生届の時にDNAの登録を義務付けられるようになるのも、時間の問題ではないでしょうか。(8月7日)

 <『時間の岸辺から』その35 水晶球に映るもの> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 子どものころに見た時代劇映画で、妖術師が操る水晶球に、はるか遠くで起きている光景が浮かび上がるシーンがありました。
 それは、牢獄に閉じ込められた主人公がもがき苦しむ様子であったり、敵の軍勢が馬を駆けて攻めてくる様子であったりします。
 映画のタイトルもストーリーも忘れてしまいましたが、あんな水晶球があったらいいのになあ、という思いはボクの心にずっと残り続けました。
 そのころから半世紀が経ち、周りを見渡せばパソコン、テレビ、携帯電話、デジカメなど、ディスプレイを使う情報機器があふれ、最近では複数の機能を兼ね備えたマルチ機器も登場しています。
 映画で見た水晶球とは、遠方の映像をリアルタイムで映し出す精巧な情報機器だったのだ、とようやく気づきました。
 先日、日立製作所が水晶球タイプのディスプレイを開発し、2、3年以内に商品化するというニュースが報じられました。夢の水晶球を本気で実現しようと研究を重ねてきた技術者たちがいることに、ボクは不思議な感動を覚えます。
 日立が開発したものは、メロンほどの大きさのアクリル樹脂の球で、その中にさまざまな文字情報や映像が浮かびます。球に触れずに手をかざす動作だけで映像を切り替えていくことが出来、息を吹きかけると消える、というところはまさしく妖術そのものです。
 水晶球タイプのディスプレイは、ほかにもいくつかの企業が研究を続けていて、東京・品川区のメーカーは、水晶球の中にダンスをする人などが立体映像で浮かび上がる装置を開発しました。こちらは球の中で動くのが立体である点がポイントです。
 本物の水晶でなくても無色透明の球体には、ボクたちをファンタジーの世界に誘い入れ、何かが起きそうな予感を抱かせる雰囲気があります。
 今後、水晶球ディスプレイがさらに進化していくと、想像もつかなかった不思議なことが実現するでしょう。映像が平面ディスプレイから飛び出して目の前に浮かんで見えるような技術はすでに実現していますので、やがて水晶球の中からスーッと飛び出して球の外で動き回る映像も現れるでしょう。
 さらに、水晶球そのものをバーチャルな立体映像にしてしまうのも面白いでしょう。水晶球をワンタッチで最小化して視界から消し、空間に浮かぶキャラクターを手の上で遊ばせたり、逆に水晶球のサイズを大きくしていって、自分も球の中に入って映像と一体化して楽しむなど、さまざまなことが可能になりそうです。
  「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない」というのは、「2001年宇宙の旅」の原作などで知られるSF作家、アーサー・C・クラーク氏の言葉です。
 水晶球ディスプレイは、科学を魔法の域に高める最も有力で魅惑的な機器になりそうな気がします。(8月4日)

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2003年7月

 <さらば「新宿の社員食堂」、格安・充実のランチで16年間親しまれ閉店へ>
 新宿通りから三越の脇を入ったビルの4階に、「ママズ・ダイナー」という地元では知らないものはないほどの人気レストランがあります。16年前にオープンし、ネオ・ジャポニズムを打ち出した日本食レストランですが、この店が大人気を呼んできたのは、ランチ・メニューです。
 店内は100人はゆうに入れる広さがあり、客は最初にトレーを取り、セルフサービス方式で配膳カウンターに沿って進みます。イメージとしては社員食堂を想像してもらえばいいでしょう。
 大皿に盛り付けられた6、7種類のおかずの中から、好きなものを3種類選びます。ビーフシチューから鰻の蒲焼、一口カツ、八宝菜、焼き魚など、いつもバラエティに富んでて、丁寧に調理されています。
 これに、ライス、味噌汁、生野菜サラダがつき、さらにドリンクが選べます。ライスは客に量を尋ねてから盛り付け、大盛りでも超大盛りでもOK。ドリンクは3種類のアイスかホットコーヒーで、ホットならお代わり自由です。
 最後に、レジでお金を払います。トレーに並べきれないほどの量になり、これでなんと消費税込み700円。
 内容の質の高さに比べて、価格破壊を絵に描いたような安さ。さらに、ほとんど待たずに昼食にありつける合理的なシステムによって、「ママズ・ダイナー」のランチは、新宿に勤めるビジネスマンヤOLたちの圧倒的な支持を得て、いつも賑わっていました。
 デパートや量販店、専門店などの制服を着て、名札を着けたままの店員さんたちや、ケータイで打ち合わせをしながら食べている社員、分厚い資料に目を通しながら食べている管理職たち。近くでビル工事に携わる作業員たちが、ニッカズボンをはいて頭にタオルを巻いたままの姿でやってくることも多く、ここはまさに「新宿の社員食堂」でした。
 NHKテレビの英会話によく登場している外国人や、新宿名物タイガーマスクも、ほかの客にまじって昼食を取っていて、まさに千客万来のランチ天国となっていました。
 昨日、何日ぶりかで入ってみたら、入り口に張り紙があり、近く閉店することになったというお知らせでした。ランチは8月8日が最後になるとのことです。
 こんなに人気があったのになぜと思うのは、ランチタイムだけしか見ていない一面的な見方なのでしょう。入り口には、夕方からの夜のメニューも掲げられていましたが、一品が最低でも600円から800円。食べきれないほどのランチと同じかそれより高い値段になっています。
 一般にディナータイムで勝負するレストランが、ランチに力を入れて格安の値段で提供する理由は、一つには仕入れた材料を効果的に使い回すことと、もう一つのさらに大きな理由はランチで店になじんだ客をディナータイムにも呼び込みたい、という狙いがあります。
 「ママズ・ダイナー」の場合は、ランチタイムの盛況ぶりとは裏腹に、ディナーの客足がデフレ不況によって思うように伸びず、ついに店を閉じざるを得なかったのではないか、とボクは察します。
 ここが閉店したら、多くの利用客がお昼を食べる場所を失って困るのは確実です。
 話は変わりますが、向田邦子さんがエッセイの中で「いい人はなぜ早く逝ってしまうのだろうか」と書いていたことを思い出します。向田さんも自らの疑問への答えであるかのように、航空機事故で逝ってしまいました。
 いいお店も、おなじ運命なのかも知れない、と最近つくづく思います。(7月31日)

 <この季節に思い出す小学校の水泳、女子の着替えやアダチ先生のこと>
 7月も27日というのに、東京はまだ梅雨が明けません。今日あたりは朝のうち、久々の太陽が照り付けていたので、もしやこのまま梅雨明けか、との期待もあったのですが、しだいに雲が広がってきて、明けそうで明けないじれったい空模様が続いています。
 この時期になると、毎年小学校のころ、夏休み中の校外活動の行事として、「分団」と呼ばれる地域単位ごとに、下級生から上級生までが一緒に、旗を立てて海辺まで歩いて行って、海水浴に行ったことが思い出されます。
 PTAの親たちも何人か同行し、海辺では小学校ごとに集結して、砂浜で水着に着替えます。着替えるというよりは、男子も女子も服の下に水着を着けたまま家からやってきますので、服をツルリと脱ぐだけです。一斉に準備体操をした後、指導教師たちが見守る中、海面に張られたロープの内側で海水浴をします。
 終了時間になって、濡れた水着から服に着替える時が大変です。男子は腰にタオルを巻いて海水パンツを脱ぎ、下着のパンツを手早く履けばいいのですが、女子は水着の肩ひもを下げてから、ワンピースをかぶり、ワンピースが濡れないような微妙なタイミングで、水着を下ろしていきます。
 女子が水着を脱ぎきって、パンツを履こうとする時が、男子たちにとっては、見てはいけないと思いながらも見ずにはいられない瞬間です。女子は数人ずつ固まって、シマウマが集団で敵から身を守るような形で、それぞれに男子の視線を意識しながら、じらすようにのんびりとパンツを履いていきます。
 その時の、ワンピースの裾からのぞく太もものまぶしさと、その奥はまだ何も履いてないスカスカのままなのだという想像とで、男子たちはドキドキする思いです。女子の中に、ボクが好きな女の子がいる時には、その意味も分からないまま勃起してしまう自分に困惑したものです。
 この分団ごとの水泳は、ひと夏の間に一週間から10日ほどあったでしょうか。
 ある時、ボクたちの海水浴が終わってみんなが着替え終わったころ、別の海水浴客が溺れて姿が見えなくなる騒ぎがありました。海辺が騒然とする中、ボクたちの水泳の指導教師の一人、アダチ先生が猛烈な勢いで素っ裸になり、タオルで腰を覆うこともなしに海水パンツに履き替えて、海に飛び込んでいきました。
 「アダチ先生が丸出しになった」。ボクたちは、公衆の面前で先生がオチンチンを出して着替えたことに強いショックを受けるとともに、一秒を争う危急の場面では、恥ずかしさをかなぐり捨ててでも直ちに行動に移さなければならないということを、身を持って教えられました。
 その時、溺れた客がどうなったかの記憶はありませんが、アダチ先生の裸の姿は、いまでも心に焼き付いて離れません。(7月27日)

 <数年前に首の病を苦に天国へ行った吉里君へ、遅れてしまった返信>
 天国の吉里君、あなたがそちらの世界に行ってしまったという知らせを聞いたのは、もう何年前のことになるでしょうか。
 ボクと同期生だったあなたは、いつもダンディーでさっそうとしていて、静かな雰囲気の中にも、自分の仕事を手際よく進めていって、ボクたち同期生の中では最も期待されていた出世頭でした。
 あなたとは、いろいろな場面で一緒に仕事をしたことを思い出します。パイプで煙をくゆらせながら、原稿を執筆する姿は、あなたのトレードマークでしたね。
 受験戦争の過熱が大きな問題になっていたころ、あなたが「自分の子どもは塾通いなどさせていないけど、みな希望する学校に進んでいる。普通のことをやっていればいいのに、過熱して無理をする親の気持ちが分からない」と話していたことを覚えています。
 あなたは決して人を押しのけて出世をめざすタイプではなかったのに、ボクたち同期生の中で抜きん出て早々と責任あるポストに登っていき、あなたが西部本社の社会部長になった時は、心の中で決してやっかみではない声援を送ったものです。
 そんなある日、なぜか突然あなたが社会部長のポストからはずれて、いわば実態としては休職に近いような異動になったことを、不思議に思っていました。
 それからほどなく、ボクの自宅にあなたから、ワープロ打ちによる長文の手紙が送られてきました。同期ということもあって、なにかにつけて一緒に仕事をしてきたとはいえ、それほど親しかったわけでもないボクに、あなたが手紙を送ってくるとは、よほどのことだったのでしょう。
 手紙には、あなたがやっかいな首の病にかかっていること、診断した病院によれば何十万人に一人という難病で、確かな治療法もないこと、なぜよりによって自分がこのような病気になったのか無念でならない、など肉体的精神的な苦痛のありさまを率直に綴ってありました。
 ボクとしてはなぐさめる言葉もなく、返事を送ることをためらい続けていました。
 何カ月かして、信じられない悲報を耳にしました。あなたが病気を苦に自殺した、というのです。
 そして何年かが経過しました。吉里という名前を耳にしたのは、稲城の女子小学生4人監禁事件のニュースです。犯人と見られ自殺していた男の名前が、吉里でした。とっさにボクは、あなたのことを思い出すとともに、こういう姓はあなたの郷里に多いのだろうかなどと考えていました。
 それが吉里君、あなたの実の息子さんだったとは。そしてスキャンダラスな報道に躍る週刊誌によれば、その上の息子さんも何年か前に自殺しており、あなたを含めると吉里家では3人目の自殺だとは。
 天国のあなたの苦悩はいかばかりかとお察しします。そして、あの時、あなたが首の病について書き綴ってボクに送ってきた手紙に、どうして返事を出さなかったのかと悔やまれてなりません。
 あの時、たとえ気休めであっても同期生としての励ましの一言を書いて送っていたら、その後の展開はほんの少しばかりでも変わっていたかも知れないのに、とも思ったりします。
 あなたと、あなたの息子さんたちの冥福を、改めて祈るほかはありません。合掌。(7月24日)

 <女子小学生監禁事件で店頭から姿を消す手錠、その需要の実態とは>
 東京・稲城市の女子小学生4人が監禁されていた事件は、さまざまな意味で社会に大きな衝撃と波紋を呼んでいます。
 ボクが最も驚いたのは、この事件でおもちゃの手錠が使われ、少女たちが逃げ出せなかった点です。事件をきっかけに、東急ハンズなどさまざまな店が一斉に手錠の販売を自粛して、店頭から姿を消しつつあるというのは、さらに驚きです。
 つまりはさまざまな店で、手錠を買う人達が今まではそれだけたくさん存在していたということです。店では、パーティーグッズのコーナーなどに置いてあるところが多かったようですが、どんなパーティーで使うというのでしょうか。
 容易に想像出来るのは、SMパーティーのような隠微で秘密めいたところで、手錠をかけたりかけられたりして気分を昂進させ、大人のエッチを楽しむことでしょう。それにしても、そのようなパーティーだけで、手錠が売れ続けているとも思えません。
 会社の飲み会や社員旅行などで、女子社員に手錠をかけたりしたら、その行為自体がセクハラになり、こうした使い方が蔓延しているとも思えません。どんな人たちが何の目的で手錠を買い、どのような使い方をしているのかについては、秘すべき世界のことがらのようです。
 何年か前に読んだ海外の小説に、こんな場面がありました。休暇を過ごすため人里離れた別荘に行った夫婦が、ソフトSMを楽しむため、夫が下着姿の妻に手錠をかけてベッドにくくり付けます。ところが夫の悪ふざけが度を越したため、怒った妻が夫の胸を蹴ったところ、なんと夫が心臓マヒを起こしてその場で死んでしまったのです。
 妻は手錠をかけられてベッドにつながれたままで、鍵の置き場所は見えるものの、取ることが出来ません。人里離れた別荘なので、叫んでも誰もくるはずがなく、あられもない姿で手錠と格闘しているうちにやがて日が暮れて真っ暗になり、というようなストーリーです。
 この小説で分かることは、たとえおもちゃの手錠であっても、かけられてしまったらはずすことは容易ではなく、手錠としての機能は、おもちゃも本物も同じということです。もうひとつ言えることは、おもちゃの手錠は、このように夫婦や恋人たちが愛し合う時の小道具として、意外に広範囲に使われている、と推測されることです。
 今回の事件で、手錠をかけられた女子小学生たちが、男にどんなことをされたのかは、最も卑俗な好奇心をかきたてるとともに、そんなことを想像すること自体が不謹慎という雰囲気もあって、いまのところマスコミは喉元まで出掛かっても口にしないでいます。
 手錠は、社会が公認している大人社会の闇の部分であり、決してライトをあててはならない存在だったのかも知れません。手錠がクローズアップされることによって、手錠をかけられて愉悦にあえぐ白い肢体までがさらされてしまったようで、見てはならないものを見た気まずさと恥ずかしさを感じてしまいます。(7月20日)

 <人間が虫けらのように殺されていく時代、人命の尊さは虚妄なのか>
 ボクはこのところ、どんなニュースを見聞きしても驚かなくなっている自分に気づいて、そのことに驚いています。
 似たような事件や事故、不祥事やスキャンダルがあまりにも多く、マスコミの関心は次から次へと目まぐるしく移っていって、つい1月前、2月前に大きなニュースとして報じられたことも、あっという間に記憶から消えてしまって、印象にすら残りません。
 結局のところ、ニュースなんて見ても見なくても同じといった感じで、ボクはこのところ新聞も大きな見出しをチラと見る程度ですませるようになり、テレビのニュースも見そびれても平気、ということが多くなりました。
 最も大きな理由は、命の尊さという言葉を口にすることのむなしさを知ってしまったことであり、人の命は地球よりも重いという言葉が白々としたウソであるという現実をイヤというほど見せつけられてしまったことによるのでしょう。
 国際法上の根拠もなく開始されたイラク戦争で、イラク兵や民間人は何人くらい殺されたのでしょうか。数千人とも、それを何十倍も上回るとも言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。米英の攻撃で殺されたイラク人は虫けら扱いで、何人死のうがもはやどうでもいいことのようになっています。
 パレスチナで、イスラエルで、そして世界のあちこちで殺戮が続き、誰もが驚きもしなくなっています。人が人を殺すのは、いまやそんなに騒ぐことでもなく、咎められたり責められたりすることでもなくなっているのです。
 こうした中で育っていく子どもたちに、人を殺すのは悪いことだと、大人が教え込もうとしても、どれほどの説得力を持ちうるでしょうか。どうして人を殺しちゃいけないの、あちこちで堂々と殺し合いが続いていて、それぞれに正しいことだと言い張っているじゃん、と言われれば反論は困難を極めます。
 ボクは、超大国による先制攻撃が大手を振ってまかり通り、間違った情報に基づいた開戦であっても、結果が勝利なら正当化されるというような世界では、すべての国々で大人から子どもまでが、人を殺すことも強ければ通るのだな、と悟ってしまうのは当然だと思います。
 昨日も今日も、間違いなく明日も、世界のあちこちで、そして日本のあちこちで、人が人を殺し、人が人によって殺されています。羽毛のように軽くて、ポッと消されても、記憶にも記録にも残らない人命がいかに多いことでしょうか。
 人命はなぜ尊いのでしょうか。この問いに対するボクの答えは、どんな人命も地球の39億年の生命の流れをバトンタッチすることによって、かろうじて今という時に存在しているからであり、さらにいえば150億年に及ぶ宇宙の歴史の中で、星の生成死滅が生み出した重い元素によって構成されているからだと思います。
 一人の人命が存在するために必要だった悠久の時間の重み、そして一人の人命がそれぞれに「自分」であることの天文学的な、というよりは奇跡に近い微小な確立。そして一人の人命の存在は、宇宙の歴史の中でたった一回きりであるということ。人命の尊さとは、そういうことなのだとボクは思います。(7月17日)
 
 <『時間の岸辺から』その34 カラスの敗戦> 欧州の日本語新聞「ニュースダイジェスト」紙に同時掲載
 「カラスなぜなくの」で始まる野口雨情の「七つの子」は7羽の子なのか7歳の子なのか、という論争が長年に渡って続いています。雨情はカラスに託す形で人間の7歳の子どもをイメージしていた、という説が最近では有力です。
 いずれにしても歌詞が作られた大正10年ころには、カラスを見る人々のまなざしがまだ優しかったことがうかがえます。
 そのカラスが日本の都市部で一気に増殖したのが、1990年代でした。7500羽といわれた東京のカラスは10年ほどの間に3万6千羽に増えました。
 生ごみの袋を破って中身を食い散らかす、朝から集団で鳴いてうるさい、人間に襲いかかってつつく、などの苦情が急増して、カラスはすっかり嫌われ者になってしまいました。
 カラスにとって状況が一変したのは、何かにつけて硬派の持論を展開してきた石原慎太郎・東京都知事の誕生でした。
 かつて石原知事は、ゴルフ場でカラスにアイアンを投げつけたら頭をつつかれたことがあり、カラスへの激しい憎悪はこの時以来といわれます。
 都庁内にはカラス対策プロジェクトが作られ、緊急捕獲作戦の火蓋が切られました。石原知事は「捕まえたらカラスパイにして食ってやる」と敵意をむき出しにし、実際に知事自らがテレビ出演してカラスの肉を食べてみせました。
 東京都はカラスが集まる都内の公園などに捕獲用のおりを仕掛けて、生け捕りにしたカラスを次々にガスで安楽死させていき、さらに巣を見つけしだい撤去していきました。
 こうした強硬策に対しては、動物愛護団体などからの反対も強く、えさとなる生ゴミ収集の方法を改めてカラスと共存する社会をつくるべき、等々さまざまな議論が巻き起こりました。
 激しい戦いの末に東京都は5月末、カラスに対して「勝利宣言」を行いました。昨年末の都内のカラスの数が、1985年に統計を取り始めて以来初めて減少に転じ、今後は7千羽まで押さえ込む見通しが立ったというのです。
 カラス軍団にとっては手痛い敗戦です。しかし鳥の中でもズバ抜けて頭が良いといわれるカラスがこのまま退散してしまうとは、ボクには思えません。
 数年前には電車の線路に置石をするカラスが話題になり、昨年は神社仏閣から火のついたローソクをくわえて飛び、ほかの建物に持ち込んで火災を起こす放火カラスが報告されています。
 石原都知事にとって警戒しなければならないのは、カラスによる予想もしなかった逆襲でしょう。
 カラスたちが束になって、都庁舎や都の重要施設などに大量の紙くずを運んできて、火のついたローソクを一本落とせば、前代未聞のカラスによるテロとなります。
 ボクは、「七つの子」を巣ごと奪われたカラスたちの怨念を、甘くみてはいけないような気がしてなりません。(7月14日)

 <ライプチッヒで見たメフィストの像に思う、本当の悪魔は人間の中に>
 今回のドイツ旅行でボクがとりわけ気に入ったのは、ライプチッヒのメドラー・パサージュと呼ばれるショッピング街にある、ゲーテゆかりの居酒屋「アウエルバッハス・ケラー」の前に建つファウストとメフィストの黒光りのする像です。
 この居酒屋は16世紀から開業していて学生時代のゲーテが足しげく通いつめ、「ファウスト」の中にも登場する店として知られます。像のファウストが静的に突っ立っているのに対し、メフィストの方は全身を前かがみにして左手をファウストの肩に回し、右手を高く上げて極めて動的です。
 メフィストは悪魔ではありますが、動物のような耳をして尻尾があるほかは、極めて貪欲で理知的かつ行動的、という印象をこの像からも受けます。メフィストは、ファウストの虚数部分の鏡像であり、ファウスト自身の内面の葛藤が生み出した負の分身なのでしょう。
 文豪ゲーテは26歳の時から死ぬまでをワイマールで過ごし、大臣としての激務をこなしながら「ファウスト」をはじめとする大作を次々と書き上げていきました。そのワイマールでは今回、森の中のゲーテ山荘を望み、ゲーテ博物館などを訪れました。
 国立劇場前の広場にはゲーテとシラーの像があります。性格も暮らし向きも対照的で「奇跡の友情」といわれる二人の文豪が並び建つ像は、人間性の完全な調和を求めて崇高の極みに達したワイマール精神の象徴として、見るものに深い感動を与えてくれます。
 ワイマールの街全体が、ゲーテやシラーが作り上げた自由で新取の気風の残照が誇らしい輝きを発する一方で、ボクにはその輝きの中に漂う無念さと空虚さの響きが時折、空気のさんざめきの中で微かな音を立てているのが聞こえるような気がしてなりませんでした。
 ゲーテやシラーが作り上げたワイマール精神は、その後、世界でも稀に見る自由で民主的なワイマール憲法として結実しました。しかしながら、理想のワイマール憲法とワイマール体制こそが、ヒトラー率いるナチスの台頭とファシズムの温床となり、ドイツと世界を第二次世界大戦の破局に追い込んだ事実は重く深刻です。
 結局のところ、ゲーテやシラーの精神の高みについていくことが出来たのは、少数の知識層だけだったということなのでしょうか。ワイマール体制下の大衆(モブ)は、ワイマール精神をせせら笑い、ラジオと映画という2大ニューメディアの前に、熱狂してまたある時は魂を抜かれたように、無批判・無抵抗でナチスについて行ったのです。
 こうして考えていくと、なんだか大衆という存在が恐ろしくなり、その大衆の一構成員であるボク自身でさえもが恐ろしいものに思えてきます。国家やリーダーの煽動にやすやすと乗っていくマスメディアと、なだれを打って強い側に回っていくモブ。この構図は21世紀の現代では、一段と巧妙に強化されているように思います。
 メフィストは人間に試練を課し、真剣勝負を挑んで成長と飛躍を促す触媒のような存在で、真の意味での悪魔ではありません。本当の悪魔は、人間から生じて人間の中に潜み、人間そのものとして存在しているのですね。そんなことを考えさせられたドイツの旅でした。
(7月10日)

 <ドイツは自転車王国、専用レーンを走り地下鉄の車内にも堂々と乗り込み>
 ドイツを旅行中、観光とは別に意外な事柄に感心させられたことが多々ありました。その一つが、自転車です。
 大きな都市はもちろんのこと、ちょっとした小都市でも、歩道と並行して自転車道が通っています。よく見ると、自転車道の方は舗装の色が赤っぽかったり、黄色っぽかったりして、歩道とは厳然と区別されています。
 慣れない日本人にはこの区別がつきにくく、知らないうちについ自転車道の方を歩いてしまいます。ところが、ドイツの人たちにとっては、自転車道を人が歩いているなどとは考えても見ないため、猛スピードで自転車が突進してきます。ぼやぼやしている日本人は、自転車にはねられてしまいそうです。
 環境の国ドイツでは、自動車の排ガスを減らすための対策が徹底していて、ほとんどの都市でトラム(路面電車)が市民の足として使われているほか、自転車が歩行者並みの権利を得て、車道からも歩道からも区別されたレーンをスイスイと走り抜けていくのです。
 これほどまでに自転車を大切にするドイツのスタンスは、日本も大いに見習うべきところがあるでしょう。しかしそれにしては、ドイツ国鉄の駅も地下鉄の駅も、周囲が自転車だらけという日本のような光景がまったく見られないのは、不思議です。
 自転車道を走って駅に着いた人たちは、その自転車をどこに止めているのでしょうか。外国からの旅行者の目につかないところに、秘密の駐輪場でもあるのではないか、などと勘ぐっているうちに、その答えの一端を知らされるような光景に出くわしました。
 ミュンヘンとベルリンの地下鉄に乗った時、それぞれで自転車と一緒に電車に乗り込む人がいました。ドイツの地下鉄は、欧州のほかの多くの国と同じく、切符を買ったら機械で日時を刻印するだけでよく、改札口なるものが存在しません。
 だから自転車を抱えて階段を下りればホームに出られ、そのまま電車に乗り込むことが出来ます。電車の中に自転車ごと入ってきた人を見て、目を丸くしているのはボクくらいのもので、ドイツの乗客たちは当たり前のごとく脇に移動して、自転車のスペースを確保してあげています。
 地下鉄に乗り込む自転車は、ボクのごくわずかな滞在中に二度も見たのですから、これは日常茶飯事の光景であるに違いありません。駅の周辺に放置されている自転車の群れが見られないのは、こういうことだったのか、とカルチャーショックにも似た感覚を味わいました。
 ポツダムのサンスーシー宮殿の庭園を散策している時、宮殿から噴水に至る長い階段を、自転車に乗ったままサーカスのように一気に駆け下りて行く人がいました。おいおい、いくら自転車が歩行者と同等といっても、これは行き過ぎではないかい。転倒したら大怪我するぞお。
 ま、ともかく、自転車さまさまのドイツの社会は、自動車さまさまで排ガス放出し放題、化石エネルギー使い放題の日本に比べると、よっぽどましかも知れない、という気もします。(7月7日)

 <ハイデルベルクの哲学者の道と学生牢に感無量だったドイツの旅>
 半月ほどかかって、ドイツを旅してきました。今回訪れたのは、ハイデルベルク、ローテンブルク、ミュンヘン、ニュルンベルク、ライプチッヒ、等々です。途中、アウグスブルグ、ディンケルスビュール、ネルトリンゲンなど中世の街並みがそっくり保たれている美しい小都市にもいくつか立ち寄りました。
 とりわけ印象深かったのは、ハイデルベルクでした。公子カールと少女ケティの美しくも哀しい恋の物語、「アルト・ハイデルベルク」の舞台となった街。写真やテレビなどで、さんざん目にしてきた街の光景ですが、実際にそこにたたずんでその空気を吸い、自分の足で歩いてみる感動はひとしおでした。
 ハイデルベルクは大学と学生の街といわれます。ボクはハイデルベルク大学には広大なキャンパスとがあるものとばかり思い込んでいました。それにしては、事前にチェックしたガイドブックにキャンパスの所在地が明記されていないのが不思議な気がしていました。
 行ってみて驚いたのですが、この大学には日本で想像するようなキャンパスは存在せず、大学のすべての学部の教室や研究棟、事務棟など無数の施設建物は街全体に広く散在していて、強いて言うならば街全体がキャンパスになっているのですね。
 哲学者の道をのんびりと歩いた時間は、ことのほか印象深いものでした。京都の哲学の道は疎水べりに続いていますが、こちらは小高い丘の中を通っています。苦労をしながら坂を上がっていくと、突然視界が開けて、遠くにハイデルベルク城を望み、眼下に古都の街並みがパノラマのように広がります。
 ここを歩きながら、昔から幾多の学生や教官たちが、この世の真理とは何か、人生とは何か、学問とはなんぞや、理想の世界は構築可能か、などなどについて思索し続け、悩み続けたのだと思うと、感無量の思いがします。
 哲学者の道そのものには学生たちの思索の軌跡を語るものは何も残されていませんが、いまでも当時の学生たちの青春の熱気と血気が妖気のように漂っているのが、名高い学生牢です。ここの膨大な落書きは芸術の域に達しており、落書き自体が歴史的な文化遺産であるといっていいでしょう。
 ドイツを理解するためのキーワードはいろいろとあって、それぞれに複雑で難解です。ボクは今回の旅を通して、ドイツを貫くモティーフの一つは、孤高なまでに徹底した深遠な思索にあるのではないか、と思いました。
 精神のさらなる深みを求めて、止むことのない内的世界への自己探求。それを象徴しているのが、ハイデルベルクの哲学者の道であり、自ら志願して入牢する学生が後を絶たなかったといわれる学生牢だという気がします。
 この思索の容赦ない強烈さこそが、ドイツの稀に見る精神的な崇高さを生み出すとともに、一方では戦争の奈落につながっていったことを思うと、複雑な気持ちになります。
 次回もドイツ旅行の感想の続きを記します。(7月4日)

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 Pachelbel "Kanon in D"

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