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Books . 戸板康二ブックガイド


* 以下は、「ブッキッシュ」第6号《特集:戸板康二への招待》(2004年1月発行)に寄稿した『戸板康二ブックガイド』をほぼそのまま載せたものです(※以下の記述は追記)。
* 「書誌」をクリックすると、【戸板康二の仕事・著書リスト[単著]】で作成しているページを表示します。




01. はじまりは、三田文学


戸板康二の文筆生活は、「三田文学」でその幕を開けた。慶應国文科の折口信夫の教室に入った昭和10年、水木京太の推薦により弱冠二十歳で「三田文学」に劇評の連載を開始し、国文学科を卒業して大学院に残った昭和13年、「三田文学」誌上の芝居合評会への出席を機に久保田万太郎に親炙するようになった。初めての著書は昭和17年発行の『俳優論』(→ 書誌。戸板康二唯一の戦前の著書である。暁星の同窓生、串田孫一の同人誌「冬夏」に参加していた縁で出版された。装幀者の「初見靖一」は串田孫一の筆名である。


02. 歌舞伎・演劇書


戸板康二は、芝居を見るたのしみが演劇書を読むたのしみでもあるということを読み手に鮮やかに体感させてくれる、多くの書物を残している。

その旺盛な執筆活動は戦後まもなくして始まった。昭和23年と翌24年に『わが歌舞伎』正続(→ 書誌:/が刊行、歌舞伎を新しい切り口で説いて見せた。昭和25年と翌26年に書き下ろされた『歌舞伎への招待』正続(→書誌:/は歌舞伎の各トピック・役柄について綴っている。歌舞伎という江戸趣味的なものを扱いながらも、書物全体が西洋的な風雅に満ちていて、歌舞伎の面白さ・美しさが新しい感覚で心地よく伝わってくる名著である。

※『歌舞伎への招待』正続は2004年に岩波現代文庫として、完璧なかたちで復刊された(→書誌:/)。また、同じく昭和20年代の歌舞伎書、『歌舞伎の話』(→書誌)が2005年に、講談社学術文庫として刊行されている(→書誌)。いずれも、昭和20年代に書き下ろした歌舞伎書で、あたらしい鑑賞法を提唱しているもの。

戦後一貫して歌舞伎評論の第一線にいた戸板康二は、生涯にわたってたくさんの歌舞伎書を書いた。切り口は多彩だ。

『六代目菊五郎』(→書誌は今日の歌舞伎に多大な影響を与えた名優について。『尾上菊五郎』(→書誌は現七代目に至るまでの音羽屋の系統をまとめている。一方、市川家の家系を記した『歌舞伎十八番』(→書誌がある。『忠臣蔵』(→書誌は、各段ごとに型や芸談を独自の語り口で解説している。また、歌舞伎の周囲に焦点を当てながら、読者をいつのまにか歌舞伎そのものへと誘う本がある。『芝居国・風土記』(→書誌では歌舞伎の衣食住、人物に関する文章が絶妙に配置。歳時記的読み物として『歌舞伎歳時記』(→書誌『舞台歳時記』(→書誌がある。芝居の舞台になった土地をめぐった『芝居名所一幕見』東京篇(→書誌が昭和28年、諸国篇(→書誌が昭和33年に刊行された。ちくま文庫になっている『すばらしいセリフ』(→書誌は、名セリフを媒介にいつのまにか歌舞伎の真髄を解きほぐす魔法のような筆さばきを堪能することができる。

戸板康二は劇評家として、生涯にわたって芝居を見続けてきた。劇評集に『今日の歌舞伎』(→書誌『戸板康二劇評集』(→書誌があり、ここに戦後歌舞伎が目映いばかりにパッケージされている。さらに、観劇の対象は歌舞伎だけでなく新劇を含む演劇全般に向っていた。『新劇史の人々』(→書誌『物語近代日本女優史』(→書誌では演劇と日本の近代を綴っている。そして、芝居と人間を愛し続けた戸板康二の視線は当然役者へと注がれた。『百人の舞台俳優』(→書誌『役者の伝説』(→書誌がある。編集を担当した「日本の名随筆」の『芝居』(→書誌は、文学と演劇とが渾然一体となった珠玉の一冊となっている。

※上記の『歌舞伎への招待』正続に続いて、2006年には『歌舞伎ちょっといい話』が岩波現代文庫として刊行された(→書誌)。岩波現代文庫になったことで、ますます輝きを放っていて、戸板康二の晩年の円熟ぶりを堪能できる。


03. 劇場エッセイから東京人随筆まで


気鋭の演劇評論家として世に出た昭和20年代からその晩年まで、戸板康二は終生、エッセイの名手だった。劇場とそこにいる自分の周辺を綴った文章は「劇場エッセイ」という独特の文学に昇華している。その代表的な書物が『劇場の椅子』(→書誌。香気たっぷりの格調高い一冊。本書は渡辺保が「戸板康二の著書で一冊選ぶとしたら躊躇なく選ぶ」と記している(『劇評家の椅子』朝日新聞社・2000年)。河出新書に『舞台の誘惑』(→書誌をはじめ3冊あり、アンソロジーとして『劇場歳時記』(→書誌が出ている。

昭和30年代に入ると、演劇だけに留まらない多彩なジャンルのエッセイをさかんに書くようになった。その最初の書物が『街の背番号』(→書誌。そして、昭和37年、三月書房から『ハンカチの鼠』(→書誌が出る。以降、没後の『六段の子守唄』(→書誌まで十数冊のエッセイ集が同社から刊行された。演劇はもちろん、身辺のさまざまな話題を滋味あふれる文章で綴った逸品ぞろい。東京山の手に生まれ育った都会人の機知とユーモア、その博識が持ち味のエッセイには、演劇、書物、東京、食味、旅など、本好きの心をくすぐる話題が交錯していて、いつ読んでも何度読んでも、そのたびにいろいろなたのしみが味わえる。


04. 読みものいろいろ


戸板康二が「先生」と呼ぶ人物は、折口信夫と久保田万太郎の二人だけである。折口信夫は慶應国文科での師であり、国文科を卒業した直後に出会った久保田万太郎はその後の戸板康二の方向を決定づけた大恩人である。二人の「先生」について、戸板康二はとびきりの名著を残した。『折口信夫坐談』(→書誌は、敗戦前後の折口の、戸板康二だからこそひきだし得た片言隻句を書き留めたもの。『久保田万太郎』(→書誌は戸板康二ならではのスタイルで書かれた評伝文学の傑作。

劇評家であると同時に学者であった戸板康二ならではの著書が、『演芸画報・人物誌』(→書誌。時代のなかの戸板康二の位置が見えてくる一級資料となっている。

他にもいろいろな読み物を書いた。稀代のユーモリストとしては『いろはかるた随筆』(→書誌があり、ファッション史を扱った『元禄小袖からミニスカートまで』(→書誌は豊富な図版が嬉しい。『ことば・しぐさ・心もち』(→書誌は戸板康二の「礼儀作法入門」である。


05. 小説家としても


戸板康二は直木賞作家として、歌舞伎や日常の機微など自家薬籠中の世界を巧みに盛り込んで、小説の分野でも旺盛な執筆活動を展開した。

歌舞伎役者にして本職はだしの名探偵・中村雅楽シリーズは、昭和33年に江戸川乱歩のすすめで初めて書いた「車引殺人事件」以来30年もの長きにわたって書き続けられた、推理小説作家・戸板康二の代表作である。

※中村雅楽シリーズは2007年、創元推理文庫で全5巻の全集が《中村雅楽探偵全集》として刊行され(→書誌:1/2/3/4/5、ここに集大成。日下三蔵の編纂は、書誌的に一分の隙のない完璧さ。

雅楽シリーズ以外にも、推理小説集『いえの芸』(→書誌、文学史をミステリに仕立てた『浪子のハンカチ』(→書誌など著書は少なくない。『孤独な女優』(→書誌は創作にまつわる山口瞳との対談を収録していて貴重。歌舞伎を扱った小説としては、扶桑社文庫で出ている『小説・江戸歌舞伎秘話』(→書誌、実録小説『團蔵入水』(→書誌がある。


06. ちょっといい話・人物誌


昭和五十一年に連載が開始された「ちょっといい話」は、文学者、演劇人をはじめとする多くの人物の挿話が満載の極上の小品集。機知と好奇心、社交と座談といった、戸板康二の文人としてのエッセンスが行間にみなぎっている。『ちょっといい話』シリーズは4冊の文春文庫が大成(→書誌:1/2/3/4。いつ読んでもどこを読んでも何度読んでも誰が読んでも、頬が緩む。『最後のちょっといい話』(→書誌は没後の刊行で、渡辺保の解説が秀逸。

「ちょっといい話」で発揮した戸板康二ならではの筆さばきは、他に類をみない独自の人物誌へと開花した。いずれも文藝春秋から刊行され、のちに文春文庫に入った。『泣きどころ人物誌』(→書誌『ぜいたく列伝』書誌『あの人この人 昭和人物誌』(→書誌がその三部作である。いくつかの材料をアレンジして特定の人物誌に仕立ててゆく戸板康二の筆のあとあきを追うたのしみを味わえると同時に、ここで得られる日本の近代を彩った人々の挿話の連なりは、その後の本読みのさまざまな芋づるを内包していて、無限の奥行きと広がりがある。


07. その俳句


戸板康二は若き日から晩年にいたるまで、生涯にわたって俳句に親しんだ。その長年にわたる俳句への造詣は句集、句エッセイ、句評釈として結実している。

単独の句集としては、生前刊行の三冊の句集を合本した『戸板康二俳句集』書誌が刊行されている。

日常生活の折に触れ浮かぶ句もあれば、句会という社交のなかで生まれる句もある。『句会で会った人』(→書誌は、俳句というフィルターを通した人物誌。戦前の「いとう句会」から今日も健在の「東京やなぎ句会」まで、自らが連なった一座の闊達な挿話が軽やかに楽しげに綴られている。『季題体験』(→書誌は自ら選んだ九十の季題を、『俳句・私の一句』(→書誌は自句にまつわるあれこれをエッセイに仕立てたもの。『万太郎俳句評釈』(→書誌では、親炙した久保田万太郎の俳句を、絶妙な間と奥行きを与えるスタイルで解説した稀有の一冊。


08. 戸板康二のメモワール


大正4年に生まれて震災後の東京山の手で青年時代を過ごしたという時代風土と、そこに繰り広げられた多くの文人・演劇人といった一流の人物との交流が通奏低音となって、戸板康二の文体が形成されていった。

戸板康二のメモワール的読み物としては、『回想の戦中戦後』(→書誌『わが交遊記』(→書誌『思い出す顔』(→書誌『句会で会った人』(→書誌『あの人この人 昭和人物誌』(→書誌、以上五冊が挙げられる。いずれもたのしげな筆致がなんとも心地よい。

これらは、戸板康二のくめども尽きぬ魅力を解きほぐす絶好のガイドブックになっているとともに、読み手は折に触れ、他の文人、書物へと有機的につながってゆく様々な示唆があちこちにひそんでいるのを発見していくに違いない。

(April 2008)


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