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KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK.
カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 い 』。
No.0202。
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■ 次の項目を選び、クリックして下さい。
□ 日本史 辞典 (総合)。
□ い ≪ 井伊氏関係 ≫
● 事柄順。
〇 いい 井伊氏。
(いいし)。 《武家の氏族》。
(= 井伊家、井伊一族)。
(12世紀頃ー19世紀)。
THE I I CLAN.
No.1。
徳川家康)。
○ 武家としての井伊氏。
○ 武家の井伊氏は、武家の
氏族で、国人領主、大名であ
る。
□ 日本歴史で活躍した氏族:
徳川氏。
■ 武家の井伊氏 (いいし、いいうじ 、
= 井伊家)は、 武家の氏族で あり、
12世紀頃から19世紀まで存在した
武家、国人領主、大名である。
■ 井伊氏 (いいし、武家の 井伊氏:平
安時代ー1871年) は、 初代当主・井伊
共保(いいともやす)以来、平安時代から、
鎌倉 時代、建武時代、室町時代、安土
桃山時代、江戸時代、明治時代初期まで、
存在した、武家の一族である。
● 室町時代後期(戦国時代)・安土桃山
時代・江戸時代初期の、井伊氏・当主変遷 :
(1) 井伊直平⇒ (2) 井伊直宗⇒
(3) 井伊直盛⇒ (4) 井伊直親⇒
(5) 井伊直虎 (次郎法師)⇒
(6) 井伊直政⇒ (7)井伊直勝⇒
(8) 井伊直孝。
■ 井伊氏は、 遠江国の、地方豪族で
ある。
井伊氏は、 古代・中世日本で、 遠
江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部の
相当地域) の井伊谷 (いいのや)を領有
する 土豪、国人(こくじん、国衆(くにしゅ
う)) の武家の 一族であった。
〇 いい 井伊 氏 関連出来事
(いいし かんれんできごと (ねんだ
いじゅん・しょうさい))。
〇 いい 井伊谷城。
(いいのやじょう)。 《城》。
井伊 直政)。
■ 井伊谷城 (いいのやじょう) は、 遠
江国 (とおとうみのくに、現・静岡県西部
の相当地域) の井伊谷(いいのや)を領
有する国人(こくじん、国衆(くにしゅう))
の、井伊氏の居城である。
〇 いい 井伊 直虎。
(いい なおとら)。 《人名》。
(= 次郎法師、祐円)。
(生没年:生年不詳ー1582年)。
(井伊氏暫定当主:1565年ー
1582年)。
I I Naotora.
No.1。
○ 戦国時代・安土桃山時代の
女性国人領主。
○ 井伊氏大繁栄の基礎を築い
た女性。
○ 徳川家康重臣の、井伊直政
(なおまさ)の養母、又従兄弟(また
いとこ)。
○ 遠江国(とおとうみのくに、現・静
岡県西部の相当地域)の、国人
(国衆)の、井伊氏暫定当主とな
り、 遠江国の井伊谷(いいのや)の
女性領主となる。
○ 井伊氏当主・井伊直盛(いい・
なおもり)の一人娘。
○ NHK2017年大河ドラマ
「おんな城主 直虎」の主人公。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、生年不詳ー
1582年) は、 井伊 直盛(なおもり)の娘
であり、 井伊氏の暫定当主 (井伊氏暫定
当主:1565年ー1582年) であり、 年少
の井伊 直政の代理当主であり、 遠江国・
井伊谷の女性国人領主であった。
● 井伊直虎 (いい なおとら、井伊氏当主:
1565年ー1582年) は、 井伊氏大繁栄
の基礎を築いた女性である。
● 井伊直虎は、 徳川家康重臣の、井伊
直政(いいなおまさ)の養母、又従兄弟(ま
たいとこ)である。
● 井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師
(じろうほうし)、祐円、生没年:生年不詳
ー1582年、井伊氏暫定当主:1565年ー
1582年) は、 室町時代後期(戦国時
代)・安土桃山時代の女性国人領主であり、
遠江国 (とおとうみのくに、現・静岡県西
部の相当地域)の国人(国衆)の、井伊氏
の暫定当主となり、 遠江国の井伊谷(い
いのや)の女性領主となる。
● 井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師
(じろうほうし)、祐円、生没年:生年不詳ー
1582年、井伊氏暫定当主:1565年ー
1582年) は、 女性 国人領主であり、
遠江国 (とおとうみのくに、現・静岡県西
部の相当地域)の国人(国衆)の、井 伊氏
の暫定当主となり、 遠江国の井伊谷(い
いのや)の女性領主となる。
● 井伊直虎は、 井伊氏当主・井伊直盛
(いいなおもり)の一人娘であった。
● 井伊直虎 (井伊氏女性当主、遠江国・
井伊谷(いいのや)領主)は、 直虎の父・
井伊直盛の従兄弟(いとこ)・井伊直親( い
いなおちか)の長男の、井伊 直政を、直虎
の養子として、育てた。
井伊 直政は、 徳川 家康の重臣とな
り、 徳川 家康より近江国佐和山・18万石
に封じられる。
その後、井伊氏は、 江戸時代に、近
江国彦根藩主となり、 徳川譜代最有力大
名となる。
● 井伊直虎は、NHK2017年大河ドラ マ
『 おんな城主 直虎 (おんなじょうしゅ・
なおとら) 』 の主人公である。
● 井伊直虎は、 『 おんな城主 直虎 (お
んなじょうしゅ なおとら) 』 (NHKテレビ・
2017年大河ドラマ) では、「おとわ」という
名(仮称)でも登場する。
〇 いい 井伊直虎 簡略年表。
(いいなおとら かんりゃくねんぴょう)。
〇 いい 井伊 直虎 関連出来事
(いいなおとら かんれんできごと (ねん
だいじゅん・しょうさい))。
(⇒ 井伊氏、 井伊 直親、
井伊 直政)。
(⇒ 「井伊 直平の娘」、築
山殿(瀬名)、徳川家康)。
◆ 真田氏・歴代当主。
〇 いい 井伊 直平。
(いい なおひら)。 《人名》。
(生年不詳ー1589年)。
(井伊氏・第20代当主)。
○ 井伊直虎(次郎法師)の曾祖父。
■ 井伊 直平 (いい なおひら、1479年ま
たは1489年ー1563年) は、 井伊直虎
(いいなおとら、次郎法師(じろうほうし))の
曾祖父(そうそふ)であり、 井伊氏の第20
代当主であり、 遠江国・井伊谷 (とおとう
みのくに・いいのや、現・静岡県浜松市井伊
谷)の国人領主である。
〇 いい 井伊 直宗。
(いい なおむね)。 《人名》。
(生年不詳ー1542年)。
(井伊氏・第21代当主)。
○ 井伊直虎(次郎法師)の祖父。
■ 井伊 直宗 (いい なおむね、生年不詳ー
1542年) は、 井伊直虎(次郎法師)の祖
父であり、 井伊氏の第21代当主であり、
遠江国・井伊谷の国人領主である。
● 井伊 直宗は、 今川義元の田原城(たは
らじょう)攻めに参加し、1542年(天文11年)
に戦死する。
〇 いい 井伊 直盛。
(いい なおもり)。 《人名》。
(戦国武将)。
(生没年:1506年または1526年
ー1560年)。
(井伊氏・第22代当主:1542年
−1560年)。
I I Naomori.
○ 井伊直虎(次郎法師)の父。
井伊氏)。
■ 井伊 直盛 (いい なおもり、生没年:15
06年または1526年ー1560年) は、 井伊
直虎(なおとら、次郎法師)の父であり、 井伊
氏の第22代当主(当主:1542年−1560年)
である。
● 井伊 直盛は、 今川義元に従軍し、桶狭
間の戦いに参加し、1560年(永禄3年)に戦
死する。
● 井伊直盛 (いい なおちか)は、 戦国武
将であり、 遠江国(とおとうみのくに、現・静
岡県西部の相当地域)の国人(国衆)の、井 伊
氏の当主であり、 遠江国の 井伊谷(いいの
や)の領主であった。
〇 いい 井伊 直親。
(いい なおちか)。 《人名》。
(幼名:亀之丞(かめのじょう))。
(戦国武将)。
(生没年:1535年ー1562年)。
(井伊氏・第23代当主:1560年
ー1562年)。
I I Naochika.
○ 井伊直虎(次郎法師)の
大叔父の子。
■ 井伊 直親 (いい なおちか、幼名:亀之丞
(かめのじょう)、生没年:1535年ー1562年)
は、 井伊直平(なおひら)の次男・井伊直満
(なおみつ)の子であり、 井伊直虎(いいなお
とら、次郎法師)の大叔 父・井伊直満の子であ
り、 井伊氏の第23代当主であり、遠江国・井
伊谷の国人領主である。
● 井伊直親 (いい なおちか、井伊氏当主:
1560年ー15 62年、生没年:1535年ー15
62年)は、 戦国武将であり、 遠江国(とお
とうみのくに、現・静岡県西部の相当地域)の
国人(国衆)の、井 伊氏の当主となり、 遠江
国の井伊谷(いいのや)の領主であった。
● 井伊直親は、 幼名は亀之丞(かめのじょ
う)といい、 井伊直虎(次郎法師)の父・井伊
直盛(なおもり)の従兄弟(い とこ)である。
〇 いい 井伊 直政。
(いい なおまさ) 。 《人名》。
(幼名:虎松)。
(戦国武将)。
(生没年:1561年ー1602年)。
(井伊氏・第24代当主:1582年
ー1602年)。
I I Naomasa.
○ 徳川家康の重臣。
○ 井伊直虎(次郎法師)の 養子、
又従兄弟(またいとこ)。
井伊氏)。
■ 井伊 直政 (いい なおまさ、幼名:虎松、
万千代、生没年:1561年ー1602年) は、
井伊 直親(なおちか)の男子であり、 井伊
直虎(次郎法師)の養子、又従兄弟(またい
とこ)であり、 井伊氏の第24代当主であり、
遠江国・井伊谷の国人領主である。
● 井伊 直政は、 徳川 家康より、1590年
(天正18年)に上野国箕輪(こうずけのくに・
みのわ)12万石の大名となり、 1600年(慶
長5年)に近江国・佐和山(おうみのくに・さわ
やま)18万石の大名(1600−1602年)と
なる。
その後、井伊氏は、 江戸時代に、近
江国彦根藩・藩主となり、 徳川譜代最有力
大名となる。
● 井伊 直政(いい なおまさ)は、 徳川家
康の重臣である。
● 井伊 直政は、 又従兄弟(またいとこ)の
井伊直虎 (いいなおとら、井伊氏暫定当主、
遠江国・井伊谷(いいのや) 女性領主) によ
って、直虎の養子として、育てられた。
〇 いい 井伊 直弼。
(いい なおすけ)。 《人名》。
(江戸幕府の重臣)。
(1815ー1860年)。
(井伊氏・第36代当主)。
I I Naosuke.
○ 日本の完全開国主導者。
○ 幕末の、江戸幕府の大老。
(⇒ 井伊氏)。
■ 井伊直弼 (いい なおすけ、生没年:
1815ー1860年)は、 近江国彦根藩 主
であり、徳川譜代有力大名であり、 江戸
幕府の重臣である。
■ 井伊直弼は、 幕末の、江戸幕府の
大老であり、 日本の完全開国主導者で
ある。
● 1858年の修好条約(安政の五カ国
条約)で貿易を行うなど日本を本格的に
開国した(完全開国した)のを主導した幕
閣(ばっかく)は、 日本の完全開国主導
者の、江戸 幕府・大老の井伊直弼(いい
なおすけ)である。
● 一方、1854〜55年に4カ国と和親
条約を結び日本の開国の端を開く(部分
開国する)のを主導した幕閣は、日本の
部分開国主導者の、江戸幕府・老中の阿
部 正弘 (あべ まさひろ)である。
〇 いい 井伊 直平の娘 (実名不詳)。
(いい なおひらのむすめ)。 《人名》。
(生没年不詳)。
○ 井伊直虎(次郎法師)の大
叔母(おおおば)。
○ 井伊氏から今川氏の人質と
なり、今川氏重臣・関口親永の
夫人となる。
○ 松平元康(徳川家康)・正室
夫人の瀬名(築山殿)の生母。
■ 井伊 直平の娘 (実名不詳、いい な
おひらのむすめ、生没年不詳 ) は、 井
伊直虎(次郎法師)の大叔母(おおおば)
である。
● 井伊 直平の娘 は、 井伊氏第20代当
主・井伊 直平の娘であり、 井伊氏から今
川氏の人質となり、 今川氏重臣・関口親
永(せきぐちちかなが)の夫人となる。
● 井伊 直平の娘 は、 今川氏重臣・関口
親永(せきぐちちかなが)との間に、瀬名
(せな、築山殿)という娘をもうける。
瀬名(せな、築山殿)は、松平元康(徳
川家康)の正室夫人となる。
● 井伊 直平の娘は、 『 おんな城主 直
虎 (おんなじょうしゅなおとら) 』 (NH K
テレビ・2017年大河ドラマ) では、
「佐名(さな)」とい う名(仮称)で登場する。
■ 前近代日本の史料では、女性の実名
が記載されることは少なく、女性の実名が
不明なことが多い。
(例) 書物(史料)では、「井伊 直平女」(奥
山直平の娘)、「関口親永室」(関口親永の
夫人)などと記されている。
また、ドラマ、映画、小説などでは、名
がないと不便なので、女性の仮称が 使われ
ることが多し。
〇 いえ 家康。
(いえやす)。 《人名》。
(= 徳川家康)。
(⇒ 徳川家康)。
○ 江戸幕府の創立者、初代
将軍。
■ 家康 (いえやす)とは、 徳川家康であ
り、 江戸幕府の創立者、初代将軍 である。
〇 いが 伊賀越え。
(いが ごえ)。 (= 神君伊賀越え)。
(⇒ 徳川家康)。
■ 伊賀越え (いが ごえ)は、 1582年6
月の「本能寺の変」の時、堺(大阪)に少人
数で滞在中の徳川家康が、 明智光秀の追
っ手や落ち武者狩りを避け、少人数同行者
で命からがら、危険な伊賀 (いが、現・三
重県中央西部相当地域)を通り、三河 (み
かわ、現・愛知県東部相当地域)へ帰国した
出来事 である。
このとき、伊賀忍者が、家康一行を助
け、後に、家康に召抱えられる。
〇 いま 今川 義元。
(いまがわ よしもと)。 《人名》。
(1519 ー1560年)。
IMAGAWA Yoshimoto.
○ 駿河国の戦国大名。
○ 駿河国 (するが のくに、現・
静岡県中部の相当地域)の国
主(こくしゅ)。
○ 駿河、遠江、三河を領する、
東海の戦国大名。
○ 桶狭間の戦いで、討ち死。
○ 今川氏真の父。
桶狭間の戦い)。
井伊 直政)。
■ 今川 義元 (いまがわ よしもと、15
19ー1560年)は、 駿河国 (するがの
くに、現・静岡県中部の相当地域)の戦
国大名であり、駿河 国 の国主(こくしゅ)
であった。
● 今川 義元は、 生母の寿桂尼 (じ
ゅけいに、生年不詳〜1568年)や政治
顧問・軍師の太原雪斎 (たいげんせっ
さい、生没年:1496年ー1555年)の
補佐を受けて、 駿河、遠江、三河(する
が・とおとうみ・みかわ、現・静岡県中部・
西部、愛知県東部)の3国に勢力を広げ
た。
● 今川 義元は、 西進の途次、1560
年(永禄3年)に、織田信長により、桶狭
間(おけはざま)の戦いで、討ち死にする。
● 五十音順 (アイウエオ順)。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典
● 見出し語は、グリーンでマークされています。
■ 井伊氏
(いいし)。
■ 井伊氏。
■ 名称 : 井伊氏 (いいし)。
■ 別名 : 井伊家、 井伊一族。
■ 室町時代後期(戦国時代)・安土桃山時代・
江戸時代初期の、井伊氏・当主変遷 :
(1) 井伊直平⇒ (2) 井伊直宗⇒ (3) 井伊直盛
⇒ (4) 井伊直親⇒ (5) 井伊直虎(次郎法師)⇒
(6) 井伊直政⇒ (7) 井伊直勝⇒ (8) 井伊直孝。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 72137。
□ 井伊氏当主。
□ 井伊直虎 簡略年表。
■ 井伊氏。
■ 井伊氏 (いいし、武家の 井伊氏:平安時代ー1871
年) は、 初代当主・井伊共保(いいともやす)以来、
平安時代から、鎌倉時代、建武時代、室町 時代、安土
桃山時代、江戸時代、明治時代初期まで、 存在した、
武家の一族である。
■ 井伊氏は、 遠江国南西部の井伊谷 (いいのや、現・
静岡県浜松市井伊谷) に領地をもつ、15ほどの集落
を治める弱小の地頭(じとう、国人領主)であった。
■ 井伊氏は、 遠江国の、地方豪族である。
井伊氏は、古代・中世日本で、 遠江国 (とおと
うみのくに、現・静岡県西部の相当地域) の井伊谷
(いいのや)を領有する 土豪、国人(こくじん、国衆(く
にしゅう)) の武家の一族であった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊谷城 ((いいのやじょう)は、 遠江国 (とおと
くうみのに、現・静岡県西部の相当地域) の井伊谷
(いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)を領有する国
人(こくじん、国衆(くにしゅう))の、井伊氏の居城 で
ある。
■ 龍潭寺(りょうたんじ)は、 遠江国(とおとうみのく
に)の井伊谷(いいのや)(現・静岡県浜松市井伊谷)
にあり、 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代
に井伊谷に本拠を置く井伊氏の菩提寺(ぼだいじ)で
あった。
■ 井伊氏大繁栄の基礎を築いた2人。
■ 井伊氏大繁栄の基礎を築いた井伊氏当主は、 井
■ 1565年(永禄8年)に、井伊直虎(次郎法師)は、
井伊氏の当主(1565年ー1582年)となり、 領地・
井伊谷(いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の領
主となる。
その後、井伊直虎(次郎法師)は、 元許婚(も
といいなずけ)だった井伊直親(いいなおちか)の
遺児の井伊直政 (いいなおまさ、幼名:虎松、生
没年:1561年ー1602年)を、養子とし、育てる。
また、井伊直虎(次郎法師)は、 井伊谷城(い
いのやじょう)を奪われたこともあったが、奪還した。
1575年(天正3年)に、井伊直虎(次郎法師)
は、 許婚(いいなずけ)だった井伊直親の遺児で
直虎(次郎法師)の養子の井伊直政 (いいなおま
さ、生没年:1561年ー1602年)を、徳川家康に
出仕(しゅっし)せさる。
1582年(天正10年)8月に、井伊直虎(次郎
法師)は、死去する。 井伊氏の家督は、 井伊直
政(井伊氏当主:1582年ー16 02年)が継いだ。
井伊 直政は、 徳川氏の政治家、外交官と
なり、徳川家康の天下取りを支える功臣となった。
そして、江戸時代に入り、井伊氏は、 譜代大
名の筆頭となった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 井伊直虎。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、井伊氏当主:1565年ー
1582年) は、 井伊氏大繁栄の基礎を築いた女性
であり、 徳川家康重臣の、井伊直政(いいなおまさ)
の養母、又従兄弟(またいとこ) である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、生年不詳ー1582年)は、
井伊氏の暫定当主であり、 遠江国・井伊谷の女性
国人領主であった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師(じろうほうし)、
祐円、生没年:生年不詳ー1582年、井伊氏暫定当
主:1565年ー15 82年) は、 女性国人領主であ
り、 遠江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部の相
当地域)の国人(国衆)の、井伊氏の暫定当主となり、
遠江国の井伊谷(いいのや、現・静岡県浜松市井伊
谷) の女性領主 となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 井伊直政。
■ 井伊 直政は、 徳川氏の政治家、外交官であり、 徳
川家康の天下取りを支えた功臣である。
■ 安土桃山時代や江戸時代初期に、 井伊直政 (いい
なおまさ、幼名・虎松、生没年:1561年ー1602年)は、
徳川家康の重臣であった。
■ 井伊 直政は、 はとこの井伊直 虎(井伊氏女性当主、
井伊谷領主)に 、直虎の養子として、育てられた。
井伊直虎は、 徳川家康重臣・井伊直政(いいな
おまさ)の養母である。
徳川家康重臣・井伊直政は、 井伊直虎の父・井
伊直盛のいとこ・井伊直親(なおちか)の男子である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊 直政は、 徳川家康重臣であり、 徳川四天王の
1人である。
井伊 直政の軍勢は、 滅亡した武田氏の遺臣を
数多く召抱え、強力となり、「井伊の赤備え」と恐れられ
た。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊 直政は、 井伊氏発展の基礎を築いた人物であり、
江戸時代に入り、井伊氏は、 譜代大名の筆頭となった。
■ 井伊 直政は、 江戸時代初期に、 徳川氏の譜代大
名としての基礎を築く。
井伊 直政は、1575年(天正3年)より徳川 家康
に仕(つか)え、 大功をたて、 関ヶ原の戦いの後、
徳川 家康より近江国佐和山・18万石に封じらる。
その後、井伊氏は、 近江国彦根藩主となり、徳
川譜代最有力大名となる。
● 井伊 直政の子(長男)の井伊 直勝のとき、徳川 氏に
より、近江国彦根に転封(てんぽう)となり、 井伊氏
は、近江国彦根藩主となる。
● 後に、井伊氏の近江国彦根藩は、 江戸時代に、譜 代
大名最高の35万石となり、 徳川譜代最有力大名とな
り、 たびたび、大老を出した。 その中でも、幕末の井
伊直弼(いいなおすけ)は、有名である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
#theiiclan-theheadsoftheiiclan
■ 井伊氏当主。
THE HEADS OF THE I I CLAN.
■ 井伊氏当主の変遷。
室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、江戸
時代初期の井伊氏当主の変遷。
(1) 井伊直平⇒ (2) 井伊直宗⇒ (3) 井伊直盛
⇒ (4) 井伊直親⇒ (5) 井伊直虎(次郎法師)⇒
(6) 井伊直政⇒ (7) 井伊直勝⇒ (8) 井伊直孝。
■ 井伊氏当主は、 (1) 井伊 直平 (いい なおひ
ら、井伊氏の第20代当主)、 (2) 井伊 直宗 (いい
なおむね、井伊直平男子、井伊氏の第21代当主)、
(3) 井伊直盛 (いい なおもり、井伊直宗男子、井伊
氏第22代当主:1542−1560年)、 (4) 井伊直親
(いい なおちか、井伊直盛のいとこ、井伊氏第23代当
主:1560ー1562年)、 (5) 井伊直虎 (いい なお
とら、次郎法師、井伊直盛娘、井伊氏暫定当主:1565
ー1582年)、 (6) 井伊直 政 (いいなおまさ、井伊
直親長男、井伊氏第24代当主:1582ー1602年)、
(7) 井伊直勝(いい なおかつ、 井伊直政長男、井伊
氏第25代当主:1602ー1615年)、 (8) 井伊直孝
(いい なおたか、井伊直政次男、井伊氏第26代当主:
1615ー1659年) である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (1) 井伊氏の第20代当主・井伊 直平。
井伊 直平 (いい なおひら、1479年または1489
年ー1563年) は、 井伊直虎 (いいなおとら、次郎
法師(じろうほうし)) の曾祖父(そうそふ)であり、 井
伊氏の第20代当主であり、遠江国・井伊谷 (とおとう
みのくに・いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の国人
領主である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (2) 井伊氏の第21代当主・井伊 直宗。
井伊 直宗 (いい なおむね、生年不詳ー1542年)
は、 井伊直虎(なおとら、次郎法師)の祖父であり、
井伊氏の第21代当主であり、 遠江国・井伊谷の国
人領主である。
● 井伊 直宗は、 今川義元の田原城(たはらじょう)攻
めに参加し、1542年(天文11年)に戦死する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (3) 井伊氏の第22代当主・井伊 直盛。
井伊 直盛 (いい なおもり、生没年:1506年ま
たは1526年ー1560年) は、 井伊直虎(なおとら、
次郎法師)の父であり、 井伊氏の第22代当主(井伊
氏当主:1542年−1560年)であり、 遠江国・井伊
谷の国人領主である。
● 井伊 直盛は、 今川義元に従軍し、桶狭間の戦いに
参加し、1560年(永禄3年)に戦死する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (4) 井伊氏の第23代当主・井伊 直親。
井伊 直親 (いい なおちか、幼名:亀之丞(かめ
のじょう)、生没年:1535年ー1562年) は、 井伊
直平(なおひら)の次男・井伊直満(なおみつ)の子で
あり、 井伊直虎(いいなおとら、次郎法師)の大叔父・
井伊直満の子であり、 井伊 直政(幼名:虎松)の父
であり、 井伊氏の第23代当 主(井伊氏当主:15
60ー1562年)であり、遠江国・井伊谷の国人領主で
ある。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (5) 井伊氏の暫定当主・井伊 直虎(次郎法師)。
井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師、生年不詳
ー1582年) は、 井伊 直盛(なおもり)の娘であり、
井伊氏の暫定当主 (井伊氏暫定当主:1565年ー
1582年) であり、年少の井伊 直政(幼名:虎松)の
代理当主であり、 遠江国・井伊谷の女性国人領主
(1565ー1568年、1575ー1582年)であった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (6) 井伊氏の第24代当主・井伊 直政。
井伊 直政 (いい なおまさ、幼名:虎松、万千代、
生没年:1561年ー1602年) は、 井伊 直親(なお
ちか)の男子であり、 井伊直虎(次郎法師)の養子、
又従兄弟(またいとこ)であり、 井伊氏の第24代当
主(井伊氏当主:1582年ー1602年)であり、 遠江
国・井伊谷の国人領主であり、 後に、1590年に上
野国箕輪(こうずけのくに・みのわ)12万石の大名と
なり、1600年に近江国・佐和山(おうみのくに・さわ
やま)18万石の大名(1600−1602年)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (7) 井伊氏の第25代当主・井伊 直勝。
井伊 直勝(いい なおかつ、前名:井伊直継(なお
つぐ)、生没年:1590年ー1662年) は、 井伊 直政
(なおまさ)の長男であり、 井伊氏の第25代当主(井
伊氏当主:1602ー1615年)であり、 近江国・佐和
山18万石の大名(1602ー1606年)であり、 後に
近江国・彦根藩・藩主(藩主:1606年ー1615年)(大
名)となる。 その後、1615年に、主君・徳川家康の
命令で、井伊氏分家として、上野国安中 (こうずけの
くに・あんなか・現・群馬県安中)3万石へ転封(てん
ぽう)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (8) 井伊氏の第26代当主・井伊 直孝。
井伊直孝 (いい なおたか、生没年:1590年ー
1659年) は、 井伊 直政(なおまさ)の次男であり、
井伊氏の第26代当主(井伊氏当主:1615ー1659
年)であり、 近江国・彦根藩藩主(藩主:16 15年ー
1659年)(大名)であり、1633年(寛永10年)に譜代
大名最高の30万石に加増される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
♪♪ 井伊氏が登場する、興味深 い、ドキュ
メタンリー、ドラマ、 映画。
★ 井伊氏が登場する、興味深いドキュメン
タリー。
■ にっぽん!歴史鑑定 『 井伊直虎
はなぜおんな城主となったのか? 』。
(TBSテレビ・2017年2月26日・本放送
歴史ドキュメンタリー番組)。
■ 井伊直虎(女性戦国領主)の史実の詳細を述べる。
★ 井伊氏が登場する、興味深い、 ドラマ、
映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 おんな城主 直虎 (おんなじょう
しゅ なおとら) 』。
(NHKテレビ・2017年大河ドラマ)。
■ 日本の室町時代後期(戦国時代)、安土桃山
時代を描いたドラマ。
■ 井伊直虎(女性戦国領主)の活躍を描くドラマ。
● ドラマで「おとわ(仮称)」、「次郎法師」(じろう
ほうし)、「井伊直虎」(いいなおとら)の女性戦
国領主を 演じる女優 :
柴咲 コウ (しばさき コウ)。
● ドラマで「井伊直盛」 (いいなおもり、井伊直
虎の父) を演じる俳優 :
杉本 哲太 (すぎもと てった)。
● ドラマで「井伊直親」 (いいなおちか、井伊
直虎の父・井伊直盛のいとこ) を演じる俳
優 : 三浦 春馬 (みうら はるま)。
● ドラマで「千賀(ちか)」 (仮称、井伊直虎の
母の、祐椿尼(ゆうしゅんに)) を演じる女優
名 :
財前 直見。
● ドラマで「しの」 (仮称、井伊直親の正室夫
人の、奥山親朝の娘) を演じる女優名 :
貫地谷 しほり。
● ドラマで「井伊直政」 (いいなおまさ、井伊
直虎(いいなおとら)の養子で、直虎のはと
こ・井伊直親(いいなおちか)の長男) を演
じる俳優 : 菅田 将暉 (すだ まさき)。
■ 井伊氏 関連出来事
(いいし かんれんできごと)。
#theiiclanhappeningsbyperiod
◆ 井伊氏 関連出来事
(年代順、詳細)。
#theiiclanhappeningsbyperiod-
■ 1532年 (享禄5年、天文元年)。
■ 1532年 (天文 元年) 天文(てんぶん、てんもん)
改元。
1532年7月29日に、 和暦の「享禄」 (きょうろく、 享禄
元年〜5年) が、 「天文」 (てんぶん、てんもん、天文
元年・1532年・7月29日〜天文24年・1555年・10月
23日) に改元される。
■ 1542年 (天文11年)。
■ 1542年(天文11年)に、 井伊直虎(いいなおとら)の父・
井伊直盛 (いいなおもり、井伊氏当主:1542−1560年)
が、井伊氏当主となる。
■ 1544年 (天文13年)。
■ 1544年(天文13年)に、 井伊直盛の従兄弟(いとこ)で
井伊直虎の許婚(いいなずけ)であった井伊直親(いいなお
ちか)は、 今川氏から離れ、信濃国 (しなののくに、現・
長野県の相当地域) に逃亡する。 井伊直親の父・井伊
直満(いいなおみつ)が今川義元への謀反の疑いをかけ
られ、自害させられたため。
井伊直虎 (いいなおとら、生年不詳ー1582年)は、
遠江国 (とおとうみのくに、現・静岡県西部の相当地域)
の井伊谷(いいのや)の領主(国人)の井伊直盛(いいな
おもり) の娘である。
井伊直盛は、 娘・井伊直虎の父であり、 男子が
いなかったため、 井伊直盛の従兄弟(いとこ)である井
伊直親を、一人娘・井伊直虎の婿養子に迎える予定であ
った。
■ その後、 井伊直虎は、出家し次郎法師(じろうほうし)
と名乗り、 一方、井伊直親は、 逃亡先の信濃国で暮
らし、その後、井伊氏の一族の奥山朝利の娘(おくやま
ともとしのむすめ)を夫人に迎え、虎松(とらまつ、井伊
直政)という男子を得た。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1555年 (天文24年、弘治元年)。
■ 1555年 (弘治 元年) 弘治(こうじ)改元。
1555年10月23日に、和暦の「天文」 (てんぶん、
てんもん 、天文元年〜24年) が、「弘治」 (こうじ、
弘治元年・1555年・10月23日〜 弘治4年・1558年・
2月28日) に改元される。
■ 1555年 (弘治元年)。
■ 1555年(弘治元年)に、井伊直盛の従兄弟の井伊直親
は、信濃国から戻り、 今川氏に復帰する。
■ 1558年 (弘治4年、永禄元年)。
■ 1558年 (永禄 元年) 永禄(えいろく) 改元。
1558年2月28日に、 和暦の「弘治」(こうじ、弘治
元年〜4年) が、 「永禄」 (えいろく、永禄元年・
1558年・2月28日〜永禄13年・1570年・4月23日)
に改元される。
■ 1560年 (永禄3年)。
■ 1560年(永禄3年)に、井伊直虎(次郎法師)の父・井伊
直盛が、桶狭間の戦いで戦死する。
井伊直盛の従兄弟(いとこ)の井伊直親が、井伊氏
の当主となり、 遠江国(とおとうみのくに、現・静岡県西
部の相当地域)の領地・井伊谷(いいのや、現・静岡県浜
松市井伊谷)の領主となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1561年 (永禄4年)。
■ 1561年(永禄4年)2月に、 井伊直政が誕生する。
井伊氏当主・井伊直親(なおちか)は、 井伊氏の一
族の奥山朝利の娘(おくやまともとしのむすめ)との間に、
虎松(とらまつ、井伊直政)という男子を得た。
■ 1562年 (永禄5年)。
■ 1562年(永禄5年)に、井伊直親は、 今川氏真により
殺害される。
■ 1565年 (永禄8年)。
■ 1565年(永禄8年)に、井伊直虎(次郎法師)は、 井伊
氏の当主(1565年ー1582年)となり、 領地・井伊谷
(いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の領主となる。
井伊直虎 (いい なおとら、井伊氏当主:1565年ー
1582年、生没年:生年不詳ー1582年、次郎法師(じろ
うほうし)、祐円)は、 女性国人領主であり、 遠江国(と
おとうみのくに、現・静岡県西部の相当地域)の国人(こく
じん、国衆(くにしゅう))の、井伊氏の当主となり、 遠江
国の井伊谷(いいのや)の女領主 となる。
■ その後、井伊直虎は、 許婚だった井伊直親の遺児の井
伊直政 (いいなおまさ、幼名・虎松、生没年:1561年ー
1602年、井伊直虎の又従兄弟(またいとこ))を、養子と
し、育てる。
また、井伊直虎は、 井伊谷城(いいのやじょう)を奪わ
れたこともあったが、奪還した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1570年 (永禄13年、元亀 元年)。
■ 1570年 (元亀 元年) 元亀(げんき)改元。
1570年4月23日に、 和暦の「永禄」 (えいろ
く、永禄元年〜13年) が、 「 元亀」 (げんき、元亀
元年・1570年・4月23日〜 元亀4年・ 573年・ 7月
28日) に改元される。
■ 1573年 (元亀4年、天正 元年)。
■ 1573年 (天正 元年) 天正(てんしょう)改元。
1573年7月28日に、 和暦の「元亀」 (げんき、
元亀元年〜4年) が、 「 天正」 (てんしょう、天正元
年・1573年・7月28日〜天正20年・1592年・12 月
8日) に改元される。
■ 1575年 (天正3年)。
■ 1575年(天正3年)に、井伊直虎は、 許婚だった井伊
直親(いいなおちか)の遺児で直虎の養子の井伊直政
(いいなおまさ、生没年:1561年ー1602年)を、徳川
家康に出仕 (しゅっし)させ、 井伊直政は、名を虎松か
ら、徳川家康から賜った万千代に改める。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1582年 (天正10年)。
■ 1582年(天正10年)に、井伊直政は、元服し、名を万
千代から直政に改め、井伊氏の家督は、井伊直政(井伊
氏当主:15 82年ー1602年)が継いだ。
■ 1582年(天正10年)8月に、井伊直虎は、 死去する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1592年 (天正20年、文禄元年)。
■ 1592年 (文禄 元年) 文禄改元。
1592年12月8日に、 和暦の「天正」 (てんし
ょう 、天正元年〜20年) が、 「 文禄」 (ぶんろく、
文禄元年・1592年・12月8日〜 文禄5年・ 1596
年・10月27日) に改元される。
■ 1596年 (文禄5年、慶長元年)。
■ 1596年 (慶長 元年) 慶長(けいちょう)改元。
1596年10月27日に、 和暦の「文禄」 (ぶん
ろく 、文禄元年〜5年) が、「 慶長」 ( けいちょう、
慶長元年・1596年・10月27日〜 慶長20年・16
15年・7月13日) に改元される。
■ 1602年 (慶長7年)。
■ 1602年(慶長7年)に、井伊直 政 (い いなおまさ、
直親長男、井伊氏当主:1582ー1602年)が、 死去
する。
井伊氏の家督は、 井伊 直勝 (いい なおかつ、
直政長男、井伊氏当主:1602ー1615年) が継いだ。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1615年 (慶長20年、元和元年)。
■ 1615年 (元和 元年) に、 元和改元。
1615年7月13日に、 和暦の「慶長」 (けいちょ
う 、慶長元年〜20年) が、 「 元和」 (げんな、元
和元年・1615年・7月13日〜 元和10年・ 1624
年・2月30日) に改元される。
■ 1615年 (元和元年)。
■ 1615年(元和元年)に、井伊 直勝 (いい なおかつ、
直政長男、井伊氏当主:1602ー1615年)は、 幕命
(ばくめい、江戸幕府の命令)により、井伊氏の本家の
家督を、 井伊直孝 (いい なおたか、直政次男、井伊
氏当主:1615ー1659年)に譲る。 以後、井伊氏の
本家は、彦根藩の掃部頭家となる。
一方、井伊 直勝 (いい なおかつ、直政長男)は、
井伊氏の分家の安中藩の兵部少輔家となる。
■ その後、江戸時代に、井伊氏本家・掃部頭家の彦根藩
は、 譜代大名(ふだいだいみょう)筆頭の家柄となり、
1度の転封(てんぽう、領地の移動)もなく、 江戸幕府の
大老職を何度も出した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1858年 (安政5年)。
■ 1858年(安政5年)に、近江国(おうみのくの、現在の
滋賀県の相当地域) の、彦根藩主(ひこねはんしゅ)の、
井伊直弼(いいなおすけ)は、 江戸幕府の大老 (大老
在任:1858年ー1560年) に就任する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1860年 (安政7年)。
■ 1860年(安政7年)に、「桜田門外の変」が起こる。
1860年(安政7年)に、「桜田門外の変」 (さくらだ
もんがいのへん、1860年の井伊直弼暗殺事件) が起
こる。
● 安政の大獄に憤慨(ふんがい)した水戸・薩摩藩出身
の浪士ら18人の同志が、 1860年(安政7年)に、井伊
直弼を襲撃し、 井伊直弼は、江戸城桜田門外にて、殺
害された。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1868年 (慶応4年)。
■ 1868年(慶応4年)1月に、徳川氏側と新政府側との戦い
の鳥羽伏見の戦いが起こる。
鳥羽伏見の戦いでは、徳川家の譜代大名の井伊氏本
家の彦根藩は、徳川氏側に属さず、新政府側に味方する。
「桜田門外の変」で井伊直弼死去後、江戸幕府により幕政の
混乱の責任を押し付けられる形で、彦根藩は10万石も没収
され、大政奉還後、徳川家の譜代大名筆頭にもかかわらず、
藩論が新政府側に転向し、新政府側に味方することとなった。
■ 続く戊辰戦争(ぼしんせんそう、1868年ー1869年)でも、
井伊氏本家の彦根藩は、新政府側として、転戦する。
■ 1884年 (明治17年)。
■ 1884年(明治17年)に、井伊氏本家は、伯爵となり、華族
に列した。
■ 井伊 直虎
(いい なおとら)。
■ 井伊 直虎。
■ 名称 : 井伊 直虎 (いい なおとら)。
■ 英語名 : I I Naotora.
■ 別名: 次郎法師(じろうほうし)、祐円。
■ 女性国人領主。
■ 井伊氏当主:1565年ー1582年。
■ 生没年: 生年不詳ー1582年。
■ 井伊氏大繁栄の基礎を築いた女性。
■ 徳川家康重臣・井伊 直政(いいなおまさ)の養母、又
従兄弟(またいとこ)。
■ 遠江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部の相当地
域)の国人(こくじん、国衆(くにしゅう))の、井伊氏の
当主(1565年ー1582年)となり、 遠江国の井伊谷
(いいのや、現・静岡県浜松市井 伊谷)の女領主であ
った。
■ 井伊氏当主・井伊直盛(いい・なおもり)の一人娘。
■ NHK2017年大河ドラマ 『 おんな城主 直虎 (お
んなじょうしゅ・なおとら) 』 の主人公。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 81241。
□ 井伊直虎 簡略年表。
□ 井伊氏当主。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、井伊氏当主:1565年ー
1582年) は、 井伊氏大繁栄の基礎を築いた女性
であり、 徳川家康重臣の、井伊直政(いいなおまさ)
の養母、又従兄弟(またいとこ) である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎は、 NHKテレビ・2017年大河ドラマ 『お
んな城主 直虎 (おんなじょうしゅ・なおとら) 』 の主
人公である。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、生年不詳ー1582年)は、
井伊氏の暫定当主であり、 遠江国・井伊谷(いいの
や、現・静岡県浜松市井 伊谷)の女性国人領主であ
った。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師(じろうほうし)、
祐円、生没年:生年不詳ー1582年、井伊氏暫定当
主:1565年ー15 82年) は、 室町時代後期(戦
国時代)・安土桃山時代の女性国人領主であり、遠
江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部の相当地域)
の国人(国衆)の、井伊氏の暫定当主となり、 遠江
国の 井伊谷(いいのや、現・静岡県浜松市井伊 谷)
の女性領主 となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎は、 井伊氏当主・井伊直盛(いい・なおも
り)の一人娘であった。
■ 井伊直虎 (いいなおとら、遠江国・井伊谷女性領主)
は、 徳川家康重臣・井伊直政(いいなおまさ)の養母
である。
徳川家康重臣・井伊直政は、 井伊直虎の養子
であり、 井伊直虎のはとこ (直虎父・井伊直盛(な
おもり)のいとこ) の、井伊直親(なおちか)の男子で
ある。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎は、 NHK2017年大河ドラマ 『 おんな
城主 直虎 (おんなじょうしゅ・なおとら) 』 の主人
公である。
● 井伊直虎は、 『 おんな城主 直虎 (おんなじょう
しゅ なおとら) 』 (NHKテレビ・ 2017年大河ドラマ)
では、「おとわ」という名(仮称)で も登場する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎は、 井伊氏繁栄の基礎を築いた女性であ
る。
井伊直虎 (井伊氏女性当主、遠江国・井伊谷領
主)は、 直虎の父・井伊直盛の従兄弟(いとこ)の井伊
直親(なおちか)の長男の、井伊 直政を、直虎の養子
として、育てた。
井伊 直政は、1575年(天正3年)より徳川 家康
に仕(つか)え、 徳川 家康の重臣となり、大功をたて、
関ヶ原の戦いの後、徳川 家康より近江国佐和山・18
万石に封じられる。
その後、井伊氏は、 江戸時代に、近江国彦根藩
主となり、 徳川譜代最有力大名となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 井伊直虎の一族・郎党。
■ 井伊氏一族。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、父は、 井伊直盛(いいなお
もり) である。
● 井伊直盛(いいなおもり)は、 井伊直虎 (いいなお
とら、次郎法師、女性国人領主、生年不詳ー1582年)
の父であり、 井伊氏第22代当主であり、 遠江国
(とおとうみのくに、現・静岡県西部の相当地域) の
井伊谷(いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の領主
(国人、国衆) である。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、母は、 祐椿尼(ゆうしゅ
んに)である。
● 祐椿尼 (ゆうしゅんに、生年不詳ー1578年)は、
井伊直虎(次郎法師)の生母であり、 井伊氏第22
代当主・井伊直盛(いいなおもり)の夫人であり、
今川氏家臣・新野親矩(にいのちかのり)の妹 で
ある。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、母の兄は、 新野親矩
(にいのちかのり) である。
● 新野親矩(にいのちかのり)は、 井伊直虎(次郎
法師)の生母・祐椿尼 (ゆうしゅんに、生年不詳
ー1578年)の兄であり、 今川氏家臣である。
● 新野親矩は、 『 おんな城主 直虎 (おんなじょ
うしゅ・なおとら) 』 (NHKテレビ・ 2017年大河
ドラマ)では、「新野左馬助(にいのさまのすけ)」と
いう名(仮称)で登場する。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、父の従兄弟(いとこ)で
元許婚(いいなずけ)は、 井伊直親 (いいなおち
か) である。
● 井伊直親 (なおちか、幼名:亀之丞(かめのじょ
う)は、 井伊直虎(次郎法師)の元許婚(いいなず
け)であり、 直虎(次郎法師)の大叔父・井伊直満
(なおみつ)の子であり、 井伊氏第23代当主であ
り、 井伊直虎(次郎法師)の父・井伊直盛(なおも
り)の従兄弟(いとこ) である。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、父の従兄弟(いとこ)で
元許婚(いいなずけ)・井伊直親 (いいなおちか)
の子は、 井伊直政(いいなおまさ) である。
● 井伊直政(いいなおまさ、幼名:虎松)は、 井伊
直虎(次郎法師)の養子であり、 井伊直虎(次郎
法師)の又従兄弟(またいとこ)であり、 井伊氏第
23代当主・ 井伊直親(なおちか)と「奥山朝利の
娘」(おくやまともとしのむすめ)との間の子である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、曾祖父・井伊直平(いい
なおひら)の弟は、 南渓瑞聞(なんけいずいもん)
である。
● 南渓瑞聞(なんけいずいもん、生年不詳ー1589
年)は、 井伊氏第20代当主・井伊直平(なおひら)
の子(養子説あり)であり井伊直虎(次郎法師)の大
叔父であり、 井伊氏の菩提寺(ぼだいじ)である龍
潭寺(りょうたんじ)の住職(じゅうしょく)であった。
● 南渓瑞聞は、 『 おんな城主 直虎 (おんなじょう
しゅ なおとら) 』(NHKテレビ・2017年大河ドラマ)
では、「南渓和尚(なんけいおしょう)」という名(仮
称)で登場する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、父の従兄弟(いとこ)で
元許婚(いいなずけ)・井伊直親(いいなおちか)の
夫人は、 奥山朝利の娘 (おくやまともとしのむす
め) である。
● 奥山朝利の娘 (実名不詳、おくやまともとしのむ
すめ、生年不詳−1585年) は、 井伊氏の一
族の「奥山朝利の娘」であり、 井伊氏第23代当
主・井伊 直親(いいなおちか)の夫人であり、 井
伊直政(いいなおまさ、幼名:虎松)を産む。
● 奥山朝利の娘は、 『 おんな城主 直虎 (おん
なじょうしゅ なおとら) 』 (NHKテレビ・2017
年大河ドラマ) では、「しの」とい う名(仮称)で
登場する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、曾祖父・井伊直平(い
いなおひら)の娘で大叔母(おおおば)は、 「井伊
直平の娘 」 (いい なおひらのむすめ) である。
● 「井伊 直平の娘 」 (実名不詳、いい なおひら
のむすめ、生没年不詳)は、 井伊直虎(次郎法
師)の大叔母(おおおば)である。
「井伊 直平の娘」は、 井伊氏から今川氏
の人質となり、 今川氏重臣・関口親永(せきぐ
ちちかなが)の夫人となる。
「井伊 直平の娘」は、 松平元康(徳川家
康)・正室夫人の瀬名(築山殿)の生母である。
● 「井伊 直平の娘」は、 『 おんな城主 直虎 (お
んなじょうしゅなおとら) 』 (NHKテレビ・2017
年大河ドラマ) では、「 佐名(さな)」という名(仮
称)で登場する。
■ 井伊直虎(次郎法師)の、曾祖父・井伊直平(い
いなおひら)の娘の大叔母(おおおば)の女子は、
瀬名(せな、築山殿(つきやまどの)) である。
● 瀬名(せな、築山殿(つきやまどの))は、 井伊
直虎(次郎法師)の大叔母(おおおば)である「井
伊 直平(なおひら)の娘」 と 今川氏重臣・関口
親永(せきぐちちかなが) との間の子であり、松
平 元康(徳川家康)の正室夫人である。
■ 井伊氏重臣。
■ 小野 政直 (おの まさなお、小野道高(みちたか)、
生年不詳ー1554年)は、 今川氏寄りの(親今川氏
派の)、井伊氏重臣であった。
● 井伊直虎(次郎法師)の大叔父・井伊直満(いいな
おみつ)は、 小野 政直の讒言(ざんげん)により、今
川氏に殺害される。
■ 小野 政次 (おの まさつぐ、生年不詳ー1570年)は、
今川氏寄りの(親今川氏派の)、井伊氏重臣であった。
● 井伊直虎(次郎法師)の大叔父・井伊直満(いいなお
みつ)の男子で直虎の元許婚(いいなずけ)の、井伊
氏第23代当主・井伊直親(いいなおちか)は、 小野
政次の讒言(ざんげん)により、今川氏に殺害される。
● 小野 政次は、 『 おんな城主 直虎 (おんなじょうし
ゅなおとら) 』 (NHKテレビ・2017年大河ドラマ)
では、幼名では「鶴丸(つるまる)」という名(仮称)で
登場する。
#iinaotora-theheadsoftheiiclan
■ 井伊氏当主。
THE HEADS OF THE I I CLAN.
■ 井伊氏当主の変遷。
室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、江戸
時代初期の井伊氏当主の変遷。
(1) 井伊直平⇒ (2) 井伊直宗⇒ (3) 井伊直盛
⇒ (4) 井伊直親⇒ (5) 井伊直虎(次郎法師)⇒
(6) 井伊直政⇒ (7) 井伊直勝⇒ (8) 井伊直孝。
■ 井伊氏当主は、 (1) 井伊 直平 (いい なおひ
ら、井伊氏の第20代当主)、 (2) 井伊 直宗 (いい
なおむね、井伊直平男子、井伊氏の第21代当主)、
(3) 井伊直盛 (いい なおもり、井伊直宗男子、井伊
氏第22代当主:1542−1560年)、 (4) 井伊直親
(いい なおちか、井伊直盛のいとこ、井伊氏第23代当
主:1560ー1562年)、 (5) 井伊直虎 (いい なお
とら、次郎法師、井伊直盛娘、井伊氏暫定当主:1565
ー1582年)、 (6) 井伊直 政 (いいなおまさ、井伊
直親長男、井伊氏第24代当主:1582ー1602年)、
(7) 井伊直勝(いい なおかつ、 井伊直政長男、井伊
氏第25代当主:1602ー1615年)、 (8) 井伊直孝
(いい なおたか、井伊直政次男、井伊氏第26代当主:
1615ー1659年) である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (1) 井伊氏の第20代当主・井伊 直平。
井伊 直平 (いい なおひら、1479年または1489
年ー1563年) は、 井伊直虎 (いいなおとら、次郎
法師(じろうほうし)) の曾祖父(そうそふ)であり、 井
伊氏の第20代当主であり、遠江国・井伊谷 (とおとう
みのくに・いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の国人
領主である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (2) 井伊氏の第21代当主・井伊 直宗。
井伊 直宗 (いい なおむね、生年不詳ー1542年)
は、 井伊直虎(なおとら、次郎法師)の祖父であり、
井伊氏の第21代当主であり、 遠江国・井伊谷の国
人領主である。
● 井伊 直宗は、 今川義元の田原城(たはらじょう)攻
めに参加し、1542年(天文11年)に戦死する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (3) 井伊氏の第22代当主・井伊 直盛。
井伊 直盛 (いい なおもり、生没年:1506年ま
たは1526年ー1560年) は、 井伊直虎(なおとら、
次郎法師)の父であり、 井伊氏の第22代当主(井伊
氏当主:1542年−1560年)であり、 遠江国・井伊
谷の国人領主である。
● 井伊 直盛は、 今川義元に従軍し、桶狭間の戦いに
参加し、1560年(永禄3年)に戦死する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (4) 井伊氏の第23代当主・井伊 直親。
井伊 直親 (いい なおちか、幼名:亀之丞(かめ
のじょう)、生没年:1535年ー1562年) は、 井伊直
虎(次郎法師)の元許婚(もといいなずけ)であり、 井
伊直平(なおひら)の次男・井伊直満(なおみつ)の子
であり、 井伊直虎(いいなおとら、次郎法師)の大叔
父・井伊直満の子であり、 井伊 直政(幼名:虎松)の
父であり、 井伊氏の第23代当 主(井伊氏当主:15
60ー1562年)であり、 遠江国・井伊谷の国人領主
である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (5) 井伊氏の暫定当主・井伊 直虎(次郎法師)。
井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師、生年不詳
ー1582年) は、 井伊 直盛(なおもり)の娘であり、
井伊氏の暫定当主 (井伊氏暫定当主:1565年ー
1582年) であり、年少の井伊 直政(幼名:虎松)の
代理当主であり、 遠江国・井伊谷の女性国人領主
(1565ー1568年、1575ー1582年)であった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (6) 井伊氏の第24代当主・井伊 直政。
井伊 直政 (いい なおまさ、幼名:虎松、万千代、
生没年:1561年ー1602年) は、 井伊 直親(なお
ちか)の男子であり、 井伊直虎(次郎法師)の養子、
又従兄弟(またいとこ)であり、 井伊氏の第24代当
主(井伊氏当主:1582年ー1602年)であり、 遠江
国・井伊谷の国人領主であり、 後に、1590年に上
野国箕輪(こうずけのくに・みのわ)12万石の大名と
なり、1600年に近江国・佐和山(おうみのくに・さわ
やま)18万石の大名(1600−1602年)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (7) 井伊氏の第25代当主・井伊 直勝。
井伊 直勝(いい なおかつ、前名:井伊直継(なお
つぐ)、生没年:1590年ー1662年) は、 井伊 直政
(なおまさ)の長男であり、 井伊氏の第25代当主(井
伊氏当主:1602ー1615年)であり、 近江国・佐和
山18万石の大名(1602ー1606年)であり、 後に
近江国・彦根藩・藩主(藩主:1606年ー1615年)(大
名)となる。 その後、1615年に、主君・徳川家康の
命令で、井伊氏分家として、上野国安中 (こうずけの
くに・あんなか・現・群馬県安中)3万石へ転封(てん
ぽう)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (8) 井伊氏の第26代当主・井伊 直孝。
井伊直孝 (いい なおたか、生没年:1590年ー
1659年) は、 井伊 直政(なおまさ)の次男であり、
井伊氏の第26代当主(井伊氏当主:1615ー1659
年)であり、 近江国・彦根藩藩主(藩主:16 15年ー
1659年)(大名)であり、1633年(寛永10年)に譜代
大名最高の30万石に加増される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊直虎 簡略年表。
THE BRIEF CHRONOLOGY OF I I Naotora.
■ 1542年 ● 井伊直虎の父・井伊直盛 が井伊氏当主
(天文11年) となる。
1542年(天文11年)に、 井伊直虎(い
いなおとら)の父・井伊直盛(いいなおもり、井
伊氏当主:1542−1560年))が、井伊氏当
主となる。
■ 1544年 ● 井伊直虎の許婚であった井伊直親の逃亡。
(天文13年) 1544年(天文13年)に、井伊直虎(いい
なおとら)の許婚(いいなずけ)であった井伊直
親(いいなおちか)は、 信濃国 (しなののく
に、現・長野県の相当地域) に逃亡する。
● その後、 井伊直虎は、出家し次郎法師
(じろうほうし)と名乗り、 一方、井伊直親は、
逃亡先の信濃国で暮らし、その後、井伊氏の
一族の奥山朝利の娘(おくやまともとしのむす
という男子を得た。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1560年 ● 井伊直虎の父・井伊直盛が戦死する。
(永禄3年) 1560年(永禄3年)に、井伊直虎(次郎法
師)の父・井伊直盛(いいなおもり)が、桶狭間
の戦いで戦死する。
井伊直盛の従兄弟(いとこ)の井伊直親
が、井伊氏の当主(1560−62年)となり、
遠江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部の
相当地域)の領地・井伊谷(いいのや、現・静
岡県浜松市井 伊谷)の領主となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1562年 ● 井伊直盛の従兄弟(いとこ)の井伊直親
(永禄5年) (いいなおちか、井伊氏当主:1560−15
62年)が、殺害される。
● 1562年(永禄5年)から1565年(永禄8
年)まで、井伊氏は、当主もいなく、衰退する。
■ 1565年 ● 井伊直虎が井伊氏の当主となり、井伊谷
(永禄8年) (いいのや)の領主となる。
1565年(永禄8年)に、井伊直虎(次郎
法師)は、 井伊氏の当主(1565年ー1582
年)となり、 領地・井伊谷(いいのや、現・静
岡県浜松市井伊谷)の領主となる。
● その後、 井伊直虎は、 許婚(いいなず
け)だった井伊直親(いいなおちか)の遺児の
井伊直政(なおまさ、虎松、生没年:1561年
ー1602年、井伊直虎の又従兄弟(またいと
こ))を、養子とし、育てる。
また、井伊直虎は、 井伊谷城(いいの
やじょう)を奪われたこともあったが、奪還した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1575年 ● 井伊直虎の養子の井伊直政が、徳川家康
(天正3年) に出仕する。
1575年(天正3年)に、井伊直虎は、
許婚だった井伊直親の遺児で直虎の養子の
井伊直政 (いいなおまさ、生没年:1561年ー
1602年)を、徳川家康に出仕(しゅっし)させる。
■ 1582年 ● 井伊直虎が死去する。
(天正10年) 1582年(天正10年)8月に、井伊直虎
は、死去する。
井伊氏の家督は、 井伊直政(井伊氏当主:
1582年ー1602年)が継いだ。
♪♪ 井伊直虎(次郎法師)が登場する、興
味深 い、ドキュメタンリー、ドラマ、
映画。
★ 井伊直虎(次郎法師)が登場する、興味
深いドキュメタンリー。
■ にっぽん!歴史鑑定 『 井伊直虎
はなぜおんな城主となったのか? 』。
(TBSテレビ・2017年2月26日・本放送
歴史ドキュメンタリー番組)。
■ 井伊直虎(女性戦国領主)の史実の詳細を述べる。
★ 井伊直虎(次郎法師)が登場する、興味
深い、 ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事 が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 おんな城主 直虎 (おんなじょう
しゅ なおとら) 』。
(NHKテレビ・2017年大河ドラマ)。
■ 日本の室町時代後期(戦国時代)、安土桃山
時代を描いたドラマ。
■ 井伊直虎(女性戦国領主)の活躍を描くドラマ。
● ドラマで「おとわ(仮称)」、「次郎法師」(じろう
ほうし)、「井伊直虎」(いいなおとら)の女性戦
国領主を 演じる女優 :
柴咲 コウ (しばさき コウ)。
● ドラマで「井伊直盛」 (いいなおもり、井伊直
虎の父) を演じる俳優 :
杉本 哲太 (すぎもと てった)。
● ドラマで「井伊直親」 (いいなおちか、井伊
直虎の父・井伊直盛のいとこ) を演じ る俳
優 : 三浦 春馬 (みうら はるま)。
● ドラマで「千賀(ちか)」 (仮称、井伊直虎の
母の、祐椿尼(ゆうしゅんに)) を演じる女優
名 : 財前 直見。
● ドラマで「しの」 (仮称、井伊直親の正室夫
人の、奥山親朝の娘) を演じる女優名 :
貫地谷 しほり。
● ドラマで「井伊直政」 (いいなおまさ、井伊
直虎(いいなおとら)の養子で、直虎のはと
こ・井伊直親(いいなおちか)の長男) を演
じる俳優 : 菅田 将暉 (すだ まさき)。
■ 井伊直虎
関連出来事
(いいなおとらかんれんできごと)。
#iinaotorahappeningsbyperiod
◆ 井伊直虎 関連出来事
(年代順、詳細)。
#iinaotorahappeningsbyperiod-
■ 1532年 (享禄5年、天文元年)。
■ 1532年 (天文 元年) 天文(てんぶん、てんもん)
改元。
1532年7月29日に、 和暦の「享禄」 (きょうろく、
享禄 元年〜5年) が、 「天文」 (てんぶん、てんも
ん、天文元年・1532年・7月29日〜天文24年・15
55年・10月23日) に改元される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1535年 (天文4年)。
■ 1535年(天文4年)頃に、 井伊直虎 (いいなおと
ら、次郎法師、生年不詳ー1582年)が、 生まれる。
井伊直虎(次郎法師)は、 許婚(いいなずけ)の
井伊直親(いいなおちか、1535年ー1562年)と同じ
ころ生まれたと言われている。 幼名は不詳である。
井伊直虎 (いいなおとら、生年不詳ー1582
年、次郎法師)は、 遠江国 (とおとうみのくに、現・
静岡県西部の相当地域)の井伊谷(いいのや、現・静
岡県浜松市井伊谷)の国人領主の井伊直盛(いいな
おもり) の一人娘である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1536年 (天文5年)。
■ 1536年(天文4年)に、 今川義元 (いまがわよし
もと、1519−1560年)が、 駿河国(すつがのくに、
現・静岡県中部)の戦国大名の今川氏の当主となる。
1536年(天文4年)に、 井伊直平は、娘を人質
に出して、今川氏の今川義元に臣従する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1542年 (天文11年)。
■ 1542年(天文11年)に、 井伊直虎(いいなおとら、
次郎法師)の父・井伊直盛(いいなおもり、井伊氏当
主:1542−1560年))が、 井伊氏当主となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1544年 (天文13年)。
■ 井伊直親(いいなおちか)は、 井伊直満の男子で、
井伊直盛の従兄弟(いとこ)で井伊直虎(次郎法師)
の許婚(いいなずけ)であった。
1544年(天文13年)に、 井伊直親は、遠
江国・井伊谷から離れ、信濃国(しなののくに、現・
長野県の相当地域) に逃亡する。
井伊直親の父・井伊直満(いいなおみつ)が
井伊氏家老・小野正直(おのまさなお)の密告(裏
切り)により、 今川氏への謀反の疑いをかけられ、
今川義元により殺されたためである。
井伊直虎 (いいなおとら、生年不詳ー1582
年、次郎法師)は、 遠江国 (とおとうみのくに、現・
静岡県西部の相当地域)の井伊谷(いいのや、現・
静岡県浜松市井伊谷)の国人領主の井伊直盛(い
いなおもり) の一人娘である。
井伊直盛(いいなおもり)は、 娘・井伊直虎
(次郎法師)の父であり、 男子がいなかったため、
井伊直盛の従兄弟(いとこ)である井伊直親を、一
人娘・井伊直虎(次郎法師)の婿養子に迎える予定
であった。
井伊直親は、 逃亡先の信濃国(しなののくに、
現・長野県)の寺に隠し預けられ、暮らした。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1549年 (天文18年)。
■ 1549年(天文18年)頃に、 井伊直虎(次郎法師)
は、出家し、次郎法師と名乗る。
仲の良かった許婚(いいなずけ)の井伊直親の
行方不明(信濃国逃亡)後、およそ5、6年経って、井
伊直虎(次郎法師)は、 行方不明の井伊直親への
一途な思いから、出家を決意する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1554年 (天文23年)。
■ 1554年(天文23年)に、密告した(裏切った)井伊
氏家老・小野正直(おのまさなお)が死去する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1555年 (天文24年、弘治元年)。
■ 1555年 (弘治 元年) 弘治(こうじ)改元。
1555年10月23日に、和暦の「天文」 (てんぶ
ん、てんもん 、天文元年〜24年) が、「弘治」 (こう
じ、弘治元年・1555年・10月23日〜 弘治4年・15
58年・2月28日) に改元される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1555年 (弘治元年)。
■ 1555年(弘治元年)に、井伊直盛の従兄弟の井伊
直親(なおちか)は、 信濃国から戻り、遠江国・井伊
谷に復帰する。
前年に(1554年に)密告した井伊氏家老・小野
正直が死去し今川氏の許しを得て、1555年(弘治元
年)に、井伊氏当主の井伊直盛(いいなおもり)は、井
伊直親を井伊谷に戻した。
井伊直盛は、 出家した井伊直虎(次郎法師)
を還俗させ、井伊直親と婚儀を結ばせようとする。
ところが、井伊直虎(次郎法師)は、 出家した身で
あると、承知しなかった。
そこで、井伊直盛は、 井伊直親を直盛の養子
とし、井伊直親に別の女性をめあわせて、井伊氏の
後継者とした。
井伊直親は、 井伊直盛の養子となり、井伊氏
の一族の奥山朝利の娘(おくやまともとしのむすめ)
を夫人に迎え、井伊氏の後継者となった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1557年 (弘治3年)。
■ 1557年(弘治3年)に、 松平元康(徳川家康)は、
瀬名(せな、築山殿)と婚儀を結び、正室夫人とす
る。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1558年 (弘治4年、永禄元年)。
■ 1558年 (永禄 元年) 永禄(えいろく) 改元。
1558年2月28日に、 和暦の「弘治」(こうじ、
弘治元年〜4年) が、 「永禄」 (えいろく、永禄
元年・ 1558年・2月28日〜永禄13年・1570年・
4月23日) に改元される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1560年 (永禄3年)。
■ 1560年(永禄3年)に、今川義元は、織田氏との
戦いの、桶狭間の戦いで戦死する。
1560年(永禄3年)に、今川軍に従軍してい
た、松平元康(徳川家康)は、 今川氏家臣が去っ
た岡崎城に入城し、今川氏より独立する。
1560年(永禄3年)に、今川義元に代わって、
今川氏真(いまがわうじざね)が、今川氏の当主と
なり、駿河国、遠江国、三河国の領主となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1560年(永禄3年)に、井伊直虎(次郎法師)の父・
井伊直盛は、 今川軍に従軍し、桶狭間の戦いなど
の織田氏との戦いで戦死する。
井伊直虎(次郎法師)の父・井伊直盛の従兄弟
(いとこ)の、井伊直親(いいなおちか、井伊氏当主:
1560年−1562年)が、 井伊氏の当主となり、
遠江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部の相当地
域)の領地・井伊谷 (いいのや、現・静岡県浜松市
井伊谷) の領主となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1561年 (永禄4年)。
■ 1561年(永禄4年)2月に、 井伊直政が誕生する。
井伊氏当主・井伊直親(なおちか)は、 井伊氏
の一族の奥山朝利の娘(おくやまともとしのむすめ)
との間に、虎松(とらまつ、井伊直政)という男子を得
た。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1562年 (永禄5年)。
■ 1562年(永禄5年)に、井伊直親 (いいなおちか、
井伊氏当主:1560年−1562年)は、 殺害される。
1562年(永禄5年)に、井伊直親 (いいなおち
か、井伊氏当主:1560年−1562年)は、 井伊氏
家老・小野政次(おのまさつぐ)の密告(裏切り)によ
り、 松平元康(徳川家康)と結んで今川氏への謀反
を起こそうとしたという疑いで、 今川氏真(いまが
わうじざね)によって、殺害される。 虎松(井伊直政)
も今川氏真によって殺害されそうになるが、 今川氏
家臣の新野親矩(にいのちかのり、直虎(次郎法師)
の母・祐椿尼(ゆうしゅんに)の兄) の助命嘆願によ
って、命令撤回に漕ぎ着ける (虎松は助命される)。
代わって、かって井伊氏当主だった、井伊直虎
(次郎法師)の曾祖父の井伊直平 (いいなおひら、
生没年:生年不詳−1563年)が、 井伊氏当主(再
当主期間:1562−1563年) に返り咲く。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1563年 (永禄6年)。
■ 1563年(永禄6年)に、井伊氏当主(再当主期間:
1562−1563年)の井伊直平(なおひら)が、 死
去する。
1563年(永禄6年)から1565年(永禄8年)ま
で、井伊氏は、 幼い虎松(とらまつ、井伊直政、15
61年−1602年)が領主(井伊氏当主)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1564年 (永禄7年)。
■ 1564年(永禄7年)に、 虎松(井伊直政)の後ろ盾
であった、今川氏家臣の新野親矩(にいのちかのり、
直虎(次郎法師)の母・祐椿尼(ゆうしゅんに)の兄)
が、 死去(戦死)する。
■ 1565年 (永禄8年)。
■ 1565年(永禄8年)に、井伊直虎(次郎法師)は、
幼い虎松(とらまつ、井伊直政、15 61年−1602年)
の代わりに、井伊氏の暫定当主(1565年ー1582
年)となり、 領地・井伊谷(いいのや)の 国人領主と
なる。
江戸時代には、女性は領主にはなれなかった
が、戦国時代(室町時代後期)や安土桃山時代では、
男子の後継者がいない場合、女性は領主になること
ができた。
井伊直虎 (いい なおとら、井伊氏暫定当主:
1565年ー1582年、生没年:生年不詳ー1582年、
次郎法師(じろうほうし)、祐円)は、 女性戦国領主
であり、 遠江国(とおとうみのくに、現・静岡県西部
の相当地域)の国人(こくじん、国衆(くにしゅう))の、
井伊氏の暫定当主となり、 遠江国の井伊谷(いい
のや、現・静岡県浜松市井伊谷)の女 領主 となる。
井伊直虎(次郎法師)は、 虎松(とらまつ、井
伊直政)が元服するまでの中継ぎ当主である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ その後、井伊直虎(次郎法師)は、 元許婚(もとい
いなずけ)だった井伊直親(なおちか)の遺児の井伊
直政 (いいなおまさ、幼名・虎松、生没年:1561年
ー1602年、井伊直虎(次郎法師)の又従兄弟(また
いとこ))を、養子とし、育てる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1566年 (永禄9年)。
■ 1566年(永禄9年)に、松平家康(徳川家康)は、
三河国(みかわのくに、現・愛知県東部)を平定し、
三河守(みかわのかみ)を朝廷より賜(たまわ)り、
姓(家名)を徳川とした。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1566年(永禄9年)に、井伊直虎(次郎法師)は、
今川氏より、井伊谷に徳政令を布告する命令を受
けた。 徳政令(とくせいれい)とは、借金を棒引き
にするという領主の命令である。
井伊直虎(次郎法師)は、今川氏の催促を受
けながらも、今川氏の徳政令布告命令から約2年
間、徳政令を先送りし、引き延ばした。
井伊氏は、商人から借金をして、領地を経営
していたため、徳政令は出せなかった。 徳政令で
今までの借金が帳消しになっても、商人に打撃を与
え、その後、新たに商人から借りられなくなるため
である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1568年 (永禄11年)。
■ 1568年(永禄11年)12月に、 武田信玄が駿
河国(するがのくに、現・静岡県中部)へ侵入し
(攻め込み)、 徳川家康が、遠江国(とおとうみ
のくに、現・静岡県西部)へ侵入する(攻め込む)。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ @ 1568年(永禄11年)11月に、今川氏は、井
伊谷に徳政令を強行した。
■ A 1568年(永禄11年)11月に、井伊直虎(次
郎法師)は、 今川氏により、井伊谷の領主の地位
を奪われる (井伊谷の領主を罷免される)。
1568年(永禄11年)に、井伊直虎(次郎法師)
は、今川氏真により、井伊谷の、地頭を罷免(ひめ
ん)され、領地を奪われ、井伊谷城(いいのやじょう)
を追われ、井伊氏菩提寺の龍潭寺(りょうたんじ)に
身を寄せる。
1568年(永禄11年)に、虎松は、南渓和尚
(南渓瑞聞)の尽力で、三河の国・鳳来寺へ逃れ、
を身寄せた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ B 1568年(永禄11年)11月に、井伊直虎(次
郎法師)に代わって、小野政次(おのまさつぐ、生
年不詳ー1570年)が、井伊谷の領主となる。
しかし、約1ヶ月後、1568年(永禄11年)
12月15日に、徳川軍が井伊谷に攻め寄せてきた
ため、小野政次は、井伊谷城を脱出したが、逃亡
途中で捕縛される。
■ C 1568年(永禄11年)12月に、井伊谷は、徳
川氏の領土となる。
1568年(永禄11年)12月15日に、井伊谷
3人衆を先導役として、徳川家康が、井伊谷に入
る。
井伊谷3人衆(いいのやさんにんしゅう)とは、
井伊谷周辺に住する豪族の、鈴木重時(すずきし
げとき)、菅沼忠久(すがぬまただひさ)、近藤康用
(こんどうやすもち)の3人である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1569年 (永禄12年)。
■ 1569年(永禄12年)5月に、徳川家康は、遠江
国(とおとうみのくに、静岡県西部)を平定し、領国
とする。
■ 1569年(永禄12年)5月に、今川氏真は、今川
氏の最後の拠点・掛川城を開城し、徳川氏に降伏
し、戦国大名としての今川氏は滅びる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1570年 (永禄13年、元亀 元年)。
■ 1570年 (元亀 元年) 元亀(げんき)改元。
1570年4月23日に、 和暦の「永禄」 (えい
ろく、永禄元年〜13年) が、 「 元亀」 (げんき、
元亀元年・1570年・4月23日〜 元亀4年・157
3年・ 7月28日) に改元される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1571年 (元亀2年)。
■ 1571年 (元亀2年)に、武田信玄は、駿河国(す
るがのくに、静岡県中部)を、平定し、領国とする。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1572年 (元亀3年)。
■ 1572年 (元亀3年)に、 武田信玄は、三河国や
遠江国(現・愛知県東部・静岡県西部)へ侵入し、
1572年 (元亀3年)に、 徳川家康は、遠江国の
三方が原で、武田信玄に大敗する。
1572年 (元亀3年)に、武田氏の山県昌景
の軍勢は、三河東部の長篠城を経由して、浜松
城を目指し、武田氏の山県軍は、その進軍ルート
の途中の徳川氏領の井伊谷を攻撃し、撃破する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1573年 (元亀4年)。
■ 1573年 (元亀4年)に、 武田信玄が病に倒れた
ため、武田信玄の武田軍は、 三河国や遠江国
より撤退する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1573年 (元亀4年、天正 元年)。
■ 1573年 (天正 元年) 天正(てんしょう)改元。
1573年7月28日に、 和暦の「元亀」 (げん
き、元亀元年〜4年) が、 「 天正」 (てんしょう、
天正元年・1573年・7月28日〜天正20年・1592
年・12 月 8日) に改元される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1574年 (天正2年)。
■ 井伊直虎(次郎法師)は、 徳川氏に味方するか、
武田氏に味方するか考え、徳川氏を選んだ。
1574年 (天正2年)に、虎松(とらまつ、井
伊直政)が父・井伊直親の法要に出席のため、井
伊谷(いいのや)に帰還した時、直虎(次郎法師)、
直虎(次郎法師)の 母、虎松の母、南渓和尚(瑞
聞)などの親族が集まり、虎松(井伊直政)の将来
について話し合いを行った。 そこで、虎松(井伊
直政)を徳川氏に出仕させることが決まった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1575年 (天正3年)。
■ 1575年(天正3年)に、井伊直政 (いいなおまさ、
1561−1602年)は、 徳川家康の家臣となる。
1575年(天正3年)に、家康の鷹狩り時に、井伊
直親と親交のあった家康が虎松と対面し、家康が気
に入り、家康の家臣とする。
1575年(天正3年)に、更に、徳川家康は、井
伊直政に、井伊谷の旧領回復を許し、井伊氏は、井
伊谷の本領を復活した。
1575年(天正3年)に、井伊直虎(次郎法師)は、
元許婚だった井伊直親(いいなおちか)の遺児で直
虎(次郎法師)の養子の 井伊直政(いいなおまさ、
生没年:1561年ー1602年)を、徳川家康に出仕
(しゅっし)させ、 井伊直政は、名を虎松から、徳川
家康から賜った万千代に改める。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1578年 (天正6年)。
■ 1578年(天正6年)に、井伊直虎(次郎法師)の生
母の祐椿尼(ゆうしゅんに)が、死去する。
■ 1582年 (天正10年)。
■ 1582年(天正10年)に、井伊直政は、元服し、名
を万千代から直政に改め、井伊氏の家督は、井伊
直政(井伊氏当主:1582年ー1602年)が継いだ。
井伊直政は、戦功を重ね、既に、2万石の俸禄
を受けている。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1582年(天正10年)に、井伊直政は、伊賀越え
で徳川家康を警護する。
■ 1582年(天正10年)8月に、井伊直虎は、 死去
する。
■ 井伊 直政
(いい なおまさ)。
■ 井伊 直政。
■ 名称 : 井伊 直政 (いい なおまさ)。
幼名・虎松(とらまつ)。
■ (大名) 《人名》。
■ 井伊氏当主:1582年 ー1602年。
■ 生没年:1561年ー1602年。
■ 徳川家康の重臣。
■ 徳川四天王の一人。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 81239。
□ 井伊氏当主。
■ 安土桃山時代や江戸時代初期に、 井伊直政 (いい
なおまさ、幼名・虎松、生没年:1561年ー1602年)は、
徳川家康の重臣であった。
■ 井伊 直政は、 徳川氏の政治家、外交官であり、 徳川
家康の天下取りを支えた功臣である。
■ 井伊 直政は、 井伊氏発展の基礎を築いた人物であり、
江戸時代に入り、井伊氏は、 譜代大名の筆頭となった。
■ 1565年(永禄8年)に、井伊直虎(次郎法師)は、 井伊
氏の当主(1565年ー1582年)となり、 領地・井伊谷(い
いのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の領主となる。
その後、井伊直虎は、 許婚(いいなずけ)だった井伊
直親の遺児の井伊直政 (いいなおまさ、幼名・虎松、生
没年:1561年ー1602年)を、養子とし、育てる。
また、井伊直虎は、 井伊谷城(いいのやじょう)を奪わ
れたこともあったが、奪還した。
1575年(天正3年)に、井伊直虎は、 許婚だった井伊
直親の遺児で直虎の養子の井伊直政 (いいなおまさ、生
没年:1561年ー1602年)を、徳川家康に出仕(しゅっし)
せさる。
1582年(天正10年)8月に、井伊直虎は、死去する。
井伊氏の家督は、 井伊直政(井伊氏当主:1582年ー16
02年)が継いだ。
井伊 直政は、 徳川氏の政治家、外交官となり、徳川
家康の天下取りを支える功臣となった。
そして、江戸時代に入り、井伊氏は、 譜代大名の筆頭
となった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊 直政は、 親類の井伊直 虎((次郎法師、井伊氏
女性 暫定当主、井伊谷領主)に 、直虎(次郎法師)の
養子として、育てられた。
井伊直虎(次郎法師)は、 徳川家康重臣・井伊
直政(いいなおまさ)の養母である。
徳川家康重臣・井伊直政は、 井伊直虎(次郎法
師)の父・井伊直盛(なおもり)のいとこ・井伊直親(な
おちか)の男子である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊 直政は、 徳川家康重臣であり、 徳川四天王の
1人である。
井伊 直政の軍勢は、 滅亡した武田氏の遺臣を
数多く召抱え、強力となり、「井伊の赤備え」と恐れられ
た。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊 直政は、 江戸時代初期に、 徳川氏の譜代大
名としての基礎を築く。
井伊 直政は、1575年(天正3年)より徳川 家康
に仕(つか)え、 大功をたて、 関ヶ原の戦いの後、
徳川 家康より近江国佐和山・18万石に封じらる。
その後、井伊氏は、 近江国彦根藩主となり、徳
川譜代最有力大名となる。
● 井伊 直政の子(長男)の井伊 直勝のとき、徳川 氏に
より、近江国彦根に転封(てんぽう)となり、 井 伊氏
は、近江国彦根藩主となる。
後に、井伊氏の近江国彦根藩は、江戸時代に、譜
代大名最高の35万石となり、 徳川譜代最有力大名
となり、 たびたび、大老(たいろう)を出した。 その中
でも、幕末の井伊直弼(いいなおすけ)は、有名である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
#iinaomasa-theheadsoftheiiclan
■ 井伊氏当主。
THE HEADS OF THE I I CLAN.
■ 井伊氏当主の変遷。
室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、江戸
時代初期の井伊氏当主の変遷。
(1) 井伊直平⇒ (2) 井伊直宗⇒ (3) 井伊直盛
⇒ (4) 井伊直親⇒ (5) 井伊直虎(次郎法師)⇒
(6) 井伊直政⇒ (7) 井伊直勝⇒ (8) 井伊直孝。
■ 井伊氏当主は、 (1) 井伊 直平 (いい なおひ
ら、井伊氏の第20代当主)、 (2) 井伊 直宗 (いい
なおむね、井伊直平男子、井伊氏の第21代当主)、
(3) 井伊直盛 (いい なおもり、井伊直宗男子、井伊
氏第22代当主:1542−1560年)、 (4) 井伊直親
(いい なおちか、井伊直盛のいとこ、井伊氏第23代当
主:1560ー1562年)、 (5) 井伊直虎 (いい なお
とら、次郎法師、井伊直盛娘、井伊氏暫定当主:1565
ー1582年)、 (6) 井伊直 政 (いいなおまさ、井伊
直親長男、井伊氏第24代当主:1582ー1602年)、
(7) 井伊直勝(いい なおかつ、 井伊直政長男、井伊
氏第25代当主:1602ー1615年)、 (8) 井伊直孝
(いい なおたか、井伊直政次男、井伊氏第26代当主:
1615ー1659年) である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (1) 井伊氏の第20代当主・井伊 直平。
井伊 直平 (いい なおひら、1479年または1489
年ー1563年) は、 井伊直虎 (いいなおとら、次郎
法師(じろうほうし)) の曾祖父(そうそふ)であり、 井
伊氏の第20代当主であり、遠江国・井伊谷 (とおとう
みのくに・いいのや、現・静岡県浜松市井伊谷)の国人
領主である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (2) 井伊氏の第21代当主・井伊 直宗。
井伊 直宗 (いい なおむね、生年不詳ー1542年)
は、 井伊直虎(なおとら、次郎法師)の祖父であり、
井伊氏の第21代当主であり、 遠江国・井伊谷の国
人領主である。
● 井伊 直宗は、 今川義元の田原城(たはらじょう)攻
めに参加し、1542年(天文11年)に戦死する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (3) 井伊氏の第22代当主・井伊 直盛。
井伊 直盛 (いい なおもり、生没年:1506年ま
たは1526年ー1560年) は、 井伊直虎(なおとら、
次郎法師)の父であり、 井伊氏の第22代当主(井伊
氏当主:1542年−1560年)であり、 遠江国・井伊
谷の国人領主である。
● 井伊 直盛は、 今川義元に従軍し、桶狭間の戦いに
参加し、1560年(永禄3年)に戦死する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (4) 井伊氏の第23代当主・井伊 直親。
井伊 直親 (いい なおちか、幼名:亀之丞(かめ
のじょう)、生没年:1535年ー1562年) は、 井伊直
虎(次郎法師)の元許婚(もといいなずけ)であり、 井
伊直平(なおひら)の次男・井伊直満(なおみつ)の子
であり、 井伊直虎(いいなおとら、次郎法師)の大叔
父・井伊直満の子であり、 井伊 直政(幼名:虎松)の
父であり、 井伊氏の第23代当 主(井伊氏当主:15
60ー1562年)であり、 遠江国・井伊谷の国人領主
である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (5) 井伊氏の暫定当主・井伊 直虎(次郎法師)。
井伊直虎 (いい なおとら、次郎法師、生年不詳
ー1582年) は、 井伊 直盛(なおもり)の娘であり、
井伊氏の暫定当主 (井伊氏暫定当主:1565年ー
1582年) であり、年少の井伊 直政(幼名:虎松)の
代理当主であり、 遠江国・井伊谷の女性国人領主
(1565ー1568年、1575ー1582年)であった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (6) 井伊氏の第24代当主・井伊 直政。
井伊 直政 (いい なおまさ、幼名:虎松、万千代、
生没年:1561年ー1602年) は、 井伊 直親(なお
ちか)の男子であり、 井伊直虎(次郎法師)の養子、
又従兄弟(またいとこ)であり、 井伊氏の第24代当
主(井伊氏当主:1582年ー1602年)であり、 遠江
国・井伊谷の国人領主であり、 後に、1590年に上
野国箕輪(こうずけのくに・みのわ)12万石の大名と
なり、1600年に近江国・佐和山(おうみのくに・さわ
やま)18万石の大名(1600−1602年)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (7) 井伊氏の第25代当主・井伊 直勝。
井伊 直勝(いい なおかつ、前名:井伊直継(なお
つぐ)、生没年:1590年ー1662年) は、 井伊 直政
(なおまさ)の長男であり、 井伊氏の第25代当主(井
伊氏当主:1602ー1615年)であり、 近江国・佐和
山18万石の大名(1602ー1606年)であり、 後に
近江国・彦根藩・藩主(藩主:1606年ー1615年)(大
名)となる。 その後、1615年に、主君・徳川家康の
命令で、井伊氏分家として、上野国安中 (こうずけの
くに・あんなか・現・群馬県安中)3万石へ転封(てん
ぽう)となる。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ (8) 井伊氏の第26代当主・井伊 直孝。
井伊直孝 (いい なおたか、生没年:1590年ー
1659年) は、 井伊 直政(なおまさ)の次男であり、
井伊氏の第26代当主(井伊氏当主:1615ー1659
年)であり、 近江国・彦根藩藩主(藩主:16 15年ー
1659年)(大名)であり、1633年(寛永10年)に譜代
大名最高の30万石に加増される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
♪♪ 井伊直政が登場する、興味深 い、ドキ
ュメタンリー、ドラマ、 映画。
★ 井伊直政が登場する、興味深 い、ドラマ、
映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 おんな城主 直虎 (おんなじょう
しゅ なおとら) 』。
(NHKテレビ・2017年大河ドラマ)。
■ 日本の室町時代後期(戦国時代)、安土桃
山時代を描いたドラマ。
■ 井伊直政を描く。
● ドラマで「井伊直政」 (いいなおまさ、井伊
直虎(いいなおとら)の養子で、直虎のはと
こ・井伊直親(いいなおちか)の長男) を演
じる俳優 : 菅田 将暉 (すだ まさき)。
■ 『 軍師 官兵衛 (ぐんし かんべえ) 』。
(NHKテレビ・2014年大河ドラマ)。
■ 日本の室町時代後期(戦国時代)、安土桃山
時代、江戸時代初期を描いたドラマ。
■ 「井伊直政」を描く。
● 井伊直政を演じた俳優 :
東 幹久 (あずま みきひさ)。
■ 井伊 直弼
(いい なおすけ)。
■ 井伊 直弼。
■ 名称 : 井伊 直弼 (いい なおすけ)。
■ 生没年 : 1815年〜1860年。
■ 幕末の政治家。 譜代(ふだい)大名。
近江国(おうみのくの、現在の滋賀県) の、
彦根藩主(ひこねはんしゅ)。
■ 彦根藩主。 江戸幕府の大老 (大老就任
1858〜60年)。
■ 幕末 (江戸時代末期)に関しては、当日本
(ばくまつねんぴょう) 』 を参照して下さい。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
□ 関連項目。
■ 井伊 直弼は、 徳川氏・譜代大名の彦根藩主で
あり、 江戸幕府の大老となり、欧米列強と修好通
商条約を結び、開国の道を開き、尊皇攘夷運動に
目を光らせ、 幕府の方針に反抗する勢力を次々
と粛清し、 安政の大獄では吉田松陰ら反抗分子
を処刑し、 その強引な手腕は多くの反発を招き、
1860年3月に、水戸藩士らによって、桜田門前で
暗殺される。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 井伊 直弼 (いい なおすけ、生没年 1815
〜60年) は、 幕末の政治家で、 譜代(ふ
だい)大名 である。
■ 井伊 直弼 は、 近江国(おうみのくの、現在
の滋賀県) の、彦根藩主(ひこねはんしゅ)で、
江戸幕府の大老 (大老就任185 8〜60年)
となった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ @ 1858年(安政5年)、大老に就任。
● 井伊 直弼 (いい なおすけ) は、 1858年、
紀州藩主・徳川慶福 (とくがわよしとみ、徳川
家茂) を、 将軍継嗣 (将軍の跡継ぎ、14代
将軍) に決定する。 そして、 徳川家茂(いえ
もち、徳川慶福) は、13代将軍・徳川家定(い
えさだ) の養子となった。
● 井伊 直弼 は、1858年(安政5年)、米、蘭、
露、英、仏 と不平等条約の修好通商 条約(安
政の5か国条約) を結び、調印した。
● 井伊 直弼 は、1858年、勅許(ちょっきょ、
天皇の許可)を得ないで、 安政の5か国条
約に調印した。 条約勅許問題。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1858年の修好通商条約(安政五か国条約)
は、領事裁判権を認める、関税自主権がない、
などといった不平等条約 であった。
その後の長年の度重なる、条約改正交渉の
結果、やっと、五か国条約の不平等な部分が
解消されたのは、日露戦争後の、1911年(明
治44年)のことであった。
その一例として、幕末の不平等条約である
日米修好通商条約の不平等な部分が解消され
たのは、 1911年(明治44年)であった。 明
(こむらじゅたろう) が、アメリカと条約改正の
交渉を行い、 1911年に、日米通商航海条約
を調印し、関税自主権の回復を果たした。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ A 1858年、井伊直弼の専断を非難する世
論がたかまった。
■ B 「 安政の大獄 」
(1858〜59年の井伊直弼の弾圧政策)。
● 井伊 直弼 は、 1858〜59年に、安政の
大獄(あんせいのたいごく)を起こして、井伊
反対派を弾圧して、 幕府強化をはかった。
そして、井伊反対の勢力は衰えた。
● 井伊 直弼 は、 一橋派(14代将軍に一橋
府役人、大名や公家とその活動を行った家臣
を処罰した。
● 井伊 直弼は、 反井伊、反幕府、尊王攘夷
派の公卿、大名や、 それらの家臣や、志士
の逮捕、処罰を、大量に行った。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ C 「桜田門外の変」 (さくらだもんがいのへ
ん)。 (1860年の井伊直弼暗殺事件)。
● 1860年、 安政の大獄に憤慨(ふんがい)し
た水戸・薩摩藩出身の浪士ら18人の同志が、
井伊直弼を襲撃し、 井伊直弼 は、江戸城桜
田門外にて、殺害された。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 関連項目。
■ 一橋慶喜 (徳川慶喜)、 徳川家定 (江戸幕
府13代将軍)、 大奥(江戸幕府・大奥)、 本
寿院 (徳川家定の生母)、 天璋章・篤姫 (徳
川家定の正室)、 徳川家茂 (徳川慶福、 江
戸幕府14代将軍)、 に関しては、 当日本史辞
川家茂 (とくがわいえもち) 』 を参照して下さ
い。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
♪♪ 井伊 直弼(なおすけ) が登場する、興味
深いドキュメンタリー、ドラマ、 映画。
★ 井伊 直弼 が登場する、興味深い、ドラ
マ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 花燃ゆ (はなもゆ) 』 。
(NHKテレビ・2015年大河ドラマ)。
■ 日本の明治維新、幕末、明治時代の時代
状況やその時代に活躍した人々を描く。
■ 吉田松陰の妹・文(ふみ)の生涯を描く。
● 井伊直弼を演じる俳優 :
高橋 英樹 (たかはし ひでき)。
井伊直弼 ( いいなおすけ)は、幕末の
江戸幕府の大老(たいろう)で、安政の大獄
で吉田松陰を処刑する。
■ 『 八重の桜 (やえのさくら) 』 。
(NHKテレビ・2013年大河ドラマ)。
● 日本の幕末、明治時代を描いた、ドラマ。
■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』 。
(NHKテレビ・2010年大河ドラマ)。
■ 日本の幕末の時代状況やその時代に活躍
した人々を描く。
■ 『 篤姫 (あつひめ) 』 。
(NHKテレビ・2008年大河ドラマ)。
● 井伊 直弼を演じた俳優名 : 中村 梅雀。
■ 『 大奥・幕末の女たち 』。
(フジテレビ・2003、2004年制作
テレビドラマ)。
● 井伊 直弼を演じた俳優名 : 窪田 弘和。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上