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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

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◆ カナヤマ 江戸幕府 大奥ガイドブック。

     KANAYAMA’S GUIDEBOOK ON THE 

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   TOKUGAWA (EDO) SHOGUNATE 

   GOVERNMENT

 

 

   (Kjhh)41519

  カナヤマ  

  江戸幕府 大奥

  関連 年代順

  出来事ブック。 』

 

 

  ■ パソコン(PC)、 携帯用パソコン(PC)、

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メ ニュー (目次)。  

 ■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。

 

 

 □ 江戸幕府・大奥 関連

    年代順 出来事ブック

    (総合)

 

 

 □ 江戸幕府・大奥 関連

       年代順出来事

    (各年・詳細)

 

  □ 1603年〜1868年の出来事

 

 

 □ 江戸幕府・大奥 関連

    出来事(概要・総合)

 

  □ 江戸幕府・大奥 関連

     出来事 (概要・

        テーマ別各事柄)

 

   □ 江戸幕府の将軍

     (初代〜第15代)

 

   □ 江戸幕府大奥

      時期別各編

 

     □ ≪1603年〜1651年≫

      江戸幕府・将軍の徳川家康

      (初代)、徳川秀忠(2代)、

       徳川家光(3代)の治世の

           大奥

 

     □ ≪1680年〜1709年≫

      江戸幕府の5代将軍・徳川

      綱吉の治世の大奥

 

     □ ≪1713年〜1716年≫

      江戸幕府の7代将軍・徳川

      家継の治世の大奥

 

     □ 〈1714年〉 絵島生島事件

 

     □ ≪1787年〜1837年≫

         江戸幕府の11代将軍・徳川

      家斉の治世の大奥

 

     □ ≪1853年〜1867年≫

      江戸幕府・将軍の徳川家定

      (13代)、徳川家茂(14代)、

       徳川慶喜(15代)の治世の

       大奥

 

     □ 最後の大奥の実力者の

       院・篤姫

 

 

 □ 江戸幕府・大奥ガイド 

    ブック

 

  ■ 江戸幕府 (概要・ テーマ別

     各事柄)。

 

   □ 大奥の実情。

   □ 江戸時代の実情。

 

   □ 江戸時代の女性の社会的地位

   □ 大奥法度や大奥事情。

   □ 大奥の主な出来事。

   □ 将軍の母や夫人や大奥・御年寄。

   □ 大奥での権力争い。

   □ 将軍の子づくり、女性選び。

   □ 大奥の争いのパターン。

 

 

 

 

  ■ 江戸幕府・大奥と同時代近く

    の関係史料。

 

   □ 江戸幕府ガイドブック

    □ 江戸幕府 関連年代順出来事

          ブック。 

 

      □ 徳川氏 画像アルバム No.1

 

 

  ■ 江戸幕府・大奥前期近く

    の関係史料。

 

  □ 徳川家康ガイドブック 

  □ 徳川家康 関連年代順出来事

     ブック。   

 

  □ 豊臣秀吉ガイドブック  

  □ 豊臣秀吉 関連年代順出来事

     ブック

 

  □ 「 史実(新説)関ヶ原の戦い

     (= 大垣・山中の戦い)」画像

     アルバム No.2

 

  □ 「 伝説(従来説)関ヶ原の戦い」

      画像アルバム No.3 

 

  □ 徳川家康 画像 No.1

 

 

  ■ 江戸幕府・大奥後期近く

    の関係史料。 

 

   □ 天璋院・篤姫 ガイドブック

   □ 天璋院・篤姫 関連年代順

           出来事ブック

 

   □ 西郷 隆盛ガイドブック。    

   □ 西郷隆盛 関連年代順出来事

     ブック

 

   □ 坂本龍馬ガイドブック。   

   □ 坂本龍馬 関連年代順出来事

     ブック。 

 

  □ 幕末・詳細年表 

 

  □ 幕末日本政治・政争変遷

     一覧表

 

  □ 明治維新 詳細年表。 

     (1841年頃〜1877年頃)。

 

 

 

 □ 江戸幕府・大奥・関連

    年代順出来事ブック

       の内容

 

 

   

   ○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の

      書籍販促用PRフォト。

   ○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト

           (宮崎あおいが演じる天璋院・篤姫)。

   ○ 幕末の大奥の実力者の天璋院・篤姫

     (てんしょういん・あつひめ、篤姫役:

      宮崎あおい)。  

 

 

 ■ 上位のWEBサイト。 

 □ (KOH) カナヤマ オフィシャル >

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 □ (Cse)  国際理解総合サイト     >

          われら地球市民

 □ (Ke)   百科事典。         >

 □ (Khh)  歴史学ハンドブック。    > 

 □ (Kjhh) 日本史ハンドブック   > 

 □ (Kjhh)  江戸幕府 大奥 ガイド    > 

          ブック

 □ (Kjhh)  江戸幕府・大奥 関連   > 

          年代順出来事ブック

 □ (Kjhh)  この日本語ページ。

 

 ■ カナヤマ 主要 公式ホームページ

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   KOH  CSE   UCF   KHAS (KASH)

   CCF  KBIH   KPH    HCF  KANH

     QGN  KWDB  TTFW  TTWH  AWM

     KGJ   KJHH  KH H   KCB  KCTS

     I MB  KHIB  RH  KIOS  KE  LKOH 

    GIMEH   ETCSS   GIMJH   JTCSS

 

  □ 主要サイトの略語・説明表

 

 

 

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◆ カナヤマ  江戸幕府 大奥

   ガイドブック。

 

 ■ 当ホームページの制作・著作権 TKKI カナヤマ。

 

 

#jpcontentsofthisbook

 

◆ 当書籍の内容。

 

 

  ■ 江戸幕府 大奥の、初学者・初心者向

   インターネット用 電子書籍

 

  ■ パソコン(PC)、携帯用パソコン、タブレ

    ット端末(PC)、スマートフォン、ウエアラ

    ブル端末、スマートテレビ 用電子書籍。

 

  ■ 江戸幕府 大奥 ガイドブック。

 

  ■ 初学者・初心者用 オンライン 江戸幕府  

   大奥ガイドブック。

 

  ■ 江戸幕府 大奥 の 入門 ガイドブック。

 

  ■ 江戸幕府 大奥 (えどばくふ おおおく) 

   関連 初学者・初心者向 インターネット用 

   オンライン書籍(ブック)。

 

  ■ この電子書籍1冊で (この本1冊で)、 

   江戸幕府の、大奥のこと(概略)が、一通り、

   わかる。 

 

  ■ 江戸時代に、 江戸幕府の将軍が、 最高

   権力者として、日本を支配していた。  

     そして、江戸幕府の後宮の大奥にいる

   将軍の母や夫人も、将軍と共に、日本の政

   治を動かしていた。

 

  ■ TKKI カナヤマ著 江戸幕府・大奥  

   ガイドブック。

 

 

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#jphappenings

 

 

   Kjhh) 

   江戸幕府・大奥

   関連年代順

   出来事ブック

   (総合)。

 

  ○ 『 さあ、江戸幕府 大奥に関連

      する様々な出来事をみてみ

      よう。 』

 

 

#jphappenings/eachyear

 

 

◆ 江戸幕府・大奥

   関連年代順

   出来事

     (各年・詳細)。

 

 ■ 江戸幕府・大奥

    関連年代順出来事 

       (詳細項目)。

 

  □ 1603年〜1605年の出来事

 

  □ 1605年〜1623年の出来事

 

  □ 1623年〜1651年の出来事

 

  □ 1651年〜1680年の出来事

 

  □ 1680年〜1709年の出来事

 

  □ 1709年〜1713年の出来事

 

  □ 1713年〜1716年の出来事

 

  □ 1716年〜1745年の出来事

 

  □ 1745年〜1760年の出来事

 

  □ 1760年〜1787年の出来事

 

  □ 1787年〜1837年の出来事

 

  □ 1837年〜1853年の出来事

 

  □ 1853年〜1858年の出来事

 

  □ 1858年〜1866年の出来事

 

  □ 1866年〜1867年の出来事

 

  □ 1867年〜1868年の出来事

 

 

 

 

 

 □ 江戸幕府の将軍(初代

    〜第15代)

 

 

 □ 江戸幕府 大奥 ガイド 

    ブック

 

 

 □ 江戸幕府ガイドブック 

 

 

 □ 江戸幕府大奥

    時期別各編

 

    □ ≪1603年〜1651年≫

     江戸幕府・将軍の徳川家康

     (初代)、徳川秀忠(2代)、

      徳川家光(3代)の治世の

          大奥

 

    □ ≪1680年〜1709年≫

     江戸幕府の5代将軍・徳川

     綱吉の治世の大奥

 

    □ ≪1713年〜1716年≫

     江戸幕府の7代将軍・徳川

     家継の治世の大奥

 

    □ 〈1714年〉 絵島生島事件

 

    □ ≪1787年〜1837年≫

        江戸幕府の11代将軍・徳川

     家斉の治世の大奥

 

    □ ≪1853年〜1867年≫

     江戸幕府・将軍の徳川家定

     (13代)、徳川家茂(14代)、

      徳川慶喜(15代)の治世の

      大奥

 

    □ 最後の大奥の実力者の

      院・篤姫

 

 

  ■ 江戸幕府・大奥と同時代の関係史料。

 

   □ 江戸幕府ガイドブック

    □ 江戸幕府 関連年代順出来事

          ブック。 

 

      □ 徳川氏 画像アルバム No.1

 

 

  ■ 江戸幕府・大奥前期近くの関係史料。

 

  □ 徳川家康ガイドブック 

  □ 徳川家康 関連年代順出来事

     ブック。   

 

  □ 「 史実(新説)関ヶ原の戦い

     (= 大垣・山中の戦い)」画像

     アルバム No.2

 

  □ 「 伝説(従来説)関ヶ原の戦い」

      画像アルバム No.3 

 

  □ 徳川家康 画像 No.1

 

 

 ■ 江戸幕府・大奥末期近くの関係史料。 

 

   □ 天璋院・篤姫 ガイドブック

   □ 天璋院・篤姫 関連年代順

           出来事ブック

 

   □ 西郷 隆盛ガイドブック。    

   □ 西郷隆盛 関連年代順出来事

     ブック

 

  □ 幕末日本政治・政争変遷

     一覧表

 

 

 

 ■ 備考。

 

  ■ 当書籍では、 歴史の出来事の5W1H

    (いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どの

    ように) や、 歴史の出来事の流れ(原因

    理由⇒事件勃発⇒経過⇒結果⇒原因理

    由)に沿って、歴史(過去)の出来事を分か

    り易く、説明している。

 

 ■ より理解を深めるために、 本史辞典の、 

   「日本の政権・政府」、 「武家政権」、 「幕府」、

   「将軍」、 「大名」、「」、「藩主」、

   「徳川(氏)政権」、

    徳川家康 ( とくがわいえやす)、

    豊臣秀吉 (と よとみひでよし)、 

   の項目も参照してください。

 

  ■ 西暦・和暦の記載。

  ● この年代順出来事は、

    西暦を先に、その後ろの( )内に和暦を記載し

    ている。 

  ● この年代順出来事に記載されている日付(年

    月日)は、 一般の歴史書で使用されているの

    と同じように、1872年(明治5年)以前は旧暦

    (太陰太陽暦)を用い、 1873年(明治6年)

    以後は新暦(太陽暦)を用いている。 

 

 

  ◆ では、江戸幕府・大奥に関係する出来事を、

    年代順に、見てみよう。

 

  ■ さあ、江戸幕府・大奥に関する様々な出来事を

    見てみよう。

 

  ● 歴史学の立場から、江戸幕府・大奥の実像を

    見てみよう。

 

  ● 歴史学の立場から、年代を追って、江戸幕府・

    大奥の実像を見てみよう (歴史の物事には、

    虚像と実像があるが)。

 

  ■ 日付は、一般の歴史書と同様に全て旧暦

    ある。

 

  ■ 現代も、過去の時代も、人間は、利害と感情

    (友愛)と理性等で行動し、富、名誉、権力等

    を手に入れるために努力する。 

       人類の歴史は、 平和と戦争の歴史で

    ある。 人は、美しき者、平和を好む者であり、

    人は、醜き者、争う者でもある。

 

 

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◆ 江戸幕府・大奥

   関連 年代順

   出来事

     (各年・詳細)。

 

  ■ 『 では、年代を追って、江戸幕府の活動

      を詳しく見てみよう。 』

 

 

#jphappenings-1603

 

 

 ■ 1603年 (慶長8年)

 

  ■ 徳川 家康・江戸幕府の初代将軍 就任。

  ● 1603年(慶長8年)2月12日に、徳川 家康 

    (とくがわ いえやす、安国院、東照大権現、

    生没年:1542年〜1616年) は、 江戸  

    幕府(= 徳川幕府)の初代将軍 (将軍在任:

    1603年〜1605年)に就任する  

 

  ■ 徳川 家康は、 三河国 (みかわのくに、現・

    愛知県東部の相当地域)の岡崎城主・松平

    広忠(ひろただ)の子である。

 

  ■ 徳川 家康は、 徳川本家(宗家)当主 (15

    66年〜1605年)である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1605

 

 

 ■ 1605年 (慶長10年)

 

  ■ 徳川 秀忠・江戸幕府の第2代将軍就任。

  ● 1605年(慶長10年)に、徳川 秀忠 (と

    くがわ ひでただ、台徳院、生没年:1579

    年〜1632年)は、 江戸幕府(= 徳川幕

    府)の、2代将軍 (将軍在任:1605年

    〜1623年)に就任する。

 

  ■ 徳川 秀忠は、 江戸幕府の初代将軍・徳

    川家康(いえやす)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1623

 

 

 ■ 1623年 (元和9年)

 

  ■ 徳川 家光・江戸幕府の第 3代将軍就任。

  ● 1623年(元和9年)に、徳川 家光 (とく

    がわ いえみつ、大猷院(だいゆういん)、

    生没年:1604年〜1651年) は、 江戸

    幕府(= 徳川幕府)の3代将軍  (将軍

    在任:1623年〜1651年)に就任する。

    

  ■ 徳川 家光は、 江戸幕府の第2代将軍・

    徳川秀忠(ひでただ)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1651

 

 

 ■ 1651年 (慶安4年)

 

  ■ 徳川 家綱・江戸幕府の第 4代将軍就任。

  ● 1651年(慶安4年)に、徳川 家綱 (とく

    がわ いえつな、厳有院、生没年:1641年

    〜1680年) は、 江戸幕府(= 徳川幕府)

    の4代将軍 (将軍在任:1651年〜16

    80年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家綱は、 江戸幕府の第3代将軍・

    徳川家光(いえみつ)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1680

 

 

 ■ 1680年 (延宝8年)

 

  ■ 徳川 綱吉・江戸幕府の第 5代将軍就任。

  ● 1680年(延宝8年)に、徳川 綱吉 (とく

    がわ つなよし、常憲院、生没年:1646年

    〜1709年) は、 江戸幕府(= 徳川幕府)

    の5代将軍 (将軍在任:1680年〜17

    09年)に就任する。

 

  ■ 徳川 綱吉は、 館林徳川家(たてばやし

    とくがわけ)出身であり、 江戸幕府の第3

    代将軍・徳川家光(いえみつ)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1709

 

 

 ■ 1709年 (宝永6年)

 

  ■ 徳川 家宣・江戸幕府の第 6代将軍就任。

  ● 1709年(宝永6年)に、徳川 家宣 (とくが

    わ いえのぶ、文昭院、生没年:1662年〜

    1712年) は、 江戸幕府(= 徳川幕府)の  

    6代将軍 (将軍在任:1709年〜1712

    年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家宣は、 甲府徳川家 (こうふとくが

    わけ)出身であり、  江戸幕府の第3代将

    軍・徳川家光(いえみつ)の孫である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1713

 

 

 ■ 1713年 (正徳3年)

 

  ■ 徳川 家継・江戸幕府の第 7代将軍就任。

  ● 1713年(正徳3年)に、徳川 家継 (とくが

    わ いえつぐ、有章院、生没年:1709年〜

    1716年)  は、 江戸幕府(= 徳川幕府)の  

    7代将軍(将軍在任:1713年〜1716年)

    に就任する。

 

  ■ 徳川 家継は、 江戸幕府の第6代将軍・家

    宣(いえのぶ)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1716

 

 

 ■ 1716年 (享保元年)

 

  ■ 徳川 吉宗・江戸幕府の第 8代将軍就任。

  ● 1716年(享保元年)に、徳川 吉宗 (とく

    がわ よしむね、有徳院、生没年:1684年

    〜1751年)  は、 江戸幕府(= 徳川幕府)

    の8代将軍  (将軍在任:1716年〜17

    45年)に就任する。

 

  ■ 徳川 吉宗は、 紀伊藩・藩主であり、 紀州

    徳川家 (きしゅうとくがわけ、紀伊徳川氏の

    一族)出身であり、 江戸幕府の初代将軍・

    徳川家康(いえやす)の曾孫(ひまご)である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1745

 

 

 ■ 1745年 (延享2年)

 

  ■ 徳川 家重・江戸幕府の第 9代将軍就任。

  ● 1745年(延享2年)に、徳川 家重 (とくが

    わ いえしげ、惇信(しゅんしんいん)、生没年:

    1711年〜1761年) は、 江戸幕府(= 徳川

    幕府)の9代将軍  (将軍在任:1745年〜

    1760年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家重は、 江戸幕府の第8代将軍・

    徳川吉宗(よしむね)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1760

 

 

 ■ 1760年 (宝暦10年)

 

  ■ 徳川 家治・江戸幕府の第 10代将軍就任。

  ● 1760年(宝暦10年)に、徳川 家治 (と

    くがわ いえはる、淩明院(りょうめいいん)、

    生没年:1737年〜1786年 は、 江戸

    幕府(= 徳川幕府)の10代将軍 (将軍

    在任:1760年〜1786年)に就任する。

              

  ■ 徳川 家治は、 江戸幕府の第9代将軍・

    徳川家重(いえしげ)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1787

 

 

 ■ 1787年 (文明7年)

 

  ■ 徳川 家斉・江戸幕府の第 11代将軍就任。

  ● 1787年(文明7年)に、徳川 家斉 (とくが

    わ いえなり、文院(ぶんきょういん)、生没

    年:1773年〜1841年) は、 江戸幕府(=

    徳川幕府)の11代将軍(将軍在任:17

    87年〜1837年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家斉は、 一橋徳川家(ひとつばしと

    くがわけ、一橋徳川氏の一族)出身であり、

    江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の曾孫

    (ひまご)である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1837

 

 

 ■ 1837年 (天保8年)

 

  ■ 徳川 家慶・江戸幕府の第 12代将軍就任。

  ● 1837年(天保8年)に、徳川 家慶 (とくが

    わ いえよし、慎徳院、生没年:1793年〜

    1853年は、 江戸幕府(= 徳川幕府)の

    12代将軍 (将軍在任:1837年〜1853

    年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家慶は、 江戸幕府の第11代将軍・

    徳川家斉(いえなり)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1853

 

 

 ■ 1853年 (嘉永6年)

 

  ■ 徳川 家定・江戸幕府の第 13代将軍就任。

  ● 1853年(嘉永6年)に、徳川 家定 (とくが

    わ いえさだ、温院(おんきょういん)、生没

    年:1824年〜1858年) は、 江戸幕府

    (= 徳川幕府)の13代将軍 (将軍在任:

    1853年〜1858年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家定は、 江戸幕府の第12代将軍・

    家慶(いえよし)の子である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1858

 

 

 ■ 1858年 (安政5年)

 

  ■ 徳川 家茂・江戸幕府の第 14代将軍就任。

  ● 1858年(安政5年)に、徳川 家茂 (とく

    がわ いえもち、昭徳院、生没年:1846年

    〜1866年)は、 江戸幕府(= 徳川幕府) 

    14代将軍 (将軍在任:1858年〜

    1866年)に就任する。

 

  ■ 徳川 家茂は、 紀州徳川家(紀伊徳川氏

    の一族)出身であり、 江戸幕府の第11代

    将軍・家斉(いえなり)の孫である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

 

#jphappenings-1866

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年)

 

  ■ 徳川 慶喜・江戸幕府の第 15代将軍就任。

  ● 1866年(慶応2年)に、徳川 慶喜 (とくが

    わ よしのぶ、= 一橋(ひとつばし)慶喜、神道

    に改宗・仏教の院号なし、生没年:1837年

    〜1913年)は、 江戸幕府(= 徳川幕府)の

    15代将軍 (将軍在任:1866年〜1867

    年)に就任する。

 

  ■ 徳川 慶喜は、 水戸徳川家、一橋徳川家出

    身であり、 水戸徳川家(水戸徳川氏の一族)

    の水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の子であり、

    一橋徳川家に養子に入る。

 

  ■ 徳川 慶喜は、 徳川本家(宗家)当主(当主:

    1866年〜1868年)である。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

#jphappenings-1867

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 10月。   

 

  ● 江戸幕府が終わる。

  ■ 大政奉還(たいせいほうかん)とは、江戸幕府

    (徳川氏)の朝廷への政権返上である。

       大政奉還とは、江戸幕府(徳川氏)が政権

    朝廷に返上し、 列藩会議を設置し、徳川氏

    宗家当主の徳川慶喜が諸侯の一員として、

    その列藩会議に参画することなどである。

 

  ■ 大政奉還の実施。

  ● 1867年(慶応3年)10月15日に、江戸幕府・

    第15代将軍の徳川慶喜は、大政奉還 (たい

    せいほうかん、江戸幕府の政権を朝廷へ返上)

    を行う。  

 

  ● 徳川慶喜は、1867年(慶応3年)10月14日

    に、政権返上を明治天皇に奏上し、10月15日

    に勅許される。

 

  ■ 一方、武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛や大

    久保利道は、 徳川慶喜が易々と大政奉還を

    受け入れ政権を手放すはずがないと考え、

    1867年(慶応3年)10月14日に、討幕の密

    勅(みっちょく)(朝廷が薩長藩主に出した討幕

    の密勅)を得るが、徳川慶喜が大政奉還を受け

    入れたため、一時的に武力討幕を中止する。

 

  ■ 坂本龍馬の提案(船中八策等)をもとに、土佐

    藩参政・後藤象二郎が前土佐藩主・山内容堂

    を説いて、土佐藩の進言により、徳川慶喜は、

    大政奉還を行う。

 

  ■ 徳川慶喜は、 江戸幕府(徳川氏)の政権返

    上後、政治運営や外交のノーハウがない朝廷

    は、 旧江戸幕府の徳川氏に政権を任せると

    考え、 徳川慶喜の狙いは、政権返上後の実

    質的 な徳川氏支配の再構築にあり、 徳川

    慶喜は、列藩会議を主導して、日本の政治の

    主導権を握れると考えていた。 

       ところが、1867年 (慶応3年)の12月

    9日の王政復古のクーデターにより、薩長の

    武力討幕派が、政治の主導権を握ってしまっ

    た。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 12月。   

 

  ● 王政復古の大号令が出される。

  ● 日本近代政府が樹立される。

  ■ 1867年(慶応3年)12月9日に、王政復古の

    大号令が出される。 

  ■ 王政復古の大号令により、 日本近代政府が

    樹立される。

 

  ■ 王政復古の大号令により、 江戸幕府の廃絶

    と新政府の樹立が宣言され、 政権運営は、

    新たな三職 (さんしょく、総裁、議定(ぎじょう)、

    参与(さんよ)) によって行う事が決定された。

 

  ■ 12月9日の新政府の初めての会議である、小

    御所会議(こごしょかいぎ)で、新政府は、旧幕

    府・将軍の徳川慶喜の官位剥奪と領地没収を

    決定したが、その後、12月24日に、新政府は、

    徳川慶喜の官位辞退、領地保有、新政府の議

    定(ぎじょう)職就任を決定し、徳川慶喜は、安

    心する。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

 ■ 1868年 (慶応4年) 4月。   

 

  ■ 1868年(慶応4年)4月に、江戸幕府は、

    明治新政府(近代日本政府)に、江戸城

    を無血開城し、領地を引き渡して、実質上

    滅亡する。

 

  ● 1867年(慶応3年)10月に、 徳川慶喜

    (とくがわよしのぶ 、江戸幕府・15代将軍)

    が、大政奉還(たいせいほうかん、政権を朝

    廷に返上)を行ない、江戸幕府は、名目上

    消滅するが、 1868年(慶応4年)4月の

    江戸城無血開城で、江戸幕府は、名実とも

    に、滅亡する。

    

 

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#jphappenings/summary

 

 

◆ 江戸幕府・大奥

   関連 出来事

   (概要・総合)。

 

 

#jphappenings/summary-a

 

 

◆ 江戸幕府・大奥

   関連 出来事 

   (概要・テーマ別

      各事柄)。

 

 

  □ 江戸幕府の将軍

        (初代〜第15代)

 

  □ 江戸幕府大奥

     時期別各編

 

 

#jphappenings/summary-Org2110

#jphappenings/summary-s

 

 

◆ 江戸幕府・将軍

   (初代〜第15代)

   就任表。

 

 

  ■ 江戸幕府(= 徳川幕府)は、

    15代の徳川氏の将軍が、就任し、 

    1603年(慶長8年)2月から、

    名目上1867年(慶応 3年)10月まで、

    実質上1868年(慶応4年)4月まで、

    存続する。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

 ■ 江戸幕府の将軍(初代〜

    第15代)就任表。

 

  ■ 江戸幕府の将軍15代。 

 

  ■ 江戸幕府・初代将軍・

    徳川 家康 (とくがわ いえやす)。  

              (将軍在任:1603年〜1605年)。

              (生没年:1542年〜1616年)。

              ○ 三河国・岡崎城主・松平広忠

               (まつだいらひろただ)の子。

                            ○ 徳川本家(宗家)当主(1566年

               〜1605年)。

 

  ■ 江戸幕府・2代将軍・

    徳川 秀忠 (とくがわ ひでただ)

              (将軍在任:1605年〜1623年)。

              (生没年:1579年〜1632年)。

              ○ 初代将軍・家康(いえやす)の子。

              ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

                 ガイドブック。  

 

  ■ 江戸幕府・3代将軍・

    徳川 家光 (とくがわ いえみつ)

              (将軍在任:1623年〜1651年)。

              (生没年:1604年〜1651年)。

              ○ 第2代将軍・秀忠(ひでただ)の子。

 

  ■ 江戸幕府・4代将軍・

    徳川 家綱 (とくがわ いえつな)

              (将軍在任:1651年〜1680年)。

              (生没年:1641年〜1680年)。

              ○ 第3代将軍・家光(いえみつ)の子。

 

  ■ 江戸幕府・5代将軍・

    徳川 綱吉 (とくがわ つなよし)

              (将軍在任:1680年〜1709年)。

              (生没年:1646年〜1709年)。

              ○ 館林徳川家出身で、第3代将軍・

              家光(いえみつ)の子。

 

  ■ 江戸幕府・6代将軍・

    徳川 家宣 (とくがわ いえのぶ)

              (将軍在任:1709年〜1712年)。

              (生没年:1662年〜1712年)。

              ○ 甲府徳川家出身で、第3代将軍・

              家光(いえみつ)の孫。

 

  ■ 江戸幕府・7代将軍・

    徳川 家継 (とくがわ いえつぐ)

              (将軍在任:1713年〜1716年)。

              (生没年:1709年〜1716年)。

              ○ 第6代将軍・家宣(いえのぶ)の子。

 

  ■ 江戸幕府・8代将軍・

    徳川 吉宗 (とくがわ よしむね)

              (将軍在任:1716年〜1745年)。

              (生没年:1684年〜1751年)。

              ○ 紀伊藩・藩主で、紀州徳川家出身

              で、 初代将軍・家康(いえやす) の曾

              孫(ひまご)。

              ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

                ガイドブック。

 

  ■ 江戸幕府・9代将軍・

    徳川 家重 (とくがわ いえしげ)

              (将軍在任:1745年〜1760年)。

              (生没年:1711年〜1761年)。

              ○ 第8代将軍・吉宗(よしむね)の子。

 

  ■ 江戸幕府・10代将軍・

    徳川 家治 (とくがわ いえはる)

              (将軍在任:1760年〜1786年)。

              (生没年:1737年〜1786年)。

              ○ 第9代将軍・家重(いえしげ)の子。

 

  ■ 江戸幕府・11代将軍・

   徳川 家斉 (とくがわ いえなり)

              (将軍在任:1787年〜1837年)。

              (生没年:1773年〜1841年)。

              ○ 一橋徳川家(一橋徳川氏の一族)

              出身で、8代将軍・吉宗の曾孫(ひまご)。

 

  ■ 江戸幕府・12代将軍・

    徳川 家慶 (とくがわ いえよし)

              (将軍在任:1837年〜1853年)。

              (生没年:1793年〜1853年)。

              ○ 第11代将軍・家斉(いえなり)の子。

 

  ■ 江戸幕府・13代将軍・

    徳川 家定 (とくがわ いえさだ)

              (将軍在任:1853年〜1858年)。

              (生没年:1824年〜1858年)。

              ○ 第12代将軍・家慶(いえよし)の子。

 

  ■ 江戸幕府・14代将軍・

    徳川 家茂 (とくがわ いえもち)。

              (将軍在任:1858年〜1866年)。

              (生没年:1846年〜1866年)。

              ○ 紀州徳川家(紀伊徳川氏の一族)

              出身で、第11代将 軍・家斉(いえなり)

              の孫。

 

  ■ 江戸幕府・15代将軍・

    徳川 慶喜 (とくがわ よしのぶ)

              (= 一橋(ひとつばし)慶喜)。

              (将軍在任:1866年〜1867年)。

              (生没年:1837年〜1913年)。

              ○ 水戸徳川家・一橋徳川家出身。

                 水戸徳川家(水戸徳川氏の一族 )

              の水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の子

              で、一橋徳川家に養子に入る。

              ○ 徳川 本家(宗家)当主、1866年

               〜1868年。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府ガイドブック。

 

 

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#jphappenings/summary-Org2120

#jphappeningsbyperiod

 

 

◆ 江戸幕府 大奥 

    関連出来事

     (各時期)。

 

 

 ■ 江戸幕府大奥

     時期別各編

 

 

  □ ≪1603年〜1651年≫

     江戸幕府・将軍の徳川家康

     (初代)、徳川秀忠(2代)、

      徳川家光(3代)の治世の

          大奥

 

 

  □ ≪1680年〜1709年≫

     江戸幕府の5代将軍・徳川

     綱吉の治世の大奥

 

 

  □ ≪1713年〜1716年≫

     江戸幕府の7代将軍・徳川

     家継の治世の大奥

 

   □ 〈1714年〉 絵島生島事件

 

 

  □ ≪1787年〜1837年≫

        江戸幕府の11代将軍・徳川

     家斉の治世の大奥

 

 

  □ ≪1853年〜1867年≫

     江戸幕府・将軍の徳川家定

     (13代)、徳川家茂(14代)、

      徳川慶喜(15代)の治世の

      大奥

 

   □ 最後の大奥の実力者の

      院・篤姫

 

 

 

#jphappeningsbyperiod-1603

 

 

◆ ≪1603年〜1651年≫

   江戸幕府・将軍の徳川家

   康(初代)、徳川秀忠(2

     代)、徳川家光(3代)の治

   世の大奥。

 

 

  ■ 次期3代将軍継嗣(けいし)

       問題。

 

  ■ 将軍の後継者(こうけいしゃ) 争い

   ■ 日本の江戸初期、 徳川家康の子・2代

     将軍・秀忠(ひでただ)には、 正室夫人の

     お江与 (おえよ、お江(おごう))がいて、 

     お江与は、 江戸城で、 2人の男子を生

     み、 1人が長男の竹千代(たけちよ、後の

     3代将軍・徳川家光)、 もう一人が次男の

     国松(くにまつ、徳川忠長)であった。

 

   ■ 徳川家康は、秀忠の後の3代将軍職を

     継(つ)ぐ男子を、長男の竹千代(家光)

     と決め、 徳川家康の命(めい、命令)で、 

     将軍職を継(つ)ぐ長男の竹千代(家光)

     は、甘やかせず、 第3者の乳母(うば)

     のお福(おふく、後の春日局(かすがの

     つぼね))の手で育てられ、 次男の国

     松(忠長)は、 母・お江与の手元にお

     かれ、それぞれ、江戸城で、育てられる

     こととなった。 

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ しかし、お江与(お江)は、 次男の国松

     (忠長)を偏愛し、 次男の国松(忠長)を、

     次期3代将軍に切望するようになり、 

     江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠もそれ

     を望むようになる。

 

   ■ 竹千代(家光)の乳母のお福(春日局)

     は、 この状況を、駿河城にいる大御所

     (おおごしょ、引退後の元将軍)の徳川

     家康に報告し、 その後、家康は、江戸

     城に入り、長男の竹千代(家光)を、秀忠

     の後の次期3代将軍職を継(つ)ぐ男子

     にすることを、 現将軍・秀忠夫妻や幕府

     重臣に、改めて、命令する。

 

   ■ 1616年の徳川家康の死後、 江戸幕

     府の第2代将軍・徳川秀忠 (ひでただ、

     将軍在任:1605年〜1623年、生没年:

     1579〜1632)は、 竹千代(家光)の

     成長を見守り、 将軍にふさわしいと考え、 

     1623年に、家康の命(めい)を守り、お

     江与(お江)の願望を退け、 自分の生存

     中に、 家光を3代将軍職につける。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ■ 愛妻家、恐妻家の

   将軍・徳川秀忠。

 

   ■ 江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠は、 

     愛妻家、恐妻家であり、 秀忠の正室

     夫人の、嫉妬心の強いお江与(おえよ)

     を恐れて、ずっと、 他の夫人(側室夫

     人)をもたなかった。 

 

   ■ しかし、秀忠は、あるとき、 気が緩み、 

     身の回りの世話をする侍女(じじょ)の、

     お静(おしず)を見初(みそ)め、懐妊(妊

     娠)させてしまう。 

        お静は、 秀忠の乳母(うば)・大姥

     局(おおばのつぼね)に仕えていた侍女

     (じじょ)であった。

 

   ■ 秀忠の正室夫人のお江与(お江)の怒り

    を恐れた、将軍・秀忠は、 この件を極秘

    とし、大姥局と相談し、 大姥局と親しい

    見性院(けんしょういん)のもとにお静を預

    ける。 そこで、1611年、 お静は、男子

    を生む。 その男子が、幸松(こうまつ)で、 

    後に、兄の3代将軍の徳川家光や家光の

    子の4代将軍・徳川家綱(いえつな)をささ

    える、保科正之 (ほしなまさゆき、会津藩

    祖・会津松平氏初代当主)である。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ■ 次期4代将軍継嗣(けいし)

      問題。

 

   ■ 江戸幕府の第3代将軍・家光は、 

     身分の高い女性との間になかなか子が

     できず、 困惑した家光の乳母 (うば)の、

     お福(春日局)は、生まれながらの身分

     とらわれず町娘で丈夫な子を生め

     そうな女性である、 町娘のお楽 (おら

     く、後の4代将軍・家綱(いえつな)の生

     母)、 町娘のお夏 (おなつ、後の6代

     将軍・家宣の父・綱重(つなしげ)の生母)、 

     町娘のお玉 (おたま、後の5代将軍綱吉

     (つなよし)の生母、桂昌院) を選び (ス

     カウトし)、江戸城の大奥へ入れ る。

 

   ■ 徳川家光は 3人の女性と閨(ねや)を

     共にし、 家光は、やっと、 男子の3人

     の子供 (後の 家綱(いえつな、4代将軍)、 

     後の綱重(つなしげ、6代将軍家宣(いえ

     のぶ)の父)、 後の綱吉(つなよし、5代

     将軍)) を 得る

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ★ 興味深い関連ドラマ・

    映画。 

   ● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション

     です。  歴史のドラマや映画は、 史実

     (歴史上の事実) と 架空の出来事が、

     混じって、描かれています。 また、現代

     風にアレンジしてあります。

 

  ■ 『 大奥・第一章 (おおおく・だい

        いっしょう) 』 。

      (フジテレビ・2004・2005年制作

       テレビドラマ)。

   ■ 江戸時代・初期の大奥を描く。

   ■ 江戸幕府の初代将軍・徳川家康(いえ

     やす)、第2代将軍・徳川秀忠(ひでた

     だ)、第3代将軍・徳川家光(いえみつ)

     の時代 と その時代の大奥を描いた

     ドラマ。

   ● 春日局 (かすがのつぼね、お福(おふ

     く))を演じた女優名: 松下由樹。

   ● 松下由樹、 高島礼子、 瀬戸朝香など

     が出演。

 

    

   ○ PRフォト。

     (ドラマ「大奥」のDVD販促用PRフォト)。

 

  ■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』。

      (NHKテレビ・2011年大河ドラマ)。 

   ■ 江戸時代初期の大奥を描く。

   

   ● 江(ごう)を演じる女優名 : 上野 樹里 

      (うえのじゅり)。

 

  ■ 『 天下騒乱〜 徳川三代の

          陰謀 (てんかそうらん〜とくが

        わさんだいのいんぼう) 』。 

      (テレビ東京・2006年制作テレビ

       ドラマ)。 

   ■ 江戸時代・初期の大奥を描く。

   ■ 江戸幕府の初代将軍家康、2代将軍

     秀忠、3代将軍家光の時代 と その

     時代の江戸幕府の大奥が登場するド

     ラマ。 

 

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#jphappeningsbyperiod-1680

 

◆ ≪1680年〜1709年≫

   江戸幕府・5代将軍の

     徳川 綱吉の治世の大

   奥。

 

 ■ 将軍の生母、正室夫人、側室夫

    人の対立。

 

   ■ 江戸幕府の第5代将軍の徳川綱吉(つ

     なよし)には、 生母の桂昌院 (けいしょ

     ういん、お玉(おたま)、京(都)の町娘)、 

     正室夫人の信子 (のぶこ、公家の娘、

     後水尾天皇の孫)、 側室夫人のお伝の

     方 (おでんのかた、町娘)、 その他の

     側室夫人がいた。

 

   ■ 桂昌院、信子、お伝の方の対立。

   ● 江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉の、

     生母の桂昌院 (けいしょういん、京(都)

     の町娘) と、 綱吉の正室夫人の信子 

     (のぶこ、公家の娘、後水尾天皇の孫、

     綱吉の子供なし) と、 綱吉の側室夫人

     のお伝の方 (おでんのかた、町娘、1男

     1女の綱吉の子供あり) とが、 江戸城

     の大奥で、激しく、対立した。 

        桂昌院、信子、お伝の方は、生まれ

     ながらの身分の違い、子供の有無、将軍

     の寵愛などをめぐり、 江戸城の大奥で、 

     激しく対立した。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ■ 次期6代将軍継嗣(けいし)問題 

 

  ■ 江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉(つな

     よし)には、 側室夫人のお伝の方との

     間にには男子と女子の2人の子供が

     た。 

        しかし、男子は、 夭折(ようせつ)

     し(若死し)、 結局、男子の跡継ぎがい

     なくなる。 そこで、綱吉は、 甥(おい)

     の綱豊 (つなとよ、後の徳川家宣)を、

     次期6代将軍とすることとし、 綱吉死後、 

     綱豊が、6代将軍・家宣(いえのぶ)とな

     る。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

  ★ 興味深い、関連ドキュメンタリー。 

 

  ■ 歴史秘話ヒスとリア 

    『 大奥 シンデレラ・ストーリー  

      〜将軍の母・桂昌院元祖

      「玉の輿」物語〜 』。 

      (NHKテレビ・2012年(H24)2月

       8日・本放送・ドキュメンタリー番組)。

   ■ 江戸時代・前期の大奥を述べる。

   ■ 江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉と

     その生母・桂昌院を述べる。

 

 

  ★ 興味深い、関連ドラマ・映画。 

   ● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション

        です。 歴史のドラマや映画は、 史実

     (歴史上の事実) と 架空の出来事が、

     混じって、描かれています。 また、現代

     風にアレンジしてあります。

 

  ■ 『 大奥・華の乱 (おおおく 

        はなのらん) 』 。 

      (フジテレビ・2005年制作テレビ

       ドラマ)。

   ■ 江戸幕府の第4代将軍家綱(いえつな)、

     5代将軍綱吉(つなよし)の時代 と 

     その時代の大奥を描いたドラマ。

   ■ 5代将軍徳川綱吉の生母、正室夫人、

     側室夫人の大奥での、華麗で激しい

     女の戦いを描いたドラマ。

 

   ● 内山理名、藤原紀香、小池栄子、

     高岡早紀などが出演。

 

   

   ○ PRフォト。

     (ドラマ「大奥」のDVD販促用PRフォト)。

 

 

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#jphappeningsbyperiod-1713

 

◆ ≪1713年〜1716年≫

   江戸幕府の7代将軍・

    徳川家継の治世の大奥。

 

 

 ■ 幼年将軍・徳川家継。

   

   ■ 江戸幕府の第6代将軍・徳川家宣(いえ

     のぶ)の側室夫人の、お喜世(おきよ、後

     の月光院)は、 家宣との間に世継ぎの男

     子を生み、 家宣死後、その子が、幼少で

     7代将軍の徳川家継(いえつぐ)となる。 

 

   ■ お喜世(月光院)の生んだ家継(いえつ

     ぐ)が、 家宣死後、幼少(数え年・5才)で、 

     江戸幕府の第7代将軍となり、 幼少将軍

     の補佐役に側用人(そばようにん)の間部

     詮房(まなべあきふさ) と 学者の新井白

     石(あらいはくせき)が付き、 政治を行う。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ 1713年の江戸幕府の6代将軍・徳川

     家宣死後、 江戸幕府の第7代将軍・家

     継の生母の月光院 (げっこういん、お

     喜世(おきよ)) と、 その側近の絵島

     (えじま)をはじめとする月光院(お喜世)

     側の奥女中(おくじょちゅう)は、大奥で、 

     前将軍の6代将軍家宣(いえのぶ)の

     正室夫人の天英院と天英院側の大奥の

     奥女中よりも 勢力を得る。 

 

 

 

   ■ お喜世(月光院)と徳川家継。

 

   ■ 武士の娘のお喜世(おきよ、後の月光院)は、 

     1704年(宝永元年)に、甲府藩の桜田御殿

     に出仕し、 桜田御殿で、徳川綱豊(つなとよ、

     後の徳川家宣)から寵愛をうける。 

        その後、1704年(宝永元年)12月に、 

     甲府藩主・綱豊(後の徳川家宣)が、 徳川将

     軍家6代継嗣となり、 徳川綱豊(家宣)に仕

     える、お喜世(月光院) と 猿楽師(さるがく

     し、能役者)出身の甲府藩用人の間部詮房

     (まなべあきふさ)は、 綱豊(家宣)と同行し

     て、甲府藩の桜田御殿より、江戸城・西の丸

     に入る。 

        1709年(宝永6年)に、お喜世(月光院)

     の夫の綱豊が、徳川家宣として、江戸幕府の

     第6代将軍 (将軍在任:1709年〜1712年)

     に就任する。 お喜世は、左京の局(さきょう

     のつぼね)となる。

        1709年(宝永6年)7月に、お喜世(月

     光院)が、 徳川家宣の男子の鍋松(後の徳

     川家継)(生没年:1709年〜1716年)を産

     む。

        1712年(正徳2年)10月に、徳川家宣が

     死去する。 左京の方(お喜世)は、落飾して、

     月光院と号す。

        1713年(正徳3年)に、お喜世(月光院)

     の男子の鍋松が、徳川家継として、江戸幕

     府の第7代将軍 (将軍在任:1713年〜17

     16年)に就任する。お喜世(月光院)は、

     将軍生母となる。

        1716年(享保元年)に、お喜世(月光院)

     の男子の徳川家継が、風邪をこじらせて死去

     する。

 

   ■ 絵島 (えじま、正式名:江島、生没年:

     1681年〜1741年)は、 月光院(お喜

     世)の右腕(側近)で、大奥・御年寄 (お

     おおく・おとしより、大奥上級幹部)であり、

     1713年から1714年まで、 江戸城本丸

     の大奥を運営する大奥監督者であり、 

     大奥で、権力をふるっていた。 

 

   ■ 大奥誕生以来、大奥では多くの事件が起

     こったが、内密にされていた。 しかし、 

     大奥が関係した事件の中で世間一般に知

     れ渡ってしまったものには、 絵島生島(え

     じまいくしま)事件がある。 

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

  ★ 興味深い関連ドキュメンタリー。 

    ■ 熙子(天英院)、絵島、お喜世(月光院) 

     が登場する、興味深い、テレビ・ドキュメン

     タリー番組。

 

  ■ 片岡愛之助の解明!歴史

     捜査 

        『 江戸城 禁断の女の園! 

      大奥重大事件の真相を

      追え! 』。

      (日テレ・テレビ・2016年1月31日・

      本放送・ドキュメンタリー番組)。

   ■ 大奥の詳細を述べる。

   ■ 絵島生島事件の詳細を述べる。

 

  ■ その時歴史が動いた 

     『 大奥 悲しみの果てに 

      〜徳川家宣正室 天英

      院 熙子の生涯〜 』。 

      (NHKテレビ・2006年(H18)4月・

       本放送・ドキュメンタリー番組)。

   ■ 江戸時代・中期の大奥を述べる。

    ■ 絵島生島事件を述べる。

 

 

  ★ 興味深い関連ドラマ・映画。 

   ■ 絵島(えじま)が登場する、興味深い

     映画。

   ● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション

        です。 歴史のドラマや映画は、 史実

     (歴史上の事実) と 架空の出来事が、

     混じって、描かれています。 また、現代

     風にアレンジしてあります。

 

  ■ 『 大奥 』。 

      (日本の2006年制作東映・映画)。

   ■ 江戸幕府の第7代将軍家継(いえつぐ)

     時代 と その時代の大奥を描いた映画。

 

   ● 仲間由紀恵、高島礼子、井川遥、浅野

     ゆう子などが出演。 

   ● 絵島を演じた女優名 : 仲間由紀恵。

 

       

 

  

   ○ PRフォト。

     (映画「大奥」のDVD販促用PRフォト)。

 

 

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#jphappeningsbyperiod-1714

 

◆ 〈1714 年〉

      絵島生島事件。

 

 ■ 絵島生島(えじまいくしま)事件

   (1714年)。

 

   ■ 絵島生島事件(絵島事件)とは、 

     1714年(正徳(しょうとく)4年)1月に

     起こった綱紀粛正事件(大奥風紀粛清

     事件)であるが、 その真相は不明で

     ある。 

 

   ■ 大奥・御年寄の絵島、 歌舞伎役者の

     生島、 絵島の取り巻きの月光院派の

     大奥・奥女中が、遊興で大奥の風紀を

     乱したとの事で処罰され、 絵島の親

     類は連座し処罰され、 絵島と関係した

     商人等の人々は、利権を貪(むさぼ)っ

     ていたとの事で処罰される。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ■ 絵島生島事件の背景。

 

   ■ 江戸時代中期の大奥は、元々

     規律が乱れていた。

 

   ■ 天英院派と月光院派の対立。 

 

   ● 1713年の6代将軍・徳川家宣死後、

     江戸幕府の江戸城・大奥では、 月光 

     院 (げっこういん、7代幼少将軍・徳

     川家継(いえつぐ)の生母・お喜世) と、 

     天英院 (てんえいいん、前6代将軍・

     徳川家宣(いえのぶ)の正室夫人・煕子

     (ひろこ))が、対立していた。

 

   ● 1713年の6代将軍・徳川家宣死後、

     江戸幕府の政治では、 月光院派の側

     用人(そばようにん)の間部詮房(まな

     べあきふさ)、学者(将軍・家継の学問

     の師)の新井白石(あらいはくせき) と、 

     天英院派の老中 (ろうちゅう、幕府重

     臣)が、対立していた。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ 1713年の6代将軍・徳川家宣死後、

     大奥では、 月光院が優勢となった。 

 

   ■ 1713年の6代将軍・徳川家宣死後、

     天英院や天英院側の大奥の奥女中は、

     大奥の劣勢の回復を狙っていた。

 

   ■ 大奥の奥女中が、 遊興で大奥の風

     紀を乱すことは、 江戸幕府により、禁

     じられていた。 

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ■ 絵島生島事件。

 

   ■ 1714年(正徳(しょうとく)4年)1月

     に、 月光院の側近で江戸幕府の大

     奥・御年寄(上級実務幹部)の絵島

     (えじま)は、 絵島の仕えている月光

     院の名代として、前将軍・徳川家宣

     (いえのぶ)の墓参り代参のため、

     芝・増上寺(しば・ぞうじょうじ)、上野・

     寛永寺(うえの・かんえいじ)へ参詣

     する。 

        墓参り代参の帰途に、懇意にし

     ている呉服商の誘いで、木挽町(東

     京・東銀座界隈、歌舞伎座周辺)に

     ある芝居小屋の山村座で、生島(い

     くしま)の芝居を見る。 

        芝居の後、絵島は、 生島らを

     茶屋に招き、宴会を開き、 宴会に夢

     中になり、江戸城の大奥の門限に遅

     れてしまう。 

        江戸城の大奥の七ツ口の前で、

     通せ、通せぬの押し問答をしているう

     ちに、 このことが江戸城中に知れ

     渡ることとなり、 評定所が審理する

     ことになった。

 

   ■ 江戸幕府の老中によって、 評定所

     の審理により、 月光院の側近で大奥・

     御年寄の、絵島は、歌舞伎役者の男性

     の生島(いくしま)と密会し不義密通を

     し、 大奥の出入り商人と利権を貪(む

     さぼ)っていたとの容疑をかけられる。

        結局、絵島は、 密会・不義密通、

     利権貪りの容疑ではなく、 遊興で大

     奥の風紀を乱したとの事で、有罪とな

     る。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ 月光院の側近で大奥・御年寄(おとし

     より、大奥上級幹部)の絵島(えじま)

     が、 歌舞伎役者の男性の生島(いくし

     ま)と密会し不義密通をしていたかど

     うかは不明であり、 絵島や絵島の月

     光院派の奥女中などが、 大奥の出入

     り商人と利権を貪(むさぼ)っていたか

     どうかも不明である。

 

   ■ 月光院 (江戸幕府の第7代幼少将軍・

     徳川家継生母)の側近で、大奥を運営

     していた御年寄(おとしより、上級幹部)

     の、絵島(えじま)は、遊興で大奥の風

     紀を乱したとされ、 (月光院の嘆願

     により、遠島(島流し)を免ぜられて)  

     大名預けの高遠藩預り (信濃の高遠

     (長野県高遠町)へ本州山間部での

     幽閉) となり、 絵島の遊興相手とさ

     れた歌舞伎役者の男性の生島は、

     遠島(えんとう、三宅島へ島流し)と

     なる。

 

   ■ これを契機に、評定所、奉行所、大目付、

     目付により、江島の関係者が徹底的に

     調べられ、 親類は連座して処罰され、 

     絵島同様、大奥の風紀を乱した、また

     は、利権を貪(むさぼ)っていた容疑で、 

     江島の取り巻きの月光院派の多くの

     大奥の奥女中 や その取り巻き商人

     等の関係者が処罰され、追放、遠島(え

     んとう、島流し)となり、 また、元々規律

     の乱れていた大奥も引き締められる。 

 

   ■ 1714年(正徳4年)に、大奥の風紀

     粛清の名目で、江島から始まり、 多くの

     連座者が出て、 最終的に、関係者(親類、

     大奥、町方等合わせて)、約1400名が、

     処罰される。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

 ■ 絵島生島事件後。

 

   ■ 1714年(正徳4年)の絵島生島事件に

     よって、 江戸幕府の第7代幼少将軍・

     徳川家継(いえつぐ)の生母の月光院は、 

     面目を失い、自分を支えていた月光院派

     の江島や奥女中等の人材の多くを失っ

     て、大奥で劣勢となり、 

     一方、第6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)

     の正室夫人の天英院(てんえいいん、熙

     子(ひろこ)) と 天英院側の大奥の奥

     女中が、大奥で優勢となる。

 

 

    ■ 次期8代将軍に天英院が吉宗を指名。

 

   ● 1716年(享保元年)の江戸幕府の第7

     代幼年将軍・徳川家継が病死時、 江戸

     幕府の大奥と老中に勢力をもつ天英院は、 

     次期8代将軍に紀州・徳川家の徳川吉宗

     を指名し、 徳川吉宗は、江戸幕府(徳川

     氏宗家)の第8代将軍となる。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

  ♪♪ 興味深い、絵島生島事件

        関連映画ドキュメンタリー、

      ドラマ、映画。

 

  ★ 興味深い、絵島生島事件関

     連ドキュメンタリー : 

   ■ 熙子(天英院)、絵島、お喜世(月光院) 

     が登場する、興味深い、テレビ・ドキュ

     メンタリー番組。

 

  ■ 片岡愛之助の解明!歴史捜査 

     『 江戸城 禁断の女の園! 

          大奥重大事件の真相を

      追え! 』。

       (日テレ・テレビ・2016年1月31日・

        本放送・ドキュメンタリー番組)。

   ■ 大奥の詳細を述べる。

   ■ 絵島生島事件の詳細を述べる。

 

  ■ その時歴史が動いた 

     『 大奥 悲しみの果てに 

      〜徳川家宣正室 天英

       院 熙子の生涯〜 』。 

      (NHKテレビ・2006年(H18)4月・

       本放送・ドキュメンタリー番組)。

    ■ 大奥を述べる。

    ■ 絵島生島事件を述べる。

 

 

  ★ 興味深い、絵島生島事件関連

     映画・ドラマ : 

      ■ 絵島(えじま)が登場する、興味深い、

      映画。

   ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

         歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の

      事実) と 架空の出来事が、混じって、

      描かれています。 また、現代風にアレ

      ンジしてあります。

 

  ■ 『 大奥 』。

      (日本の東映2006年制作・映画)。

 

   ■ 江戸幕府の第7代将軍・徳川家継

     (いえつぐ、生没年:1709年〜17

     16年) の将軍就任時代 (将軍

     在任:1713年ー1716年年) と、 

     その時代の大奥を描いた映画。

 

   ■ 月光院側の大奥・奥女中や将軍近臣

     と 天英院側の大奥・奥女中や老中

     (幕府重臣) との幕府政治や大奥

     での対立 や 月光院側近の絵島の

     活動を描いた華麗な映画。

 

   ■ 史実では、 江戸幕府・第7代幼少将

     軍・徳川家継の生母・月光院の側近で

     大奥・御年寄(おとしより、大奥上級幹

     部)の絵島(えじま)が、 歌舞伎役者

     の男性の生島(いくしま)と密会し不義

     密通をしていたかどうかは不明である

     が、 映画では、絵島は、生島と密会

     し不義密通をしたことになっている。

   ● 史実では、 歌舞伎役者の男性の生

     島は、三宅島へ島流しであるが、映画

     では、死刑となっている。

 

   ● 仲間由紀恵、高島礼子、井川遥、浅野

     ゆう子などが出演。 

   ● 絵島を演じた女優名 : 仲間由紀恵。

 

       

 

   

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    (映画会社の映画「大奥」のDVD

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#jphappeningsbyperiod-1787

 

◆ ≪1787年〜1837年≫

   江戸幕府の11代将軍・

   徳川家斉の治世の大奥。

 

 

 ■ 多妻・多子の将軍・徳川家斉。

    約40人の側室夫人と約55人

       の子供を持った11代将軍の

    家斉(いえなり)

 

  ■ 女性をこよなく愛し、大奥を最大限に活用

    した将軍としては、 江戸幕府の第11代

    将軍の徳川家斉(いえなり)がいる。 

 

  ■ 江戸幕府の将軍の徳川家斉(いえなり)

    には、 正室夫人の他に、約40人の側室

    夫人がいて、そして、約55人の子供を得

    た。 

       お美代(おみよ)は、その中で、徳川

    家斉に特に寵愛され た、側室夫人であっ

    た。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ 好色の徳川家斉は、側室夫人・約40人

     と子供・約55人を持ち、 その者達への

     出費で、幕府の財政が圧迫された。 

       徳川家斉は、女性との生活を活発に

     するために、家斉は、乳製品をよく食用

     したという記録が残っている。

 

 

 ■ お美代。

   ■ お美代(おみよ)は、 美人であり、 江戸

     幕府の第11代将軍の徳川家斉(いえなり)

     の寵愛する側室夫人であった。

 

   ■ 将軍・徳川家斉(いえなり)には、 正室夫

     人の他に、約40人の側室夫人がいて、

     そして、約55人の子供がいた。 お美代は、

     その中で、徳川家斉に特に寵 愛された、

     側室夫人あった。

 

   ■ お美代(おみよ)は、 下級僧侶の日啓

     (にっけい)の娘であり、 お美代という

     美人の女性が、 1809年に、大奥に入

     り、 その後、江戸幕府の第11代将軍の

     徳川家斉(いえなり)の目に留まり、お手

     付きとなり、 家斉の側室夫人になった。 

       そして、お美代は、 1813年(文化

     10年)に、家斉との間に、女の子の溶

     姫(ようひめ)を生み、 その後、溶姫 

     (ようひめ)は、加賀藩(加賀藩主・前田

     斉泰)に嫁いだ。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ 江戸幕府の第11代将軍の徳川家斉と

     その側室夫人・お美代との間に生まれた

     溶姫が加賀藩に嫁ぐ時(際)に、その記

     念(祝い)に造られたのが、 (現在、東

     京大学に残る)赤門(あかもん)である。

 

 

 ■ 御褥下がり。

   ■ 「御褥下がり」 (おしとねさがり)。  

      女性の子づくり30歳定年制という江戸

      幕府の大奥のきまり。

   ● 御褥下がり (おしとねさがり)とは、 

     女性の子づくり30歳定年制という江戸

     幕府・大奥のきまりである。

 

   ● 江戸城本丸の大奥では、 女性は、

     正室夫人、側室夫人を問わず、 大奥

     法度(おおおくはっと)により、 30歳

     になると、夜、将軍と閨(ねや)を共に

     することは、禁止されていた。 

        江戸時代当時の大奥では、 30歳

     になると、高齢出産とみなされ、 将軍

     と閨(ねや)を共にすることはできなかっ

     た。

 

   ● 前近代日本では(江戸時代まで)、平均

     寿命が短く、女性の婚期は10代であり、 

     女性の30代以降の子づくりは、高齢出

     産と考えられた。

 

   ● お褥下がり(おしとねさがり)は、 丈夫

     で健康な子供の出産のため、 女性の

     出産適齢期(卵子老化、妊婦出産負担

     軽減など)を考慮した、大奥のきまりで

     ある。

 

 

 ■ 一人の美しい町娘の壮大な陰謀。

 ■ お美代の、幕府のっとり計画。

 ■ お美代の、大奥での実権獲得 と 

    江戸幕府のっとりの陰謀。

 

   ■ 徳川家斉の治世(1787年〜1837年)

     に、 家斉の側室夫人の一人である、お

     美代の方が、  江戸幕府の大奥で、大き

     な権力を持ち、 彼女の父親の日啓(に

     っけい)が住職をつとめる感応寺に、 

     多くの大奥の奥女中が参拝、代参(だい

     さん)し、 風紀の乱れが公然化した。 

 

   ■ 江戸幕府の将軍・徳川家斉(いえなり)

     の寵愛(ちょうあい)をうけていた、お美

     代(みよ)は、 家斉との間に生まれた

     子は溶姫をはじめ女子(3人)ばかり

     であり、跡継ぎの男子に恵まれず、一方、

     大奥では他にも家斉の多くの側室夫人

     がいて、 大奥で勢力を持てず、 また、

     上様(将軍・家斉)の寵愛もいずれなく

     なるのでないかと恐れていた。 

        そこで、お美代は、 江戸幕府の大

     奥で勢力を持つために、 今やお美代の

     おかげで立派なお寺を持った、お美代の

     父の僧侶の日啓(にっけい)に頼んで、 

     祈祷所(きとうしょ)をつくり、 そこへ大奥

     の奥女中を誘い、 「お祈祷」(おきとう、

     御祈祷) (若い男子修行僧との不義密

     通)をうけてもらい、 人気を得て、大奥

     での権力(実権)を得ようとした。

 

   ■ 江戸幕府の第11代将軍の徳川家斉(と

     くがわいえなり)の側室夫人の、お美代

     (おみよ)は、 「御褥下がり」(おしとね

     さがり)に目をつけ、30歳を過ぎた欲求

     不満の御褥下がりの多くの側室夫人や、 

     その他の欲求不満の大奥の上級・中級

     奥女中に、お美代の父のお寺で、「お祈

     祷」(おきとう、御祈祷) (若い男子修行

     僧との不義密通)を受けてもらい、性的

     欲求不満を解消してもらった。 現代風

     に言えば、 大奥の上級・中級奥女中の

     ためのホストクラブを開き、 そこへ大奥

     の上級・中級奥女中に通ってもらったと

     いうことである。

        そして、お美代は、大奥で、大いに

     人気を獲得し、勢力を伸ばし、遂に、大

     奥の権力(実権)を手に入れた。

 

    ■ 更に、お美代は、 次期12代将軍に、 

      加賀藩に嫁いだ自分の子の溶姫(よう

      ひめ)が生んだ男子(前田慶寧)をすえ

      ようと考え、 幕府の3人の老中と謀(は

      か)って、 江戸幕府の将軍・家斉の遺

      言書を偽造した。

         しかし、その件が発覚してしまった。 

      しかし、江戸幕府は、 この件の全容が

      外部に知られることを恐れ、 罪を厳しく

      問わず、重罪にせず、 3人の老中は解

      任され、お美代は、お美代の子の溶姫の

      嫁ぎ先の加賀藩に、「お預け」となる。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

  ♪♪ 興味深い関連ドキュメンタリー、

      ドラマ、映画、。 

 

  ★ 興味深い関連ドキュメンタリー。 

 

  ■ 謎解き!江戸のススメ 

     『 11代将軍 徳川家斉 』。 

      (TBSテレビの2014年(平成26年)

       8月4日・本放送・ドキュメンタリー)。

      ● 徳川家斉の生涯を詳細に述べる。

 

 

  ★ 興味深い関連ドラマ・映画。 

   ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

         歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の

      事実) と 架空の出来事が、混じって、

      描かれています。 また、現代風にアレ

      ンジしてあります。

 

  ■ 『 第一部 〜最凶の女〜 』 

      (フジテレビ・2016年1月22日・

       本放送テレビドラマ)。

   ■ 江戸幕府の第11代将軍の徳川家斉

     (いえなり)の治世の時代 と その時

     代の大奥を描いたドラマ。

 

 

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#jphappeningsbyperiod-1853

 

◆ ≪1853年〜1867年≫

   江戸幕府・将軍の徳川

   家定(13代)、徳川家

   茂(14代)、徳川慶喜

   (15代)の治世の大奥。

 

 

◆ 日本の幕末の政治情勢。

 

 ■ 「軍事力なき軍事政権」

    (軍事弱体)の江戸幕府

 

   ■ 幕末、日本は、まだ産業革命は起きてお

     らず、 近代化していなかった。 欧米諸

     国に比べ、工業力、軍事力で遥(はる)か

     に、劣っていた。

 

   @ 幕末、イギリス、フランス、アメリカ、ロシア

     などの欧米列強が、日本を植民地にしよう

     と狙っていた。 

   A しかし、弱肉強食の世界情勢の中で幕末

     日本を支配していた江戸幕府は、 欧米列

     強を追い払い、 欧米列強に対抗できる 軍

     事力を持って いなかった

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   B 幕末、日本を支配する江戸幕府は、欧米

     列強から軍事力で脅(おど)され、 欧米列

     強との戦い(全面戦争)を避ける為に、 

     欧米列強の要求をのみ、不平等条約 

     (安政の5カ国条約、1858年)を結び、 

     かろうじて、一時的に、欧米列強の植民地

     になるのを免(まぬが)れていた。

 

   ■ もし、幕末、日本を支配する江戸幕府が、

     欧米列強と全面戦争をしていたら、完全

     に敗北し、 当時の清国(中国)、インド

     のように、欧米列強の植民地になってい

     たであろう。

   ● 不平等条約 (安政の5カ国条約、18

     58年) を結び、 かろうじて、一時的に、 

     欧米列強の植民地になるのを免(まぬが)

     れたとはいえ、不平等条約は、植民地化

     の第一歩であった。

 

   ■ 幕末、明治初期、その後も、欧米列強は、 

     隙(すき)あらば、 軍事弱小国の日本を

     本格的に植民地にし、搾取しようと、狙(ね

     ら)っていた。  欧米列強は、 日本で全

     面戦争の内乱(内戦)が起こり日本全体の

     軍事力が更に弱体化した時、抵抗が少なく

     なり、 日本領土を容易に奪えると考えて、 

     その機会をうかがってい た。 

        しかし、 戊辰(ぼしん)戦争 (新政府

     軍と旧幕府一部残存勢力との争い) や 

     西南戦争(新政府軍と一部不平士族勢力

     との争い) という部分戦争 (大勢力が中

     小勢力と戦う戦争)は、 起きたが、 全面

     戦争の内戦 (大勢力同士が戦う戦争) 

     (新政府軍と旧幕府軍との全面戦争、 明

     治新政府内同士の全面戦争) は、起こら

     ず、 欧米列強は、軍事弱小国の日本を植

     民地にする機会を失う。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   C そのような弱肉強食の国際情勢の中で、

     幕末、 日本は、植民地にならないために、

     一刻も早く、 殖産興業、富国強兵を行い、 

     大きな工業力、軍事力をもち、 更に欧米

     列強と肩を並べられる近代国家となる必

     要があった。

 

   ■ 幕末、幕政改革という封建的な江戸幕府

     内の改革では近代国家はできず、 封建

     的な幕府という日本政府では近代国家の

     建設はできず、近代国家の建設には、 

     江戸幕府は邪魔(じゃま)であり、 幕府を

     倒して、新政府を作り、 近代国家を成立

     させようという勢力(薩長連合等)が出現

     した。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

 

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#jphappeningsbyperiod-lastinfluentialwoman

 

◆ 最後の大奥の実力者

    (女帝)の天璋院・篤姫 。

 

 

   

   ○ 幕末の大奥の実力者の天璋院・篤姫

     (てんしょういん・あつひめ、篤姫役:

      宮崎あおい)。  

   ○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト。

   ○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の

      書籍販促用PRフォト。

 

 

◆ 最後の大奥の実力者

    (女帝)の天璋院・篤姫 。

 

   ■ 天璋院・篤姫の詳細に関しては、

     『 璋院・篤姫 ガイドブック』を参照し

     て下さい。

 

 ■ 天璋院・篤姫 。

 

   ■ 璋院・篤姫 (てんしょういん・あつひ

    め)、 幕末の 江戸幕府の大奥の実力

    者であり、 大奥の最後の実力者 (大奥

    在留期間:1856年〜1868年)であっ

    た。

    

   ■ 薩摩藩出身の天璋院・篤姫篤姫は、  

     徳川氏を存続させたいという思いから

     朝廷出身の和宮や幕臣の勝海舟と協

     力して、 旧幕府勢力軍と新政府軍

     の日本の本格的な内戦(全面戦争)を

     回避するのに貢献した女性である。

   ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府 大奥

      ガイドブック。

 

   ■ 天璋院・篤姫に関しては、 

     日本史辞典の『 篤姫(あつひめ) 』

     も参照して下さい。

   ■ 徳川将軍家の15代(15人)の将軍名、

     就任期間に関しては、

     日本史辞典の『 徳川将軍家 』を参照

     して下さい。

 

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 ■ 天璋院・篤姫 。

 

   ■ (1) 璋院・篤姫が江戸幕府の将軍

         に嫁ぐ。

   ● 璋院・篤姫  (てんしょういん・あつひ

     め) は、 薩摩藩藩主・島津斉彬(なりあ

     きら)の政治工作により、 近衛家 (この

     えけ)養女となり、 近衛(藤原) 敬子

     (すみこ)と名前を改め、1856年に、江 

     戸幕府の第13代将軍の徳川家定 (い 

     えさだ、将軍在任:1853年〜1858年)

     の正室夫人 (御台所(みだいどころ)、

     正妻) となる。 

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ 徳川家定に関しては、 

     日本史辞典の 『 徳川家定 (とくがわ

     いえさだ) 』 を参照して下さい。

 

 

   ■ (2) 薩摩藩や一橋派をバックアップ

         するために、江戸幕府に嫁いだ

         璋院・篤姫 。

   ● 島津斉彬(なりあきら)のバックアップに

     よる篤姫の輿(こし)入れでは、 薩摩藩

     の島津氏が、徳川将軍家と姻戚関係を

     結び、 まず、薩摩藩・島津氏の家格を

     上げ、 密貿易等の藩の問題を回避させ、 

     江戸幕府での発言力を増すことが、斉彬

     (なりあきら)の第1の狙い(目的)であっ

     た。 

        次に、島津斉彬(なりあきら)の野望

     は、 一橋慶喜を江戸幕府の将軍にたて

     て、 水戸藩を始め雄藩と組んで、江戸

     幕府の政治の実権をにぎることで、幕府

     の政局に大きな力を持つことであった。  

     次期(14代)将軍を一橋慶喜(よしのぶ)

     に推するという 将軍継嗣(けいし)問題

     は、2次的な目的であった。 

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ 徳川家定に関しては、 

     日本史辞典の 『 徳川家定 (とくがわ

     いえさだ) 』 を参照して下さい。

 

   ■ 島津斉彬一橋慶喜に関しては、 

     日本史辞典の 『 島津斉彬(しまづなり

     あきら)、 徳川慶喜(とくがわよしのぶ)』 

     の各項目を参照して下さい。

 

 

   ■ (3) 次期14代将軍継嗣問題。 

      一橋派と紀州派(南紀派)の対立。

 

   ● 次期14代将軍継嗣問題とは、 江戸幕

     府の第13代将軍の徳川家定(いえさだ)

     は、 病弱で、跡継ぎの子がなく、 江戸

     幕府の次期14代将軍を誰にするかとい

     う問題である。

 

   ■ 有力大名合議制の日本政治を目指す一

    橋派と、 徳川氏独裁体制の従来型の日本

    政治をめざす紀州派(南紀派)とが、対立し

    た。

 

   ● 前水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)の

     7男で、一橋家へ養子に行った一橋慶

     喜 (ひとつばしよしのぶ)を次の将軍 

     に推(お)す一橋派 と、 11代将軍の

     徳川家斉(いえなり)の孫の、紀州藩主

     徳川慶福 (とくがわよしとみ、後の14

     代将軍・家茂(いえもち))を推す紀州派

     (南紀派)が、 日本で、対立した。

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ 一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)徳川

     慶福(よしとみ)島津斉彬一橋慶喜

     関しては、 

     日本史辞典の 『 徳川慶喜 (とくがわ

     よしのぶ)、 徳川慶福(とくがわよしと

     み) 』 の各項目を参照して下さい。

 

 

   ■ (4) 一橋派をバックアップする璋院・

         篤姫。

   ● 篤姫は、 次期14代将軍に紀州藩主の

     徳川慶福(よしとみ、後の家茂(いえもち))

     を支持する、紀州派(南紀派)の、家定生

     母・本寿院 (ほんじゅいん) や 親藩大

     名・彦根藩主・井伊直弼 (いいなおすけ)

     に対抗して、 大奥で熾烈(しれつ)な戦い

     をし、 (輿入れの時からの世話・監視・

     連絡係の) 同志の西郷隆盛を通じて、 

     島津斉彬(なりあきら)と連絡をとり、次期

     14代将軍に一橋慶喜(ひとつばしよしの

     ぶ)を支持する、一橋派の幕臣、諸大名と

     連携して、活動するが、 大奥のほと んど

     の奥女中は、一橋慶喜支持せず、 18

     57年に一橋派の中心人物の老中の阿部

     正弘 (あべまさひろ)が急死し、不利となり、 

     夫の将軍・徳川家定も一橋慶喜を支持せ

     ず、 結局、将軍継嗣(けいし)活動で、失

     敗する。

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ 西郷隆盛に関しては、 

     日本史辞典の 『 西郷 隆盛 (さいごう た

     かもり) 』 を参照してください。

 

 

   ■ (5) 璋院・篤姫が江戸幕府の将軍

         の徳川家定に愛情をいだく。

 

   ■ 篤姫は、 政略結婚で嫁いできたので

     あるが、 病弱な夫・徳川家定に、次第

     に、愛情をいだくようになっていく。

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

 

   ■ (6) 江戸幕府の次期14代将軍に

      紀州藩主・徳川慶福(家茂)が決定

      する。

 

   ● 1858年(安政5年)4月に、 篤姫の

     夫の13代将軍・徳川家定が、 紀州

     派(南紀派)の井伊直弼(いいなおす

     け)を、 江戸幕府の大老(たいろう)

     に就任させる。 

 

   ● 結局、1858年(安政5年)5月に、紀州

     派(南紀派)の大老・井伊直弼(いいなお

     すけ)が推(お)す紀州藩主・徳川慶福 

     (よしとみ)が、 江戸幕府の次期14代

     将軍となることが、決まる。

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ 井伊直弼、徳川家茂(慶福)に関しては、 

     日本史辞典の 『   井伊直弼 (いいな

     おすけ)、 徳川家茂 (とくがわいえも

     ち) 』 の各項目を参照してください。

 

 

   ■ (7) 璋院・篤姫 の夫の徳川家定が

         病死する。

   ● 1858年(安政5年)7月に、篤姫の夫

    の徳川家定(いえさだ)が、 篤姫の嫁い

    だ後1年9ヶ月で、 病死する。

       家定の死因は、脚気(かっけ)による

    心不全(しんふぜん)であった。

       篤姫は、悲しみにくれ、夫・家定の死

    去に伴い落飾して、天璋院(てんしょうい

    ん) と名乗る。  璋院・篤姫 は、数え

    年・23歳で、未亡人となる。

 

   ■ (8) 天璋院・篤姫の変身。

   ● 天璋院・篤姫  (てんしょういん・あつひ

     め)は、 「薩摩の女」 から 「徳川の女」

     へと変身する。

 

   ● 璋院・篤姫の夫 の・将軍・徳川家定の

     死後、 薩摩藩は、天璋院・篤姫の薩摩

     帰国を幕府に願い出るが、 天璋院・篤

     姫本人が拒否し、 天璋院・篤姫は、考え

     を変え、そのまま、江戸幕府の江戸城に

     留まり、 嫁ぎ先の徳川宗家(本家)のた

     めに尽くし、 江戸幕府の将軍(14代家

     茂、15代慶喜)を補佐・助言し、1868年

     (慶応4年)4月11日の江戸城無血開城

     まで、江戸城に留まる。

 

   ● 1858年(安政5年)に、  養父の薩摩藩

     主・島津斉彬(なりあきら)が急死し、 そ

     の後、夫の江戸幕府将軍・徳川家定も急

     死し、 天璋院・篤姫は、考えを変え、嫁ぎ

     先の徳川宗家(本家)の江戸幕府に味方

     し、尽くす。 そして、 倒幕(幕府打倒)を

     めざす実家の薩摩藩出身の人達と対立し、

     一時期、不和となる。 しかし、その後、和

     解する。

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ● 江戸幕府の第14代将軍となった数え年・

     13歳の徳川家茂(いえもち)は、 元紀

     州藩主で、紀州(和歌山県)出身であり、 

     将軍就任当時少年で、 江戸は見知らぬ

     土地であり、 江戸(東京)、江戸城、江戸

     幕府、幕政のことは、 ほとんどわからず、 

     自分を将軍として擁立してくれた井伊直

     弼(なおすけ)も自分をお飾り将軍としか

     思っていないのを知り、  心細く感じた

     将軍・徳川家茂(いえもち)は、 これ以後、 

     政治に長(た)けた天璋院・篤姫を 「母上

     (ははうえ)」と呼び、 母(義母)である

     天璋院・篤姫を、公私とも頼りにし、私的

     な政治顧問としても頼りにすることとなる。 

        また、江戸幕府の14代将軍・徳川家

     茂(いえもち)の後見職であり、次期の15

     代将軍になった徳川(一橋)慶喜(よしの

     ぶ)も、 その政治的能力を知り、 天璋

     院・篤姫を、私的な政治顧問として、頼り

     にすることとなり、 天璋院・篤姫は、幕

     末の江戸幕府を支えることとなる。  

        但し、天璋院・篤姫は、 個人的に、

     徳川家茂(慶福)は好きで あったが、徳川 

     (一橋)慶喜は嫌いであった。

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

 

   ■ (9) 公武合体と和宮の婚儀。

   ● 和宮 (かずのみや、後の静寛院宮)は、 

    公武合体のため、 江戸幕府から降嫁

    (婚儀)を要請され、 1861年に江戸へ

    下向し、 翌年、江戸幕府の14代将軍の

    徳川家茂と婚儀を結ぶ。

 

   ■ 和宮一行は、 1861年10月に江戸に

     向けて出発し、 1862(文久2年)年2月

     に江戸に着き、 1862年(文久2年)2月

     に家茂と和宮の婚儀が江戸城にて挙行さ

     れ、 皇室より降嫁(こうか)し、ここに、公

     武合体が完成した。 

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ 和宮 と 和宮の生母の観行院(かんぎ

     ょういん)は、 1862年(文久2年)より、 

     江戸城の大奥にて、 天璋院・篤姫(て

     んしょういん・あつひめ)、 前14代将軍・

     家茂生母の実成院(じっせいん)、 大奥・

     御年寄の滝山(たきやま) と共に過ごす

     こととなった。

 

   ● 江戸城大奥へ入った、和宮、観行院(か

     んぎょういん) 及び お付の京都方の女

     官は、 宮中風の生活習慣を守り、 大奥

     側は 大奥になじまない和宮一同に不遇

     な待遇をしていじめるなどし、当初は険悪

     な空気であった。  しかし、人格に秀(ひ

     い)で他者への気遣いが巧みだった 14代

    将軍・徳川家茂(いえもち)の機転で、 後に

    和宮側と天璋院・篤姫側は 和解する。

 

   ● 1866年に、江戸幕府の14将軍の徳川

     家茂が、大阪城で、急死し、和宮は、

     落飾して、静寛院宮(せいかんいんのみ

     や)と称した。  和宮は、数え年・21歳の

     若さで未亡人となった。

        1866年に、徳川(一橋)慶喜が、江

     戸幕府の第15将軍に就任する。

 

   ■ (10) 天璋院・篤姫は、徳川氏存続の

      ため、尽力する。

   ● 璋院・篤姫は、 徳川氏のため、戊辰

     戦争(1868年〜1869年)では、徳川

     氏の存続に尽力(じんりょく)する。

 

   ■ 璋院・篤姫、  和宮や勝海舟らと協

     力して、徳川 氏を存続させるため、朝廷

     や薩摩藩や江戸攻撃の東征軍へ働きか

     け、 また、旧江戸幕府 (徳川氏宗家)の

     もつ実権(権限、領地、城等)の明治新

     政府への平和的移譲に貢献し、 璋院・

     篤姫の徳川氏宗家を存続させたいという

     思いが、 結果として、旧 江戸幕府勢力

     軍と明治新政府軍との日本の本格的

     内戦(内乱、全面戦争)を回避させ る

 

   ● 江戸総攻撃については、 明治新政府

     東征軍の江戸到着前に、勝海舟が、 

     東征軍の江戸総攻撃を回避する工作を

     していた。 勝海舟の策により、明治新

     政府の東征軍は、江戸到着前に、江戸

     総攻撃を 躊躇(ちゅうちょ)していた

        というのも、明治新政府の東征軍

     が江戸(東京)へ向かう途中の時期に、 

     江戸(東京)をアジア貿易のよい市場・

     拠点にしようと思っていたイギリスに、 

     江戸幕府代表の勝海舟が、 東征軍

     の江戸攻撃があれば「江戸を焼きつく

     す」と言ったため、 驚いたイギリスが

     江戸総攻撃に反対の立場をとったた

     め、 当時イギリスの全面援助を受け

     ていた明治新政府の東征軍は、江戸

     到着前に、江戸総攻撃を躊躇(ちゅう

     ちょ)し、更に、江戸到着時に、江戸幕

     府代表の勝海舟による旧幕府の譲歩

     を受け入れて、江戸総攻撃を中止した。

 

   ■ 幕末や明治 時代初期に、 欧米列強は、  

     隙(すき)あらば、 日本を本格的に植

     民地にし、搾取しようと、狙(ねら)って

     いた。  欧米列強は、 日本で全面戦

     争の内乱(内戦)が起こり日本全体の

     軍事力が更に弱体化した時、抵抗が少

     なくなり、 日本の領土を容易に奪える

     と考えて、 その機会をうかがってい た。 

     しかし、 戊辰(ぼしん)戦争、西南の役

     という部分戦争は、起きたが、 全面戦

     争の内戦(内乱)は起こらず欧米列強

     は、 日本を植民地にする機会を失 う。 

 

   ● 日本は、 幕末や明治時代初期に、欧米

     列強の植民地化を免(まぬが)れ、 難局

     をのりきり、その後、明治時代に、殖産興

     業、富国強兵を行い、 欧米列強に対抗

     できる強力な軍事力を持つ近代国家とな

     る。 

   ● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫

      ガイドブック。

 

   ■ (11) 明治時代の璋院・篤姫

   ■ 江戸幕府滅亡後、明治期に、天璋院・篤

     は、 勝 海舟と協力して、 徳川宗家

     (とくがわそうけ、徳川本家)を維持し(支

     え)、徳川宗家・16代当主の幼年の徳川

     家達を養育する

   ● 1868年(慶応4年)の江戸城無血開城

     で、江戸幕府滅亡後、璋院・篤姫は、 

     江戸城を去り、東京の邸宅(初め一橋邸、

     その後、他4邸宅)に移る。 

        明治期に、天璋院・篤姫は、旧大奥・

     奥女中、旧幕臣の世話をしたり、 徳川宗

     家(徳川本家)の跡継で幼少の徳川家達 

     (いえさと、生没年:1863年〜1940年、

     徳川宗家(徳川本家)・第16代当主:18

     68年〜1940年、後に帝国議会・貴族院

     議長) を養育したり、 明治新政府の要人

     や明治維新の改革者とも親しく交わる。

 

   ■ 徳川宗家(旧江戸幕府の徳川宗家)の

     存続。

   ● 徳川宗家(旧江戸幕府の徳川宗家)の

     存続については、 1868年(慶応4年)

     に、 江戸薩摩藩邸での勝・西郷会談後、 

     璋院・篤姫 、和宮、勝海舟の望んだ、

     徳川宗家(徳川本家)の存続は成功する。

        1868年(慶応4年)に、 徳川宗家

     (徳川本家)は、滅亡を免れ、「縮小(減

     封)存続」となる。 

        即ち、徳川宗家(本家)は、 領地

     (400万石)と本城(江戸城)を、明治新

     政府に移譲し、 旧幕府将軍(15代徳川

     宗家当主)の徳川慶喜を助命し、水戸で

     謹慎処分とし、 徳川宗家(徳川本家)は、 

     田安徳川家の亀之助 (徳川家達(いえ

     さと))が 次の16代徳川宗家(本家)

     当主となり、 静岡藩(領地70万石、本

     城・駿府城)を与えられ、1868年(慶応

     4年)に、そこへ移る。 

       しかし、1871年(明治4年)に、廃藩置

     県で、 静岡藩は、消滅する。 16代徳川

     宗家(徳川本家)当主の徳川家達(亀之助)

     は、 天璋院・篤姫のいる東京の徳川宗家

     (徳川本家)の邸宅に戻り、その後、徳川家

     達(亀之助)は、欧米に留学する。

 

   ■ 徳川将軍家の15代(15人)の当主・将軍

     名、当主・将軍就任期間に関しては、

     日本史辞典の 『  徳川将軍家 』 を参照

     してください。

 

 

  ★ 幕末の大奥を描いた、興味深い

     ドラマ。

  ■ 『 篤姫 (あつひめ) 』。

    (NHK2008年大河ドラマ)。 

 

   ● 天璋院・篤姫を演じた女優名 : 

      宮崎あおい。

 

    

     (宮崎あおいの演じる天章院・篤姫)。

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      (ドラマ「篤姫」の出版本販売用PRフォト)。

 

 

  ♪♪ 天章院 篤姫、和宮が登場す

      る、興味深いドキュメンタリー、

      ドラマ、映画。

 

  ★ 天章院 篤姫、和宮が登場する、

     興味深いドキュメンタリー。

 

  ■ その時歴史が動いた 

     『 大奥 華(はな)にも意地あり 

       〜江戸城無血開城・天章院

       篤姫〜 』。 

       (NHKテレビ・2007年(H19)4月・

        本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ★ 天章院 篤姫、和宮が登場する、

     興味深い関連ドラマ・映画 : 

   ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

         歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の

      事実) と 架空の出来事が、混じって、

      描かれています。 また、現代風にアレン

      ジしてあります。

 

  ■ 『 篤姫 (あつひめ) 』。 

      (NHKテレビ・2008年大河ドラマ)。 

 

   ■ 江戸幕府の、12代将軍・徳川家慶(いえ

     よし)、13代将軍・徳川家定(いえさだ)、

     14代将軍・徳川家茂(いえもち)、15代

     将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の時代及び

     明治時代初期を描く。

   ■ 江戸幕府・13代将軍・徳川家定(いえさ

     だ)の正室夫人で、幕末、明治維新に活

     躍した、、天璋院・篤姫(てん しょういん・

     あつひめ)の生涯を描く。

 

   ● 天璋院・篤姫:宮崎あおい。     

                               

      

 

       

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     (ドラマ「篤姫」の出版本販売PR用フォト)。

 

 

  ■ 『 大奥・幕末の女たち 』。 

      (フジテレビ・2003年・2004年

       制作・テレビドラマ)。

   ■ 江戸幕府の、12代将軍・徳川家慶(いえ

     よし)、13代将軍・徳川家定(いえさだ)、

     14代将軍・徳川家茂(いえもち)、15代

     将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の時代及び

     明治時代初期を描く。

 

   ● 菅野美穂、安達祐実、浅野ゆう子、池脇

     千鶴主演。

 

   

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     (ドラマ「大奥・幕末の女たち」のDVD

      販売PR用フォト)。

 

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』。

 

 

 

以  上。