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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。
KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY
HANDBOOK.
◆ カナヤマ西郷 隆盛ガイドブック。
KANAYAMA’S GUIDEBOOK ON
SAIGO TAKAMORI.
『 (Kjhh)41523
カナヤマ
西郷隆盛
関連 年代順
出来事ブック。 』
■ パソコン(PC)、 携帯用パソコン(PC)、
タブレット端末(PC)(iPad、他)、
スマートフォン(iPhone、他)、
ウェアラブル端末、 スマートテレビ用
インターネット向 電子書籍。
メ ニュー (目次)。
■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。
□ 西郷 隆盛ガイドブック。
□ 廃藩置県。
□ 薩長同盟。
□ 西南戦争。
■ 西郷隆盛と同時代近くの関係史料。
□ 明治維新活躍人物
□ 江戸幕府ガイドブック。
ブック。
□ 坂本龍馬ガイドブック。
ブック。
□ 西郷隆盛 年表。
■ 上位のWEBサイト。
□ (KOH) カナヤマ オフィシャル >
□ (Cse) 国際理解総合サイト >
□ (Ke) 百科事典。 >
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□ (Kjhh) この日本語ページ。
■ カナヤマ 主要 公式ホームページ
略語一覧表。
□ 主要サイトの略語・説明表。
□ 西郷 隆盛ガイドブックへ。
◆ 当書籍の内容。
■ 初学者・初心者用 インターネット向
西郷 隆盛ガイドブック。
■ パソコン(PC)、 携帯パソコン(PC)、
タブレット端末(PC)(iPad、他)、
スマートフォン(iPhone、他)、
ウェアラブル端末、 ネット接続カーナビ、
スマートテレビ用
インターネット向 電子書籍。
■ この本1冊で (当電子書籍1冊で)、 西郷 隆盛
のこと(概略)が、一通り、わか る。
■ 西郷 隆盛は、 幕末、明治時代初期のの政治改
革者である。 政治家、 武人であり、 日本を近代
化へ導いた人物である。
江戸時代(1603年〜1868年)の末期(幕
末)の、薩摩藩 (現・鹿児島県の相当地域)の
下級武士出身であり、 近代日本の革命家であっ
た。
■ 西郷 隆盛の入門 ガイドブック。
■ 西郷 隆盛 (さいごう たかもり) 関連 初学者・
初心者向 インターネット用 オンライン 電子
書籍(ブック)。
■ 西郷 隆盛 ガイドブック。
■ 初心者用 オンライン 西郷 隆盛 ガイドブック 。
■ TKKI カナヤマ著 西郷隆盛ガイドブック。
□ 西郷 隆盛ガイドブックへ。
◆ (Kjhh)
西郷 隆盛 関連
年代順出来事
ブック (総合)。
◆ 西郷 隆盛 関連
年代順出来事
(詳細・各年)。
■ 西郷 隆盛 関連年代順
出来事 (詳細項目)。
□ 西郷 隆盛ガイドブック。
□ 廃藩置県。
□ 薩長同盟。
□ 西南戦争。
■ 西郷隆盛と同時代近くの関係史料。
□ 江戸幕府ガイドブック。
ブック。
□ 坂本龍馬ガイドブック。
ブック。
■ 備考。
■ 当書籍では、 歴史の出来事の5W1H
(いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どの
ように) や、 歴史の出来事の流れ(原因
理由⇒事件勃発⇒経過⇒結果⇒原因理
由)に沿って、歴史(過去)の出来事を分か
り易く、説明している。
■ より理解を深めるために、 日本史辞典の、
『 島津斉彬 (しまづなりあきら)、
板垣退助 (いたがきたいすけ)、
坂本龍馬 (さかもとりょうま)、
大久保利通 (おおくぼとしみち)、
木戸孝允 (きどたかよし)、
阿部正弘 (あべまさひろ)、
井伊直弼 (いいなおすけ)、
天璋院篤姫 (てんしょういんあつひめ)、
勝海舟 (かつかいしゅう)、
徳川慶喜 (とくがわよしのぶ)、
岩倉具視 (いわくらともみ)、
孝明天皇 (こうめいてんのう)、
明治天皇 (めいじてんのう)、 』
の項目も参照してください。
■ 西暦・和暦の記載。
● この年代順出来事は、
西暦を先に、その後ろの( )内に和暦を記載し
ている。
● この年代順出来事に記載されている日付(年
月日)は、 一般の歴史書で使用されているの
と同じように、1872年(明治5年)以前は旧暦
(太陰太陽暦)を用い、 1873年(明治6年)
以後は新暦(太陽暦、グレゴリオ暦)を用いて
いる。
◆ では、西郷隆盛 (さいごうたかもり)に関係す
る出来事を、年代順に、見てみよう。
■ さあ、西郷隆盛に関する様々な出来事を見て
みよう。
● 歴史学の立場から、西郷隆盛の生涯や実像
(真実の姿)を見てみよう。
● 歴史学の立場から、年代を追って、西郷隆盛
の実像 (歴史的有名な人物には、虚像と
実像があるが)を見てみよう。
● 現代も、過去の時代も、人間は、利害と感情
(友愛)と理性等で行動し、富、名誉、権力等
を手に入れるために努力する。
人類の歴史は、 平和と戦争の歴史で
ある。 人は、美しき者、平和を好む者であり、
人は、醜き者、争う者でもある。
□ 西郷 隆盛ガイドブックへ。
■ 1818年 (文化15年・文政元年)。
● 文化年号から文政年号に改元。
文政年号:1818年ー 1830年。
■ 1818年(文化15年・文政元年)に、
文政(ぶんせい)年号に改元。
● 1818年(文化15年・文政元年)4月22日に、
和暦の「文化」(ぶんか、
文化元年・1804年〜文化15年 ・1818年)
が、
和暦の「文政」(ぶんせい、
1818年・文政 元年・ 4月22日〜
1830年・文政13年・12月10日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1827年 (文政10年)。
● 西郷隆盛の誕生。
■ 1827年(文政10年)に、西郷 隆盛 (西
郷吉之助、生没年:1827年ー1877年)が、
薩摩藩 (さつまはん、現・鹿児島県の相当
地域)の下級武士の子と して、産まれる。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1830年 (文政13年・天保元年)。
● 文政年号から天保年号に改元。
天保年号:1830年ー 1844年。
■ 1830年(文政13年・天保元年)に、
天保(てんぽう)年号に改元。
● 1830年(文政13年・天保元年)12月10日に、
和暦の「文政」(ぶんせい、
1818年・文政 元年〜1830年・文政13年)
が、
「天保」 (てんぽう、
天保 元年・1830年・12月10日〜
天保15年・1844年・12月 2日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1835年 (天保6年) 11月。
● 坂本龍馬の誕生。
■ 1835年(天保6年)11月15日に、坂本龍馬
(さかもとりょうま、生没年:1835年ー1867
年)が、 土佐国 (とさのくに、現・高知県の
相当地域)の土佐郡上街本町(現・高知市
上町)の土佐藩郷士の坂直足(さかもとなお
たり、坂本八平)の子(次男)として、産まれる。
■ 1844年 (天保15年・弘化元年)。
● 天保年号から弘化年号に改元。
弘化年号:1844年ー 1848年。
■ 1844年 (天保15年・弘化元年)に、
弘化(こうか)年号に改元。
● 1844年(天保15年・弘化元年)12月2日に、
和暦の「天保」(てんぽう、
天保 元年・1830年〜天保15年・1844年)
が、
和暦の「 弘化」(こうか、
弘化 元年・1844年・12月 2日〜
弘化 5年・1848年・ 2月28日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1847年 (弘化4年)。
● 徳川慶喜が一橋家の養子
となる。
■ 1847年(弘化4年)に、 徳川慶喜 (とくが
わよしのぶ)が、 水戸藩主の男子であるが、
徳川御三卿(とくがわごさんきょう)の1つの、
一橋家(ひとつばしけ)の養子となる。
■ 1848年 (弘化5年・嘉永元年)。
● 弘化年号から嘉永年号に改元。
嘉永年号:1848年ー 1854年。
■ 1848年(弘化5年・嘉永元年)に、
嘉永(かえい)年号に改元。
● 1848年(弘化5年・嘉永元年)2月28日に、
和暦の「弘化」(こうか、
弘化元年・1844年〜弘化5年・1848年)
が、
和暦の「嘉永」(かえい、
嘉永 元年・1848年・ 2月28日〜
嘉永 7年・1854年・11月27日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1848年 (嘉永元年) 12月。
● 琉球貿易を行なっていた、
薩摩藩の調所広郷が自害。
■ 1848年(嘉永元年)12月に、薩摩藩の
調所 広郷 (ずしょ ひろさと)が、 琉球貿易
の責任を問われて、自害する。
■ 1851年 (嘉永4年) 1月。
● 中浜万次郎がアメリカから
帰国し琉球(沖縄)に上陸。
■ 1851年(嘉永4年)1月に、中浜万次郎
(ジョン万次郎)がアメリカ船に送られ、琉球
(沖縄)に上陸する。
■ 1853年 (嘉永6年)。
● 徳川家定が江戸幕府の
第13代将軍となる。
■ 1853年(嘉永6年)に、徳川 家定 (とくが
わいえさだ、将軍在任:1853年〜1858年、
徳川家慶(いえよし)の四男) が、
江戸幕府の第13代将軍となる。
● 一橋派と紀州派との対立が
始まる。
■ 一橋派と紀州派との対立が起こる。
(1853年〜1859年頃)。
● 1853年(嘉永6年)以後、 江戸幕府 ・第
13代将軍の徳川家定は体が弱かったため、
次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、
日本各地で、雄藩連合政治を望み江戸幕府
の次期14代将軍に一橋慶喜(ひとつばし
よしのぶ、水戸藩出身一橋家当主)を擁(よ
う)する、一橋派(ひとつばしは) と、
徳川独裁政治を望み江戸幕府の次期14代将
軍に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩主)を擁す
る、紀州派(きしゅうは、南紀派) とが、対立
する (1853年〜1859年頃)。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1853年 (嘉永6年) 6月。
● 黒船来航。
● 米ペリー艦隊が来航し
開国を要求。
■ 1853年(嘉永6年)6月に、アメリカのペリー
艦隊が日本に来航し、開国を要求する。
● ペリーは、浦賀に来航し、久里浜に上陸する。
● 1854年(嘉永7年)1月に、アメリカのペリー
艦隊が日本に再来航し、開国を要求する。
■ 1853年 (嘉永6年)。
● 尊皇(王)攘夷派と開国派と
の対立が始まる。
■ 尊皇(王)攘夷派と開国派との対立 が起こる。
(1853年〜1867年頃)。
● 1853年(嘉永6年)に、 江戸幕府の老中
首座・阿部正弘 (あべまさひろ)が、
挙国的な対策を立てようと、 開国について、
諸大名や様々な人物に、意見を求めたため、
これ以後、日本各地で、外国勢力を武力で追、
い払うことを主張する尊皇(王)攘夷派 (そ
んのうじょういは) と、 開国し外国勢力と協
力して先進の西洋文化 を採り入れて国を発展
させる ことを主張する開国派(かいこくは) と
が対立する (1853年〜1867年頃)。
■ 1854年 (嘉永7年) 1月。
● 米ペリー艦隊が再来航し
開国を要求。
■ 1854年(嘉永7年)1月に、アメリカのペリー
艦隊が日本に再来航し、開国を要求する。
● ペリーは、浦賀に再来航する。
■ 1854年 (嘉永7年)。
● 日本の幕府は米英露蘭と
和親条約を締結。
● 日本は部分的開国を行なう。
■ 日本の江戸幕府は、1854年(嘉永7年
から1855年(安政2年)にかけて、
欧米列強の米英露蘭と和親条約を締結し、
日本は、部分的開国に踏み切る。
● 日本の幕府は日米和親条約
を締結。
■ 日本の部分的開国。 日米和親条約締結。
● 江戸幕府・老中首座の阿部正弘 (あべま
さひろ)は、 1854年(嘉永7年)3月に、
アメリカと、日米和親条約を締結する。
● 日本の幕府は英露蘭とも和親
条約を締結。
■ その後、日本の江戸幕府は、
1854年(嘉永7年)から1855年(安政2年)
にかけて、英露蘭(えいろらん、イギリス、ロ
シア、オランダ)とも和親条約を締結する。
■ 1854年 (嘉永7年) 4月。
● 西郷隆盛が薩摩藩主の
庭方役となる。
■ 1854年(嘉永7年)4月に、西郷隆盛は、
薩摩藩主の島津斉彬 (しまづ なりあきら)
の庭方役 (にわかたやく、秘書役)となる。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1854年 (嘉永7年)。
● 西郷隆盛が、天璋院・篤姫の
輿入れ支度係、連絡係となる。
■ 1854年(嘉永7年)に、西郷隆盛は、
島津斉彬(しまづ なりあきら)の命(めい、命
令)により、江戸に赴(おもむ)き、 天璋院・
篤姫 (てんしょういん・あつひめ、島津篤子、
近衛敬子)の、輿入 れの支度係(1854年〜
1856年) や 天璋院・篤姫(島津篤子、近
衛敬子)との連絡係(1854 年〜1859年)
となる。
■ 1854年 (嘉永7年・安政元年)。
● 嘉永年号から安政年号に改元。
安政年号:1854年ー 1860年。
■ 1854年(嘉永7年・安政元年)に、
安政(あんせい)年号に改元。
● 1854年(嘉永7年・安政元年)11月27日に、
和暦の「嘉永」(かえい、
嘉永元年・1848年〜嘉永7年・1854年)
が、
和暦の「安政」(あんせい、
安政 元年・1854年・11月27日〜
安政 7年・1860年・ 3月18日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1854年 (安政元年) 12月。
● 下田、長崎、箱館が外国に
開港。
■ 1854年(安政元年)12月に、日本の江戸
幕府は、 下田、長崎、箱館(はこだて、函館)
を開港する。
■ 1855年 (安政2年) 10月。
● 堀田正睦が幕府の老中主座
に就任。
■ 1855年(安政2年)10月に、堀田正睦
(ほったまさよし)が、 江戸幕府の老中
主座に就任する。
● 1858年(安政5年)2月に、堀田正睦は、
和親条約の勅許を得られず。
■ 1857年 (安政4年) 6月。
● 一橋派の幕府の老中・阿部
正弘が急死する。
■ 1857年(安政4年)6月に、江戸幕府の、
老中・阿部 正弘 (あべまさひろ、一橋派の
中心人物) が、 急死する。
■ 1858年 (安政5年) 4月。
● 井伊直弼が幕府の大老
に就任する。
■ 1858年(安政5年)4月に、 井伊 直弼
(いい なおすけ、紀州派(南紀派)) が、
江戸幕府の大老に就任する。
■ 1858年 (安政5年) 6月。
● 幕府の次期14代将軍が紀州
藩主の徳川 慶福(後の家茂)
に決定。
■ 1858年(安政5年)6月25日に、江戸幕
府の次期14代将軍が、 紀州藩主の徳川
慶福 (とくがわよしとみ、後の徳川 家茂
(いえもち))に決定する。
● 1858年(安政5年)6月に、江戸幕府・
大老の井伊 直弼(いいなおすけ)は、
江戸幕府の次期・第14代将軍を、徳川
慶福(よしとみ)に決定する。
■ 1858年 (安政5年)。
● 日本の幕府は米蘭露英仏と
不平等な修好通商条約を締結。
■ 「安政の5カ国条約」締結。
● 江戸幕府・大老の井伊 直弼は、 1858
年(安政5年)6月から9月にかけて、 天皇
の勅許を得ず、 欧米列強の米蘭露英仏
(べいらんろえいふつ、アメリカ、オランダ、
ロシア、イギリス、フランス)と不平等な
「安政の5カ国条約」(修好通商条約)を締
結する。
● 日本の幕府は日米修好通商
条約を締結。
■ 1858年(安政5年)6月に、
江戸幕府・大老の井伊 直弼(いいなおす
け)は、 勅許を得ず、アメリカと日米修好
通商条約を締結する。
■ 1858年 (安政5年) 7月。
● 幕府の13代将軍・家定が
急死する。
■ 1858年(安政5年)7月に、江戸幕府・
第13代将軍の徳川家定(いえさだ)が、
急死する。
■ 1858年 (安政5年) 7月。
● 幕府の大老の井伊は、一橋派
の徳川一族を蟄居・謹慎にする。
■ 1858年(安政5年)7月に、江戸幕府・
大老の井伊 直弼は、 一橋派の、徳川斉昭
(なりあき)、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)、
松平慶永(春嶽)(まつだいらよしなが(しゅ
んがく))らを、蟄居・謹慎 (ちっきょ・きんし
ん)などの処分する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1858年 (安政5年) 9月。
● 安政の大獄が始まる。
■ 安政の大獄
(1858年〜1859年)。
● 1858年(安政5年)9月に、安政の大獄
(あんせいのたいごく、1858年〜1859年、
反井伊勢力や一橋派の一掃) が始まる。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1858年 (安政5年) 12月。
● 幕府の14代将軍に徳川家茂
が就任する。
■ 1858年(安政5年)12月に、徳川家茂
(とくがわいえもち、紀州藩主・徳川慶福(よし
とみ)) が、 江戸幕府の第14代将軍となる。
■ 1858年 (安政5年) 12月。
● 薩摩藩の島津斉興は、一橋派
の活動家だった西郷隆盛を
死んだこととする。
■ 1858年(安政5年)12月に、
薩摩藩の実権を持つ島津斉興 (しなづな
りおき)は、 江戸幕府の追求をかわすため、
一橋派の活動家で安政の大獄で追われて
いる西郷隆盛を、死んだことにし、 潜伏生
活(潜居)させることとした。
● 西郷隆盛は、鹿児島を出帆し、奄美大島へ
向かう。
● TKKI カナヤマ著 西郷隆盛ガイドブック。
■ 1859年 (安政6年) 1月。
● 一橋派の活動家だった西郷隆
盛は、奄美大島に潜伏する。
■ 西郷隆盛の第1次島流し
(奄美大島で約3年間、
1859年1月ー1862年1月)。
● 西郷隆盛は、 死んだこととされ(潜居処分
とし)、1859年(安政6年)1月から、 奄美
大島で潜伏生活を送る。
● 西郷隆盛は、 1858年(安政5年)12月
末に、菊池源吾と改名して、船で鹿児島を
出航し、1859年(安政6年)1月12日に、
潜居地の奄美大島に到着する。
■ 1859年 (安政6年) 2月。
● 山内容堂が土佐藩主を辞任
し、隠居する。
■ 1859年(安政6年)2月に、 土佐藩・第
15代藩主の山内容堂 (やまうちようど
う、豊信)が、 土佐藩主を辞任し、隠居する。
■ 1859年 (安政6年) 10月。
● 幕府の大老・井伊が橋本左内、
吉田松陰らを死罪。
■ 1859年(安政6年)10月に、 江戸幕府・
大老の井伊 直弼は、 橋本左内、吉田松陰
らを死罪とする。
■ 1860年 (安政7年) 1月。
● 安藤信正が幕府の老中に
就任。
■ 1860年(安政7年)1月に、 安藤信正
(あんどうのぶまさ)が老中に就任する。
■ 1860年 (安政7年) 3月。
● 桜田門外の変で、幕府大老の
井伊が暗殺される。
■ 桜田門外の変。
● 1860年(安政7年)3月3日に、江戸幕府の
大老・井伊 直弼(いいなおすけ)が、暗殺され、
「桜田門外の変」が起こる。
● 桜田門外の変後、幕府は公武
合体政策をすすめる。
● 尊皇(王)攘夷派・急進派 と
公武合体派・佐幕派と対立が
始まる。
■ 尊皇(王)攘夷派・急進派 と 公武合体派・
佐幕派との対立 (1960年ー1864年頃)。
● 1860年(安政7年)3月以後、江戸幕府は
公武合体政策をすすめ、 尊皇(王)攘夷派・
急進派 と 公武合体派・佐幕派 とが対立
する (1960年ー1864年頃)。
■ 1860年 (安政7年・万延元年)。
● 安政年号から万延 年号に改元。
万延年号:1860年ー 1861年。
■ 1860年(安政7年・万延元年)に、
万延(まんえん)年号に改元。
● 1860年(安政 7年・万延元年)3月18日に、
和暦の「安政」(あんせい、
安政元年・1854年〜安政7年・1860年)
が、
和暦の「万延」(まんえん、
万延 元年・1860年・ 3月18日〜
万延 2年・1861年・ 2月19日) に
改元される。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1860年 (万延元年) 10月。
● 桜田門外の変後の幕府の公武
合体政策で、和宮降嫁が決まる。
● 皇女和宮と徳川家茂の婚儀が
決まる。
■ 1860年(万延元年)10月に、 和宮
降嫁(かずのみやこうか)が勅許される。
● 公武合体策のため、 孝明天皇の妹の
和宮 と 江戸幕府・将軍の徳川家茂と
の政略結婚が決まる。
■ 1861年 (万延2年・文久元年)。
● 万延年号から文久 年号に改元。
文久年号:1861年ー 1864年。
■ 1861年(万延2年・文久元年)に、
文久(ぶんきゅう)年号に改元。
● 1861年( 万延2年・文久元年)2月19日に、
和暦の「万延」(まんえん、
万延元年・1860年〜万延2年・1861年)
が、
和暦の「文久」(ぶんきゅう、
文久 元年・1861年・ 2月19日〜
文久 4年・1864年・ 2月20日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1861年 (文久元年) 9月。
● 武市が「土佐勤王党」を結成、
坂本龍馬も参加。
■ 1861年(文久元年)9月に、土佐の下士(か
し、下級武士)の尊皇(王)攘夷派は、 武市
半平太(たけちはんぺいた、武市瑞山)をリー
ダーに、「土佐勤王党」を結成する。
坂本龍馬は、「土佐勤王党」に、9番目
で参加する。
■ 1861年 (文久元年) 10月。
● 坂本龍馬は、密使として、
長州へ向かう。
■ 1861年(文久元年)10月に、坂本龍馬は、
武市半平太の密使として、長州(ちょうしゅう)
へ向かう。
■ 1862年 (文久2年) 1月。
● 坂本龍馬は、長州で久坂玄瑞
と面談後、土佐に帰国。
■ 1862年(文久2年)1月に、坂本龍馬は、
長州(ちょうしゅう、現・山口県の相当地域)
の萩(はぎ)で、久坂玄瑞 (くさかげんずい)
と面談する。
坂本龍馬は、翌月の2月末に土佐(と
さ)に帰国する。
■ 1862年 (文久2年) 1月。
● 西郷隆盛は、奄美大島を
脱し、その後、薩摩藩の
任務に就く。
■ 1862年(文久2年)1月に、西郷隆盛は、
潜伏していた奄美大島から船で出航し、
2月に、鹿児島に到着し、その後、薩摩藩
の任務に就(つ)く。
● 1861年(文久元年)10月に、薩摩藩の
国父の島津久光 (しまづひさみつ)は、
西郷隆盛に召喚状を出した。
西郷隆盛は、1862年(文久2年)1月
14日に奄美大島を船で出航し、1862年
(文久2年)2月12日に鹿児島に到着する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1862年 (文久2年) 2月。
● 幕府・将軍の徳川家茂と皇女
和宮が婚儀を結ぶ。
■ 1862年(文久2年)2月に、公武合体政策
のため、江戸幕府・14代将軍の徳川家茂
(いえもち) と、 孝明(こうめい)天皇の妹・
皇女和宮(こうじょう・かずのみや)との婚儀
が行われる。
■ 1862年 (文久2年) 6月。
● 西郷隆盛が島津久光の命令
に背き、遠島処分となる。
■ 西郷隆盛の第2次島流し
(徳之島と沖永良部島で、
1862年7月ー1864年2月)。
● 1862年(文久2年)6月に、薩摩藩の実権
を持つ、国父(こくふ、現藩主の父)の島津
久光(しまづひさみつ)は、 西郷隆盛が自
分の命(めい、命令)に背(そむ)いたため、
西郷隆盛を遠島(えんとう)処分とした。
西郷は、再び、島流し(遠島)となり、
鹿児島を出帆する。
● 1862年(文久2年)6月11日に、西郷隆盛
は、船で鹿児島を出航し、1862年(文久2
年)7月2日に、徳之島に到着する。
■ 1862年 (文久2年) 7月。
● 文久の改革で、一橋慶喜が
将軍後見職になる。
■ 1862年(文久2年)7月に、文久の改革が
行われる。
● 江戸幕府の、文久の改革で、一橋慶喜(徳
川慶喜)が将軍後見職に、松平慶永(松平
春嶽)が政事総裁職に任命される。
■ 1862年 (文久2年) 7月。
● 西郷隆盛が島流しとなり、
徳之島や沖永良部島で
生活する。
■ 西郷の第2次島流し:
1862年7月〜1864年2月。
● 西郷隆盛は、 薩摩藩・国父の島津久光に
より、遠島処分となり、 1862年(文久2年)
7月より、徳之島(とくのしま)や沖永良部島
(おきのえらぶじま)で、生活をする。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1862年 (文久2年) 閏8月。
● 松平容保が京都守護職に就く。
■ 1862年(文久2年)閏8月に、江戸幕府は、
松平容保(まつだいらかたもり)を京都守護
職に任命する。
■ 1862年 (文久2年) 12月。
● 坂本龍馬が勝海舟の弟子
となる。
■ 1862年(文久2年)12月に、坂本龍馬は、
勝海舟の弟子となる。
● 松平慶永(まつだいらよしなが、春嶽(しゅ
んがく))の紹介状を携(たずさ)えて、
勝海舟(かつかいしゅう)に面会し、勝海舟
の弟子となる。
■ 1863年 (文久3年) 3月。
● 幕府将軍の徳川家茂が上洛。
■ 1863年(文久3年)3月に、江戸幕府・14代
将軍の徳川家茂(いえもち)が、上洛(じょうら
く)する (京(都)を訪ねる)。
将軍の上洛は230年ぶりであった。
■ 1863年 (文久3年) 4月。
● 幕府将軍の徳川家茂が攘夷を
5月10日にする旨を天皇に奏
上。
■ 1863年(文久3年)4月に、江戸幕府・14代
将軍の徳川家茂(いえもち)は、 攘夷を18
63年(文久3年)5月10日にする旨を、孝明
天皇に奏上する。
■ 1863年 (文久3年) 5月。
● 長州藩が外国船を砲撃する。
■ 1863年(文久3年)5月に、長州藩外国船
砲撃事件が起こる。
■ 1863年 (文久3年) 5月。
● 勝海舟が海軍塾を大阪で開設、
後に神戸に移る。
● 神戸の勝海軍塾では、坂本龍
馬が塾頭を務める。
■ 1863年(文久3年)5月に、勝海舟により、
海軍塾が開設される (大阪で開設、その
後、9月に神戸に移る、1863年5月ー1865
年3月)。
勝海軍塾で、坂本龍馬は、神戸では塾
頭をつとめる。
● 勝海舟は、 日本を欧米列強から守るため
軍艦の操船技術を習う海軍伝習所に誰でも
入学させたかったが、 名目上(表向き)、
幕府から資金を得るため、2つの海軍伝習所
を設立する。
1つは、1864年(元治元年)5月に
神戸に設立した、幕臣のための海軍伝習所
である神戸海軍操練所である。
もう1つは、1863年(文久3年)9月に
神戸に設立した、幕臣以外の者の海軍伝習
所である、勝海軍塾である。
神戸の勝海軍塾と神戸海軍操練所は
600mしか離れていなかった。
■ 1863年 (文久3年) 7月。
● 薩摩藩で、薩英戦争が起こる。
■ 1863年(文久3年)7月に、薩摩藩で、
薩英戦争が起こる。
■ 1863年 (文久3年) 8月。
● 八月十八日の政変が起こる。
■ 八月十八日の政変。
● 1863年(文久3年)8月に、孝明天皇の意
向により、会津藩や薩摩藩の公武合体派は、
京(都)から長州藩主体の急進的尊攘派
(そんじょうは、尊皇(王)攘夷派)を駆逐(く
ちく)する(追放する)。
■ 1864年 (文久4年) 2月。
● 西郷隆盛の遠島処分が解か
れる。
● 西郷隆盛が薩摩藩の軍賦役
(軍司令官)となる。
■ 1864年(文久4年)2月に、薩摩藩の実権
を持つ、国父の島津久光が、西郷隆盛を赦
免召還し、遠島処分を解く。
● 西郷隆盛は、 1864年(元治元年)2月21
日に沖永良部島を出帆し、1864年(元治元
年)2月28日に鹿児島に到着し、その後、
1864年(元治元年)3月19日に 薩摩藩の
軍賦役(軍司令官)に任命され、任務に就(つ)
く。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1864年 (文久4年・元治元年)。
● 文久年号から元治年号に改元。
元治年号:1864年ー 1865年。
■ 1864年(文久4年・元治元年)に、
元治(げんじ)年号に改元。
● 1864年(文久4年・元治元年)2月20日に、
和暦の「文久」(ぶんきゅう、
文久元年・1861年〜文久4年・1864年)
が、
和暦の「元治」(げんじ、
元治 元年・1864年・ 2月20日〜
元治 2年・1865年・ 4月 7日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1864年 (元治元年) 5月。
● 勝海舟が指導する神戸海軍
操練所が設立される。
■ 1864年(元治元年)5月に、勝海舟が指導
する神戸海軍操練所 (こうべかいぐんそう
れんじょ、1864年5月ー1865年3月)が設
立(開校)される。
● 江戸幕府は、 幕府軍艦奉行の勝海舟の建
言により、 1863年(文久3年)4月に神戸村
に海軍操練所の設置を発令し、 1864年(元
治元年)2月に海軍操練所を完成し、 1864
年(元治元年)5月に海軍操練所を開講する。
海軍操練所は、海軍士官養成機関であり、
海軍工廠であった。
● 勝海舟は、 日本を欧米列強から守るため
軍艦の操船技術を習う海軍伝習所に誰でも
入学させたかったが、 名目上(表向き)、
幕府から資金を得るため、2つの海軍伝習所
を設立する。
1つは、1864年(元治元年)5月に
神戸に設立した、幕臣のための海軍伝習所
である神戸海軍操練所である。
もう1つは、1863年(文久3年)9月に
神戸に設立した、幕臣以外の者の海軍伝習
所である、勝海軍塾である。
神戸の勝海軍塾と神戸海軍操練所は
600mしか離れていなかった。
■ 1864年 (元治元年) 6月。
● 新選組の襲撃によって池田屋
事件が起きる。
■ 1864年(元治 元年)6月に、新選組の襲
撃によって、池田屋事件が起こる。
● 池田屋事件で、京(都)の尊王攘夷派(そ
んのうじょういは)の過激派は、大打撃を受
ける。
■ 1864年 (元治元年) 7月。
● 禁門の変が起こり、上洛した
長州藩勢力は、敗退する。
■ 禁門の変。
● 1864年(元治 元年)7月に、 禁門の変
(きんもんのへん、蛤御門の変(はまぐりご
もんのへん))が、起こる。
● 長州藩は、1864年(元治元年)6月の
池田屋事件に憤慨(ふんがい)し、 勢力回復
をねらい、1864年(元治 元年)7月に、京
(都)へ攻めのぼり、 禁門の変 (蛤御門の
変)が起こる。
● 禁門の変(蛤御門の変)で、会津藩・薩摩
藩などの幕府勢力により、上洛した長州藩は、
敗退する。 長州藩兵を率いていた久坂玄随
等が自刃(じじん、自害)する。
● 禁門の変では、薩摩藩は、幕府軍の一翼と
なり、薩摩藩の西郷隆盛は、 薩摩藩の軍賦
役(軍司令官)として、薩摩藩兵を率い、活躍
する。
● 禁門の変で、京(都)市街地の
約6割が焼ける。
■ 禁門の変時の戦いに伴い、1864年(元治元
年)7月に、京(きょう、京都)の市街地に火災
が起こり、京の市街地の約6割が焼ける。
■ 1864年 (元治元年) 7月。
● 第1次長州征討で長州藩は
恭順する。
■ 第1次長州征討(1864年7月〜12月)。
● 1864年(元治元年)7月に、江戸幕府は、
第1次長州征討(1864年7月〜12月)を
開始する。
● 第1次長州征討では、幕府軍は、長州藩の
近くの広島まで軍を進めたが、1864年(元
治元年)11月には、長州藩は、恭順(きょう
じゅん)し、 1864年(元治元年)12月に、
幕府軍は、引き揚げる。
● 第1次長州征討で、、薩摩藩は、幕府軍の
一翼となり、 薩摩藩の西郷隆盛は、薩摩藩
兵を率い、 第1次長州征討の幕府軍参謀と
して、交渉で活躍する。
■ 1864年 (元治元年) 9月。
● 幕府は、参勤交代制を廃止
する。
■ 1864年(元治元年)9月に、江戸幕府は、
参勤交代制を廃止する。
■ 1864年 (元治元年) 12月。
● 長州藩で高杉晋作が挙兵し
勝ち、藩論が討幕へ転換。
■ 1864年(元治元年)12月に、長州藩では、
高杉晋作(たかすぎしんさく)が、奇兵隊等
の民兵諸隊を率いて、江戸幕府に恭順した
長州藩の保守派を退(しりぞ)け、長州藩の
藩論を、討幕へ転換させる。
● 尊皇(王)討幕派と公武合体派・
佐幕派との対立が始まる。
■ 尊皇(王)討幕派と公武合体派・佐幕派と
の対立が起こる (1864年〜1866年頃)。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派
と、 公武合体派・佐幕派 とが対立する
(1864年〜1866年頃)。
■ 1865年 (元治2年) 3月。
● 海軍塾や神戸海軍操練所が
閉鎖される。
■ 海軍塾や神戸海軍操練所の閉鎖。
● 1865年(元治 2年)3月に、勝海舟が指導
する海軍塾や神戸海軍操練所は、 池田屋
事件や禁門の変に参加した志士がいたため、
勝海舟は江戸幕府から追及され、危険視さ
れ、閉鎖される。
● 海軍塾や神戸海軍操練所にいた坂本龍馬
ら20数名は、勝海舟の紹介で西郷隆盛を頼
って大阪の薩摩藩邸に保護される。
■ 1865年 (元治2年・慶応元年)。
● 元治年号から慶応 年号に改元。
慶応年号:1865年ー 1868年。
■ 1865年(元治2年・慶応元年)に、
慶応(けいおう)年号に改元。
● 1865年( 元治2年・慶応元年)4月7日に、
和暦の「元治」(げんじ、
元治元年・1864年〜元治2年・1865年)
が、
和暦の「慶応」(けいおう、
慶応 元年・1865年・ 4月 7日〜
慶応 4年・1868年・ 9月 8日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1865年 (慶応元年) 5月。
● 坂本龍馬は長崎で、「亀山社中」
を設立する。
■ 1865年(慶応元年)5月に、薩摩藩の援助
により、 坂本龍馬は、海軍塾や神戸海軍操
練所の仲間らと共に、長崎で、「亀山社中」
(かめやましゃちゅう、後の海援隊)を組織し、
物産や武器の貿易を行う。
■ 1865年 (慶応元年) 9月。
● 第2次長州征討(長州藩再征)
が始まる。
■ 1865年(慶応元年)9月に、江戸幕府・将軍
の徳川家茂(いえもち)は、 孝明天皇より、第
2次長州征討(長州藩再征)の勅許を受ける。
■ 1865年 (慶応元年) 10月。
● 幕府は、孝明天皇より、「安政の
5カ国条約」の勅許を得る。
■ 1865年(慶応元年)10月に、 江戸幕府は、
孝明天皇より、「安政の5カ国条約」(1858年
の修好通商条約)の勅許を得る。
■ 1866年 (慶応2年) 1月。
● 薩長同盟が成立する。
● 坂本龍馬らの仲介で、薩摩藩と
長州藩が密約軍事同盟を結ぶ。
■ 薩長同盟成立。
薩長の反幕府軍事同盟の密約の締結。
● 1866年(慶応2年)1月に、 坂本龍馬ら
の斡旋で、京(都)で、長州藩の桂小五郎
(後の木戸孝允(きどたかよし)) と、
薩摩藩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟
(薩長連合)が結ばれる。
薩長同盟は、薩長の反幕府軍事同盟
の密約であった。
● 尊皇(王)討幕派と公議政体派・
佐幕派との対立が始まる。
■ 尊皇(王)討幕派と公議政体派・佐幕派と
の対立が起こる (1866年〜1867年頃)。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派
と、 公議政体派・佐幕派 とが対立する
(1866年〜1867年頃)。
■ 1866年 (慶応2年) 1月。
● 寺田屋事件が起こり、龍馬は
幕吏の手から逃れる。
■ 寺田屋事件が起こる。
● 1866年(慶応2年)1月に、寺田屋事件
が起こる。 坂本龍馬は、寺田屋で幕吏
に襲撃され、妻のお龍(おりょう)の助けで、
龍馬は、幕吏の手から逃(のが)れる。
坂本龍馬は、薩摩藩邸へ逃れ、その
傷を癒(いや)すため、 お龍と共に鹿児島
を旅行する。
■ 1866年 (慶応2年) 5月。
● 幕府は、改税約書に調印。
■ 1866年(慶応2年)5月に、江戸幕府は、
改税約書(かいぜいやくしょ)に調印する。
■ 1866年 (慶応2年) 6月。
● 第2次長州征討が始まる。
■ 第2次長州征討 (1866年6月〜8月)。
● 1866年(慶応2年)6月に、江戸幕府は、
長州藩に対し、第2次長州征討 (長州再征、
1866年6月〜8月)を開始する。
● 第2次長州征討では薩摩藩は参加しなかった。
● 第2次長州征討では、 坂本龍馬は、長州藩
の海軍を支援する。
■ 1866年 (慶応2年) 7月。
● 幕府・将軍の徳川家茂が
病死する。
■ 1866年(慶応2年)7月に、江戸幕府・
14代将軍の徳川家茂(いえもち)が、
死去(病死)する。
■ 1866年 (慶応2年) 8月。
● 第2次長州征討が終わる。
■ 第2次長州征討の終了。
● 1866年(慶応2年)7月の江戸幕府・将軍
の徳川家茂(いえもち)の死去(病死)により、
第2次長州征討(長州再征、1866年6月〜
8月)は、中止となる。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1866年 (慶応2年) 12月。
● 徳川慶喜が幕府の第15代
将軍となる。
■ 1866年(慶応2年)12月5日に、徳川慶喜
(よしのぶ、一橋慶喜)は、 征夷大将軍、
内大臣となり、 江戸幕府の第15代将軍
(将軍在任:1866年12月5日〜1867年
12月9日) となる。
■ 1866年 (慶応2年) 12月。
● 倒幕を好まず、公武合体論
の立場をとる、孝明天皇が
死去する。
■ 1866年(慶応2年)12月25日に、倒幕を
好まず、公武合体論の立場をとる、孝明(こ
うめい)天皇が、急死する。
■ 1867年 (慶応3年) 1月。
● 睦仁天皇(= 明治天皇)
が即位する。
■ 1867年(慶応3年)1月9日に、 睦仁天皇
(むつひとてんのう、= 明治天皇) が、践祚
(せんそ)の儀を行う (事実上、即位する)。
■ 1867年 (慶応3年) 4月。
● 坂本龍馬は、脱藩の罪を許され、
土佐藩との関係を修復。
■ 1867年(慶応3年)4月に、坂本龍馬は、
土佐藩より、脱藩の罪を許され、土佐藩と
の関係を修復する。
● その後、亀山社中は、土佐藩に付属する
外郭機関として、「海援隊」と改称される。
また、岩崎弥太郎 (いわさきやたろう、
三菱財閥の創始者)が、土佐藩の藩命に
より海援隊の会計係となる(経理を担当す
る)。
● その後、海援隊は、中岡慎太郎の作った
陸援隊と共に、行動する。
■ 1867年 (慶応3年) 5月。
● 薩摩藩主導で、四侯会議が
設置されたが、崩壊する。
■ 1867年(慶応3年)5月に、 薩摩藩主導で、
四侯会議が設置されたが、短期間で崩壊
する。
■ 1867年 (慶応3年) 6月。
● 坂本龍馬が船中八策を
策定。
■ 1867年(慶応3年)6月に、長崎を出航し、
京(きょう、京都)に向かう、土佐藩船の
夕顔丸の中で、上洛中の洋上で、 坂本
龍馬は、「船中八策」を策定する。
■ 1867年 (慶応3年) 6月。
● 薩土盟約が、土佐藩と薩摩藩
との間で、結ばれ る。
■ 薩土盟約。
● 1867年(慶応3年)6月に、大政奉還の行
方がわかるまでは、武力討幕は見送るとい
う薩土盟約が、土佐藩と薩摩藩との間で、
結ばれる。
● 坂本龍馬は、既にある、薩摩の西郷隆盛と
土佐 の討幕派の乾退助 (いぬいたいすけ、
板垣退助)との間で交わされ た武力討幕の
薩土密約を思いとどまらせるため、 1867
(慶応3年)年6月22日に、京(きょう、京都)
の三本木の料亭で、坂本龍馬や中岡慎太郎
の仲介により、 土佐の後藤象二郎 と 薩
摩の西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通が、
会談する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1867年(慶応3年)6月22日に、武力に
よらない倒幕をめざす、公議政体派の土佐
藩の後藤象二郎、坂本龍馬は、
武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛や大久保
利道と会い、江戸幕府・将軍の徳川慶喜が
大政奉還を受け入れたら、武力蜂起しない
と2人に約束させる。
● 一方、武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛
や大久保利道は、
徳川慶喜が易々と大政奉還を受け入れ政
権を手放すはずがないと考え、1867 年
(慶応3年)10月14日に、討幕の密勅(み
っちょく) (朝廷が薩長藩主に出した討幕
の密勅)を得るが、徳川慶喜が大政奉還を
受け入れたため、一時的に武力討幕を中止
する。
■ 1867年 (慶応3年) 10月。
● 幕府・将軍の徳川慶喜が
大政奉還を行なう。
■ 大政奉還(たいせいほうかん)とは、
江戸幕府(徳川氏)の朝廷への政権返上
である。
● 徳川慶喜は、 大政奉還 によって、江戸幕府
(徳川氏)は政権を朝廷に返上し、 列藩会議
を設置し、 徳川氏宗家当主の徳川慶喜が諸
侯の一員(盟主)として、その列藩 会議に参画
(を主導)することを望む。
■ 大政奉還の実施。
● 1867年(慶応3年)10月15日に、江戸幕府・
第15代将軍の徳川慶喜は、大政奉還 (たい
せいほうかん、江戸幕府の政権を朝廷へ返上)
を行う。
● 徳川慶喜は、 1867年(慶応3年)10月14
日に、政権返上を睦仁天皇(むつひとてんのう、
= 明治天皇)に奏上(そうじょう)し、10月15日
に勅許(ちょっきょ)される。
■ 一方、武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛や大
久保利道は、徳川慶喜が易々と大政奉還を受
け入れ政権を手放すはずがないと考え、1867
年(慶応3年)10月14日に、討幕の密勅(みっ
ちょく)(朝廷が薩長藩主に出した討幕の密勅)
を得るが、徳川慶喜が大政奉還を受け入れた
ため、一時的に武力討幕を中止する。
■ 坂本龍馬の提案(船中八策等)をもとに、土佐
藩参政・後藤象二郎が前土佐藩主・山内容堂
を説いて、土佐藩の進言により、徳川慶喜は、
大政奉還を行う。
■ 徳川慶喜は、 江戸幕府(徳川氏)の政権返上
後、政治運営や外交のノーハウがない朝廷は、
旧江戸幕府の徳川氏に政権を任せると考え、
徳川慶喜の狙いは、政権返上後の実質的 な
徳川氏支配の再構築にあり、 徳川慶喜は、
列藩会議を主導して、 日本の政治の主導権
を握れると考えていた。
ところが、1867年(慶応3年)の12月9日
の王政復古のクーデターにより、薩長の武力討
幕派が、政治の主導権を握ってしまった。
■ 1867年 (慶応3年) 11月。
● 坂本龍馬は、新政府綱領ハ策
を作成。
■ 1867年(慶応3年)11月に、坂本龍馬は、
「新政府綱領ハ策」を作成する。
■ 1867年 (慶応3年) 11月。
● 近江屋事件で、坂本龍馬が
暗殺される。
■ 1867年(慶応3年)11月に、坂本龍馬が
暗殺される。
● 坂本龍馬は、1867年(慶応3年)11月15
日に、 京都の近江屋(おうみや)で、何者
か(江戸幕府の見廻組(みまわりぐみ)?)
に急襲され、殺害される。 同席していた
中岡慎太郎も殺害される。
■ 1867年 (慶応3年) 12月。
● 王政復古の大号令が出される。
● 日本近代政府(明治新政府)
が樹立される。
■ 1867年(慶応3年)12月9日に、王政復古
の大号令が出される。
■ 王政復古の大号令により、 日本近代政府
(明治新政府)が樹立される。
● 王政復古の大号令により、江戸幕府排除 と
王政復古がなり、近代日本政府 (明治新政
府)が樹立される。
■ 王政復古の大号令により、 江戸幕府の廃
絶と新政府の樹立が宣言され、政権運営は、
新たな三職 (さんしょく、総裁(そうさい)、
議定(ぎじょう)、参与(さんよ)) によって行
う事が決定された。
■ 12月9日の新政府の初めての会議である、
小御所会議(こごしょかいぎ)で、新政府は、
旧幕府・将軍の徳川慶喜の官位剥奪と領地
没収を決定した。
● しかし、その後、12月24日に、新政府は、
徳川慶喜の、官位辞退、領地保有、新政府の
議定(ぎじょう)職就任を決定し、徳川慶喜は、
安心する。
■ 1868年 (慶応4年) 1月。
● 戊辰戦争が起こる。
■ 戊辰戦争。
● 戊辰戦争 (ぼしんせんそう、1868年1月ー
1869年5月)が始まる。
● 1868年(慶応4年)1月3日に、鳥羽伏見の
戦い (とばふしみのたたかい、1868年1月
3日ー1月8日)が起こる。
■ 戊辰戦争 (ぼしんせんそう、1868年(慶
応4年)1月3日ー1869年(明治2年)5月
18日) が始まる。
● 西郷隆盛が、戊辰戦争で、明治新政府
(近代日本政府)の軍を主導する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 鳥羽伏見の戦い。
● 1867年(慶応3年)12月25日に、旧幕府勢
力の庄内藩(しょうないはん)による薩摩藩江戸
屋敷焼き打ち事件が起こり、 その事件以後、
旧幕府勢力の薩摩藩への怒りを徳川慶喜が押
さえきれず、 1868年(慶応4年)1月2日に、
徳川慶喜の「討薩の表」(とうさつのひょう)を京
(きょう、京都)の朝廷に提出し、 薩摩藩を朝廷
より排除するため、 指揮が低い(混乱した)寄
せ集めの軍の約1万5000人の旧幕府軍が、
大坂城より京(都)へ進軍し、
1868年(慶応4年)1月3日に、京都御所
へ行く途中の鳥羽と伏見の2カ所で、旧幕府軍
の進軍を阻止しようとする、指揮が高く最新鋭
の武器で武装した約5000人の薩長軍と衝突し、
鳥羽伏見の戦い (1868年(慶応4年)1月3日
〜6日)が起こる。
1868年(慶応4年)1月5日に、鳥羽伏見
の戦場で、薩長軍は「錦の御旗」(にしきのみは
た)を掲げ、戦況が薩長軍に有利となり、
1868年(慶応4年)1月6日に、戦況が
不利となり、また、賊軍となったことを知った徳
川慶喜は、大坂城から脱出し船で江戸に向い、
旧幕府軍も、敗走を続け、敗戦する。
■ 1868年 (慶応4年) 4月。
● 江戸城が無血開城される。
■ 江戸城無血開城。
● 1868年(慶応4年)4月に、江戸幕府の
本拠地の江戸城が、無血開城され、討幕軍
(= 明治新政府(近代日本政府)の軍)が、江
戸城に入る。
● その後、明治新政府(近代日本政府)の統治
(支配)に不満をもつ旧幕府勢力が起こした
上野戦争が1868年(慶応4年)に江戸(東
京)で起こり、 討幕軍(= 明治新政府(近代
日本政府)の軍)が勝利した後、 江戸(東
京)は、明治新政府(近代日本政府 )の統治
(支配)下に入る。
■ 1868年 (慶応4年) 5月。
● 上野戦争で、旧幕府勢力の、
江戸の彰義隊が壊滅。
■ 1868年(慶応4年)5月に、上野戦争で、
旧幕府勢力の、江戸の彰義隊(しょうぎた
い)が壊滅する。
● 明治新政府(近代日本政府)の統治(支配)
に不満をもつ旧幕府勢力が起こした上野戦
争が1868年(慶応4年)に江戸(東京)で起
こり、 討幕軍(= 近代日本政府(明治新政
府)の軍)が勝利した後、 江戸(東京)は、
明治新政府(近代日本政府)の統治(支配)
下に入る。
■ 1868年 (慶応4年) 5月。
● 旧幕府勢力の奥羽越列藩同盟
が成立する。
■ 1868年(慶応4年)5月に、
明治新政府(近代日本政府)に対立する、
旧幕府勢力の奥羽越列藩同盟(おおうえ
つれっぱんどうめい)が、成立する。
■ 1868年 (慶応4年) 7月。
● 江戸を東京に改称する。
■ 1868年(慶応4年)7月に、明治新政府
(近代日本政府)は、 江戸を東京と改称す
る。
■ 1868年 (慶応4年・明治元年)。
● 慶応年号から明治 年号に改元。
明治年号:1868年ー 1912年。
■ 1868年(慶応4年・明治元年)に、
明治(めいじ)年号に改元。
● 1868年( 慶応4年・明治元年)9月8日に、
和暦の「慶応」(けいおう、
慶応 元年・1865年〜慶応4年・1868年)
が、
和暦の「明治」(めいじ、
明治 元年・1868年・ 9月 8日〜
明治45年・1912年・ 7月30日) に
改元される。
■ 江戸時代後期の各年号。
暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明
(ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。
● 文政(ぶんせい)年号: 1818年ー 1830年。
● 天保(てんぽう)年号: 1830年ー 1844年。
● 弘化(こうか)年号: 1844年ー 1848年。
● 嘉永(かえい)年号: 1848年ー 1854年。
● 安政(あんせい)年号: 1854年ー 1860年。
● 万延(まんえん)年号: 1860年ー 1861年。
● 文久(ぶんきゅう)年号: 1861年ー 1864年。
● 元治(げんじ)年号: 1864年ー 1865年。
● 慶応(けいおう)年号: 1865年ー 1868年。
● 明治(めいじ)年号: 1868年ー 1912年。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1869年 (明治2年) 5月。
● 戊辰戦争が終わる。
■ 1869年(明治2年)5月18日に、
戊辰戦争 (ぼしんせんそう、1868年(慶
応4年)1月3日ー1869年(明治2年)5月
18日) が終わる。
■ 1869年 (明治2年) 6月。
● 西郷隆盛は、明治新政府の
軍の職を辞し、鹿児島へ戻る。
■ 1869年(明治2年)6月に、西郷隆盛は、
明治新政府(近代日本政府)の軍の職を
辞し、鹿児島へ戻る。
■ 1869年 (明治2年) 12月。
● 東京・横浜間で電信が開通。
■ 1869年(明治2年)12月に、東京・横浜
間で電信が開通する。
■ 1869年 (明治2年) 6月。
● 明治新政府は、版籍奉還を
実施する。
■ 1869年(明治2年)6月に、明治新政府
(近代日本政府)は、 版籍奉還(はんせき
ほうかん)を実施する。
■ 1869年 (明治2年) 8月。
● 蝦夷地は北海道と改称される。
■ 1869年(明治2年)8月に、明治新政府
(近代日本政府)は、蝦夷地を北海道と
改称する。
■ 1871年 (明治4年) 1月。
● 明治新政府は、郵便制度を
実施。
■ 1871年(明治4年)1月に、明治新政府
(近代日本政府)は、 郵便制度を実施
する。
■ 1871年 (明治4年) 2月。
● 明治新政府は、薩長土3藩
より、兵を徴集。
■ 1871年(明治4年)2月に、明治新政府
(近代日本政府)は、 薩長土3藩より、
親兵を徴集する。
■ 1871年 (明治4年) 5月。
● 明治新政府は、新貨条例
(円・銭・里の10進法通貨)
を公布。
■ 1871年(明治4年)5月に、明治新政府
(近代日本政府)は、新貨条例 (しんかじ、
ょうれい円・銭・里の10進法通貨)を公布
する。
■ 1871年 (明治4年) 6月。
● 西郷隆盛が、明治新政府に
復職。
■ 1871年(明治4年)6月に、西郷隆盛が、
鹿児島より東京へ出て、参議として、明治
新政府(近代日本政府)に復職する。
■ 1871年 (明治4年) 7月。
● 明治新政府は、廃藩置県を
実施。
■ 1871年(明治4年)7月に、 明治新政府
(近代日本政府)は、廃藩置県を実施する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1871年 (明治4年) 11月。
● 明治新政府は、府県制を実施
し、府知事、県令を設置。
■ 1871年(明治4年)11月に、 明治新政府
(近代日本政府)は、 全国を、1使3府72県
とし、府知事、県令を設置する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1871年 (明治4年) 12月。
● 岩倉使節団が日本を出発。
■ 1871年(明治4年)12月に、大久保、木戸
ら岩倉使節団(1871年12月ー1873年9月)
が、外遊のため、日本を出発する。
■ 1871年 (明治4年) 12月。
● 西郷の留守政府が始動。
■ 留守政府 (1871年12月ー1873年9月)
が始動する。
● 1871年(明治4年)12月より1873年9月
まで、 西郷隆盛が、大久保、木戸ら岩倉使
節団外遊中の留守政府(1871年12月ー
1873年9月) を指導する。
■ 1872年 (明治5年) 1月。
● 明治新政府は、戸籍法(壬申
戸籍)の実施。
■ 戸籍法(壬申戸籍)の実施。
● 1872年(明治5年)1月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
戸籍法(壬申(じんしん)戸籍)を実施する。
■ 1872年 (明治5年) 8月。
● 明治新政府は、学制の公布。
■ 学制の公布。
● 1872年(明治5年)8月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
学制を定める。
■ 1872年 (明治5年) 9月。
● 鉄道が開業。
■ 鉄道開業。
● 1872年(明治5年)9月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
鉄道を開業する。
新橋・横浜間の鉄道が開業される。
■ 1872年 (明治5年) 12月。
● 明治新政府は、暦、時刻の
切り替えを行なう。
■ 1872年(明治5年)12月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
暦(こよみ)、時刻の切り替えを行なう。
● 旧暦を新暦に切り替える。
■ 1872年(明治5年)12月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
旧暦(きゅうれき、太陰太陽暦)を新暦(しん
れき、太陽暦、グレゴリオ暦)に切り替える。
● 太陽暦の採用(太陽暦への切り替え)。
明治新政府(近代日本政府)の西郷の留守
政府は、
旧暦(太陰太陽暦)の明治5年(1872年)
12月3日を、 新暦(太陽暦)の明治6年
(1873年)1月1日(元旦) とする。
● 十二支表示時刻を西洋式時刻
に切り替える。
■ 1872年(明治5年)12月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
十二支表示時刻(1昼夜12等分時間制)を
西洋式時刻(1昼夜24等分時間制)に切り
替える。
■ 1873年 (明治6年) 3月。
● 明治新政府は、徴兵令を公布。
■ 1873年(明治6年)3月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
徴兵令を公布する。
■ 1873年 (明治6年) 7月。
● 明治新政府は、地租改正条例
を公布する。
■ 1873年(明治6年)7月に、明治新政府
(近代日本政府)の西郷の留守政府は、
地租改正条例を公布する。
■ 1873年 (明治6年) 9月。
● 岩倉使節団が帰国する。
■ 1873年(明治6年)9月に、大久保、木戸
ら岩倉使節団が 外遊から戻る。
■ 1873年 (明治6年) 10月。
● 「明治六年の政変」が起こり、
西郷が政府を辞職する。
■ 「明治六年の政変」が起こる。
● 1873年(明治6年)10月に、西郷隆盛、
板垣退助らが、 下野する (政府の役職・
参議(さんぎ)を辞職する)。
● 西郷隆盛は、鹿児島へ戻り、これ以後、
鹿児島の私学校で教育に専念する。
● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック。
■ 1873年 (明治6年) 11月。
● 大久保が、政府に内務省を
設置する。
■ 1873年(明治6年)11月に、明治新政府
(近代日本政府)は、内務省を設置する。
■ 1876年 (明治9年) 3月。
● 明治新政府は、廃刀令を公布
する。
■ 1876年(明治9年)3月に、明治新政府
(近代日本政府)は、廃刀令(はいとうれい)
を公布する。
■ 1876年 (明治9年) 8月。
● 明治新政府は、金禄公債証
書発行条例(家禄・賞典禄
の廃止)を公布。
■ 1876年(明治9年)8月に、明治新政府
(近代日本政府)は、 金禄公債証書発行
条例(家禄・賞典禄の廃止)を公布する。
■ 1877年 (明治10年) 2月。
● 西南戦争が起こる。
■ 1877年(明治10年)2月に、西南戦争
(1877年2月ー9月)が、起こる。
● 1877年(明治10年)2月に、鹿児島の
私学校生徒が、暴動を起こす。
1877年(明治10年)2月に、西郷隆盛
は、不平士族に擁立されて、明治新政府
(近代日本政府)に反乱(西南戦争)を起こ
す。
■ 1877年 (明治10年) 9月。
● 西郷隆盛が、西南戦争で敗死
する。
■ 1877年(明治10年)9月に、西郷隆盛が、
享年51歳で、西南戦争で、死去(敗死、自
害)する。
■ 1878年 (明治11年)。
● 政府を主導する大久保が
暗殺される。
■ 1878年(明治11年)に、明治政府(近代
日本政府)を主導する、大久保利道が、
東京で、暗殺される。
□ 西郷 隆盛ガイドブックへ。
◆ 西郷隆盛 関連
出来事 (概要・総合)。
◆ 西郷隆盛 関連
出来事 (概要・
テーマ別各事柄)。
#jpthesituationinthelateedoeraand
earlymeijiera
◆ 幕末、明治時代
初期の日本の
情勢。
(1853年〜1877年)。
■ (1) 「 軍事力なき軍事政権 」
(軍事弱体の江戸幕府)。
■ 幕末、 日本は、まだ産業革命は起きて
おらず、近代化していなかった。 欧米諸
国に比べ、 工業力、軍事力で遥(はる)
かに、劣っていた。
@ 幕末や明治時代初期に、 イギリス、フラ
ンス、アメリカ、ロシアなどの欧米列強が、
日本を植民地にしようと狙っていた。
A しかし、 弱肉強食の世界情勢の中で、
幕末、日本を支配していた江戸幕府は、
欧米列強を追い払い、 欧米列強に対
抗できる 軍事力を持っていなかった。
B 幕末、 日本を支配する江戸幕府は、
欧米列強から軍事力で脅(おど)かされ、
欧米列強との戦い(全面戦争)を避けるた
めに、 欧米列強の要求をのみ、 不平等
条約 (安政の5カ国条約、1858年)を結
び、かろうじて、一時的に、欧米列強の植
民地になるのを免(まぬが)れた。
● もし、幕末や明治時代初期に、 日本を支
配する江戸幕府や明治新政府が、欧米列
強と全面戦争をしていたら、 完全に敗北し、
当時の清国(中国)やインドのように、 欧米
列強の植民地 になっていたであろう。
● 不平等条約 (安政の5カ国条約、1858年)
を結び、かろうじて、一時的に、 欧米列強の
植民地になるのを免(まぬが)れていたとはい
え、 不平等条約は、植民地化の第一歩であ
った。
■ 幕末、明治初期、 その後も、 欧米列強は、
隙(すき)さえあらば、日本を本格的に植民地
にし、搾取(さくしゅ)しようと、狙(ねら)ってい
た。
欧米列強は、 日本で全面戦争の内乱(内
戦)が起こり日本全体の軍事力が更に弱体化
した時には、 抵抗が少なくなり、 日本領土を
容易に奪えると考えて、 その機会をうかがっ
ていた。
しかし、 戊辰(ぼしん)戦争 (新政府軍
と旧幕府一部残存勢力との争い) や 西南戦
争 (新政府軍と一部不平士族勢力との争い)
という部分戦争 (大勢力が中小勢力と戦う戦
争) は、起きたが、 全面戦争の内戦 (大勢
力同士が戦う戦争) (新政府軍と旧幕府勢力
軍との全面戦争、 明治新政府機関内同士の
全面戦争) は、起こらず、欧米列強は、日本
を植民地にする機会を失った。
C そのような弱肉強食の国際情勢の中で、
幕末や明治時代初期、 日本は、欧米列
強の植民地にならないためにも、 一刻
も早く、 殖産興業、富国強兵を行い、
大きな工業力、軍事力をもち、 更に、欧
米列強と肩を並べられる近代国家になる
必要があった。
● 幕末、 幕政改革という幕府内(日本政
府内)の改革では近代国家はできず、
封建的な幕府という日本政府では近代国
家の建設はできず、近代国家の建設には、
江戸幕府は邪魔(じゃま)であり、 幕府を
倒して、新政府を作り、 近代国家を成立
させようという勢力(薩長連合等)が、幕末
に出現した。
■ 下級武士等下層身分の人々が、
幕藩体制の打倒を切望。
■ 江戸時代、 江戸幕府の将軍を頂点として、
ピラミッド社会がつくられていた。
● 江戸時代は、江戸幕府の幕藩体制の下に、
生まれながらに、日本の全ての人々は、身
分が固定され、 農工商民は、武士に服従
し、 下級武士は、上級武士に服従し、 上
級武士は、藩主に服従し、藩主は、江戸幕
府の将軍に服従していた。
■ 江戸時代は、 生まれながらの「身分」に
よって、生き方が決まってしまう構造の社
会であった。
● 能力や実力があっても、 多くの下級武
士は、上級武士になれなかった。 また、
下級公家(くげ)も上級公家にはなれな
かった。
それらを打破するには、 旧秩序を崩
壊させる必要があった。
幕末に、身分の固定が、大きな不満と
なり、爆発した。
■ (実例)
○ 下級武士 : 西郷隆盛 (さいごうもたか
り)、大久保利通 (おおくぼとしみつ)、
坂本龍馬 (さかもとりょうま)。
○ 下級公家 : 岩倉具視(いわくらともみ)。
■ そこで、下級武士や下級公家は、 自分達
の社会的地位を上昇させるため、 旧体制
や封建体制を打破し、 日本を支配する江
戸幕府を倒し、 新政府を樹立する動きに
出る。
● 幕末、 西郷隆盛、大久保利通、坂本竜馬
などの下級武士 や 岩倉具視などの下級
公家が、 旧体制や封建体制打破、倒幕、
新政府樹立を行う改革の中心勢力となる。
■ 幕末、 農工商民や女性も、 不平等な旧
体制や封建体制に不満をもち、 その改革
の動きを支持する。
● TKKI カナヤマ著 西郷隆盛ガイドブック。
□ 西郷 隆盛ガイドブックへ。
『 あなたのハートには
何が残りましたか? 』
以 上。