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◆ カナヤマ西郷 隆盛ガイドブック。

     KANAYAMA’S GUIDEBOOK ON

  SAIGO  TAKAMORI 

  

 

 

   (Kjhh)41523

  カナヤマ  

  西郷隆盛

  関連 年代順

  出来事ブック。 』

 

 

  ■ パソコン(PC)、 携帯用パソコン(PC)、

     タブレット端末(PC)(iPad、他)、

     スマートフォン(iPhone、他)、

     ウェアラブル端末、 スマートテレビ用

        インターネット向 電子書籍。

 

 

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メ ニュー (目次)。  

 ■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。

 

 

 □ 西郷隆盛 関連年代順

    出来事ブック (総合)

 

 

 □ 西郷隆盛 関連年代順

       出来事 (各年・詳細)

 

   □ 1820年ー 1878年の出来事

 

 

 □ 西郷隆盛 関連出来事

       (概要・総合)

 

  □ 西郷隆盛 関連出来事 

    (概要・テーマ別各事柄)

 

   □ 幕末、明治初期の情勢

      (1853年〜1877年)

 

 

 □ 西郷 隆盛ガイドブック

 

   □ 廃藩置県

   □ 薩長同盟。

   □ 西南戦争

 

  ■ 西郷隆盛と同時代近くの関係史料。

 

   □ 西郷 隆盛(吉之助)

          画像 N o.1

 

   □ 明治維新活躍人物 

      画像アルバム No.1

 

    □ 江戸幕府ガイドブック

     □ 江戸幕府 関連年代順出来事

           ブック。 

 

    □ 坂本龍馬ガイドブック。   

    □ 坂本龍馬 関連年代順出来事

      ブック。 

 

     □ 天璋院・篤姫 ガイドブック

    □ 天璋院・篤姫 関連年代順

            出来事ブック

 

    □ 江戸幕府・大奥 ガイドブック

     □ 江戸幕府・大奥 関連年代順

        出来事ブック

 

   □ 西郷隆盛 年表   

 

 

 

  □ 西郷隆盛関連年代順

    出来事の内容

 

 

 

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          出来事ブック

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   □ 主要サイトの略語・説明表

 

 

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◆ 当書籍の内容。

 

 

 ■ 初学者・初心者 インターネット 

      西郷 隆盛ガイドブック。

 

 ■ パソコン(PC)、 携帯パソコン(PC)、 

   タブレット端末(PC)(iPad、他)、

   スマートフォン(iPhone、他)、

    ウェアラブル端末、 ネット接続カーナビ、

   スマートテレビ用 

   インターネット向  電子書籍。

 

 ■ この本1冊で (当電子書籍1冊で)、 西郷 隆盛

      のこと(概略)が、一通り、わか る。

 

 ■ 西郷 隆盛は、 幕末、明治時代初期のの政治改

   革者である。 政治家、 武人であり、 日本を近代

   化へ導いた人物である。 

            江戸時代(1603年〜1868年)の末期(幕

    末)の、薩摩藩 (現・鹿児島県の相当地域)の

   下級武士出身であり、 近代日本の革命家であっ

   た。

 

 ■ 西郷 隆盛の入門 ガイドブック。

 

 ■ 西郷 隆盛 (さいごう たかもり) 関連 初学者・

    初心者向 インターネット用 オンライン  電子

   書籍(ブック)。

 

 ■ 西郷 隆盛 ガイドブック。

 

 ■ 初心者用 オンライン 西郷 隆盛 ガイドブック 。

 

 ■ TKKI カナヤマ著 西郷隆盛ガイドブック。

 

 

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#jphappenings

 

 

   Kjhh) 

   西郷 隆盛 関連

   年代順出来事

   ブック (総合)。

 

 

#jphappenings/eachyear

 

 

◆ 西郷 隆盛 関連

   年代順出来事

     (詳細・各年)。

 

 ■ 西郷 隆盛 関連年代順

    出来事 (詳細項目)。

 

  □ 1818年ー1853年の出来事

 

  □ 1853年ー1858年の出来事

 

  □ 1858年ー1864年の出来事

 

  □ 1864年ー1866年の出来事

 

  □ 1866年ー1867年の出来事

 

  □ 1867年ー1868年の出来事

 

  □ 1868年ー1871年の出来事

 

  □ 1871年ー1872年の出来事

 

  □ 1872年ー1873年の出来事

 

  □ 1873年ー1877年の出来事

 

  □ 1877年ー1878年の出来事

 

 

 

 

 

 □ 幕末、明治初期の情勢

    (1853年〜1877年)

 

 

 □ 西郷 隆盛ガイドブック

 

   □ 廃藩置県

   □ 薩長同盟。

   □ 西南戦争

 

 

  ■ 西郷隆盛と同時代近くの関係史料。

 

    □ 江戸幕府ガイドブック

     □ 江戸幕府 関連年代順出来事

           ブック。 

 

    □ 坂本龍馬ガイドブック。   

    □ 坂本龍馬 関連年代順出来事

      ブック。 

 

     □ 天璋院・篤姫 ガイドブック

    □ 天璋院・篤姫 関連年代順

            出来事ブック

 

    □ 江戸幕府・大奥 ガイドブック

     □ 江戸幕府・大奥 関連年代順

        出来事ブック

 

 

 

 

 ■ 備考。

 

  ■ 当書籍では、 歴史の出来事の5W1H

    (いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どの

    ように) や、 歴史の出来事の流れ(原因

    理由⇒事件勃発⇒経過⇒結果⇒原因理

    由)に沿って、歴史(過去)の出来事を分か

    り易く、説明している。

 

  ■ より理解を深めるために、 本史辞典の、 

  『 島津斉彬 (しまづなりあきら)、

    板垣退助 (いたがきたいすけ)、

        坂本龍馬 (さかもとりょうま)、

    大久保利通 (おおくぼとしみち)、

    木戸孝允 (きどたかよし)、

    阿部正弘 (あべまさひろ)、

    井伊直弼 (いいなおすけ)、

    天璋院篤姫 (てんしょういんあつひめ)、

    勝海舟 (かつかいしゅう)、

    徳川慶喜 (とくがわよしのぶ)、

    岩倉具視 (いわくらともみ)、

    孝明天皇 (こうめいてんのう)、

    明治天皇 (めいじてんのう)、 』

   の項目も参照してください。

 

 

  ■ 西暦・和暦の記載。

  ● この年代順出来事は、

    西暦を先に、その後ろの( )内に和暦を記載し

    ている。 

  ● この年代順出来事に記載されている日付(年

    月日)は、 一般の歴史書で使用されているの

    と同じように、1872年(明治5年)以前は旧暦

    (太陰太陽暦)を用い、 1873年(明治6年)

    以後は新暦(太陽暦、グレゴリオ暦)を用いて

    いる。 

 

 

  ◆ では、西郷隆盛 (さいごうたかもり)に関係す

     る出来事を、年代順に、見てみよう。

 

  ■ さあ、西郷隆盛に関する様々な出来事を見て

    みよう。

 

  ● 歴史学の立場から、西郷隆盛の生涯や実像

    (真実の姿)を見てみよう。

 

  ● 歴史学の立場から、年代を追って、西郷隆盛

    の実像 (歴史的有名な人物には、虚像と

    実像があるが)を見てみよう。

 

  ● 現代も、過去の時代も、人間は、利害と感情

    (友愛)と理性等で行動し、富、名誉、権力等

    を手に入れるために努力する。 

       人類の歴史は、 平和と戦争の歴史で

    ある。 人は、美しき者、平和を好む者であり、

    人は、醜き者、争う者でもある。

 

 

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#jphappenings-1818

 

 

 

 ■ 1818年 (文化15年・文政元年)。 

 

   ● 文化年号から文政年号に改元。

      文政年号1818年ー 1830年。

  ■ 1818年(文化15年・文政元年)に、

    文政(ぶんせい)年号に改元。 

  ● 1818年(文化15年・文政元年)4月22日

    和暦の「文化」(ぶんか、

    文化元年・1804年〜文化15年 ・1818年

    が、

    和暦の「文政」(ぶんせい、

    1818年・文政 元年・ 4月22日

    1830年・文政13年・12月10日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1827年 (文政10年)。   

 

   ● 西郷隆盛の誕生。

  ■ 1827年(文政10年)に、西郷 隆盛  (西

    郷吉之助、生没年:1827年ー1877年)が、   

    薩摩藩 (さつまはん、現・鹿児島県の相当

    地域)の下級武士の子と して、産まれる。

   ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

            

 

 

 ■ 1830年 (文政13年・天保元年)。 

 

   ● 文政年号から天保年号に改元。

      天保年号1830年ー 1844年。

  ■ 1830年(文政13年・天保元年)に、

    天保(てんぽう)年号に改元。  

  ● 1830年(文政13年・天保元年)12月10日に

    和暦の「文政」(ぶんせい、

    1818年・文政 元年1830年・文政13年

    が、 

    「天保」 (てんぽう、

    天保 元年・1830年・12月10日〜

    天保15年・1844年・12月 2日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1835年 (天保6年) 11月。 

 

   ● 坂本龍馬の誕生。

  ■ 1835年(天保6年)11月15日に、坂本龍馬 

    (さかもとりょうま、生没年:1835年ー1867

    年)が、 土佐国 (とさのくに、現・高知県の

    相当地域)の土佐郡上街本町(現・高知市

    上町)の土佐藩郷士の坂直足(さかもとなお

    たり、坂本八平)の子(次男)として、産まれる。

 

 

 

 ■ 1844年 (天保15年・弘化元年)。 

 

   ● 天保年号から弘化年号に改元。

      弘化年号1844年ー 1848年。

  ■ 1844年 (天保15年・弘化元年)に、

    弘化(こうか)年号に改元。  

  ● 1844年(天保15年・弘化元年)12月2日に

    和暦の「天保」(てんぽう、

    天保 元年・1830年〜天保15年・1844年)

    が、

    和暦の「 弘化」(こうか、

    弘化 元年・1844年・12月 2日〜

    弘化 5年・1848年・ 2月28日) に

    改元される。 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1847年 (弘化4年)。 

 

   ● 徳川慶喜が一橋家の養子

    となる。

  ■ 1847年(弘化4年)に、 徳川慶喜 (とくが

    わよしのぶ)が、 水戸藩主の男子であるが、

    徳川御三卿(とくがわごさんきょう)の1つの、

    一橋家(ひとつばしけ)の養子となる。

 

 

 

 ■ 1848年 (弘化5年・嘉永元年)。 

 

   ● 弘化年から嘉永年号に改元。

      嘉永年号1848年ー 1854年。

  ■ 1848年(弘化5年・嘉永元年)に、

    嘉永(かえい)年号に改元。  

  ● 1848年(弘化5年・嘉永元年)2月28日に

    和暦の「弘化」(こうか、

    弘化元年・1844年〜弘化5年・1848年)

    が、

    和暦の「嘉永」(かえい、

    嘉永 元年・1848年・ 2月28日〜

    嘉永 7年・1854年・11月27日) に

    改元される。

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1848年 (嘉永元年) 12月。 

 

   ● 琉球貿易を行なっていた、

    薩摩藩の調所広郷が自害。

  ■ 1848年(嘉永元年)12月に、薩摩藩の

    調所 広郷 (ずしょ ひろさと)が、 琉球貿易

    の責任を問われて、自害する。

 

 

 ■ 1851年 (嘉永4年) 1月。 

 

   ● 中浜万次郎がアメリカから

    帰国し琉球(沖縄)に上陸

  ■ 1851年(嘉永4年)1月に、中浜万次郎

    (ジョン万次郎)がアメリカ船に送られ、琉球

    (沖縄)に上陸する。

 

 

#jphappenings-1853

 

 

 ■ 1853年 (嘉永6年)。  

 

   ● 徳川家定が江戸幕府の

    第13代将軍となる。 

  ■ 1853年(嘉永6年)に、徳川 家定 (とくが

    わいえさだ、将軍在任:1853年〜1858年、

    徳川家慶(いえよし)の四男) が、 

    江戸幕府の第13代将軍となる。 

 

   ● 一橋派と紀州派との対立が

    始まる。

  ■ 一橋派と紀州派との対立が起こる。

    (1853年〜1859年頃)。

  ● 1853年(嘉永6年)以後、 江戸幕府 ・第

    13代将軍の徳川家定は体が弱かったため、 

    次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、 

    日本各地で、雄藩連合政治を望み江戸幕府

    の次期14代将軍に一橋慶喜(ひとつばし

     よしのぶ、水戸藩出身一橋家当主)を擁(よ

    う)する、一橋派(ひとつばしは) と、 

    徳川独裁政治を望み江戸幕府の次期14代将

    軍に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩主)を擁す

    る、紀州派(きしゅうは、南紀派) とが、対立

    する (1853年〜1859年頃)。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1853年 (嘉永6年) 6月。 

 

   ● 黒船来航。

   ● 米ペリー艦隊が来航し

    開国を要求。

  ■ 1853年(嘉永6年)6月に、アメリカのペリー

    艦隊が日本に来航し、開国を要求する。

  ● ペリーは、浦賀に来航し、久里浜に上陸する。

 

  ● 1854年(嘉永7年)1月に、アメリカのペリー

    艦隊が日本に再来航し、開国を要求する。

 

 

 ■ 1853年 (嘉永6年)。     

 

   ● 尊皇(王)攘夷派開国派

    の対立が始まる。

  ■ 尊皇(王)攘夷派開国派との対立 が起こる。

    (1853年〜1867年頃)。

  ● 1853年(嘉永6年)に、 江戸幕府の老中

    首座・阿部正弘 (あべまさひろ)が、 

    挙国的な対策を立てようと、 開国について、

    諸大名や様々な人物に、意見を求めたため、 

    これ以後、日本各地で、外国勢力を武力で追、

    い払うことを主張する尊皇(王)攘夷派  (そ

    んのうじょういは) と、 開国し外国勢力と協

    力して先進の西洋文化 を採り入れて国を発展

    させる ことを主張する開国派(かいこくは) と

    が対立する (1853年〜1867年頃)。 

 

 

 ■ 1854年 (嘉永7年) 1月。 

 

   ● 米ペリー艦隊が再来航し

    開国を要求。

  ■ 1854年(嘉永7年)1月に、アメリカのペリー

    艦隊が日本に再来航し、開国を要求する。

  ● ペリーは、浦賀に来航する。

 

 

 ■ 1854年 (嘉永7年)。 

 

   ● 日本の幕府は米英露蘭と

    和親条約を締結。

   ● 日本は部分的開国を行なう。

  ■ 日本の江戸幕府は、1854年(嘉永7年

    から1855年(安政2年)にかけて、

    欧米列強の米英露蘭と和親条約を締結し、 

    日本は、部分的開国に踏み切る。

 

   ● 日本の幕府は日米和親条約

    を締結。

  ■ 日本の部分的開国。 日米和親条約締結。 

  ● 江戸幕府・老中首座の阿部正弘 (あべま

    さひろ)は、 1854年(嘉永7年)3月に、

    アメリカと、日米和親条約を締結する。

 

   ● 日本の幕府は英露蘭とも和親

    条約を締結。

  ■ その後、日本の江戸幕府は、

    1854年(嘉永7年)から1855年(安政2年)

    にかけて、英露蘭(えいろらん、イギリス、ロ

    シア、オランダ)とも和親条約を締結する。

 

                                   

 ■ 1854年 (嘉永7年) 4月。  

 

   ● 西郷隆盛が薩摩藩主の

    庭方役となる。

  ■ 1854年(嘉永7年)4月に、西郷隆盛は、 

       薩摩藩主の島津斉彬 (しまづ なりあきら)

   の庭方役 (にわかたやく、秘書役)となる。 

   ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1854年 (嘉永7年)。     

 

   ● 西郷隆盛が、天璋院・篤姫の

    輿入れ支度係、連絡係となる。

  ■ 1854年(嘉永7年)に、西郷隆盛は、 

    島津斉彬(しまづ なりあきら)の命(めい、命

    令)により、江戸に赴(おもむ)き、 天璋院・

    篤姫 (てんしょういん・あつひめ、島津篤子、

    近衛敬子)の、輿入 れの支度係(1854年〜

    1856年) や 天璋院・篤姫(島津篤子、近

    衛敬子)との連絡係(1854 年〜1859年) 

    となる。  

 

 

 

 ■ 1854年 (嘉永7年・安政元年)。 

 

   ● 嘉永年から安政年号に改元。

      安政年号1854年ー 1860年。

  ■ 1854年(嘉永7年・安政元年)に、

    安政(あんせい)年号に改元

  ● 1854年(嘉永7年・安政元年)11月27日に

    和暦の「嘉永」(かえい、

    嘉永元年・1848年〜嘉永7年・1854年)

    が、

    和暦の「安政」(あんせい、

    安政 元年・1854年・11月27日〜

    安政 7年・1860年・ 3月18日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1854年 (安政元年) 12月。

 

   ● 下田、長崎、箱館が外国に

    開港。

  ■ 1854年(安政元年)12月に、日本の江戸

       幕府は、 下田、長崎、箱館(はこだて、函館)

      を開港する。

 

 

 ■ 1855年 (安政2年) 10月。

 

  ● 堀田正睦が幕府の老中主座

    に就任。

  ■ 1855年(安政2年)10月に、堀田正睦 

    (ほったまさよし)が、 江戸幕府の老中

    主座に就任する。

 

  ● 1858年(安政5年)2月に、堀田正睦は、

    和親条約の勅許を得られず。

 

 

 ■ 1857年 (安政4年) 6月。 

 

   ● 一橋派の幕府の老中・阿部

    正弘が急死する。

  ■ 1857年(安政4年)6月に、江戸幕府の、

    老中・阿部 正弘   (あべまさひろ、一橋派の

    中心人物) が急死する。

 

 

 

#jphappenings-1858

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 4月。 

 

   ● 井伊直弼が幕府の大老

    に就任する。

  ■ 1858年(安政5年)4月に、 井伊 直弼 

    (いい なおすけ、紀州派(南紀派)) が、 

    江戸幕府の大老に就任する。

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 6月。 

 

   ● 幕府の次期14代将軍が紀州

    藩主の徳川 慶福(後の家茂)

    に決定。

  ■ 1858年(安政5年)6月25日に、江戸幕

    府の次期14代将軍が、 紀州藩主の徳川

    慶福 (とくがわよしとみ、後の徳川 家茂

    (いえもち))に決定する。 

 

   ● 1858年(安政5年)6月に、江戸幕府・

    大老の井伊 直弼(いいなおすけ)は、 

    江戸幕府の次期・第14代将軍を、徳川

    慶福(よしとみ)に決定する。 

 

 

 ■ 1858年 (安政5年)。 

 

   ● 日本の幕府は米蘭露英仏と

    不平等な修好通商条約を締結。

  ■ 「安政の5カ国条約」締結。 

  ● 江戸幕府・大老の井伊 直弼は、 1858

    年(安政5年)6月から9月にかけて、 天皇

    の勅許を得ず、 欧米列強の米蘭露英仏

    (べいらんろえいふつ、アメリカ、オランダ、

    ロシア、イギリス、フランス)と不平等な

    「安政の5カ国条約」(修好通商条約)を締

    結する。 

 

   ● 日本の幕府は日米修好通商

    条約を締結。

  ■ 1858年(安政5年)6月に、

    江戸幕府・大老の井伊 直弼(いいなおす

    け)は、 勅許を得ず、アメリカと日米修好

    通商条約を締結する。 

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 7月。 

 

   ● 幕府の13代将軍・家定が

    急死する。

  ■ 1858年(安政5年)7月に、江戸幕府・

    第13代将軍の徳川家定(いえさだ)が、

    急死する。

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 7月。 

 

   ● 幕府の大老の井伊は、一橋派

    の徳川一族を蟄居・謹慎にする。

  ■ 1858年(安政5年)7月に、江戸幕府・

      大老の井伊 直弼は、 一橋派の、徳川斉昭

    (なりあき)、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)、

    松平慶永(春嶽)(まつだいらよしなが(しゅ

    んがく))らを、蟄居・謹慎 (ちっきょ・きんし

    ん)などの処分する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 9月。 

 

   ● 安政の大獄が始まる。

  ■ 安政の大獄

    (1858年〜1859年)。

  ● 1858年(安政5年)9月に、安政の大獄 

    (あんせいのたいごく、1858年〜1859年、

    反井伊勢力や一橋派の一掃) が始まる。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 12月。 

 

   ● 幕府の14代将軍に徳川家茂

    が就任する。

  ■ 1858年(安政5年)12月に、徳川家茂 

   (とくがわいえもち、紀州藩主・徳川慶福(よし

   とみ)) が、 江戸幕府の第14代将軍となる。

 

 

 ■ 1858年 (安政5年) 12月。 

 

   ● 薩摩藩の島津斉興は、一橋派

    の活動家だった西郷隆盛

    死んだこととする。

  ■ 1858年(安政5年)12月に、

    薩摩藩の実権を持つ島津斉興 (しなづな

    りおき)は、 江戸幕府の追求をかわすため、

    一橋派の活動家で安政の大獄で追われて

    いる西郷隆盛を、死んだことにし、 潜伏生

    活(潜居)させることとした。 

  ● 西郷隆盛は、鹿児島を出帆し、奄美大島へ

    向かう。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷隆盛ガイドブック。

 

 

 ■ 1859年 (安政6年) 1月。 

 

   ● 一橋派の活動家だった西郷隆

    は、奄美大島に潜伏する。

  ■ 西郷隆盛の第1次島流し

    (奄美大島で約3年間、

    1859年1月ー1862年1月)。

 

  ● 西郷隆盛は、 死んだこととされ(潜居処分

    とし)、1859年(安政6年)1月から、 奄美

    大島で潜伏生活を送る。

 

  ● 西郷隆盛は、 1858年(安政5年)12月

    末に、菊池源吾と改名して、船で鹿児島を

    出航し、1859年(安政6年)1月12日に、

    潜居地の奄美大島に到着する。

 

 

 ■ 1859年 (安政6年) 2月。 

 

   ● 山内容堂が土佐藩主を辞任

    し、隠居する。

  ■ 1859年(安政6年)2月に、 土佐藩・第

    15代藩主の山内容堂 (やまうちようど

    う、豊信)が、 土佐藩主を辞任し、隠居する。

 

 

 ■ 1859年 (安政6年) 10月。 

 

   ● 幕府の大老・井伊が橋本左内、

    吉田松陰らを死罪。

  ■ 1859年(安政6年)10月に、 江戸幕府・

      大老の井伊 直弼は、 橋本左内、吉田松陰

    らを死罪とする。

 

 

 ■ 1860年 (安政7年) 1月。 

 

   ● 安藤信正が幕府の老中に

    就任。

  ■ 1860年(安政7年)1月に、 安藤信正

    (あんどうのぶまさ)が老中に就任する。

 

 

 ■ 1860年 (安政7年) 3月。 

 

   ● 桜田門外の変で、幕府大老の

    井伊が暗殺される。

  ■ 桜田門外の変。 

  ● 1860年(安政7年)3月3日に、江戸幕府の

    大老・井伊 直弼(いいなおすけ)が、暗殺され、

    「桜田門外の変」が起こる。 

 

   ● 桜田門外の変後、幕府は公武

    合体政策をすすめる。

   ● 尊皇(王)攘夷派・急進派 と 

    公武合体派・佐幕派と対立が

    始まる。

  ■ 尊皇(王)攘夷派・急進派 と 公武合体派・

     佐幕派との対立 (1960年ー1864年頃)。

  ● 1860年(安政7年)3月以後、江戸幕府は

    公武合体政策をすすめ、 尊皇(王)攘夷派・

    急進派 と 公武合体派・佐幕派 とが対立

    する (1960年ー1864年頃)。

 

 

 ■ 1860年 (安政7年・万延元年)。 

 

   ● 安政年から万延 年号に改元。

      万延年号1860年ー 1861年。

  ■ 1860年(安政7年・万延元年)に、

    万延(まんえん)年号に改元

  ● 1860年(安政 7年・万延元年)3月18日に

    和暦の「安政」(あんせい、

    安政元年・1854年〜安政7年・1860年)

    が、

    和暦の「万延」(まんえん、

    万延 元年・1860年・ 3月18日〜

    万延 2年・1861年・ 2月19日) に

    改元される。 

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1860年 (万延元年) 10月。 

 

   ● 桜田門外の変後の幕府の公武

    合体政策で、和宮降嫁が決まる

   ● 皇女和宮と徳川家茂の婚儀が

    決まる。

  ■ 1860年(万延元年)10月に、 和宮

         降嫁(かずのみやこうか)が勅許される。

 

  ● 公武合体策のため、 孝明天皇の妹の

    和宮 と 江戸幕府・将軍の徳川家茂と

    の政略結婚が決まる。

 

 

 

 ■ 1861年 (万延2年・文久元年)。 

 

   ● 万延年から文久 年号に改元。

      文久年号1861年ー 1864年。

  ■ 1861年(万延2年・文久元年)に、

    文久(ぶんきゅう)年号に改元

  ● 1861年( 万延2年・文久元年)2月19日に

    和暦の「万延」(まんえん、

    万延元年・1860年〜万延2年・1861年)

    が、

    和暦の「文久」(ぶんきゅう、

    文久 元年・1861年・ 2月19日〜

    文久 4年・1864年・ 2月20日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1861年 (文久元年) 9月。 

 

   ● 武市が「土佐勤王党」を結成、 

    坂本龍馬も参加。

  ■ 1861年(文久元年)9月に、土佐の下士(か

    し、下級武士)の尊皇(王)攘夷派は、  武市

    半平太(たけちはんぺいた、武市瑞山)をリー

    ダーに、「土佐勤王党」を結成する。 

        坂本龍馬は、「土佐勤王党」に、9番目

    で参加する。

 

 

 ■ 1861年 (文久元年) 10月。 

 

   ● 坂本龍馬は、密使として、

    長州へ向かう。

  ■ 1861年(文久元年)10月に、坂本龍馬は、

    武市半平太の密使として、長州(ちょうしゅう)

    へ向かう。 

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 1月。   

 

   ● 坂本龍馬は、長州で久坂玄瑞

    と面談後、土佐に帰国。

  ■  1862年(文久2年)1月に、坂本龍馬は、

    長州(ちょうしゅう、現・山口県の相当地域)

    の萩(はぎ)で、久坂玄瑞 (くさかげんずい)

    と面談する。 

       坂本龍馬は、翌月の2月末に土佐(と

    さ)に帰国する。

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 1月。 

 

   ● 西郷隆盛は、奄美大島を

    脱し、その後、薩摩藩の

    任務に就く。

  ■ 1862年(文久2年)1月に、西郷隆盛は、 

    潜伏していた奄美大島から船で出航し、 

    2月に、鹿児島に到着し、その後、薩摩藩

    の任務に就(つ)く。

 

  ● 1861年(文久元年)10月に、薩摩藩の

    国父の島津久光 (しまづひさみつ)は、

    西郷隆盛に召喚状を出した。

       西郷隆盛は、1862年(文久2年)1月

    14日に奄美大島を船で出航し、1862年

    (文久2年)2月12日に鹿児島に到着する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 2月。 

 

   ● 幕府・将軍の徳川家茂と皇女

    和宮が婚儀を結ぶ。

  ■ 1862年(文久2年)2月に、公武合体政策

    のため、江戸幕府・14代将軍の徳川家茂

    (いえもち) と、 孝明(こうめい)天皇の妹・

    皇女和宮(こうじょう・かずのみや)との婚儀

    が行われる。

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 6月。 

 

   ● 西郷隆盛が島津久光の命令

    に背き、遠島処分となる。  

  ■ 西郷隆盛の第2次島流し

    (徳之島と沖永良部島で、

     1862年7月ー1864年2月)。

  ● 1862年(文久2年)6月に、薩摩藩の実権

    を持つ、国父(こくふ、現藩主の父)の島津

    久光(しまづひさみつ)は、 西郷隆盛が自

    分の命(めい、命令)に背(そむ)いたため、 

    西郷隆盛を遠島(えんとう)処分とした。  

       西郷は、再び、島流し(遠島)となり、

    鹿児島を出帆する。

 

  ● 1862年(文久2年)6月11日に、西郷隆盛

    は、船で鹿児島を出航し、1862年(文久2

    年)7月2日に、徳之島に到着する。

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 7月。 

 

   ● 文久の改革で、一橋慶喜が

    将軍後見職になる。

  ■ 1862年(文久2年)7月に、文久の改革が

    行われる。 

  ● 江戸幕府の、文久の改革で、一橋慶喜(徳

    川慶喜)が将軍後見職に、松平慶永(松平

    春嶽)が政事総裁職に任命される。

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 7月。 

 

   ● 西郷隆盛が島流しとなり、

    徳之島や沖永良部島で

    生活する。

  ■ 西郷の第2次島流し:

    1862年7月〜1864年2月。

  ● 西郷隆盛は、 薩摩藩・国父の島津久光に

    より、遠島処分となり、 1862年(文久2年)

    7月より、徳之島(とくのしま)や沖永良部島

    (おきのえらぶじま)で、生活をする。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 閏8月。 

 

   ● 松平容保が京都守護職に就く。

  ■ 1862年(文久2年)閏8月に、江戸幕府は、

    松平容保(まつだいらかたもり)を京都守護

    職に任命する。

 

 

 ■ 1862年 (文久2年) 12月。 

 

   ● 坂本龍馬が勝海舟の弟子

    となる。

  ■ 1862年(文久2年)12月に、坂本龍馬は、

    勝海舟の弟子となる。   

 

  ● 松平慶永(まつだいらよしなが、春嶽(しゅ

    んがく))の紹介状を携(たずさ)えて、

    勝海舟(かつかいしゅう)に面会し、勝海舟

    の弟子となる。

 

 

 ■ 1863年 (文久3年) 3月。 

 

   ● 幕府将軍の徳川家茂が上洛。

  ■ 1863年(文久3年)3月に、江戸幕府・14代

    将軍の徳川家茂(いえもち)が、上洛(じょうら

    く)する (京(都)を訪ねる)。 

        将軍の上洛は230年ぶりであった。

 

 

 ■ 1863年 (文久3年) 4月。 

 

   ● 幕府将軍の徳川家茂が攘夷を

    5月10日にする旨を天皇に奏

    上。  

  ■ 1863年(文久3年)4月に、江戸幕府・14代

    将軍の徳川家茂(いえもち)は、 攘夷を18

    63年(文久3年)5月10日にする旨を、孝明

    天皇に奏上する。

 

 

 ■ 1863年 (文久3年) 5月。 

 

   ● 長州藩が外国船を砲撃する。

  ■ 1863年(文久3年)5月に、長州藩外国船

    砲撃事件が起こる。

 

 

 ■ 1863年 (文久3年) 5月。     

 

   ● 勝海舟が海軍塾を大阪で開設、

    後に神戸に移る。

   ● 神戸の勝海軍塾では、坂本龍

    馬が塾頭を務める。

  ■ 1863年(文久3年)5月に、勝海舟により、

    海軍塾が開設される (大阪で開設、その

    後、9月に神戸に移る、1863年5月ー1865

    年3月)。

       勝海軍塾で、坂本龍馬は、神戸では塾

    頭をつとめる。

 

  ● 勝海舟は、 日本を欧米列強から守るため

    軍艦の操船技術を習う海軍伝習所に誰でも

    入学させたかったが、 名目上(表向き)、

    幕府から資金を得るため、2つの海軍伝習所

    を設立する。

        1つは、1864年(元治元年)5月に

    神戸に設立した、幕臣のための海軍伝習所

    である神戸海軍操練所である。

        もう1つは、1863年(文久3年)9月に

    神戸に設立した、幕臣以外の者の海軍伝習

    所である、勝海軍塾である。

        神戸の勝海軍塾と神戸海軍操練所は

    600mしか離れていなかった。

 

 

 ■ 1863年 (文久3年) 7月。 

 

   ● 薩摩藩で、薩英戦争が起こる。

  ■ 1863年(文久3年)7月に、薩摩藩で、

    薩英戦争が起こる。

 

 

 ■ 1863年 (文久3年) 8月。 

 

   ● 八月十八日の政変が起こる。 

  ■ 八月十八日の政変。  

  ● 1863年(文久3年)8月に、孝明天皇の意

    向により、会津藩や薩摩藩の公武合体派は、

    京(都)から長州藩主体の急進的尊攘派 

    (そんじょうは、尊皇(王)攘夷派)を駆逐(く

    ちく)する(追放する)。

 

 

#jphappenings-1864

 

 

 ■ 1864年 (文久4年) 2月。 

 

   ● 西郷隆盛の遠島処分が解か

    れる。

   ● 西郷隆盛が薩摩藩の軍賦役

    (軍司令官)となる。

  ■ 1864年(文久4年)2月に、薩摩藩の実権

    を持つ、国父の島津久光が、西郷隆盛を赦

    免召還し、遠島処分を解く。 

 

  ● 西郷隆盛は、 1864年(元治元年)2月21

    日に沖永良部島を出帆し、1864年(元治元

    年)2月28日に鹿児島に到着し、その後、

    1864年(元治元年)3月19日に 薩摩藩の

    軍賦役(軍司令官)に任命され、任務に就(つ)

    く。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1864年 (文久4年・元治元年)。 

 

   ● 文久年から元治年号に改元。

      元治年号1864年ー 1865年。

  ■ 1864年(文久4年・元治元年)に、

    元治(げんじ)年号に改元

  ● 1864年(文久4年・元治元年)2月20日に

    和暦の「文久」(ぶんきゅう、

    文久元年・1861年〜文久4年・1864年)

    が、

    和暦の「元治」(げんじ、

    元治 元年・1864年・ 2月20日〜

    元治 2年・1865年・ 4月 7日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1864年 (元治元年) 5月。

 

   ● 勝海舟が指導する神戸海軍

    操練所が設立される。

  ■ 1864年(元治元年)5月に、勝海舟が指導

    する神戸海軍操練所 (こうべかいぐんそう

    れんじょ、1864年5月ー1865年3月)が設

    立(開校)される。

 

  ● 江戸幕府は、 幕府軍艦奉行の勝海舟の建

    言により、 1863年(文久3年)4月に神戸村

    に海軍操練所の設置を発令し、 1864年(元

    治元年)2月に海軍操練所を完成し、 1864

    年(元治元年)5月に海軍操練所を開講する。

       海軍操練所は、海軍士官養成機関であり、

    海軍工廠であった。

 

  ● 勝海舟は、 日本を欧米列強から守るため

    軍艦の操船技術を習う海軍伝習所に誰でも

    入学させたかったが、 名目上(表向き)、

    幕府から資金を得るため、2つの海軍伝習所

    を設立する。

        1つは、1864年(元治元年)5月に

    神戸に設立した、幕臣のための海軍伝習所

    である神戸海軍操練所である。

        もう1つは、1863年(文久3年)9月に

    神戸に設立した、幕臣以外の者の海軍伝習

    所である、勝海軍塾である。

        神戸の勝海軍塾と神戸海軍操練所は

    600mしか離れていなかった。

 

 

 ■ 1864年 (元治元年) 6月。

 

   ● 新選組の襲撃によって池田屋

    事件が起きる。

  ■ 1864年(元治 元年)6月に、新選組の襲

    撃によって、池田屋事件が起こる。 

 

  ● 池田屋事件で、京(都)の尊王攘夷派(そ

    んのうじょういは)の過激派は、大打撃を受

    ける。

 

 

 ■ 1864年 (元治元年) 7月。

 

   ● 禁門の変が起こり、上洛した

    長州藩勢力は、敗退する。

  ■ 禁門の変。

  ● 1864年(元治 元年)7月に、 禁門の変 

    (きんもんのへん、蛤御門の変(はまぐりご

    もんのへん))が、起こる。

 

  ● 長州藩は、1864年(元治元年)6月の

    池田屋事件に憤慨(ふんがい)し、 勢力回復

    をねらい、1864年(元治 元年)7月に、京

    (都)へ攻めのぼり、 禁門の変 (蛤御門の

    変)が起こる。 

 

  ● 禁門の変(蛤御門の変)で、会津藩・薩摩

    藩などの幕府勢力により、上洛した長州藩は、

    敗退する。 長州藩兵を率いていた久坂玄随

    等が自刃(じじん、自害)する。

 

  ● 禁門の変では、薩摩藩は、幕府軍の一翼と

    なり、薩摩藩の西郷隆盛は、 薩摩藩の軍賦

    役(軍司令官)として、薩摩藩兵を率い、活躍

    する。

 

   ● 禁門の変で、京(都)市街地の

    約6割が焼ける。

  ■ 禁門の変時の戦いに伴い、1864年(元治元

    年)7月に、京(きょう、京都)の市街地に火災

    が起こり、京の市街地の約6割が焼ける。

 

 

 ■ 1864年 (元治元年) 7月。 

 

   ● 第1次長州征討で長州藩は

    恭順する。

  ■ 第1次長州征討(1864年7月〜12月)。

  ● 1864年(元治元年)7月に、江戸幕府は、

    第1次長州征討(1864年7月〜12月)を

    開始する。

 

  ● 第1次長州征討では、幕府軍は、長州藩の

    近くの広島まで軍を進めたが、1864年(元

    治元年)11月には、長州藩は、恭順(きょう

    じゅん)し、 1864年(元治元年)12月に、

    幕府軍は、引き揚げる。

 

  ● 第1次長州征討で、、薩摩藩は、幕府軍の

    一翼となり、 薩摩藩の西郷隆盛は、薩摩藩

    兵を率い、 第1次長州征討の幕府軍参謀と

    して、交渉で活躍する。

 

 

 ■ 1864年 (元治元年) 9月。 

 

   ● 幕府は、参勤交代制を廃止

    する。

  ■ 1864年(元治元年)9月に、江戸幕府は、

    参勤交代制を廃止する。

 

 

 ■ 1864年 (元治元年) 12月。  

 

   ● 長州藩で高杉晋作が挙兵し

    勝ち、藩論が討幕へ転換。

  ■ 1864年(元治元年)12月に、長州藩では、

    高杉晋作(たかすぎしんさく)が、奇兵隊等

    の民兵諸隊を率いて、江戸幕府に恭順した

    長州藩の保守派を退(しりぞ)け、長州藩

    藩論を、討幕へ転換させる。

 

   ● 尊皇(王)討幕派と公武合体派・

    佐幕派との対立が始まる。

  ■ 尊皇(王)討幕派と公武合体派・佐幕派と

     の対立が起こる (1864年〜1866年頃)。

  ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 

    と、 公武合体派・佐幕派 とが対立する

    (1864年〜1866年頃)。

 

 

 ■ 1865年 (元治2年) 3月。

 

   ● 海軍塾や神戸海軍操練所が

    閉鎖される。

  ■ 海軍塾や神戸海軍操練所の閉鎖。

  ● 1865年(元治 2年)3月に、勝海舟が指導

    する海軍塾や神戸海軍操練所は、 池田屋

    事件や禁門の変に参加した志士がいたため、

    勝海舟は江戸幕府から追及され、危険視さ

    れ、閉鎖される。  

 

  ● 海軍塾や神戸海軍操練所にいた坂本龍馬

    ら20数名は、勝海舟の紹介で西郷隆盛を頼 

    って大阪の薩摩藩邸に保護される。

 

 

 

 ■ 1865年 (元治2年・慶応元年)。 

 

   ● 元治年から慶応 年号に改元。

      慶応年号1865年ー 1868年。

  ■ 1865年(元治2年・慶応元年)に、

    慶応(けいおう)年号に改元

  ● 1865年( 元治2年・慶応元年)4月7日に

    和暦の「元治」(げんじ、

    元治元年・1864年〜元治2年・1865年

    が、

    和暦の「慶応」(けいおう、

    慶応 元年・1865年・ 4月 7日〜

    慶応 4年・1868年・ 9月 8日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1865年 (慶応元年) 5月。 

 

   ● 坂本龍馬は長崎で、「亀山社中」

    を設立する。

  ■ 1865年(慶応元年)5月に、薩摩藩の援助

    により、 坂本龍馬は、海軍塾や神戸海軍操

    練所の仲間らと共に、長崎で、「亀山社中」

    (かめやましゃちゅう、後の海援隊)を組織し、

    物産や武器の貿易を行う。

 

 

 ■ 1865年 (慶応元年) 9月。 

 

   ● 第2次長州征討(長州藩再征)

    が始まる。

  ■ 1865年(慶応元年)9月に、江戸幕府・将軍

    の徳川家茂(いえもち)は、 孝明天皇より、第

    2次長州征討(長州藩再征)の勅許を受ける。

 

 

 ■ 1865年 (慶応元年) 10月。 

 

   ● 幕府は、孝明天皇より、「安政の

    5カ国条約」の勅許を得る。

  ■ 1865年(慶応元年)10月に、 江戸幕府は、

    孝明天皇より、「安政の5カ国条約」(1858年

    の修好通商条約)の勅許を得る。

 

 

#jphappenings-1866

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 1月。 

 

   ● 薩長同盟が成立する。 

   ● 坂本龍馬らの仲介で、薩摩藩と

    長州藩が密約軍事同盟を結ぶ。

  ■ 薩長同盟成立。 

   薩長の反幕府軍事同盟の密約の締結。

   1866年(慶応2年)1月に、 坂本龍馬ら

    の斡旋で、京(都)で、長州藩の桂小五郎

    (後の木戸孝允(きどたかよし)) と、 

    薩摩藩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟

    (薩長連合)が結ばれる。

      薩長同盟は、薩長の反幕府軍事同盟

    の密約であった。

 

   ● 尊皇(王)討幕派と公議政体派

    佐幕派との対立が始まる。

  ■ 尊皇(王)討幕派と公議政体派・佐幕派と

     の対立が起こる (1866年〜1867年頃)。

  ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 

    と、 公議政体派・佐幕派 とが対立する 

    (1866年〜1867年頃)。

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 1月。 

 

   ● 寺田屋事件が起こり、龍馬は

    幕吏の手から逃れる。

  ■ 寺田屋事件が起こる。 

  ● 1866年(慶応2年)1月に、寺田屋事件

    が起こる。 坂本龍馬は、寺田屋で幕吏

    に襲撃され、妻のお龍(おりょう)の助けで、

    龍馬は、幕吏の手から逃(のが)れる。

       坂本龍馬は、薩摩藩邸へ逃れ、その

    傷を癒(いや)すため、 お龍と共に鹿児島

    を旅行する。

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 5月。 

 

   ● 幕府は、改税約書に調印。

  ■ 1866年(慶応2年)5月に、江戸幕府は、 

    改税約書(かいぜいやくしょ)に調印する。

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 6月。 

 

   ● 第2次長州征討が始まる。

  ■ 第2次長州征討 (1866年6月〜8月)。

  ● 1866年(慶応2年)6月に、江戸幕府は、

    長州藩に対し、第2次長州征討 (長州再征、

    1866年6月〜8月)を開始する。

 

  ● 第2次長州征討では薩摩藩は参加しなかった。

 

  ● 第2次長州征討では、 坂本龍馬は、長州藩

   の海軍を支援する。

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 7月。 

 

   ● 幕府・将軍の徳川家茂が

    病死する。

  ■ 1866年(慶応2年)7月に、江戸幕府・

    14代将軍の徳川家茂(いえもち)が、 

    死去(病死)する。

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 8月。 

 

   ● 第2次長州征討が終わる。

  ■ 第2次長州征討の終了。

  ● 1866年(慶応2年)7月の江戸幕府・将軍

    の徳川家茂(いえもち)の死去(病死)により、 

    第2次長州征討(長州再征、1866年6月〜

    8月)は、中止となる。

   ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 12月。 

 

   ● 徳川慶喜が幕府の第15代

    将軍となる。 

  ■ 1866年(慶応2年)12月5日に、徳川慶喜

    (よしのぶ、一橋慶喜)は、 征夷大将軍、

    内大臣となり、 江戸幕府の第15代将軍 

    (将軍在任:1866年12月5日〜1867年

    12月9日) となる。 

 

 

 ■ 1866年 (慶応2年) 12月。 

     

   ● 倒幕を好まず、公武合体論

    の立場をとる、孝明天皇が

    死去する。

  ■ 1866年(慶応2年)12月25日に、倒幕を

    好まず、公武合体論の立場をとる、孝明(こ

    うめい)天皇が、急死する。 

 

 

#jphappenings-1867

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 1月。 

 

   ● 睦仁天皇(= 明治天皇)

    が即位する。

  ■ 1867年(慶応3年)1月9日に、 睦仁天皇

    (むつひとてんのう、= 明治天皇) が、践祚

    (せんそ)の儀を行う (事実上、即位する)。  

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 4月。 

 

   ● 坂本龍馬は、脱藩の罪を許され、

    土佐藩との関係を修復。

  ■ 1867年(慶応3年)4月に、坂本龍馬は、

    土佐藩より、脱藩の罪を許され、土佐藩と

    の関係を修復する。

 

  ● その後、亀山社中は、土佐藩に付属する

    外郭機関として、「海援隊」と改称される。 

      また、岩崎弥太郎 (いわさきやたろう、

    三菱財閥の創始者)が、土佐藩の藩命に

    より海援隊の会計係となる(経理を担当す

    る)。 

 

  ● その後、海援隊は、中岡慎太郎の作った

    陸援隊と共に、行動する。

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 5月。 

 

   ● 薩摩藩主導で、四侯会議が

    設置されたが、崩壊する。

  ■ 1867年(慶応3年)5月に、  薩摩藩主導で、

        四侯会議が設置されたが、短期間で崩壊

    する。

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 6月。 

 

   ● 坂本龍馬が船中八策を

    策定。

  ■ 1867年(慶応3年)6月に、長崎を出航し、

    京(きょう、京都)に向かう、土佐藩船の

    夕顔丸の中で、上洛中の洋上で、 坂本

    龍馬は、「船中八策」を策定する。

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 6月。 

 

   ● 薩土盟約が、土佐藩と薩摩藩

    との間で、結ばれ る。

  ■ 薩土盟約

  ● 1867年(慶応3年)6月に、大政奉還の行

       方がわかるまでは、武力討幕は見送るとい

       薩土盟約が、土佐藩と薩摩藩との間で、

    結ばれる。

 

  ● 坂本龍馬は、既にある、薩摩の西郷隆盛と

    土佐 の討幕派の乾退助 (いぬいたいすけ、

    板垣退助)との間で交わされ た武力討幕の

    薩土密約を思いとどまらせるため、 1867

    (慶応3年)年6月22日に、京(きょう、京都)

    の三本木の料亭で、坂本龍馬や中岡慎太郎

    の仲介により、 土佐の後藤象二郎 と 薩

    摩の西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通が、

    会談する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

  ■ 1867年(慶応3年)6月22日に、武力に

    よらない倒幕をめざす、公議政体派の土佐

    藩の後藤象二郎、坂本龍馬は、

    武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛や大久保

    利道と会い、江戸幕府・将軍の徳川慶喜が

    大政奉還を受け入れたら、武力蜂起しない

    と2人に約束させる。

 

  ● 一方、武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛

    や大久保利道は、

    徳川慶喜が易々と大政奉還を受け入れ政

    権を手放すはずがないと考え、1867 年

    (慶応3年)10月14日に、討幕の密勅(み

    っちょく)  (朝廷が薩長藩主に出した討幕

    の密勅)を得るが、徳川慶喜が大政奉還を

    受け入れたため、一時的に武力討幕を中止

    する。

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 10月。   

 

   ● 幕府・将軍の徳川慶喜が

    大政奉還を行なう。

  ■ 大政奉還(たいせいほうかん)とは、

    江戸幕府(徳川氏)の朝廷への政権返上

    である。

  ● 徳川慶喜は、 大政奉還 によって、江戸幕府

    (徳川氏)は政権を朝廷に返上し、 列藩会議

    を設置し、  徳川氏宗家当主の徳川慶喜が諸

    侯の一員(盟主)として、その列藩 会議に参画

    (を主導)することを望む。

 

  ■ 大政奉還の実施。

  ● 1867年(慶応3年)10月15日に、江戸幕府・

    第15代将軍の徳川慶喜は、大政奉還 (たい

    せいほうかん、江戸幕府の政権を朝廷へ返上)

    を行う。  

 

  ● 徳川慶喜は、  1867年(慶応3年)10月14

    日に、政権返上を睦仁天皇(むつひとてんのう、

    = 明治天皇)に奏上(そうじょう)し、10月15日

    に勅許(ちょっきょ)される。

 

  ■ 一方、武力討幕派の薩摩藩の西郷隆盛や大

     久保利道は、徳川慶喜が易々と大政奉還を受

    け入れ政権を手放すはずがないと考え、1867

    年(慶応3年)10月14日に、討幕の密勅(みっ

    ちょく)(朝廷が薩長藩主に出した討幕の密勅)

    を得るが、徳川慶喜が大政奉還を受け入れた

    ため、一時的に武力討幕を中止する。

 

  ■ 坂本龍馬の提案(船中八策等)をもとに、土佐

    藩参政・後藤象二郎が前土佐藩主・山内容堂

    を説いて、土佐藩の進言により、徳川慶喜は、

    大政奉還を行う。

 

  ■ 徳川慶喜は、 江戸幕府(徳川氏)の政権返上

     後、政治運営や外交のノーハウがない朝廷は、 

    旧江戸幕府の徳川氏に政権を任せると考え、 

    徳川慶喜の狙いは、政権返上後の実質的 な

    徳川氏支配の再構築にあり、 徳川慶喜は、

    列藩会議を主導して、 日本の政治の主導権

    を握れると考えていた。 

       ところが、1867年(慶応3年)の12月9日

    の王政復古のクーデターにより、薩長の武力討

    幕派が、政治の主導権を握ってしまった。

             

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 11月。   

 

   ● 坂本龍馬は、新政府綱領ハ策

    を作成。

  ■ 1867年(慶応3年)11月に、坂本龍馬は、

    「新政府綱領ハ策」を作成する。 

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 11月。   

 

   ● 近江屋事件で、坂本龍馬が

    暗殺される。

  ■ 1867年(慶応3年)11月に、坂本龍馬が

    暗殺される。  

  ● 坂本龍馬は、1867年(慶応3年)11月15

    日に、 京都の近江屋(おうみや)で、何者

    か(江戸幕府の見廻組(みまわりぐみ)?)

    に急襲され、殺害される。 同席していた

    中岡慎太郎も殺害される。

 

 

 ■ 1867年 (慶応3年) 12月。   

 

   ● 王政復古の大号令が出される。 

   ● 日本近代政府(明治新政府)

    が樹立される。

  ■ 1867年(慶応3年)12月9日に、王政復古

    の大号令が出される。 

 

  ■ 王政復古の大号令により、 日本近代政府

    (明治新政府)が樹立される。

  ● 王政復古の大号令により、江戸幕府排除 と

    王政復古がなり、近代日本政府 (明治新政

    府)が樹立される。

 

  ■ 王政復古の大号令により、 江戸幕府の廃

    絶と新政府の樹立が宣言され、政権運営は、

    新たな三職 (さんしょく、総裁(そうさい)、

    議定(ぎじょう)、参与(さんよ)) によって行

    う事が決定された。

 

  ■ 12月9日の新政府の初めての会議である、

    小御所会議(こごしょかいぎ)で、新政府は、

    旧幕府・将軍の徳川慶喜の官位剥奪と領地

    没収を決定した。

 

  ● しかし、その後、12月24日に、新政府は、 

    徳川慶喜の、官位辞退、領地保有、新政府の

    議定(ぎじょう)職就任を決定し、徳川慶喜は、

    安心する。

             

 

#jphappenings-1868

 

 

 ■ 1868年 (慶応4年) 1月。   

 

   ● 戊辰戦争が起こる。

  ■ 戊辰戦争。

  ● 戊辰戦争 (ぼしんせんそう、1868年1月ー

    1869年5月)が始まる。

  ● 1868年(慶応4年)1月3日に、鳥羽伏見の

    戦い (とばふしみのたたかい、1868年1月

    3日ー1月8日)が起こる。

 

  ■ 戊辰戦争 (ぼしんせんそう、1868年(慶

    応4年)1月3日ー1869年(明治2年)5月

    18日) が始まる。  

  ● 西郷隆盛が、戊辰戦争で、明治新政府

    (近代日本政府)の軍を主導する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

  ■ 鳥羽伏見の戦い。

  ● 1867年(慶応3年)12月25日に、旧幕府勢

    力の庄内藩(しょうないはん)による薩摩藩江戸

    屋敷焼き打ち事件が起こり、 その事件以後、

    旧幕府勢力の薩摩藩への怒りを徳川慶喜が押

    さえきれず、 1868年(慶応4年)1月2日に、

    徳川慶喜の「討薩の表」(とうさつのひょう)を京

    (きょう、京都)の朝廷に提出し、 薩摩藩を朝廷

    より排除するため、 指揮が低い(混乱した)寄

    せ集めの軍の約1万5000人の旧幕府軍が、

    大坂城より京(都)へ進軍し、

       1868年(慶応4年)1月3日に、京都御所

    へ行く途中の鳥羽と伏見の2カ所で、旧幕府軍

    の進軍を阻止しようとする、指揮が高く最新鋭

    の武器で武装した約5000人の薩長軍と衝突し、 

    鳥羽伏見の戦い (1868年(慶応4年)1月3日

    〜6日)が起こる。 

       1868年(慶応4年)1月5日に、鳥羽伏見

    の戦場で、薩長軍は「錦の御旗」(にしきのみは

    た)を掲げ、戦況が薩長軍に有利となり、

       1868年(慶応4年)1月6日に、戦況が

    不利となり、また、賊軍となったことを知った徳

    川慶喜は、大坂城から脱出し船で江戸に向い、

    旧幕府軍も、敗走を続け、敗戦する。

 

 

 ■ 1868年 (慶応4年) 4月。   

 

   ● 江戸城が無血開城される。

  ■ 江戸城無血開城。

  ● 1868年(慶応4年)4月に、江戸幕府の

    本拠地の江戸城が、無血開城され、討幕軍

    (= 明治新政府(近代日本政府)の軍)が、江

    戸城に入る。

 

  ● その後、明治新政府(近代日本政府)の統治

    (支配)に不満をもつ旧幕府勢力が起こした

    上野戦争が1868年(慶応4年)に江戸(東

    京)で起こり、 討幕軍(= 明治新政府(近代

    日本政府)の軍)が勝利した後、  江戸(東

    京)は、明治新政府(近代日本政府 )の統治

    (支配)下に入る。

  

 

 ■ 1868年 (慶応4年) 5月。   

 

   ● 上野戦争で、旧幕府勢力の、

    江戸の彰義隊が壊滅。

  ■ 1868年(慶応4年)5月に、上野戦争で、

    旧幕府勢力の、江戸の彰義隊(しょうぎた

    い)が壊滅する。

 

  ● 明治新政府(近代日本政府)の統治(支配)

    に不満をもつ旧幕府勢力が起こした上野戦

    争が1868年(慶応4年)に江戸(東京)で起

    こり、 討幕軍(= 近代日本政府(明治新政

    府)の軍)が勝利した後、  江戸(東京)は、

    明治新政府(近代日本政府)の統治(支配)

    下に入る。

 

 

 ■ 1868年 (慶応4年) 5月。   

 

   ● 旧幕府勢力の奥羽越列藩同盟

    が成立する。

  ■ 1868年(慶応4年)5月に、

    明治新政府(近代日本政府)に対立する、

    旧幕府勢力の奥羽越列藩同盟(おおうえ

    つれっぱんどうめい)が、成立する。

 

 

 ■ 1868年 (慶応4年) 7月。   

 

   ● 江戸を東京に改称する。

  ■ 1868年(慶応4年)7月に、明治新政府

   (近代日本政府)は、 江戸を東京と改称す

   る。

 

 

 

 ■ 1868年 (慶応4年・明治元年)。

 

   ● 慶応年から明治 年号に改元。

      明治年号1868年ー 1912年。

  ■ 1868年(慶応4年・明治元年)に、

    明治(めいじ)年号に改元

  ● 1868年( 慶応4年・明治元年)9月8日に

    和暦の「慶応」(けいおう、

    慶応 元年・1865年〜慶応4年・1868年

    が、

    和暦の「明治」(めいじ、

    明治 元年・1868年・ 9月 8日〜

    明治45年・1912年・ 7月30日) に

    改元される。 

 

  ■ 江戸時代後期の各年号。

    暗記法: 文天弘嘉安万文元慶明

    (ぶんてんこうかあんまんぶんげんけいめい)。

  ● 文政(ぶんせい)年号 1818年ー 1830年。

  ● 天保(てんぽう)年号:  1830年ー 1844年。

  ● 弘化(こうか)年号   1844年ー 1848年。

  ● 嘉永(かえい)年号   1848年ー 1854年。

  ● 安政(あんせい)年号:   1854年ー 1860年。

  ● 万延(まんえん)年号:   1860年ー 1861年。

  ● 文久(ぶんきゅう)年号 1861年ー 1864年。

  ● 元治(げんじ)年号    1864年ー 1865年。

  ● 慶応(けいおう)年号:    1865年ー 1868年。

  ● 明治(めいじ)年号   1868年ー 1912年。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 

 ■ 1869年 (明治2年) 5月。   

 

   ● 戊辰戦争が終わる。

  ■ 1869年(明治2年)5月18日に、

    戊辰戦争 (ぼしんせんそう、1868年(慶

    応4年)1月3日ー1869年(明治2年)5月

    18日) が終わる。

 

 

 ■ 1869年 (明治2年) 6月。   

 

   ● 西郷隆盛は、明治新政府の

      軍の職を辞し、鹿児島へ戻る。

  ■ 1869年(明治2年)6月に、西郷隆盛は、

    明治新政府(近代日本政府)の軍の職を

    辞し、鹿児島へ戻る。

 

 

 ■ 1869年 (明治2年) 12月。   

 

   ● 東京・横浜間で電信が開通。

  ■ 1869年(明治2年)12月に、東京・横浜

    間で電信が開通する。

 

 

 ■ 1869年 (明治2年) 6月。   

 

   ● 明治新政府は、版籍奉還を

    実施する。

  ■  1869年(明治2年)6月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、 版籍奉還(はんせき

    ほうかん)を実施する。

 

 

 ■ 1869年 (明治2年) 8月。   

 

   ● 蝦夷地は北海道と改称される。

  ■ 1869年(明治2年)8月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、蝦夷地を北海道と

    改称する。

 

 

#jphappenings-1871

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 1月。   

 

   ● 明治新政府は、郵便制度を

    実施。

  ■ 1871年(明治4年)1月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、 郵便制度を実施

    する。

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 2月。   

 

   ● 明治新政府は、薩長土3藩

    より、兵を徴集。

  ■ 1871年(明治4年)2月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、 薩長土3藩より、

    親兵を徴集する。

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 5月。   

 

   ● 明治新政府は、新貨条例

    (円・銭・里の10進法通貨)

    を公布。

  ■ 1871年(明治4年)5月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、新貨条例 (しんかじ、

    ょうれい円・銭・里の10進法通貨)を公布

    する。

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 6月。 

 

   ● 西郷隆盛が、明治新政府に

    復職。

  ■ 1871年(明治4年)6月に、西郷隆盛が、

    鹿児島より東京へ出て、参議として、明治

    新政府(近代日本政府)に復職する。

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 7月。   

 

   ● 明治新政府は、廃藩置県を

    実施。

  ■ 1871年(明治4年)7月に、 明治新政府

    (近代日本政府)は、廃藩置県を実施する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 11月。   

 

   ● 明治新政府は、府県制を実施

    し、府知事、県令を設置。

  ■ 1871年(明治4年)11月に、 明治新政府

    (近代日本政府)は、 全国を、1使3府72県

    とし、府知事、県令を設置する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 12月。   

 

   ● 岩倉使節団が日本を出発。

  ■ 1871年(明治4年)12月に、大久保、木戸

    ら岩倉使節団(1871年12月ー1873年9月)

    が、外遊のため、日本を出発する。

 

 

 ■ 1871年 (明治4年) 12月。   

 

   ● 西郷の留守政府が始動。

  ■ 留守政府 (1871年12月ー1873年9月)

     が始動する。

  ● 1871年(明治4年)12月より1873年9月

    まで、 西郷隆盛が、大久保、木戸ら岩倉使

    節団外遊中の留守政府(1871年12月ー

    1873年9月) を指導する。

 

 

#jphappenings-1872

 

 

 ■ 1872年 (明治5年) 1月。 

 

   ● 明治新政府は、戸籍法(壬申

    戸籍)の実施。

  ■ 戸籍法(壬申戸籍)の実施。

  ● 1872年(明治5年)1月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    戸籍法(壬申(じんしん)戸籍)を実施する。

 

 

 ■ 1872年 (明治5年) 8月。   

 

   ● 明治新政府は、学制の公布。

  ■ 学制の公布。

  ● 1872年(明治5年)8月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    学制を定める。

 

 

 ■ 1872年 (明治5年) 9月。   

 

   ● 鉄道が開業。

  ■ 鉄道開業。

  ● 1872年(明治5年)9月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    鉄道を開業する。

       新橋・横浜間鉄道が開業される。

 

 

 ■ 1872年 (明治5年) 12月。 

 

   ● 明治新政府は、暦、時刻の

    切り替えを行なう。

  ■ 1872年(明治5年)12月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    暦(こよみ)、時刻の切り替えを行なう。

 

   ● 旧暦を新暦に切り替える。

  ■ 1872年(明治5年)12月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    旧暦(きゅうれき、太陰太陽暦)を新暦(しん

    れき、太陽暦、グレゴリオ暦)に切り替える。

 

  ● 太陽暦の採用(太陽暦への切り替え)。 

    明治新政府(近代日本政府)の西郷の留守

    政府は、

    旧暦(太陰太陽暦)の明治5年(1872年)

    12月3日を、 新暦(太陽暦)の明治6年

    (1873年)1月1日(元旦) とする。

 

   ● 十二支表示時刻を西洋式時刻

    に切り替える

  ■ 1872年(明治5年)12月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    十二支表示時刻(1昼夜12等分時間制)を

    西洋式時刻(1昼夜24等分時間制)に切り

    替える。

 

 

#jphappenings-1873

 

 

 ■ 1873年 (明治6年) 3月。 

 

   ● 明治新政府は、徴兵令を公布。 

  ■ 1873年(明治6年)3月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    徴兵令を公布する。

 

 

 ■ 1873年 (明治6年) 7月。 

 

   ● 明治新政府は、地租改正条例

    を公布する。    

  ■ 1873年(明治6年)7月に、明治新政府

    (近代日本政府)の西郷の留守政府は、 

    地租改正条例を公布する。

 

 

 ■ 1873年 (明治6年) 9月。 

 

   ● 岩倉使節団が帰国する。

  ■ 1873年(明治6年)9月に、大久保、木戸

    ら岩倉使節団が 外遊から戻る。

 

 

 ■ 1873年 (明治6年) 10月。   

 

   ● 「明治六年の政変」が起こり、

    西郷が政府を辞職する。 

  ■ 「明治六年の政変」が起こる。 

  ● 1873年(明治6年)10月に、西郷隆盛、

    板垣退助らが、 下野する (政府の役職・

    参議(さんぎ)を辞職する)。 

 

  ● 西郷隆盛は、鹿児島へ戻り、これ以後、

    鹿児島の私学校で教育に専念する。

  ● TKKI カナヤマ著 西郷 隆盛ガイドブック

 

 

 ■ 1873年 (明治6年) 11月。 

 

   ● 大久保が、政府に内務省を

    設置する。

  ■ 1873年(明治6年)11月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、内務省を設置する。

 

 

 ■ 1876年 (明治9年) 3月。 

 

   ● 明治新政府は、廃刀令を公布

    する。 

  ■ 1876年(明治9年)3月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、廃刀令(はいとうれい)

    を公布する。

 

 

 ■ 1876年 (明治9年) 8月。 

 

   ● 明治新政府は、金禄公債証

    書発行条例(家禄・賞典禄

    の廃止)を公布。

  ■ 1876年(明治9年)8月に、明治新政府

    (近代日本政府)は、 金禄公債証書発行

    条例(家禄・賞典禄の廃止)を公布する。

 

 

 ■ 1877年 (明治10年) 2月。   

 

   ● 西南戦争が起こる。

  ■ 1877年(明治10年)2月に、西南戦争

    (1877年2月ー9月)が、起こる。 

 

  ● 1877年(明治10年)2月に、鹿児島の

    私学校生徒が、暴動を起こす。 

      1877年(明治10年)2月に、西郷隆盛

    は、不平士族に擁立されて、明治新政府

    (近代日本政府)に反乱(西南戦争)を起こ

    す。

 

 

#jphappenings-1877

 

 

 ■ 1877年 (明治10年) 9月。   

 

   ● 西郷隆盛が、西南戦争で敗死

    する。

  ■ 1877年(明治10年)9月に、西郷隆盛が、

    享年51歳で、西南戦争で、死去(敗死、自

    害)する。

 

 

 ■ 1878年 (明治11年)。

 

   ● 政府を主導する大久保が

    暗殺される。

  ■ 1878年(明治11年)に、明治政府(近代

    日本政府)を主導する、大久保利道が、

    東京で、暗殺される。

 

 

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#jphappenings/summary

 

 

◆ 西郷隆盛 関連

   出来事 (概要・総合)。

 

 

#jphappenings/summary-a

 

 

◆ 西郷隆盛 関連

   出来事 (概要・

   テーマ別各事柄)。

 

 

#jphappenings/summary-per2110

 

 

#jphappenings/summary-s

#jpthesituationinthelateedoeraand

  earlymeijiera

 

 

 

◆ 幕末、明治時代

   初期の日本の

   情勢。 

        (1853年〜1877年)。

 

 

 ■ (1) 「 軍事力なき軍事政権 」

             (軍事弱体の江戸幕府)。

   ■ 幕末、 日本は、まだ産業革命は起きて

     おらず、近代化していなかった。 欧米諸

     国に比べ、 工業力、軍事力で遥(はる)

     かに、劣っていた。

 

   @ 幕末や明治時代初期に、 イギリス、フラ

     ンス、アメリカ、ロシアなどの欧米列強が、

     日本を植民地にしようと狙っていた。 

 

   A しかし、 弱肉強食の世界情勢の中で

     幕末日本を支配していた江戸幕府は

     欧米列強を追い払い、 欧米列強に対

     抗できる 軍事力を持っていなかった

 

   B 幕末、 日本を支配する江戸幕府は、 

     欧米列強から軍事力で脅(おど)かされ、

     欧米列強との戦い(全面戦争)を避けるた

     めに、 欧米列強の要求をのみ、 不平等

     条約 (安政の5カ国条約、1858年)を結

     び、かろうじて、一時的に、欧米列強の植

     民地になるのを免(まぬが)れた。

 

   ● もし、幕末や明治時代初期に、 日本を支

     配する江戸幕府や明治新政府が、欧米列

     強と全面戦争をしていたら、 完全に敗北し、 

     当時の清国(中国)やインドのように、 欧米

     列強の植民地 になっていたであろう。

 

   ● 不平等条約 (安政の5カ国条約、1858年) 

     を結び、かろうじて、一時的に、 欧米列強の

     植民地になるのを免(まぬが)れていたとはい

     え、 不平等条約は、植民地化の第一歩であ

     った。

 

   ■ 幕末、明治初期、 その後も、 欧米列強は、 

     隙(すき)さえあらば、日本を本格的に植民地

     にし、搾取(さくしゅ)しようと、狙(ねら)ってい

      。  

       欧米列強は、 日本で全面戦争の内乱(内

     戦)が起こり日本全体の軍事力が更に弱体化

     した時には、 抵抗が少なくなり、 日本領土を

     容易に奪えると考えて、 その機会をうかがっ

     ていた。 

        しかし、 戊辰(ぼしん)戦争 (新政府軍

     と旧幕府一部残存勢力との争い) や 西南戦

     争 (新政府軍と一部不平士族勢力との争い) 

     という部分戦争 (大勢力が中小勢力と戦う戦

     争) は、起きたが、 全面戦争の内戦 (大勢

     力同士が戦う戦争) (新政府軍と旧幕府勢力

     軍との全面戦争、 明治新政府機関内同士の

     全面戦争) は、起こらず、欧米列強は、日本

     を植民地にする機会を失った。

 

   C そのような弱肉強食の国際情勢の中で、

      幕末や明治時代初期、 日本は、欧米列

      強の植民地にならないためにも、 一刻

      も早く、 殖産興業、富国強兵を行い、

      大きな工業力、軍事力をもち、 更に、欧

      米列強と肩を並べられる近代国家になる

      必要があった。

 

   ● 幕末、 幕政改革という幕府内(日本政

      府内)の改革では近代国家はできず、 

      封建的な幕府という日本政府では近代国

      家の建設はできず、近代国家の建設には、

      江戸幕府は邪魔(じゃま)であり、 幕府を

      倒して、新政府を作り、 近代国家を成立

      させようという勢力(薩長連合等)が、幕末

      に出現した。

 

 

 ■ 下級武士等下層身分の人々が、

    幕藩体制の打倒を切望。

   ■ 江戸時代、 江戸幕府の将軍を頂点として、 

     ピラミッド社会がつくられていた。

   ● 江戸時代は、江戸幕府の幕藩体制の下に、 

     生まれながらに、日本の全ての人々は、身

     分が固定され、 農工商民は、武士に服従

     し、 下級武士は、上級武士に服従し、 上

     級武士は、藩主に服従し、藩主は、江戸幕

     府の将軍に服従していた。 

 

   ■ 江戸時代は、 生まれながらの「身分」に

     よって、生き方が決まってしまう構造の社

     会であった。

   ● 能力や実力があっても、 多くの下級武

     士は、上級武士になれなかった。 また、

     下級公家(くげ)も上級公家にはなれな

     かった。 

       それらを打破するには、 旧秩序を崩

     壊させる必要があった。 

       幕末に、身分の固定が、大きな不満と

     なり、爆発した。

 

   ■ (実例) 

   ○ 下級武士 : 西郷隆盛 (さいごうもたか

     り)、大久保利通 (おおくぼとしみつ)、 

     坂本龍馬 (さかもとりょうま)。 

   ○ 下級公家 : 岩倉具視(いわくらともみ)。

 

   ■ そこで、下級武士や下級公家は、 自分達

     の社会的地位を上昇させるため、 旧体制

     や封建体制を打破し、 日本を支配する江

     戸幕府を倒し、 新政府を樹立する動きに

     出る。

 

   ● 幕末、 西郷隆盛、大久保利通、坂本竜馬

     などの下級武士 や 岩倉具視などの下級

     公家が、 旧体制や封建体制打破、倒幕、

     新政府樹立を行う改革の中心勢力となる。

 

   ■ 幕末、 農工商民や女性も、 不平等な旧

     体制や封建体制に不満をもち、 その改革

     の動きを支持する。

   ● TKKI カナヤマ著 西郷隆盛ガイドブック。

     

 

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 『 あなたのハートには 

    何が残りましたか? 』

 

 

 

以  上。