◆ TKKI カナヤマ オフィシャル ホームページ。
TKKI KANAYAMA’S OFFICIAL HOMEPAGE.
◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。
KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK.
カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 は 』。
No.0870。
メ ニュー (目次)。
■ 次の項目を選び、クリックして下さい。
□ 日本史 辞典 (総合)。
□ は ● 事柄順。
〇 ばく 幕末。
(ばくまつ )。
(総合)。
(1853〜1868年)。
○ 幕末= 江戸時代末期。
(⇒ 日本歴史の時代区分)。
〇 ばく 幕末・詳細年表
(ばくまつ・しょうさいねんぴょう)。
(⇒ 日本史年表) 。
〇 ばく 幕末日本政治・政争
(ばくまつにほんせいじ・せいそう
へんせんいちらんひょう)。
〇 ばく 幕末の志士。
(ばくまつのしし)。
〇 ばく 幕末の江戸剣術道場
(ばくまつのえどけんじゅつどうじょう)。
■ 上位のWEBサイト。
□ (KOH) カナヤマ オフィシャル >
□ (Cse) 国際理解総合サイト >
□ (Ke) 百科事典。 >
□ (Khh) 歴史学ハンドブック。 >
□ (Kjhh) 日本史ハンドブック。 >
□ (Kjhh) 日本史辞典(総合版)。 >
□ (Kjhh) 日本史辞典・日本語版。 >
□ (Kjhh) 日本史辞典の「 は 」 >
□ (Kjhh) この日本語ページ。
◆ カナヤマ日本歴史辞典
日本語版。
■ 当ホームページの制作・著作権 TKKI カナヤマ。
■ Copyright(C) TKKI Kanayama.
All Rights Reserved.
◆ 日本史辞典。
● 見出し語は、グリーンでマークされています。
■ 幕末の志士
(ばくまつのしし)。
■ 幕末の志士。
■ 名称 : 幕末 (江戸時代末期、1853〜1868年頃)
の志士 (ばくまつのしし)。
● 英名 : the man(men) of noble ideals
in the last days of the Tokugawa
Shogunate ; man(men) of noble ideals in
the last years of the Edo Period (Era).
■ 幕末期に、 国家や民族のために尽(つく)そうと高い
志(こころざし)をもって、政治運動を行った者(人)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
□ 幕末 詳細年表。
□ 幕末の志士 (総合)。
■ 幕末には、 思想の異なる、 攘夷派(じょういは) と
開国派(かいこくは)、 勤皇(勤王)派 と 佐幕派、 討
幕派 と 公武合体派・公議政体派、 佐幕派 などの志
士がいた。
● 幕末に、尊王(尊皇)(そんのう) の志士 (勤王(勤
皇)(きんのう)の志士) が、活躍し、 近代国家の樹立
をめざした。
■ 幕末、 欧米列強の強大な軍事力や先進文明を知っ
て(接して)、 攘夷派から開国派へ転向する者も多か
った。
○ 攘夷派・慎重派の、坂本龍馬(さかもとりょうま) や
桂小五郎 (かつらこごろう、木戸孝允(きどたかよし))
は、 開国派へ転向する。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeramenofnobleideals-general
■ 幕末の志士 (総合)。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の前期には、 日本国内では、 攘夷派
(じょういは) と 開国派 (かいこうは)に分かれて、激しく対立した。
(例) 攘夷派の、武市半平太 対 開国派の、吉田東洋。
● 開国派とは、今後、鎖国をやめて、多くの海外諸国と友好関係を結び、
日本を発展させようとする一派である。 (例) 吉田東洋。
● 攘夷派とは、これまでどうり鎖国を続け、外国勢力(欧米列強)を武力
で追い払おうとする一派である。 (例) 武市半平太。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の後期に、日本国内では、 倒幕派 (と
うばくは) と 佐幕派 ( さばくは) に分かれて、激しく対立した。
● 倒幕派とは、今までの徳川家独裁政治をやめさせ、幕府を倒し、幕府
抜きの新しい政治を行おうとする一派である。(例) 西郷隆盛。
● 佐幕派とは、これまでどうりの徳川家独裁政治を継続させようとする一
派である。 (例) 松平容保(かたもり)。
■ よかろう候 (よかろうこう) (幕末の多くの藩主)。
■ 幕末、暗殺が頻発し、多くの藩主は、暗殺を避けるため、
なるべく中立を保ち、また、その時期の藩内の有力勢力に
「よかろう」と同意した。
◆ 幕末。
■ 幕末、攘夷派の志士の一部は、 欧米列強の軍事力や科学技術や政
治経済制度等に接して、開国派へ転換していく。 (例) 坂本龍馬。
■ 尊王(尊皇)(そんのう)の志士、勤王(勤皇)(きんのう)の志士 とは、
幕末に、京都朝廷のために働いた志士であり、 幕末期に、尊王(そん
のう)思想を持って政治運動を行った者 である。 (例) 武市半平太。
■ 尊王攘夷派の志士とは、 幕末期に、尊王攘夷(そんのうじょうい)の
思想を持って政治運動を行った者 である。 (例) 武市半平太。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末の志士 (ばくまつのしし) とは、 幕末期に、 国家や民族のた
めに尽(つく)そうと高い志(こころざし)をもって、政治運動を行った者で
ある。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末、 志士は、 開国派(かいこうは) と 攘夷派(じょういは)に分
かれて、 激しく対立した。
(例) 開国派の吉田東洋 (よしだとうよう) 対 攘夷派の武市半平太
(たけちはんぺいた)。
■ 開国派(かいこくは)と攘夷派(じょういは)の2つの志士。
■ 幕末には、思想の異なる、開国派(かいこくは)と攘夷派(じょういは)と
いうの、2つの志士がいた。
● 開国派とは、今後、鎖国をやめて、多くの海外諸国と友好関係を結び、
日本を発展させようとする一派である。 (例) 吉田東洋。
● 攘夷派とは、これまでどうり鎖国を続け、海外諸国を武力で追い払おう
とする一派である。 (例) 武市半平太。
■ 幕末、攘夷派の志士の一部は、 欧米列強の軍事力や科学技術や政
治経済制度等に接して、開国派の志士へ転換していく。
(例) 坂本龍馬。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 坂本龍馬は、初め、武市半平太と共に、攘夷派として運動するが、 そ
の後、 欧米列強の軍事力や科学技術や政治経済制度等に接して、武市
半平太と袂(たもと)をわかち、 開国派へ転向する。
■ 尊王(尊皇)(そんのう)志士、勤王(勤皇)(きんのう)志士 とは、 幕末、
京都朝廷のために働いた志士であり、 幕末期に、尊王(そんのう)思想を
持って政治運動を行った者(人) である。 (例) 武市半平太。
● 尊王(尊皇)とは 天皇をとうとび天皇中心に考えることで、 勤王(勤
皇)(きんのう)とは 王のために力をつくし忠節を励むことである。
■ 幕末の、尊王(勤皇)志士 (そんのう(きんのう)しし) とは、幕末期
に、 尊王(そんのう)思想をもって政治運動を行った者(人) である。
(例) 幕末の、尊王(勤皇)志士の、 吉田東洋 と 武市半平太。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ フィクションの「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」(大佛次郎(おさらぎじろう)作
小説)では、 主人公の倉田典膳(くらたでんぜん)が、 鞍馬天狗に変身
して、 「幕末の尊王(勤皇)志士」として、 活躍する。
■ 幕末の、尊王攘夷派の志士 とは、 幕末期に、 尊王攘夷(そんのう
じょうい)の思想をもって政治運動を行った者(人) である。
(例) 幕末の、尊王攘夷派の志士の、 武市半平太 (たけちはんぺいた)。
◆ 幕末の和暦と西暦との対照表。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 嘉永 (かえい) 嘉永元年・1848年・2月28日
〜 嘉永 7年・1854年・11月27日。
■ 安政 (あんせい) 安政元年・1854年・11月27日
〜 安政 7年・1860年・ 3月18日。
■ 万延 (まんえん) 万延元年・1860年・ 3月18日
〜 万延 2年・1861年・ 2月19日。
■ 文久 (ぶんきゅう) 文久元年・1861年・ 2月19日
〜 文久 4年・1864年・ 2月20日。
■ 元治 (げんじ) 元治元年・1864年・ 2月20日
〜 元治 2年・1865年・ 4月 7日。
■ 慶応 (けいおう) 慶応元年・1865年・ 4月 7日
〜 慶応 4年・1868年・ 9月 8日。
■ 明治 (めいじ) 明治元年・1868年・ 9月 8日
〜 明治45年・1912年・ 7月30日。
#lateedoeramenofnobleideals-appearingscenes
♪♪ 幕末の志士が登場する、興味深
い関連ドキュメンタリー、ドラマ、
映画。
★ 幕末の志士を描いた、興味深い関
連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の
事実) と 架空の出来事が 混じって描
かれています。 また、現代風にアレンジ
してあります。
■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』 。
(NHKの2010年大河 ドラマ)。
■ このドラマは、日本の、 幕末 (江戸
時代末期) を描いたドラマ。
● 坂本 龍馬を演じた俳優 : 福山 雅治
(ふくやま まさはる)。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
■ 『 篤姫 (あつひめ) 』 。
(NHKの2008年大河ドラマ)。
■ このドラマは、日本の、幕末 (江戸時
代末期) を描いたドラマ。
■ このドラマは、篤姫の、生涯 や 篤姫が、
将軍の妻となり、 夫の将軍の死後、
幕末の徳川幕府(徳川宗家)を支える
活躍 を描いたテレビドラマ。
● 天璋院・篤姫(てんしょういん・あつひ
め)を演じた女優名 : 宮崎あおい。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
■ 『 新選組! (しんせんぐみ) 』 。
(NHKの2004年大河ドラマ)。
■ このドラマは、日本の、 幕末(江戸時代
末期) を描いたドラマ。
■ このドラマは、近藤勇の、生涯 や 幕末
の、新撰組 や 各藩の下級武士の活躍
を描いたテレビドラマ です。
● 近藤勇(こんどういさみ)を演じた俳優名 :
香取慎吾 (SMAP) 。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeramenofnobleideals/a-b
■ 幕末日本政治・政
争変遷一覧表
(ばくまつにほんせいじ・せいそうへんせん
いちらんひょう)。
■ 幕末日本政治・政争変遷
一覧表。
● 幕末日本政治・対立変遷一覧表。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ (Aa) 幕末の1853〜67年頃、
■ (Ab) 幕末の1853〜67年頃、
が対立。
■ (Ba1) 幕末の1853〜60年頃、
■ (Ba2) 幕末の1853〜60年頃、
■ (Bb) 幕末の1860〜64年頃、
■ (Bc) 幕末の1864〜66年頃、
が対立。
■ (Bd) 幕末の1866〜67年頃、
が対立。
#lateedoeramenofnobleideals-aa
◆ (Aa) 幕末の、 尊皇 (王)(勤皇
(王))派 と 佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)に、 日本国内
ばくは) に分かれて、 対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeramenofnobleideals-ab
◆ (Ab) 幕末の、攘夷派 と 開国派
との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)には、 日本国内
こうは) に分かれて、対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1853年に、 黒船(くろふね、アメリカのペリ
ー艦隊)が 日本に来航し、 日本に開国を要
求し、1854〜55年に、 日本が、米、英、露、
蘭と和親条約を結び、開国して、 日本国内で、
攘夷派 と 開国派 との対立が起こる。
#lateedoeramenofnobleideals-ba1
◆ (Ba1) 幕末・前期の、尊皇(王)
攘夷派 と 開国派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1853〜60
年頃、 には、 日本国内では、尊皇 (王)攘
いこうは) に分かれて、対立した。
■ 1853年(嘉永 6年) 6月に、 アメリカの
ペリー艦隊が日本来航し、開国を要求する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1853年(嘉永6年)に、 江戸幕府の老中
首座・阿部正弘 が、挙国的な対策を立て
ようと、 開国について、諸大名や色々な人
物に、 意見を求めたため、 これ以後、 日
本各地で、 外国勢力を武力で追い払うこと
を主張する、尊皇(王)攘夷派(じょういは)
と、 開国し外国勢力と協力して、先進の西
洋文化を採り入れて国を発展させることを主
張する、 開国派(かいこくは)とが対立する
(1853年〜1860年頃)。
● 1853年のペりー来航以後、 黒船(くろふ
ね、アメリカのペリー艦隊)が日本に来航し、
日本に開国を要求し、1854〜55年に、
日本が、米、英、露、蘭と和親条約を結び、
開国して、 日本国内で、 尊皇(王)攘夷派
と開国派 との対立が起こる。
● (例) 尊皇(王)攘夷派の武市半平太、久
坂玄瑞(くさかげんずい) 対 開国派の吉
田東洋、阿部正弘、井伊直弼、勝海舟。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1858〜59年に、安政の大獄で、 開国派
の井伊直弼(いいなおすけ)は、 反井伊勢
力への弾圧、 尊皇(王)攘夷派への弾圧を
行った。
● 1860年に、桜田門外の変で、開国派の井
伊直弼が殺害される。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeramenofnobleideals-ba2
◆ (Ba2) 幕末・前期の、紀州派
(南紀派) と 一橋派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1853〜60
年頃、 には、 日本国内では、紀州派(南紀
派) ( きしゅうは、なんきは) と 一橋派
(ひとつばしは) に分かれて、対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1853年(嘉永 6年)に、徳川 家定 (い
えさだ、将軍在任1853〜58 年、家慶の
四男) が、 江戸幕府・第13代将軍となる。
● これ以後、 家定は体が弱かったため、 次
期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、日
本各地で、 雄藩連合政治を望み次期14代
将軍に一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ、水戸
藩出身一橋家当主)を擁(よう)する、一橋派
と、 徳川独裁政治を望み次期14代将軍に
徳川 慶福 (よしとみ、紀伊藩藩主)を擁する、
紀州派(南紀派) とが、対立する (1853年
〜1859年頃)。
● 江戸幕府の第13代将軍になった徳川家定
(とくがわいえさだ、将軍在 任1853〜58年)
が、 病弱であったため、1853年の徳川家
定将軍就任以後、 江戸幕府の次期14代将
軍の後継者問題が、起こった。
● (例) 幕府独裁政治の継続を望む紀州派
(南紀派)の、徳川慶福(よしとみ、徳川家茂
(いえもち))、井伊直弼(いいなおすけ) と
雄藩連合政治を望む一橋派の、一橋慶喜
(ひとつばしよしのぶ、徳川慶喜)、篤姫(あ
つひめ、天璋院(てんしょういん))、島津斉
彬(なりあきら)、松平慶永(よしなが、春嶽
(しゅうがく))。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1858〜59年に、安政の大獄で、井伊直
弼(いいなおすけ)は、 反井伊 勢力への弾
圧、一橋派への弾圧を行った。
● 1860年に、桜田門外の変で、紀州派(南
紀派)の井伊直弼が殺害される。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
#lateedoeramenofnobleideals-bb
◆ (Bb) 幕末・後期の、 尊皇(王)攘夷派・急進派 と
公武合体派・佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年)の1860〜64年頃、 日本国内では、 尊皇
(王)攘夷派・急進派 (そんのうじょういは・きゅうしんは) と 公武合体派
(こうぶがったいは)・佐幕派(さばくは) に分かれて、 対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1860年(万延 元年) 3月に、 桜田門外の変。 大老・井伊直弼が、暗
殺される。
● これ以後、 日本各地で、 江戸幕府は公武合体政策をすすめ、 尊皇
(王)攘夷派・急進派 と公武合体派・佐幕派 とが対立する (1960年〜
1864年頃)。
● (例) 尊皇(王)攘夷派・急進派の武市半平太、 久坂玄瑞(くさかげんず
い)、 有馬新七(ありましんしち、1825〜62年) 対 公武合体派の山内
容堂、松平春嶽、島津久光、岩倉具視、 佐幕派の松平容保(かたもり)。
(例) 寺田屋事件(1862年)、八月十八日の政変(1863年), 池田屋事件
(1864年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1860年の桜田門外の変(井伊直弼の殺害) 以後、 尊皇(王)攘夷派・
急進派が台頭した。
● 1863年の八月十八日の政変で、 公武合体派の薩摩藩や佐幕派の会
津藩は、 京都の中央政界より、尊皇(王)攘夷派・急進派の 公家や長州藩
を追い出す。
● 八月十八日の政変(1863年)以後、 幕府による、尊皇(王)攘夷派・急
進派の残党狩り が、京(都)や京(都)周辺で、行われた。
● 八月十六日の政変(1863年)以降、公武合体派・佐幕派が台頭し、尊皇
(王)攘夷派・急進派が衰退した。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeramenofnobleideals-bc
◆ (Bc) 幕末・後期の、 尊皇(王)倒幕派 と 公武合
体派・佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1864〜66年頃には、 日本国内
では、 尊皇(王)倒幕派( そんのうとうばくは) と 公武合体派(こうぶが
ったいは)・佐幕派(さばくは) に分かれて、対立した。
■ 1864年(元治 元年) 8月に、 幕府、第1次長州征討 (1864年8月
〜12月)を 開始する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1864年(元治 元年)12月に、 長州藩は、幕府に屈服し、幕府に対し
恭順(きょうじゅん)の態度をとった。
■ しかし、1864年(元治 元年)12月に、 長州藩で、高杉晋作(たかすぎ
しんさく)が、 奇兵隊を率いて、 幕府に恭順した保守派を退(しりぞ)け、
長州藩の藩論を、討幕へ転換させた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 と 公武合体派・佐幕派 と
が対立する (1864〜1866年頃) 。
● (例) 尊皇(王)倒幕派の 西郷隆盛、桂小五郎 対 公武合体派の山内
容堂(ようどう)、松平春嶽(しゅんがく)、 佐幕派の松平容保(かたもり)、
新選組の近藤勇、土方歳三。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 江戸幕府の攘夷不実行(1863年5月、攘夷を約束しても実行せず)、更に、
幕府は、 八月十八日の政変(1863年8月)、 池田屋事件(1864年6月)、
禁門の変(1864年7月)で、尊皇(王)攘夷派・急進派 を排除したため、 18
64年以後、 尊皇(王)攘夷派の一部は、 江戸幕府に対する反感、 失望を
強め、 尊皇(王)倒幕派となり、 公武合体派・佐幕派と対立する。
#lateedoeramenofnobleideals-bd
◆ (Bd) 幕末・後期の、 尊皇(王)倒幕派 と 公議政
体派・佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1866〜67年頃、 日本国内では、尊皇
(王)倒幕派 ( そんのうとうばくは) と 公議政体派( こうぎせいたいは)・
佐幕派(さばくは) とに分かれて、 対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1866年(慶応2年) 1月に、 薩長(さっちょう)同盟(連合)成立。 薩
長の反幕府軍事同盟の密約。
● 坂本龍馬、中岡慎太郎らの斡旋で、京都で、長州の桂小五郎(木戸孝允
(きどたかよし))と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばれた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 と 公議政体派・佐幕派 と
が対立する (1866〜1867年頃)。
● 薩長同盟成立(1866年)以後、 尊皇(王)倒幕派は、 公議政体派(18
66〜67年) と対立する。
● (例) 尊皇(王)倒幕派の、西郷隆盛、桂小五郎(木戸孝允)、 板垣退助、
岩倉具視 対 公議政体派の 山内容堂、後藤象二郎、松平春嶽、坂本龍
馬、 佐幕派の松平容保(かたもり)、新選組の近藤勇、土方歳三。
(例) 大政奉還 (1867年)、王政復古の大号令 (1867年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
○ (注意) 岩倉具視 は、 公武合体派 から 、のち 尊皇(王)倒幕派
へ転向する。 1867年、坂本龍馬 は、尊皇(王)倒幕派 から 、のち 公
議政体派へ転向する。
#lateedoeramenofnobleideals/a-b-appearingscenes
♪♪ 幕末日本政治・政争変遷を描
いた、面白く、興味深い関連ドキ
ュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 幕末日本政治・政争変遷を描い
た、面白く、興味深い関連ドラマ、
映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。
歴史のドラマ、映画 は、史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事 が 混じって描かれていま
す。 また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』
(日本の2010年NHK大河ドラマ)。
● このドラマは、日本の、 幕末 (江戸時代末
期) を描い たドラマ。
● 坂本 龍馬を演じた俳優 : 福山 雅治 (ふく
やま まさはる)。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
■ 『 篤姫 (あつひめ) 』
(日本のNHK2008年大河ドラマ)。
● このドラマは、日本の、 幕末 (江戸時代
末期) を描いたドラマ。
● 天璋院・篤姫(てんしょういん・あつひめ)
を演じた女優名 : 宮崎あおい。
● このドラマは、篤姫の、生涯 や 篤姫が、
将軍の妻となり、 夫の将軍の死後、 幕
末の徳川幕府(徳川宗家)を支える活躍を
描いたテレビドラマ。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 幕末 詳細年表
(ばくまつ しょうさいねんぴょう)
◆ 幕末 詳細年表。
No.1。
■ 当年表は、 近世・江戸時代の幕末(1853年〜186
8年) の時代の詳細年表である。
■ 当幕末詳細年表は、主に、 1853年のペリー来航か
ら、 1868年の江戸城無血開城までを記載している。
■ 江戸時代については、『 近世日本歴史詳細年表 』
を、 明治時代については、 『 近代日本歴史詳細 年
表 』 を参照して下さい。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典 31438。
■ より理解を深めるために、当年表と近い時期の日本
参照して下さい。
■ 当年表は、 西暦を先に、 その後ろの( )内に和暦
を記載している。
■ 当年表の日付は、 1872年(明治5年)以前は旧暦
陽暦) を記載している。
● 当年表の日付(年月日)は、一般的な歴史書籍で使
用されているのと同じように、 1872年(明治5年)12
月2日までは、 旧暦(太陰太陽暦)を用い、 1873年
(明治6年)1月1日以後は、 新暦(現在の太陽暦、グ
レゴリオ暦)を用いている。
□ 幕末 詳細年表の先頭へ戻る。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ 幕末 詳細年表。
● では、 幕末に関係する出来事を、年代順に、見てみ
よう。
#lateedoeradetailedchronology-1848
■ 1848年 ● 嘉永改元。
(嘉永 元年) 1848年2月28日に、和暦の「弘化」(こ
うか) が、 「嘉永」(かえい、嘉永元年・
1848年・2月28日〜嘉永7年・1854年・
11月27日) に改元される。
■ 1853年 ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853
(嘉永 6年) 〜58年、12代将軍・徳川家慶(いえよし)
の四男)が、江戸幕府・第13代将軍となる。
● これ以後、 家定は体が弱かったため、
次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、
日本各地で、 雄藩連合政治を望み次期
14代将軍に一橋慶喜(ひとつばし よしの
ぶ、水戸藩出身一橋家当主、後の徳川慶
裁政治を望み次期14代将軍に徳川 慶福
(よしとみ、紀伊藩藩主、後の徳川家茂(い
えもち))を擁する、紀州派(南紀派) とが、
対立する (1853年〜1859年頃)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1853年 ● 1853年6月、 アメリカのペリー艦隊が
(嘉永 6年) 日本来航。 開国を要求。
(嘉永 6年) 的な対策を立てようと、 開国について、諸
大名や色々な人物に、意見を求めたため、
これ以後、日本各地で、 外国勢力を武力
で追い払うことを主張する、攘夷派(じょうい
は)と、 開国し外国勢力と協力して、先進の
西洋文化を採り入れて国を発展させることを
主張する、開国派(かいこくは) とが対立す
る (1853年〜1867年頃)。
■ 1853年 ● 前水戸藩主で、水戸藩の実権を握る、
(嘉永 6年) 徳川 斉昭 (なりあき) が、幕政参与(幕府
の政治顧問、1853〜57年) となる。
■ 1854年 ● 1854年3月、日米和親条約締結。
(嘉永 7年) 日本開国。
● 1854〜55年に、幕府・老中首座・阿
部正弘は、 欧米列強の米英露蘭と和親条
約を締結する。
■ 1854年 ● 1854年4月、西郷隆盛は、 島津藩主・
(嘉永 7年) 島津斉彬(なりあきら)の庭方役となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1854年 ● 西郷隆盛 が、 島津斉彬に抜擢されて
(嘉永 7年) 江戸に赴(おもむ)き、篤姫 (あつひめ、
島津篤子、近衛敬子) の、輿入れの支度
係 (1854〜1856年)、 篤姫(島津篤
子、近衛敬子)との連絡係 (1854〜18
59年) となる。
■ 1854年 ● 安政改元。
(安政 元年) 1854年11月27日に、和暦の「嘉永」
(かえい)が、 「安政」 (あせんい、安政元
年・1854年・11月27日〜安政7年・1860
年・3月18日) に改元される。
■ 1857年 ● 1857年6月、 老中・阿部正弘 (まさひろ、
(安政 4年) 一橋派の中心人物) が急死する。
■ 1858年 ● 1858年4月、井伊直弼 (なおすけ、南紀
(安政 5年) 派) が幕府・大老に就任。
■ 1858年 ● 1858年 5月、次期14代将軍が、紀州
(安政 5年) 藩主・徳川慶福 (よしとみ、後の徳川家茂
(いえもち))に決定する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1858年 ● 1858年6月、日米修好通商条約締結。
(安政 5年) ● 安政の5カ国条約締結。 1858年6月
〜9月に、幕府・大老・井伊直弼(なおす
け)は、 勅許(ちょっきょ)を得ず、欧米
列強の米蘭露英仏と不平等な修好通商
条約である 「安政の5カ国条約」 を締
結する。
■ 1858年 ● 1858年7月、幕府13代将軍・徳川家
(安政 5年) 定(いえさだ)が、急死する。
■ 1858年 ● 1858年9月、安政の大獄 (1858〜
(安政 5年) 59年、反井伊勢力の一掃、一橋派への
弾圧、尊皇攘夷派への弾圧)が始まる。
■ 1858年 ● 1858年10月、徳川 家茂(いえもち、
(安政 5年) 慶福が家茂と改名して) が、江戸幕府14
代将軍 に就任する。
■ 1859年 ● 1859年10月、吉田松陰(よしだしょう
(安政 6年) いん)、橋本左内(はしもとさない)らを死
罪。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1860年 ● 万延改元。
(万延 元年) 1860年3月18日に、和暦の「安政」(あ
んせい) が、 「万延」(まんえん、万延元
年・1860年・3月18日〜万延2年・1861
年・2月19日) に改元される。
■ 1860年 ● 1860年 3月、桜田門外の変。
(万延 元年) 大老・井伊直弼が、暗殺される。
● これ以後、日本各地で、 江戸幕府は公
武合体政策をすすめ、尊皇(王)攘夷派・
急進派 と 公武合体派・佐幕派 とが対立
する(1960年〜1864年頃)。
● 桜田門外の変(1860年)以降、 尊皇(王)
攘夷派・急進派が台頭 した。
■ 1860年 ● 1860年10月、朝廷、和宮降嫁(かずの
(万延 元年) みやこうか)を勅許(ちょっきょ)する(公武
合体政策のため)。
■ 1861年 ● 文久改元。
(文久 元年) 1861年2月19日に、和暦の「万延」(ま
んえん)が、 「文久」(ぶんきゅう、文久元年
・1861年・2月19日〜文久4年・1864年
・2月20日) に改元される。
■ 1861年 ● 1861年 9月、武市半平太(たけちはん
(文久 元年) ぺいた、武市瑞山)をリーダーに、「土佐勤
王党」が結成される。 後に、坂本龍馬は、9
番目に参加する。
□ 幕末 詳細年表の先頭へ戻る。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeradetailedchronology-1862
■ 1862年 ● 1862年2月、江戸幕府将軍・徳川家茂
(文久 2年) と 孝明天皇の妹・皇女・和宮の婚儀が行
われる (公武合体の政策のため)。
■ 1862年 ● 1862年4月、寺田屋(てらだや)事件が
(文久 2年) 起こる。 尊王攘夷派・急進派の志士が、
島津久光の派遣した薩摩藩士により、殺傷
される。
■ 1862年 ● 小松 帯刀(たてわき)が、 薩摩藩の家
(文久 2年) 老となる。
■ 1862年 ● 1862年7月、文久(ぶんきゅう)の改革
(文久 2年) (1862.7月〜閏8月)が行われる。
■ 1862年 ● 1862年8月、生麦(なまむぎ)事件が
(文久 2年) 起こる。 薩摩藩の大名行列を妨害したイ
ギリス人を、殺傷。
■ 1862年 ● 1862年12月、坂本龍馬は、勝海舟の
(文久 2年) 弟子となる。
■ 1863年 ● 海軍塾が開設される(1863〜64年、
(文久 3年) 大阪で約半年、後、神戸で約1年)。 坂本
龍馬が海軍塾 の塾頭をつとめる(神戸で)。
■ 1863年 ● 1863年3月、14代将軍・徳川家茂上
(文久 3年) 洛(将軍上洛230年ぶり)。
家茂は、京(都)に、4ヶ月程、滞在し、
江戸へ戻る。
■ 1863年 ● 1863年4月、幕府は、攘夷実行を5月
(文久 3年) 10日と決定する (尊皇攘夷派・急進派
の圧力により) (幕府将軍・徳川家茂が朝
廷の孝明天皇に奏上)。
■ 1863年 ● 1863年7月、薩英(さつえい)戦争で、薩
(文久 3年) 摩敗戦。 生麦事件の薩英交渉が解決せず、
薩英が交戦。
■ 1863年 ● 1863年8月、 八月十八日の政変。
(文久 3年) 尊皇(王)攘夷派・急進派の公家、長州藩を
京都の中央政界より追い出し、これ以後、尊
皇(王)攘夷派・急進 派が 衰退する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1864年 ● 元治改元。
(元治 元年) 1864年2月20日に、和暦の「文久」(ぶ
んきゅう)が、 「元治」 (げんじ、元治元年・
1864年・2月20日〜元治2年・1865年・
4月7日) に改元される。
■ 1864年 ● 神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれん
(元治 元年) じょ、約1年間)が設立される。
■ 1864年 ● 1864年6月、池田屋事件が起こる。
(元治 元年) ● 尊王攘夷派・急進派の志士が、 佐幕派
の新選組隊員により、殺傷される。
■ 1864年 ● 1864年7月、禁門(きんもん)の変
(元治 元年) (= 蛤御門(はまぐりごもん)の変)。
● 長州藩は、京へ攻めのぼり、敗戦。
■ 1864年 ● 1864年8月、幕府は、第1次長州征討
(元治 元年) (1864年8月〜12月) 開始。
■ 1864年 ● 1864年11月、長州藩は、幕府に屈服
(元治 元年) し、幕府に対し恭順(きょうじゅん)の態度を
とった。 1864年12月に、幕府軍は、 引
き揚げる。
■ 1864年 ● 1864年12月、長州藩で、高杉晋作(た
(元治 元年) かすぎしんさく)が、奇兵隊を率いて、幕府
に恭順した保守派を退(しりぞ)け、長州藩
の藩論を、討幕へ転換させた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕
派 と 公武合体派・佐幕派 とが対立する
(1864〜1866年頃) 。
■ 1865年 ● 慶応改元。
(慶応 元年) 1865年4月7日に、和暦の「元治」(げん
じ)が、「慶応」 (けいおう、慶応元年・18
65年・4月7日〜慶応4年・1868年・9月
8日) に改元される。
■ 1865年 ● 1865年10月、幕府、安政の諸条約の
(慶応 元年) 勅許を得る。
■ 1866年 ● 1866年7月、幕府将軍・徳川家茂(いえ
(慶応 2年) もち)死去(病死)。 第2次長州征討、 中止
となる。
□ 幕末 詳細年表の先頭へ戻る。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoeradetailedchronology-1866
■ 1866年 ● 1866年1月、薩長(さっちょう)同盟(連
(慶応 2年) 合)成立。 薩長の反幕府軍事同盟の密約。
● 坂本龍馬の斡旋で、京都で、長州の桂
小五郎(木戸孝允(きどたかよし))と薩摩の
西郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばれた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕
派 と 公議政体派・佐幕派 とが対立する
(1866〜1867年頃)。
■ 1866年 ● 1866年5月、幕府、改税約書(かいぜい
(慶応 2年) やくしょ)に調印。
■ 1866年 ● 1866年6月、幕府は、長州に対し、第2
(慶応 2年) 次長州征討(1866年6〜7月)を開始。
● 第2次長州征討で、龍馬は、長州藩海軍
を支援する。
■ 1866年 ● 1866年7月、江戸幕府14代将軍・徳川
(慶応 2年) 家茂死去。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1866年 ● 1866年12月、徳川 慶喜(よしのぶ)、
(慶応 2年) 江戸幕府15代将軍となる。
1866年(慶応2年)12月5日、徳川慶喜
(よしのぶ)が、幕府15代将軍(在任、1866.
12.5〜1867.12.9) となる。
■ 1866年 ● 1866年12月25日、倒幕を好まず、公
(慶応 2年) 武合体論の立場をとる、孝明(こうめい)天
皇が、急死する。
■ 1867年 ● 1867年1月9日、 睦仁(むつひと)天皇
(慶応 3年) (= 明治天皇) が、践祚(せんそ)の儀を行う
(事実上、即位する)。
■ 1867年 ● 1867年5月、薩摩藩主導で、四侯会議
(慶応 3年) が設置されたが、短期間で崩壊した。
■ 1867年 ● 1867年5月に、「薩土討幕同盟」が、結
(慶応 3年) ばれる。
● 京(都)で、中岡慎太郎の仲介で、薩摩の
西郷吉之助(西郷隆盛)と土佐の討幕派の
乾(いぬい、板垣)退助との間 で、「薩土(さ
つど)討幕同盟」(武力討幕の薩土 密約)が、
結ばれる。
■ 1867年 ● 1867年6月坂本龍馬は、洋上で、土佐
(慶応 3年) 藩船の夕顔丸の船上で、「船中八策」(せん
ちゅうはっさく) を策定し、それを後藤象二
郎に提示する。
■ 1867年 ● 1867年6月に、 武力倒幕を見送る「薩土
(慶応 3年) (さつど)盟約」が結ば れる。
● 大政奉還の行方がわかるまでは、武力倒
幕は見送るという「薩土 (さつど)盟約」が、土
佐藩と薩摩藩との間で、結ばれた。
龍馬は、既にある、薩摩の西郷隆盛と土佐
の討幕派の乾(いぬい、板垣)退助との間で
1867年5月に交わされた 「薩土討幕同盟」
(武力討幕の薩土 (さつど)密約)を思いとど
まらせるため、 1867年6月22日に、京(都)
の三本木の料亭で、 坂本龍馬・中岡慎太郎
の仲介により、 土佐の後藤象二郎 と 薩摩
の西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通 が、会
談した。
■ 1867年 ● 1867年10月、幕府は、大政奉還 (政権
(慶応 3年) を朝廷へ返上)を行う。
● 坂本龍馬の「船中八策」の第1策の大政奉
還をもとに、後藤象二郎が、土佐藩前藩主・
山内容堂を説いて、土佐藩の進言による大政
奉還(たいせいほうかん)を実現させる。
■ 1867年 ● 1867年11月、坂本龍馬が暗殺される。
(慶応 3年)
■ 1867年 ● 1867年12月に、王政復古のクーデター
(慶応 3年) と新政府の樹立。
● 1867年12月9日、 王政復古の大号令
と小御所会議 により、幕府排除の王政復
古と 近代日本政府 (明治新政府、天皇親
政政府) 樹立 となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1868年 ● 1868年1月3日、鳥羽伏見の戦い(18
(慶応 4年) 68.1.3〜1.8)が起こる。 戊辰戦争
(ぼしんせんそう、1868.1.3〜1869.
5.18) が 始まる。 西郷隆盛が、戊
辰戦争で、明治新政府軍を主導する。
■ 1868年 ● 1868年 4月江戸幕府の本拠地の江
(慶応 4年) 戸城、無血開城。 討幕軍、江戸入場。
■ 1868年 ● 明治改元。
(明治 元年) 1868年9月8日に、和暦の「慶応」(けい
おう)が、 「明治」 (めいじ、明治元年・18
68年・9月8日〜明治45年・1912年・7
月30日) に改元される。
□ 幕末 詳細年表の先頭へ戻る。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ 幕末の和暦と西暦との対照表。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 嘉永 (かえい) 嘉永元年・1848年・2月28日
〜 嘉永 7年・1854年・11月27日。
■ 安政 (あんせい) 安政元年・1854年・11月27日
〜 安政 7年・1860年・ 3月18日。
■ 万延 (まんえん) 万延元年・1860年・ 3月18日
〜 万延 2年・1861年・ 2月19日。
■ 文久 (ぶんきゅう) 文久元年・1861年・ 2月19日
〜 文久 4年・1864年・ 2月20日。
■ 元治 (げんじ) 元治元年・1864年・ 2月20日
〜 元治 2年・1865年・ 4月 7日。
■ 慶応 (けいおう) 慶応元年・1865年・ 4月 7日
〜 慶応 4年・1868年・ 9月 8日。
■ 明治 (めいじ) 明治元年・1868年・ 9月 8日
〜 明治45年・1912年・ 7月30日。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 幕末 (総合)
(ばくまつ)。
● 近世日本の、江戸時代末期の幕末 に活躍し
た、坂本竜馬 (上左、ドラマ「龍馬伝」での坂本
龍馬フォト)、 江戸幕府・大奥の実力者、篤姫
(上右、ドラマ「篤姫」での篤姫フォト)、新選組
局長、近藤勇 (下右、ドラマ「新選組」での近藤
勇フォト)。
■ 幕末 (総合)。
■ 時期 : 1853年〜1868年。
■ 名称 : 幕末 (ばくまつ) 。
● 別名 : 江戸時代末期。
● 英名 : in the last years of the Edo
period (era) ; in the last days of the
Tokugawa Shogunate.
■ ここでは、 幕末は、 1853年のペリー来航から、
1868年の江戸城無血開城まで としている。
■ 幕末には、 思想の異なる、 攘夷派(じょういは)と
開国派(かいこくは)、 勤皇(勤王)派 と 佐幕派、
勤皇(勤王)討幕派 と 公武合体派・公議政体派、
佐幕派 などがいた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末、欧米列強の強大な軍事力や先進文明を知っ
て(接して)、 攘夷派から開国派へ転向する者も多か
った。
○ 攘夷派・慎重派の坂本龍馬、桂小五郎 は、 開国
派へ転向する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の前期には、 日本国内
に分かれて、激しく対立した。
(例) 攘夷派の武市半平太 対 開国派の吉田東洋。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の後期に、日本国内では、
れて、激しく対立した。
□ 幕末 詳細年表。
□ 幕末 (総合)。
■ (Aa) 幕末の1853〜67年頃、
■ (Ab) 幕末の1853〜67年頃、
■ (Ba1) 幕末の1853〜60年頃、
■ (Ba2) 幕末の1853〜60年頃、
■ (Bb) 幕末の1860〜64年頃、
■ (Bc) 幕末の1864〜66年頃、
■ (Bd) 幕末の1866〜67年頃、
マ、映画。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 幕末 (総合)。
◆ 幕末。
■ 1854年(安政(あんせい)元年)の開国を契
機に、日本国内では、攘夷派と開国派の2つ
の勢力が争うようになり、 幕末の動乱が始ま
る。
その中で台頭してきたのが、薩摩、長州な
どの雄藩で、 朝廷と結び、 幕府に対抗する
勢力となり、 1868年(慶応4年、明治元年)
に、 遂に 江戸幕府が、雄藩連合に倒され、
近代日本政府(明治新政府) が実質的に成
立した (近代日本政府の樹立は、王政復古
宣言をした1867年である)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末の多くの藩主は、「よかろう候」
(よかろうこう)、「そうせい候」 (そうせいこう) 。
■ 幕末、暗殺が頻発し、江戸時代末期の幕末
の多くの藩主(大名)は、 暗殺を避けるため、
なるべく中立を保ち、また、その時期の藩内
の有力勢力に、「よかろう」、「そうせい」 と
同意した。
■ ここでは、 幕末は、 1853年のペリー来航か
ら、1868年の江戸城無血開城まで としている。
■ 1853年(嘉永(かえい)6年)に、 アメリカの
ぺりー艦隊が来日し、その後、 1854年(安政
(あんせい)元年)に、 その威力に屈して、江戸
幕府は、 1854年(安政(あんせい)元年)に、
日米、日英、日露和親条約を結び、 1855年
(安政(あんせい)2年)に、日蘭和親条約を結び、
開国した。
さらに、1858年(安政5年)に、 欧米列強
に通商条約の調印を強く迫(せま)られ、 江戸
幕府は、 日米修好通商条約をはじめとする不
平等条約な「安政の五カ国条約」 を、 米、蘭、
露、英、仏と結び、 本格的な開国となり、 自由
貿易と国際交流が、 始まった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 幕末の改革は、下級武士が中心になり、推し進
められた。
■ 幕末の多くの藩主は、「よかろう候」 (よかろう
こう)、「そうせい候」(そうせいこう)。
幕末、暗殺が頻発し、命が幾つあっても足りな
い状況で、 多くの藩主(大名)は、暗殺を避ける
ため、なるべく中立を保ち、また、その時期の藩
内の有力勢力に「よかろう 」、「そうせい」と同意し
た。
■ 1858年(安政5年)に、 江戸幕府は、安政の
五カ国条約を結び、 日本は、 今までの幕府の
管理貿易から、自由貿易に移り、 本格的な自由
貿易が始まった。 その後、横浜と神戸が貿易港
として、 大きく発展してい く。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1858年(安政5年)以後の、自由貿易や貨幣
改鋳により、 国内では、 物価上昇が進み、
国民の経済生活が苦しくなり、 幕末に、 日本
各地で、一揆や打ちこわしが、 頻繁(ひんぱん)
に起こった。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 幕末の開国
■ 幕末の開国とは、 江戸時代末期に、 日本を支配する
江戸幕府 が、 少数の特定の国とだけ交流していた鎖国
政策をやめ、 多くの国々に、国を開いたことである。
■ 攘夷 (じょうい) とは、 外国を武力で追い払う ことで
ある。
■ 幕末、明治初期の情勢 (1853〜77)。
■ (1) 「 軍事力なき軍事政権 」(軍事弱体) の 江戸幕府 。
● 幕末、 日本は、まだ産業革命は起きておらず、 近代化していなか
った。 欧米諸国に比べ、 工業力、軍事力で遥(はる)かに、劣ってい
た。
@ 幕末、明治初期、 イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどの欧米列
強 が、日本 を植民地にしようと狙っていた。
A しかし、 弱肉強食の世界情勢の中で、 幕末、日本を支配していた
江戸幕府は、 欧米列強を追い払い、 欧米列強に対抗できる 軍事力
を持っていなかった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
B 幕末、 日本を支配する江戸幕府は、 欧米列強から軍事力で脅(お
ど)かされ、 欧米列強との戦い(全面戦争)を避けるために、 欧米列
強の要求をのみ、 不平等条約 (安政の5カ国条約、1858年)を結
び、 かろうじて、 一時的に、 欧米列強の植民地になるのを免(まぬ
が)れた。
● もし、幕末、明治初期、 日本を支配する江戸幕府や明治新政府が、
欧米列強と全面戦争をしていたら、 完全に敗北し、 当時の清国(中
国)やインドのように、 欧米列強の植民地 になっていたであろう。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 不平等条約 (安政の5カ国条約、1858年) を結び、 かろうじて、
一時的に、 欧米列強の植民地になるのを免(まぬが)れていたとはい
え、 不平等条約は、 植民地化の第一歩であった。
● 欧米列強は、 世界各地で、 植民地獲得の手段の一つとして、植民
地にしたい地域で、最初は、自己の武力を使わず、 現地の部族間の争
いを利用し、または、争いをあおって、一方の部族に味方し、武器、経済
的援助を行い、 部族間でお互いに殺し合いをさせ、 現地の部族が争
いで疲弊し、弱くなったところで、 武力を使い征服し、植民地にする と
いう手段をよく用いた。
幕末、明治初期、 その後も、 欧米列強は、 隙(すき)さえあらば、
日本を本格的に植民地にし、搾取(さくしゅ)しようと、狙(ねら)ってい た。
欧米列強は、 日本で全面戦争の内乱(内戦)が起こり日本全体の軍事
力が更に弱体化した時には、 抵抗が少なくなり、 日本領土を容易に奪
えると考えて、 その機会をうかがっていた。 しかし、 戊辰(ぼしん) 戦
争 (新政府軍と旧幕府一部残存勢力との争い) や 西南戦争 (新政
府軍と一部不平士族勢力との争い) という部分戦争 (大勢力が中小
勢力と戦う戦争) は、 起きたが、 全面戦争の内戦 (大勢力同士が
戦う互角の戦争) (新政府軍と旧幕府軍との全面戦争、 明治新政府
機関内同士の全面戦争 ) は、起こらず、 欧米列強は、 日本を植民
地にする機会を失った。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
C そのような弱肉強食の国際情勢の中で、幕末、明治初期、 日本は、
植民地にならないために、 一刻も早く、 殖産興業、富国強兵を行い、
大きな工業力、軍事力をもち、 さらに欧米列強と肩を並べられる近代
国家になる必要があった。
● 幕末、 幕政改革という幕府内(日本政府内)の改革では近代国家
はできず、 封建的な幕府という日本政府では近代国家の建設はでき
ず、 近代国家の建設には、幕府は邪魔(じゃま)であり、 幕府を倒し
て、新政府を作り、 近代国家を成立させようとする、勢力 (薩長連合
等) が、幕末に、 出現してきた。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 下級武士等下層身分の人々が、幕藩体制の打倒を
切望。
■ 江戸時代、 江戸幕府の将軍を頂点として、 ピラミッド社会がつく
られていた。
● 江戸時代は、江戸幕府の幕藩体制の下に、 生まれながらに、 日
本の全ての人々 は、 身分が固定され、 農工商民は、武士に服従
し、 下級武士(下士(かし)) は、 上級武士(上士(じょうし))に服従
し、 上級武士は、藩主に服従し、 藩主 は、 江戸幕府の将軍に服
従していた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 江戸時代は、 生まれながらの「身分」によって、生き方が決まって
しまう構造の社会 であった。
● 能力や実力があっても、 多くの下級武士は、上級武士になれなか
った。 また、下級公家(くげ)も上級公家にはなれなかった。
それらを打破するには、 旧秩序を崩壊させる必要があった。
幕末に、 身分の固定が大きな不満となり爆発し、下級武士等下層
身分の者が、 日本を大変革する。
● (実例)
○ 下級武士 : 坂本龍馬 (さかもとりょうま)、 西郷隆盛 (さいごう
もたかり)、 大久保利通 (おおくぼとしみつ)、 桂小五郎 (かつら
こごろう、木戸孝允(たかよし))。
○ 下級公家 : 岩倉具視 (いわくらともみ)。
■ そこで、下級武士や下級公家は、 自分達の社会的地位を上昇させ
るため、 旧体制や封建体制を打破し、 日本を支配する江戸幕府を
倒し、 新政府を樹立する動きに出た。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 幕末、 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(たかよし)などの下級武
士 や 岩倉具視などの下級公家 が、 旧体制や封建体制打破、倒
幕、新政府樹立を行う改革の中心勢力となった。
● 幕末、 農工商民や女性も、 不平等な旧体制や封建体制に不満を
もち、 その改革の動きを支持した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
C そのような弱肉強食の国際情勢の中で、幕末、明治初期、 日本は、
植民地にならないために、 一刻も早く、 殖産興業、富国強兵を行い、
大きな工業力、軍事力をもち、 さらに欧米列強と肩を並べられる近代
国家となる必要があった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 幕末、 幕政改革という幕府内(日本政府内)の改革では近代国家
はできず、 封建的な幕府という日本政府では近代国家の建設はでき
ず、 近代国家の建設には、幕府は邪魔(じゃま)であり、 幕府を倒し
て、新政府を作り、 近代国家を成立させようとする、勢力 (薩長連合
等) が、 出現した。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ 幕末の和暦と西暦との対照表。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 嘉永 (かえい) 嘉永元年・1848年・2月28日
〜 嘉永 7年・1854年・11月27日。
■ 安政 (あんせい) 安政元年・1854年・11月27日
〜 安政 7年・1860年・ 3月18日。
■ 万延 (まんえん) 万延元年・1860年・ 3月18日
〜 万延 2年・1861年・ 2月19日。
■ 文久 (ぶんきゅう) 文久元年・1861年・ 2月19日
〜 文久 4年・1864年・ 2月20日。
■ 元治 (げんじ) 元治元年・1864年・ 2月20日
〜 元治 2年・1865年・ 4月 7日。
■ 慶応 (けいおう) 慶応元年・1865年・ 4月 7日
〜 慶応 4年・1868年・ 9月 8日。
■ 明治 (めいじ) 明治元年・1868年・ 9月 8日
〜 明治45年・1912年・ 7月30日。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ (Aa) 幕末の、尊皇 (王)(勤皇
(王))派 と 佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853年〜1868年頃)に、 日本
国内では、 尊皇(尊王)派(そんのうは)
幕派 (さばくは) に 分かれて、 対立し
た。
◆ (Ab) 幕末の、攘夷派 と 開国
派 の対立。
■ 幕末(1853年〜1868年頃)に、 日本国
(かいこうは) とに分かれて、対立した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1853年に、 黒船(くろふね、アメリカのペ
リー艦隊)が 日本に来航し、日本に開国を
要求し、1854年〜1855年に、 日本が、
米、英、露、蘭と和親条約を結び、 その後に、
欧米列強と修好通商条約を結んで開国し
た。 日本国内で、 攘夷派 と 開国派 と
の対立が起こる。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ (Ba1) 幕末・前期の、尊皇(王)
攘夷派 と 開国派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1853〜60
年頃には、 日本国内では、 尊皇 (王)攘夷
くは) に分かれて、対立した。
■ 1853年(嘉永 6年) 6月に、 アメリカの
ペリー艦隊が日本来航し、開国を要求する。
● 1853年(嘉永6年)に、 江戸幕府の老中
首座・阿部正弘 が、挙国的な対策を立てよ
うと、 開国について、諸大名や色々な人物
に意見を求めたため、 これ以後、 日本各
地で、 外国勢力を武力で追い払うことを主
張する、尊皇(王)攘夷派(じょういは) と、
開国し外国勢力と協力して、先進の西洋文
化を採り入れて国を発展させることを主張す
る、開国派(かいこくは) とが対立する(18
53年〜1860年頃)。
● 1853年のペりー来航以後、 黒船(くろふ
ね、アメリカのペリー艦隊)が日本に来航し、
日本に開国を要求し、1854〜55年に、
日本が、米、英、露、蘭と和親条約を結び、
その後に、欧米列強と修好通商条約を結ん
で開国して、 日本国内で、 尊皇(王)攘夷
派 と 開国派 との対立が起こる。
● (例) 尊皇(王)攘夷派の武市半平太、久
坂玄瑞(くさかげんずい) 対 開国派の吉
田東洋、阿部正弘、井伊直弼、勝海舟。
● 1858〜59年に、安政の大獄で、開国派
の井伊直弼(いいなおすけ)は、 反井伊勢
力への弾圧、 尊皇(王)攘夷派への弾圧を
行った。
● 1860年に、桜田門外の変で、開国派の井
伊直弼が殺害される。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
◆ (Ba2) 幕末・前期の、紀州派
(南紀派) と 一橋派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1853〜60
年頃には、 日本国内では、紀州派(南紀派)
(きしゅうは、なんきは) と 一橋派 (ひとつ
ばしは) に分かれて、対立した。
■ 1853年(嘉永 6年)に、徳川 家定 (いえ
さだ、将軍在任1853〜58年、家慶の四男)
が、 江戸幕府・第13代将軍となる。
● これ以後、 家定は体が弱かったため、次期
14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、 日本
各地で、雄藩連合政治を望み次期14代将軍
に一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ、水戸藩出
身一橋家当主)を擁(よう)する、一橋派 と、
徳川独裁政治を望み次期14代将軍に徳川
慶福 (よしとみ、紀伊藩藩主)を擁する、紀
州派(南紀派) とが、対立する (1853年
〜1859年頃)。
● 江戸幕府の第13代将軍になった徳川家定(とくがわいえさだ、将軍在 任
1853〜58年) が、 病弱であったため、1853年の徳川家定将軍就任以
後、 江戸幕府の次期14代将軍の後継者問題が、起こった。
● (例) 幕府独裁政治の継続を望む紀州派(南紀派)の、徳川慶福(よしと
み、徳川家茂(いえもち))、井伊直弼(いいなおすけ) と 雄藩連合政治を
望む一橋派の、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ、徳川慶喜)、篤姫(あつひめ、
天璋院(てんしょういん))、島津斉彬(なりあきら)、松平慶永(よしなが、春
嶽(しゅうがく))。
● 1858〜59年に、安政の大獄で、井伊直弼(いいなおすけ)は、 反井伊
勢力への弾圧、 一橋派への弾圧を行った。
● 1860年に、桜田門外の変で、紀州派(南紀派)の井伊直弼が殺害される。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ (Bb) 幕末・後期の、 尊皇(王)攘夷派・急進派 と
公武合体派・佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年)の1860〜64年頃、 日本国内では、 尊皇
(王)攘夷派・急進派 (そんのうじょういは・きゅうしんは) と 公武合体派
(こうぶがったいは)・佐幕派(さばくは) に分かれて、 対立した。
■ 1860年(万延 元年) 3月に、 桜田門外の変。 大老・井伊直弼が、暗
殺される。
● これ以後、 日本各地で、 江戸幕府は公武合体政策をすすめ、 尊皇
(王)攘夷派・急進派 と公武合体派・佐幕派 とが対立する (1960年〜
1864年頃)。
● 安政の大獄(1858〜59年、反井伊勢力への弾圧、尊皇(王)攘夷派へ
の弾圧)、 桜田門外の変(1860年、井伊直弼の殺害)以後、 尊皇(王)
攘夷派・急進派 は、 公武合体派(1860〜66年) と対立する。
● (例) 尊皇(王)攘夷派・急進派の武市半平太、 久坂玄瑞(くさかげんず
い)、 有馬新七(ありましんしち、1825〜62年) 対 公武合体派の山内
容堂、松平春嶽、島津久光、岩倉具視、 佐幕派の松平容保(かたもり)。
(例) 寺田屋事件(1862年)、八月十八日の政変(1863年), 池田屋事件
(1864年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1860年の桜田門外の変(井伊直弼の殺害) 以後、 尊皇(王)攘夷派・
急進派が台頭した。
● 1862年の寺田屋事件。
● 1863年の八月十八日の政変で、 公武合体派の薩摩藩や佐幕派の会
津藩は、 京都の中央政界より、尊皇(王)攘夷派・急進派の 公家や長州藩
を追い出す。
● 八月十八日の政変(1863年)以後、 幕府による、尊皇(王)攘夷派・急
進派の残党狩り が、京(都)や京(都)周辺で、行われた。
● 八月十六日の政変(1863年)以降、公武合体派・佐幕派が台頭し、尊皇
(王)攘夷派・急進派が衰退した。
■ 1864年(元治 元年) 6月に、 池田屋事件が起こる。
■ 1864年(元治 元年) 7月に、 禁門(きんもん)の変 (蛤御門(はまぐり
ごもん)の変) が起こる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
◆ (Bc) 幕末・後期の、 尊皇(王)倒幕派 と 公武合
体派・佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1864〜66年頃には、 日本国内
では、 尊皇(王)倒幕派( そんのうとうばくは) と 公武合体派(こうぶが
ったいは)・佐幕派(さばくは) に分かれて、対立した。
■ 1864年(元治 元年) 8月に、 幕府、第1次長州征討 (1864年8月
〜12月)を 開始する。
■ 1864年(元治 元年)12月に、 長州藩は、幕府に屈服し、幕府に対し
恭順(きょうじゅん)の態度をとった。
■ しかし、1864年(元治 元年)12月に、 長州藩で、高杉晋作(たかすぎ
しんさく)が、 奇兵隊を率いて、 幕府に恭順した保守派を退(しりぞ)け、
長州藩の藩論を、討幕へ転換させた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 と 公武合体派・佐幕派 と
が対立する (1864〜1866年頃) 。
● (例) 尊皇(王)倒幕派の 西郷隆盛、桂小五郎 対 公武合体派の山内
容堂(ようどう)、松平春嶽(しゅんがく)、 佐幕派の松平容保(かたもり)、
新選組の近藤勇、土方歳三。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 江戸幕府の攘夷不実行(1863年5月、攘夷を約束しても実行せず)、更に、
幕府は、 八月十八日の政変(1863年8月)、 池田屋事件(1864年6月)、
禁門の変(1864年7月)で、尊皇(王)攘夷派・急進派 を排除したため、 18
64年以後、 尊皇(王)攘夷派の一部は、 江戸幕府に対する反感、 失望を
強め、 尊皇(王)倒幕派となり、 公武合体派・佐幕派と対立する。
■ 1866年(慶応 2年) 1月に、 薩長同盟成立。 薩長の反幕府軍事同盟
の密約ができる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ (Bd) 幕末・後期の、 尊皇(王)倒幕派 と 公議政
体派・佐幕派 との対立。
■ 幕末(1853〜1868年頃)の1866〜67年頃、 日本国内では、尊皇
(王)倒幕派 ( そんのうとうばくは) と 公議政体派( こうぎせいたいは)・
佐幕派(さばくは) とに分かれて、 対立した。
■ 1866年(慶応2年) 1月に、 薩長(さっちょう)同盟(連合)成立。 薩
長の反幕府軍事同盟の密約。
● 坂本龍馬の斡旋で、京都で、長州の桂小五郎(木戸孝允(きどたかよし))
と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばれた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 と 公議政体派・佐幕派 と
が対立する (1866〜1867年頃)。
● 薩長同盟成立(1866年)以後、 尊皇(王)倒幕派は、 公議政体派(18
66〜67年) と対立する。
● (例) 尊皇(王)倒幕派の、西郷隆盛、桂小五郎(木戸孝允)、 板垣退助、
岩倉具視 対 公議政体派の 山内容堂、後藤象二郎、松平春嶽、坂本龍
馬、 佐幕派の松平容保(かたもり)、新選組の近藤勇、土方歳三。
● 大政奉還 (1867年)、
● 王政復古の大号令 (1867年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
○ (注意) 岩倉具視 は、 公武合体派 から 、のち 尊皇(王)倒幕派
へ転向する。 1867年、坂本龍馬 は、尊皇(王)倒幕派 から 、のち 公
議政体派へ転向する。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lastyearsoftheedoera-appearingscenes
♪♪ 幕末 (江戸時代末期) が登場する、面
白く、興味深い関連ドキュメンタリー、ドラマ、
映画。
★ 幕末 (江戸時代末期) が登場する、面白
く、興味深い関連ドキュメンタリー。
■ 歴史秘話ヒストリア 『 ずっと気張ってい
たかった〜新選組 土方歳三の生きる道〜』
(2012年 (H24年)5月9日・本放送・テレビ・ドキュメ
ンタリー番組)。
■ 歴史秘話ヒストリア 『 新選組 京都青春
録 〜素顔の沖田・土方・近藤〜 』
(2009年 (H21年)5月13日・
本放送・テレビ・ドキュメンタリー番組・第6回)。
★ 幕末 (江戸時代末期) が登場する、面白
く、興味深い関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。 歴史の
ドラマ、映画 は、 史実(歴史上の事実) と 架空の出
来事 が 混じって描かれています。 また、 現代風にア
レンジしてあります。
■ 『 新選組血風録 (しんせんぐみけっぷうろく)』
(日本の2011年NHKスペシャル ドラマ)。
■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』
(日本の2010年NHK大河ドラマ)。
● このドラマは、日本の、 幕末 (江戸時代末期) を描い
たドラマ。
● 坂本 龍馬を演じた俳優 : 福山 雅治 (ふくやま まさはる)。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
■ 『 篤姫 (あつひめ) 』
(日本のNHK2008年大河ドラマ)。
● このドラマは、日本の、 幕末 (江戸時代末期) を描い
たドラマ。
● 天璋院・篤姫(てんしょういん・あつひめ)を演じた女優名 :
宮崎あおい。
● このドラマは、篤姫の、生涯 や 篤姫が、将軍の妻となり、
夫の将軍の死後、 幕末の徳川幕府(徳川宗家)を支える活
躍 を描いたテレビドラマ。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
■ 『 新選組! (しんせんぐみ) 』
(日本のNHK2004年大河ドラマ)。
● このドラマは、日本の、 幕末 (江戸時代末期) を描い
たドラマ。
● 近藤勇(こんどういさみ)を演じた俳優名 : 香取慎吾
(SMAP)。
● このドラマは、近藤勇の、生涯 や 幕末の、新撰組 や
各藩の下級武士の活躍を描いたテレビドラマ です。
(ドラマ関連の書籍販促のPRフォト)
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 幕末の江戸剣術道場
(ばくまつのえどけんじゅつどうじょう)。
■ 幕末の江戸剣術道場。
■ 幕末の江戸剣術道場 (ばくまつのえどけんじゅつどう
じょう)。
● 英名 : Kendo training hall(s) in Edo, in
the Last Years of the Edo Period (Era).
■ 幕末の江戸の道場には、 全国各地から多くの若者が
集まり、 幕末の志士のサロンの様であった。
■ 幕末の江戸の三大剣術道場。
● 北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の玄武館(げんぶかん)。
● 神道無念流(しんとうむねんりゅう)の練兵館(れんぺいかん)。
● 鏡新明智流(きょうしんあけちりゅう)の士学館(しがくかん)。
■ 幕末の江戸の三大剣術道場の、流派と道場と道場主。
● 北辰一刀流の玄武館を率いる道場主は、千葉周作(ちばしゅうさく)。
● 神道無念流の練兵館を率いる道場主は、斎藤弥九郎(さいとうやくろう)。
● 鏡新明智流の士学館を率いる道場主は、桃井春蔵(もものいしゅんぞう)。
■ 三大剣術道場で剣術修行し、幕末に活躍した人達。
● 北辰一刀流の玄武館では、 山南敬助(やまなみけいすけ)、 藤堂
平助(とうどうへいすけ)、 伊東甲子太郎(いとうかしたろう) (3人は
後の新選組隊士) などが剣術修行。
● 神道無念流の練兵館では、 桂小五郎(かつらこごろう、長州藩士)、
品川弥二郎(しながわやじろう) などが剣術修行。
● 鏡新明智流の士学館では、 武市半平太(たけちはんぺいた、土佐
藩士)、 岡田以蔵(おかだいぞう、土佐藩士) などが剣術修行。
■ 坂本 龍馬(さかもとりうょま) は、 北辰一刀流の千葉周作の弟の
千葉定吉(ちばさだきち)が道場主を務める「小千葉道場」(通称)に、
1853年(嘉永6年)より通い、剣術の修行をしていた。
■ 幕末の江戸の道場には、 全国各地から多くの若者が集まり、 勤王
の志士のサロンの様であった。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 幕末の江戸の三大剣術道場。
● 幕末の江戸には、 当時、 北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の玄
武館(げんぶかん)、 神道無念流(しんとうむねんりゅう)の練兵館(れん
ぺいかん)、 鏡新明智流(きょうしんあけちりゅう)の士学館(しがくかん)
という、 三大剣術道場 があった。
● 北辰一刀流の玄武館を率いる道場主は、千葉周作(ちばしゅうさく)、
神道無念流の練兵館を率いる道場主は、斎藤弥九郎(さいとうやくろう)、
鏡新明智流の士学館を率いる道場主は、桃井春蔵(もものいしゅんぞ
う) であった。
● 土佐(とさ、高知県)から剣術修行のため江戸遊学に出てきた、 坂本
龍馬(さかもとりうょま) は、 北辰一刀流の千葉周作の弟の千葉定吉
(ちばさだきち)が道場主を務める「小千葉道場」(通称)と言われた千葉
道場に、1853年(嘉永6年)より通い、剣術の修行をしていた。
そこで、 坂本龍馬は、 千葉定吉の長男で師範代(しはんだい)の千
葉 重太郎(ちば じゅうたろう)と親しくなったり、 千葉定吉の娘の「鬼小
町」と呼ばれた千葉 佐那(ちば さな)を恋人にしたり、 千葉重太郎に
連れられて「勤王の志士も多い玄武館」にも出入りしたりしていた。
坂本龍馬は、 江戸遊学で、 進歩的な開明論者の千葉重太郎(ち
ばじゅうたろう)の紹介で人脈を広げたり、 多くの幕末の志士達とも知り
合いになったりした。
■ 三大剣術道場で剣術修行していた、幕末に活躍した
人達。
● 北辰一刀流の玄武館では、 山南 敬助(やまなみ けいすけ)、 藤堂
平助(とうどうへいすけ)、 伊東 甲子太郎(いとう かしたろう) (3人は
後の新選組隊士) などが、剣術の修行をしていた。
● 神道無念流の練兵館では、 桂 小五郎(かつらこごろう、長州藩士)、
品川 弥二郎(しながわやじろう) などが、剣術の修行をしていた。
● 鏡新明智流の士学館では、 武市 半平太(たけち はんぺいた、土佐
藩士)、 岡田 以蔵(おかだ いぞう、土佐藩士) などが、剣術の修行を
していた。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
#lateedoerakendohallsinedo-appearingscenes
♪♪ 幕末の江戸剣術道場 を描いた、
面白く、興味深い関連ドラマ、映画、
ドキュメンタリー。
★ 幕末の江戸剣術道場 を描いた、
面白く、興味深い関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。
歴史のドラマ、映画 は、 史実(歴史上の事
実) と 架空の出来事 が 混じって描かれて
います。 また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 陽だまりの樹 』
(日本 のNHKスペシャルドラマ)。
● 幕末の江戸の、北辰一刀流(ほくしんいっとう
りゅう)の玄武館(げんぶかん)の千葉道場が
登場する。
■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』
(日本の2010年NHK大河ドラマ)。
● 坂本 龍馬を演じた俳優 : 福山 雅治 (ふくや
ままさはる)。
● 坂本 龍馬が通った、北辰一刀流の千葉周作の
弟の千葉定吉(ちばさだきち)が道場主を務める
「小千葉道場」(通称)が登場する。
○ ドラマ関連の書籍販促のPRフォト。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上