MISTRAL

第四章


「クラヴィス様、御面なさい。私、クラヴィス様のこと好きです。でも、私は女王候補ですので…」
 金色の髪の少女がそう言って俯く。
「…少し、考えさせて下さい。明日、またここで…」


 眩い陽射しを避け、木陰で黒豹と涼を取っていたクラヴィスは、ゆっくりと眼を開けた。
「…夢…か。陛下の夢などもう見ないと思っていたのだが…」
 黒豹の背中を撫で、陽光へと眼を向ける。
 育成中の大陸に立てられた建物は三分の二を超えている。順調に発展しているフェリシアと、苦難を乗り越えて発展中のエリューシオン。
「…もうすぐ女王試験も終わり…ということか」
 どちらの少女が女王に選ばれるのだろうか?
 アンジェリーク?それともロザリア?
「あー、クラヴィス、こんなところにいたんですか。執務室にいないから、捜しましたよー」
 突然クラヴィスの思考を遮ったのは、地の守護聖ルヴァだった。
「…少し気分を換えようと思ったのだ。コレもたまには外に出してやらぬとな」
 コレと言われた動物は、クラヴィスの手の下で不思議そうにルヴァを見ていた。
「…はぁ、コレ、ですか。クラヴィス、名前はないんですか?」
「…名前…か。あったような気もするが…覚えておらぬ」
「それではあんまりですねー。何か付けてあげたらどうですか?」
「…そうだな。…ところで、私に何か用事があったのではないか?」
 クラヴィスは静かに微笑み、そのまま黒豹の話を続けそうな地の守護聖に、本来の目的を思い出させた。
「あー、そう。そうでした。えーと、アンジェリークがですね、先日貴方に聞き忘れたことがあるからと捜してたんですよ。もしかして家に戻っているのではと思ったんですが、当ってましたね」
「…聞き忘れたこと…か」
 猫…のことだろうか…?
 思い当たるとしたら彼女が助けた猫のことだ。
 見舞いに行った日は様子を見ただけですぐに退室したのだ。
「アンジェリークには自分の部屋で待ってるように言ったので、クラヴィス、すみませんが行ってあげて下さい」
「…わかった」
「彼女は、何に対しても前向きで、いつも明るくて元気で…本当にいい子です。あんなに素敵な女性を放っておくと盗られちゃいますよ、クラヴィス」
 ルヴァはちらりと様子を伺うようにクラヴィスを見る。
「!」
 いつも冷静な守護聖が僅かに動揺を見せた。
「もう気付いているのではありませんか?アンジェリークと一緒にいる時の貴方はとても優しい顔をしています。自分では判らないのかもしれませんが」
「そう…か」
 クラヴィスは、黒豹を引き寄せてその瞳を覗き込んだ。その色は昔と変わらない。昔…。
 彼女も陛下と同じように、女王の座を選ぶのだろうか…?
 その問いは口にしなかった。どちらを選んだとしても、それが運命なのだ。
「ではクラヴィス、確かに伝えましたよ」
 ルヴァはそう言い置いて、小高い丘をゆっくり降りて行った。
 しばらくその後ろ姿を見送って、ふと呟やく。
「…気付いている…か」
 アンジェリークの部屋に見舞いに訪れたとき、光の中で微笑む彼女の背に一瞬、白い翼が見えた。
 あれは、女王のサクリアだったのだろうか…。
 それとも…。
 クラヴィスは木漏れ日を見つめ、眼を細めた。
 女王になどならなければいい。
 そう思うのは、我儘だろうか…。
 守護聖としてあってはならないこと。
 きっと彼ならそう言うだろう。誇り高い守護聖…。
「また、何を言われるやら…」
 軽く吐息を付き、立ち上がる。
 彼女はどちらが幸福なのだろうか…。



「どうしよう。これからクラヴィス様がいらっしゃるというのに、服が決まんないー」
 アンジェリークは、クローゼットと姿見の前を行ったり来たりしていた。
「今日は日の曜日だから、制服はやだしなー」
 ルヴァと会った時とは違う服を着ていくつもりらしく、ベッドの上にはいくつかのスカートとブラウスが並べられていた。
「スカートはやっぱり赤で…ブラウスは…よし、これにしよっと」
 白いパフスリーブのブラウス。結局は制服とあまり変わらないのだが、両サイドが赤と白のチェックの布に変わっていて少しウエスト周りが詰めてある。
 手早く着替え終え、姿見で最終チェック。
 ピンポーン。
「…私だ」
 闇の守護聖の声に、一瞬ドキリとする。
「はい。どうぞ、クラヴィス様」
 アンジェリークは扉まで駆け寄り、静かに扉を開けた。光を受けてアメジスト色に輝く瞳が自分を見下ろす。
「…少し歩かぬか?」
「あの、それなら森の湖に行きませんか?」
 クラヴィスの優しさを初めて意識した”黒豹との出会いの場所”を、アンジェリークは提案した。
 この飛空都市に来て一番たくさん思い出を作ってくれた森の湖。そこでなら不思議なことが起こるかもしれない。そう信じて…。
「そうだな」



 クラヴィスに伝言を終えて、自分の執務室へ戻っていたルヴァは窓の外を見上げた。
 青い空に白い雲。それだけで気分がいい。
「…女王になったアンジェリーク。きっと見ることは出来ないんでしょうね」
 周りをも明るくしてくれるあの少女が女王になるなら、きっと宇宙も幸せになれるのに。
 物思いに耽っていると突然けたたましい音がした。ハッと我に返ったルヴァは、何の音だろうかと見回した。
「あっ!そうでした。お湯を湧かしているところだったんですね」
 慌てて火を止めにいくと、ルヴァより先に来ていた守護聖がムッとして振り向いた。
「もう、ルヴァったら。相変わらずぼけてんだから。ヤカンの音、私の部屋まで聞こえたんだよ」
 黒い羽のショールを指で持て遊びながら、夢の守護聖は言った。
「はぁ、オリヴィエが止めてくれたんですか。有難うございます。えーと、それではお礼にお茶でもいかがですか?今日の茶菓子は安倍川餅ですよ」
「そうこないとね。実は、ソレ狙ってたりして」
 待ってましたとばかりに席に着く。
「本当は、話しちゃいけないことなんだけど、あんただったら相談に乗ってくれるかな、と思って来たんだよ。聞いてくれるかな」
 ルヴァは湯飲みに緑茶を注いでから振り向いた。
「私で出来ることなら、お手伝いしますよ」
 丸盆に湯飲みと急須、安倍川餅の皿を乗せて、オリヴィエの待つテーブルへと運ぶ。
「実は、アンジェリークのことなんだ。この前、女王って大変だって悩んでてね。私は”あんたなら大丈夫だよ”て言ってあげたんだけど、今回のあの事件でしょ?自信なくしてるんじゃないかと思ってね」
「…オリヴィエは、アンジェリークが女王になった方がいいと思っているんですね?」
「まあね。なんて言うか、彼女の行動力や明るさ。あれって大切だと思うんだ」
「そう…ですか」
 ルヴァは同じ思いの守護聖は自分たちだけではないことを知っている。
 きっとあの闇の守護聖も…。
「オリヴィエ。希望を与える守護聖として、祈っていて頂けませんか?アンジェリークの幸せを…」
「そっか。女王になるにしてもならないにしても、彼女が幸せならそれでいい…か。あんた、アンジェリークのこと好きだったんでしょ?」
「わっ、私は…。そう…ですね、彼女の悲しそうな顔は見たくない。それだけです」


 森の湖はいつになく静かだった。
 滝の音だけが唯一の音楽。
 時々恋人たちが訪れるこの場所に、人影はない。
「クラヴィス様、この前のエリューシオンでのこと。本当に有難うございました」
 横に並ぶ、背の高い守護聖を見上げて、アンジェリークは微笑む。
「…私が止めなかったのが悪いのだ。怖い目に遭わせてすまなかった」
「いいえ。あの、それであの時の子猫、御存じですか?」
「…やはりそのことか。心配せずとも私の執務室にいる。少し衰弱していたので家の者に世話をさせていたのだ。…大陸の生き物を持ち帰るのは良いことではないのだが…仕方あるまい」
「ほんとですか?良かったー。すごく心配してたんです。ここで黒豹と遭った時、クラヴィス様とても優しかったから、きっと連れて帰って来て下さってるって思ってました」
 両手を胸の前に当て、ほっと息をつく。
 アンジェリークの純粋な笑顔が眩しくて、クラヴィスはふと視線を湖面へ移した。
 湖面に映る少女の姿を見て、思い出したようにポケットを探る。
 目的のものを見つけ、振り返った。
「…お前にこれをやろう」
 クラヴィスは手の平に乗せた小さな紙袋を、アンジェリークに差し出した。
 アンジェリークは受け取って、包みを開いた。
「わあ、可愛いリボン。刺繍まで入ってる。クラヴィス様、有難うございます」
「そんなに喜んでもらえるとは、嬉しいものだ。…実は好みがわからぬのでな。マルセルに選んでもらったのだ」
 いつだったか、二人で外出していたと噂になっていたのを思いだし、アンジェリークはクスッと笑う。
「着けてみていいですか?」
「…ああ」
 アンジェリークは、自分のリボンを外して、ギンガムチェックのリボンを首の後ろから回した。前髪の上で結んでみて、湖面に顔を映す。
「…曲がってる…」
 湖畔に座り込み、悪戦苦闘するアンジェリークを見て、クラヴィスは楽しそうな笑い声を漏らした。
「もうーなんで笑うんですか。私は真剣なのに」
 アンジェリークの抗議を聞きながら、クラヴィスは横に屈み込んだ。
「貸してみろ」
 クラヴィスの長い指先が器用に蝶結びを作った。
「私って男の方より、リボン結ぶの下手なんですね。ショック…」
 落ち込んでいるアンジェリークの頭に、クラヴィスは静かに手を乗せた。
「アンジェリーク…いや、何でもない。帰るぞ。部屋まで送ろう」
「はい、クラヴィス様」



「今日は本当に有難うございました。プレゼントも。とても嬉しかったです。あの、コーヒーでもいかがですか?私、アイリッシュカフェの淹れ方を覚えたんです」
 アンジェリークは椅子を勧めるが、クラヴィスは戸口に立ったままだった。
「…少し時間をくれないか」
 今まで見たどんな顔よりも思い詰めた真剣な顔。
 その切なそうな眼差しに、眼を奪われる。
「私自身もう一度この言葉を言うとは思いもよらなかった」
 目を閉じ、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
 人を…女王になるべく選ばれた少女を愛するというのがどういうことか…痛いほど判っていた。
 クラヴィスは意を決して目を開く。
「だが敢えて言おう。私にはお前が必要だ。お前のいないこれからの時間などもはや考えられない。これからもずっと私の側にいてくれないか?」
 人を寄せつけない、孤独を愛するというクラヴィスが、側にいて欲しいと、確かにそう言った。
 アンジェリークは、そのエメラルド色の瞳からはらはらと頬に流れる滴を止めることが出来なかった。
「…はい。クラヴィス様」
 クラヴィスは初めて会った時からは想像出来ないような優しい顔を見せた。
「私は待っていた。この永遠の闇を共に生きてくれる者を。だがお前は闇には染まらず、そこに差し込む一筋の希望となっていて欲しい」
 静かにアンジェリークの元へと歩み寄る。
 立ち尽くす愛しい少女の頬の涙をそっと指で掬う。
「守護聖としての長い時間が終わっても、お前ならば私を導いてくれるだろう」
 長い睫を伏せ、クラヴィスはゆっくり跪き、少女の左手を取った。
「私の天使よ」
 手の甲にそっとキスをする。長い黒髪がさらりと揺れて、秀麗な顔を隠した。
「…クラヴィス様、私、本当は怖かったんです。大陸に降りたとき、このまま死んでしまうかも…って。もうお会い出来ないかも…って」
 涙に濡れた声は、クラヴィスの心の扉をゆっくりと開けていく。
「…私もだ」
 跪いた姿勢で見上げる瞳は深く、澄んでいる。
「お前がいなければ、生きる意味さえ持たぬ」
 クラヴィスは立ち上がり、アンジェリークをそっと抱き締めた。
「人々に安らぎを与えるこの私が、本当は一番安らぎを求めていた…。お前の側でこそ、私は本当の安らぎを覚える。私の…天使」
 もう一度優しく囁いて、愛しい少女の温もりを感じた。
 少女の涙が止まるまで…。


『これからもずっと私の側にいてくれないか?』
 優しい声がまだ耳に残る。
 吸い込まれそうなほどに深い瞳。
 自分にだけ向けられた真剣な眼差し。
「夢、見てるのかしら…」
 アンジェリークはクラヴィスから告白された夜、なかなか寝つけなかった。
 もし、目が覚めて全部夢だったとしたら…。
 気になり始めると止まらない。
「寝なければいいのかも。明日、お会いする約束してるし、クッキーでも作ろっと」


 ピンポーン。
 明るいチャイムの音が鳴り、アンジェリークは慌てて扉に駆け寄った。
「はい、どうぞ」
 開いた扉から現れたのは、闇色の衣。
「今日はお前と約束していたな」
「クラヴィス様?」
 視線のはるか上から、低音の甘い声が降りてきた。極上の微笑みと共に。
「迎えに来て下さったんですね。御面なさい、ちょっと待ってて下さい」
 机の上のポーチを取りに行こうと部屋へ向き直った時、目の前に抱え切れないほどたくさんのかすみ草の花束を差し出された。
「わあっ、たくさんのかすみ草」
「公園で売っていたのでな。お前にどうかと思ったのだ」
「嬉しいです。ありがとうございます。どこに飾ろうかな…」
 白い小さな花たちに囲まれて嬉しそうに微笑む金の髪の少女は、天使のように無垢で美しかった。
「?どうなさったんですか?」
 自分を見るクラヴィスに気付き、アンジェリークは問い掛けた。
「…いや、花に囲まれたお前があまりに愛らしいので見とれていた」
 眩しそうにそう答えるクラヴィスに、アンジェリークは顔を赤らめた。
「照れることはない。私は思ってもいないことを言えるほど器用ではないのでな」
 さらりと言ってのけるところはオスカーといい勝負かもしれない。
「クラヴィス様ったら…」
「これからどうする?どこかへ出掛けるか?」
「それじゃ、公園はどうですか?」
「そうだな。では行こうか」


「いい天気でよかったですね。雨の日も好きですけど足元が汚れるから、晴れてる方が好きです。クラヴィス様は、雨の日の方がお好きなんですよね?」
「ああ。水は生命の源。動物も植物も生き生きとしている。だが、お前の楽しそうな顔が見られるなら、晴れの日もいいかもしれぬ…」
 穏やかに微笑むクラヴィスに、アンジェリークも微笑み返す。
「あの、クッキー作って来たんです。お口に合うか分かりませんが、一緒にいかがですか?」
「お前にそんな趣味があったとはな。では、あの東屋で頂くとしよう」
 アンジェリークを気遣い、ゆっくり横に並んで歩くクラヴィスは、初めて会った時には考えられないほど優しい顔をするようになった。
 そんな顔を盗み見て、また少し不安になる。
 もし、夢だったら…。
「どうした?」
 ベンチに座って、クッキーの包みをじっと見つめているアンジェリークを不審に思い、問い掛ける。
「あ、いえ、何でもありません。甘いのはお嫌いかなって思って、お砂糖ひかえて紅茶のクッキー作ったんです。どうですか?」
 包みを差し出し、心配そうに覗き込むアンジェリークに、クラヴィスは一言感想を述べた。
「器用だな」
「?」
「おいしかった。礼を言う。また今度、作って来てはくれまいか?私の執務室で共に頂くとしよう。このクッキーに合いそうな飲み物がある」
「はい。クラヴィス様」
「アンジェリーク…。少し疲れているのではないか?今朝会った時から感じていたのだが…」
「大丈夫です。ちょっと緊張してるのかも」
 肩をすくめてちらりと舌を出す仕草は、少女らしく可愛らしい。
 クラヴィスは、さっと右手を伸ばしてアンジェリークの頬に触れた。ふわりと金の髪が揺れる。
「あっ、あのっ」
 突然、紫水晶の瞳が目の前にあって、アンジェリークの心臓がドキリと脈打つ。
「…眠れなかったのか?眼が赤いが…」
「それは…あの、目が覚めて、もし昨日のことが夢だったら…って考えると、怖くて…」
 俯いてしまったアンジェリークが愛しくて、クラヴィスはそっと肩を抱いた。
「そんなことを考えていたのか…。心配せずとも、私はここにいる。少し眠るとよい。目が覚めた時も側にいる」
 暖かい腕に守られて、少女は愛する人の肩にもたれた。
「クラヴィス様。一つお聞きしてもいいですか?」
「なんだ?」
「森に黒豹がいたのは、何故ですか?」
「…まだ、言ってなかったな。あれは、陛下が女王候補時代に飼っていた猫が変化したものだ。身体が大きくなっただけで、性質は温厚だ。人に見られると面倒なので、私の屋敷にいる」
「名前はあるんですか?」
「陛下は何と呼んでいたのであろうな。遠い昔なので覚えておらぬが…」
「付けてあげないんですか?」
「お前も、ルヴァと同じ事をいうのだな。実は、陛下が聖地を去られる時に差し上げようと思っている。護衛代わりにな」
「クラヴィス様にもなついているんですよね?」
「自分の生まれ故郷に帰っても知人は一人もいない。そんな時に、心を慰めてくれるものが必要だ。私に、お前がいるように…」
「クラヴィス様…」
「さあ、話はおしまいだ。ゆっくり休むといい」
 ふわりと優しい空気に包まれて、アンジェリークは安心したように目を閉じた。


「日の曜日の公園は人が多くて嫌になっちゃうねー。ったく、みんな他に行くところないのかしら。って、私もだけど。今日は商人見あたらないし…。せっかく暇つぶししようと思ってたのにさ」
 公園へ”暇つぶし”をしに来たオリヴィエは、不機嫌そうに辺りを見回した。
「あら?」
 その視線の先に見慣れぬ二人を見つけて、思わず立ち止まる。
「あれは、クラヴィスとアンジェリーク?なんか、すごくラブラブモード入ってるみたい。もっと近くで見てみようかしら」
 オリヴィエは、さりげなく木陰を通りながら東屋に近づいた。
「何をしているのですか?オリヴィエ」
 息を殺して様子を伺っているのに、ほんわかした声を掛けられて、オリヴィエは頭を抱えた。
「あのね、ルヴァ。見てわかんない?私は偵察をしてるの。邪魔しないでちょうだい」
「はあ、偵察、ですか?私には”覗き”にしか見えませんが…」
「もう、どっちでもいいよ。クラヴィスが、アンジェリークの肩に手を回してるのが問題なの。あのクラヴィスが、だよ。オスカーじゃなくて」
「それは見ればわかりますよ、オリヴィエ。二人とも思いが通じたんですね。本当によかった」
「え?」
 オリヴィエは初めてルヴァの方を向いた。
「あんた、知ってたの?あの二人のこと」
「ええ、まあ。クラヴィスのあんな顔見ると、見守ってあげたくなるじゃないですか」
「あんたってば、ほんと…」
 御人好しなんだから…
 オリヴィエはルヴァの肩を叩いて溜め息をついた。


「あれ?おかしいな、この辺だったと思うんだけど…あっ、あった!」
 犬と遊んでいたランディは、木の枝に引っ掛けてしまったフリスビーを取るために木に上っていた。
 見晴らしのいい木の上、東屋も、その近くにいるルヴァとオリヴィエの姿も良く見える。
「?何してるのかな、二人とも」
 タンッ。
 軽い音をさせて着地したランディは、服をはたきながら二人のいた方を向く。
「ランディ、フリスビーあった?」
 犬と木の下で待っていたマルセルは問い掛けた。
「ああ。大丈夫。それより、あそこにルヴァ様とオリヴィエ様がいらっしゃるんだ。行ってみよう!」
「いいよ」


「ルヴァ様、オリヴィエ様、こんにちわ」
「何をなさってるんですか?」
 交替で言うランディとマルセルの口元に、オリヴィエは素早く人差指を当てた。
「大きな声出したら気付かれちゃうでしょ」
「気付かれちゃうって、誰にですか?」
 小声で聞くランディに、オリヴィエは東屋を指差した。
「クラヴィス様とアンジェリーク…」
「クラヴィス様ね、アンジェにプレゼントあげたんだよ。かわいいリボン」
 三人が驚いたようにマルセルを見る。
「僕がね、選んであげたの。…もしかして、言っちゃいけなかったのかな…」
 言った後で困ってる様子が、子供のように可愛い。
「そうですか…。クラヴィスが…」
 私が出るまでもなかったかもしれませんね…。
 ルヴァは東屋へ視線を遣り、穏やかに微笑んだ。
「守護聖が揃って、何をこそこそやってるんだ?」
 木陰でこっそりと東屋を見る四人の守護聖に声を掛けたのは、炎の守護聖オスカーだった。
「ちょっと、見つかるでしょ!」
 人一倍目立つ赤い髪のオスカーを木陰に引っ張り込んで、オリヴィエは口元に指を当てて見せる。
「俺は何をしてるかと尋いているんだ」
 一応小声で問うオスカーに、オリヴィエは東屋を目で示した。
「あれは…クラヴィス様?あの方でもあんな顔をなさるのか。お嬢ちゃんも、やるものだな」
「悔しい?オスカー。あんた、アンジェと仲が良かったからねー」
 からかうような口振りのオリヴィエに、オスカーは口元に笑みを浮かべながらも真面目に答えた。
「そうだな。悔しくないと言えば嘘になるが、あの二人を見てるとそんな気も失せる」
 完成された一枚の絵のように、見る者を魅了していた片方がすっと手を伸ばした。
 五人は息を潜めて、じっと東屋を見る。
 クラヴィスは少女の肩を自分の衣で包み、頬に掛かる金の髪をそっと掻き上げてやっている。
「あーあ、あほらし。もうこのへんで引き上げるとするわ。こんなとこジュリアスにでも見つかったら…」
 立ち上がって、くるりと向きを変えたオリヴィエの目の前に、金の髪の主がいた。長身で蒼い瞳の守護聖…。
「…ジュリアス…」
 オリヴィエの声に、座り込んでいた守護聖が全員立ち上がった。
 一瞬、時が止まったかのような静寂。
「お前たち、こんなところで何をしている」
「あ、あの、お散歩です。お散歩」
 慌てて言うランディに、ジュリアスは不審な顔をする。
「座り込んで、散歩とは器用だな」
「ちょっと、話しこんでただけだよ。そろそろ帰ろうかなーって思ってたとこ。さっ、帰ろ帰ろ」
 お子様たちの背を押して、オリヴィエは東屋と逆の方向へと促す。
「オスカー、お前もか」
「申し訳ありません」
 厳しい口調のジュリアスにオスカーは頭を下げる。
「?あれは…」
 東屋を隠すような位置に立っていたオスカーが頭を下げたせいで、二人の姿がジュリアスに見えてしまった。
「クラヴィスとアンジェリーク…。そなたたち、あれを私に見せまいとしていたのか?」
「……」
 無言は肯定と取るのが世の常。ジュリアスは眉間に皴を寄せて、東屋へと足を向けた。
「ちょっと、ジュリアス。邪魔しないであげてよ」
「そなたたち、ことの重大さが分かっていないと見える」
 ジュリアスはオリヴィエの言葉に耳も貸さずに、東屋の二人の元へと歩いて行った。


「クラヴィス!」
 ジュリアスの声で闇の守護聖はゆっくりと目を上げた。
「大きな声を出すな。今、眠ったところだ」
「これはどういうことだ?個人的な感情を持って女王候補に接してはならぬとあれほど…」
 クラヴィスは、アンジェリークを見つめたままそっと溜め息をついた。
「話なら後で聞く。お前の声で起こしてはかわいそうなのでな」
「話にならぬな。よかろう。あとで私の執務室まで来るように」
「わかった」
 ジュリアスがくるりと向きを変えて、東屋を後にする。後ろからでも、怒っているのが見て取れる。
「来るべきものが来た…か。さて、どうするか」
 口ではそんなことを言いながら、慌てた様子がないところがクラヴィスらしい。
 肩によりかかって寝息を立てる少女の髪にそっとキスをして、公園を出ていくジュリアスの姿を静かに見送った。


「クラヴィス。お前は女王試験をなんと心得ている。女王候補は、いずれ女王陛下になるかもしれぬ少女。その少女と深い仲になるとは…」
 クラヴィスが執務室に入った途端説教が始まった。覚悟していたクラヴィスは、そんなことを気に留める様子はない。
「ジュリアス。人には感情というものが存在する。怒り、悲しみ、喜び、楽しみ…。私はそのどれもをここしばらくの間、忘れていた。それを思い出させてくれたのが、アンジェリークだ。私は、彼女の笑顔に希望を見た」
「希望…か。そなたの口からそのような言葉を聞こうとはな。たいしたものだ。そなたと道を共にするということは、女王の座を諦めるということだと、アンジェリークは理解しているのであろうな?」
「そのはずだ」
「すると女王になるのは、ロザリアしかおらぬということか?」
「一時は、個人的な感情に走ったようだが、あの娘なら大丈夫であろう。お前が、陛下に申し上げた通りになるな」
「…少し、変わったな。クラヴィス」
「だとしたら、アンジェリークの影響だ。彼女の明るさは、闇に閉ざされていた私の心を光へと導いた」
 ジュリアスは、静かに吐息を零した。
「…そなたの気持ちは良く分かった。認めよう。ただし他の者への影響が出ては困る。公衆の面前で必要以上に触れないように」
 男女交際を無理やり認めた風紀の先生のようだ。
 クラヴィスは僅かに声を立てて笑った。
「わかった。心に留めておこう」
 踵を返して扉へ向かうクラヴィスに、ジュリアスは一声掛けた。
「クラヴィス、職務は忘れるな」
「ああ、わかった」
 扉が閉められて、光の守護聖の執務室は静寂を取り戻した。
「あの、たよりなげな少女がクラヴィスを変えたとはな。もしかしたら、アンジェリークこそ次代の女王に相応しかったのかもしれぬ。今となっては、それもかなわぬことだが…」


 暖かい部屋で静かに眼を開けた少女は、傍らに座る人物を見て目を丸くした。
「クラヴィス様…」
「目が覚めたか?」
「ずっと見てらしたんですか?」
「目が覚めても側にいると約束したからな」
「お陰でよく眠れました。有難うございます。すみません。せっかく誘って頂いていたのに、ほとんど眠ってたみたいで…」
「また次の機会に…な。私はこれで失礼する」
 クラヴィスは優しく微笑んで、少女の部屋を後にした。