MISTRAL

Snow White


 冬にしては暖かい日の日の曜日。
 金の髪の女王候補アンジェリークは、公園へと足を向けていた。
「飛空都市って、余り気温の差がないのかしら…」
 主星だと、この時期は雪が降っていてもおかしくない。さすがに半袖は着ないが、コートがなくても過ごせるところが不思議だ。
「過ごしやすいのはいいけど、季節の変わり目っていつの間にか過ぎてるのよね。季節が実感出来ないのってちょっと寂しいかも…」
 アンジェリークは、ぼんやり空を眺めながら公園へと入った。
「あっ、お姉ちゃん!」
 言うが早いか、三人の子供がアンジェリーク目がけて走って来た。
 三、四才位の男の子二人に女の子が一人。よくランディと遊んでいる子供たちだ。
「こんにちわ。そんなに走って、どうしたの?」
 アンジェリークは屈んで、子供と同じ目線で微笑んだ。
「あのね、おねえちゃん。”ゆき”ってなあに?」
「ゆき?」
 首を傾げると、少女は後ろに持っていた絵本を差し出した。
「このほんにね、”ゆきのようにしろいはだ”のおひめさまがでてくるの。それで、”ゆきってなあに?”てきいたらママね、”ここでは見られないの”っていうの」
 絵本の題名は”しらゆきひめ”
 昔読んだ童話…。
「雪…ね。んーと、寒い日にお空から降ってくる白くて冷たいものよ」
「お空から?」
 少女は青い空を見上げた。
「ここには降らないの?」
 少年の問いに、アンジェリークは困惑する。
「…うーん。多分降らないと思うんだけど…」
 まだ飛空都市の気象状態を把握してないからうかつな事は言えない。
『子供ってすぐ信じるから、いい加減なこと言えないし…』
 屈み込んだまま悩んでいたアンジェリークを、日の光から遮る影があった。
「どうした?アンジェリーク」
 頭上高くから降る声は、真昼でも夜の静けさを思わせるような穏やかな響き…。
「クラヴィス様!」
 アンジェリークは漆黒の髪の守護聖を見上げて微笑んだ。
「…眉間に皴を寄せていると、誰かのようになるぞ」
「え?」
 一瞬、闇と対局する守護聖の顔がよぎる。
「…もう、クラヴィス様ったら」
 クラヴィスは、照れ笑いするアンジェリークにすっと手を差しのべた。
「何か悩み事か?」
 手を引かれて立ち上がったアンジェリークは、大きく頷いた。
「飛空都市って、雪は降らないんですか?」
「雪?」
 クラヴィスが不思議そうな顔をする。
「はい。子供たちが、雪を見たことないっていうんです。それで…」
「…そうだな。少なくとも私が守護聖になってから、聖地で雪を見たことはないな。聖地を模して造られたこの飛空都市も恐らくは降るまい」
「…そうですか」
 寂しそうな顔をして、子供たちの目線にまで腰を落とす。
「…やっぱりここには降らないみたい。たくさん降ると困るものなんだけど、少しだけ降る雪ってとても綺麗なの。チョコレートケーキに粉砂糖をかけたみたいな感じっていえば分かるかな?」
「わー、おいしそう!」
 …どこか違うようだ。
「フッ。お前らしい発想だな」
 少女らしい発想に思わず笑みを零す。
「…王立研究院の協力があれば、人工的に降らすことも可能かもしれぬ」
 クラヴィスの意外な提案に、アンジェリークは驚いて立ち上がった。
「本当ですか?」
「…理論的には可能であろう。ただ、聖地と同じ条件であるこの飛空都市に雪が降ると、大騒ぎになる」
「…ですよね。じゃ、許可が下りれば問題ないんですね?」
「そういうことになるな」
「分かりました。それじゃ、ジュリアス様にお願いに行ってきます!」
 早速!と背を向けたアンジェリークが振り返り、子供たちを見る。
「…もし、許可が下りなかったら御免ね」
 そう言って、公園の出口へと走って行った。
 毎回の事ながら、アンジェリークの行動力には驚かされる。
「…また、アレの驚く顔が目に浮かぶようだ…」


「何?雪?この飛空都市に?」
 唐突なことを言う女王候補に、ジュリアスは驚きの色を隠せなかった。
「はい。聖地にも、飛空都市にも雪が降らないって聞きました。ですから、子供たちはまだ見たことがないんです。それで、一度だけでも見せてあげたいんですけど…」
 駄目ですか?という視線で、ジュリアスの返事を待つ。
「…向学のため…か。まあ良いだろう。ただ、気象条件にかなり左右される。いつ降らせるかというのは、すぐには分からぬぞ。それに人工降雪機を作る必要もある」
「ジュリアス様!有難うございます。きっと子供たち喜びます」
 深く御辞儀して背を向けたアンジェリークに、ジュリアスは言った。
「…お前も…ではないのか?」
 アンジェリークは、振り向いて愛らしい笑顔を見せた。
「はい。雪って大好き。すごく楽しみです」
 ジュリアスは、扉が閉まってもまだアンジェリークのいたあたりを見ていることに気付き、我に返る。
「…いい顔をするようになったな」
 最初に会った時とは雰囲気が違う。
 ジュリアスは微笑して、部屋の隅に控えていた執事を呼んだ。
「…聞いていた通りだ。王立研究院のパスハを呼べ。あとは…そうだな。ルヴァとゼフェル。それにオスカーもだ」
「はい。かしこまりました」


「雪を降らせるって?」
 ロザリアは、英国風のティーカップを持ったまま目を丸くした。中身はアッサムティーのストレート。それというのも、今回のお茶菓子がカロリーの高いケーキだからである。
「ロザリア。この苺のミルフィーユ美味しいvどこで買ったの?」
「…それは昨日、偶然通りかかった喫茶店でテイクアウト出来るケーキがあったから買ってきただけよ」
 偶然通りかかれる喫茶店なんかあったかな…。
 アンジェリークが考え始めたので、ロザリアは慌てて話題を切り替えた。
「ちょっと、話を逸らさないでよ。ジュリアス様のお許しが出たって言ってたけど…」
「そう、そうなのー。意外にすぐ許可して戴けてびっくり。今は大切な女王試験の時期だから…ってお叱りを受けると思ってたんだけど」
「まあ、私が女王になることは決まってるから、ジュリアス様もお許しになったんでしょ」
 ロザリアは、アンジェリークの興味がケーキから逸れてホッとした。
 突然食べたくなって、わざわざ買いにいったなどと言ったら何を言われるか分からない。
「やっぱりそうかな。だったらロザリアのお陰ね。ありがとう!」
 自分が、女王試験を放棄してしまった事は棚に上げてあるらしい。
「…雪は綺麗だけど、私、寒いのは嫌いよ。コートだって持って来てないし…」
「そっか…」
 アンジェリークも、自分がコートを持って来てないのを思い出した。それに雪が降るというのなら、マフラーと手袋も欠かせない。
「あっ、それじゃロザリア。冬の装いはオリヴィエ様に見立ててもらわない?きっと素敵な服を選んでくださると思うの」
「…そうね。あまり派手じゃないといいけれど」
「あとね、手袋編もうかと思うの。自分の手袋を編んで、それと同じ糸で好きな人のマフラーを編んでプレゼントするの。ね?いいアイデアだと思わない?」
 アンジェリークは、嬉しそうに翠の瞳を輝かせて言う。
「そりゃ、貴女はいいかもしれないけど…」
 すぐに賛成してくれると思ったロザリアが、いい返事をしないので首を傾げる。
「プレゼントを貰えなかった方は、傷付かれるのではないかしら」
「あっ。…そうかも。ロザリア、鋭い」
 途端に元気のなくなるアンジェリークに、ロザリアは一つ提案をした。
「…八方美人って言われるかもしれないけど、みんなに編んだらどうかしら。同じ毛糸で編んで、好きな人のだけ何か特別にメッセージ入れるの。一見分からないように」
「それ面白そう!すごーい、ロザリア。あ、でもそしたら凄くハードスケジュール。女王試験もあるし…」
「あんた、編むのトロそうだから私が5人分編むわ」
「ほんと?そしたら私はクラヴィス様と…誰にしようかな」
「…オスカー様は駄目よ」
 ぽそりと言うロザリアが可愛い。
「じゃあ、ジュリアス様にオリヴィエ様、えーとゼフェル様にしようかな」
「分かったわ、それじゃ私は他の方たちのね。そうと決まればグズグズしてられないわよ」
「うん」
 女王候補の二人は、さっそく毛糸の買い出しへと向かった。


 一方、地の守護聖の執務室…。
「えーと、マルセル。その段ではなくて、もう一つ上の段だと思うんですが…」
「ルヴァ様ー、僕じゃ届きません」
「どこだい?マルセル」
 マルセルの横からランディが覗き込む。
「えっと…、あ、あれ!”雪が出来るまで”って本」
「これだね。はい」
 身長は十センチしか変わらないのだが、その差は結構あるらしい。
「あー、ありがとう。マルセル、ランディ」
 ジュリアスに呼ばれたルヴァは早速文献を探していた。
「えーと、これによるとですね。雪とは、”大気中の水蒸気が冷えて出来た結晶”と書いてありますね。それから人工的に雪を作るには”過冷却の雲粒が十分に存在し、その雲の形成と維持に必要な大気の不安定度が必要”とあります。大気の不安定度というのは、王立研究院に調査を依頼するしかありませんが、問題はその雲の中に氷晶の核となる物質を散布しなければならないということです。その核に沃化銀を使うという方法があるのですが…」
「おい、ルヴァ!」
 今まで黙ってルヴァの執務机に座っていたゼフェルが、ポンと床に飛び降りた。
「何ですか?」
「その沃化銀ってのはよ、生物に有害なんじゃねーか?」
「そう。その通りですよ、ゼフェル。さすが鋼の守護聖。重金属に分類される物質です」
 ルヴァはとても嬉しそうに頷く。
「ですからそれは使えません。自然に分解してしまう有機物質のメタアルデヒドやコレステロール。あとは…そのまま氷のかけらですね」
「氷のかけら?」
「だったら、口の中に入っても平気ですね」
 マルセルとランディが口々に言う。
「クッ。おめーは雪を食うつもりだったのか?」
 ゼフェルが含み笑いをする。
「ゼフェル!笑うことないだろ?ちょっと言ってみただけじゃないか」
「ほら、ケンカしないで。子供たちが誤って口の中に入れてはいけませんからね。出来れば氷のかけらを使いたいのですが…ゼフェル。作ってくれますね?」
「ジュリアスに呼ばれて…てのが気にいらねーけど、ま、あいつらの頼みだし。いいぜ、作ってやっても。その核とやらは子供の為に氷のかけらでな」
 そう言って、ちらりとランディを見る。
「なんか、すっごくトゲのある言い方!」
「ちょっと、もうケンカはおしまい。ゼフェル、僕も手伝うよ。行こ、行こ」
 マルセルはゼフェルの背中を押して、無理やり外へ連れ出した。
「…やれやれ。すみませんね、ランディ。ゼフェルも初めから氷のかけらを作るつもりでいたんだと思うんですよ。だから有害なものじゃ作れないって。優しい子です。…少々口は悪いですが」
「分かってます。ルヴァ様が謝られることじゃありません。俺もつい突っかかちゃって…。反省してます」
「ありがとう。ランディ。さて、では私達は王立研究院からのデータを元に降雪地域の特定を始めないといけませんね。飛空都市全域に降らせると、寒さに慣れない動物たちが死んでしまいますからね」
「はい!ルヴァ様」


 王立研究院へと赴いたルヴァは、パスハと共に飛空都市全域を表した地図を見ていた。
「…それでは、この飛空都市の中で最も降雪可能な地域というのがこのあたりということですね?パスハ」
「そういうことになります。この地域というと…守護聖様の私邸が二つ含まれますが…」
 地図に近付いて良くみるとそこは…。
「はあ、リュミエールとクラヴィスの私邸ですね。それでは、持ち主の許可を貰わなければ。子供たちが雪合戦などして騒がしくするかもしれませんからね」
「そうして頂けると助かります」


「…というわけなのですよ、クラヴィス。貴方が騒がしいのが嫌いなのは知ってますが、何と言いますか…一度だけのお祭りと考えて貰って…」
 ルヴァが、頼み憎そうに言う。
「私は構わぬ」
「え?」
 あまりに簡単に許可が下り、ルヴァは面喰らった。
「…雪が見たいと言うのでな」
 クラヴィスは、フッと優しい顔をした。
「えーと、それはアンジェリークが…ですよね?」
「…それに子供たちが…な」
「あー、そうでしたか。それは良かった。えーと、ではリュミエール…」
 ルヴァは、クラヴィスの傍らに立つ水の守護聖を見た。
「私も、もちろん歓迎しますよ。白く彩られた庭園はさぞ美しいことでしょう。私の故郷では雪が降ることはあっても、積もるということが殆どありませんでしたからね。自分の部屋から雪景色が見られることを光栄に思います」
 美しい微笑みを見せ、軽く首を傾げる。
「ありがとう、リュミエール。これで準備は整うわけですね。あとは飛空都市全土に告知して、防寒対策をしなければ。さあ、忙しくなりそうですねー」
 ルヴァは嬉しそうにそう言って、いそいそと執務室を出て行った。
「…全土…か」
 少し複雑な顔をするクラヴィスに、リュミエールはにこやかに言う。
「仕方がありません。不公平があっては後々困りますからね」
 降雪予定前日。
 アンジェリークは自室で最後の仕上げをしていた。 最後の仕上げ…。メッセージを入れること。
「あーん、どうしよう。やっぱり止めようかな。他の方に見られたら恥ずかしいし…。でも…みんな一緒だと気を悪くされるかも。じゃあ、あまり恥ずかしくなくて短い言葉…あ、そうだ!」
 何か思いついたらしく、白いマフラーの裏に銀色の糸で小さく刺繍を始めた。
 表から見えないように刺繍するのは結構大変だ。
「…よし、出来た!」
 あとは玉止めして糸を切るだけ。
 ピンポーン。
「はーい」
 アンジェリークは針に糸を巻きながら返事した。
「私だ」
 ドキッ。
「イタッ」
 クラヴィスの声に驚いて、思わず指に針を刺してしまった。
 渡す前に本人に見られたくないし…。
 糸を切るだけになっていたマフラーを無事な右手で掴み、どこに隠そうかとキョロキョロする。
「…怪我をしたのか?」
 ドアに背を向けていた少女は、クラヴィスが入って来たことに気付かなかった。
「え?あの…」
 無意識に左手の人差指を立てていた為、見つかってしまったようだ。クラヴィスは、すっとアンジェリークの左手を握り、血の浮き出た人差指に口付けた。
「クラヴィス様…」
 間近で見るクラヴィスの瞳は美しく、淡い肌色の唇に付着した血は言葉を無くす程、艶っぽい。
 右手から力が抜け、マフラーが床に落ちた。
 羞恥で頬を赤らめ、視線を逸らす。
 傷口を舐められただけで、鼓動が早くなる。
「…針で刺しただけのようだ。ならばすぐに傷も塞がるであろう」
 アンジェリークは、いつの間にか閉じてしまってた目を開けた。
「有難うございます」
「何か落としたようだが…」
 クラヴィスは、さっき落ちたマフラーを、アンジェリークより先に拾った。
「…針が付いているな」
「すいません!すぐ切ります」
 慌てて裁縫箱から糸切り鋏を取り出す。
「誰かへの贈り物か…」
 隠すと余計に不審に思われる。
 アンジェリークは素直に告白することにした。
「あの、雪が降るからマフラーを差し上げようと思って。ほんとはクラヴィス様のだけで良かったんですけど、他の方が気を悪くされると思って。それでロザリアと手分けして皆さんに編んだんです。それはクラヴィス様のです」
 クラヴィスは、マフラーを広げて首に掛けた。
「まだ駄目です。きちんとラッピングして、明日お渡ししますから…」
 両手を大きく左右に振りながら制止する。
「?」
 マフラーの裏に銀色の文字…。
  WITH YOU
「”貴方と共に”これは…」
 艶のある低音でメッセージを読まれて、アンジェリークはドキンとした。
「あっ、それはクラヴィス様にだけこっそりメッセージ入れたんです。他にも色々考えたんですけど、何だか恥ずかしくて…」
 恥じらって俯く少女の頬に、白く長い指が伸ばされる。頬にかかる柔らかな金髪に触れると、少女が驚いたように顔を上げた。
「…充分だ」
 窓から差し込む陽光を受けて優しい色に染まった瞳が美しい。一瞬伏せられた漆黒の長い睫に見入っていると、それに気付いたようにスッと視線が上がった。 クラヴィスの手がそっと少女の頬に触れる。指先から伝わる少女の温もりが愛おしい。
 アンジェリークの瞳が閉じられるのと、クラヴィスの顔が近付いたのとほぼ同時だった。
 唇に優しい温もりを感じて少女は頬を染める。
「…雪は、今晩遅くから明日の早朝まで降らせるそうだ。今夜私の屋敷に招待しようかと思っていたのだが…」
「クッ、クラヴィス様っ!」
 少女の顔は耳まで真っ赤になった。
「…今日はこれで帰るとしよう。朝、足跡が無いのにお前がいることが分かると、少々面倒なことになる。それに…」
 クラヴィスはアンジェリークの背に両手を回した。
「静かな夜は…またやって来る」
 甘い囁きに少女の胸がドキンと鳴った。
『え?それって…』
 驚いた顔で美貌の守護聖を見上げる。だが彼は何も言わず、美しい微笑を見せた。
「では、また明日。早朝六時に馬車を迎えに行かせよう。ロザリアと共に来るとよい」
「はっ、はい」
 パタン。
 扉が閉まる音と共にアンジェリークはその場に座り込んでしまった。
「…今のって、今のって、もしかして…」
 夜のお誘い…。
「キャー、どうしよう」
 熱くなった頬を両手で押さえる。
 ”また”ってことは、今度夜のお誘いがあるってことで…。
 アンジェリークの頭は大パニックを起こしていた。
「近くでお顔見るだけでもドキドキするのに、心の準備が出来ないー」
 散々パニックに陥った後で、ふと我に返った。
「あっ、マフラー…」
 結局、彼はそのまま持ち帰ってしまったのだった。


 一面の銀世界。見慣れた風景が別のものに見える。
「すごーい。ねえ、ロザリア。見て見て!」
 馬車の窓から身を乗り出すアンジェリークを、ロザリアは諌めた。
「ちょっと、危ないでしょ。もう、子供みたいに…。雪が降って一番嬉しいのは実はあなたじゃなくて?」
 振り向いたアンジェリークは、にこっと笑う。
「ふふっ。アタリ!だってこんなに綺麗なんだもん。見たことないってかわいそう」
 余りに嬉しそうなので、文句を言う気も失せる。
 ガタガタガタ…ガタッ。
 心地良く揺れていた振動が治まり、馬車が静かに止まった。
 御者が手際良く扉を開けて脇に控える。
「どうぞ。到着致しました」
「有難うございます」
 喜んで外に出ようとしたアンジェリークに、すっと差し延べられる手があった。
「良く来たな」
「あっ、お早うございます。クラヴィス様」
 挨拶をして手を取ったアンジェリークは、真っ白な雪の上に降り立った。キュッという感触が確かに雪を感じさせる。
「お姫様のエスコートはこの俺だ」
 クラヴィスの後ろから燃え立つような赤い髪の守護聖が前へと進み出た。
「オスカー様…」
 ロザリアが目を丸くしてオスカーを見つめる。
「どうして…。私、そんな約束…」
 戸惑う少女に、オスカーは自信に満ちた笑顔を返した。
「昨日、直接このマフラーを渡しに来てくれただろ?その時、”エスコートを頼みにきた”と直感したんだが…違ってるか?」
 アイスブルーの瞳がロザリアを覗き込む。
「…お願いします」
 少女は恥ずかしそうに左手を差し出した。
「そう。女性は素直じゃなきゃ、な」
 軽くウィンクしたオスカーは、何を思ったかロザリアの手を強く引いた。
「キャッ!」
 重力に負けて、ロザリアはそのままオスカーの腕の中に飛び込んだ。
「こんなに足元が悪いのに、そんな細いヒールで歩くつもりか?」
 意地悪く微笑むオスカーに、ムッとする。
「…私、持っておりませんもの。これでも一番安定性のいいブーツですのに…」
「…そいつは悪かった。では、お姫様が怪我をしないように最善の注意を払うとしよう」
 聞いてるだけで恥ずかしくなる。
「おーい、アンジェリーク、ロザリアー。今から雪だるま作るんだけど、一緒にどう?」
 クラヴィスの私邸の庭から声がする。
「え?マルセル様!こんなに朝早いのに…」
 アンジェリークは目をぱちくりさせる。
「ゼフェルとマルセル、ルヴァ、そしてランディは例の人工降雪機を動かしていたのだ。朝までかかる作業なので私の屋敷で休んでいた」
「そうだったんですか。じゃ、私、雪だるま作ってきますね。クラヴィス様も一緒にどうですか?」
 屈託無く笑う少女に、クラヴィスは微笑する。
「私は遠慮しておく。楽しんで来るとよい」
「はい。それじゃクラヴィス様。私が良く見えるところに居て下さいね」
「…分かった」
 アンジェリークは、にっこり笑ってロザリアを振り返った。
「ロザリア、オスカー様、行きましょ」
「おい、お嬢ちゃん。俺も一緒か?」
 困惑するオスカーに、アンジェリークは強く言う。
「”雪だるま作り”は力仕事です。女の子が困ってるのを助けるのがオスカー様のポリシーじゃないんですか?」
「…やれやれ、お嬢ちゃんにはかなわないな」
 仕方なく歩き出すオスカーの背後から、クラヴィスの忍び笑いが聞こえた。
「…オスカー。二人を頼んだぞ」
「はいはい、分かりました」
 後ろ手に手を振って、炎の守護聖は二人の女王候補をエスコートした。


「クラヴィス様、見つけた!」
 アンジェリークは、屋敷の二階。テラスのある部屋を覗いた。大きく開け放たれた窓から冬の風が吹いてくる。
「どうした?雪だるまは出来たのか?」
「あと、頭を乗せて顔作るだけです。えっと、私がそこに行くまで目を閉じてて下さい」
「?」
 クラヴィスは不思議に思いながらも、素直に目を閉じた。少女の足音が静かに近付いてくる。
「はい、開けて下さい」
 最初にクラヴィスの目に映ったのは白い固まり…。
「雪…うさぎか?」
「はい」
 アンジェリークは嬉しそうに頷いた。
「お庭に赤い実と葉っぱが落ちてたので。せっかく雪が積もったんだから、雪遊びらしいことしないと」
 溶けては大変とばかりに、手摺りに積もった雪の上にそっと乗せる。
 本当にこの少女は…。
「お昼になったら溶けちゃうと思うんですけど、それまで…クラヴィス様?」
 一瞬、額に触れた冷たい肌…。
「…少し日陰に置くといい」
 額に触れた唇から、さらりと言葉が流れる。
 いつも何も無かったように表情が変わらない。
 自分はこんなにドキドキしてるのに…。
「クラヴィス様…。私、クラヴィス様と居るだけでドキドキするんです。触れられると胸が苦しくなる。でもクラヴィス様は…」
 言い掛けた少女の手を自分の左胸に当てて、強く抱き寄せた。
「…聞こえるか?私の鼓動が…」
 左胸に押し付けられた耳に、通常より早い鼓動が聞こえる。
「…はい」
 早いけれど…優しい響き。まるで母の胎内で心臓の音を聞いているようだ。
「…愛しい者を前に冷静でいられる人間などおらぬ。私は…お前を大切にしたいと、そう思っている」
 子守歌のように心地の良い声。
 アンジェリークは柔らかなまどろみの中へと静かに落ちていった…。
「…眠ってしまったのか」
 クラヴィスはアンジェリークを両手で抱き上げた。クッションのよいソファに横たえて、自分の着ていたローブを掛けてやる。それから、テラスへ続く大きな窓を静かに閉めた。
「…昨夜、あまり眠れなかったのだろうな」
 少女の寝顔を見るのは何度目だろうか。
 安らぎを与える守護聖だからか、寝顔を見ることがかなり多い。
「…意識せずとも闇のサクリアが作用するとすれば…厄介なことだ」
 それだけ強い負の力…。それを制御する者の精神力が弱ければこの宇宙は…。
 クラヴィスはその深い色の瞳を閉ざした。
 守らなければならぬ。この先、何が起きようと…。                     
                                    
                            Fin

                            (2000.1.9 発行) Snow Timeより