MISTRAL

Angel Night 1


土の曜日。
 聖地では珍しく気温の低い朝。
 アンジェリークは、自分のベッドの上で掛け布団を引き寄せた。
「今朝は寒いのね。ま、冬だから仕方ないけど」
 冬だから…
 聖地には主星と同じように季節はある。しかし、余り温度差がないように女王が調整していたのである。そう、ロザリアが女王になるまでは。

「何ですって?この聖地に温度差をつけてほしい?」
 女王となったロザリア。補佐官となったアンジェリークの雑談混じりのお茶の時間。突然アンジェリークはそんなことを言い出した。
「大陸育成の時に、美味しい果物が成ってたじゃない?あれって、温度差が激しい土地に出来てたからだって、ルヴァ様おっしゃってたでしょ。冬に一度くらいは雪を見たいし、夏に泳ぎに行ったりしたいと思わない?」
「気持ちは分からなくはないけど…」
「あっ、オスカー様のナンパを助長させるって思ったでしょ」
「…それは…確かに問題だわ」
 ロザリアは真剣な顔で悩み始めた。
 そんな二人の様子を遠くから眺めていた守護聖がふと低い笑い声を漏らした。
「女王候補気分が抜けていない方が問題ではないのか?」
 床まで届く長い髪を腰まで切った闇の守護聖がひっそりと立っていた。
「クラヴィス様!いつからそこにいらしたんですか?」
 アンジェリークは慌てて立ち上がった。
 聖殿のテラス。誰が入って来てもおかしくはないのだが、明るすぎるこの場所をクラヴィスが好むとは思えない。
「?ああ、陛下と補佐官殿を迎えに来たのだ。これからの指針を決めたいからとジュリアスが全守護聖を招集した。私もこれから向かう所なのだが、二人にも同席してほしい」
 執務に前向きな守護聖のような言葉、態度にアンジェリークは目を丸くした。
「…分かりました。すぐに参ります」
 女王ロザリアは、静かにカップを皿に戻して立ち上がった。
「はっ、はい。分かりました」
 アンジェリークはそう返事をしておいて、さっきの提案を思い出す。
「あっ、さっきのこと守護聖様たちに聞いてみてほしいんだけど、どう?」
「…そうね。丁度いい機会ではあるわね」
 新女王とその補佐官は、着任後初めての仕事として、”聖地の四季をはっきりさせる”
ということを施行したのだった。

「ロザリアが女王になって初めての冬。何を着て行こうかなー」
 部屋にヒーターを入れて、一人ファッションショー。
 今日は待ちに待ったデートの日。クローゼットから出した服をベッドに並べて大騒動。
「淡いピンクのノースリーブワンピに薄紫のフリンジ付カーデ。…ちょっと大人っぽいかな」
 でも、相手はクラヴィス様だし…。
「あっ、真っ白なコートを着ていけばいいかも。で、白のラビットファーを襟のとこに付けて…。うん、可愛い!」
 自分のコーディネイトに満足して、早速着替える。
 ピンポーン
 部屋のチャイムで慌てて扉を開けた。
「お早うございます」
 相手を確認せずに開けたアンジェリークは、目の前に立つ鮮やかな赤い髪をした守護聖に目を丸くした。
「オスカー様!」
 炎の守護聖はアイスブルーの瞳でにこやかに微笑む。
「おはよう。お嬢ちゃん。今日は一段とセクシーなお出迎えだな」
 言われて、アンジェリークは自分の姿を確認した。きちんとワンピも着てるし、スカート丈もそんなに短くない。あとは…
「俺としてはあともう少し胸にボリュームが付くと…」
 パチンッ
 反射的に頬を平手打ちして、扉を閉めた。
「オスカー様ったら、相変わらずなんだから!これじゃロザリアも気が気じゃないわね」
 鍵までかけて、オスカーのノックに応えない。
 宮殿の廊下に響くノックの音は数回続いたが、開ける気がないと分かったのか、立ち去ってしまった。

「…やれやれ、機嫌を損ねてしまったか」
 オスカーは、扉の影にスノーボード一式を持ってきていた。聖地の山間部では雪が積もっていると聞いて、早速ウィンタースポーツへと出掛けるところだったのだ。
「陛下一人を誘うとジュリアス様にばれた時の言い訳に困るんだが…仕方ない。補佐官殿はこれからデートらしいからな。…人のものと分かっててちょっかい出すのは悪い癖だ。そこがまたスリルがあるんだが…」
 宮殿の廊下をボードを担いで歩く姿は、異様な雰囲気だ。休日とはいえ、人の行き交いがある為すれ違う人が皆、チラリとボードを見やる。
「…どうも視線を集める性分らしいな」
 今回は本人でなくボードなのだが、そんなこと当のオスカーにはどうでもいいことらしい。
 その時、廊下の向こう側からざわめきと女性の溜め息をBGMに長身の影が現れた。流れるような黒髪。遠くからでも抜けるように白い肌が見て取れる。サンダルでなく、靴を履いているというのに滑るように歩く姿に思わず見入ってしまう。
「…どうした?オスカー」
 闇の守護聖は、いつになく自分を見つめるオスカーに怪訝な顔をした。
「あっ、い、いえ、何でもありません」
 まさか見惚れていたなどとはいえない。
「…今日は、アンジェリークと?」
 話を逸らそうと、ついそう言ってしまう。いつもなら、不機嫌な顔で躱すクラヴィスがふと微笑した。
「…ああ。約束していたのでな」
 では…といった風に、オスカーの横を通り過ぎる。
 ふわりと百合の香りがした。
 それで初めて、クラヴィスが白百合の花束を手にしていることに気付く。
「…あなたは、変わられましたね」
 クラヴィスは、振り向くことなく静かに足を止めた。
「…そうかもしれぬ。私の時間は動き始めたからな」
 オスカーは、クラヴィスの気配が遠くなるまでその場に立ち尽くしていた。


「えーと、クラヴィス様との約束は九時だから…今、ここ出たら十分前には着くかしら」
 鏡の前で、ファーの襟に付いてる革紐を結ぶ。
「よし。完璧!」
 襟と同じ白いファーのハンドバッグに、ラベンダー色のパンプスを揃える。
「…なんか、ドキドキしてきちゃった。ほとんど毎日顔を合わせてるのに…」
 公式の場とプライベートでは、やはり接し方を変えなければならない。執務に支障が出てはならないと、主座の守護聖ジュリアスが決めたことだ。
 ピンポーン
 突然のチャイムの音。今度はオスカーではないだろう。
「はーい」
 アンジェリークは返事をして、扉を開けた。目の前に立つ長身の青年に絶句する。
「…庭園で売っていたのでな。萎れぬうちにと思い、迎えに来た」
「…クラヴィス様」
 二人きりの時にしか見せない優しい笑顔にドキリとする。
 差し出された白百合の花束より、それを持つ青年の方が数倍美しい。絹糸のような長い髪が揺れると、その次にどんな表情が現れるのかつい見つめてしまう。
「…少し早過ぎたか?」
 クラヴィスは驚いた顔のままのアンジェリークに、不思議そうに問い掛けた。
「あっ、いえ。有り難うございます。迎えに来て頂けるなんて思ってなかったから、ビックリしちゃって。百合の花も嬉しいです」
 アンジェリークは花束を抱えて嬉しそうに微笑む。
「ちょっと待ってて下さいね。お水に差さないと枯れちゃうから」
 慌てて花瓶を探し回る少女は、見ていて飽きない。思わず零れた低い笑い声に、少女は顔を上げた。
「クラヴィス様、今笑ったでしょ?ひどーい。お出掛けするのが遅くなるから、一生懸命探してるのにー」
 抗議するアンジェリークに、クラヴィスは少女の足下を指差した。
「熊のヌイグルミの後ろに隠れているのは、花瓶ではないのか?」
「え?」
 アンジェリークは、屈んで棚の奥を覗き込んだ。
「あーっ!もう、ご存じなら早く教えて下さい」
 拗ねた顔をする少女が可愛い。
 クラヴィスは、花瓶に花を生けている少女を後ろから抱き締めた。
「…すまぬ。慌てる姿が可愛らしいので、見とれていた」
 耳元で聞こえる心地好い声に思わず赤面する。
 オスカーならさらりと出てきそうな口説き文句だが、クラヴィスが言うと特別に感じる。彼の持つ雰囲気のせいか、単に贔屓目か。
 ふと彼の表情を見たくなり、顔だけ横に向けた。
 深い紫の瞳と目が合う。愛しい者を見ている眼…。濡れたような長い睫が静かに伏せられるのにつられて、少女も目を閉じた。
 唇に彼の温もりを感じて、心まで温かくなる。触れるだけのキスにドキドキして、見つめられれば赤面してしまう。初恋のような胸のときめきを、彼は与えてくれる。
 でも彼は?
 時々よぎる不安。
 立場も年も違う。
 もしかしたら、子供扱いされてるのかもしれない。
 唇が離れたあと、俯いてしまった少女にクラヴィスは優しい声を掛けた。
「どうした?」
 何かあったのか?と語り掛けるような眼…。
 長い指先が少女の頬にかかる髪を梳く。
「何でもないです。出掛けましょう。先週出来たテーマパーク。行ってみたかったんです」
 アンジェリークはいつもの笑顔で微笑む。
「…ああ、我々守護聖にプロデュースさせた不思議の国『pays de merveilles(ペイ・ド・メルヴェイユ)』か。まだ構築中のところもあるようだが、構わぬのか?」
「はい!クラヴィス様がプロデュースされたプラネタリウムに連れてって下さい」
 不思議の国『pays de merveilles(ペイ・ド・メルヴェイユ)』は、九つの空間を守護聖一人づつに任せて好きな施設を作った巨大なテーマパークである。雨の日でも施設が利用出来るように、開閉出来るドーム型の天井になっている。
 発案者は補佐官アンジェリークと女王ロザリア。
 これもまた、半年前に二人の雑談から生まれた一大プロジェクトだった。