MISTRAL

My Little Lover 1


 ピピピピッ。ピピピピッ。
 何か耳許で聞こえる。聞き覚えのある電子音。
 ピピピピッ。ピピピピッ。ピピピピッ。
 さっきよりも大きくなった音。これは…目覚し時計?
「もうっ、もうちょっと寝させてよ〜」
 アンジェリークは布団から手だけ伸ばして目覚し時計を止めた。…はずだった。
「?目覚し時計ってあんな遠くに置いたっけ?なんか遠すぎて届かない…」
 仕方なく布団から這い出すようにベッドの上の方に移動する。なんかいつもよりベッドが大きい気がする。ここって自分のベッドよね?
 ようやく目覚し時計に手が届いたアンジェリークは、アラームを止めて布団を被りなおした。
「ん?なんか違和感を感じたんだけど…気のせいかな」
 さっきアラームを止めた時って、パジャマがすごく邪魔だったような…
 数秒考えて、ガバッと布団を跳ね除ける。
「え?何で?」
 驚いて自分の手足を見る。明らかに小さくなっている。手も足も胸も背も…。
「え?え?」
 何が何だか判らない。でも確かに自分の身体は子供に戻っているのだ。
 慌ててベッドから出て、ドレッサーの鏡を覗く。鏡に映るのはやはり子供の自分。
「落ち着いて考えるのよ、アンジェリーク。昨日は何をしたっけ?」
 頭を整理して何とか落ち着こうとしているのだが、パニックになっててなかなか落ち着かない。
 プルルルル。プルルルル。
 その時、電話が鳴った。出るべきか出ないべきか…。
「…はい。アンジェリークです」
 仕方なく受話器を取ったはいいが、声が子供に戻ってはいないか気になる。
「アンジェリーク、私よ。今日はいつもより早く来て欲しいって言ったのに何をしているの?」
「あ、ロザリア。ごめんなさい。えっと、どう話したらいいのか…」
 アンジェリークはとりあえず今自分が判る状況だけ説明した。
「何ですって?アンジェリーク、今言った事ほんとのことなの?」
「うん、どうしよーロザリア。このままじゃ仕事にも行けない〜」
「…判ったわ。とりあえず服が問題ね。私の昔の服を貸してあげるわ。何故か、ばあやが私の子供の頃の服まで持って来てるんだから。あれを手直ししてもらえば何とかなると思うわ。ばあやに届けさせるから手直しして貰いなさい。仕事の件は…もういいわ。そんな姿のままで仕事をさせるわけにもいかないでしょうし。元に戻るまでは私1人でやるから、あなたは原因を究明してもらいなさい」
「ごめんなさい…ロザリア。私、子供の姿のままでも御仕事手伝うから無理しないでね」
「大丈夫よ。それじゃ、また後でね」
 ロザリアが電話の向こうで溜息を付いているのが見えるようだ。
「信じてくれたのかな、ロザリア…。身体だけ小さくなるなんてなんか落ち着かない。こんな格好じゃクラヴィス様も気付いてくれないかも。どうしようかな…」
 とりあえず、鏡の前で髪の毛だけ梳かしてみる。寝癖でふわふわの髪の毛は昨夜のまんま。長さも同じくらいなのに、身体だけ小さくなるなんて。昨日は何をしたんだっけ…。
 ピンポーン。
 玄関のチャイムが鳴って、慌ててドアの所に立つ。覗き窓から見ようとしても届かないので無理。
「あの、どなたですか?」
 扉越しに問い掛けると、ロザリアのばあやさんが小声で『私ですよ』と答えてくれた。
「はい、すぐ開けます!」
 いつもならすぐに開けられるはずのドアが開けにくい。ドアノブが顔の前にあるせいだろうか…。
「まあ、アンジェリークさん。本当に小さくなられて…」
 ロザリアのばあやさんは目を丸くして驚く。
「すぐに直しますから、少しお待ちくださいね」
 部屋に入ると、ばあやさんはメジャーを取り出してアンジェリークの背や腕の長さを計った。
「お嬢様より少し背が小さいようですが、直さなくても大丈夫のようですよ。あとは髪のセットと靴ですね」
 昔からロザリアの身の回りの世話をしていただけあって、ばあやさんは手際が良い。あっという間に着替えさせられ、髪のセットまで終わっていた。
「ばあやさん、ロザリアってこんな服を着てたの?」
 鏡の中の自分は何処から見ても貴族のお嬢様といった感じだ。白いレースがふんだんに使われたふわふわのドレス。真っ白なドレスを着たアンジェリークは天使のようだ。
「ええそうですよ。お嬢様はどこに出ても恥ずかしくないように、普段からこういう服を着ていらっしゃいました。子供の頃から礼儀正しくて聡明で…」
 ばあやさんは懐かしそうに目を細める。彼女には昔のロザリアが今も鮮明に思い出されるのだろう。
 ピンポーン。
 ばあやさんが想い出を語るのを邪魔するようにドアチャイムが鳴る。
「え?どっ、どうしよう…ばあやさん」
「私が出ますから、カーテンの陰にでも隠れておいでなさい」
 ばあやさんはそう言うと、玄関のドアの方へ歩いて行く。
「どちら様ですか?」
 扉の外の人物にとっては聴きなれない声…。
「?私だが…そなたは?」
 低い声が戸口に立つ人物を不審がっている。アンジェリークにとっては聴き慣れた声…。
「クラヴィス様?」
 どうしよう…お会いしたいけど、こんな姿だし。何で突然出勤前にこちらに寄っていらっしゃったのかしら…。
 どうしようどうしようとアンジェリークはカーテンに隠れたり、ちらっと覗いてみたりカーテンに包まってみたりしていた。
 遠くからお顔だけでも見れないかな…。
 アンジェリークは、こっそり覗こうと思ってカーテンから出てきた。
「!」
 突然目の前が真っ暗で、目を開けてるのか閉じてるのかさえ判らない。
「…アンジェリーク」
  遥か頭上からの声は、頭に乗せられた手と同時に聞こえてきた。
 アンジェリークが見上げようとすると、逆に黒い影が屈んで自分と同じ目線になる。
「本当にアンジェリークなのか?」
 クラヴィスはじっとアンジェリークを見つめる。
「はい。クラヴィス様。朝起きたら小さくなってて…。私どうしたらいいのか…」
「原因が判らぬことには、元に戻す方法も判らぬな…」
「ロザリアは、元に戻るまで仕事を休んでもいいって言ってくれてるんですけど、ロザリアにばかり無理をさせたくないので出来るだけ仕事を手伝いたいんです」
 翠の瞳を大きく見開いて、”お願い”するような顔で見つめられると否とは言えなくなってしまう。それが、白いドレスを着て金色のフワフワ髪の愛しい天使なら尚のこと。
「…仕方あるまい」
「有難うございます!クラヴィス様、大好きv」
 アンジェリークは、クラヴィスの腕にしがみついて、ニコニコ微笑む。身体が子供に戻ったことで、言動も少し子供っぽくなっているようだ。クラヴィスがどういう対応をしたらいいのか戸惑ってることにも気付かない。
「…アンジェリークさん。お迎えがいらっしゃったようですので、私は先に戻りますね」
 ばあやさんが気を利かせて部屋を出て行く。
「クラヴィス様、今日、一緒に出勤して下さいね」
 この時とばかりに甘えるアンジェリークの天使のような微笑が眩しくて、クラヴィスは思わず視線を逸らした。
「…判った」
 かくして、二人の長い一日が始まったのである。