MISTRAL

Still Love 1


 静かな闇が続いていた。
 どこまで続くのか判らない空間…。
 クラヴィスは、数歩歩いてふと立ち止まった。
「…これは夢…か」
 時折見る不可思議な夢。具体的な時もあれば抽象的な時もある。何度か見るうちに、普通の夢と違うことが判るようになった。どこがどうと言う訳ではない。敢えて言うなら空気が違うというべきか…。
「…今度は私に何を見せようというのだ」
 予知夢を見ても災厄を防ぎきることは出来ない。災いを最小限に抑えることしか出来ないことに何度も無力感を覚えた。
 軽く吐息をつき、目を細める。

「…私、今日、女王陛下のお召しがあったの。次期女王はあなたです。って…」
 クラヴィスの耳に突然少女の声が聞こえた。驚いて顔を上げると視線のずっと先。つい先程まで何もなかった空間に淡い光が点り、森が一部だけ切り取られたような形で存在していた。
 そこに、腰まである長い髪の少女と背の高い青年の姿があった。
「…こうして貴方と会えるのは今日で最後です」
 遠いのに、声だけが妙にはっきりと聞こえる。
 少女は悲しげに俯いた。明るい茶色の髪がその表情を隠す。
「そんな!女王になったら会えないなんてことある訳が…」
 少女より幾つか年上らしい男は、少女の両肩に手を掛けて声を荒らげた。
「…それが、本当なの。女王は恋愛禁止。そして、女王候補である私に陛下の命令を拒否する権利はないの」
「それじゃ、女王の幸せは?女王だって一人の人間です。しかも貴女はまだ十代。そんなことって…」
 黒髪が揺れ、眼鏡に掛かるのを気にも留めず、少女の顔を見つめる。
「もしかしたらこの先、この決まりが改定されるかもしれない。でも今の私には、恋愛を選ぶことは出来ないの。判って下さい」
「貴女はそれでいいのですか?私と会えなくなっても…」
 少女は顔を上げ、悲しそうに微笑んだ。
「…この宇宙が崩壊したら、全生命が死滅してしまう。会えなくても、貴方には生きてて欲しいから」
 切ない思いが胸を打つ。
 こうやって何人の少女が恋を諦め、玉座に座ったのだろう…。
 クラヴィスは静かに目を閉じ、二人に背を向けた。

 目を開けると、そこは執務室だった。ソファに横たわっているうちに眠り込んでいたらしい。
「…今の夢は一体…」
 過去の女王の記憶?それともこの男の方の…。
 クラヴィスは気怠げに前髪を掻き上げて立ち上がった。
 女王試験が始まって200日。
 今日明日にでもロザリアが女王に決定する。
 女王の交代。一番宇宙が不安定な時期…。
「…また、闇のサクリアが強くなっているようだ」
 自分の右手を見つめ、軽く拳を作った。
 女王交代の時期は結界が弱くなる為、負の力が増大する。9つのサクリアの均衡が僅かながら崩れるのだ。バランスを保つ為、対極する力に負荷が掛かる。闇と対を成すのは光…。
「アレが倒れぬといいが…」
 ジュリアスが聞くと卒倒しそうなことを言って、一呼吸する。
 流出しかけていたサクリアが静かに体内へと吸収されていった。
「即位の儀…か」
 無事に迎えることが出来るのだろうか…。


 土の曜日。
 大陸の視察を終えたアンジェリークは、王立研究院でロザリアの帰りを待っていた。
 フェリシアの民が中央の島まで辿り着くのにあと一歩。早ければ、今夜にも次期女王が決まるだろう。
「ロザリア、早く帰って来ないかな」
 アンジェリークは、にこにこしながら遊星盤の帰着ゲートを見ている。
「アンジェリーク」
 突然この研究院の責任者、パスハの声が聞こえて、アンジェリークは飛び上がりそうなほど驚いた。
「はっ、はいっ!」
「何かいいことがあったのか?やけに楽しそうだが」
 余りに嬉しそうにしていたので不審がられたようだ。怒られた訳ではないようで、ほっとする。
「ふふっ。内緒です」
 アンジェリークは肩を竦めて笑った。
 カチャ。
 帰着ゲートへ続く扉が開かれた。
「あっ、ロザリア。お帰りなさい!」
 大陸から帰るなりアンジェリークに飛び付かれて、ロザリアは目を丸くする。
「な、なによ。どうしたの?」
「さっきね、ロザリアの大陸の様子も見て来ちゃった」
「あ、あら、そう?」
「うん。おめでとう!あと1つで女王ね」
 満面の笑みで言うアンジェリークに、ロザリアは戸惑う。
「…あんたって、ほんとに早とちりね。今日は土の曜日でしょ?育成は出来ないんだから、守護聖様のプレゼントでもない限り、明日いきなり女王ってことはないのよ」
「あっ、そっか…」
 アンジェリークは目をパチクリさせる。言われてみればその通りだ。
「まあ、あんたらしいけど」
 溜め息を吐きながらも笑顔を返すロザリアは、アンジェリークの性格を十分把握していた。
「明日ね、ピクニック行かない?私、サンドイッチとクッキー作って行くから」
「…突然ね」
「うん。だって、さっき思い付いたんだもん」
 ロザリアは返す言葉が見付からない。
「…ちょっと出ましょう。帰りながら聞くわ」
「え?なんで?ちょっと、ロザリアってばー」
 アンジェリークはロザリアに引き摺られるようにして、王立研究院を後にした。

 王立研究院を出て小径に差し掛かった所で、ロザリアはアンジェリークを振り返った。
「…さっきの話だけど、明日って言ったわよね?クラヴィス様との約束があるんじゃなくて?」
「んーと、明日は約束してないはずなんだけど…部屋で手帳見てみないと…。あっ、もしかしてロザリアは約束があったとか…」
 ポンと手を叩いてロザリアをじっと見る。
「…個人的にお会い出来るのは、明日で最後だから」
 顔を背けて呟く様子は、寂しそうだ。
「…私が、女王試験を放棄したから…だからロザリアは…」
「勘違いしないでちょうだい。個人的に会うことはなくなるけれど、守護聖は女王に忠誠を誓っているの。つまり、ずっと側に居てくれるってこと。私にはそれで十分よ」
「ごめんなさい、ロザリア。私、自分のことしか考えてなくて…」
「その代わり、きちんと私の補佐はして貰うわよ。いつまでも頼りないあんたが補佐官っていうのは、ちょっと納得いかないけど。まあ、相談相手にくらいはなるでしょ」
 口の悪いのは相変わらずのようだ。
「…それに、貴女のお蔭でクラヴィス様が変わられた。これは良い傾向よ。あの方の笑顔なんて想像出来なかったもの」
「ロザリアー」
 アンジェリークはロザリアの首に抱き付いた。
「こら、もうっ。すぐに抱き付くのはお止めなさい。子供じゃないんだから。それより、ピクニックはどうするの?」
「あっ、そうそう。それじゃ、これから行かない?準備してる間にクッキー焼けるから。お昼はサンドイッチ買ってくればいいし。ね?」
「…そうね。判ったわ。それじゃ、1時間後に迎えに行くわ」
「うん」

豊かな緑の木々。静かに流れる水の音…。
 女王候補の二人は、森の湖へ来ていた。
「ねえ、ロザリア。その大きなバスケット何が入ってるの?」
 弁当やサンドイッチが入ってるとしたら、凄い量だ。
「何だと思う?」
「んーと…」
 アンジェリークは顎に人差し指を当てて、バスケットをじっと見つめる。
 ガサガサッ。
 バスケットの中で音がして、左右に揺れた。
「ちょっと、おとなしくなさいっ!」
 ロザリアが小声で叱る。
 バスケットの中にいるのは生き物のようだ。
「あっ、判った。カトリーヌでしょ?」
 ニャーン
 『当たりー』と言ってる様だ。
「出してあげてー」
 ”見たい見たいー“と顔に書いてあるような様子が可愛くて、ロザリアも思わず笑顔になる。
「はい、カトリーヌ」
 バスケットを開けると、白い猫が首を傾げる様にしてじっと見上げていた。
「少し大きくなったのね」
 余りに当たり前のことを言うアンジェリークに、ロザリアは呆れた顔をする。
「当然でしょ。でも、これで大人と同じ大きさよ」
「そうなの?」
 アンジェリークはバスケットの中からカトリーヌを抱き上げた。
「久し振りね。元気だった?」
 ニャーン
 まるで返事をしている様だ。
「スゴーイ。私の言葉が判るみたい」
「そりゃ、カトリーヌは賢いもの。飼い主に似るって言うでしょ?それよりどこに座るの?」
「あ、そうそう」
 カトリーヌを柔らかい草の上に下ろし、思い出した様に自分の手提げ鞄を探る。
「レジャーシート持って来たから、デコボコしてない所で食べよ」
 そう言って取り出したシートは、黄色いチェックに茶色の…。
「…なんで、シートまでテディベアなの?」
「可愛いでしょ?」
 にこにこと嬉しそうなアンジェリークに、小言を言う気も起こらない。
 このシートで、クラヴィス様とお昼を食べることもあるのだろうか…。
 そう思うと微笑ましい気分になる。
「…ちょっと、見て見たいわね」
 思わず呟いて、アンジェリークに聞き返される。
「?なに??」
「なんでもないわ」
 物怖じしないところが彼女のいい所だ。
「そう?ならいいけど。今日はね、あんまり時間なかったから、バタークッキーとチョコチップクッキーなの。今度、即位の儀が終わったらまた作ってあげるね。ディア様にお菓子のレシピたくさん教わったから」
「ええ。楽しみにしてるわ」

 女王候補の二人は、シートを拡げて思い出話に花を咲かせていた。
 初めて聖地へ行った時のこと、神様のように思っていた守護聖のこと、女王陛下と補佐官のこと…。
「ロザリア、私ね、飛空都市の中でここが一番好きなの。怖い事もあったけど、寂しい時にいつも元気にさせてくれた。ほら、あの『祈りの滝』にお願いした事もあったのよ」
 アンジェリークは、サラサラと清らかな水が流れる滝を指差した。
 強く願えば会いたい人に会えるという滝…。ただ、祈った時点で一番相性がいい人が現れる確率が高いのが玉に傷だ。
「まだ水、冷たいかな?」
 アンジェリークは立ち上がって滝の側に近付いた。
 子供っぽいと言われるが、滝の水で遊ぶのは大のお気に入りだ。
「また、あんたはそういうことを…。危ないからおよしなさいって、何度言ったら…」
「あら?」
 ロザリアが立ち上がるのと、アンジェリークが不思議そうな声を上げるのとほぼ同時だった。
「どうしたの?」
「うん。なんかね、滝の中に見えるんだけど…なにかしら?」
 アンジェリークは首を傾げてじっと滝を覗き込む。
「なんかって、何よ」
 ロザリアもアンジェリークの側に立ち、同じ場所を見る。
「…文字?記号?岩に彫ってあるのかな」
 手を伸ばそうとしたアンジェリークを、ロザリアは押し止める。
「立ち入り禁止にもなった場所なんだから、変な好奇心はお止めなさい」
「確かにそうだけど…ここって、立ち入り禁止区域じゃないでしょ?守護聖様もよくいらっしゃる場所だし。危険なものならきちんと対策をたてていらっしゃるはずだから、大丈夫よ」
 言われてみればそんな気もしてくる。
 ロザリアが思った瞬間!
「キャッ」
 岩に手を触れたアンジェリークの体が傾いだ。
「アンジェリーク!」
 ゆっくり倒れていくアンジェリークを、信じられない思いで見つめる。
「アンジェリーク!!」
 慌てて受け止め、地面への激突を免れる。
「ちょっと、しっかりなさい。アンジェリークったら」
 ロザリアが激しく揺すると、僅かに目を開けた。
「…あれは文字…みたい。触っちゃ…ダメ」
 何とかそれだけ言って、アンジェリークは意識を失った。
「もうっ、だから危ないって言ったのに、人の忠告は聞きなさい!アンジェリーク、聞いてるの?」
 何度声を掛けても、アンジェリークは目を覚まさない。横で、カトリーヌが心配そうに覗き込む。
「…人を呼んでくるわ。カトリーヌ、アンジェリークを見ててちょうだい」
 ロザリアは溢れそうになる涙を拭い、立ち上がった。