「ねえ、こんなにゆっくりしてて大丈夫なの」
ふいに聞かれて、わたしは壁のコラージュ風の額装絵から視線を戻す。午後の最後の授業が終わって買物がしたいと言う友人二人と電車で街まで戻ってきて、結局一緒に何件か店を回ったあと喫茶店でお茶を飲んでいたのだった。
「うん、まあ」曖昧に答えてやり過ごそうと思ったが、もう一人の友人がすかさず言う。
「あ、今日は彼が遅いんだ」
「なるほどね。いつもならこの時間にこんなにのんびりしてるなんてこと珍しいものねえ」
全てその通りなので、笑って肯定するしかない。
「仕事の後に、同僚の人に誘われてるんですって。そういうのはあまり好きじゃないから普段は断ってるみたいだけど、今日は親しい人と二人だから」
「女の人?」
「男のひと」
「ほんとかなあ」
ことさらに疑わしげな顔をされて、思わず吹き出してしまう。
「わたしも一、二度会ったことあるもの。面白いひとよ」
「でも、ほんとにその人とは限らないじゃない。いくら女性が少ない職場って言ったって、いないわけじゃないんでしょ。いつもと違う行動をするっていうのはね、怪しいぞ」
彼女はどうしてもわたしを疑心暗鬼にさせたいらしい。もちろんわたしだって、例えば彼が他の女性と一緒に食事しているところを目の当たりにしたりすれば、同僚だと説明されても内心穏やかではいられない、だろう。自分は結構嫉妬深い方だと思う。でも彼が相手は男性だと言えばそうなのだし、嘘かも知れないなどとは考えもしなかった。なぜと言われてもはっきり答えられないけれど、彼がそういうことでわたしに嘘をつくということ自体あり得ない気がする。
「あ、でもそろそろ。電話が入ってるかも知れないし」
時計を見てそう言うと、友人がほら心配になってきたでしょ、と勝ち誇ったように言う。敢えて否定すると更にからかわれそうなので笑ってやり過ごして席を立つ。二人もそれを機に帰ることにして、わたしたちは揃って店を出た。もう外は大分暗い。
「じゃあ、また来週ね」
駅の方向へ向かう友人達を見送ってから歩き出す。週末の街は普段より賑やかで、夕闇が濃さを増し風が冷たくなるほどに街灯や店のイルミネーションは明るく輝いて、行き交う人々の数は増えてゆく。友達とふざけ合いながら歩き過ぎる女の子達をやり過ごして、立ち並ぶ店の飾り窓を覗き込んだり新しい映画のポスターを眺めたりしてゆっくりゆっくり繁華街を抜ける。
彼が帰ってくるまでまだ間があるのは分かっているが、戻った時にそこに居て出迎えられるようにしていたいと思う。わたしが何かで遅くなったとき、彼が待っていて迎えてくれるのはとても嬉しいから。彼と一緒にいられるだけで嬉しい。彼の傍にいるわたしが他のどんな時より一番自分らしいような気がするから、どこにいても何があっても彼の元に戻るのが待ち遠しい。一緒にいられる時間があるなら、それを少しでも無駄にしたくないとも思う。友人達との時間ももちろん大切だし、他の用事の時間を削ってでもというのでは決してないが、それ以外に自分に与えられた自由な時間のありったけを使って、彼がそれを望んでくれる限り一分でも一秒でも長く傍に居たい。ちょっとくらい待たせても逃げるわけじゃないんだからなどと冷やかす友人達も、本当はそのあたりを察してくれているように感じる。大学院生とは言えこの歳になっても周りをよそに一向に浮いた話の一つもなかったわたしなので、さりげなく気遣ってくれているのかも知れないと考えるとありがたいと思う。
デパートの窓に綺麗な茶器のセットが飾られているのが眼に入って、足を止める。横に置いてある紅茶の缶が凝っていて可愛い。食器棚に買っておいたお茶はまだ切れていない筈だから大丈夫。明日は朝のうちに久しぶりにケーキを焼くのもいいかも知れない。雰囲気作りの意味なのか、隣には草色のスカーフがくるりと丸めて置いてある。彼はほとんどネクタイを締めないけれど、こんなスカーフでも似合うと思う。もっと深い、眼の色に合わせた深い緑色の。クリスマスには緑色のマフラーを編んでみようか、編み物は余り得意じゃないけどー
よく知っている匂いがふわりと鼻をかすめて、条件反射的に心臓がどきんと跳ねる。振り返るより先に、背後から伸びた腕に肩を包み込まれてしまう。仰ぎ見ると彼が頭の上から覗き込んでいた。
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