...and it takes two. scene 1 : morning tea

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朝は苦手。

血圧が低いのは朝に弱い理由にはならない、という話を聞いたことがある。医学的には両者の間には何の因果関係もないのだとか。と言われても、自分が周りからそれでよく普通に歩いてるね、と言われるほどの低血圧なのも、朝起きるのが人一倍苦手なのも事実だ。起きなければならない理由があるときはむしろ目覚まし時計よりも早く自発的に目覚めるほうなのだが、その必要がないときは一度目覚めてもついついまた寝直してしまう。もともと眠ることが好きなので、早く目覚め過ぎるとなんだか勿体ないような気がしてしまうのだ。だからといって天気のいい日に半日寝てしまったりするとああ、せっかくの一日を無駄にしてしまったとほぞを噛むことになるのだけれど。 厳密に言うと早起きが苦手というよりは、時間がどうであれ起きること自体が苦手なのだと思う。寝床の中でまどろみながら、覚醒しかけて途切れた夢の続きを見ようと丸まっているのが好きなのらしい。子供と何も変わらない、と自分でも思う。

遠くの方でかすかに物音がする。音と言うよりそれはごくぼんやりとした「何かが動く気配」というようなもので、窓の外の小鳥のさえずりや下の車道を通る車のエンジン音の方がずっとはっきりと聞こえるのに、それより遥かに静かで漠然とした人の気配を感じ取れるのは不思議な気がする。それは多分子供の頃、(朝に限らず)階下の台所で立ち働く母の動きを二階にいても無意識に感じ取っていたのと似ているかも知れない。その気配を意識するともなく意識しながら、夢と現実のはっきりしない境目を行ったり来たりして、眼を閉じたままで寝返りを打つ。 ふと、先刻からの気配がいつの間にかその特定の方向に感じられないのに気付いて、何となく不安になる。それでもまだ眼は開けない。もう一度さっきの漠とした幸福感を湛えた夢に戻れるかも知れない、という期待にじっと息をひそめて、あの危うげな世界への糸を切れないように、注意深く手繰ろうとする。その糸に指を絡めようとしたそのとき―

かちりというかすかな金属音に続いて、部屋の戸が静かに、静かに開く気配がした。自分の意識が夢の世界からスロー・モーションのようにゆるゆると降りてくるような感覚。うーん、という気の抜けた声がしてーそれが自分の声だと気付く。しばらく間があって、枕元のテーブルに何かを置くことりという微かな音。いい匂いがふわりと流れてくる。あ、この匂い、は―

目蓋の上に影が差した。ふわ、と額に触れるもの。

眼を開ける。

mornin' (6k)

「お早う」

柔らかいテノールがほとんど囁くように言う。きっとあと10センチ離れていたら聞き取れないその短い言葉は、起き抜けの耳にやさしく響く。カーテンを通して射し込む陽光に、じっと覗き込む濃い灰色の眼が緑色に透けて見える。

「おはよう」

思ったよりずっと近くに顔があったのに少し戸惑って、照れ隠しに目をこすりながら起き上がる。彼が枕元から煎れたばかりのお茶のカップをつまみ上げ、差し出す。マグ・カップなのでつまむ、という表現が当てはまるほど小さくはないのだが、持ち手をこちらに向けて手渡してくれる彼の右手の仕種にはその言葉が合うと思う。ああそう、アール・グレイも好きだけど朝はアッサムの濃いのが飲みたい、と昨日ちょっと奮発して買ってきたのだった。本当はわたしが先に入れてあげるつもりだったのだけど。

「ありがとう」

まだ少し寝惚けたまま熱くて濃いミルク・ティを飲むと、乾いた咽がゆっくりと潤っていく。熱いと言っても咽が焼けるほどではない。わたしが猫舌なのを知っていて、熱い飲物を入れるときはやや置いて冷ましてから出してくれるのに気付いたのはつい一、二週間前だった。新しい干し草(何の根拠もないのだけどいつもそう感じる)を思わせる匂いに刺激されて、ゆっくりと少しずつ五感が目覚めていくような心地よさ。少し華やかで軽く(わたしには)感じられるダージリンよりも、深みのあるアッサムのほうがミルク・ティに合っていて好き。そんなことをぼんやり考えていると、寝台の足下に腰を下ろした彼がじっとこちらを見ているのに気付く。一度気付いてしまうと、ちょっと気になる。

「あの」
「うん?」
「わたし、変な顔してる?」
「いや」
「だって、じっと見てるから」
「ああ、可愛いなと思って」

普段言葉少ななのに、いきなりこういうことを真顔で言うからどうしていいか分からなくなってしまう。仕方ないので、頬がじわりと熱くなるのを感じながらひたすら沈黙してお茶を飲む。さっき部屋に入ってきたとき、すぐに起こさずにしばらく寝台の脇に立っていた理由を聞こうかとも思ったけれども、多分その答えを聞いたらまた赤面することになるような気がして思い直す。その間も彼は頬杖をして、少し眩しそうな眼でこちらを見ている。別に沈黙したまま見られるのが気詰まりなわけではなくて(わたしなんかを見て何が楽しいのだろう、とは思うけれども)、むしろ黙っていてもすぐ傍にいてくれることが心地良いし安心できるのだが、寝起きでまだ頭がほわんとしているのもあって嬉しいのか恥ずかしいのかもすぐには決めかねて、カップを両手で包むようにして今日は休日だったっけなどと全然関係のないことを考える。

そう、お休みだから今日は一日一緒にいられるんだった。

ようやく思い至って思わず顔を上げると、彼の視線とぶつかった。まるで今考えたことに答えるように不意ににっこりされて、また頬に血が上る。普段それほど表情豊かな人ではないだけに、思いがけない時にこういう顔をされると...

朝はまだ苦手だけれど、最近早起きも素敵かも知れないと思う。


5.9.2002

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