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scene 11 : happy birthday

「今日はご馳走様、それから誕生日おめでとう。お休み」


階下へと動き始めたエレヴェータのガラス窓越しにまだ手を振っている友人達に、こちらも手を振り返して見送る。家族と離れてからは自分の誕生日も特に派手に祝っていなかったけれど、今年はたまたま週末だったし彼も準備を手伝ってくれると言うので、友人達をディナーに招ぶことにしたのだった。と言ってもごく親しい人だけに打診したので、彼の仕事先の友人一人、わたしの友人二人、そのうち一人のボーイ・フレンドと合計6人のささやかな晩餐だった。わたしの友人達と彼の同僚はほとんど初対面だったが、すぐに打ち解けて賑やかに過ごすことができたのでわたしは内心気をよくしていた。傍の彼を振り返ると、いつもの少し首を傾げて覗き込むような仕種でこちらを見ている。背が高いので、わたしの顔色を見ようとするとそうなるのだと思う。

「疲れたかな」
「ううん、料理も手伝ってもらったし、気を遣う必要もなかったから平気」

それなら雨も上がったし、洗い物は後回しにしてエルクの散歩がてら少し出てみないかという彼の提案に、二つ返事で賛成した。賑やかな数時間を過ごした後はまだ気分も高揚しているので、外を歩いて新鮮な空気を吸うのは神経を静めるためにもいいかも知れない。一度部屋に戻って、エルクに首輪と引き綱を付けてから下に降りる。まだ食事をしていた頃に降り出した雨は一時かなり激しくなったが、今はすっかり上がって頭上の雲も晴れてきている。部屋でも窓を開け放して風を入れていたけれど、外の方がずっと気持ちが良い。昼間は晴れてかなり暑かったのが、夕立のお陰で熱気もさらりと洗い流されたようだ。

「本当に涼しくなってるわ。皆が帰るまでに止んで良かった」
「そうだな」
空を見上げながら彼が言う。既に11時近くなっているのと大通りを迂回した道を選んでいるのとで、週末といってもすれ違う人もあまりない。 エルクは銀灰色の毛皮に街灯を柔らかく反射させて、まだしっとりと濡れた歩道に軽い足音を立てながらわたし達を先導してゆく。ひんやりとしてかすかに湿気を含んだ夜風が肌に心地良い。

「あの二人、結構気が合ってたみたいね」

彼は誰のことを言っているのかすぐに察して、わたしの言葉に同意した。一人で来てくれたほうのわたしの友人は、彼の友人と会うのは今日が初めてだった。特に引き合わせる意図はなかったとはいえ、二人を招待した時から何となく互いに気が合うのではないかと思っていたので、どうやらその予想が当たったようだったのが少し嬉しい。彼もその表情からすると、やはり同じように感じていたらしい。二人とも気さくで飾らない人達なので、ひょっとしたらこれをきっかけに交流が深まるかも知れない、とぼんやり考えていると、彼がいつも行く公園に続く道ではなく横に逸れる緩い坂道へとエルクを促した。わたしが僅かに戸惑ったので彼が振り向いて、

「いつもより少し遠くなるが、構わないかな」
「ええ、こっちの方ってあまり行ったことがないから、何があるのか分からないけど」

彼は少し前に帰りが遅くなって、普段利用する駅より少し遠い逆方向の駅から歩いて帰ってきた時に、たまたま行ったことのない公園を見つけたのだと言う。 わたしが最初に家族とこの町に移り住んでからもう何年にもなるが、考えてみるといつも通る道や利用する商店街のほかは案外知らない。今彼と一緒に住んでいる所は駅から見て元の家よりも多少離れた程度で、大まかに言えば同じ延長線上にあるので、生活圏にはほとんど変化がないのだ。それでも彼やエルクと一緒に散歩するようになって、初めて通った道や見つけた公園も多い。彼がこの町に住み始めたのはわたしと出会う少し前なので、住民としてはわたしのほうがずっと長いのだけれど、道を憶えるのがあまり得意ではないわたしに比べて彼は方向感覚が鋭く、一度通った道は忘れないので、今は彼の方が遥かにこの辺りの地理に明るいと思う。

今日のことや周囲の家々のことなど話しながらしばらく歩くうちに家並も途切れ、やがて緩やかにカーヴした敷石の鋪道の先に緑に囲まれた公園の入り口らしい、そう背の高くない石の門が見えてきた。その間を抜けると、目の粗い石の敷かれた歩道の両側に腰より少し上くらいの高さの潅木の茂みが数メートル続く。茂みの外側は芝生になっていて、公園というより誰かの家の前庭のようだ。雨が降ったせいか、土と緑の匂いが立ち上ってきて気持ちがいい。

「ちょっと変わった造りの公園ね」

石畳が途切れて地面が土になったところで、進行方向に続いていた茂みの列が左右に分かれ、中は想像していたよりも広いのが見て取れる。木と茂みにぐるりと取り囲まれた空間の中心に噴水があって、その周囲は芝生と花壇になっているようだ。彼が首輪から引き綱を外してやると、エルクは嬉しそうに噴水の向こう側へ走ってゆく。その後ろ姿を見ながら、彼の隣をゆっくり歩く。一定の間隔で小さな四阿が幾つか建っていて、ベンチも点在している。大人数のスポーツができる程広くはないが、芝生に座ってくつろいだりちょっとしたレクリエーションはできそうだ。広さの割には照明が少ないので、この時間だと少し寂しい感じがする。場所的に丘の上のような所にあるのと、周囲の背の高い木とその内側の茂みがかなり密生しているので、公園の外にあるはずの町や家の灯りもほとんど見えないのだ。住宅街の方から上ってきた時に黒い小山のように見えたのは、この公園の外側だったのだと今更ながら思い当たる。人家がすぐ近いとは思えない程しんと静まり返った隠れ場所のような空間に、噴水の水音だけが涼やかに響く。他には誰もいないようだった。

「何だか、ちょっと怖いみたい」

半ば本気で、半ば甘える口実にして、彼の傍に寄って腕を取る。彼はこちらを見下ろしてちょっと微笑んだだけで、そのまま黙って歩く。公園の右手は林、と言うか小さな森のようになっているらしく、そちら側は影が一層濃い。彼は四阿を一つやり過ごして森の方へ歩いていき、その入り口の少し手前で立ち止まると公園全体を見回すように、噴水の方に向き直る。その肩ごしに覗き込んだ森の奥からはかすかに水音がするので、小川か何かがあるらしい。この位置だとちょうど周囲の木と四阿の陰に照明が隠れてますます暗さが際立って、彼の腕に絡めた両腕に知らず力がこもる。その時、

「ご覧」

彼が少しこちらに屈んで、耳もとに囁くように言った。初め訳が分からず彼の横顔を見たが、その視線を追って頭上に眼を向ける。

「 ― あ」

闇に慣れ始めた眼に飛び込んできたのは、木々の梢に縁取られた暗い ― 最初は暗く見えた空間に、白く輝く無数の星。更に眼が慣れるに連れて光の弱い星も見えるようになってきて、さっきからその下を歩いてきた空には一面に星がちりばめられていたことに驚く。雨の名残りの雲が急速に晴れてゆく空にわずかに残るごく薄いヴェールのようなそれを透かして見える星は、それこそ洗われたばかりのようにきらきらと輝く。街灯の下を歩いていた時は、雲がどんどん切れてゆくのは分かっても星などほとんど見えなかったし、 もとから町中で星が綺麗に見られるなどと考えてもいなかった。もちろん山の上や本当に人里離れた所ほどではないけれど、黒々とした陰になって茂る木々にぐるりと囲まれた限られた空間に溢れるかのように強く弱く輝く星にじっと見入っていると、この静まり返った小さな公園が遠く離れた星々に向かって腕を広げて招いているようにも、公園自体がとてもとても大きくて天空に浮かぶ星も銀河も全て内包してしまっているようにも感じられて、足が地についていないような ― ついていてもいなくてもそんなことは大して重要ではないような、不思議な感覚に捕われる。

「あの明るい星は北斗七星の柄杓の柄じゃない?わたしね、子供の頃星や星座の本を見るのが好きだったの。確か柄杓の口の部分の延長線上に北極星があるんだったわ」

この程度のことなら彼もきっと知っているとは思いつつ、昔見た図鑑を思い出しながら空を指差してはしゃいでしまう。

「大熊座の尻尾のところが北斗七星なのよね。ええと、こう傾いてるから」
自分の体まで傾けて空に眼で柄杓の絵を描こうとしていると、ちょうどその柄杓の中にほろりと落ちるかのように、白い光の筋がすう、と空を横切る。子供の頃に母から聞いたお伽話の、親孝行な娘の柄杓にどこからともなく現れる宝石のように。

「今の、流れ星?見た?」隣の彼を勢いよく振り返る。

「ね、今 ― 」

「ああ、見た」

嘘だ、と思う。だって彼はさっきからずっと、空ではなくてわたしの方を見ていたから。自分の質問はただ興奮した勢いで思わず発したものだった。けれど、穏やかに笑ってこちらを見下ろす彼を見て、不意に何もかも分かってしまった。

友人達を迎える準備をしている時から、彼が何となく空模様を気にしていたのには気づいていた。 本格的に降り出した時も一、二度外の様子を窺っていたが、友人達の帰りのことを心配しているのだろう、くらいにしか思わなかったし、一応招待主はわたしなのでメニューや給仕のタイミングの方に気を取られて、それ以上深く考えもしなかった。彼はもともと安易に女性に贈り物をする人ではない(と思う)。わたし自身誕生日だからといって彼から何か特別のものを期待してはいなかったし、むしろ誕生日を彼が一緒に祝ってくれること自体が何より嬉しかった。けれど今思えば、彼は最初からわたしをここに連れてきてくれるつもりだったのだろう。今日ここで、わたしにこの星空を見せたくて、彼は空が晴れるのを待っていたのだ。

「あのね ― 」
言いかけた時、視界の片隅 ― 彼の背後の空で何かがふいと動く。

「あ、また流れ」

違う、流れ星ではない。流れ星なら一瞬で消えてしまうはずなのに、その青白い光は消えもせず、あろうことか重力にも逆らって下から上へふわりと舞い上がる。呆気に取られているわたしの視線を追って、彼も振り返る。

「蛍、だ」

そう、それは蛍だった。白い星の光よりも優しくゆるやかに輝くそれは、ふわりふわりと宙を滑って背後の森へと向かう。と、少し先の茂みからまた一つ、最初の光を迎えるようにふうっと飛立つ。かすかに流れる水音を背景に、二匹の蛍はひんやりとした闇にかすかな光の筋を残しながら戯れるように交差し上昇して、次第に奥へと移動して見えなくなった。しばらくの間、わたしたちは二匹が消えた先を黙ってじっと見つめていた。やがてどちらからともなくそっと顔を見合わせる。全く偶然に秘密の宝物を見つけてしまった子供のような気分。

「これも知ってたの?」

彼は首を振って、こんなところに蛍がいるとも思わなかったし、そもそも普通ならもうとうに季節は終わっている筈だと言う。確かに、蛍を見るにはもう遅すぎる季節なのだ。それでもわたしたちは、たった今確かに季節外れの蛍を見た。

「本当は普段でももっと長くいるけど、早いうちに隠れてしまうのかも知れないわ。わたしたちが初めてここに来たから、特別に出てきてくれたんだと思わない?蛍に歓迎されるなんてとっても贅沢」

彼は一瞬考えて口を開いた。

「いや、専門外なのでよくは分からないが、ここは水場もあるし、夜になると灯りが少なくて人も余り来ないので、却って荒らされずに蛍が繁殖できて長い時期見られるのかな。森のお陰で他のところより涼しいのかも知れない。広さの割に灯りが少ないのも、蛍のことを考えてかな」

彼はわたしには過ぎる人だと思うし、不満に感じることなど何もないとは言え、一つだけ少し困ったことは職業のせいかもともとの性格か、日常の何でもないことでも片端から科学的論理的に考察しようとする癖だと思う。もう少し情緒的に考えても罰は当たらないと思う、と言おうとした時、茂みに飛び込んだり噴水の水と戯れたりして満足したのかエルクが戻ってきたので、何となくタイミングを逃してしまう。

「少し座らない?」

わたしたちは一番近い四阿に行ってみた。雨で濡れているかも知れないと思ったが、風がなかったためか中はほとんど乾いていたので、多角形の外縁に沿って据え付けられたベンチに並んで座る。エルクが四阿の周囲を回ったり、森の入り口で何か探してみたりしている間に、わたしは中からまた蛍が見えないかと闇に目を凝らしたり、さっき中断した星図作成に再度挑んだりする。 時々吹き過ぎる風が涼しくて心地良い。ふと、さっきの彼のささやかな嘘が気になる。普段適当に話を合わせたり当たり障りのない返答をしたりしないひとだからかも知れない。

「ね」
「うん?」
「さっき、本当は流れ星を見てなかったでしょ」
「いや、見たよ」
「だって、空を見てなかったわ。ずっとわたしの方を見てたもの」
「ああ」
「じゃあ、わたしと流れ星を一遍には見られないわ」

彼でなくてもこれは至極論理的な帰結だと思うのだが、彼は表情を変えずに言う。

「確かに僕は空ではなく君を見ていたから、星と星を一心に繋いでいた君の顔に不意に驚きの表情が浮かんで、目が輝いたのが分かった。肉眼で星空を眺めていて急な変化がある時と言えば流れ星か人工衛星の通過か、ごく稀に超新星の爆発というのがあるが、さすがに滅多にはないだろうし、一瞬何かに驚いて、直ぐにそれが何かを理解して歓声を上げるのは流星だろう。だから君が北斗七星の星図を描いていた最中に、柄杓の口の辺りに星が流れたのが僕にも見えた ― も同じだ。僕は実際見たと思ったから、そのまま答えた」

聞いてみれば確かに尤もな推測ではある。一瞬納得しかけたが、

「でも、やっぱりそれじゃ」

見たことにはならない、と言おうとしてはたと気づく。北斗七星を探していたのは分かったとして、なぜ「柄杓の口」の辺りに星が流れたと分かるのだろう。どこに、とはわたしは一言も言っていない。それを指摘しようとして口を開きかけ、また躊躇する。普段から彼は、わたしがぼんやり考えていることについて不意に話し始めたり、ふと心に浮かんだ疑問を口にする前に答えを言ってくれたり、時々わたしの考えが読めるのではないかと思うほど的確に先回りすることがよくある。そう言うと彼は笑って、君は表情が豊かだからある程度感情が見て取れるのと、君ならこれを見てあれを連想するだろうと想像できるので、それが合っているか確認してみるのだと言う。初めの頃はそれでも不思議だったし、自分はそんなに単純で分かりやすい人間ということだろうかと思ったりもしたけれど、一緒に暮らしているうちにわたし自身いつの間にか、彼が表情にはあまり出さない感情を自然と感じとり、彼ならきっとこういうときはこう考えるだろうかとある程度推測できるようになった。彼がわたしと出会う以前のことや印象に残ったものの話をすれば、彼ならこんなふうに感じたろうか、彼の話し振りからするとこんなものを見たのだろうか、と自分もまるでその時の彼と一緒にその場面を体験し、彼の見たものを目の前に見ているような心境になる。

are you afraid of the dark? (7k) 彼はすぐ傍で、星空を見てはしゃぐわたしをずっと静かに見ていた。驚かせようと密かに考えていたプレゼントにわたしが大喜びしたのを嬉しく思いながら、見守ってくれていたのだと思う。もともと注意力の鋭いひとだから、穴の空くほど観察していなくともわたしが目的の星座を見つけて、柄杓の柄の端から口に向けて星と星を繋いでゆく眼の動きも追っていたのだろう。もしかするとわたし自身意識せずに、星の位置に合わせて首の角度を微妙に変えていたかも知れない。だから直接空を見ていない彼の頭の中にもそれに従って星座が描かれたし、その最後の一つの星を繋ごうと視線を動かした時にちょうどその場所に星が流れたときも(わたしの反応から流れ星だなと判断するのも一瞬のことだろう)、わたしの目を通してほとんど同時にそれを見たのと変わりなかったので、彼は「見た」と答えたのだろう。もちろん、彼とは育った場所も環境も違うわたしが、彼の話を聞いて頭に描く状況が必ずしも実際とは一致しないのに似て、彼がわたしの眼を通して見る空は実際にわたしが見たそれとは微妙に違うのかも知れない。それでも彼がそんなふうにわたしに気を配ってくれていて、直接目にしたわけではないものも見たと感じてくれるほどわたしの感情の近くに居てくれることが嬉しい。

問いかけようとした質問に自分で答えを出してしまったが、ここまで到達するのもわたしは彼と違って一瞬ではできないので、しばしその場で彼の顔を見つめたまま突っ立っていることになる。それに気づいて、さっき言いかけた反論からどう繋げたものかと思案していると、彼がにこりと笑って言う。

「そろそろ戻ろうか」
「そうね」

釣られて微笑む。彼のことだから多分、わたしがそれなりの経緯を辿って納得したのを察してくれたろうと解釈して、あえて説明するのは止めにする。四阿を出ると待つまでもなくエルクが合流して、わたしたちは公園の入り口へ向かって、もうすっかり晴れ渡った星空を見上げながらゆっくり戻り始める。最後にもう一度森の方も見てみたが、もう蛍は見えない。またここに来たいと言うと、彼は次は昼間に来てみようかと聞く。

「そうね...でも、やっぱり夜がいいかしら。空が晴れていればまた星が見られるし」
「君が怖くないなら、それでも構わないが」彼はちらりとこちらに視線を走らせて言う。
「...だって、さっきは何があるか分からなくて、ちょっと気味が悪かったんだもの」

確かに最初は少し無気味なところだと思っていたのに、満天の星を眺めたり蛍を見たりしているうちにすっかりここが気に入って、暗いからこそ何か不思議にわくわくするような気がしていた。けれど彼は真面目な顔をして、

「君は想像力があり過ぎるんだろうな。暗闇はただ単に視界が利き難いというだけの話で場所自体には何も影響しないんだが、想像力が豊かだと黒という色の心理効果で色々とそこにはないものを連想してしまう。初めて訪れた馴染みのない場所だから余計に想像力が働くのもあるかな」
「そんなに怖がってたわけじゃないわ」

そう抗議してから、彼の表情でわたしをからかってわざとそんなことを言い出したのに気づいて、何か反撃する言葉はないかと探す。がうまく思い付かないので、とりあえず話題を変えることにする。

「それに、夜なら蛍だってまた見られるかも知れないわ。ね、さっきの蛍も恋人同士かも知れないと思わない?わざわざ迎えに出てきたりして、仲良さそうだったもの」

「いや、あれは二匹とも光っていたから両方雄だ。光るのは雌を引き付けて交尾するためで」 すかさず彼が訂正する。

「もう、分かっててもこういう時は『そうだね』って話を合わせるの。あなたってもう少し物事をロマンティックに考えてもいいと思うわ」

さらりと流されるかと思ったが、彼は不意に立ち止まって考え込むような表情になる。

「そうか、僕はロマンティックじゃないかな」
「そうよ、仕事中以外はもっと柔軟に、想像力を働かせたって文句は言われないでしょ」
また何か切り返されるのではないかと内心構えながら、少し怒った振りをして言う。

「厳密に言えば、仕事でも全く想像力が要らないわけではないんだが...それはともかく君の助言を入れて、取り敢えず僕もロマンティックへの第一歩として暗闇の心理効果の影響を受けてみようか」

「え」

どういう意味なのか問い返そうとして顔を上げかけたが、その前に肩を大きな手で抱きすくめられて、こちらへ体を屈めた彼にふわりと唇を塞がれる。

*

あまりに唐突だったのと少しぼうっとしたのとで彼が体を起こしても言葉が出ないまま突っ立っていると、落ち着き払って彼が言う。

「暗闇には恐怖や圧迫感というマイナスの心理効果の他に、状況に依ってはロマンティックな気分になるというプラスの効果もある。柔軟というのも実践してみたんだがどうかな」

何か言い返そうと口を開きかけたけれど、その前に吹き出してしまう。彼も笑い出す。再び歩き出して、さっき入ってきた小道を通って門に向かう。夜の静寂の世界から普段の住み慣れた町に戻る短い通路。彼がプレゼントしてくれたのは昔読んだお伽話に出てくるような、見慣れた日常から不思議で神秘的で心踊るような世界に通じる秘密の通り道なのかも知れない、とちょっと思う。そして多分、その秘密の小道に通じる鍵は彼が居てくれなければ開けられないのだろう。昼間は他より少し緑が濃い程度で何の変哲もない小さな公園なのかも知れないこの場所も、人気のない夜に彼と一緒に訪ねたなら、いつでもとびきりロマンティックな空間に変わってくれるのだろうか。そんなことを考えながら、住宅街へと通じる石畳の道を彼と並んで歩く。

「帰って洗い物を済ませたら、お茶を入れるわね」
「ああ」
「ね」
「ん?」
「ありがとう」

彼が振り向いて、微笑む。

「誕生日おめでとう」

happy birthday to my dear uncle, who happens to have his birthday today.
and happy birthday to you all who has just read this little story, whenever your birthday is.
-- leanne



21.9.2003

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