『身体の夢〜ダンスの後に残るもの』「いま、物理学はたいへんな時代に入っている。かつてはSFの範疇と思われていたような考えが、理論的に、ひょっとすると実験的にも、ありうると見なされるようになってきた。余剰次元という新しい概念が発見されると、素粒子物理学者、天体物理学者、宇宙論研究者の世界の見方はがらりと変わり、もはや従来の考えには戻れなくなっている。」(リサ・ランドール/理論物理学者 『ワープする宇宙』2005) 今井賢一は『情報技術と経済文化』(NTT出版 2002)のなかで次のようにいっていた。 「空海が現代に生き返ったら、どのような行動をとるであろうか。空海は若いころに仏教の心髄をもとめて唐に行っている。日本の当時の状況において唐に渡るということは、現代において宇宙船に乗るような冒険であったに違いない」。 私は、この本で、どれほど空海がしたような冒険を書くことができただろうか。考えれば考えるほど、私が書いたのは冒険ではなく、冒険のための準備だった気がしてくる。私が170才まで生きるために必要と書いた「私の分身」はまだ手に入っていない。私が探している人たちにもまだ出会っていない。私の冒険は、私が探している人たちと共に、そして「私の分身」と共にはじまることになっているからだ。だから、現在の私は、この本を書き終わったからといってのんびりと休んでいるわけにはいかない。新しい声が、私が住むマンションの二階の部屋の窓から聞こえてきて、道路を見降ろすとそこに新しい人が私を迎えにきて立っているかも知れないからだ。その人こそ、私が一番必要としている情報を届けてくれるに違いないのだ。 TOP HOME |