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Visions of the Body, Appearance after Dance

『身体の夢〜ダンスの後に残るもの』

【15】

福原 哲郎




 「いま、物理学はたいへんな時代に入っている。かつてはSFの範疇と思われていたような考えが、理論的に、ひょっとすると実験的にも、ありうると見なされるようになってきた。余剰次元という新しい概念が発見されると、素粒子物理学者、天体物理学者、宇宙論研究者の世界の見方はがらりと変わり、もはや従来の考えには戻れなくなっている。」(リサ・ランドール/理論物理学者 『ワープする宇宙』2005)

■目次

[序]  動物たちの記憶を辿る旅
【1】【2】
第1章 『新しい知〜身体と環境は一体という思想』
【3】【4】【5】
第2章 『身体知の情報化〜新しい科学の言葉で語るという課題』
【6】【7】
第3章 『宇宙視点から地球を見ると』
【8】【9】
第4章 『進化の夢〜分身創造』
【10】【11】【12】
第5章 『スペースミュージアム』
【13】【14】
第6章 『芸術の新しい役割』
【16】
第7章 『経済を生み出す新しい文化〜身体・家具・家・都市・コミュニケーション』
【17】 【18】
第8章 『「大家族」という生き方』
【19】 【20】
[おわりに]
【21】


第6章 『芸術の新しい役割』

第1節 ダンスの新しい出発

 『スペースダンス・イン・ザ・チューブ』で重要な役割を果たすのは、ダンサーである。それは、ダンサーが「身体の専門家」の一人として社会的に評価され、身体知を先行して担う者であるなら、身体知の情報化のためにもっとも近い位置に立っているからである。ダンサーとは、日々身体技術を鍛え、少し身体を浮かすことを覚えて、日常ではできない「姿勢の創造〜フォルムの形成」を行っているのだ。

 この、少し身体を浮かすことの中で培われる身体知に、
 情報社会・高齢社会・宇宙時代を迎えた今日においては特別の価値がある。
 しかし、この身体知は、これまで社会化されたことはなく、
 ダンスという狭い芸術世界の中で秘密のまま放置されてきた。


 しかし、ダンサーは、自分が培ってきた身体知の情報化の意志をもつかぎり、二〇世紀前半のバウハウス時代の建築家と同様に、新しい職能をひらき、社会的存在として活躍できる可能性が出てきた。身体知を担う者たちの重要性は、私たちの時代においては格段に増加するからである。「姿勢」の創造や調整が人びとの毎日のテーマになれば、それを日々やっているダンサーは世界中の人びとに結びつき、ダンスの効用が生活の中で注目される。  したがって、このような時にも、20世紀のアートシステムに対する反省もなく、「ダンサーとは舞台上でふつうの人びとができない美しい動きをつくり出せる人」とだけ解釈し、これまでと同様にダンサーとふつうの人びと(観客)を差別化していれば、人間同士を比較しているだけでつまらない。それよりも、「ダンサーとは、生物の進化史を動きを通して追想し、それを根拠に新しい姿勢の創造に挑戦する人。未来の身体への予感を率先して開拓する人」と解釈していけば、それはふつうの人びとにも役立つことで、新しい広がりを見せる。これからは、ダンスの用途を限定することは、ダンスをつまらないものにすることになる。

 当然、アートとしてのダンスの歴史にも、他のアートと同様、否定と創造のばけしい繰り返しだった。古典舞踊があり、近代舞踊があり、モダンダンスがあり、舞踏があり、若者たちのヒップホップやストリートダンスがあり、コンテンポラリーダンスがある。しかし、これから登場する新しいダンスとはどんなものか? 現在のダンスの無風状態のような時代には、保守回帰の現象も起きる。しかし、それが次の時代の開幕を知らせるダンスなら、これまでにないビジョンを内包し、世界が直面する課題に対しても何らかの有効な提案をもっているはずである。
 そして、アートの社会化に向う場合にも、アートの中身が古いままなら、それは掛け声だけで、新しい社会創造のための道具にはならない。中身を新しくすることと、社会への新しい登場の仕方を工夫することが重要である。
 そして、中身を新しくする場合には、劇場を出て社会のなかに入り、ダンサーが得意なはずの身体問題で困っている分野とのコラボレーションを成功させる必要がある。教育・健康・福祉・表現・環境・宇宙のテーマとして、デザインや建築の分野ではむろんのこと、宇宙開発も、生体改造も、ロボット開発も、仮想空間開発も、高齢者文化開発も、身体がわからなくなって困っていくのが事実だとすれば、チャンスはいくらでもある。そこでコラボレーションを成功させれば、自然に社会創造のためのアートとしての「新しい中身」を獲得し、新しいダンスへのきっかけをつかめる。
 もちろん、その成果を劇場でどのように表現するかは、コラボレーション自体が作品ではない以上、かつてのバウハウスのような表現上の大改革が必要になるだろう。しかし、このような改革以上に楽しい作業はない。まだ誰もやっていない仕事であり、アーティストとして本望であるからだ。それをクリアーできるならば、中身も衣装も新しくして、まったく新しい顔をもつ者として時代の表舞台に颯爽として登場できるのだ。

 あなたは、「私=記憶」を掘り出して、積み上げる。
 あなたは、「私=物語」を決定して、見えるものにする。
 あなたは、「私=作品」を加工して、飾りたてる。
 あなたは、「私=イス」をデザインして、出荷する。
 「あなた=形」は、「私=心」を運ぶ舟。
 「私=心」がどう願うかで、「あなた=形」は変わる。
 「あなた=形」はきゅうくつで、でも「私=心」にはやわらかい。


 20世紀のダンスにも多くの才能が現れた。ニジンスキーやイサドラダンカンのように、新しいダンスの草創期であるがゆえに特有の栄光と悲惨に包まれた者たちもいれば、永遠の舞姫マヤ・プリセツカヤの系譜もあり、トレシャブラウンのように特異な実験的ダンスで現在まで生き抜いてきた者もいる。ウィリアム・フォーサイスのように20世紀ダンスを総括したと評価される裳の、シルヴィー・ギエムのように超技巧派の系譜や、ピナ・バウシュのように演劇の要素をうまくダンスにミックスさせ世界中の多くの観客を魅了した者もいる。
 21世紀に期待される新しいダンスは、このような20世紀ダンスの延長線上に現れるのだろうか? あるいはまったく別で、まったく予想もしなかった方角から現れるのか?
 日本のダンスシーンでは、私の認識では、舞踏においては土方巽がその栄光と挫折を一身に担った観がある。土方巽と大野一雄による舞踏の出発当初には、三島由紀夫が舞踏を絶賛し、稲垣足穂が「そんなものはやらなくてもわかる」といっていた。日本のニジンスキーといわれた笠井叡。パリ発で舞踏を世界市場に乗せた山海塾。新しい舞踏の勅使河原三郎。103歳まで生き延び世界中の観客から賞賛された大野一雄。これらの才能たちの仕事は何を意味し、新しい時代をひらくためのどんな言葉を残しているのか?
 舞踏の第二世代以降として、舞踏を忠実に受け継ぐ者たちもいれば、私のように準備ばかりをやってきた者もいる。しかし、なぜいまも海外で流通する舞踏も肝心の国内では衰退し、それ以降の若手ダンサーたちが何となく舞踏家とコンテンポラリーダンサーを兼ねてしまうような曖昧なことになったのか。このような曖昧な現象を欧米の批評は評価しない。その原因の一つは、国内のダンス批評の弱さにある。しかし、とてもそれだけの理由ではない。
 1989年に私との公開トークで評論家・吉本隆明は、「舞踏の身体は、古事記的な日本の原初の身体にまでは届いていない」と語った。国内での舞踏衰退の原因について、この外部からの舞踏批評がすべてを語っている。死の直前の土方巽も、それまでの取り巻きから離れて新しい自己の再生を意図したが、成功しなかった。それはなぜか? それは、吉本が指摘した通りであり、舞踏の身体は、そのスタイルの主張が強すぎ、それが禍いしたのであり、原初の身体からのリターンの回路を失い、欧米化してすっかり変質した日本の若い世代の身体に自己を接木できなかったのである。そして、最後に、舞踏を含めた世界のダンス全体に「それでいいの? ダンスの後に何も生まれていなくても、むなしくないの?」という不思議な霊感を囁いたのが荒川修作である。
 いずれにしても、それが新しいダンスを開くダンスや作品であるというなら、舞台上の効果だけではなく、その内部には解決の見通しが立たなかった世界の複雑なテーマに対する「ひとつの解」が詰まっているはずである。そのようなテーマをカオスとして内部に取り込み、誰にもまねができない形式で「ひとつの解」を先駆的に打ち出す作業が、アーティストとしての本来の仕事であるからだ。


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