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Visions of the Body, Appearance after Dance

『身体の夢〜ダンスの後に残るもの』

【16】

福原 哲郎




 「いま、物理学はたいへんな時代に入っている。かつてはSFの範疇と思われていたような考えが、理論的に、ひょっとすると実験的にも、ありうると見なされるようになってきた。余剰次元という新しい概念が発見されると、素粒子物理学者、天体物理学者、宇宙論研究者の世界の見方はがらりと変わり、もはや従来の考えには戻れなくなっている。」(リサ・ランドール/理論物理学者 『ワープする宇宙』2005)

■目次

[序]  動物たちの記憶を辿る旅
【1】【2】
第1章 『新しい知〜身体と環境は一体という思想』
【3】【4】【5】
第2章 『身体知の情報化〜新しい科学の言葉で語るという課題』
【6】【7】
第3章 『宇宙視点から地球を見ると』
【8】【9】
第4章 『進化の夢〜分身創造』
【10】【11】【12】
第5章 『スペースミュージアム』
【13】【14】
第6章 『芸術の新しい役割』
【15】
第7章 『経済を生み出す新しい文化〜身体・家具・家・都市・コミュニケーション』
【17】 【18】
第8章 『「大家族」という生き方』
【19】 【20】
[おわりに]
【21】


第2節 宗教・芸術・科学の新しい融合と新しい境界

 『宇宙の扉をノックする』(NHK出版 2011)の著者リサ・ランドールは、振付家エリザベス・ストレブの「物理学者が提案している微少な次元というのは、想像もできないほど小さな大きさに巻き上げられているとのことですが、それでも私たちの体の動きに影響を与えられるのでしょうか?」という質問に対して、次のように書いている。エリザベス・ストレブの質問そのものは、新しい次元が存在するならばそれは振り付けにも影響を与えるのではないかという関心からのものだった。

 「新しい別の次元が存在するとしても、それにどんな役割があるのかは物理学者も確定できていない。確定できないのは、その次元が小さすぎて、あるいはワープしすぎていて、人間には検出できないからだ。物理現象に対する余剰次元の影響がきわめて大きいものだったら、誰の目にもはっきりと影響を及ぼすだろう。もしそのような重大な影響力があるなら、私たちはすでにその効果を観測しているはずである。したがって、量子力学の理解が進んだとしても、振り付けの基本はなんら変わらないといっていい」。

 リサ・ランドールはいま世界でもっとも注目されている物理学者の一人であり、私のこの本も彼女から大きな恩恵を受けているのであるが、この回答の仕方には、さすがにリサ・ランドールにも物理学者ゆえの限界が現れているように思う。
 というのも、物理学者も含め、人間が現在までのところもち得る最大の「秤」をもってしても検出できないからといって、余剰次元が物理現象に影響を与えていないとは断定できないからである。実際に、余剰次元が物理現象に影響を与えており、或いは影響を与えるだけではなく物理現象自体に余剰次元が入り込んでいるという場合でさえ、単に人間がもつ「秤」がまだ追いついていないだけかも知れないからだ。「秤」の精度は今後もますます増すだろうから、この世界で今後何が発見されることになるのか、誰にも見当がつかない。つまり、「秤」の精度が増せば、その影響の度合いが測定され、人間はその事実にそれこそ腰をぬかすほど驚くことになるかも知れないからだ。
 また、リサ・ランドールは、ブラックホールが生じて地球に甚大な被害が及ぶことを心配してLHC(大型ハドロン衝突型加速器)の稼動を阻止しようとして裁判をおこした法律家で元・原子力保安検査官のウォルター・ワグナーや、著書によりLHCの稼動に反対した弁護士ハリー・V・レーマンに対して、次のように書いている。

 「結論をいえば、ブラックホールはなんら危険を及ぼさない。しかし万が一のときのために、もしもLHCで地球を食い尽くすようなブラックホールが生じたら、私が全責任を負うと約束しよう」。

 リサ・ランドールがLHCが地球を危険にさらすようなブラックホールを誕生させるようなことはないと説く根拠は、LHCが小さなブラックホールを誕生させる可能性があることは認めた上で、「小さなブラックホールが、大きなブラックホールになることはない。また、小さなブラックホールは、ありふれた他の不安定な重い粒子とそう変わらないふるまいをするはずで、そのような短命の粒子と同様に、たちどころに崩壊するに違いない」という、いずれも量子力学の上に立った推論によるものである。しかし、量子力学の創始者ニールス・ボーアも「量子力学を理解することとは、混乱を引き受けること」との趣旨をいっているように、またリサ・ランドール自身が余剰次元という新しい理論の提案者であるように、量子力学も今後も発展が期待される過渡期の理論として考えていった方がいいのではないのか。とすれば、そのような過渡期の理論を根拠にして「LHCは、絶対に安全」と宣言していいのだろうか。また、最悪の事態が生じた場合を想定して彼女に全責任をもつと約束されても、一人の物理学者にすぎない彼女に一体何が期待できるのだろうか。崩壊してしまった地球を再生させる方法を知っているわけではないのだから、それこそ無責任だということになってしまう。
 つまり、リサ・ランドールは、このような局面ではムリをしているように私には思える。なぜ、このようなムリをする必要があるのか。このような仕事も本当に彼女の仕事なのか? それこそ、それは政治の仕事ではないのか?
 科学者は、「あれも大丈夫、これも大丈夫」と、世間に対して安全性を保証する役目は降りた方がいい。それは科学者の役目ではなく、かえって科学者の役目とは逆に「いかなる場合にも、危険は想定される」と宣言しておくことではないか。そして、政治家の役目も同様に、「ウソの安全性」を保証することではなく、危険を承知の上で政策を進めることしかありえない。政治家であれば、科学者のように安全性を妄信することはなく、もっと冷静に対処できるはずだ。当然、LHCに無視できない危険を及ぼす可能性があると判断される事態が出てきた場合には、その可能性が除去されるまでは稼動は中断されることになる。


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