『身体の夢〜ダンスの後に残るもの』「いま、物理学はたいへんな時代に入っている。かつてはSFの範疇と思われていたような考えが、理論的に、ひょっとすると実験的にも、ありうると見なされるようになってきた。余剰次元という新しい概念が発見されると、素粒子物理学者、天体物理学者、宇宙論研究者の世界の見方はがらりと変わり、もはや従来の考えには戻れなくなっている。」(リサ・ランドール/理論物理学者 『ワープする宇宙』2005) アパロスや「ネット上の分身」が実現され、人間生活を支援するようになると、人間の歴史には存在しなかったまったく新しい生活がはじまることになる。 複数のアパロスを連結すれば、モノの世界でも新しいネットワークが形成され、モノもまた人間の分身として親しい存在になり、人間はモノとの間で新しい会話をはじめることになる。モノが人間の分身なら、人間はこれまでと同じ感覚でモノを乱開発し、粗末に捨てることはできない。 たとえば、人は誰でも少年や少女時代などのふるさとの家の懐かしい思い出をもっているだろう。しかし、この時懐かしく家を覚えているのは人間であり、ふるさとの家が人間を覚えているわけではない。それが、ふるさとの家の方でも人間を覚えていて、この家を訪ねた時に「久し振り。こんにちは」などと返事をしたりすると、どうなるだろう? 人間にだけ脳という記憶装置があるのではなく、ふるさとの家も独自に記憶装置をもち自立して存在していることになる。 同じく、ふだん使っている私たちのイスが人間のことを覚えているとしたら。そして、「今日のあなたの姿勢は少し変ですよ・・・」などと、イスの側でも私たちの姿勢に配慮してくれていることを知ったら、それを発見した瞬間から私たちの家具に対する態度は一変するだろう。 あるいは、1985年に垂直尾翼を破損して山に墜落した日航ジャンボジェット機の場合、パイロットには機体の損傷部分がわからず、最後までなす術もなかった。しかし、このような記憶を宿すアパロスロボットたちのネットワークとして機体が接続されていれば、パイロットはその記憶作用により機体の状況を把握でき、それが機体のいずれの部分の損傷によるものかをリアルタイムで把握でき、何らかの有効な対策を講じることができたかも知れない。機体はパイロットの身体に接続するものとして身体化されており、パイロットは同じ身体の傷として感覚的にその「痛み」を認識できたからである。 さらに、「ネット上の分身」を使用すれば、たとえば私と家族が火星と地球ほどの遠方に離れている場合にも、私は家族と現実に対面しているように、時間も距離も光速度で超え、リアルタイムに家族と接触できるかもしれない。私の分身と家族の分身が、火星でも地球でも任意の地点で自由に出会うことができ、その出会いが私と家族にも瞬時に共有され、新しいコミュニケーションのあり方を実現してしまうかも知れない。宇宙のどこかに死者たちの世界が異次元世界として漂っているとすれば、私の分身はその世界にも侵入できるかもしれない。 もちろん、現在の技術開発レベルでは、このような期待がすぐに実現されることはない。しかし、初歩的なものでも、あるいは擬似的形態でも、その第一歩が現実のシステムとして稼動をはじめると、それは素晴らしいことになる。ヒナ型であっても、それが現実に機能すれば、私たちはモノの世界や電脳世界における「心」や知能発生の現場を日常的に目撃できることになる。想像していただけの世界とその第一歩が実現された世界とでは、その差は、分子生物学の台頭の時のように、決定的である。その第一歩の実現により、新しい感覚が目覚め、人間の認識は大幅な変化をはじめる。 いま私たち人間が思考の障害になる点を最大限に取り除くことができたとしたら、新しい宇宙文化開発を含めた私たちの「進化の夢」について、どこまで思い描くことができるだろうか。「進化の夢」こそ、人間の想像力が最大に試される対象である。 私はここで、「進化の夢」を、将来の私であるイカイと、火星に住む私の恋人エレナを想定し、この二人が担う『ヒト宇宙化計画』として、次のように描き、思考の冒険に挑戦してみることにした。 【仮説1】 姿勢は文化創造の母胎である。 生物は、その「姿勢」に応じた文化を創造する。ヒトの脳に記憶として貯蔵され、ヒトの身体の動きに刻印された魚・両生類・鳥・サル等の「姿勢の進化史〜地球の記憶」をたどることで、私たちはヒトの未来についてイメージできる。それは、ヒトが、追想しつつ前方に向って進む存在だからである。 【仮説2】 ヒトは、二足歩行を確立することで、他の動物とは異なり明確に言葉を喋るようになり、道具を発明し、やがて「イス」を発明し、「坐る」という新しい姿勢を確立した。ヒトの文化の開花は「イスの発明」から爆発的にはじまった。次のステップとして、ヒトは、「新しい身体」を分身として使用し、ゼロ重力と1重力の間を自由に往来することで、どんな「新しい姿勢」を創造し、どんな「新しいイス」を発明することになるのか。この発明がヒトの「進化のストーリー」を決定する。 【準備1】 イカイのグループは、「生身の身体+リアル世界の分身+ネット上の分身+宇宙に送る分身」の組合せによる「新しい身体」を開発する。 「新しい身体」は、最初にイカイがエレナに出会うための乗り物になり、次に「新しい姿勢」を創造するための道具になり、最後に宇宙人種を構成する触媒になる。 ●生身の身体 必要な遺伝子操作・人工身体化・脳の改造を日常的に行い、生身の身体を改造する。 ●リアル世界の分身 アパロスを開発し、リアル生活のパートナーとする。 ●ネット上の分身 ネット上のロボットを開発し、電脳空間を身体化して、スペーストンネルをつくる。 ●宇宙に送る分身 アパロスとネット上のロボットを合成し、火星のエレナに会いに行く。 以上のような「新しい身体」は、それ自体は進化ではない。新しい環境に対処するための準備にすぎない。新しい環境に対処するためには、新しい経験をもってするしかない。遺伝子にも脳にも、この新しい経験は書き込まれていない。この新しい経験が進化の内容をつくるのである。 【準備2】 ●イカイは、地上につくられたスペースチューブと呼ばれる空間装置による人工重力場で、ゼロ重力と1重力の間を自由に往来する宇宙ダンス(姿勢構築訓練)と、新しい自己としての「私」を育成する訓練を学んだ。 ●イカイの宇宙ダンスは高度なレベルに達し、姿勢構築の多様さと美しさは素晴らしいものになった。回転するコマと同じで、イカイの身体は高速で回転し、外見上は静止して見える。そのために宇宙環境に置かれても、ふつうの人間のように脳を昏睡させたり身体を劣化させたりはしない。 ●同様に、イカイは、新しい自己としての「私」を育成したことで、現実と仮想の分別能力を高め、仮想の効果的な利用方法と、記憶の回復と増幅の方法をマスターした。それにより、さらに「私」を鍛えることができるようになり、つねに最良の「私」を出力できるようになった。イカイの「私」は、もう迷わない。 以上で、火星のエレナに会いに行くためのイカイの準備は終了した。 イカイは、エレナと共に、次のことを「ヒト宇宙化計画」として行う。 ●エレナに地球問題の理解を求める。 ●エレナが抱える火星問題を理解する。 ●エレナと共に、「新しい姿勢」と「新しいイス」をつくり、地球問題と火星問題を解決する。 ●エレナと家族になり、宇宙人種を育てる。 ●宇宙人種による「大きな家族」を形成し、宇宙の果てへの旅をはじめる。 エレナは火星住民である。火星住民は地球住民の移動により誕生した。火星住民は三分の一の重力という環境をうまく利用し、大きく進歩した。しかし、火星住民は地球住民の間で延々と続く憎悪と争いという愚かさに我慢できず、脳を改造して地球住民の子孫としての歴史に終止符をうち、地球住民と絶縁した。しかし、その独立は失敗した。自らのルーツを絶てば、環境からの逆襲に会う。そのため、火星住民は身体を希薄化させ、存在自体が半ば夢と化し、このままでは消滅する運命にある。しかし、エレナはまだ火星住民としての自分に希望が残されていることを知っている。それが、イカイとの合体である。 一方、イカイは、地球で「新しい身体」の稼動をめざしたが、地球の女との合体では「新しい身体」から宇宙人種を誕生させることができなかった。そのため、地球問題も解決できなかった。その後、それは病んでしまった地球では不可能であったこと、そのためには地球文化の矛盾を知り尽くす純粋な存在が必要であること、それが火星に住むエレナであることを理解した。 2125年春、イカイは火星に出発し、エレナに会った。 ●火星で出会ったイカイとエレナは、「新しい身体」を使って宇宙ダンスを試み、生命の進化史を追想して二人のそれぞれの動物の系譜につながり、遺伝子の二重ラセンの一対のように美しく高速に回転し、合体し、その合体の状態から地球住民とも火星住民とも異なる「新しい姿勢」を創造した。そして、「新しい姿勢」により、宇宙人種としての最初の知性を誕生させた。さらに、人びとに「新しい姿勢」を提供するために「新しいイス」をつくった。 ●「新しいイス」により、地球住民も「新しい姿勢」を体験し、「新しい文化」を開発した。その結果、進出可能な宇宙への多様な方向を発見し、国家間のエゴイズムを氷解させ、地球環境を修復し、地球問題を解決した。 ●「新しいイス」により、火星住民もふたたび身体を実体化させ、夢から醒め、地球住民とはまた異なる宇宙への進出の方向を見出した。火星住民は一段と栄えはじめ、火星問題を解決した。 ●イカイとエレナの合体から、宇宙人種の最初の子供が誕生し、二人はその親になった。 ヒト宇宙化計画とは、地球住民と火星住民が自己の反省の果てに依託した両者の総意であり、イカイとエレナの合体による宇宙人種こそ、「ポスト人間」の名に値する存在である。イカイとエレナは、宇宙人種として「大きな家族」をつくり、宇宙の果てへの旅を開始する。 ●「私」が「私」の衣装を替えるとき、つまり死んで生まれ変わるとき、「私」の記憶を保存するのは「私」の外部としての「私」の「分身」である。「私」が新しく目覚めるとき、「分身」は知覚しているので、「どこから再出発したらいいか」を「私」に教えてくれる。 ●「分身」は、宇宙のあらゆる場所に存在できる。「分身」とは、身体の客体化として「心」により外化され成長していく「もう一人の私」のことである。「分身」を連結していけば、「私」が「全宇宙の旅に乗り出すための船」をつくれる。 以上のような『進化の夢』で、現在の地球問題と、今後において必ず生じると予想される宇宙問題を克服するためのプランをつくれるだろうか? 人類最初の5分間の宇宙遊泳を体験し、多くの哲学的思索を残したNASAの宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートは、「宇宙に進出する人間」について次のように書いていた。 「死の環境でしかなかった大気圏外の宇宙空間に、人間という生物が進出していく。我々の宇宙飛行はその前段階なのだ。やがて、宇宙に定住することを選んだ人間たちのコミュニティができ、それがふくれあがる。人間は種としての再生産をはじめる。その結果、生まれてくる人間は、地球環境と宇宙環境の違いから新しい種とならざるを得ない。宇宙に進出した人間は、過酷な環境のなかで鍛えられ、よりつよい種として発展していくだろう。しかし、その進出の仕方に問題がある。人間同士が、核兵器をもち、軍隊をもち、戦争し合いながら進出していくという可能性もある。地球上でくり広げてきた愚行を宇宙規模に拡大するという形での宇宙進出だ。それは、これからどういう宇宙政策がとられるかに大きくかかわっている」。(立花隆『宇宙から帰還』中央公論社 1983) 地球文化のあり方が現在のままで進むなら、ラッセル・シュワイカートが心配する事態はまさに的中することになるだろう。現状では、アメリカ・ロシア・中国が宇宙の軍拡競争を本格化させても、誰も止めることができない。人工衛星も軍事利用が重要な任務であり、核攻撃のシナリオは、人工衛星を使用し、宇宙・大気圏・地上・海を舞台として描かれている。アメリカの国家宇宙政策は、内外から宇宙の戦場化をまねく危険が大きいと批判されているにもかかわらず、修正されていない。 「宇宙世紀」を舞台にした『機動戦士ガンダム/ユニコーン』の著者・福井春敏は、ガンダムについて「ガンダムは、カルチャーに成り得るほどの世界の重みをもっている。宇宙世紀を舞台にした作品は、ガンダムが物事を解決しない。つまり、個人の力では世界は動かない、という世界の重たさ、歴史の重たさというものをもっている」といっていた。『機動戦士ガンダム』も、宇宙移民と地球住民による葛藤の物語であり、その舞台も宇宙世紀である。当然、その決着はついていない。どんな決着になるのかは誰も知らない。それは、これから人間がどのように振舞うか、そのあり方がその決着に反映されるからである。 私も、「人間の身体の動きを読み解く」ことから物語を掘り起こし、地球文化を克服して宇宙文化を形成できるための条件について考え、『進化の夢』を発展させていく。 宇宙人種が誕生する場合にも、私は、宇宙人種が私たち人間が宇宙にもちこむ知性と技術とは無関係に誕生し、宇宙人種が感じる深刻な悩みに対しても何ひとつ関与できないとするならば、結局のところ、人間の宇宙に対する努力も無力に終る、と考える。 なぜなら、人間の知性と技術が宇宙に対しても有効であるなら、必ず宇宙人種の誕生にも技術的に関与して何らかの影響を及ぼすはずだからであり、宇宙人種が人類の科学技術の申し子ではないとしても、少なくとも地上から宇宙に進出するヒトの延長か或いはその混合によるもので、現在の私たちと密接な関係を保つはずだからである。私は、宇宙人種との間に、そのような親しい関係が存在して欲しいと思う。 私が描く『進化の夢』では、イカイとエレナの合体により誕生する宇宙人種は人間の知性と技術の賜物であると共に、仮にラッセル・シュワイカートが心配するような地球の愚行を宇宙にもちこむ国家が混じっていても、少しも困らない。宇宙は広大であり、イカイたちが進出する方向は彼らには秘密であり、進出する方向が違うからである。仮に遭遇しても、両者が存在する空間が文化度の相違により次元を異にするため、直接に触れ合うことはない。そこにはどんな戦争も成立しない。それは、たとえば、四次元世界では通用する武器が五次元世界では通用しないようなものである。つまり、宇宙に進出した者たちは、その文化度の相違による異なった空間の次元を生き、それぞれ別の場所で栄え、或いは滅びるだけである。そして、イカイたちを含め、自分たちの愚かさに気づいた者は、何度でも「出発地点」からやり直すことができる。 しかし、まさにこのような冒険の繰り返しから、宇宙に進出した人間たちは鍛えられ、進出した場所を新しい定住の地にすることができる。さらには、新しい定住の地を獲得した者たち同士の間で新しいコミュニティを誕生させていく。それぞれがまったく離れた宇宙に住んでいても、同じ宇宙人種としては共通の「新しい種」であり、そこには共感し合うものがあ。この共感を通して、彼らは宇宙大の大きな家族の一員になることができる。 TOP HOME |