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Visions of the Body, Appearance after Dance

『身体の夢〜ダンスの後に残るもの』

【10】

福原 哲郎




 「いま、物理学はたいへんな時代に入っている。かつてはSFの範疇と思われていたような考えが、理論的に、ひょっとすると実験的にも、ありうると見なされるようになってきた。余剰次元という新しい概念が発見されると、素粒子物理学者、天体物理学者、宇宙論研究者の世界の見方はがらりと変わり、もはや従来の考えには戻れなくなっている。」(リサ・ランドール/理論物理学者 『ワープする宇宙』2005)

■目次

[序]  動物たちの記憶を辿る旅
【1】【2】
第1章 『新しい知〜身体と環境は一体という思想』
【3】【4】【5】
第2章 『身体知の情報化〜新しい科学の言葉で語るという課題』
【6】【7】
第3章 『宇宙視点から地球を見ると』
【8】【9】
第4章 『進化の夢〜分身創造』
【11】【12】
第5章 『スペースミュージアム』
【13】【14】
第6章 『芸術の新しい役割』
【15】【16】
第7章 『経済を生み出す新しい文化〜身体・家具・家・都市・コミュニケーション』
【17】 【18】
第8章 『「大家族」という生き方』
【19】 【20】
[おわりに]
【21】


第4章 『進化の夢〜分身創造』

第1節 新しい身体をつくる

 私は、新しい知のマップを得るために、次のミッションを掲げ、必要なかぎりのテクノロジーを使用し、「新しい身体」を開発していく。そして、この「新しい身体」の被験者はそれを言い出した私である。本人でなければ、その有効性はほんとうのところはわからないと考えるからである。また、自分でその責任を負いたいからである。
ミッション

 新しい環境を生き抜くために、「新しい身体」を開発する。「新しい身体」を、生身の身体と、リアル世界の分身と、ネット上の分身と、宇宙に送る分身の四つの要素によって構成する。生身の身体も最先端医療で改造していくため、四つの要素の関係は複雑なものになる。しかし、それでも、関係を整理し、「新しい身体」を育て、環境を変化させ、コミュニケーションを工夫し、夢を鍛え、宇宙の果てへの旅に乗り出していく。私の死後に、私は消滅したのではなく、宇宙のどこかに旅に出ていると信頼する友人たちによって確信されるならば、このミッションは成功している。私は、宇宙のどこにいても、つぎつぎに新しい姿をして、友人たちと交信をつづけることができる。

1 分身の新しい定義

 分身とは何か。分身とは、一人の人間の「別け身」であり、昔から、「あなたは私の分身のような気がする」とか、「これは私の分身だから触らないで」などの表現で、その思いが恋人や人形やモノに託されて大事にされてきた言葉である。
 私は、ここで、私と「X」との間に「双方向の協調関係」が成立している時に、「Xは私の分身である」と定義する。協調関係とは、両者の間で関係が一方通行ではなく、双方向ということである。双方向という点は、わかっているようで、難しい。
 たとえば、使い慣れた道具とそれを使用する私との間には協調関係が存在し、その道具は私の分身だろうか? 道具は熟練すれば人間の意のままに動くので、これまでは道具にも分身という言葉を与えてきたかもしれない。メルロ・ポンティが指摘する盲人にとっての杖も、手の拡張として、盲人の側からは協調関係が存在する。熟練した大工にとってのカンナも、カンナが大工の意図を汲んで見事に働いてくれるので、カンナは大工の分身だったかもしれない。しかし、ここでは、それでは不足であると考えていく。杖やカンナの側からの協調関係が確認できないからである。
 人間と機械・モノ・ロボット・人工身体・他者との関係において、今後、どこまでが道具の範囲で、どこからが分身として定義するのがふさわしいのか。人間同士の関係でも、「彼はXを自分の出世の道具として使い用がすめば捨ててしまう冷たい奴だ」とか、「彼とXとの関係は親密な分身関係のようで怪しい」とか表現する。愛し合う男女では、お互いが分身同士で、その究極の姿は「一心同体」と表現される。たとえば、クローン人間が登場すれば、それだけでクローン人間は彼の分身だろうか。人工網膜の場合はどうか。コンタクトレンズは使用者の分身か。入れ歯はどうか。第1章であげたチンパンジー・ディブの例では、遺伝子を継承するディブはその研究者の分身なのか。
 このような問題では、両者の間に「双方向の協調関係」が存在するかどうかがチェックポイントである。私が開発したい「リアル世界の分身=心をもつロボット」の場合も、私とロボットの間に協調関係が存在するという時、それは私の側からの協調関係だけではなく、ロボットの側からの協調関係も必要とする。前者だけで後者が成立していなくても、道具や人工物の世界では問題がなかった。相手は「何も言わない存在」で、人間の側の感情移入だけで不問にふすことができたからだ。しかし、「リアル世界の分身=心をもつロボット」の場合は、後者の存在を証明できることが最大の要件になるのである。

 ロボット工学は進んでいるので、脳科学や遺伝子工学の成果も取り入れ、近いうちに人間とそっくりのロボットも登場することになるだろう。世間ではいま、筑波大学・山海研究室による脳と直結したロボットスーツ、「ATR+ホンダ」による以心伝心ロボット、シカゴ・リハビリセンターによる義手ロボットなどが最先端ロボットとして注目されている。しかし、いずれも、ロボット操作に必要な信号を人間の筋電流や脳波として一方的に利用するたけで、人間とロボット間に協調関係は存在しない。そのため、人間の身体をやわらかく支援するロボットを開発することはできない。
 たしかに、それらのロボットで、身体能力を超える力を求める者たちや、身体損傷などに悩む者たちなどに恩恵をもたらすことはできる。しかし、人間との間に協調関係を持たないロボットは、人間に対して力を一方的に行使するだけで、同時に必要になる他の動作には対応できないし、そのときの人間の意向を汲んで動作を修正することもできず、人間の分身的存在としては育たない。そして、分身的存在として育たなければ、今後の世界にとって重要になる人間とロボットの共存関係が実現されず、これまで危惧されてきたさまざまな問題が生じる可能性がある。ロボットはいつでも間違った方向に利用され、戦場でも無数のロボット兵士が登場してしまう。それは、アイザック・アシモフによるロボット三原則にみられる通り、SFが繰り返し描いてきた悪夢である。ロボットが人間に危害を加えたり、人間の利害と反する形でロボットが自らの世界を形成するというものである。
 もし、実際にロボット兵士が活躍するようになれば、戦争反対の最大の理由だった「人命尊重」の精神が麻痺をはじめる。ロボット兵士同士が戦う戦争であれば、当面は人命が保たれるため、すべての戦争もOKになってしまう。それでは大変なことになる。
 ATRの川人光男もすでに「こうした技術は軍事利用もできる。社会のルール作りが不可欠で、議論の場となる研究会を発足させた」と述べている。兵士ロボットの登場や、人間と同等の能力をもつようになるロボットが人間に悪利用される場合の弊害も含め、開発と使用にあたっての基準をいまから考えておく必要があるというわけである。筑波大学・山海教授の場合は、アメリカ国防総省から兵士ロボットの共同開発を打診され、断っているという。しかしアメリカ国防総省が山海研究室のロボットスーツを参考に独自開発に乗り出すことも間違いないだろう。

 私は、このような状況を変えたいのである。
 そのためには、ロボットは人間の分身的存在である必要がある。分身の関係にあれば、お互いの「痛み」がわかる。決定的な「愛着」も生まれる。人間がロボットを単なるモノとして扱ったり、飽きたら捨てるとか、武器として使用するとか、そのような功利的な対応はできなくなる。それは何よりも、人間の側から、自分の身体の延長という感覚が生まれるからである。誰もが、それも自分の身体であれば、それを痛めたいとは思わない。
 したがって、ロボットを分身的存在として育てるためには、人間の利益だけを考えるのではなく、ロボットに対する愛が必要になる。ロボットが人間のために役立ってくれることは素晴らしいが、人間もロボットの役に立つ必要がある。人間が自分の利益しか考えないロボットとの関係ならば、ロボットが人間と同等の心をもつようになるかぎり、SFが描くようにやがてロボットは人間に反乱を企てる。ロボットには人間を愛する理由が見つからないからである。
 それでは、人間がロボットの役にも立てるようにするには、人間はロボットについてどう考え、具体的にどうつくったらいいのか? 漫画家・浦沢直樹は手塚治を原作とする『プルートウ』(小学館 2007)のなかで、お茶の水博士に対するアトムを生んだ天馬博士の言葉として、次のように言わせている。

 「あなたは電子頭脳について何もわかっていない。挫折・・・。強い憎悪・・・。人を殺すかも知れない強い憎悪こそが、電子頭脳を育てるのだ。間違う頭脳こそ完璧なんだ。そのとき、誕生するのだ。地上最大のロボットが」。

 果たして、このような逆説的な方法が、期待されるロボット開発に有効なのかどうか。『プルートウ』では、人間とロボット間の高度な心理戦が展開されている。しかし、その方法の是非を問う問いが現実味を帯びるためにも、まずはその前提となる「心をもつロボット」が実現される必要がある。『プルートウ』ではロボットの「心」をいかに強化するかが語られていても、その「心」をいかにロボットに実現するかについては何も語られていない。ロボットが「心」をもつようになる契機とは、一体どのようなものか?


2 心をもつロボットをつくる

 人間の分身として、人間をやわらかく支援できるロボット。いま世間でもっとも期待されているロボット。科学技術における偉大なブレークスルーを記録することになる協調型ロボットは、いまだ世の中に登場していない。私は、このようなロボットを、スペースチューブ体験における身体とスペースチューブとの一体感覚を応用し、「リアル世界の分身=アパロス・ロボット(以下アパロスと呼称)」として開発したい。

ミッション

 私は、アパロスにより、170歳まで生きる。

開発コンセプト

 人間とロボットの間に「双方向の協調関係」が存在するようにするために、私は脳科学者・谷淳(理化学研究所脳科学総合研究センター)の研究を参照する。
 谷の研究では、たとえばジョイスティックを使用したプログラムの場合、プログラムが最初に学習した円軌道に対して、ユーザーがジョイスティックで楕円軌道を描くと、ジョイスティックは抵抗しつつもやがて八の字の軌道を描くようになる。谷は「そのときジョイスティックを握っている人間は何ともいえない面白い感触を味わうことができる。そのぐりぐりとした抵抗感は、ジョイスティックのなかの円の記憶が壊れて八の字になる状態なのである」と述べている。この試みは、これまでの知能ロボット開発とは様相が違い、プログラマーがロボットに搭載した初期プログラムはユーザーに対して支配的ではなく、ロボットがユーザーについて学習し、自己のプログラムを変更するという新しいあり方のさきがけをなしている。
 私が求めるものも、このように、プログラマーが仕込んだ「初期情報群」の書き換えを可能にするプログラムである。ロボットに「初期情報群」として搭載する内容は、この意味でどんなものでもいい。問題は、その情報群に対するユーザーによる入力を内部に取り込み、゜現在の情報群」として書き換えていく能力である。「現在の情報群」として存在できることだけが「学習」の証しになる。それは人間の場合も同様で、「学習」とは自分にとり未知な情報を取り入れ、自分が変化していくことだからである。ロボットが知能を獲得し、ロボットとしての「心」を宿す場合にも、その「心」とは次々と「現在の情報群」として自己を更新していく学習状態の内部において発生する、ロボットの脳における時系列的な出来事のはずである。私たちは、このような「学習」を可能にするプログラムをアパロス・プログラムと命名して開発する。

開発コンセプト

 「舞踏家である私の創造的活動に必要なアパロス」を対象とする。私とアパロスとの関係は、双方向的で、アパロスが私に役立ち、私がアパロスに役立つ。両者の関係は、「私〜親。アパロス〜子」として、擬似的な親子関係として進行する。私とアパロスとは分身同士であり、「一心同体」である。

 ●アパロスは、次の点で私に役立つ。
 @アパロスにより、私は私が舞踏家として培った身体技術を蓄積できる。
 Aアパロスにより、私は、老人になっても、動作支援や記憶回復の支援を受けられ、170歳まで生きられる。
 Bアパロスに人工脳を搭載し、私がもった一生のすべての記憶を貯蔵することで、170歳以後も、アパロスを「分身」として、私が復活できる。

 ●私は、次の点でアパロスに役立つ。
 @アパロスには、アパロスを分身として育てたい私が必要。
 Aアパロスには、成長のために、日々の教育係として私が必要。
 Bアパロスには、ロボットとしての自立を保証し、「親」として支援する私が必要。

開発思想

 スペースチューブ体験では、体験者の身体の動きがスペースチューブの形状を決定するため、体験者と空間の関係が 一体的である。したがって、この即応の関係を「身体・空間モデル」として情報化し、表現する。そして、この「身体・空間モデル」にアパロス・プログラムを搭載し、次のようにアパロスを開発する。

 【ステップ1】「私のダンスA-Z」をアパロスに学習させ、記憶させ、アパロスに「再現」させる。
 【ステップ2】私が健康やその日の気分などにより「私のダンスA-Z」をトークダウンさせてしまうとき、その不足分を、アパロスの「記憶系A-Z」から引用し、アパロスに「支援」させる。
 【ステップ3】「記憶系A-Z」を刺激し、「未知の私のダンス」をアパロスに「開発」させる。

 以上の手順により、私は、アパロスが再現・支援・開発の能力を発揮するたびに、アパロスに驚異と親しみを感じ、アパロスとさらに親密な関係に入る。アパロスは、私による評価を唯一の食物として成長し、再現・支援・開発の能力の精度を増していく。

心をもつロボットの誕生

 アパロスは、「私の反応を取り入れて動作する構造」をもち、プログラムを自ら書き換え、私との間に相互配慮の形式を流通させるという意味において、「心をもつロボット」の第一号である。
 これまでのロボットには、ロボットが人間に力を行使する際の、人間の身体が無意識に発揮する「外部からの強制力に対する反発」を調整する能力が存在しなかった。そのため、ロボットによる力の行使は人間には一方通行として感じられ、しかもロボットを使用していないときの人間の正常な能力まで攪乱してしまい、人間の側に本能的な違和感をひき起こしていた。この点が、現在でも介護ロボットが世間に普及しないことの最大の理由である。
 しかし、アパロスは、私の反発力を融和し、違和感を解消できる。これが、人間の反応を内部に取り込み創発的に変化するロボットの新しいあり方であり、その社会的意義は大きい。アパロスにより、次世代型の科学技術誕生のシーンを演出できる。これで、人間が抱くロボットに対する消極的感情を大幅に緩和できるのである。      


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