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Visions of the Body, Appearance after Dance

『身体の夢〜ダンスの後に残るもの』

【18】

福原 哲郎




 「いま、物理学はたいへんな時代に入っている。かつてはSFの範疇と思われていたような考えが、理論的に、ひょっとすると実験的にも、ありうると見なされるようになってきた。余剰次元という新しい概念が発見されると、素粒子物理学者、天体物理学者、宇宙論研究者の世界の見方はがらりと変わり、もはや従来の考えには戻れなくなっている。」(リサ・ランドール/理論物理学者 『ワープする宇宙』2005)

■目次

[序]  動物たちの記憶を辿る旅
【1】【2】
第1章 『新しい知〜身体と環境は一体という思想』
【3】【4】【5】
第2章 『身体知の情報化〜新しい科学の言葉で語るという課題』
【6】【7】
第3章 『宇宙視点から地球を見ると』
【8】【9】
第4章 『進化の夢〜分身創造』
【10】【11】【12】
第5章 『スペースミュージアム』
【13】【14】
第6章 『芸術の新しい役割』
【15】【16】
第7章 『経済を生み出す新しい文化〜身体・家具・家・都市・コミュニケーション』
【17】
第8章 『「大家族」という生き方』
【19】 【20】
[おわりに]
【21】


3 家

 竹山聖は、日本のユニークな建築家の一人であり、『独身者の住まい』をテーマとして扱っている。ここでは、竹山がめざす家とスペースチューブの組合せにより出来上がる家を、仮に『竹山式&スペースチューブの家』と名づけ、この家がもつ可能性について述べてみたい。
 まず、竹山は、『しあわせなデザイン』(求龍堂 2004)のなかで、これから起きるべき住環境の変化について次のように述べている。

 「女性というのは家の付属物と考えられていた。子どもの部屋はあるけれど母の部屋はない。女性が社会との接点をもった時に新しい形態が生まれるはずです。家で仕事をしたり、家の一部がショップになっていたり、ギャラリーになっていたりというようなことがこれからは起きてくるのでは。いままで「n + LDK」を支えていたのは、社会と接するのは父親だけ、それ以外は家族という形にパッケージされて社会とは接触しないでよろしいという考えでした」。

 また、竹山が世界の大都市における「一人住まい」の全体に対して占める割合について統計データを調べたところ、東京では40パーセントを超え、パリでは50パーセントを超え、ニューヨークは60パーセント、スウェーデンでは国全体として40パーセントを超えているとのことで、次のように述べている。

 「一人住まいの割合は、大都市ほど、文明が進むほど高くなる。スウェーデンのように社会保障がきわめていきわたった社会が築かれたときに、人はひょっとすると一人で生きるという道を選ぶ可能性が高い。そんな仮説が成り立つのではないかと思います」。

 また、身体を解放させる装置としての風呂に注目し、次のように述べている。

 「建築の基本は身体。身体にもどって身体の快楽ということを考えた時に行き着くのは、お風呂。お湯につかってどういう風景を見てどんな気分になるかということを考えると、お風呂というものは、身体をリラックスさせて、歴史に通用する普遍的な空間ではないか」。

 さらに、現代の居住空間が人間の創造性の確保にとって重要な非日常的要素を欠いてきた点について触れ、次のような趣旨を述べている。

 「洞窟住居のバランスに驚く、洞窟の入り口付近で人間は生活し、その奥には広大な迷路が広がっている。そこには多くの動物の絵が描かれ、さまざまな儀式がなされ、昔の人類はそこで文化をつくった。彼らも、食べて寝るだけではまったく満足しなかった。たしかに料理も立派な文化だが、食べて寝る以外のことを彼らがやってきたから今日の文明があると感じる。遊びの部分、ゆとりの部分、快楽の部分をとった方が本来の人間の生き方であり、将来の人類の文明を進めるための大きな契機になる」。

 竹山は、風呂は「ハダカになることで人間が非日常を取り戻せる場」として役立つのではといい、家のスタジオ化を含めたさまざまな提案をしているが、このような竹山がつくる家とスペースチューブを組み合わせることで、竹山の『独身者の住まい』の提案が理想に近いかたちで実現されるのではないか。スペースチューブが、ここでいわれる洞窟の奥に広がる空間や迷路の役割を果たせるからだ。
 竹山は最後に「ただ間違っても、一人の住まいというものを孤立した住まいやワンルームマンションみたいなものにしちゃいけない。個としての空間を持ちながら、それが他の世界とつながっていくような空間のつくり方をしないといけない」とも述べているが、スペースチューブはまさに自己に新しい視点から対面できる空間であると共に、同時に少しだけ新しくなった自分が同様に少しだけ新しくなった他者と出会える空間でもある。

4 都市

 私にとっては、たぶん私が日本人であるという点に大きく関係している気がするが、イスタンブールという大都市は世界の他の大都市とも違い、何か特別な魅力をもっている。それは、誰もがよく知るように現在もなおイスタンブールが東西文化の大合流地点である地位を守っている点も魅力として大きいが、同時にまた現在のイスタンブールが、経済的な豊かさと貧しさを同居させているという点にもよっているように思える。  イスタンブールの街を少し歩けばすぐに気づくように、イスタンブールは多くの急勾配の坂道によってできた街であり、いたるところに上と下をつなぐ階段があふれている。そして、私が特別に好きなガラタタワーの近くの坂道には、古代にできた階段と、中世にできた階段と、近世にできた階段と、最近できたばかりの階段の5つの階段が、何と並行して走っている。近くに住む住人の話しによると、古い階段を整備する資金が市にないためにこんなことになったという。私は何と羨ましいことかと思った。次から次と新しいものにつくり変え、昔の面影を残さない日本とはまったく違うからである。そのせいか、イスタンブールの街を歩いている時と東京の街を歩いている時では、私が違った人間になっている。イスタンブールでは、私が思い出したいと願っている事柄を集中して思い出せる気がして、私はたびたび立ち止まる。じっとして立っていたくなるのだ。東京では残念ながらその逆で、用事を済ますことが目的で、そのような回想への欲望がつよく喚起されることはあまりない。このような差は、どこから出てくるのだろうか?

5 コミュニケーション

 ネット空間における新しいコミュニケーションのあり方を追及している梅田望夫は、齋藤孝との対談『私塾のすすめ』(ちくま新書 2008)のなかで次のように述べている。

 「ある志向性をもった大人が、自分はこういう関心をもった人間なんだよ、ということをウェブ上に立ち上げて広く示していく。科学でも、数学でも、文学でも。そういう志向性の共同体がネット上にたくさんできたら、子どもでも、本当に自分の関心のあることをやっている大人の人たちの参加することができる。ネットでまずつながり、そしてリアルに発展していく。誰もがネット上で、志向性を同じくする若い人を集めて私塾を開くことができる。それはウェブ時代たる現代ならではの素晴らしい可能性だ」。


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