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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

   HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 の 』。

 

 

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メ ニュー (目次)。  

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)          

□     ● 五十音順 ( あいうえお順)。

□ 見出し語 のか

□ 見出し語 のさ

□ 見出し語 のな

□ 見出し語 のら

 

 

 のう   濃州。

             (のうしゅう、じょうしゅう)。《旧地域名》。

          (= 美濃 国(みの のくに)の別称)。

          (≒ 概ね、現・岐阜県南部の相

          当地域)。

             NOSHU AREA.

          (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の旧国(令制

           国)の別称)。

                    (⇒ 美濃 国)。

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

                           濃州 (のうしゅう、じょうしゅう、=

              (みの のくに)の別称)  は、 東山

              道(とうさんどう)・旧広域地方に属し、 

              概ね、現・中部地方の、現在の岐阜県南

             部に相当する地域 である。

             ■ 濃州 (のうしゅう、じょうしゅう)は、  

             律令制定後・古代・中世・近世日本・旧

             地域名の、旧国(令制国)正式名の、

             美濃 国 (みの のくに)の別称である。

 

〇 のう   能州。

             (のうしゅう)。《旧地域名》。

          (= 能登(のと のくに)の別称)。

          (≒ 概ね、現・石川県北部(能

          登半島)の相当地域)。

          NOSHU AREA.

          (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の

           旧国(令制国)の別称)。

                    (⇒ 能登)。    

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

                          ■ 能州 (のうしゅう= 能登 国(のと のく

             に)の別称)  は、 北陸道(ほくり くどう)・

             旧広域地方に属し、 概ね、現・中部地方

             の、現在の石川県北部(能登半島)に相当

             する地域 である。

             ■ 能州 (のうしゅう)は、 律令制定後・

             古代・中世・近世日本・旧地域名の、旧国

             名(令制国)正式名の、能登 国 (のと の

             くに)の 別称である。

 

 のう   農地改革

             (のうちかいかく) 。

          (1945年ー1950年)。

 

 のう   濃姫

             (のうひめ)。 《人名》。

          (= 帰蝶(きちょう)、お濃(おのう)) 。

            (⇒ 織田信長)。

             (1535年ー没年不詳)。

           ○ 濃姫は、織田信長の正

           室夫人である。

           ○ 濃姫は、美濃 国の戦国大

                      名・斎藤道三(利政)の娘で

          ある。

              ■ 濃姫 (のうひめ 、= 帰蝶(きちょう)、

              1535年ー没年不詳)は、 美濃国(み

              ののくに、岐阜県南部の相当地域)の

                戦国大名斎藤道 三(利政)(さいとうど

               うさん(としまさ))の 娘であり、 尾張国

              の戦国大名・織田信長の正室夫人であ

              る。

              ■ 明智光秀の出自 には諸説があるが、

              明智光秀の父が、美濃国の、明智光綱

              (あけちみつつな)であるならば、

              濃姫(のうひめ 、= 帰蝶(きちょう)は、

              明智光秀の 従兄妹(いとこ)である。

 

#noka

 

○ のき   軒猿。

              (のきざる)。

             (= 忍者、忍びの者、らっぱ、

           すっぱ、草(くさ)) 。

          (⇒ 忍者

              ■ 軒猿 (のきざる)とは、忍者で

              あり、他に、忍者の別称には、すっ

             ぱ、忍びの者(しのびのもの)、草

             (くさ) 、らっぱ などがある。

             ■ 忍者は、 情報の収集を主な

             任務とし、時には、雇い主の指示

             でで、敵地の撹乱(かくらん)や暗

             殺なども行った。

 

○ のぎ    乃木 希典

              (のぎ まれすけ)。

           (1849年ー1912年)。

           ○ 日露戦争時の旅順攻略

           の司令官。

 

#nosa

 

 のと   能登 国。 

              (のと のくに)。

           (旧国(令制国))。 《旧地域名》。

          (= 能州(のうしゅう))。 

           (≒ 概ね、現・石川県北部の相

          当地域)。

             NOTO PROVINCE.

           (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の

           旧国(令制国)の正式名)。

                    (⇒ 能州(のうしゅう))。

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

          ■ 能登 国。

             <北陸道・旧広域地方。

             <五畿七道 (ごきしちどう、日本本土)。

          (⇒ 北陸道・旧広域地方)。

                   (⇒ 五畿七道)。

                          ■ (RWM) 日本の、中地域名の変遷。

             ● 国造・県主分国⇒ 旧国(令制国)

              ⇒ 旧都道府県⇒ 現47都道府県。

             ■ 能登 国 (のと のくに、= 能州) は、

             概ね、現・ 中部地方の、現在の石川県北

             部(能登半島)に相当する地域であり、前

             近代日本の、旧国(令制国)である。

           (⇒ 中部地方)。

                   (⇒ 都道府県)。

             ■ 能登 国 (= 能州)は、 五畿七道(ご

             きしちどう)の北陸道(ほくりくどう)・旧広

             域地方に属する。

             ■ 能登 国 (= 能州)は、 約68旧国(令

             制国)の1つであり、 北陸道(ほくりくどう)・

             旧広域地方の1国である。

             ■ 能州 (のうしゅう)は、  律令制定後・

             古代・中世・近世日本・旧地域名の、旧国

             名(令制国)正式名の、能登 国 (のと の

             くに)の 別称である。

             ■ 能登 国 (のと のくに)は、 律令制

             定後・古代・中世・近世日本・旧地域名の、

             旧国(令制国)の正式名である

             ■ 旧国(令制国)(きゅうこく(りょうせい

             こく))は、 前近代日本の、飛鳥白鳳時代

             末期から江戸時代まで、 紀元(後)701

             年頃から1868年頃まで、 日本で使用さ

             れた地方行政区分の地域名である。

                      ■ 越州 (えっしゅう) や 三越 (さ

             んえつ) は、 越国 (こしのくに、@ 

             越後 国、 A 越中 国、 C 能登国、

             D 加賀 国、 B 越前 国) であり、

             現在の @ 新潟県本土、 A 富山

             県、 C 石川県北部、 D 石川県南

             部、 B 福井県北部 の相当地域を

             指す名称である。        

                    C 能登 国 (のと のくに) や 

             D 加賀 国(かが のくに)は、 B 越

             前 国より分立された。

 

#nona

 

〇 のぶ  野武士

             (のぶし)。 《民衆》。

          ○ 領主(主君)を持たない武士

          や武装した土民。

          (⇒ 野盗、落ち武者狩り)。

             ■ 野武士 (のぶし)とは、 領主(主君)

             を持たない武士や武装した土民 である。 

             ● 野武士 (のぶし) とは、 戦国時代、

             安土桃山時代、江戸時代初期に、大名や

             領主に属さず(仕えず )、自由に行動した、

             独立自営の武士や武装した土民 である。 

             ■ 前近代日本では、 日本各地で、戦時

             逃亡者や戦力が弱まった 敗残兵の落ち武

             者は、 敵兵の他に、 野盗 (やとう、山

             野にひそんでいる盗賊)、 落ち武者狩り 

             (おちむしゃがり、落ち武者を襲う農民など

             の土民の物とり)、 野武士 (のぶし、領

             主(主君)を持たない武士や武装した土民

             (どみん、土着の住民)) などに襲われる

             ことが多かった。

 

〇 のぶ  信長。

             (のぶなが)。 《人名》。

          (= 織田信長)。

        (⇒ 織田信長)。

 

〇 のぶ  順仁親王。 

             (のぶひとしんのう)。  《人名》。

             (= 六条(ろくじょう)天皇) 。

          (生没年:1164年ー1176年)。

          ○ 天皇在位:1165年ー1168

           年、幼少天皇。

          ○ 二条(にじょう)天皇の皇子(みこ) 。

          ○ 後白河(ごしらかわ)上皇(天皇)

           の孫。

 

〇 のや  野山獄。

             (のやまごう)。 《長州藩の牢獄》。

          (⇒ 吉田松陰)。

             ■ 野山獄は、吉田松陰が投獄(幽囚)され

             た、長州藩の牢獄である。

 

#nora

 

〇 のり  憲仁親王。

             (のりひとしんのう)。

          (= 高倉天皇)。

          (⇒ 高倉天皇)。

          ○ 後白河上皇(天皇)と平滋子

           との間の皇子(みこ)

 

〇 のろ  祝女。

             (のろ)。 女性司祭》。

          (= 沖縄の、神女(しんに ょ)、

              (つかさ)) 。

        (⇒ 琉球王国

            沖縄の歴史)。

                琉球神道で祈祷する女性

           司祭 。

                ○ 琉球王国が制定した公的

           神事、祭事を司る、多くの琉球

           神道の神女(公的シャーマン) 。

                ○ 最高神女は、聞得大(きこ

              えおおきみ)) 。

 

 

 

   ● 五十音順 (あいうえお順)。

 

 

   ■  『 現在は、過去の成果であり、

       未来は、現在の成果である。 

         (良き現在は、過去の人々の良き努力

          や活動の積み重ねの成果であり、 

          明るい良き未来は、現在の人々の、

          良き努力や活動の積み重ねによって

          形成される。)

 

 

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#jpdictionary(general)

 

◆ 日本史辞典

 

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#no

 

#nohime

 

■ 濃姫  

      (のうひめ)。

 

■ 濃姫。 

■ 名称 : 濃姫 (のうひめ)。

■ 別名 : 帰蝶 (きちょう)、お濃(おのう)の方。

■ 生没年 : 1535年ー没年不詳。

■ 濃姫は、織田信長の正室夫人である。

■ 濃姫は、美濃国戦国大名斎藤道三(利政)

  の娘である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典  11337。                     

 

 

■ 濃姫(総合)。

  ■ 濃姫 (のうひめ 、= 帰蝶(きちょう)、15

   35年ー没年不詳)は、 美濃国(みののくに、

   岐阜県南部の相当地域)の戦国大名斎藤

   道三(利政) (さいとうどうさん(としまさ))

   娘であり、 尾張国の戦国大名・織田信長

   正室夫人である。

 

■ 濃姫の名称。

  ■ 濃姫 (のうひめ)の別名は、 帰蝶(きち

   ょう)、 お濃の方(おのうのかた) である。

      帰蝶(きちょう)は、「美濃国諸旧記」

   にある名称である。 濃姫、お濃の方は、

   後世の名称である。

 

■ 濃姫の婚儀。

  ■ 濃姫は、 政略結婚で、 美濃国守護の

   土岐 頼純の正室夫人(1546年 ー1547

   年)となり、 尾張国の戦国大名・織田信長

   の正室夫人(1548年ー1582年)となる。

 

■ 濃姫に関する史料。

 ■ 濃姫 (のうひめ 、= 帰蝶(きちょう)、15

   35年ー没年不詳)の確実な記録は、「美濃

   国諸旧記」(みののくにしょきゅうき、江戸時

   代・寛永年間(1624−1645年)成立)

   よる、美濃国に在住した時のみであり、織田

   信長に嫁いだ以後の確実な記録は少ない。

 

■ 濃姫の出自。

  ■ 濃姫= 帰蝶)の父は、斎藤道三 (利政)

   である。

  ■ 濃姫= 帰蝶)の生母は、 斎藤道三 (利

   政)の正室夫人の小見の方おみのかた)

   である。

      小見の方は、 土岐明智氏 (ときあけ

   ちし、土岐氏の 分家・支流)の明智光継(あ

   けちみつつぐ)の娘であり、明智光綱(あけ

   ちみつつな)の妹である。

       明智光継やその子の明智光綱は、

   美濃国の明智荘(あけちのしょう、現・岐阜

   県可児市(かにし))の、明智長山城(あけち

   ながやまじょう)の城主である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 濃姫と明智光秀。

  ■ 明智光秀の出自 には諸説があるが、明

  智光秀の父が、美濃国の明智光綱(あけち

  みつつな)であるならば、

  明智光綱の妹の小見の方の娘である濃姫

  (のうひめ 、= 帰蝶(きちょう)は、明智光秀

  の従兄妹(いとこ)である。

  ● 明智光秀の前半生の史料は少ない。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 明智光秀の出自。

     ■ 明智光秀(あけちみつひで)の出自

    には諸説があるが、 明智光秀の父が

    美濃国の明智光綱(あけちみつつな)

    であり、明智光秀の祖父が美濃国の

    智光継(あけちみつつぐ)であるならば、 

    明智光秀は、土岐明智 氏ときあけちし、

    土岐氏の 分家・支流)の出身であり、 

    美濃国(みののくに、現・岐阜県南部

    の相当地域)の明智荘(あけちのしょう、

    現・岐阜県可児市(かにし))で生まれ

    育ち、 明智光綱の弟で明智荘の明智

    長山城(あけちながやまじょう)城主・

    明智光安 ( あけちみつやす)は明智

    光秀の叔父(おじ) であり、 明智光綱

    の妹の小見の方 (おみのかた、斎藤

    道三(利政)の正室夫人)明智光秀

    の叔母(おば)であり、 小見の方の娘

    の濃姫 (のうひめ、= 帰蝶(きちょう)、

    斎藤道三(利政)の娘、織田信の正

     室夫人)は明智光秀の従兄妹(いとこ)

    である。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 帰蝶(= 濃姫)の夫・織田信長

  ■ 濃姫は、 尾張国の戦国大名・織田信長

   の正室夫人(1548年ー1582年)であった。

 

  ● 尾張 国 (おわりのくに、現・愛知県西部

  の相当地域) の有力者の織田信( おだの

  ぶひで、織田信長の父))は、 西方の隣国

  の美濃国 (みののくに、現・岐阜県南部

  相当地域) へ侵攻し、斎藤道三(利政)と 長

  い間、戦う。

     しかし、1547年(天文16年)9月の西

  方の美濃国での加納口の戦いで、織田信秀

  は、敗戦し、大打撃を受ける。 

     1547年(天文16年)の尾張国の西方

  の美濃国での加納口の戦い後、 尾張国の

  織田信秀は、 東方の隣国の遠江・駿河の

  今川氏とも戦っていたため、 東西両方面で

  敵をもつことを望まず、 織田信秀は、美濃

  国の斎藤道三(利政)との和睦を望む。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ● 1548年(天文17年)に、 斎藤道三

  (利政)は、 尾張国の 織田氏の織田信秀

  (織田信長の父)と和睦し、尾張国の織田

  氏と同盟を結ぶ。

      1548年(天文17年)に、斎藤道三

   (利政)は、織田氏との和睦同盟の証(人

   質)として、斎藤道三(利政)の娘の帰蝶

   (きちょう、= 濃姫)を、 織田信秀の嫡男の

       織田信長に、正室夫人として、嫁(とつ)

   がせる。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 帰蝶(= 濃姫)の夫・土岐頼純

   ■ 帰蝶(きちょう、= 濃姫は、 美濃国

   守護の土岐 頼純の 正室夫人(1546年

   ー1547年)であった。

 

    ● 越前国・国主の浅倉氏は、 土岐 頼

    政(政頼)(とき よりまさ(まさより))やそ

    の子の土岐 頼純(とき よりずみ)を後援

    していた。

    ● 1546年(天文15年)に、 浅倉氏の

   浅倉孝景、土岐頼純、土岐 頼芸と斎藤道

   三(利政) との和睦(わぼく)により、美濃

   国守護の土岐 頼芸(とき よりのり・より

   なり・よりあき)が美濃国守護を退き、 土

   岐 頼政(政頼)(とき よりまさ(まさより))

   の子の土岐頼純(とき よりずみ)が、美濃

   国守護(美濃守護:1546年 ー1547年)

   に就任する。 

      15 46年(天文15年)に、斎藤道三

   (利政)は、 倉氏との和睦の証(人質)と

   して、美濃国守護の土岐 頼純(とき よりず

   み)に、斎藤道三(利政)の娘の帰蝶(きちょ

   う、= 濃姫)を、正室夫人として、嫁がせる。

   ● しかし、美濃国守護の土岐 頼純(とき

   よりずみ)が、1547年(天文16年)に死去

   する  (8月(大桑城(おおがじょう)で討ち

   死)または11月(病死)。

      土岐 頼純の正室夫人の帰蝶 (きちょ

   う、= 濃姫)は、1547年(天文16年)に、夫

   の死によって、実家の斎藤道三(利政)の元

   へ戻る。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 斉藤道三(利政)の子供間の対

  立。

  ● 斎藤義龍(よしたつ) は、 斎藤道三(利

  政)の側室夫人・深芳野 が生母の子であり、

      一方、孫四郎、喜平次、帰蝶(= 濃姫)は、

  斎藤道三(利政)の 正室夫人・小見の方が

  生母の子である。

  ● 1554年(天文23年)に、斎藤道三(利

  政)の側室夫人・深芳野が生母の、斎藤義

  龍(よしたつ) が 斎藤道三(利政)(さいと

  うどうさん(としまさ)) より、美濃国の斎藤

  氏の家督(かとく)を継ぎ、 美濃国の国主

  となる。

  ● 斎藤道三(利政)の子供達は、 斎 藤義

  龍(よしたつ)  と、 孫四郎、喜平次、帰蝶

  (= 濃姫) とが対立する。

     斎藤道三(利政)の子供達は、斎藤道

  三(利政)の側室夫人・深芳野 が生母の、

  斎藤義龍(よしたつ)  と、 斎藤道三(利

  政)の正室夫人・小見の方が生母の、孫四

  郎、喜平次、帰蝶(濃姫)  とが対立する。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 斎藤道三(利政)の夫人。

■ 斎藤道三(利政)の夫人には、 深芳野(み

  よしの)、 小見の方おみ のかた) などが

  いる。

 

  ● 深芳野 (みよしの)は、 

  斎藤道三(利政)の側室夫人であり、

  美濃国の土岐氏の土岐 頼芸 (とき よりの

  り・よりなり・よりあき)から拝領した(もらい

  うけた)拝領夫人であり、 

  斎藤 義 龍の生母である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ● 小見の方(おみ のかた)は、

  斉藤道三(利政)の正室夫人であり、 

  孫四郎、喜平次、帰蝶 (きちょう、= 濃姫

  の生母であり、

  明智 光秀の叔母(おば)である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 斎藤道三(利政)の子。

■ 斎藤道三(利政)の子には、 

  (1) 長男の斎藤 義 龍(よしたつ)

  (2) 次男の孫四郎  (まごしろう 、= 龍重、

     龍元)、

  (3) 三男の喜平次 (きへいじ、= 龍定、

     龍之)

  (4) 娘の帰蝶 (きちょう、= 濃姫(のうひ

     め)、織田信長の正室夫人) 

  などがいた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ (1) 長男の斎藤  義龍(よしたつ)は

   斎藤道三(利政) と 深芳野(みよしの)

   との間の子である。

  ● 斎藤 義龍(よしたつ)は、 土岐頼芸の

  子か、斎藤 道三(利政)の子か、どちらの子

   か、父親が不明である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ (2) 次男の孫四郎  (まごしろう 、= 龍重、

    龍元)、 (3) 三男の喜平次 (きへいじ、=

   龍定、龍之)は、 

   斎藤道三(利政) と 小見の方 (おみの

   かた、明智光秀の叔母(おば))  との間の

   子である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ● (2) 次男の孫四郎 (まごしろう 、= 龍重、

   龍元)、 (3) 三男の喜平次 (きへいじ、=

   龍定、龍之) は、 生母が、小見の方(おみ

   のかた)であるとする説が有力である。

  ● (3) 三男の喜平次 (きへいじ、= 龍定、

  龍之)は、一色右兵衛大輔と名乗っているこ

  とから深芳野の子とする説もある。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ (4) 斎藤道三(利政)の娘の帰蝶 (きち

   ょう、= 濃姫(のうひ め)、織田信長の正室

   夫人) は、 

   斎藤道三(利政) と 小見の方 (おみの

   かた、明智光秀の叔母(おば))との間の子

   である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#-appearingscenes

 

♪♪ 濃姫が登場する興味深い、ド キ

  ュメンタリー、ドラマ、映画。

 

★ 濃姫が登場する、興味深い、ドキ

   ュメンタリー。

 

■ にっぽん歴史鑑定 『 信長の才

   を見抜いた男 斎藤道三 』 。 

    (TBSテレビ・2017年9月25日・

    本放送・歴史ドキュメンタリー番組)。

 ■ 日本の戦国時代(室町時代後期)を 述

  べる。

 ■ 帰蝶(= 濃姫)を述べる。

 ■ 斎藤道三(利政)の、「従来説の美濃国

   盗り本人一代説」 と、 「新説の美濃国

   盗り父子二代説」を詳しく述べる。

 

 

★ 濃姫が登場する、興味深い関連

   ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

  歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事

  実) と 架空の出来事 が混じって描かれ

  ています。 また、現代風にアレンジしてあり

    ます。

 

■ 『 麒麟(きりん)がくる 』。 

   (NHKテレビ・2020年大河ドラマ)。 

   (池端俊策 作・脚本)。

 日本の戦国時代(室町時代後期)、安土

   桃山時代を描く。

 

● 斎藤 道三(利政)の娘・帰蝶(= 濃姫)

  (きちょう(のうひめ)、織田信長の正室

  夫人) を演じる女優名 : 川口 春奈。

 

● 斎藤 道三(利政)の正室夫人・小見の 

  方 (おみのかた、濃姫(= 帰蝶)の生

  母)を演じる女優名: 片岡 京子。 

● 斎藤 道三(利政)(さいとうどうさん(とし

  まさ))を演じる俳優名: 本木 雅弘。

● 斎藤 道三(利政)の側室夫人・深芳野 

   (みよしの、土岐 頼芸(とき よりのり)の

   元側室夫人)を演じる女優名: 南 果歩。 

● 斎藤 道三(利政)の男子・斎藤 義龍(さ

  いとうよしたつ)を演じる俳優名: 

  伊藤 英明。

● 斎藤氏家臣の稲葉一鉄(良通)(いなば

  いってつ(よしみち))を演じる俳優名: 

  村田 雄浩。

 

● 美濃国守護の土岐 頼芸(とき よりのり)

  を演じる俳優名: 尾美 としのり。

● 美濃国守護の土岐政頼(頼武)(とき ま

  さより(よりたけ))の子の土岐頼純(とき

  よりずみ)を演じる俳優名: 矢野 聖人。

 

● 明智 光秀を演じる俳優名 :  

  長谷川 博己 (はせがわひろき)。

● 明智 光秀の母・お牧(まき)の方を演じる

  女優名 : 石川 さゆり。 

● 明智 光秀の叔父・明智 光安(あけちみつ

  やす)を演じる俳優名 : 西村 まさ彦。 

● 明智 光秀の正室夫人・熙子(ひろこ)を演

  じる女優名: 木村 文乃 (きむらふみの)。 

 

● 織田 信長を演じる俳優名: 染谷 将太 

  (そめたにしょうた)。

● 織田 信長の父・織田 信秀(おだ のぶひ

  で)を演じる俳優名 : 高橋 克典。

 

■ 『 軍師 官兵衛 (ぐんしかんべえ) 』 。  

   (NHK2014年大河ドラマ)。 

 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描いたドラマ。

 

● 濃姫を演じた女優名 : 内田 有紀

  (うちだ ゆき)。

 

● 織田信長を演じた俳優名 : 江口洋介

  (えぐち・ようすけ)。

● 黒田 官兵衛を演じる俳優名: 岡田 准一。

● 明智光秀を演じた俳優: 春風亭 小朝。

 

■ 『 信長 KING OF ZIPANGU 』 。  

   (NHK1992年大河ドラマ)。

■ 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時

  代の時代状況やその時代に活躍した人

  物を描く。

 

● 信長の正室夫人・帰蝶(濃姫)を演じた女

     優名 : 菊池 桃子。

 

● 織田 信長を演じた俳優名 : 緒方 直人 

    (おがた なおひと)。

● 信長の生母・土田御前 (つちだごぜん、

  どだごぜん)(= (仮称)るい)を演じた女優

  : 高橋 恵子。

 

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#nobushi

 

■ 野武士 

      (のぶし)。

 

■ 野武士。 

■ 名称 : 野武士 (のぶし)。

■ 戦国時代(室町時代後期)、安土桃山時代、

  江戸時代初期に、大名や領主に仕えず、自

  由に行動した、独立自営の武士。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 61322。

 

 

■ 野武士 (のぶし)とは、 戦国時代(室町時代

  後期)、安土桃山時代、 江戸時代初期に、大

  名や領主に仕えず、自由に行動した、 独立自

  営の武士 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 野武士は、 武装した農民や敗残兵や野盗な

  ど出身は様々で、 大名や領主とは主従関係は

  なく、 金品や権益などにより、 どの大名や領

  主にも味方したり、加勢したりした。 

     しかし、 野武士の中にも、自分達の権益

  を守ったり、権力拡大ため、 特定の大名や領

  主に仕え、  大名や領主の家臣になる者も出た。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

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#nochikaikaku

 

■ 農地改革  

     (のうちかいかく)。

 

■ 農地改革。 

■ 期間 1945年〜50年。 

■ 名前 : 農地改革 (のうちかいかく)。

■ 在日占領連合国軍(GHQ)による、民主化政策に

 関しては、 当日本史辞典の『 連合国軍日本占領、 

 マッカーサー将軍、 財閥解体(ざい ばつかいたい) 』 

 も参照して下さい。

 

□ マッカーサー将軍 画像 NO.1

 

■ 農地改革 (1946〜1950年)。 

  農地改革は、1945年〜50年に、日本で、 敗戦

 後、寄生地主制の排除や自作農育成を図った、連合

 国占領軍(GHQ)による民主化政策の1つ である。

  農地改革の結果、 寄生地主制 は、崩壊した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

● 戦前の寄生地主制除去を目的に、一定面積(平均

 1町歩、北海道平均4町歩)を超える農地を、 政府

 が大地主から強制的に買い上げて、小作人に優先

 的に安く売り渡した。 その結果、日本の小作人農民

 の大半が、自作農となる。

 

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#nogimarosuke

 

■ 乃木 希典  

     (のぎ まれすけ)。

 

■ 乃木希典。 

■ 生没年 : 1849〜1912年。

■ 名称 : 乃木 希典 (のぎ まれすけ)。

■ 日露戦争時の旅順攻略の司令官。

■ 日露戦争後、 学習院院長に就任。

 

■ 乃木 希典 (のぎ まれすけ、 生没年1849〜1912年)

 は、 日露戦争時に、陸戦で活躍し、 旅順攻略の司令官で、

 日露戦争の戦局を、日本に有利に導いた。

 

■ 乃木 希典 は、 日露戦争後、 学習院院長に就任した。

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上