入れ墨屋のルソーは、裏の世界と表の世界の中間ぐらいにいる人だった。入れ墨といっても日本とブラジルでは感覚も“客層”も全く違う。彼の職場は、リゾート・ビーチに止めた自分のバンで、海水浴客が相手だ。弟分の日本人と二人で客引きする。そんな無茶な、と思うのだが、実際、目の前で父親が子供のデザインを選ぶ場面にも出くわしたし、通りがかった人たちは、これがまた驚くほどあっさりバンの前で足を止める。
客の注文を聞き、見本を選ばせて、作業に入る。五センチ四方ぐらいのものなら機械彫りのルソーにとってはわずか三十分程の仕事だ。
僕はそれまで入れ墨をじっくり見たことがなかった。銭湯で見る機会はあるのだが、じっくりというわけにはいかない。だから、こうやって見てみると、芸術品だと思った。 世界入れ墨協会の会員であるルソーの部屋には、各国の写真集がある。これを見ると日本の伝統的な渋い色調の彫り物と比較的新しい鮮やかなTATOOとの違いがよく分かる。
ルソーは自分たちのやり方は日本の若い世代にも受け入れられつつあると言ったが、このヘビメタやハーレーに通じる感覚は僕もかっては大好きだったからよく分かる。
しかし,やはり日本は入れ墨=ヤクザという方程式が出来ている国だ。入れ墨を芸術ととらえるルソーの話に共感しながらも『お前もひとつどうだ?』と言われると、やっぱり僕には芸術と割り切れなかった。 |