中島飛行機 物語 目次 English
1917年、中島知久平を中心に栗原甚悟、佐久間一郎らのたった7名から始まった中島飛行機は、燃え上がるように成長し、そして1945年終戦とともに波乱に満ちた運命を閉じ、走馬燈の様に消え去ったが、その志は確実に後世の多方面に受け継がれている。
中島飛行機を代表する技師長であった小山悌氏は終戦後「われわれ中島の技術者は国家の存亡ということで必死に飛行機を設計し生産してきた。しかし、その飛行機により尊い若者の命が奪われたことは間違いのない事実である。過去の飛行機を美化するようなことは決してするまい」と述べられ、それが各技師達の心にあって、中島飛行機の記録や回顧録は極端に少ないものとなっている。
飛行機に夢を賭けた技術者達のエネルギーは、戦争という異常な歴史に翻弄されはしたが、その行動を振り返ると「純粋に物事を探求し開拓してゆくパイオニアの姿」が浮かび上がってくる。武器としての飛行機には、多くの異論もあろうが、そこには研ぎ澄まされた美しさがあり、旅客機には新世界へ誘うロマンが漂っている。とくにプロペラで気流をかき分け、自分の翼で大気をとらえるレシプロエンジン機に、一途な技術者の顔が見えるような気がする。
そんな気持ちから、先輩達の足跡を広く知っていただきたく、稚拙ながらホームページにまとめてみました。以下の資料の他に、中島名作機を含む小池繁夫氏の航空機イラストと合わせお楽しみ下さい。 また、ご覧になった後、簡単なアンケートにご協力ください。
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中島飛行機 創生期詳細
中島飛行機株式会社 30年の歴史(1) (2) (3) (3)-1 (4)
中島知久平の逸話集(1) (2) (3)
中島の社風:(1) (2)
(3)知久平の次の夢
中島飛行機の想い出: 斉藤 昇 著
中島代表傑作機特集 (全イラストリストはここをクリック)
中島発動機開発の経緯、東京工場(荻窪)の活躍
中島最後の飛行機「剣」誕生秘話 :青木邦弘 著
海軍大型陸上攻撃機「連山」進空式ムービー
日本最初のジェット機「橘花」から戦後初の国産ジェット機 T-1
中島主要工場と生産実績、各飛行機会社の生産実績
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・出典及び参考文献、ご協力
- 「日本航空史 明治大正編・昭和前期編 (日本航空協会)」
- 「富士重工業30年史・50年史」「銀翼遥か(太田市)」
- 「飛翔の詩(中島会/宇都宮)」「佐久間一郎伝」「偉人中島知久平」
「日本傑作機物語(昭和34年酣燈社)」「歴史の中の中島飛行機(グランプリ出版)」- 「知られざる軍用機開発 上/下」
- 「輸送機工業総務部 及び社内報」
- 「日本航空機辞典(モデルアート社1989年版)」
- 「太田市中島記念図書館」所蔵資料
- 「群馬県 上毛新聞アーカイブ」
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