ダグラス・ハーディングが開発した自己探求の方法

ダグラス・ハーディングの長年の『見る」友人たちへのインタヴュー(日本語字幕つき)


「問題解決――選択しないというテクニック」(Douglas Harding)

「対立――自殺的ウソ」(Douglas Harding)

「自分とは本当に何かを見る結果」(Douglas Harding)

「他人によい印象を与えることについて」(Douglas Harding)

「ダグラスの詩」
(Douglas Harding)

「爆弾――世界と一つであるということ」(Alain Bayod)

「役に立つ道具であり、それ以上のことがある」(Nick Smith)

「天と地の階層」
(Richard Lang)

「個人的体験」(Richard Lang)


「盤珪の考え方」
(Colin Oliver)

「懐かしいIAMに捧げる」(David Lang)

「ダグラスの死」(David Lang)

「あがり症(舞台上であがること)を頭がない方法によって抜け出す」(Sam Blight)

「私にとっての『私とは何かを見る』とは」(大野武士)

「ハーディングの実験について」(赤嶺華奈)

「ハーディングの実験を続けてよかったこと」(赤嶺華奈)

「マイナス感情とハーディングの実験について」(赤嶺華奈)


「宗教と科学の融合」
(木悠鼓)

「ハーディング流成功哲学」
(木悠鼓)

「考えない練習」(木悠鼓)

*「ダグラスさんの本との出会い」 (大澤富士夫)

*「正直さを呼び戻す」 

(竹澤さちへ)


はい、これで、OKです!」 
(渡邉 直子)

頭はあるけど、頭はない、それが答えだ!」(匿名)

*「もし誰かが木さんの頭にピストルを突きつけたら……」(木悠鼓)





ダグラスさんの本との出会い (大澤富士夫)


ダグラス・ハーディングさんの本をはじめて手にした頃、私はある部分できっと日々悶々としていたのだろうと思います。それは、「奇跡のコース」(A Course In Miracles)を読み出して2年半が過ぎ、本の内容は理解できるものの、今回の人生が終わるまでには真の自己に気づけそうにないと確信してしまっていたからでした。エゴを消滅することなど、到底できそうにないと落胆しながらも、仕方なく読み続けている時期でした。

それが、ダグラスさんの本を読み出してすぐに、何か表現できない衝撃が走りました。これは、今まで出会ったことのない、何か特別なことに気づけるかもしれないと。そして、本に書かれている通りに、一人で実験をやったときに、自分の頭がぽっかりとなくなって、なんとなく後頭部の辺りがスースーするような心地よさを感じたのです。その感覚は、継続的なものではなかったのですが、思い出そうとすれば、常に感じることができたのです。

その直後のことですが、いつものようにクルマで仕事場から帰宅するときに、いきなり目の前に流れている景色全部が自分へのプレゼントなのだという感覚に襲われたのです。ちょうど、ゲームセンターで、シートに腰を下ろしてハンドルを握り、目の前のディスプレイに映し出されるコースを走っているときと同じ感覚になったのです。道路脇をよろよろ走っている自転車も、急に横から割り込もうとするクルマも、何もかもが愛しくて、家に着くまで涙が止まらなくなったのを覚えています。

ダグラスさんが指摘するように、確かに自分は全く動いてなどいない、それなのに何といじらしくあらゆる物事が私に対して与えられ続けているのだろうかと、そんな気持ちで運転していたのだろうと思うのです。そのときの感動や興奮は、今はもう起きなくなったのですが、気持ちが平静になったとはいえ、その感覚だけは今でも時々強くやってきてくれます。自分はいつも、何かが足りないという欠乏感と共にいたのですが、これほどまでに与えられていたということの気づきは、とても大きなものでした。

それからというもの、奇跡のコースの読み方が相当に変わってしまいました。それまでの直線的なというか、生真面目なというのか、一本気な融通の利かない読み方ではなくなり、角度を変えていろいろな視点から読むことができるようになったのです。すると、コースの印象ががらりと変わりました。それまでは、少しずつエゴを選ぶ代わりに聖霊(愛)を選ぶ練習をしていくという、気が遠くなるような面ばかりが目立っていたものが、ダグラスさんの実験によって気づけたことと同じように、あっという間に本当の自分に気づくこともできると確かに書いてあることに、はっとするようにもなったのです。

本当の自分に気づけるようになってから、ゆっくりと自分を見つめることをやっていけばいいのだという気楽さは、それまで一度も感じたことのないものでした。この感覚は、ダグラスさんの本に触れているときの、あの心地よさと同じものです。彼の文章が分かりにくいと言う人もいるようですが、私には優しい揺りかごに揺られているような、とても大きな愛に抱かれているような気持ちになれる本なのです。だから、何度となくダグラスの本を繰り返し読むことになりました。それは勿論高木さんの翻訳のすばらしさによるところも大なのですが。

私の場合、正直に言うとダグラスさんの実験をすべて真面目にやっているわけではありません。彼の実験の中でも一つだけ自分に最も適していると思えるやり方をずっと続けています。その方法とは、「私は今どこにいるか?」と自問自答するのです。放っておくと、頭の中のちょうど目の裏あたりに自分はいるような気がするのですが、今与えられている証拠だけに基づいて見あげれば、決して頭の中の狭い空間になど自分はいないと分かります。その後、では身体の外にいるのかと見たときに、自分は実はどこにもいないという結果がすぐに提示されるのです。

こうして、ほんの数秒で自分はどこにもいないということが分かり、形や大きさや位置もないものとは、すべてに偏在するということだと分かるのです。この方法は、何の努力もいらず、そしてとても短時間に、全体としての自分の感覚に戻ることができるすばらしい方法です。この方法も含めた、ダグラスさんの方法のすばらしいところは、生活の中のいつでもどこでも実験することができるという点かもしれません。

一般的には、目を閉じて深い瞑想状態に入れば、確かにこの世界の中に自分がいるのではなく、自分の内側にこの宇宙があるということに気づけます。ただそれは、私の経験では、わざわざ時間と場所を選んで、独り心静かにして一定の時間費やした果てにやってくるものだと思っています。それに対して、ダグラスさんの方法は勿論目を開けたままで、何をしている最中でも本当の自分を見ることができるということです。

そして最近では、瞑想の仕方が以前と変わってきたことに気づくようになりました。それは、瞑想中に何が起ころうとも、そうした一過性のものには期待しなくなってきたということです。これもダグラスさんの言葉による影響がとても大きいのです。彼は、頂上体験自体には継続性がないし、それを期待するよりも、谷の体験である本当の自分を見ることにこそ、真の明け渡しのヒントがあるということを言っています。

ダグラスさんの本と出会って、まだ一年も経っていませんが、真の自己を見ることの本当の意味は、継続することと、それによって見ることへの信頼を深めていくことだと思っています。それには、見ることを日々の生活の中に定着させていくことが、最も大切なことなのだろうと思っていますので、今後の自分が楽しみです。これほどまでにインパクトのある出会いは、今までの私の人生ではなかったと思います。ダグラス・ハーディングさんと高木悠鼓さんに心からの感謝を捧げます。

「今ここに、死と不死を見る」

ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行


「顔があるもの顔がないもの」


ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行



「「1996年ダグラス・ハーディング・ワークショップDVD6枚セット」

定価6,000円


「ダグラス・ハーディングへのインタヴューDVD2枚セット


定価4,500円


*ご注文・問合わせは、こちらまで