ダグラス・ハーディングが開発した自己探求の方法

ダグラス・ハーディングの長年の『見る」友人たちへのインタヴュー(日本語字幕つき)


「問題解決――選択しないというテクニック」(Douglas Harding)

「対立――自殺的ウソ」(Douglas Harding)

「自分とは本当に何かを見る結果」(Douglas Harding)

「他人によい印象を与えることについて」(Douglas Harding)

「ダグラスの詩」
(Douglas Harding)

「爆弾――世界と一つであるということ」(Alain Bayod)

「役に立つ道具であり、それ以上のことがある」(Nick Smith)

「天と地の階層」
(Richard Lang)

「個人的体験」(Richard Lang)


「盤珪の考え方」
(Colin Oliver)

「懐かしいIAMに捧げる」(David Lang)

「ダグラスの死」(David Lang)

「あがり症(舞台上であがること)を頭がない方法によって抜け出す」(Sam Blight)

「私にとっての『私とは何かを見る』とは」(大野武士)

「ハーディングの実験について」(赤嶺華奈)

「ハーディングの実験を続けてよかったこと」(赤嶺華奈)

「マイナス感情とハーディングの実験について」(赤嶺華奈)


「宗教と科学の融合」
(木悠鼓)

「ハーディング流成功哲学」
(木悠鼓)

「考えない練習」(木悠鼓)

*「ダグラスさんの本との出会い」 (大澤富士夫)

*「正直さを呼び戻す」 

(竹澤さちへ)


はい、これで、OKです!」 
(渡邉 直子)

頭はあるけど、頭はない、それが答えだ!」(匿名)

*「もし誰かが木さんの頭にピストルを突きつけたら……」(木悠鼓)





私にとっての「私とは何かを見る」とは (大野武史)


ハーディングの実験を知ったのは、つい最近のことでした。ネット上に紹介されている一連の実験を読みながら、「とても重要な提案をしている」と、直感のようなものを感じていました。同時に一人でできる簡単な実験をいくつかやってみると、今まで経験したことのない、無限に広がる、しかし何の神秘も無い、それゆえにとても不思議な感覚を体験しました。これは、「私とは何か」という探求において、古今東西さまざまに語られている表現の底辺に共通するエッセンスだと、私が感じている"私とは「私は在る」"と言う感覚、または「真我」と表現されるものと同じなのではないかと思いました。


この体験を友人たちと分かち合いたい、そして、自分としてもこの感覚を定着させたいと思い、この実験の紹介者、そして翻訳者でもある木さんにお願いし、実験を知って一ヶ月後には、私の住む地での開催が実現したのです。紙袋の実験等、道具を使った新たな体験と、木さんやいっしょに参加した友人たちと、感じたことや気づいたことの話し合いを通じて、この時、私とは「何も無い者」、しかし、 「唯一存在する」、それゆえ、真の私とは「全てである」という理解が、自然に私の中で起こりました。

私は二十年程前、家族間のある出来事で悩み、人は何のために生きているのかという疑問を抱き、それと同時期に偶然、意識や精神の観点から人生を観るという世界があることを知りました。以来それらに関するさまざまな本を読み、やがて「気づきのセミナー」に参加したことで、思考や感情と一体になって苦しんでいる自分に気づきました。

それから、客観的に人生を眺められるようになり、その後さらに、自分のどんな思考がどういう感情として現れてくるのか、他者との関わりや日々の出来事を通して観続けました。この間も、存在の意義に関して、哲学、宗教、心理学、科学、スピリチュアリズムとその批判を含め、広く浅く、偏らないように、"これらに共通する何かを"探し続けました。

そして、ハーディングの言葉にもしばしば登場する、ラマナ・マハリシに代表される覚者とよばれる人々の語るところと出会い、先の「真我」(想念を全て取り去ったあとに残るもの・全ての起源の背景にあるもの・純粋で自由な意識等々、思考によっての表現はさまざまある)を観念として(思考の外にあるものを思考によって表現、または理解するかぎり、観念となる)、理解するまでに至りました。

しかし、私とは思考や感情でない者、「私は誰か」と考えているものではなく、「真我」だとしたら、鏡の向こうにある、見慣れた私は何なのか? という疑問に行き当たっていました。まさにその時、この実験に出会ったのです。

そしてハーディングの著書、「顔のあるもの顔のないもの」は、私にとって、実験をより理解するのに必要不可欠でした。そこに語られている全てが、私の探求を再確認することだったからです。私にとっての二十年間は、ある人達にとっては、この一冊を読むだけですむかもしれません。そしてあの実験から数ヶ月が過ぎ、その後も友人たちと"自分の無さ"について、実験での体験やその後の変化について話し合いを重ねるうち、あの時の理解は、気づきへと変わました。そして今は、自分の大きさに安らぎと驚きを感じています。

私は今、シンプルでパワフルな気づきの道具を残してくれたハーディングに、そしてここまで導いてくれた全ての出来事に、出会った全ての人々に感謝しています。私の探求は終わりました。「私とは誰か」を見つけたのですから。そして、人は何のために生きるのかという疑問と、さまざまな不安や葛藤も、雲が流れ去って行くように消えてしまいました。

でもあいかわらず、日々の生活に手こずる私(小さい者)の人生は続きます。本当の自分(大きい者)を見失いそうな時(そう感じるだけなのは知っているのですが)は、ハーディングの実験をいくつかやってみるのです。そしてこれからは、このシンプルな気づきに気づき続け、そして、分かち合って行けたらいいなと思っています。

「今ここに、死と不死を見る」

ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行


「顔があるもの顔がないもの」


ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行



「「1996年ダグラス・ハーディング・ワークショップDVD6枚セット」

定価6,000円


「ダグラス・ハーディングへのインタヴューDVD2枚セット


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