ハーディング流の成功哲学 (木悠鼓)
私が20代、30代の頃、一番熱心に読んだ本の分野の一つに、いわゆる「成功哲学」の本がある。宗教、ビジネス、精神世界の「成功者」たちが語る成功への秘訣を本当に熱心に読んだものである。ところが、怠け者のせいか、本はたくさん読むものの、著者が本の中で語る成功のための秘訣やワークを熱心に実践したことはほとんどなかった。
私が結局のところ、「〇〇したら、〇〇に考えたら、仕事が成功します」、「〇〇したら、〇〇に考えたら、お金がたくさん儲かります」、「〇〇したら、〇〇に考えたら、たくさんの人に人気がでます」という種類のメッセージに、心から熱中したことがなかったのは、私が本当に欲しいものは、たくさんのお金でも、仕事での成功でも、人に好かれることでもなく、ただ、できるだけたくさんの自由な時間と平和がほしかったからなのだと思う。そして、幸運にも、今日、この文章を平和にのんびりと書く時間があって、私は、「おー、夢がちゃんと、かなっているじゃないか」と、うれしくなる。
さて、これを読まれている皆様も、おそらくはほとんど方が、現世での願望というか夢を何かお持ちだろうと想像するし、いわゆる精神世界の読者の多くが、いかにして自分の望みをかなえるかというところで格闘しているように感じる。数日前もマホロバアートの本を読んだ読者の方から、自分の夢をかなえるためのアドバイスを求めるお手紙をいただいた。実のところ、具体的な誰かの夢に対して、他の人が、「こうすれば、それは実現します」と具体的にアドバイスするのは、ほとんど不可能なことなのだと、私は思っている。なぜなら、私(タカキ)と他の人は、人としては、まったく違う人間で、まったく違う気質と生い立ちをもち、違う縁と運がプログラミングがされているからである。
一般論としては、私も、たいていの成功哲学の本に書いてあるような、
「やりたいこと、好きなことがあれば、何でもそれをやってみる」
「行きたいところがあれば、どこへでも出かけてみる」
「願望を実現するために必要だと思うことは、何でもやってみる」
「お金を使いたいことがあれば、何にでも使ってみる」、
そして、
「しなくてもいいことで、イヤなことは、なるべくしない」
「終わったことを振り返らず、常に前に向かって歩く」
というようなことぐらいしか、人には言えないものだ。
で、こういった願望達成にハーディングのワークがどう役立つかといえば、それは直接的に役立つというより、何かをやって、どんなことが起きても、そのプロセスも結果も、究極的には何も間違っていないという安心感を与えてくれることではないかと、私自身は経験からそう感じている。
好きなことをしても、失敗することは多々ある。夢が仮に実現しても、夢の実現にともなって、失うこともたくさんあるし、心痛むこともたくさんある。
でも、ここを見れば、世俗の成功とも失敗とも無関係な平和がある。ここを見れば、そういったタカキユウコの冒険を静かに見守っている第一人称がいる。
何かがうまくいかなかった場合、否定的な感情や思考は、しばらくは続くとしても、ここを見れば、どんな後悔も罪悪感もない。どんな結果であれ、ここでは、すべてはすでに第一人称(神)の意志として、起こるべき必然として、受け入れられている。そういう意味で、あらゆる瞬間が成功(先日、読んでいたバイロン・ケイティの新刊にも同じことが書いてあった)というのが、ハーディング流の成功哲学である。