ダグラス・ハーディングが開発した自己探求の方法

ダグラス・ハーディングの長年の『見る」友人たちへのインタヴュー(日本語字幕つき)


「問題解決――選択しないというテクニック」(Douglas Harding)

「対立――自殺的ウソ」(Douglas Harding)

「自分とは本当に何かを見る結果」(Douglas Harding)

「他人によい印象を与えることについて」(Douglas Harding)

「ダグラスの詩」
(Douglas Harding)

「爆弾――世界と一つであるということ」(Alain Bayod)

「役に立つ道具であり、それ以上のことがある」(Nick Smith)

「天と地の階層」
(Richard Lang)

「個人的体験」(Richard Lang)


「盤珪の考え方」
(Colin Oliver)

「懐かしいIAMに捧げる」(David Lang)

「ダグラスの死」(David Lang)

「あがり症(舞台上であがること)を頭がない方法によって抜け出す」(Sam Blight)

「私にとっての『私とは何かを見る』とは」(大野武士)

「ハーディングの実験について」(赤嶺華奈)

「ハーディングの実験を続けてよかったこと」(赤嶺華奈)

「マイナス感情とハーディングの実験について」(赤嶺華奈)


「宗教と科学の融合」
(木悠鼓)

「ハーディング流成功哲学」
(木悠鼓)

「考えない練習」(木悠鼓)

*「ダグラスさんの本との出会い」 (大澤富士夫)

*「正直さを呼び戻す」 

(竹澤さちへ)


はい、これで、OKです!」 
(渡邉 直子)

頭はあるけど、頭はない、それが答えだ!」(匿名)

*「もし誰かが木さんの頭にピストルを突きつけたら……」(木悠鼓)





爆弾――世界と一つであるということ (Alain Bayod)


私は「見ること」については特に何も言うことはないのですが、リチャード・ラングがせっかく提供してくださった(このジャーナルに何かを書くという)機会を利用して、ダグラス・ハーディングへの私の多大な感謝を述べてみたいと思います。


私は49歳のフランス人で、10代からヨガを実践し、そして過去20年間、アドバイタ・ベーダンタ哲学を学んでいます。もちろんそれらは私の人生にしだいに大きな変化をもたらしてくれましたが、でも、私はここ数年間、自分が行き詰まりにいて、エゴの輪に捕らえられているように感じていました。無意識について、長い間、正確な心理学的ワークを行ってきたにもかかわらず、私はまだ何か鍵を探していました。

私がダグラスとキャサリンに出会ったのは、ある種のおとぎ話でした。私の本棚には、10年間も、OnHaving No Head(邦訳「心眼を得る」現在絶版)があったにもかかわらず、私はそれを読むことができませんでした。本のカバーの絵は非常に薄気味悪く、文章はまったくわかりにくいものでした。3年前、私のある友人が、「西洋の新しい賢人たち」という本を出版し、その最終章は、ダグラス・ハーディングについてでした。それでも私はまったく興味をもてませんでした。私は、「このイギリス人の教えはまったく伝統的ではないし、さらに、それは気味悪く見えるし、そして何よりも、彼は人生で本当の生きた導師をもったことがない」と考えていたのです。もちろんそれは、非常に表面的な見解でしたが。

しかし、この私の未熟な判断の数ヶ月後、ダグラスをすでに知り、「見る」ことを楽しんでいる別の友人がダグラスとキャサリンをフランス南西部にあるスピリチュアル・センター、アデレーンに招待したらどうかと、私に、提案してくれたのです。そこに私は1982年以来住んで、仕事をしていたのです。

なぜだかわかりませんが、不思議なことに私はすぐに承知しました。でも別に熱意もありませんでした。ワークショップは1993年の11月の最初に決まりました。私がボルドー駅に、ダグラスとキャサリンを出迎えに行き、最初に会ったとき、ある種の魔術のようなことが起こりました。彼のその非常に肯定的で生き生きした態度が私を感動させ、私は、「彼の教えには何の興味もないけど、でもこんなにすばらしい80歳代の人に出会うことは、本当に価値あることだ」と思ったのです。

およそ40人の私の生徒がそこにいて、ワークショップが始まりました。私は、遠慮がちではなく、このゲームをオープンにやることを決心しました。しかし、私は何の結果も期待しませんでした。そして、おそらく、それはこの「顔がないゲーム」を始めるには、一番いい態度であったと、私は今は理解しています。つまり、空っぽな心、何の欲望もなく、何の期待もないこと―――禅の人が言うような、「初心者の心」。最初の日の終わりに「指さし」と「第3の目」の実験をやったあと、私はまだポイントがつかめないでいました。でも、何かが動いていて、私は、自分が何か偉大な発見をする寸前だと感じたのです。その日の夕食の最中に、ダララスは私に、「明日、私はアデレーンに爆弾を落とすことになるだろう」と言い、本当にそうなったのです。

私はその朝を決して忘れることができないだろうと思います。もちろん、爆弾とは紙袋のことであり、実際それは条件付けをはずすこの世で最も強力な装置です。私は向こう側の友人といっしょに、紙袋に入りました。「紙袋の中には顔はいくつありますか?」 一つ、たった一つです!「現在の証拠にもとづいて、紙袋のあなた側には何が見えますか?」 何ということでしょうか、透明で空っぽな空間以外に何もなく、向こうの顔を否定するものも何もないのです。

この空間は、完全に自然で、顔のある友人と単純に一つであり、また思考や感情とも一つです。私自身がこの自由で覚醒している空間でした。もはや、どんなエゴの対立もありませんでした。爆弾が爆発してしまったのです。この最初の「中心からの視界」実験が起こったのが今から18ヶ月前のことで、私はただただ、それは激変的出来事だったと言えるだけです。

それ以来、私のスピリチュアルな実践、私の教え、つまりは、私の全人生が完全に根本から変わってしまったのですが、それはまた別の話になります。

世界と一つであること――私はそのことを長年努力しましたがうまくいきませんでした――は単に、何もないものであるということです。愛することは、相手のために消えることです。それは本当に非常に強力で危険な爆弾でした。ここには、世界を否定するものが何も残っていません。

(原文The Bomb, or how to be at one with the worldは、TheHeadless Way公式サイトに掲載されています)

「今ここに、死と不死を見る」

ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行

「顔があるもの 顔がないもの」


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