ダグラス・ハーディングが開発した自己探求の方法


ダグラス・ハーディング(1909〜2007)

ダグラス・ハーディングへのインタヴュー1983年

ダグラス・ハーディングへのインタヴュー1997年

ダグラス・ハーディングへのインタヴュー2000年

「ダグラスへ」by キャサリン・ハーディング

ダグラス・ハーディング(DouglasE.Harding)

ダグラス・ハーディングは、1909年、イギリスのサフォークに生まれた。彼は、厳格なキリスト教原理主義のエクスクルーシブ・プリマス教会の家庭に育った。エクスクルーシブ・プリマス教会は、自分たちは救われている者であり、自分たちは神に至る唯一の本当の道をもっているが、他の皆は、地獄に向かっていると、信じていた。ハーディングは、彼らの世界観を受け入れることができなかったので、21歳のときに、教会を離れた。彼らが正しいという保証はどこにあるのか? 自分たちは神にいたる唯一の本当の道をもっていると主張する、他のスピリチュアルな集団はどうなるのか? みんなが正しいはずは、ありえなかった。

1930年代、ロンドンで勉強しながら、建築の仕事をしていたとき、ハーディングは自分とは何かに興味をもった。人間であるとはどういうことか? 宇宙での私たちの立場は何か? 彼はただ生きていることが奇跡であると感じ、自分の存在に驚かないことは、半分眠っていることだと感じたのである。彼は、私たちとは何かについて社会が想定していることを疑った――どうして社会が正しいことを、自分に確信できるというのか?

それから、ハーディングは、人間であるとはどういうことか、生存するとはどういうことかを自分自身で探求し始めた。1930年代、哲学の分野では、相対主義の考えが浸透していた。こういう考えに影響を受けたハーディングは、「自分とは何か」は、観察者からの距離によるのだと気づいた――観察者から数メートルのところでは、彼は人間である。もっと観察者が近寄れば、彼は細胞であり、分子であり、原子であり、粒子である――観察者が遠くに離れていけば、彼は残りの社会、生命、地球、太陽系、銀河系に吸収されてしまうのである――タマネギのように、彼は多くの層をもっていた。明らかに彼は、生存するのにこれらのあらゆる層を必要としていた。

しかし、これらの層の中心は何なのか? 彼とは、本当は何なのか?

1930年代、ハーディングは家族とともにインドへ行き、そこで建築家として働いた。第二次世界大戦が起きたとき、自分の中心の本質を明らかにしたいという彼の探求は、切迫していた。彼は自分がすぐに死ぬかもしれないことに気づき、死ぬ前に「自分は本当に何か」を発見したいと思ったのである。

そんなある日彼は、哲学者&物理学者のエルンスト・マッハが書いた絵に偶然出会った。それは自分で自分のことを描いた自画像なのだが、少し普通のものと違っていた。たいていの自画像は、数フィート離れたところから、その画家がどう見えるかを描いたものである。その人は鏡を見て、自分が向こうに見るものを描く。しかし、マッハは鏡を使わずに、自分自身の観点から、自分を描いたのである。

                

ハーディングがこの絵を見たとき、彼は事の真相を理解した。この瞬間まで、彼は自分とは何かを様々な距離から調査していたのだった。

彼は層の皮をむくことによって、自分の中心に到達しようとしていた。しかしながら、ここに、中心そのものから見た自画像があったのだ。このマッハの自画像に関して明白なことは、その芸術家の頭が見えないということである。たいていの人々にとって、この事実はおそらく興味深いか愉快なだけであり、それ以上のことはない。しかし、ハーディングにとっては、このことは自分の内奥の本質への扉を開く鍵だったのである。というのは、彼は、自分も似たような状況にいて、自分自身の頭もないことに気づいたからである。世界の中心には、外見がなく、まったく何もなかった。そして、この「何もない」は、非常に特別な「何もない」であった――というのは、それはそれ自身に目覚め、世界で満ちていたからだった。長年がたって初めて、ハーディングは、自分に頭がないことを見たことについて書いた。

「私は、『最初』があるとは思いません。あるいは、もし最初があるとすれば、それは、人が長年ぼんやりと気づいていたことに、単にもっとよく気づくようになったということです。「時間がないもの」を見るのに、どうして「最初」がありえるでしょうか? ただ私が、この「内側を見る」ことを非常に明確に覚えている一つの機会がありました。それは三つの部分に分かれていました。(1)私は、カール・ピエスンの「科学の文法」という本の中に、エルンスト・マッハがベッドの上に座って、頭のない人物として自分自身を描いた絵のコピーを発見しました。(2)彼、そして私も、その体と世界を自分たちのタマネギ状の外見の核から、眺めていることに気づきました。(3)その頃、「階層」の本はまだ初期の段階でしたが、その階層は、頭がないことから始まり、それはその上に階層すべてがぶら下がっているクモの糸であったことは、明白なことでした」

ハーディングは、しかしながら、自分の発見をOn Having NoHead(邦訳「心眼を得る」図書出版発行現在絶版)にもっとドラマチックに描写した。

&この発見に続いて、彼はさらに5年の歳月をかけて、The Hierarchy of Heaven and Earth「天と地の階層」を書き上げた。C.S.ルイス(注―イギリスの著名な作家。「ナルニア国物語」などの作品で知られている)がそれに序文を書き、彼はそれを、「最高の天才の作品」と絶賛した。

「天と地の階層」は、1952年に、Faber&Faber社から出版された(1998年に、TheShollondTrustから、縮小版ではなく、分厚いオリジナル原稿版が出版された。英語版TheHeadless Way 公式サイに、本の詳細が掲載されています)。この本の中で、ハーディングは、最も広範で、最深の言葉で、自分の発見を探求し、テストし、それを理解しやすい形で表現した。それは一般読者のための本ではないが、時間がたては、真に偉大な哲学の作品の一つとして認められることになる本である。

1961年に、仏教教会が、一般読者向けに、On Having No Head(邦訳「心眼を得る」図書出版発行現在絶版)を出版した。

1960年代、1970年代、ハーディングは実験を開発した――自分に頭がないことを簡単に見て、日常生活でその意味と応用を探求するための、気づきの練習を開発した。

ハーディングは他にも多くの本を書き、90代になっても、「私とは本当に何か」に至る直接的方法を分かち合うことに献身し、2007年に97歳の生涯を終えた。

英語版The Headless Way 公式サイト