およそ一年半ほど前に、有能なリチャード・ラングの助けのおかげで、私は「頭がない方法」に初めて出会った。若い頃、私は、自己探求についての記事をまとめた本の中で、ダグラス・ハーディングの「On Having NoHead」(邦訳「心眼を得る」現在絶版)からの抜粋を読んだことを思い出す。そのとき、私の人間の胴体が無限の空間に向かって終わっていき、それは宇宙で満たされていると彼が言ったことは、実際真実だと気づいた。
が、その当時私は、自分の存在の真実に特に関心をもつよりも、次の「高揚」を追いかけていたので、自分がそのとき気づいたことの重要性は、ほとんど失われてしまったのである。それはただあまりに普通で、明白に見え、私は何か異国的なもの、達成が困難なもの、おそらくインド的なものを探し求めていた。
リチャード・ラングがここ、西オーストラリアに最近はじめてやって来たときも、グループの中でハーディングの実験を私がやるまでは、最初、私は、彼が提唱している方法のまったくの単純さについて、懐疑的だった。しかし、今回は、その光が継続し、程度や強度の差は様々あるが、それはそれ以来概ね私のところに留まっている。今回私がその重要性を認識したのは、おそらく、それ以前の長年にわたって、私が、瞑想テクニック、導師、霊的教師といった見込みのありそうに思えたものの助けを借りて、「スイッチ」を求める模索をしてきたおかげであろう。もちろん、こういった段階は、それなりの大きな啓示がなかったわけではなく、私はそのことに永遠に感謝し、それに関して何一つ変えたいとは思わない。
ただ、私が発見したと思われる意識の拡大が何であれ、それは長くは続かないように見え、そしてかなり微妙だとはいえ、様々な程度の努力と自己操作が必要だった、ということである。重要なポイントは、こういった疑いもなく心が高揚する状態は、たとえば、私が妻とケンカしているときや、仕事で大変なときなど、それらを使うことができればいいのにと思うたいていのときに、簡単に手に入るようには決して見えないということだった。
それに対して、シンプルで即座に回復・練習できるこの第一人称の観点は、素晴らしく変容をもたらす冒険であり続け、私の「日常」生活のあらゆる面に驚くべき予期もしない方法で影響を与えている。その影響が特に顕著なのが、公の場での公演という分野においてである。
私は、熱心な素人のギタリストで、時々大勢の聴衆の前で、演奏することがある。長年このことは様々な心理的兆候――息がつまり、コチコチになり、冷や汗が出て、めまいがする等を伴うかなりの不安を生み出し、それは最高の演奏をするために決して役立たなかった。ギタリストとして、最も落ち込む感覚は、自分の指がソーセージのように感じられるものに、一時的に置き換わったことだった。そういった兆候は、素人、プロの両方の演奏者におなじみのものだと私は確信しているし、あがり症のせいで何人かの有望な演奏家がその職業を終えたことを私は知っている。セスピアンズもこのあがり症の影響を受けやすく、最近の例では、イギリスの俳優、ステファン・フライが、自分が主役を演じている劇が演じられている最中に、逃げてしまったのである。あがり症が、彼にとっては個人的にあまりにひどいものになってしまったのだ。
長年私は、たいていの演奏家が疑いもなくするように、この問題に対処する方法を発展させてきた。しかし、問題は、いつもステージの袖に隠れて潜んでいて、そのせいで、大勢の前で演奏する喜びが半減するのであった。そして、私が頭を失って(というより、そもそもそれがそこに実際にあったことは決してないことに気づいて)から数ヶ月後、チャリティ・コンサートをやる友人のプロの音楽家、カヴィシャ・マゼラのために、サポートを提供してほしいという招待を受けた。その当時、私には自分が書いた新しい曲がかなりあり、それを生の聴衆の前で試してみたいと熱望していたので、私の情熱が、公演で出会うかもしれない怖れに打ち勝っていた。
そして、そのビック・イヴェントの夜、ステージわきに立って、主催者に紹介されているときに、私は、自分がまったくあがっていないことに初めて気づいて驚いた。さらに驚くべきことには、そう気づいたからっといって、あがるわけでもないことだった。代わりに、その状況の中で、自然に高まったエネルギーのおかげで、私がそこから機能している虚空に気づくようになった。私がステージの中へ歩いていくと(というよりも、もっと正確に言えば、私がステージを自分の中へ歩かせていると)、いつもの怖れと不安が、第一人称としてステージで演奏することはどんなことなのかという、ワクワクした好奇心に置き換わった。
私はすわって、楽器のスイッチをいれて、自分の自宅の居間で一人でいるときのように、自然に、そしてもっと楽しんで正確に演奏し始めた。虚空から出た前方にある腕と手は、不安な自己の妨害から解放されていて、どういうわけか、何をすべきかちゃんと知り、うまくやっていた。ともかく、大勢の聴衆の注目は、私ができるかぎりの最高の演奏を引き出した。私が感じていたくつろいだ喜びは、伝染するように思え、少し演奏していくうちに、聴衆も同じように感じ、楽しんでいることを感じることができた。私の通常の堅苦しい不安なステージマナーが、気楽に聴衆を受け入れることに置き換わった。この間ずっと、聴衆個々の人たちが、私自身の中に安全に愛情深く支えられていることを経験した。まったくすごい啓示だった。
それは一回だけで消えることではなかった。それ以後、ステージでのあがり症が起るかもしれない他の状況でも、私とは本当に何かを見ることが、私の以前の緊張感への免疫を与え続けてくれた。生演奏(それは、結局のところありがたいことに一時的なものだ)よりもっと恐ろしい唯一のことは、録音セッションで、演奏の欠点が残酷にも未来にまで保存されてしまうからだ。しかし、私の一番最近のアルバムは、前回のものとは、対照的に進行した。前回のときは、緊張し、要求の多い雰囲気の中で、何度も録音が行われ、その結果、私は疲れはて、意気消沈した。技術的に高水準であったにもかかわらず、それは私にとっては、高い努力と不安のコストを払ったにもかかわらず(あるいは、おそらくそのせいで)、私が表現したいことの本質を本当にはとらえていなかった。
それとは対照的に、最新の作品集の録音は、もっとずっとくつろいだ出来事だった。まず一日の最初は、楽器を録音する最適な方法を探究することから始め、もし幸運なら3曲か4曲編集できればいいという感じだった。しかし、実際は、私が虚空にその重要な責任をまかせたとき、録音また録音がスムーズに表現豊かにすすんでいった。私たちはアルバム14曲全部をたった一日の録音で終え、私は初めてその結果に満足した。録音技術者は、そのことに特に驚き、今だにその経験を人々に語っている。
そのとき以来、私は、すべての不安は、ある意味では、「演奏不安」だということに気づいた。三人称にとっては、どんな状況であれ、ひどい演奏は、ある種の自己の縮小、あるいは、自己の死へ導く可能性がある。演奏家たちは、ステージ上で「死ぬ」ことは話題にすることがある。それは、私たちが第三人称として自分がそう見える姿を自分の本当の姿だと誤解するとき、まるで、肉体の自己保存本能(それ自身はまったく正常な本能である)が、不適切に破壊的に演奏に入り込んでしまうようなものだ。第一人称を思い出せば、それ以外の内外の変化に頼らずに、物事を即座に正してくれるように思える。
(原文、The Headless Way Out of Stage Frightは、www.headless.orgに掲載されています。Samの演奏は次のサイトより、ダウンロードできます。http://www.samblightmusic.com/)
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