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筑紫倭国伝

東征行(前編)



英彦山神宮(奉幣殿)

英彦山神宮(奉幣殿)

 神武天皇は「筑紫の日向の高千穂の宮」で東征を議ったことが古事記に記されている。ここ英彦山神宮での事である。英彦山神宮奉幣殿は修験道時代の霊仙寺大講堂で国指定重要文化財。740年建立といわれているが、現在のものは1616年に当時の小倉藩主「細川忠興」の寄進によって再建されたものである。
 福岡県田川郡添田町英彦山


英彦山神宮(上宮)

英彦山神宮(上宮)

 英彦山は南岳・中岳・北岳の三岳からなっている。中岳の山頂(標高1200m)に鎮座する上宮は、神武天皇が東征のとき、天村雲命(あめのむらくものみこと)を遣わして、天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)を祀ったと伝わるが、社殿ができたのは740年、藤原清足の創建といわれている。
 福岡県田川郡添田町英彦山


犀川(さいかわ)

犀川

 英彦山を源流に周防灘に注ぐ「今川」は、古名を「犀川」という。神武天皇は東征を前に、「狭井川」のほとりにある伊須気余理姫の家に行き一夜をともにする。「狭井」とは山百合の名で、この川辺に多く生えていたので「狭井川」と名づけた。「古事記」より。
 福岡県京都郡みやこ町


宇佐神宮

宇佐神宮

 「高千穂の宮」で東征を決意した神武天皇は宇佐に向った。東征の報告を祖先にするために、邪馬壹国の女王「卑弥呼」の墓所である宇佐宮参拝を行う必要があった。全国四万余社の八幡宮の総本宮である宇佐神宮が皇室の祖先を祀ることは、769年の「弓削道鏡」事件で明らかである。
 大分県宇佐市南宇佐


馬見山

馬見山

 英彦山の東にそびえる標高977Mの馬見山は、神武天皇の馬が暴れ山中に逃げたのを、そのまま見送ったことから、名づけられたという。
 福岡県嘉麻市