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筑紫倭国伝

帰路(1)



海神神社

海神神社

 神功皇后が三韓からの帰途、新羅を鎮めた証として旗八流を納めた所で、八幡本宮とも号し、対馬国一ノ宮である。明治3年、「和多都美神社」に改称し、翌明治4年、祭神を八幡神から豊玉姫命に改め、現在の海神神社に改称した。
 長崎県対馬市峯町木坂


聖母宮

聖母宮

 皇后は、出兵にさいし行宮をこの地に建てたが、その後放置されてしまった。しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので、里人が神功皇后を神として奉ったのがこの神社であると伝う。 また、一説に、敵の首101500を持ち帰った皇后は、浜に穴に掘って埋め、築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てたとある。
 長崎県壱岐市勝本浦


風浪宮

風浪宮

 神功皇后は新羅遠征の帰途、洋上で暴風にあったが、忽然と現れた少童命の化身である白鷺の加護で、無事に漂着した。その白鷺が止まった樟のある聖地に阿曇磯良丸が勅を奉じて社殿を造ったのが風浪宮のはじまりといわれている。
 福岡県大川市酒見


七ッ釜

七ッ釜

 地名の土器崎は、新羅から無事に帰国した神功皇后が、海神を祀り、神酒の杯を海中に投じたのに由来するという伝説がある。七ッ釜は、海岸の玄武岩の断崖絶壁に七つの海蝕洞が並んでいるために名付けられた。
 佐賀県唐津市横野土器崎


六所神社

六所神社

祭神、伊弉冊命 速玉男命 事解男命 底筒男命 中筒男命 表筒男命
 六神を祭り六所神社という。神功皇后が三韓より帰国し志摩町小金丸の幣の浜に上陸したとき、尊神を奉ったとする。大樟2本(熊野神木・住吉神木)は県指定天然記念物。
 福岡県糸島郡志摩町馬場


宇美(長野)八幡宮

宇美(長野)八幡宮

 古名を長野八幡宮という。上宮と本宮があり、上宮は神功皇后が大臣武内宿称に命じて仲哀天皇の陵を築かせ、棺を納めたとする。本宮は神功皇后が三韓へ渡航中の船上に現れた新羅の神を、帰途に当山に奉ったとする。宇美八幡宮本殿を中心にして南北に伸びる丘の上に総数14基の古墳が築かれており長嶽山古墳群という。
 福岡県前原市長野


高祖神社

高祖神社

祭神、彦火々出見尊 玉依姫命 神功皇后
 創建の時期は定かでないが、九州諸将軍記には「神代より鎮座あり、神功皇后が三韓より凱旋の後、社殿を乾の方に向け建立」と記されている。 この機縁で神功皇后を相殿にお祀りしたと伝えている。
 福岡県前原市高祖


熊野神社

熊野神社

祭神、伊弉冊命 速玉男命 事解男命
 神功皇后が三韓から帰朝の後に紀州熊野から勧請されたとする言い伝えがあるとのこと。この神社がある「今山」は弥生時代前半期頃に石斧(せきふ)の製作を行った所として有名な「今山遺跡」である。
 福岡県福岡市西区横浜