
更新
筑紫の日向の高千穂の添山峯(英彦山)
むかしむかし、奈良に都(平城京710年)が造られる、およそ240年ほど前に、筑紫(つくし)に都が造られた。これを倭国筑紫王朝の太宰都督府という。その王を中国では「倭の武王」と呼んだ。
この「武王」の頃に倭国筑紫王朝は絶頂期を向かえているが、その前身は、『魏志倭人伝』に描かれた女王「卑弥呼」の率いる「邪馬台国」である。
倭国筑紫王朝は、7世紀後半まで日本列島を代表し、古代東アジアの動乱の時代を駆け抜けた。
筑紫(つくし)は国の「まほろば」、「遠の朝廷」といわれた太宰府の実体を求めて筑紫探訪。